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【2022年1月2日(日)】 北野天満宮宝物殿の担当初日でした。 余裕をもって朝家を出て、西大路丸太町から北野天満宮まで歩きました。今出川通まで出ると、8時前でしたが、初詣の車が駐車場に入るのに道路にあふれて列を作っていました。今年は、オミクロンが不気味とはいえ、人出は去年のお正月よりかなり多いようです。本殿でのお参りは、待たずにできましたが、授与所には長蛇の列ができていました。朝の本殿前花手水 宝物殿の今回の特別展は「梅苑『花の庭』再興記念 雪月花と宝刀の煌き」と題して、1月1日~6月26日まで行われ、私はそのうち1月1日~10日の第一期と、1月28日~4月3日の第二期を担当します。月5日くらいの担当のペースです。 初めての担当で、今日は、経験のある方とチームを組んでの担当でした。初詣の人出は多かったですが、宝物殿に入られる方はそう多くないので、慣れないなかでの作業でしたが、無事終えることができました。室内とはいえ、換気のために窓を開けていることもあって寒い環境下での勤めです。ヒーター付きのベストを着ていったのは正解でしたが、足が冷たかったです。やはり足にはカイロが必要なようです。本殿東側 正月三箇日は門前菓子の「長五郎餅」を境内の臨時販売所で売っているので、帰るに自宅土産として買い求めました。長五郎餅の臨時店舗帰りに本殿に寄ってみると、参拝のための長蛇の列ができていました。夕刻の本殿前には長蛇の列よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2022/01/02
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【2021年12月21日(火)】 来年1月から北野天満宮の宝物殿での案内を担当します。今日の午前中、その事前打ち合わせがあり出席しました。ここの担当は初めてです。 北野天満宮では、1月1日~6月26日にかけて宝物殿で、北野天満宮梅苑「花の庭」再興記念「雪月花と宝刀の煌き」が、3期に分かれて開催されます。 第1期 1月1日~1月10日 第2期 1月28日~4月3日 第3期 4月9日~6月26日私はこのうちの第1期と第2期を担当します。監視、ご質問への対応、受付、授与品販売を担当します。 有名な「髭切」など多くの刀剣、豊臣秀頼奉納の絵馬、竹内栖鳳の「紅白梅図」などが展示されます。今日は学芸員さんから、色々お話を聞きくことができました。各展示のキャプションは、これから準備されるそうなので、詳しく頭に叩きこむのは、勤務が始まってからになりますが、それまでに、基本的なことは憶えなければなりません。初日が1月2日です。 終わってから、会の先輩のTさんが、北野天満宮のレアなスポットを北から南までぐるっと案内してくださいました。色々新しく知ることがあり、おもしろかったです。 年末年始のこと、お酒を買ったくらいで、あと何もできていません。今年も慌ただしい年末になりそうです。三輪純子画伯の寅の絵馬よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/12/21
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【2021年12月4日(土)】 金戒光明寺6日目の担当でした。御影堂・大方丈を担当させていただきました。今年の紅葉は早かったので、紅葉の見ごろは過ぎましたが、思った以上に多くのお客様に来ていただけました。 11月12日に始まった「秋の特別公開」も明日で最終日です。全体的に天気も良く、緊急事態宣言明けで、待ちかねたようにお客様が来られたこともあり、全体的にも思った以上のお客様に来ていただいたように思います。私は全部で6日間の担当でした。密を避けるため、お客様を集めてのご案内はできなかったのは残念ですが、久しぶりに開始の延期や途中中止もなく、楽しく務めさせていただくことができました。金戒光明寺のロケーション赤:京都御所、青:平安神宮、緑:真如堂、黄:銀閣寺よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/12/04
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【2021年12月3日(金)】 後腹膜悪性腫瘍の20回目のマイカルテを郵送した後(こちら)、会の地域組月例会に出席し、午後からその地域組の研修会で御所東を歩きました。 下御霊神社⇒革堂⇒土御門殿跡⇒梨木神社 と解説を聴きながら歩きました。下御霊神社下御霊神社 神庫 1708(宝永5)年の大火後の建立と考えられています。翌1709(宝永6)年に東山天皇から贈られた大宮神輿等の祭器・祭具が保管されています。鏝絵(こてえ)が素晴らしいです。革堂革堂 都七福神革堂「加茂明神石塔」梨木神社 神門梨木神社 本殿梨木神社 染井の井戸 京都三名水の1つ。あと2つは、京都御苑内の縣(あがた)の井、四条堀川にあった醒ヶ井よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/12/03
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【2021年12月1日(水)】 昨日の鞍馬~貴船のガイド(こちら)に続き、2日連続の山間ガイドで、比叡山延暦寺東塔~西塔~横川のガイドを担当させていただきました。 昨日同様雨が心配されましたが、昨晩本降りになったものの、今朝は天気が回復し、今日もラッキーなことに雨に降られることはありませんでした。昨日も今日も雨を覚悟していたのに、本当についています。 3日連続の山間ハイキングコースのお客様で、1日目が比叡山、2日目が三尾~嵐山、3日目が鞍馬~貴船(昨日ご案内したのは、同じコースの別のお客様)となっており、非常にハードなパッケージツアーです。人気があるようで、毎年このコースがあります。 11月18日に下見をし(こちら)、その後も色々勉強して、紙芝居も準備したうえで臨みました。 朝9時半頃、京都駅八条口に集合して、新幹線で関東から来られるお客様をお迎え。観光バスに同乗させていただいて比叡山へ。40名強のお客様を5人のガイドでご案内しました。東塔休憩所で早い昼食をとっていただいて、11時半頃出発。東塔の講堂、根本中堂、特別公開中の戒壇院、東塔総持院をご案内。西塔に歩き、浄土院、にない堂、釈迦堂をご案内。その後ひたすら1時間半弱歩き、横川へ。横川中堂、恵心院、元三大師堂を案内。横川駐車場に予定の16時前に着。通しで、ガイド時間は5時間、歩きは約7キロメートルでした。 今日も皆さん健脚揃いで、遅れることなく歩いていただき助かりました。ガイドレシーバーがあるので、横川への1時間半弱の間も、ほとんど京都のことを話し詰めでした。今日も普段から引き出しを多くもつことの必要性を痛感させられました。皆さん楽しんでいただけたと思います。 お客様は大津駅近くで夕食とのことで、帰りはJR湖西線大津京駅まで送っていただきました。昨日、今日と2日連続の山間ガイドが無事終わり、ホッとしました。心地良い疲れです。本日のコースよろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/12/01
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【2021年11月30日(火)】 今日は、今年度3回目の同行ガイドでした。鞍馬~貴船の定番ルート。私はこのルートは、今回が2回目です。11月15日には下見も行きました(こちら)。天気が心配されましたが、雨が降るとしても午後からで、ガイドは12時半に終わるので、何とかもってくれるのではとの期待でした。それでもレインコートや着替えなど、雨の準備は怠りなくしていきました。会に入りたての5年前のこのコースで雨に降られて、濡れた靴下で帰ることになったので。 お客様は観光バスで京都駅南のホテルから来られるので、8時半頃、出町柳駅でピックアップしてもらって、9時頃からガイド開始。 お客様は26人。3人のガイドでご案内しました。皆さん健脚で、途中遅れることもありませんでした。山の中なので、紅葉はちょっと遅い感じでしたが、お天気もよくて、楽しんでいただけたのではないかと思います。 旅行社準備のガイドレシーバがありましたので、歩く途中も半分くらいは、お話をさせていただきました。鞍馬寺や貴船神社のお話しに加え、京都や平安京のお話しもさせていただきました。ただ話しながら歩くのは、下りはまだしも、上りは少々こたえました。このごろガイドレシーバーでの案内が普通になってきています。そのためには、ネタや引き出しをたくさんもっておかないといけないなぁと痛感した次第です。 残念なのは貴船へ通じる道が崖崩れで、大型バスが奥まで入って来れず、梅宮駐車場という、叡電の貴船口駅に近いところまで30分くらい歩かねばならなかったこと。奥宮まで行く時間がありませんでした。お客様の中にも「奥宮」まで行きたかったのにという方もいらっしゃいました。 予定通り12時半前に奥宮駐車場着。ガイド時間3時間半。歩行距離4.5kmでした。本日のルート 3人での反省会は百萬遍の王将でした。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/11/30
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【2021年11月29日(月)】 11月27日(土) 在宅。会もろもろ。 新潟のY君からお酒「雪中梅」が今年も届く。私も「聚楽第」を送る。 失くしたコンパクトデジカメと同じ機種をネット購入。それが届く。 11月28日(日) ついに新PCを発注。富士通ノート「Lifebook WT1/E3」145,382円也。 Zoomのカメラが使えなくなった。プリンターを買い替えて、Vistaのほうから印刷 できなくなったなど不便が募ってきたのでついに。でも忙し過ぎて、うまく立ち上げて、 移行できるかどうか。 毎年ご招待いただいてる、Kさんの「お能」の発表会が今日行けるかどうかギリギリまで 悩む。結局、繁忙で拝見できない旨メールを入れた。残念至極。 その他、会もろもろ。 そして今日は、金戒光明寺5日目で山門担当でした。良いお天気で、午後からは「あべのハルカス」を望むこともでました。 朝は早めに出て、近くの「真如堂」の紅葉を見てきました。真如堂 終了後、先斗町の某お店で、今年2回目の設定リアル飲み会でした。会の同期会。 写真は飲み会までの時間調整で休憩したホテルオークラのロビーのクリスマスツリーです。今年はクリスマスの雰囲気を味わう時間と心の余裕がないのがつらい。ホテルオークラ ロビーよろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/11/29
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【2021年11月26日(金)】 昨日11月25日は在宅。月イチの高血圧と高尿酸の通院で、近所のO医院に行き、いつものお薬をいただきました。それ以外は、やはりゆっくりできず、会の諸事に費やしました。 今日は、午前中仁和寺へ。特殊な形態のガイドを仁和寺で仲間するので、その見学に行きました。午後から会議があるので、11時頃現地を後にしましたが、首尾よく進んだようです。これからも継続してお話があればありがたいです。 午後から月イチの役の集まり。終わってから、1年10ヵ月ぶりの本格的リアル飲み会でした。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/11/26
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【2021年11月22日(月)】 昨日21日は、日曜日でしたが事務所出頭。 今日は、「秋の特別公開」金戒光明寺の担当4日目でした。ついに雨に降られてしまいました。ほぼ一日雨が降り続けました。いつもは、お客様は「紫雲の庭」を観ていただいたら、方丈玄関から出ていただくのですが、傘を御影堂の前に置いたままなので、また御影堂に戻っていただくというルートが設定されました。御影堂・大方丈を担当させていただきました。 写真は11月20日撮影の山門です。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/11/22
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【2021年11月20日(土)】 昨日は事務所に出頭し、夕刻から月イチの事務所の集まりでした。 今日は「秋の特別公開」金戒光明寺の3回目の担当で、御影堂・大方丈を担当させていただきました。飛び石連休の最初の土曜日ということもあり、多くのお客様でした。 紅葉がいよいよキレイです。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/11/20
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【2021年11月18日(木)】 12月1日に比叡山延暦寺東塔・西塔・横川を縦走するガイドがあるので、今日、下見に行ってきました。 以前、京都市内を巡った後、延暦寺東塔に行く案内があって、東塔だけは下見をしたことはありますが、そのとき本番は時間がなくて比叡山まで私は同行しませんでした。西塔は大昔にプライベートに行ったことはありますが、横川はプライベートさえ行ったことがありません。下見は必須ですので、今日、行ってきた次第です。 当日のプラン同様、朝、京都駅から路線バスで比叡山に向いました。紅葉シーズンでバスは混雑が予想されましたので、早めに行って何とか座れましたが、途中から満員になりました。当日も早めに京都駅に着いておかないといけないでしょう。 東塔、西塔、横川とお堂だけでなく、トイレの場所や昼食を食べることのできる場所も確認しながら歩きました。東塔から西塔はさほど遠くはないですが、西塔から横川は、ただひたすら1時間半くらい歩くことになります。当日、健脚の方であれば、横川中堂も含め、時間内で回ることができると踏みました。東塔 戒壇院(特別拝観中)東塔 法華総持院(左) 阿弥陀堂西塔 浄土院西塔 常行堂(左) 法華堂 (2つで「にない堂」とも)西塔 釈迦堂横川中堂横川 恵心堂横川 元三大師堂 横川から東塔までシャトルバスに乗り、東塔から京都駅までバスで戻りました。横川~東塔のシャトルバス運賃にびっくり。15分くらい乗るだけなのに、なんと670円。東塔から京都駅まで1時間15分乗って790円なのに。 鞍馬・貴船同様、しっかり準備をしたいと思います。あとは、当日の天気だけです。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/11/18
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【2021年11月17日(水)】 昨日は事務所に出頭後、月イチの三味線レッスンでした。 今日は、事務所に朝イチ立ち寄ったうえ、金戒光明寺の担当2回目でした。御影堂・大方丈担当でした。監視を怠らないようにしながら、案内も少しさせていただきました。 写真は、岡崎神宮前でバス停を降りて、金戒光明寺に向かうところにある浄土真鍮の寺院・岡崎別院です。岡崎別院よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/11/17
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【2021年11月15日(月)】 11月30日に、鞍馬~貴船ハイキングツアーのガイドがあるので、下見に行きました。過去、会のガイドで1回、プライベートガイドで1回案内しており、さらに研修やら何やらで何度か歩いたことはありますが、それほど頻繁に訪れる場所ではなく、記憶の彼方のことも多いので、やはり下見をしておかないと不安です。時間をセーブするために、車で往復しました。鞍馬寺 仁王門由岐神社鞍馬寺 本殿・金堂 金剛床翔雲台木の根道僧正ヶ谷不動堂奥の院魔王殿貴船神社 本宮貴船神社 奥宮貴船神社 結社貴船川天狗のお面(鞍馬駅前) あとは、しっかり準備して、良い天気を祈るのみです。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/11/15
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【2021年11月14日(日)】 金戒光明寺担当の1日目でした。今日は当日責任者でしたので、御影堂、大方丈、山門とも担当させていただきました。日曜日で、多くのお客様にお越しいただきましたが、紅葉は今年は早めとはいえ、これからですので、ピークは来週の飛び石連休でしょう。山門御影堂の銀杏 塔頭栄摂院(えいしょういん)の紅葉は早めのようで、もうピークのようです。栄摂院 ドジなことに、12日の下見のときの帰りにコンパクトデジカメを紛失してしまいました。あちこち当たりましたが見つかりませんでした。止むを得ず、ネットで同じものを買いましたが、2年前に買ったときは1万円ちょっとで買えたのに、今回は1万7千円もしました。前回もその2年前に買ったものを紛失そしたので買ったものです。なんと2年に1回、2回連続で紛失したことになります。全くもってドジな話しです。で、今日の写真は一眼レフで撮ったものです。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/11/14
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【2021年11月12日(金)】 11/10(木)、11/11(金)と連続在宅。僅かな在宅日を利用して昨日は床屋さん行き。 今日は「秋の特別公開」金戒光明寺の初日でしたので、下見に行きました。コロナ禍の中、お客様を集めてのガイドはしないとのことで、監視に軸足を置くことになります。それでも、お客様からの質問にはお答えしなければならないので、知識はしっかりと頭の中に叩きこまなければなりません。私の初日は明後日です。御影堂横の仏像と銀杏の木よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/11/12
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【2021年11月9日(火)】 11/1から昨日(11/8)までは、11/4に今年2回目の修学旅行ガイドをした以外は、事務所出頭やら、講習会出席やら、会議で忙しく、在宅は1日だけでした。今年2回目の、リアルちょい呑みもありました。 今日は秋の特別公開の「金戒光明寺」の見学と打ちあわせに行ってきました。金戒光明寺は、2年前の秋に一度経験しているので、今回で2回目です。11月12日(金)~12月5日(日)までです。私の担当は5回あります。コロナが落ち着き続けて、「夏の旅」のように途中で終わってしまうことがないように祈ります。 この頃、コロナ対策で、手水に柄杓を置かなくなり、その替わり、花手水にするとろが多くなっています。金戒光明寺もそうなっていました。「あひる」のおもちゃがかわいいです。金戒光明寺 花手水 よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/11/09
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【2021年10月26日(火)】 午前中、会の研修で、豊国神社~豊国廟を歩きました。 ルートは 豊国神社→烏寺→耳塚→方広寺大仏殿跡→新日吉神社→豊国廟 約2時間かけて、各場所場所で解説を聴きながら歩きました。 京都の寺社には「××の七不思議」というのがありますが、方広寺にも「大仏七不思議」というのがあるそうです。1.淀君の幽霊2.泣石3.唐門の三羽鶴4.耳塚・鼻塚5.石川五右衛門の隠れ家6.赤牛の影7.烏寺「大仏七不思議」というものの、大仏と関係するものは少なく、ちょっと混乱します。そして、今は目にすることができないものも含まれています。豊国神社 鳥居豊国神社 唐門(国宝)豊国神社 絵馬烏寺の瓦にカラス耳塚新日吉神宮豊国廟への階段 豊国神社、新日吉神社、豊国廟では、ご朱印をいただきました。豊国神社新日吉神社豊国廟 終わってから、事務所まで徒歩で移動。途中、新京極の「井和井」に寄って、新しい朱印帳とお香立てを買い求めました。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/10/26
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【2021年10月16日(土)】 14日は臨時で事務所、15日は在宅で会の諸事。 そして今日は2年ぶりの修学旅行ガイドでした。 関東の中学校。5人の生徒さんを案内。8:30 お宿石長松菊園→(バス)→金閣寺→(バス・JR)→天龍寺・竹の小経・渡月橋→(JR)→京都駅(お土産と京都駅ビル) 13:00 金閣寺は、鏡湖池前が一方通行になって始めて行きました。これからもっと混んできても。、以前よりは観覧しやすくなるでしょう。順序を変更して、JRも利用したので、京都駅で十分な時間がとれて、お土産時間以外に、京都駅ビルの一番上までいって、空中回廊を巡ることもでました。高所恐怖症気味の生徒さんがいて、ちょっとだけ困りましたが、無事京都駅の待合わせ場所に到着。 最終日で生徒さんは疲れ気味のようでしたが、天気もよくて、楽しんでもらえたかなと思います。 2年ぶりの修学旅行ガイドを祝して、駅前で一献して帰途に着きました。金閣寺天龍寺 曹源池庭園竹の小径渡月橋よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/10/16
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【2021年10月13日(水)】 午前中は、事務所出頭でした。 そして午後は、半年ぶりの同行ガイドでした。前回は、4月17日の清水寺での社員旅行のご案内でした(こちら)。振り返ってみると、3月21日に緊急事態宣言が解除されたものの、感染者数が増え、4月中旬には京都符の感染者数が100人レベルまで上がっていました。ですのでガイドをしたものの、清水寺の観光駐車場に停まっている観光バスは、我々が案内したお客様のバス1台という淋しい状況でした。おまけにその日は雨でした。 今日も清水寺の案内でしたが、緊急事態宣言も解除され、感染者数も減少するなか、多くの観光バスが停まっていて、半年前とは大きく状況が異なっていました。特に、小学校の修学旅行生を乗せたバスが多かったようです。 我々の案内したのは、大阪府下の私立小学校の3年生、4年生。小学生の中学年を案内するのは初めてだと思います。天気も悪くはなかったし、校外学習という形で、皆さんメモを取りながら一生懸命話しを聞いてくれてやりがいのあるガイドでした。ちょっと残念だったは、バスが10分ほど遅れて着いたけれども、出発時間は変わらず、駐車場往復も含めて、50分で清水寺を案内しなければならず、駆け足での案内になったこと。 前なら帰りfがけに仲間と一献というところですが、さすがに自重しました。代わりに、プチ贅沢して、エビスビールとシャンパンの家呑みで、久しぶりの同行ガイドを祝いました。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/10/13
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【2021年10月1日(金)】 緊急事態宣言が解除されなければ中止になっていたのですが、幸い予定通り解除になり、会の研修がありました。 「新町通と寺之内通の門跡寺院を巡る」というテーマで、午前中に、烏丸今出川北の「大聖寺」から歩き始め、「三時智恩寺」「光照院」「宝鏡寺」「百々橋跡」と歩いて、おまけで裏千家今日庵の「兜門」も見ました。「三時智恩寺」では、普段は非公開のお堂やお庭も拝見させていただき、「光照院」ではやhり普段は非公開の書院や五葉松も拝見させていただきました。すべて特別公開のときに、拝観させていただいたところだし、光照院ではガイドもさせていただいたところです。大聖寺三時智恩寺光照院 常盤会館宝鏡寺裏千家 今日庵 兜門 午後から事務所出頭で諸事行いました。 よろしかったらぽちっといお願いします。にほんブログ村
2021/10/01
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【2021年8月21日(土)】 「京の夏の旅」六道珍皇寺の4日目でした。 京都に9月20日から9月12日までの緊急事態宣言が発出されました。それに伴い、「京の夏の旅」も最低限9月12日まで休止となりました。ただ、明日までは経過措置として公開が継続され、私も行かせていただきました。もともとの開催期間は、9月30日までですので、緊急事態宣言が解除されて、再開されることを祈るばかりです。 公開では、書院からお庭に下りていただいて、小野篁が冥界の閻魔庁に通ったという「冥途通いの井戸」がご覧いただけます。 また、篁がこの世に戻ってくるために通った別の井戸があったと伝わっていたのですが、平成23年に隣接地で、その伝承の井戸が発見されました。「黄泉(よみ)帰りの井戸」と呼ばれており、その井戸もご覧いただくことができます。 ただし、今回は、写真撮影はお堂から庭を向いてのみとなっていますので、写真で紹介できるのは、書院廊下から見える「冥途通いの井戸」のみです。小野篁「冥途通いの井戸」よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/08/21
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【2021年7月24日(土)】 「京の夏の旅」六道珍皇寺3日目でした。快復はしましたが、ここしばらく軽い熱中症と思われる症状に悩まされましたので、熱中症対策に万全を尽くして臨みました。19日からは定期観光バスも始まり、4連休の一日ということもあり、多くの皆様に訪問いただきました。 六道珍皇寺の案内の続きです。 「京の夏の旅」の期間中、拝観料を払っていただかなくても、本堂の前の境内は自由に参拝いただけ、薬師堂の旧御本尊・薬師如来座像(重要文化財)や、閻魔堂(篁堂)(えんまどう:たかむらどう)の閻魔大王像と小野篁(おののたかむら)像も参拝いただけます。小野篁像の脇には「冥官」(めいかん・みょうかん)、「獄卒」の像が安置されています。「迎え鐘」も撞いていただくことができます。 本堂入り口で受付をしていただくと、本堂・書院・庭園を巡って、小野篁卿「冥土通いの井戸」や寺宝の数々をご覧いただけますす。ご朱印の授与を受けることもできます。直書きのご朱印もありますし、お書き置きのご朱印もあります。色んなご朱印があり、「どれにしようか」と悩まれるお客様も多くいらっしゃいます。 本堂にはご本尊の「薬師如来坐像」がお祀りされています。このお像は、昭和53年(1976年)に、著名な京仏師・中西祥雲(なかにししょうん)氏によって彫られたものです。向かって右には日光(じっこう/にっこう)菩薩、左には月光(がっこう)菩薩が安置され、薬師三尊のかたちになっています。檜の寄木造です。当初の「薬師如来」は、重要文化財となり、先に紹介した境内の「薬師堂」に安置されており、そちらも参拝いただくことができます。 この本堂は、江戸時代の再建で、正面の欄間には天女が彫られており、左右の欄間には、欄間仏として「地蔵菩薩」が「地蔵来迎」の形で並んでいます。このような形式をお寺の本道であまり見かけることはなく、珍しい形式といえるでしょう。 その小さな地蔵菩薩像は、6体一組になっています。六地蔵です。仏教で、六道のそれぞれにあって衆生の苦しみを、6体の地蔵菩薩(ぼさつ)が救ってくださるという教えがあります。「六地蔵」です。地獄道の檀陀(だんだ)、餓鬼道の宝珠(ほうじゅ)、畜生道の宝印、修羅道の持地(じじ)、人間道の除蓋障(じょがいしょう)、天道の日光の各地蔵菩薩としますが、異説もあるそうです。仁和寺の観音堂の案内のときに、六道それぞれ担当の六観音がいらっしゃるという教えを知りました。それとよく似た考え方なのでしょう。 本堂では、「京の夏の旅」特別拝観期間中、以下のような寺宝をご覧いただけます。・中世の「六道まいり」の様子を表した「珍皇寺参詣曼荼羅図」(京都府指定文化財・ 安土桃山時代)・「風の画家」として知られる中島潔画伯の「地獄心音図 (じごくこころねず)」(2015年)・熊野比丘尼(びくに)と呼ばれる職種の女性宗教者たちが鎌倉時代末頃から江戸時代にかけて、 全国を絵解きをしながら仏教の教えを広める際に使われた地獄絵 「熊野(くまの)勧進(かんしん)十界図(じっかいず)」・岩手県常安寺(曹洞宗の寺院)所蔵の佐々木藍田(ささきらんでん)筆 「大地獄絵図」(複製・江戸時代後期)・「祇園八坂神社垂迹曼荼羅図」(江戸時代前期)・「小野篁像」(掛軸)これらの寺宝は写真撮影禁止ですので、写真を使っての解説ができないのが残念です。本堂のあとは書院に進んでいただきます。(続きます)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/07/24
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【2021年7月18日(日)】 「京の夏の旅」六道珍皇寺2日目でした。16日~18日の「閻魔詣」の最終日でした。今日は「だるま商店」のご朱印直書きはありませんでしたが、特別なご朱印はありますので、昨日ほどはないにしても、多くお参りいただきました。 六道珍皇寺の山号は「大椿山」。臨済宗建仁寺派に属します。しかし、もとは真言宗の寺院です。今から約1200年前の平安時代初期に、弘法大師空海の師である、慶俊(きょうしゅん)僧都によって開かれました。南北朝時代に建仁寺の僧である良聡(りょうそう)禅師によって再興され、臨済宗に改宗されました。 六道珍皇寺の「六道」とは、「地獄」「餓鬼」「畜生」「修羅」「人間」「天上」の6つの世界のことです。人はこの世の罪業により、この6つの世界を輪廻するという仏教の教えから来ています。 お寺の門の前には「六道の辻」の石碑が建っています。それは、ここが六道への分岐点と信じられてきたからです。この世とあの世の境(接点)の辻ということです。この地はが平安京の東の葬送の地であった鳥辺野への道筋にあたり、「野辺の送り」がされたところです。すなわち「六道」に通じるところとして「六道の辻」と呼ばれるわけです。 そして霊を見送ると同時に、お盆のときには、霊を迎える場所でもありました。それで、毎年8月7日~10日には「六道まいり」が催され、「迎え鐘」が撞かれます。この期間には、約10万人の方が参拝されるといわれています。本堂迎え鐘よろしかったらぽちっといお願いします。にほんブログ村
2021/07/18
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【2021年7月17日(土)】 「京の夏の旅」六道珍皇寺の第1日でした。7月10日(土)から始まっていますが、私の初日ということです。コロナ禍下ですので、拝観者数は多くないと思っていたのですが、特別な催しがあって賑わいました。 7月16日は「閻魔さまの大斎日」で、16日~18日は「閻魔詣特別寺宝展」が開催されます。その中日の今日は、さらに特別で、お盆ゑんま朱印「三界唯心」とだるま商店直書「お盆閻魔姿絵朱印をいただけいます。これを目当てに来られるお客様がたくさんいらっしゃって、午前中は受付に列ができるほどでした。 「だるま商店」は、アートディレクターの島直也氏と、絵師の安西智氏からなる絵描きユニットで、京都では知られた存在です。CGも使った極彩色の絵が特徴で、京都の多くの寺社に襖絵や屏風を奉納されています。 この六道珍皇寺にも「篁卿六道遊行絵図屏風」が奉納されています。今日は、その「だるま商店」のお二人が来られてご朱印を書かれたわけです。今までこの屏風絵は他の展示絵画同様、写真撮影禁止だったのですが、「だるま商店」のお二人が「自由に撮っていただいて結構」ですと、おっしゃってくださって、今日から、写真撮影OKになりました。私も早速撮らせていただきました。 暑い一日でしたが、賑わいの中、楽しく過ごさせていただきました。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/07/17
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【2021年7月15日(木)】・12日(月) 事務所午前中出頭。17日からの六道珍皇寺勤務に備え、午後下見に行こうと しましたが、雨が降ってきたので延期。・13日(火) 15日のラウンドに備え、今年2回目のゴルフ練習。 膝を柔らかくして打ってみたら、相変わらず飛距離は出ないものの安定しました。 帰ってから体が熱っぽいので計ってみたら、37.5度。ワクチンは2回打って、 1ヵ月経過しているので、コロナではないと思い様子見。・14日(水) 平熱に戻り事務所出頭。微熱は疲れているところへ、寝冷え?軽い熱中症? 昼から六道珍皇寺下見の予定だったが、終日事務所にいたので、またもや下見は 延期。平熱に戻ったが、疲れはあり、大事をとって15日のゴルフはキャンセル。 「京の夏の旅」は10日(土)に始まりました。私は六道珍皇寺担当で、今日ようやく下見に行くことができました。朝のミーティングから参加して準備の内容を確認し、お客様が来られた際には、仲間の案内も聞かせてもらいました。私の初日は明後日17日(土)です。準備します。境内のお地蔵様群 8月7日~10日の「六道まいり」では、水塔婆があげられます。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/07/15
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【2021年7月11日(日)】 昨日7月10日は、泉会のゴルフラウンドの予定でしたが、悪天候が予測され、事前キャンセルでフリー部になりました。約2ヵ月に一度の散髪屋に行き、他は会のこと在宅でしました。 両足院第7日でした。私の担当も最後ですが、今回の特別公開の最後の日でもありました。半夏生の花房も大きくなり、白くなった葉も緑色に戻りつつあります。最後に夕立が来ましたが、短時間だけで、帰る頃にはあがっていて、濡れずに済みました。全部で7日間の担当でしたが、楽しく過ごさせていただき、無事終えることができました。半夏生(はんげしょう) 花房が大きくなり、白い部分が緑色に戻りはじめています。 両足院の案内も最後です。 両足院の冠木門をくぐって左側に小堂があります。受付の手前で特別拝観でなくても、ご覧になれる場所です。毘沙門堂です。この小堂のご本尊が毘沙門天なので、毘沙門堂と呼ばれます。毘沙門堂 ご本尊の毘沙門天像は、もとは鞍馬寺の毘沙門天の胎内仏でした。比叡山が織田信長に焼き打ちされた際、鞍馬の僧が、毘沙門天像の安全を危惧し、⽐喜多養清(室町将軍の茶家)のところへ、疎開させました。⽐喜多家は、筑前⿊⽥家京都御⽤達であったため、この毘沙門天像は黒田官兵衛(黒田孝高・よしたか、如水)の念持仏となり、子の黒田長政が関ヶ原の合戦で、この毘沙門天像を内兜に収めて戦い、勝利したといわれています。 明治10年(1877年)に黒田家から両足院に贈られ、この毘沙門堂にお祀りされています。勝利の神として、商売繁盛、合格祈願、良縁成就、誓願成就にご利益があると信仰を集めています。 秘仏なので、お前立を備え、吉祥天と善膩師童子(ぜんにしどうじ)を脇侍とした、毘沙門天三尊の形式でお祀りされています。 毘沙門天をお守りするのは、「狛犬」ならぬ「狛寅」です。お堂の前、両側に2体の寅の石像が置かれ、お堂正面には、寅が浮き彫りされた香炉が置かれています。何故、毘沙門天のお使いが虎かというのは諸説あります。鑑真和上の高弟・鑑禎上人が霊夢で白馬に導かれてれて鞍馬山に登り、鬼女に襲われたところを毘沙門天に助けられたのが寅の月、寅の日、寅の刻であったというのが1つの説です。このようなことから毘沙門天は寅年生まれの人の守り本尊でもあります。 また、戦前は祇園の芸妓、舞妓がよくお参りする場所でもありました。「いい旦那様がみつかるように」ということで「祇園の縁結び」としても知られています。今でも偶然、舞妓さんに出会うこともあるうようです。 賓頭盧(びんずる)尊者も普通ならお堂の前に安置されているのですが、コロナ感染防止のため、今は残念ながら堂内に安置されています。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/07/11
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【2021年7月4日(日)】6月25日に「京の夏の旅」六道珍皇子の見学をしました(こちら)。その後は、26日(日) 二人で三重へお墓参りと名古屋27日(日) 元々は修学旅行ガイドの予定でしたが、コロナでキャンセル。 30日の会の集まりに向けて準備。28日(月) 30日の会の集まりに向けての準備完了29日(火) 7/1、7/2の事務所年イチ作業に向け準備30日(水) 会の月イチ集まり7月1日(木) 事務所年イチの作業第一日と6/30集まり記録作成2日(金) 同第2日と6/30集まり記録完成と配信3日(土) 午後、車で京都へ会のガイド作業説明を受ける。 帰途になかなから行けなかった酒屋さんに寄って買い込む。 てな忙しい日々を経て、今日4日(日)を迎えました。両足院の第6日でした。 日曜日でしたが、平日と思いこんでバス乗り場に向かってしまいました。幸い平日も土日も同じバス時間だったので、事なきを得、遅れることはありませんでした。未だにこんなポカをやっています。 幸い雨は朝だけで、多くの拝観者でした。半夏生は花が大きくなりましたが、まだ見ごろです。蒸しさに閉口しました。 両足院の案内の続きです。 書院からは、半夏生の庭が一望できます。コロナの前は、拝観者数が多く、お庭をゆっくり見ることはなかなか難しかったのですが、コロナ禍下での開催で、拝観者数が少ないので、平日の午後はお庭の眺めを一人占めできることもあります。 半夏生の解説は、季節の話から入っていきます。 中国には二十四節気(にじゅうしせっき)という季節の区分がありました。太陰暦の一年を太陽の黄経に従って二四等分し、各区分点の日にその季節を表す呼称をつけたもので、例えば、「立春」「春分」「大寒」などがそうです。24等分するので、1節気は約15日となります。それをさらに三等分したのが七十二候です。1つの候は、約5日となるわけです。「気候」という言葉はこの「節気」の「気」と「候」に由来しています。 節気の1つが「夏至」で、その中の候の最後3つ目が「半夏生」です。ですから、半夏生は夏至から数えて11日目となります。7月2日頃にあたります。半夏(烏柄杓)という薬草が生える頃なので、「半夏生」という呼称になりました。 同じ頃、この「ハンゲゲショウ」が半分化粧したように白くなるので、この植物も半夏生と呼ばれるようになったとのことです。ハンゲショウはドクダミ科の多年草で、薬用にもなります。遠くから見ると、白い花が咲いたように見えますが、この白いのは葉っぱです。花は、先のほうに房状に付いているものです。この花は葉が白くなり初めは小さくて目だたないのですが、次第に大きくなり、ピークを過ぎると花も目立つようになります。葉が白くなるのは、花が目立たないため、花が咲いたように見せかけて虫を誘って受粉をさせるためだと言われています。ですので、上の3枚、しかも片面しか白くなりません。それで「カタシログサ」とか「三白草(サンバクソウ)」とも呼ばれます。そして、驚くなかれ、花が終わると緑に戻るのです。受粉してしまうと、あとは葉緑素で光合成をする必要があるからでしょうか?不思議ですね。 半夏生は農家にとっては大事な節目の日で、この日までに「畑仕事を終える」「水稲の田植えを終える」目安で、この日から5日間は休みとする地方もあります。この日は天から毒気が降ると言われ、井戸に蓋をして毒気を防いだり、この日に採った野菜は食べてはいけないとされたりもしました。関西では、半夏生の日にはタコを食べる風習があります。 「稲の根が、タコの足のように四方八方にしっかり根付きますように」とか「稲穂がタコの足(吸盤)のように豊かに実りますように」との願いが込められているようです。 七類堂天谿画伯筆のカワイイ観音様のお軸が方丈に掛かっています。ハンゲショウ観音ですが、「汎下生」と書きます。汎下生は、あまねく現世衆生を救済するために現れるという意味です。両足院の半夏生(続きます)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/07/04
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【2021年6月25日(金)】 6月21日の新選組ゆかりの地を巡る(こちら)以降、・22日 両足院を交替していただいて事務所用事・23日 会のお役目出頭の必要がなくなって在宅 月イチの近所の医者通院・24日 事務所とその後の集まり そして今日は、7月10日から始まる「京の夏の旅」の見学でした。去年の「夏の旅」はコロナ禍で中止になりましたが、今年は今のところ行われます。私は「六道珍皇寺」です。その事前見学があったので参加しました。ご住職のお話を拝聴した後、お堂の内外の案内をしていただきました。私の初日は7月17日です。始まった後、もう一度見学に行って備えたいと思います。六道珍皇寺(2016年8月9日の「六道まいり」のときのもの)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/06/25
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【2021年6月21日(月)】 会の研修で、「新選組ゆかりの地」を巡りました。 もともとは15日で計画され、その日であれば事務所出頭だったので、参加できなかったのですが、緊急事態宣言延長で、今日に延期になったので、参加することができました。 昨日、両足院に忘れ物をしたので、まずそれをピックアップしてから京都駅へ。ホテル瑞鳳閣まで歩き、そこからスタートでした。あるガイドのために決められたコースで、それを約3時間で廻るというものです。ホテル瑞鳳閣(不動堂村屯所跡)⇒本光寺⇒島原(角屋・大門・輪違屋・島原歌舞練場跡・朱雀大路発掘碑)⇒(バス)⇒壬生寺⇒八木邸⇒(バス)⇒四条~三条のゆかりの地(古高俊太郎邸跡・中岡慎太郎寓居跡・近江屋跡・池田屋跡・三条大橋)と回りました。八木邸通常なら、30分に一度の切れ目ないガイドですが、コロナ禍で1時間に一度のガイドです。色々新たに知ることもありました。・不動堂村屯所跡碑は瑞鳳閣に中村武生氏文のものがあり、リーガロイヤルホテルに霊山歴史館長木村幸比古氏文のものがある。どちらが正しいか?ここで書くのは控えます。・「角屋」は大きな建物で、太平洋戦争中、空襲で狙われ、そばを走る国鉄山陰線が打撃を受ける可能性があったため、取り壊しの予定になっていた。しかし、明治維新の元勲、西郷隆盛らも利用した遺構であると説明して、取り壊しは一時延期になり、やがて敗戦を迎えて、角屋は残った。・吉原は遊女が放火して逃げるので出入り口は1箇所しかなかったが、島原は条件がよくてその心配がなかったので、2つの門があった。・島原大門に大田垣蓮月の歌碑があるのは、桜木太夫と歌友であったから。・高台寺の茶室遺芳庵は、灰屋紹益が愛した吉野太夫が先だったあと、彼女を偲ぶために作られた茶室。10月6日の北政所茶会では太夫道中が行われ、太夫は勅使門から入る。お茶席は15,000円。・島原歌舞練場跡のエノキは樹齢200年。歌舞練場を見守ってきた。・古高俊太郎は梅田雲浜に師事。最後は六角獄舎に収容され、円町処刑場で斬首された。古高を含む37名の志士の遺骨が明治維新後掘り出され、上京区の竹林寺に葬られている。・池田屋事件では旅館・小川亭のなじみの志士が犠牲になり、女主人テイは犠牲者の身元の確認をし、葬られた三縁寺で供養した。三縁寺は岩倉に移転している。・瑞泉寺の前に「岩瀬忠震(ただなり)宿所跡」「橋本佐内訪問之地」の碑が建つ。岩瀬は幕末三俊」の一人に数えられる。老中首座・阿部正弘にその才能を見出されて目付に就任した。安政5年(1858)の5か国修好通商条約締結に携わった。安政5年2月に当時の老中主座・堀田正睦(まさよし)とともに上洛し、瑞泉寺を宿所として、堀田らとともに条約勅許を願ったが、勅許は下りなかった。堀田は本能寺を宿所とした。橋本左内(1834~59)は,越前福井藩士。瑞泉寺に滞在する岩瀬を訪ねて意見を交わし、一橋慶喜の擁立で見解が一致。この後,二人はともに一橋派として行動し,そのため岩瀬は左遷され,橋本は刑死する。 暑い中を、久しぶりに長距離歩いたので、かなり疲れましたが、町歩きによる疲れは心地よいです。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/06/21
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【2021年6月20日(日)】 一昨日は事務所。昨日は修学旅行ガイドがコロナで中止で、替わりに会の小さな集まりがありました。 そして今日は両足院の第5日。日曜日でお天気もよかったし、新聞に記事が掲載されたこともあって、今期間の中で最も多くの方にお越しいただきました。 両足院の案内の続きです。 方丈では、道釈画家七類堂天谿氏の描いた現代仏画襖16面を特別公開することがありますが、今回は、この襖絵は展示されていません。しかし、氏の筆による、汎下生(半夏生)観音のお軸が方丈にあり、書院にも氏のお軸が1つ掛かかっています。 方丈の濡れ縁を通って書院に向かいます。方丈の東庭は、書院前の庭に続き、一体で「鶴亀の庭」となっています。方丈東庭の石組のある築山が「亀」の部分です。 方丈東庭の亀の形をした築山 方丈北川から半夏生の庭と2つのお茶室を望みます東側(右側)のお茶室は「臨池亭」です。昭和元年に白木屋店主(大村彦太郎)が寄進しました。大村彦太郎の茶人名を「梅軒」といい、「梅軒好みの六帖席」となっています。西側(左側)のお茶室は「水月亭」です。建仁寺塔頭の正伝院は、織田信長の末弟織田有楽斎(長益)によって再建され、有楽斎は「如庵(じょあん)」というお茶室も造りました。明治6年(1873年)に正伝院は永源庵跡地に移転し、正伝永源庵と称し、そのとき「如庵」は祇園町の有志に払い下げられました。明治42年(1909年)に東京の三井本邸に移築され、昭和11年(1936年)に重要文化財(旧国宝)に指定されました。その後、昭和13年(1938年)に、三井高棟によって神奈川県中郡大磯の別荘に移築され、昭和47年(1972年)に、名古屋鉄道によって現在地、愛知県犬山市の有楽苑に移築されました。昭和26年(1951年)に文化財保護法による国宝に指定されています。如庵という名称は、一説によれば織田有楽斎のクリスチャンネーム「Joan」または「Johan」から付けられたといいます。明治42年に東京に移築される際に写しとして建てられたのがこの「水月亭」です。二畳半台目席で、腰張り古い暦が貼られていることから「暦の席」とも呼ばれています。余談ですが、東京の「有楽町」は有楽斎の屋敷があったため名付けられたものです。有楽町は「ゆうらくちょう」ですが、有楽斎は「うらくさいい」です。 書院に入ります。入った床の間には、「かなアーティスト」赤川薫さんの「蜘蛛の糸」の掛け軸が掛かっています。芥川龍之介の小説「蜘蛛の糸」の小説そのものが、丸ごと絵の中に平仮名で書き込まれ、蜘蛛が糸でぶら下がる様子も表わされています。写真撮影禁止ですので、写真掲載できないのが残念です。(続きます)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/06/20
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【2021年6月17日(木)】 今日は昨日に続いて両足院でした。4日目です。 両足院の案内の続きです。 お庭を回った後、方丈に上がります。両足院の歴史と方丈の今の建物の歴史はすでに述べましたが、少し書き加えます。 両足院は当初は「知足院」と称していました。「知足」とは、「老子」33章の「足るを知る者は富む」から、みずからの分(ぶん)をわきまえて、それ以上のものを求めないこと、分相応のところで満足することという意味もありますが、「知足天」を「知足」とも呼ぶので、そちらのほうかもしれません。 知足はtuṣita (兜率)の訳の 仏語で、知足天は欲界六天の第四天で彌勒菩薩が住んでいるといいます。兜率天(とそつてん)ともいいいます。 そして、室町時代になって「両足院」と改められました。この「両足」は両足尊に因みます。両足尊は仏の尊称の一つで、すべての生類を多足,無足,両足に分け,そのなかで両足のもの (神々や人間) が最も尊いとし,さらに両足のもののなかで最も尊い人という意味です。両足院では慈悲と知恵の二徳兼備のお釈迦様のことだとしています。 方丈の中心の部屋は「室中の間」で、他の部屋が単純な格天井であるのに対し、この部屋だけさらに格式の高い小組格天井となっており、「室中の間」が方丈の部屋(通常6部屋)のなかで、最も重要な部屋であることを表しています。欄間は筬(おさ)欄間と呼ばれる形式です。「筬」とは、織物の縦糸をそろえ横糸を押し詰めて織り目を整えるための、織機の付属具のことで、金属または竹の細い板をくしの歯のように並べて、長方形のわくに入れたものです。この形に似ているので、筬欄間と呼ばれます。 天井のすぐ下の壁は「蟻壁」という造りになっています。柱や束が壁で隠されています。高くなった天井によって、間延びした感じになるのを抑えてくれます。また天井の造形が柱の位置から解放され、竿縁や格天井の割り込みが楽になるという効果もあります。この蟻壁も格式の高い建築様式です。 仏間にはご本尊の阿弥陀如来立像が祀られています。 方丈前庭は桃山時代の作庭といわれています。苔の広がりで水の流れを表しています。方丈前庭(続きます)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/06/17
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【2021年6月16日(水)】 昨日は事務所に一日出頭。終わってから月イチの三味線レッスンへ。レッスン会場は、事務所からは、歩いて1、2分の距離ですが、運悪く事務所を出るとき、雷を伴ったバケツをひっくり返したような大雨に遭遇。雨宿りしていたら間に合わないので、三味線ケースにレインカバーをかぶせて走りました。以前、大型リュック用のレインカバーを買って備えていたので助かりました。 もう一人の小学生の女の子は欠席で、個人レッスンとなり、マンツーマンでのレッスンでした。今まで習ってきた曲を一通りおさらいしました。そして、途中まで楽譜を書いていただいていた、2つめの「津軽曲弾き」を全編完成いただき、指導いただきました。 今日は両足院3日目でした。団体さんが2グループ来られ、1つのグループは案内の要請があったので、両足院のこと、半夏生のことを案内させていただきました。コロナ禍で案内は最小限にということになっているので、常駐案内でこうやってまとまって案内するのは、去年の3月以来です。 両足院の案内の続きです。 唐門前庭園を右に見て、左に折れ、方丈前庭園の南端を進みます。庭園の南東角で、左手に方丈を見ることができます。方丈 両足院は、室町時代初期の1358年に、建仁寺の第三十五世・龍山徳見(りゅうざんとくけん)により創建されました。方丈は何度か火災に遭遇し、現在の方丈は、幕末嘉永年間に再建されました。再建に際しては、大檀那である、白木屋の創業家大村家の多大なる援助がありました。 続いてお庭の東端を進みます。東山の裾野に位置するため、境内は東に行くに従って高くなっています。お庭もそのゆるやかな傾斜の中にあるため、東端の遊歩道は庭園より高い位置にあり、庭園を見下ろすことができます。 やがて書院東庭が見え、半夏生の群生を俯瞰することができます。庭園の東端遊歩道からの書院東庭の眺め(書院の左側が方丈) 池は、羽を広げる鶴の形になっています。方丈東庭には亀の形をした築山があり、合わせて「鶴亀の庭」と呼ばれます。 池の右手には、2つのお茶室が見えます。手前が臨池亭、向こうが水月亭です。別の機会に説明します。右:臨池亭、左:水月亭 庭の東南角からは、書院と方丈、両方を眺めることができます。左:方丈、右:書院 2つのお茶室の前を通って、書院の前に出ます。半夏生を真近で眺めることができます。半夏生 小さな門をくぐって方丈東庭に戻ります。小さな門を潜って方丈東庭に戻る 方丈南側を歩いて、お庭に下りたところに戻り、方丈に上がります。 続きます。 よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/06/16
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【2021年6月14日(月)】 建仁寺塔頭両足院の2日目でした。 初日の7日(こちら)に比べ、半夏生は白くなりました。平日ですが、多くの方にお越しいただきました。とはいうものの、コロナ前に比べたらやはり来訪者は少なく、ゆったりと過ごさせていただきました。 両足院は本坊庫裡の少し南の左手(東側)に位置します。看板の案内に沿って、簡素な冠木(かぶき)門を潜って入ります。両足院には立派な勅使門もあり、この門はいわば通用門のようなものでしょう。初夏特別拝観の案内冠木門 受付を済ませ、まず方丈に進みますが、上がり口に、小さな中庭があり、手水石が置かれていて、水滴の落ちる音と、白砂の波紋が訪問者を迎えてくれます。上がり口の手水石 廊下に沿って進むと方丈の西庭に出ます。「閼伽井の庭」と呼ばれる坪庭です。両足院のご本尊が阿弥陀如来であることに因んで、阿弥陀三尊石(阿弥陀如来、勢至菩薩、観音菩薩)が配され、後ろの植栽は光背を表しています。中根金作氏の子、中根史郎氏作庭による、平成のお庭です。閼伽井の庭 さらに進むと、方丈の南西角に来ます。ここからお庭に下ります。少し南に進むと、右手に唐門前庭園を見ることができます。白砂と松の緑が美しい庭園です。唐門前庭園後日に続きます。帰途に予約してあった歯医者通いでした。左上親知らずの根の治療が終わりました。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/06/14
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【2021年6月7日(月)】 両足院の「半夏生の庭」特別公開は、6月1日から始まっていますが、今日は、私の初日でした。一昨日見学に来ましたが(こちら)、そのときよりも半夏生の白い部分が増えたように思います。 コロナ禍の中の平日ですから、拝観者は多くはなく、ゆっくりお庭を観賞することができます。天気の良い一日で、湿気が高いのに閉口しましたが、一日、心静かに過ごすことができました。 両足院は建仁寺の塔頭です。 建仁寺は鎌倉時代の初期、建仁2年(1202年)に将軍源頼家が寺域を寄進し、栄西(ようさい、えいさい)禅師を開山として建立されました。元号を寺号とする寺院で、こういう寺院を元号寺といいます。平安時代以降の元号寺は他に延暦寺、仁和寺、東京の寛永寺などがあります。元号を寺号にするためには、天皇から公認されることが必要だと思うので、それだけで格式の高いお寺といえるのかもしれません。 創建時は真言・止観の二院を構え天台・密教・禅の三宗兼学の道場でした。その後、寛元・康元年間の火災等で境内は荒廃しましたが、正嘉元年(1258年)東福寺開山の円爾弁円(えんにべんえん)が入寺して境内を復興し、禅も盛んとなりました。 正元元年(1259年)宋の禅僧、建長寺開山蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)が入寺してからは禅の作法、規矩(禅院の規則)が厳格に行われ純粋に禅の道場となりました。 その後、室町幕府によって京都五山が制定され、その第三位として厚い保護を受け大いに栄えました。詩文芸術に秀でた禅僧を輩出し、「五山文学」の中心となり、「建仁寺の学問面」とも呼ばれました。しかし、応仁の乱などの戦乱と幕府の衰退により再び荒廃してしまいます。 天正年間(1573-1592年)に安国寺恵瓊(あんこくじえけい)が方丈や仏殿を移築して、復興が始まり、徳川幕府の保護のもと堂塔が再建修築され制度や学問が整備されます。 明治に入り、廃仏毀釈、神仏分離の法難により塔頭の統廃合が行われ、余った土地を政府に上納し、境内が半分近く縮小されて現在にいたります。花見小路付近も建仁寺の寺域だったのです。34あった塔頭が現在は14になっています。 私は阪急河原町駅から両足院にアクセスするので、建仁寺境内にはこの西門から入ります。建仁寺西門 その西門近くに公衆トイレがあって、車の一時駐車がしやすいため、よくタクシーの運転手が使っています。以前、改修中だったのですが、完了して、キレイになって、和式だったトイレも洋式替わっています。 よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/06/07
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【2021年6月6日(日)】 昨日は、建仁寺塔頭「両足院」に寄らせていただきました。5月~7月が「両足院」担当となり、5月は「サツキ」の庭園での特別公開だったのですが、緊急事態宣言が出て中止になりました。6月、7月は半夏生(ハンゲショウ)がキレイな時期で、近年毎年特別公開をされています。こちらのほうは、緊急事態宣言延長下ですが、公開となり、私も担当させていただくことになりました。両足院は何度も訪問したことがありますが、案内者としては初めてですので、昨日、午前中と夕刻に見学させていただきました。半夏生は葉先がようやく白くなり始めたところでした。明日、6月7日が私の初日です。書院から庭園を望む 昼間は事務所で一仕事でした。両足院と事務所間は往復とも歩いたので、久しぶりに多くの歩数になりました。 今日はフリー日でしたが、いつものように会のことに時間を費やしました。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/06/06
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【2021年4月19日(月)】 一昨日の清水寺のご案内(こちら)は雨の中でした。昨日は在宅で専ら会の役のお仕事。 今日は良いお天気のなか、フィールドワーク研修でした。 千本通を北上しながらいくつかのお寺を巡りました。どこも訪ねたことがあるお寺ですが、色々新しく知ることもあり、よい勉強になりました。●大報恩寺(千本釈迦堂)本堂(国宝)おかめ像●石像寺(釘抜地蔵)釘抜きのモニュメント(堂本印象奉納)阿弥陀三尊石仏(重要文化財)●浄光寺(大雅寺) 池大雅の墓●引接寺(千本ゑんま堂)鐘楼(迎え鐘・送り鐘)小野篁像(手前)石像群普賢象桜と十重石塔普賢象桜●上品蓮台寺定朝の墓弘法大師・空海の母の墓「阿刀氏(あとし)塔」源頼光朝臣塚(蜘蛛塚)終了後、事務所に寄って会の打ち合わせをして、帰宅しました。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/04/19
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【2021年4月17日(土)】 昨日はOFF日で、今日の清水寺案内の紙芝居制作に時間を費やしました。 今日の午前中の会の集まりの後、午後から清水寺ご案内でした。去年の2月18日に本能寺・二条城を案内した後、実に1年2ヵ月ぶりの同行ガイドです。記念すべき日でしたが、残念ながら天気予報どおり、雨ざぁざぁの中でのガイドとなりました。 社員旅行のお客様で、私は10人のお客様をご案内の予定でしたが、悪天候のため、バスで待つお客様も多く、5名のみのご案内となりました。予定より早く到着されたために、後に予定していたお土産買い物時間が先になり、たくさんのお土産を抱えて拝観という方もいらっしゃり、ちょっと気の毒でした。時間も1時間半の予定が1時間となったので、修学旅行のときと同じようなご案内に変更しました。雨なので紙芝居の使用も控えざるを得ませんでした。雨ではありましたが、その分、さらに人も少なく、静かでしっとりとした清水寺を楽しんでいただけたのではないかと思います。子安の塔エリアから本堂方向を望む(15日の下見の際に撮影)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/04/17
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【2021年4月15日(木)】 4月9日の龍安寺蔵六庵訪問後も(こちら)、忙しい日々が続いています。・12日AM 会、打ちあ合わせ PM 会、別の打ち合わせ・13日PM 会、打ち合わせ・15日今日PM 会、年イチ行事 それ以外の在宅時間のほとんどは、この15日の年イチ行事のための資料準備に費やしました。上記の打ち合わせのほとんどが、それに向けてのものです。資料はギリギリまでかかると思いましたが、何とか13日に完成できて、14日終日在宅で他のことをする時間を創出することができました。 実は、確定申告が出せていませんでした。昨年12月中旬頃から、色んなことが重なって急に忙しくなり、確定申告の準備を2月頃少しだけ進めたものの、それ以降は全く手を付けられない状況になっていました。提出期間が4月15日までに延期になったのですが、忙しさは相変わらずで、この1週間はほどは、期限までの提出はあきらめざるを得ないと思っていました。 ところが上記のように、1日使える時間がポコっとできたので、これはと思い、大車輪で一日で確定申告を仕上げて、今日ポストに投函しました。ギリギリ間に合いました。 今日の行事は午前中だけでした。午後から清水寺に向かいました。17日に清水寺での1時間程度のガイドをすることになっているので、その下見です。清水寺は修学旅行ガイドで、数えきれないほど行っているので、今さら下見でもないのですが、コロナでここ1年以上訪問していません。その間に、屋根の修理が完成しました。またコロナで色んなところが変化していることもあるでしょう。それで、京都市内に出たついでに下見をした次第です。 やはり人出は少なかったです。本番は土曜日というものの、人混みは心配しなくていいでしょう。 経書堂の「おもかる石」がありませんでした。地蔵院善光寺堂の「首振地蔵」も、清水寺本堂の「弁慶の下駄・錫杖」も、音羽の滝の柄杓もありませんでした。このように多くの人が手に触れる可能性のあるものは撤去されていました。「おみくじ」がどうだったか確認するのを忘れていました。 でも、屋根の修理が終わった本堂の姿はやはり圧巻でした。当日の天気が心配ですが、実に1年2ヵ月ぶりの同行ガイドです。私自身も楽しみたいと思います。参拝者のいない八坂神社行き交う人の少ない三年坂人が少なくより雄大に見える門前風景修理完了した本堂水を汲めず人の姿のない音羽の滝労せず人が写らないこんな写真が撮れてしまう八坂庚申堂相変わらずザ・京都の八坂の塔 帰りに予約してあった歯医者に寄りました。右上奥歯治療の継続で、土台の型をとりました。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/04/15
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【2021年4月7日(水)】 会で教科書のお話を午前中にさせていただき(こちら)、午後から「京の冬の旅」で特別公開をしている、龍安寺「蔵六庵」に見学に行きました。 金閣寺道でバスを降りて、龍安寺まで歩きましたが、金閣寺でさえガラガラでした。龍安寺の駐車場には自家用車は1台も停まっていないようにも見えました。境内のお土産店も閉まっていました。早くワクチンが行き渡って賑わいが一日も早く戻ることを願うばかりです。 蔵六庵では、他のお客様といっしょに案内を聴かせていただきました。里帰りした襖絵「芭蕉図」、茶室「蔵六庵」、本物のほうの水戸光圀公寄進の「吾唯足知」の手水鉢などを見せていただくことができました。 ガラガラとはいえ、有名な枯山水庭園前は、方丈の縁に座る人が一続きになっていました。それでも、ゆっくりとお庭を観賞することができました。花見のシーズンを終え、気候も温暖で、京都のよさを知るよい時期のはずですが、かたや不要不急の自粛も言われていますので、なかなか「今が狙い目ですよ。」とも言いにくい状況です。ご朱印もいただきました。通常はご朱印帳に書いていただけるのですが、コロナで職員さんを減らしているためか、書き置きだったのは残念でした。龍安寺石庭蔵六庵水戸光圀公寄進の「吾唯足知」の手水鉢(オリジナル)庫裡玄関「京の冬の旅」蔵六庵の案内ご朱印 せっかくですから、嵐電で嵐山まで出て、渡月橋を渡って、阪急で最寄り駅に戻りました。嵐山も静かでした。嵐山渡月橋 歴史教科書のお話を終え、ちょっとホッとしたところで、半日だけですが、のんびりと過ごすことができました。また忙しい日々が続きます。 予約していた歯医者に寄りました。右上奥歯の根っこの治療が終わりました。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/04/07
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【2021年4月7日(水)】 3月31日の妙蓮寺最終日(こちら)の後、4月1日は会の集まりが終日あった以外は、ほとんど在宅で、今日の歴史教科書のお話の準備と、会のもろもろに時間を費やしました。 その歴史教科書のお話の本番が今日の午前中にありました。忙しくて、準備ができるのか不安でしたが、何とかそれなりに準備ができて、そこそこのお話ができたのではと思います。 我々は京都に来られる修学旅行生を案内することが多いですが、修学旅行は勉強がすべてではないものの、生徒さん、児童さんが、京都の歴史をどこまで学んでいるかを知っておくことは大切なことの一つだと思っています。そこで、ガイドを始めた頃、中学生や小学生の歴史教科書を購入しました。しかし、忙しくてなかなか詳しく確認できていませんでした。それがこのコロナ禍で在宅の時間が増え、詳しく分析することができたので、皆さんと共有させていただいたという次第です。我々がご案内するのは、中学生のほうが圧倒的に多く、その中でもある教科書会社のものが圧倒的に採択が多いので、主にその中学歴史教科書を中心にお話をさせていただきました。 この研究の中で気付いたのは、教科書の中身を確認することは、修学旅行ガイドに役立つのはもちろんですが、一般の方の同行ガイドや寺社での常駐ガイドにも大いに役立つのではないかということです。我々、一般の方の同行ガイドや、寺社での常駐ガイドをする場合、そこに関係ある時代や場所のことは詳しく勉強しますが、それが大きな歴史の流れや日本全体2次元の拡がりの中で理解ができておらず、「砂上の楼閣」状態のガイドになりがちです。教科書は適切な分量で、分かりやすく記述されてされており、日本全体の歴史の流れや、外国の影響を俯瞰するのに最適なツールで、それを理解しておくと、確固とした地盤の上に建つ楼閣にようなガイドができるのではないかと思います。私自身にとっても、実りの多い研究でした。私が所有している歴史教科書上段4冊が中学校用、下段左2冊が小学生用、下段右1冊が高校生用。我々が小学生、中学生の頃は、社会の教科書はA5版でした。現在はAB版と呼ばれるサイズで、A5版の約1.7倍の面積があり、全ページフルカラーです。写真の高校用がA5版なので、大きさが比較できます。午後から、「京の冬の旅」龍安寺蔵六庵に向かいました。→こちらよろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/04/07
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【2021年3月31日(水)】 「京の冬の旅」妙蓮寺4日目でした。他の「京の冬の旅」特別公開は、11日まで公開しているところが多いですが、妙蓮寺公開は今日が最終日でした。 妙蓮寺には塔頭が8つありますが、そのうちの玉龍院と圓常院でご朱印をいただけるようなので、朝に訪れました。玉龍院はご住職がいらして、いただけましたが、圓常院は表に「ご朱印お休み」と書いてあったのであきらめました。玉龍院のご朱印 墓地に寄って、赤穂浪士の遺髪墓、月形龍之介の墓所を探しました。赤穂浪士遺髪墓月形龍之介墓(門田家の墓)画家・幸野楳嶺の墓もこの墓地にあるようです。 良いお天気に恵まれ、日蓮上人の像も満開の桜に囲まれて華やぎ、庫裡入口左側の枝垂桜も満開に近く、そんな風景も見ながら楽しく過ごさせていただきました。日蓮上人像鐘楼の造形庫裡入口左の枝垂桜特別拝観では収蔵庫もご覧いただくことができます。私が確認した展示品のリストです。襖絵用のガラスケース以外・大山忠作(1922-2009) 妙蓮寺万灯会の作品群・立正安国論 本阿弥光悦筆 江戸時代元和元年(1619) 日蓮上人の北条時頼への建白書「立正安国論」の一部を光悦が書いたもの・松尾一切経(重文)(1115-1163) 平成5年 妙蓮寺土蔵から発見・赤穂浪士遺髪墓 前述写真のオリジナルのもの・桃山鉄灯籠 西村道仁 奉進妙蓮寺天文十八年七月十五日とある襖絵のガラスケースの中 (いつもは等伯一派の絵が入っているので、この期間のみの展示か?) ・明智光秀等連署状「妙蓮寺文書」(元亀2年(1571))・後水尾天皇宸翰・後水尾天皇御歯・狩野元信「鷲之図」・狩野松栄(直信) 三福(中央は李鉄拐)・狩野永徳「羅漢図」・狩野探幽「徳山・達磨・臨済」「釈迦・寒山・拾得」・狩野尚信(主馬)「鶏之図」・狩野安信(永信・牧心斎)「布袋之図」・狩野主信(もりのぶ)(永叔)「布袋図」「釈迦・龍・虎」・狩野休山「金鶏・白閑鳥」・兆殿司(1351-1431)「羅漢」・牧谿(13世紀後半)「寒山子」(かんざんし)・近衛信尹(のぶただ)(1565-16149「渡唐天神」 渡唐天神~菅原道真が唐に渡ったという姿を描いたもの・林良「花鳥之図」 りんりょう・中国,明代の画家・長谷川等伯一派 重要文化財「松櫻之図」(奥書院展示の続き)白木蓮、妙蓮寺椿、桜など春の花と貴重な文化財に囲まれての至福の4日間でした。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/03/31
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【2021年3月28日(日)】 「京の冬の旅」妙蓮寺の3日目でした。お天気が心配されましたが、拝観時間中は何とか持ちました。 奥書院には、普段は収蔵庫に収められている、長谷川等伯一派の描いた襖絵「松桜図」8面、「鉾杉図」4面、「柳図」4面と長谷川宗宅の描いた「吉野桜図屏風」が展示されていて、ガラス越しではなく、直接自然光の中で観ることができます。長谷川等伯一派の襖絵は、妙蓮寺には全部で38面あり、すべて重要文化財に指定されています。 長谷川宗宅「吉野桜図屏風」は、妙蓮寺の収蔵庫を調査した山根有三氏(美術史学者)が発見したもので、重要文化財の指定を受ける直前に亡くなられたそうで、重要文化財には未だ指定されないままとのことです。 ご朱印もいただきました。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/03/28
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【2021年3月26日(金)】 今日は事務所勤務と、それが終わってからその関係での会議でした。 3月12日にある私立高校でコロナで中止になった修学旅行の代替の講演をさせていただきました(こちら)。そのお礼にと素敵な色紙が届きました。旅行委員14名の方のメッセージが寄せられていて、私の似顔絵も書いてくださいました。早速、先生を通して、私からのお礼を伝えていただくようメールを送らせていただきました。忙しいなかでの準備と講演でしたが、私にとっても素晴らしい思い出になりました。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/03/26
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【2021年3月24日(水)】 20日の妙蓮寺2日目(こちら)の後は、・21日 三重へお墓参り。お彼岸近辺で時間がとれるのは、この日しかないので、 雨が厳しそうでしたが、単独で強行。帰りは大雨でしたが、お墓参り中はさほどでもなく 助かりました。・22日 事務所勤務と歯医者。右上奥歯の治療継続です。・23日 午前中、月イチの近所のO医院への通院で、いつもの高血圧、高尿酸の投薬を受けま した。院内処方の場合はお薬手帳に書いてもらうと診察料がわずかですがアップするとい うことを知りました。4月7日の講師のレジュメ準備を開始。と相変わらず、忙しい日々が続いています。 そして今日24日は、先週17日(こちら)に続き、シニア講座での大徳寺案内でした。やはり午前中講義で、そのお手伝いをし、午後からフィールドワーク案内でした。今日も、4つの班に分かれて、私は9名の受講生さんを案内させていただきました。 今回もお天気がよく暖かくてよかったです。お天気の変わりやすい季節ですが、2週連続で好天気で暖かったは、本当に幸運でした。皆さんメモをとるなど熱心に聴いてくださいました。1回目の反省に基づいて、時間をかけて「紙芝居」を充実させた甲斐がありました。2日間とも私自身も楽しませていただきました。大徳寺 三門「金毛閣」大徳寺 仏殿南門から参道を望む 大徳寺の塔頭「瑞峯院」が「京の冬の旅」で特別公開中ですが、仲間がご案内しているので、フィールドワーク終了後、Oさん、Aさんと立ち寄りました。→こちらよろしかっったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/03/24
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【2021年2月20日(日)】 3月17日のシニア講座大徳寺フィールドワークご案内(こちら)の後、18日は事務所で、19日は大徳寺フィールドワーク2回目(24日)の説明内容補強に時間を費やしました。 そして今日は、「京の冬の旅」妙蓮寺2日目でした。もともとは1日だけの予定でしたが、「京の冬の旅」開催が延期になり、終了日も延期になって、妙蓮寺は3月末までとなりました。そのため、今日も含めあと3回お邪魔することになりました。 午後からの雨が心配されましたが、何とかもってくれました。お寺では午前中お彼岸の法要が行われました。そこそこの皆様にお越しいただき、楽しく過ごさせていただきました。 客殿には、普段は収蔵庫に収められている長谷川派の襖絵38面(重要文化財)のうち、松桜図8面、松杉図4面、柳図4面と、長谷川宗宅(等伯二男)筆「吉野桜図屏風」が展示されており、貴重な絵をガラス越しでなくご覧いただくことができます。 ハクモクレン、妙蓮寺椿、御会式(おえしき)桜がキレイです。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/03/20
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【2021年3月17日(水)】 昨日、2回目の下見で個人的に大徳寺を訪れましたが(こちら)、帰宅してからもフリップなどを準備して、今日の本番を迎えました。 午前中早めに集まって、会場の準備や受付をし、10時から先輩ガイドの講義でした。午後から4人で、夫々各10人程度の受講生を受け持って、大徳寺構内を案内させていただきました。密にならないようにガイドレシーバーを使っての案内ですが、それぞれの塔頭の境内には入らないので、フリップを多用せざるを得ず、そうなると密の方向になるので、そのあたりに気を配りながらのガイドになりました。以前なら、「見やすいように近くまでお寄りください。」と言っていたのですが。 駐車場に面した東門から入って、平康頼の塔、勅使門、金毛閣、仏殿、法堂、真珠庵、大仙院、芳春院、聚光院、総見院、高桐院、龍光院を中心に約1時間半にわたって案内させていただきました。お天気も最高によく暖かで、皆さんに楽しんでいただけたのではないかと思います。私も忙しいなかでの準備でしたが、楽しく案内させていただくことができました。 来週、同じコースで2回目の案内があります。今日不十分だったところを補強したいと思います。平康頼の塔大仙院、真珠庵前の五葉松芳春院参道よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/03/17
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【2021年3月16日(火)】 3月12日の東京往復(こちら)以降、15日が事務所勤務でした。それ以外の時間は、ほとんどを明日17日と24日のシニア講座の大徳寺案内の準備に費やしました。 今日も朝からその準備でした。夕刻から月イチの津軽三味線レッスンがあるので、午後車で出かけて大徳寺の下見をしました。雨が振ったり止んだりでしたが、幸い傘を差すほどほどでなく、1時間半程度下見をすることができました。 当日は、有料拝観の塔頭寺院の中に入っての案内はないのですが、外から案内にするにしても、詳しく案内する塔頭寺院で拝観できるところは見ておいたほうが、案内に深みが出ると思い、聚光院と大仙院は各30分くらい拝観させていただきました。 大仙院は常時拝観できる塔頭ですが、聚光院は常時拝観ではなく、現在「京の冬の旅」で特別公開中の塔頭です。聚光院での案内は学生さんで、とても折り目正しい案内でした。聚光院のご朱印が書き置きながら千円というのは驚きでした。聚光院(有料エリアはすべて写真撮影禁止)大仙院(有料エリアはすべて写真撮影禁止) レッスンから帰って帰宅してからも準備を続けました。明日は、天気がいいようです。 よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/03/16
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【2021年3月12日(金)】 3月2日の妙蓮寺(こちら)以来10日ぶりの投稿です。3月2日以降の外出は、・4日 事務所・8日 事務所・9日 午前歯医者・11日 夕刻大徳寺案内の打ち合わせ・レジュメ印刷と会の地区月例会だけでしたが、それ以外の時間は、会のあるお役目の最後の仕上げと、後から述べる今日の講演の準備に費やしました。 9日の歯医者では、この前欠けてしまった右上奥歯の本格的治療が始まりました。もともとちょっと虫歯治療の痕跡のあるだけの健康な歯だったのですが、左側で噛みにくくなっているため、右側に負担がかかって欠けてしまったようです。歯の一部が欠けたものの、幸い根は3本とも残っており、この日は、まず神経を抜きました。今後そこを充填して被せる治療をしていくことになります。 さて今日は、その準備してきた講演の日でした。東京往復をしました。ある私学の名門女子高校からの依頼です。毎年、京都・奈良に4泊5日の修学旅行に行っているのですが、コロナで行けなかったので、その代替に京都についてのお話を1時間くらいして欲しいというものでした。コロナが収まりきってはいませんが、何とかお応えしようといういことになり、私が担当させていただくことになりました。 朝6時くらいに家を出て、11時から12時にかけてお話をし、コロナのリスクを可能な限り避けるため、寄り道せすに真っすぐ帰ってきました。 今日は、私の講演だけでなく、京都・奈良デーとなっていて、朝から色んなイベントがあり、筑前琵琶の奏者を京都から招いての演奏会とかもあり、お昼はなんと美濃吉からお取り寄せのお弁当とのこと(私ではなく生徒さんがですよ)。天真爛漫な生徒さんが多いようで、楽しく講義ができました。一番うけたのは安井金毘羅宮の、こわーい、こわーい「のろい絵馬」のお話でした。あれもこれも話したくて、時間が足らなかったのは反省点ですが、最後終わるとき手を振って見送ってくださったのは感動でした。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/03/12
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【2021年3月2日(火)】 「京の冬の旅」妙蓮寺の私の第1日目でした。公開は本来は1月9日からの予定でしたが、緊急事態宣言で延期になり、その解除とともに昨日から公開が開始されました。そして公開期間はもとは3月18日まででしたが、公開開始が延期になったため、公開終了も最長で4月11日まで延期されました。場所によって公開期間は違っており、妙蓮寺は3月31日までです。私はもともと1日だけ来させていただく予定でしたが、延長により来させていただく日数は少し増えるでしょう。 今日は、ほぼ午後早い時間まで雨でした。収蔵庫への通路が雨で濡れるため、スリッパが準備されました。緊急事態宣言が解除されたとはいうものの、積極的にはPRしておらず、またけっこう強い雨ということで、静かな一日でした。その分、展示の絵画やお庭と向き合う時間も多く、心静かに一日過ごすことができました。雨でお庭がいっそうキレイでした。十六羅漢の庭 玉淵坊日首が、豊臣秀吉から賜った臥牛石(がぎゅうせき)を中心にして作庭した枯山水庭園です。玉淵坊日首は知恩院方丈庭園を作庭し、桂離宮の造営にも関わったとされる桃山時代の妙蓮寺の僧で、次のような逸話が伝わります。 日首が伏見城で秀吉から、「褒美に何か欲しいものはないか」と尋ねられ、「この庭の臥牛石をいただきたい。私が寺に戻るまでに運び込んで欲しい」と答えたところ、日首が寺に帰ってみると、臥牛石が届いていたといいます。 玉淵はこの臥牛石を涅槃の釈迦と見立て、周りに十六羅漢を配置しました。ただ周りの石は15しかありません。残る一つはお庭を見つめている「あなた」ということのようです。これは晴天の際に撮影したものです。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/03/02
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【2021年3月1日(月)】 大腸ポリープの2回目の切除手術を2月26日に退院し(こちら)、その後の体調は順調です。食べるものに気を付けたり、アルコールも控えています。会のあるお役目で、忙しい日々は続いており、在宅でもほとんどそのことに時間を費やしています。 そんななか、延期になっていた「京の冬の旅」が、関西の緊急事態宣言解除とともに、開催されることになりました。今日が初日です。勤務日ではなかったですが、種々あるので、事務所に立ち寄って、午後から妙蓮寺を訪問しました。明日が私の正式訪問日ですので、事前訪問です。収蔵庫や書院の展示内容の確認などしました。市長も積極的に京都に来てくださいとは言っていないので、ホームページでの開催宣言も控えめで、暖かくてお天気もよかったですが、拝観者数はやはり少ないようでした。妙蓮寺 鐘楼と山門鐘楼は元和3年(1617)建立、全国的にも数少ない本格的な袴腰型鐘楼。山門は文政元年(1818)に、禁裏より移築されたもの。両袖番所付きは稀に見る格調高い雄姿を誇る。 妙蓮寺を訪れた帰り、K歯科に立ち寄りました。昨日右上の奥歯が欠けたためです。左上の親知らずを抜く治療をしようとしていたところ、右上の歯が痛みだし、その治癒を待っていたところ、その歯が欠けてと、ご難続きです。今日はちょっと見てもらっただけで、次回からこの欠けた部分の本格的な治療です。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/03/01
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