聖所に至る道


semazen


Come, come whoever you are

Wanderer, worshipper, lover of leaving

Ours is no caravan of despair

Come, Yet again come



Come, come again and again

Come, be you unbeliever,

idolater or worshipper of fire

Our hearth is not the threshold of despair

If you have broken your resolve a hundred times,

come again・




おいで、おいで、あなたがなんであろうと

放浪者、崇拝者、盲目の恋人達

なんであろうとかまわない

我々は絶望のキャラバンではない

おいで、おいで、それでもまだおいで




おいで、おいで、それでもまだおいで

無信仰者、偶像崇拝者、拝火教徒、

なんであろうとかまわない

我々の炉床は絶望の門ではない

おいで、たとえあなたが千もの誓いを破ったとしても

おいで、おいで、それでもまだおいで




ルーミー語録より

道はいろいろ違っても、
行き着く先はただ一つ。
見るがいい。
メッカの聖所に至る道は幾つもある。
ある人は小アジアからの道を取り、
ある人はシリアから、
ある人はペルシャから、
ある人はシナから。
またある人はインドやイェメンから
はるかな海路を越えていく。

もし、道だけを見れば、
みんなてんでばらばらで、
お互いの開きは限りない。

が、目指すところに眼をつけて見れば、
みんなが一致して一つになってしまう。

すべての人の心が一致して
メッカの聖所に向かっているからだ。
すべての心が聖所に結ばれ、
聖所を愛し、
聖所に憧れている。

どこにも違いなどありはしない。

そしてこの愛着の情そのものは
異端でもなければ、
信仰でもないのだ。

つまり今言ったように道は様々に違っていても、
その違いは愛着の情の純一さをいささかも乱しはせぬ。

取るべき道に関してこそみんなの意見がまちまちで、
この人はあの人に『お前は間違っている、異端者だ」
と言い、
あの人はこの人に同じことを言う。

が、一たん目的地に着いてしまえば、
もう議論も喧嘩もいざこざもありはしない。
今まで喧嘩していたのは道についての争いであって、
目指すところはただ一つだったということが、
誰の目にも明白になる。

=== 談話その二十三より ===


☆*:;;;:**:;;;:*☆*:;;;:**:;;;:*☆*:;;;:**:;;;:*☆*:;;;:**:;;;:*


もしもかの聖なる霊が

 帳をあけてたち現れれば、


人の子も理知も精神も、すべて

 粗雑な形骸と見えるであろうに。

(ルーミー自作の詩)


☆*:;;;:**:;;;:*☆*:;;;:**:;;;:*☆*:;;;:**:;;;:*☆*:;;;:**:;;;:*



© Rakuten Group, Inc.
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: