小人

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金言集



「私は如何なる意味ででも、あなた方が私に執着することを望まない。私はあなた方の敵ではない。私はあなた方が私ゆえに片輪のままで、盲目のままで、依存したままで、奴隷のままでいることを望まない。」



■禅は自分の今在る、そのこと以外の他に向かって求めると禅にならない---井上希道老師

● 愛してるよ-------ダンテス・ダイジ

● 存在は常に若い、が、言語はつねに古い。言語であなたは存在を避ける、生を避ける。---OSHO

●実り多いものだけが真実である。---ゲーテ

● そんな堅いこと言うなよ------ダンテス・ダイジ

●人生で大事でないものはない。----ジョン・ケージ/作曲家

●どんな場面でも、自分のリアクションや思考と感情の動きを観て「今」に在りましょう。少なくとも、自分にリアクションを起こさせた人や物事に対して関心を払うのと同じくらい、自分のリアクションにも関心を払うようにしたいものです。・・・・・・・すると自分の内面にあるパワフルな「なにか」を感じ始めるはずです。思考の奥にある、じっとして動かない存在です。---エックハルト・トール

●貴方の「自性に成る」努力はできない。なぜなら、「貴方は自性」だからだ。-----ニサルガダッタ・マハラジ

●自分を愛するとは自分の意識を広げるという事です。自分を大切にしたい人は、人を拒絶するのではなく受け入れていく事です。あなたが今嫌いな人を受け入れるたびにあなたの意識は拡大します。都合の悪い出来事を受け入れた時、あなたの意識が広がります。----津留晃一

● 人生に花が咲こうと咲くまいと
生きてるだけで花なんだ
生まれてきたことが花なんだ

----アントニオ猪木

●「こいつといっしょに、幸せになろう」とか、
 「こいつに幸せにしてもらおう」というよりも、
 「こいつとだったら不幸になっても後悔しない」

という相手とめぐりあえたら、最高なんじゃないかなぁ。
これは、一見ネガティブな考えに思えるかもしれないけど、
いちばん強い絆なんじゃないかなぁ。-----糸井重里

● 幾千もの問いがあるだろう。しかし答は一つしかなく、その答とは貴方の「意識」だ。それは答としてではなく、一つの体験として在る。突然、大いなる静寂が降り下る。全てが落ちつき静まる。そして言葉によらず、知識によらず、そこには了解がある。自分が我が家に帰り着き、もうどこへも行く所などないと悟るのだ。---OSHO

●「自己の依り処は自己のみなり。よく調えられし自己こそは真の依り処なり」(法句経)

●「自らに帰依せよ,法に帰依せよ,他に帰依することなかれ」(長阿含,遊行経)

●「仏道をならふというは自己をならふなり。自己をならふといふは自己を忘るるなり。自己を忘るるといふは万法に証せらるるなり。万法に証せらるるといふは自己の身心および佗己の身心をして脱落せしむるなり」(『正法眼蔵』現成公案)

●「禅の修行は現在を充実していくことである。今日を見失わぬ、此処を見失わぬ、今を見失わぬ、自己を見失わぬというように、全生活を一歩の浮き足なしに踏みしめて行くことである。 今、此処でたとえ息が切れても少しも悔いのない生活を見つめて行くことである。」---澤木興道老師

●「悟りを求めず、迷いを払わず、八万四千の雑念が起滅しても、起滅するに打ち任せて嫌わず追わず、鏡に影の映ると思い、一切を取り合わぬことが肝要である。」 ~澤木興道老師の言葉より

● 遊びをせむとや生まれけむ  戯れせむとや生まれけむ 遊ぶ子供の声聞けば わが身さへこそ動(ゆる)がるれ (梁塵秘抄)

● 概念化の終焉は客観的知覚の終焉を意味する。つまり非客観的知覚ということだ。それは選択や判断無しに宇宙を見ること、「主-客」関係に入り込む事なく見るという事だ。すると何が起こるだろう。何も起こりはしない。ただ、アナタは産まれる前からアナタであったという事、「全て」であったとという事だ。 ---ラメッシュ・バルセカー


● 愛する人よ

あなたは私の十戒をリクエストしたね。それはとても難しい。なぜなら私は何であれ戒律には反対だからね。しかしチョット余興で、次のように書くとしよう...

1. 如何なる戒律たりとも、己が内身から発せぬ限り従わぬ事。
2. 生ソノモノ以外に神無し。
3. 真理は内に在り。他所を探すことなかれ。
4. 愛は祈りなり。
5. 空は真理へのドア。空は手段にして終着地、また成就なり。
6. 生在り----ここ、今に。
7. 生きよ----十全に目覚めて。
8. 泳ぐなかれ----浮け。
9. 毎瞬に死ね。毎瞬新たに成長するように。
10. 探すべからず。ありのままは在る。ストップ----そして観よ。

     ---OSHO

● あなた自身の光となるがいい。--ゴータマ・ブッダ

● 内側以外、行く場所ナシ!--OSHO

● それを探しなさい、そうすればエゴは消え失せ真我のみが残る。--ラマナ・マハリシ

●「私」の感覚が完全に消え失せる時、二元性はエクスタシーの中に消滅する。-----ラメッシュ・バルセカー

● ありありとして在る状態が自然な状態だ。--ラマナ・マハリシ

●思考が無いなら「小我」は無い。また「小我」が無いなら思考も欲望も恐怖も無い。自己探求の意図と目的全体は、注意力を強烈に、たゆまず「大我」の感覚に向け、偽物の詐欺師たる「小我」と、その自己同一化を非在として暴くことである。--ラメッシュ・バルセカー

● 自己存在の真実を知らない限り、生の偉大な祝福に溢れることは絶対不可能だ。存在している事の真の喜びに溢れる事は決してできない。---OSHO

● 誰も私には指一本触れさせないわ。それが私の仕事。私がそれをするの。--バイロン・ケイティー

●思考は湧き起こるもの。巻き込まれないようにするのではなく、思考全体を単に無視するのがコツだ。---ラメッシュ・バルセカー

● どの原子も神のエッセンス。---ウイリアム・リケッツ

●マインドが邪魔をするのは自然なプロセスであって、それは起こってしかるべきだと知ること、その理解ソノモノが人を観照へと連れ戻す。--ラメッシュ・バルセカー

● これは無条件のサレンダー、アナタは何も所有することが許されない。それは最大のギフト。--バートマン

●解放は個人には関知しない、なぜならソレは個人からの自由だからだ。--ジーン・クライン

● マインドは言葉を持つが何も知らず、しかるにハートは全てを知っていて話すことができない。このミステリー・・・ --OSHO

● 手放し、観なさい。--ガンガジ

● ハートは二元性を超越する。ハートは物事をクリアーに見る。そして愛がその本質--訓練など要らない。しかもこの愛には、対を成す憎しみが無い。--OSHO

● 人間意識は「私」の進化だ。無意識の「私」、あるいは下位形態の「私」はマインドと同一化してしまっている。その場合「私」は、心理的事柄との絡みにおいてしか自己を感じることがない。コレを忘却状態と呼ぶ。「私」の進化の高位形態がステート・オブ・プレゼンス。そこで「私」は、自己認識の留意としてソレ自身を感じる。--アジズ

● 第四の状態はステート・オブ・プレゼンス、つまり自己想起意識、マインドの中にある「私」のセンター。--アジズ

● あるいは今自由を選ぶこともできる。ソレであることを選べるのだ。たった今それは可能だ...そして今も...今も...今も。これはスイッチを入れたらその後はエンライト、などというものではない。毎日、毎瞬に成される選択--メロドラマではなく、自由を選択するということ。---アルジュナ

● 自分の本性を覗こうとする正にその努力が、ソレへの妨害である。--ラメッシュ・バルセカー

● じっと静かにしていなさい。--ラマナ・マハリシ

● あれこれ概念化しない場合にのみ、絶対存在の完璧な平和が見つかる。--ラメッシュ・バルセカー

● サットサンは博士号。最後の教え。どんな代償を支払おうが、自分の条件付けに従わないだけの用意がありますか。--バートマン

● 貪欲から求めてはならない。時が来れば分かる。求めずに分かることほど美しいものはない。--アレキサンダー・スミット

● 我々は無限の存在。いかに多くの断片が現れ、また消え失せようとも、なにものも、絶対になにものも我々の存在に痕を残すことはできない。--アレキサンダー・スミット

● 私は誰にも属さない。私はどこにも属さない。しかし私はソノ中にいる。--ウイリアム・リケッツ

● 正気は苦しまない、決して。--バイロン・ケイティー

●「了解」の夜明けが起こるとどうなるのか。アナタはもはやアナタではなくなる。内なるサイレンスと自由の中に確固として在り続け、自分の幸福を心配することなく、何であれ起こり来ることに満足して、生が完璧な無努力の中で続いて行く。--ラメッシュ・バルセカー

● この瞬間、宇宙の働きの中で起こることは何であれ受け入れねばならない。それを拒否する事が人の苦しみ。--ラメッシュ・バルセカー

● いかなる状況下においても思考を発動してはならない。---パパジ

● 必要な変化は何であれ起こる。起こる事は何であれ起こらねばならない。人が「する」べきは、疑いを持つのを止めること。それが真の信頼。--ラメッシュ・バルセカー

●Deeper is where you are already
You cannot go deeper
if you think deeper is someplace
deeper than where you are
The secret of going deeper is
Not going anywhere

Gangaji

より深いところとは
    貴方がすでにいる所
より深いところが
貴方がいる所よりも深い
どこか別の所だと思っているなら
より深くへは行けません
より深く行く秘密
それはどこへも行かないこと 

ガンガジ

● 観照に外側を見せなさい。それが見るのは対象物だけだろう。観照に内側を見せなさい。それは対象物ではなく、見ているソノモノを見るだろう。--ラメッシュ・バルセカー

●知的レベルの問いには際限が無い。そうではなく、“問いを発しているソノ者”と供にいなさい。アナタがやるべき事はそれだけ。実際、アナタに出来ることはそれ以外何もない。もしソレができれば、常にアナタの注意の内にセルフを捕らえる事ができれば、最終的にアナタは、探求者とはそれ自身の源を探している“意識”以外の何物でもなく、探求者自身、探求であると同時に探求の対象でもあるということが分かるだろう。ソレがアナタだ。--ラメッシュ・バルセカー

● 神がアナタを捜している。アナタはこの「意識」であり、そこには何の対象物もない--バートマン

● 楽しんで乗っていればいい。神が自らに目覚めつつある。「意識」がひとりでに家路を辿っている。コレは究極の最後の旅...---バートマン

● 唯一真の瞑想とは、生において起こる物事すべてを、宇宙意識の中の単なるムーブメントとして、個人感情を交えず、常に見つめている事である。--ラメッシュ・バルセカー

● 悟りとはマインドが完全に空っぽということ。ソレを得るためにアナタにできることは何一つない。どんな努力も邪魔になるだけ。--ラメッシュ・バルセカー

● 何であれアナタが知らない事は完璧だ。何であれアナタが知っている事はいかがわしい。--ニッサルガダッタ・マハラジ

● ここに思考がある。私はまだここにいる。思考と一体になり、私はまだここにいる。思考に巻き込まれ、「こんなのイヤだ」という別の「思考=苦しみ」が起こるが、私はまだここにいる。思考が去り、私はまだここにいる。ボトムライン・・・それでもまだ、私はここにいる。---スカイ

● 真我は強力で見えない磁石。私たちを徐々にそれ自身へと引きつける。--ラマナ・マハリシ

● 誤った思考を回避したり、正しい思考を求めたりする必要は全くない。何故なら思考は全て、勝手に湧いてきてコントロールも効かず、実体もないものだから。それは受け入れたり拒絶したりせず、無視すべきもの。それが現れたと同じように、ひとりでに消え失せるように。--ラメッシュ・バルセカー

● 無限のスペースにとっては有限の対象物など全く存在しない。限界のない視点から見るとき(もしそれが視点ならばの話だが)、思考は無く、思考する人も無く、覚醒状態や夢見の状態も無い。無限の意識としてのアナタ、思考や認識の前に、最中に、後に在り、従って限界の無いアナタを、如何なる創造物も束縛することはできない。ちょうど風が空間を束縛することができないように。---アレキサンダー・スミット

● 何であれ始まりあるものには終わりがある。永遠の中では、全てが今、ココで完璧だ。---ニッサルガダッタ・マハラジ

● 生において何が降り懸かろうとも、それを喜ぶ人のハートにのみ満足は宿る。--ラメッシュ・バルセカー

● アナタはコレだ。アナタはコレだ。アナタはコレだ。ウソをつくのはお止めなさい。--バートマン

● 文明社会に暮らす人間が今日感じているフラストレーションの根本は、彼が「今」に生きてはおらず、幻想の未来、単なる脳の創造物、記憶に基づく推論の中に生きている事実にある。それはせいぜいのところ、無益な抽象概念でしかない。---ラメッシュ・バルセカー

● 時に始まりはないのよ。思考が始まるだけなの。--バイロン・ケイティー

● 我々の分離した存在世界を構成している明白な差異は、本来有るものではなく、観ている者の眼中にしかないのである。---ラメッシュ・バルセカー

● 宇宙には三つの仕事しかないの。私、アナタ、そして神の仕事ね。他人の仕事に心理的に関わると、自分がお留守になるのね。しばらく自分の仕事に生きる練習をしたら分かるかもしれないわ。自分には仕事なんか無かったんだってことがね。
       ---バイロン・ケイティー

● この宇宙全体は夢に過ぎないという信念が立ち上がってくるまでは、あらゆる放棄は無駄骨である。そして感覚的享楽が充分に経験され、その本質的空虚さに気付くまで、そのような信念は立ち上がり得ない。---ラメッシュ・バルセカー

● 究極的に、私とは私の知る事のできる全て--バイロン・ケイティー

● 苦しみは世界で一番流行っている趣味だ。--バートマン

● それホント?なぜホントだと分かるの?--バイロン・ケイティー

● 飛ぶべき空はただ一つ--OSHO

●「私」とその欲望から解放されたマインドは、宇宙の静寂の鼓動と共に、無限のスペースへと自在に移動して行く。--ラメッシュ・バルセカー

● アナタの知識は全てゴミだ。--OSHO

● マインドをコントロールするとは、板ぎれで波を押さえ込もうとするようなもの。もっと厄介なことになるだけ。--ラメッシュ・バルセカー

● 何であれ、この瞬間に起こる事は必要なこと--ラメッシュ・バルセカー

● この奇妙且つ未知にして、厳として不可避なる「死」と呼ばれるものを理解するには、まず生を理解しなければならない。見出すべきは、今の自分の何たるかということ。---ラメッシュ・バルセカー

● I am the perpetrator of my pain; but only all of it - Byron Katie
私は自分の痛みの犯人。何一つ私のせいでないものはない。--バイロン・ケイティー

●真理とは、考える事無しに「ありのまま」に気付いている事にある。--ラメッシュ・バルセカー

● 手放したいと望むことと「手放し」とは別もの。「手放し」は手放したいと望んでいないとき初めて起こる。--ラメッシュ・バルセカー

● ひとたびウソをウソとして観たら、それ以上真実を探求する必要はない。--ラメッシュ・バルセカー

● 個としての自己認識を持つ事に気付いていない幼児には概念化する知性が無く、従って瞬間瞬間、抵抗すること無しに、のびのびとした自由の中に生きている。自己知に至った賢者もまた同じだ。彼はマインドを越えている。---ラメッシュ・バルセカー

● 至上意識とのコンタクトはマインドが断食している時にのみ起こる、そのときは概念化のプロセスが完全に止んでいる。マインドが飽食する時、リアリティーは消え失せ、マインドが断食するとき、リアリティーが現れる。--ラメッシュ・バルセカー

● 我々は概念は理解する、しかし決して世界は理解しない。--アレキサンダー・スミット

● 観るものと観られるものとの区別はマインドの中だけにあって、ハートに住まう者達にとって、その知覚は単一のものなのです。--ラマナ・マハリシ

● 貴方は単に意識が通って機能している道具に過ぎない。--ラメッシュ・バルセカー

● ソレを探しなさい。そうすればエゴは消え失せ、真我のみが残る。--ラマナ・マハリシ

● Give up desires. Be happy - Sri H.W.L. Poonjaji (Papaji)
欲望を捨て、ハッピーでいなさい。--パパジ

● みんなアルツハイマーよ。誰にも記憶なんて無いの。マインドは単に今立ち上がるだけなの。--バイロン・ケイティー

●もし肉体との同一視を諦め、トータリティーの感覚の中に静かに呑み込まれれていれば、その執着のない、「私は在る」という感覚の中で、貴方は知るべきもの全てを知るだろう。--ラメッシュ・バルセカー

● サットサンとは貴方自身を指し示すこと、それが全てです。自分で自分の持ち物の権利を要求するのです。--バートマン

● 連続した時間の中に生きること、将来への希望や恐怖と一体化した痛みや損失、自責の念や悔恨の情と共に生きることが信じがたいほどの苦悩の重荷を創り出す。我々はそれを「当たり前」な状態として受け入れているが、それはただ分離した肉体存在としての見せかけの自己に余りにも慣れ親しんでいるからにすぎない。この重荷の完全放棄が絶対自由なのである。---ラメッシュ・バルセカー

● 形は存続に依存している。存続無しに形はない。それが般若心経に言う「色即是空、空即是色」--ウエイ・ウー・ウエイ

● 貴方に出来ることは、ただ能力の限りを尽くして自分の役割を行うことのみ。その結果は貴方の手の内にはない。--ラメッシュ・バルセカー

● 顕現しているものは永遠に変わらぬ存在の変幻の様相にすぎない。--ラメッシュ・バルセカー

● 平安は貴方の本性。--ラマナ・マハリシ

● いつでも、もし選択の余地があるようなら、自由を選びなさい。--ガンガジ

● 人格は愛さない、何かを欲しがるだけ。--バイロン・ケイティー

● 覚醒に於いては、基本的にそれが理解や献身的サレンダーを通して起ころうが、行為している「私」無く為された善行を通して起ころうが、一つだけ共通するものがある。その共通項とは、個的行為者の感覚が全く無い事である。「私」が無いのである。---ラメッシュ・バルセカー

● ひとたびマインドが掴むことを止めれば、ひとたび達成したり何かに成ろうとする努力が無くなれば、ひとたびエナジーが、もはや作戦や結果追求に投影されなくなれば、それは均衡状態へと帰還する。そこでは全てが平安の内に留まり、エナジーは、あらゆる思考や知覚が来ては去り行く静寂なるアウエアネスへと向かう。--ジーン・クライン

●解放または覚醒とは、十全に、無条件に、何物も所有しないということ。--アレキサンダー・スミット

● 黙して知れ、我は神なり。--聖書

● 人格とは一つの投影であり、記憶によって作り出され、欲望により育まれた習慣にすぎない。--ジーン・クライン

● 最後の真実とは、最後の真実など理解する理解者が誰もいないという究極の理解のことである。--ラメッシュ・バルセカー

● 静謐はこの瞬間への完璧な無抵抗の経験の中にのみ訪れる。従って行為や非行為、その他考え得る如何なる理想化された行為に対する観念的、知的関わりとも、全く何の関係もない。--ラメッシュ・バルセカー

● この今という瞬間は永遠の瞬間。今意外に永遠はない。時の存在以前の...--ラメッシュ・バルセカー

●“マインド- 知性”の性質とは、宇宙とその働きに関する知識獲得へ向け、それ自身を外側へ投射する事である。しかし知識それ自体は、幻想的で非現実的なものにしかなり得ない。そのような知識を追求したところで、“知る者”の偽りの自己感覚が継続し、いたずらに無意識を引き延ばすだけなのだ。このプロセスを逆転し、探求を内側に向けない限り、人間の本質と宇宙の本質との発見は始まりさえしない。---ラメッシュ・バルセカー

● 貴方の注意をオープンにして、あたかもここに何もないかのようでいて、しかも醒めている。--バートマン

● 究極の真理の唯一の証明とは、ソレを知ることにあるのではなく(なぜならソレは知られざるものだから)ソレで在ることにある。--ラメッシュ・バルセカー

● 無思考とはたとえ思考中であっても思考しないことである。--パパジ

● 神のパワーを神に返すことに価値がある。「我が業のなされんことを」という尊大さに気付くとき、神の業がなされる。--バートマン

● 貴方は尋ねる、「コレは誰に起こっているのですか。誰が関わっていて誰が知りたがっているのですか」自己探求の目的は、質問自体にかかずらうマインドをストップする事、それが正に観照の意味するものだ。--ラメッシュ・バルセカー

●真の至福とは至福を望むことの不在である。覚醒状態とは、至福であれ何であれ望まないこと。--ラメッシュ・バルセカー

● 自己知に努力は要らない。貴方が見つけようとしているものは既に貴方としてある。--ラメッシュ・バルセカー

● もし自由でないと思っているなら、アナタは思考しているのだ!--バートマン

● 軸のある人は強い。空洞なら一番強い。-----Tube

● 記憶とは“思い違い”のこと--ガンガジ

● 精神的活動を含むいかなる行為においても、そこに「自分」というものがあるなら、欲望と実を結ばぬ永遠の努力が続いて行く事は保証付きだ。--ラメッシュ・バルセカー

● 目を覚ましなさい。何もしなくていい。--パパジ

● 貴方は人間ですらない。ただ在るだけ--アウエアネスの一点として、時空と同じくらい広大で、更にそれらを越えて、究極の原因にしてそれ自体に原因もなく・・・。もし「貴方は誰か」と私に問うなら、「特に何でもないが、私は存在している」とでも答えるだろう。--ニッサルガダッタ・マハラジ

● 悟りとは、目的を持った意図が全くない状態への避けがたい結末である。--ラメッシュ・バルセカー

● 混乱とはこの星特有の苦しみ---ソレは単に二つの事を同時に望むという事。---バイロン・ケイティー

● とにかく、それはそういう風には起こらなかったよ。--パパジ

● 念の起きるは是れ病。続かざるは是れ薬。一切の善悪、全て思慮することなかれ。---覚心(辞世の辞)

● Don’t talk to yourself. ----Dolano
自分に話しかけちゃダメ。----ドラノ

● その経験を起こらしむる人の不在、それが悟りである。--アレキサンダー・スミット(彼の死後、机上で発見されたメモ)

● 意識の源は意識であり、意識こそは全て。---ラメッシュ・バルセカー

● 習慣はた易く、「意識」は困難だ--しかしそれも初めだけのこと。--OSHO

● 貴方はまだどこかに選択の余地が残っていると思っているのだ--バートマン

● 存在を説き伏せようなんて、ネコに吠え方を教えるようなものよ。--バイロン・ケイティー

● 私たちは絶えず愛は関係性だと教えられてきた。だからその考えに慣れてしまっている。しかしそれは真実ではない。それは最低のたぐいのもの--とても汚染されている。愛とは一つの在り方だ。--OSHO

● 生は本当に素晴らしい、もしそれに巻き込まれずにいれば。---ラメッシュ・バルセカー

● マインドにとってコレは大変な略奪行為だが、これ以上いいものも無い--バートマン

● 幸福は真我の本質。真我は完璧な幸福以外の何ものでもない。その事実を知り、真我として在り、永遠の至福を楽しめ。--ラマナ・マハリシ


  内なる平和の兆候

1. 過去の経験から来る恐怖に基づかず、自由自在に思考し、行動する傾向がある。

2. 瞬間瞬間を楽しむ事の出来る明確な能力。

3. 他人を評価する事への興味の喪失。

4. 自分を評価する事への興味の喪失。

5. 他人の行為を自分流に解釈することへの興味の喪失。

6. 争い事への興味の喪失。

7. 心配する能力の欠如(これは非常に深刻な兆候である)

8. 頻繁に起こる圧倒的な賛美エピソードの数々。

9. 他人や自然との満ち足りた繋がりの感覚。

10. 頻繁に起こる微笑の発作。

11. 自ら物事を起こすのではなく、物事が起こるがままに許す傾向の増大。

12. 他人から差し伸べられる愛に無防備になり、また愛を差し伸べたいという押さえがたい欲求の増大。

もしアナタに上記の内の幾つか、又は全ての兆候が認められれば、もはやアナタの内なる平和を元の状態まで治療するのは手遅れです。もし誰かこのような症状を示す人がいたら、自己責任においてのみ関わって下さい。


生徒:成熟とは何でしょうか?

アジズ:果実が熟れると、私たちはそれが熟したと言います。成熟とは、機が熟したということ、成長の最適な状態の事です。

成熟とは、存在の情報に対して極めて手際よく、且つ責任ある対処ができるということ。
成熟とは、マインドの潜在意識的な傾向の反映ではなく、真理を反映すること。

成熟とは、神経症や低次の気質を越えて行くこと。
成熟とは、己を知り、真理を見出すこと。
成熟とは、人としての宿命に泰然として在ること。
成熟とは、真理の内に目覚めること。
成熟とは、人の常なる困難に堂々と対処し、魂に内在する道の作法を重んじること。

成熟とは、完璧になることでもなければ間違いを犯さないことでもなく、悠然と、知性的に困難に対処できるということ。

成熟とは、ネガティブな潜在意識や無意識の中よりも、ハートと知性の中に遥か強固に存在すること。

成熟とは、生との出会いに勇気を持ち、あらゆる状況に於いて生を信頼すること。
成熟とは、自己の進化に責任を持つこと。
成熟とは、精神の真の謙遜とシンプルさの中に在って、エゴ・イメージを越えて生きること。

生ある限り、成熟に終わり無し。しかし確かに終わるものがある---それは「未熟さ」です。    
                    ------アジズ
-------------+
 瞑想には、それがどのような技法であれ、そのなかに共通した本質がいくつかある。その本質的な要素は、あらゆる瞑想法に必須なものだ。

 その第一は、くつろいだ状態だ。マインドと闘わない、マインドに対して統制しない、精神集中しない、ということだ。

 第二に、くつろいだ気づきとともに観ること......何が起っていようと、妨害することなく。マインドを、静かに、判断も評価もせずに観ることだ。

くつろいで、観て、判断を下さない、

これがその三点だ。すると、次第に、ゆっくりと大いなる静寂が訪れてくる。内側の動きがすべて静まってくる。あなたは存在する。だが、「私が存在する」という感覚はない。純粋な空間があるばかりだ。
         meditation first and last freedom 


●あなたが自分を誰だと思っていようが、それは間違いです。-----ガンガジ                  


●思考と抵抗は同義語です。---エックハルト・トール


あなたはそのヘルプを受けて構わない。そしてヘルプの美しさとは---それが束縛するものではないという事。あなたは私のヘルプを受ける事も出来るし、他の誰の助けでも受けて構わない。帰依の問題など全く無い。あなたは可能なあらゆる場所からヘルプを受けることができる。なぜ一人の人物にしがみつく必要があるかね。 

あなたの周りにいる全ての賢者に対して即応可能であるがいい。光線はどこからでもあなたに降り注ぐ。あなたは準備を整え、受容的であるべきだ。その光線が誰から来ようが問題ではない。もしそれが真理へと導くのであれば、あなたをもっと自由な、もっと独立した、もっと完全な更なる個人、岩のようにゆるぎない個人にしてくれるのなら・・・そのときには、あらゆる可能なヘルプを自由に受けて全く構わない。------OSHO

 1986年二月   「刀と蓮」より


●あなた自身のジョークとなるがいい。---OSHO


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