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お久しぶりです。このように不義理をしているにもかかわらず、お立ち寄りいただいている皆様ありがとうございます。今更という感じもいたしますが、無期限でブログをお休みしたいと思います。また突然再開ということもありますが、皆様との交流を放置しているのが耐えられなくなりまして(^^;(今いただいてあるコメントには必ずレスをつけますね。)「考える葦になりたい」を再開して、つぶやきはmixiにしたいと思います。自分でも振り返りたい文章がありますので、消去はしませんが更新もできないと思います。仲良くしてくださった皆様、本当にありがとうございました~。YURI-eyo
2008/07/13
どうも~。 あっちもこっちもレス放置のダメ女です^^; 病みかけながら仕事頑張ってます(爆) 残業代で給料が何万か増えておりますわ、ほほほ。 家に帰れば倒れる前にシャワー浴びて、 意識がなくなる前にセルライトマッサージ。 んで、振り切ろうとしてもしても頭から排除できない仕事。 私が眠りに落ちる2秒間だけ自分の頭と格闘しています。 でも、病んじゃおりませぬ。 そんな暇ございません。 休みには・・、 動けなくなったり(笑)、 旦那やイモとメニュー開発したりしてます。 少しずつ進んではいますが、 自分が壊れちゃあ元も子もないので、 旦那に向かって「山、売ってくれィ~~」 とか泣きついてます。 夢があるから頑張れる。 そんな毎日を過ごしております。 そのうち「勤め人時代は気楽だった~」 と頭を抱えるのが、 今のアタシのささやかな夢。 (どんだけだよ、オマエ) では、おやすみなさい。
2008/06/10
今日は配水管の掃除だとかで休みをとりました。 管理の行き届いたマンションなのはありがたいのですが。 でも、ずっと在宅を強いられるので、 休みがつぶれた気がしてちょっと辛いです(涙) で、朝気がついたこと・・。 ふ、太った!!! しかも尻限定で!!! いや、足全体かも・・。 今の職場に移ってから、 家に帰ればへとへとで、 ヨガもお尻体操も何もしていませんでした。 造顔マッサージも体整形マッサージもおさぼり。 食べないと動けないから食べる量も増えて、 食べてすぐ寝て、電車は座って45分・・。 立ちっぱなしの動きっぱなし。 尻は別として、足はむくんでいるのかも~。 疲れはするけれど、 溜まるもんも溜まるという生活習慣。セルライト育ちまくり・・。 旦那に電話で確認(すんなっちゅーの) 「ねえ、私のお尻おっきくなってない?」 「うん、顔と上半身はいいんだけど、お尻おっきくなった。 足も太くなった。怒ると怖いから言わなかったよ~~。」 「・・・(T▽T)」 ゆってよおおおおーーーーー!!!!!!!!! (/TДT)/あうぅ・・。って、いつも怖い妻のアタクシが悪いんですのよ。 んでもって今まで気づかずにいたアタクシがいけないんですのよ。 いかん!! これはいかーーーーーーーーーーん!!! 運動再会宣言!! そして・・、 ↓これ買うか?(爆) ◆ポイント10倍◆手軽にセルライト対策!ゲルマセルシェイパー【ポイント10倍は 5/26AM09:59迄 10P08522】↓それともこれ?40個の突起がセルライトにアタックセルローラー↓いやいや、いっそのことこれ履くか・・。【送料無料!】ターボセル パンタコラン(正規品)(今なら、マツケンサンバでお馴染み♪真島茂樹先生のシェイプアップダンスDVD付き!)・・・楽して尻は小さくなりませんな(涙)まずは食事と運動かしら?セルライトを撃退して、ジーンズをかっこよく履くぞおおおお!
2008/05/23
最近の私の恋のお相手、「ポジャギ」↓出会いの発端はこの本。私のポジャギこれを見たとき体に電気が走ったようでした。「これだっ!」って思ったんです^^私達のお店を飾ってくれるのはこの子たちよ~って。他のポジャギ作家さんも素敵なもを作られているんですが、こちらの本を出された「李 京玉」先生。この方のポジャギって、本当に優しさに満ち満ちていて、それでいて涼しげで、でもきちんと主張があって。本当に、なんて素晴らしいんだろうと感動しました。大阪に工房をお持ちなんですが、そうそう行ける距離ではありません。が!東京でもお教室を開いていらっしゃるではあ~りませんか。自分で作ってみたくなってしまった私。いてもたってもいられずに、まずは先生の2冊目の本の出版祝いのイベントへ。(発売は5月25日)もちろん講座の申し込みもする勢いです(笑)場所は虎の門近くの「ギャラリーkyo」こちらを主催している韓国人ご夫婦の素敵なこと素敵なこと!ほんの5分ほどお話をしただけですが、すっかりファンになってしまいました。ここのギャラリーでは日韓の文化芸術を紹介し、両国の文化交流に尽力されていらっしゃるそうです^^イベントでは李 京玉先生とお会いし、お話まですることができました。先生のご主人は日本人。でもって私とは同年代♪勝手に国際結婚仲間だわ~と喜ぶワタクシ。先生の作品に感動したこと、夫婦で韓国料理店を出したいと思っていて、そこに自作のポジャギを飾りたいこと・・。(先生の作品を譲っていただきたいとまでは さすがにまだお話できませんでした・笑)余りの興奮に一気にしゃべってしまいました。イベントの参加者はほとんどが生徒さん。それも年配の方がほとんどの中で、初対面の私が先生とおしゃべりなんて無理と思っていたのですが、イベントのスタッフの女性(この方私の母と同じ年^^)が、「待ってなさい、先生とお話させてあげるから」とわざわざお声をかけてくださったんです!!そりゃあ、興奮もしますよね。先生は初対面の私にもとても丁寧にお話してくださったんです。私の勢いにびっくりされたとは思いますが、「いいと思います!!いいものを作りましょう!!」と手をぎゅっと握ってくださいました。調子にのった私は焼き物を探している話まで・・(^^;そんな大ばか者の私に「作家さん知ってますよ~」と笑顔。もう、涙が出るかと思うほど感動しました。一緒に写真を撮ろうと思っていたのに忘れてしまったほど。自分で何かを成し遂げようとしている方はしなやかです。とても静かで、それでいて強い意志を感じます。私のように火の玉のごとく燃えたりしていません。私もこんな風にしなやかに、静かに何かを形にしていきたいと心から思いました。素敵な人に出会うことができた一日に感謝です。この日はその後もあっちこっちに足を伸ばし、とても充実した一日になりました。最近は趣味の石けん作りも復活し、何となくいい休日だと思える日が増えたのも嬉しいところ。続きはまた今度~^^(・・って、またぶりぶり更新の始まり??・爆)
2008/05/20
いや、お前今日なにやってんだって感じですわね。 こんなにぶりぶり更新しちゃって。 もうどんだけ寂しいヤツなんだよって(爆) なんとなく家事に手をつけちゃあ、ネットやって。 どんな引きこもり女になってんでしょうね、本当。 あ、で、本題ですが。 今日、食事した韓国料理店なんですが、 すっごーーーーーーーく不味かった(涙) ちょっと向学のために入ってみようって思ってたとこなんですが。 不味いの不味くないの・・。 家でかーちゃんが作ったものだったとしても微妙・・。 何故この店に入ったのかというと・・。「流行っているから」ってのがあったんです。 いつ前を通っても何だか店は一杯で・・。 何となく店構えは好きではない部類だったんですけれどね。 これだけいつも客がいるんだからさぞかし美味しいのだろうと。 でもですね。 この食いしん坊女のワタクシが、 残しました、もうたくさん!!と思って。 もう二度と行きたくありません。 一緒に行ったのが先輩や友達でなくてよかった。 もおお、旦那もびっくり! 敢えて何の店なのか、どこにあるのかは申し上げませんが。 店が流行る理由が味だけでないことは確かです。 でも、ここのいい点て値段が安くて駅から近いことだけです。 店員に魅力があるというわけでもなく・・。 何故に?! 店の流行る要因て何?! 私が釜山で絶品の「それ」を食べてしまったから? 謎です、謎。 うーーーん、私たちの目指すものは間違ってないと思うんだけどな。
2008/05/06
仕事に旦那とられちゃって、何となくポツリポツリと更新してます。(寂しいやっちゃな・・。)以下はmixiにアップしたものを、何となくこっちでもアップしようかなと思ったもの。ちょっと文章がよそいきになっていないんですが、目を通してもらえたら嬉しいです^^~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~先日仕事が終わった後、 職場の先輩と飲み食いしてきた。 私は「看護」という言葉があんまり好きじゃない。 「看護観」なんて聞くと不快感すら覚える。 理由はあまりはっきり言えないんだけれど、 「看護」ってくくる特別なものなんてないと思っているから。 なんていうのかな。 鎧のようにガバガバ硬いものを思い浮かべるんだよね。 医療業界で専門家として働いているプライドは大きいのだけれど。 生意気なのかもしれない。 「看護」なんかでくくるんじゃねーよみたいな。 しかもそこに特別さをこめるんじゃねーよみたいな。 どこまで行ったって、 未熟さは付きまとうのだから、 それから逃げるのはやめよーぜって。 患者をみていくことに、 若い人たちを育てていくことに、 そんな鎧をきて臨みたくはないなあ。 どんなに覚えが悪くても、 どんなに集中力が足りなくても、 どんなにわからないことが多くても、 私は「過程」を見る。 だって、それはその人そのものだから。 で、私がやっぱりそんな劣等生だったからね。 患者に接する時も、 専門家としての自信は大切だけれど、 人間としての謙虚さはもっと大切だしね。 「看護」という言葉は好きじゃないし、 「看護師」という職業をずっとしていきたいとは思わない。 ぶっちゃけ明日にでも足を洗いたい。 でも、 一人の人間として、 今している仕事は面白い。 矛盾してると思う? してないんだなあ、これが(笑) すっごくストレスフルな毎日だよ。 自分に対して落ち込むのは日常茶飯事。 人間のとっても怖い部分を垣間見たりして、 うげげーーーーって体が硬直するのも日常茶飯事だけどさ。 去年、自分を見失った経験から、 今は自分自身を生きているってわかる。 これって大きいよね。 昨日、一緒に飲み食いした先輩とは、 なんだか一生の付き合いになる気がする。 このお二人も「看護」や「看護観」て言葉を使うんだけど、 それは鎧じゃあなくって、 二人の個性と人間性にぴったりフィットしてるんだよね。 厳しい人たちで、恐れを知らない人たち。 私を私のまま私として付き合ってくれる人たち。 勤務中はしょっちゅう叱られてるよ(笑) 10歳くらい年上のお姉さん的存在で、 人生の質から言ったらお母さん的存在だったりする^^ この人たちと話していると去年を思い出す。 で、去年がとーーーってもいい想い出になっていることを実感。 この二人とあと一人。 きっと長い付き合いになるんだろうな。 「あんたできるよ、きっとできる。」 「あなたの店なら行ってみたい。」 この言葉は私が発した言葉の返事にプレゼントされたものなんだ。 うれしかったなーーー、元気がでたよ、すっごく。 その言葉っていうのはさ、 深く考えて発したものじゃないの。 旦那がまた仕事変わったんだけどね。 いつものごとく、 「明後日で仕事終わりなんだ」 って(爆) まあ、やりたいことがあるから、 それに向かって何度仕事を変わってくれてもかまわない。今回は店長に引き抜かれたんだし。 でもね、 飲食業界って雇用契約がないことがほとんどだから。 辞めるって言うと、そのつきの給料を半額にされちゃうんだよね。 だから給料日に「辞める」って言おうとしたんだって、 でもね、世話になっている店長に来月の予定を聞かれて、 仕事を変わる予定だって言っちゃったらしい。 いい人だよね、うちの旦那。 でも、私のハラワタは煮えくり返るわけ。 てめーの守るもんはなんなんだ!!!って。 それでも慣れなのか、 人間がずうずうしくなったのか。 私のハラのなかは急に涼しくなっちゃって。 笑っちゃった、本当に。 そのときのことを話して、 「今を笑えない人間が未来に笑えるかってんですよ」 って笑ったら、頭をくちゃくちゃにされて(笑) 上の言葉をもらった。 自分ではなんとなく放った言葉だけれど、 先輩たちがそれをとっても大切なものにかえて、 私に投げ返してくれたから。 今、一番大切なものになった。 今を笑う。 それを重ねて未来にしようって思った。 だから、明日もあさってもこのまま自然にやっていける。 ああ、私の心の特効薬って「人」なんだなあ♪
2008/05/06
ええと・・、今日は私の誕生日で旦那とデート。のはず!!!でも・・・、家に帰ってきた。 こんなに早く、しかも一人で。 旦那はといえば・・。 とられちゃった、仕事に・・・、(/TДT)/あうぅ 。今回の旦那の転職は、 もともと一緒に働いていた人に引き抜かれた形。 店長のポストが空いたというので移った感じだ。 その知り合いは私とも面識がある。 「商売派」の私と「ビジネス派」の彼とでは、 あまり話や考え方が合うということはねいけれど、 まあ、いい人だと思う。 今日のデート中、その人から電話。 「ひょ~~~~ん!助けてください~。 バイトがいきなり来なくなっちゃって、 とても忙しくて自分だけでは無理です~。」 今は管理の立場にいる彼が現場に出ても忙しいらしい。 「今日はYURIの誕生日でご飯食べに来てるんだよ。 連休の最後の日だから夜はきっとそんなに客がこないよ。」 と旦那。 でも、旦那もちょっと店が心配そう。 食事の間中、携帯気にして時々、「パッポナ?」とか電話してるし。 「行っていいよ~、でも無理しないでね。」 と言ったらすぐにその人に電話。 そしたら私に代わってほしいって。 ちょっと残念な気持ちがあったので、 お礼でも言われて気分よくなろうと思って(爆)電話を変わった。 「ヒョンスニム~、本当にすみません。 でも、ヒョンが来てくれてから、すごく客が増えたんですよ。 韓国の芸能人もヒョンがいることを知ったら、 私たちのところに来るようになったんです。 ヒョンは才能があるんですよ (*´▽`)b 今日は本当にすみません~~。 ヒョンはヒョンスニムがいるから運がいいです。 ヒョンにはヒョンスニムしかいませんよ、本当。」 うーーーむ、旦那を褒められるって気持ちいい。 尚且つ、真剣に仕事している旦那ってかっこいい。 ちっくしょー、ツボにはまったぜ。 ともぞうじいさんみたいにパアアとなった私。 ご機嫌で電話を変わった。 電話を切ったあと旦那には、 「YURIは面白いね、普通の女の人は怒るよね。」 と言われたけれど、 旦那もその人も私のツボを知っているわけさね。 私には何よりの誕生日プレゼントだったよ♪ くうう、でもやっぱ寂しいな~。
2008/05/06
さて、ゴールデンウィークも最終日。といっても私の仕事にゴールデンウィークなんぞありません。休日だということすら気がつかないこともありますわ。しかし今日は清々しい陽気になりましたね。湿度は低いし、晴れているし。そろそろ日傘をささないと危険ですけれど。そんな五月晴れの今日。私の誕生日(ノ′∀`o)ノ今まで生きてきて、初めて自分が何歳になったか考えたくなかったです(涙)でも、一応おめでとうアタシと言ってみました。朝からメールをくださった皆様ありがとうございます!!で、旦那と休みをあわせました。プレゼントは「二人の時間」です。これが最高に嬉しいですね。大好きな人とまる一日のんびり過ごす。極楽ですわん(*´∀`*)vで、今日も胃袋でお勉強^^(「美味いもん食べに行く」とも言う・笑)韓国料理っていうと、日本では結構値が張るんですよね。だからあまり冒険ができなくて、韓国に行くたびに、「お前、一日何食食べてんだ」ってくらいに食べ続け、で、お腹ぴーぴーになりながらも、そのたび発見があったりするんです。まだまだ口先だけの段階ですが、心はプロ!!なので詳しいことは書きませんが(爆)3月には私の両親と妹の義両親を連れて釜山に行ってきました。義母の墓参りのついでにあるお店へ案内しました。私たちが狙っているものが、年配の方に受け入れられるのかどうか。それが知りたかったのです。まあ、年配のかたの好みも十人十色ですが。結果、大好評!!今年の夏にはここのレシピを買いに再び釜山へ。地元で行列のできる店。チェーン展開はしていません。「ビジネス」ではなく「商売」の匂い。いいです!旦那と私の鼻はよく効くと信じて^^ソウルにも沢山店がありますし、郷土料理はその土地で食べたい。なかなか休みは取れませんが、取れた休みのほとんどに胃袋を捧げるつもりの今年。日本でも凄腕のアジュンマはいます。そんなアジュンマの料理もどんどん吸収する予定。試作を繰り返すキムチは友人、同僚、家族に食べてもらっています。今から味作りに参加してもらうことで、自分が育てたお店と思って欲しい。立ち上げることも大変ならば、5年10年と継続していくことはもっと大変な飲食店。続けるための私たちの気持ちです。人様の口に入れるのに恥ずかしくないものを作りたい。商売を始めてから育つのでは遅いですよね。水泳でもウォーミングアップは大切でした。これがなければ筋肉は急には動いてくれない。看護学校では学生生活の半分以上が実習です。これがなければ患者を守ることはできません。きっと飲食店だって同じです。(あたりまえですね^^;)最近わかったこと。それは自分の舌を信じていいのではということ。キムチを食べてもらっている人たちが、最近「売って」と言ってくれるようになりました。私のキムチがきれたので、韓国人のやっている食堂でキムチを買ったけれども、やはりこちらのほうがいいという意見。韓国の人からもそんな声が聞かれるようになって、自分が美味しいと思うものを出せばいい。そう思えるようになりました。まだまだ人様の口に入れるのに自身のあるものは作れない。だから、お金はいただきませんと言っていますが、うちには昆布、お米、醤油、お菓子、沢山の頂き物が増えました(爆)物々交換のような状態になっております。ありがたいことです。ただ・・・、たった5キロ10キロのキムチを漬けるのも、私にとっては大仕事だったりします。休日を使ってやっているということもありますが、手際や体力、味を決める技術が原因でしょう。お店を回すには、家族に美味しいものが作れるだけではダメです。当たり前のことですが、お客様が5人10人であるはずがなく。もし、5人10人であるのなら店は続きませんよね~。仕込みや保存、安全、効率・・、そういったことを身につけるには、やはり修行が必要ですね(涙)私の飲食業界での経験。ちゃんこ鍋屋で2年間ホールしてました。要するに経験はほぼゼロ・・。あと3回ほどボーナスをもらったら、知り合いの店で修行に入る予定にしました。候補にあがる店はソウルに2軒、日本に1軒、旦那の知り合いの店を合わせるともう少しあります。これから受け入れ交渉です。韓国料理屋にも韓国での修業にもこだわっていませんが、やはり韓国にいくことになるのかな。どちらにしろ、不安ですね~~。今年でまる15年、医療業界にいますが、この年で他の業界に行くってすごく勇気がいりますね。本当に今更なのですが、それでもやりたいのかと自問してみました。答えは「やりたい」自分に即答できたのですから行くしかありません。あ、その前に。今日は旦那とデートです♪
2008/05/06
さて・・・。昨日、ある意味作為的に(笑)前置きが長くなりすぎて、最後まで書くことができなかった日記。今日も書けません、ほほほ。こぼれ出る思いが止まらんのです^^こんな夜もあります。今日は本当に何年ぶりで、 高校の部活仲間が全員集合。 変わらぬ仲間に会えたことが本当に嬉しかった。 全員結婚してて、 子どもがいる子も多いのに、 全員集合ってすごい。 あの頃より少し強くなった自分の心に出会うことができた。 誰にでも秘密はあるでしょ^^ 私にもあるんだよ。 私以外誰も知らない秘密なの。 これからもそう。 だから私はうそつきなんだ♪ でも謝らないよ、えへへ。 でも、 もう少し、もう少ししたら、 その秘密は消えてなくなるかもしれない。 うそつきじゃあなくなるかもしれない。 本当は私は強い心を持って生まれてきたはず。 生まれてから今まで、 かくれんぼみたいにそれを探していたんだけれど、 ひょこっと見えてるお尻だけは、 見つけていたんだね。 大好きだった仲間と話す時、 私はいつも皆を失いたくなかった。 だから話した後はいつも自分が嫌いになった。 でも、本当に久しぶりに皆と会って。 何年ぶりだろう。 全員にあったのはもう15年ぶり? それ以上?? 皆と会ってわかった。 私は私の強い心と、 もうずっと前に再会してたんだね。 この先もゆっくりゆっくり、 私は私のもともと持っていたものを探すよ。 どれだけ取り戻せるのかわからないけれど、 取り戻したいのだから、 探すことはやめないよ。 この先も歩いていく中で、 私は私に出会っていけるんだ。 私は私の明日を信じよう。 大切な仲間が教えてくれた。 私を信じていくんだ。 今日も大切なものを、 私のために残しておこう^^
2008/04/27
いやいやいやいや・・・。どれだけご無沙汰してるんだか。言霊とはよく言ったもので、文章には魂がこもるんですよね。日々の紆余曲折を日記にするって、すごくすごく力と勇気を使う作業でした。赤裸々なことも表現したいと思うと、楽天からは遠ざかってしまうんです。小心者のワタクシ、専らmixiでばかりアップしてました。今後もそんな感じだと思うので、マイミクさんになってくれるリンク先の方、どうかご一報くださいませ。そしてこの間私、一生懸命勉強してました。胃袋で( ̄▽ ̄)V(舌でというより胃袋)さて・・。私の父方の祖母は蕎麦屋さん。日暮里小町と言われた美人。私は祖母に容姿も性格も良く似ているとか(あれ?!)祖母は蕎麦が好きだったわけではありません。店では餃子も出していましたから(爆)氷川丸の船員だった祖父は一年の大半は海の上。祖母はただただ愛する3人の息子たちのために、蕎麦屋を切り盛りしていたのです。祖母は父が8歳の時に亡くなりました。そんな母を見て育った父は、商売の厳しさを知りながら自分も商売の道に。中卒で知識はないが知恵はある父。それは父が自ら選んだ道でした。その父が母方の祖父に出会いました。同じ商売をしていた祖父は、戦時中は朝鮮と中国で6年間を過ごし、日本に引き上げてきた人。帰国後は自分でリヤカーを引き、今の商売の基礎を築きました。とてつもない自分勝手な祖父ですが、妻と子どもは愛していたのだと思います。この人だから戦争を乗り越えてきたのでしょう。この人だから日本に帰って商売を始められたのでしょう。そんな先人たちの話を聞き、そんな先人たちを見ながら、バブル崩壊を乗り切った父を見ながら、商売人にだけはなるまい。そう思っていました。経理を担当する母のため息。商売って怖い。とーっても怖いと思っていましたから。でも、韓国料理に出会って、夫と出会って、何かの縁に導かれるように、独立を決心していました。大きなことはしなくていい。奇をてらうことはしなくていい。祖母のように祖父のように、そして父のように。小さいけれども何かのために、心をこめて商売をしていきたい。安心できる味と雰囲気が、「ただひとつ」を作るのだと思うから。そう思うようになりました。韓国料理と出会わなければ、夫と出会わなければ、祖母や祖父の孫でなければ、父と母の娘でなければ、この道を歩こうとは思わなかったでしょう。だからまず胃袋と足で。何を提供していくのか、そのために必要なことは何なのか。プロである夫の知識と、ど素人の私の理想でもって、構想が具体的に固まりました。固まると言ったって、机の上でのことですから、覚悟が決まったぐらいのものです。これからやることは山ほどあります。それでもあと3回ボーナスをもらった後、私たちは新しい一歩を踏み出しているでしょう。笑顔で「オソオセヨ」と言っている自分たち。それは近い将来必ず実現します。・・・って、長いんだよアタシ!!前置きがさあ~~m(*T▽T*)m。「胃袋」での勉強の話は次に続きます、ゴメンナサイ・・。
2008/04/26
こんにちは、風邪っぴきYURIでございます。 ここ何年か風邪のひきかた(?)が変わってきたように思います。 少し前までは風邪もめったにひかなかったですし、 ひいても美味いもん食べてゆっくり寝れば、 たいてい一晩で回復したのですけれど・・・。 今はもう、それが通用しなくなっています(涙) 早めに受診して薬をもらってこないと、 長引くことが多くなったんですよね~。 自分で努力して体力をつけて(これがすごく抽象的^^;)、 自然治癒力(これが輪をかけて抽象的^^;)を高める努力をしなくては。 なんて思っています・・・。 人は年をとり、 新しい命は成長するのです。 実は今日、小学校の恩師の訃報がはいりました。 小学校2年生の時に担任の先生が産休に入ったときの「産休先生」。 ほんの何ヶ月間だけでしたが、 私はこの先生が大好きでした。 目立たない「頑張ってる」を見つける名人の先生。 今でも彼女と繋がっていた元教え子たちは、 どの子もいわゆるおとなしい、目立たない子達。 私はどちらかというと、 プールの塩素のために髪の毛がまっ茶っ茶で、 別の意味で目立ってはいましたが、 家でのごたごたのため不眠になるような小学生でしたから、 学校ではぼおおおおおおっとしているへんな子でした。 すっごく厳しい先生で、私も何度も叱られましたが、 私は先生が大好きでした。 単純なことです。 先生は私をいつも見ていてくれたから。 誰かに関心をもたれるなんて、 私には過ぎた贅沢だと思っていた私のことを、 見て、触って、汗を噴出しながら怒ってくれた人だったから。 今年のお正月。 毎年必ず元旦に届く先生の年賀状が届きませんでした。 いつかこんな日がくるとは思っていました。 先生のご年齢ははっきりとは知りませんでしたが、 先生が私の先生であったとき、 そのお顔にはもう、くっきりとした皺を刻んでいらっしゃいましたから。 成人してから何回か先生とお会いした時に、 先生の娘さんとも面識がありましたから、 連絡をしてみようと思いはしたものの、 何かご事情があるのかもしれないとも考え、 そのままいようと思っていた矢先でした。 今日、医者から帰ってポストを見ると寒中見舞いが一通。 先生は昨年の2月に亡くなられていました。 最後にお会いしたのは7,8年前、 お声を最後に聞いたのは夫と結婚した年。 晩年は弓道と水泳を愛する温かい人でした。 目と鼻の先に娘さんご夫婦が住居を構えていらっしゃいましたが、 先生はずっと一人暮らしを楽しみ、 教え子が尋ねることを何よりも楽しみにしてくださっていました。 それでもお会いできる機会というのは限られていましたが、 年賀状やお手紙でいろいろなお話をすることができました。 同級生のお話を聞くことができました。 私にとっての年賀状。 年賀状を出す、メールでご挨拶する、 それにブログでご挨拶する、 それにこだわりは持っていませんが、 年賀状で挨拶を交わすお相手とは、 この一枚の紙がご縁を長くつなぐものであると、 これまでもこれからもずっと大切にしていくと思います。 まだまだメールなど使えなかった看護学生の頃のお話。 人が生まれる瞬間を間近に見たのは後にも先にもあれ一回だけ。 そのとき生まれた女の子が、 もう中学3年生になり受験勉強に生を出していると、 お母さんからもらった年賀状にありました。 あれから一度もそのお母さんともお会いしてはいませんし、 これからだってその可能性は決して高くはありません。 それでもご縁は続いています。 「時の経つのは早いですね」 そんな言葉がお互いの年賀状にありました。 縁て不思議ですね。 私は幼い頃も、 たくさんの人に命を吹き込んでもらいました。 立派な大人とまではいえないまでも、 良く育ったほうだと思います。 先生にいただいた関心とぬくもりと汗は、 今は私が次世代に注ぎたいと思っている大切なものですよと、 お線香の前で先生にそんなことをお伝えしようと思っています。 涙でがなく笑顔で、先生のご冥福をお祈りいたします。
2008/01/11
宮島へ旅行に行っていた両親からお土産。牡蠣を上品に煮たものです。ひとつずつ真空パックになっていて、きれいな箱の中に6個入っていました。おお、これは旦那と3個ずつだわ~と思いまず1個。ふおお・・、び、美味でごじゃりまする~。 ということで、2個、3個・・・。( ´)∀`)つ[]<マィゥ~ マィゥ~ マィゥ~ 残りはあと3個。これは旦那の分。でも、あと1個だけ・・。ううん、だめだめ。これは旦那の分。でも・・、ううん、だめだめ。そんな時、休憩中の旦那から電話。「ゆっくり休めてる?ごはん食べた?」おお、そうだ。いいことを考えついた!!「ねえ、お父さんとお母さんからお土産もらったよ。 牡蠣だよ牡蠣。美味しいよ。上品な味付けで。」「へええ、楽しみだな~。」「うん、6個分かれて入っててさあ。」「うん。」「美味しくて3個食べちゃった(* ̄∇ ̄*)b。」「・・(゚∇゚;)・・。」「アタシがさっき食べたみっつのうちさあ、ふたつは私のでさあ、 あとひとつはてぃーきむ君(仮名)のだったってことにしない?」「ふひょ(笑)、いいよ。」「ありがとう!!じゃ、私の分はあとひとつ残ってるから食べるね。」「でさあ、きっとあとふたつは二人で食べることになるんだよね。」「・・・おお!!その手があったか!頭いい!!」それを両親に電話で話したところ、30分後には牡蠣がもうひと箱我が家に到着。(実家と我が家は徒歩15分)しょーもない嫁、しょーもない娘でございます。あれ?!「商売人の娘」について日記書こうと思ったら、前置きでこんなに長くなってしまいました。ま、いっかと筆を置く。
2008/01/06
何だかいい感じです。書けるうちに書いておくって、私にとっては実はすごく大切かもしれないと思いました。歩みを感じるために、断片を固まりにするために、去年からいろいろな試みをしていました。マインドマップやコーチング。これはきっと私にとっては調理なんだなあと。食材があってこそ、どんな風に調理しようか考える。それが私のスタイルなのかもしれません。ちょっとどんくさい私に合う方法なのかもしれません。ここや「ほぼ日手帳」(笑)につらつらと書いたものが、私にとっての食材なんです、きっと。ここで調理しようと思うから書けなくなるわけで。もちろん、調理済みのものが出てきたってかまわないのですが、そうでない覚書もとても大切なんだとわかりました。さて、昨日の続きです。私が勉強を始めたかったもの。それは翻訳のお勉強でした。当時は製薬会社で働いていたこともあって、医薬の分野にとても興味がありましたし、日本語にかかわれる仕事をずっと探していましたから。日本語教師を目指した時期もありました。とても興味深い仕事であり、実際に教えることも大好きでした。でも、会社での書類やようやく作成の時であっても、正確な日本語は必要になってきます。要するに能力がないのだと身に沁みました。「日本語にかかわる仕事」って、一体、自分は10年間も何を探してきたんだろうと、ただただ看護師の仕事から足を洗うための何かを、あれでもないこれでもないと逃げながら探していたのかと、そんな風に考えていた矢先の出会いでした。その講座の先生は言葉の本質を真摯にみつめる方でした。その方の著書をむさぼるように読み、いてもたってもいられずに講座に入会し、会員だけが読める著書も入手し一気に読みました。この道を行こう。はっきりとそう思いました。言葉の本質に真摯に取り組めば、私にもこの仕事ができるかもしれない、そう思い、仕事も減らしてまずは10年間、ここで頑張ってみようと決心しました。でも、結局2回、課題を提出しただけで、私はそこでの勉強を辞めることになりました。「なりました」というと不可抗力のようですね。いいえ、続けようと思えば続けられたのです。介護や家族の死や経済的なこと。どれも乗り越えてきたのですから、軌道を戻すことはできたのです。難しい仕事だから怖気づいたとは思いたくありませんし、実際そうではないと思っています。ただ、夫と日本で生きていくために、何が一番いい形になるのかを考える必要はありました。義母が他界して、夫は日本で生きていくことを決め、一番やりたいことを私に告げました。それにはただ単純にお金が必要でした。ここで、自分の10年後に賭けて頂戴とは言えませんでした。それほどの覚悟を持つことができなかったのです。お互い好きにやりましょうとも言いたくなかった。それが私の選択でした。おいおい、そんなに重要なことかい?と思いますか。ええ、とても重要で大切なことでした。将来、自分に言い訳をしないための、自分で自分の人生の責任を取るための。迷うことは責任を取ることです。責任の場所を確保することです。私は夫とともに開業準備に取り掛かることにしました。その講座にはもう2年ほど籍を置いているのですが、実際、技術的なことは何一つ勉強を始めませんでした。ただ、商売(と言ったら怒られるかもしれませんが)の厳しさ、どんな仕事にも通じる仕事に対する姿勢、そういったものを感じ取ることができ、筋の通った何かを持ちたい、闘うことができる人間になりたいと思うことができました。その方のブログと相互リンクさせていただいていますが、何もお断りをしていないので詳しいことは書きません。私が入会していることもご存知ではないだろうと思いますが、こんな独り言の日記でひっそりと感謝を述べたいと思うのです。その方に人生を変えてもらったのですから。実はまだ、退会手続きをしていません。そこの会報誌がとても面白くてついつい先に延ばしていたのですが、仕事をするために切磋琢磨する人たちが集まる場所に、私のようなものがいつまでもいてはいけません。そろそろ、手続きをしなければいけませんね。手放したものがこんなにも自分の中にしっかりと残る。手放すのも初めてならば、そんな経験も初めてです。将来に繋がる選択であったと、そんな風に振り返ることができる未来を作っていきたいです。さて、もう少し自分の棚卸し、してみようかと思っています。蛙の子は蛙。商売人の娘の血は商売人のDNAで溢れている??
2008/01/06
現在、医療機関で二交代勤務に就いていますが、一回夜勤をやってガーッと寝ると、あっという間に3日間くらい過ぎてしまいますね。そしてあっという間に年をとるのかしら・・?でも、お休みを充実させることができるので、もう少し実力をつけて休日は仕事を忘れられれば(爆)、もっと休日を有意義に使えそうな気がします^^さ、この日記で気持ちを切り替えて、夢に向かう自分の世界に浸っちゃいましょ。いきなりですが、私は親に何かを反対されたことがありません。でもって、始めたことをすぐに放り出したこともありません。水泳は3歳から13歳まで続けました。経済的理由であきらめた大学進学も短期留学も、社会人になってから自分で稼いで実現させました。働きながら日本語教師養成講座と大学を卒業しました。看護師もなんちゃってナースではありますが、今年で丸15年^^なんとか続けてきました。大きな成功をしたわけではありませんし、こんなの普通よおと言われるかもしれません。心の赴くままにやってきましたので、「これ!」というたった一つのものを達成してもいません。それでもこの経験は私の大きな力になっていて、私の中では立派な成功体験です。でも、今回初めて「手放す」という作業をしました。もちろん今までも何かをあきらめたり、別の道を行くという経験はしてきましたが、これだ!みつけた!と思うものを、一歩踏み出したばかりで手放した経験はこれが初めてです。そして初めて知りました。手放すって力がいるものですね。時期的にはもう2年も前のことになるのですが、私はこれで生きていきたいと思うものを見つけました。私が愛する日本語を使ったお仕事。努力して者になるのか、適性はどうなのか、それは全くわかりませんでしたが、実際にそのお仕事にかかわっている方のブログを読んで、そこから勉強の場につながって、時間もお金も将来の自分に投資しよう、まずは10年頑張ろうと、一歩踏み出したその時期に自分をとりまく環境が変わっていきました。正確に言いますと、地獄のような日々にひと段落したので、楽天ブログも始めたところだったのですが、それでもまだ変化の渦中にいたのだと気がついた時期でした。(どんな日々だったか知りたいですか?うふふ、いつか・・)・・・やばい、疲れた。かるーくと思ったのですが、書き出すと自然に気合が入ってしまう。普通であれば、ここでワードに保存して、(今は下書き昨日があるようですが)また後日に練りにねるのですが、今日は取り合えずここでアップしちゃいましょう(笑)おお!それがいい!賢いぞ私!!・・と、言い訳して自分を甘やかす私。ま、続けることが目標ですし。この続きは夜にでも書こうかな。
2008/01/05
さてさて・・。はえーな「次回」・・( ̄◇ ̄;)mixiの日記の転載なので本日アップでございます。転載と言ってもそっくりそのままは赤裸々なので、楽天では少しソフトに編集してありますが(笑)以下、mixi日記を「ほぼそのまま」転載したものです。ー。-。-。-。-。-。-。-。-。-。-。-。-。-ええ、この題名、そのまんまですわ。 このかん、開業について旦那とえらくバトりまして。 バトッたと言うよりも私が切れた・・。 でもね、わかっていたことなんですよ。 こういう男なんですよ。 そういうヤツと結婚したんですから、 私だっていろいろと妥協しなくちゃいけないんですよね。 が! 開業したいと言ったきり、 勉強もせず、必要なら融資をと言ってくれた義弟に直接挨拶もせず、 事業計画書を作って周囲に自分の計画を発表しなければという気持ちもなく・・。 そりゃあ韓国の友人と飲みに行くのは奨励しますし、 気分転換は誰だって必要ですから文句はいいません。 でもでもでもでも。 もし、私が開業を思い立ったならば、 夫に頭をさげ、親戚に事業計画を公表し、 資金融資を申し出てもらったならば、 燃えに燃えて開業準備に着手します。 実際してましたし。 そう、私が。 本を読み漁り、友人に声を掛け、 20代のころ入り浸っていたバーのおねーさんに会いに行き、 学生時代にお世話になったちゃんこ鍋やの奥さんに会いに行き、 物件相場を調べ、月商、客単価、仕入れなど、 断片ではありますが仕事の合間に少しずつ進め、 10キロの白菜でキムチを試作するその横で・・、 うちのバカ亭主はPSPに夢中。私はブチ切れた自分こそが気の毒になりましたよ。 ちっくしょおおおおおおお!! このバカてええええしゅーーーーー!! ヽ(#`Д´)ノ┌┛きいいいいいいいいい!!ってことで、宣言しました。 「あんたは私の店の従業員だ。店長やらしてやるからありがたく思え、 あんたに経営者は無理だぁ!!」 ああ、すっきりした~~~~。 旦那は固まっていましたが、 しばらくして「俺の人生店長どまりかあ」とつぶやく。 むかつきますが、こいつと結婚した責任、きっちりとらせていただきます。 ってことで、本格的に起業準備を開始しました。 来年は商工会議所の創業塾に参加予定です。 料理の師と仰ぐアジュンマがレシピをくれることになったのも幸運です。 資本金も2年節約を重ねた時点で、親戚からの融資を足せば、 10坪ほどの店をいくつかの候補駅で出すことができる計算です。 親戚の融資が得られない場合は3年後ですね。 計算どおりに進まないのが起業だと思いますが、 頭の中は店のアイディア、コンセプトではちきれそうです。 いろいろな人の意見を聞きながら断片を固まりにしつつあります。 今はこういう機会をくれたうちの優秀な店長候補に感謝です(爆) 水泳で培った根性と、自分の行動に責任を持つ精神力、 看護師で培った臨機応変さと、幼い頃の両親の背中、 翻訳の通信講座で実感できた商売の厳しさ、 前の会社で培った書類作成能力。 全てが生きてくるでしょう。 そして、何よりも人!! mixi含めた周囲の人が何より大切だということを、 ご無沙汰していたこのかんに一層強く感じていました。 来年はもっともっと「人とのつながり」を大切にしていきたいです。 スタートラインを引く作業中に何度転ぶかわかりませんが、 「徒然なるままに」で起業日記を書きつつ、 夢に向かって進んでいきたいと思います。 バカ亭主ではありますが、やはりこの人はプロ。心の芯が弱めの私は彼なしでは起業することはできませんし、 開業してからも、彼の能力なしでは店は回りません。 その話をしない時には愛する旦那様ですしね。 相変わらず私が子どもみたいにあまえてますから。 私は「コーチング」というのを受けているのですが、 コーチに言われたとおり、役割分担が大切なのでしょう。 あ、あと「七変化」??ぷぷぷぷ・・。 くうううう!始まりの音が聞こえるぞおお。ー。-。-。-。-。-。-。--。-。-。-。-。-。-。この日記は全体を上から撫でるような視点で書いたいわば目次。これを決心するまでの自分の迷いや気持ち、一つ一つの細かい枝葉がありますので、それを書いていきたいと思います。まずは「そぎおとし」これは結構時間がかかりました。「先立つもの」を確保するためとはいえ、新しく始めた仕事には大きな力を注ぎ込む必要がありましたから。さてさて、次回。どうしよう、今日中にアップしたりして(爆)
2008/01/02
あけましておめでとうございます。いやいや、年が明けましたな。明けちゃったんですね~~(汗)何の締めもなく言葉もなく、ひたすらバタバタとして年が明けました。「大晦日?!、なにそれ?」ってなぐらい、年が明けようが暮れようが、もうすでに何かが始まってましたから、今この瞬間も助走期間の中継地点におります。もちろん実家で「煮物づくり」の恒例行事はしっかりとこなしました。朝から晩まで煮物を作り、朝から晩までそれを食べ続ける(笑)これ、我が家のお正月です。しばらくブログから離れていましたが、昨年までの日記を振り返ってみました。すると・・、なーんてなんて気合の入った日記だろうと、我ながらびっくりするわけでございます。なんせ全体から細部にいたるまで、何度も書いては書き直し、離れては近づき、どれだけ力使ったんだよってな日記ばかりですから。私は日本語が大好き。形も音も規則も・・。でもって、自分の心を映し出しつむぎだす材料としても。だから時々書けなくなってしまいます。(売れない作家のようなこと言っていますが・笑)書きたいと思っていたことが、文章にするまでにまとまっていなかったり、どの言葉を使って表現しようかと迷っているうちに、遠く遠く彼方に去っていってしまう。これでは私も欲求不満です。で、今年からはもう少しかるーく欲張らず。今までより一層「徒然なるままに」書いていこうと思います。だから今、自分が何の助走期間にあるのかは次回お話します。35年以上生きてきて初めて「そぎおとす」という作業をしました。今まで始めたことは納得いくまでやるほうでした。初めの一歩で手放すことはなかったんです。でも、ほとんど一歩も踏み出すことなく、手放したものがあります。それでも不思議なことに得たものは大きかった。始まりの音が聞こえたんですね。そぎ落としたのではなくてするっと落ちた。一歩前に出たから足跡ができた。そんなことだったんだと思うんです。ま、とりあえず。「今年も稼ぐ」健康第一でわが道を行きます。
2008/01/02
秋も深まってきましたね。 深まっちゃいましたね、いつの間にか(汗)しかし・・・。 いやいや、この年で完徹できるものですね~~。 夜勤入りの昼から、次の日の昼までほぼ24時間、 一睡もせずに仕事をして、体調は良好です^^ ただ、睡眠に気をとられていたせいか、 ちょっと体重が落ちてしまったかもしれません。 これはいかんので、食事にも注意しなければです。 私は相変わらず、仕事まみれな毎日を送っており、 やっと少し慣れてきたという感じです。 が、日々穏やかにはいきません。それをはるかに上回る速度で責任のある仕事をまかされ、 なおかつ何故か私の評価は高い・・。 いえ、仕事ができない人間だとは思っていませんが、 それほどできるほうでもないことはよくわかっています。 多分、私の「ド」がつくほどの真面目な態度がそう評されている。 そういうことなんでしょう。 素直に喜ばしいと思えないのは、 猪突猛進にのめりこんでしまうこの性格と、 忠犬八公な自分の性質を熟知しているからにほかなりません。 少しでも気を抜けば、私の強い承認の欲求が深いところを刺激して、 身を滅ぼすことになりかねないことをよくわかっているからです。 真面目すぎればバランスを失う。 それはとても怖いこと。 あれだけ基準値内を目指していたのですが、 恐るべし我が承認欲求・・。 まるで小学生のまま心が成長していないようだと、 そんな不安が湧き上がってしまいます。 それを打開するには・・・。 笑うしかありません(マジで) 仕事を楽しむ、楽しむ方向性は自由(爆) 幸い私にはじめに指導してくれた方。 とおおおってもドライなんです。 この人に笑うことも教えてもらった気がします。 直球でないコミュニケーションも、 もしかしたらとても大切なのではないかと、 やっーとこさ、この年にしてわかりました。 おせーよって感じですがね。 今までは「直球しか投げられない自分」というものに自尊心を支えられ、そんな自分が好きでもありました。 また、逃げるときの言い訳にもしていました。 しかし、どこの職場に行っても困ったチャンはいる。 現在は他でもないこの病院を設立した理事長先生。 こいつが曲者です。 根は悪い人ではないのですが、理解不能なことをしてくれます。 それでもチームでぶつかっていけるので、 ストレスも皆でぶちまけあうことができています(爆) むかついて、嫌な思いをして、悩んで・・。 んでもって皆で笑っちゃってます。 そんな相手に影で不満ばかりを言っても始まらない。 直球を投げ続けてぽっきりと折れてしまうのもつまらない。 ここを離れたって社会なんてどこに行っても同じ。 だったら、しなやかにしたたかに、 この中を泳ぐほうがかっこいいんじゃないか。 そんな風に思って気持ちを切り替えました。 30代も半ば。 それがかっこいいんじゃないか・・。 昨晩の歓迎会で先輩たちと盛り上がったのでした。 どうかどうか資金が貯まるまで、ここで稼げますように(笑) 技術、知識、人間力。 資金をためるためにはじめた仕事ですが、 仕事ってやはり真剣に取り組まずにはいられないもので、 そうあって当然のものなのだと思うのです。 だからその3つの研鑽を積むべく、 明日もまた戦場に赴く私でした♪
2007/10/25
お久しぶりです^^ 実は、お仕事変わりました。その関係もあってこちらへお引越しです。純粋に仕事についての話題は、やはりあまり出ては来ないと思いますが、今の生活のメインテーマなので、今回はこっちにも書いてみようと思います。昨日、3日間のオリエンテーションを終え、 今日はお休みをいただくことができました。 すでに受け持ちを抱えてチームの中で動き始めました。 私はすぐに根をつめてしまう方なので、 はやる気持ちを抑えて美容室でリラックス。 雰囲気も仕事がどんな感じかも、 まだまだ見る余裕がありません。 気が付くと終業時間、気が付くとへとへとです(笑) 頭は飽和状態。 覚えることやルーチンの多いこと多いこと。 外来とは違う病棟の忙しさ、嫌ではないですね。 (あくまで今のところ・・です^^;) 指導者の年齢はわかりませんが多分少し下でしょう。 私の何倍もしっかりした人です。 仕事ができるできる!! 教え方も本当にわかりやすいです。 褒めて育ててくださいとお願いしました(爆) この3日間でわかったこともあります。 人間関係のストレスがないとやはり仕事に集中できる。 それと、体だけの疲れは休むと回復するんだなあということ。 これから色々な意味で気持ちにも負荷がかかってくるでしょうから、 気分転換は上手くしていきたいと思います。 残業は仕方がないですね。 当分日勤の日に約束は入れられなさそうです^^; 旦那との休みが合うことは余程でないとなさそうですが、 毎日顔をみているので大丈夫。 平らに平らに、仕事でも人間関係でも目立たずいきたいと思います。 目指せ歯車!! 大切なことですよねーー。 ところで、表題のこと。 体に思いやり。 就職時の健診に言ってきたのですが、 右肺か右の背中側の肋骨らしいのですが、 骨折?!と思われるような影が・・。 タダの骨折であれば、そりゃ問題ないのですが。 骨粗しょう症の好発年齢にあるわけでもないので、 医師がちょっと心配しCTをすすめられました。 要するに癌が原因で骨に異常が出ているとか、 肺がんの初期だとかが心配らしいです。 結局、区の健診を受けることにして、 そのときの胸部レントゲンと見比べ、 そこでやはり所見があった場合にはCTということになりました。 いやいや・・。 8年前に祖母がなくなり、昨年には祖父と義母。 自分が死ぬことへの不安というのが、 最近は不思議と薄れてきたのですが、 医師の話を聞いてやはり思い浮かべるのは夫と両親。 生命保険の死亡給付金に思いをはせたり、 今回のことに限らず、店を出すまでは健康でいたいと思ったり、 もし自分に何かあったらと考えたら、 夫や両親などの大切な人たちのことが頭に浮かびました。 うちには子どもはいないですが、 何かあって大切な人たちを悲しませるのは辛いなあと、 病院からの帰り道にそんなことを考えました。 検査をするまでは中途半端で嫌なものですが、 それはそれ、待つしかありません。 時間が限りなくあると思っていた若い頃。 なんとなく、一日で自分が少し変わったような気がしました。 また何かそぎ落とされたような気分です。 そうそう、そのときに肺の変化をもうひとつ指摘されました。 人の体って個性があります。 ある種の病気になりやすいタチとでも言うのでしょうか。 私は20歳から10年ほど喫煙をしていました。 多いときで1日1箱ぐらい。 「そのまま吸っていたらかなりの確率で在宅酸素になっていた。」 と言われ、きっぱりやめてよかったと心から思いました。 肺が「伸びて」いる状態、肺胞がやや変化を起こしている状態らしいです。 1mgの煙草でもこうなのです。 皆さんも、なるべく煙草はやめましょうね。 (と、自分のことは棚に上げて締めてみる・笑)
2007/09/13
お久しぶりです。昨日、釜山から戻ってまいりました^^諸事情により楽天内で無理やりお引越し。インターネット、いろいろありますからね~。楽天はどこにもまるごとのお引越しができないので、それならばとこんな形でのお引越しです(^^;デザインなども同じものを使用していますし、心機一転という感じではありません。今までの日記はフリーページに移します。ま、ゆっくりとですが、せっかく書いたものを消したくないので。来週から看護師として現場に戻ることもあって、(ええ、なにやら全力で稼がなければいけない状況なので)これからはひっそりと超不定期での更新となりそうです。ご連絡差し上げた方々、またいらしていただいてありがとうございます!!
2007/09/05
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