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女性や子供のカン高い声を何故「黄色い声」というか?黄色い声というのは仏教のお経からきた言葉です。お経といえば眠くなるような単純な響きですが、中国から伝わったばかりの飛鳥時代にはもっと音楽的な高低強弱の響きがありました。そしてどの箇所の声を高くし、どの箇所を低くするかは、お経の文字の横に色で印が付けられていました。その中の「一番高い音」が黄色だった。そこから、カン高い声を黄色い声というのですね。
2016.01.30
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白バイが白いのは?白バイが初めて登場したのは、大正七年ですが、当時の白バイは「白バイ」ではなかった。ボディからハンドルまで、真っ赤でした。実際、そのバイクは「赤バイ」と呼ばれたのだが、なぜ、赤だったのか?これは、当時のクルマには、現在のような赤い派手なクルマがなかったからですね。しかし、時代と共に少しずつ派手な色のクルマが現れるようになると、赤バイが目立たなくなり、そこで、昭和11年、ようやく白バイが誕生した。それから、半世紀以上、これだけ白いクルマが増えると、そろそろ白バイもモデルチェンジした方がいいかも?。
2016.01.29
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花嫁は、なぜ白装束を身にまとうのか?白は「どんな色にも染まります」という花嫁の決意を表したものという誤解があるが、正しくは、神に仕える結婚式で、神を祭る人として、女性(花嫁)は清潔で穢れのない白い衣装を身にまとうのです。その考えが現代も白無垢や角隠(つのかく)し、あるいは純白のウエディングドレスに引き継がれています。神に仕える姿だから白ですね。
2016.01.28
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「カメは万年」というが本当はどうなのか?一万年はオーバーにしても、いろいろな記録を見るとカメが長生きなのは間違いないようです。1766年にフランスの探検家が年齢50年くらいのアルダブラゾウガメを捕まえたが、その後も生き続け1918年に事故で死んだということだからそのカメは202年くらい生きたことになります。事故に遭わなければもっと生きたでしょうね。その他、アメリカハコガメの138年ヨーロッパヌマガメの100年以上という記録もあるようです。
2016.01.26
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きょうは何の日。 1/24日1872年(明治5)のこの日、明治天皇が初めて牛肉を試食しました。明治初期の東京の新聞「新聞雑誌」には、「我が朝にしては、中古以来肉食を禁ぜられしに、恐れ多くも天皇謂なき儀に思召し、自今肉食を遊ばさるる旨、宮内にて御定めこれありたり」とある。時の右大臣、岩倉具視は、部下のひとりにちゃっかり西洋料理店を開かせ、これが宮内庁ご用達となった。現在も続く「上野精養軒」ですね。
2016.01.24
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八甲田山で210人の兵士が遭難し死者199人。1902年(明治35)のこの日、弘前に本営をおく第八師団第五連隊の兵士210名は、酷寒の八甲田山に向かって出発しました。冬の八甲田山は雪地獄で本来は冬の重装備が必要だが、指導部の無謀から兵士は軽装のまま行軍を開始。たちまち、猛吹雪の中で道を失い、寒さと空腹と疲労の中で遭難していった。結局210人中、死者は199人にのぼった。日露戦争を前にした軍部は、国民の批判を恐れ遭難者を英雄として美談に仕立てました。
2016.01.23
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「どこの馬の骨だかわからない」というが、なぜ馬なのか?中国では役に立たない物の例えを「一に鶏肋(けいろく)二に馬骨(ばこつ)」と云いますが。鶏肋はニワトリの肋骨ですが、これは小さいのでゴミ捨て場に捨ててしまえば片づくし、役立たずだが邪魔にはならない。しかし、馬の骨となると大きくて捨てるのにも困る邪魔なもの。そこから誰にも大切にされず、ゴロゴロしている人という意味になったとのことです。・旬の野菜「蕪(かぶ)」。春の七草のひとつ、すずなは蕪の古名だそうです。やわらかみのある春と、甘味の増す秋~冬が旬です。葉にはカロテンやカルシウム、鉄分などが含まれ、白くて丸い根にはビタミンCやカリウムが豊富です。鍋には勿論、蕪の炊いたもの、漬物も、摩り下ろした蕪で白身魚や海老を包むかぶら蒸ししもおつなもの、じんわりと冬の美味しさを味わえますね。
2016.01.22
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一年でもっとも寒さが厳しいころのこと。日がしだいに長くなり、春へ向かう時期でもあります。「三寒四温」3日寒い日が続くと、その後には4日ほど暖かい日があるという意味の三寒四温。中国の東北区や朝鮮半島でいわれていた言いならわしが、日本に伝わってきたようです。大寒とは言え、寒いばかりではありません。寒暖を繰り返しながらだんだん春になっていくよ、という季節への眼差しが感じられる言葉ですね。
2016.01.21
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昔の街道の街路樹は今と違って柿や梨が多かった。何故か?街路樹といえばプラタナスやイチョウが思い浮かびますが、これらは排気ガスに強く成長も早いから全国的に採用されていますが、昔の街道沿いの街路樹と言えば日光街道のスギや東海道の松が有名ですが、それ以外の多くの街道に植えられていたのは柿や梨など実の成る木でした。昔の旅は凸凹の山道を歩いたので、疲れた旅人がその下で休憩し、実を食べられる果樹が植えられていました。街路樹の下は休憩所であり、仮眠所また食堂だったのです。
2016.01.20
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虹の色は、七つに決まっている・・・そう言う人は、日本人ですね。外国では、虹を七色と数えない国も沢山あります。例えば英語圏では、あまり虹の色の数を問題にしないが、数える時には六色。これは、白を一色と数えないためですね。また、特殊な例では、マヤ族は五色と数える。白を数えないうえに、彼らは青と緑を区別しないからです。どれが正しい、とは言えない、いずれの民族も、自分たちが認識できる色の数を問題にいしているだけのこと。虹の光をプリズムで分光すれば、コンピュータは何万色にも区別できます。
2016.01.17
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「御馳走」に「走」という字が入っているのはなぜ?粗食の禅宗のお寺でも、客が来ると、精進料理ではあるが、何品かでもてなしましたが、しかし常備には限りがあります、そこで、食材はまかないが走り回って(馳走して)集めた。そこから、客をもてなす料理を「馳走」といい、それが今の「ご馳走」に繋がったようです。
2016.01.16
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・七十二候「雉(きじ)初めて鳴く」。雉のオスが、メスに恋して鳴き始めるころ。小正月は十五日、正月納めもそろそろですね。この時期、旧暦では満月を迎えます。新年最初の満月の日に、正月を祝っていました。なので、本来はこの日までが松の内。昔からこの小正月には小豆粥を食べる習わしがありますが、小豆粥はお米と小豆を炊き込んだ、晴れの日の食べ物。正月中も忙しく働いた女性たちがやっとひと息つける頃だから、女正月(おんなしょうがつ)とも呼ばれます。・きょうの何故?「元旦は寝正月で終日過ごします」は間違い、ではなぜ?。元旦は元日とイコ-ルではありません。なぜなら、元旦は「初日の出」のことだからです。そこから広がって元日の朝(午前中)となりました。元旦の「旦」は地平線(一)から太陽(日)が出て来た処を表す象形文字です。そこで午前中を表す元旦に「寝正月で一日過ごす」は間違いですね。カレンダーに「元旦」とだけ表記してあるのも間違いですよ。
2016.01.15
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・南極で生きていた タロとジロ。1959年(昭和34)1月14日。1956年秋、日本の南極観測隊が観測船「宗谷」に乗り、東京湾を出発。11人の隊員と供に15頭のカラフト犬も犬ゾリ隊として参加しました。翌年1月には南極に昭和基地を開設したが1958年、再び南極を訪れた「宗谷」は厚い氷に阻まれ基地に近づけず、第2次越冬隊を送り込むことを断念。やっとのことで11人の越冬隊員をヘリコプターで救出したが15頭のカラフト犬たちは無人の昭和基地に置き去りにされました。翌1959年のこの日ヘリコプターが南極の雪上に動くカラフト犬、タロとジロを発見。2頭が生存している事を確認しました。あの厳寒で食も儘ならない南極の地で生き抜いた、タロとジロの精神力、生命力の強さに只々感服・・・ご苦労様でした。その後、ジロは南極で死亡しましたが、タロは5年後に、日本に帰国し、余生を北海道で過ごしました。それに引きかえ家の「りゅう」の在りし日の毎日は散歩が済めば後は、食っちゃ寝、食っちゃ寝の毎日を過ごしておりました。「この極楽トンボが」でしたね。・旬の魚介「鮟鱇(あんこう)」「鮟鱇は捨てるとこるがない」といわれ、トモ(ひれ)皮、えら、アンキモ(肝)水袋(胃袋)ぬの(卵巣)身のどれも美味しく、鮟鱇の七つ道具と呼ばれています。旬は冬。海のフォアグラとさえ言われるアンキモで鍋の出汁をとり、七つ道具を入れ、味噌で味をつけるどぶ汁は絶品です。また、寿司ネタなら、身と肝を合わせた「とも合え」の軍艦巻がこれまた、美味ですよ。
2016.01.14
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・「おかげさま」の思いを生かす「恩送り」。昔から日本人は、人からお礼を言われると「お互いさまですから」と、慎ましく答えていました。また物事が無事に終わると謙虚に「おかげさまで」と感謝したものです。人間は皆、互いに支え、支えられながら生活する存在であることを自覚していたからこその表現でしょう。私たちが今日を迎えるまでには、どれだけ多くの人のお世話になったことでしょうか、その人たちに対する直接の「恩返し」は勿論大切ですが、中には直接返すことの出来ない恩もあるでしょう。そうした時は自分の受けた善意を別の人に「送る」ことです、この「恩送り」ということを心に刻んで、周囲を見渡してみましょう。お世話が必要な子供たちは「誰もが歩んできた道」手助けを必要とするお年寄りは「誰もがこれから歩む道」。全ては「お互いさま」「おかげさま」なのですね。私の好きな言葉で「情けは 人の為ならず」日本人でよかった。・東京が一番寒かった日。1/13日。1876年(明治9)のこの日、東京で氷点下9度二分を記録、因みに、日本の最低気温は1902年1月25日、北海道旭川市で観測された氷点下41度、世界の最低気温は1983年7月21日、南極ボストーク基地で観測された氷点下89、2度があります。嗚呼、思うに震えが止まらない。
2016.01.13
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関西より西から沖縄や台湾にかけて山中に自生す常緑樹。柊(ひいら)ぐ、という言葉があるそうです。古語で、ヒリヒリと痛むという意味だそうですが、柊の名前の由来だそうです。寒くなる季節にも青々とした葉に白い小花が群れなして咲き、晩秋から初冬にかけてキンモクセイに似た香りを漂わせます。「柊の 花一本の 香りかな」高野 素十(たかのすじゅう)春の節分では豆まきとともに、鰯の頭を枝葉に刺した柊を門口に飾りますが、その時の柊も魔除けのためのもの。ちくちくと尖ったトゲで鬼を追い払います。因みに豆は魔(ま)を滅(め)する、の語呂合わせ。焼いた鰯の頭を柊の枝葉に刺したものは、焼き鰯の強い臭いで鬼を退散させるためですね。「ひいらぎのおいのりが、まいにち、きこえないでくださいね おかあさんの棚ももう 草だらけの冥土を おぼれているから ひとはり ひとはりの つつがないうったえのむこうには ひの色をした線路が わらっているばかりなんです」。 久谷 雉「くたに きじ)「あろえの花より」きょうは何の日。1/12日桜島(鹿児島県)の大爆発で、対岸と地続きに。1914年(大正3)死者35人を出した桜島の噴火は、史上最大級のもの、この日から2月上旬にかけて噴出した溶岩によって幅450m、深さ70mの海峡が埋まり、対岸の大島半島と陸続きになった。なお、火山灰は鹿児島市で45cmに達しました。
2016.01.12
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メギ科ナンテン属。開花が梅雨と重なり、花粉が雨に流されると実が成らない為、雨をよけて軒先に植えます。赤い小さな実がいくつも枝について穂のように垂れ下がる姿を、木枯らし吹くなかにも、雪降り積もるなかにも目にできたとき、寒さにこわばっていた顔がふっと、ほころびます。「おもひつめては 南天の実」種田山頭火(たねだ さんとうか)南天という名前の音の響きは、難を転じるにも通じることから、厄除けの縁起のいい木とされています。家の鬼門に植えるほか、正月飾りに用いたり、おせちの二の重を彩ったり、また、赤飯の下に南天の葉を敷くならわしがありますが、縁起物だからだけでなく、南天の葉に解毒作用があるためです。昔は南天の実をせき止めの薬に用いたそうですが、煎じてお茶にしていたとか、ただ、少量の毒を含んでいるので、摂り過ぎてはいけません。雪やこんこんと遊びまわっているうちに体を冷やして咳でも出てきたら、赤い木の実を煎じてお茶に。雪の降る日に小兎が食べたいという実は、冬に元気で外遊びする、子供のためにも沢山、真っ赤に実ってほしいものですね。・旬の野菜。 「みずな」京都では水と土だけで育てたことから、水菜と書いて「みずな」といいます。他の地方では京菜とも呼ばれます。旬は十二月~三月。ピリリときいた辛みが特徴で、カロテン、ビタミンB、C、E、などがたっぷり。豚肉とみずなのハリハリ鍋は、関西の冬の醍醐味です。また、サラダなどでシャッキリした食感を楽しみつつ栄養をしっかり摂るのもおすすめですね。
2016.01.11
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幼稚園でヒヨコが生まれた日、その感動が伝えたくて、お母さんのいる居間へ急いで 飛び込んだチビちゃん。ところが、忙しかったお母さんは「後で聞いてあげるからね」と結局、お母さんの用事が終わるころにはチビちゃんの感動は薄れてしまっていたのでした。親は家事や仕事に追われていると、幼い子供の話しかけを「フン フン」と生返事で聞き過ごしたり、「今 忙しいから後でね」と後回しにしたりしてしまいがちです。しかし子供は、その内容(事柄)よりも感情(気持ち)を伝えたくて、急ぎ話しかけていることが多いのです。話をしたいと思って勢い込んでいるときに聞いて貰えないと気持ちは萎え もう後で話す気にはなりませんね。忙しくても少しの間、手を休め、子供の言葉の奥にある「心の声」に耳を傾けてあげたいものです。聞き上手な、お母さんになることで、親子の温かい心の交流をより深く広げてください。 (ありし日のりゅう)きょうは何の日・110番の日(警察庁)。年々増加する110番の利用に対して、いたずら電話をなくし、有効、適切な利用を呼び掛けるため、警察庁が制定した日、1986年より実地。因みに110番の設置は1948年10月1日。
2016.01.10
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・「春の小川」のモデルは何という川?「春の小川はサラサラ行くよ」の「春の小川」。小学唱歌の中でも代表的な曲ですね。その歌詞によると、川岸にはレンゲやスミレが咲き乱れ川の中には小鮒やメダカの群れが泳いでいる。どうみても、田舎の小川を歌った歌のように思えます。ところが、この川のモデルになったのは、東京のど真ん中、現在の原宿付近を流れていた河骨川で、その周辺のイメージを元に作られた曲なのです。もっとも、高野辰之がこの曲を作詞したのは、明治四五年のことです。東京とはいえ、原宿や代々木辺りは街灯もない田舎で、川の水は現在の田舎の小川よりもはるかに澄んでいたのでしょうね。その後、河骨川は河川改修工事で埋められ、残念ながら、今では古き良き時代の川の流れ、また フナやメダカの姿は見ることができません。・旬の魚介。「氷下魚(こまい)」。水温が氷点下になっても凍らないから、その名も氷下魚。秘密は、零度以下でも凍らない成分が血液中にあるからとか。ヒメダラの名前で出回っている干物がおいしく、軽くあぶれば、酒のつまみにも最適ですね。お茶漬けにも最高の味が出て、美味しいですよ。
2016.01.09
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「おかあさん」はいつ頃から使われ始めた言葉なのか?。「おかあさん」の語源は、平安時代、身分の高い人の奥方のことを呼んだ「おかたさま」にあるようです。高貴な人の奥方の住む部屋は、寝殿造りの建物の北の方角と決まっていました。そのため、「北の方」と呼ばれていたのが、「方」だけをとって「おかたさま」という敬称になったのです。しかし、「おかあさん」が広く使われるようになったのは、明治時代の後半以降のことだそうです。明治三六年発行の「尋常小学校読本」で「オカアサン、オハヨウゴザイマス」「オカアサン、オヤスミナサイ」と教えはじめてからのことですね。江戸期までは、一般に武士は「おかあさま」町人は「おっかさん」「おっかあ」と呼んでいました。
2016.01.08
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芹がすくすくと群れ生えてくるころ。春の七草のひとつですが、五節句の一つにあたる一月七日に、今年も健康でありますようにと願い、春の七草の入った七草粥をいただきます。江戸時代には、七草をとんとんと叩いて調理するとき、歌をうたいながらしたそうです。「草なずな 唐土の鳥と 日本の鳥と 渡らぬ先に」七草粥の習わしは聖徳太子の時代 飛鳥時代まで遡るといいます。古代中国から伝えられた歳時記に、一月七日は七種の采の羹(あつもの「若菜汁」)を作るとありました。日本でもそれを取り入れたのが、七草粥の始まりとか。さらに平安時代には、一月十五日に餅粥といって、米、粟(あわ)黍(きび)稗(ひえ)みの、胡麻、小豆という七種類の穀物の粥をいただく行事があったそうです。また、十五日の餅粥は、時代を経てだんだん小豆だけが具として残り、小正月にいただく小豆粥になったようですね。春の七草。「せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ」。
2016.01.07
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二十四節気のひとつ、小寒とは。寒さが極まるやや手前のころのこと。寒の入りを迎え、立春になる寒の明けまでの約一か月が寒の内です。「小寒の氷 大寒に解く」という言葉があるように小寒に張った氷が大寒に解けるほど、むしろ小寒の方が寒いと感じるときもありますね。白い息を吐きながら、頬をほてらせ、つい星のまたたきに見とれてしまうのもまた、この頃ならではないでしょうか。この時期 旬の魚介。・鱈(たら)。鍋といえば鱈、というほど冬の定番の魚。やさしい白身の味は、鱈チリにすると、他の具材と生かし合って美味しく、体が温まります。火が通りやすく、身が崩れやすいので、先に野菜、後から鱈、がいいようです。また、鱈の仲間のスケトウダラの卵が「たらこ」や「明太子」に鱈の旬はもちろん冬です。できれば白子のあるオスのほうが美味ですよ。
2016.01.06
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・魚河岸の初セリ。各地の魚河岸でこの日にセリを開始します。新年(暦の上で)の初物としてご祝儀相場がつけられますね。・囲碁の日。1(い)5(ご)の語呂合わせ。日本棋院では打初め式が行われます。・夏目漱石生まれる。「坊ちゃん」「こころ」など、数多い名作を生んだ、国民的作家、夏目漱石が1867年(慶応3)のこの日東京で生まれた。ユーモアと風刺に満ちた作風で、当時の文壇に衝撃を与え、現代もなお、根強い人気を持つ、「智に働けば角が立つ 情に棹させば流される 意地を通せば窮屈だ 兎角に人の世は住みにくい」は「草枕」巻頭の有名な一節ですね。
2016.01.05
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・御用始め/大発会。官庁で年末、年始の休みが明けて、その年最初の事務を執るのがご用始め。大発会は証券取引所における新年最初の立会。・石の日。い(1)し(4)の語呂合わせ。お地蔵さんや神社の狛犬など、神様のよりつく石に触れると願いが叶うものとして尊ばれていることから生まれました。 昨日は最高気温が16、5度と桜が咲くころの気温でしたが、余りの暖かさに我が家の沈丁花の蕾が早くも膨らんできました。 お互いに、穏やかで暖かい「春」が待たれますね。
2016.01.04
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「一富士 ニ鷹 三なすび」新しい年を迎えて初めて見る夢が初夢ですが、昔の人は、夢は神仏の示しと信じ夢によって吉凶を占ったりしました。今は、元日の夜から二日の朝にかけて見る夢とされていますが、江戸時代には大晦日から元日にかて見る夢、二日に見る夢、三日に見る夢など、いろいろな説があったそうです。おめでたい夢として「一富士、二鷹、三なすび」が言われます。この由来には諸説あり、いずれも駿河の国の名物であり、三河出身の徳川家康にあやかりたいという願望からとする説もあれば、霊験あらたかな富士山に、鷹は「高い」、なすびは「成す」に通じるからという説などがあります。縁起がいい、御目出度いことをことのほか喜び、楽しむ、日本人の遊び心でしょうね。 みなさんの初夢は如何でしたか?
2016.01.03
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おはようございます。今朝も最低気温がー1、6度と冷たい朝を迎えた、りゅう地方ですが、皆さんの所では如何でしょうか?さて、初詣は本来、生まれた土地の産土神様や、住んでいる場所の氏神様にお参りし、新年の無事と平安を祈願するものでした。初詣では正月三が日に参拝するとも、松の内の七日までに参拝するとも言われますが、はっきりした決まりはありません。お正月用の大きなお賽銭箱に、破魔矢やお守り、干支の飾りやお札、絵馬、おみくじ、ときには獅子舞や太鼓の音も・・・新年の神社のにぎわい、その光景は、日本ならではの風物詩ですね。初詣には、前年の古いお守りやお札などを納め、新しいお札やお守りをいただいて帰りましょう。 この一年が皆様にとっていい年でありますように。
2016.01.02
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お屠蘇(とそ)。一年に一度、お正月にしか使わない屠蘇器。重ねられた大、中、小の盃とお屠蘇を入れる銚子の、酒器ぞろえ。その趣きのある姿に、お屠蘇が大事にされてきたことが感じられます。お屠蘇は中国の唐の時代の風習が平安時代に日本に伝わって貴族の儀式となり、江戸時代に庶民に広まったと言われています。お屠蘇という名は「蘇という名の鬼を屠る(退治する)」や「邪気を屠り、心身を蘇らせる」からつけられたと言われ、年の初めに無病長寿を願っていただくものです。普通、酒席では年長者から盃を下しますが、お屠蘇は年少者から年長者の順にいただくとされています。お屠蘇は山椒、肉桂、防風、桔梗、白朮など数種類の生薬を合わせた屠蘇散(屠蘇延命散)を、お酒やみりんに浸して作ります。胃腸の働きを助け、体を温める成分が入っているので御馳走続きのお正月、寒い時期にピッタリの薬酒ですね。今年もよろしく。 ありがとう。
2016.01.01
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