彩工房 彩花

彩工房 彩花

コピーさせて頂きました


 半年前に亡くなった母が、好んで口にしていた。萩原朔太郎の詩。

         旅上

ふらんすへ行きたしと思へども

ふらんすはあまりに遠し

せめては新しき背広をきて

きままなる旅にいでてみん。

汽車が山道をゆくとき

みづいろの窓によりかかりて

われひとりうれしきことをおもはむ

五月の朝のしののめ

うら若草のもえいづる心まかせに。


・・・去年の春休み、娘が大学の友人3人で、イタリア、フランスのパック旅行に行ってきた。そのお土産の中で、母が最も気に入ったのはルーブルの画集だったな。

 結局、「ふらんす」には行くことのなかった母の人生・・・上田敏か堀口大学訳のボードレールの詩もお気に入りだったっけ。

 そういえば、文学にはおよそ無縁と思われた息子が、4月には仏文科の4年生で「気ままなる旅」のような人生を送っているのも、おばあちゃんの影響なのかな。  



 70年代、吉田拓郎が唄ったこの唄の作詞は、岡本おさみ。その3番が大好きだったが、これは吉野弘から借りた一行からはじまる。全部書いとこうか。

   祭りのあと   岡本おさみ

祭りのあとのさびしさが いやでもやってくるのなら
祭りのあとのさびしさは たとえば女でまぎらわし
もう帰ろう もう帰ってしまおう
寝静まった 街を抜けて

人を恨むも 恥ずかしく 人を褒めるも 恥ずかしく
何のために 憎むのか 何の恨みで 憎むのか
もう眠ろう もう眠ってしまおう
臥待月の 出るまでは

日々を 慰安が 吹き抜けて 帰ってゆける 場所がない
日々を 慰安が 吹き荒れて 死んでしまうに 早過ぎる
もう笑おう もう笑ってしまおう
きのうの夢は 冗談だったんだって

 高度経済成長のみんな浮かれていた時代の気分のなか、「日々を慰安が吹き荒れて」いるがゆえにかえって、行き場を失った「魂」もあったんだな、きっと。



楽しむということ   谷川俊太郎
 うまい物を食うたのしさがある。好きな人と共にいる楽しさがある。ひとりでぼんやり時を過ごせるという楽しさがある。そして一篇の詩を読む楽しさがある。

(中略)

 理由のない悲しみもあるとすれば、理由のない楽しさもあるだろう、そのどちらがより深い感情かは断じがたいはずなのに、私たちはともすれば笑顔よりも、涙を尊ぶ。

(また中略)

 楽しむことのできぬ精神はひよわだ。楽しむことを許さない文化は未熟だ。詩や文学を楽しめぬところに、今の私たちの現実の生活の楽しみ方の底の浅さも表れていると思う。悲しみや苦しみにもしばしば自己憐憫が伴い、そこでは私たちは互いに他と甘えあえるが、楽しみはもっと孤独なものであろう。楽しさの責任は自分がとらねばならない、そこに楽しさの深淵というべきものもある。それをみつめることのできる成熟を私たちはいつの間にか失ったのだろうか、それとも未だもち得ていないのだろうか。

  ☆ ☆              谷川俊太郎 「楽しむということ」

 大学入試センター試験の初年度(90年度)追試問題ではじめて目にした文章。(国語の教師をやってると時々こういう文章との出会い方をする、問題を解くのも忘れて、二度、三度と読んだおぼえがある)。

 そうだよなあ。「楽しむ」ことの責任は自分がとる、か。

 人生を楽しむ見本のような人は、半年前に亡くなった母である。今あらためてこの文章を読むと、ちょうど今の自分くらいの年齢だったかな、一人で公園にスケッチに出かけたり、図書館に通ったりした母の「孤独」も、少しだけは、わかるような気もする。



花がきれいだから、心が洗われるのか、心がきれいだから花がいっそうきれいなのか。

「それにしても、心って奴は、なんて不思議な奴なんだろう」(梶井基次郎「檸檬」)。




不射の射   中島敦 「名人伝」



Here comes the Sun
あ...
お日さまが。
ホラ...
お日さま、すぐそこに。
もう だいじょうぶだよ。

(ボクは、ちいさなボクをよぶ)

ね、ずっと さむくて さみしい 冬だったけど
ね。もう 何年も 冬みたいだったけど
あ...
お日さまが。

ね、また みんな 笑いだしたでしょ?
ね。はじめから 笑ってたみたいに。
ホラ...
お日さま、そこに。
だから もう だいじょうぶ。

(ボクは、ちいさなボクにささやく)

ね、こおりが いそがずに とけるの きこえる?
ね。こんなに あかるいの ひさしぶりだね。
ホラ...
お日さまが。
だから もう だいじょうぶだよ。  



 原詩

Here comes the Sun,
Here comes the Sun.
and I say "It's all right"

Little daring, it's been a long cold lonely winter.
Little daring, it feels like years since it's been here.

Little daring, the smiles returning to their faces.
Little daring, it seems like years since it's been here.

Here comes the Sun,
Here comes the Sun.
and I say "It's all right"

Little daring, I feel that ice is slowly melting.
Little daring, it seems like years since it's been here.

Here comes the Sun,
Here comes the Sun.
and I say "It's all right" (Words & Music by George Hurrison)

雪解けが間近いせいか、こんな詩を思い出した。Beatlesとしては、そんなにすごいヒットというわけではない。でも、才気走ったジョン・レノンやポールの曲の合間に入っている、常識的なコード進行とメロディーに乗ったジョージ・ハリスンの曲は、なんだかほっとする。

一番好きなのは"While My Guitar Gently Weeps"(「ボクのギターがシクシク泣いているいるうちに」)という曲。E.クラプトンのスローハンドが泣かせる。

今度、訳してみようかな。



一万を 踏めずくちをし 花曇

はなかくもかに 射る矢 届けむ




ひしと踏み 人知れずして 潜めれば 人の涙の 干る(ひる)こともなし

(ちゃんとしっかり踏んだはずなのに、あの人にわかるように足跡もつかず、隠れてしまって・・・・私の涙は乾くこともありません)

福番を 踏まずともよし 踏むもよし 再び三たび 福をもて来む

(そんな縁起のいい番号をムリして踏んだって、踏まなくたっていいんですよ。私はあなたのところに、シアワセをせっせと運びますから・・・)


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