3.「人間の条件」と町の美談



 今はありふれたものとなった大学生ですが、昭和30年代の大学生は、人にもよりますが、威風あたりを払うものがありました。大学院生ともなりますと町内の畏敬を一身に集めていました。

 戦後、雨後の筍(たけのこ)のようにできた新制大学でしたが、地方にできた国立大学には大学院はまだ設置できてなかったところが多かったのです。

 当時小学生であった私は大学院とは何をするところか理解し難かった記憶があります。

 同級生が「兄貴が名古屋大学の工学部の大学院へ進んだ。」と自慢し、「大学院て何するところだ。」と問いますと、そいつも「よくわからん。」という始末でした。

 その兄貴たるや猛烈なる勉強家でした。

 大学院生山口岩男氏(仮名)のお宅に一度遊びに行ったことがあります、近所でしたから。日曜日のことです。

 トランプをしていて、ついつい声が大きくなったら、「オホン」という声が隣の部屋から聞こえてきて、お開きとなりました。それまでも声をひそめてトランプをしていたのですが。

 大学生とは、昼間から薄暗い部屋で電気スタンドを点けて勉強するものだという強い印象を受けました。

 高校時代から柔道二段の猛者(もさ)でした。大学生のときノートを借りに来た同級生に、「無礼者、投げ飛ばされたくなければ帰れ。」と怒鳴ったという逸話も友人であるその弟から聞いていました。

 大学院卒業にあったって、当時の花形企業「帝人」と「東レ」から熱烈なる勧誘を受けて、一方の社に就職されました。

 その岩男(イワオ)さんに縁談が持ち上がりました。相手は勤務先の研究室の同僚からの紹介の女性でした。

 その女性に岩男さんはこうプロポーズしたといいます。

 僕は「人間の条件の」梶のように、ぶきっちょに自分を貫いて、生きていくことしかできない。それは現代において、賢い生き方とは必ずしも言えない。こんな生き方は、君に不幸せをもたらすかもしれない。そんな僕の生き方でよかったら、君と生涯を共にしたい。

 どうしてこんな秘密に近い会話が、当時高校生になっていた私まで知っていたかには、町内のちょっとした大事件がこれに伴い、まきおこったからです。

 プロポーズの言葉を聞いた彼女は、こう告げたそうです。

 私は「人間の条件」を読んでいません。映画化されたものも見ていません。映画を見に連れて行ってください。梶という人物がどういう方か知りたいです。その上でお返事します。

 五味川純平作の小説は当時のベストセラーでした。映画も大ヒットして第一部から第六部まで6本製作されました。
 延べ9時間という大作でした。

 6本オールナイト一挙上映の映画館へ、お二方はそれぞれの両親の許可を得て、入っていかれたそうです。当時はアベックで(当時の言葉を使いますと)、深夜映画を見るという風俗は無かったのです。

 岩男さんの母親から話しを聞いた近所のおばさんたちは、翌朝映画が完結するまで、気が気でなかったそうです。

 9時間にわたった映画を見終わった女性はプロポーズを「お受けします。」と言われたそうです。

 「ほんによかったなあ。」と私に話してくれたカーテン屋のおばさんは泣いていました。

~ 満州国から生還した家族 ~

 プライバシーの侵害になるかと危惧して記載しなかった一章があります。御家族からのご指摘があれば削除するにやぶさかでないことを最初に申しあげます。

 昭和30年代の日本の状況、なぜ「人間の条件」という映画があれほどまでの支持を受けたか、若い方々に知っていただければと思う一心なのです。(なんて偉そうにねえ。まあ気楽に読んでください。)

 おかたい岩男さんが、当時150万部売れた大ベストセラーだったとはいえ、なぜ「人間の条件」を読んでいたか。

 それは彼の家族が満州からの引き上げ組みだったこともあったのかなと思う昨今です。

 年齢からいっても昭和十年代生まれの彼は、泣き止まぬ弟を背負った母親に手を引かれ、半死半生で日本に引き上げてきたと、笑いながら話すお母様に聞いたような覚えがあります。

 今で言う山崎豊子の「大地の子」を地で言っていたわけです。そんな家族はたくさんいました。

 前三重県知事北川正恭氏も満州引き上げ組です。

 書いていてこう考える次第なのですが、破天荒なまでに「ストイックに自分にも厳しく、常人ではありえない」行動、思索をし、行動している背景には強烈な幼児体験があるのかと。

 進化論に「島の法則」というものがあります。

 簡単に言いますと、海に囲まれた島のようなところにいる動物はぬきんでた存在が無くなってくるというのです。平均的な状態に収斂(しゅうれん)してくるというのです。

 度外れた能力を示すものも、橋にも棒にもかからない超劣等の存在も無くなってくるというのです。

 リーダー不在が顕在化している日本も平和が50年以上続いた「島の法則」の適用対象なのかもしれませんね。

 「僕は両親の老後の面倒を見る、そして長男として一人の妹と、3人の弟を一本立ちできるまでサポートしなければならないのだ。」と岩男さんは彼女に話したそうです。

 岩男さんのお母様が、笑いながら、目頭をハンカチで押さえながら、近所のおばさんたちに話したのです。

 自らも息子たちを持つおばさんたちは「岩男さんは偉い」と口々にさけんだそうです。



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