「遺された画集」 野見山暁冶


 アマゾン等で暁冶の本を注文しておいたら、集まってきました。

 表題の本を含めて列記しますと、

 1、「遺された画集」   平凡社
 2、「パリ・キュリイ病院」弦書房
 3、「うつろうかたち」  平凡社
 4、「いつも今日」    日経新聞社

 既に書いた「四百字のデッサン」に比肩できるのは1、か。

 2、はまだ読んでないのです。

 1、「遺された画集」の内容は、

 「かつて東京美術学校で共に学び、夢を共にはぐくんだが、戦死した若者たちの遺族を訪ねる旅に出たギョウジさんが、そこで見たものと、自らの胸の内に見たものは・・・・・」

 美術学校の生徒だっただけに、作品が習作とか、卒業制作として残っています。

 逝ってしまった31人の遺した油絵や彫刻、工芸品と、訪問の記を比べるとなんともいえぬ感慨に浸ります。

 年金がどうの、郵政民営化がどうの、増税するとかしないとか、刺客がすべった、ころんだとかのtv放映は矮小な光景に移ります。

 我らはそのうちに死ぬのです。

 31人の平均年齢は25歳でした。

 いささか長くなりますが、野見山暁冶氏の達意の文章を引かせていただきます。

 「解るだろうか、私たちが若かったあの戦争前の時代。たしかにそれは今とは違って、みんなで恋をしていたのだ。友達と、友達の姉妹と。詩、小説、音楽、絵画、それらは身近な人々を通して一様に燃え上がり、深遠な人生について共通の悦楽と悩みを持つことで、ある一体感に浸っていた。」

 「原田さんは戦地から、忘れがたい女の人を東京に残していることを妹に訴える。その兄がニューギニアへ行く途中、火薬を積んだその船が敵機の追撃にあい一瞬に爆発して、ニュージョージア沖に消えたという知らせを受けた妹さんたちは、メンデルスゾーンとチャイコフスキィーのヴァイオリン・コンチェルトをその日、一日中聴いた。」

 「それはいつも兄が聴いていたもので、自分が死んだらそれをかけてくれと頼みおいて行ったものだった。」




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