薪と釜





わしのところにやってくるこの人々、
わしが黙っているとすぐ不機嫌になり気を悪くする。
しかし何か言うとなると、どうしても相手に向いたようなことを言わねばならぬ。
そこで、自然こちらも気が重くなり、向こうは行ってしまう。
「先生はわしらに嫌気がさしてすぐ逃げてしまいなさる」
などと悪口いいながら。
一体、薪が釜を棄てて逃げてしまうなどと言うことがあるだろうか。
逃げるのは釜の方だ。
火に堪えられないから逃げるのだ。
だから火や薪が逃げるのは本当に逃げるのではない。
ただ釜が弱すぎると見て取って、少し距離を置くだけのことだ。
どちらにしても、逃げるのは釜の方である。
こういうわけで、わしが人々を避けるのは、実は先方が逃げることなのである。
 わしは鏡だ。
人々の心に逃げ出したいという気持ちがあれば、そのままこちらに映る。
そこで向こうのためを思ってわしは逃げる。
鏡とは人が自分を映して見る為のもの。
もしわしが嫌気がさしているように向こうの目に映るとすれば、
それは向こうが嫌気がさしているということだ。
いやだの退屈だのというのは、元来、弱さの属性である。
このわしのところには、嫌気がさす余地などありはせぬ。
嫌気などわしの関わるところではない。

中略


普通、人は現世と来世の仕事を大急ぎで終わらせてしまおうとする。
それで自然と最初から無理しすぎることにもなる。
こういうやり方では事はうまくいかない、
特に精神の鍛錬を己の道とする場合には。

こういうことが言われている。
もし、人が3キロものパンを食う習慣のある場合、
毎日少しずつ順を追って量を減らしてゆくと、
ものの1年か2年もたたないうちにパンの量は半分になり、
しかも減らし方がうまければ、
身体はパンが少なくなったことに全然気づかぬという。
神を崇め、隠棲して修行に励み、
神にお仕えし、神に祈る場合もこれと同じこと。


以下略。
「ルーミー語録」


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