(三)



「ふみ待つひと」



(三)

 意を決して彼に声をかけた。
「いまポケットにしまったものを、見せていただけないでしょうか」
 昨日と同じく、血の筋が浮きたつ目の玉でにらまれても、ひるまず僕は先の文句を繰りかえした。
「いまあなたがポケットにしまったものを、見せていただけないでしょうか」
 さほど高くない背丈をおぎなうように胸を張り、彼は「どうしてかな」と訊きかえしてきた。
「その封筒の中身が気になって仕方ないからです」
「おまえさんが気になるのはこれを置いた当人じゃないのかね。男なら、こんな紙など放っておいて女のあとを追ったらよかろうに」
「それができないから、こうしてお願いしているんです」
「なぜできない。いい齢をして女に声をかけたこともないのか」
「ちがいます。その封筒に行く手をさえぎられているような気がして……」
「ふん」取るに足らないといった顔つきで、彼は太い首をすくめた。「前にも、似たようなことを言ったヤツがいたよ。あんまりしつこいんで、熊手をぶん回して追っ払ってやった。アイツ、あれから二度と顔を見せないなあ」
「僕はちがいます。希望がかなうまで何度でもお願いにくるでしょう」
「それはどうかな」嘲笑に彼の唇がゆがんだ。「若いのに口達者な男ほど信用ならない。いいか、あの子のことはそっとしておいてやれ。それがいやと言うなら、この場で即、ワシが相手になってやる」
 面前に二の腕がつきつけられた。作業着の布ごしにも、固く盛りあがる筋肉がわかった。言葉をかえさない僕を横目で牽制しつつ、彼はその場を立ち去った。

 相手のたくましさにおそれをなした訳じゃない。いっしゅん、袖からたちのぼる枯れ草の匂いにむせただけだ。それが証拠に、次の日もまた次の日も、僕は同じ談判を繰りかえしに行った。
 つのる相手の苛だちが、肌身におし寄せるように伝わってきた。まぶたを震わせて「いい加減にしろ」と怒鳴ったり、握りこぶしに息を吐きかけ、今にも殴りかかろうという態度を彼は露骨にしめした。けれどそれしきの脅しが、捨て身の僕に通じるはずもなかった。
 そして三日目。空は暗く、もの憂げな風が午後からの雨を予感させた。よどむ空気をささえる碑の背後で、きびしい眼光を彼が放ちつづける。
 ぶつかり合う男ふたりの視線をよそに、あのひとはいつもの勤めをはたす。その姿が樹木の陰にかくれたのを見とどけてから、舌うちして彼が言う。
「また来たのか」
 悪びれず僕は「はい」と答える。
「ばかもんが」いまいましげにつぶやいて、彼はまた封筒を手にとった。「ワシの息子なら、とっくにぶん殴っとるぞ。こんなものにウジウジとこだわりつづけて情けないと思わんか」
「別に情けないとは思いません。誰にどう思われようと、僕自身はいっこう平気です」
「じゃ、こいつも平気だな」と彼は、熊手を逆手にかまえた。
「どうぞ、それで殴ってください。その代わり」
「その代わりなんだ」
「僕が痛みに声をあげなかったら、彼女が置いた封筒を渡してもらえますか」
「言っとくがな、おまえのような軟弱者とは腕っぷしがちがうんだ。ワシに打たれたら、ただの怪我じゃすまんぞ」
「それも仕方ないですね。こちらからお願いしたのだから」
「おまえ、本気で言ってるのか」
「もちろん本気です」
 たしかに強がりではなかった。真実を手に入れるためなら、骨の二三本を折るくらいの覚悟はできていた。じっくりと僕の顔色を見分したあとで、彼は熊手を降ろした。
「やめた、やめた。殴ってくれ、なんて自分から言い出すヤツを相手にしても、男の値打ちがさがるだけだ。おまえさん、よほど深くあの娘のことを思いつめているらしいな。しょうがない、ワシについてきな」

 連れていかれた先は、管理棟裏のプレハブ小屋の中だった。園芸用の肥料や道具を積んだ棚とくろずんだ机、更衣用のスチールロッカーが置いてある。倉庫兼、彼の休憩室らしい。
「せっかくだから、くつろいでいけ」なみなみとお茶をそそいだ湯呑がさしだされた。その重みを手のひらに受けとると、僕は性急に本題を切りだした。
「彼女はどこのだれなんでしょうか。ご存知でしたら教えてください」
「なんだ。まるであの子の素性を知らないのか」
「ええ」
「どこまでも変わったヤツがいるもんだ」顔ではあきれながらも、口調は真面目にこう答えてくれた。「もとは由緒ある家のお嬢さんだったが、数年前、親父さんの事業がゆきづまり、一家離散の憂き目にあったらしい。齢はいま、二十六・七といったところかな。川向こうにある生活保護世帯向けの市営住宅に住んでいると、巷の噂で聞いたことがある」
「独りぐらしですかね」
「そこまでは分からん。けれど、ああいう心の病をかかえた子だ。面倒をみる人は要るだろう」と話すついでに、彼は棚の上から段ボール箱をひとつ降ろした。「まあ、こいつをのぞいてみな」
 箱を開け、僕は息を呑んだ。中には、あの白い封筒がぎっしりと詰まっていた。
「みんなあの子が置いたものだ。この二年あまり、一日たりとも欠かさずに」
「失礼ですが、中をごらんになったのですか」
「最初のいくつかは読んだ。さいわい遺書めいたものじゃなかったが、ことによっては警察に通報する必要があるからな」
「どんなことが書かれていたんでしょう」
「男への恋文だ。おまけにどの手紙も同じ文面ときた。文字どおり、気もくるうほど一途な恋だったんだろう」
「お願いです」僕は椅子を立ち、頭を下げた。「このうち一通を貸してください。読んだら必ずお返ししますから」
「ワシもそのつもりで、おまえさんをここへ連れてきた。じっくりと一字一句をかみしめ、あの子の哀しみを察してあげなさい。そうすればしぜんと、ワシがそっとしておいてやれと言った理由が解るはずだ」
 ひと息おいて彼は煙草に火をつけた。紫煙をくゆらせてもの想う表情から、いかめしい外見にかくれた繊細さがうかがえる。
「そういえば・・・」と、思いだしたように彼が言い添えた。「碑の傍に如来さんがいらっしゃるだろう。あれが祀られたいきさつを知ってるか」
「いえ、よろしければお聞かせください」
「光背の銘には安永の元号がきざんである。およそ二百年前の話だ。あの船着場から真夜中に舟出した男女がいた。男は新参旗本の長男の若侍、女は譜代の士の一人娘だ。相思相愛で一度はいいなづけとして認められたふたりだが、新旧家臣が対立する御家騒動に巻きこまれ、その仲を裂かれそうになった。一心同体の誓いをかわしていた彼らは、家も名もなげうつ覚悟で駈落ちをくわだてたんだ。ところが、人目をはばかり灯も点せないところへもってきて、素人の櫂さばきときた。川中へ出て間もなく岩にぶつかり、舟はみじんに砕け散った」
「両人とも亡くなったのですか」
「さいわいと言っていいのか、娘は近くの岸に打ちあげられ、追って来た家人の介抱で息を吹きかえした。なんと、白無垢の花嫁装束を身につけていたというから、もとより心中覚悟だったのかもしれん。だが男の行方となると、とんと判らずじまいだ。一晩の内に海まで流されてしまったのだと推測し、人々はそのむくろを捜すのをあきらめた」
「ということは、生き残った娘さんがあれを?」
「いいや、ちがう。それ以来、あの川で若い女を乗せた舟の遭難が絶えなくなった。もしや自分の連れ合いじゃないかと男が舟をくつ返してみるのだろう、そう考えた船頭たちが、亡者の執着をしずめるために如来さんを祀ったらしい。おかげで川舟の災難は、以降ぱたりと止んだそうだ」
 ここで彼は、すっかり灰になった煙草をもみ消した。
「生きのこった娘さんは、どうなったんでしょう」
「残念だが何も伝わっていない。けれどワシの頭の中では、その手紙を書いた子と、言い伝えに聞く武家の娘さんがひとつに重なってしまうんだ。あの如来さんの像下に『倶ニ一處ニ會フ』という文字が刻まれている。駆け落ちしたふたりが交わした誓紙の文句らしい。たとえこの世で生き別れても、西方極楽浄土でいっしょになろうという意味だ。その通り、いちずな女性の願いを、仏さんがかなえてくださるといいんだが」

*    *    *

『私が暦を読みあやまっていたのでしょうか。それともささいなすれ違いが、ふたりをさらに遠ざけてしまったのでしょうか。さいごに交わした約束通り、一年後の同じ時、同じ場所であなたをお待ちしていたのに。
 あのとき、「ついておいで」のお言葉にうなずけなかった自分が悔やまれます。ごくわずかなためらいが、これほど長い離別をまねくとは思いもよりませんでした。
 何もかも私がいけなかったのです。うらむ気持ちなど、つゆいささかもいだいておりません。もういちど機会をあたえてくださるなら、どこまでもあなたについてゆく覚悟はできています。寒風ふきすさび鋤鍬さえ入らぬ凍てついた土地も、ふたりいっしょなら肥沃な田園に勝るめぐみをあたえてくれるはず。あるいはそこが常夜の国であろうと、たがいのぬくもりが燭火を春の陽ざしに代えてくれはず。
 きっとあなたは、心ならずも遠くの地にとどまっていらっしゃる。お返事をしたためるいとまもないほど、いそがしい日々を送っていらっしゃる。ふたりが別れた橋に立ち、眼下の流れを見つめるたび、そんなあなたのお姿が水面に浮んでくるのです。
 どうか一日も早くもどってきてください。もういちど私の手をとって、「ついておいで」とおっしゃってください。明日にでもそのときが来ると信じて、この川をくだる舟にたよりを託します。もしもお読みいただけたなら、ご無事でいるとのお答えだけでもいただけませんか。
 何もかも私がいけなかったのです。うらむ気持ちなど、つゆいささかもいだいておりせん。もういちど機会をあたえてくださるなら、どこまでもあなたについてゆく覚悟はできています。寒風ふきすさび鋤鍬さえ入らぬ凍てついた土地も――』(このあと筆跡がはげしくみだれ、一字一句の判読が困難になる。しかし、繰りかえす仮名文字の流れから、中段以降の訴えが幾度も循環していると推察できる)

 書き出しにもどったところで手紙をテーブルに伏せた。再読の誘惑をしりぞけて椅子をたち、窓外に視線を解きはなった。数え切れないほど読みかえしたため、頭も眼も疲れきっている。
 雨の夜だ。濡れた窓ガラスが裏街のネオンをにじませる。ほころんでは散るまぼろしの花を見つめるうち、かたちあるもののはかなさと、それに望みを託さずにはいられない人の身の哀しさが、不意に胸をせきあげてくる。
 はたしてこの世に、どこまでも時を超えてたしかなものなど在るだろうか。あるいはさらに些少な事実でもいい、僕自身の変わらぬ拠りどころを見出すことができるだろうか。
 ふたたび記憶の世界が口を開け、まよえる僕をいざなう。僕は安んじて、その中に足を踏み入れていく・・・・・・・・・

――――場面は昨夜をひきつぎ、闇につつまれた船着場の跡だ。背を向けた亜紀子の影に、自分がまだ語りかけている。
「なるほど君の推測はただしいかもしれない、女たちはみな、新しい生を生きんがため補陀落渡海の舟に乗り組んだとしよう。だが、いまこの時代を生きる君自身はどうなんだ。千年むかしの人と同じく、はるかな楽園を信じているのかい」
 なおしばらく亜紀子はおし黙っていた。依然、腕を組んだ姿勢をくずさずにいる。
 低い雲に、街道を往く車のライトが映る。ゆるく弧を描いてはおぼろな山影に沈み入る光たち。寄る辺ない魂が、彼女の背後につきしたがっているかのようだ。
「信じているわ」という言葉がかえる。ところがその声は、聞きなじんだ亜紀子のものではない。胸騒ぎにせかされ、二歩三歩と前に出た。かすかな川明りをかりて眼でなぞる背丈が、彼女にしては高すぎる。とうとう僕は、こう訊ねずにはいられなくなった。「君は誰だ。本当に亜紀子なのか」
 彼女がこちらを振りむきかけた。するとにわかに川風が吹きすさび、砂や枯草が低い宙につむじを巻いた。僕はたまらず肘でおもてを覆った。
「あなたといっしょなら、何処でも楽園と呼べるのよ」
 いかにも思いつめた言葉だけが、風にあと押しされて耳に流れこんでくる。
「ねえ、約束して。私たち、どちらか片方でも、この世界を去る決心がついた日には、ともに手をたずさえて帰らぬ旅に出ることを」
 ああ、そうだ。この言葉にはおぼえがある。でもだれが言ったのだろう。見たい、知りたい気持ちが風のつらさにまさり、僕は肘をおろしていく。雲が風に追われたのか、さやかな月影が細身の立ち姿を照らしている。白い裾長の衣装をまとった人の顔かたちをみとめる前に、こたえは僕の口から放たれていた。
「わかった、約束するよ」――――

・・・・・・・・・みずからの声で我にかえった。雨音が重い。息で曇ったガラスを手でぬぐう。雨足が霙をふくんで白い条をひいている。
「わかった、約束するよ」己が言葉のなごりをかみしめて、そして、すべてが一本の糸でつながる予感に気持を火照らせて、僕は窓際をはなれた。
 ふたたび手紙を手にとって鼻先に近づけた。懐かしい香りがする。かって自分はこの甘やかな香りに酔い痴れ、彼女の膝枕に憩う月日を過ごしていた――匂えば匂うほど、そんな気がしてならない。頬をくすぐる髪の感触も、子供のようにすがる僕をあやす微笑みも、いま在るかのごとくよみがえってくるのに、これを単なる妄想としてかたづけることがゆるされるだろうか。
 昂ぶる感情を持てあまし、ふと側面のドレッサーを見やった。するとそこに、自分の姿が映っていない。鏡面は、ただ壁紙のベージュ色に塗りつぶされている。
 当惑もつかのま、それが当然という考えにかたむいた。つまりこの肉体そのものが自分の偽ものだと直感したのだ。そう、この顔もこの首も、この胴や手足も、青白い蒸気でできたまぼろしにすぎない。さらには、これまで僕の内部を占めていた過去の記憶――この街で過ごした学生時代、故郷での会社勤め、あるいは別れた会社の恋人との愛憎――どれもみんな嘘っぱちだ。長い歳月、僕は、はかない感覚が描いたまぼろしに躍らされてきたんだ。
 でもいまはちがう。内の内から自分がだれかを、そしてこれまで自分が何を為し、これから何を為すべきかを把握しつつある。あらためてあのひとを帰らぬ旅路にいざなうため、僕は心ひとつでこの街にもどってきた。なお瞳を凝らしても現し身をこばみつづける鏡が、それを証明してくれている。
 けれど肝心のあのひとは、僕の帰還に気づいていない。彼女を寂寥の日々から救うため、まずこの朗報をつたえなければ。
 ふるえがおさまらないままの手で、鞄からペンと便箋をとりだした。

(四)へ続く

しょうせつろご


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