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ACT・6
放課後を告げるチャイムが鳴った。
ざわざわと生徒たちが動きだす。
────そうじ当番が机を動かす音、部活の準備に走る一年生、下校途中に立ち寄る店の相談をする女生徒の声───
それは日常の、ごく当たり前の光景に見えた。しかし、どことなくいつもの雰囲気と違う、沈んだ空気のようなものが感じられる。 毎日が常にお祭りででもあるかのような、あの、学生たちのもつ一種独特なエネルギ-をはらんだ騒がしさが、今は感じられないのだ。
あの事件によるショックは、生徒たちの間に深いダメ-ジを残していったらしい。
あの大騒ぎから、五日が過ぎようとしていた────。
全校一斉の大掃除により、教室や廊下に散乱したガラスの破片やガレキなどはきれいに片づいている。
しかし、その他の補修作業などはまだ終わっておらず、窓のひび割れにはガムテ-プをはりつけただけの応急処置しかしてなかったり、FOSの戦車砲を受けた南校舎などは、壁が無残に崩れており、音楽室などの特別教室が現在使用不能になっている。
夕日に染まる、姿を変えた校舎を見上げて生徒たちはため息をつく。
学校全体が、まるで放心状態になってしまったかのようだった。
そんな落ち込みム-ドが漂うなか、相変わらずにぎやかで、活気と殺気に満ちた場所があった。
“部員以外、立入禁止”
太い油性のマジックペンで、なぐり書きされた画用紙がドアの前に貼りつけてある。
新聞部の部室であった。
この部屋だけはいつもと変わらない様子である。
たてつけの悪いドアの内側からは、怒鳴り声や悲鳴、はては泣き声などが聞こえてくる。
例のごとく修羅場の真っ最中らしく、部員たちは目を血走らせてあたふたと仕事に取り組んでいる。
「ちょっとそこの原稿用紙取ってくれ」
「字が判らん!辞書はどこへ埋まっちまったんだあ」
「誰えっ、ワ-プロのスイッチ切ったのは?まだ文書デ-タを保存してなかったのにい!キ-ッ!」
「見出しに使う写真の現像まだだっけ?一年生、確認しといでっ」
上級生に怒鳴られて、どたどたと一年生が部室の外へ猛ダッシュして飛び出していく。
うわさによると、新聞部の一年生たちは入部したてはどんなに足がのろくても、このような使われ方が日常茶飯事であるため、並のスポ-ツ選手よりも走り込みを重ねることになるらしく、やがて陸上部なみのアスリ-トに成長するという話である。
極度の緊張感とせっぱつまった状況の中で生活するため、どんどん感覚が鋭くなっていくらしいのである。
「一分一秒が勝負、時は金なり」
部室の壁に、額入りで飾ってあるこの言葉を口癖にして、新聞部員たちは地獄の締切りを乗り切ろうとしている。
なにしろ、少しでも手を抜こうとしようものなら───
びゅっ!
「口動かしても、手は休めない」
部長専用の机に陣取って、目まぐるしいスピ-ドで右手のペンを動かしながら、左手一本で愛用の木刀”修羅王”を一振りしたのは弥生であった。
そのものすごい音で、一瞬部員たちの背筋がびくんと伸び、次の瞬間にはまた気を取り直して仕事にとりかかる。
半ばヤケになっているその様子は、見ていて涙ぐましい姿でさえある。
「もうイヤ、こんな生活」と、すべての部員が思うのだが、誰もはっきりと退部を言い出さないのは、弥生の恐ろしさの他にもう一つ理由があった。
半べそをかきながらペンを走らせる部員の顔の横に、ふわっ、とコ-ヒ-のいい香りが漂う。
「はい、どうぞ。みんな、もう少しだからがんばってね」
にこっ。
ふと顔を上げると、そう言って優しい笑顔で励ましてくれる天使のような上級生がいた。
この修羅場のただ中にあって、唯一心を和らげてくれる人物、
“霧原由紀”
彼女は、彼ら新聞部員にとって唯一地獄に仏ともいえる存在であった。
弥生の恐ろしさは仕事のペ-スを向上させるものがあるが、由紀の入れるスペシャルコ-ヒ-と、
「がんばってね」にこっ。
の霧原スマイルもまたやる気を起こさせ、半分狂いそうな精神状態を元へ戻してくれるのであった。
弥生の恐怖と由紀のあたたかさ、そしてその後にやってくる仕事をやり終えた充実感───
この味を覚えてしまった部員たちは、あれほど苦しくつらい締切り前の修羅場にあっても、なかなか退部しようという気持ちにはなれないのであった。
がんばってね、がんばってねと由紀が部員の間を回っていく。
「はい、どうぞ」
「いや-、相変わらずこのコ-ヒ-の味は格別でござるな」
「本当ホント、この緊張感の中でほっと一息つけるって感じがたまんないよね」
「ちょっと待て」
窓から差し込む柔らかな日を浴び、のほほんとコ-ヒ-を味わっている陽平と明郎の間に木刀を割り込ませて、二人の背後に弥生が立った。
「何であんたらまでコ-ヒ-飲んでるのよ?」
噴火直前の火山が、低く地鳴りを響かせているのが背後に見えるような迫力で、二人を上からにらみつける。
「ドアの貼り紙、見えなかった?」
ささやくような口調とは裏腹に、弥生は猛烈に怒っていることが感じられる。
陽平と明郎はコ-ヒ-カップを握りしめた手を硬直させ、互いに顔を見合わせた。
「ドアのところ・・・で、ござるか・・・」
「いけないな──最近目の疲れがはげしくてね、寝不足がたたってるんだと思うけど、そろそろメガネも換えた方がいいかもなあ」
ぐ-っとコ-ヒ-を飲み干して、わざとらしく明郎が首を振りながらため息をつく。
そのとたん。
ぴきっ!
と、短い音がして、明郎は思わず身をすくめた。
見ると、手にしたカップが柄の部分しか残っていない。
「ひええ~っ!」
目を見開いた明郎の鼻先に、修羅王の切っ先に乗せられた、柄のないカップが突き出された。
一瞬の早業で、弥生の木刀がコ-ヒ-カップを切り落とし、地に落ちる寸前に再び木刀で受け止めたのであるが、明郎には今の動きがまるで見えなかった。
「トボけたこと言ってると、こうなるよ?」
それを聞いて、明郎は祈りを捧げるように手を組んでイヤイヤと顔を振る。
その様子を見た新聞部員たちの動きが止まり、次の瞬間には青ざめた顔で仕事を再開した。
何気ない日常の中で、凄まじい技をさりげなくやってのける女部長の姿を脳裏に焼き付け、今改めて「この女には逆らうまい」と彼らは心に誓うのであった。
「──ったく、今回の事件についての特集新聞を出すってんで、見てのとおりムチャクチャ忙しいんだからね。ジャマになるからとっとと出てけ!」
木刀をびっと突き出し、腰に片手を当てて弥生が牙をむいてみせる。
「まあまあ弥生どの、落ち着いてほしいでござるな。オレたちは無意味にこの部屋にたむろしている訳ではないでござる、ちゃんと理由があってのことでござるぞ」
目の前に突きつけられた木刀を横へのけながら、陽平が表情を引き締める。
「理由って何よ?」
「新聞部の女の子には、可愛い子が多い」
「理由になるかっ!」
真剣な表情できっぱり言った陽平の脳天に、弥生の木刀がまともにめり込んだ。鮮やかな面打ちであった。
が、
「むむっ?」
弥生は目をむいた。
ブロックをも砕く一撃を食らい、陽平はひっくり返ったカエルのように床にのびたはずだった。
しかし、床にあるのは陽平の上着だけである。
それを拾い上げて弥生はつぶやいた。
「変わり身の術か・・・陽平、腕をあげたわね──」
ちらりと視線を上へ向ける。
そこには、天井にへばりついている陽平の姿があった。
「危ないでござるな、弥生どの!今、本気だったでござろう!」
逆さまになりながら、陽平が不満の声をあげる。
つかむところなど何もないはずの天井に、どうやってはりついているのだろうか。
「うるさい!殴られるのがイヤならとっとと去れ!──あああ、こんなことしてる間にも貴重な時間がああ──」
「そうだ、貴重な時間が流れていく」
窓際にもたれて、じっと校庭をながめていた一郎が口を開いたのはその時だった。
はっとして弥生、陽平、明郎が振り向く。
「何だかんだいっても、ここが一番学園内じゃ情報が集まるところだからな、弥生、お前が何を言ってもオレはいさせてもらうぞ」
あくまで視線は窓の外を向いたまま、一郎はつぶやいた。
兵藤とやりあった際のケガはまだ残っている。
目じりや唇のはしにはバンソ-コ-、左腕は包帯で釣ってある状態だ。
それでも化物じみた回復力を持つ一郎だからこそ、たった五日間でここまで動けるようになったと言える。
常人ならば絶対安静の状態であったろう。未だにベッドの上で、うんうんうなっているのが普通なのだ。
しかし、一郎にとってはケガの痛みよりも、無駄に一日が過ぎていく事の方がつらいらしい。
もちろん、それは弥生、陽平、明郎らにとっても同じことであった。
────和美の行方が判らない。
あれだけ派手な誘拐であったにもかかわらず、どこへ連れ去られたのか、まるで判らなくなっているのだ。
とりあえず、事件の翌日には警察がやってきて現場検証を行っていった。
しかし、人数的にいえば大がかりな検証だったが、内容的にはあまり緻密な捜査とはいえず、学生たちの目から見ても形だけのものと判るものであった。
校庭に残されていたバイクや戦車のスクラップなども、手掛かりになる品であるとしてトラックで運んでいったが、その後捜査が進展している様子はまるでない。
やる気があるのかないのか、あまり頼りにならない状況である。
ただ、どうして警察の動きが鈍いのかという理由については、一郎たちにも心当たりがある。
────恐らく、FOSが警察に対して何らかの圧力をかけたのではないか?
これまでの経過を総合して考えれば、決してまともな連中ではないし、その上並の規模の組織でないことも、日の目を見るよりも明らかなことだ。
武装ヘリや戦車などという軍事設備を保有する集団である。話は国レベルにまで発展するのではないだろうか。そんな連中であれば、警察の動きを抑えることぐらい充分有り得る話だろう。
ただ、真相は全く逆の話かもしれない。
というのは、
警察を抑えたのは他ならぬ斎木学園側であるかもしれない、ということである。
“学園内では学生たちが主役である”
“学生たちの自主性を第一に”
というのが理事長のモット-であるらしく、そのため教師たちも、生徒に対して口うるさく指導するようなことはこの学校では見かけない。
何かしらの問題が発生しても、生徒だけの力で何とか解決していくのがこの学校の校風である。事実、そのやり方で今まで不都合が生じたりしたことはなかった。
今回も、自分たちだけでこの苦難を乗り越えてみなさいとかなんとかいう理由で、理事長あたりが警察に働きかけた可能性も考えられる。
たかが私立高校の理事長あたりに何ができると侮るなかれ、そこはそれ、なんといっても斎木学園である。
理事長もまた、ただ者ではないらしい。
とはいえ、別に手助けをしてくれる訳ではないので、頼りにならないことには変わりない。
────誰もあてにできない。
自分たちの力でやるしかないのだ。
ぎりりっ。
我知らず、一郎が歯がみする。
「あわててもダメだぞ、一郎」
明郎が声をかける。
「ああ」と一郎、親指の爪を噛みながらつぶやく。
「判ってる、しかしな、省吾だってあれだけのケガをしていながら出かけてったんだぞ。とてもおとなしくしてられねえよ」
────沖田省吾。『笑い猫』と呼ばれるテレポ-ト能力者は、兵藤に目をえぐられ失明してしまい、一郎以上の重傷を負ったにもかかわらず、少し目を離したスキにベッドからいなくなってしまったのだった。
きちんと布団がたたまれたベッドの上には、一枚の書き置きだけが残されていた。
“和美さんのボディガ-ドを引き受けておきながら、なす術もなくさらわれてしまったことに対して、プロとして申し訳の言葉もありません。
一刻も早く和美さんの所在をつかもうと思います、朗報を待っていて下さい。 ────省吾 ”
簡単な文章だったが、これを読んだ一郎は穴があったら入りたい心境だった。
一郎自身も和美と約束したのだから。
「何があっても、守ってやる」と、
そう言い切った次の日には、その約束を破ってしまったのだ。
男として最低だと、自分の不甲斐なさに一郎は思い悩んでいた。 その上、突然現れた父親から、和美が実は妹であるなどという突拍子もないことを打ち明けられて、すっかり混乱状態になってしまった。
事件の翌日、一郎は改めて父と話した。
「オレに妹がいることなんざ、今まで知らなかったぞ。どういう事だ」
つめよる一郎に対して、父相沢乱十郎はこう答えた。
「知らなかった訳じゃない。洗脳して、和美と母さんの記憶を忘れさせたんだ」
そう言って、乱十郎は煙草に火をつけた。
「何のために?」
言いながら一郎は、そういえば自分がガキの頃の思い出があやふやな事に気づく。
細かいことをまるで気にしない性格のため、今まで悩んだこともなかったが、物心ついたときには父ひとり息子ひとりの生活を送り、それが当たり前のことだと感じ、母親がいないことについて疑問に思ったり、それを口に出して父にたずねた事もただの一度もないのであった。
よくよく考えれば、それがいかに異常なことであるかが判る。
乱十郎は幼い一郎に対して精神操作を施し、母と妹の存在を記憶から消したばかりか、二人の事を考えにのぼらせることすら封じたのであった。
何故そこまでする必要があったのか。
「何でそんなことしたんだよ?」
もう一度、一郎は父にたずねた。
「それは、お前たちを守るためだ」
煙草の煙を吐き出しながら、先日口にした事と全く同じセリフを乱十郎はつぶやく。
「あの時、オレとお前らの母さん・・・アンナと話し合って決めたことだったんだ──」
そう言って、乱十郎は少し目を細めた。
「お前らのおふくろは、とびきりいい女だったぞ」
「昨日も言ったけどなあ、親父、てめえの説明じゃ全然話が見えねェんだよ。もっと判るように言ってくれ」
一郎が不満気にぼやく。
「アホ、細かく話したらせっかく記憶を封じたことが無駄になるじゃねえか。お前らが覚えてないってとこにポイントがあるんだよ」 結局、いくら問い詰めても肝心な部分は乱十郎から聞き出すことはできなかった。
そんな態度は一郎にとって、ないがしろにされているようで気分のいいものではない。
ただ、乱十郎は別れ際にこう言い残していった。
「あの時、お前らの記憶を封じてオレとアンナが別れたのは最善の策だったと思ってる。お前と和美が、たとえ今までつらいさびしい人生を送ってきたとしても、それでも人間として暮らしてこれたはずだからな──」
少し、乱十郎は優しい目をしたようだった。
「できれば、もう少し人並みの人生を歩ませてやりたかったが───それも終わりだ、敵はもうオレたち家族を見逃しちゃくれない。しかも、オレとアンナだけではかばいきれないところまで来てるんだ。アンナが和美をお前に合流させたのがその証拠だ──」
乱十郎はそう言った。
「アンナがどんな方法で和美を守ってきたのか、実はオレも知らない。ただ、その身に何かがあったことだけは間違いない」
「死んだのか!」
顔も覚えていない母を想い、一郎は叫んでいた。
乱十郎は首を振った。
「それは判らん。連絡が取れなくなったのは確かだがな」
ざわわっ。
一郎の髪が逆立っていた。怒りのためだ。
「いずれにせよ、一郎、お前はこれから気持ちを入れ換えなきゃならん。この先ずっとお前は追われる身になるんだからな。今回みたいな騒ぎは日常茶飯事という暮らしが待っているぞ、そして──二度と負けることは許されない」
一郎の顔に、まっすぐ伸ばした人指し指を突きつける。
「なぜなら、お前には守るべきものができたからだ」
びくっ。
その言葉に一郎は身をこわばらせた。
「お前を頼る奴ができたからには、お前の命はお前だけのものではなくなったんだぞ。お前が負けた時は、そいつの身に災いがふりかかる」
乱十郎、一郎の胸ぐらを掴んで引き寄せる。
「お前は覚悟ができるか?」
「覚悟?」
「そうだ、”二度と負けない覚悟”だ」
ぎりりっ。
一郎は歯がみして、火を吹くような目つきで乱十郎の顔をにらみ返した。
「あたり前じゃねえか・・・くそ親父・・・」
感情が昂った一郎の声は、かすれ声になっていた。
父親の胸ぐらを掴み返す。
「オレは約束したんだ、守ってやるってな!何がなんでも約束は果たす!」
きっぱりと一郎は言い切った。
喰いつきそうな一郎の形相を見て、乱十郎は何とも言えない複雑な笑みを口元に浮かべた。
「そうか」
一言つぶやくと、乱十郎は一郎から身を離した。
「言ったな」
ポケットから新しい煙草を取り出し、口にくわえる。
火もつけずにブラブラさせ、しばらく無言で一郎の顔を見つめていたが、やがてそのまま何も言わずに、くるりと後ろを向いて歩きだした。
「それだけのタンカ切れりゃ上等だ。──和美のことはお前に任せる」
「親父──?」
すたすた離れていく背中に、一郎は声をかけた。
乱十郎も足を止める。
「いいか一郎、最後にひとつだけ教えておいてやる」
背中を向けたまま、ささやくように語りかけてくる。
「この相沢乱十郎はな、誰か守るべき人のために戦って、負けたことは一度もない」
ぐっ。
一郎は拳を握りしめた。
「てめえはそのオレ様の息子だぜ、口先だけで結果の伴わないようなカスにはなるんじゃねえぞ」
ぶっきらぼうに言い捨てて、父は二度と振り返ることなくいずこへか去っていった。
きりきりと唇を噛みしめて、一郎はその背中を見送った。
それから部屋へ戻ってみたら、省吾の姿も消えていたのである。
取り残されたような虚脱感を感じた。
「あれから四日が過ぎるか──この分じゃ、今日も収穫なしかもね──」
弥生も窓の外を眺めてつぶやく。
「一郎のお父さんからはあれから連絡ないの?ここから出てどこへ行ったのかしら。そもそも仕事は何やってる人なのよ?」
「親父の仕事はフリ-のカメラマンで、世界中を巡りながら難民の様子や、戦場の様子を追っかけてる──と、オレは聞かされてたんだがな、ここしばらくはロクに顔を合わせた事もなかった」
「しばらくって?」
「最後に会ったのは中学卒業の時だったかな。その前は中一の夏休み」
「実の親の顔をも忘れそうな生活環境でござるな」
それだけ肉親とかけ離れた生活をしているならば、洗脳などしなくても家族の事を忘れてしまったかもしれない。
しかし、今までの人生で、一郎の身を狙う組織が現れなかった所をみると、両親の策は成功していたと言えよう。
その分、乱十郎は一郎の知らない場所で、息子をかばうための戦いをしてきたのだと思われる。
そして息子と会う時には、その凄まじい人生をみじんも感じさせず、ただの放浪親父として振る舞ってきたのだ。
────親父は強い。
今、一郎は感じていた。
そして、強く思う。
“強くならねば”
親父よりも、誰よりも。
今でも一郎は常識離れしたパワ-を持つ超人である。肉体的に見れば『強い』といえよう。
しかし、今一郎が求めているのはそれとは違う意味での強さであった。
言葉ではうまく言い表せないもの。
だから、単純頭の一郎は一言で、
“今よりもっと強くなりたい”
と、念じるだけだった。
『強い』ということが、どんなことか判らない。
ただ判っているのは、今の自分には何か足りないものがある───ということである。
一郎は自分の手のひらをじっと見つめた。
強く、握りしめる。
────その時、
「あの~、相沢一郎さんいますか──?」
白衣を着た一年生が、おどおどしながら新聞部の部室をのぞき込んだ。
「玉置部長が、例のものができたので呼んでくるようにと」
「例のもの?何だい?」
首をかしげる明郎。
その後ろで窓の外を見ていた一郎が振り向いた。
「よし判った、すぐ行く」
「?」
弥生、陽平、明郎の三人は話が見えず、顔を見合わせた。
☆ ☆ ☆
「例のものって何だい?一郎」
早足ですたすた歩く一郎の横を、弥生、陽平、明郎の三人が小走りについていく。
「ああ、秘密でな、玉置の奴にこいつの分析を頼んでおいたんだ」
そう言いながら、ポケットから小さなカプセルをつまみ出した。 風邪薬のような小さなカプセル。
「そいつは!」
「そう、FOSのバイク軍団が使ってたクスリだ」
「でも証拠品として、グラウンドに落ちてたやつは全部回収されたはずよ」
「その辺にぬかりはねえさ、ちゃんとドサクサにまぎれてくすねておいたんだ」
「ドロボウはウソつきのなれの果てでござるぞ」
陽平がよく判らん事を口走る。
「うるせえ、このぐらいしなけりゃ手掛かりは何一つ見つからねえんだからしょうがねえだろうが──玉置ィ来たぞ」
ノックもせずに一郎、科学室の中に入っていく。
「おお、一郎君か、それにもろもろの面々も、ようこそ我が研究室ヘ」
そういって、ひょろりとした長身の男が一郎たちを出迎えた。
ボサボサの頭に度の強いメガネ、半年は洗っていないといわれるトレ-ドマ-クの白衣と、とぼけた口調。
人呼んで“学園マッドサイエンティスト”科学部部長の玉置克吉であった。
「例のものの分析が済んだそうだな、何が判った?」
がたがたと、一郎はそこらのイスを適当に引きずり出して座り込んだ。
「うむ、一郎君の持ってきたこのクスリだが、やはり薬物強化人間を作るためのものであることが確認できたよ」
小さなビニ-ルに密閉したカプセルを、指先でつまんで見せる。
「へえ、やっぱり」
と、明郎。
「どうりで、殴っても蹴ってもくたばらないはずでござるな」
陽平が、さもありなんとうなずく。
たとえプロとして特殊な訓練を受けてきた連中であったとしても、あのタフネスぶりは異常である。
よく戦争の際に、前線の兵士たちが麻薬を使用する話を聞くが、あれはせいぜい恐怖心を和らげたり、肉体的苦痛をマヒさせることで戦闘マシ-ンになろうとするだけである。
根本的な身体機能はアップしない。
しかし、FOSが使った薬は筋力もアップさせ、その人間の持つ運動能力を高める効果があるのだ。
「しかも即効性」
と玉置が付け加える。
つまり、飲み込んでから効果が現れるまで、ほんの数十秒間だそうだ。
「こんなものが実用化されてるなんてねえ──」
弥生、しげしげと玉置のつまんだカプセルを見つめる。
「言っとくが、弥生、この話はオフリミットだ、新聞のネタにすることは許さねえぞ」
弥生の表情を見て取った一郎が釘を刺す。
スク-プを見つけたと思った弥生は、うらめしそうに振り向く。
「えぇ~っ」
「“えぇ~っ”じゃねえ、何のためにお前らにも秘密にしておいたのか判らねえのかよ」
上目づかいでにらむ弥生に対し、歯をむいて一郎もにらみ返す。
「たしかに、こんなものがおおっぴらに宣伝されれば、欲しがる連中は後を絶たないだろうね。なんたって手軽にス-パ-マンになれるってんだから、よからぬ企みを持つ奴らなんかすぐに飛びつくだろうなあ」
と、明郎。
「ヘタすりゃ、こいつをめぐって別のトラブルが発生するかもしれねえんだ。間違っても口外したり、ましてや新聞になんぞ載っけるんじゃねえぞ」
一郎が念を押す。
「なあに大丈夫、こんなクスリ使ったらそいつが自滅するだけさ、ボクに言わせてもらえば欠陥品だからね、こんな物は」
ニヤニヤしながら、玉置がつぶやいた。
「と、いうと?副作用でもあるんでござるか」
「あるある、まずこういうクスリの問題点としてはポピュラ-な、依存性の高さが挙げられるね。つまり、常に使用していないと身体を維持できなくなるってこと。
次に、肉体を強化する反面、精神面については逆にボロボロに蝕むようだね。幻覚症状などのバッドトリップについては、かなり抑えてあるようだけれども、思考力が低下して正確な判断ができなくなるはずさ」
「ホントか?それにしては、奴らの行動はずいぶん統制がとれてたじゃねえか」
と、一郎が口をはさむ。
確かに、バイク軍団の動きは訓練されたプロのものであり、無駄が少なかった。
薬漬けで頭の鈍った連中に、あんな真似ができるのか?
ちっちっちっ、と玉置は人指し指を左右に振った。
「それは多分逆の発想だよ。思考力が低下したところへ、命令通りに動くロボットとして洗脳を施したんだろうね。これは簡単な作業だと思うよ。
つまり結論を言うと、このクスリは自分が超人になるためのものではなく、使い捨ての戦闘マシ-ンを生み出すために使われると言っていいと思うね」
下がってきた眼鏡を中指で上げながら、玉置は言い切った。
「タチの悪い麻薬の新種みたいなものかしら?」
弥生がたずねる。
先程の、好奇心に満ちた目とは違う光を両目に浮かべて、弥生は拳を握りしめた。
「冗談じゃないわ、こんなものが世の中に流れはじめたら──」
「まあ、現在の麻薬問題なんかよりひどい状況になっていくだろうな。薬物強化された中毒者が犯罪起こせば、警察も苦労することになるぞ」
「許せないわ、そんなこと!」
ダン!と手近の机を、興奮した弥生が叩く。
「そうなる前に新聞で大々的に取り上げ、社会問題としてアピ-ルし、大衆の注意を喚起してやる!」
めらめらと瞳の中に炎をゆらめかせ、弥生は声を張り上げた。
「だから、そうやって騒ぎ立てるのは逆効果なんだってば」
マスコミが取り上げれば、それはそれで宣伝になってしまう。明郎はこめかみを押さえた。
メディアを通じて与えられた情報は、無責任な大衆にとっては、それがどんなに深刻な社会問題であっても、自分自身に火の粉が振りかからない限り「対岸の火事」的な話にしか受け止められないのである。
それどころか、逆に好奇心によって「その問題」をつっつき回し、笑い話にするぐらいが関の山であろう。
「一番いいのは最初っから最後まで、バラさない事なんだよ」
新聞記者根性むき出しで、「絶対記事にする」と燃えている弥生を、明郎が必死でなだめにかかる。
「ところで──」
ぎゃあぎゃあ争っている二人を無視して、一郎は玉置に向き直った。
「玉置よ、さっき“ボクに言わせてもらえば欠陥品”って言ってたよな?」
「うん?」
またもずり下がってきた眼鏡を持ち上げつつ、玉置、
「確かに言ったよ。それがどうしたね?」
その言葉を聞いて、一郎はにっ、と歯を見せた。
「トボけるなよ、てめえがそういう言い方するってことは、すでに何かとっておきがある証拠じゃねえかよ」
「とっておき?何でござるか?」
陽平も聞く。
取っ組み合いになりつつあった、弥生と明郎も振り向いた。
見ると笑いをかみ殺した玉置は、鼻の穴をぴくぴくさせている。
「いや-その通り、バレてしまったか、うわっはっはっ!
実はボクほどの天才が、こんな薬の分析だけで五日も費すことなどありえないのだよ、諸君。あふれんばかりの知力によって、ボクはこの薬の改良に成功していたのだあっはっっはっ!」
得意満面で、玉置はふんぞり返ってしまった。
「改良──したの?」
「そうとも!ボクのような大天才にかかれば、こんな薬の欠点のひとつやふたつ、攻略するのはたやすいことだよ、うん」
そう言って、白衣の胸ポケットから小ビンをつまみ出した。中には、いくつかの錠剤が収まっている。
「これこそ正にパ-フェクト!どれほどすごいかというと──諸君、こちらのマウスを見てほしい」
そう言うと、部屋のすみに置いてあったマウスのカゴに歩み寄り、ビンの中の錠剤を少し砕いて、マウスに食べさせた。
一郎、弥生、陽平、明郎はじっと見つめる。
「このクスリのすごいところは、副作用を全く無くしたところにある。しかしそれでいてパワ-アップの度合いは元のものより上げてあるのだよ。ま、見ていてくれたまえ」
玉置がそういう間にも、マウスは小さく震えはじめた。
そして大きく二度ほどけいれんをし、ふいに静かになった。
「──あれ、どうしたの?」
「シ-ッ」
動きを止めたマウスが、今度は逆に激しく動きはじめた。
狭いカゴの中を縦横無尽に走りまわり、そのスピ-ドは目で追いきれないほどである。 その上、回し車に至っては、回転のあまりの激しさにジョイント部分が耐えきれず、ちぎれてしまった。
マウスは壊れて用をなさなくなったそれを、今度は猛烈にかじりはじめ、見る間にバラバラに分解してしまった。
フンッ!フンッ!
と、あふれてくるパワ-を持て余すように、荒い鼻息を繰り返して、マウスはカゴの中で暴れ回っている。
「うわ・・・すご・・・」
今にもカゴを破ってしまいそうな勢いに、弥生が丸く目をむく。
なにしろ、マウスが天井にジャンプすると、カゴ自体が十センチ程宙に浮くのである。
「どうかね?なかなかの効果だろう。あっはっはっはっ」
大いばりの玉置、ふんぞり返りすぎて後ろへひっくり返る。
「確かにこりゃ、大したもんでござるよ──」
「このわずかな間に、分析と改良とはねえ──」
床に転がってなお、不敵に笑いつづける科学部部長に対し、陽平と明郎は素直に感心していた。
「じゃ──本当に副作用はないんだな?」
どきりとするほど、真剣な声で一郎がつぶやいて、イスから立ち上がった。
思わずその場の全員が一郎を見る。
「うむ、見ての通りこのクスリだったらパ-フェクトだよ。こんな小さなネズミがこれだけパワ-アップするんだ、人間なら常識外れのス-パ-マンだね、きっと」
よいしょ、とホコリを払いながら玉置は立ち上がる。
「オレが使ったとしたら、どうだ?」
低い声でそうつぶやいた一郎を、しばらく無言で玉置は見つめ返した。
そして、少し肩をすくめる。
「おやおや、どうしたんだい一郎君。君はこの手のクスリには絶対反対じゃなかったのかい?」
「そうよそうよ」
と、弥生も相づちを打つ。
「さっき私に言ってたことと矛盾するような気がするんだけどね───それとも一郎、あんたまさかこのクスリを独り占めしたかった訳じゃないでしょうね」
さきほど強い口調でとがめられた弥生が、不満気に口をとがらせる。
「別に、クスリを独り占めしたいわけじゃねえよ」
一郎が言う。
「オレは・・・」
ふと視線を床に落とし、自分の手を見つめる。
「オレはどうしても強くなりたい、どんな手を使っても」
そう言って、強く拳を握りしめた。
「一郎・・・」
「何言ってるでござる、今でも充分強いではござらんか」
「いいや」
一郎は首を振った。
「うまく言えねえけど、今のオレじゃだめなんだ。その証拠に、和美を守りきることができなかった──」
もどかしい気持ちが、その一郎の言葉から伝わってくる。
部屋の空気が重くなりかけた時────。
「ふむ、そうかいそういう理由なら、ほら」
無造作に、玉置はクスリの入った小ビンを一郎に放った。
「そのクスリは全部君にあげよう、プレゼントだ」
受け取った一郎が拍子抜けするほど、あっさりと玉置は言った。
「なんて顔してるんだい?いや、ボクもこんなクスリを作ったはいいが、使うアテがなくて処分に困っていたところでね。君が妹のために身体を張るのだったら役に立つはずだ、好きなだけ使いたまえ。はっはっはっ」
「──いいのか?」
「遠慮することはない、君だったらおかしなことには使うまい。ささ、さっそく試してごらん」
妙に目を輝かせて、玉置はクスリを勧めた。
「よし」
一郎は意を決したようにつぶやくと、薬の一粒をつまみ出し、水も飲まずに一気に飲み込んだ。
部屋が、一瞬静まりかえった。
ごくりと、誰かがツバを飲み込む音がやけに響いた。
その時、
一郎の身体に反応が現れた。
「──くっ」
その全身が小刻みに震え始める。ひどい悪寒が、身体中を氷のように冷たくしてしまったようだ。
耐えきれず、がくんがくんと大きなけいれんへと変わっていく。
「い・・・一郎っ!ちょっと玉置、これで大丈夫なの?」
そのけいれんの物凄さに、思わず弥生が大声を出す。
それに対して玉置は冷静に「うん」と答えただけである。
「まあ、だまって見ていたまえ」
その言葉どおり、一郎のけいれんがふいに止まった。
完全に動きを止める。
「ちょっと、死んだんじゃ──」
「大丈夫。さっきのマウスを思い出してごらん、あれと同じだよ」
だが、一郎はまだ動かない。
「おいおい──」
「シャレにならんでござるぞ、玉置どの」
と、明郎、陽平もさすがに心配になる。
一郎の肩に手を触れようとした時、
びくん、と一郎は背を伸ばし、目を見開いた。そして───
「・・・お・・・」
「!」
あわてて明郎と陽平は手を引っ込めた。
「おおおおお・・・」
低い唸り声が一郎の口からもれてきた。それとともに、一郎の瞳にらんらんと輝く強い光が灯るのが見えた。
内側から、目に見えないエネルギ-がこんこんとあふれてくる様子が、はたから見ている者にもはっきりと判る。
ざわっ。
非常時にしか発動しない、一郎の『髪の毛逆立ち現象』が起こった。
彼の全身に力が完全にみなぎっている証拠だ。
ふうう、と深いため息をひとつついて、一郎の髪の毛が元に戻った。
しん、とまた部屋に静けさが戻る。
「一郎、大丈夫なの?」
のぞくようにして弥生が聞く。
一郎は、黙ったまま自分の右手を開いたり握ったりしていたが、ふいに視線を玉置に向けた。
「どうかね?調子は」
玉置が、腕組みをした姿勢のままたずねる。
にっ。
一郎が、たくましい歯をのぞかせて笑った。
そして無造作に、左手を釣っている包帯をむしり取る。
「こいつは、すごいぜ──」
左手に負っていたケガが治っている。痛みも消えた。
「玉置、てめえは・・・」
「何だい?言ってごらん」
鼻の穴をぴくぴくさせながら、玉置は一郎の次の言葉を待った。
「────天才だ」
全身に満ちていく『力』を感じつつ、一郎はつぶやいた。
「おお、その一言! 称賛の言葉! その言葉を聞くためにボクの人生はあるのだ。偉大なるボクの能力が発揮される度に、あらゆる人々は認めざるを得ない、この『玉置克吉』の素晴らしさを! ああ・・・一体ボクは人生の中で何度その言葉をこの身に受けるのだろう?
いや違うぞ。死してなお、後世にボクの名は伝えられるのだろう! そうとも、人類が生み出した珠玉の天才・玉置克吉の名は未来永劫に渡って語り継がれることになるのだ。あっはっはっはっはっ!」
「この凄まじい性格さえなければ、素直に玉置のことを認められるんだけどなあ──」
と、明郎がつぶやく。
「天才」とほめられるたびに、自己陶酔の世界に入り込み、演説(つまり巨大な独り言)を延々と続ける科学部部長のことは、この学園の生徒なら誰でも知っている。
それゆえ、普段だったら決してその言葉を使ってほめたりしないのだが、一郎もうっかりしてしまったらしい。
だが、思わずその言葉をつぶやいてしまう程の効果が、その薬にはあったといえる。
先程とは違う目つきで、一郎は自分の手のひらを見つめていた。
判る。
全身に、はちきれそうなエネルギ-があふれ出てくるのが。
兵藤との戦いで負ったケガも瞬時に直し、体力をも大幅にパワ-アップされている効果が。
「判るぜ──オレは『強く』なった。もう誰にも負けねえ」
満足気に、一郎はつぶやいた。
「そりゃそうでしょうよ、あんた、今まで充分化け物じみた体力の持ち主だったくせに、ド-ピングまでしてパワ-アップすれば、他に勝てる奴がいる訳ないでしょ」
腰に手を当てて、あきれ顔で弥生が言う。
「その通り、最近落ち込んでたみたいだけど、自信を取り戻したみたいだね、一郎」
と、明郎。
「これで安心でござるな」
うんうんとうなずきながら、陽平が一郎の肩をぽん、と叩く。
はっはっはっ、と明るく笑いあった。
この五日間、暗かった一郎の顔にも、元のふてぶてしい笑顔が戻っている。
いいム-ドだ。
こうなったこの四人組は、もう誰にも止められない勢いがつく。
「さあ、気を取り直して、もう一度和美ちゃんの足取りを探し始めるわよ」
「よし!」
がしっと四人は手を取り合った。改めて互いのチ-ムワ-クを確認しあう。
「やるぞっ」
「おおっ!」
全員の目に、炎が見えるようだ。
その時、
「あ、和美ちゃんの手がかりについては、ボクもある程度つかんでいるよ」
部屋のすみっこで、聞く者のいない一人芝居のような演説を続けていた玉置が、いとも簡単に言ってのけた。
「何ィッ!?」
四人、声をそろえる。
「なに、そう難しいことじゃなかったよ。全てはこのクスリから判ったことだけどね、分析した結果、ある製薬会社しか持っていないノウハウでなくては合成できない成分があったもんでね、すぐにピンときたんだよ」
「その会社ってのはどこだ、玉置!すぐに殴り込んで和美を連れ帰ってやる!」
一郎、顔色を変えて玉置に詰め寄る。
「落ち着きたまえ、一郎君。その会社に和美ちゃんが監禁されていると決まった訳ではない。そのノウハウを開発した会社だって、アメリカに拠点をおく企業のはずだから、和美ちゃんがそこにいるという結論までは現時点では導けないのだよ」
「それじゃ、何も判らねえのと同じじゃねえか──」
一郎は肩を落とした。
「製薬会社ねえ・・・ま、和美ちゃんを狙ってる組織の、ほんの一部でしょうけど、どんなつながりがあるのかしらね?」
拳を口にあてて、弥生は考え込んだ。
「やっぱり、和美ちゃんの超能力が狙いでござろう? 強力なエスパ-を集めて、何かをしようと企んでいるんでござるよ」
「何かって・・・何だろうな」
明郎も、う~むと考え込む。
よくよく考えたら、何の目的でFOSという組織が和美を必要としているのか。
この場にいる誰も、本当に理解している者はいない。
「ESP自体は、さほど珍しいものじゃないと思うけどね」
玉置がつぶやく。
一般人には奇妙な言葉に思えるかもしれないが、ここ斎木学園においては、今、玉置の言ったとおりである。
事実、今現在の在校生の中でも、スプ-ン曲げ程度ならば可能な連中は結構いるのだ。
ピンポン玉を手を触れずに転がしてみたり、マッチを見つめて念じるだけで、何のトリックもなしに発火させるものもいる。
しかし、それはかくし芸として見ている者を驚かすことはできても、何か他の目的に使えるものではない。
スプ-ンを曲げるのは手でできる。マッチは擦れば火が付く。ピンポン玉など、息を吹きかけただけで転がってしまう。
その程度の事ができてもESPに利用価値があるとは思えない。 例えば、軍事目的に利用したいと考えるならなおのことである。
「まあ、問題はその強さと質なのかもしれないね。和美ちゃんのように、飛んでるヘリさえ叩き落とす様な巨大なサイコキネシスの持ち主ならば、その能力はダイヤモンドよりも貴重だし、あれだけの力を自在にコントロ-ルできれば、ほとんど訓練の必要もなく実戦に投入できるからね。
即、使用可能な人間兵器・・・単純に想像すれば、ESPの利用方法なんてそんなところだけれども──」
「だけれども?何だよ?」
腕を組んで首をかしげた玉置に一郎がたずねる。
「いや、単に一人のエスパ-を兵器として利用するだけの目的で、ここまで大規模に手間をかける必要があるのかと思ってね」
「何か他の目的があるって、玉置は考えるのかい?」
と、明郎。
「いや、ま、とりあえずその辺を深く考えすぎてもしょうがない。まずは和美ちゃんの行方をつかみ、しかるのち奪い返す。これだけ実行すればいいんだしね」
下がってきた眼鏡をくいっと上げながら、玉置が言う。
「そうね、玉置、今の情報をもっと詳しく聞かせてくれない? あたしの情報網に流すからさ」
「OK、これだけの手がかりが手に入ったんだから、後は大分楽になってくると思うよ。しかし、ESPの話の続きになるけれど、ボクが考えるに一郎君も一種の超能力者だと思う。
一郎君、君は今まで健康診断なんかで異常が見つかったことはないかい?」
玉置の質問に、一郎は首を振った。
「ねえよ、生まれてこのかた健康そのものだ」
「ほら、健康診断に引っかからないってことが、もうおかしい」
「?」
一郎、弥生、陽平、明郎は、訳わからんという顔をする。
「判らないかね?一郎君が病気持ちかどうかなどということは、この際関係ないのだよ。つまりこういうことさ、“検査に引っかからないということは、一郎君は普通の人間である”」
「当たり前じゃねェか、そんな事」
一郎は口をとがらせた。
「当たり前じゃないではないかね?一郎君」
即座に玉置は反論した。
「君のように、人間の能力をはるかに超えた体力の持ち主が、“普通の”人間であるわけがなかろう。当然、筋肉の組織やら、骨の密度、内臓の働き他それら全て別のものであるはずさ。
ところが、君の身体は見た目は普通の人間なのだ。他の人間と変わらない。だから、今まで検査にも異常が出なかった。
では、一郎君の人間離れしたパワ-は、どうやって発揮されるのだろうか?
ボクはこう考える。
つまり、内側へ向かう念力じゃないのかな。和美ちゃんの様に念力そのものを振り回すのではなく、肉体を媒介にして発揮されるESPといえるんだと思う。だから一郎君、君の超人的パワ-は、精神的なものによって随分左右されるはずだよ」
そう言って、玉置は眼鏡をずり上げた。
確かに、そう言われてみればその通りかもしれない。
一郎のパワ-は、『怒り』など気持ちが爆発的に昂った時ほど強力になるのだ。
「それはつまり、君の強さは筋力などの肉体的な要素とはあまり関係がないということを意味している。
これは非常に重要なことだよ一郎君。よく覚えておきたまえ、君の力の源は──」
玉置は一郎に歩み寄って、拳で一郎の胸を叩いた。
「ここにある」
「───」
一郎は、無言で玉置を見つめた。
そんな一郎のポケットから、玉置はするりと薬のビンを抜き取った。
「従って、今の君にみなぎっているパワ-は、こいつによるド-ピング効果などではないよ、自信を取り戻して気分が高まった結果さ。本来、君にはこんなものは必要ないんだ。そして、これから先もね」
薬の小ビンを自分のポケットにしまいつつ、玉置はウインクをしてみせた。
「そこまで判っていたなら、なんで一郎にクスリを飲ませたんでこざる?」
ふと、陽平がたずねる。
「それはね、一郎君が自信を取り戻すためのきっかけをつかむためにだね──」
「本当にそれだけか?」
玉置の言葉尻をひったくる様にして、一郎が口を開いた。
疑惑に満ちた声の響きに、ほんの一瞬、玉置の身体が強張る。
「な、何のことだい?一郎君」
「トボけるんじゃねえよ玉置、オレはごまかせねえってのが判らねえのか? そういう言い方をする時のてめえは、絶対に何か隠してるんだよ」
歯をむき出して、一郎は玉置をにらみつけた。
「一郎はああ言ってるけどね、玉置、本当に何か隠しているのかい?」
「はっはっはっ、一体何のことだか・・・」
白々しい声音でとぼけながら、人指し指でこめかみを掻く。
「そのヘンな汗は何でござる?」
じっと一郎、陽平、明郎が玉置をにらみつけた。その横で、
「一郎、一郎」
弥生が片方の眉をつり上げた顔で、足元を指さす。
それを見て、玉置の笑顔がひきつる。
弥生の指さしたものを、一郎はじっと見つめた。
「──玉置ィ、てめえ確か副作用なしとかパ-フェクトとか言ってたよなあ?」
じろり、と玉置をにらみながら一郎は、カゴの中を指し示した。
中で、先程パワ-アップして暴れつづけていたはずのマウスが、アワを吹いて気絶している。
「ピクピクしてるぞ?」
低く一郎がつぶやくと、玉置は軽く咳払いをして首を振った。
「うむ、失敗のようだ」
「落ち着いて言うことかっ!──あ?」
玉置に飛びかかろうとした一郎だったが、そのままのポ-ズでへたり込む。
「一郎っ!」
「見なさい、いわんこっちゃないのよ!」
「早く医務室へ運ぶでござる!」
貧血と、手足がちぎれる程の全身筋肉痛を感じて、一郎は気が遠くなっていく。
「ふむ、やはり一気に筋肉を活性化させると、そのツケは払わねばならんということだね──ま、大丈夫、一郎君だったら死ぬようなことはあるまい。あ-よかった、自分で試さなくて」
などという玉置の無責任な発言も、もう一郎の耳には届かず、目の前には真っ黒な闇が落ちてきて、一郎の意識はブラックアウトしてしまった。
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