「廃校」

「廃校」





 教室の戸を開けたとたん、「ひいくん、遅刻だよ」と声がかかった。
 みんなが席を立ち、私を取り囲んだ。のりくんにたっちゃん、きいぼう、かずこちゃんにこずえちゃん、他にも懐かしい顔が集まっている。
「ずっと待ってたんだから」と、こずえちゃんが私の手を握った。隠していたけど、彼女は自分にとって初恋の人だ。運動会のフォークダンスの時のように、耳のうしろが熱くなった。




「途中で列車が遅れちゃってね。それにしても、四十年ぶりにのぼるクルミ坂はきつかった」
 私は、首筋の汗を拭う仕草で紅潮した顔色をごまかした。
「ひいくんは、修学旅行のひと月前に転校しちゃったからなあ」と言って、のりくんが前に出てきた。彼とこずえちゃんと交代だ。ざんねん、でもそれを表情には出せない。




「みんな山の子だから、船に乗るのをたのしみにしてたんだよね」
「おれは、おまえと同じ班になるはずだったんでガックリきた」
「ごめん、父の急な転勤で……」
「あやまることはないさ。今日、こうしてクラス全員集まったから、やっと時計を元に戻せる」 
「えっ」
 のりくんの目配せに応えると、教壇を踏み台にして、 ほんとうに、 黒板上の時計を逆回しするたっくんの様子が目に入った。
「あいつも、あいかわらずクラスの‘おとぼけ委員’だな」
 意外なことに、誰もこのセリフを笑う友はいなかった。




「青山先生は元気? 今日、ここにくるの?」
「くるさ。ほら、さっそく足音が聞こえてきた。みんな席に着こう。遅刻のバツとして、ひいくんが先生の真ん前だ」
 椅子を引く音が鳴り止まないうちに、先生が教室に入ってきた。白い開襟ブラウスに黒い襞付のスカート、あの頃と同じ、女学校出たての清楚な容貌のまま、私と真正面に向き合った。
 こんな田舎にいてはもったいないほどきれいな人だ。また顔が熱くなってしまう……でもまてよ、なぜ先生は年をとっていないのだろう……いや、先生だけじゃない。そもそもこの教室に入ったときから、みんなの顔が見分けられたこと自体がおかしい。なにしろ四十年ぶりの再会、ほとんどの友が、別人の顔かたちとなっていて当然だ。





 ほかの人が気になってうしろを振りかえった。するとみんな、子どもの顔、子どもの背丈にもどり、黒く澄みきったまなざしを教壇の先生に向けていた。ななめうしろにいるこずえちゃんも、いつの間にかお下げ髪を編み、窓から射す西陽に、紅い頬っぺたをつやつやと光らせていた。
ひろゆきくん、おかえり」
 先生の声に向きなおった。懐かしいはずの微笑みが、いっぺんに怖くなってきた。
「あなたがきてくれたおかげで、ようやくこの教室から出られそうだわ」
「それは、どういうことです」大人の声を絞りだして私は問いかけた。
「この記事を読んでごらんなさい」先生は、机の上に黄ばんだ新聞を広げておいた。





 その見出しにはこんな、太ゴチックの活字が並んでいた。
‘○○海峡で連絡船転覆 修学旅行生四十五名が遭難’
「ホントなら四十六名のはずだけどね」とつけ加えたのは、こずえちゃんの声だ。
 先生が話をつづけた。「クラスの仲間が、首を長くして待ってたの。あなたを呼ぶ歌をうたったり、あなたの好きなアケビの実がなったって手紙を書いたり、男子はひとり抜けのチームで野球をしたり。先生も、この日が早く来ますようにって、ほら」とゆびさす点呼帳に、しっかり私の名前が載っていた。
「ちょっと待って」と立ち上がった。「僕には今の暮らしがあり、今の家族がいる。先生やみんなと一緒にはなれない」
 するとうしろの席ののりくんが、「もう遅い、おとなしくしろよ」と私をたしなめた。
「どこが遅いんだ」
「自分の格好をみてごらん」




 自分の首から下を見おろした。上履きのバレーシューズに半ズボン、足は細く、手は小さい。完全に子どもの体形になっている。
「なぜだ」と問うひまもなかった。そのとき窓ガラスがいっせいに割れ、怒涛の勢いで、水が教室の中に流れ込んできた。泣き叫ぶ友たちの声、机同士・椅子同士がはげしくぶつかる音、引き戸を破った渦音が雷鳴のように廊下を走る。しかしそれも、ほんの数秒の出来事で、黒い水が満ちてしまえば、すべては嘘のようにしんと静まりかえった。




 冷たい静寂の底、先生を真ん中にしてクラス全員で 輪を描いた
「私たちの学校はこれでおしまい。みんな、いい子で家に帰ってね」
「先生はどうするの」
「先生には、ここでまだやらなくちゃいけない仕事があるの。あとでみんなの跡を追うわ。それから、あなたたちひとりひとり、ひろゆきくんに今日のお礼を言いなさい」 その言葉はかすかに、涙で震えているようだった。
 ありがとう、と言い残して消えてゆく友たちを見送るうち、私は、 本来の私の運命をさとった。 そして、すべての友と別れたあとも、先生とふたり、この校舎内にとどまる覚悟をきめた。

                                  了





しょうせつろご


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