放浪の達人ブログ

スリランカで居候

   【スリランカで居候】

年末年始にご招待旅行でスリランカに行って来た。
悪名高き中国東方航空を使ってのフライトだったが無事に帰国できた。
スリランカからの出発が3時間遅れたり、帰国時に荷物が1つ紛失した程度だった。
後日その荷物も自宅に送付されてきたのでまあ問題なかった。
あとは現地でスリランカの東方航空オフィスに搭乗予約確認をした際に
「今ティーパーティーやってますんで。ガチャ!」と電話を切られたぐらいである。
お金はないが時間の余裕がある人や機内でのサービスなんか全く期待してない人、
搭乗カウンターで並ぶ際に列を無視した中国人軍団の割り込みに寛容な人、
どうせ機内では映画を観ないで寝るからイヤホンから音が出なくても平気な人、
空港内で待機中に出発搭乗ゲートが突然変わって全力ダッシュするのが好きな人、
そんな人達には中国東方航空は断然お薦めなのでぜひ利用していただきたい。

さて、スリランカでは初日は空港まで知人が出迎えをしてくれて、
そのままビーチサイドのホテルも用意してくれていてVIP扱いだった。
翌日はコロンボ近くの知人の家に居候してそこを拠点に行動した。
独りで南のビーチに電車で行って小さな安宿に泊まったり、
世界遺産である空中宮殿シギリアに連れて行ってもらったり、
森の中に建てられた知人宅で1泊したりと大変楽しかった。

居候先ではふかふかのベッドが用意されていたのだが、
スリランカは暑いために深夜にベッドから下りてタイル張りの床で寝ていた。
タイルはヒンヤリとして気持ちいいのである。
朝になって俺を起こしに部屋に入って来た知人が「サイトーがいない!」と
焦って探していたのだが俺はちゃんとベッドの向こう側の床で爆睡していたのである。
おかげで「まるで犬みたいだわね」と家族に笑われたのであった。

スリランカは大変な親日国家である。子供達は「ハロー、ジャパン」と笑ってくるし、
大人ですら「アユボアン(こんにちは)」と声を掛けて来る。
特にスマトラ地震のために津波に襲われて甚大な被害を出した南のビーチの村では
いたる場所に「この橋は日本が作ってくれました」と日の丸と共にプレートが掲げられていて、
自分達の家や家族を津波で失ったというのに「フクシマの津波では大丈夫だったか?」と
我々日本人の心配をしてくれたのが非常に心温まる言葉だった。

俺は現在50歳だが、今回のスリランカ旅行によって忘れていたものを取り戻した気がする。
一言でいえば「無邪気さ」だろうか。心から笑うとか泣くとか、そんなことを思い出した。
スリランカの人達の屈託のない笑顔や優しさに触れて、心の汚い部分が洗われた気分である。
日本人はもっと笑って暮らしてもいい。無表情でケータイやスマホ見てるだけの人が多過ぎる。
ひとりでニヤニヤしながら歩いてるなんてバカに見られないかしら?だとか、
見ず知らずの人に挨拶なんかしたら不審に思われないだろうか?なんて思ってないだろうか?
会社という組織の中で揉まれて心の底から笑うことを忘れ、笑う時はうわべだけの愛想笑い。
タレントがテレビの中で勝手に盛り上がってるバラエティー番組をぼんやり眺めながら、
つられ笑い程度の乾いた笑い。それはなんか本当の幸せから出る笑いじゃない気がする。
物価的・経済的に見れば日本はスリランカよりも裕福のはずである。
しかしその分、動き続けなければ生活できないという先進国病にかかっている。
もっとシンプルに、たとえば太陽が昇って来ただけで幸せだとか、家に屋根があってラッキーとか、
生きていること自体がハッピーだと思えるような心で生きて行きたいよなあ。
今回のスリランカ旅行で得た最大の収穫はそんなことだった。
ちなみに8泊9日で使ったお金はたった3,000円。そのうち1,000円は津波記念館への寄付。
皆さんもスリランカとか東南アジアにツアーではない一人旅をしてみてくれ。
きっととんでもない心の宝物を取り戻すことができるぞ。
それは本来、あなたが子供の頃に持っていた本物の笑いであり、それは実は今でもあなたの内にある。


© Rakuten Group, Inc.
X
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: