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ドナベのバス・リサイタル学生時代の友人が、はじめて単独で、バス・リサイタルをひらきました。11月20日(月)、東京・国立駅ちかくを会場にしてのこと。とにかく、その声は絶品で、プロに交じったとしてもそん色がなかったんです。しかし、齢75歳ですから、私のみかん栽培と同じで、そのすばらしい声が、これからいつまで続くか、だれにもわかりません。ましてや、みかん園の草刈りにあくせくしている私などにとっては、一年で、1回か、2回あるかの芸術鑑賞の機会ですから、柄にもなく、いそいそと出かけてきたわけです。会場は、中央線の国立駅すぐ近くだったんですが、場所も良かったですね。近年の駅ビル開発は、かつての落ち着いた味を壊して、どこでも巨大な駅ビル・豪華繁華街に変貌してるじゃないですか。ところが、国立駅は違うんです、落ち着いたアット・ホームな雰囲気なんです。このリサイタルにピッタリの街並みでしたね。これがその案内とプログラムです。『慕情』、『ラスト・ワルツ』『黒い花びら』『愛燦燦』『マイ・ウェ―』「黒人霊歌メドレー」と、耳に親しんだ多彩な曲がうたわれました。モーツァルトやシューベルト、ベルディ―の古典もありました。最後は、シャンソンの『愛の賛歌』です。その間あいだに、曲に絡めて、当人の家族との音楽模様が、その昭和の暮らしぶりが紹介されました。私なども知らないことだらけだったんですが、今のドナベさんが、どうしてあるのか。少しですが、わかるような気がしてきました。そして、最後は、今は統廃合でなくなったそうですが、中野区立第十中学校の校歌を同窓生たちで合唱されていました。私などは、その校歌を、まったく初めて聞いたんですが、なかなか耳にやさしくて、素晴らしい歌だったんですよ。中学時代の同窓生が、コンサートを盛り立てて、こうして集まり音楽を楽しむなんて、私などは考えられないんですが、まして、この世知辛い世の中にあっては、なかなかすばらしいことじゃないですか。そんなコンサートだったんで、私にとっても貴重で楽しいひと時でした。今ごろは、中学校の同窓生たちは二次会をもって、きっと、50年ぶりの交流で、もりあがっているんじゃないかと想像しています。そのパワーをもって、是非また、こうした機会をつくってほしいですね。得がたいもので、私などとしても、それを期待してます。人生は、「パンタ・レイ」(帰らざる河)です。かけがえのないもの、二度とかえらない時というのが、あります。出来うることについては、それを楽しまなければ、もったいないですから。
2023年11月20日
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自分というものの限定紹介です当方の「みかんと学習」のフェイスブック兼ブログですが。ありがたいことですが、「友達リクエスト」が寄せられてます。それは、たいへんありがたいし、感謝しているんですが。しかし、フェイスブックの画面のプロフィルに表示させていただいてるですが。よせらけるリクエストについては、制限せざるを得ないこと。今回は、その事情説明です。フェイスブックのプロフィルに記載している「ことわりがき」ですが。「神奈川県小田原のみかん園の再生活動に取り組んでいます。それと学習発信しています。ご意見は大歓迎ですが、個々人とのチャットなどの対応はしてません。海外の方からの友達リクエストは容量の関係でお断りします」。これを基準にしています。これが失礼なことは、百も承知ですが、しかしそうせざるを得ないんです。この基準が、なぜ必要となったのかですが。毎日、一つ一つに対応していたら、一人ひとりとのチャットをしていたら、自分が自分で努力すべき時間が無くなります。友達リクエストを無条件にすべてにOKしていたら、世界は広いですから3000人くらいの容量は、すぐにパンクしてしまいます。このことから、日本国以外の方の友達リクエストは、お断りさせていただいてます。また、誰であろうと、チャットなどのやりとりについても、お断りさせていただきます。お互いに、貴重な時間を徒労に費やすことはないと思います。しかし、まったく無視しているわけではなくて、ブログでのコメント欄については、こちらの勝手な判断基準になりますが、答えなければならないと思われる問いかけについては、これまでもそうですが、答えるようにしています。私としても、友を、切実に求めてはいるんですが、一つ一つに対応していたら、世界は広くて、とても対応しようがないということです。ということを、ご了解ください。
2023年11月19日
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35分間の朝市11月18日(土)は、多摩の永山団地のあみかん市でした。事前に届けるべき先を、一か所抜かしていたため、朝市分が減らされることになりました。朝市には8袋のみかんしか、残ってなかったんです。みかんを車から降ろして、開店を準備しようとしていたら。『来るのを、待ってたんだよ』と、最初のお客さんでした。朝の商店会は、団地建屋の北側にあるから日陰で寒いんです。そこで待っていてくれたんですね、ありがたいことです。先週は、この寒気にあてられて、風邪をひいちゃいましたから、今回は、早く売って、早く帰って、とにかく早く休むということです。明日(日曜)は、小田原・早川でみかん園の関係者との交流会がありますから、今日の夕方には、出発しなければなりません。交流会は、3月から月に一度で始めたんですが、いまは、小木のみかんの収穫を終えたときで、一つの節目です。この11月どの交流会は、みかん園の使用を希望する人たちと確認書をかわすことが主題ですから、いいかげんな対応をしているわけにはいかないわけです。ということで、これからひと休みしてから、小田原行きです。
2023年11月18日
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とうとう風邪をひきましたこの数年らい、私は風邪などひかなかったんですが。とうとう風邪をひいてしまいました。11月14日、小田原厚木道路の小田原サービスエリアから見た富士山です。登山道が白い線として見えて、たいへんきれいなんですが。この冷気が、地上に降りてきているわけです。小田原方面は、比較的暖かい地域なんですが、この冷気が降りてきている。ストーブを焚くべきか、もう少し我慢をすべきか、思案しているうちに風邪をひきました。秋晴れと寒暖の差は、みかんの成熟にとっては、非常に大事な要素なんですが、風がなければ、この秋晴れの下で、草刈り作業は大汗ものです。ところが、午後3時を過ぎると急速に冷え込んできます。そのままでいると、早く着替えないと、寒気をきたします。昨日、紹介しましたが、みかん園の草刈りに、援農に3名の方が来てくれました。一人でショボショボ草刈りをやっていたら、今回の5分の一もできません。草刈りが追い付かないから、雑草に負けてみかんの木は枯れていく。フルに動いいるわけですが、人間一人が草刈り出来るのは限られいて、自然の力に負けちゃうんです。ところが、援農の人が来てくれると、だった1時間半で渉猟しました。これまで何度もやりかけては、途中でストップ。他のもっと切実な草刈りの箇所に目移りがしちゃってたんですね。それに、誰かが、隣で草刈り機を動かしていると、協働している人がいると、全体で作業が進んでいることを感じると、気持ちがゆったりするんです。おかげで、目先の箇所の草刈りに集中できるんですね。この箇所は、ずーっとまえまえから懸案だったところだったんですが、出来ていなかった。ところが、今回は、3人で1時間半の作業で、予定していた全部の面積が片付きました。やれやれ、といったところです。ところで、農家の人たちは、もっと何倍もの広い畑を、老夫婦できれいに維持しているわけですから。すごい力ですね。きっと草刈りにも、経験と技が、やり方があるんでしょうね。たんなる体力勝負だけじゃないんですね。まわりを見ると、収獲の今ごろになってまで、まだ草刈り機をふりまわしているのは、私のところくらいなんですが。まぁ、これも、素人の技で、仕方のないことなんですが。さて、早いところ、風邪を追い出して、美味しく熟したみかんの収獲に、力を集中するようにしなければなりません。この寒気がおりてくる中で、成熟が急速に進みだすはずですから。ここまで丹精してきたみかんですから、美味しいものを美味しい時に提供したいじゃないですか。これは喜びの忙しさです。12月末までが、ウンシュウミカンの収穫の、一つのリミットなんですが、成熟したみかんを見極めて、「ここも、いやそっちも、いやいやあっちも」と、猫の手も借りたくな、そんな時が近づいてきています。
2023年11月17日
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みかんの収穫と草刈り11月も、いよいよ後半に入りました。みかんの収穫は、12月中に温州みかんは終わらせる予定ですから、あと、1カ月半、いよいよ忙しくなる時期にはいりつつあります。まずは、富士山です。今回の小田原行きの途中で見た、今回の富士山です。よくみると、登山道が、ギザギザににってみえてます。真っ白になったり、雪がほとんど消えたり、一進一退でしたが、いよいよ冬の到来を感じさせられます。下界の世界も寒さを感じるようになって来ています。今回も、若いみかん園の園主が、早生みかんとともにレモンの収穫をしていました。このレモンは、無農薬で、美味しく安全なレモンですから。きっと、これから、彼の努力により、そのまわりで人気を呼ぶんじゃないでしょうか。11月も半ばともなれば、普通のみかん農家ならば、収穫作業に専念しています。ところが、当方が管理しているみかん園では、まだまだ、追い込みの草刈りをしています。今回も、援農の人たちが来てくれて、みかんの木の周辺の草刈りをしてくれました。一人でやっていると、自然の力に負けちゃうんです。みかんの木は、雑草がかぶさって、撒いた肥料も雑草が吸収しちゃうんです。このために、木はみかんが良くなっているのに、枯れ込みだしちゃうんです。だから、この草刈りは、後手後手で、後の祭りなんですが、それでも、この根回りの草刈りをしておかないと、木にも近づけなくなるし、みかんの木自体も弱って枯れてしまいますから、後手ではあっても、欠かせない草刈りとなっています。惜しむらくは、4か月前にこの草刈りが出来ていたら、この木は、無惨にも枯れることはなかったと思うんですが。しかし、時々をベストを尽くしてきたんですから、仕方かないのですが。
2023年11月16日
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『歴史哲学』序論の学習をまとめる当方は、みかんと学習を柱としています。この間、ヘーゲル『歴史哲学』序論を学習してきたことは、ブログをご覧いただけた方はご存じかと思います。やれやれ、といったところです。本日、今、新宿にある製本会社を紹介していただいて、その学習をまとめた原稿を届けてきました。今どき、何でヘーゲルなのか?誰が、そんなのを読んでくれるというのか。といったこともありますが。あれこれ議論があるかも、いやないかもしれませんが。とにかく、年内には冊子が出来上がると思います。300部の限定版ですが、一冊350円+送料です。購入を希望される方は、ぜひ、お申し込みください。
2023年11月13日
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みかんの収穫と、猪との攻防今週も、若者のみかんの収穫がつづきます。職場の休日のひと時をつかって、早生みかんとレモンの収穫をしました。熟した早生みかんを選んでの収穫ですから、きっとその内に、それほど遠からずに、彼の周りにはみかんの愛好者が増えると思うんですよ。最高の美味しい味のみかんを収穫しているんですから。ということで、小田原のみかん園では、早生みかんの収穫が始まっています。まだ、私などのみかん園では、収獲の初期ですから、1コンテナ(25キロ)くらいしか採れません。少しですから、こちらから声をかけることはできません。すぐに底をつき、不渡り手形となりますから。しかし、事情をさっしてくれている愛好者からは、『そろそろ、みかんの時期じゃないの?ちっとも声がかからないけど、生きてるの?』などとの連絡も、1-2あったりして。これから、12月末に向けて、ウンシュウミカンの収穫と販売の大仕事がはじまりだしているわけです。しかし、美味しいみかんを狙っているのは、人間ばかりじゃないんです。今回、ということは、この一週間で、2つの畑でイノシシの加害の痕を見つけました。下に落ちているのは、イノシシの食べたみかんの残がいです。地面から50センチくらいの高さになっていた、熟したみかんを食いちぎっています。せっかく1年間、丹精込めて育ててきたみかんを、その美味しいところをごそっと食い荒らしていくんです。イノシシ除けのために、みかん園には鉄柵が張りめぐらさられているんですが、その柵の弱い個所を見つけては、園内に侵入してくるんです。今回から、美味しいみかんをどちらが採るか、攻防戦のはじまりです。みかん園の園主さんは言ってます。『朝一番の仕事は、柵の見回りなんだよ。どこか破られてはいないかと』『破られた個所を見つけたらすぐに補強しないと、毎日そこを通路にして大被害をきたすから』と。これが現実なんです。このために、畑づくりを断念した農家というのも、私は知っています。それで、私などとしても、さっそくどこからイノシシが侵入したのか、あたりの柵を見回ったんですが。あった、あった! ありました。畑が少しですが段になっている所です。ずれた柵のすきまがあり、その下の地面に穴を掘って、通路にしたんですね。この一週間の間にイノシシがした仕業です。さっそく、応急として竹の主柱を2本追加して、その穴をふさぎました。こうしたことが、これからみかんが熟してくると、あちこちで繰り返されるんです。いよいよイノシシとの攻防戦のはじまりです。相手も必死です。しかしもう一つ、収獲作業と並行しての作業があります。草刈り作業です。これは、朝一番で見回った時のものです。雑草がみかんの木をとりまいているのが分かるでしょうか。アメリカセンダングサといって、今は黄色の小さな花が咲いていて、かわいらしいんですが、これが曲者なんです。これが冬になって枯れだすと、今でも一部ははじまってますが、針千本のように、1センチくらい茶色の硬い種が衣類や手袋につくんです。そうなると軍手なんて、ついたたくさんの種を、いちいち取り除くなんてしてられませんから、その軍手は、棄てざるを得なくなるんです。だから、今の時期に草刈りしておかないと、みかんの収穫の時に、このついた種に邪魔されて、収獲に集中することが出来なくなるわけです。そうした時に、今回も、援農者が来てくれました。これは、同じところの草刈りしたあとです。どうですか、畑がすっかりきれいになったでしょう。こりをひとりで、ショボショボやってたら、汗びっしょりのヘトヘトにさせられてしまう。もうそれだけで、その日の体力はつきはててしまいます。しかも5-6本のみかんの木の周りを草刈りするだけで、1時間半はかかります。それが、援農者が来てくれると、1+1が2じゃなくて、4にも5にもなるんです。この協力のおかげで、1時間半でしたが、畑全体の三分の2の面積の草刈りが終了しました。一人では、考えられない結果です。やはり援農者の力はおおきい!、今回も、そのことを実感する半日でした。ここにみかん園の未来が、未来をひらいていく要素がありますね。農家だけの限られた力で、しかも高齢化した農夫が、自己責任ということで、自分たちの世界の中でクタクタにさせられてい。これじゃあ、まわりの世界は見えなくなるはずです。それでは、どうしたって限界があるし、お先はまっ暗らじゃないですか。今回の力、若ものと援農者の力、今回のみかん園行きで、あらためて実感した力です。
2023年11月10日
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10月30日と11月7日の富士山常識では、冬が近づいて富士山は、ドンドン雪化粧を厚くするとのイメージですが、どっこい、必ずしもそうじゃないんですね。当方は、小田原・早川のみかん園に通っています。その際に、一つの楽しみとしているのは、富士山の景色です。これは、10月30日の富士山ですきびしい冬が近づいているのが、わかるかと思います。ところがです。それから一週間後の11月7日にみた富士山です。先週に見えた富士山の雪がすっかり消えています。この時期の特徴ですが、普通では、一路、富士山は冬化粧にすすむかというと、実際はそうじゃないんです。雪が積もったり、またその雪が解けたり、寒さと、暑さ、その一進一退が繰り返されている。しかし、時に雪が進む、しかし後退する、そうした中で、全体としては冬の一般的な、雪化粧の富士山が近づいているということです。みかんは、この寒暖の差のおかげで、みかんの色づきがすすみます。さして、甘さの方は、秋晴れのたまもので、秋の快晴を求めているということです。いよいよ、天気予報によると、来週くらいから寒気が迫っているようです。そうなると、あと年内の一カ月半ですが。この間に温州みかんを収穫しきるという大仕事が、迫ってきたということです。一年のみかんの手入れのあれこれの苦労でしたが、その主要な産物は温州みかんですが、いよいよ、この、あと一カ月半ですが、この収穫作業に、すべて成果がかかってきています。
2023年11月09日
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やっとひと仕事が終えたヘーゲルの『歴史哲学』序論の学習を、ついに終えました。これまでブログで、その学習を発信してきましたが、それを、まとめることが出来ました。私などは、ヘーゲルは古典的な存在ですが、今に大事なことを残していると思うんですが、ほとんど、その中身が紹介されてません。2022年の1年間、福田静夫先生の『ヘーゲル講座』に参加して、先生の語られていることをお聞きして、ますますそれを感じさせられました。福田先生は『法の哲学』の「世界史」と、『歴史哲学』の第四部ゲルマン世界を、紹介してくれたんですが。当方は、重ならないところの『歴史哲学』「序論」です。私などの学習ですが、これを形にして、関心者の御批評をあおごうということでして。こからが肝心なところですが、なんとか、その段階まできたということです。
2023年11月07日
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ヘーゲル『歴史哲学』序論 C世界史のあゆみ、 (c)歴史のすすみ方(その2)ヘーゲル『歴史哲学』序論の学習も、いよいよ今回で終了です。前回の続きで、岩波文庫『歴史哲学講義』(長谷川宏訳)では、P125の第35節からです。一、まず、P125、第35節ですが。ここは、(c)「世界史のすすみかた」の冒頭にあった、P113「世界史とは」なにか、「民族精神とは」なにか。それを短く総括しているものと思います。冒頭に、(c)「世界史のすすみかた」の冒頭にもどって、その論点を再確認します。1、P113、第20節「世界史とは、精神がみずからを自由だと意識する、その自由の意識の発展過程と、その意識が現実にうみだすものの発展過程をしめすもので。その発展はいくつかの段階を踏んでおこなわれ」る。自由の発展があり、それがたんなる移行・推移といったことではないと洞察しています。2、第21節では、その「発展の各段階が他の段階とは区別される独自の明確な原理をもち、その一つ一つの原理が「民族精神です」。民族精神のうちには、民族の意識と意思、その現実の全側面が具体的にあらわれる。民族の宗教、政治体制、共同精神、法体系、道徳、学問、芸術、技術的訓練など。それらのすべての領域のなかに共通する民族の一般的な特徴がある、それが民族精神なんだと。ヘーゲルは、この後で、自説に対するいろいろな非難や誤解にについて検討しています。みずからの考え方を明確にしています。二、それをまとめたものが、P125-126の第35節だと思います。ヘーゲルはここで、世界史とは何か、「世界史の概念」を提起しています。前に見た「民族精神」ですが、民族のあらゆる行為のなかに浮かび上がってくるもので、思考によってしかとらえられないものだけど。その民族精神は自らめざしていたことを達成する。同時にそれを成就することは、みずからの没落であり、次の別な新たな民族精神に交換していく。こうした民族精神の没落と再生、その全体の続きあいこそが「世界史の概念」であると指摘しています。これは、世界史のあゆみということの一般的な全体観ですね。これだけではごく一般的な概念の規定ですから、ヘーゲルは次にその「少し具体的なイメージ」を提示しています。P126、第37節ですが。「世界史をひとわたりながめてみると、そこには」として、13行にわたって展開しています。「ようするに、多種多様なできごとが私たちの関心をひこうと待ちかまえていて、一つが消えさると、ただちにべつなできごとがかわって登場します。」と。ロシア革命の指導者レーニンですが、この第37節の箇所を全文を書き抜いています。第一次世界大戦の最中の1914年-16年ですが、『大論理学』や『歴史哲学』を読んでいるんですね。その『哲学ノート』(全集第38巻)ですが、P284-285には全文が書き抜きされています。その中でも、「情熱と諸行動の総和(いたるところにわれわれの関係のある事がらがあり、したがって、いたるところにわれわれの賛成、または反対の関心がひきおこされる)」の箇所には、この横には『非常にいい』とのコメントが。また「取るにたりないように見えるものから、巨大なものをつくりだす小さな諸力の、無数の集中」の箇所には、その横に『非常に重要だ!』との感想を、コメントとして書きこんでいます。当時の1914年というのは、たいへんな緊張の時だったと思うんですよ、その中での学習ですから、すごいですね。「忙しいから、時間がないから」なんてことじゃないんです。ここにも歴史科学をほんとうに大切にしていた、誠実な政治指導者だったこと、努力家だったことが伝わって来ます。三、さらにヘーゲルですが、この世界史の一般的イメージの中にある「変化」ということですが、そこにある具体的な中身について、ふくまれる思想について探っていきます。1、古代文明の廃墟を前にして、悲しさとともに新しい生命の登場を思う。生から死へ、死から生へと。2、変化はたんにる移行ではない。自己実験、自己格闘であり、意図により素材を加工することであり、自分の力を発揮、発展させること。障害にぶつかることもあるけど、精神は自分の使命をまっとうし、自分の力を発揮して、そして没落していくと。私などは、この箇所で二つの点に注目します。ア、民族精神が安定した自足した状態にある場合と、民族の潜在的で主観的で内面的な目的や本質と、その現実の姿とが分裂した状態にある場合との場合、この二つの世界史のあゆみの相克ということです。片や口先ではもっともそうなかっこは取り繕うが、現在の状態に満足していて、新たな動きをおさえる、それは退屈きわまる政治的ゼロといった状態についての指摘です。身近かなこととして感じられませんか。イ、もう一つは、そうしたなかにあって「民族精神はなにか新しいものを意欲しなければなりませんが、この新しいものはいったいどこからくるのか」(P131、第41節)ヘーゲルはこんな問題提起をしているんです。このヘーゲルの問いかけというのは、すごいことだと思いませんか。「自分をさらに高め、さらに一般化するイメージがうまれ、現行の原理がこえられなければなりませんが、それには、一歩すすんだ原理が新しい精神として登場してこなければならないのです」「民族を行動にかりたてるもの」(P132)は、なんなのか?ヘーゲルは歴史の変化のなかに、こんな問題を提起しているんです。私などがおもうのに、一方で、ヘーゲルは世界史(歴史)の変化の様相を、たいへんよくとらえていると思うんですよ。随所ですばらしい見方・考え方、思想を語っています。「時の流れは否定の力があるが、しかし思考にも否定の力があって、もっと内面的な無限の形式であって、すべての存在を解体していく」「最初に否定されるのは一定の形態をもつ有限な存在ですが、目の前にある権威ある存在ですが、それがその内容からして限界のある有限なものと見なされる。ないし思考する主観とその無限な反省を制約するものとみなされる」(P134、第49節)第50節では、歴史認識に見る「否定の否定」ということも説いています。(P134-135)大きくみると、「E.世界史の時代区分」には、世界史のあゆみの具体的な内容が説かれています。「世界史は、野放図な自然のままの意思を訓練して、普遍的で主体的な自由へといたらしめる過程です。東洋は過去から現在にいたるまで、ひとりが自由であることを認識するにすぎず、ギリシャとローマの世界は特定の人びとが自由だと認識し、ゲルマン世界では万人が自由であることを認識します」(P176)との骨格内容の提起ですが。歴史が法則的に発展してきたし、しているとの思想を提起しています。ここでは、「この地点に達したとき、変化の内的かつ概念的な必然性があらわれる。そこをとらえるところにこそ、歴史哲学の精髄があり、真骨頂があります」(P136)と表明しています。ヘーゲルのすばらしい洞察と、その確信のほどが伝わってくるんじゃないでしょうか。マルクスの『経済学批判』の「序言」とも重なって来るじゃないですか。ところがです、他方でヘーゲルはその変化の原因についてどういっているか、この問題です。P135、第51節「精神のあゆみとは、自分を対象化し、自分のあり方を思考する精神が、一方で、自分の限定されたありかたを破壊するとともに、他方で、精神の一般理念をとらえ、その原理にあらたな定義をあたえる、というところに到達します。ここにいたって、民族精神の実体的内容が変化し、その原理は、べつの、より高度な原理へと上昇していきます。第52節「歴史を概念的にとらえるにあたっては、こうした精神のあゆみを、思考と認識のうちに保持することがもっとも重要です。」これがヘーゲルの問題の原因に対する答えだと読みました。ここにある問題ですが、ヘーゲルは、世界史(歴史)のあゆみを、精神のあゆみのあらわれとしてとらえている。精神と現実ですが、現実の一側面としての精神が、現実に対応する関係にあることは間違いないと思うんですが、精神には能動的なはたらきがあることも間違いないと思うんですが、しかし精神というものが歴史をつかさどるようにとらえている、ないし歴史とは精神があらわれたものととらえるのは、思考の原理こそが現実のすべての原因をなしているととらえているヘーゲルですが。ここにヘーゲル特有の問題点があると、私などは感じているわけです。四、ヘーゲルに対するこのモヤモヤした状況にあったときに、エンゲルスの『フォイエルバッハ論』(1888年)がこのゴタゴタを整理するヒントを与えてくれました。1、その1「歴史哲学、法哲学、宗教哲学、等々のなかみは、出来事のなかで立証されなければならない現実の連関の代わりに、哲学者の頭のなかでつくられた連関がすえられたということであったし、歴史とは全体としてもまた個々の部分においても、観念の—しかももちろんいつでもただ哲学者自身のお好みの観念の—漸次的実現であると解されたということであった。それによると、歴史は、無意識にではあるが必然性をもって、あらかじめ確立されているある観念的目標を目指して精を出してきたことになる。たとえばヘーゲルでは、その絶対的理念の実現をめざして精を出してきたのであり、そしてこの絶対的理念へ向かう不動の方向が、歴史上の出来事の内的連関になっていたのである」(大月書店 秋間・藤川訳 P75-76)私などがおもうのに、思考法則はそれとしてあると思うんですよ。それをヘーゲルは『精神現象学』『大論理学』でそれを探っていたと思うんですよ。それがヘーゲル自身も「経験的に納得され、歴史的に立証されなければ」ならないとされていることがらにたいしても、思考法則により現実が考案されてしまう。ものごとは論理的な(弁証法的な)性質をもってはいたとしても、そこから飛躍して、歴史やものごとの連関ではなくて、論理のあらわれとしてその現実がある、かのような角度から見てしまう、そこにヘーゲルの癖というか、問題点があったとみています。その2 「ヘーゲル哲学(ここではカント以来の全運動の終結としてのヘーゲル哲学の話にかぎらなければならない)の真の意義と革命性格とは、この哲学が人間の思考と行為とのすべての結果の究極性ということに一挙にとどめを刺したという、まさにこの点にあった。ヘーゲルでは出来上がった教条的命題の寄せあつめでは無く、真理は今や認識の過程そのもののなかに、学の長い歴史的発展のなかにあった。」(同 P11-12)「ヘーゲルはこれほどはっきりした形では述べてないけれど、それは彼の方法の一つの必然的帰結である」(P14)いかにエンゲルスが、ヘーゲルを丁寧に読み込んで、そこから宝となる明確な認識をひきだしたか。それを重視したかが、しっかりとうかがえる指摘じゃないですか。2、ところで、エンゲルスが晩年に強調していた論点ですが、「科学的社会主義は、唯物史観というのは、型紙とか図式じゃなくて、方法であり、あくまでも行動の指針なんだ」と、くり返し、くり返し、論じていますね。その問題と、ここでの問題とも重なる面があると思うんです。1883年にマルクスが死去して、エンゲルスはその残された遺稿集を目にしました。『ヘーゲル法哲学(国法論)批判』もそうですし、『経済学哲学手稿』での「ヘーゲル哲学批判」もそうですし、『ドイツ・イデオロギー』だってそうなんですが、20代のマルクスやエンゲルスは出版することが出来ずに、草稿のままで、人知れずしまわれていたんですね。しかし、そこでこの作業が行われていたわけです。しかしこのことが活字となって紹介されたのは、『経済学批判』の「序言」とか、ごく限られていたんですね。その草稿の束を、エンゲルスは1883年ころから遺産として見ることとなったわけで、『資本論』がどこまでできているのか、これが大事な問題だったでしょうが、同時にヘーゲルの業績を、弁証法の意義をしっかりと評価して、若きころの自分たちは、それをどの様に批判して自分たちの新たな世界観をつくりだしたのか。初期のゴチャゴチャした大部なものをそのままの形で刊行するわけにはいきません。その中身を簡潔で分かりやすく、しかもしっかりとすっきりした形で明らかにし、ひろく伝えること、これが大事な仕事になっていた。、科学的社会主義の思想を広げていくうえで、大事になっていると思ったんじゃないでしょうか。『フォイエルバッハ論』を読むと、そんな続きあいと今日的な意義を感じさせられます。3、ヘーゲルのこの点をおさえておけば、ヘーゲルはじつに素晴らしい思想を、さまざまな分野で仕事を残しています。だけど私などは、現代において感じるんです。一方では、あまりヘーゲルの中身が語られてない、難解さがときほごされてないんです。他の権威者の言葉をオウム返しにしてわかったようなかっこで済ませている。他方では難解な表現ということから、そのなかみを正確にとらえることなく、自分の勝手な解釈を広げている。しかもそれがもてはやされているような事態です。困ったものです。そうした中、私などは、福田静夫先生の『ヘーゲル講座』を、2022年に受講する機会がありました。そこで、『法の哲学』の「国家論」と、『歴史哲学』(『世界史の哲学』)の第四部ゲルマン世界を学んだんです。学習の仕方を学んだんですが。正確にヘーゲルの言っていることをとらえ、あらためてヘーゲルの考え方の今日的意義、素晴らしさを実感させてもらいました。今回の、『歴史哲学』序論を再学習ですが、その「ヘーゲル講座」の副産物です。少しでもその成果をつかんで、それを発信すること。これは今の学術において大事なことだと感じたからなんですが。とにかく、『歴史哲学』「序論」の終わりまで来れたこと、これをさいわいと感じています。以上をもって、ヘーゲル『歴史哲学』序論の学習を終了します。
2023年11月04日
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11月4日のみかん朝市今日は、午前8時半から10時まで、1時間半のみかんの朝市でした。小田原・真鶴の早生みかんを、11月2日に東京へ搬送してきました。昨日(3日)のうちに、注文を取ってあった方たちポストおろししてきました。だから、この永山団地の朝市には、早生みかんは17袋しかなかったんです。こちらもくたびれてますから、そうそういつまでも、寅さん商売をやっているわけにはいきません。人通りの少ない朝の商店会ですから、無為に時間を費やすことは、なおくたびれちゃうんです。このみかんが欲しいという人は、事情を知ってますから、この限られた時間に来てくれるんですね。しかし、なるべく多くの人に、この味を味わってほしいから、せめて、午前10時までは、店を開いて頑張るようにしているんです。今回、最後の一袋を買ってくれたお客さんは、インド人の青年でした。スマホくらいの大きさでしたが、言葉の翻訳機をもっていたんです。「インドから来ていて、電子関係のエンジニアの仕事をしている」とのこと。それで質問したんです。「インドは今でもカースト制度(身分制度)といったものが、のこっているのか?」って。なんたってヘーゲルの『歴史哲学』のインド論は1820年代のこと、日本では江戸時代のことですからね。それでも、最近のインどを紹介した本のなかにも、その残照を欠いたものがあるじゃないですか。それで聞いたんですが。少なくともこの若者の認識では、『ノー、ノー、それはまったくない』とのことでした。考えてみればそうですよね。独立の父・ネルーが書いた『父が子に語る 世界の歴史』(みすず書房)などをみると、すごい歴史認識じゃないですか。教師のような学校教育に使っても良いようなすばらしい内容じゃないですか。どこかの国の首相ように、自身の国の侵略戦争の事実すら明言しない、アメリカに対してはヘラヘラ、ズブズブの首相などと比べたら、月とスッポンですね。かつては、日本もアジアの人たちから見たら「希望の星」といった位置があったと思うんですよ。今の姿ですが、おあいそできれいな言葉はあったとしても、実際は卑屈さと危険な存在の象徴としての日本になっている、なにかどこかに尊敬できるものがあるのか、といった位置かと思います。でも、庶民レベルでは、こうして小田原産の早生みかんを味試ししてくれて、『うん、これは美味しい。今、お金をもってないから、家に取りに行ってくるから。』と。朝市を終えて露店を片付けていたら、急ぎ足でやってきました。それで、質問が出来たんです。『どうして日本にいるの? 仕事は何なの?』『日本の歴史書やインド論には、カースト制度の余韻が残ってるとの記載があるけど、どうなの?』と。この2問しか、質問は出来なかったんですが。相手に対し正面に向かって話すような青年でして、その内容もきっぱりしたものでして、私には、そこにインド社会の若々しさといったものを感じたところでした。逆に言えば、日本の政治の劣化現象ですが、侵略戦争の事実も認めず、学術会議の任命は拒否する、インボイスで国民への増税の網張りを強いる。沖縄連民の度重なる意思表示を、強権でねじ伏せる。日本は、基本的な事実をうけとめる政治が、国民の声が通るような政治が、あれこれとごまかし捻じ曲げつづける政治のカサブタを取り払わなければ、国民の質が低下してしまう、今はそんな時にありますね。今回の朝市をやって、そんなことを感じさせられました。
2023年11月04日
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富士山、みかん収獲とイノシシとの攻防季節は秋らしくなりました。10月30日の富士山です。富士山が鮮明に見えるのは、この時期が秋のすんだ、カラッとした大気なことをしめしています。午前9時57分、小田原厚木道路の平塚から見た富士山です。みかんが美味しくなるには、この秋の晴れた日和が大切なんです。みかんの美味しさは、太陽の恵みなんです。秋の今、今回の小田原行きですが、それは、小田原・早川の石垣山で、早生みかんを収穫するためです。早生みかんは、10月の半ばから11月上旬まで、徐々に成熟していきます。その成熟の進展するのに合わせて、みかん農家は収穫作業をしていきます。小田原の市街地から、すぐ近くの早川の石垣山のみかん畑ですが、若者が一人、今週も、みかんを収穫しているのが分かるでしょうか。これらのみかんを、今収獲すべきか、もう少し待つべきか。みかんの味の見極めですが、いちいち試食して確かめるわけにはいきません。そのみかんの果皮の色を見て、その成熟・美味しさを、見極めれるようにならなければなりません。せっかく、ここまで育てたんですから、一年間丹精してきたんですから、酸味のなかに甘さが浮き出てくる美味しさ、これが当地のみかんの特徴なんですが、そのおいしさが浮き出たものを採るか、それともその前に早もぎしてしまうか、ここが収穫の肝心なところです。美味しいみかんを消費者に届けたい、そこが生産者のポリシーなんです。ですから、大まかに色づきさえすれば、ざーっと収穫すればよい、といったものではないんです。また、売れてお金になりさえすればよい、といったものじゃないんです。なんのために、一年間、これまで苦労してきたのか、その基本が問われてるんです。この若者ですが、一生懸命に、このみかんは熟しているかどうか、その色をみて品定めをしています。農家の家に生まれると、今はそれで安定した生活、まともに家族を養えるなんてことは出来ません。親としても、子どもにそんな「負けるばくち」のような家業を強いることは出来ませんし、子どもの側からすれば、小さい時から農家の大変さを見てきたわけですから、そんな家業から離れ、敬遠するようになったとしても、おかしくはないんです。むしろそれが当然なんです。しかし、この若者は、今年の4月からですが、あの暑い最中に、職場の休日のひと時をつかって、みかん園の草刈りを始めだしたんです。そして、一番大変な時期に、大変な作業を、やり通したんです。これって、どういうことかわかりますか。その作業が十分であるかどうかは別にして、基本的にみかん園の担い手があらわれたということです。じつは、このみかん園の園主(71歳)が、今年の6月3日に亡くなったんです。友人でした。その彼は口にはいっさいしませんでしたが、この先、家族やみかん園がどうなっていくか、地域の農家がどうなっていくのか、多分に気をもんでいたと思うんですよ。酒も弱いのに、一日の作業を終えて、コップ一杯のビールを飲むと、壊れたテープレコーダーのように、毎回、毎回、わけのわからない義憤を、語っていたんです。私などとしては「また、言ってらあ」と聞き流していたんですが。ところが、その当人が亡くなって、その彼が最後の遺稿としてのこした句集ですが、その「あとがき」にその思いを書いていたんです。それは全国の農家のおかれた多難な状態の中にも、みずからが努力してきた道は、とにかくも間違ってはいなかったし、変化の兆しを感じていると。いわば、安心立命の境地をしたためた一文でした。おそらく、たいへんに日常のなかにあっても、そのどこかに未来を感じていたんですね。こうした若者が、今、変化しつつあったことも、また一つの明るさの材料として、感じていたんじゃないでしょうか。日本の農家というのは、日本中、どこも五十歩百歩でして、みな同じような苦難を強いられてます。まともな政治の社会的な支援ははかられずに、当事者責任ばかりをしいられて、まったくのほったらかしの事態、逆に首を絞められている事態ですから。国民生活に欠かせない食を守る、ずーっと農家は歴史的につとめてきた国の宝なんですが、かけがえのないギリギリの努力なんですが、それがそれとしてちっとも評価されていない。いわば、逆にそれが見殺しにされていて、それを踏み台にして軍事国家に突き進もうとしているのが今の日本です。それを放置している国民もそうですが、なんとバカなことをしているのか。それが、ストレートには口にすることは無かったんですが、毎回の彼の思いだったんですね。「あとがき」には、そうした思いが刻まれていました。しかし、狂った社会ですが、その中にあっても、この若者の確かな努力がはじまったんです。難行苦行の草刈りに、逃げたとしても当たり前なのに、真っ向勝負がこのくそ暑い中であったんです。私など思うに、ここに早川のみかん園の未来がかかっているわけです。私などは、たまたま縁あって、真鶴・小田原のみかん栽培にかかわっている年寄りですが、思うんです。この歳をとったものの役割というのは、そこで得たみかん栽培のワザと感覚ですが、まったくの素人の手探りなんですが、それでもそれをすこしでも役立つというなら、それをこうした若者に引き継がせてゆく。していは、それが巡りめぐって国民生活の全体土台になる、すべてはこの一点にあるわけです。それが、一足先にたびだっていった知人の思いであり、あとに残された私などの余生の仕事なんですね。さて、今回もみかん園に援農者がきてくれました私の若者の収穫作業をともにした時間は、ほんのわずかなひと時でしたが。今回の基本作業は、みかんの収穫とともに、みかん園の周辺の草刈りでしたが。今回も、この難行苦行の草刈りに、忙しい中を援農者が来てくれました。次の写真は、今回の草刈り作業です。ここはもとはみかん畑なんですよ。働き手の高齢化によって、農家のその手の及ばなくなった畑には、クズや竹、アメリカセンダングサやセイダカアワダチソウが押し寄せて来て、すっかりみかんの木を覆っちゃっているんです。たった一年というか、そうじゃなくて今年の6月頃にここも一度は綺麗に草刈りしたところなんですよ。それでも、ご覧の通りです。自然の豊かさというのは、恐るべき力なんです。もしも、今回我々が手を出さなかったとしたら、ここにあるみかんの木は雑草に覆われて、この半年で消失したんじゃないでしょうか。数本の木を除いて、すでにほとんどは枯れていました。今回、クズやヤブカラシの蔓の巻きつを取り除いたら、その下からみかんがをつけた木がでてきました。みかんの木も、必死になって頑張っていたんですね。その発見は、作業者はくたびれていても、もうひと仕事せざるを得なくなるんですね。それらの雑草の繁茂してくるのを押し返して、みかん畑を復活させる努力が、それが、この草刈りをしている汗であり、その姿なんです。一人でこの仕事にあたっていたんでは、まったくの絶望的な仕事なんです。今回もこの援農者があったからこそ、「よしっ!いっちょう、やったるか」と挑戦する気になった次第です。それにしても、自然の力はすごいものです。人間の努力なんて微々たるものです。この様子は、いかにみかん園を維持するのが大変か。自然で当たり前のみかん畑が、日本の自然の力のすごさを相手にして、農家の人たちの草刈り作業をはじめ、目には映らず、社会的にも知られてない中で、どんな苦労によりささえられていいるのか。それがいかに大変な仕事かが、それが知られてないかがわかる、そうした一枚の写真じゃないでしょうか。今回、この草刈りをしていて、この援農者は一つの発見をしてくれました。みかんを守るために、みかん園を鉄柵で囲っているんですが、鉄柵の一か所に、イノシシが穴をあけていたんです。柵の下に穴を掘って、20-30センチの通路がつくられていたんです。イノシシはみかんが大好物ですから、みかんが熟してくると、みかん園に侵入してきます。この通路は去年のものですが、間もなくみかんが熟すると、またやってきます。地面から1メートルくらいの高さまで、美味しく熟したみかんを食い荒らしていくんです。木全体の収穫の半分くらいのみかんを食べちゃうんじゃないでしょうか。だから、このイノシシの道の発見は大事だったんです。今回の草刈りに臨んだからこそ、その出入り口を見つけれたんです。クズやヤブカラシの雑草に覆われていた状態では、まったくわかりようのなかった通路です。そこで、今回、イノシシがはいって来れないように、しっかりと鉄柵をたし、真ん中に主柱もたてて柵を補強し、通路の穴をふさぎました。これで、このみかん園ですか、少なくともこの通路は塞ぎました。その様子からすると、穴は乾いていますから、まだ今年はこの通路は使われてないようです。しかし、まもなくみかんが成熟してくると、必ずここが獣道として使われるはずです。だから、しっかりと塞ぎました。このみかん園の園主さんは言っています。この時期、「朝一番の仕事は、みかん園周辺の鉄柵の見回りだ」と。柵に穴があけられてないか、毎朝見回っている、と。みかんをめぐるイノシシとの攻防ですが、これから日に日に激しくなっていきます。人の手あてが弱いところを、イノシシは敏感に感じ取るんですね。向こうも必死です。なんとかみかん園への獣道をつくろうと、執拗に狙っています。日に日にその攻防戦が、繰り返されているんですよ。少なくとも今回は、草刈りをすることで、イノシシの通路を発見し、その一つを塞ぎました。しかし、これからが本番です。みかんの成熟しい来る12月の末まで、美味しいみかんをどちらが採るか、人かイノシシか、みかん園では、どっちが採るか、その攻防戦がはじまっています。
2023年11月02日
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みかんの旗がたった朝市10月28日(土)、団地朝市に、みかんの旗がたちました。ついに、みかんシーズンの到来です。東京・多摩市の永山団地ですが、毎月二回、定例の野菜市が開かれます。当方は、その一角にみかん市をひらくようにしています。今回は、今シーズンでは最初のみかん旗がたてられました。これは、販売するのが目的ではなくて、普通では、商品流通にのることのできないみかんですが、みかんとしては見栄えはよくないんですが、美味しいみかんです。しかし今の商品社会の流通では、行き場がなくて捨てられちゃうみかんなんです。当方の役割は、そのみかんを都会の消費者に、味わってもらうことなんです。持て余されてるみかんを、美味しいみかんを、消費してもらうことなんです。営利目的ではなくて、無駄にされるのをなくすということです。今回も、若い子が自転車をとめて、味見してくれました。「味はどう?」と聞いたところ、にこやかに『酸っぱいけど、美味しい‼。ありがとうございました』との感想を残してくれました。苦労が報われて、もろもろの疲れを癒してくれるひと時でした。この通信は、栽培した農家の方たちも見ることができますから、もしかして見てくれているかもしれません。商品流通にのれないみかんでも、味試しをしていただいて、それが美味しければ、都会の人たちに、楽しんでもらえるということです。
2023年10月28日
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若者のみかんづくりへの挑戦10月26日(木)、本日から38歳の若者が、この畑の手入れを任されました。小田原・早川の石垣山のみかん園の一画なんですが。正面の向かい側に見えるのは小田原の市街地で、小田原城もみえます。それもそのはず、ここは石垣山で、秀吉が小田原攻めでつくった一夜城がつくられた山です。ロケーションは最高で、「ブラタモリ」の小田原紹介でつかったところです。今の若者は、非正規雇用の過労死的な仕事を余儀なくされてるでしょう。みかん農家に生まれた若者たちも、みかんづくりでは暮らしてゆけませんから、なぜなら、みかんで1万円稼ぐというのは、まったく大変なんです。大量のみかんが暖かい南の産地から出荷されてますし、年に一度の収穫・販売で、一年の暮らしが成り立つなんてことは、1970年代の前半までのことです。それはともかくとして、この畑には12本の早生みかんがあります。彼は、今年、はじめてみかん仕事を始めだしたんじゃないでしょうか。38歳の若者ですが、繁茂して来る雑草を相手に、草刈り仕事を、今年の4月19日から挑戦しだしたんです。今年の夏は、いつになく暑かったでしょう。その中での、本業がありますから、その仕事でくたくたのはずです。しかし、その休日をつかって、この難行苦行の草刈りをはじめたんです。大の大人でも、そんな挑戦をする人はなかなかいませんよ、儲かりもしませんから。私などは、いつ投げ出してもおかしくないと、覚悟していたんですが。しかし、です。4月、5月、6月、7月、8月、9月と、やむを得ない時を除いて、毎週、毎週、地道なみかんの手入れを頑張りぬいて、つづけてきたんです。そしていま、10月下旬、早生みかんを収穫するときまで、とうとうやりぬいたんですね。これまでの苦労が、今度は美味しいみかんを採る、その収穫のタイミングを探っている。これまでの苦労が、報われるときであり、それは、消費者に美味しくなったみかんをとどけたいとの意識がありありなんですね。これは、今の時代に、それだけでは収入にならなくて暮らしていけないんですが、しかし、みかん農家のポリシーをもった若者が一人、この半年間の中で誕生したということです。これは、今の日本と世界の危うさと、めちゃくちゃがまかり通っている中で、取り巻いている政治社会でも、建て前と実際が乖離して、非行の事態がまかりとおっている中で、この若者の姿は、一つの明るい未来をひらきつつある要素であり、努力だと思いませんか。私などは、そこに立ち会えたことを、なによりの喜びと感じています。こうした若者に接するとき、こうした努力に答えれるように、私自身もそうですが、これにしっかりとこたえれるような社会でありたいとおもってます。そうでないと、恥ずかしいじゃないですか。みんなの声を、政治が、あれもこれも、まともに聞かず、蹴飛ばし続けるなんてことでは。これじゃぁ、世の中がどこもかしこもおかしくなるはずです。しかしですよ、そうした中にも、確かな未来の芽を感じさせてくれた、さわやかさを感じさせてくれた、今回の小田原・早川行きでした。
2023年10月27日
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小田原・みかん園の10月交流会10月22日(日)、「小田原・石垣山のみかん園を再生する会」の10月交流会が開かれました。これには、みかん園の園主さん2人を含めて、計7名が参加しました。いま、みかん園では、早生みかんが収穫期に入っています。ようやく秋らしい日和となり、寒暖の差も大きくなってきました。太陽の日差しを受けて甘くなり、寒暖の差で黄色くかがやきだしてきます。小田原はみかんの産地としては、北限の地に位置しますから、暖かい南の産地に比べて収穫がすこし遅いんですが、熟すと、酸味の中に甘さが浮き立つ、独特の美味しいみかんが採れるんです。いよいよこれから、みかんの収穫と時期にはいりました。12月に向けて、早生みかん、大津、青島と、順次、温州みかんの収穫にすすんでいきます。一年間の草刈りなど、あれこれ苦労してきたことが、報われる時期となったわけです。小田原・石垣山では、みかん園全体の30パーセント以上が放任園となっているとのこと。みかん農家の高齢化、後継ぎが育つような農家の社会状況じゃないわけですから。それは全国の農家が皆抱えている問題ですが。私たちは、そうした中で、2020年に農家の手が及ばなくなり、山林となった畑を開拓しました。30数回もの野焼きをして荒野を開き、2021年3月には25本のみかんの苗木を植えたんです。そこに、援農者が参加して来てくれてるんです。それが、今年初めて収穫の時を迎えたわけです。次の写真は、その内の4本の木から、初めて収穫されたみかんです。8キロくらいでしょうか、じつに美味しいみかんなんですよ。今回の交流会ですが、この畑の園主さんが、はじめて参加してくれたんです。そこで、いろいろな疑問に、じつに豊かなアドバイスをしてくれたんです。「早生みかんは、いつ頃収獲したらいいの?」「肥料なんかは、いつころまいたらいいの?」「小木をよく育てるには、なにが大事なの?」「まわりで成木が枯れてしまうけど、原因はなんなの?」「手入れの、どこが問題なの? 」園主さんは、一つ一つの質問に、実に的確な、長年の経験と豊かな知識にとんだ回答をしてくれたんです。みかん栽培のための楽しい講習会的な交流のひと時となりました。私なども、これで一つの大きな重荷をおろせたようにおもいます。これで、みかん園を担う援農ボランティアと園主さんとが結びついたんですから。少なくともこの畑については、これで、みかん園の再生、これからの未来が開けたわけですから。しかし、まだまだ、石垣山では、あちこちで、みかん園の荒廃がすすむのを目にしています。私などは、それをおさえるために、草刈り、草刈りで、多分にくたびれてはいるんですが、まだまだ、こうした全体的な努力がひろがることが求められているんです。今回、その努力の様子を写真に撮ったんですが、その肝心のカメラを交流会場に忘れてきてしまいました。もっとも、写真に撮っている余裕なんて無かったんですが。いま、園主さんとみかん園利用者との、「農地の利用権設定」に準ずる「覚書」をまとめようとしているんです。これが、大切なことだと思ってるんです。今回の交流会ですが、そんなことで、楽しくもあり、一つの重荷を果たせたようですが、たいへんくたびれもしたんです。なんたって、東京-小田原間を行ったり来たりですから。でも、一つのみかん園の再生の見通しが出来て、これまで苦労してきたことが、形になりつつあって、とても良かったんです。
2023年10月24日
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「インボイス」、この解説は本当でしょうか?小田原で、しがないみかん農夫をしているものです。東京・八王子に住んでるんですが、今朝、ポストに「平和新聞」がはいっていました。豆腐屋さん4代目で、元日本ウェルター級チャンピョンの小林秀一さんですが、「インボイスは廃止を」との投稿に注目しました。「インボイス」、もちろん耳にはしていました。しがない芸能人にとっても「これは死活がかかる、大問題だ」との報道は、聞いてはいたんですが。しかし、今の今まで、私にとっては、それは他人ごとだったんですね。この紹介は、インボイス問題を他人事としていたことを、突き付けられました。私は小田原・真鶴のみかんを、東京の多摩市の朝市で販売しています。確定申告の自主申告をしていて、50万円-60万円くらいの収入です。このことは、国民の義務として、毎年確定申告で自主申告してたんですよ。毎週、毎週、みかん畑の手入れに通う、東京-小田原の交通費、ガソリン代+高速料、その合計をだけでも60万円では赤字なんです。そもそもは、小田原と多摩を結んで、農家の丹精込めたみかんを、都会の団地生活者にとどける。それは、生産農家にとっても、都会の団地生活者にとっても、それなりに喜ばれたんです。50万円の売り上げでは、しがないもんじゃないですか。しかし、今回、この小林秀一さんの記事を見て驚いたんです。「インボイスは、その仕入れにの時に消費税をはらったという証明書です。このインボイス(証明書)がないと、後で税務署に支払う時に控除が出来ず」に、税金を支払わなければならない、と。『インボイス(証明書)がないと控除が出来ず、税金を支払わなければならない』と。ようするに、朝市で「寅さん商売」でみかんを販売している私などの50万円の売り上げにも、課税されるというんです。これまでの年間売り上げ1000万円以下の販売の人たちは、課税が免除されていたわけですが、しかし、この10月1日からは課税されることが、国会の多数決で決まったというんです。ほんとうですかね、この話は。いそぎ調べなければなりません。これまでのように他人事じゃなくて、これはまさにわが身のことじゃないですか。これまで新聞・テレビなどの報道で、「インボイスはひどい、やめろ」との報道は、日本社会に暮らしていて、それなりに耳にはしていたんです。しかし、こうなってみると、率直に言って、それは他人事として見ていたということです。わが身にかかることとは、認識していなかったんですね。しかし、このチャンピョンの紹介してくれたインボイスの中身が本当なら、これは、5年間で43兆円、日本を守るんじゃなくて外国に脅威を与えるための軍事費をつくりだすたに、商売をしている人の誰からであっても、その財源として、税金で搾り取ろるということです。芸能人のひとたちの声は新聞で、耳にしていましたが。あらためて、問題を確かめてみますが。もしも、これが本当なら、国民にとって民主主義の試金石です。主権者としての国民は、だれしもこの悪政改革を容認しないと思うんですよ。それを承知で、これを強引に進めている自公政権ですが、何たるおごりでしょう。国民をバカにしていることでしょう。それならそれで、国民は民主主義ための国民一揆をこして、これ撤回させる政権をつくるしかないということです。このことがもつ基本は、インボイスは今の国民が置かれている問題の象徴ですね。政治、暮らし、民主主義、外交、教育、それらの共通する基本が、ここにあるということです。ちょっと、私などはインボイスについて、蛍光灯だったんで、申し訳ないんですが、こうなれば、現実の事態に対する認識の問題です。おしすすめている輩は誰か、どのような共同戦線がつくられつつあるか。これを急ぎ確かめて、早急に変えさせるために、私などもがんばります。
2023年10月23日
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早生みかんの初売り小田原の早生みかんの初売りをしました。10月21日(土)は東京・多摩市の永山団地で、毎年恒例のサンマ祭りが開かれます。朝早くから、その準備がはじまっていました。みかん販売の方は、まだ提供できる袋の数は少なくて、その祭りの前座です。広場では、祭りの会場の準備が、サンマを焼く準備がはじまっていました。私などは、毎年、これから毎週、土曜日の朝に、小田原・真鶴からはこんできで「みかんの朝市」をひらいてきているんですが。ついに今年も、その時期がやってきたということです。なるべく、みかんの味見をしてもらって、その味を納得してもらって、購入していただいています。800グラムの袋が300円ですから、安いんです。無農薬ですから、皮だって使えるんです。みかんの北限の産地である小田原の、みかんの味の特徴ですが、暖かい南国のみかんが、酸味が消えた、まったりとした甘さに対して、小田原の方は、出回るのは少し遅いんですが、酸味が残るなかに甘さが浮き出てくるといった、独特の刺激をもった味なんです。農家は「味がのってくる」と言いますが、この秋晴れのもとで、みかんが熟してくるとたいへん美味しいんです。私などは、都会の生活者に、この味を楽しんでもらいたくて、一年間、なんやかんやと苦労してきたわけです。「おっ、はじまったね」「これしかないの?」ポツ、ポツと、これを待っている人たちもいるんですね。小田原と多摩をむすんで、農家の人にも喜ばれ、都会の消費者にも喜ばれる朝市でして、いよいよ今年も、みかんの季節がはじまりだしたということです。
2023年10月21日
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『武器としての国際人権』(藤田早苗著)私などが認識を新たにした一冊の本を紹介します。どうして、日本は人権の点で、世界の後進国となってしまったのか。日本の近代は、いろいろ問題はあっても、人権のための努力をした来たと思うんですよ。しかし、最近では、建て前とは裏腹に、多くの努力はざるで水をすくうようなもので、現実は卑屈でうつろな事態にあります。なぜそうなっているのか。藤田早苗著『武器としての国際人権』(集英社新書 2022年12月刊行 1000円)是非とも、この本をお読みいただきたいんです。この本を知ったきっかけは、福田静夫先生の今年初めの頃の「ヘーゲル講座」でした。ヘーゲルは国民国家・民族国家をこえたところでの人権の国際的な今日の発展ということを具体的にしめしている本として、この本を紹介されたんだと思います。私などは、日々こまごまとしたやらねばならないことがあって、半年以上もの歳月が過ぎた最近になって、この本を開いた次第です。この本のカバーには、東京新聞の望月記者、中野晃一教授が推薦されてます。さもありなん、です。「人権」と言ったら、戦後も憲法下では大事なテーマだったでしょう。ところが、最近ではざるで水をすくうような虚しい状況です。こころある世界の人士からしたら、核兵器廃絶にしても、現行憲法がもっている民主主義の理念にしても、卑屈なアメリカべったりの従属政治の根性にしても、口でいう建て前と実際の現実とは、それが余りにも乖離してるじゃないですか。どうしてそうなっているのか、この本は、それを解き明かしているとおもいます。一般的には「低開発国」とみなされている国の人でも、ラテンアメリカ、東南アジアなどで、世界をリードして輝いている人がいるじゃないですか。おそらくヘーゲルが、民族国家の狭さを越えた世界的な人権がつくりだされる、そんな主張をどこかでしているんじゃないですか。「歴史哲学」のどこかでも。人権がどのようにして発展していくかを。私などはまだ不勉強で、それを説いている箇所を確認できていませんが、福田静夫先生の熱心な主張には、そうした点を紹介されているようにおもします。まぁ、とにかく人権の国際水準に近づいていくためには、この本は、大事な刺激的なプレゼントとなるものだと感じて、私などもお勧めします。
2023年10月20日
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富士山と、早生みかんの初収穫ようやく今回は、秋らしい日よりが感じられるようになりました。今週も、小田原・早川のみかん園へ行ってきました。今回の主題は、いよいよ早生みかんの初収穫でした。小田原・早川の、石垣山のみかん園ですが、「小西」という畑なんですが、今季はじめて、そこにある早生みかんを収穫をしました。初収穫です。秋晴れの空に、みかんの色が生えるでしょう。次の写真が、その木の全景です。ここにあるみかんの木のうちの2本から、成熟を確認できる部分を、おそらく全体の5%くらいですが、それを初収獲したんです。次の写真が、今回収穫した成果です。私などは、樹上で完熟したみかんしか採りません。小田原早川・真鶴では、「味がのってくる」と農家の人は表現するんですが、それは一般の小売店にある「まったり」とした甘さではないんです。酸味の中に甘さが浮き出てきた、当地のみかんならでわの味なんですね。私などは、大量生産・大量出荷のみかんづくりと違って、この独特のおいしさを、多くの都会生活者に味わってほしいと思って、みかんづくりをしているんです。さぁ今回、この早川・真鶴から運んできたみかんですが、明日からの木曜日・金曜日・土曜日に、提供されますが、はたして、都会の消費者からどのような評価をいただけるか。楽しみにしているところです。ちなみに、一年生の苗木を植えて、今年初めて実をつけたみかんの木があるんですが。これが、今回、その4本の幼木の木から収獲したみかんです。1つのコンテナの8分目で20キロですから、4本の幼木からの初めての収穫ですが、少なくとも5キロくらいは収穫できたんじゃないでしょうか。援農者の方が、すくなくとも今年の3月から、暑い中も難行苦行の草刈りを続けてこられた。その苦労の報酬がこれです。さぁ、そのご家族、友人知人と、この努力に対して、その味に対して、どの様な評価がいただけるか。私なども、楽しみにしているところです。今回の小田原行きは、10月16日(月)の午後に東京を出たんですが、その途中、小田原厚木道路の小田原サービスエリアでしたが、午後5時20分に見えた富士山です。みかんのおいしさは、なんと言っても太陽の恵みです。この9月は、雨がちな日和が多くて心配されたんですが、10月も半ばに来て、ようやく本来の秋らしい日和となりました。富士山が、鮮明に見えるということは、それをしめしています。さて、いよいよこれから、12月の末までは、みかんの収穫というのは、はじめは列車がゆっくりと動きだすように始まり、それが各駅停車の速度となり、さらには特急列車の、猫の手も借りたくなるような収穫のスピードとなります。しかし農家にとっては、収獲というのは草刈りなど、あれこれの一年間の畑仕事の苦労が、7美味しいみかんという具体的な形となってあらわれてくる、そうしたときですから。苦労が報われるときなんですね。喜びの時なんですね。美味しいみかん、自分のつくったみかんの味を、都会の消費者に届けたいとの農家の思いが根本にあるんです。そうしたポリシーがなければ、誠意がなければ、大変な農作業を続けられませんよ。だから、一人ひとりの農夫にとって、みかんはごまかしのないポリシーをしめす産物なんです。さぁ、これから、小田原から美味しいみかんの提供が始まりますよ。今は早生みかんがはじまりだしたところです。これが11月上旬まで続きます。そのあとは、温州みかんは「普通温州」が、さらには、「大津」「青島」なとの温州みかんが、12月末にむけで、順次、成熟しだして、その収獲がはじまりますから、少なくとも年末までは、みかん農家の人たちは、大忙しです。ぜひ、みなさんも、この期間に、小田原のみかん産地に足を運んでやってみてください。その成熟の模様と、熟したフレッシュな味ですが、そこでしかたべれない、美味しいみかんの味もありますよ。農家の人と会話することで、そうした味を教えてもらい、確かめてやってください。それと、もうひとつ、「みかんの花が咲いている、想い出の小道、丘の道…」♪ 日本の親しまれた歌ですが、これは北原白秋が作詩したもので、小田原のみかん畑を舞台にして、つくられたんだそうです。私などは、最近になって、認識を新たにした次第です。
2023年10月19日
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ヘーゲル『歴史哲学』序論 C世界史のあゆみ (c)世界史のすすみかたヘーゲル『歴史哲学』序論も、いよいよ最終段階です。岩波文庫の『歴史哲学講義』(長谷川宏訳)では、P112(第19節)からP137(第55節)です。全体を四つの点にわけてみました。一、世界史のあゆみの総論二、民族精神について三、世界史の概念とイメージ 新たな意欲(原理)どこから来るか四、まとめ一、世界史のあゆみの総論だいたいここでヘーゲルが言いたいことの輪郭です。ほとんど抜粋ですが。1、世界史のすすみかたについて、最初に、具体的な内容はE.世界史の時代区分で述べる。ここではごく形式的なことを述べるのみ、とことわっています。2、これまで述べてきたことから、世界史とは精神が自由を意識する。自由の意識の発展過程と、〈その自由な意識が〉現実に生み出すものの発展過程をしめすと。〔意識と存在の発展過程だと〕3、その発展というのは、いくつかの段階をふんでおこなわれる。事柄の概念にそくして自由の段階が区別される。4、概念は、その論理的性質、弁証法的性質からして、みずからを定義し、それを自分の内容として、さらにその内容を廃棄し、それにより積極的な、豊かな内容を獲得する。5、その必然的なあゆみの純粋で抽象的な内容は論理学の認識するところであって、ここではその発展のそれぞれが独自の原理をもち、その原理の一つ一つが精神のあり方-民族精神である、と。(第19-20節です)これについての私なりの認識ですが、ヘーゲルは意識が現実をうみだすかように述べていますが、意識は現実に対応するの一つの側面として理解しておきます。同じことですが、ヘーゲルは概念を主語にしていますが、そうなると概念が事物をつかさどることになります。確かにヘーゲルはすべてが論理的なすすみかたをしていることを発見したんですが、ヘーゲルのように理解すると、すべての物ごとは論理学的な本質のあらわれとなってしまう。実際には、概念の論理的なあらわれではなくて、概念が事物のあゆみとも重なっているということ。意識がつくりだしたんじゃなくて、意識は事物のその一側面なんだから事物に照応している、照応の関連をもつと認識しています。ヘーゲルという人は、ものごとが論理学的な発展過程をもつこと発見した人です。これは素晴らしいことですが、しかしすべてのものごとが論理学の一般性に帰着するかのような表現をしています。一般的な抽象性としてはそうかもしれませんが、ものごとは固有の具体的な領域が、現実的にあるわけで。その具体的な問題領域の中において、その論理的な一般性が妥当かどうかを、具体的に検討しなければならない。論理学と個別的な諸科学の領域はそうした関係にあると思うんです。この点を保留しさえすれば、だいたいヘーゲルの言う一般的な論理的側面の関連というのは、そのとうりでして、よく関連をとらえていると思うんです。くりかえしになりますが、問題は具体的な領域・問題の中から、そのなかから関連を見つけ出さなければならないということです。二、その民族精神についてですが。(P113・第21節からですが)。民族精神には民族の意識と意思の、現実の全側面が具体的にあらわれる。宗教も政治体制も、共同精神、法体系、道徳、学問、芸術、技術的熟練にも、共通する民族精神が見てとれる。一定の特徴がその民族精神の原理をなしていること。ここで「そのことは、経験的に納得され、歴史的に実証されなければならないことだ」と指摘しています。この見解ですが、すぐ前に問題とした点について、ヘーゲルとしても感じてはいて、あるべき必要な基本的な形について、指摘はしてるんですね。実際に歴史哲学の本論を見ると、そうした研究成果も残しているんです。しかし他方では、ヘーゲルは、概念の主導によって、具体的事実の展開を論理に帰着させてしまうという、そうした裏腹な方法をとることになっちゃっているんです。次に、「民族精神が現実の全側面に現れる」-そうした関係を理解するには、その民族の原理の領域に先天的に親しんでいなければ理解できないと指摘しています。こうした歴史哲学の見地にたいして、他方から非難がなされていると。「経験的な歴史上の素材に対して、先天的な理念を持ち込もうとする誤りだ」と。ヘーゲルはこれにたいして、これは「分析的思考」に、悟性にもっぱら固執する考え方だと指摘しています。それにたいして自分は「理性のカテゴリーにしたがって思考しつつ、そうした分析的思考を理解し、その価値と位置をわきまえているんだ」「世界史の全体を考察するとき、本質的なのは自由の意識であり、意識の発展のなかでの自由のありかた」が問題なんだ、と主張しています。(第22節)ここで、ヘーゲルは、こうした考え方の誤り、狭さについて、様々な例をあげています。「抽象的なカテゴリーに固執する反省的思考」「具体的内容をすてて形式的視点を動きまわる教養の立場」「インドの叙事詩とホメロスの叙事詩を比較するこころみ」(まちがった形式主義の見方」とか、たくさんの例をあげています。ここで強調しているのは、世界史のあゆみというのは、もっと高い次元をうごくものであって、「精神の絶対的な究極目的が要求し成就すること、もしくは、神の摂理がおこなうようなことは、個人の道徳性にかかわる義務や責任能力をこえたものだ」と。そして、変革期には、両方の陣営が自らの正義を同じように主張しつつも没落していく。また世界史的個人においては、彼の行為はみずからも意識しなかった内面的な事柄があらわれてくることを指摘しています。(第27節)1、私などは、ここでのヘーゲルの主張ですが、これは彼が世界史のあゆみの全体の中からみちびきだした結論であり、そこからの確信であること。あくまで「序論」というのは、結論的に引き出されたことがらの提起であり、一見、独断的にも聞こえる断言ですが、わけのわからない言葉ですが。それを妄信する必要もないし、またここの文章からだけで、すべてを得心できるような内容ではないと思っています。あくまで、これから本論にあたるに当たって、ヘーゲルによるアドバイスとしてうけとっておけば、それでよいとおもっています。2、ここで、二つの考え方の問題が提起され、それが対比されていますね。ここを読むと、私などはエンゲルスの『空想から科学へ』第二章「弁証法と形而上学、二つの考え方」がおもい浮びます。そこでは、エンゲルスも弁証法的な考え方を提起しています。同時に、やはり、形而上学的思考の弱点を指摘しつつも、それが一定の歴史的に根拠をもって発生してくるものであり、その必然性もあるんだということを主張しています。これは、ここでヘーゲルが「分析的思考を理解し、その価値と位置をわきまえているんだ」との主張していることと重なっています。エンゲルスの念頭には、ヘーゲルのこの箇所があったんじゃないでしょうか。また、「世界史のあゆみというのは、もっと高い次元をうごくものだ」との指摘ですが、これは、レーニンが『哲学ノート』でヘーゲルから抜粋した箇所の一つ(全集第38巻、P278)でもあります。レーニンもまた、やはりここで指摘されている認識に注目していたとおもいます。3、ここでヘーゲルが強調している指摘があります。(P124、第34節)「きっぱりといわねばなりませんが、アジアの両国家(中国とインドですが)には国家の本質をなす自由の概念の意識が欠けている。だから、中国の道徳法則は、自然法則のような、外部からおしつけられる命令であり、強制法と強制義務であり、さもなければ人間相互の礼儀作法です。共同体の理性的な規律を心情的な道徳に転化するのに必要な自由が存在しないのです。道徳は国家の仕事であり、官吏や裁判官によって処理されます」(P124、第34節)。もちろん、1820-31年に書かれたヘーゲルの『歴史哲学』です。日本では江戸時代です。時代とともに社会は、そして認識は変わってきているわけですから、この指摘が、そのまま今の事態ではないことはもちろんなんですが。しかし、ヘーゲルがここに込めた認識、ここには「自由の概念の意識が欠けている」との民族精神の特徴ですが、そして、その弱さを自覚し・克服していくこと。そうした前進が求められているとの課題の指摘ですが、これは、今日の私たちにとっても大切な助言じゃないでしょうか。日本社会も長く上位下達の時代が続きました。封建制のお上の命は絶対の時代が続き、近代に『門閥制度は親の仇でござる』と福沢諭吉が述べれる時になってからも、自由というのを国民が本当につかむにためには、さまざまな試練があるし、もっているんじゃないでしょうか。つぎは、「三、世界史の概念とイメージ」ですが、今回はここまで、続きは次回とします。
2023年10月16日
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小田原のみかん園の、今、10月上旬です10月10日(火)から3日間、小田原・真鶴のみかん園に行ってきました。一番の喜ばしいことは、今回から早生みかんの収穫が始まりだしたことです。一年間、苦労してきたことが、ここに形となって実りだしたということです。写真では、その成熟の度合いは識別できませんが、このみかん群ですが、この中から私などにとって合格なのは、10個くらなんです。私などのポリシーでは、本当に成熟したみかんというのは、厳選されるんです。本当に成熟したみかんを、自然から切りはなされた都会の生活者に、その味を届ける。それは、いくら儲かるかといった、そんなお金などの問題じゃないんです。美味しい、本来の成熟したみかんの味をとどける、それが決定的な問題なんです。今回の収穫が、小田原の早生みかんの初収穫でして、おそらく400グラムくらいの袋にして、4袋くらいとれただけなんです。今回の収穫は、いつもポストとして扱ってくれている人たちへのプレゼント用です。「初物を味わうと、寿命がのびる」なんぞと、古来からいわれるじゃないですか。だから、これは、毎年みかんを扱ってくれている人たちへのプレゼントなんですね。しかし、みかん作業は、それだけでは済みません。次の一枚は、今回のもう一つの仕事です。ここがなんだかわかりますか。小田原のみかん園だった所の、今の姿です。もともとは、ここはみかん園だったんです。しかし、1年でも人の手が及ばなくなると、ご覧の通りです。この春にも、そしてその後も、この農道沿いのように私なども草刈りをしておいたんですが、他のみかん畑の箇所を草刈りしていた間に、たった6カ月でご覧の通りです。今回、この野焼きをしていた時に、一人の農夫が下から歩いてきたんです。車はどうしたんですか? 立ち話しになったんですが。すると曰く、『みかんの手入れは、とどのつまりは、草刈りだね。自然のすさまじい力(雑草の繁茂)との勝負だね。無理をしないように、がんばることだね』と、私などへの激励の言葉を残して、この農道を歩いて登っていったんですね。「あれっ、今日は車は使わないんですか、どうしたんですが?」と聞いたところ、『80歳になったんで、久しぶりに(箱根の)金時山に登ろうと思ってるんだ。若い時には、よく登ったんだ。それで、今日は足腰を鍛えようと、トレーニングしているところなんだ』と。『かつて、天皇が来て金時娘との交歓したことが大々的に報道されたことがあったけど、今は、そこは、金時娘は、どうなっているかなぁ』なんて、仙人みたいなことを言ってたんです。『みかんの手入れはとどのつまり草刈りだけど、まともに自然と喧嘩したんではかなわないよ。無理のない自然とのやりとりが大事で、みかん農夫には遊び心が大事なんだ』なぞと言って。この農道の急な坂道を、徒歩でですよ、坂道を徒歩で登ってゆかれました。草刈りと野焼きでヘトヘトの当方には、これは考えられないことですね。6月3日に知人の園主が亡くなったんですが。『北山時雨』という120句の俳句集を、遺作として残し旅立っていきました。ヘトヘトで、クタクタなみかん作業の中で、何で俳句なのか、私などは思ってたんですが。あらためて、私などは感じさせられます。この二人は、それぞれまったく具体的なそれぞれの趣味を知る由もないんですが、それこそ、一国一城のあるじとして我が道を行くと、日々の生活は無縁な関係だったんですが、かたちはちがっても、日々同じような心もちで、みかん作業していたということですね。形は違っても、同じようにストレスを発散していたんですね。私などは、こうなると酒ですが。みな、それぞれお互いにかぎられた人生です。第三者としての、私などが見るところによると、余計なことですが、こうして隣近所に、同じ時にくらしていながら、じつにもったいない。日々あれこれのみかん作業に追われているにしても、お互いにもっと人生を交歓してしかるべきじゃないかと、じつに、もったいないことじゃないかと、そう感じさせらていれます。
2023年10月12日
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ヘーゲル『歴史哲学』序論の学習もいよいよ最終段階ですヘーゲルの『歴史哲学』序論の学習をすすめてきましたが、C「世界史のあゆみ」c「世界史のすすみかた」まで、いよいよ、その最後の部分に来ました。あらためて、「どうして、今どき、ヘーゲルの『歴史哲学』序論の学習なのか?」自分自身に問い返してみました。それは、ドイツ古典哲学の巨匠で、科学的社会主義の源流ともなっているヘーゲルです。その名前こそ有名ですが、哲学者や研究者の人たちは別ですが、一般の私たちにとっては、その著作を読む機会はなかなかないんじゃないでしょうか。また、これまでに読もうとした人でも、その著作を開いて、その難解な表現や印象から、途中で放棄してしまった人もかなりいるんじゃないでしょうか。まあ、私などもずーっとそうした一人だったんですが。しかし、わからないなりにも何回か読んでいるうちに、私など素人でも、ヘーゲルの素晴らしさを感じるところが出てきたんです。「弁証法とは何なのか」、「世界史のあゆみのなかに自由の広がりがあるとは」、「人は民族の子である、それとともに時代の子であるとは」、「必然性をつかむと主体的自由になるとは」、「無限な世界にたいして限られた人はどう認識していくのか」などなど。その文章は難解な表現なんです。だけど、その中にはこうした問題提起があるし、玉石混交な形ですが、それに対する答えが提起されているんです。マルクスやエンゲルス、レーニンと科学的社会主義の先人たちは、また世の哲学者や科学者の人たちは、そこから何をどう学なびんだのか。それを今日に、それぞれの分野に、どう生かしているのか。そこに注目するし、問いかえされます。そうなると、孤立していては駄目じゃないですか。いろいろ議論も必要になるじゃないですか、切磋琢磨が必要になるじゃないですか。しかしながら、私などの周りでは、そうしたことを語り合える人や場所がなかったんですね。そうであれば仕方ないじゃないですか。自分の学習をブログで発信するようにして、ひろい人たちからご意見や感想を聞こうとの次第になったわけです。しばらくは壁に向かって何年と、馬耳東風、無反応がつづく達磨大師のような感もあったんですが、さいわいにして、この間に、ご意見やアドバイスをいただける方もでてきて、「序論」の終わりのところまでこれた。あと残り少しのところを、すすみつつあるところです。
2023年10月09日
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早生みかんの味見と栗の朝市朝晩は少し寒さを感じる季節となりました。10月7日(土)の東京・多摩の団地朝市は、栗の朝市でした。小田原からいろいろな産物をあずかってきました。カボチャ、ミョウガ、キウイなどがあったんですが、途中で販売しちゃったんです。人気のない朝の商店会では、客待ちして時間を費やすのももったいないですから。永山商店会には、10月21日(土)の「サンマ祭り」の案内板がたてられてました。毎年、恒例となっている永山団地の「サンマ祭り」です。10月21日(土)は、この広場も朝からにぎやかになります。今回、早生みかんを、味見用に3個だけ採ってきました。これが、今年最初のみかんで、味見用です。まだ、秋晴れの日照時間が少ないので、私などは「今いち」と思うんですが、しかし、一般の消費者の人たちには、きっと歓迎されるだろう味の段階にきています。おそらく、10月21日(土)の「サンマ祭り」には、その前座として、早生みかんの朝市をひらけると思います。さて、今回のみかん園での作業ですが、10月4日(水)は、夜半から雨が降っていたんで、表作業は出来ませんでした。そこで、この機会に小田原市役所の農政課をたずねて、「小田原市農業(新規就農)研修事業」について説明してもらいました。これは、新規就農者と、農業技術を指導する農業者とを、小田原市が仲介しつないでくれるというもの。私などはまったくの手探りでみかん栽培を始めだしたもので、実際のところみかん栽培の仕方は素人なんです。ですからベテランのみかん農家の方から技術指導で教えてもらうことは、大事なことじゃないですか。この研修は、12カ月以上、最長24カ月とのことですが。しかし、一方では、農家の人たちだって毎日忙しいわけですから、簡単には研修計画を立てたり、面倒な指導に時間をとられるなんて、そんな余裕はないはずなんです。他方では、私などの状況が、はたして「新規就農者」として認定されるかどうか、これもまた、わからないわけですが。一応、とにかく検討してもらうことには、なりました。この質疑をつうじて、2つのことを知りました。一つは、市としては、みかん栽培の技術については、技能もスタッフもなく、ノータッチでした。その代わり、「農業技術センター足柄地区事務所」の「普及指導課」です根府川に事務所があって、ここがみかん栽培について、アドバイスしてくれるとのことでした。もう一つは、「農用地利用権設定について」です。本来、農地を貸し借りするには「農地法」によって許可が必要だということです。それは農地を守るためでしょうが。同時に、地主と耕作者とが農地を貸し借りする場合、「農業経営基盤強化促進法」にもとづいて「利用権の設定」との制度があるということなんです。私などは、園主と耕作者としての私との、民・民の口約束でやってきているんですが。この制度は、市がはいって地主と耕作者との関係を契約的な形にする。それにより市としては農地の実態が把握できるし、なにかトラブルがおきたときに、市も間にはいって「調停」的なことが出来るようにして、問題を解決するということでしょう。民・民の口約束から、「利用権の設定」の契約に移行する、それは気持ちの上でも、簡単なことではないと思うんですが、必要なことだとは思います。以上は、私なりの、まったくの推測ですが。あとは、引き続いてのみかん畑の草刈りです今回も援農者が来てくれました。その力を借りて、みかんの木に巻きついたクズの蔓を剥がし、周辺の草刈りです。上の方から押し寄せてきている雑草を草刈りして、おし返しました。みかんの木にクズやヤブカラシが覆いかぶさったままでいると、みかんの木は陽が当たらなくなって、葉がなくなっちゃいます。そして木は枯れちゃいます。以前には、この上の段の草刈りもしたんですが、今や雑草に覆われてしまい、木は枯れちゃってました。しかし、今回の作業したことで、4本のみかんの木が復活し、生育できるようになりました。雑草の自然力が勝つか、人間の手入れが勝つか、その攻防戦がきびしく展開されてます。全体としてみると、あまりにも雑草の繁茂が激しくて、畑全体の草刈りまで手が回らないんですが、少なくとも、今現在、生きているみかんの木だけは、巻き付いたつる草をはらって、みかんの木を復活させるつもりです。今回は、早生みかんは味見用の試しの収穫でしたいよいよ早生みかんの本格的な収穫が始まります。しかし収穫を始める前に、もうあとひと踏ん張り、この草刈り作業の大仕事がもとめられています。
2023年10月07日
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『貞享(じょうきょう)騒動をたずねて』を紹介しますこの9月末に、長野県安曇野を、50年前の同窓会だったんですが、旅してきました。その中で、「貞享(じょうきょう)騒動」ということを、はじめて知りました。江戸時代、貞享3年(1686年)に、この地-松本藩であった農民一揆です。私などは、これまで、この事件をまったく知らなかったんですが、これが多田加助、この一揆の中心者で磔の刑にされた人物のお墓です。当時は、お上の命令に盾つくこと、要求を出すこと自体が、命がけだたんですね。この場合も、訴状をつくった中心者はキリストと同様に磔(はりつけ)、その家族は、その男子は、子どもまで、獄門(打ち首)で獄門台にさらされ、家財はすべて没収されたんですね。しかし、それをも覚悟の上での、農民の要求を訴えざるをえなかったということなんですね。それに対して、現代というのは、戦後の民主主義憲法のもとというのは、その民主主義社会というのが、どれだけ実態になっているか、その問題はあるんですが、ともかくも、今日の時代が、国民に主権があり、国民の意思の代表により政治が行われるとの基本原則とされ、国民はだれしも自由に自らの要求を政治に表明することができる。それは、今日では当り前のことですが、それ実現させるべく自由に運動できることが権利として認められているわけで。これは大きな転換ですね。しかし、それとは反対の事態が、江戸時代以前からずーっと続いてきた。つい80年前の1945年にいたるまで、治安維持法が廃止されるまでは、そうした事態が続いていたんですから。日本人の国民性のなかに、あきらかな悪政にたいしてきっぱりとものを言わない、踏んだり蹴ったりの状況なのにながいものにはまかれろ、どんな無茶苦茶でもお上に盾つくことは自分のためにならない、等々の習慣が、何百年の習慣が、自然と無意識なうちに身にしみついているというのも、わからないわけじゃないじゃないですか。ともかく、現代というのは、戦後民主主義の憲法下では、民主主義がだれしもの前提となっているはずのものです。自動的にそうなったわけではなく、国民の努力によりそうなったわけですが、これはありがたい歴史的な獲得物であり、生活条件じゃないですか。そのことを、今回の「貞享(じょうきょう)騒動」の経過と説明を聞いていて、私などは感じさせられました。この記念館で、説明者の話を聞いた時に、たまたまですが、『なにか、これを解説してくれてる文書は無いんですか?』とのひと言から。この一揆の経過をまとめた本-安曇野市教育委員会が発行した『貞享騒動をたずねて-「二斗五升」に命をかけた義民たち』(2018年3月刊)が紹介されました。たまたまこの会話が出たとき、その近辺にいた四人だったんですが、多くの参加者は次の順路にすすんでいったんですが。私はたまたま、その会話を耳にしました。そしてその本の中身も知らないままに、本をわけてもらったんです。これがその本です。この本の「貞享一揆」(1686年11月)の紹介ですが、旅から帰って、昨日、ざっとですが、一気にでしたが、この本に目をとおすこととなりました。というのが、この本はじつに貴重な記録で、迫真の資料で書かれていたんですね。それがわかるから、すーっとつぎからつぎへと読めちゃうんですね。一晩で、読めちゃいました。ふつう、「農民一揆」と言えば、教科書の記述や歴史研究者の解説をとおして、とおく江戸時代の農民一揆のことを、その筆者の主観をとおして、「だいたい、そうしたものだろうなぁ」との推測と想像力によって『紹介』されているじゃないですか。もちろん、この『貞享騒動をたずねて』だってそうした面はあるんですが。しかし、この本の基本的に違うところですが、この一揆が、その時のなまの資料によって、それを基本においたうえで、この事件の様子が紹介されていることです。たとえば、これは農民たちが出した五か条の訴状(要求書)です。「御訴訟口上の覚」そして、これは、松本藩のだした「覚」、すなわち松本藩の側から農民へだした第一次回答書です。その要求の中身の一つですが、年貢が一般には以前は、そして周辺では俵一俵のなかに入れるお米が「二斗五升」(三公七民)なのに、当地では「三斗」(五公五民)とされていた。ところが、不作・凶作の事態になったのに、「三斗五升」(七公三民)とせよとの命令がなされた。五つの要求ですから、農民たちの要求はその他にもあるんですが、中心は、以前のように、まわりのように、「二斗五升」にしてほしいという趣旨ですが。そのことをふくむやりとりが、原文がのこされていて、これが紹介されていたんです。くりかえしになりますが、私などの注目したのは、「訴状(要求書)」にしても、「回答書にしても」、事件に関連することが、ここではなまの文書が残されていて、それをもとにして紹介されているんですね。だれかれの言い伝えや研究者が主観的に考えたことじゃないんです。直接のなまの資料によって紹介されているんです。1686年にかかわる関係文書が、そのものの原文が残っていて、それによって一揆の経過が紹介されているんです。ミミズがはったような文字でして、もちろん専門家でないと読み取れないと思うんです。どこかの外国語の文字の様な感じもしてくるような、今の活字や文章とはまったく違う、疎遠な感じがしてしまうんですが。古文書というのは一般的にそうしたものですよね。しかし、この原文と、それを読み下した文章とをつきあわせて、じっと照らし合わせると、重なってきてわかってくるんですね。解読できるんです。とうじの当事者たちの生の声が、こころもちすらが、じわじわと見えてくるんです。これって、すごいとおもいませんか。この本は、事態の流れを、当時の人たちのなまの要求や声を、そのやりとりを紹介したものなんです。研究者たちが勝手に考えたり、解釈した歴史像ではないんです。まさになまの直接資料なんです。これによって、日本の封建社会というものが、江戸時代の農民の暮らしというものが、どのようなものであったのか、身分制度とか、お上の命令の絶対性とか、そのもとでも農民の命をかけてまでも、譲れない要求がある。それをどうやって実現しようとたのか。そこにはどのような配慮が必要だったのか。その結果、どうなったのか。その当時の人が、現実に人が直面した問題の一端が、事態が、具体的に見えてくるんですね。現実的に江戸時代の歴史状況というもの、そのものを知る手掛かりとなる資料じゃないでしょうか。私などが同窓会の旅先で、たまたま手にした本なんですが、帰ってから目を通してみました。そして、これはじつに貴重な、日本の歴史をおしえてくれる本だと感じました。同時に、残念なことに、この本をどれだけの人が知っているか。現地・安曇野の関係者以外には、ほとんど知られていないんじゃないでしょうか。この旅に参加した人たちでも、そこにいあわせた4名以外は知らないわけです。そうだとすれば、まったく「もったいない」と思って、紹介させていただきました。『貞享(じょうきょう)騒動をたずねて』著者-田中薫、清水祥二発行-安曇野市教育委員会 電話0263-71-2000定価-1000円
2023年10月06日
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ヘーゲル『歴史哲学』序論 C世界史のあゆみ b歴史のはじまり(2)『歴史哲学』序論のC.b「歴史のはじまり」ですが、三つにわけてみました。一、「歴史のはじまり」をどうとらえるのか。P102の第8節から二、何をもって「歴史のはじまり」とするか。P106の第11節から三、インドとの出会い。P110の第16節から今回は、二、何をもって「歴史のはじまり」とするか、です。ヘーゲルは「国家の登場とともに歴史叙述ももたらせる」(109)としていますが、どうして歴史のはじまりが、国家の登場が登場することともに生まれるというのか?1、ヘーゲルは歴史叙述がつくられるための、三つの要因をあげています。①「理性がたんなる可能性の状態ではなく、理性がこの世界に存在し、意識や意思や行為のうちに、理性が認められる状態をもって、歴史のはじまりとなす」(P106)ヘーゲルはなにを言いたいのか。前回紹介しましたが、この「歴史のはじまり」の冒頭で、『聖書』の創世記にある7日間での天地創造の話を「これこそ歴史的事実であり信頼できるとおしつけてくる」ものとして、その歴史論に対して、ヘーゲルは「ゆるされない、つくり話の想定じゃないか」と批判しました。啓蒙と迷信とがまじりあう世界の中にあって、「歴史のはじまり」には、理性的な精神が要件としてもとめられている、と言っていると思います。②第二は、そうした理性的な精神が統一した、一個の『人格』をもつような人が出てくるようになる。「精神の統一がすすみ、人格の意識が生み出されたとき、暗く頑固な核(個人)がようやくあらわれる」。しかしそれだけでは足りない。その個人が自然や精神との関係において明確な関係をつくるには、「自己を意識していく意思の、長期にわたる広範な教養形成の活動が必要なのです」。③第三に、そうした長期にわたる活動の結果として、人は共同体のなかでの自由を獲得するようになる。共同体の中での自由とはなにか? 「自由とは、正義や法律のごとく、共同体全体にかかわるような対象を知り、それを意思し、正義や法律にふさわしい現実を、すなわち国家をうみだすことにほかならない」(P107)この三つの要因というのは、国家の成り立ちのことですね。すでに国家論については「B歴史の理性、c自由の実現体としての国家」で展開してきました。これは、それを要約したものですね。それを要約することで、ここでヘーゲルが言いたいことは何か?それがここでの主題となる、その国家の成立と、歴史=世界史のはじまりとの関連の問題。国家り成立と歴史のはじまりとがどのように関係しているか、この問題ですね。ヘーゲルのこの箇所の国家論をよむと、これは要約ですから一面では、三段跳びで論理的必然性を、関連性を追求していることがうかがえます。それは仕方ないんですが。他面、これらは論理学的な問題ではなくて、事実材料から引き出されなければならない問題です。しかしこの点では、その材料がまったく足りない。一人では無理ですが、また時代の制約もあります。その限りでは、ヘーゲルの展開は『洞察』なんですが、すばらしい洞察ですね。2、次に、国家を形成する以前の人類の歴史について、ヘーゲルはふれています。「民族は国家を形成する以前に、長く国家のない状態ですごすことがあります」「こうした歴史(国家の成立)以前は、私たちの関心の外にあります。」(第12節 P107)。ここでは、国家の成立することの意味をヘーゲルは主題としていますから、そこに焦点を当てていますから、その限りで「関心の外」と述べているんだと思います。しかし、まったく「国家成立の以前の人類のあゆみ」に関心がないかと言えば、そうではないんですね。第13節には、「20数年前来のサンスクリット語の発見と、それとヨーロッパ語とのつながりの発見は、新大陸の発見にも比すべき歴史上の大発見です」と、その関心のある注目のほどを語っています。(サンスクリット語というのは梵語のことだそうです。ということは、仏教を介して、日本にも伝わっている。「旦那」というのも、それからきているというんです。仏事だけでなく、日常にもつながっている)このサンスクリット語の問題というのは、「国家=歴史」以前のことじゃないですか。ヘーゲルといえば、「エンチクロペディー」の博学の人ですから、歴史以前のことでも「関心の外」など言うことはまったくないんですね。あくまでも、ここでの文脈からしての表現だと思います。もう一つの問題は、時代の制約もあるかと思います。考古学というのは、ヘーゲルの1820-30年頃というのは、まだほんの兆しの段階だったんじゃないでしょうか。シュリーマンのトロイ遺跡の発掘だって1870年くらいじゃないですか。材料がごく限られてたとおもいます。ただ、ここでは、ヘーゲルが、民族には国家(歴史)の成立以前の長い状態があることを意識していること、新たな発見に注目していたということ、それは確かです。3、本題です。なぜ、国家の登場とともに、歴史叙述があらわれるのか?ここで、ヘーゲルは、ドイツ語の「歴史」には、客観的な面(なされたこと)と主観的な面(それを認識して表現したもの)の、二つの面を意識しており、それを統一させていると指摘しています。歴史叙述は主観的な表現の中にあるわけですが、そこには家族の家伝書もあれば、民族の伝承もある。では、歴史叙述というのは、どの様な中で出てくるのか。①歴史家と歴史叙述がどのような要請により出てくるか。(第14節 P109)「国家をつくりあげるにいたった共同体は、その場の必要を満たす支配者の主観的な命令にかわって、万人にたいしてどんな場合にでも適用できる規則や法律を必要とし、こうして、明確な内容をもち、結論が持続的な価値をもつような、行為や事件にかんする分かりやすい報告が書かれることに関心をもつ」「そうした行為や事件の思い出に持続的な表現をあたえ、それにより国家の形態や性質に確固とした基礎を与えることが歴史家に要請される」「理性的な法律や道徳という形で外面的に存在する国家ですが、現在のうちに完全に存在するとはいえない。それを総体として理解するには、過去をも意識する必要があるのです」。ここに歴史叙述がつくることの要請があるとヘーゲルは言っているわけです。この限りでは、ごもっともなんです。プロイセンの専制君主でも了解するでしょう。しかし、国家は現在のうちに「完全な形で存在していない」わけで、それは問題や課題をもっている国家なわけで、それをどう描くかは、それぞれの人の立場が出てくると思うんですね。ヘーゲルの場合、帝国大学教授ですから、状況に対する配慮からして、これが一般的に言いうるところの限度ということでしょうか。批判精神が問われるところです。もう一つ、このヘーゲルの国家論には、階級対立の社会にあるわけですが、その中には階級支配の側面もありますが、同時に公共的な側面、人権的な的な側面があることをとらえています。ヘーゲルの場合、フランス革命を間近かに体験しています。日本だって、鎌倉幕府の式目の制定、江戸時代の武家諸法度などには、限られた支配階級のなかではありますが、恣意的な都合のなかに「法の支配」の側面があるとおもいます。現代でも、『恣意的な都合のなかに「法の支配」』ということが、憲法に対する政府の態度をみても、恣意があちこち見せつけられるわけですから、ヘーゲルが批判的に指摘している点は今日的ですね。②ヘーゲルの結論です。「歴史記述があらわれる以前に民族が経験した、数百年ないし数千年におよぶ革命と遍歴と大変動の日々は、主観的な歴史たる歴史物語が存在しないがゆえに、客観的な歴史として存在しない時代です」。「国家ができて法律が意識されるときはじめて、明瞭な行為が、さらには行為にかんする明瞭な意識があらわれ、ここに歴史を保存しようとする能力があたえられ、保存の必要も感じられるようになります」。私などはこれまで、この前段の「主観的な歴史たる歴史物語が存在しないがゆえに、客観的な歴史として存在しない時代です」ですが、これはヘーゲルの観念論からくる主張だとよんでいたんですが。今回はよく判りませんか、必ずしもそうじゃないのではと、感じています。ここは翻訳の問題もあるんじゃないでしようか。意訳すると、つぎのように読み取れます。ア、主観的な歴史書がないのは、失ったんじゃなくて、元々からしてそれがなかった。イ、なぜなら、そうした歴史書をつくることを要請する客観条件・必要性が存在しなかったから。ウ、その意味で、「客観的な歴史として(が)、存在しない時代」だった。わたしなどは、語学に疎いものでして、おこがましいことですが、ヘーゲルの言おうとしている意味としては、こういうことじゃないかと思ったんです。このように理解すれば、後段の文章が、その事情を解明しているものとして、関連が生きてきます。とにかく、「なぜ国家ができると、それは歴史叙述を必要とするのか」この問いに、ヘーゲルが答えた個所が、この部分だとわかりました。ヘーゲルが洞察したその関連ですが、ここで述べられています。今回は、以上です。
2023年10月02日
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信州・安曇野の旅50年余前の旧友たちと、9月26-28日信州・安曇野を旅してきました。もちろん、アルプスの絶景や温泉、美味しい食べ物を楽しみました。この旅の中で、私など注目した二つを紹介します。一つは、安曇野市天蚕センターです私なども、これまでに富岡の製糸工場、八王子の絹の道資料館、横浜の絹博物館と、日本の製糸業の断片、断片は、これまでに見たことがあったんです。だけど、私などにとっては、蚕を育てて、その繭から生糸をとる工程というのは、一つの映像のシーンでしかなかったんです。この安曇野天蚕センターですが、日本に古くから自然に生息してる野生の蚕、すなわち天蚕を育てることが、この安曇野の地域では、天明年間(1781-1788)のころからされていて、嘉永年間(1848-53)にはそれから繰り糸により生糸をとることが、明治の初め頃(1868)には踏み取り機による繰糸がおこなわれるなっていたというんですね。それを目の前で、具体的に繭から糸をとる手作業を見せてくれたんです。繭から糸を手繰って、7本をより合わせる。さらにその何本かをより合わせて生糸になる、ついているのりのような物質を取り除いて、それが織物の材料としての生糸になる・・・・と。「明治時代は、日本の近代化の資金をつくるため、一番の輸出品として生糸があった」-養蚕は、日本の全国で行われるようになった。それはこれまで教科書にもあり、わかったような気になっていたんです。ところが、今回、参加した学校教師のOBですが、この糸繰りの実際の作業と説明をきいて、感想をしきりと語っていました。「『生糸』ということが初めて分かった。7本くらいの繭からの細い糸を集めて、より合わせる。さらにそれから生糸をつくり、『生糸』というのは、そうした作業からできたものなんだなんて。それが輸出品になったり、材料として布に織られたり、衣服になっていく。それがアメリカにも輸出された。一般的には分かっているつもりだったけど、ここでその様子をはじめて知った。自分は教師として、具体的な作業の流れをちっとも知らないで、それで生徒たちに教えていたんだということが分かった」と。まあ、この教員OBの人の感想というのは、参加したみんなの感想でもあったんです。それを感想として、口にしてくれたということなんですが。それにしても、日本の全国各地で養蚕が行われていたこと。日本国全体の近代化をささえる土台となっていた産業ですが、「この安曇野の山地までもが、遠く離れたこの地までもが、養蚕にとりくんでいたというのは驚きだ」と、私などは当初感じたんですが。まったく違ってました。ここから製糸というものが始まってたんです。日本には、明治になって国が注目して国策として製糸工場がつくられる。しかしその以前から、日本の自然に生息していた蚕がいたわけで、この安曇野の地では江戸時代から養蚕・製糸・機織りが、発見・発明・開発されていたんですね。日本には養蚕の独自の歴史があった。それが、この地にあったということです。国策として注目される以前から、すでに、自然の蚕から糸をとり、より合わせて生糸をつくり、高級な織物をつくっていた。そうした技術が、すでにこの地で行われていたんですね。だから、日本の養蚕の発祥ということは、この地から広がったわけです。そうした技術があったからこそ、明治になって、機械を駆使しての産業が起こせたし、それが全国各地に広げれたんですね。いわばここは、機械化され注目される以前に、日本自身での養蚕・織物の技術を開発していた。それをしめすのがこの地だったし、その歴史を残そうとする天蚕センターだったんですね。写真にもある通り、天然の繭からは、グリーンに光るとてもきれいな生糸がつくられるんです。染め直しても、この光沢は輝いてるんだそうです。西陣織などの高級絹織物にも、輝いて浮き上がる模様に、この生糸が使われているんだそうです。説明をお聞きして、私などはそんなことはちっとも知らなったものですから、一つ一つを耳新しく認識をあらたにした次第でした。しかし、一般にも、そうしたことは知られていないと思うんですよ。「安曇野天蚕センター」館長さんが、丁寧に案内してくれて、説明してくれました。これは、よく知った人にして出来ることで、はじめて知る私たちに対しても、わかりやすく説明してくれて、質問にも懇切に教えてくれたんです。これは、日本にとって貴重な歴史遺産ですね。「天蚕センター」が、そうした技術と歴史を、今に生きた形で残そうとしている。そうした熱意が、その説明から伝わってきました。 「安曇野市天蚕センター」は、長野県安曇野市穂高有明3618-24 電話0263-83-3835 です。www.azumino-tensan.jp です。もう一つは、「貞享(じょうきょう)義民記念館」を訪ねました実際にこの地で、江戸時代の1686年にあった過酷化する徴税に対する農民の抵抗の記録です。名主の多田加助が、農民たちの要求を藩主にだして、磔(はりつけ)にされた。そけが、農民たちによって伝えられ生きた、その具体的な記録の記念館です。江戸時代の過酷な税のとりたてに対する一揆というのは、各地にあるわけですが。私なども、これまで知っただけでも、千葉の佐倉惣五郎、群馬の杉木茂ザ衛門、郡上一揆など、類似した問題というは、全国各地に同じような事例があったと思うんです。それらと、この多田加助の「貞享騒動」との違いですが、その具体的な一揆をとりまく問題の事実関係が、生の資料として残っていることですね。その当時は凶作だった。これまでの五公五民の税でも、その周辺の地域に比べて高かったのが、凶作のなかで7公3民に引きあげるとの藩の厳命が出された。当時、村の名主だった多田加助は、磔(はりつけ)にされるのを覚悟の上で、10月14日に藩(奉行所)に農民たちの要求を訴状にして訴えたというんですね。いったんは、事態を沈静化すめため、その要求は認められたものの、11月22日には、磔(はりつけ)8人、打ち首の獄門20名との、11名は家族までもの極刑になった。この騒動の事情が、具体的な資料として、残されているんですね。「貞享(じょうきょう)義民記念館」ですが。長野県安曇野市三郷有盛3209 電話0263-77-7550 です。私なども、はじめて知った「貞享騒動」でしたが、江戸時代の藩(武士)と農民との経済関係について、これから資料をめくるわけですが、記念館の資料を見させてもらって、具体的にそれを知ることが出来そうな感じがしています。見学を終えてから、こんな会話がありました。「学生時代に、こうした事実を具体的に知っていたら、当時の50年前の学習がもっともっと勉学が生きたものになったんじゃないか」と。「いやいや、今だからこそ案内者の説明にたいして、生き生きと関心をもって聞けるんであって、50年前の当時の若造はなまいきで、こうした説明も立て板に水で、今ほどには響かなかったんじゃないか」と。両方の感想ともに、もっともだと感じました。ということで、今回の信州・安曇野の旅もまた、有意義なものとなりました。
2023年09月28日
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ヘーゲル『歴史哲学』序論 C.世界史のあゆみ b.歴史のはじまり(その1)『歴史哲学』序論のC.b.「歴史のはじまり」ですが。「岩波文庫」(長谷川宏訳)ですが、C「歴史のあゆみ」の文節に通し番号をつけました。今回のb.「歴史のはじまり」は、P102の第8節からP112の第18節にあたります。b.「歴史のはじまり」を、3つの論点に区分してみました。一、「歴史のはじまり」をどうとらえるのか。P102の第8節からP106の10節まで。二、何をもって「歴史のはじまり」とするか、その要件についてです。第11節から第15節まで。三、ヘーゲルは、インドとの出会いから何を学んでいるか。第16節からです。今回は、一、「歴史のはじまり」をどうとらえるのか、です。冒頭でヘーゲルは問題提起しています。「一般に、精神の歴史のはじまりを、概念的にどうとらえなければならないか」(第8節、P102)簡単に言えば、歴史のはじまりとは何か?です。他方、「歴史のはじまり」の章のしめくくりですが。「国家があらわれ、形成がはじまったところで、歴史は意味をもつ」-これがヘーゲルの結論です。どうして、「歴史のはじまり=国家」なのか?これが最初の問題です。前提として、当時のドイツですが。ヘーゲルが『歴史哲学』をベルリン大学で講義していたのは、1821-1831年です。1789年には隣国フランスで市民大革命がおきました。『精神現象学』を刊行した1807年には、ドイツはナポレオンとの戦争に大敗しました。国内が何百という諸邦に別れて統一を欠いていた。この状況を改革して統一した国家をつくるが課題としてありました。他方、ナポレオン失脚後のウィーン体制、神聖同盟の反動化の流れが交差していたんですね。1、最初にヘーゲルは、「歴史のはじまり」をしめす二つの認識を取りあげます。一つは、ロックやルソーの「自然状態」の考え方。もう一つは『聖書』の創世記に書かれている歴史のはじまりです。それぞれこの時代に、それまでは、一般的に想定されたり信じられていた疑うことのない認識だったんでしょうね。(第8節) 注目するのは、この二つに対するヘーゲルの批評です。「自然状態」については、それは「仮定にもとづく反省の上に立って、こうした歴史事実があったんではないか、といううすぼんやりした想定されたものにすぎない」。『聖書』の創世記にたいしては、「これこそが歴史的事実であり、信頼するにたるものだと押しつける」、これは「ゆるされない、つくり話の想定じゃないか」と。(第9節)ずいぶん辛辣な批判だと思いませんか。200年前に帝国大学の総長をも経験する人が、教壇でこんな言葉から講義にはいっていった。おもうに、ここにはカント以来のドイツ古典哲学の批判的精神が、理性以外の何ものにも屈しないとの批判的精神の、ヘーゲルにおける継承が見て取れるんじゃないでしょうか。本人もすごいけど、まわりの人たちもすごいですね。 その上で、次の「二、何をもって「歴史のはじまり」とするか、その要件について」にすすむわけです。2、そこにすすむ前に、ここにヘーゲルが「原注」添えています。岩波文庫の長谷川訳では()にいれてますが。そこでは、当時のフランスの4人の歴史認識を紹介しています。これは当時の歴史の動向を示しているんじゃないでしょうか。①カトリックの正統性を説くラムネ―(1782-1854)、②東洋学者のアベル・レミュザ(1788-1832)、③サン・マルタン(1743-1803)、④フランス外務省の歴史編纂エクシュタイン(1790-1832)の4人ですが。当時のフランスでは社会的に著名な歴史家たちだったんじゃないでしょうか。この当時の時代を大きく見れば、イギリス、スペイン、オランダ、フランスなどは、市場と資源をもとめてアジアに航路をひらいていた。ヘーゲルの時代には、交易の広がりにより、インドや中国について、古代の文献、神話や宗教や歴史に関する紹介や研究が盛んになりだしていたんじゃないでしょうか。『歴史哲学』の本論には、インドの仏教、孔子や老子の思想についても、かなりの認識をもっていたことがわかります。ヘーゲルはこんなことを講義で述べてます。古代のアジアの、インドや中国の知識が紹介されつつあるが、それを知ることの「学問的関心にもとづく大がかりな迂回によって、カトリックの理解(現在と過去の)も深まるはずです」(第9節)。「こうした研究上の興味が、多くの発見を確かにもたらすが、同時に、起源の探究は宗教的真理に直接刃向かうことにもなりかねない。歴史上の事実として前提されていることが、まずはじめに歴史的に実証されなければならなくなるからです。」(第10節)ちょっと別になりますが。日本も対象になってきます。古くはイエス会のザビエル、ケンベルがいますが。ヘーゲルの1820-30年頃というのは、明治維新の35年前の江戸時代の末期です。ドイツ人のシーボルトがオランダの館長として1823年にやってきます。『江戸参府紀行』という見聞録を残しているそうです。(島泰彦著『東洋社会と西欧思想』緒論1941年で紹介)。『大君の都』のオールコック(1809-1897)が来たのは1859年です。西欧もアジアに進出して知りつつありますが、日本も世界に目をひらく目覚めがはじまるわけです。3、このヘーゲルの「原注」を読むと、レーニンの感想がうかびます。レーニンは1914年に『大論理学』や『歴史哲学』を学んでいて、ノートを残しています。その『歴史哲学』を読んでの最後に、次のような二つの感想を書いてます。「一般的に言って、歴史哲学はたいして教えられるところがない。これは当然である。なぜなら、まさにここで、まさにこの領域で、まさにこの学問で、マルクスとエンゲルスは最大の前進を遂げたからである。ここではヘーゲルはもっとも古くなり、そしてもっとも陳腐である。」「注意 もっとも重要なのは序論であり、そこには問題提出に素晴らしいものがたくさんある。」(『哲学ノート』全集第38巻 P283)この前段の感想ですが、ア、その後に急速に、世界各地への認識が広がりつつあった中で、ヘーゲルの「原注」にみられる当時の世界認識は、いたって限られたものでした。その後の広がりからしたら、そのギャップに、そうした感想を持つのもわかります。はじめて世界のあゆみをとらえようとする壮大なヘーゲルの挑戦ですが、新たな発見により陳腐になる側面をいっぱいもっているわけです。イ、しかし、私などは注意が必要だとおもっています。この『哲学ノート』は、1914年の限られた時間に、世界戦争が広がるなかで、レーニンがヘーゲルの諸著作を学んで感じた第一印象なんです。個人的なノートの手記なんです。刊行されるなどとは思ってもみなかったはずです。だから率直な印象なんです。もしも、刊行されるものだとしたら、もっといろいろ検討して、別なヘーゲル紹介になっただろうと思うんです。手記と推敲された刊行物とでは、姿勢が違うんですね。手記を公的なもののように扱ってはならないんです。前年・1913年に刊行した「マルクス主義の三っの源泉と三つの構成部分」では、「エンゲルスの『フォイエルバッハ論』や『空想から科学へ』は、『共産党宣言』とならべて、かならず座右におくべきもの」としています。この二冊は、科学的社会主義の学ぶ上で、ヘーゲルの業績を評価し、その問題点を明らかにしたものじゃないですか。「陳腐」などの印象論を、書くなどということは、絶対にしなかっただろうと思います。ウ、私などが『歴史哲学』序論と第四部「ゲルマン世界」を読んでの感想ですが。ザーッと読んだだところ、本論はここにはチンプンカンプンなところが沢山でてきたんです。何しろわかりにくいヘーゲルの表現なんですが。だけど、じわじわと感じてきたのは、世界史のあゆみを、アジア-ギリシャ・ローマ-ゲルマンの大きな歴史的発展を、その全体をまとめようとのヘーゲルの大作業というのは、素晴らしい挑戦じゃないでしょうか。そして「序論」を読んでいくと、「序論」は本論を読むための手引きなんですね。断言的に書かれているのは、「本論」や「論理学」から引き出された結論で、ここだけで理解できるものではないんですね。そして、そのことを、ヘーゲル自身が序論でアドバイスしてくれていたわけです。たしかに、ヘーゲルには、エンゲルスが指摘している問題があるんでが、しかし、何十年にもわたり、ヘーゲルを検討しつづけたエンゲルスは、「天才」とも敬意を表しているんです。弁証法はもちろんですが、様々な分野で随所にすごい洞察や思想がのこされてるんですね。私などは、福田静夫先生の『ヘーゲル講座』(第四部ゲルマン世界)を学ぶ機会がありました。これは、これで、すでにブログにて紹介しましたが。一番の感想は、ヘーゲルの『歴史哲学』というのは、エンゲルスが『フォイエルバッハ論』をまとめる上で、その基礎にある著作だということ。ヘーゲルをどの様に学ぶべきか、学び方をアドバイスしてくれているのが、エンゲルスの『フォイエルバッハ論』だということでした。ようするに、エンゲルスの意図は、科学的社会主義の唯物弁証法と唯物論的歴史観とは何か、その過程と内容をあきらかにすることですが。それをつくる基礎、過程において、ヘーゲルがはたしている役割、意義がどういうものだったのか、その今に生きている業績を明らかにしようとした、ということです。そうであるからこそ、レーニンは世界戦争が広がる中で、そんな大変な中でも、ヘーゲルそのものの著作を(『大論理学』「哲学史」「歴史哲学」など)学ぶ必要があった。また、実際にそれをやったんですね。そこには、世界戦争からどのようにしてぬけだすのか、問題だらけの現実ですがそれを変革するためには。そのヒントの一つとしてヘーゲルの学説を探ろうとした。私などはそう思っています。今回は以上です。次回は、「C.(b) 二、何をもって「歴史のはじまり」とするか、その要件について。第11節から第15節まで」です。あと少しです。
2023年09月24日
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みかんの収穫前のひと仕事小田原・早川のみかん園ですが、直近の、9月19日から21日の様子です。早生みかんは10月半ばから、ボチボチと収穫が始まりますが、今のみかんの様子です。秋晴れの日和によって、みかんは黄色く色づいていきますが、まだ今のところは濃緑色です。今回の小田原行きですが、あちこちで手の及んでないみかん畑があって、それらへの除草作業が主題でした。ヤブカラシやクズに覆われた畑ですが、覆われた下にはみかんの木があるんです。このままでは、みかんに陽は当たらなくて、木は枯れてしまいますから、この若者をはじめとして、みんなで力を合わせて、くそ暑い炎天下に、あちこち草刈りをしているんです。次のみかん畑の写真は、本日の作業を終えたあとの写真です。この畑は、除草剤は使わずに、草刈り作業で頑張ってるんですよ。このみかんの木は「青島」が8割方ですが、昨日、みかん園の若い園主は、その摘果作業をしていました。亡くなった園主のポリシーでもあったんですが、このみかん園の全体は、「安心、安全のみかん」を提供したいということで、繁茂してくる雑草に対して、いっさい除草剤は使わずに、エンジン式の草刈り機で対処してきているんです。それに共感して当方も、これまでは除草剤は使わずに管理して来ていたんですが。しかし、それでは広いみかん畑に対処しきれないと、判断したんです。みかん園の周辺には、ヤブカラシやクズなどが押し寄せてきてますから、周辺の土手や、イノシシ防止用の鉄柵に巻きついてきていますから、それには草刈り機が使いにくい状況があって、それで決断したんです。この周辺の対処には、除草剤を散布するで対処する、と。あの世で、先日亡くなった園主が、この自体をどの様に思っているか、今は、議論することがかなわないんですが、私なりに、草刈り作業と除草剤使用を組み合わせるしかないと、判断しました。次の写真ですが、これは、みかん園に押し寄せてきている、ママコノシリヌグイ、ヤブカラシ、クズなどです。大自然の力はすごいものです。それに対して、農夫の力というのは、限られたものです。農家一般がそうでしょうが、一般にみかん農家の人たちも高齢化していきます。有効な社会的支援が、少子化と同様に、はかられてきていない今、どうしたって、これまてがんばって維持してきた畑ですが、これまで通りには維持することはできないんです。今、その事情を知った援農者が、ボランティアとして、その低下したところをカバーしようと、応援してくれてるんですが。それでも、現在の力では、現状を維持していくのは、なかなか難しいんですね。小田原・早川のでは、みかん園の耕作放棄地が30パーセントあると、数年前ですが聞きました。これと、正面から対決しようとしてるんです。それが、私などのこの間の状況です。
2023年09月21日
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『日本共産党百年史』を読む(その3)『日本共産党百年史』を読んでます。今回で、三度目ですが。一、9月17日「赤旗」に志位和夫委員長の記念講演が掲載されました。『百年史』はタブロイド判57ページと、百年の歴史ですから、大部なものじゃないですか。目を通すだけでも、私などはだいぶ時間がかかったんですが。志位委員長の講演は2時間余、共産党のホームページから視聴できるんです。百年の歴史を、その57ページの中身を、2時間余にまとめたこと自体、すごい努力だと思いませんか。しかも、問題点の掘り下げや、独特にまとめていて、新鮮に中身が伝わってくる講演です。百年の全体をとらえる上で、大きなプレゼントだと思います。二、あとは、「第一章日本共産党の創立と戦前の不屈の活動」についてです。前回にも、紹介した感想なんですが。1、日本の封建制社会は、身分制度の歴史でもありましたから、「お上にもの申す」などということは許されなかったんですね。群馬の杉木茂左衛門、郡上一揆などをみても、税が過酷すぎるとお上に意見を述べるだけで、家族や村人までもが連帯責任で処罰されるわけですから。1922年7月に創立された共産党の綱領草案の第一にあった「天皇絶対の専制政治をやめさせ、国民主権の政治をつくる民主主義革命」ですが、今から見ても正しいじゃないですか。問題は、当時の社会にあって、この正しい主張を掲げることがどれだけ困難だったかということですね。いわば、今日のロシアの国内で、ウクライナ侵略戦争反対の主張を掲げることじゃないですか。中国や北朝鮮で民主主義の主張を掲げることじゃないですか。何百年とつづいてきた「お上に盾つくことは、死罪を申し付ける」の歴史のなかでのことじゃないですか。どれだけの勇気と覚悟を必要としたか。戦後の民主憲法のもとに生まれた私などにとっては、言論・思想信条の自由は空気のように当たり前になってますが、80年前までは、まったく違っていたということです。この今日あたりまえな歴史認識に立ったとき、今でも『共産党はなくなった方が良い』などと言ってる政党幹部がいるわけですが。これは共産党の名誉というより、歴史と科学に対する屈辱するものじゃないですかね。公人としての資格なしだと思うんです。2、そうしてみると、明治維新から自由民権運動、大日本帝国憲法、大正デモクラシー等、日本の近代化をめぐって民主主義の流れがあったと思うんです。その民主主義的な社会の流れの中から、社会主義や共産主義、さらに共産党がつくられた。この歴史のなかから、どんな苦難があろうとも、共産党の必要性ということが問題になった。『日本共産党の70年史』などは、その点をかなりリアルに探っていると思うんです。プロレタリア文学運動などの分析もかなりの紹介をしています。何を言いたいかというと、以前の党史には、その時点での焦点や問題、課題があるということです。それぞれの党史が独特に光っている。それぞれの党史もまた大事な中身だと思うんです。それが要約された形で「百年史」にはいっていますが、以前の党史もそれぞれに固有な中身があるということです。ただ、それを全部紹介するとなると、百科全書のようになってしまい、誰も読み通すことは出来なくなります。ましてや、新たな今日的課題に焦点の光を当てれなくなりますから。全体のバランスや焦点となることが明確にされること大事になりますから・・・。きっとそんな模索もあったんじゃないでしょうか。そしてて、今回の『百年史』の形にまとまったんだと想像します。このへんの苦労というのは、8月16,17日付「赤旗」の4者の座談会に、いくつかうかが得れるんですが。三、戦前の日本社会の困難な中でも、共産党が必要とされたこと。これが、今の時代に、戦後世代にとっては、「戦前の日本社会の困難」ということが、なかなかとらえにくいんですが。講釈しても、なかなか理解してもらえないんですが。それを理解させないようになしかけが、戦後80年続けられてきたわけですが。そこに無茶苦茶な発言が、平然としてなされる条件があります。歴史に何を学ぶか、歴史から何を学ぶか。「日本共産党の百年史」は、私たちがそれぞれに体験してきたことに問いかけています。今回は、戦前の第一章でしたが、さらに続きを進めるということです。
2023年09月19日
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「みかん園を再生する会」の9月交流会9月17日(日)、「小田原・石垣山のみかん園を再生する会」の9月交流会が開かれました。毎月一回、援農者の人たちで交流会をしていますが、今回は8名の人たちが参加しました。これがはじまる前の「サミット会場」です。いよいよ10月の半ばからは、早生みかんの収穫が始まりだします。これから秋の日差しにより、みかんは色づきだすんですが、今は緑色ですが、試食したところ味はそこそこのところまで来ています。交流会の主題ですが、その一つは、最後の草刈りです。例年なら、9月も下旬になると涼しくなるんですが、相変わらず暑い。まだこの暑さで雑草が繁茂してくるんですね。収穫に集中できるようにと、最後の草刈りのはずなんですが。あいかわらず、繁茂してくる力が強力なんですね。除草剤も使わないと、広い畑を草刈り機だけでは、とてもやりきれないんですね。県の「農業技術センター」にも足を運んで、除草剤の基本を学ぼうとしました。試験場はみかん栽培を目的にしているところですから、除草剤の使用については、具体的なことはなかなか言いにくいようでしたが。でも、基本的なことでも、はじめての私たちにとっては、大いに参考になるんですね。この交流会では、新たな放棄地対策も問題になりました。交流会の場所から、ほんのすぐ近くなんですが。今回も、農家が手入れの及ばなくなった畑が出て来て、そこに対するの草刈り対策も検討されました。これがその畑です。みかん小屋の後ろで、農道にそったところにある畑ですが。農家にとっては、ここに手が回らない、というんですね。見たところ畑全体が草に覆われていて、みかんの木も何本か生きてるんですが、なにしろこの巻きついているヤブカラシの下にあるんです。私などは、何か所かこうした畑を支援してますから、もうヘトヘトです。とても、ここまでは、かかわれないんですが。本日、「再生させる会」の有志が、この畑の草刈りをしているはずです。個々の農家は、畑が何か所もありますかに、力をどこかの畑に集中させるようにして、分の悪い個所は、放置するしか、仕方なくなってるんですね。農家の高齢化もありますし、援農者の力をもってするしか、ボランティアの力をもってするしか、今を維持することは出来ないんですね。これが今のみかん農家の実情です。交流会の基調は、いよいよみかんの収穫シーズンが近づいた。これまでの苦労が、みかんの収穫となって、報われる時であり、あと、もうひと頑張りだ、ということでした。
2023年09月18日
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柿と栗の朝市みかんの収穫は10月半ばの早生みかんからです。9月16日(土)の団地朝市は、多摩市や群馬の農家から、新鮮で安価な野菜が並びました。当方は、小田原の農家からあずかってきたもの、柿やカボチャを並べました。左の端にあるのがそれです。今回の小田原行きは、みかんの収穫前の草刈りでした。3月くらいから、何度も草刈りしてきましたが、最終段階の草刈りです。みかん園とその周りは、みかん農家の畑は、雑草は抑えられているんですが、私などのみかん畑は、この間の草刈り作業もむなしく感じるように、雑草に覆われてます。みかん畑の手入れというのは、とどのつまりが「草刈り」なんですね。今回、一つの決断をしました。この広い畑を、エンジン式草刈り機をふりまわしているだけでは、対応しきれないんですね。これまでは、除草剤はいっさい使わないとのポリシーで頑張ってきたんですが。一雨ごとに繁茂して来る雑草の勢いの方が、人の草刈り作業よりも強力なんです。イノシシ柵に巻き付くクズやヤブカラシの蔓にたいして、また、みかんの木のない平地の部分にたいして、それらの繁茂をおさえるために、除草剤を使うことにしたんです。これが農家の方がアドバイスしてくれた除草剤です。農林水産省にも登録されている除草剤です。成分は、グリホサート イソプロピルアミン塩41%。「ラウンドアップ」は、1980年に登録されました。1994年からは、その「ラウンドアップ」のジェネリック品が販売されだしているそうで、この除草剤も成分からすると、そうした中の1つかと思います。除草剤の問題というのは、アメリカやEUにおいて、その使用が問題になったじゃないですか。ですから、念のために、根府川には歴史ある「みかん栽培の試験場」があるんです。そこにいって、専門家から、除草剤の使用を始めるにあたっての、注意すべき事柄を、その基本的な問題について、聞きに行ってきたんです。これは、試験場からみた景色です。建屋の周りには、いろいろな種類の柑橘が、植えられていました。「湘南ゴールド」もこの試験場でつくられたものなんですかよ。ここで、除草剤の使用について、職員の人と懇談しました。日本の梅雨の雨もある自然の中で、ましてやこの広い小田原のみかん畑において、繁茂して来る雑草をおさえるためには、草刈り機だけでは難しい。ヘトヘトになっちゃう。そこで、除草剤を使うことにしたんだけど。除草剤を、うまく、正しく使ううえで、どの様な注意をしたらよいのか。「試験場」は公けの機関ですから、どの除草剤は良いとか、ダメだとかは、聞けないんですが。すくなくとも、使用するにあたって、どの様な注意をして、どの様に効果的に使うか、そんなごく一般的なことなんですが、言いにくそうでしたが、それとなく基本をアドバイスしていただいたんですね。この除草作業というのは、みかん農家にとって、畑管理の基本中の基本問題ですね。農協の「栽培カレンダー」にも、それは掲載はされているし、農家の人は、それぞれの判断で、除草剤を使用しているんですが、私などにとっては、これまでのあり方を、基本を変えることですから。知識やまわりの人たちの経験も、いろいろ集めてみたいと思っています。ということで、私などの管理しているみかん畑ですが、みかんの周辺では、これまでどおり、草刈り機をつかっての草刈りですが、写真にもあるように、隣接する荒廃地から覆いかぶさってくるクズやヤブカラシにたいしては、これからは、除草剤の使用を試してみることにしました。
2023年09月16日
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今回の課題も草刈りでしたようやく、朝晩は涼しさを感じるようになりましたが、日中はというと、やはり日差しがきつい。今回も、小田原のみかん園では、草刈り作業に追われました。二つ、この苦労に、希望を感じさせてくれることがありました。その一つは、若者がこの難行苦行に挑戦しだしていることです。これは、今回、みかん畑を草刈りしている様子です。雨が降るたびに、エノコログサややメヒシバが繁茂し、みかんの木には、クズやヤブカラシが巻き付いて、木を枯らしてしまいます。雑草をおさえる仕事は、みかん狩りしかイメージのない都会人には、考えられない苦労なんです。大人なの農夫であっても、この自然の力の前に負けてしまいそうな中で、若い青年が、一人であっても、立ち向かっている姿が、これです。もう一つは、今回も援農者が応援にきてくれたことです。1+1は2ではないんですね。一人で、ショボショボとやってたら、1日かかっても終わらないんですよ。それが、1時間くらいでした。この畑の全体の草刈りを完了したんです。若ものの断固とした姿勢+援農者の力は、一人では、クタクタ、ヘトヘトにさせられる作業を、それでも一日かかっても終わらないような作業を、1時間でそれを片付けたんです。ありがたいことですね。援農者に来てくれた人は、そもそも別の畑の草刈りに来てくれたんです。そこの草刈りが今回の眼目だったんですが、「よし、その前に30分と協力しよう」ということで、若者の大仕事を支援して、ひと仕事してくれたんですね。さて、これは、援農者が今回の本題の草刈り作業を終えたあとの様子です。その苦労したあとを確認しているところです。日本の自然の力はすごいですね。よくよく注意して見るようにしないと、今回、いったいどこを草刈りしたのか、よくよく見ないとわからないんですね。しかし、確かに、みかんの木を覆っていたつる草がなくなって、みかんの木が、はっきりと見えるようになりました。みかん畑の段差が、はっきりと分かるようになりました。だけど、そのあとは、繁茂して来る雑草の大海のなかにあっては、そのごく一部分でして、確認することが難しいくらいなんです。まだまだ、さらにこの草刈り作業は続きます。みかん園は、10月半ばからは、いよいよ早生みかんの収穫が始まりだします。みかんの収穫作業に専念できるようにするためには、それまでにこの草刈りをおえたいということです。というのは、草をかき分けて、対象となるみかんの木に近づくようでは、収穫作業に集中できないじゃないですか。収獲の労力を、草刈り作業に割かなければならなくなります。まあ、それが、プロの農家とアマの農家とのちがいなんですが。したがって、アマの農夫にとっては、まだまだ、草刈りの下積み作業は、続くということです。しかしこうして援農者の支援もありますから、残された草刈りの対象区域は広いけれど、あと残りは4週間。収獲の喜びを、喜びとして実感できるようにするために、もう、あとひと頑張りです。
2023年09月14日
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ヘーゲル『歴史哲学』序論 C世界史のあゆみ a発展の原理『歴史哲学』序論のC「世界史のあゆみ」の章ですが、3つの節からなってます。a「発展の原理」、b「歴史のはじまり」、c「世界史のすすみかた」です。a「発展の原理」は、岩波文庫のP97から102で、Cの各文節に通し番号をつけると第1節から7節です。いたって短い節なんですが、ヘーゲルにとって「発展の原理」というのは、『歴史哲学』の根本的な問題を、弁証法を、提起しているんじゃないでしょうか。一、ヘーゲルが最初の入口にしてるのは、「自然と人間の歴史との変化のちがい」からです。「自然の変化はくりかえしだけど、人間の歴史には自然の変化とは違って発展があるとされる。けれど、あいまいだ。そこには『目的も目標も変化の基準も示されていない』じゃないかと」-こんな問いかけからヘーゲルは考察していきます。(第1節)今日の自然観では、自然にも歴史的発展があることが科学の認識として確認されてます。それでも四季の変化は毎年くりかえすということは、日々のくらしにおいては常識ですね。それぞれある範囲では妥当しているわけです。ここでヘーゲルが強調しようとしていること、客観性ということだと思うんです。「発展の原理は、内的な方向性が前提としてもとから存在し、それがおもてにあらわれるという形をとります」「精神は、外からやってくる偶然のたわむれにひきまわされるようなものではなく、みずから絶対的に方向を決定し、偶然にひきまわされるどころか、偶然を利用し支配するものです」(第2節)。抽象的ですが、個々人の主観的に精神とは区別される客観的なものが基準としてある、この客観的な精神というものを強調してるんじゃないでしょうか。二、次は、『意識と意思』の問題です。自然とは違って、人間にはすべてに『意識と意思』がはたらくけれど、そのことは客観的な発展や法則性をかえるものではない、とのことの強調です。自然にも有機体(植物)の成育には発展があることを認めるヘーゲルですが、自然の発展との違いとして、人間にはすべてに『意識と意思』がある。自然に確認される法則性・必然性ですが、人間の歴史においては各人の好き勝手な『意識と意思』が働きますから、すべては自分勝手のし放題による偶然の絡み合い、ゴチャゴチャにさらされるんじゃないか。そんな現象を、感覚を、私たちは日々体験させられてるんですが。すべては偶然の関係だから、人間には法則などといえるものは認められないように見えるけど。はたしてそうだろうか、これがここでヘーゲルが問題にしていることですね。「意識や意思は、最初は、直接の自然の生命のうちに埋没しているし、その対象や目的も、最初は自然の力としてあらわれます。が、その性質に生命をふきこむものが精神であるとことから、それは無限の要求と力と富をもつものとなり、かくて、精神は自分の内部で自分と対立します。精神の実現を妨害する真の敵は、精神自身であって、精神は自己を克服しなければならない。自然にあっては平穏な産出であった発展が、精神においては、自己にたいするきびしくはてしないたたかいとなります」(第3節)。さらにつづきます。第4節「精神のこのような発展は、自分と対決する、きびしくいらだたしい労働です。しかもそれは、たんに形式的な自己発展というにとどまらず、一定の内容をもった目的の実現です。この目的ははじめから確定されていて、それが精神であり、しかも、自由を本質ないし概念とする精神です。自由な精神こそ歴史の根本的な対象であり、それゆえにまた、発展の指導原理でもあって、それが発展に意味と価値をあたえ」ものだ、と。ここでは、「歴史のあゆみにおける自由の発展」との具体的な中身は、ばくぜんとした示唆にとどまってますが。これは本論での、東洋-ギリシァ・ローマ-ゲルマンと、世界史のあゆみを検討する中から引き出されてくる事柄です。ここでは、これから本論にあたるにあたっての予備的な見解です。ヘーゲルは人間の勝手な恣意や偶然すらもとおして、「世界史のあゆみは自由が発展する」との洞察と確信を述べています。偶然とは、様々な意見が交差しているの中に正しい道理が含まれている。自身の変化のなかにも発展が含まれている。ただそれは、きびしい葛藤をとおして手にすることとなる。大体、そうしたことを念頭に置いておくように、とのことでしょうか。レーニンが『エンゲルスを参照せよ』とコメントしてますが。『フォイエルバッハ論』第四章からです。「社会発展の歴史は、一つの点で、自然のそれとは本質的に異なっていることがわかる。自然においてはまったく意識のない盲目的なもろもろの作用力があって、それらが相互にはたらきかけ合い、これらの相互作用から一般的な法則が生じきたっている。これとは反対に、社会の歴史においては、行動しているものは、すべて意識をそなえ、思慮または情熱をともなって行動し、一定の目的をめざして努力する人間であり、なにごとも意識された企図、意欲された目標なしにはおこらない。しかし、この差異は、これが歴史の研究にとって、どれほど重要であるにしても、歴史のすすみゆきがそれに内的に存する一般法則によって支配されている事実を変更させるものではない。‥‥」(新日本文庫 P69)三、さて、この「発展の原理」の中心問題です。第6節ですが、全文を引用します。「さて、世界史は、自由の意識を内容とする原理の段階的発展としてしめされます。この段階のこまかな定義は、一般には論理学において、もっと具体的には精神哲学において、しめされます。ここではただ、第一段階は、すでにのべたような、精神が自然のありかたに埋没した状態であり、第二段階は、そこからぬけだして自由を意識した状態である、というだけでよい。この最初の離脱は自然を媒介にして生じたもので、自然との関係を断ちきれず、いまだ自然の要素につきまとわれているがゆえに、不完全で部分的なものです。第三段階は、いまだ特殊な状態にある自由から純粋に普遍的な自由へと上昇し、精神の本質が自己意識および自己感情としてあらわれた状態です。この第三段階が、一般的過程をあらわす基本原理です。各段階の内部にはさらにこまかな形成過程と移行の弁証法があるが、それは本論で見ていくことにします。」(P101 第6節)私なりの解釈ですが。1、「世界史は、自由の意識を内容とする原理の段階的発展としてしめされます」これは、世界史のあゆみの本論を検討した中からヘーゲルが引き出した結論であり、洞察だと思うんです。私などは、福田静夫先生の「ヘーゲル講座」で、第四部「ゲルマン世界」をよんだんですが、そこにおいて、ヘーゲルは確かに「自由の発展」をとらえて、それを抽象的な形でですが、論証していると思うんですよ。ここは「序論」ですから、へ―ケル自身も言ってるように、本論を読む上での示唆であり、洞察したことの紹介なんですね。ここだけで論証されたり、得心できるといったものではないんですね。では、その「自由の発展」ということですが、そうしたことがどのような人間社会のから生じてくるのか。この問題が、その後の人たちにとって、その根拠を解明することが問われていたし、マルクスやエンゲルスが、唯物論的歴史観だと思うんです。2、「一般には論理学において、もっと具体的には精神哲学において、しめされます」ここには、ヘーゲルのみちびきだした洞察と、課題がしめされていると思うんです。自然と社会、人間精神の一般的な法則としての弁証法ですが、ヘーゲルは、そのヘーゲル体系として残しました。たしかに論理学-弁証法は、一般的には妥当しているんですが、それぞれの分野において、ここでは世界史などその固有の分野の中から、その探究からその一般的なことがらを、妥当な精神をひきださにければならないはずなんですが。ところがヘーゲルですが、当然ながら歴史的な材料が不足していることも原因しているとおもいますが、論理学的な一般性をわくぐみにした、全体の関連を組み立てちゃうんです。まとまったものに仕上げちゃうんです。論理の力で未知数な細部をもまとめ上げちゃうとのヘーゲルの癖がありますね。ヘーゲルの歴史哲学での論理学を指摘する箇所には、弁証法の一般性の問題でけでなく、その認識過程の問題だけでなく、「自由と必然」ということも、個別の具体的な個人の意志がどの様にしたら社会の全体の意思に重なるかなどのもんだいも、こうした大事な問題も考察しています。また、民族精神ということでは、社会的関係における個人は「民族の子」、また歴史のあゆみの関係では「時代の子」でもあるなど、素晴らしい洞察をしているヘーゲルですから、なんともこの基本にある矛盾について、明確にしておく必要があると思うんです。マルクスの25歳のときの『ヘーゲル法哲学批判』ですが、ヘーゲルの国家論においては、事物が論理学への添物になっている。事物の中から、その一般性を引き出すことが必要であり、事実を添物や飾りようにしてはならないとの点を指摘してます。その通りだと思うんですが、この問題ですね。ヘーゲルは抜群の論理的思考をもってますから、それが彼の大きな力の原理なんですが、しかしその原理の中身を正すということとなると、これは大変なことですね。その仕事を、マルクスやエンゲルス、レーニンはやっているわけです。3、ここでの一般的な、三段階の原理についてですが。これが根本原理ですが。その三段階の原理ですが、ここでは世界史のあゆみの法則が問題よりも、万事の根本的原理だということでの指摘です。世界史のあゆみの原理を問題にしてるんですが、そこではきわめて一般的な形での指摘ですね。どのように人間の意識にのぼり、とらえれるか、認識の問題でもありますね。この一般的な原理の指摘ですが、その限りでは、たしかにすばらしい洞察で、妥当していると思うんですよ。これは事物の発展であるとともに、認識の一般的な形、すなわち弁証法ですよね。抽象的で、一般的ですが、しかしすばらしい洞察だと思うんです。しかし、ここでは人間の世界史の発展、法則が問われているところなわけですから、この論理学的な洞察では一般的であり、済まないんです。この一般性と精神哲学(その一つとして歴史)との関連があるのかという問題です。「自由の発展」という一般性が、具体的にどのような関連にあるのかが問題かと思います。歴史観の問題ですね。ヘーゲルにとっては、それは本論の具体的な中で探られているところであり、ここでは「序論」としてのアドバイスであり、そうした一般性があるんだよ、との示唆に限定されてるわけで、断片的で抽象的にしか述べられてないんですが。しかし、ここには、歴史あゆみについて、具体的な法則を探るという基本的な課題がありますね。4、したがって、ここでの課題ですが。ヘーゲルが、世界史は自由の発展であるとしたことの、現実的な根拠はどこにあるか。世界史的人物の動機、それを要請する力はなにか。ここが、ヘーゲルが1831年に宿題としてのこした課題です。ここからマルクスやエンゲルスの、1840年代の探究がはじまった。『ヘーゲル法哲学批判』『経済学哲学手稿』から『ドイツ・イデオロギー』があった。それらはどれも草稿として、当時は人の目にはふれられなかった。そこにエンゲルスの『フォイエルバッハ論』(1888年)の努力があったんですね。それは唯物史観、探究の方法ということですが。わたしなどが、ヘーゲルを学習してさぐってきたんですが、問題のまわりをまわってるでけで、何が問題なのかわからずに、いつもモヤモヤのうちに体力、集中力が途切れてしまっていたんですが。そこにある問題とはなんなのか、マルクスとエンゲルスは、そこにある問題を、正面から問題として受けとめてますね。それを解いたのが唯物論的歴史観だったわけです。そのことは、私たちに、その歴史観を今日的に生かすとすれば、まずは、ヘーゲルとマルクスの歴史観をしっかりつかむことですが。その上で、その見地からしたら、それは、今に生きる人にどの様な課題が提起しているのか、この問題が出てきますが。人は、それぞれに、持ち場や、役割、責任がありますから、それぞれの形で、生かしていくことになるわけですが。しかし、それは問題の広がりすぎですね。ここでの主題は、あくまでヘーゲル『歴史哲学』序論についての学習です。あと残りはもう少しです。とにかく、なんとか終わりまで学習するということです。
2023年09月10日
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カボチャ、青ジソ、スダチの朝市ようやく秋風が感じられる時が来ました。しかし、台風13号の接近で、一日にして雨の天気に変わりました。明日は台風一過の暑い日が復活するとのこと、なんとも、目まぐるしい天気です。9月9日の朝市は、台風13号崩れの低気圧の接近で雨模様。人出が少ないとみて、大方の野菜は前日のうちにさばきました。朝市には、カボチャと青ジソが並びました。スダチは、予約者に渡したのと、通りがかりの人が買ってくれました。「九州出身なんですが、むこうではカボスでした」と購入していただきました。あとは、待っていても買い手は来そうにないので、電話で注文を取るようにして、今日の朝市は午前9時9分には終了です。今回の小田原のみかん園行きですが、やはり草刈り、収穫前の最後の草刈りでした。みかんの収穫は、早生みかんの11月からですが。今回は、いろいろな収穫がありました。一つは、亡くなった園主さんの息子さんの変化です。この間、4月19日から、二人で、週に一度草刈りを共にしてきたんですが、手当が出来ている範囲は、5つの畑のうちの1つで、さらにその畑の一部分なんです。その限定された部分については、この暑い夏の間に何度も通って、草刈りをやり抜いたんです。暑い夏の最中をかよって、雑草をおさえて、60本くらいのみかんの木の手入れをやり抜いたんです。今回、彼から連絡がありました。『今回は、畑の全体を見回りたい』との話でした。ともに畑を見て回ったんですが。ひの各畑を見回るだけでも、いつもの作業時間の1時間が、たちどころにすぎちゃったんですが。『ここの雑草はひどい。次はここを草刈りしなければ』とか、つぶやいてました。その時の一枚です。みかん畑の全体を何とかしようというのが、彼に課せられた仕事なんですが。私などの体験からすると、それはあまりにも広くて、ベテラン農夫だってあちこちでギブアップしてるような大仕事なんです。まして、みかん作業を始めだしたばかり、本収入をえるための職場勤めがあるわけですから。大丈夫だろうか。どうなるのかは、神のみぞ知るところです。私などにできることは、1年間をともに汗を流すということくらいなんですが。そんななかでのことでしたからおどろきでした、『畑の全体を見てみたい』との言葉は。たいしたものじゃないですか。この大仕事に押しつぶされずに、みかん園に、なんとか活路を見つけ出してほしいものです。もう一つの収穫は、ひとりの農夫との出会いです。私などは、その名前を今回初めて知ったくらいで、まったくの初めての出会いでしたが。彼は、小田原で農家の家に生まれて、長年にわたり市議会議員の活動をされてきた。今は健康問題もあって、公務を引退してるけど、すごい努力をしてこられた方なんですね。お会いしてみて感じました。私なんかは、これまで、小田原・真鶴でみかんを収穫し、多摩の団地で販売してきた。都市とみかん農業とをつなごうとしてきたんですね。ところが、みかん園の手入れの方が、雑草の繁茂してくる力におされちゃう。まわりの農家も高齢化もあり、手の及ばない畑が出てきて広がってるんです。どうやって、これを打開するのか、暗中模索の状態なんですね。これは、小田原地域のみかん農家の問題であるとともに、日本の農家の全体的な、今の農業問題の根本課題なんです。みんなが努力しても、解決できてない大きな問題なんです。二つの出会いが意味することは今回の、この二つの出会いですが、私などは、この大問題に対して、私なりに新たな転機になるんじゃないかと思いました。これまでのように、ただ自然の雑草と喧嘩しているだけじゃ、体力からしても負け戦になる、これじゃぁ足りない。このことは、はっきりしてるんです。これまでの努力の基本は維持しつつも、新たなもう一味をさぐれということ。それは、もっと広く社会的な視野で、みかん農家の置かれた状態をもっと学ぶべきだ。少なくとも、ただ自然を相手にしているだけじゃだめだで、もっと自分の目と耳をはたらかせて、社会の動き・努力を知るべきだということ。「あんたの体験主義では、社会的な知識がたりない」-どこからか、そんな声が聞こえてくるんですね。だいたい、若者が一生懸命に挑戦しようとしている。何十年の長きにわたり努力しつづけてきたベテランとのつながりが出来たこと。この二つの条件を生かしただけでも、これからのみかん園に、新たな変化、発展をひらきうる。もちろんこれからの努力次第でですが。これまでの暗中模索してきた状態からしたら、今回は、新たな未来を開いていく、そんな予感を感じさせてくれる、二つの出会いでした。
2023年09月09日
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「日本共産党の百年」を読んでます7月31日付のブログでしたが、「百年史」をとにかく通読して、その感想を発信しました。その時は、このタブロイド判57ページを、はやく通読すること自体が大事だったんです。その時の感想ですが。同じ「日本共産党史」でも、45年史、50年史、70年史、80年史、そして今回の100年史とありますが、それぞれには、それがまとめられた時の動機が、その歴史状況が、あります。その一つ一つは、たんにその後の何年かの歴史をくわえたことだけでなく、その時々の客観的な状況の下で、主体的に置かれた条件から出てくる課題というか、特徴というか、個性がありますね。もしもそうだとすると、では「今回の「百年史」の個性とは何なのか?」そんなことを考えながら、とにかく急ぎ通読しよう。そして第一印象の新鮮なうちに、とにもかくにも私なりに紹介しよう。それが、前回・7月31日の発信でした。まぁ、人はそれぞれの認識をもって、ものごと(同じ対象)を見るじゃないですか。それぞれの感想をいだくじゃないですか。そして、同じ人でも、第一印象もあれば、さらに読むときの条件によって、同じものでも異なった側面が見えてくるものです。一度に絶対的な認識を得るなどということはないんですね。認識の過程です。今回の二回目の感想ですが、そうしたわけで、前回の「まず読むことが第一」とは違っています。一つは、8月16日、17日付「赤旗」に「百年史」をめぐっての4人の座談会が掲載されました。これが、ひとり壁に向かって読んできた私などにとっては、いろいろ参考になりました。このなかに、二人の編纂者がいて、作成するにあたって、どの様な工夫をしたかを語ってます。たとえば、全体として歴史に見られる弁証法を明らかにしようとしたこと、読みやすくするため、各章の冒頭に総論というか、リードというか、テーマを置いたこと、また、構成というか歴史の総括についても、戦前史では3つ(1.誕生、2.登場、3.次の準備)の形でまとめたとか、「百年史」を読みやすく、中身をリアルにするために、新たな努力が紹介されてます。また、二人の若い方が、それを読んでとらえたフレッシュな感性が紹介されてます。なかなかこの座談会は、「百年史」の理解を深める上で、参考になると思うんですよ。二つ、私などは、それぞれの党史に個性があるのを感じてるんですが。そこには、日本の近代史のあゆみのなかから、どの様な必然性をもって、不屈な共産党がつくられてきたのか。いくら党だからといっても、一人ひとりは不十分な人間の集団です。日本の国家権力の弾圧ですが、治安維持法がしめしてますが、過酷な犠牲をともないました。それにもかかわらず、どうしてその中で頑張れたのか。そうした葛藤が刻まれた戦前の歴史でもあります。その点で、誕生と戦前の試練もそうですが、それが戦後も50年問題などの試練があるじゃないですか。私などが直接に知るようになったのは、1969年以降ですが。そこでも時代のすすむなかで、『70年史』や『自由と民主主義の宣言』などは、近代史の民主主義的な客観的なあゆみのなかから、共産党が生まれざるを得なかった必然性を解明しようと努力してるじゃないですか。その点に注目している次第です。その構成要素ですが、哲学、文学、経済、政治と、党建設論と、個別の政治と社会との関係の問題があるでしょう。以前の党史には、たとえば、戦前のプロレタリア文学がつくりだした理論的成果の紹介が詳しく紹介されてたんです。それが消えちゃった。というかコンパクトになっちゃっていて、じつにもったいないなぁと感じたんです。しかし考えてみれば、それ等の成果のまとめは素晴らしいんですが、だからといってそれをそのまま再録するようなことをしたら、新たな「党史」はじつに膨大なものとなり、この忙しい時代に誰も読み通すことの出来ないような、グロテスクな日本共産党史になっちゃうじゃないですか。それを考えると、そのものを再録することは不可能です。「では、そうしたこれまでの成果が、この『百年史』にどのように生かされているか」-これが私などのが注目した一つの点だったんです。今回、そこを比較した結果、今回の『百年史』は、その点でも、一生懸命な努力があったことが伝わってきます。これまでの党史のもっていた成果を、その大事な点はエッセンスにして紹介しようと努力しているのを感じました。もちろん、まとめることは、元になる資料をそのまま生かすわけにはいきません、簡潔な形で要約するしかないんですが。もとの土台は厳然としてあるわけですから、以前の成果が、どの様に、どれだけ生かされているのか。そこに注目したんです。どの問題は、どの党史が歴史的に中心主題としていたか。その場では必死な格闘・努力が行われています。しかし、それは歴史としてまとめられ、落ち着いた形に刻まれるようになるんですね。ということは、過去の党史ですが、それは歴史的な努力として、今をつくっている歴史的な成果として、残っているということですね。その歴史を、今日から見たらどうか、どの様なとのかたちになってるかですね。そうしてみると、今日というものが、より包括的にひろく、根本を要約しているものに、実際にそうなっているかどうかは、よく読んだうえで得られるかどうかの評価ですが。とにかく、そうした歩みというものの積み重ねの性格をもっていること、今において怠りなく努力を重ねていることについては、確かさを感じさせられました。三つ、さて、これをどう学習するか、ですが。出来うれば、複数の人たちで学習・討議することが大事だと思うんです。私などは、これまでそうした条件はなく、達磨大師じゃないけど、ひとり壁に向かうようなことだったんですが。今回は、少し違うんです。学習会の仲間が出来たんです。だから、次のような紹介が出来るんです。以下は、あくまでも、私などの場合の学習の、一つの試みの例です。「百年史」の集団学習のいざないですね。あれこれ忙しい社会生活の中で、一回の集団学習というのは、それにとれる時間は、私たちなどの場合はせいぜい1時間くらいなんです。ここに紹介するのは、一つの方法であり、一つの形でして、これが絶対的なものではけっしてないんですが。1、まず、全5章について、各章を担当するチューターを決めてます。そのチューターは15分くらいの持ち時間で、その受け持ちの範囲の中で、一番重要と感じた点を紹介してもらいます。もちろん、1章分を15分で紹介しろなんてことは、たいへん難しいことなんです。なんたって何十年かの歴史ですから、内包性がありますし、時間的・空間的・テーマにしても無限な広がりがありますから。でも、難しさは承知の上で、話題提供として、頑張ってもらってます。2、次に、参加している人もそれぞれに、一言ずつ自分の感想と、チューターの報告に対する感想などを話してもらう。人には、それぞれの個性が、自分が歩んできた独特の宝がありますから、異なった問題が、同じ問題でも異なった側面がだされます。人それぞれに貴重で多彩な値千金の意見が出てきます。そこが面白いところですね。3、ひと通りの人たちから意見や感想がだされると、自ずから大事な点が、浮き上がってくるようにおもいます。個々人の考えを一致させようとするものではありませんから、あくまで、参加者での学習・討議により、深め合うということです。最終的には個々人の独習に委ねられているわけですが、それに対する積極的な刺激になるんですね。それぞれの人たちにおいて、問題の理解や認識を深めていくここことが眼目ですから、それで十分なことかと思います。人には人の乳酸菌です。以上は、今のところ、私などの仮説でして。しかし、もしこれがうまく予定どおりにゆくならば、5回で『百年史』をいちおう学習できるということです。しかし予定はあくまで予定でして、そうすんなりと簡単にはいかないと思いますが。それでも、この面白いテーマを、集団的な刺激の中で学習しうるということは、興味の尽きない問題が、個人が一人で読んでるだけでは、逆立ちしたとしても見つからないような問題が、たくさん出てくると思いますよ。さて結果はどうなるか、後日、また紹介できるかもしれませんが、お楽しみに。それより、それぞれで挑戦した方が、面白いと思いますが、出来うれば、可能なところで、ご紹介をお願いします。以上、私などが『日本共産党の百年』史をどのように読んでいるか、その2回目の紹介発信です。
2023年09月08日
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フキとミョウガの畑の、この半年小田原の石垣山に、フキとミョウガの畑があります。今日は、たまたまその畑の今を見る機会がありました。この機会に、この「フキとミョウガの畑」ですが、その半年間を、ふりかえってみました。まずは、1月17日でしたが、園主さんより、畑にかぶさっている竹を、切り払ってほしいとの依頼がありました。援農に来てくれたお二方の力も借りで、荒れた畑を復活させました。まわりから竹が倒れてかぶさっているし、雑草は繫茂していたんですが、草刈り機を使って、なんとか畑らしく整備したんです。小田原の石垣山は「宝の山」なんですよ。それから3カ月余が過ぎた、5月1日の畑の様子です。畑は、みごとにフキの畑に変わっていました。1月に草刈りしたことにより、畑は見事なフキ畑に変わってました。やはり援農の方たちが来てくれで、フキの収穫です。この豊かな富を、いくら頑張ったとしても、採りきれませんよね。次は、6月12日の畑の様子です。畑は、フキの季節からミョウガの季節に変わっていきました。7月が、夏ミョウガの季節なんですね。ここから沢山のミョウガを収穫させてもらいました。そして、本日、園主さんの息子さんが、『今日は、畑の全体の様子を見回りたい』とのことで、私も一緒に回ったんです。そして、これが今日の時点の畑の様子です。畑は、元の自然に戻ってました。私たちは、今、みかん園の草刈りに追われています。いまは、11月のみかんの収穫に向けて、最後の草刈りに汗を流しているんです。ここをかまっている余裕は、まったくなかったんです。しかし、今の様子を見ておくことは、それはそれで大事なことでもあったんです。今の「フキとミョウガの畑」は、自然に帰って休養中でした。ふたりは、自然の圧倒的な力に、繁茂している雑草に、驚いたんですが。しかし、これが、時がくれば、宝の畑に変わるわけです。もちろん、人の草刈り仕事が、適時・的確に働くことによってこそ、実現することですが。今は、休養状況の「ふきとミョウガの畑」です。ここも「宝の山」の、一つの構成部分です。その今の様子を確認してきました。
2023年09月07日
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今日の地域の学習懇談会で感じたこと本日、私などの住んでいる地域の日本共産党後援会で、学習懇談会が開かれました。東京・八王子市の鹿島地域とお隣の松が谷地域ですが、その合同での学習会でした。共産党・志位委員長が、寄せられた18問の質問に答えたCDがあるんですが、その幾つかを視聴してから、13人くらいでしたでしょうか、参加した人たちで懇談したんです。その中で私などが感じたことを、一点だけ紹介します。たしか、15番の「「共産党」の名前を変えたら?」をめぐって懇談だったと思うんですが。参加した人たちからは、それぞれから人生観のこもった、貴重な話が交わされたんです。私などが感じたのは、『共産党は、こわい』-私たちの日本社会のなかには、そんな意識があるじゃないですか。『共産党宣言』じゃないけど、これにはしっかりとした意識をもつ必要があると思うんですよ。100年前ですか、1922年に日本共産党がつくられた時、「天皇絶対の専制政治をやめさせ、国民主権の政治をつくる民主主義革命の旗をかかげ」たじゃないですか。ここに一番の根っ子があると思うんですよ。江戸時代は、お上の命に逆らうなんてことは出来なかったじゃないですか。「杉木茂左衛門」の例がありますが、過酷な税に対しお上に直訴するなどということは、家族もろとも死罪を覚悟しなければならなかった。明治になって条件付き自由になったけど、幸徳春水などは「大逆罪」で死刑にされたじゃないですか。この民主主義の否定がいつまであったかといえば、治安維持法が廃止される80年くらい前まで、続いていたわけじゃないですか。ここには、「お上の言うことにはさからうな」という、何百年の歴史が、つくられ、しみついた歴史があると思うんですよ。今、私たちが、国の政治にたいして、それを吟味し、モノごと是非を問うというのは、「これは科学的でもないし、国民生活をめちゃくちゃにしてしまう。自分たちだけで、その都合できめるな」といったことを主張するのは、私たちにはそれは当然で、当たり前のように感じちゃうんですけど。しかし、歴史を見れば、そうじゃないんですね。まわりの様子をみれば、そうじゃないんですね。何百年にわたってつくられた習慣のひきづりをかえるのは、簡単なことじゃないんですね。言いたいことを言っても、罪にはならないし、何百年のタブーだった習慣を変える、その可能性を(あくまで、可能性ですよ)、それを手にしたのは、たかだか80年くらい前からなんですから。いまは、国民全体にとっては、みずからの権利を自覚しようとする渦中の真っただ中ですね。『共産党は怖い、近づくな』のなかみというのは、専制政治(勝手に牛耳る政治)を、民主主義的な国民的政治に変えろ、との主張に対して加えられてるものですね。その民主主義の要求を、もっとも断固として主張してきた存在が、日本共産党だったからですね。ここをたたけば、国民全体の不満の声はおさえられる、と。だから、共産党はたたかれ、危険視されるんですね。根拠のない濡れ衣、偏見をかぶされる原因はここですね。その本質というのは、民主主義をだいじにしようという広範な国民の要求全体に加えられている攻撃ですね。少なくとも、近代史の中での民主主義的運動を見れば、それこそ民主主義の脈々とした流れ、各界・各分野でのたたかいの歴史じゃないですか。その中から、共産党の主張が、運動が、形づくられてきた。先人の努力があった。近代史の中から、必然性をもって共産党が出てきた。そして、困難な中でも活動した。ここを大事にして、それぞれが明確に描きだす必要があると思うんです。その関係を明確にすることによって、モヤモヤと対峙することによって、なんとはなしの潜在意識も克服できるんじゃないでしょうか。それが出来ない限り、いつのまにかぬかるみに足をとられるような、せっかくの努力がザルで水をすくうよな事態になる。いくら言っている中身が正論であっても、この関係をつかんでないと、正論が正論として通らなくされる。そういった関係の網がしかけられているということですね。どのようにしてその網を打ち破るか。とにかく、この関係を私たちが明らかにしなければならない。それを国民が気づかないように、見抜かないように、まぜこぜのごちゃごちゃにして、分からなくさせてるのが、いまの事態です。政治世界では自民党・公明党であり、それにすり寄ろうとする政党ですね。マスコミも、大勢はおなじですね。そんな感じを持ちました。これは、みなさんの懇談に触発されて感じたことです。ここでは、みなさんの意気軒高で、豊かな人生の話が、聞けたんですが、身の回りの狭い中では、こうした話はなかなか聞けないんです。もちろん、懇談ですから、十分に意を尽くすことなんて出来ませんから、こうして、幾分なりと後からフォローさせていただきました。
2023年09月03日
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スダチとアオジソの朝市やっと9月に入りました、9月2日の団地朝市です。スダチは5個で100円です。香酸柑橘で、和食やサワーには最高ですよ。柑橘の一番手で。いよいよ、今年のみかんシーズンが始まりだしたということです。季節は変わり目です。今回の小田原行きで、久しぶりに富士山の姿が見えました。8月28日(月)午後6時10分、小田原厚木道路の小田原サービスエリアからのものです。湿気の多い季節だと、富士山は雲に隠れていて、その姿はなかなか見れないんです。これは、季節の変わり目をしめしています。みかん園は、引き続く草刈り作業みかん園はというと。これまでの努力はどこへやら、時雨と35度越えの日差しの下で、雑草は人の肩くらいに繁茂してます。遠方は農家が手入れをしている畑で、手前が私たちが管理している畑です。左からはクズの蔓がかぶさってくるし、みかんの苗木などは埋もれてしまい見えません。ようするに、この草刈り作業のために、毎週毎週、かよってきていたわけですが。今回も、このくそ暑い中を、援農者が草刈り支援に来てくれました。半月くらい前には、ここは援農者の人たちとともにきれいに草刈りをしたはずのところなんですよ。小田原の自然の力のすごさと、農家の人たちの知られざる努力を、実感させられます。この草刈り作業をしたあとです。雑草に埋もれていた枯れ枝があったんですが、この際、野焼きして片付けました。除草剤の限定した使用に踏み切るもう一つ、農家の方から、この間にアドバイスがありました。「これだけの畑を、草刈り機をふりまわすだけでは、無理だ。除草剤も使うようにして、繁茂を抑えないと、賽の河原でヘトヘトにさせられちゃうよ」と。これまでは、除草剤はいっさい使ってこなかったんです。人体に有害な「ラウンドアップ」除草剤で、アメリカでは裁判にもなってるじゃないですか。しかし、劇物剤の検定資格を持つ農家の方がいて、特定の除草剤と、その活用の仕方ですが、ご自身が綺麗に管理している畑ですが、その様子を見せてくれたんです。そこで、今回、これまでの方針を変更して、その除草剤を試してみることにしたんです。もちろん、みかんの安全性を守ることが、絶対条件なんですが。まず、隣の畑から覆いかぶさって来るクズやヤブカラシのつるですが、イノシシ除けの鉄柵なんか絡みついてみえなくなっています。そこを、今回試しに散布してみました。散布してから10日くらいたつと、除草効果が出てくるというので、注目しているところです。嬉しいことがありましたそれと、今回の最大のハイライトは、紹介しましたが、ある若者の旅立ちです。この4月19日から、若者がみかん園の手入れを、職場の休みの日に始めだしていたんです。この時期の草刈りは、都会人には無理な、炎天下の難行苦行なんですよ。4月、5月、6月、7月、8月と、彼はこの一番大変な作業を頑張りぬいたんです。今回は、みかん農家の方がきてくれて、各種の草刈り機を持ってきてくれて、その特性とその使い方、その技を講習してくれました。私なども、教えてもらう側の一人だったんですが。プロの指導は、さすがですね。私などはにわか農夫ですから、ただかっこだけの、体力勝負のコーチしか出来なかったんですが。もはや、若者は5カ月間の協働作業をかさねたことで、本質的にその段階は卒業です。若者の旅立ちです。その次のステップが始まりだしたということです。なんとか私などの役割を、これでですが、これで果たせたということです。まぁ、志生師匠じゃないけど、これにかこつけて、祝盃をあげました。
2023年09月02日
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ヘーゲル『歴史哲学』序論 ヘーゲルの国家論ヘーゲルの『歴史哲学』序論を学習しています。今回は、B「歴史の理念」、(c)「自由の実現体としての国家」です。岩波文庫の長谷川宏訳で読んでますが、B「理念」に通し番号をつけると、(c)は、第42節・P71から第75節・P96ですが、全体は34節あります。この節の主題ですが、「世界史(『歴史哲学』)の対象を定義すれば、自由が客観的に存在し、人びとがそこで自由に生きる国家がそれだ」(第45節・P74)ヘーゲルは、ここで国家論を展開しているわけです。但し、注意しています。「国家論のくわしい展開は『法の哲学』の仕事で」あり、ここでは世界史のあゆみにおける国家の問題だと。実際、『法の哲学』第三部倫理には、第三章「国家」(第257節から第360節)があります。一、国家論を扱うということの、その危険な性格を見ておく必要があると思うんです。ヘーゲルが『法の哲学』や『歴史哲学』を講義していたのは、1821年から1831年のころです。国家論というのは、国家がいまある姿や、そのあるべき姿を探ることじゃないですか。これは、当局者の逆鱗にも触れかねなくて。民主主義的な制度がないと、すなわち言論や学問研究の自由がないと、すべては危険なんです。日本で見れば、1821年は江戸時代でしょう。当時は、お上のあり方に対してもの申すなどということは、まったくの命がけの危険であり、たとえ過酷な税への意見でも、お上に意見するなどということは、その家族もろとも死刑となることを覚悟しなければ出来なかったわけです。時代が変わって、近代とされる明治の1868年以降でも、建て前は「万機公論にけすべし」とうたわれましたが、現実は「大逆事件」の死刑処分、天皇機関説がたどった焚書の事態、さらには戦時体制とともに治安維持法による、政治・社会団体への徹底した取り締まりです。個人の日記の記載までもが追求されたわけですから単純じゃありません。結局、日本で民主主義的制度が出来たのは1945年の敗戦の以後ですよ。今から70年前余前の転換です。日本の民主主義は、その歴史が浅いんです。だから、戦前の自然があちこちで顔を出してくるんです。「上からの」民主的改革だったと言われるのも、そうした事態を見れば、分かりますよね。しかし、最終的にそんなごまかしに負ける国民ではないと思ってます。ヘーゲルの立ち位置も似てると思います。1821-31年のプロイセン王国の、ベルリン帝国大学教授のヘーゲルの立場だったんですから。時は違いますが、日本の敗戦後の民主的改革と似ているんじゃないですか。対ナポレオン戦争に敗れて、シュタイン・ハルテンベルグの民主的改革。それまで後進的だったドイツを、世界の一級の国に改革しようとする国民的な機運があったんじゃないでしょうか。しかし、ほどなく1840年代ともなると、反動的な専制君主制に全体が変わっていく。ヘーゲルもその公務員の一員であるわけです。だけどその死は1831年ですから、改革と反動の兆しが交差する頃で、そこでの葛藤が伝わってくるように思います。二、ヘーゲルにとって「国家の本質」とは何か、国家論の問題です。第42節で国家が初めてでてくる、いわば導入です。そして第43節、第44節、第45節において、その中身を展開しています。① まず導入です-国家の登場と、最初の「国家とは何か」の規定です。「歴史で考察されるのは、偉大な世界史的情熱に突き動かされた主観的な意図が、どの様に現実の真理に合致した目的をもつかということだ」。同時に、人というのは社会的な存在であり、「共同体の本質にかかわる動きをし、主観的な意思は共同体を自分の生きる目的ともしている。主観的な意思と理性的な意思との統一したもののことで、ここに共同体としてのまとまり-国家-が登場します。」「国家とは、個人が共同の世界を知り、信じ、意思するかぎりで、自由を所有し享受するような現実の場です」(第42節・P72)これは慎重に考慮された規定だと思いませんか。誰であってもそれを否定しかねるような、そうしたヘーゲルの国家論の規定だと思います。② また言ってます。「世界史においては、国家を形成した民族しか問題にならない。国家こそが絶対の究極目的たる自由を実現した自主独立の存在であり、人間のもつすべての価値と精神の現実性は国家をとおしてしか与えられないから。精神の現実性とは、人間の本質たる理性的なものを対象として知ることであり、理性的なものが、客観的な、形ある存在として目の前にあることです。共同体の真理とは、公共の精神と主観的精神とが統一されることであり、公共の精神とは、普遍性かつ理性的な国家の法律のうちに表現それる」「国家は神の理念が地上にすがたをあらわしたものです」(第44節・P73)。③ ここで冒頭に紹介した規定が、結論として出てくるわけです。「かくて、世界史の対象を明確に規定すれば、自由が客観的に存在し、人びとがそこで自由に生きる国家がそれだ、ということになる」(第45節・P74)どうしてここに、いろいろ長きにわたって、ヘーゲルの国家論の規定を紹介したか、その問題です。一つは、ヘーゲルの説明の配慮のほどです。どの様な立場にあった人であっても、これは否定しがたい「論理学」的な、説明内容だと思いませんか。ここには、ベルリン帝国大学の総長にも推されたヘーゲルの公的な立場の人なんですが。それにもかわらず、妥協のないドイツの批判精神が、ここにはっきりちりばめられていることを感じさせられた次第だからです。二つに、私などは、最近まで「国家は神の理念が地上にすがたをあらわしたものです」のくだりに反発したんです。これは観念論の象徴的な言葉じゃないかと。専制国家を合理化しかねないんじゃないかと。今はちょっと違うんです。ヘーゲルにとって「神」というのは、いわば啓蒙思想家のいう「理性」の結晶の様なものなんです。人の道理に重なる合理的な存在を言っていると私などはとらえています。専制国家を弁護してるわけでもないし、宗教論でも、人の外部にあっての絶対的な権威的な存在を妄信させようとしているわけでもない、ということです。私はここに、ヘーゲルの苦労があったと思うんです。ヘーゲルの最新の知識を集めようとする努力はすごいんです。だけど当時の人たちにとっては事実材料は限られていた。その空白なところを、弁証法の『論理学』的道理によって論証しようとするヘーゲルの特有の癖があったこと。弁証法に確信を持つヘーゲルは、「論理学」的一般によって、これはこれで大事なんですが、しかし材料の不足を、その一般論により言いつくろうとするような苦労があったと思うんです。そして、その点こそが問題だったんですね。それらの事柄を察すると、これまで私などには、「観念論だからダメだ」といった切りすてる発想、それを裏返すと「唯物論こそ正しい」との、機械的な固定観念があったと反省してるんですね。大事なことは、誰か権威者のコメントを引き写すんじゃなくて、ヘーゲルそのものにあたれ。それらの根拠となっいることがらの是非を、自分自身でしっかりと探れということだったんですね。レーニンの『哲学ノート』ですが、そこにはヘーゲルの学習記録が残されています。世界大戦の広がる最中の、たいへんな渦中にも関わらず、そうした学習努力をしていた。素晴らしい記録じゃないですか。三、さて、ヘーゲルが、ここで考察している国家論ですが、全34節の各論を一つ一つを追跡することは、不可能なんです。しかし、その中のいくつかをあげさせていただきます。1、ルソーなどに対する意見でもあると思うんですが、第49節から第52節です。「自由は直接に存在するものではなく、訓練や過程をへて獲得されるものだ」(第49節)社会正義が法律の形をとることに反対する家父長制の見解にたいする批判です。これは法治主義、法の前の平等を否定する見地、客観的なルールを否定して恣意の勝手を許す見地への批判ですね。これって、フランス革命がつくりだした歴史的な進歩を強調していること、プロイセンの後進性にたいする改革方向をさし示しているんですね。2、国家のあり方を、君主制-寡頭制(貴族制)-民主制の、3つに区別する理論に対して。第56節から第59節です。区分というのは歴史的な過程をしめしているということ。そこから、「一国の政治体制は自由に選択できるものではない、世界史のなかではあらかじる決まっている」と主張していますが。これは歴史へのすごい洞察だと思うんですよ。3つの政治体制の区別ですが、それは歴史的な客観的な必然的な発展をしめしている、と。それは、一人の自由-一部の人にとっての自由-万民にとっての自由と。そこには、必然的な客観的な歩みがある、と。(第58節-第59節)そのヘーゲルの歴史の発展への根拠は、論理学的な抽象性なものなんですが、しかしそれでもそれは「歴史は自由の発展である」とことを、実際の側面を洞察しているわけです。このことは、ヘーゲルが歴史的な大きな発展をとらえていたと思いませんか。問題は、その根拠はなんなのか、となりますが。「自由の発展」とは何か、その確かな根拠を探れということを、『歴史哲学』は問題提起していると思いませんか。3、国家は歴史的に発展していく。その発展は原理のちがいとしてあらわれる、と。第61節「国家は歴史状況の変化の中で変わっていく」、第62節「古代と近代とでは、類似的な面はあっても、基本的に政治原理は共通ではない」。4、概念としての自由は、主観的な意思や恣意を原理とするんじゃなくて、万人の意思の洞察を原理とする。第63節から第66節。宗教・芸術・哲学と国家との関連で、国家がそれらの基礎にあり、中心であると。第66節「宗教・芸術・哲学の3つの形態は、国家を土台としてつくられている。5、民族精神国家のあらゆることをまとめる民族精神、その中心に宗教がある。第67節。宗教と国家との関係、第68節-第71節。四、さて、ヘーゲルによる「世界史における国家論」、このまとめがされてます。「国家について、これまで述べてきたことをまとめる」(第72節・P94)それは、第72節、第73節、第74節、この3つの節です。1、「国家の生命力は、個人からすると共同の精神です。国家の法律や機構、その自然や歴史です。そのいっさいは国民の所有物であるとともに、国民はこのいっさいに所有されている。この精神的全体は、一つのまとまりをなしていて、それが「民族精神」です。国民は民族精神のもとに生きるのであって、それぞれの個人は「民族の子」です。同時に、国家が発展していく限りで「時代の子」です。時代にとり残される人もいなければ、時代を飛びこえる人もいません。」(第72節・P94)2、「民族精神は輪郭のはっきりしたものであり、民族の歴史的発展段階を明確にしめすものです。民族の意識が、宗教、芸術、学問、といったさまざまな形態をとるなかで、民族精神はその基本的内容をなしている。精神は自己を意識するとき、自己を対象化せざるをえず、この客観性はさまざまな形をうみだし、客観的精神のさまざまな領域-宗教、芸術、哲学-をつくる。その一方、その魂は一つにまとまる。このような実体と内容、対象は、根源的には此岸にあるものだから、とらえられた形態は、国家の精神と統一される。(第73節・P94-95)3、「特定の民族精神は、世界史のあゆみのなかでは一つの個体にすぎない。世界史とは、精神の神々しい絶対の過程を、最高の形態において表現するものであり、精神は一つ一つの段階を経ていくなかで、真理と自己意識を獲得していくものだ。各段階には、それぞれに世界史上の民族精神の形態に対応し、そこには民族の共同生活、国家体制、芸術、宗教、学問のあり方がしめされる。一つ一つの段階を実現していくことが世界精神のたえざる衝動であり、抗しがたい要求です。」(第74節・P95-96)以上の3点が、ヘーゲル自身による、この国家論のまとめです。五、私などの感想ですが。1つ、「民族の子」というのは、宗教・芸術・哲学などの社会的諸関係の意識を集約したところの、個体的な精神意識でしょうし、それは一つの塊として世界史のあゆみのなかで発展していく、その時代ならではの「時代の子」ということでしょう。ようするに、精神の対象化としての自然・社会との点を保留すれば、ことがらの関係というのは、ヘーゲルとマルクスは同じ事柄を言っているということだと思います。2つ、ヘーゲルの事実材料がまったく不足していた。ヘーゲルが努力した事実を追求入る努力というのは、すごいと思うんですよ。世界史のあゆみを、かくも追跡しているのは、他の人ではなかなかいないと思うんですよ、それは一人の人の努力としては、とても無理なことと思います。それは大きな時代の制約からしてやむを得ませんね。でもヘーゲルは挑戦したんですね。自ずから、「論理学」的な原理をてこにして、関係を取り繕うといった仕方を進めるというのは、いわゆる「逆立ち」の関係との問題をきたしていますが。3、ヘーゲルは、その「論理学」的な態度によって、この危険な国家論を、学問の遡上に乗せたという点で、素晴らしい業績をはたしたと思います。そしてマルクスですが、1843年末-44年1月に書かれたこの評言ですが、これもまた、ズバリ的を得ている批評と思います。「ヘーゲルによってもっとも筋道だった、もっとも豊かな、そして究極的な形にまとめられたドイツの国家および法の哲学にたいする批判は、一面、現代国家とそれにつながる現実との批判的分析であるとともに、他面また、ドイツの政治的および法的意識の従来の在り方全体の決定的否定でもある。そしてこのドイツの政治的および法的意識のもっとも高邁な、もっとも普遍的な、学にまで高められた表現こそ、まさに思弁的法哲学にほかならない」(『ヘーゲル法哲学批判序論』)4、日本の今日、この社会状況にとっては、ここで問題とされていることは、参考になると思います。同じような問題に直面しているのではないでしょうか。マラソンランナーでいえばグランドの何周の遅れかは知りませんが、もし、そうだとすれば、ヘーゲルからすると200年の遅れですね。今という事柄をしっかりとつかんで、これを先人の苦労に学びつつ、しっかりと乗り越えていくこと。それが、今、私たちに求められているということじゃないでしょうか。
2023年09月01日
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一人の若者の雄飛小田原のみかん園で、8月30日に草刈り機の講習がありました。これはその時のものですが。これは、みかん園を維持していく上で、一番の難行苦行なことは、4月から9月までの時期、梅雨の雨を受けて繁茂して来る雑草を相手にしての草刈り作業なんですね。都会人なんて、みかんの収穫のたのしい時しか、その頭にありませんから、それを準備するための、楽屋裏の農家の苦労なんて、まったくの馬耳東風ですね。それは仕方のないことですが、しかし、それが出来るのは農家のこの下支えの努力です。炎天下の下で、どの様に繁茂して来る雑草をおさえれるか。今日の一コマを紹介しましょう。8月31日、みかん園に援農の人が来てくれたんです。秋のみかん狩りで、一本のみかんの木を楽しむ為に、農家の人のどれだけの苦労がついやされているか、それをしめしている一コマです。もちろん、か細い都会人の腕に、この苦労を迫るなんて、バカなことは言いませんが。今回の主題はここからです。みかん園を引き継ぐ宿命を背負った若者が、4月19日からそれに立ち向かい出して、一番の大変な時期を頑張りとおしたということです。昨日の8月30日のことでしてが、私などの旧友でご同輩の71歳の農夫が、これからみかん園をひきつごうとしている38歳のこの若者に、草刈り機の諸種の使いがってを講習してくれたんです。当人も忙しい最中だったんですよ。まず、これは、耕運機のように、手押し式による草刈り機です。みかん園は陽の当たる傾斜面にあるじゃないですか。石垣もありますし、そこそこの面積もありますから、こうした草刈り機も重要なんですね。しかし、基本は、その地形からして、どうしてもエンジン式の草刈り機です。まずは、若者に普段の草刈りをしてもらったうえですが。ここで注意が飛びました。1つ、毎年、この作業をしていて、跳ね返ってくる小石や、カッターの破片で、目を負傷するなどの事故がおきているから、顔を守るための防具を必ず使用するようにと。2つ、草刈り機をふりまわしていると、草刈り機の重さで体力を消耗してしまう。肩掛けのベルトをつかって、小指の力でも操作できるように、機械の重さを逃がすことが大事だと。3つ、紐式の草刈り機は縁石や石垣があっても使えるけど、ダイヤモンドカッターは威力はあるけど、平地でしか使えない。草刈り機のそれぞれの特性を理解してほしいと。4つ、春先の草が柔らかい時は、軽い紐式草刈り機で十分だけど、秋口になると草が硬くなるから、ダイヤモンドカッターを使わざるを得なくなる。これらの状況にあった機種の使い方を、理解してほしいと。さすがですね。プロのみかん農家の人によるアドバイスは、にわか農夫の私などとは、違いますね。すごい、熱心な指導であり、その受講者もまた真剣でしょう。ここに未来があるわけです。しかし、これはようするに、もはや、私などのにわか農夫のアドバイスの域をこえて、若者は、ベテランの農夫から、その技を学ばなければならない段階に来たということです。私など、にわか農夫が教えれることは、すでに超えていく段階に来たということです。これはうれしいことですね。私などの役目は、私などに出来るコーチできることは、アドバイスができることの、技能水準については、この若者にとっては、「卒業」の段階に達したということです。私としては、私なりの役割を果たし終えたということです。あとは、近隣のプロから学ぶこと。私などが出来ることは、間接的に「がんばれ」との、精神的な応援をしていく段階に来たということです。ということで、今日は祝盃です。
2023年08月31日
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朝市とビッグな出来事8月26日(土)は、恒例の永山団地での朝市でした。夕方には、花火祭りがあるそうで、その準備がはじまってました。当方は、途中で販売してきましたから、カボチャとシソが品物です。ようするに、「今週も朝市をやったよ」との継続のアリバイ朝市でした。みかん農家にとってこの時期は、農閑期ですから、しかしながら、炎天下にひたすら繁茂して来る雑草の草刈りする時期ですから、むしろ、難行苦行の続く厳しい時でして、販売できるものが薄いということも、これもまた仕方のないことです。さっさと早く帰って、休めということなんです。だけど、今回の小田原・真鶴行きで、今季の柑橘の初収穫がありました。それはスダチでして、真鶴に1本だけですが、スダチの木があるんです。ようするに、今シーズンの柑橘の収穫が始まりだしたということです。本格的なはじまりは、11月の早生みかんからですが。未来の可能性を感じるビッグな出来事このところ、週に一度、若者とみかんの草刈りを共にしてきました。6月3日にみかん園の園主が死去したんですが、その息子さんです。みかん園の手入れは、これまでいっさい故人がしていたので、当人は、別な世界の、職場勤めだったわけです。みかんの手入れは、これまで見ることはあっても、まったく手だしの必要はなかったわけです。大黒柱が亡くなった後、これから、みかん園はどうなっちゃうのかな・・・、我々年寄りは、すでに体力の限界だし・・・、などと心配してたんですが。ところが、今回の出来事です。今回も水曜日に作業を予定していたんですが。前日の夜中から、朝方まで、小田原方面は強い雨が降っていたので、私などは、夜中の2時の雨音で、明日の畑仕事はなしと判断して、ぐっすりと寝ていたんです。ところがです、約束の午前7時前ですが、入口のチャイムの音で起こされたんです。「さっきまで雨は降ってたけど、今は大丈夫だから」と若者が現れたんです。こっちは、寝ぼけまなこのパジャマ姿だったんですが。「草刈りの方は濡れて手出来ないけれど、摘果ならできそうなので」とのこと。これには負けましたね。私などは、夜半から朝方の雨で、今日のみかん作業をすつかり断念していたんですが、若者はそうじゃなかった。結局、一足先に、一人でみかん園に出かけて行ったんです。このことの意味してることが分かりますか。一人の若者が、みずからの力で、みずからの自由を切りひらいたということです。これまで、みかん園のあとが、これからいったいどうなるのか、私などは心配していたんですが。今回の事態ですが、その跡取り息子が、これまでは頼りなさそうにも見えた息子だったんですが、それが、主体的に、能動的にですよ、自分の可能な時間を、みかん園の家業に引き当てだしたということです。これは、みずからの力で、その自由をつかんだということです。今まわりをみると、みかん農家は、どこも働き手が高齢化したり、連れ合いがなくなったりで、みかん園のあとをどうするか、どこの家も不安で、悩んでいると思うんです。そうした中でのことですから、これは大きな朗報ですよ。もちろん、これから、すべてがスムーズにゆくなんては、思ってませんが。それでも、そうした方向性がでた、一つの確かな芽が出たこと、これは間違いないと思うんです。ひとりで、みかん園を背負うことになった夫人ですが、その相棒として、息子が現れたということです。これから、母と子と、そしてその家族で、これから、みかんの兼業農家としての道をひらいていく、その努力が、はじまりだしたということです。故人となったみかん園の園主ですが、『北山時雨』という句集を残していったんです。その「あとがき」に、思いを残していったんですが、今回の出来事というのは、その見通しが実証されつつあるような、そんな感じをいだかせてくれるような一コマです。
2023年08月26日
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「みかん園を再生させる会」の8月交流会8月20日午後、小田原・石垣山の「だんだん園」にて、8月交流会を開きました。これには、8名が参加しました。これは6月12日の様子ですが、ここからが問題でして、ここから本格的な雑草の繁茂と草刈りがはじまりました。農家の人の高齢化もあり、手の及ばなくなったみかん畑が増えています。「石垣山みかん園を再生させる会」は、石垣山に援農に来ている人たちの交流会です。今の収穫は、夏ミョウガが7月で収穫が終わり、ブルーベリーの収穫の最終段階です。摘果作業もすすめています。9月半ばに極早生が出てくる前なので、摘果みかんの需用もある程度はあるとのこと。この交流会では、この猛暑の中での草刈りの大変さが交歓されました。〇これまで苗木8本を、カマで草取りしてきたが、体力の限界をかんじた。エンジン式草刈り機をテストしたが、広い畑の草刈りにはこれが欠かせないが、重いので、大変だった。〇用事で畑を2週間開けただけなんだけど、さぼってたわけじゃないんだけど、みたら雑草だらけになっていて木が覆われていた。周辺の草刈りまでは出来ない。〇毎週、草刈りに来ているけれど、農家の人たちの大変さが分かった。高齢者の肩に畑を維持する仕事がかかっているし、放棄地が出てくるのもわかる。若者が少ないし、後継ぎの問題が大変じゃないか。だれだれさんが・・・ではなく、地域の全体的がそうなっているように思う。〇静岡でみかん畑の援農をしてきたが、早川は雑草の繁茂が静岡に比べて半端じゃない。他を草刈りしてくると、最初のところはすでに雑草におおわれちゃっている。何度、何度も繰り返すことになる。草の力に人の方が負けちゃう。しかしその分、柑橘の方は、種類が豊富だし収穫量もおおくて、石垣山は宝の山だと感じている。〇草刈りしていると、ミョウガとか、こんにゃくとか、いろいろな産物が出てくる。これをどうしたらよいか、なにか販売方法を見つけなければ、もったいない。〇また新たに二か所、手の及ばなくなってる畑が出てきた。ここへきて放棄地になりそうな畑が増えてきているように思う。生産力はゆたかなのに、もったいない。援農の人たちの力をかりて、なんとかしたい。など。この間、それぞれが援農していて感じていた問題点や課題などが出し合われて、お互いで出来うることを検討したり、まわりの農家の人たちの置かれた状況や、その知恵についても、交歓されました。最後は、『北山時雨』の紹介でした6月3日に死去された「だんだん園」園主の鈴木英之さんですが、その句集『北山時雨』の一読をお勧めしました。もっとも、すでに参加者された人たちは、みな目を通していたんですが。私などは、この句集を、彼の「遺言」だと感じてるんですが。この句集は、小田原・石垣山のみかん園の四季の移ろいを、また人生、71年生きて来てきての、その思いをまとめたものです。もはや新たな句をつくることは、出来ないんですが。どうして、あのフラフラな病身を押してまで、句会とか句集づくりに、あちこち動いたのか。「それどころじゃないだろう」と言ったんですが、聞きませんでした。いまにして、みえてきます。これは遺言ともいえる句集なんですね。早川のみかん農家に生まれ、生きてきて、その人生をまとめようとしていたんですね。そして、それをまとめあげて、あの世に旅立って行った。これは、私たちに今を生きる凡人にたいして、精いっぱいの思いのたけを、プレゼントとして、しっかりとまとめて、残していってくれたんだと。私などは、いまにして感じているしだいです。
2023年08月21日
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ブルーベリーの団地朝市8月19日(土)、多摩市の永山団地では、ブルーベリーの朝市でした。台風7号の影響で、小田原方面も断続的な雨が降り、農作業はあまり出来なかった。農家にとっては、雨が降っては仕事になりません、お休みでした。ですから、当方が頑張るしか、農産物の提供は出来なかったんです。ブルーベリーの5パックが、今回の提供品でした。まぁ、ずーっと、炎天下での作業の日々が続いてますから、時にはこうした休憩も必要なわけです。次の写真は、1カ月近く前の、7月18日に撮ったものなんですが。今は8月も半ばを過ぎましたが、ブルーベリーの収穫も峠を越えたんです。この暑さで、肥大化が弱いし、ひび割れもしてきます。なかには、干しブドウのようになるものも出てきます。ブルーベリーのシーズンも、いよいよ終わりに近づいたということです。今回の小田原のみかん園行きですが、未来への希望を感じさせてくれることも、いくつかありました。農家にとって後継ぎがいないというのが、少子化問題同様に深刻な問題です。しかし、当たり前だとも思いませんか。大事な息子を、収入も不安定な今の農業に誘い込むなんて、親にはできません。それより、安定した収入を得れる会社や公務員になってほしいと思うのは、当然じゃないですか。他方、1990年代以降は、若者は非正規雇用しか就職できない状況に、政治が置きました。以前であれば、息子は休日くらいは親の農業を手伝おうか、との気持ちも働いたかもしれませんが。不安定で、夜遅くまでぎりぎりの仕事をしているようでは、そんな気持ちはおきません。結婚して家族と安心して暮らせるような条件は、非正規ではあっても、とにかく仕事に就くしかないじゃないですか。しかし、非正規であっても仕事につけさえすればさいわいといった事態が、今の現状じゃないですか。それが「少子化」問題をきたす事情の一つとしてあるんじゃないですか。今の政治がつくりだした事態です。つくりだした当事者は、真剣な打開の努力をしているような恰好・ポーズはとるけど、実際は流されてるだけです。原因も打開策も追及しようとする気持ちはなく、ただ空虚な取り繕いをしているだけです。それが、いま、国民が置かれている食糧難、高齢化社会への無策、少子化傾向をつくる原因なんですね。今、私などに「未来への希望」を感じさせてくれることというのはおそらく、事態の背景がどうなっているかなんてことは、わかっちゃいないと思うんですよ。クタクタに働いてきたなかで、それでも休日の時間を割いて、みかん畑の草刈りを始めだした姿です。ふつうなら、休みの日くらいは、日々の疲れや苦労から逃れたいとするのが、まぁ、現在若者がおかれた状況としては、当たり前の思いであり行動じゃないですか。私などは、宝の山が目の前で、みすみす荒廃していくのをみて、「もったいない」と思って、この間援農作業にあたってきたんですが。無力な抵抗とも感じさせられてたんですね。何せ社会と政治の大勢の動向は、エスカレーターを下るような流れじゃないですか。いくら問題を、あちこちで言っても政治は変わらない。農家の人たちも、この大勢にあきらめちゃっている。そうした中で知り合った若者の、新たな動きです。これは、なりすぎてしまったみかんを、摘果しているところなんですが。これまで家業を遠くから見ていた若者ですが、今、自分たちのおかれている現実と、正面から向かい合い出している。炎天下での、途方もない広さの、無限につづくかのようなみかん畑での作業ですが、こつこつと、着手しだしているんですね。もちろん、それが本当にこれからも続いていくかどうかは、誰にも分りません。しかし、1年前には、まったく考えられなかった変化です。それが、毎週毎週、この数カ月にわたって続いているんです。しかし、それは彼だけじゃないんですよ。ポツ、ポツと、高齢者のなかに若者の姿を見かけるような気がします。まだ、ダイヤモンドのようにその数は少ないですが。それと、みかん園を荒廃から守ろうとする、援農の人たちのあらわれです。もちろん無給ですよ、それてもはせ参じてくれているんです。今の農家に、日当なんて払える力は、とてもありません。豊かな畑を、80歳台の高齢者がギリギリ頑張って維持してきた。しかし、歳とともに体力が及ばなくなって放置されていく。事情は当り前だけど、なんとももったいない状況です。なんでこうなるのか、どこに原因と責任かあるのか、問われますが。議会なら、調査だ、委員会だ、答申だ、対策だ、とか何年かかるでしょう。しかし、それを議論している時間はないんです。畑を一年の放置すると、取り返しがつかなくなる面があるんです。カミキリムシなんかは、木そのものを枯らしちゃいますから。援農の人たちは、その事態を見かねて、SOSの今を、とにかく難行苦行の草刈り仕事に出かけて来てくれてるんです。これは今の世の風潮とは異質な、大事な思いと行動だとおもいます。〈もうけ本位の、無責任な場当たり主義の、新自由主義。後は野となれ山となれ、自分の都合さえよければ、あとはどうなったって良い〉こうした社会の風潮にたいして、人びとが長年の苦労によりつくりだしてきた宝の山です。それが、手がおよばなくなっているのは、とっくに関係者は知っているわけです。しかし、自分のところだって大変なんだからと、わかってはいても他のところには手は出せない。その事態を政治はそれなりに知っているわけです。しかし、本当のところ、それをどう認識して、どう対処しているのか。ちっとも見えてきません。しかしですよ、今はそんなことは言ってられません。今現在を、少しでも力を寄せ合って、宝の山を守り維持しなければ、取り返すのには、とてつもない労力がかかるんです。「なんとか、つなぎたい」と、ボランティアの手探りでの努力が、行われだしているということです。この社会的な救済力が、今切実に必要なんですね。どうですか。私などの感じるここ最近の動きなんですが。どこか、日本の未来を切り開く力として、希望を感じさせてくれる動きだと思いませんか。もちろん、流れ下りつつある大勢を変える力としては、不十分であり、ほど遠いいんですが。それでも、何もしないんじゃなくて、始まりだしている。このことは、間違いないんです。ここに私などは希望があると思ってます。
2023年08月19日
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唯物論的歴史観の一断章私などはヘーゲルの『歴史哲学講義』序論を学習しているんですが、その眼目は、ヘーゲルの「歴史哲学」と唯物史観との関係です。そこにはどのような努力があったか、どの様な発展があったのか、です。この学習をしていて、いくつか気づいたことがあり、今回はその二点を紹介します。一、国家論の歴史についてヘーゲルの「歴史哲学」というのは、世界史のあゆみですが。その主題は、国家論ですよね。「世界史の対象を明確に定義すれば、自由が客観的に存在し、人びとがそこで自由に生きる国家がそれだ、ということになる」(『歴史哲学講義』岩波文庫 P74)国家論というのは、その歴史をみると危険な側面をもっています。ヘーゲルがこれを講義していたのは、プロイセン王国のベルリン大学です。『法の哲学』(講義要綱)を刊行し、そこで国家論を説き、その最終章が「世界史」でした。これと並行して、「歴史哲学」の講義もしていたんですね。それは1821年ですから、今から200年前のこと。他方、私たちの日本では1868年が明治維新ですから、当時というのは江戸時代のことです。その時代、「お上」に逆らうことはもちろん、「お上」(国家論)を研究するなどということは出来ません。明治の時代、近代日本になってからでも、自由民権運動などの国民運動もあり、1889年には大日本帝国憲法ができましたが、国家主権の問題では、「天皇機関説」の事態をみても、絶対主義と立憲君主制との対立がうかがえます。結局、立憲君主制説は、国賊・非国民と見なされ追放されました。1945年10月までは、特に戦時体制の20年余は、治安維持法により特別高等警察により、「お前は天皇にたてつくのか」として、そこしでも文句を言えば国賊・犯罪者として取り締まりの対象とされたわけです。「唯物論研究会」などの苦闘をみればそうした現実がうかがえます。ようするに戦前の社会は、哲学をはじめとする学術、メディア、政治、社会全般が、自由に国家論を研究・議論するような条件が、日本には公然としてはまったくなかったわけです。「まったく」というのは言いすぎで、根本的な批判の自由がなく、そこでの言論・研究には規制がしかれていたということ。政治、政党もまた同様で、日本共産党も、1922年に結成されたものの、自由な活動の条件はなかったということです。民主的批判者は、当時の国家権力の取り締まりのなかで、非公然のかくれての活動を余儀なくされたということです。それはたんに共産党だけの問題でなく、民主主義を求めてきた脈々とした広範な流れが、すべて取り締まられた。その中心として共産党が取り締まられたという時代でした。しかしそれは、戦後改革と「日本国憲法」によって、変えられました。そうしたあり方は、歴史にはられたクモの巣のようなものとして取り払われました。否定されていたものが、歴史的には正しかったわけです。以来、今日まで、日本国民は民主的権利と制度、人権を持っているわけです。「もっている」というのは正確じゃありませんね。基本権としては持っているけれど、その内実がどうかは、戦後70年余、脈々として、その中身をめぐって内実を獲得しようとする努力がつづけているということです。既得の完成されものではなく、現在進行形だということです。くりかえしますが、その権利は、誰に対しても、何に対しても、自由なまともな検討が、文句などは言われずに出来るわけです。しかしその自由の権利を国民が手にしたのは、たかだか70年余前のことなんですね。それ以前には、まったく別の社会が存在していたということです。戦後生まれの私などは、いつの世も今のように民主的であったかのような、自然のようなものとして錯覚をするんですが、しかし、そうではなかったということです。社会に明確な変化があったということ。先人の苦闘が、今の条件をつくりだしたということです。その上に今の私たちがあるということです。しかしまた、そうした歴史のあゆみをわきまえない公人も、いまだもって日本のなかにはいる。そんなトンチンカンも存在しているということです。権利というのは、たたかってこそ、自分たちのものになるし、広げれるということです。安住していると、トンチンカンにひっかき回され、悪くすると覆されるということです。綱引きの最中にある現在です。そうした日本の歴史と比較すれば、200年も前にドイツでは、すでに国家論が展開されていた。1821年のプロイセン王国のベルリン大学で、ヘーゲルが『法の哲学』、『歴史哲学講義』を講義していたんですから。ヨーロッパと日本の歴史のちがい、隔世の感があるのを感じさせられますね。当時のドイツの場合には、隣国のフランス革命の成果・影響もあるでしょうし、ナポレオン戦争に敗れてのシュタイン・ハルデンベルグの戦後改革の機運といった、当時の社会条件というものもあったのかもしれません。それは日本でも経験したような戦後改革のような社会情勢だったかもしれません。しかし同時に、ヘーゲルだって、帝国大学の教授ですから、その総長も務めた人ですから、それなりにプロイセン王国へ配慮していることが、その行間からは伝わってきます。常識的な立場があるわけです。だけど、その学問にはカント以来の伝統というか、何ものにも遠慮しない批判的な精神と、そうした内容ももっているわけです。その精神はヘーゲルの『歴史哲学』からも伝わってきます。その支配層に対し配慮するとともに、ち密に配慮された言葉と道理ある論理をつくした論証力ということを、批判的精神というものを、その両方をあわせもって、その国家論は展開されていると思います。マルクスなどは、その国家論をふくむ歴史社会の批判的研究をしているんですが。それは、当時のプロイセン国内では出来なかった。取り締まりの対象とされていた。だからフランスやイギリスに亡命して研究・発言せざるを得なかったわけです。それはロシアのレーニンだって同じです。ロシア帝国の追及を逃れて、亡命したスイスなどの外国で国家論の準備や政治活動をおこなわざるをえなかったわけです。さかのぼれば、古代ギリシァでは、プラトンやアリストテレスは、いったいどの様な条件の下で、その国家論は、研究され、発表されたんでしょうかね。とにかく、今の世界では、その多くは、学術の自由、学問・研究の自由、政治的自由、この民主的な制度・権利ということですがみとめられている。国連をはじめ、当たり前な世界の諸国民の権利、人権となっているとおもいますが、大変な苦労の中から勝ちとられたものなんですね。だけど、それはやはり世界を見れば、まだ発展の途上にあるということです。それを陰に陽に否定する見地も世界のあちこちにあるわけです。国家論を自由に議論するには、政治権力にメスを入れるということは、民主主義的権利が、民主的制度が確立していることが欠かせないということです。二、エンゲルスのヘーゲル観の発展をしめしている?二十歳の青年に対して、唯物史観の学習法について、エンゲルスは長文の丁寧な手紙を書いています。『全集』第37巻1890年9月21日付の手紙ですが。「『反デューリング論』と『フォイエルバッハ論』で、このなかで私は、私の知るかぎりで現存のもっとも詳細な史的唯物論の説明をしておきました」(P403)この長文の手紙には、この二冊によせているエンゲルスの重要な位置づけと、唯物史観の理解についてその注意点が書かれてます。この手紙と二つの著作の、そのものを読んでいただくことをお勧めするわけですが。一点だけ、エンゲルスのヘーゲル観について、私などが気がついた点ですが。それが妥当かどうかは、知りませんが。二つの著作からエンゲルスのヘーゲル観を紹介します。『空想から科学へ』第2章(『反デューリング論』1878年)「ヘーゲルは観念論者だった。彼にとっては、頭脳のなかの思想は現実の事物や過程の抽象的な模写とは考えずに、逆に、事物やその発展がすでに世界よりも前からどこかに存在している「理念(イデー)」の現実化された模写でしかないと考えていた。こうして、すべてのものが逆立ちさせられ、世界の現実の関連は、まったくひっくり返されていた。だから、個々の関連ではヘーゲルによって正しく天才的にとらえられていたものも多かったとはいえ、その理由により、細部の点では多くの事柄が、つぎはぎされ、作為され、こしらえられ、ようするに歪められる結果とならざるを得なかった。」『フォイエルバッハ論』第一章(1888年)「ヘーゲルははっきりした形では述べていない。彼の考え方から出てくる帰結を、彼自身ではそれをけっして、明確には引き出さなかった。そのわけは、彼が一つの体系をつくることにせまられていたから。それはなんらかの絶対的真理で完結しなければならなかったから。」「ヘーゲルは創造的な天才だったし、博学の人だったから、あらゆる領域で画期的な仕事をした。この場合、彼は「体系」が必要とするために、しばしばあの無理な組みたてに逃げ場を求めなければならなかった。しかし、こうした組み立ては彼の仕事のワクであり、足場にすぎない。もしも人々がここにとどまるような無益なことにかかわらずに、この巨人な建物のなかにもっと奥深くはいっていくなら、今日でもなお十分価値のある無数の宝を見いだすであろう。」私はこの二つは、同じことを言っていると思うんです。前者では、ヘーゲルの功績を述べつつ、問題点がどこにあるのか、を述べています。後者では、逆に、問題点がどこにあるのかをはじめに指摘しつつも、その功績がどの様にあるのか、を述べていると思うんです。ここには、ヘーゲルを評価するのに同じことでも、この10年間に、よりヘーゲルの業績を客観的に評価しようとする姿勢に、変わってきている。ここには、草稿集『自然の弁証法』にも記録されてますが、エンゲルスが自然科学の研究とともに、難解なヘーゲルの著作をよりち密に検討し、その業績を全体的に評価しようとしている、その努力の進展結果が反映していると、私などは感じてるんですが、如何でしょうか。人間の認識というのは努力の過程です。同じ単一なことのくりかえしじゃないんです。かのエンゲルスにしても、1つのヘーゲル観についても、そこには認識の基本は同じでも、その視野には広がり・進展があると感じています。それはエンゲルスの努力の成果なんですね。エンゲルスにとっては、前の時には、マルクスと相談しつつまとめていった。『ヘーゲル法哲学批判』をみても、それはいち早くマルクスが開拓していた。しかし、そのマルクスはもうこの世にはいない。エンゲルスは、単独で責任を負っている。ことはマルクスの業績(唯物弁証法と史的唯物論の発見・確立)のことでもあり、ヘーゲルの問題点とともに業績の評価という点においても、ベストを尽くしたんですね。ひとはこれを勝手な憶測とみるかもしれませんが、私などは『歴史哲学』序論を読んでいて、感じてくることがらです。ヘーゲルの国家論において果たした役割、そして、そのヘーゲルを評価するエンゲルスの見解にも、認識の発展があるということです。
2023年08月18日
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団地朝市をひらく前に売り切れ今日(8月13日)は、台風7号の影響で関東は、時々雨が降ってます。このところずーっと暑い日が続いてきたので、暑い地面に、自然が撒き水をしてくれてるようで、たすかってます。今週は、収獲は夏ミョウガが終わり、ブルーベリーが峠を越したんです。作業は、クズやヤブカラシの蔓がまきつきをはぎ取り、繁茂した雑草の草刈りです。炎天下ですから、朝の1時間、夕方の1時間を基本にしての農作業です。無理をすると、いくら水を飲んでも、熱中症になること間違いなしですから。今回の、8月12日(土)の団地朝市ですが露店のお店をひらく前に、品物はすべて完売してしまいました。農家からカボチャやミニトマトをあずかったんですが、運んでくる途中で売り切れました。本来なら作業する9日(水)が、台風6号の影響で一日中雨だったんで、足止めだったんです。そのため、10日木曜の午前だけでしたから、収穫できたものが少なかったんですね。しかし、たまには、こうした休みも必要です。今回、9日(水)の雨休みに、久しぶりにみかん園のK園主がやってきました。「あんたたちの草刈りは甘い。茎を5センチも残したら、すぐ草は復活してしまう。もっと地面が見えるくらいに刈らなければ、すぐ草は生えちゃう」と、アドバイスです。さらに、翌日の10日(木)には、実際に畑まで来てくれて、草刈の実演をしてくれました。「このくらい、地肌が出るまでしっかり刈らなきゃ、ダメなんだ」と。プロからすると、素人の草刈りは甘いんだと、見かねての草刈り指導です。ありがたいじゃないですか。知恵と技術を、実際に畑まで来てくれて、指導してくれる。すでに農家の人たちはヘトヘトなんです、普通なら他人のことなんて構っちゃいられないんです。それを越えての実践的なアドバイス、技を披露し、伝授してくれたんですから。気持ちはあっても、それ以上に口出し・手出しまでして、アドバイスしてくれる人はいないんですよ。今回の雨ですが、すでに続いていたカラカラ陽気で、畑はすっかり乾いてましたから、農家や野菜、みかんの苗木にとっては、助かってるんじゃないですか。適度なお湿りというのは、農業にとっては欠かせないし、大事ですからね。さて、今回はアシナガバチ対策でした以前の7月5日には、草刈りしていて3か所も刺されているんです。みかん小屋の軒下にアシナガバチの巣があるのをみつけていたんです。今回の一番の仕事は、8日(火)の夕方でしたが、雨の降りだす前に、巣に対してスプレー剤を噴霧しました。蜂が沢山ブンブンと飛び交い出しました。当方は、さっさとその場を逃げてきたんです。10日(木)、雨上がりの早朝の涼しいうちに、朝一番の仕事です。高枝ばさみをつかって、蜂巣を叩き落しました。どうやら蜂は、前々日の殺虫剤の効果により、何処かへ移動したようです。蜂巣は静かでした。地面に落として蜂の巣には、白い蜂の子が入ってます。前回の殺虫剤で数匹の蜂が落ちてました。すぐにアリたちが群がって、後片付けをはじめてました。蜂巣は8センチくらいの大きさになってましたから、蜂数もすぐにどんどん増えていき、近づくと危険になっていたんですね。この時期、とくに暑いときに、草刈りしていて、知らずに巣に近づくと、前回そうでしたが、軍手の上からでも刺されちゃいますから。これも、畑をまもり、安全に作業するためには、欠かせない喧嘩です。もしも、援農の人たちが刺されでもしたら、とんでもないことになる、「ごめんなさい」じゃ済みませんから。ここは勝負です。これで前回は刺されちゃったけど、今回は生活圏から蜂を追放してやりました。一つ、危険を除去しました。しかし、まだまだ続きます。炎天下での草刈り、ツルの剥ぎ取り作業が続きます。
2023年08月13日
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市民連合の政党への要請「安保法制廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」は、8月10日、日本共産党へ要請書を渡しつつ、懇談しました。要請は、憲法9条と個人の尊厳を守る13条の生かされる政治を、共闘の力で実現させようとのものです。その様子が、55分ですが、発信されていました。「立憲野党と市民の共闘で、憲法9条と13条の政治の実現を」市民連合から日本共産党への申し入れ、懇談 2023.8.10 - YouTubeこれは国民にとって、たいへん大事な懇談だと思い、紹介させていただきました。憲法第13条ですが、「すべての国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」です。要請は、8月8日に立憲民主党、9日にれいわ新選組、10日に社民党と日本共産党に、行われたそうです。今日、世界では、公然とした侵略戦争が、多数の批判のなかでも、おこなわれているし、日本も、それを口実にして、43兆円もの軍事費投入に、国民の望まぬ方向にすすみつつあります。戦後、ずーっと国是としてきた平和主義、民主主義の原則を立場を、まともな説明もせずに、つぎつぎに平然として投げ捨てようとする政治が横行しだしている。それに対して、野党のなかからも、批判ボーズをとりつつ、それに手を貸す政党もでてきています。いま、この事態の中で、日本の進路が、国民の良識が、問われています。何が出来るか、何をしなければならないか、問われています。そうした中での、市民連合のこの要請ですが、野蛮な逆流も逆巻いてるなかでの、この要請です。これは、日本の良識ですね。国民多数の底深い思いが、この要請にはあると思います。反応の声をあげるのも、大事なことかと思います。立憲野党は、この要請に対して、しっかり誠意をもってこたえなければなりませんね。「おれが、おれが」じゃなくて、一致点での共同に誠意を尽くす、ということです。そうでなければ、今の時に野党としての社会責任がはたせないこととなります。ボールは投げられたわけですから、歴史のテストがはじまってます。これを受けて、今後の各立憲野党の動きに注目です。
2023年08月12日
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エンゲルスにとっての『歴史哲学講義』レーニンは、『哲学ノート』で『歴史哲学講義』序論を読むなかで、エンゲルスを思い浮かべてました。どこで、どうしてエンゲルスが浮かんできたのか、この点に関係してくると思います。一、エンゲルスのヘーゲルとの関わりですが、私などの理解では、大きくは三段階があるんじゃないでしょうか。第一段階は、初期のエンゲルスで、マルクスとともに唯物弁証法と唯物史観を確立した頃です。刊行されませんでしたが共作の『ドイツ・イデオロギー』などが、その時のものです。この理論の理解が、基礎問題として問われるところですが。1840年代の当時は社会的激動期でしたから、事態にどう対処すべきかが、問われました。その理論の原理がどうのこうのと議論しているような暇はなかったんですね。目前の、当時の民主主義革命の問題にどう対処したらよいのか、それが問われていたわけです。その実践的な主導性と検証が、『共産党宣言』であり、「新ライン新聞」だったわけです。第二段階は、その基本的な理論は明確なんですが、それを事実の研究によって、より明確な理論に形づくらなければならない段階です。唯物弁証法と唯物史観の基礎理論にもとづいて、広く人間と自然の領域の研究をしてゆく段階です。それというのは瞬間的な悟りじゃすまないわけです。しっかりした諸科学の領域での事実研究が必要なんです。経済学の一つをとっても、それがどれだけの努力が必要かは、マルクスの『資本論』がしめしています。だいたい、諸科学の事実的な素材といっても、ヘーゲルの『論理学』にしても、ダーウィンの『種の起源』にしても、その一冊を読むだけでもたいへんなものじゃないですか。しかし、それらに払われた努力なんて、実際のごくほんの一部なわけです。新たな自然観・社会観を概念的に形づくるには、それなりのじつにおおきな基礎的な研究努力が要請されていたわけです。彼らはやってますね。マルクスにとっては、その「序言」と『経済学批判』(1859年)が、その途中の努力をしめしています。エンゲルスはマルクスと分担しつつ、固有の分野で努力しています。1858年7月14日付のマルクスあての手紙(ME全集の第29巻)ですが、その努力の過程にあっての様子を交換し合っていたことが記録されています。「この30年間に、自然科学の中でおこなわれた進歩について、人はなんの概念も持っていない」として、経済学に集中しているマルクスに、自然科学の当時の発展を紹介しています。なによりも、この時期のエンゲルスの努力の全体をしめすものとして『自然の弁証法』があります。これは刊行されずに草稿集として残されていたものですが、その努力の全体的な様子をしめしています。最近のことですが、1999年の「新メガ版」『自然の弁証法』の刊行(新日本出版社)されました。これによって、これまでのME全集版はその一部分であったこと、これにより実際の詳細な姿がうかがえるようになっているわけです。それによると、エンゲルスは、1858年7月には既に開始し、それから70年代、少なくとも1883年まで、自然と弁証法を研究しつづけてきた。これらの面々と続けられた努力の蓄積があったんですね。第三段階ですが。マルクスが1883年に死去して、それ以降のエンゲルスの努力です。『フォイエルバッハ論』もこの時期の代表作です。親友のマルクスはあの世に行っちゃった。残されたエンゲルスの肩に託されたことはなんだったのか。エンゲルスは、マルクスの遺稿集に目を通すことで、『資本論』の続きをまとめる作業がまずあるわけですが。この時期の全体としては、諸国の労働運動へのアドバイスを果たすとともに、諸著作でマルクスの業績、それぞれの著作の意義について解明しています。その中の大事なテーマの一つとして、草稿『ドイツ・イデオロギー』があった。唯物弁証法と唯物史観の確立過程です、これを簡潔にまとめることが必要だった。これは、その渦中にあった第一段階では果たせていない。第二段階では時として『反デューリング論』の論争の中では刊行してるが、大部な論争の中での紹介しかなく、問題の焦点が違っていて十分紹介が出来ていなかった。そうであったからこその『フォイエルバッハ論』(1888年)です。マルクスとの業績の要の一つであり、その思想を確立する過程を、しかも簡潔なかたちでまとめる。ヘーゲル哲学が到達した成果と、そこから新たな、本質的な前進と、新たな理論の達成がいかにおこなわれたのか。このかつて、おこなわれつつも、しかし十分には紹介されていなかった、その重要問題をあらためて紹介するという、ここにこの本の主題があったんじゃないでしょうか。エンゲルスは1890年9月2日に、20歳学生のヨーゼフ・ブロッホ青年の質問に答えて手紙しています。「この理論(唯物史観)を原典で勉強するようにして、他のものを介さないことにしてください、そのほうが実際はるかにやさしいのです。マルクスが書いたのでは・・・、また私の著作をあげさせていただければ、『反デューリング論』と『フォイエルバッハ論』で、このなかで私は、私の知るかぎりで現存のもっとも詳細な史的唯物論の説明をしておきました。」(全集第37巻 P403)二、その『フォイエルバッハ論』ですが。私などは、新日本文庫(森宏一訳 1975年)で読んでます。第一章はヘーゲルの弁証法についての紹介です。つづいてヘーゲル哲学の全体像についての紹介です。この紹介自体も、これはヘーゲルを読み込んだ人ならでわのもので、内実のあるすばらしい紹介です。問題は、第四章で、『歴史哲学』を唯物史観へと前進させた努力過程の問題です。第四章は文節に通し番号をつけると、全部で28の文節からなっています。一つ、自然は意識はなく、偶然の相互関係のなかに法則性があるが、人間社会の場合には何事も企図や目標をもった人間により営まれる。しかしこの違いは内的な法則性に支配されてる事実を変えるものではない。これが『フォイエルバッハ論』第10節です。これはヘーゲルが「B.世界史の理念」の(a)「精神の抽象的定義」で、通し番号では第4節で主張していることです。二つ、多くの人の意思とその働きかけが歴史である、それらの行為の動機が大切だけど、個人は意欲した目的を追いながら、不本意な結果もある。意図しない結果もある。結果にたいして意識は従属する。これはヘーゲルが「B.世界史の理念」(b)「自由を実現する手段」で、表現は違いますが、提起している問題じゃないですか。第23節では「内面のふくらみ」として。第32節では「理性の策略」(「理性の狡知」)として展開されてます。(ここですね、レーニンが『哲学ノート』で書き抜いて、なおかつ欄外に、『注意!(エンゲルス参照)』と書き込んだ箇所というのは)さらに、エンゲルスはここで重要な問題を問いかけます。「問題は、動機の背後にどの様な推進力があるのか。行動している人間の頭脳に、ある動機の形をとらせるのはどのような歴史的な原因があるのか」「人の動機の背景には、何が働いているのか、何が原因しているのか」(『フォイエルバッハ論』第11節)三つ、ここが分かれ道です。エンゲルスは指摘します、旧い唯物論は行為をすべて動機から判断していた。これに対して、ヘーゲルの『歴史哲学』は、人間の動機の背後に別の力の推進的力があることを認めていた、と。これは、古い唯物論の制約をこえる、ヘーゲルの歴史的な素晴らしい視点です。ところが、ヘーゲルは、それを事柄の関係の外部にある哲学的イデオロギーに原因を求めていた。(「美しい個性の姿の実現」とか、世界精神であるとか)。わかりにくい神秘的な表現ですが。しかし、それがヘーゲルによって確信のある言葉で語られますから、「なんじゃ、こりゃぁ。どう理解したらいいんだ」と苦闘させられるわけで、理解しようとして、禅のような考案問答の事態にさせられるわけです。四つ、エンゲルスは、マルクスとエンゲルスはこの点をとらえた。この問題の探究こそが大事だ、どこに問題があるのかその原因は、と。「歴史上で行動する人間の動機の背後にあり、歴史の本来の最終的な推進力をなす動力を探究すること」このことが問題であると。歴史的に存在するもののなかに、その原因を探らなければならないと。ではどの様にそれを探るか。そこからが、問題のところですが。ただ理屈だけ(論理的必然性)の問題だけじゃなくて、そこには新たな歴史理論と歴史運動の登場という時代条件も働いたことが紹介されてます。三、「動機の背後にはどのような力があるのか」—大きな岐路となった問題がありました。このヘーゲルとの違いをとらえ、新たな理論をたのは第一の時期でのことでした。しかし、その違いによって、マルクス・エンゲルスは、ヘーゲルをまったくの否定視・全否定したかというと、そうじゃないんです。『フォイエルバッハ論』の第一章からですが、エンゲルスは次のように述べています。「ヘーゲルは創造的な天才だったし、博学の人だったから、あらゆる領域で画期的な仕事をした。この場合、彼は「体系」が必要とするために、しばしばあの無理な組みたてに逃げ場を求めなければならなかった。しかし、こうした組みたては彼の仕事のワクであり、足場にすぎない。もしも人々がここにとどまるような無益なことにかかわらずに、この巨大な建物のなかにもっと奥深くはいっていくならば、今日でもなお十分に値うちのある無数の宝をみいだすだろう。」(P21)エンゲルスの1888年の『フォイエルバッハ論』ですが、経過からすると、若き時代にヘーゲルの『歴史哲学』を批判して、そこから唯物史観をつくりだしたマルクスとエンゲルスの第一の段階があります。さらに、それからも長年にわたって、自然科学の成果をまなびつつ、それとヘーゲルの『自然哲学』の洞察を学びかえしたり、『論理学』や弁証法の一般法則も学ぶ、さらに歴史のあゆみの具体的な中で、歴史の弁証法を学びかえしたり、各方面の学術を系統的に学ぶ巨大な努力の第二の段階が続きます。『フォイエルバッハ論』は、第三期のエンゲルスが晩年に近くなっての著作です。エンゲルスは、ヘーゲルの天才的な着想や他の人ではなし得ないような粘り強い考察努力による成果ですが、これを評価して、いわば科学的社会主義の思想は、このヘーゲルの業績なくしては、その基礎がなくては、成り立たちえなかったと、敬意と実感をこめて紹介しているんですね。四、私などの場合ですが、「今日に生きる無数の宝がある」(エンゲルスのヘーゲルに対する評価ですが)—私などは、昨年一年間、福田静夫先生の「ヘーゲルを読む会」講座に参加したんです。『法の哲学』の国家論と『歴史哲学』の第四部ゲルマン世界を学んだんです。長年ヘーゲルを研究されてきた福田静夫先生ですが、この講座からもそうした実感が伝わってきました。200年を経ても今日的な生命力をもっているというのが印象だったんです。そうした学習と刺激があったからこそ、いまの日本の動きのなかで、歴史のなかの弁証法をとらえる必要を感じて、『歴史哲学講義』序論を紹介しようとしているんですが。思えば、私などが初めてヘーゲルの名を知ったのは、エンゲルスの『空想から科学へ』でした。1968年の高校時代でした。歴史を見れば、エンゲルスが『フォイエルバッハ論』をだしたのは1888年、日本では1889年(明治22年)の大日本帝国憲法が公布されたころのこと。エンゲルスが亡くなる1895年は、日清戦争が終わった年です。1900年には普通選挙権請願が提出されたが、治安警察法が公布される。1904年には日露戦争へすすむ。1922年に日本共産党が結成される。しかし以来、日本での社会主義・共産主義は、1945年までの20年間、非公然を余儀なくされる。悪者・犯罪者として扱われ、国家権力の取り締まり追及の対象だった。20年の禁圧というのは相当な実態だったと思いますよ。国民の底流にはその後遺症を残している。今でも、動機は邪まですが、その頃の無法な野蛮さの亡霊が、大手を振って出てくるじゃないですか。やはり、今、国民的にこうした事態をのり越えていくことが求められているんですね。それには、古今東西の民主主義の理論(ヘーゲルやマルクス・エンゲルス、日本の先人にも)と、その運動と歴史に学んで、その課題を大いに討議すること。そして、現実のものにしなければならない。他方それは、そうした成果を理解しようとしない、野蛮で蒙昧な見地をどう打ち破れるか、これらと明確に根本的に対峙することできるか、それが問われていると思うんです。歴史を進めるというのは、自然に任せるだけでは進みません。一人ひとりの中身のある努力がどれだけできるか、どれだけ切磋琢磨し、分かち合えるか、その積み重ねにかかっていると思います。それを、ヘーゲル・マルクス・エンゲルスは、応援しているんだと思います。私などの努力も、そのことを紹介したい、その一点なんですが。
2023年08月11日
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レーニンの『歴史哲学講義』序論の学習当方は、ヘーゲルの『歴史哲学講義』を学習しています。世界史のあゆみには発展の法則があることをヘーゲルは洞察して、1831年にコレラのパンデミックで突然死してしまうまでの10年間に、これを5回にわたってベルリン大学で講義していたんですね。1840年代の若きマルクス・エンゲルスたちは、ヘーゲルをまなび、新たな世界観をつくりました。エンゲルスの『フォイエルバッハ論』(1888年)が、その過程と内容を紹介してくれています。レーニンの『歴史哲学講義』摘要ですが。『哲学ノート』(全集第38巻)には、1914年から16年の間におこなわれたヘーゲル学習のノートがふくまれています。ヘーゲルの『論理学』、『哲学史講義』、『歴史哲学講義』などを学習したノートです。時は第一次大戦の戦乱が世界に広がりつつあるときです。その中で、亡命先で政治活動を指導する中で、こうした学習していたわけです。それが後々に刊行されることになるなんて、おもってもみなかったでしょう。まったくの個人的な学習ノートです。一、そのレーニンの『歴史哲学講義』摘要から、「B.歴史における理性」の「b.自由を実現する手段」の部分を紹介します。レーニンはこの章から11の注目した箇所を書き抜いています。(全集 P277⁻278)ヘーゲルの『歴史哲学講義』の「B.歴史における理性」の章ですが、各文節に通しの番号をつけてみました。全体で75節あります。(これは福田静夫先生がヘーゲル講座で示された学習方法なんですが)。著者のいっていることを各論を正確につかむためのものですが、この場合はレーニンの書き抜きが、ヘーゲルのどこに対応しているのか、突合せるのを容易にするためです。同じ文章でも翻訳によだいぶちがうものですから。レーニンの第1の書き抜きは、ヘーゲルの文節の第8文節からでした。同様に順次、第2は第15節、第3は第17節、第4は第15節、第5は第20節、第6は第23節、第7も第23節、第8も23節、第9は25節、第10は第40節、第11も40節に、それぞれ対応していました。二、その中から、4つを紹介しましょう。レーニンが、ヘーゲルのどんなところに注目したかが見えてくるんですよ。1、1番目の書き抜きは、ヘーゲルの第8文節からのものでした。「人々は何によって導かれるのか?もっとも多く利己心によって。—愛、等々の動機は比較的にまれであり・・・」レーニンはこの抜粋の冒頭に、(史的唯物論への接近)とのコメントを書いています。2、第2番目は、「世の大事業は情熱なくしては成就されない」、これはヘーゲルの第15文節からです。3、第7番目は、「歴史においては、人びとの行動をつうじて、人びとが目的とし、かつ達成するところのもの以外に、なお別のものが現れてくる。成就される」、これはヘーゲルの第23文節からです。4、第8番目ですが、これもヘーゲルの第23文節から書き抜かれたものですが。「彼らは、彼らの関心事を実現する。しかしそれとともに、内面的にはそこに存在しているにしても、彼らの意識および彼らの意図のうちには存在していなかったところのなおそれ以上のものが、実現される。」レーニンはこの書き抜きの欄外に、『注意!エンゲルス参照』とのコメントを書き込んでいます。これは、エンゲルスの『フォイエルバッハ論』の第四章をさしていますが。レーニンが、『フォイエルバッハ論』を横に置きながら、一人図書館に片隅で、『大論理学』や『歴史哲学講義』を学んでいた。この序論の一部を読んでみただけでも、疑問なところもあるけれど、じつに生き生きとよんでいた姿がうかんでくるじゃないですか。三、ヘーゲルの文章というのは、一般的にいって、読みやすいものではありません。くわえて「精神のすべての性質は自由なくして存在せず、すべては自由のための手段であり、すべてはひたすら自由をもとめ、自由をうみだすものです。自由こそが精神の唯一の真理である」(第4文節 P38)こうした文章が続いていくわけですから。小説のようにはすらすらとは読めないわけです。だけど、これには「序論」ということの性格もあるとおもうんです。ヘーゲルは、本論の世界史をこれから理解していくための基本的な概念をここで提起していたり、本論の歴史のあゆみから引き出されてきた結論的なことを、あらかじめここで示唆・アドバイスしようとしているわけでして。ここだけで完全な論証をしているわけではないんです。さーっとこの部分だけ読むと、なにか託宣的にきこえたり、何かを悟った人がそれ抽象的に断言的に言っているような感じに聞こえてしまい、はじめてそれに近づく者には訳が分からなくなってしまうわけです。だから、まったくの自分勝手な解釈をして、「我こそはヘーゲルの理解者だ」なんて人がいたり、また、だれか他の権威者の言葉を引用することをもって解釈としていたりする人もでてくるんですね。しかし、マルクスやエンゲルスは、そしてレーニンは、そのヘーゲルの中にある宝ものを引き出そうとする努力は、そんなものじゃないんです。一生懸命にヘーゲルの業績を生かそうと格闘しているんです。歴史の法則性とはなんなのか、その根拠はどこにあるのか。どこが問題なのか。世界大戦が拡大していくなか、その矛盾は、ほどなくどのような社会変革をふくんでいるのか。それを得心し、見通すことが必要なわけです。未来をひらくためにはそれが必要だったんです。彼らが必死になって、学習したわけというものが見えてきませんか。しかし、問題は、私たち自身です。マルクスやレーニンが直面していた課題というのは、私たちが今現在に、直面していることがらですね。そして、自分の頭で、自分自身の努力で、自分の持ち場で、すすむことが求められているわけです。この努力なくしては、ものごとを本当にまえにすすめることはできないということです。これも今に欠かすことの出来ない、一つの学習対象だということです。
2023年08月07日
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午前8時43分、朝市を終了いゃ~暑い。小田原のみかん畑も東京の団地も暑い。8月5日(土)の朝市ですが、こんな陽気では、客待ちしてつかれるよりも、早く販売して、朝市をおえるということです。「来た、見た、勝った」で、午前8時43分には、20分間の朝市を終了しました。これは前回の写真ですが、今回もこんなものでした。今回は、写真を撮り損ねたんですが。並べられた品は、やはりブルーベリー、カボチャ、トマト、ミョウガといったところでした。ただ違うのは、今回は、客待ちをせずに、どんどん電話で注文を取っちゃう。もちろん来てくれたお客さんが最優先ですが、のんびりと待つんじゃなくて、さっさと売り尽くして、引き上げてきました。今回の小田原のみかん園ですが、一つ、8月1日(火」に久方ぶりに雨が降りました。ず~ッとカンカン照りの陽気が続いていますから、野菜作りの農家は大変です。この雨は焼け石に水ではあるんですが、無いよりはましです。ブルーベリーの実も、水不足で干からびてきます。この写真も、前々回の時のものですが。ブルーベリーも、今回みると、今年もその山場を越えているようです。その品種による実の小ささもありますが、水不足で干からびたものが出だしているんですね。二つ、一人の若者が、みかん畑の手入れを始めています。このカンカン照りの暑さの下で、それは先に亡くなった園主さんの息子さんなんです。仕事の休みの日に、週に一日、その一時間余をつかって、草刈りを始めています。今のみかん農家は、収入が不安定ですから、これで暮らしをたてていくことは出来ません。見たところ、私などもそうですが、だいたい年金農夫が一般的じゃないでしょうか。しかし、若者にとっては、安定した収入がなければ家庭生活は成り立ちません。会社勤めなどをしないかぎり、暮らしは成り立ちません。しかし他方、みかん畑をそのままに放置しておくわけにはいかないじゃないですか。みかん畑は、特に梅雨の時期は、日に日に雑草が繁茂して来ているわけですから。ここに奇特にも、炎天下の草刈りの難行苦行を、新たにはじめだした若者がいるわけです。まわりの農家の人たちも、その努力を応援してくれています。三つ、この時期、炎天下の草刈り仕事が続ています。みかん園の周りから、クズやヤブカラシの蔓がみかんの木に巻き付いてきています。みかん園内の草刈りとともに、おしかぶさって来るつる草を除去しなければ、みかんの木は陽がささなくなって成育できなくなります。今回も、援農の草刈りに来てくれた人がいます。広い畑をひとりで草刈りしていると、カミキリムシ対策や、巻き付くつる草の除去まで手が回らないんですが、1+1は相乗効果で、3にも4にも作業は進むんですね。この援農のおかげで、この畑全体の8割がたの草刈りが終了することが出来ました。農家の人がアドバイスしてくれました。一、この暑い時期は、朝方と夕方の日差しの弱い時期に作業している。日中の日差しの下で、表仕事するのは、熱中症の危険もあり、さけていると。二、草刈りは、茎を残さないように、しっかり刈らないと、すぐに復活しちゃう。全体を大雑把に刈るんじゃなくて、しっかりとした草刈りをし、それを広げた方が抑えれると。まだまだ、炎天の難行苦行が続きます。
2023年08月05日
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鹿島のくらしの懇談会八王子市鹿島でのこと、7月30日に共産党後援会主催の「暮らしの懇談会」が開かれました。鹿島地域は、人口50万の八王子市のもっとも東側にあるはしっこの地域です。私などはここに住んで36年がたつんですが、都会の団地生活でのこと、ただ寝に帰って来るだけで、隣近所のつき合いはなく、「隣は何をする人ぞ」といった関係でした。しかし、先の4月の八王子市議会選挙では、28歳の二期目の望月しょうへい議員を当選させたんです。広い八王子市では、市政・市議会と、寝に帰って来る私などとの距離は、生きたつながりというのは、まったく疎遠なんですね。それで、望月しょうへい議員をゲストに招いて、この地域の主催で、「市政や暮らしの懇談会」を開こうということになったんです。記者の方を含めると6名の参加でした。それぞれの自己紹介があり、望月市議からは選挙後の市政・市議会の紹介がありました。一点だけ紹介すると、体育館への空調施設の設置問題です。今年は暑いでしょう、八王子も内陸にありますから、高温を記録しています。東京全体では、9割方の学校ですでに設置しているか、する計画になっているんです。東京都も助成してきたんです。ところがですよ、この八王子市の設置は、選挙前は1割。その後14%と微増したんですが。これで設置を打ち切るというんです。インターネットの議会質問を聞いたんですが、これがひどいんです。市側は「体育館の空調設備は防災のためのものであり、必要とされる箇所には設置した。防災上のためのものだから、教育目的としてつかうものではない」、こんな答弁です。設置数が少ないし、あっても子どもたちにつかってない。防災のためのもので目標は達成したから、これ以上は設置しない、と。驚くべき議会だとは思いませんか。八王子市といえば、自民党の文科大臣や政調会長のおひざ元ですよ、本来なら率先して体育館に設置して子どもたちの教育環境を整えるべきじゃないですか。それなのに、こうした答弁が壊れたテープレコーダーのように繰り返しなされているんです。「八王子市政は、どうなってるんだ」、子どもたちや市民感覚からすると、考えられないような政治が行われている。市民から寄せられた声に、まったく誠実に答えようとしない。なぜこうなっているのか。八王子市議会は自民党と公明党が過半数の議席を占めてるんですね。両者の意識と行政の市政とが重なって、その意志が中心になっていると、市民からよせられてる要求などは、まったくの聞き流しで済まされてるんですね。行政マンの人たちも人間ですから、この暑い中を汗をかいてるんですから、問題は目にしているわけで、内心では上級幹部のこの態度には複雑だと思うんです。それが教育長のことでもあり、そのトンチンカンな答弁のくりかえし。どうして当たり前な要求と、誠意をもって向き合わないのか。用意された答弁書の範囲を一歩も越えようとしないんですかね。いったい何に対し、そんな気を使っていんですかね。そもそもこれが教育を司る委員会の「長」のとる態度として、どうなんですかね。恥ずかしくないですかね。子供たちのあげている切実な声と向き合おうとしない人なら、教育長の立場にいる資格なしです。それはご当人も感じてると思うんですが。このギャップはどうしておこっているのか。市長だってその人を任命している責任があります。その姿勢をかばうとしたら、連帯責任てあり、使命責任です。もう一つ、八王子市議会の多数派をなしている自民・公明の各議員の人たちの意識にもつながっている。「野党のいうことなんか聞くな、教育長のその姿勢でいいんだよ」といった状況になってませんか。私なんかは、八王子市民にとって八王子市政が遠いというのは、八王子市役所に行くまでに1時間半かかる。隣の多摩市役所なら10分でゆけます。しかしこれは、ただ広いからという問題だけではなく、こうした市民からかけ離れた政治の実体とも関係してますね。市民要求なんて、どう受けとめられ、どう扱われているのか。他方、実際に八王子市政が重視していることがらというのは何なのか、何を一体大切にしている行政となっているのか。これは調べてみる必要がありますね。ようするに、「寝に帰って来るだけでは、足元は一向に変わらない」ということです。もう一つ、今回、望月市議は、配布されつつある議会報告のニュースをもってきてくれたんですが、今回の選挙で共産党市議団は5名の当選で議案提案権を回復したんです。今回、他の会派の議員の人たちとも共同して、この議案提案権を行使したんです。二つの意見書が出されたんです。「1、健康保険証を廃止しないで、2、有害物質の垂れ流しが疑われる横田基地を国は調査せよ。」議案提案権がないと、ただ議論や意見をかわしている上では、各議員はもっともらしい言葉をつかいますから、その違いが分かりにくいんですが。議案提案権を行使して意見書となると違います。その議員・会派のその意見書に対する態度が、「賛成」か「反対」か、実際の態度が問われるわけです。この態度表明を実際に示したうえで、その「態度の理由」が、今度は真剣に公けに問われるわけです。今回の場合ですが、「健康保険証を廃止しないで」との意見書に反対した議員・会派ですが、ただ反対態度をしただけで、その理由についての発言はまったくしなかったそうです。とうとうの議会の紹介でした。私などの実感としては、市会議員をもつといことは、これまで遠く疎遠だった八王子市政ですが、それがグーっと身近なものになってきたということです。まだ、ほんの兆しでしかないんですが。この鹿島地域では、その中で市政や暮らしのことを懇談するような場というの、これまで無かったんですが。そうした中での、今回、小さな一歩ですが、この地域からも始まりだしたというわけです。36年間、いったいなにをやってたんだ、遅すぎるじゃないか、との気もしますが、遅まきながらでも、観察だけで、何もしなかったこれまでよりは、一歩の前進です。とにかく、足元の地域でも、縦と横の懇談する場が、ささやかですが、実際に動き出したということです。
2023年08月04日
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