SHIBLI&MANSUR


Abu Bakr Dulaf Al Shibli

[ アブー・バクル・ドゥラフ・シブリー]



バグダード派に属する著名なスンニー派のスーフィーの一人。

役人生活の後、40歳の時にジュナイドの友人である、

ハイル・ナッサージュの影響で、禁欲主義的スーフィズムに転じた。

ハッラージュ(マンスール)と同門の間柄であった。

後の八ラージュの処刑に際しては彼との関係を否定したが、

密かに彼を尊敬していたと伝えられている。

奇抜な行動で知られ、最後はバグダートの精神病院に収容された。

彼はそこで、高名な訪問者達を前にして、スーフィズムについて話したという。

スーフィーの超能力競争の物語にその名がよく登場されることでも知られる。

945年没。





Dulaf Al Shibli



「神と一つであることを一瞬でも感じるならば、


それは世界の初めから終わりまでのすべての人間の礼拝の行為に優る。」








Abu ibn Mansur Al Hallaj

[ ~イブン=マンスール・八ッラージュ]



イラン生まれの最も卓越したスーフィーの一人。

神への徹底した無私の愛の主張者であるとともに、その率直な実践者であった。

醒めたスーフィーの道を提唱したジュナイドの弟子であったが、

彼自身は典型的な酔えるスーフィー(陶酔型)であった。

「私は真理(神)である」と宣言した為、異端のかどにより、

922年バグダードで処刑される。

スンニー派によって異端視されただけでなく、シーア派や

スーフィー達からも、秘儀を漏らしたとして、凶弾された。

だが、今ではスーフィーの間では「殉教者」として高く評価されている。






Mansur Al Hallajの神秘詩





あなたの霊は私の霊に混じる


酒が清い水と混じるように


何かがあなたに触れれば、私にも触れる


見よ、いずれにしてもあなたは私なのだ







神よ


あなたの御姿は私の目の中にあります


あなたへの願いは私の唇の上にあります


あなたのお住まいは私の胸の中にあります


そのあなたがましまさぬことなど


どうしてありえましょう











君が面影はわが眼に浮かび



 君が名はわが唇に浮かび



君が想いはわが心に浮かぶ



 どこに送ろう、恋の手紙を













以下、OSHOの講話より




MANSOOR


スーフィーの伝統のなかで

アル・ハラジ・マンスール
に比べられる人は誰もいない。


いわゆる宗教的な人びとによって、過去に多くの人びとが殺されてきた。

イエスは十字架に架けられただけだが、マンスールはばらばらに切り裂かれた。

マンスールは十字架に架けられた。そして、まず彼の足が切り落とされた―

それでも彼は生きていた――次に彼の手が切り落とされた。

さらに舌が切り取られ、次には目がくり抜かれた――

それでも彼は生きてきた――そうして、彼の首が切られた。

が、マンスールはどのような罪を犯していたのだろう? 

唯一の罪は、彼が "アナー・アル・ハック!" と言ったことだった。

それは「私は真理だ。私は神だ!」という意味だ。

インドでは、彼は何世紀にもわたって崇拝されていただろう。

だが、回教徒たちにはそれが我慢できなかった。

一万人の人びとがマンスールに石を投げるために、

彼を笑い者にするために集まっていた。

マンスールは笑っていた。

自分の足が切り落とされたとき、彼は自分の血を自らの手に受けた……

すると、誰かが彼に、なにをやっているのか、とたずねた。

マンスールは言った。

「どうしてあなたは自分の手を水で洗うことができるのかね?

というのも、あなたは自分の血で犯罪を犯すからだ。

あなたは自分の血で罪を犯すからだ。血しか浄化にはなりえない。

私は自分の手を浄化しているのだ。私は祈りの用意をしている」

彼らが彼の手を切り落とし始めると、彼は言った。

「ちょっと待ってくれ! いまは私に祈らせてほしい。

手がなくなったら、それはむずかしくなる」。

そこで、彼は空を見て、神に言った、

「あなたは私をだますことはできません!

 私はここにいるあらゆる人のなかにあなたを見ることができるのです!

 あなたは殺人者として来たのですか? 敵として?

 あなたは私をだますことはできません――

どのような形であなたが来ても、私はあなたを認めるでしょう――

私は自分自身の内側にあなたを認めたのですから!」

人びとはあざけって、彼に石と泥を投げつけていた。

が、マンスールは笑い、ほほえんでいた。

だが突然、彼は泣き出した……
シブリ
という彼の友人、

彼の弟子が薔薇の花を投げたからだ。 

再び人びとは謎に包まれた。

そして彼らは、どうしてなのかとたずねた。

マンスールは言った。

「石を投げている人びとは、自分たちがなにをやっているのか知らない。
だがシブリは知っている――彼は知らなければならない。

彼が神から許しを得るのはむずかしいことになるだろう」 

後になってシブリは、なぜ薔薇の花を投げたのかときかれて、こう言った。



「私は群衆が恐かった。もし私がなにも投げなかったら、

彼らは私に対して暴力を振るうだろうというのが恐かった。

私は石を投げることはできなかった。

マンスールは無実だということを私は知っていたからだ。

だが私は、なにも投げないでいるという

勇気を振るい起こすこともできなかった。

あの花は妥協にすぎなかった。

そして、マンスールは私の恐れを、私の臆病を泣いたのだ」

 マンスールの涙はシブリを完全に変えた。

彼にとっての変容になった。

彼にとって、それには少なくとも十二年かかった。

浮浪者、乞食のようにさすらい、

これ以上はないほどハートを引き裂かれる苦悶のうちに、

泣きなげく十二年間。

全生涯、彼は後悔した。彼は言ったものだ。

「私がマンスールを殺したのだ。

あそこにいたほかの誰にも責任はなかった。

だが、私は理解できたはずなのに、

彼を救うことができたはずなのに、群衆に妥協した――

私はあの人に花を投げたのだ」


 もしあなたが責任を理解したら、後悔はあなたのなかの非常に、非常に深い現象になりうる。

そうなったら、小さなことでも、もしそれがあなたの根まで深く入っていったら、

もし涙があなたの目からだけではなく、あなたの身体のあらゆる細胞から出てきたら、変容になりうる。

 これこそマスターに、偉大にマスターにしかできないことだ。

マスターはやりつづける――生きている間でも、死のうとしている間でも、

あるいはすでに死んでいてさえも――人びとを変容させるためにあらゆる機会を利用しつづける。





抜粋 Osho UNTIL YOU DIE, PP.218-222







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