水に溺れきる



世間ではよく「心は心と通い合う」と言う。
誰でも口にする表現ではあるが、
そういう張本人にはこの表現の深い意味はわかっていない。
一般の俗衆には本当のところがわかっていないのだ。
本当にわかっていれば、言葉など全然必要がなくなってしまう。
心が立派に証するなら、なんで言葉で証しする必要があろう。

・・・・中略・・・・
umi2

全身全霊を挙げて何事かに集中しきるとは、
自分というものが全然そこにいなくなってしまうとことだ。
自分が何かをしようと努めることがなくなり、
自分が積極的に何かをする、
自分から動くことがなくなってしまう。
つまり水に溺れきるということだ。
それでも何かするとすれば、それは彼の行為ではなくて、
水の動きにすぎない。
水の中に手と足をひたしただけでは、水に溺れたとは言わぬ。
「ああ、大変だ、おれは溺れた!」
などと叫ぶ奴がいるが、そんなのは溺れたとは言わない。

・・・・中略・・・・

Buddha

さあ、そなたも己れ自身をよく調べてみるがよい。
泣き、笑い、断食し、祈り、引き籠り、人と交わる。
その中のどれが一番自分のためになるかをよくよく考えてみるがよい。
どの道を選べば自分の心が一番正しくなるか、
進歩が一番大きいか、
それを見定めて、決然とその道を取るのだ。
「己が心に向かうがよい、他人の意見がどうであろうとも」 * ハディース
そなた自身の内部にこそ生きた真理がある。
他人の忠告は、全てそれに照らしてみて、
合致するものだけを選べばよい。


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