デフレの正体 0
原発 0
体罰 0
糖質制限食 0
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私:俺の孫がスポーツクラブで水泳をはじめてから、そろそろ、半年以上になるのかな。 ビート板なしで、バタ足で進む段階まで来たようだ。 ところが、最近、「水泳をやめたい」と言い出した。A氏:嫌いになったのかね。私:最近、インストラクターが別の人の日があり、そのインストラクターの教え方が高圧的だったのが、カチンと来たらしい。 しかし、その後、いいインストラクターに変わり、おもい直したとのことだ。 先日は、いよいよ、呼吸をしないで、クロールを泳ぐところまで、来たらしい。A氏:それは良かったね。 気のあった先生とのめぐりあいが、学科の好き嫌いを決めるのと似ているね。私:しかし、今の子どもは、何かを学ぶにはカネさえ出せば、ちゃんとシステム化されたコースがあるね。 俺なんか、小学校は戦時中だし、虚弱児だったから、泳げなかったね。 当時は、小学校にプールなんてないのが普通だからね。 皆、川遊びで泳ぎを覚えた。 俺の兄は健康優良児だから、水泳の選手もしていた。A氏:ということは、君は中学で泳げるようになったの?私:それが面白いんだよ。 中学生になって、夏休みになったとき、俺は一念発起して、水泳を覚えることにした。 本を買って、読みながら、一人で毎日、プールに通った。 とりあえず、平泳ぎから練習した。 大分、泳げるようになった。A氏:独習だね。私:自己流だが、泳ぎ方は、一応、テキストの理論通りだね。 論語ではないが「学びてときにこれを習う」だね。 愉快だったのは、夏休みが終り、クラス対抗の水泳大会があったときのことだ。 俺の育った都市には、1校だけ、市営プールに近い小学校があり、そこの生徒は水泳がよくできた。 その中で小学校時代から平泳ぎの早いB君がいた。 だから、中学1年生の百メートルの平泳ぎレースは、B君の優勝は確定的だった。 中学1年は6クラスあった。 B君は、別のクラスなので、俺のクラスからは誰を出そうかとなって、夏休みに熱心にプール通いをしていた俺が対抗馬に選ばれた。 俺のクラスの誰もが、俺が勝つことを当てにしていなかったが、頭数をそろえるために俺が選ばれた。A氏:結果はどうだったね。私:50メートルプールにB君と俺を含めた6人が飛び込んだ。 飛び込んで俺が頭を水からあげたら、5人が前にいた。 要するにビリだね。 ひと夏のにわか仕込みの水泳だから、飛び込みは下手だね。 百メートルの平泳ぎだから、50メートルでターンがある。 ターンしたら、俺の前にはB君だけになった。A氏:ということは、君は往きの50メートルで2位にあがったということか。私:平泳ぎは、腕をかいて、息をするとき、耳が水上に出る。 そのときに、観衆のどよめきが聞こえる。 腕を伸ばして、水をけるときは、耳は水の下になるから、観衆の歓声は聞こえない。 その繰り返しだね。A氏:ビリでスタートした君がどんどん、1位を追いかけるという意外な展開に、観衆は沸いたようだね。私:帰りの50メートルでB君を追い抜き、俺が1位でゴール。 まさに、大逆転の大穴だった。 本で勉強はしたが自己流の勝利だね。 俺の人生で、これほど劇的な体験はないね。 今のシステム化した子どもの世界では、考えられないシーンだし、得られない感動だね。 後に就職したときも、高度成長だから、先輩も少ないし、自己流で立ち向かうしかなかったが、自己流のデメリットを防止するためによく本を読んだね。 どちらの社会がいいのか悪いのか分からないがね。 今のシステム化した社会では、やはり、格差というか階層は固定化されるだろうね。
2009.08.18
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私:昨日の夜、上の孫の誕生会をやったよ。 本当は、今日が誕生日なんだが、皆、そろえるのは昨夜だったので、1日繰り上げてやった。A氏:たしか、小学1年になったのだから、7歳になるのかね。私:そうだね。 毎年、誕生会をやってきたが、今年は家庭料理で夕食をとるのは手間がかかるので、洋食レストランに夕食を予約してやることにしたよ。A氏:混んでいるのではないかね。私:予約していた5時半にレストランの駐車場に入ったが、ガラガラだったね。 まだ、一般客の夕食には早かったんだろうか。 それともウィークデーだからだろうかね。 もっとも、途中にあった大きな回転寿司はいつも混んでいるんだが、ここも駐車場が空いていたから、やはり、ウィークデーのせいかね。 誕生会ということで予約してあったんで、数人は入れる小部屋に案内された。 若いウエイターが料理を運んできたが、キビキビと動いて感じはよかったね。 最後に、子ども向けの小さなバースデーケーキが出たね。 ウエイターが記念写真をとってくれて、すぐにプリントして、帰りにプレゼントしてくれたよ。 食後、俺の家により、途中、ケーキ屋でバースデーケーキ買って、例の如くハッピーバースデイを歌い、ロウソクの火を孫が吹き消してからケーキをカットして、皆で食べたね。 下の3歳になる孫は、何でも兄と同じでないとダダをこねるので、また、ロウソクに火をつけ、下の孫のために、また、歌を歌って、ロウソクの火を消したよ。 それにしても、このレストランを出るときは、7時近かったが、一般席は閑散としていたのが気になったね。A氏:景気のせいかね。 昨日、衆議議院が解散したが、肝心の今後の景気対策はどうなるだろうかね。私:俺は、単なる不況でなく、時代が大きく変わろうとしていると思うね。 「政権交代」というより、「時代交代」だね。 たとえ、政権交代がなくても、時代は大きく変わると思うね。 孫が成長するときは、世界はどうなっているだろうかね。
2009.07.22
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私:学校もプールのシーズンになったね。 俺の孫の小学校も来週あたり、プールで泳ぐらしい。 それで先日、生徒でプール掃除となった。 学校から、掃除をするとヤゴがたくさん見つかるから、児童は自由に家に持ち帰っていいという連絡が来た。A氏:俺たちの小学校時代は、プールがある学校なんてあまりなかったね。 だから、ヤゴをたくさん見るという子供のときの経験はないね。私:俺もそうだね。 プールで泳ぐには市営プールまでいかなくてはならなかったから、プール掃除などしたことはないし、ヤゴなど気にしたこともなかったね。 飛んでいるトンボはたくさん見たがね。A氏:しかし、君のお孫さんは虫好きだから、喜んだだろうね。私:いや、虫好きといってもクモは大嫌いだがね。 孫はプール掃除の当日、20匹くらいヤゴを持ち帰ったようだ。 ところが団地に住んでいるので、同じ1年生でも家庭によって、好まない親もいる。 俺の孫はそのヤゴまで引き取りに行ったらしい。A氏:ヤゴの餌は何なのかね。私:赤虫だね。 しかし、あまり数が多いと「共食い」するらしい。 孫が困ったとこぼしていたよ。 そうかといって、1匹づつ分けて飼うのも、団地はせまくて大変だしね。 メダカを飼っていた水槽に入れたら、食われたそうだ。A氏:自然は弱肉強食だね。私:先日、孫が来たので聞いたら、赤虫をやったんだが、共食いで半分くらいになってしまったという。 でも、そろそろ、色が変わってきて、羽化しそうだという。A氏:水槽でトンボになったら壮観だね。私:成虫のトンボになったら自然に返すしかないだろうね。 そういえば、こないだ近くを散歩していたら、珍しく、住宅地の草むらに大きなトンボが一匹、飛んでいた。 久しぶりに、目の前にトンボを見たね。 小学校時代には、トンボが多く、よく捕まえたがね。 話はとぶが、今朝の新聞で、今までの駆除剤に耐性を持った南京虫が広がっていて、世界的に大変なことになっているらしいね。 虫も生きるのに必死だね。
2009.06.18
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私:昨日土曜日、孫の学校の参観に行ってきたよ。 はじめてだね。A氏:お孫さんは今年、1年生に入学だったね。私:横浜市立学校だから、今年、横浜開港150周年ということで、朝9時から小学校の体育館で、生徒たちによる開港記念のプレゼンテーションが30分くらいあったね。 生徒だけのプレゼンテーションだね。 学年ごとに発表だ。 一年生は「翼」の歌を皆で手話を併用して歌った。 5年生は、港を作るために海岸を埋め立てた話を扱っていた。 驚いたのは、6年生では、開港した歴史を扱っていたが、黒船やペリーが登場してきたね。A氏:日本史をもう習っているのかね。私:4月から新任の校長の講評があったが、6年生は勉強した日本史をうまく使ったといっていたね。 そして、大勢の生徒が、プレゼンテーションに集中していたことをほめていた。A氏:よく、授業中に歩いたり、トイレに行ってしまって帰ってこなかったりする子どもがいるということだがね。私:そういう子は見かけなかったね。 この全体の集まりの後、各教室の授業となって、俺は孫の教室まで行ったよ。 30名のクラスだね。 活発に手を挙げる子もいるし、そうでなく、授業に集中できない子もいたね。 俺の孫は中ぐらいの出来かな。A氏:まぁ、人生あまりあせらないことだね。私:それにしても、この小学校では、1年生から、外人が来て、英語の授業をしているんだね。 こないだ孫が家に来て「マイネイム イズ」「ナイス ツー ミーチ ユー」とやり出したね。A氏:外国人はアメリカ人かね。私:ドイツに住んでいるのだという。 小学校から英語が必修になるのは、もっと先の話しだが、過度的には、校長の判断によって実験的にできるようになっているようだ。 もっとも国際交流という授業があって、その中でやっているのかもしれない。 だから、こないだは、ユダヤ人の人が来て話をしたらしい。 孫はイスラエルの国旗を覚えていたし、ジャンケンの石、手の紙、指のはさみ、数字の1、2、3という6つの単語を書いたコピーを学校からもってきたよ。 見たら英語ではない。 ヘブライ語ではないかね。A氏:「ゆとり教育」の反動からか、授業時間は増えるね。 小学校で円周率もきちんと教えるそうだね。私:しかし、その時間の増やし方は過度的に学校によって違うらしいね。 孫の学校は、もう授業時間がピッシリだね。 1年生になった早々に、教科書がたくさん入った重いランドセルを背負って登校だね。A氏:横浜市はたしか、11年からは小中学一貫になる予定だね。私:その成果が出るのは、20から30年くらい先の話だね。 失敗と気がついても、もう、教育を受けた人の人生のやり直しはきかない。 どのように、運命を引き受けるかは、結局、個人の「運」かね。 だから、宗教はなくならないことになるのかね。 マルクスに言ったようにならないね。 ソ連がそうだったね。 もっとも、日本人は俺たちのように、無宗教が多いがね。 ところで、先生も生徒も、今週はこの土曜日の特別授業で、週6日連続の勉強で疲れ気味。 しかし、6月1日の月曜日はこの土曜特別授業の振り替えで休み。 6月2日は横浜港開港記念日で休みで、学校は3連休だね。 天気はよさそうだから、孫を連れてどこかに出かけるかね。 新型インフルエンザは下火になったとはいえ、人ごみはまだこわいがね。
2009.05.31
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私:17日に上の孫の卒園式があった。 式が終わって、俺の家に寄ったが、ネクタイをしたきちんとした身なりだったね。 卒園証書を持ってきたが、園長が一人ごとに授与したそうだ。 記念アルバムが1冊できていて、卒業する全園児の整列写真以外に、いろいろな行事や、幼稚園の日常活動の園児の写真が、「ふきだし」の説明入りで書いてあった。 全部、先生の手書きだね。A氏:その幼稚園は人のコミュニケーションにパソコンを使わないんだね。私:園長の方針みたいだね。 担当の先生が、子ども一人一人の性格や活動について、数行の文章を肉筆で書いて、クラスごとに見開き2頁にデザインして、まとめていたね。 俺の孫はアイデアマンで、ストーリーテラーだそうだ。 肉筆はいいね。 俺の孫のクラスは虫特集だったね。 虫が好きになった子が多かったようだね。A氏:虫になじむように工夫しているのも、その幼稚園の特徴だね。 養老孟司氏ではないが、「虫捕る子だけが生き残る・『脳化社会』の子どもたちに未来はあるのか」だね。私:女の子が床に横になって、目の前にいるカマキリを注視して観察している写真があったね。 その写真に先生の「カマキリはかわいい」という「ふきだし」がついていたね。 俺の孫の写真は虫かごを見ている写真で、「ふきだし」は「おじいさんの家の庭で捕まえたこのバッタはよくとぶ」と書いてあったね。A氏:たしか、お孫さんは幼稚園の木登りをして落ちたんだね。 猿も木から落ちるだね。私:まぁ、いろいろ団体生活をして良いことも悪いことも学ぶんだね。 しかし、3年とは早いものだね。 俺には進歩がなく、退歩のみだが、子どもは成長が早いね。 いつのまにか、ひらがなで本を読んでいる。 簡単な計算もしている。 大便も自分で始末できる。 世の中、今、いろいろあるが、これからふりかかる問題に毅然として立ち向かっていける力をつけることを期待したいね。
2009.03.20
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街場の教育論私:一昨日の「日本語の音楽性」のブログを読んで、知人のK氏より次のような貴重な体験談のメールをいただいたよ。K氏:日本語の「音楽」というか、固有のリズムについては、20年くらい合唱音楽をやっていた者として、いろいろ思い出があります。 まず、「全てのオペラがイタリア語でないとダメ」かどうかは解りませんが、音の動きと、言葉の抑揚が合っていないと、歌う方はたまったものではありません。 ヘンデルの「メサイア」、あの「ハレルヤコーラス」で有名な曲ですが、英語の歌詞と音の動きが合わず、苦労しました。 バス声部(男性の低音)の動きというのは、さほど複雑なものでは無いのですが、とにかく、歌いにくかったのを覚えております。 まあ、小生の18歳の頃で、経験もあまり無かったせいかも知れませんが。 同じヘンデルでも、ずっと後で歌ったラテン語の宗教曲は、こんな苦労はありませんでした。私:音痴な私にとっては貴重な体験談です。K氏:それにしても、明治時代に、日本に洋楽が入ってきて、外国の曲に日本語の歌詞を付けるのに、どれほど苦労があったかは、想像に難くありません。 有名な「流浪の民」という合唱曲があります。 これは、もともとドイツ語の歌詞ですが、近藤朔風による日本語の訳詞は、「作詞」と言っても良い程、見事に原曲の音形に合わせた歌詞となっています。 もちろん、完璧とは言いませんが。 ただ、これも、近藤朔風に、漢詩の素養があったからではないかと思います。 日本語のリズムは、随分違ったもので、民謡や労働歌などでは、2拍子のくせに5拍目ごとにアクセントが来るなどというとんでもない代物もありました。 これはこれで、えらい苦労しました。 なお、洋楽が入ってくるまで、邦楽には、「短調/長調」といった概念は無かったそうです。 小生の祖母は、明治33年生まれでしたが、唱歌を歌うと、全て短調に聞こえました。 滝廉太郎の有名な「箱根八里」でもそうでしたから。私:内田氏のこのの本では、1960年代には「日本語をどうやってロックのビートにのせるか」が日本のロック・ミュージック・シーンの一大テーマだったそうです。 日本人はこの試みに成功したそうです。 内田氏は、功労者として漣健児、松本隆、桑田圭祐の3人を上げています。 私は、桑田圭祐しか知りませんが。 ポイントは、歌詞を「漢字言葉(男言葉)」でなく「かな言葉(女言葉)」にしたためだということです。 したがって、松本隆の歌詞は松田聖子はじめ、女性シンガーにヒットソングを提供したように、「おんなのきもち」に焦点を合わせたときに高い写実性と叙情性が発揮されるということです。 そういえば、私の下手なカラオケでは、演歌の女性歌手の歌が歌いやすい気がするのは、そのせいでしょうかね。 「日本語の音楽性」を演歌で補うことができるのかとちょっと知的興味がわきました。 黒人演歌歌手のジェロは、演歌によって完全に日本語の音楽性を把握しているように思います。
2009.03.04
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街場の教育論私:ところで、日本語で、この「表意文字」と「表音文字」の2種類の言語をたくみに使っている小説は、近現代では成島柳北、夏目漱石、永井荷風、太宰治、谷崎潤一郎、石川淳、三島由紀夫、橋本治といった人々だという。 この国語教育が消滅しているというわけだね。A氏:そこで「日本語が亡びるとき」の著者の水村美苗氏が、学校では近代日本文学を教えるべきだというのとリンクするわけだね。私:このような国語教育を怠ってきた原因に、子どもの言語教育について間違った思い込み、があるのではないかと内田氏は言うね。 内にある情念なり、考えが先にあって、次に言葉が発せられるという間違った思い込みだね。 むしろ、言葉が先にある。 後から内部に情念や考えが生まれると、それが先に教えられた言葉を選択して、正確な表現になる。A氏:三浦雅士氏が、古典は理解するものでなく、暗記するものだと言っていたという。 「内面」よりも「言葉」が優先するというわけか。 昔の漢文の素読だね。 「読書、百辺、意自ずと生ず」だね、 この言葉も「音楽性」があるね。私:内田氏は「まず、内面がある」という間違った考えを国語教育に採用したことによって、「日本の子どもたちの言語が底なしに貧しくなってきた」という。 ところで、平安時代に男は「漢字・カタカナ」を使い、女は「かな」を使った。 男女別だね。 現代になって、欧米のフェミニストは、女性専用文字をもつべきだと言い出した。 しかし、その点、日本は先進国だ。 ところが、日本のフェミニストは、そういう主張をしなかったという。A氏:日本人が日本語に弱くなったのは、麻生首相だけではないようだね。私:麻生首相が、先日、ホワイトハウスでちょっと英語を話していたのをテレビで見たが、麻生首相は、オバマ大統領と通訳抜きで1時間20分の会談をしたのかと思ったね。A氏:昨日の夕刊で池上彰氏が例の「新聞ななめ読み」欄で、各新聞の首脳会談の記事を比較していたね。 池上氏も麻生首相が「得意の英語」で首脳会談をしたかという興味をもって各紙を比較読みしていたが、明確に報じたのは、日経新聞だけで、あっさりと「会談は通訳を介して約1時間20分」とあったという。私:たしか、22日(日)のテレ朝のサンデープロジェクトで、桜井よしこ氏が、憲法第三条を問題にして、日本国民の定義に「日本語を話す者」とすべきというようなことを言っていたね。 第三条では、権利や自由という言葉がやたらに多く、それとセットになる義務、責任という言葉が極端に少ないというね。A氏:戦後の間違った自由主義・個人主義の原因だね。 「まず、内面がある」という間違った教育の考えとつながっているね。私:このときの西部 邁、桜井よしこ、中谷巌、姜 尚中の4人の出席者の意見から明治維新後の約百年で、江戸時代を見直す機会がきたことを感じたね。 日本語コンプレックスも含めてね。 百年以上たって、日本語を含め、日本は明治維新の功罪が正確に問われるときがきたのかね。
2009.03.03
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街場の教育論私:水村美苗氏の「日本語が亡びるとき」から知的街道として、内田樹氏の「街場の教育論」の第10章国語教育はどうあるべきかにリンクしたね。 「街場の教育論」は300頁くらいの本だが、この第10章はそのうち、20頁くらいのものだ。 しかし、「日本語が亡びるとき」に述べられていたように、学校教育で夏目漱石などの近代文学を学ばせるべきだという考えをさらに発展させている点に興味を持ったね。 もちろん、水村氏も、内田氏もお互いに引用しあっているわけでなく、俺が偶然に結び付けたに過ぎないがね。 内田氏は、今の日本の国語教育で、一番軽んじられ、かつ、一番重要なのは「音楽性」だということだ、と言っているね。A氏:教科書に掲載されている現代文、評論文は音楽性がないというわけか。 それに対して、古典や漢文は音読に堪えるというわけか。私:氏は、逆で、古典や漢文の音読で、日本人の音感は形成されてきたという。 特に、昭和の中頃まではね。 日本語は、「漢字」という「表意文字」と、「かな」という「表音文字」の合成という特殊な構造を持っている。 バイリンガルだね。 すでに、養老氏が、「日本語の脳」は特別な使い方をしていると言っているね。A氏:言語にはそれぞれの音楽性があるんだね。私:声楽専門の斉藤言子氏は、オペラはイタリア語でないとダメだという。 英語でオペラをやると歌いにくいそうだね。 そのように、どの国でもその国語固有の抑揚とリズムがある。A氏:日本語には、「表意文字」と「表音文字」を組み合わせたリズムがあるということか。 昨日の朝日新聞は日曜なので、いつものように、書評がならんでいるたね。 その中に、「漱石の漢詩を読む」(吉井由吉氏著:岩波書店刊)の書評があるね。 それによると、著者は敗戦当たりを境にして、漢詩を読み書く伝統が途切れたことを嘆いているという。 漱石の漢詩を読む 私:漱石は漢詩がうまいことでも有名なんだがね。A氏:著者吉井氏は「日本語は世界で一番バイリンガルな言語なのではないか」と述べ、「和文脈」と「漢文脈」が交差されることで生み出されてきた言語だという。 その交差が失われた結果、今日の言語的危機を招いていると指摘しているという。私:これもこの知的街道で読んでみたいと思うね。 俺たちの世代は、まだ、漢詩を中学で読んでいたけれど、それが最後だろうね。 その後、俺も、すっかり、忘れ、今日に至っているね。 伝統を重んずる日本国民としては、後半は失格な人生だね 明日は、さらにその背景にふみこんでみよう。
2009.03.02
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私:一昨日、幼稚園の正月休みを利用して、孫が泊まりで遊びにきた。 昨日から幼稚園に行き出した。A氏:今年4月には、小学校入学だそうだね。 さぞかし、じじ、ばばからお年玉を沢山もらっただろうね。私:お年玉の方は、俺の細君のほうでいろいろやっていたね。 ところで、遊んでいるうちに、孫が「相棒」と言い出したね。A氏:テレビ朝日の「相棒」シリーズの影響かね。 もっとも、これは子供向けの番組ではないがね。私:「相棒」は漢字が分からないと意味は正確に理解できないはずだね。 「相・アイ」の「棒・ボウ」の漢字の合成語だからね。 漢字の合成から考えると、駕籠 (かご)など、二人で物をかつぐときの相手で、「棒」でつながっているということからきているらしい。 A氏:これから、一緒に仕事をするときの相手を言うわけだね。 「相手」より強い絆で結ばれている関係だね。私:孫の理解度を試すために、孫に「幼稚園のクラスに『アイボウ』はいるか」と聞いたよ。 そうしたら、1人園児の名前をあげ、「二番目のアイボウ」として別の園児の名前をあげたよ。A氏:二人セットは理解しているようだね。私:愉快だったのは、俺の質問に対する返事の最後で「でも、一番のアイボウは、「『じじ』だ」と言ったことだよ。A氏:じじ?私:俺のことだよ。 その会話を聞いていた俺の細君が、「随分、年の差がある『相棒』だね」と笑っていたよ。A:それで今、連想したことがある。 君のブログの「麻生首相の誤読」、「麻生首相の漢字誤読・その2」の関連から「相棒」も漢字からきているので、これを麻生首相は「ソウボウ」と読むかと連想したね。私:想定内だね。 それに最近、孫は「俺」を使い出した。 今までは、自分の名前を主語にしていたんだがね。 俺が「『俺』より『僕・ボク』のほうがいい」と言うと、クラスの男の子は皆「俺」だ言っていると言い張る。 要するに、英語のI(アイ)を意識しだしたようだね。A氏:日本語はI(アイ)を場によって、「俺」「私」「僕」「自分」「我」などと使い分けないといけないからね。私:その使い分けがまだ孫は分からないらしいね。A氏:その点、英語は楽だね。私:これらの漢字にまたそれぞれ意味がある。A氏:しかし、先月、例の麻生首相の漢字誤読問題が起きたときに、ある国語専門家が、麻生首相の発言を分析して、麻生首相はこの俺、僕、私などの使い分けは完璧だと新聞に書いていたね。私:個人的な会話の場や空気を読んで反応する力は十分あるんだろうね。 それが、一国の首相という「場」となると、KY(空気が読めない)と言われる。 百年1度という日本国家が置かれている場ではどうかね。
2009.01.07
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A氏:君のお孫さんが幼稚園の木から落ちた、というが、その後、幼稚園は木登りを禁止したかね。私:禁止なしだね。 そのままだ。 ただし、先生が見ているときに登るようにという注意があったようだね。A氏:木登り結構、虫取り結構、泥んこ遊び結構という幼稚園のポリーシーは変わらなかったわけだね。 よかったね。私:昨日、孫が母親と家に遊びに来た。 そのとき、明日は幼稚園の担任の先生と親子の戸別面談があるという話が出た。 当然、木から落ちたことは話題になるね。 面白かったのは、母親が、 「明日の面談で、先生が木から落ちた反省はと聞かれたら、どう返事する?」 と聞いたら、孫が 「先生が近くにいるかを見て、木に登るかを判断します」 と答えたことだね。 スラスラ言うので思わず笑ったね。 「判断」という言葉をどこから仕込んできたのか、使っていたね。 孫は、漢字は知らないから、「ハンダン」という単語でしゃべっていたんだがね。 麻生流だね。A氏:これからもお孫さんは木に登るかね。私:登るだろうね。 多少、慎重になるだろうがね。 俺は、今まで登った以上の高さにチャレンジせよとけしかけたよ。 孫は俺とゲームをして、俺が負けて「俺はだめだ」というと、孫が 「負けてもチャレンジしなくてはだめだ。 パパがそう言っていた」 と励ますんだね。 今度は、俺がけしかけたよ。 だから、孫はまた、幼稚園の木に登るだろうね。 それが、成長してから、いい思い出の木になることを期待したいね。 その頃、木も大木に生長しているだろうがね。
2008.12.17
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虫捕る子だけが生き残る私:鼎談集だから、スラスラ読めたね。 この3人で鼎談「三人寄れば虫の知恵」を12年前に出しているのだという。 大人になっても、子ども時代からの虫好きをやめられない3人だね。A氏:特に養老孟司氏の虫好きはマスコミでも有名だね。私:しかし、俺は別に虫好きではない。 それがこの本を買ったのは、孫を通じた「子どもの教育の知的街道」からだね。A氏:フィンランドの学校教育と並行する街道だね。 WHOLE NEW MIND その1、「コンピュータが連れてきた子供たち」に関連して、孫と虫、A WHOLE NEW MIND・その2、「ハイ・コンセプト」、 孫の運動会、孫のさつま芋掘り、NHKテレビスペシャル「赤ちゃん・成長の不思議な道のり、「頭のよい子が育つ家」、大人を叱る孫?、S.L.ブレイクモア、U.フリス「脳の学習力・子育てと教育へのアドバイス」、孫の初デイト、「わが子に『お金』をどう教えるか」、孫と工作、幼稚園の陶芸、陶芸教室のチェックシート、幼稚園で「敬老のつどい」、孫の運動会、孫の怪我、孫と水泳と続いたね。私:養老氏は、赤ちゃんの例をあげているが、人間は感覚からの情報を脳にインプットして脳で処理し判断し、アウトプットは体の筋肉を動かす。 しゃべることも声帯の筋肉活動だね。 その筋肉活動によって、環境に働きかけた結果を、また、感覚で捕らえ、それを脳にインプットする。 これを繰返して、脳が鍛えられるというわけだね。A氏:ところが、脳化社会では、この自然との循環サイクルによる脳の訓練が少なくなるので、脳の創造性が低下するということかね。 君のブログでの「文系・理系の壁とは何か?・理系教育、文理融合型教育の未来を考える」東洋大学理系教育改革シンポジュウム・9月27日開催・3の3でも、解剖学の学生が遺体を信じないで、教科書を信じる、ということが書かれていたね。私:遺体は、自然の姿だから、多様性がある。 同様に、虫は、多様性がある。 俺はその考えで行くと、陶芸も土の多様性を感覚的に扱うし、農作、園芸なども自然の多様性を相手にした活動は重要だね。 現代は、われわれは、出来合いの情報に接することがほとんどだが、もっと多様な生の情報に接することが必要だね。 そうしないと、皆、同じ脳回路パターンになってしまうね。 もっと、感覚を働かせ、生の多様な情報を脳に送り、脳を多様に動かし、そのアウトプットの指令によって細かく体を動かすことだね。 そういう子どもが21世紀を生きのびることができるということかね。A氏:それは、君の大人の「身体の知的街道」とつながるね。私:それはまた、明日、語ろう。
2008.12.15
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私:こないだ、木から落ちてケガをした6歳になる孫は、以前は、風呂に入れて、頭を洗うときに、顔に水が流れると騒ぐ。 小さいときに、頭を洗っているときに、シャンプーが目に入ってしみたのがトラウマになったらしい。 最初、顔にシャンプーが流れないハットみたいなもので洗おうとした。 しかし、そのハットがムダだからということで、床屋のように横になり上を向いて、頭の後部を下げて洗うという方法をとっていた。 だから、ちょっと、水が顔に流れると嫌がる癖があったね。A氏:幼稚園で水遊びをしないの?私:夏には、プールの浅いところで水遊びはするらしいんだ。 そのときは、結構、皆と水をかけ合って、楽しんで遊んでいたらしい。 ところが、今年の夏頃から、水遊びが楽しくなったらしく、俺の家に遊びに来て、頭を洗って水が顔に流れても平気になった。 そして、バスタブでもぐったりし出したね。A氏:水をこわがらなくなったんだね。私:きっかけがわからないがね。 そこで、母親(俺の娘)が、俺の行っているスポーツクラブに子どもの水泳教室があるんで、10月頃から行き出した。 週1回、1時間程度だがね。 そうしたら、熱心にやりだした。 頭を洗うときも、頭を下にして流しても平気になったね。A氏:子どもの水泳教室は段階があるんだろう?私:まず、水になれ、水中でも目を開けられ、次に体を水平に水面に浮かべて進む。 次にボードを使って、水面を進む。 それから、バタ足で進むというように段階を踏んでコーチが教える。 無理をしないようだね。A氏:水の感触をつかみながら、頭で処理して、手足や呼吸の運動筋肉を連動させるというトレーニングだね。私:そうだね。 無理をしないで、自主的に考えさせながら、トレーニングすることが必要だね。 そうしないと頭を使わないトレーニングになってしまうからね。 武道家の甲野氏が学生野球の練習によくあるような「怒鳴るスポーツ練習」を嫌っているね。 自分で積極的に頭を使わないからだね。 創造性をもたせて鍛えないと頭脳的にならないんだね。 今、孫はまだ、バタ足までいっていない。 バタ足になると、足の動かし方と水の感覚とを連結する頭脳活動が問題になるね。 来月くらいになるかね。
2008.12.14
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私:先週、幼稚園の年長組にいる俺の孫が幼稚園の庭にある木から落ちたんだよ。A氏;大丈夫だったのかね。私:そんなに高い木ではなかったらしいが、頭もうっているので、すぐに病院でCTやレントゲンをとった. 異常はなかったということで、午後の課外工作にもふだん通りに出たそうだ。 その日の夕方、俺のうちに遊びに来たが、鼻の頭にかすり傷の跡があり、右腕に打った跡があったが、普段と変わらなかったね。A:それはよかったね。 幼稚園によっては過保護で、安全のために庭には木がなかったり、木登りを禁止したりするところがあるらしいね。私:孫の幼稚園では、木登りは自由だし、虫取りも自由だね。 ポリシーみたいだね。 グランドも土だから、木から落ちたときにも下は土だったから、ケガも軽くてすんだんだね。 これがコンクリートならやばいところだね。 以前、俺の女房が、母親である俺の娘が用事があったんで、幼稚園に孫を迎えに行ったとき、孫がその木に登っているので、危ないといって心配していたが、現実のものになったね。A氏:子どもは大怪我にならない程度に、いろいろなケガをすることで、学ぶんだがね。 俺たちの子ども時代など、その意味では自然放任だったからね。 それで学んできた。私:最近、「モンペア」という新語があるそうだ。 モンスターペアレントを意味するという。 モンペアなら、「幼稚園の管理がなっていない」と園長に怒鳴り込むだろうね。 今回の事故で幼稚園では謝っていたらしいが、母親である娘は別に文句は言わなかったらしい。 むしろ、この事故で「園児の木登り禁止」とならないようにと心配していたよ。 この幼稚園を選んだのは、そういう自然とともに泥んこになって遊ぶことを重視した園長方針に同意したからだからね。A氏:幼稚園では管理をしていたの。私:孫が落ちたときは、近くに先生はいたらしいが、よく園児は木に登っているので、まさか落ちるとは思っていなかったらしい。 それに落ちても瞬間だから受け止めるわけに行かないだろうね。 それに俺の孫は、木登りが得意だったしね。A氏:サルも木から落ちるだね。私:孫にそれを言ったら、「誰かにそう言われた」と言っていたよ。 意味がわかっているのかどうかわからないがね。 学習のために、どういう動作ミスで落ちたか詳細に聞いたよ。 孫はそれで貴重な学習をしただろうね。 まぁ、できたら、男の先生が木登りの方法を教えるカリキュラムがあったほうがよかったかもね。 もっとも、それを教える男の先生が都会生活で育っている人が多いから少なくなっているかもね。 養老孟司氏の「都市化」「脳化」は、人の本来持っている能力を弱くするね。
2008.12.11
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A氏:君のブログの「サッチャー改革に学ぶ 教育正常化への道」1.2で、サッチャーが「イギリス病」の根底にあった教育の混乱を、市場原理的な方法で解決してきたことを知ったね。 統合学力テストをして、学校の成績を公表し、学校の校長に責任と権限を与え、教師を競争させ、親は学校を選択するというやり方だね。 そして、その政策は政権がブレアの労働党になっても強化され受け継がれた。 しかし、一方で、教育格差が拡大したり、成果責任の追及で校長志望者減少したり、知識詰め込みとなり、自然や地域社会とふれる「考える教育」の低下となったりという問題が出始めたということが指摘されているね。 これは「イギリス『教育改革』の教訓・「教育の市場化」は子どものためにならない」1.2でふれているね。 そういう問題意識で、11月30日の朝日新聞の「あしたを考える」欄をみると、サッチャー方式の学校選択制を一部真似しだした日本では、すでに曲がり角にきていることを報じているね。私:公立教育の不信が根底にあるね。 これは例の辞任した中山大臣の日教組不信に象徴的に現われているね。 大分県の教育委員会のようなインチキもあるしね。 麻生首相ではないが「教師仲間が『ダラダラ』している」ということかね。 学校選択制で子どもや保護者は、買う立場で「選ぶ権利」を与える。 「選ばれる」立場になった学校は、競争に勝つために、校長も先生も努力し、「だらだらせず」教育の質は向上するという市場原理的な筋書きだね。A氏:06年の調査では、小学校では14.2パーセント、中学校では13.9パーセントの自治体が導入しているという。 イギリスのように、国全体が一斉に行うというものではないね。私:その導入をした前橋市の例がこの新聞の欄で載っているね。 実施して5年たつが、学校間格差が拡大したという。 そして、10年度の新入生から選択制を廃止するという。A氏:02年に全小中学校で学校選択制を導入した東京の江東区も見直しを決めたという。 遠い学校に通学する小学生も出てきて地域とのつながりが薄れたことを心配する声が強くなったからだという。私:俺の近くの子どもで、来年小学校に入る子が、私立を受けて合格したそうだが、横浜から東京の渋谷まで一人で通学するそうだよ。 大変だね。A氏:00年に都市部で選択制を初めて導入した品川区は、選択制は支持されているというね。 保護者の6割が継続を望んでいるという。 校長の意識が変ったとの評価だという。私:しかし、市場原理主義的な制度を押しつけて、シリを引っ叩くだけで効果があがるというのは、精神論的だね。 かっての日本軍みたいだね。 強者は「窮して通ずる」が、弱者は「窮して終わる」。 「タクシーの規制緩和」は、値上げで業界ごと「窮して終わった」ね。 第一線の教師の教え方が技術的に具体的に変わらない限り、市場原理主義は「タクシーの規制緩和」同様の失敗になるだろうね。 犬山改革のように第一線の教師の向上努力に「具体的な支援」が必要だろうね。 今後、この動きはどうなるだろうか。
2008.12.02
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私:イギリスは、日本と違って第2次大戦では戦勝国なのに、戦後の中学テキストは自虐史観的なものであったという。A氏:労働党政権が、社会主義国家を理想としたイデオロギーからきているね。私:この本では、具体的に「自虐的な」7つについての改訂例をあげているね。 改訂の方法は、いずれも、過去のイギリス国家の行動の全面的肯定でもないし、全面否定でもない。 プラス面、マイナス面のバランスをとっているね。 第1の例は、「植民地支配で肥大化した大英帝国」を「植民地支配を行ったのはイギリスだけではない」と改訂。A氏:イギリスの他にフランス、ドイツ、ベルギー、スペイン、ポルトガルなどがあるね。私:第2の例は、「殺人国家イギリス」を「植民地支配はインドに恩恵をもたらした」と改訂し、イギリスはあらゆる植民地に鉄道を敷いたとしているね。A氏:日本も鉄道を敷いているのは、その真似かね。私:第3の例は、「強制連行された黒人奴隷」を「奴隷貿易を行ったのはイギリスだけではなく、世界史の悲劇」と改訂。A氏:イギリス以外にフランス、スペイン、ポルトガルがあるね。私:第4の例は、「イギリス発展の犠牲となった黒人奴隷」を「アフリカ士候の残虐な圧制やイギリスが奴隷解放の旗振り役であった」ことの説明の追加と改訂。A氏:リンカーンが「奴隷解放宣言」を出した1863年よりも早い1807年に、イギリスは奴隷貿易廃止をしているね。私:第5の例は、「アジア、アフリカの搾取を指示するビクトリア女王」を「『ビクトリア王朝』はイギリスの繁栄の時代として描く」ように改訂。 第6の例は、「人種差別を正当化する『女王を頂点とする階級社会』」を「近代国家イギリスの基礎を築いたビクトリア朝」に改訂。A氏:イギリス国民に自信を持たせるには、やはり、ビクトリア時代を正確に学ぶ必要があるんだろうね。私:第7の例は、「人種差別を正当化するキリスト教」を「世界の人々に多大な影響を与えたキリスト教が説く人間のあるべき姿」に改訂。 キリスト教が説く「人間のあるべき姿」とは次の3つだね。 1.人間は神によって作られた特異な存在だということ。 2.貧困、奴隷、虐待、不正義を排除する活動に尽力を尽くすこと。 3.聖書が描く新しい世界を希求すること。 そして、教科書を統一して、現場任せの教育を修正したわけだね。A氏:下村博文議員が日本の教科書に驚いたと同様に、イギリスでは子どもの保護者が学校で何を教えられているかを知らなかったのが、この教科書の改訂統一で保護者も学校での教育内容を理解できた。私:日本では、イギリスの逆で、伝統的に教科書は文科省の検定があるね。 サッチャー改革は、この日本の真似をしたことになるね。 問題はその日本の教科書が偏向しているというのが問題だと、この本では言っているね。 まだ、「沖縄の集団自決」問題は、教科書がらみでもめているね。A氏:話はちょっと違うが、例の沖縄県民の11万人集会のことだが、こないだオバマが大統領戦に当選して、防弾ガラスに囲まれた野外の集会で挨拶したときに集まった人の数がものすごかったね。 それでも数万人だと言っていたね。 あのテレビ下面を見ると、11万人の人がいる広場というのはものすごいと思ったね。私:まだ、11万の数字は日本の戦後の「自虐魔法」を象徴しているね。 日本刀による中国人「百人斬り」のように、数字が感情的だね。 そういう教育は避けたいね。 自衛隊の幹部教育のように、「戦前の反省から、事実関係や知識を積み上げていく科学的な授業を重要視」してほしいね。
2008.11.28
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私:「イギリス『教育改革』の教訓・「教育の市場化」3.4で、イギリスの「教育改革」を知ってから、「サッチャーの改革」が、経済とともに「教育改革」に重点を置いていいたことが分かったね。 それが労働党政権のブレア政権でもさらに強化して受け継がれていることも分かったね。 その知的街道から、この本に辿りついた。A氏:これは平成16年(04年)9月末から10月初めにかけて、自民党から4名、民主党から2名がイギリスのサッチャー教育改革を調査した報告だね。私:この本を読むと、その後の「教育基本法の改正」、「『ゆとり教育』の見直し」、「41年ぶりに復活した全国統一テスト」、「中山大臣の日教組発言による辞任」などの一連の流れの原点が「サッチャー教育改革」の模倣であることが分かるね。A氏:民主党も視察団に参加しているのを見ると、民主党が教育問題について、あまり、自民党の動機に反対していない点も理解できるね。私:ところがこの本のある部分を読んでビックリしたね。 このところ、毎日のように新聞やテレビがトップニュースとしてとりあげている「元次官宅襲撃事件」だが、自首した小泉被告がその殺人動機を「34年前の家族のようなペットを殺された復讐」だということだね。A氏:それとサッチャーの「教育改革」とどういう関係があるの?私:サッチャーの「イギリス病」退治の計画は綿密で、そのためにシンクタンクを設置しているね。 このイギリス調査団の下村議員が、そのシンクタンクのマークス博士の発言を紹介しているが、それは 「青少年の荒廃は家族の存在と深く関係している。 残念ながらイギリスには『ワイフ』を『パートナー』と書かせる風潮がある」 と言っていたという。A氏:要するに伝統的な夫婦・家族の結びつきを壊そうという風潮がサッチャーの「教育改革」の前にあったということか。私:当時、驚いて、下村議員が日本に帰って、日本の教科書を見たらやはり「パートナー」となっていたという。 結婚や家族というものは個人を抑圧する、対立する悪者のような内容だという。 日本のある教科書は、家族・家庭に対しても攻撃的で 「祖母は孫を家族と考えていても、孫は祖母を家族と考えていない場合もあるだろう。犬や猫のペットを大切な家族の一員と考えている人もあるだろう」 と書いてあるという。A氏:なるほど、そこで「元次官宅襲撃事件」の小泉被告の「34年前の家族のようなペットを殺された復讐」がからむのか。私:今週の「週刊新潮」の広告では小泉は「宮崎勤」「宅間守」「個室ビデオ放火犯」と同一世代としているね。 やはり、教育と関係するのだろうか。 イギリスではすべての中学校に宗教教師がいるという。 日本では給食で「いただきます」と合掌すると、宗教儀式にあたるから、宗教教育に枠をはめた旧教育基本法第9条、憲法20条違反だという。A氏:この本が出版された後、安部政権で「教育基本法」が改定されるが、この9条では「宗教に関する一般的な教養の尊重」というのが追加されるね。 食事前の「合掌」が「宗教に関する一般的な教養の尊重」の一例かね。私:俺の孫は、食事の前に「いただきます」と合掌するね。 これはいいことだよ。 俺の家族は神道信者でないがね。 これは幼稚園でも教えているね。 この幼稚園は神道とは無関係だし、公的教育ではないが、この合掌を神道の宗教儀式だというのはたしかにおかしいね。私:この本の最後に、当事、自民党幹事長代理の安部氏も座談会で参加しているが、そこで盛んに自虐史観を批判し、「教育基本法改正」の重要性を主張しているね。 2年後の平成18年(06年)12月に「教育基本法」が安部政権のもとで改正される。 その改正内容は、サッチャー改革の後をたどっていると言えるね。 明日は、「サッチャーの教育改革」で、「イギリスの自虐史観の教科書」がどのように改正されたかにふれよう。
2008.11.27
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教育改革を評価する私:このブックレットは、「教育改革の町」として06年当事、全国的に知られていたという愛知県犬山市の改革をとりあげているね。A氏: 「杉並区立『和田中』の学校改革・検証 地方分権化時代の教育改革」岩波ブックレットNo.738・08年9月刊の前に出版されたブックレットだね。 同じ知的街道に属するね。私:しかし、和田中の改革と犬山市の教育改革は異なるね。 東京都杉並区のやり方は、民間出身の校長・藤原和博氏を迎え入れたように「外」からの力を借りる方式だね。 学校選択制による学校間の競争、教師の個人評価による教師間の競争などを通じての公的教育の質的向上だね。 子どもや親を消費者とした、市場原理的な改革だね。 しかし、犬山市の改革は、教育現場での教師の具体的な教え方にしぼった改革だね。 外の力でなく、教師自体の専門性を高める方向に重点をおいている。A氏:いくら、競争であおっても現場第一線の教師の力が向上しなかったら意味がないね。 民間企業で盛んに導入された個人の成果主義が崩壊したようにね。 競争によって、第一線の活動でいろいろな斬新なアイデアや技術が生み出されればいいが、逆にその障害となると、無意味だね。 「窮すれば通ず」もあるが「窮して終り」もあるね。 民間企業はチームで活動していることが多いので、個人の成果主義だと、チーム力が低下するね。私:だから、犬山方式は「市独自の副教本作り」「少人数授業・少人数学級」「2学期制」など、現場の教え方の技術中心の改革だね。 和田中の藤原校長が、あまり、第一線の個別の教え方に介入していないのと大きく違うね。 藤原校長が、教師経験者からなったわけでないからだろうね。 それに東京都杉並区は学校選択制だね。 しかし、犬山市のやり方も1997年に教育長に就任した瀬見井久氏のリーダーシップによる点が多いというが、氏も教育行政畑の人でなかったという。 石田芳弘犬山市長の要請によって就任する前は、県の行政職にあったという。 予算の権限を持つ市長と、教育長の考えの一致が背景にあるね。A氏:少人数クラスにすると教員数が増加するのではないの。 費用が増加するのではないの?私:給食費を外部委託することによって浮いた費用で臨時職員をやとったという。 また、数万円もする指導書を買わず、教員自ら副読本を作るようにしたという。 教員同志の研究会もさかんにしたという。 要するに、教育現場の中心である教師の力を具体的に発揮させ、向上させる方法を中心にしたわけだね。 子どもも多様化しているから、先生の教え方の工夫も要求される。A氏:学校の裁量による学級編成と教育課程づくりだね。私:習熟度別学習とか学校選択制によるものでなく、教師による内側からの改革だという。 そして社会的な格差を教育に及ぼさないという改革だという。A氏:フィンランド方式に近いね。私:フィンランドは国が教師の資格を重くして、その上で教師の自由裁量に任せる方式だね。 国が教師に力をつけ、力があるものに任せる。 日本は教育効果が問題になると教師の「個人的な自己責任」のせいにして、「競争心がないから、努力しないのだ」ということで市場原理的な発想になるんだね。 タクシーと似ているね。A氏:規制を緩和して、競争させれば、料金もサービスもよくなるというのが、結果的に料金は上がり、運転手は貧困化した。 それは競争によって、運転手による画期的な運転現場の効率改善がなかったからだね。 運転手にそのようなアイデアの出るような訓練や条件を与えないで、個々に競争市場に放り出したことになるね。 結果は「窮して終り」になったね。私:教師が内側から改革するには、少人数制のような条件と、自主裁量の提供と、それに対応できる教師間の研鑽の時間と場の提供が不可欠だろうね。 それが市場原理的な方法によって提供できるかどうかだね。 そうでなければ、タクシーと同様の結果になるだろうね。 フィンランドはその道をとらなかったね。
2008.11.26
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イギリス「教育改革」の教訓私:「イギリス病」の労働党政権の下、イギリスの少年犯罪は増加し、子どもの基礎学力は低下した。 それがまた、イギリス経済の停滞の原因となり「イギリス病」を加速したということになるね。 社会主義教育の「イギリス病」からの脱出が急務だったわけだね。A氏:サッチャーの「教育改革」はこのような背景で行う必要が生まれたのだね。私:サッチャーの「教育改革」の内容については、このシリーズの4の1でふれたが、再録する。 サッチャーの「1988教育改革法」だね。 1.全国共通カリキュラム 2.統一学力テスト 3.統一学力テストの結果公表 4.これによる親への学校選択権の付与 5.学校の自治の保障 6.国による学校査察機関の設置 この「1.全国共通カリキュラム」には、イギリス国民としてその宗教的伝統であるキリスト教を理解する必要があるとして、これを必修科目とした。A氏:日本の道徳教育と同じだね。私:「サッチャー教育改革」の結果は、インターネットの「イギリス病を克服した教育改革」によると 1977(昭和52)年の年間20万人を超えていた少年犯罪者数が、2002(平成14)年には約10万人と半減。 中学校卒業時の全国共通試験で基準レベル以上の成績をとった生徒は、1955(昭和30)年には10%に過ぎなかったが、1998(平成10)年には46%まで増加。 1976(昭和51)年のバークシャー州教育レポートは「ある中学校では、入学者の2/3が九九を知らなかった」と報じていたが、2000(平成12)年に経済協力開発機構(OECD)が15歳を対象とした国際学力比較調査では、32カ国中、イギリスは「数学能力」8位、「科学能力」4位という好成績。A氏:岩波のブックレットでは、サッチャー教育改革を批判しているが、「イギリス病」克服のときは、反対のデータが出ているね。私:フィンランドは、サッチャー方式と明らかに逆の考えで公的な教育を行っているが、それぞれ、国の歴史が背景にあるね。 日本も「侵略史観」「東京裁判史観」という過去を背負っているからね。 「沖縄教科書問題」はいまだにもめているからね。A氏:中山大臣のような日教組アレルギーもあるね。 大分県のような教員の縁故採用という日本的なシステム問題もあるね。私:単純なイギリスの真似も、フィンランドの真似も弊害もあるだろうから、日本は独自の道をさぐるしかないのだろうね。 そのためには、和田中のようなトライ・1.2をしている多くの公立学校のノウハウを生かしして拡げて行くことが必要だね。 16日のテレビ朝日のサンディプロジェクトで、財部氏のフィンランドの取材があったが、最近、理科系の学生が増加してそうだね。 国際的な技術競争力アップの国家戦略だね。 日本も戦後、アメリカに技術力、工業力で負けたというコンプレックスからか、理科系重視の教育ムードが当時の国家や産業の指導者にあったね。 それが世界的に強い「物作り」に強い日本のもとになった。A氏:ところで、イギリスは「イギリス病」を克服して、金融業で成長を遂げてきたが、今度の金融危機でどうなるだろうかね。 4年後のロンドンオリンピックのカネも必要だしね。私:ベルリンの崩壊で、社会主義が崩壊した。 しかし、今、資本主義もおかしくなってきた。 日本では「蟹工船」がよく売れ、ドイツでもマルクスの「資本論」が売れている。 教育もどのように変るのかね。
2008.11.21
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イギリス「教育改革」の教訓私:インターネットで「イギリス病」を検索したら、「イギリス病を克服した教育改革」というのが出てきた。 表題の岩波のブックレットとは関係ないようだが、実は、深い関係にあるね。 岩波のブックレットでこの「イギリス病を克服したサッチャーの教育改革」にふれていないのは、片手落ちだね。A氏:「イギリス病」というのは、第二次大戦後にイギリスが労働党政権になり、社会主義政策をとったのが原因だろうね。 産業の国有化が進むね。 それが、1960年代に崩壊して「イギリス病」になる。 社会主義イデオロギーの失敗だね。 ソ連が崩壊して、社会主義イデオロギーの最後の砦が敗北するのが、1990年代だが、社会主義イデオロギーの敗北は、すでに1960年代にイギリスで始まっていたんだね。私:このインターネットの「イギリス病を克服した教育改革」という項目は、国際派日本人養成講座という中にある一つのテーマだね。 まず、歴史は1944年に始まる。 当時、イギリスはチャーチル首相の下の保守党・労働党の連立政権。 そこで「教育法」が決まるが、チャーチルは戦争で多忙で、この法律は労働党の考えが強く出ており、次の3本柱からなっているという。 1.児童の権利を尊重する人権教育の推進 2.イギリス帝国主義批判の歴史教育の推進 3.教師の自主性を尊重する教育行政の確立 この2の「イギリス帝国主義批判の歴史教育の推進」はイギリス教員組合である「教師労働連盟」のマルクス主義的な階級闘争史観がベースにあったという。 反人種主義が当然、含まれるね。A氏:イギリスは人種主義的な植民地政策をとってきた大国だから、第2次大戦後には植民地の独立とともに、その植民地政策の歴史教育が問題になるね。私:植民地からの移民が増えるが、その移民の自主性を重んずるために、組合教師たちはイギリスの公立校でありながら、「国語(英語)」の時間を削って、インドや中南米の言葉を教えたり、イギリス史にかわって旧植民地国の歴史を教えたり、キリスト教の集団礼拝を取りやめたりしたという。 イギリスのこうした流れの中で登場したのが、自虐的な中学校用歴史教科書であったという。 イギリスの「侵略」に比較したら、日本の「侵略」なんてゴミみたいなものだからね。A氏:イギリスの植民地政策の人種差別を自虐的に教えるのかね。私:例えば、教科書に「地球のボールから餌を食べている巨大なブタ」がマンガで描いてある。 これは大英帝国(巨大なブタ)が貪欲に植民地を搾取して肥大化した様子を示すものだという。 あるいは、イギリスの君主制と階級社会の批判や、キリスト教が人種差別を正当化する宗教であることの非難を教科書にマンガで示したという。A氏:そういう自虐的な歴史教育では、イギリス国民は、国としての自信を失ってしまうのではないの? 宗教も否定され、道徳心も失うね。 マルクスは「宗教は阿片だ」と言うからね。 マルクス主義教育だね。私:1979(昭和54)年に登場したサッチャー保守党政権は、経済が停滞している「イギリス病」の原因の一つにこの教育があるとし、介入しようとした。 しかし、「教育法」の3本柱の1つである「教師の自主性を尊重する教育行政の確立」が障害となった。 「教師の自主性」という美辞麗句の陰には、公教育では学校を選べず、教師も選択できない生徒が特定イデオロギーを押しつけられる、という事態が生まれていたという。A氏:イギリスで、自虐史観を教えたり、教員組合が強かったりというのは、何か戦後の日本教育の問題と似ているね。 安部政権での「教育基本法」の改正動機と似ているね。私:最近では、中山大臣が辞任に追い込まれた日教組問題にも似た問題が出ているね。 明日は、これに対してサッチャーのとった対策にふれよう。
2008.11.20
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イギリス「教育改革」の教訓私:2004年7月、ウェールズ地方政府のジェーン・デビットソン教育長官は「ウェールズ全域の小・中学校でナショナル・テストは廃止する」と発表した。 これは、ロンドンの中央政府にとっては衝撃的で、「本家に反旗を翻した」ことになる。 実は、ウェールズはその前の2001年にテスト結果の公表をやめることを決定しているおり、7歳児のテストも同じ年に廃止している。 ウェールズ地方政府のデビットソン教育長官は、ウェールズの教師と親たちと話して意見を聞いて決定したという。 2003年に「ナショナル・テスト見直し委員会」を設置して、学校関係者、生徒、親から幅広く意見を聞いた。A氏:サッチャー改革の弊害が出ていたのかね。私:子どもが被害者になっているんだね。 ナショナル・テストで学校がよい成績をとると学校は人気校になり、入学希望者が増え、予算が増える。 子どもにプレッシャーがかかる。 いろいろな地方行事への参加時間や野外で遊ぶ時間をケチって、模擬テストに費やされる。 子どもを勉強嫌いにして、言語能力、社会性、独立性、創造性の発達に影響を及ぼすというわけだね。 こうした調査により、ウェールズ地方政府はナショナル・テスト廃止に踏み切ったわけだね。 幼児教育は、「机に座った学習から幼児を解放」し、7歳まではフォーマルな教育をせず、戸外活動を重視するようにカリキュラムを修正中という。A氏:「よく学び、よく遊べ」だね。私:スコットランドのほうは、サッチャー教育改革導入の最初から、強い抵抗があったが、妥協案で押し切られたようだね。 しかし、その後、見直しが進み、「子どもの学力を数値によって測る体制から、『子ども中心』の教育への移行」を推進しているという。A氏:御本家のイングランドではどうなんかね。私:当然、教職員組合や校長会から反論が出ているようだね。 ブレア政権は、これに対して柔軟な姿勢を見せるようになったという。 しかし、「市場原理」的な根幹を変えるものではない。 2006年には、校長は競争に疲れてきたのか校長会が反旗をあげたという。 すでに、校長不足がイングランドに起きているという。 一方で、独創的な教育をしている学校も出てきたという。 2009年の選挙で保守政権が登場すれば、教育制度は大きく変わるだろうという。A氏:ブレア政権は、サッチャーの教育改革による格差をかなり解消したのではないの?私:しかし、労働党政権下でむしろ貧富の差が広がったという指摘がされているという。 統計によると貧困層の中でさらに下層に落ちた世帯が大幅に増加しているという。 著者はここでフィンランドの市場原理によらない教育モデルにふれているね。 フィンランドには統一学力テストもないし、国家による査察制度もない。 学校と教師は社会から信頼され、教育の責任を担っている。 フィンランドの教育相は「フィンランドの教育は『子ども中心』である。 競争原理はスポーツの世界には適しているが、教育には適さない」と言っているという。A氏:これは君のブログの「平等社会 フィンランドが育む未来型学力」、フィンランドの子、なぜ優秀、「競争やめたら学力世界一・フィンランド教育の成功」1、2、「受けてみたフィンランドの教育」1、2、「教育立国フィンランド流 教師の育て方」と続いたフィンランド教育の知的街道で繰り返し登場する考えだね。私:ところで、俺はこのブックレットを読むうちに、サッチャーも「イギリス病」退治でたいぶ苦労して、教育に「市場原理」を導入したと思うんだね。 へそ曲がりの俺は、サッチャー以前のイギリスの教育状況に知的興味が湧いて来たね。 それが、このブックレットにないのが残念だと思ったね。 明日からは、このブックレットにないが、サッチャーの「教育改革」以前のイギリスの教育状況を調べてみよう。
2008.11.19
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私:藤原校長は、「よのなか」科の授業を導入することで、意欲的に学習する子ども、情報処理力と編集力を備えた子ども、自立し貢献する子どもを育成することを目的としていた。 その結果を調べるために、2003年度に和田中に入学した生徒たちの1年のときと、3年生のときの3年間の変化を質問紙調査と学力調査で比較している。 また、同じ杉並区のA中との比較をしている。 3年の間に、和田中は、学力はA中よりも低下し、かつ、和田中内の学力格差も拡大しているね。 原因として、勉強や授業に対する意識の変化があったのかという調査では、和田中の生徒の学習意欲は、A中よりも低下している結果だという。 しかし、「よのなか」科の効果なのか、「発表したり、調べたりする授業への希望」は増加している。A氏:何故だろうね。私:そこで生徒たちの生活について調査をしているね。 家庭の状況では、「家出したい」という生徒は3年間でA中は低下しているのに、和田中は増加し、「親が分かってくれていない」という割合もA中はほとんど変化がないのに、和田中は倍増している。 携帯電話などの所持割合は和田中のほうがA中よりも大幅に多い。A氏:和田中の生徒は家庭でのしんどい状況の中で勉強への意欲を失ったのかね。私:しかし、和田中では、A中に比較して、「学校を楽しい」という生徒は増加し、「先生が気持ちを分かってくれていない」という生徒は減少している。 このことから、和田中では先生の支え、生徒同士の支えが出来ていたことを示すと考えられるね。A氏:和田中の生徒のほうが家庭環境がよくない生徒の比率が高いのではないの?私:そこで小学生のときからの学力不足のハンディを中学に持ち越しているか、家庭の状況はどうか、を調査した。 家庭状況の調査では、父親が大卒か、小さいときに絵本をよんでもらったか、家にコンピューがあるか、などの調査だね。A氏:「おやじのせなか」だね。私:その結果、「有利層」「中間層」「不利層」の3つに分けて、和田中とA中を比較した。 その結果、和田中はA中に比較して「有利層」は半分、「不利層」が多い、ということがわかる。A氏:和田中は、A中より「発表したり、調べたりする授業への希望」が多いというが、それはどの層で増加したの?私:それが「不利層」に多くなったんだね。 そして和田中の「不利層」の特徴は、「学校の生活は全体的に楽しい」という回答が3年間で倍増していることだね。 A中の「不利層」にはそのような変化はない。A氏:「不利層」の生徒は、学習面でも家庭環境の面でも不利な環境におかれていた。 それが、学校の「よのなか」科教育などで、多様な経験をし、「居場所」を得たということかね。 君のブログの「ルポ・"正規社員"の若者たち・就職氷河期世代を追う」・2の2に、日本で新卒フリーターが全国で一番低い県として富山県をあげているが、その原因としてあげているのが、中学2年生に職場体験を義務付けている「14歳の挑戦」事業だね。 和田中の「よのなか」科の発想と似ているね。私:最後に藤原氏へのインタビューがあるね。 子どもの多様化で教えるほうも変化が必要だが、日本はフィンランド方式のようなきめこまかい指導、個別指導の体制は組めない。 だから、「教員が全部やるから、予算も人も増やしてくれ」というのは無理で、やはり、「地域本部」のような総合力の支援が必要だという。 07年の全国学力テストで秋田県の小学6年生はすべての科目で1位、中3は1位から3位という好成績だったことから、秋田県の公立学校の教育方法が注目された。 その原因が、秋田県でも和田中と同様の方法で、地域や大学などを巻き込んだ教育方針が一貫している点にあるという。 ところで、文科省が「地域本部」に50億の予算をとったので、藤原氏はその支援をするようだね。 また、橋下大阪府知事が府の教育改革に動くときは支援したいという。 今後の活躍を期待したいね。
2008.11.12
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私:杉並区立の和田中学校は、民間出身の校長・藤原和博氏をもとに、いろいろな教育の試みを行って、マスコミでとりあげられていたね。A氏:君の教育知的街道で、鼻につく勝ち組の教育論、東京・杉並区和田中学の夜間塾「夜スペ」耕論、「バカ親、バカ教師にもほどがある・子ども化する大人たち」1、2、3、4、「躍進秋田と和田中の秘密・みんなが見ていると子どもは伸びる」として、藤原校長が登場するね。私:この本は、和田校長が自らまとめたブックレットでなく、教育専門家6名が、客観的にデータを調査して、その結果をまとめたものだね。 その面で、マスコミで騒がれた「表」の部分と、見えなかった「裏」の部分も明らかにしているね。 まず、杉並区の公立中学校という特殊な条件がある。 比較的に高学歴の親が多い地区だから、中学は国立・私立への進学率が高い。 統計によると、杉並区公立小学校卒業生の3人に1人は、公立中学校に進まずに、私立や国立の中学に進学しているという。 だから、学力が小学校と比較すると、公立中学のほうが低下する。A氏:ところで、民間の藤原氏が校長になったいきさつはどうなのかね。私:1999年(平成11年)に現区長の山田宏氏が前区長を破って初当選をしたのがきっかけだね。 山田区長は選挙公約に「行政改革」をかかげ、その柱の一つに地方自治による「教育改革」があった。 杉並区は2002年に「学校希望制度」を導入し、2003年には小学校3年生から中学3年までの全生徒に学力調査を行い、学校別に成績を公表した。 個々の学校を競争させようというものだね。 「新自由主義的」な性格を持つね。 また、「杉並区教育改革アクションプラン」が2002年(平成14年)にできる。 そのプランの中に「民間人校長の登用」というのがあり、平成15年度1中学校、平成16年度1中学校と計画された。A氏:民間の刺激によって、教師の意識を改革しようというものだね。私:藤原氏は、区民代表年として、このアクションプラン作成に参加していたんだが、このプランを発表すると、校長の中には「こんなプランは区の教育委員会が勝手につくったものだから、従う必要はない。 風が過ぎるのを待っていればよい」などと発言するものがいた。 藤原氏は、大いに憤慨して、「この人たちに任せていたら、改革は進まない」として、自ら校長を引き受けたと言う。A氏:君のブログにもあるが、藤原氏が授業を50分から45分にして効果を出したが、真似をした校長はゼロだったと言うね。 フィンランドは45分だね。 地方自治といっても、自主的で革新的なアイデアと実行がなかったら、キレイごとで終わるね。私:従来の校長は藤原校長からアイデアをもらわない。 「異端児」扱いだね。 藤原氏は、後に校長会を脱退するが、校長会は抵抗勢力の団体だね。 「前例主義」が根強いね。 杉並区は、藤原氏が校長を辞めた今、ボトムアップの教育改革は難しいことを覚り、和田中方式をスライドするのでなく、区の教育委員会で吸い上げ、トップダウンで拡大しようとしているようだね。A氏:教員の方はどうだろうか。私:藤原校長は、教師に押し付けるようなことをせず、学校の教師の大変さと教師の努力に敬意を払っていたという。 専門職としての教師の力量をまずは認めながらの改革だったという。 だから、改革のエネルギーには、教職志望の大学生、PTA、地元住民などが参加した「地域本部」などの外部の力を投入している。 この方法は、教師の負担を増やさず、生徒たちの学習経験を充実させる現実的な選択とも言えるね。 明日は、この藤原校長の評価を数字的に追ってみよう。
2008.11.11
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上妻宏光『月の下で』 私:この「おやじのせなか」という朝日新聞の欄は長い間続いているね。 有名人の「おやじ」との関係を語る欄で、それぞれの親子関係を具体的に述べていて、いい話が多いね。A氏:俺も愛読しているよ。 親子の本当のコミュニケーションが希薄になっているというが、やはり、子どもはよきにつけ、悪くにつけ、親の背中を見て育っているのだね。私:11月9日のこの欄では、35歳で三味線演奏で活躍している上妻宏光(あがつま・ひろみつ)氏と彼のおやじとの関係が語られているね。 実に、面白かったし、感動的だったね。A氏:俺も読んだ。 彼の「おやじ」は、茨城にある電機メーカーにつとめる普通のサラリーマン。 しかし、何故か、彼が5歳くらいの頃から、晩酌の後、趣味で三味線で津軽民謡を練習するんだね。 それを聞いているうちに彼が興味を持つ。私:しかし、三味線は高価だから触らせてもらえない。 「おやじ」が会社に行っている留守中にこっそり、見よう見まねで弾く。 それが「おやじ」にばれて怒られる。 それを繰返すうちに、「おやじ」に「習いたいのか」と聞かれ、正座してお願いする。A氏:6歳で「おやじ」と同じ教室に通い始める。 しかし、勤めがある「おやじ」と、学校が終わると三味線を弾く彼とは練習量が違う。 半年ほどで「おやじ」を抜く。私:そのせいか、「おやじ」は彼が小学校3年くらいのときに、三味線をやめてしまう。 彼は、老後の「おやじ」の趣味を奪った悪い息子だと言う。 まぁ、「おやじ」は彼の裏方で彼を支えるようになる。A氏:彼は、15歳で腕を磨くために、東京に出る。私:あるとき、茨城の店に修理に出してある三味線が急に必要になった。 「おやじ」が鈍行で8時間かけて上野に届けに来たという。 また、鈍行でとんぼ返り。A氏:特急料金をけちって、息子の東京暮らしを支援していたのだね。私:彼は、今、まだ、35歳だが日本の大衆伝統芸を受け継いでいる。 伝統芸によくあるような、父親の後を継いだわけではないね。 庶民の親子のコミュニケーションだけだね。 彼の「おやじ」はまだ、健在だろうが、「せなか」でよき息子を育てたね。 カネはそんなにないのにね。 ほのぼのした親子だね。 それだけでも偉大な「おやじ」だね。 それにしても、普通のサラリーマンが、趣味で三味線を習うとは、「おやじ」も型破りだね。
2008.11.10
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教育立国フィンランド流教師の育て方私:フィンランドの教育理念は、自己の個性を生かした独立した人生を送る人の育成だね。 PISAで一位というのも、その教育理念の結果に過ぎない。 そのフィンランドの自信をゆるがしたのが、2007年11月7日に起きた事件だね。A氏:フィンランドの南部トゥースラのヨケラ高校で、18歳の男子生徒が授業中に、銃を69発乱射。 在校生6名、看護師1名、校長が犠牲となる。 その男子生徒は自殺。私:同様の事件は1999年4月にコロラド州コロンバイン高校で起きているね。 2007年4月には、バージニア工科大学乱射事件があるね。 フィンランドで事件を起した学生は、米国ペンシルバニア州で大量の武器を収集して地元高校を襲撃しようと計画していたとして拘束された14歳の少年と、これらの事件についてメールのやり取りをしていたことがわかる。A氏:兆候があったんだね。私:ネット上で過激な発言を繰り返し、高校虐殺のタイトルを流していたという。 しかし、普通の家庭に育ち、成績も中の上程度なので、皆、まさか本当にやるとは思っていなかったという。A氏:フィンランドは銃規制がゆるいのかね。私:アメリカは、西部開拓時代の名残りの「自衛」のための銃保持だが、フィランドは狩猟文化が背景にあり、18歳から徴兵制がはじまるので、家庭に銃があることは特別なことではないらしい。 だから、米国、イエメンに次いで、銃所持率が世界第3位だね。 この問題を起した高校生は事件直前の10月に拳銃所持の許可を得ている。A氏:自立性を重視するフィンランド教育に何か、盲点があったのだろうかね。私:フィンランドは、この事件でショックを受けたようだね。 しかし、こういう問題はむずかしいね。 原因が多様だからね。 自殺した本人が生きていても本当のことはわからないだろうね。 ただ、フィンランドでは、高校から大学と同じように授業を自主的に選択するので、中学と比べて個人の判断の負担が増加するという。 それに義務教育では、いろいろなケアがあるが、高校からは少なくなるらしい。 対策として、ケアの強化がとられたらしいね。A氏:日本だとすぐに金属探知機を置けとかの警備強化だろうね。私:社会的にインターネットなど、IT化が進むと精神的な余裕がなくなってくるのではないかとも考えられるね。 家族とのコミュニケーションも携帯電話ですんでしまい、ナマの会話が減る。 友達同士でゲームをやっても別々にやる。 ゲームを友達と一緒にやったと言っても、一人ひとりは別のゲームで部屋が同じだけだ。A氏:子どものほうがどんどん、多様化しているんだね。私:親子、教師、地域とのフェース・ツー・フェースのコミュニケーションが、人を孤立させない原点かね。
2008.11.09
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教育立国フィンランド流教師の育て方私:PISAで世界一を維持しているフィンランド。 そのフィンランド教育知的街道は「平等社会 フィンランドが育む未来型学力」、フィンランドの子、なぜ優秀、「競争やめたら学力世界一・フィンランド教育の成功」1、2、「受けてみたフィンランドの教育」1、2と続いてきたね。 この本の著者・増田ユリヤ氏は、高校教師経験もあり、国際教育ジャーナリストとして活躍している。 フィンランドは、PISAで有名になってから、世界の国々から視察にくるようになったが、その半分は日本人だという。A氏:その結果かもしれないが、日本では従来の「ゆとり教育」を見直し、学力低下を防止しようという動きになっているね。私:この本が従来のフィンランド教育をレポートした本と違うのは、フィンランドの国家戦略と教育方法の一体化だね。 その教育方法から、当然、教師の質の高さ、地位の高さが要求される。 著者が2005年にフィンランドに取材を始めた当初、校長たちに「フィンランドがPISA調査で学力世界一となった秘訣はなんですか?」と聞いたら、どの校長からも「教師、教師、教師!」という言葉が返って来たという。A氏:1990年にソ連崩壊によって、それまで経済的にソ連に依存してきたフィンランドは、失業率20パーセントに達し、深刻な不況になるね。私:そこでもともと資源に乏しいフィンランドでは「人」という資源に投資する国家戦略を立てた。 それも「自分で考える人」の育成を考えた。 「大胆な教育改革」として「すべての子どもに平等の教育」「教育現場への信頼」「質の高い教員の養成」を柱とする。A氏:大学まで教育費は国庫負担だね。 だから、塾もないから、「すべての子どもに平等の教育」だね。私:その根底には、教育効果を点数で評価しないという考え方があるね。 教育の目的は、点数を多くとり、競争に勝つ子ども育てるのでなく、自分で考える子ども育てることに徹底しているね。 だから、詰め込みの塾は要らない。 「教育現場を信頼する」から、現場の教師の教育方法の裁量は広い。 教科書も教師1人ひとりに採用権がある。 日本の文部省のような現場に口出すシステムがない。A氏:それだけに、教師の質の高さがカギを握るのだね。私:習熟度別クラスによる教育も、点数で評価して、点数の低い子を特に教育するという日本的な発想でなく、他の教育方法を考えてやるので別にするためだという。 生徒の個性、動きに合わせて、教育方法を考えるから、教師の教え方のアイデアは無限だね。A氏:教師というのは、アイデアマンでなくてはならないということだね。私:著者は、優秀な教師を育成する教育実習をかなり詳しく取材しているね。 俺は専門家でないので、詳しいことは興味がないが、無限の教え方のアイデアが必要だと思ったね。A氏:教師は日本のように多忙なのかね。私:そうではないようだね。 先生への信頼があるので、日本のように先生が一々、上に報告書を書くという無駄な時間がないのではないのかね。A氏:日本の教育界は、この十年、市場原理主義化をすすめてきているね。 「教育は買うものであり、選択するものであり、教育はサービスであり、顧客満足を最大化しなくてはならない」私:しかし、フィンランド教育は、逆だね。 「教育は教師が子どもや地域社会と一緒につくるもの」だね。 フィンランドはそれをきちんとやっていたら、自然にPISA第一位になった感じだね。 韓国のようにPISAの高い点数獲得を目的とした教育ではないね。 目的と手段が全く違うようだね。 そのフィンランドで昨年、まさかと思う高校生の銃乱射事件があった。 明日は、それについて話そう。
2008.11.08
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私:今日も、すばらしい秋晴れだね。 昨日、日曜日は、孫の運動会なんで、行ってきたよ。A氏:土曜ではなかったの?私:金曜夜に雨が降って、大丈夫かなと思っていたら、早朝に幼稚園は、決断し、1日延ばしたね。 まぁ、土曜でもできることはできただろうが、グランドが朝はまだ乾いていないかもね。 いずれにせよ、日曜は天気予報通りの晴天となった。 秋日和で、涼しい風が吹いていたね。 絶好の運動会日和だね。A氏:どこかのグランドを借りてやったの?私:いや、幼稚園のグランドだね。 父兄もグランドの隅にシートを敷いて観戦するので、ややせまい感じもする。 しかし、幼稚園側としては、幼稚園児がふだん遊んでいるグランドでゲームや競争をやったほうが、ストレスを感じないから、無理に他の大きなグランドを借りることをしていないという。 親子競争ゲームあり、親同士の綱引きありで、面白かったが、やはり、ハイライトはカケッコだね。 オリンピックのマラソンみたいなものだね。A氏:そういえば、皇太子の子どもの愛子ちゃんも、昨日は運動会だったね。 楽しそうにカケッコをして、トップで笑顔でゴールインした姿をテレビニュースで流していたね。私:この運動会も、最後のハイライトは、年長の園児のリレー競争だね。 俺の孫は年長組だから、これが幼稚園最後の運動会だ。 年長は2クラスあるので、クラス対抗リレーとなったね。 人数の関係か、2組に分かれて、2レースとなった。 だから、10人くらいのリレーだね。 俺の孫は、後の組で最後から2番目を走る。 最初の組合せのリレーでは、俺の孫のクラスが、負けた。 俺の孫の組のレースでは、孫の前の走者はすでに勝って走っていて、孫はそのバトンを受けた。 孫は必死に走り、リードを保ち、最終走者にきれいにバトンタッチした。 最終走者は、必死に走り、わずかなリードを保ってゴールした。 勝った。A氏:喜んだだろうね。私:孫は、両手を挙げ、飛び上がって喜んでいたね。 友だちと抱き合ってもいたね。 勝ってよかったね。 負けたほうの子はショックかもしれないね。 先生も気を聞かして頑張ったチームにも拍手をと言っていたね。 2時頃終わり、夕飯は、親子を含めて皆で食べようということになり、一旦、それぞれ家に帰った。 それまで時間があったので、孫は俺の家によって、Wiiのマリオカーとのゲームで競争をしたが、これは、俺はかなわないね。 数ゲームやったが、ほとんど俺の負けだよ。 この子たちには、これから、グローバル化した競争社会が待っているね。 今の暴走した資本主義が、反省期に入り、改善されていることを望みたいね。
2008.10.13
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私:今日の敬老の日は休日で幼稚園は休みになるので、先週の金曜日に俺の孫の幼稚園で「敬老のつどい」というのをやった。 園児の祖父母が参加するイベントだ。 園児の歌の発表や、クラス毎の祖父母と園児との対話や昼食会など、半日のイベントが行われた。 俺も参加したよ。A氏:幼稚園で「敬老のつどい」をやるところはあまりないのではないの?私:そうらしいね。 後期老齢者医療保険制度に象徴されるように、最近、敬老ムードは冷えてきているようだからね。 しかし、この幼稚園は逆らしいね。 例年は、親も参加したんだが、どうしても母親中心になりやすい。 そこで、親の参加は二の次にして、今年は祖父母を中心にするなど、更に敬老色を強めたね。 この幼稚園の教育方針は、ちょっと変っていて、園児に泥いじり、虫とり、芋ほり、大根ほりをさせたりで、自然にふれることを重視している。 大家族時代の3世代の人の交流も重視しているのだろうね。 別にエリート型の幼稚園でなく、泥臭い感じの幼稚園だね。 俺の娘はあえてこの幼稚園を選んだよ。A氏:クラスごとに祖父母と園児の対話があるの?私:対話は各クラスの部屋に分かれて、車座に椅子を並べ、園児と祖父祖母が話をする。 先生が「おじいさん、おばあさんは子供の頃、どういう遊びをしたのか、聞いてみましょうね」と言って、順次、祖父母が自己紹介しながら、昔の遊びを話し出す。 一クラス20名くらいの園児だが、祖父母は10名くらいだから、欠席が多かったね。 祖父母となると、遠く離れた地方に住んでいることが多いので、わざわざ、都会に来るのが大変だし、もう老年だから、入院生活をしている祖父祖母も多いね。A氏:祖父母からどういう遊びが出たかね。私:お手玉とか、かくれんぼとかいろいろ出たね。 ある祖母が、3つでお手玉をやってみたら、児童が一斉に歓声をあげたね。 それから、皆で昼食だね。 俺のテーブルには俺の孫と、他に3人の園児が同席した。A氏:その3人は祖父母が来ていないの?私:聞くと、病気で入院したり、その付き添いしたり、遠方にいたりで来られないらしい。 来ていないと淋しそうな顔をしているね。 しかし、俺にとって、 他人の孫と同じテーブルでじっくり話しをしたのは初めての経験だね。 こっちも視野が広くなる。A氏:相手の園児も他人の老人を話す機会はあまりないのではないかね。 できるだけ、子どものうちに多様な大人と接することが重要だというのが、前和田中学校長の藤原和博氏の持論だがね。私:昼食を終わり、ちょっと、グランドで遊んで、祖父母は帰っていった。 後は、通常の幼稚園の活動にもどった。 なかなか、楽しく有意義な敬老の日だったね。 しかし、これらの園児が青年になる頃の日本はどうなっているかね。 それが気にかかるね。
2008.09.15
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ニッポンには対話がない私:この本で紹介されている言葉でコミュニケーションデザインというのがある。 専門知識を持つ者と持たない者、利害関係や立場の異なるひとびと、その間をつなぐコミュニケーション回路を構想、設計することだという。 このコミュニケーションが社会的に崩れてくると、学校に対して身勝手で理不尽なクレームをつけてくるモンスターペアレンツという保護者が登場する。A氏:それは君のブログで「バカ親、バカ教師にもほどがある・子ども化する大人たち」1.2.3.4でふれているね。私:親がいろいろな価値観の人と対話しないで育っているとそうなるという。A氏:例の和田中学の民間出身だった前校長の藤原和博氏も、子どものときにいろいろな大人と接触することが重要だと言っていたね。 そして、私立校と違って公立校はいろいろな生徒とコミュニケーションを持てることが長所だね。私:それからエンパシー(empathy)だね。 シンンパシー(sympathy)と違う。 エンパシーは、自他の区別を前提としたうえで、意思的、能動的に他者の視点に立ち、他者の立場に置かれた自分を想像することに基づいた相手理解のことだという。A氏:なんだか、難しいが、「高い立場」からの憐れみでなく、きちんとした相手への理解力だね。私:それからキー・コンピテンシー(key competency)という言葉がある。 OECDで生まれた新しい能力概念だという。 言語を運用する能力、他人といい関係をつくる能力、争いを解決する能力、人生計画を設計し実行する能力などが組み合わされた、個人の人生にわたる根源的な学習能力をいう。 生涯を通して成長し変化するものだという。 この本の最後の方で、日本の移民に対する対話というか、対応の遅れを大きく問題にしているね。A氏:移民が増えてくると、まさに、異なった価値観や文化と直接、ぶつかるわけだから、きちんとした「対話」が不可欠になるね。私:フィンランドの教育視察に日本人が行くと、皆、今のやり方をいろいろ聞くそうだが、ヨーロッパの国の人は、フィンランドが将来、多くの移民を抱えるようになったとき、どのような教育システムで対応するのか聞くことが多いという。 フィンランドは他の欧州諸国と比較すると移民がまだ、少ないからだね。A氏:日本も少子化で移民が増えるだろうね。私:しかし、最近起きた大相撲の大麻事件などは、すでに後手になった移民問題を反映していると言えるね。 この本ではふれていないがね。 なんせ、今度の相撲の本場所で、三役10人中、外国人が6人だという。 大相撲はすでに日本の移民問題を象徴的に示しているね。 日本の伝統と違った価値観で育った外国人力士との摩擦だね。 効果的な「対話」が必要だね。A氏:こないだ知人の人から直接聞いた話だが、東南アジアから来たベテラン介護士に「患者さんの不安をなくするのは大変でしょうね」と聞いたら、「私、不安という言葉は分かりません」と返事されたという。 先日、インドネシアから多くの看護師候補が来たね。私:これから、日本は真の対話が必要だね。 この本は最初、読み出したとき、ありきたりの日本人論かと思って読み始めたが、実践経験が豊かなだけに具体例が多く、教育論としては面白い本だね。
2008.09.13
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ニッポンには対話がない私:著者は、PISAのテストは「考える力」のテストを取り入れているので、日本人には合わない点もあるという。A氏:しかし、日本ではあわてて「ゆとり教育」に切り替えたね。 ところが「基礎学力の低下」であわてて、また、ゆり戻しになり、右往左往しているので批判を浴びているね。私:「基礎学力」と「考える力」とのバランスをとることが必要だね。 実は、これもフィンランドも同様の失敗の経験があるという。 あまり「考える力」の教育を重視した結果、基礎学力が低下して問題を起こし、バランスをとるようにした経過があるという。A氏:やはり、独創的な思考も基礎的なものがないと育たないんだね。私:「ゆとり教育」だと言って、生徒を自由に放り出すのはかえって混乱の原因となるね。 こないだ小学校低学年の野球の練習試合の取材をテレビで見ていたら、バッテリーがいないんだね。 ホームベースに棒を立て、その頭にボールを乗せて打つ。 後は大人の野球と同じで子供の自由だね。 この本でもそれにふれていたね。 要するに年齢的にバッテリーは無理だから、工夫した練習で「型」を覚える、わけだね。 先生も指導方法を考えないといけないね。 「ゆとり教育」は先生が楽をするのでなく、苦労することだね。 昔から日本では「守・破・離」というではないかね。 まず、基本を「守り」、次に、これを新しいものに変えて「破り」、そして自分で独立して「離れて」いく。A氏:最初から、放任して創造的な「破り」「離れ」を期待するのは困難だし、無理が出るね。私:この本では、チュートリアルシステムというのが紹介されている。 これは、あることをはじめて勉強した人間がその専門の担当教授と対等の立場で議論するのだという。A氏:新人教育だね。 これは教えるほうの対応が重要だね。 日本では、経験や地位の差があるときは対等の対話が難しいね。私:著者の北川氏はチュートリアルシステムを体験する。 専門家はじっくり聞いて、このような観点とこのような事実を入れて、もう一度考えてくれというそうだ。 この本は、このようないろいろな新語を紹介してくれる。 明日は、その新語と移民との対話に話を展開しよう。
2008.09.12
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私:昨日、また、幼稚園の課外コースの陶芸があったよ。A氏:一昨日の陶芸教室の続きだね。私:何かの振り替えで臨時にやったらしい。 今回は、母親(俺の娘)が参加したので、俺は私は行かなかった。 そこで、次のような手紙を先生宛に託したよ。「陶芸の先生へ 8月29日は陶芸で貴重な体験をさせてもらい、ありがとうございました。 さて、私のところは陶器の裏に署名を忘れてしまいました。 それで思い出したのはチェックシートでした。 私の製造業の職業の経験から、通常、はじめて作業をするときに、段取り計画でチェックシートを作り、次にそれを消しこみながら作業を進めるという方法がよくとられます。 この方法をとられたら、私のようなポカミスが減るのではないかと思います。 また、作業に入る前に、紙に計画し、先生が確認し、作業を開始するという手順が教えられるのではないかと思います。 当然、作業工程の単位ごとにチェックを各人がすることになります。 うろ覚えなので間違っているかもしれませんが、下記のようにチェックシートを作ってみました。 これを先に先生が作って渡してしまうと、マニュアル人間になるかもしれないので、先生が口頭で説明したことをイメージしながら、生徒に書かせたらと思います。 私のところは5工程目が抜けていました。順番内容チェック1パターンを紙にいっぱいに書く 2パターンをはさみで切りとる 3陶土を1センチから5ミリくらいの板状にのばす 4そこに紙をのせて、陶土板を切り取る 5紙をはがして、陶土板に名前を書く。 6残った陶土を棒状にして、陶土板の縁に巻きつける 7陶土板を裏返しにする 8真ん中を押して、皿のくぼみを作る 7色の陶土を使って、デザインしながら皿につける。 上記の7工程を一枚ごとのカード(7枚のカード)にして、順序に並べる作業をしてもよいかもしれません。 そして、1つの工程が終わるたびに、カードを綴じていくという方法もあります。 何かのご参考にしてもらえれば幸甚です。」A氏:なるほど、身近なことでも、「はっきり計画する」ということは、大事だね。 それを幼いうちから習得することかね。私:日本の庭師は、石などを置きつつ考えるという。 フランスの庭師は、まず、庭の絵を描いてから作業すると、どこかの日本人論に書いてあった。A氏:だから、日本人は計画がハッキリしないという。 だから、かって、日本が技能オリンピックで金メダルを独占していた頃、それは日本人の腕の器用さによると言われた。私:しかし、事実は違うね。 外国選手との相違は、日本人は、じっくり考える時間が長く、それから作業に入るが、外国選手はいきなり、作業を始めていたそうだね。 いい仕事をするには、国を越えて共通するコツがあるんだね。 日本ではこれを「段取り」と言ったていた。仕事ができる人は、「段取り」がうまいというのは鉄則だね。 その教育は、どの材料でもできるね。 こないだ、孫が夏休みで泊まりで遊びに来たときも、1日の予定を紙にリストアップしたよ。
2008.09.01
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A氏:昨日の朝日新聞朝刊で、今年4月にやった全国学力テストの結果が公表され、その概容が報じられているね。 今朝の朝日新聞では、社説で「60億円はもっと有効に」と、60億円をかけた全国学力テストそのものの有効性に疑問を呈しているね。私:昨年とのテスト結果の比較が出ているが、今年は問題が難しかったのか、正答率が低下している。 興味があるのは、昨年度と都道府県ごとに平均正答率の順位がほぼ同じということだね。 小六ではトップは秋田と変らず、中三では、福井、富山、秋田がトップランクと変らないね。 逆に、下位は小六では、沖縄。 中三では、大阪、高知、沖縄が下位というのも変らず。A氏:頭にきた橋本大阪府知事は、民間なら減給は当り前だと教育委員会と現場を激しく批判したという。 大阪府は、この9月から習熟度別授業を開始する予定だったそうだが、それも知事の提案であり、教育委員会はそれまで無策ですごしていたようだね。私:志水大阪大学教授は、各自治体の経済的環境の影響を感じたというが、小六では経済的環境のよくない青森が上位で健闘しているね。 秋田県だって、富裕な県とは言えないのではないかね。しかし、一時、自殺率トップの秋田県が、大きく改善されてきているように、秋田県は自治体の努力が違うのではないかね。 「日本のフィンランド」ということで、県外からの教育視察が多いそうだよ。A氏:分析はこれからだろうね。 今年は、集計が早かったのが好評のようだね。私:昨年は採点や集計作業で混乱があったようだね。 今年の採点は派遣社員でなく、請負企業が自社で雇った人で行うようしたという。 A氏:年金ミス問題と同じ間違いをしないですんだね。 今朝の朝日の社説は、全国学力調査の費用60億円はむしろ、財政難で見送った小学校の外国語教育向けの教員増に向けるべきだとしているね。 確かに、調査しても、分析して、問題の原因を明らかにして、即、有効な対策の実行に移すべきだね。 昨年の調査で、各県の違いの原因は大体分かっていたのだからね。 調査のための調査ではムダだね。
2008.08.31
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私:俺の6歳になる孫が工作が好きらしいので、親が幼稚園の有料の美術課外授業に出すことにして、毎週、参加しだした。 昨日はその何回目かの日だったが、母親(俺の娘)が用事で参加できないので、俺が親代わりに孫についていくことにした。 幼稚園は夏休みなので、別棟の小屋で午前10時から12時までの予定で行ったね。 数家族が集まったね。 皆、母親がついていたが、両親がついていたのは1家族だけだったね。 男親やウイークディだから仕事だね。 昨日のテーマは陶芸だね。A氏:ロクロを使うのかね。私:そんな大げさのものではないよ。 皿つくりだね。 上塗りなしで、3色の色粘土を代わりに使う。 土の状態では、色はよくわからないが、焼くと発色するとのこと。A氏:手順があるんだね。私:先生は若い女性だね。 ていねいにまず、手順を説明してくれる。 熱心だね。 まず、どういうパターンの皿を作るか、考える。 魚とか、いろいろなパターン例が十数種類くらい壁に掲示してある。 俺の孫は貝殻を選択した。 それを与えられた紙に書き、はさみでパターンを作る。A氏:洋服の型紙みたいなものだね。私:そうだね。 次に箱に用意された陶芸用の柔らかい土を大人のこぶし大よりちょっと大きい量をとり、新聞紙の上で、ピザパイのように5ミリから1センチくらいの厚さに平らに延ばす。 これが孫の手作業になる。 結構、力が要るから、俺も手伝う。 その上に先ほどの型紙をのせて、形に切り取る。A氏:型紙に合わせて、布地を裁断するのと似ているね。私:次に紙をとり、名前を彫る。 次に切り取ったときに余った土をヘビのように長細く作り、これを縁に巻くようにつける。 そして裏返しにする。 真ん中を押すと凹むわけだね。A氏:それで皿になるわけか。私:後は、表面に各自が考えて、3色の土を、それぞれのケースに取りにいき、皿に貼り付ける。 色を混ぜると、3色以外の色にもなる。 土の色は焼くまではっきりしないので、余った土は混入しないように、別の容器に返す。 2時間の予定だったが、大体、1時間ほどでできあがった。A氏:焼くのはどうするの?私:後で先生が手配した運搬業者が炉があるところまで運搬してくれる。 そして焼くわけだ。 それまでのお楽しみだね。 ところで、後で気がついたが、俺は裏に孫の名前を彫る工程を忘れていた。 先生に言ったら、後で分かるようにしておきますということだった。 こういう場合、製造業では不良品になってしまうことがあるのでチェックシートというのがあって、工程ごとにチェックして行く。 買い物メモと同じだね。 この場合もチェックシートがあるとよかったと思ったね。 あるいは、作業にかかる前に、チェックシートを作らせるとかね。A氏:紙に行動計画を書いてから、行動を開始するというアングロサクソン的な発想だね。私:いや、段取りをしっかりやるという日本の「物づくり」発想だよ。 次回は、母親が同伴すると思うので、チェックシートを作って参考までに先生に提出するように持たすことにしたよ。
2008.08.30
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私:こないだブログの「Wiiのタンク・レベルアップ」で、121台まで来たと言ったね。 先日、なんとなく、読書の後の気分転換で、また、タンクのゲームに挑戦していたら、121台を突破し、167台まで来て敗退した。A氏:すごい台数だね。 しかし、まだ、後があるわけだね。私:そうしたら、「プラチナメダル」が受賞された。 すでに84台で「金メダル」を得ていたが、その上のメダルがあるとは面白いね。 このゲームはよくできていて、途中で敗退しても、その段階で終わりでなくて、最大5回くらい挑戦できることだね。 ある段階をクレアすると、ボーナスがついて、これが貯金できるんだね。 その貯金を使い果たすと敗退となり、その段階で終わりとなる。A氏:君のお孫さんは、うまいのかね。私:このゲームだけは、今のところ、俺のほうが上手だね。 しかし、孫はマンションに住んでいるんだが、同じマンションにいる幼稚園の友達の家に遊びに行くと、その兄がいて、これがゲームマニアらしい。 それを俺の孫は見たり、参加しているので、それでいろいろ知っているようだね。 その兄というのが小学生だが、すでにタンクの「プラチナメダル」を獲得して、もう、あまりそのゲームには興味がなく、別のゲームにこっているらしい。 やはり、こういう直感的なゲームは子どもにはかなわないのかね。A氏:しかし、どんどん、新しいゲームができるね。私:俺のブログの「コンピュータが連れてきた子供たち」でふれているように、頭デッカチになるヴァーチャルゲームは問題も指摘されているせいか、俺の娘は、孫にはゲーム機は買っていないね。 俺の家に来るときだけ、孫はゲームをやる。 それに、できるだけ、体を動かすWiiのゲームをやらせるようにしているね。 Wiiのいいところは、体を動かすことと、老人も参加して家族で楽しめることかね。
2008.08.10
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私:今月で満5歳になる孫が、最近、面白いことをしだした。 毎月、幼児向けの雑誌をとっているのだが、今月はブロックの組立のようなものが入っていたんだ。 それをいつの間にか、自分で組立てた。 雑誌にはいろいろな組立モデルが掲載されていたが、それと違ったものを組立てたね。 しかも、左右見事にバランスがとれて、対称になっている。A氏:ギリシャの建築のシンメトリーというやつかね。私:娘(母親)が、そういえば、レゴでも最近、シンメトリーの組立をするので、レゴ好きの父親も感心しているという。A氏:よく、子どもを自慢する親を「親ばか」というけれど、君の場合は「爺ばか」かね。私:いや、俺はたまたま、孫を見ただけで、他の家の子供でも同じ現象を見たら感心するよ。 そこで母親(俺の娘)は幼稚園の延長保育で、アートというのがあるので、そちらに参加するようにしたようだ。 追加授業料を出すようだがね。A氏:アートというのは正解のアルジグソーパズルと違い、レゴ型なので、右脳の創造性を高めるにはいいかもね。私:こないだ、孫が遊びに来たので、アートで何をやっているのか聞いたら、紙コップをたくさん集めて、その外側にいろいろな色を塗って、なんとかジュースが入っているコップだとかとしたと言っていたねA氏:お互いに自分の子どもを育てるときは、仕事が多忙でよく子どもを観察していなかったが、孫になると比較的、客観的に観察できるね。 孫のほうも祖父母との交流がある。私:それが昔の大家族制時代のよかった点かもね。 多様な大人との接触が重要なことは、和田中学の校長だった藤原校長もそう言っているね。
2008.07.02
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わが子に「お金」をどう教えるか 私:図書館から順番待ちで借りた。 俺の後、まだ、20人くらい待っている。 著者は、小・中・高一貫教育のエリート養成塾の代表で、高度な学力と同時に「謙虚さ」、「創造力」、「豊富な教養」、「マナー」などを身につけさせる独特な指導方法でマスコミでも有名らしい。A氏:子どもにうまい投資方法でも塾で教えるのかね。私:逆だね。 教育をカネで買うような親を問題にしているね。 子どもの個性を伸ばすための教育を強調している。 「お金で買えないもの」を子どもに教えることを重視しているね。 「創造力」「リーダーシップ」などはお金で買えない。 「知識」はカネで買えるかもしれないが、「知恵」は買えない。 「頭でっかち」でなく、文武両道も必要だね。 その意味で、この本のタイトルは不適切だね。A氏:これからの時代の子どもは、カネをかけた詰めこみでなく、子どもの「創造的な才能」を生かすという教育の重要性が強調されている。 これは、すでに、 A WHOLE NEW MIND その1、A WHOLE NEW MIND・その2、「ハイ・コンセプト」、「ハイ・コンセプト」と「ウェブ進化論」との対立、「躍進秋田と和田中の秘密・みんなが見ていると子どもは伸びる」でもふれているね。私:お金で買えないものの追求を目指す子どもの育成が必要で、そのためには、大人がまず、その重要性を教えることが必要だという。 そして、子どもの行動を監視するというより、よく見て、理解することが必要だという。 ゲームも携帯も親がしっかりしていることがポイントだという。A氏:忙しい親は見きれないのではないの。私:絶対時間の問題でなく、やはり、強い子どもへの関心かね。 カネで他人に教育を任せると、子どもへの関心が薄くなるのだろうね。 アンテナを張っていれば、少しのこともひっかかる。 この塾には金持ちの子どもが来るらしいが、面白いことに、親が一代で成功した場合は、教育にやたらにカネをかけ、子どもに小遣いをたくさんやる。 これではいい子どもを育てない。 しかし、老舗の子どもはしつけが厳しく、小遣いもすくない。 財産は、受け継ぐもので、やたらに消費するものでないという考えが徹底しているという。 老舗の子どもで料理も子どもにやらせている家族の例があったね。 そういう子どもは親が留守でもコンビで買ってすますということをしない。A氏:それにしても、今の世の中、大人がカネ、カネだね。 そのために、偽装もやる。 買う方も見抜ける目がない。 偽ブランドにだまされる。 振り込め詐欺にだまされる。私:官僚が、ミミッチくタクシー代をごまかす。 際限なくカネに貪欲な社会が今、破滅に直面しているね。 本物の人間でないと意味ある人生が送れない。A氏:そういう意味で、「コーヒーハンター」の川島氏などは理想的な人生だね。 同じように、今、ときどき、マスコミでも登場するが、34歳のアルピニストの野口健氏なども、学ぶべき生き方だね。 彼の親は外交官だそうだが、まったく別の人生を自ら求めて、社会に貢献している。私:親の教育の違いだろうが、カネのあるなしは教育格差ではないね。 親がカネに負けているか、カネに対して毅然としているかの姿勢の「格差」だろうね。A氏:結局、親の人生が問われるのかね。私:この本で主張していることは、ある意味で常識的なことだが、改めて読んでみると考えさせられるね。
2008.07.01
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A氏:この新聞の見出しを見て、最初、東京足立区の和田中学と遠く離れた秋田とどういう関係があるのかと思ったよ。私:07年の全国学力テストで秋田県の小学6年生はすべての科目で1位、中3は1位から3位という好成績だったことから、秋田県の公立学校の教育方法が注目されたんだね。A氏:その教育方法が和田中学の藤原和博校長(4月退職)のやり方と同じなので、こういう新聞の見出しになった。 和田中学の藤原校長のことは、すでにこのブログの学校教育知的街道で「鼻につく勝ち組の教育論」、東京・杉並区和田中学の夜間塾「夜スペ」耕論、「バカ親、バカ教師にもほどがある・子ども化する大人たち」1、2、3、4で登場しているね。私:「子どもの教育の効果は、かかわる大人の質、量、多様性で決まる」というのが藤原氏の持論で、地域社会の大人と子どもの交流を重視するね。A氏:特に子どもが接する大人の多様性を重視しているという。私:秋田県も同様の方法で地域や大学などを巻き込んだ教育方針が一貫しているという。 塾通いが50パーセントを超える首都圏、中でも東京がトップになると思っていたそうだね。 それが、うれしい意外な結果となった。 やはり、子どもは温室では伸びないんだね。 「頭のよい子が育つ家」のように、立派な勉強部屋があるから、勉強ができるというわけでもなく、できる子は親の目が届いているリビングで勉強している。A氏:これは国際学力テスト・トップランクのフィンランドも「受けてみたフィンランドの教育」1、2や「競争やめたら学力世界一・フィンランド教育の成功」1、2でも述べているように、学校と地域社会との交流が整っているね。私:学校まかせ、親まかせではなく、地域を巻き込んで、子どものために共同作業だね。 教育の成果をあげるためには、共通した現象のようだね。
2008.05.27
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私:今までは、バカ親のケースを13例あげてきたが、次の4ケースはバカ先生のことになる。 まず、ケース1は、私のクラスにいじめはないと、逆切れする教師があげられている。 これは先生のコミュニケーション能力の問題だという。 親は「いい先生=1人の人として高い能力を持つ先生」と思いがちだが、「コミュニケーション能力は低いがいい先生」がいるという。A氏:そういう先生は、親の発言が気に食わないと、すぐ切れるのかね。私:藤原氏は、先生にいろいろあっていいという考えだね。 「ダメ先生」が子どもを成長させないかというと必ずしもそうではない。 学校にも一般社会と同じように、すごい大人もいれば少々さぼり屋の大人もいるような環境---よい面も悪い面も含め、社会全体の価値観が代表される環境---がほしいという。 子どもにとって「大人モデル」は多様であるほうがよく、教育の質は、そこにかかわる大人の「量と質の多様性」できまるという。A氏:一種の「ゆとり」だね。私:ダメ先生のケース2は、反対者を受入れず、とにかく親を自分に従わせようとする校長があげられている。 藤原氏は、これは校長に「対案をつくる」習慣がないときに発生するという。 議論の際、その人が「大人」かどうか判断する基準に「建設的な対案をつくれるかどうか」があるという。A氏:民主党は「大人」かね。私:ダメ先生のケース3は、PTAのアンケートを「それは個人情報保護法に触れるからダメ」といってボツにした副校長のケースだね。 これは一つには根が深い問題で、今、校長をやっているような世代は、過去に全共闘、ウーマンリブ、消費者運動、それに日教組に怯えたトラウマがあるのかもしれないという。 最後のケースは教師の問題というよりPTAの親同志の問題だね。 PTAの役員の問題だね。A氏:PTAの役員を母親がやるときは、専業主婦でないとだめだろうね。私:藤原氏は、「幼稚園組」と「保育園組」と分けているね。 それぞれの親のPTA役員に対する姿勢のギャップは大きいという。A氏:そういえば、2、3日前にテレビで和田中学がPTA役員の簡素化を発表していたね。 そういう流れがあったんだね。私:最後にこの本は教師と親の壁を離れ、親子の壁にふれている。 まず、親の子供時代の社会と今の子どもの社会環境が大きく異なるね。A氏:今の親の子供のときの社会は、皆、同じ方向と価値観を持っていた「成長社会」だね。私:それが今の子どもは「成熟社会」に育っている。 親の世代と同じ生き方はできない。 今の社会は「超コンビニ化社会」だという。 子どもにとっては「生きにくい」世の中だという。 大人は、子どもがこれほどタフな現実を生きていることをもっと理解すべきだと藤原氏は言う。A氏:「成熟社会」で子どもたちが必要とする能力はなんだろうか?私:藤原氏は、「成長社会」で必要とされる能力は、いち早く正解を見つけ出すチカラだったが、「成熟社会」では、個人が自分自身の価値観に照らして納得のいく「納得解」を導き出すチカラが重要になるという。 前者を「情報処理能力」、後者を「情報編集能力」といっている。 そして、ジグソーパズルとレゴの違いだとしているね。A氏:ジグソーパズルは、決まった正解があり、それを解いていく。 レゴは新しい組合せを考えていくというわけか。 右脳時代、1、2とか「ハイ・コンセプト」時代ということだね。私:俺の5歳になる孫がレゴ好きで最近、見事な左右対称のビルを作って親も俺も感心したね。A氏:それは「じじバカ」かもしれないよ。私:基礎になるのは「集中力」と「バランス感覚」だという。 藤原氏は、テレビの弊害に注目しているね。 携帯電話の弊害にも注目している。 「頭のよい子が育つ家」の例をあげ家族のコミュニケーションの重要性を強調しているね。 家族が核家族化しているから、多様な親のコミュニケーションが重要だとしている。 ビジネス界の経験もある藤原氏のそつのない教育論だね。
2008.05.22
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私:海外生活が長い親が学校で教師が英語を教えているところを見て批判するというケースだね。 奥さんは英語塾まで開いているという。A氏:教師は、子どもとの対応が中心であって、こういう特殊な専門的な部分だけで評価するのはどうかね。私:教師も子どもにもまれて成長する。 藤原氏は和田中に来て驚いたのは「教師とは、これほど、生徒のことを見ているものなのか」ということだったという。 子どもが集団で活動していると、比較できる。 ある意味での人間オタク、子どもオタクだという。 親と違った観点から子どもを見ている。A氏:そのような教師の多面的な活動を親は理解すべきだかね。 しかし、それなら、イジメは見破られると思うが、そのオタク教師の目をくぐって巧妙ないじめがあるのかもしれないな。私:ケース10は教師の悪口を学校や子どもにふれまわる親だ。 これは、教師より親が高学歴であったりして、社会的に教師を尊敬していた過去の環境が崩壊してきたことが背景にあるようだね。 教壇が一段生徒より高いのは権威の象徴であったがそれも今はなくなってきている。 だから、教師と生徒や親との間に信頼感がなかったら、教育は成立しないという。 教育とは「信頼を創造する行為」であって、信頼のベースこそがすべてだと藤原氏は強調する。A氏:教育だけでなく、営業も製造も、「信頼を創造する行為」だね。 耐震偽装、賞味期限偽装などは信頼を崩壊させたね。私:商品の性能は代替で保証できるが、教育は先生や教育内容に信頼がなくなったら完全に機能停止する。 それは教育が人が直接伝える作業であり、人から人への直接行為であり、伝える側の信頼が崩壊したらそれで終わりだということだね。A氏:受け取る側も完成品を消費する消費主義の感覚ではダメだということだね。 日本は高度成長時代から、成熟した社会に移行しているのだから、人との付き合いも、白黒でなく、多様な人とうまく接していく知恵が必要なんだね。 そういう知恵をこれからの時代の子どもに身をもって親は示さないと、幼稚な感覚で先生を批判していると、ブーメランのように自分の子どもに返ってくる。私:気に入らない親の子を違う学級にしろとクラス編成に注文をつける親がケース11だね。 クラス編成で保護者の声を聞くことはないという。 藤原氏は、学芸発表会のことを考えてピアノを弾ける子を最低1名を配分したという。 そして、あるクラスに成績がよい子、歌のうまい子、スポーツの得意な子が集中しないように編成するという。 さまざまな能力をもった子が分散して、クラスで張り合ったほうが、子どもの成長のためによいという。 ケース12は担任が「キモイ」という子どもの言葉に同調して担任の交代を要求する親だね。 藤原氏は、先生が一生懸命にやっているのに、こういう問題が発生するのは、社会全体のコミュニケーション能力低下が起きているからだという。 お互いに突っ込んだ議論をしないで、「キモイ」などという自分の気持ちだけを基準にしてものごとを考える「自分の気持ち至上主義」がゆきすぎているという。 「大人の視点」がない。 だから、学校の方も過剰な自己防衛に陥る。A氏:「いじめは当校ではゼロだ」という非常識な発言をする校長が出るようになる。私:ダメ親のケースの最後である13は、自分の子どもの言うことを鵜呑みにして教師を責める親だね。 フィンランドの例をあげているね。 フィンランドで「平等な教育」は「特別な支援が必要な子どもには専門の教師が少人数クラスで教える」ことを指すという。A氏:フィンランドは留年が多いというね。私:きちんと履修するのが「平等な教育」だと親が理解しているんだね。 ケース14は、毎晩、子どもの様子を先生に電話をかけて報告させる親だね。 これには、先生のほうで受身でなく、メールの使用などで、コミュニケーションを積極的にとる方法を提案しているね。 明日は、バカ先生についてふれよう。
2008.05.21
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私:ケース5は、いつも遅刻する児童の親が心配する先生に子どもを起こしに来てくれという親のことだね。 和田中の場合、朝、来ていない子には家に電話する。 それは中学の教育は、義務教育だから、親だけではなく学校も「教育を受けさせる義務」を負っているからだという。 しかし、親から「先生に起こしてきてほしい」と言ってきたら、、生徒を指導する前に親を諭すという。 ケース6は、「あの子を登校停止にせよ」といきなり教育委員会に匿名で要求する親だね。 藤原氏は、先生、校長と相談して埒があかないときは、教育委員会に要求するのは一つの方法だと言っているね。 子どものためならね。 ただし、あくまで「まともな親」の場合だけだという。 ケース7は塾の模擬試験があるから学芸会の日程を変えてくれという親だね。 この親はPTAでもリーダー的な存在だという。A氏:学芸会は教育課程に入っているから、出ないと欠席になるね。私:これと同じように、私立の高校入試が迫ってきたとき、「1月から学校に来なくていいか」という親があるという。A氏:私立は受験科目が国数英の3科目であることが多いからね。 それに集中したいのだね。私:ある程度、内申点を捨ててまでして私立受験を賭けたいというのを、本人と親が選択するなら、それでよいと藤原氏は言う。 学校は欠席扱いは同じだがね。A氏:融通の利かない学校は学校希望選択制では選ばれないのではないの?私:学校を「希望」して「選択」したら「責任」が発生することを学校は親にはっきり言う必要があるという。 選択できる「自由」の行使には「責任」がセットだということを親がきちんと理解すべきだという。A氏:大人の常識だがね。私:面白いのは、入学式や卒業式を平日にやるのは、教育委員会の要望だという。 理由は区長以下の「エライ人」、役所の課長級以上の人が挨拶に来るからだという。 和田中は、今年から休日にしたという。A氏:そうすれば、子どもの晴れ姿を見たい親が参加しやすくなるね。私:ケース8は卒業アルバムを見て、親が子どもの写真が少ないと苦情を言ってきたケースだね。 藤原氏は、写真が多い少ないは「運」だという。 写真の数のような小さなことまで「みんないっしょ」は不可能だという。A氏:アルバム代を返してくれとなるかね。私:教育はスーパーやデパートに並んでいる完成品を買うような感覚でとらえるべきものではないという。 商品を買うときのような「あっちの品物がよかったのに、こっちのをつかまされちゃった」という消費者感覚は教育には通用しないと藤原氏は言う。A氏:消費社会の行き過ぎで、自分の思う通りの商品でないと、「気に入らない」「交換しろ」という感覚がしみついているのだね。 教育も市場原理主義で扱うというのは問題だね。私:藤原氏は、「公教育は産業ではない」ことを強調している。 第一に、子どもの生活習慣の定着、基礎学力の習得、部活による人間関係能力の育成や人間形成という手間やコストがかかる仕事では採算がとれず、経営はできない。 第二に、生徒がイヤでも教育では、強制によって反復したり、習慣化したりすることによって身につけていくものがたくさんあるという。 明日は、「エリート親」のケースからふれていこう。
2008.05.20
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私:久しぶりに、3泊4日のわたり旅をしてきたよ。 それで、ブログのアップが遅れた。 旅先で君と電話して書いていたブログ3日分を今日まとめてアップするよ。 この本の著者藤原和博氏は、リクルートの民間企業出身で東京の和田中学校校長になった異色の教育者だ。 川端裕人氏は作家であり、子どもを持ち、PTA活動もしているという立場から、どちらかというと聞き手として登場している。A氏:バカ親というのは、どういう親かね?私:ケースを13あげている。 ケース1は「うちの子のために、サッカー部を作ってくれ」という親だね。 しかし、部の顧問は先生が必要だから、教育の場である学校は、教務中心に教員配置をするので、部活を優先にできない。A氏:顧問の先生なんか必要ないんじゃないの?私:単なる遊びと違い、部活となるとケガなどが発生したりしたときの管理が問題になるね。 「たかが部活」というわけにいかない。 それにある程度、生徒数が集まる必要があるね。 子どもにとっては、望む環境をすべて整えてあげたほうが、よいかというと、肝心なのは集団のなかでもまれることで、強くなろうというチカラが引き出されるということだという。 「子どものためになるか」という視点から考えるべきかね。 ケース2は、ある子どもが上履きを忘れたので、靴下のまま、学校の廊下を歩いていたのをたまたま、PTAに来た母親が見て「学校はなぜ、スリッパを貸さないのか」とクレームあったというものだね。A氏:先生はこらしめのためにスリッパを貸さなかったのかもしれないね。私:和田中では、あらかじめサイズの違う上履きを何足か買いそろえてあるという。 月曜の朝などは、必ず、1人か2人は借りにくるという。 その理由は、まず、衛生の問題で、靴下のままでトイレなど行っては問題だね。 次に、安全の問題で靴下で歩いて転んでケガをしたら子どものためにならない。 その点、スリッパは滑りやすいからなお危険だね。A氏:こないだ、相撲部屋で竹刀でのしごき問題があったが、こらしめのための手段が安全や衛生面で問題を起こすような方法では、教育の方法としては子どもや弟子の真の成長を考えていないのだね。 母親もスリッパ履きなどという家庭の延長のように学校生活を誤解しているね。私:ケース3は、校則を守るのは生徒の自由だから、守らなくてもいいという親だね。A氏:自由と責任のバランス関係かね。私:藤原氏は服装や髪型などを自由にすると、中学生時代は「カッコよくしたい」「カワイイと見られたい」ということが気になる年頃だから、それに時間をとられるという。 校則があるとそんなことを考えなくて、「学習」と「部活」という、中学生が学校でやるべきことに集中できるメリットがあるという。 「自由であること」イコール「居心地がよいこと」では決してないという。 ケース4はクラス担任の先生の「アタリ」「ハズレ」だね。 新任の先生は親が嫌い、「ハズレ」と思う。 藤原氏は「ハズレ」の担任にあたったことが、子どもの人格形成に悪い影響をあたえるかどうかは別問題としているね。A氏:中学では、教科別に先生が違うので、多くの先生に接するからあまり問題がないのではないの?私:傷を受けることもない、試練もない環境では、子どもの成長は停止する。 だから、すばらしい先生にあたることが、ほんとうに「すばらしい」か疑問だという。 すばらしい先生の場合、生徒の間に絶対的な「支配-被支配」の関係に陥ることがあるからだという。A氏:「滝川コミューン」1、2の片山先生がそうだね。私:ケース5は、親が教育を商品の選択のように考えていることからくる問題を扱っているね。 藤原氏は、これを「消費者市場主義」と呼んでいる。 明日は、そのケースから考えよう。
2008.05.19
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A氏:小国だから、世界を相手にするので英語教育も重視しているだろうね。私:著者は、日本の高校2年生のときにフィンランドに行ったので、日本ではすでに英語をかなり勉強している。 それに著者の母親は英語の翻訳家だ。 しかし、フィンランドの英語教育が日本と全く違うことに驚く。 まず、フィンランドでは授業は先生もフィンランド語でなく英語でやる。 そして、英語でエッセイを書かせる。 宿題もテストもほとんどエッセイ。 自分の考えがないと英語の勉強にならないというわけだね。 それに、英語ばかりではないが、フィンランドは「勉強する」というのは「読書する」と同じ意味らしく、読書が課題の中心になり、読むと自分なりの感想文を求められる。A氏:英語の勉強というより、英語を道具に使っての自己表現の学習だね。 日本にはそれがほとんどないね。私:この本で新しく知ったことで驚いたことは、フィンランドの若者の人生の決め方が、じっくり時間をかけて自主的にやるなことだね。 フィンランド語には「ヴァリヴォシ」という言葉があるそうだ。 日本語に訳すと「休憩する年」、「猶予期間」というような意味だという。 高校を出て、休む時間を何年かかける。 日本の浪人のようなものでなく、友達と遊んだり、仕事を少ししてみたりして、やりたいことを探す時間だという。 だから、高校を出てすぐ、大学にストレートに行くのは珍しい。 男はその「猶予期間」に兵役につくことが多いという。A氏:そうすると、大学生の年齢は高くなるね。私:学生のほとんどが20台半ばから30代で、中には兵役を済ませた人もいるという。 要するに、自分の進む道を自分で選択し、決心してから、適切な大学なり専門学校を選ぶわけだね。 そして就職する。 だから、フィンランド人は日本の「新卒」「中途採用」という言葉を理解できないという。 そういう社会だから中学校の「留年」も平気なんだね。A氏:日本では自分の進路は、早くから親や先生で決められていくことが多い。 早ければ、小学校3年くらいから、私立中学にするか、一貫校にするかを決めなくてはならない。 小学生は決められないから、親や先生が決める。 そして、中学から試験があるから、小学生から塾がある。 皆、「押し付け」システムだね私:フィンランドは中学受験がないから、塾はない。 それに学校で集中的に学ぶから、子どもは学校以外で勉強するのを好まない。 どうも、日本の場合は、「教育」は「国民としての能力向上」だが、フィンランドは「創造力ある個人の能力向上」が「国民としての能力向上」になるという考えのようだね。 特に、これからの時代で世界市場が求めるものは知的な創造力が中心になるからね。 面白いのは数学のテストに持ち込むものは2つあり、筆記用具と計算機だという。A氏:計算機を持ち込んでは数学のテストにならないのではないの?私:要するに、フィンランドの高校では、計算がどうのというより、計算機を使いこなしながらいかに考えるかという点に重点を置くようだね。 逆に、フィンランド人は暗算が苦手だという。A氏:しかし、インドの2桁掛け算の暗算も、実は単なる暗算が目的でなく、数字に自発的な興味を持たせるという点で、日本の暗算の教え方は特殊かもね。私:この本では、ところどころに母親側から一般的な解説がある。 一番、知的興味をひいたのは、母親の立場として著者(娘)がこの1年のホームスティで何が変わったかを語っていることだね。 AFSでは原則として留学先に親や親族や友人が訪問することを禁止している。 だから、1年の完全の空白をおいて親子が顔を合わす。 そして母親が気がついた変化は、まず娘の話し方が「論理的になったこと」だという。 文章も「人に理解してもらえるように文章を書こう」という意識が芽生えたことだという。A氏:何か、基本的な社会的なインフラや人間観からして、フィンランドと日本の教育は、そのベースとなるものが大きく違うね。私:PISAの順位をあげるには今度の中教審の授業時間の増加という小手先の対策はフィンランドのやり方をどう評価したのか知らないが見当はずれな気がしてきたね。
2008.02.22
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私:知的街道は「フィランド教育」だね。 この本は、2004年から2005年にかけて約1年間、高校2年生の著者がAFSという国際的な教育交流団体を通じて、フィンランドの高校に留学した体験と、2年後の2007年に母親と再度、訪れた話をまとめたものだね。 A氏:例のPISAで常に上位のフィンランドを選んだというわけかね。私:それが全く違うんだね。 著者は、個人的にヨーロッパに関心があって、たまたま、申請した国がフィンランドというだけで、2003年にAFSの審査をパスする。 ところが、翌年、出発する頃までには、フィンランド教育がPISAで有名になる。 日本は2003年の調査で順位を大きく落とし、教育の見直し論争が始まり出す。A氏:日本では「ゆとり教育」だね。 しかし、その後の2006年のPISAでもまた順位を落とし、教育の見直しが叫ばれ、最近、授業時間の増加など、中教審の方針転換となっているようだね。私:この本が貴重なのは、1年間のフィンランドの高校生活の実体験が語られていることで、今まで、俺が得てきたフィンランドの教育内容とは違った貴重な情報を得たね。 まず、第1にフィンランドの学校教育は「教」を重んじて「育」はあまりかかわらない。 親も学校に「育」は期待しない。A氏:それはどういう意味?私:日本の学校では生徒は先生にときには親代わりになり、あるときは、友だちのように接してほしいと考える。 親もそれを期待する。 日本の先生は生徒の格好をあれこれ注意する。 学校に5分遅刻するとその理由をしつこく聞く。A氏:日本型は金八先生だね。私:しかし、フィランドの先生は「教」に徹しており、「教」のプロとして期待されているだけだ。 だから、先生はあまり高給でないのに、尊敬される。 しかし、私生活までの尊敬ではない。A氏:日本の先生は親が給食費を払わないと、夜遅くまで家庭を訪問して督促する仕事までやる。私:それにフィンランドの先生は押し付けはしない。 いかに生徒が授業に自発的に興味をもって集中できるかのテクニックに磨きをかける。 だから、日本のような指導要領による画一性は少なく、先生の自由度が高い。 生徒も「学校は勉強する場所」という意識をもっているという。A氏:「落ちこぼれ」はどうしているの?私:留年するだけだというから、留年が多い。 著者がホームスティした家族にほぼ同じ世代の3人の男の子がいたが、次男は中学を2年留年、3男は1年留年だったという。 しかし、親は無理に学校に行かせたり、「勉強しなさい」と言ったりいうこと絶対ない。 著者はそれに驚いたという。 掛け算だって割り算だって小学3年生までに完璧でなかったら「落ちこぼれ」ということでなく、10才歳でも11歳でも時間をかけていいから完璧にしようという考えだという。 「留年させてでもおちこぼれを作らない」という基本理念だね。A氏:日本では6歳で小学校、12歳で中学校、15歳で高校、18歳で大学、22歳で就職という画一的な年齢がひっかかってくる。私:就職にも年齢がひっかかってくるからだね。 しかし、フィンランドは年齢よりも経験が重視される。A氏:要するに、「個」の重視だね。私:フィンランドは小国だね。 だから、隣りの大国とつきあっていかなくてはならない。 教育は「国民」というよりも「個」を重視した教育だという。 明日は、フィンランドの英語教育と若者の職業選択についての著者の体験にふれよう。
2008.02.21
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A氏:俺は朝日新聞では、毎週月曜夕刊の「池上彰の新聞ななめ読み」が面白くてよく読んでいるよ。私:俺も読んでいるよ。 池上氏は以前にNHKの子ども番組で、時事問題をわかりやすく説明していたね。 民間テレビのコメンティターとしても出ているね。A氏:君の昨日のブログで思い出したんだが、2月4日の「池上彰の新聞ななめ読み」で「子どもの学力、下がったの?」というのは面白かったね。私:例のOECDの学習達成度調査・PISAで前回より順位が下がり、マスコミで「日本の子どもたちの学力がさがった」という大騒ぎに疑問を呈しているね。A氏:3つの分野を正答率と順位で比較すると次のようになるという。 この表は俺が作ったんだがね。分野2003年度2006年度正答率%順位正答率%順位「読解力」62146015「数学的リテラシー」5665310「科学的リテラシー」602606 これを見ると、正答率が少し下がったか、横ばいで、「日本の学力が大きく下がった」と大騒ぎすることはないというわけだね。 順位が下がったのは、2003年の時の参加国が41の国・地域、今回が57と16増えたことだね。私:だから、「読解力」の順位が1つ下がったのは、今回新参加のエストニアが日本より上位に割り込んだこと。 「数学的リテラシー」は、これも初参加の台湾とエストニアが日本より上位に割り込んだこと。 「科学的リテラシー」については、池上氏は解説がないが、まあ、「学力が落ちた」という誤解には正答率の変化を示すだけで十分だろうね。 順位は相手があるからね。A氏:だから、正確には「学力が落ちた」ではなく、「順位が落ちた」というわけだね。 面白いことに、この記事が出た4日後の朝日新聞の朝刊で、「私の視点」というコラムで「学力向上 教師の承認力と質問力」でという見出しで学習コーチアカデミー主任研究員佐々木宏氏の意見が掲載されていた。私:俺も読んだが、出だしが「日本の学力低下に歯止めがかかっていないことに、不安の声があがっている」だね。 出だしから、間違った事実で意見を言っていることになる。A氏:ところで佐々木氏は、PISAの結果を受けての文科省の「ゆとり教育」の見直しには疑問があるとしているね。 教える教科の時間の「量的」な枠組みを変えただけでは効果は期待できないという。 授業時間を増やすだけではダメということだね。私:「質的」な面に焦点を絞るべきで、そのために教師の側に「育む」技術が体系化されることが必要だという。 それが「承認力」と「質問力」だね。 「力」がついているから、「能力」だね。 正確には「承認能力」、「質問能力」だね。 「承認力」とは、子どもたちの答えが間違っていたとしても、それを承認する力だという。 「質問力」とは、子どもたちに思考過程を問いかける力だという。A氏:それはもっともな正論だが、そのように子どもに接するとすると「教える時間」がかかるだろうね。 昨日のブログのように、教育現場が限界のときに、さらに、教師に負担をかけることになるだろうね。 教育現場がいろいろな負荷によって、限界を超えて足もとから崩壊しないように望みたいね。私:11年から「ゆとり教育」からの転換が始まるという。 俺の今、幼稚園にいっている孫はその教育に巻き込まれることになる。 そのまた、見直しが出ないように、コロコロ、教育方法が変わらないように願いたいね。
2008.02.10
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A氏:旧聞になるが2月3日の朝日新聞の「耕論」欄を読んだ? 東京・杉並区和田中学の夜間塾「夜スペ」の問題を扱っているね。私:俺も読んだよ。 この日曜のコラムは、基本的に3人の立場の違った人が登場するね。 俺はこの「夜スペ」問題は子供の教育問題の知的街道から興味を持って読んだよ。 それに加えて、「大学の先生の思考パターン」と「現場で実際に活躍する人の思考パターン」の違いがくっきり出ていて大きな知的興味をひかれたね。A氏:大学の先生というのは国際基督教大学の藤田教授。 現場で活躍する人というのは、和田中学校長の藤原校長。 それに、塾の経営者で小学校の数学を学校と連携して教えている菅原氏だね。私:藤田教授は、中学校の高校受験については学校の授業と家庭学習だけで対応できないことはないはずだといっているね。 「先生が忙しければ増やせばいい」と言い、藤原校長のやり方を批判している。A氏:先生の増員は国の予算がからむ。 文科省も赤字財政を抱えている財務省といろいろ交渉してようやくある程度の増員にこぎつけた。 どうも藤田教授の意見は、理想論だけの評論家的意見だね。私:藤田教授は、米国の教育者カミングスが70年代の日本の教育の平等さを評価していることを引用しているが、なんでこのような古い評価と外国人の評価を出してくるのかね。 問題なのは、「日本の」中学校で勉強している「今の」中学生の現実問題なのにね。A氏:藤原校長は、現場で起きているできる生徒の「ふきこぼれ」現象、すなわち、優秀な生徒の放置を問題視して、その解決で行動しているんだね。 「落ちこぼれ」対策は熱心だが、「ふきこぼれ」対策は放置されている。 「夜スペ」はそれに対する藤原校長の挑戦だね。私:同校長は、この問題のインタビューの最後で 「批判するなら具体的な対案を出してほしい。 僕らは現場で実践と挑戦を重ねている。 観念論や理想論だけで教育を語っても子供のためにならない」 と言っているね。A:理屈だけ言う人に対する痛烈な皮肉だね。私:やってみると、できる自信をつけた子が自然に仲間を教えるようになったという。 英語が苦手な子も変わり、杉並区の学力テストの順位が跳ね上がった。 上位の一部が伸びたのでなく、生徒全体が上がった結果だという。A氏:理想的な方法ができないと言って、手をこまねいているのでなく、次善の策でも実践していくと、先が開けてくる。 「案ずるよりも産むが安し」ということか。 これが現場の行動的な実践者の思考パターンだね。 理想論を言って最初からブレーキをかけても仕方がないね。私:菅原氏も現場で活動しているので、習熟度別教育は教師の人数を増やさないと難しいと言っているね。 そして菅原氏は現場に入ってみて「教師の忙しさ」に驚いたという。 これは俺のブログでも「先生ヘトヘト」としてとりあげたね。 勉強を教える以外のことが多すぎるという。 「教育現場は限界にきている」のではないかとすら感じるという。 中教審では、「ゆとり教育」見直しで、授業時間を増加するという。 ますます、先生は多忙になる。A氏:教師が一生懸命授業をしても、入試までに学習内容が終わらないというのが現実。 だらか、学校の授業だけでは入試に対応できないから塾に行かざるを得ないという。私:学校と塾が対立するのでなく、分業しながら、子どものために協力していくことが重要だね。A氏:和田中学校はさらに地域社会との連携があるね。私:俺は地方の格差問題で「基本ケースで学ぶ地域経済学」という本をボツボツ読み出したんだが、フィンランドの地域経済の活性化はものすごいね。 教育だけではないね。 フィンランドの「オウル・モデル」というのがあり、地域活性化のモデルになっている。 オウル市というのは首都ヘルシンキからかなり離れた地方都市で大阪みたいな地理的な位置にあるね。A氏: フィンランドでは大阪が元気なわけだ。私:そしてフィンランドは「オウル・モデル」をヒントに、人口520万人の小国に22もの各々の地域に根ざしたサイエンス・パークを作っているという。 そういう地域活性化の国家戦略のバックがあって、フィンランドの教育がある。 日本は地方が疲弊する中で、困難な教育再建に挑戦を続けなくてはならないね。
2008.02.09
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私:要するに、フィンランドでも基礎的な「読み、書き、ソロバン(計算)」は一律に教えるが、後は、本人の知的な興味を引き出しいく支援をすることがポイントだね。 だから、教室では子どもは自由に動いているという。 A氏:アメリカのゼロトレランスのやり方とかなり違うね。 フィンランドは移民が極めて少ないからかね。 しかし、子どもの個性を伸ばしていくとなると、先生の力が重要だね。私:フィンランドでは、教師の職は社会的に尊敬されており、人気が高い。 多くの高校生が志望する、一、二位を争う職種で狭き門。 能力と意欲の高い教師を得ることができるとともに、その教育方法も自由度が高い。A氏:給食は無料だそうだね。私:給食は食事の指導というより、福祉の立場からでカフェテリア方式だそうだ。A氏:そうすると「残すな」「好き嫌いを言うな」というような小言もいらないね。私:ところで、PISAによる学力測定には背景があるね。 OECDは、1968年に教育研究革新センターを創設して教育問題に本格的に取り組む。 ヨーロッパ経済の大きな流れの中で、教育は「明日の市民」を作ることだと解釈されるようになる。 その立場からすると、従来の伝統的なカリキュラムに対する高得点は、生徒間の創造性、批判的思考、自己の存在意味という他の重要な面を犠牲にして達成されているという見方になるね。A氏:アジア型の禁欲的な詰め込み教育が子どもや青年の生きる自信、すなわち、自己の存在意味をなくさせ、かえって害になるという判断だね。私:そこでOECDは、教材の知識の習得よりも、社会に出ても使える力を測定することを始めた。 この「社会に出ても使える力」を「コンピテンシー」といっている。 直訳すると「能力」だが、「社会に出ても使える力」という意味があるね。A氏:その能力測定のためにPISA調査が検討されたのか。私:だから、PISAの結果は、単に子どもの学力だけでなく、「社会に出ても使える力」の測定結果だから、子どもが成長したときのその国の経済力にも関係することになるね。 この能力を測定可能な形に置き直したのが「リテラシー」だという。 「知能」やIQを測定する「知能検査」に似ているね。A氏:PISAの背景には、ヨーロッパ諸国の経済戦略があるんだね。私:2000年のEUサミットでは「2010までにヨーロッパを最も競争力があり躍動的な知識基盤経済にする」という目的が設定される。 教師の役割は記憶するための知識の提供でなく、生徒が「コンピテンシー」を作り上げるプロセスを助ける者に変わる。A氏:フィンランドは、そのヨーロッパの合意の先端を走っているんだね。 単に、学力の番付争いではないわけだね。私:PISAが想定している「コンピテンシー」には次の3つがあるという。 第1は、子どもが意欲と将来希望を持ち、社会と自己の状況を批判的にチェックしながら総合的にいろいろな能力を働かせるもの。 第2は、子どもが他の者とのダイナミックな関係で作られ、発達され、発揮されるもの。 第3は、学んだ知識や技能が社会にとってまた、自分にとってどのような意味があるかをチェックして、自分の人間観や世界観を変革し、それを自己表現し、他者と交流するもの。A氏:学力競争という発想はないね。私:新聞の「学力低下」とか「学力不安」というのはある意味、PISAの趣旨からして見当はずれだね。A氏:「コンピテンシー」が描いている能力は、個人の創造力がベースになるから、「ムラ社会」型の日本人としては不得意な能力ではないのかね。私:しかし、これからの先進国型の経済力を向上させるためには、そうは言ってはいられないだろうね。 「ゆとり教育」はそれで始めたのだろうが、急にやめたりして、文部科学省の「コンピテンシー」が問われるという皮肉な結果になっているね。 従来型の秀才のお役人のPISAは世界最低点になりそうだね。
2007.12.29
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私:この本は、学校教育の知的街道の一つだね。 孫の教育に関係して興味を持った街道だね。 「学校再生の決めて」(アメリカの事例から学ぶ)・ゼロトレランス、「イジメとゼロトレランス」、「たけしの日本教育白書」を見て、「頭のよい子が育つ家」、「たけしの教育再生2」、「高校生学力テスト結果」、学力テストと日本語、朝日新聞「教育再生を考える」・先生ヘトヘトと学校選択制実施結果データ、学力テストの偽装、「鼻につく勝ち組の教育論」、「平等社会 フィンランドが育む未来型学力」、「教室の悪魔・見えない「いじめ」を解決するために」、「フィンランドの子、なぜ優秀」、などと続いた。 12月6日の朝日新聞の「フィンランドの子、なぜ優秀」の記事で、たしか、この本が引用されていたように思う。 そこで図書館から借りたよ。 かなり詳細に教室風景などの多くの写真を含めてフィンランドの教育を説明しているね。 俺は教育研究の専門ではないが、いろいろ参考になったね。 フィンランドの有力紙では『PISAはアングロサクソン中心主義だ』と批判しているとあったが、この本を読んで大体は理解できたね。A氏:PISAはOECDの「生徒の学習到達度調査」の略だね。 従来の学力テストと違うようだね。私:正解が一つあるという学力テストでなく、「ある知識をもとにこれを主体的に使って、何を構成していく能力、また、ある興味から必要な知識を探し出す能力のテスト」とでも言ったほうがいいのかね。 こういう考えがアングロサクソン的なのかね。A氏:「考える能力」のテストになるのかね。 「バカの壁」の養老孟司氏がどこかの本で書いていたが、氏が東大医学部で教えていたとき、学生から当時のオーム真理教でインドから来る行者が水中で1時間正座するのを見に行かないかと誘われたという。 人は水中に5分程度しかいられないという知識が生きていないのに驚いたという。 そして、解剖実習で学生がナイフを相手を突くように水平に持つのにも驚いたという。 「考える力」のテストでなく「知識だけのテスト」で東大まできたんだね。A氏:大学生で分数ができないのと同じ現象だね。私:学習理論は歴史的に「客観主義」から「社会構成主義」に発展してきたという考えが根底にあるようだね。 「客観主義」とは、例えば、子どもの外に知識体系がある。 これを子どもの中に程度の低いものから順番に積み上げていくという学習の考えだね。 学ぶ子どもの内部状態には無関心だね。A氏:先生はその知識体系を順々に、計画的に、効率よく教えていくことになるね。私:この「客観主義」の欠点は、知識や技能の習得だけが学習の目標となってしまい、応用や創造が軽視され、真の学習力の形成に失敗することだね。 さらに、唯一正しい知識が存在すると錯覚して、それを暗記したり、盲目的に信じたりさえすればよいということになるね。A氏:なるほど、「詰め込み主義」はそこからくるのか。私:知識は必要なことは同じだが、子どもの主体性にそって、吸収させることがポイントなんだね。 押しつけでなく、子どもに興味を持たせ、学習意欲を持たせるように、先生、家庭、地域コミュニティが支援することがポイントだね。 「頭のよい子が育つ家」で、優秀な中学生が自分の勉強部屋でやらず、本人が自主性があれば、トイレでも勉強する。 これが「社会構成主義」の学習理論から出た考えのようだね。 この本では、厚生労働省が2004年に出した報告書では「ポスト工業社会では、さまざまな資質と才能を持った個人が、その能力を発揮することが経済活動の源であり、個人の多様な資質や才能を発見し、伸ばしていくことが教育の役割である」とあるという。A氏:文部科学省はお株を取られてしまったね。私:さらにこの報告書では「ポスト工業社会では、「地域や家庭における世代交流や体験・実践の機会を豊富に用意することによって、再び、『学ぶ』こと、『遊ぶ』こと、『働く』ことを一体化させていくことが重要である」と述べているという。 フィンランドでは、子どもは『遊ぶ』ことも『学ぶ』に通じているんだね。 『遊ぶ』にも「考える力」は必要だからね。 だから、学校で『学ぶ』時間が少なくても、「考える」力は伸びるんだね。A氏:君がはまっている任天堂のWiiなんてゲームはまさに、ポスト工業社会にふさわしい商品だね。私:明日は「学力」と「コンピテンシー」という考えを検討してみよう。
2007.12.28
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私:近くに住んでいる孫が、こないだ、初デイトしたというんだよ。A氏:確か、5歳で幼稚園の年中組だったね。私:そうだよ。 同じ組の女の子と映画を見に行くことになったという。 両方の母親同伴だがね。A氏:何の映画?私:それが「プリキュア5(ファイブ)」という女の子向けのアニメ映画だね。 テレビで毎週日曜日にやっているらしいが、それが映画になったので一緒に映画館に見に行こうとなったらしい。A氏:そう言えば、日曜日の朝日テレビの朝7時から9時までは、子供向けのアニメ・オンパレードだね。 恐竜キング、ゲキレンジャー、仮面ライダー電王、プリキュア5と4番組が連続だね。 しかし、君の孫が男の子なら、恐竜か、ゲキレンジャーか、仮面ライダーではないの? なんで、女の子向けのプリキュア5が好きなんかね。私:分からないんだね。 俺なんかはフジテレビの「ゲゲゲの鬼太郎」をすすめるのだが、嫌だと言う。 キャラクターグッズもプリキュア5のものをほしがって買ってくるね。 俺の家に遊びに来るときに自慢げに見せる。A氏:恐竜、ゲキレンジャー、仮面ライダーは俺でも想像がつくが、プリキュア5のファイブというのは、何かね?私:女の子が5人いるんだね。 俺も孫とのつきあいでプリキュア5の5人の女の子の名前を覚えてしまったよ。 それにペットみたいなココとナッツというのもあるのも覚えてしまった。 テレビアニメは全く見ないがね。A氏:ゲイ的な兆候かね。私:俺の女房も心配しているね。 俺も孫を冷やかすんだが、孫は笑っているだけだ。 母親は、「きらびやかなものが好きなんで、心配要らないと思う」と平気だがね。 確かに、男の子が好む玩具でも喜んで遊んでいるね。A氏:美的感覚がちがうのかね。私:昨年の年少組のときも仲の良い女の子がいて、「手紙を出すのだ」といって、メモ用紙のような紙に、なんかわけのわからない絵みたいなものを描いて、封筒に入れて渡していたという。 その女の子の母親が「ありがとう」と言って返事の手紙みたいなものを渡したという。 しかし、手紙を出すというのは、パパやママや俺にも出すと言って、封筒に何か書いたメモを入れていたから、特に俺たちの時代のラブレターという感覚ではないようだね。 クリスマスでサンタクロースに手紙を出すというのも同じだね。A氏:ところでお孫さんの初デイトは無事終了したのかね。私:それがハプニングだね。 かなり前から約束していたんだが、当日、女の子の方が風邪をひいて熱を出したらしい。 別の日にしようとかということになったが、女の子は無理してでも行きたいという。 そこで同じ電車で映画館に向かったんだが、女の子は車中で吐いてしまった。 結局、女の子は母親と家に戻り、孫はしかたなく母親と映画を見ることになってしまった。A氏:初デイトは苦い思い出かね。私:そのほうが後でいい思い出になるかもしれないよ。 まぁ、これから将来、どういう学校生活が待っているのだろうね。 日本の学校教育はフィンランド式になるのだろうかね。 世界が大きく動いて、日本がそれに巻き込まれている時代だね。 俺たちはどこまで見届けられるかだね。 今年96歳で元気に活躍している聖路加病院の日野原重明氏は 「長生きするのは、いいことばかりだけではない。 嫌なこと、苦しいことも見なくてはならない。 長生きには我慢や忍耐力が必要だ」 と言っていたが、今の日本を見ているとそうかもしれないね。
2007.12.07
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私:こないだ発表されて問題になった学習達成度調査(PISA)で日本の成績が下降気味でまたマスコミが騒いでいるね。 昨日の朝日新聞の時時刻刻欄でも「学力不安さらに」という見出しで扱っていたね。 PISAは3年ごとに行われるが、前回の03年で「読解力」で一挙にベストテンから陥落。A氏:「PISAショック」だね。 それでいろいろ教育界でも対応し出したが、3年後の今回の調査では改善効果は見られていないようだね。 文科省は前回の結果を受けてとった対策がまだ、道半ばだという。 今が底で、回復するだろうという見方だね。 しかし、日本は得点分布が広がっていて、底上げが必要だという見方もあるね。 親の格差の影響かな。私:昨日の新聞の社説でも今回のテスト結果から、日本の子どもの2つの特徴が言えるとしているね。 1は学力の低い層の割合が多いということ。 2は考える力が弱いこと。 1については、学力の底上げが必要だと言っているね。A氏:「読解力」は「読む」だけでなく、それに基づいて「書く」ことが要求されているようだが、日本の教育現場では「書く」が弱いらしいね。 フィンランドの子は書いて間違っているが、日本の子は書かないで間違っているという。 昨日の新聞では韓国が「読解力」では、フィンランドを抜きトップになったというね。 得点分布を見ると日本に比較して低得点層がすくないという。 そして、韓国の教育人的資源省(日本の文科省にあたる)は「読書教育」の成果だと強調しているという。 しかし、韓国では大学入試に「論述型」が導入され、この対策の学習塾が林立して、読書ブームだという。 親が教育熱心なお国柄だからね。A氏:しかし、韓国は「科学的リテラシー」では一挙に11位とベストテン落ちだね。私:これは今回限りの「特殊要因」だと教育人的資源省はみているようだね。A氏:今朝の朝日新聞の「もっと知りたい」欄で「フィンランドの子、なぜ優秀」という見出しで、フィンランドの教育を扱っていたね。 3回にわたって安定してトップクラスを維持しているフィンランドに焦点が集まったね。 君はすでにブログで「平等社会 フィンランドが育む未来型学力」で扱っているね。私:フィンランドは教育インフラがしっかりして地力があるからね。 税金は高いが、教育費、給食費は無料で、親の経済力によって勉強できないことがないから、日本のような低得点者が全体を引き下げることはない。 フィンランドには塾がないからね。 教員数も日本の倍だという。A氏:君の「平等社会 フィンランドが育む未来型学力」によると、まず、教師の質が高い。 地域が教育に参加している。 子どもは学校が終わると塾でなく、地域の活動に参加する。 家族も祖父代までが教育に積極的参加している。 親は夕飯を子どもと一緒に食べる。 皆、日本と教育インフラが違う。 小手先の勝負では負けだね。私:フィンランドは、「徴兵制」があるね。 合宿してそこで人としての独立性が育成される。 東国原宮崎県知事が自衛隊に入隊が必要といっていたのもわかる気がするね。A氏:フィンランドは90年代前半には国はほどんど破綻状態。 その危機を脱するために人材を育成する方針を必死に打ち出してきたんだね。 「米俵百俵」だね。私:昨日の朝日新聞の社説では、「単に授業時間を増やしただけではどうしようもないことを文科省も承知のはずだ。 応用力が問われているのは、文科省もまたしかりである」と皮肉っているね。 授業時間数はフィンランドと日本とは変わらないというね。 もっとも当のフィンランドの有力紙では「PISAはアングロサクソン中心主義だ」と批判しているそうだがね。A氏:ところで例のユニークな教育を展開していた東京都杉並区立和田中学校の藤原和博校長が退職し、後任もリクルートから採用するらしい。私:今後の活動は未定だというが、このような人にもっと幅広く活躍してもらいたいね。
2007.12.06
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私:2,3ヶ月くらい前に、近所の家電量販店に行ったら、Wiiを売っていた。 近所にいて遊びに来る孫のためにと思い買ったね。 コンピュータゲームは体を動かさなかったり、それによる相互のコミュニケーションがないという弊害があるね。 しかし、このゲームは体を動かすので良いと思っていたし、リモコンを複数買うと競技ができる。 しかし、品薄だというので控えていたんだ。 孫は遊びに来ると喜んで遊んでいるよ。 俺も面白いので一緒にやるね。A氏:上のお孫さんはたしか、5歳だね。私:ゲームによっては俺がかなわないことがあるね。A氏:どんなゲームがあるの?私:いろいろあるが、俺が最初買ったのは「はじめてWii」というので、リモコンを2個買ったね。 だから、2人で試合ができる。 9種類のゲームがあるんだが、最初は俺のほうが優位なんだが、孫はなれてくると俺より優位に立つようになったね。 どうしても孫に勝てないゲームが出てきたね。 トシだね。A氏:運動神経が関係するのかね。私:ゲームだから、もっと体を動かすほうがいいと思い、その次、スポーツのものを買った。 テニス、野球、ボウリング、ゴルフ、ボクシングと5つのスポーツがあるね。 これは最初、少し、孫に無理があったかもね。 ルールの質問が多いね。A氏:これらのスポーツのルールを知らないと勝負の面白さは正確に分からないからね。私:ところが俺のほうがはまってしまい、テニスなどは毎日のように居間で試合をしているよ。 汗がジワッと出てくるね。 体力年齢を測定するプログラムもある。 得意なものだけやると30歳代となるが、不得意な種目で判定すると70歳代になるね。A氏:結構、運動になるんだね。私:ついでにカロリーでも出るといいんだがね。 ところが、その後、3本目を買った。 孫と量販店に行ったとき、孫が車のレースゲームを胸に抱えたまま離さないので、買ったよ。 ステアリングのアタッチメントつきだね。 これを左右に動かしたり、アクセル、ブレーキをかけたりして12台でレースをするんだね。 これが難しいんだね。 俺はいつも12位だね。A氏:ビリだということか。私:とこが孫のパパが俺の家に寄ったとき、やったら、一発でトップだね。 彼は車好きで、運転がうまい。 毎日、車で通勤している。A氏:やはりセンスがあるのかね。私:ところがそれを見ていた、孫がうまくなり、トップを記録するようになった。 子供の習得力はすごいね。 孫はマンションに住んでいるんだが、結構、Wiiを買っている家庭が多くて、同じマンションの友達の家に行ったときにやっているようだね。 スポーツWiiをやっているある奥さんは体が痛いといっているそうだ。 テレビで次々に新製品が宣伝されているようだが、たしかに、これは新市場だね。
2007.11.18
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子どもは生まれか、育ちか 私:ベストセラー「バカの壁」の養老孟司氏は、いとも簡単に「基本的な寿命はすでに生まれたときに遺伝子DNAで決まっている」とそっけなく言い切っているね。A氏:そうだね。 しかし、養老孟司氏はいくら、遺伝子でも、偶発的な交通事故まで、コントロールできないから、もっと短くなる確率もあるとも言っているね。 これは、一部のヒューマニストや平等論者にとっては、耐えられないだろね。 何故なら、人は生まれたときからどうしようもない差別があるというのだから。 そのハンディは場合によっては、一生、負い続けるのだから。私:事故にあいやすいという遺伝子はあるかもしれないが、そういう人でも一生、事故にあわないで終わることもある。A氏:知識でなく子どもの性格や行動特性はどうだろうか。私:このNHKブックスの「人間の本性を考える(英語の題名はThe Blank slate)」という翻訳書が2004年に出たものだ。 その第19章が「生まれか育ちか(原書はChildren)」について論じた章で、興味深かった。 著者は、次の3法則を提示している。 第1法則:人間の行動特性はすべて遺伝である。 第2法則:同じ家庭環境で育った影響は、遺伝子の影響より少ない。 第3法則:複雑な人間の行動特性に見られるばらつきのかなりの部分は、遺伝子や家庭の影響では説明されない。A氏:やはり遺伝子が重要なカギだね私:著者は、子どものときの行動特性の50パーセントは第1法則の遺伝できまり、第2法則の育ちの中心である家庭環境はほとんど関係ないという(せいぜい、ゆずって10パーセント)。 後の40から50パーセントのばらつきは、人が意図的に押し付けられない、個人的な「運命(親や人が制御できない運という意味での運命)」に影響されるという。 親や社会が十分ねりあげた計画の及ばないところにある部分である。 1950年代に、インドの僻地の村に住んでいたある女性に、子どもにどんな人間になってもらいたいと思っているかと聞いた。彼女は、肩をすくめて「それはこの子の運命で、私が望むことではありません」と答えたという。A氏:それが正解かもね。私:原題のBlank slateとは、「書き込みのない石板」という意味で、日本語の「白紙」という意味になろう。 これを「生まれか育ちか」にあてはめると、「子供は生まれたとき、白紙だから、後はこれに書き込む育ちで決まる」ということになる。 そう思いこむと、親の責任が重くなる。A氏:そこで、親は不安になり、専門家と称する人の権威が欲しくなる。 そういう需要を満たすために多くの児童教育論者が生まれる。 しかし、著者は、「白紙」ではなく、遺伝子でほとんど決まるとしている。 子供が非行に走るのは親のしつけなどの責任ではないということか。私:著書は、親のせいにする児童教育論者には、批判的だね。 当時の新聞書評では、この本で、子育てで責任を感じて、いろいろ悩んでいる親はホッとするだろうと言っているね。 まぁ、あまり、子どものことで、力まないことなんだろうね。 子どもが押しつけととるだけだろうし、親のエゴを押し付けているだけかもしれないしね。 シートン動物記を読むと、動物は知識や訓練まで親が遺伝子でやっており、子どもはそれを卒業すると、自ら巣を離れ独立していくね。 親も子どもの巣離れを期待する。
2007.03.01
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