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1980年から1988年までの間、中東ではイラン・イラク戦争が勃発しました。そして、イランには商社の従業員や技術者・またはその家族など、500人余りの日本人が滞在していたのです。
1985年に戦争は激化し、イラクからの砲弾が後を耐えなくなります。イラクにいる日本人も身の危険を察知し、イラクから出国しようとした最中でした。
イラクのサダム・フセイン大統領はイランに対して告げるのです
「今から48時間後にイラン上空の飛行機を空爆する! 民間機であろうがなかろうが、そんなのは関係ないからな!」 というのです。
つまり、48時間以内にイランから出国しないと、日本に帰れないことを意味していました。
各国はイランに飛行機を向かわせ国民を救済していました。
しかし、日本政府は対応に遅れ、安全面の理由から(日本航空JALの組合が反対したため)イランに飛行機を向かわすことができませんでした。
さらに、イラクから出国する民間機も、EUの人たちを優先させたため、イラクから離れることができませんでした。
日本人はパニックに陥ります。
そんな中、命をかけて日本人を救ってくれたのがトルコです。トルコの飛行機をイランのテヘランに向かわせ、間一髪のところで脱出に成功したのです。
トルコが命がけで日本人を救ったのは何故でしょうか?
イランの日本大使館は、トルコの大使館にあるお願いをしたそうです。「トルコの国民を第一に考えているのはわかっている。それでも、日本人を救済するために飛行機を手配してもらえないだろうか?」
すると、トルコの大使館はこのような返事があったと言われてます。
「エルトゥールル号が遭難した際、日本人は利害関係を抜きにして溺れている人たちを救助し、親身になって介抱してくれた。今こそ、そのお返しをする時が来た」と言ったそうです。
1890年、トルコからやってきたエルトゥールル号は航海の途中で日本に立ち寄りました。しかし、日本を出国の際、船の老朽化を心配した日本人は台風が過ぎ去ってから出発したほうがよいのではないか?と提案します。
しかし、エルトゥールル号は強引に出発したため、強風にあおられ座礁してしまいました。(587名が死亡・69名が救出)
この事故を知った明治天皇は69人に対して援助するように命じたのです。また、この事故をニュースで伝えると、日本中から義援金・弔慰金が寄せられたのです。
この事実を知ったトルコは感激し、日本とトルコの友好関係がスタートするのです。そして、ロシアに領土を奪われていたトルコは日露戦争で日本が勝利すると、自国のことのように喜んだそうです。
1999年、トルコは大地震に見舞われ、15000人が命を落としました。
すると、イラン・イラク戦争でお世話になった人たちや、日本人としてトルコに感謝をした方などが、各方面に対して義援金を募ったそうです。
また、日本人駐在員だった人達が協力して復興支援に尽くしたそうです。
困った時はお互い様♪情けは人のためではなく自身のためでもあります。
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