小人

小人

インスタント達人



それは誠に結構なことだが、そのためには既に深く瞑想を体験していることが絶対
必要条件となる。そう在るためには事前に定期的且つ継続的な瞑想修行に打ち込む
ことが不可欠なのは言うまでもない。

ところが、そういうことを安易に言う人に限って全然瞑想しないし、過去に打ち込
んだ形跡すら見受けられないのはなぜだ。それどころか正当な根拠もなしに逆に瞑
想者を揶揄・批判さえし始め、挙げ句の果ては「毎日瞑想しているようではダ
メだ」とまで言い出す始末。

さて、その裏に潜む心理とは何か。それは深い所で瞑想の重要性を知りつつも瞑想
できない自分(エゴ)、してこなかった自分を守らねばならないからである。攻
撃は最大の防御という訳だ。笑ってしまうほど単純かつ幼稚な心理構造である。

● 自分は瞑想していないと素直に自覚することが真の瞑想への第一歩だ

そもそも「何をしてても瞑想になる」と言うほどの人物が瞑想者を批判する理由な
ど全く無いのだ。なぜなら、彼自身も毎日毎瞬のたゆまぬ瞑想修行を経たからこそ
「何をしてても瞑想になる」というほどの境地に至った筈なのだから。

いわば大人が子供に「子供などやっててはイケナイ」とムキになって批判するが如しで、100%矛盾した物言いなんである。成人になるには一日逃さず子供時代を通過する以外あるまい。しかしそんなバカな事を臆面もなく、全く無意識に言い放つような愚か者が、その矛盾に自ら気付いている筈はないし、この先気付く可能性もないだろう。

そこである法則が導き出せる・・・

● 瞑想修行を批判する者は瞑想者ではない

彼は現在はおろか過去にも、真の瞑想に触れる努力を自らしたことがない。これは百発百中の法則なので覚えておくと便利である。その者がどんなに立派な事を言おうが、それはソックリ他者からのパクリであって、耳を傾ける値打ちゼロだ。それどころか先達の血のにじむような修行を通して語られた智恵を汚染し、冒涜し、聞く者の耳の汚れにしかならない。

「何をしてても瞑想になる」とは瞑想の達人の境地であって、軽々に言えることではない。

瞑想しない者はそうやってシタリ顔で瞑想を語ることで瞑想修行に代え、安易に“瞑想者”を名乗り、実際の「瞑想」との縁を絶つ。

まことに愚かなこと・・・。げに狡猾なるは人のエゴなんである。


【ジョーク精神世界】

A:ボクなんか何してても瞑想になるから、特に瞑想なんかしなくていいんだ

B:しかし君、ぜんぜん瞑想的ちゃうやん

A:こんなに瞑想的ぢゃないか!

B:感情的やん

A:それに精神世界の本は誰にも負けないくらい読んでるんだよ!

B:ぜんぶ「他人ごと」やん

A:君にはボクの豊かな内面世界が見えないんだよ

B:見え見えやん

A:もうイイ! 高度なスピリチュアリティーを解さぬ者とは話にならん!

B:あっ、いずこへ~~~

              ・・・ね。
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OSHO「定期的瞑想の重要性」

 瞑想を日々の生活の欠かせない一部にすることは非常に役に立つ。食事を欠かすのはいい。ときにはそれは有益でさえあるかもしれない。だが、瞑想を欠かすというのは、何か月ものワークを台無しにすることだ。それはとてもデリケートなワークだ。何か月かのあいだに、ある種のエネルギーが生み出される。だが、あなたが「不可逆古」として知られている地点にまで達していないかぎり、そのエネルギーは数日で失われることだろう。

 水を熱して九〇度にまでした場合と同じだ。水はまだ水のままだ。九五度になっても水のままだ。九九度に達したところで熱するのをやめたなら、それは冷めていき、熱は消散する。ふたたび熱しなおさなければならない。だが、一〇〇度に達したならば、それはジャンプする。蒸発する。きわめてラジカルな変化が起こる地点にたどり着いたのだ。

 瞑想でも同じことが起こる。あなたはそれを蓄えていく。それは累積的だ。あなたは毎日それをすると、あなたは自分の内的存在に微妙なエネルギーを蓄積している。それはどんどん高いレベルに達する。九〇度、九五度。だがこれだけの温度に達していても、それでやめるならば、それは失われる。それは消散してしまう。日常のすべては非瞑想的なものだから、それは簡単に破壊される。

 世界全体が非瞑想的だ。あなたが出会っ人たち、ともに働く人たち、おしゃべりする人たち、彼らはみな非瞑想的だ。あなたが高いエネルギーを持っていると、それほどエネルギーの高くない人たちは、あなたのエネルギーを吸い取ることになる。彼らは意図せずしてそれをする。水が下に流れるのと同じ道理だ。すべてのエネルギーは下に流れる。人びとはまるで谷間だ。あなたのエネルギーが彼らに向かって流れるのは当然のことだ。彼らのレベルはあなたより低いのだから。

 だから、定期的に瞑想をするというのは、とてもとても重要なことだ。さもないと、あなたはなんらかのものを生み出したあと、「私はもう充分なだけ生み出した。とても気持ちがいい」と考えるかもしれない。あなたは二、三日は気持ちがいいだろうが、エネルギーはまたもや失われてしまう。

 あなたが定期的に瞑想するなら、あなたのレベルは、だんだんと、高く、より高く、さらに高くなっていく。ある日、突如として、あなたは蒸発する。そのとき、瞑想は自然なものとなる。あなたがそれをする、しないという問題ではなくなる。それをせずしてするようになる。歩いていても、あなたはそのなかにいる。食べていても、あなたはそのなかにいる。働いていても、あなたはそのなかにいる。眠っていても、あなたはそのなかにいる。瞑想があなたの生のすべてになる。そうなる前には、定期的に瞑想しなければならない。

                    和尚
      The Passion for the Impossible 18


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