北方領土



北方領土は、北海道本島の北東の洋上に連なっており、歯舞群島は、根室半島の 延長線上3.7 ㎞の沖合から北東に点在する貝殻島、水晶島、
秋勇留島、勇留島、志発島、多楽島などの島からなっています。
色丹島は、歯舞群島の北東22㎞に位置しており、国後島は、根室半島と知床半島のほぼ中間に位置し、野付半島の沖合16㎞の地点から北東
に延びる全長122㎞の島です。また、択捉島は国後島の北東22.5㎞に位置する全長204㎞の島です。

また、四島を合わせた面積は、5,036平方キロメートルで、この面積は千葉県の広さにほぼ匹敵します。

■人口

北方領土には1945年8月15日の終戦当時、17,291人が住んでいましたが、1948年(昭和23年) までに強制的に退去させられ、その約8割が
北方領土に隣接する北海道に居住しました。
現在、(平成14年3月末)の生存者は、8,667 人で、49.9%の方々が既に亡く なっています。

原因

1941年、日本はアメリカ、中国、イギリスなどを相手に戦争を始めました。
そして日本は1945年8月15日「ポツダム宣言」を受け入れて、
無条件降伏しました。その8月15日から3日後の8月18日になって、
当時ソ連と結んでいた有効な条約「日ソ中立条約」をソ連が一方的に破り、
クリル諸島北端の占守島に上陸を始め、自衛のため応戦した日本軍と激戦が
交わされました。しかし日本軍は北部方面司令官の命令で23日に
局地停戦協定を結び降伏しました。
 その後ソ連軍は千島列島沿いに南下を始め日本軍の武装解除をして、
得撫島まできましたが、択捉島には上陸せず、いったん北に引き返しました。
しかしアメリカ軍が択捉島や国後島等に進駐していないことを知ったソ連軍は
再び南下を始めました。この一件は当初ソ連軍も北方4島は
日本の領土であるとの認識だったことを物語っています。
 択捉島や国後島に上陸したソ連軍は「アメリカ軍は来ているか?」と
住んでいた日本人に対して念を押しながらの上陸だったということでした。
ソ連軍は8月28日に択捉島、9月1日に国後島、色丹島に上陸し、
9月3日には歯舞群島にまで及び、ことごとく占領しました。
このため島で生活していた人々の中には、危険を冒して着の身着のままで
脱出した人もいます。住み慣れた土地を離れられず島にとどまった人々も、
1947年にはソ連軍によって強制的に日本へ送還されました。
このように日本固有の領土である北方4島は日本が無条件降伏した
3日後から、ソ連によって不法に占拠されたままになっています


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