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スペイン語は英語に比べて動詞の変化がかなり複雑です。1人称、2人称、3人称およびその単数、複数でそれぞれの変化形があります。しかし、スペイン語の勉強がすすみスペイン語になれてくると、各人称ごとに特徴があり特有の形があることがわかりますので、実際には最初に考えていたより簡単です。直接代名詞、間接代名詞は英語の場合は動詞の後ろにきますが、スペイン語の場合は前にきます。これになれるのに少し時間がかかりました。英語にはない再帰動詞になれることも大切です。
2012年04月09日
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buen tiempo posted by (C)sagoshitormenta01 posted by (C)sagoshi 2~3時間前まで良い天気(buen tiempo)だったのに、激変する天候、嵐(tormenta)のようです。亜熱帯の地域では、スコールと呼ばれます。ダイナミックに変動する気象となんら変化に乏しい生活こそがパラグアイの特徴かもしれません。
2012年04月08日
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本辞典は好評の「ポケットプログレッシブ」シリーズのスペイン語版です。本辞典は初学者から上級者までを対象に、「読み」「書き」「話す」を可能にする携帯に便利な辞典をめざしました。 ポケットサイズとはいえ、前置詞・代名詞をはじめとする基本語は、語義も用例・成句も豊富な充実した内容になっています。また、全般的に訳語は平易に、そして新しい語義も明記するよう心がけました。新語はインターネットで収集したデータなどをもとに、西和・和西ともこの辞典でしか得られない情報が入っています。中南米語の充実も本辞典の大きな特徴です。 授業やビジネス、旅行などに必携の辞典です。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 価格は、定価で2940円ぐらいです。B7版程度で、かさばらなくて良いと思います。
2012年04月08日
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「イランイラク戦争の際トルコが命がけで日本を救ってくれた理由」1980年から1988年までの間、中東ではイラン・イラク戦争が勃発しました。そして、イランには商社の従業員や技術者・またはその家族など、500人余りの日本人が滞在していたのです。1985年に戦争は激化し、イラクからの砲弾が後を耐えなくなります。イラクにいる日本人も身の危険を察知し、イラクから出国しようとした最中でした。イラクのサダム・フセイン大統領はイランに対して告げるのです「今から48時間後にイラン上空の飛行機を空爆する! 民間機であろうがなかろうが、そんなのは関係ないからな!」 というのです。つまり、48時間以内にイランから出国しないと、日本に帰れないことを意味していました。各国はイランに飛行機を向かわせ国民を救済していました。しかし、日本政府は対応に遅れ、安全面の理由から(日本航空JALの組合が反対したため)イランに飛行機を向かわすことができませんでした。さらに、イラクから出国する民間機も、EUの人たちを優先させたため、イラクから離れることができませんでした。日本人はパニックに陥ります。そんな中、命をかけて日本人を救ってくれたのがトルコです。トルコの飛行機をイランのテヘランに向かわせ、間一髪のところで脱出に成功したのです。トルコが命がけで日本人を救ったのは何故でしょうか?イランの日本大使館は、トルコの大使館にあるお願いをしたそうです。「トルコの国民を第一に考えているのはわかっている。それでも、日本人を救済するために飛行機を手配してもらえないだろうか?」すると、トルコの大使館はこのような返事があったと言われてます。「エルトゥールル号が遭難した際、日本人は利害関係を抜きにして溺れている人たちを救助し、親身になって介抱してくれた。今こそ、そのお返しをする時が来た」と言ったそうです。1890年、トルコからやってきたエルトゥールル号は航海の途中で日本に立ち寄りました。しかし、日本を出国の際、船の老朽化を心配した日本人は台風が過ぎ去ってから出発したほうがよいのではないか?と提案します。しかし、エルトゥールル号は強引に出発したため、強風にあおられ座礁してしまいました。(587名が死亡・69名が救出)この事故を知った明治天皇は69人に対して援助するように命じたのです。また、この事故をニュースで伝えると、日本中から義援金・弔慰金が寄せられたのです。この事実を知ったトルコは感激し、日本とトルコの友好関係がスタートするのです。そして、ロシアに領土を奪われていたトルコは日露戦争で日本が勝利すると、自国のことのように喜んだそうです。1999年、トルコは大地震に見舞われ、15000人が命を落としました。すると、イラン・イラク戦争でお世話になった人たちや、日本人としてトルコに感謝をした方などが、各方面に対して義援金を募ったそうです。また、日本人駐在員だった人達が協力して復興支援に尽くしたそうです。困った時はお互い様♪情けは人のためではなく自身のためでもあります。
2012年04月08日
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besar というのは、キスするのことで末尾の r を除くと命令形になります。muchoは、たくさんという意味。英語では、kiss me moreという形ですか。 besa me mucho というのは、私にもっとキスしてという意味です。私もいままで全然その意味を知りませんでした。 歌詞Bésame, bésame mucho,Como si fuera esta noche la última vez.Bésame, bésame mucho,Que tengo miedo perderte, perderte después.私にキスをして、たくさんキスをして今夜が最後かもしれないから私にキスをして、たくさんキスをしてあなたを失うのが怖い、この後あなたを失うのが怖いQuiero tenerte muy cerca,Mirarme en tus ojos, verte junto a mí.Piensa que tal vez mañanaYo ya estaré lejos, muy lejos de tí.あなたを抱きしめたいあなたの目を見て、私の隣にいるあなたを私はたぶん明日あなたと別れとても遠い遠いところへ行かなければならないからBésame, bésame mucho,Como si fuera esta noche la última vez.Bésame, bésame mucho,Que tengo miedo perderte, perderte después.私にキスをして、たくさんキスをして今夜が最後かもしれないから私にキスをして、たくさんキスをしてあなたを失うのが怖い、この後あなたを失うのが怖い Wikiペディア http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%82%B5%E3%83%A1%E3%83%BB%E3%83%A0%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%A7
2012年03月27日
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市街地の便利なところの平均的なアパート家賃は、2部屋/トイレ・バス・台所=300~500ドル3部屋以上でプール付きとなると=1000$前後、という所。また、近郊(中心部から10km前後)は、2部屋/トイレ・バス・台所=200$前後といった値段。 毎年、物価上昇により10%程度の家賃の値上げあり。 内山田ホテルの料金 1泊朝食付き 22ドル(テレビなし)~ 30ドル(NHKテレビ有り) 50ドル(NHK/日本式風呂)
2012年03月20日
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01 posted by (C)sagoshi02 posted by (C)sagoshi スーパーの惣菜コーナーで手に入れたエンパナーダです。揚げたものとオーブンで焼いたもので値段が違います。揚げたものは、2500Gs、焼いたものは3000Gsです。50円か60円というところ。あまり安くはないと感じます。まあ、倉敷近辺の単価とあまり変わらないというのが正直なところです。パラグアイの人たちの収入は低く5万円から10万円程度ですからエンゲル係数は、大きいと思います。なおエンパナーダの中身は鶏肉とか卵が入っていました。ケチャップをつけていただきます。以外にあっさりしています。
2012年03月18日
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img_1583971_52758991_7 posted by (C)sagoshi パラグアイは、牛の本場。どうして、牛の寿司がないのだろう。工夫さえすれば、とてもうまい寿司は必ずできるはずなのに、どうして馬鹿の一つ覚えのサーモンのなのだろう。 20080226174329 posted by (C)sagoshi
2012年02月08日
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サラリーマンが中途で職を辞すと自由になれる。その先に待っているのは転職か野垂れ死にの世界。現在の状況を見ると野垂れ死にの可能性のほうが高い。自由を渇望する人々は、堅苦しい組織を出て自由になることにあこがれる。「面白きことのなき世におもしろき」高杉晋作の辞世の句だが多くの幕末の志士が脱藩による自由を選択したと同時に野垂れ死にを覚悟していたということがその当時の閉塞感を感じさせる。日本にとどまり閉塞感をものともせず面白く生きるすべを見つけるか、はたまた海外に飛び出して自由を得ると同時に野垂れ死にのリスクを敢然と覚悟し生きてゆくのか、その点、現代の日本人の場合、非常に選択の自由に恵まれていると思う。 松下幸之助語録集(政治編6件)「今の政治の混迷を考えると、国家国民の将来のために、この身がどうなろうと、野垂れ死にしようと、なすべきことをしないといけない」「すべての国民が生き生きと仕事に励み、生活を楽しむようにするのが、政治の目的である」「政治家でも経営がわかっていなければダメである。経営者でも政治がわかっていなければダメである」「一国の将来を卜するには、その国の、今、政治を担当している人が、百年先、二百年先に、こういう国家をつくるのだという、目標をしっかりもっているかどうかである」「税金を国民から取るのは当然と考えるばかりか、増税することに傷みを感じない為政者は失格である」「政治家の良否が国の命運を左右し、国民の幸不幸を決める」-------------------------------------------------------------------------- 野田佳彦(内閣総理大臣)語録「駅前留学はNOVA、駅前演説は野田」「なでしこに負けないよう、よしひこも頑張ります」
2012年01月26日
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左が橋田信介氏、右がゆき子夫人第28話ラーメン店開業「天井にゴン、女房元気で留守がいい」 バンコクのババボボは相変わらずニクジをたれています。 実は先月の八月二十二日はめでたくも還暦の誕生日でした。それで還暦を記念して新しい事業を興すことにしたのです。六十歳にして企業を興すのです。日本の不景気を乗り越え、祖国の経済を活性化するために、決然と立ち上がったのです。 壮大なプロジェクトです。総事業経費は税務署がうるさいので秘密です。場所はカンボジアのアンコールワットです。旅行社をやっているカンボジア人のオフィスをかりて、オミヤゲ店兼ラーメン屋をやるのです。オミヤゲの主なものは地雷や銃弾でつくったアクセサリーです。それをつくるのは地雷で手や足をもがれた人たちです。総勢十数人になるでしょう。 これだけでは多分、赤字になるでしょう。だからラーメン屋もやるのです。われながら規模壮大なプロジェクトだと思います。このくらい大きい国家的事業だとさすがに私一人では手におえません。それで旅行社をやっている友人の登場です。 彼はカンボジア人なのですが、日本の国籍を持っています。名前はミウラです。ミウラはもともとカンボジアの自分の名前だったのですが、それを日本の名前「三浦」にしたのです。ミウラはもともとゲリラでした。難民となってタイの国境に逃れてきたのですが、運よく日本に行き、日本の中学、高校を卒業しました。それからイロイロあって、今は平和となったカンボジアで旅行業をやっているのです。その彼が、日本からのお客さんに冷やし中華や冷やしソーメンを食べさせるのです。 アンコールに来る人はどちらかといえば中年すぎの人が多い。それで油こっいカンボジア料理にうんざりするのです。 地雷や弾薬からアクセサリーをつくる担当者も決まっています。地雷解除の名人、通称「アキラ」です。彼についてはかつて紹介した憶えがありますが、もともと彼もゲリラだったのです。 戦争時代に自分も地雷を埋めた。それがいかに残酷なことだったか、深く反省して今は地雷を解除する仕事をしています。この十数年で解除した地雷は二万個になるそうです。解除した地雷を自宅に飾って個人の地雷博物館をつくっています。この博物館は私が最初に日本に紹介したのですが、いまや「地球の歩き方」にも出ているそうです。 問題はラーメンをつくる人です。私はインスタントラーメンも満足につくれない。それで考えあぐねていたのです。ところが最近になってバンコクのラーメン屋で働いていた通称「安」という青年をみつけたのです。夢がない日本を捨てて、アジアで自分の夢を果たすべく孤軍奮闘していた彼をみつけたのです。これでベストメンバーがそろいました。 後は資金です。この資金が問題です。誰かをだまくらかす必要があります。それで急きょ、日本に向かうのです。「勝ってくるぞと、勇ましく」 橋田 信介 『 砲声を 求めて彷徨う イラクかな 』 さごし つつしんで、ご冥福をお祈りいたします。そして、ゆき子夫人 ※橋田さんは、2003年1月にカンボジア大使館焼き討ち事件を取材に事件勃発の翌朝、バンコックから陸路 シェムリアップ経由でプノンペン入りされ生々しい焼け跡を取材されておりました。その後、イラクでの訃報を聞きまことに残念なことと老齢の一人のフリーランスの死を人事とは思えませんでした。「人間の命なんざ、使うときに使わないと意味がない」という司馬遼太郎さんの小説「峠」の坂本竜馬のセリフそのままの生涯と思いました。合掌。
2012年01月03日
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hagetaka posted by (C)sagoshi 今回アメリカで起こったこの種のデモ。私は、起こるであろうと予想はしていた。中東の民主化運動と共に。それ以前に日本でも若者は、その理不尽な民主主義、資本主義社会の仕組みに声無き声をあげていた。どうして、人間の生命をつなぐ食料を石油を先物として取引し儲ける輩が勝ち組になるのか。善良な人々は冷や飯を食わなくてはならないのか。起こるべくしておこったウォール街の占拠事件だと思う。政治家がこの事件を十分に調査し分析しその問題はどうして起こったのかを知ることが重要だと思うし、その結果解決方法を模索すべき時が来たと思う。決して、従来の方法では無理だとも思う。
2011年10月04日
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kanban posted by (C)sagoshiyaki01 posted by (C)sagoshiyaki02 posted by (C)sagoshi アスンシオンのカンニバルという焼き串屋。まさに、日本の焼き鳥屋とイベント焼き鳥をミックスしたような 形式のお店。美味しいですよ。まあ、アスンシオンでは一番というだけあって、満足させていただきました。まあ、1本50円程度ですから。ビール飲みながらバリバリ食べても懐は寂しくならないと思います。焼き鳥のタレが欲しくなったし、鶏のスープも欲しくなったね。贅沢はいえない。海外だから。
2011年10月03日
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おてつだい posted by (C)sagoshi事故 posted by (C)sagoshi 小学生ぐらいの子供がバスがちょっと停車した隙に中に入ってきて、ガムとかキャンディーを売る。こういった光景は、カンボジアでも見た。カンボジアは激しかった、船に乗り込んできた少女が売れるまで粘るのだけど船は勝手に出航してしまう。そうすると少女は、ビニール袋に商売の品を入れて川に飛び込んで岸に向かって泳いで帰っていった。こうして、外国の子供たちは、現場の経済学を学んで大人になってゆく。 日本人は教育第一であり武士道の国、はしたないマネはさせない、私服を肥やす行為は忌み嫌われる。あくまで公に尽くすことが正義なのだ。したがって、このようなことは絶対に子供にさせない。はたしてどちらが良いのだろうか。
2011年09月29日
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パンツァー・リート(ドイツ語:Panzerlied)は、1933年に、作詞クルト・ヴィーレ (Kurt Wiehle)、作曲アドルフ・ホフマン (Adolf Hoffmann)によって作られた、ドイツ軍の行進歌 (Marschlied) である。行進歌とは文字通り行進する時の歌で、軍隊、民間を問わず歌われる。英語のマーチングソングに相当する概念である。その内容は軍隊や戦争を歌ったもの以外に、恋の歌や、故郷を自慢する歌等幅広い。第三帝国時代に作られた行進歌であるが、戦後もドイツ連邦共和国陸軍で歌詞を一部変更しながら歌われていた。その元々のメロディーはルイスカリート (Luiskalied) という漁師の歌から取られているといわれる。ところが第1次大戦後の反共義勇軍 (Freikorps) の行進歌「鋼鉄の軍団 (Das eiserne Schar)」が偶然同じルイスカリートのメロディーを使用しており、それがナチス時代の親衛隊歌集に収録されていたため、ドイツ連邦軍の歌集に親衛隊の歌が収録されているという批判が行われ、最近では歌われなくなった。この歌はMGM映画「バルジ大作戦」の中でドイツの戦車兵たちが合唱するシーンで使われ、世界的に有名になった。映画では1番のみが繰り返し歌われている。先年ドイツ連邦軍の参謀総長が来日した際、日本の自衛隊の音楽隊はこの歌を歓迎会でドイツ語の歌唱付で演奏し遠来の賓客を驚かせた。その後、陸上自衛隊の音楽隊では、「パンツァーリート」を演奏する伝統が生まれた。第1師団の音楽隊や、東部方面音楽隊がこの曲を定期演奏会で何度か演奏した。 歌詞1. Ob's stürmt oder schneit, Ob die Sonne uns lacht,Der Tag glühend heißOder eiskalt die Nacht.|:Bestaubt sind die Gesichter,Doch froh ist unser Sinn,Ist unser Sinn;Es braust unser PanzerIm Sturmwind dahin. : Wikipediaより抜粋 映画で歌われたシーン http://www.youtube.com/watch?v=QU9l_Ead9c8
2011年09月24日
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画像がたまったのでyoutubeにアップしました。 http://www.youtube.com/watch?v=ykyxoXTXToo
2011年09月22日
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PICT2488 posted by (C)sagoshiPICT2486 posted by (C)sagoshiDSC01361 posted by (C)sagoshi 肉体的苦痛も生死をさまようようなものは、別として、精神的な苦痛は日常的にどのような場所でも起こる。それを我々は、ストレスという単語で表現する。諸説はあるが、ある程度のストレスは、人間の能力を高めるために必要だといわれている。ある程度とは、どの程度なのだろう。私はストレスをうけるとまず血圧があがってくる。
2011年09月17日
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cowboy2 posted by (C)sagoshicowboy3 posted by (C)sagoshicowboy posted by (C)sagoshi 鍋の底、丼の中をのぞき込んでいるばかしでは、パラグアイに来た価値がないと思います。日本人が入植する以前からスペイン人達は、ここの土地を開発してきました。主要幹線(国道)から見る地平線に至る土地は、全て開発されつくしています。この国が、農業酪農王国であることが理解できます。ヤシの木の生えたエキゾチックな牧場風景、それがパラグアイです。
2011年09月12日
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tyagayu posted by (C)sagoshi ご飯に新茶の葉をのせて、チューブのワサビを少々、塩ひとつまみ、味の素パラパラにお湯をかけていただきます。あっさりと流し込めます。体温37.2度あります。
2011年09月11日
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PICT2474 posted by (C)sagoshimemoA posted by (C)sagoshi 昨日から風邪気味でビールが旨くない。鼻水と喉の痛みがある。加えて、手の荒れもかんばしい状態ではない。知り合いのNさんにそのことを話したところ、マスク、ティッシュ、ルル、SS製薬のMEMOーAという皮膚薬をいただいた。本当に、海外での体調不良は、心細いものだと思う。外に出るのでシロップも買ってきてあげるとのこと。本当にありがとうございます。
2011年09月11日
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アルゼンチンへの橋 posted by (C)sagoshi 一見海のように見えるが真水の河なんです。手前に見えるプレファブ小屋は、税関です。パラグアイの南部の都市エンカルナシオンからアルゼンチンに渡るためボートを利用する客たち用の通関施設です。河の向こう岸には、神戸のような町が遠望できます。しかし、ここはパラグアイ側。とても、質素な風景が広がっています。
2011年09月10日
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こちらをクリックしてください。↓ http://www.youtube.com/watch?v=94tskk86nP4&feature=related
2011年09月09日
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スーパーで買い物をしていると香辛料のコーナーがある。おかしいことにマテ茶のコーナーらしい。えっ!!八角、コリアンダー、サフラン??いろんな香辛料があるじゃない。よくよく聞くとテレレに入れて飲むものらしい。あれーー?びっくり。まあ、香辛料は昔から漢方薬だもんな。納得。 anis posted by (C)sagoshikoriander posted by (C)sagoshi・コリアンダー http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC・八角 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%82%A6%E3%82%B7%E3%82%AD%E3%83%9F・魔法の香辛料 http://www.mahouspice.com/
2011年09月03日
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PICT2444 posted by (C)sagoshiminna terere posted by (C)sagoshimi terere posted by (C)sagoshi パラグアイと言えばテレレというお茶。きっとあなたがパラグアイに来て喫茶店を探し、コーヒーを注文してもメニューにないことが多々あると思います。というのも、ここは、コーヒーブレイクではなく、テレレブレイクの国であることを忘れてはなりません。立派なエリートサラリーマンが戦略会議中にテレレの回し飲みをしていても驚いてはなりません。パラグアイ人にとっては、お茶以上の意味があるのです。栄養補給、健康維持、連帯感の維持、この伝統的な飲み物は文化ですからビジネスにも必需品かもしれません。
2011年09月03日
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さごし syoujyo posted by (C)sagoshi ここをクリックすると動画になります。
2011年08月08日
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同じ職場のビクトールさんがアサードパーティ(パラグアイ風焼肉)に参加しないかということで参加しました。youtubeにアップしましたので、ご覧下さい。 画像をクリックするとジャンプします。アサードは、パラグアイでは週末に親交を深めるための社交の一種と考えていいでしょう。
2011年08月02日
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なんか違うお好み焼き【パラグアイ】これもアスンシオンのホテル内山田にて。久しぶりのお好み焼き、かなり期待していたのですが目玉焼きや天かすが乗っていたりしてちょっと変・・・?味もなんだか日本のとは違い、ソースの味がせずがっかりしてしまいました。まあ外国で日本食を食べると、こーいうことはよくあるんです。ちょっと、ちがうんです。
2011年08月01日
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日本では、簡単に手に入る日本酒ですが、海外ではたやすいことではありません。そこで白ワインを醤油とあわせて使いましょう。ワイン2に対し醤油1が基本です。後は、甘みとして砂糖、うまみとして味の素とかホンダシを使えばいいのです。所詮、日本酒は、米で作ったワインです。
2011年07月30日
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各自治体が地元の企業あるいは水会社と組んでいろんな水ビジネスの取組を始めました。大阪、北九州、横浜、川崎、名古屋、それから大きなレベルでは、東京都、福岡、滋賀、埼玉、広島と、こういうふうな自治体が地元の企業あるいは水企業と組んで海外水ビジネスに乗り出した。これは簡単に言いますと、やはり料金収入がこれから期待できない、それから地元の雇用の促進、そういうものを狙って今約二十の、政令都市を含めて現在動いてございます。 それから、なぜ、じゃ海外水ビジネスをやるのかということなんですけれども、実は底辺にありますのは、私が一番心配しておりますのは、日本の上下水道は今破綻寸前にあるということです。人間でいいますと、動脈硬化が進行して、いつ動脈瘤が破裂しても不思議ではない状態だということです。先ほど竹村参考人から、下水では四千七百か所道路が陥没していると、例えば水道では六千二百か所破裂しているんですね。もう本当にいつ破綻してもおかしくないというのが日本の上下水道でございます。このために、海外水ビジネスで、まず一つは料金収入、これの多角化、それから大事なことは人材の育成、それから地元雇用の促進、こういうものができるんじゃないかなと、こういうふうに思っております。 結論でございますけれども、水は国家の安全保障ということで、とにかく外貨の獲得は国益であるということで、国を挙げて水ビジネスに取り組んでいただきたいと。それから、勝てる戦略に国を挙げて、省庁を挙げていろいろ応援をしていただきたいと。結論は、水インフラの整備というのは国家繁栄の基礎でありまして、特に上下水道のインフラ、これをきちっとやっていただきたい。
2011年07月25日
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ところが、その日本の上下水道業界見ますと、平成九年がピークでございまして、現在はそれが約六〇%減でございます。現在、下水道の保有資産、先ほど竹村参考人からありましたけれども、下水道、昭和三十年代から投資してきた保有資産が約地下に八十兆円ございます。それから、浄水場は四十兆円。この百二十兆円がこれから更新しなければいけない。しかしながら、国にもお金がない、自治体にもお金がない。これをどうしたらいいかというのが今後の大きな課題です。 一方、民間の会社の方はこの二十年間、全く会社の数が減らなかったわけです。会社の数が減らないとなると、過当競争、談合とか、そういう問題が起きたわけでございます。これはきちっと国として方針を出さなければ、日本の上下水道業界、本当に大変なことになるということです。もうなっておりますけれども。 そういう意味では、これから、国内が駄目なら海外と、そういう話があるんですけれども、国内の決められた仕様書で動いていた日本の企業が竹やりを持って海外へ行っても負けるわけでございますので、この戦略をきちっと作らなければいけない、こう思います。
2011年07月25日
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日本が世界に誇る寿司文化は、多くの国で日本人よりも中国人を始めとする外国人が広げています。 なかなか海外に根付いて商売をすることが少ない日本人と、ドンドン国外に新たな生活を求めて飛び出していく中国人では、その勢いに大きな差があります。 その中国人が流行し始めた寿司を、世界中に展開・定着してくれているのではないかという考え方もできます。 日本の食文化の代表である寿司が、日本人の手ではないところで広がっていくことについて残念と思う人もいるかもしれません。 ですが、イタリア料理やフランス料理も、日本人やその他の外国人の手によってレストラン展開されているのが現代です。 そう考えると、お互い様のような感覚もしてきます。これは食文化普及のグローバル化なのでしょう。 今後は寿司を先頭にして、食材問題はあるとしても、日本全体で次に続く日本料理を世界に拡げていく絶好のチャンスであることには間違いありません。 飲食店を経営している皆さんは是非とも、海外での展開を今後視野に入れてみてください。日系人が多いブラジルや、 駐在員の多い国や都市などでは日本料理に関しては比較的始めやすいのではないでしょうか? 最初は日系人・日本人を顧客ターゲットにしながら損益分岐点を保ちつつ、現地人も取り込んでいくという流れができてくるのではないかと思います。 SUSHI(寿司)は既に世界的に広く認知され、好まれています。さて、それでは次に流行する我らが日本の食は何でしょうか? 皆さんならどんな日本料理を、海外のどこの国に持ち込みますか?
2011年07月25日
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○参考人(吉村和就君) 今、大野先生からありましたとおり、東南アジアで例えば水道事業を成功させるためには三つの条件がございます。まず第一は、漏水の防止、水を漏らさないという。次は、盗水の防止、水が全部盗まれるんですね。東南アジアでは必ず水が盗まれるんです。トウナンアジアというぐらいでですね、まあそれは冗談なんですけれども。それから三番目は、不払の防止でございます。 日本の水道事業体は、先ほど竹村参考人からありましたとおり、盗水と不払、これはないんですね。ところが、東南アジアで本当に必要なのはこの盗水と不払の対策をどうするかと。日本が出している技術者というのはみんなパイプとか設備のプロでございますけれども、水道事業の経営そのものにかかわる盗水の防止、それからもう一つは不払ですね、本当はここを教えなくちゃいけないんですね。 ただ、日本はこれから、今までいろんな技術者を教育してまいりまして、私も各国を回りますと、あの人にはお世話になった、ところであの人は今何をしていると聞かれたときに、せっかく日本で学んで、その人が今局長になっていてコンタクトを取りたいと思っても、ヒューマンネットワークが全くその場限りで消えてしまっているということですね。こういうのも日本の一つの弱点じゃないかなと、せっかく教えていながらその後のヒューマンネットワークが全部途切れているということですね。 それからあともう一つは、ニーズのとらえ方でございます。 あの地ではほとんど停電というのは毎日ございますけれども、日本の水道というのは停電を余り考えていないんですね。あっても短時間で復旧すると。それによりまして、水というのは容量があるので、処理をした時間にまた今度は濁水ができて、またそれを処理をするというふうな、やはり相手国のインフラの状況に合わせたきちっと指導をしていかなければいけないと。 それから、おいしい水を必要としているんじゃなくて、二十四時間絶え間なく送ってくれる連続した水が欲しいというところですね。そういうところが日本のいろんなODAとかそういうところに少し欠けているんじゃないかなと、こう思っております。
2011年07月23日
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げんさんのページhttp://www3.ocn.ne.jp/~gensan/tedukuri-souse.htm男の酒肴のページ http://www.ajiwai.com/作ろうと思えば、作れるんですよ。やるかやらないかだけみたいです。
2011年07月08日
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up01 posted by (C)sagoshi肉、肉、肉、おまけに小腸の内容物こみのモツ、胆汁と牧草の咀嚼物のはいったもの。3日ほど腸の掃除になりました。一期一会で十分、やはり日本人は、少量の肉をおいしいタレでいただくのが本筋かと思いました。日本の食文化の再確認に役立ちました。 パラグアイ人は、牛が友達。
2011年07月05日
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jyazu posted by (C)sagoshi 夕食の後にお友達の小田さんが、フュージョン聞きにいきませんかとさそってくれた。さっそく、スペイン文化会館まで15分の徒歩。小さい劇場。だけど熱気むんむん。テクニックはOKなんだけど、ウエーブとディープさが不足している。彼らが音楽を楽しむとき何をイメージして演奏しているのかを知りたかった。パラグアイの風土が彼らのフュージョンを作っていく。
2011年06月01日
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浜松市の水道技術世界へ 職員をパラグアイ派遣(5/19 07:41) 海外での水道ビジネスへの参画を目指している浜松市は20日から、JICA(国際協力機構)の「配水網管理技術強化プロジェクト」の一環で、上下水道部の職員をパラグアイに派遣する。国際的にも高水準にある同市の給水、マネジメント技術を紹介する。市は「海外展開に向けた第一歩。国際支援、海外ビジネスに向け、取り組みを重ねたい」(鈴木勲水道事業管理者)としている。 水道事業を所管する厚生労働省を通じて派遣要請を受けた。初回の派遣は7月18日まで、国内の民間事業者などと数人でチームを組み、首都アスンシオン市で配水管網の調査分析や水道事業の計画立案などを指導する。来年度まで1回2カ月間程度の派遣を計4回予定している。 国によると、海外での整備、運営・管理といったインフラ市場は2025年に約80兆円規模に成長する見通し。浜松市はこうした市場への参入を目指す市内企業の支援や情報収集のため、ことし2月に水道事業の国際展開を目指す自治体と企業の官民組織「海外水インフラPPP協議会」に加盟した。 市の水道事業の歴史は古く、きめ細かく徹底した管理で有収率(全体の給水量に対し、有効に使用された割合)は94・2%と全国政令市で2番目(2008年)の高水準。パラグアイでは漏水などで64%にとどまる。 派遣される市上下水道部の鶴田喜久副参事(58)=同市東区大瀬町=は「浜松が誇る高い技術を紹介してきたい。技術指導を通じて国際貢献になれば」と語った。
2011年05月21日
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jyunnbi posted by (C)sagoshiparaguay okonomiyaki posted by (C)sagoshi 豚肉は、スーパーで手に入るのですが、あばら骨のついたばら肉です。これを肉のコーナーで買うときにスライスしてくれるのです。1.5mmの厚さに指定したところ6mmで出てきました。これが最高の努力だって言うのです。そりゃそうですね、この国で日本のような透けて見えるような薄切りにお目にかかったことがありません。当然、帰って包丁でそぎ切りにして極力薄くします。モヤシは、moyashiという商品名で売られていました。日系の方がたによって作られていると思います。ソースは、日本から持参のお好みソースを今回は使いましたが、外国で手に入る材料でそれに近いものを作りたいと思ってます。一説によれば、ケチャップとマヨネーズを5:1で混ぜたら近いものになるらしいのですが、次回試します。24cmのフライパン、しかも、電熱調理器で作ったのですが、異国で食べるお好み焼きに感動しました。やはり、日本の料理は私にとって世界一でした。
2011年05月18日
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DSC00906 posted by (C)sagoshiDSC00907 posted by (C)sagoshi これは何?首狩用の鉈をどうしてホームセンターで売ってるんだろうって思ったんですが、よくよく聞いてみると、草刈用の鎌らしいのです。そういえばアマゾンの奥地でこんな鉈で切り開きながら進む藤岡探検隊をテレビで見たことあるって思い出しました。
2011年05月15日
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びっくりまっく posted by (C)sagoshiのこ posted by (C)sagoshi posted by (C)sagoshi この国は、まったくパン文化だと思う。パンは、安い。このハンバーガーは近くの屋台で買ったもの。100円程度。これ1個でお腹一杯になりました。と同時にまた漏水。現場に直行。古いとどうしようもなく壊れます。とほほ。
2011年05月12日
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DSC00802 posted by (C)sagoshiDSC00791 posted by (C)sagoshiDSC00796 posted by (C)sagoshi こんな、うどんが5$だなんて、夢をみているのか?日本だと高くて100円程度の真空パックのうどん。お味は、そんなもの。だけど、他にないんだ。だから、高いんだ。しかし、こういう海外で食べると貴重なんだろうなって思う。 日本では誰も見向きもしない韓国のうどんだけど南米では猛威を振るっている。さあ、ラーメンを打とう。
2011年05月10日
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DSC00732 posted by (C)sagoshipapy03 posted by (C)sagoshipapy01 posted by (C)sagoshi 水の中に飛び込んで漏水と格闘する配管工。その前の歩道で犬と遊ぶ子供。どこの国にいても子供は可愛いし、癒し系。だから、現場のおじさんも頑張れる。
2011年05月07日
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DSC00777 posted by (C)sagoshiDSC00778 posted by (C)sagoshiDSC00781 posted by (C)sagoshiDSC00782 posted by (C)sagoshi お仲間との昼食会、おいしさを通り越して、私のおなかに苦しさがこみ上げてくる。牛肉スペアリブの煮込みとマンジョーカ(タピオカ)というお芋のふかしたものです。 お味は、甘く煮たマグロの缶詰が牛肉にかわったようなもの。これで、こちらの人達は、うまいという。なんと日本人は、うまいものを食べてグルメになっていることか。再確認。こうした粗食をおいしいと感じなくては、開拓民には、なれないのだと感じた食事です。しかし、この国は、肥満している人が多い。彼らは、ペロッと食べてしまいます。私は、ハーフサイズでOKと思いました。
2011年05月05日
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DSC00707 posted by (C)sagoshiDSCF2254 posted by (C)sagoshi ここアスンシオン市の内山田ホテルでは、毎朝、こんな料理がいただけます。評価は、南米一番だとか。たしかに、飽きません。
2011年05月01日
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PICT2028 posted by (C)sagoshiPICT2030 posted by (C)sagoshiPICT2032 posted by (C)sagoshiPICT2029 posted by (C)sagoshi PICT2031 posted by (C)sagoshi学生相手の喫茶店。気さくなおばちゃんたち、丁寧にこちらのオーダーを聞いてくれます。よくわからないのでお任せといったらトッピング全部のせで作ってくれました。パンはサービス。これは、ここの国の文化であるようで、食べてくれるのならパンはつけますといった具合。値段に入らない。アスンシオンは、グリーンシティどこに行っても緑があります。
2011年04月30日
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PICT1835 posted by (C)sagoshi パラグアイの女の子は、すごくシャイなのです。写真を撮ろうとすると恥ずかしい~ おじさんに、大丈夫といって、ようやくOK. 肌が浅黒くて夏のお嬢さん、アバターという感じですね。PICT1793 posted by (C)sagoshiPICT1800 posted by (C)sagoshi 陽気なスーパー・エスパーニャの店員たち。ソーセージの価格を説明しましょう。4000グアラニというのが1US$なのです。黄色の値札は、1kgあたりの値段。日本円にすると390円/kgという具合です。お肉は安いです。
2011年04月28日
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fu01 posted by (C)sagoshif02 posted by (C)sagoshif03 posted by (C)sagoshif04 posted by (C)sagoshif07 posted by (C)sagoshif08 posted by (C)sagoshif09 posted by (C)sagoshi
2011年04月25日
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PICT1961 posted by (C)sagoshiPICT1958 posted by (C)sagoshiPICT1957 posted by (C)sagoshi パラグアイのアスンシオン市にいます。今日は、あいにくの雨でしたが、バスに乗って近くのメルカド4(4番マーケット)というところに行ってきました。16000グアラニ(4$)のラーメンをいただきました。物価はというと 79番の白飯が4000グアラニ(1$)ですから結構、東南アジアよりは高いと思います。日本でもご飯は、150円ほどでいただけます。ここのお店は、台湾人の経営。パラグアイと台湾は、国交があるそうです。お味のほうは、洗練されているとは言えません。麺は、腰のない冷麦のようなもので、スープもあっさりと味付けは薄めです。やはり、5$の焼き飯あたりがよいかもしれません。それにしても価格って日本並みですね。いつか暴動がおきないように祈るしかありません。
2011年04月24日
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syoujyohei posted by (C)sagoshi キャパの写真、少女兵の憂鬱をとらえた瞬間。キャパは、戦闘を撮るとともに、その日常も撮影しています。 勇敢に戦う女性兵士が一人の少女にもどった瞬間。これは、きな臭い戦場を撮影するキャパが同時に普通のカメラマンに戻った瞬間だと思います。修羅場と日常を自分の感情の変化をとらえて表現しているのかもしれません。
2010年09月15日
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nukcham posted by (C)sagoshi このタレは、カンボジア、ベトナム、ラオス、タイあたりでは、最もポピュラーな調味料に違いないと思う。ヌクマムというのは、魚醤のことです。ご飯にも、パンにも、サラダにも使います。私は、ニンニクがあまり好きではないので隠し味程度にしか使いたくありません。インドシナ半島の国々にある屋台のテーブルには必ずこれがガラス瓶に入れられてのっていると思います。
2010年09月05日
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良いことも悪いことも群青色の空、海、そして青い山脈のもとでおこなわれている。自然は、いつもどおり、だけど人の営みは大自然の営みとは異なっている。カンボジアの青い空、緑の大地、メコンの赤い河、そこで内戦が行われていた。戦いはいつも局地的で関係ない人々は、いつもどうり、何も変わらなかった、ただ、腹が減っていただけ。
2010年07月15日
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カンボジアでは、違反も何もしていないのに日本人が交通取り締まりの警察官に捕まることが多い。給料が安いので小遣い稼ぎをしているのだ。日本は、カンボジアに対しては一番の支援国である。その支援金にしてもトップである。しかし、日本人は交通違反もしていないのに捕まって罰金を要求されるのである。私は2年間の滞在中14,5回捕まった。しかし、罰金は払っていない。どうやって逃れたのか?会話である。カンボジアの警察官は、挨拶程度の英語しかできない。捕まったとき、私はカンボジア語でこう答える。「私は何も悪いことはしていない。あなたも知っているだろう。よく考えてみなさい。私は、今、日本大使館に向かうところだ。急いでいる。遅れると、この国の支援計画の決定が遅れる。見なさい、この信号機は誰が支援して作った?それからこのアスファルト舗装、誰が作ったというのか。とにかく、私を行かせてくれ、お願いする。」というと、警察官は、敬礼して「タウタウ」(行け行け)といってリリースしてくれるのである。まだ公務員は教育レベルが高いので日本が支援してくれたと知っている。これが田舎に行くと、この橋は誰が作ったのかと聞くと日本製なのに中国だという答えが多く返ってくる。とほほ。こんなことに日本の税金が使われているのです。
2010年06月27日
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