そなたは正にかの思念(おもい)




兄弟よ、そなたは正にかの思念(おもい)

その余は全て骨と筋


[マスナヴィー第二巻] ジェラールッデイン・ルーミーmori





師はこうおっしゃった。

自分の内面にひそむ”かのもの”を直視してもらいたい。
ここで「思念」(おもい)とわしが言うのは、
正しくその意味での特殊な思念なのである。
「思念」という語を拡張して使ったまでだ。
実は思念ではない。
思念だとしても、普通この語で人が理解するような思念とは全然違う。
わしが「思念」という語で表そうとしたのは”かのもの”である。
もしこれを一般の人にも理解できるように、
もっと低俗な形で説明してもらいたいというなら、
「人間はもの言う動物である」とでも言えばいい。

外面的に表現されなくとも、表現されても、
言葉は思念である。
その他は動物にすぎない。
だから当然、人間とは本質的に思念であって、
その余りは全て骨と筋ということになるのだ。

言葉は譬えれば太陽のごときのものか。
すべての人間がそこから熱をえて、それで生命を保つ。
太陽は常にある。
いつも存在し、いつも現在して、それで万人が暖まる。

しかし、この太陽は目には見えぬ。
だから、そのお陰で生きている、そのお陰で暖かいのだということを
人々は知らない。

ところが感謝なり苦情なり、善なり悪なり、
ともかく思念が語や文章で外面的に言い表されると、
とたんに太陽が見えてくる。

空に太陽は絶えず輝いているが、その光線は目には見えない。
壁に射して始めて見えてくる。

それと同じことで、文字や音声を通さなくては、
言葉という太陽の光線も人の目に見えない。
いつもそこにあるのに見えないのである。



・・・・・・・・・・中略・・・・・・・・・・・

抜粋「ルーミー語録」訳 井筒俊彦


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