全256件 (256件中 1-50件目)
4月1日 ふと死んだ父を思い出した 私が小学校低学年の頃だったと思う 実家は、僕が生まれる前に農業を辞めて、父が大阪でサラリーマンをしていた 山奥の集落に他にその様な家は無く、母は毎朝4時半に起きて父を会社に送り出し、日中は独りで農作業 男手が無かったので、どんな力仕事もした 子供ながらに、母の男っぷりに感動したこともある ある日、会社の父から電話がかかった どうやら、名古屋に転勤になるという内容らしかった 母は顔色を失っていた それで無くとも、山奥で野良仕事に子供や姑の世話 夫の帰りを毎日待ちわびていたに違いない その頼りの夫が名古屋に転勤 ついて行けないのは、自明だった 母は、魂が抜けたみたいにしばらく座り込んでいた 15分位した時、また電話が鳴った 「ええ加減にしてよ!」 母は、怒って電話を切った 母が父に声を荒げたのは、後にも先にもこの時だけだった様に思う どうやら、父から、さっきの転勤話はドッキリのいたずらだとの電話だった様だ 母はしばらく泣いていた この冗談には、決して笑わなかった 父は、時々人を担いで、笑わせる事があった でも、いつも相手が驚いた瞬間に 「嘘や嘘や!」 とネタばらしをして、周囲を大笑いさせて終わりだった 多分この時も、すぐにネタばらしするつもりが、別の電話か用事が舞い込み出来なかったのだろう ドッキリをフォロー出来なかった時には、人を本気で傷つけてしまう だから、私はそれ以降ドッキリの類いは、不愉快さを感じてしまうのだ 父のいたずらが、エープリルフールだったかどうか記憶はさだかではない 父が死んで間も無く30年になる 母は今もあのことを憶えているだろうか? 今度顔を見る時、確かめてみよう
2014年04月02日
コメント(0)
我が家がデジカメを使うようになったのは12~3年前からです デジカメ以降の写真はPCに入っていて、いつでも見る事が出来ますが、それ以前の写真はどこにあるのかさえ忘れていました 昨日、古い写真をデジタル化して残しておこうと、思い立ちました 妻にしまってある場所を聞き、出してくると、あるわあるわ、ポケットアルバム40冊余り 長女が生まれて、てんてこ舞いしながら、子育て 人見知りで、甘えた(甘えん坊)だった娘 初めて親子三人で行った旅行 僕らも、ほんまに若い やがて次女、三女が生まれて、歓声が聴こえて来そうな賑やかな写真 三人の誕生日にお雛さまXマス、パーティをしょっちゅうしてたんだ 嫁さん、準備が大変だったろうな 三人の娘の保育園時代、小学校時代 同じように育てたつもりでも、全く個性が異なる娘たち 家族旅行、毎年行ってたんだ スキャンが終わる頃、僕は胸が一杯になっていました 素晴らしい家族じゃないか? 特に、妻には人生で一番輝いていたあの季節、相方は本当に僕で良かったのか? 聞いてみたいが、怖くて聞けません(泣) 妻よ、子よ! こんな僕と家族になってくれて、本当にありがとう! ブログを読んで下さった皆さんも、古いアルバムをもう一度、開いて見る事をお勧めします きっと大切な事を思い出させてくれるはずです
2012年05月04日
コメント(0)
ふと、表題のようなことを考えた 生まれなければ、この世に対する自分という存在は、無である プラスでもマイナスでも無い 生まれて来たということは、限りない可能性を秘め、喜びに満ちていると同時に、一生の間、数えきれないくらいの、苦難、別れ、挫折を味わうという事であり、それらに遭遇しない人生なんてあり得ない こんな苦しい思いをするなら、生まれて来ない方が良かったのではないかと思うときもある しかし、苦難にあってこそ、自分の小ささや、醜さ、家族や他人の暖かさを教えられるのだ 50年ばかり生きて来て、確信している事がある 人は、生まれるべくして生まれて来る どうしても、この時代、この場所に、この境遇で生まれる必要があって、今ここにいる それは、会うべき人に会うためであり、遭うべき苦難に遭う為である それらの人に会い、苦難に逢い、やがて気付く 自分は「愛する為に生まれて来たのだ」と 自分は「許す為に生まれて来たのだ」と 自分は「愛されて今ここにいるのだ」と 自分は「許されてここにいるのだ」と 人生って、深い これらの事を気付かせる為に、我々には様々な苦難が準備されている そうであるならば、「よし、かかって来い!」という気持ちで、今日も生きて行きたいものである
2012年04月06日
コメント(0)
おはようございます本日無事に52回目の誕生日を迎えました元気に年齢を重ねる事が出来るのは、産み育ててくれた両親、いつも支えてくれる家族はもとより、周りの全ての方々のお陰ですありがとうございますこれからも、楽しく年を取って行きたいと思っていますどうかよろしくお願いしますね(^O^☆♪
2012年01月31日
コメント(1)
バスの中でも、 ストレス無くサクサク動きます 難点は、日本語JISキーボードが無いことと、画面がフラットなのでミスタッチが多いことかな 良い点は、iPhoneで使っているアプリがほとんどそのまま使えること ただiPhoneでは無料だった産経新聞がiPadでは1500円かかります でも、iPhoneにしてから1年間タダで読ませて貰ったんだから、そろそろお金を払うのは当然といえば当然ですね では、今日も良い一日でありますように(^O^)/
2011年11月09日
コメント(0)
iPhoneのアプリで 松下幸之助~道をひらくをダウンロードして通勤の車内で読んでいる書籍版は10年位前に買って読んだことがあるその時は、まだまだ修行が足りなかったせいか、心に切り込むという事は無かった今回、電子書籍版はなんと700円と、本で買うよりずっと安かったことと、もう一度松下幸之助を学んでみたいという気持ちにかられて、買ってみた 本来、人は成長を続けており、毎日の生活も単なる繰り返しなどというものはあり得ない毎年季節が巡ってきても、それは繰り返しでなく木々は確実に年輪を重ねている山登りをして同じような景色が繰り返されても確実に高みに登っていると松下翁はいう感想もしかしたら、これは僕の一生ものの座右の書になるんではないかと思っている偉大な経営者でありながら、私利私欲を廃し、この国のため、世界のために自分をどう高めていけばよいかが書かれている読み始めてすぐに、「続・道をひらく」もダウンロードした若い時にしっかり読んで身につけておれば、人生が変わっていたかも知れないと感じた皆さんに是非お勧めしたい一冊です
2011年10月02日
コメント(0)
今や全国区の売れっ子となった関西芸人のSさん以前に暴力団関係者とつながりがあったとして、芸能界を引退した話を聞いてみれば「その程度のことで…」という程度の付き合いであったみたいだ芸能界には、堂々とヤクザと付き合い、親分の葬儀で弔辞を読んだり供花をしたり、並んでスポーツ観戦したり、パーティーに呼ばれて歌ったりしゃべったりしている者は、そこら中にいるSさん、何も辞めなくても…という気がしないでもないし、世論も総じて彼に同情的だ僕は、昔話ツッパリを売り物にしていた頃の彼は嫌いだったが、現在はよく社会分析もしているし、毒はあるが話す事はバラエティに富んでいて面白く、テレビが楽しみでもあったその上で、あえて感想を述べたい☆彼が辞める選択をした事は、正しく、立派だと☆彼が、その筋の関係者に問題解決を頼んだ事情は、同情しないでもないが、ヤクザはその存在そのものが、脅威であり、彼らが問題解決をするという事は、そのダーティな力を背景に、善良な一般市民が、ヤクザの恫喝に屈し、または恫喝を恐れ、言いたい事も言わず、飲みたくない条件を飲まされて、泣き寝入りしてしまうという事なのだ今回の芸能人の場合は、そこまでの動きはなかったかも知れないが、そういうバックを頼みにした事が社会正義に大きく反しているのだしかし、彼の立派なところは、過ちを言い訳せずに認め、芸能界や後輩に対するケジメとして、潔く引退を選んだ事だ誰にでも過ちはある大事な事は、それに気付いた時に、どの様な態度が取れるかという事だ彼が引退した事は、他の芸能人や一般市民に対して「いかなる理由があったとしてもヤクザを利用してはならないという事を深く印象付けたと思うS'さん、今まで楽しい情報発信、ありがとう今後何処かで活躍される事を祈ります--------------彼に引き換え、死に体のある種勢力の往生際の悪さよ!ああ、胸が悪いわい!!
2011年08月25日
コメント(0)
昨晩は真夏みたいに寝苦しい夜でした 6月にしてこの暑さっていうのは、今まで無かった様に思います 電車の中だけは涼しいけど、会社はまだまだ冷房入れてくれそうに無い、かと言って、扇風機も無いので、汗だくです 原発に頼らないと言うなら、甘んじてこの暑さを受け入れなければいけないし、暑さが嫌なら、代替エネルギーをどうするか徹底的に詰めないといけません 明治維新、敗戦と過去の大きな国難の度に、日本は、社会構造から、国民の意識までを大転換し、それが後の大躍進につながりました 敗戦以来の国難といわれる今、国も国民も、脳みそを入れ替え、未来の人達から 「あの地震があったからこそ、こんなに安全で便利な、楽園の様な生活が出来るきっかけが出来た」 と評価してもらえるように、一人ひとりがしっかりと考えて行く事が大事だと思います では、今日も元気に過ごしましょう\(^o^)/
2011年06月24日
コメント(0)
うちの近所にハナという柴わんこがいます こいつが、めっぽうかわいい うちのさくらよりひとまわり小型で毛色も薄い 声はハスキーで、ワンワンというよりシャウシャウって感じで吠える 時たま散歩で会うと、僕にじゃれついて来ます 昨晩帰宅すると、ちょうどハナがうちの前を散歩しているところでした 「お~い」 って声をかけると、ハナはグイグイとリードを引っ張って僕の所にやって来た 頭を撫でると、耳をペタンとたおして眼を閉じて尻尾振りまくり(^^) 挙句に、うれションまでしてました 飼い主さんは 「あんまり他人に懐かないのに、不思議ね」 って笑ってました 僕が家に入ろうとすると、ハナも入るんだとついてくる 「あかんでしょ、ここはさくらちゃんのお家でしょ」 飼い主さんが止めているうちに、僕は家に入りました 玄関の内側ではさくらが待ってて、これまた大喜び\(^o^)/ ほんまに、わんこは可愛いわ☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆ 今日は午後は会議でつぶれます 会議ボイコットして、東山あたり歩きたいなあ (うそうそ)
2011年05月20日
コメント(1)
先日、元キャンディーズのスーちゃんこと田中好子さんが亡くなった 僕はまさにキャンディーズ世代で、特にファンという訳では無かったけど、歌からお笑いまで何でも出来て、若者の心を捉えて放さない魅力があった 年下の男の子、春一番、暑中お見舞い申し上げます、微笑み返し 歌を聴けば当時の出来事や思いがよみがえる また、吉田拓郎さんが、何曲か曲を書いていて、彼がアイドルグループに曲を書いたのも驚きだったし、後に「アンドゥトロワ」に「さようならキャンディーズ」と言う詩をつけて彼が歌っていたのを思い出す 畑違いのミュージシャンが曲を提供し、自分でも歌ってしまうほど、キャンディーズは愛されていたんだと思う 今朝の朝刊に、彼女の告別式で、彼女が残したメッセージの録音が披露されたと書かれていた 自分の命がもたないかという状況のなかで、大震災の被災者や犠牲者に思いを寄せ、もし自分が病に勝てなかった時は、犠牲者の為に役に立ちたいというような内容だった 自分の死に直面しつつも、他人を思いやる 本当に尊い事だ 彼女の身体は亡くなり、姿形は見えなくなった でも、最後まで他人への思い、弱い者への思いやりを忘れなかったその愛に満ちた生き方を、僕は一生忘れないだろう 僕自身は、臆病で、独善的で、自分勝手な人間です でも、彼女の残した思いを少しでも受け継ぎ、少しでも他人の役に立ちたい そんな風に感じました きっと今頃は、犠牲者の皆さんと歌ったり、笑わせたりされていることでしょう ありがとう、さようなら、スーちゃん
2011年04月26日
コメント(0)
全国から、更には世界各国から援助の手が差し伸べられている 本当にこの世は、愛に満ちています 僕は、中学生の頃、バス痛学をしていました その時、お年寄りに席を譲ると、とても喜ばれ、また、周囲の大人からも「えらいね」なんていう視線を感じ、とても気分が良かった ある時、友人と電車に乗った時、僕は座り、仲間は立っていた その時は、非常に頭が痛くて、とても周りの事を気遣う余裕がなかった そこにお年寄りが乗ってこられ、前に立たれた 申し訳なかったけど、あまりの気分の悪さに立つ事が出来なかった すると、友人が 「譲れよ、どうして譲らない!」 という風に目配せをし、更に足で小突いて来た すると、僕は頭痛よりも、訳知り顔で指図された事に頭に来てしまい、意地でも席を譲るものかと、変な言い方だけど必死に座っていた(小突かれながら座っているよりも、とっとと立った方が楽だったが… その後、考えた 自分が今まで席を譲って来たのは、相手のお年寄りの事を思ってではなく、単に感謝されたり褒められたりする気分の良さを感じたい為だけではなかったか それから、数ヶ月、僕は決して席を譲らなかった しかし、毎日近くに立つ老人の姿を見て、座っているのは、苦痛だった 数ヶ月後、僕は苦痛から逃れたい為だけに、また、席を譲るようになった 大人がどんな評価をするかなどは、関係なくなっていた でも、譲った時の、何とも言えない気分の良さはなぜなのだろうと、ずっと思っていた あれから長い年月が過ぎ、確信はないんだけど、思うところがある 人間は、天の摂理に基づいて動く時は、それが辛い仕事であろうとも、心に充実感や喜びが得られ、その摂理に反する時は、それがいかに快楽に満ち、愉快であっても、心に後ろめたさが残る きっと神様は、それを「良心」と名付け、この世を旅する我々に持たせてくれたのではあるまいか 被災地では、自分こそ苦しいにもかかわらず、どうぞと譲り合う姿が絶えないという また、世界中からの「どうぞ」の手 富のある者、無い者 力や技術の有る無しにかかわらず、身の丈に応じ、自分のものを人に譲る その時に感じる心地良さは、決して自己満足や偽善ではなく、人が本来あるべき姿に近づいた事を魂が受け取ったサインなのだろうと思う どうか、今後も譲り合う気持ちを忘れず、被災地の復興につながる事を願う
2011年03月23日
コメント(2)
こないだ、会社から帰宅すると一冊の小説が置いてあった妻が読んでいるものらしい「四十九日のレシピ」いつもなら、タイトルだけ見て「ふ~ん」っていう感じなんだけど、何となく本を開いてみるこの本は、突然に妻を亡くした夫。嫁に行った、不倫の末別居中の夫と更にその愛人、亡妻が仕事として関わっていた福祉施設の若者が、様々な思いを抱えて、ストーリーを展開して行く主人公は、先妻が他界してから、姉の勧めで亡き妻と出会い、再婚した先妻との会いだには一人娘がいた再婚の後の夫婦には子供が無く、妻は先妻の娘を可愛がるが、娘はあまり心を開かず、嫁ぐ主人公はどちらかといえばワンマン亭主であったある日、遊びに出かけるのに妻に弁当を作ってもらったが、カツサンドのソースが染みてきていることが許せず、妻を怒鳴りつけて弁当を持たず家を出るそれが、妻の顔を見た最後であった--------------この辺まで読んだとき、僕の妻がお風呂から出てきました「どうしたん?(私の本を読むなんて)珍しいやん」「そうか?」「そうやん、いつもなら『しょうもない本読んで』って感じで私の本を見下してるやん」「そうか?そんな失礼なことしてたか?」妻と僕とは趣味趣向が異なるだから、本を買っても同じ物を読むという事がなかった決して妻の趣味や本を見下しているつもりは無かったが、心の奥底で、自分の選んだ物が一番で、それ以外は大したことはないと、見下していたのかもしれないそれが、言葉や態度の節々に現れて、知らず知らずに妻を傷つけていたのかもしれない「そうか、それは悪かったなあ…反省」「ほんまに、私もまだ読んでる途中やのに、勝手に読むなんてずるい(笑)」「ちゃんと自分の読んだとこは別のしおり挟んどくわ、それに1冊を回し読みしたら本のためにもええことやん」「しゃあないなあ(笑)」-------------話は小説に戻ります妻が亡くなってから、気が抜けたような生活をしていた主人公のところに、一人の若い女性が訪ねてくる女性は、いわゆるガングロで黄髪で、いきなりタメ口をきくその人曰く、妻は万が一自分が死んだら、四十九日には大宴会をして見送って欲しいと、その費用まで預かっているとそこに、東京に嫁いだ娘が帰ってくる亭主が不倫したのだと…娘夫婦は結婚してから、子供がいないという一点を除いて幸せであった筈であった夫は、相手の女のところに行ってしまい、仕方なく床に伏した義母の世話をしていたが、相手は妊娠したことから、自分の居場所は無くなったのだと帰ってきたのだその時になって、実母の死後やって来た二人目の母もまた、子供がいなかったことで肩身の狭い思いをしたであろう事に思いを馳せる継母は、自分が実家を離れて暮らすようになってからは、よく絵手紙を送ってくれたそれには、父と丸々太った継母、それに子供の頃の自分が描かれていた主人公のところにもう一人外国人の若者がやってくる妻の四十九日に向かってちょっと変わった共同作業が始まる誰かが、妻の年表を作ろうと提案した大きな模造紙を買ってきて、書き込む○年○月○日 生まれる嫁いできてからは、一緒に撮った写真を貼る娘は、継母から貰ったたくさんの絵手紙を貼りたいが、そのためには義母を残して出てきた家に戻らなければならない東京に戻ると、義母の世話は誰かが頼んだケアマネが来ていた義母は、自分が大事にしてきた宝石を形見として持っていって欲しい、売ってもいいから貰って欲しいと言うまた、夫の不倫相手には男の子がいるが、相手はこのわが子が、情事の邪魔をしているとして疎んじる家を出るとき離婚届けに判を押して出てきたのだが、夫は相手に「妻が判を押してくれないので離婚できない」と嘘をついていたその裏には、不倫相手のお腹の子は果たして自分の子かと疑っている様子であった疲れて実家に戻ってきたようやく四十九日の日になった親族は、読経も焼香もない法事を否定する挙げ句に、死んだ後妻に子供が無かったこと、更に娘に子供がないことを否定的に話す傷つく父娘と若者主人公は妻を思いだし涙をこぼす妻が残した数多くの絵手紙は、夫にとって、血のつながらない娘にとって、施設の若者にとって、ある時は季節を感じさせるものであったり、ある時は生き方を教えてくれる指南書であったり、またある時は料理の仕方を書いたものであったりするしかし、それらはそれにとどまらず、亡くなった人が生きた証であり、一生を賭けて、残された者に遺した、人生のレシピであるそういった意味で作者は「四十九日のレシピ」とネーミングしたのだろう----------------この物語の底流は、子供がいない夫婦にはどういう意味があるのかということだと感じたまた、結婚したら子供が産まれるのが当たり前で、そうでないのはおかしいという、世間の思い上がった偏見が、いかに物事の本質をねじ曲げているかということである無くなった妻には、子供はいなかったが、その誠実で愛情あふれた生き方は、長い年月を掛けて娘の気持ちを開き、更に社会的に疎外された施設の若者に生きる喜びを与えた僕には、3人の子供がいる子供を育てる事で自分たちが育てられていると思っているいつの間にかそれが当たり前になっていたしかし、子供がいない人はどうかというと、僕の知る限り、両親、社会などのために、献身的に働いている方が大多数である誤解を恐れずに言えば、僕は自分という存在は、死んで「はい、さようなら」と終わるものではないと信じている今は子供がいるが、過去に子供がいない人生を歩いたことがあるだろうあるいは未来に子供のいない人生を歩くこともあるにちがいないその時は、きっと子供のいないその人生でしか出来ない何かを、世のため人のために尽くせる人間になりたいこの本を読んで、子供がいてもいなくても、自分の価値にいささかも違いはないのだと感じた昨日帰宅して、妻に「よかったよ、この本」と声をかけた自分が死んだ後、自分は残った者に対してどんなレシピが残せるだろう深く考えさせてくれた一冊でした
2011年02月25日
コメント(0)
昨日、アマゾンに発注した商品が届きました実に早いこの点は非常に満足↑なかなか立派な箱入りです↑開けてみました↑商品のパッケージはこんなに小さい↑で、最後に出て来たのがこれ!僕が買ったのはUSBメモリなのにこのでかい箱は何?送料無料だから僕は何も損をしていないんだけど、この段ボールに使われた木材が非常にもったいない更には、でかい物を配送する送料は、いかに僕が払わないと言ったって、もったいないこんなの小さな封筒で事足りると思うなあ資源の少ない日本がこんな大量に森林資源の無駄遣いをしているのは、いかんなあアマゾンは、早くて安くて確実でとても信頼できるが…ここに注文することで、自分が環境に対して敵対しているような気がしました
2010年09月10日
コメント(1)
今までにない業務過多である 日常業務だけでも、どうしようかと言う位の量な上、先週末には大変な業務が突如参入 明日は明日で、自分的には絶対に失敗できない仕事が待っている しかし、それもいつまでも続く訳ではない 必ず終わりがあって、懐かしく思い出す時が来る 今やり残しをしておくと、後になって人に話すのが恥ずかしくなる 今はしっかり仕事を進めて、忙しさを味わっておきたいと思う 明日を過ぎれば、すこし一息つけるかな 土日は片方休みたいな
2010年08月11日
コメント(0)
注…よい子はけっしてよんではいけませんあなたは18歳以上ですか? はい(このままどうぞ) いいえ今朝の電車の中で…通勤電車は当然学生諸君の通学電車でもある中高生は正夫の横の席に腰掛けているその前でサラリーマンが新聞を広げて立っている新聞はスポーツ紙で、応援する球団が勝利したナイター結果を満足げに見ているここまでは良し!しかし、その新聞の下の広告部分がちょうど中学生の顔の位置に来ているその広告には、下着姿のぽってりした唇をした、なんともセクシーな女性の四つん這いの姿が写っている広告の見出し【大見出し】「精力減退・勃○力不全・早○に……」【中見出し】「きっと彼女も満足な夜を…」【特大キャッチコピー(白抜き)】「塗って効く!」まあ、中年親父は新聞業界からこの程度の広告に飛びつく動物だと思われているのだろうか?これを見た中学生は、オヤジというものは、一日中こんなことを考えていると思うかもしれない他の諸氏はどうだか知らないが、正夫の経験からいえば、男がこの類に一番興味津々でアブナい時期は、隣に座っている中高生の頃なのだその鼻先にこのような広告を突きつけられて、当時の正夫なら間違いなく一日中下着姿の女性の姿態と「塗って効く!」キャッチコピーが頭から離れなかっただろうスポーツ紙を広げる諸氏にお願いしたい同じ車両には将来を担う健全でまっすぐな中高生が乗っている「塗って効く!」部分が彼らの方を向いていないか、しっかり確かめろ!こんなことしてると、ますます我々は若者に馬鹿にされるぞスポーツ紙を読むなとは言わん読むなら、人に見られて恥ずかしい面が外を向いていないかくらい確かめろ!他人事ながら、情けないわい!!!
2010年05月06日
コメント(0)
5月3日、奈良県橿原市のホテルで、母校吉野郡下市中学校昭和50年3月卒業生の同窓会が開催され、出席してきましたここのところ、ほぼ4年に一度開かれています僕は担任のN先生と同じテーブルになりました先生は僕らが3年の時30歳を迎えられ、みんなで冷やかしの黒板書きをした思い出がありますその先生も、今は職を退かれ、66歳になるとのこと先生は、時々このブログを見て下さっていて「4月1日が最後の日記?長いこと日記がないからどうしたのかなと…」見てくれてるんだ4年振りに会う人もいれば、卒業以来ほとんど会ってない人もいたでも、1~2分も話をすれば、すぐに打ち解けて当時以上の親しみが湧きます記念写真を撮る時、高校卒業後一度も会ってなかった当時の悪友、「ナカ」に会った彼はしきりに僕の事を「ほんまにポックリか?お前ただのおっさんやん!」写真の時は僕の真後ろだったが、隣と「ほんまにこいつ、ただのおっさんやわ!」ナカよ!お前がどんなに特別なおっさんになったか、見せてもらうぜよ!今回は、今までと違い何組かの、アトラクションがありましたひと組目は、当時全国に名を馳せていたコーラス部の合唱「お母さん元気ですか」という歌でしたが、母となり、父となった面々の歌う歌は中学の時に聴いた時とはまた違う味わいがありました2つ目は、マイミクで現在もプロの音楽家として活躍しているもっちゃんの独唱感想…ただで聴かせてもらって、もったいないさすがに現役の方の声量、声質は全然違う僕は一番前で聴かせてもらいましたこれだけでも十分同窓会に来た甲斐がありました3番目は、僕のテナーホーンもっちゃんのピアノ伴奏で「デメルザ」を演奏しました当時は、いつ廃部になってもおかしくなかった吹奏楽と、超一流のコーラスにいたもっちゃんその二人が、35年も経ってから一緒に演奏する機会があるとは思っていませんでした吹いていてもとても楽しく、また心地よく、ああ音楽っていいなあと感じましたトリは、当時はトランペットを吹いていたDr.FUNKYこの日も、ルイ・アームストロングばりの、ジャズトランペットを聴かせてくれましたラストは全員で校歌斉唱僕とDr.FUNKYは当然ながら演奏で参加しました同級生は僕に「楽器をずっと続けていたの」と聴かれましたが、実は僕は高校を出てからは全く吹いておらず、25年も経ってから楽器を再開して、今はまだ初心者に近いことを話しました最後に次回幹事が選出されたんだけど、なんと、僕が幹事長になってしまいましたどこにそんな時間あるねんと思いましたが、今回も忙しい中、この同窓会を企画運営してくれた仲間がいてこそ、うれしい再会があったわけなので、恩返しのつもりで次回は頑張ろうと思っています同窓会でも演奏会のチラシを配りまくりました同級生のみんな、今度はステージで吹く僕を見て下さい先生、幹事の皆さん、本当にありがとうございました
2010年05月05日
コメント(2)
今日4月1日は、正夫が社会人になってちょうど30年目の記念日である正夫は、帰りの地下鉄のコンコースで、新社会人らしいスーツが不似合いな男女が談笑しているのを見て思い出した正夫が就職したのは1980年の高度経済成長真っ盛りの時代京都に来てから2年、遊んでばかりもいられない、しかしろくに就職準備もしていなかったそこに、下宿のおばさんが、入社案内のパンフレットを持ってやって来た「お兄ちゃん、就職決まったんか?若いうちは遊ぶのもええけど、いつまでもそんなんでは、あかんえ。ここ、受けて見よし」おばさんは、よりによって正夫が一番苦手としている人間だらけの会社を勧めた「ここって…。受かるわけないやん」まあ、受けるだけ受けて落ちたら、おばさんに義理だけは立つだろうそんな風に思って受けた試験だった落ちるつもりの試験だったが、一次二次と進んでしまった面接の日は、おばさんはわざわざ朝ご飯を作って持って来てくれた決して好きな職種ではなかった…というより、大いに毛嫌いしていた職種であったまた、自分に最も似合わない職業だとも感じたそれから半年後、4月1日、正夫はその会社に入社した初日から正夫は、とんでもないところに来てしまったという感想を抱いたまるで、拉致被害者であるかのように…その後、研修期間中に2度も大けがをしたその時に、真剣に思った負けて帰る訳には行かない何があっても辞めるか。負けてたまるか!今までさんざん心配かけた両親に、どの面下げて帰れるんだそれから1年、2年と経つうち、正夫はこの仕事は、自分がやり遂げるのだという決意を強くしていった早いもので、今日で30年である正夫は、一杯加減の時に「今の若い者は…」ということを言ってしまうし、聞きもするしかし、正夫は思う今の若い連中も捨てたもんじゃないその中にやりがいを見つけたら、休みがなくとも、給料が少なくとも最後までやるじゃないか少なくとも、自分はそういう若い連中に囲まれて仕事が出来るのだ今日も日が暮れてから、大きな動きが起こった大丈夫だこうしたメンバーがそろっている限り、絶対にクライアントを裏切ることはないあれほど嫌いだったこの仕事今は、天職だと感じている正夫であった
2010年04月01日
コメント(1)
帰りの電車の中です今日は三女ちび3の誕生日です早く帰るはずが、こんな時間になってしまいました早いものでもう16歳になります娘が生まれたのは朝でした陣痛がやって来て、病院へ上の二人の娘の時も僕は病院に付き添い、二人目の時は出産に立ち会いましただから、変な言い方だけど「少し慣れている」つもりでしたでも、三人目の時は妻は上の子の時以上にお腹を痛がり、とても苦しそうでしたそれでも、まだまだ生まれそうになく、妻はふぅふぅ言って、苦しがるし僕にはどうしてやることも出来ず、男親の無力さというものを感じさせられました二人目の時は、安産で、分娩室でも僕は冗談を飛ばしていましたが、ちび3の時は多分顔面蒼白になっていたのではないかと思います妻は僕の指を、折れるかと思うくらいの力で握ってきます「がんばれ!もう少しや!」…神様、どうか妻と子を守ってください!!生まれた!元気な産声助産婦さんの顔がすこし穏やかになります憔悴しきった妻の表情と、まだ目が開かず手のひらをいっぱいに広げて空を掴むように動かしながら泣いているわが子を見ると、僕はいつの間にか泣いていましたよくがんばってくれたそして、よく生まれてきてくれたありがとう、ありがとう、ありがとう…娘は小さい頃は同級生に比べて身体が小さく、いつも数年年下に見られましたどこへ行くにも、いつも僕にくっついてきて妻からは「磁石」と呼ばれていました僕にとっても末の娘は、僕の理解者であり、いつも応援してくれる心強いチアリーダーでしたその娘も高校に入り、今は家族で一番、僕と距離を置くようになりましたでも、僕は、この子が小さい頃に十分にくっついてもらったし、十分にうれしい思いをさせたもらいましたですから、満足しています【ちび3へ】大事な娘へ誰よりも負けん気が強くて、そのくせ臆病で、本当は寂しがり屋なのに、いつも意地を張ってしまう娘よ星の数ほどの中から、私たちを両親に選んで生まれてきてくれてありがとうお父さんは、いつもお前の味方のつもりだったが、本当は自分の勝手な思いで君を縛り付けていたのかも知れないこれから先、君はどんな人と出会い、どんな経験を重ねて行くのだろう舞い上がりたいほどうれしいときもあれば、悲劇のどん底かと思うときもあるだろう苦しいとき、心の隅の端っこでいい父がいることを思い出してほしいそれは、父がこの世からいなくなったとしても同じだそして、君にしか出来ない生き方を見つけ、誰かを幸せにする人に成ってほしいと思います今日は、いつものケーキ屋さんはもう閉まっていましたでもプリンをたくさん買ったから、みんなでお祝いしようそして、命がけで君をこの世に産んでくれたお母さんに感謝しよう誕生日、おめでとう
2010年03月29日
コメント(1)
正夫に同窓会の案内状が届いた幹事さんは女性結婚して姓が変わっているのだろう覚えのない名前である前回故郷に帰ったのは去年の春、母方の大叔母さんの葬儀の時だったが、その時は同級生に会うこともなかった中学時代の思い出と言っても、はっきり言ってあまり良いことは思い出さない(心が狭いのか、不愉快だったことは強烈に覚えている)どちらかと言えば、暗い3年間であったのかも知れないそのような中で、楽器を吹くことを覚えたこと、それに3年の担任の先生の幅広く温かな人間性にふれあうことが出来たことは、35年の歳月が経った今でも正夫の大きな財産になっている卒業以来長いこと同窓会はなかったが、40歳を過ぎた頃から4年に一度位、同窓生が集まることになった以前参加したときは、当時は話しさえしたことのなかった人と親しく話し、以来メールやブログで、または家族旅行の途中に家におじゃましたりするなど、新たなネットワークが広がったもし、同窓会というものがなければ、あまり思い出したくもなく、また思い出すこともない中学時代にしてしまっていたに違いない現在50歳長生きして80歳まで生きるとして、4年に一度の同窓会が出来るのは、多くてあと7回位だろうか?その全部に参加したとしても、わずか7回たった一週間しかみんなで集うことは出来ないのだ案内状を送ってくれた幹事さん、ありがとうきっと顔を見れば誰のことだか分かるんだろう前回から4年ぶり前回で、嫌な記憶はすべて消し去ったつもりだったが、4年もの時間が経つと、時々不愉快な中学時代を思い出すようになってしまった今回、仲間の顔を見てまたそれらをポジティブな人間関係に変えていきたいと正夫は思っている今後60代70代、僕らはどんなじいさんばあさんになっていくのだろう?想像するだにおもしろおかしく、楽しみな正夫であった
2010年03月19日
コメント(0)
新型インフルエンザの患者数が500万人を超えたとのこと 関西では梅雨時頃初めての患者が出て、その時は、ここかしこにマスク姿の人がいて、例えば電車内では半数くらいの人がマスクしていて、なんだか異様な光景でした それが、患者の増加に伴い、慣れてしまったのか今はマスクしている人は10人に1人もいなくなりました ちなみに僕は通勤時はマスクをしています 家に受験生がいることと、会社の僕の担当業務を1日としても止めたくないという気持ちからです 電車内にはインフルの患者さんも乗っているだろうし、家族が罹患されている方も数多くいられると思います そういう方が、ウイルスのついた手で触れた吊革や手すりを僕が触れ、知らぬ間に口元などを触ると確実に感染してしまいます いくら気をつけていても、感染するときはすると思いますが、なるべくかかりたくないというのが本当の所です ところが、今朝の車内ではとんでもない人に出くわしました 狭い車内で僕の近くに座った、若い女性 2人ともなぜかスウェット上下 2人は大声でしゃべるものだから、話の中身は筒抜け このうち1人が、ゴホゴホ咳をしている もう1人は 「あんた大丈夫なん?新型とちゃうの?」 と、訪ねたら、ゴホゴホはなんていったと思います? 「ええねん、もう37度代にさがったし…」 「あんた、あかんのちゃうの!お客に感染るやん」 「ええやんか、私もう治るんやし。これ以上バイト休んだら貧乏になるわ、ゴホゴホッ」 僕は本気でこいつを退治してやろうかと思ったけど、それより感染るリスクの方が怖いのでさっさと隣の車両に移りました その後はお二人さんどうしたのかは知らないけど、自分さえよければ良いという、この意識 残念だけど、この子は勝手に育ったんじゃない 親の世代の僕たちは、こういう世代を育ててしまったことに責任があると思います でも、あの子、スウェットで出勤して客商売って、一体どんな仕事をしているんだろう
2009年11月06日
コメント(2)
昨日帰る間際に会社のテレビを見ると、女優の南田洋子さんが亡くなったと報じていた彼女は数年前から認知症を患い、ご主人の長門裕之さんが介護されており、介護の日常について長門さんの書かれた本は南田さんの写真が大きく表紙に飾られて書店に平積みされていたので、いつか読んでみたいと思っていた報道陣のカメラとマイクを前に、長門さんはこみ上げる涙を拭いもせず、気丈に誠実に対応されていた僕が一番心を揺さぶられたのは彼が言った言葉である報道陣は「奥様のどんなことが思い出されますか?」と質問した僕は、そんなことはご本人の気持ちが落ち着いてから聞くことであり、何もこんな悲しみの底におられるときに聞かなくてもと、少々腹が立ったしかし、長門さんは答えた「(もっとも思い出すことは)洋子が病気になってからの4年間です。ただ僕を信じ待ってくれるだけの女性でした。僕を生き返らせてくれました」僕はこの言葉を聞いて、僕が認識している夫婦関係や健康というものは、いかにも薄っぺらいものであるかを知らされた僕らは普段、「健康が一番」だとか「命あっての物種」などと口にするしかし、彼は妻が認知症を患ってからの4年間こそ、自分が最も生き甲斐を感じ、妻を最も愛おしく感じた期間だと言われた夫婦いつまでも元気で長生きしたい僕はかねがねそう願っているが、僕らは限りある寿命をいただいてこの世にいる限り、いずれどちらかが先に病気になり、どちらかが先に死ぬことになるそれは、悲しむべきことなどではなく、相手の介護のために生きるという喜びを感じ、自分を頼りにしてくれる配偶者を心からかわいいと思うなら、それは天が自分に与えてくれた最高のプレゼントなのかもしれないそして、彼の言葉から僕が学ぶものがあるならば、それは、夫婦ともまだ元気な間にそのような大事なことを気づかせてもらい、限りある身体であるとわきまえた上で、相手を大事にすると言うことなのだろう僕は長門さん夫妻が司会を進める「ミュージック・フェア」という番組が好きだったそれに時々夫婦でテレビに出演しては飾り気のない会話をされていたのも記憶に新しく、僕もあんな風に歳をとれたらなと思っていた僕は決して強い人間ではないだから、死ぬときは女房に看取られたいと思うしかし、その反面では、こんな僕を選んでくれた妻だから、最後はしっかり看取ってやりたいとも思ういずれどちらかが先に逝くその時は、お互いに感謝の言葉の後、「また会おう」と挨拶をしたいものだと思う
2009年10月22日
コメント(0)
今日の日記はポメラで打っています 文字を打つ以外に用途がない 昔のワープロ専用機のような印刷機能もない ひたすら文字を入力することだけに作られたアイテムです まだどの程度使えるか未知数ですがパソコンを家族が使っていてもテキストを入力することができます キーボードはまだ慣れませんが、慣れればふつうのノートパソコン程度の使い勝手はあると思います これを持って外に出れば、電車の中やお寺の境内、自然の光や風を感じながら今までできなかった文字入力が出来ます ひたすら楽しみです 外出中も文章が書きたかった でも、紙に書くのは苦手だし携帯で打つのはいらいらしてしまう その点このポメラならストレスがなく文が打てそうです それにディスプレーが小さいので周りの様子がよく分かります ポメラは電源を入れてすぐ入力が出来ます 起動に時間を要するPCと比較してストレスが少ないです
2009年10月12日
コメント(3)
昨日は、かつての相棒おK女史を囲んで親しいメンバー計6人で昼食を食べてきました僕以外は全員女性ですしかし、このメンバーは底抜けに楽しく、日頃疲れてクサクサした心を癒してくれます現職のみんなは、それぞれ違う部署でバリバリがんばっているキャリアウーマンそのなかのMさんは去年胃の切除手術をされましたその彼女は、もうすっかり良くなってお肉を食べていました それに、結婚した娘さんに子供が生まれ、めでたくおばあちゃんになったんだと… 本当に良かったね(T_T)おKさんは、退職されてからご主人と海外旅行三昧これまたうらやましい でも、女性方がおっしゃった言葉は重かった(特に女性の)親が子供を預かってくれたり、面倒をみてくれる環境が無ければ、定年まで仕事を続けることは難しいと… 新政権よ!ダム工事を中止することも大事かもしれないが、女性が仕事を続けられるような世の中に出来んかね
2009年10月04日
コメント(2)
我が家の夏休みは、夫婦はそれぞれ仕事、子供もそれぞれ部活に実習にとほとんど家に誰もおらず、全く夏休みらしくない毎日でした僕が子供の頃の夏休みって言えば、毎日虫取りに、学校のプールにと走り回り、新学期直前または直後に宿題をすますって言うパターンだったなあ前に楽天に書いたものだけど、僕が子供の時代の話しを再掲しますので、笑って下さいねでは『九死に一笑☆正夫の読書感想文』を読んで下さいねでは、これから投票に行ってきます
2009年08月30日
コメント(3)
母の叔母さんが亡くなったので、昨日はお通夜に帰省しました 隣の奈良県なのにもう1年9ヶ月も帰っていませんでした 写真は、山から撮った景色 何しろ山のてっぺんなので他の山が低く見えます お通夜では、30年以上振りに会う人が何人もいました 会う人毎に「あっらーっ、前に会ったときはまだ子供やったのに」 それから色んな人達と人生観や死生観などを話しました 自分が暮らしていた頃は何とも思わなかったけど、故郷の人々はそれぞれに信仰厚く、死に対する敬虔な姿勢は、お寺はたくさんある京都よりも意識が高いなと感じました 大叔母さんは、享年94歳 大往生です お通夜は暗い空気はなく、人生を全うした人を讃えるお祝いのような雰囲気でした こんな風に最期を迎えることが出来たらいいだろうなあ 次の写真は今朝の朝ご飯 イタドリの炒め煮、若竹煮、ワラビの煮物 食材は全部実家の周囲で叔父さんが採ったものばかりです 田舎にいた頃は、山菜など大嫌いだった それが今では、どんなご馳走よりも美味しかった やっぱり故郷には時々帰るべきだと感じました 夜は、グリストの練習 グリストは5月10日 JR京都駅ビル中央大階段で開催される「駅の音楽会」に出演します うちの演奏はトップバッターで12時30分スタートの予定 曲目は、吹奏楽でもおなじみのブラスの名曲 「オリエント急行」他です みなさん聴きに来てくださいね さあ、あと10分で新しい週です 忙しくなりそうな予感がします
2009年04月26日
コメント(0)
人気グループの男性が、未明に酒に酔って裸になって暴れ逮捕されたと… やったことは悪い 羽目を外すにも程がある だから逮捕され、法律に基づいて裁かれることになる それはいい しかし、マスコミのこのはしゃぎようは何だ 天下のNHKは全国ニュースで延々と報じた 彼は地デジのキャラクターになっていたことから政府の某大臣まで会見して「最低の人間」と切り捨てた ここに至って僕は「ちょっとちがうやろ?」と感じざるを得ない 景気・雇用対策、高齢者問題、食の安全、外交問題などをろくに解決できていない政府関係者に「最低の人物」という資格などあるものか! 僕は「酒の上のことだから…」などと酔っぱらいに甘い世間にかねがね腹を立てていたが、今回のことはちょっと度が過ぎている 確かに芸能人だから世の中に与える影響は大きいが、だからといって袋叩きにしても良い訳ではないだろう 更正の余地を残してあげることこそ、大事なことなのだろう
2009年04月24日
コメント(1)
おはようございます ここで川柳を一句 「早回しのビデオの如く時が過ぎ」…お粗末 では、今日も張り切って行きましょう
2009年04月15日
コメント(2)
おはようございます今日4月1日は新年度の始まりそういえば、僕が我が社に入ったのはこの日でしたあれから早、29年が経ちますさあ、30年に向かって会社へ行ってきますこの頃、電車の中は貴重な睡眠時間なので、ブログはこの時間か帰宅後に書くしかないかな
2009年04月01日
コメント(0)
昨日はちび3の卒業式でしたコメントを下さった方々、ありがとうございました実は昨日は僕にとっても大大大事件がありましたそれは「人事異動の内示」2年前に異動したばかりなので、あと数年は動かないだろうと高をくくっていました今の仕事は前任者が定年退職したのを引き継いで、全くのアナログ仕事をフォーマットを作り、ようやく自分なりのスタイルにして、2年たって軌道に乗ってきたなと感じていたところでした今度はまた、今の業務にさらにやっかいなこと山積の部門です多分半年くらいは土日抜きで頑張らないと回らないかも知れませんはっきり言って、異動したくないしかし、今度の部署も誰かが引いたから行くことになったのには違いありませんそれに、僕はもちろん家族はこの会社があってこそ食べていけているのです仕事の内容に不平不満を言うのは、引っ張ってくれた誰かに申し訳ないこれまで、いやいや異動した(前回も)こともあったけど、後から振り返れば厄介な業務であればあるほど自分が成長でき、人とのネットワークも確実に作ることが出来たと感じています異動まで10日位の期間がありますそれまでに今自分が抱えている業務を全部クリアにして、後任者への引き継ぎ書類を作って引き継ぎを行い、異動先には引き継ぎを受けに行き、異動したその日から誰も教えてくれない業務を進めていかなければなりません土曜日の今日は家族とゆっくりしたかったけど、会社へ行ってきます
2009年03月14日
コメント(1)
今日は早くも帰りの電車です 欲しい本があるので帰りに京都駅の本屋に寄った 哲学系の本で、人気のある経営者と哲学者の共著 まず、新刊のコーナーを探し次に作家別に探し、更に出版社別に、次にカテゴリー別の棚を探したがない 電車まであと15分 こりゃ店員さんに尋ねた方が早い 何たってPCで在庫管理しているからね まず一人目の店員さん 僕の言う書名と出版社名をメモに書いた …何でそこにあるPC叩かへんの? 次にその店員さんは大きな声で「お願いしま~す」と叫んだ すると広い店の反対側から若い女性店員さんが急ぐでもなくこっちにやって来た 初めの店員さんは「お探しです」と言ってメモを女性に渡した すると女性店員さん「その本は新書ですか、単行本ですか?」 …だから、そんなのそのキーボード叩けば分かるだろうに… 「単行本です」 「いつ発売ですか?」 …は?この店は発売順に並べてあるんかい 「わかりませんよ」 ここでようやく女性はキーボードを叩いた 「2ヶ所見て参ります」 …なんだ、あるんかいな 女性はまず新刊コーナーへ …そこはさっき見たよ 次ににカテゴリー別の棚を …見たってば そして作者別の棚→出版社別の棚と、僕が見て、なかったところばかり見ている 時計を見ると電車の時刻が迫っている 「ありがとう、時間がないので、もういいです」 「うちには置いてないようです」 は? あんたほんまに店員か、こんなに待たせるまで在庫ないとわからんのか! 怒るのも大人げないので苦笑しながら店を後にしたパパでした ---------------------- 追伸 就職難だから、優秀な人が就職しているとは限らない どの会社にも接客マニュアルがあるんだろうが、ここの店では客から本を探してくれと言われたら、まず紙に書いて別の店員を呼べとなっているのだろうか? そして、更にタイトルも著者も出版社名も分かっているのに、いつ出版されたか、また単行本か新書か聞くように教えてるのだろうか? それに、しっかり対応できる正社員を1人も置かず、バイトだけで店を切り盛りしているのだろうか? そうだとしたら、この書店は早晩つぶれるだろう こういう場合、正社員が出てきて 「君!どうしたんだ」 「かくかくしかじかなもので…」 「ダメじゃないか、お客様を待たせるなんて…、お客様すぐにお調べいたします……。お待たせして、大変申し訳ございません。只今当店には在庫がないようです。もしよろしければお取り寄せして、ご連絡いたしますので、差し支えなければご連絡先をお教えいただけませんか?」 なんて、臭い芝居でもしてくれたら、…ここは信頼できる店だなあ。頼んでみようか、となるのに、もったいない
2009年02月24日
コメント(2)
今日は多分今年に入って初めて土曜日、会社に行かずに家族と過ごしました 先日から、僕のデルノートのモニターのバックライトがいかれてしまい、画面が見れたり見れなかったりの毎日が続いていました 午後から、ソフマップへ行った さて、モニターを買うか、新たなパソコンを買うか 中古のモニターのコーナーに行ってみる 安いのは3000円台から4万円台まで… でも買ったとしても肝心のパソコンが壊れてましったらどうしようもないしなあ で、次はパソコンのコーナーへ ソニーのデスクトップ、なかなかのスペックのものがタイムセールで10万円未満で出ていた でも、僕の財布からこの金額を支出すると不意の出費に対応できなくなる こうなりゃ最後の手段、ノートブックとアクオスをつなぐケーブルを… 値段は2000円台 これなら買える 買って帰り、つないでみるとバッチリ 大画面にしっかりとパソコンの画面が表示された やれやれ、これで何とか当面はしのげます 夏のコンサートが終わるまで、どうか無事に持ってくれますように
2009年02月21日
コメント(1)
今朝、さくらの散歩から帰るとちび3がニコニコしているどうしたのかと思えば、先だって併願で受検した私立高校の合格通知が届いたのだと…本命の公立は来月試験なんだけど、今回の通知は本人に取って大きな自信になったかな?ちび3よ、あとひと月、自分に自信を持って力を出し尽くせ!今日は去年胃の腫瘍の切除手術をされたMさんの快気祝いの昼食会でしたメンバーは昨春までの仕事の相棒のおKさん、若手エンジニアのAさん、秋まで一緒に仕事をしていたCさん10年前くらいに同じ所属だったSさん(彼女が参加することは今日まで知らなかった^^)と僕女性5人と野郎1人という構成場所は京都駅の近くのお店で、パスタを食べてきました女性多人数に男1人というのは、普通の男なら苦手な構成だけど、僕はなぜか全然平気でも、正直こうした構成の中で食事したのは初めて女性がおしゃべりだとよく言うが、おしゃべりなんて生易しいもんじゃない「機関銃」というか「立て板に口」というか、ま~あ、べらべらべらべ…べらべらべらべらと、途切れることなく(特におKさんが)しゃべることしゃべること僕は、女性のおしゃべりというものは、噂や陰口なんかだと、今まではマイナーなイメージを持っていましたしかし、今日2時間くらいおしゃべりを聞いていて…おもろい!面白すぎる女性のお話は、自分の生い立ちや人生観、職業観や主観的(だから思い切り面白い)な人間観察決して陰口や悪口などではない黙って聞いているだけで、女性が世の男どもの言語態度をどれだけ冷静に観ているかよく分かりましたまた、それが正鵠を射ているめちゃめちゃ勉強になりましたそれにしても、ためになって面白い時間でした男が5~6人集まっても、仕事の話、上司の悪口と、女性に比べて非常にレベルの低い話題しか出てこず、学ぶものなどほとんどありません僕は、「世の管理職諸氏は女性のおしゃべりを聞いて、しっかり勉強せい!」と言いたい貴重な時間を作ってくれた皆さん、ありがとうございました次回も是非誘ってくださいね
2009年02月14日
コメント(9)
文章能力検定2級を受けてきました 結論から言うと、多分不合格でしょう 問題はそんなに難しいものではありませんでした 100点満点の70点を取ることは、そんなに困難なことではありません ただし…時間があと30分あるならば 試験時間は90分 問題は大きく4問で 第1問は、文章構成 ある会社のある計画の実施結果報告書を完成させるもの これは択一問題で、はっきり言って簡単だった まず、全問正解だと思います ここからは、全て記述式の問題 第2問は、文章の要約 報道文や、論説文を読んで、その一部を一定の字数(120字以上200字以内)に要約するもの 今日の問題は 「過疎化の進む農村の活性化」 でした 第3問は手紙文を書く 今日の問題は 「あなたはA社の営業担当である。9月に苦労のすえB社との取引を取付け両社は良好な関係である。12月の初めB社から歳暮の品が贈られてきた。A社では取引に私情を廃し公正性を確保するため、取引先から贈り物をもらうことを禁じている。B社はA社の規則を知らずに贈ってきたものである。そこで、あなたはB社に対し、断りの手紙を書きなさい。ただし次の構成とすること(400字以上500字以内) 1 頭語 2 季節・安否の挨拶 3 歳暮のお礼 4 規則により受け取れないことの断り 5 末文 6 結語」 第4問は論説文を書く 今日の問題は 「コンビニエンスストアが24時間営業していることについて、時間を帰省しようという声があるが、これについてどちらかの立場で論説文を書きなさい。ただし次の条件による 条件1 あなたの知識・経験を活用して、論説文としてまとまりのある文章を書く 条件2 必ず1行25字×28行以上32行字以内。句読点も一字とする。 条件3 無いように適した、整った構成で段落に分けて書く。 条件4 書いた文章の要旨を75字以内で書く」 というような内容でした まあ90分もあるんだから落ち着いてかかろうと思ってました しかし、僕は最終問が最大のボリュームであることに気付いていませんでした 4問をそれぞれ20分の配分でやれば何とかなるだろうと思っていました 第4問まで来てから答案用紙のマス目を見て、オーーマイガーーーッ これまでの倍くらいある すると係官が静かに言った 「残りあと15分です」 何~っ? 15分で800字の論説文と75字の要旨を書けと… 僕は、キーボードから入力するのは苦にならないが、字を書くのは代の苦手 出来るわけないやん でもこうなりゃやるしかない こうなりゃ、奥の手だ 行頭から数文字で段落を区切り改行して、行数を稼ぎまくる。 そうでなくても下手くそな字は、僕が読んでも分からないくらい乱れている 29行目にかかったところで打ち切る そして大急ぎで75字の要旨を書き終えると終了の合図 ふぅぅっ、疲れた~っ 多分落ちています 敗因は、実際に時間を計りながら90分で模擬試験をしなかったこと 悔しいので来年リベンジします
2009年02月07日
コメント(2)
実は自分でも今日が誕生日だとは忘れていました 土曜日の朝、のんびりした電車の中で文章能力検定の問題集を読んでいると、マイミクさんからのメッセージが届き、今日が誕生日だったってことを思い出しました メッセージを下さった方々、ありがとうございました 今日で僕はとうとう49歳 いよいよ40代最後の1年になった 自分の40代を振り返ってみると、実に実に得るものが多く、思い出しただけでも泣けてくる色々な出会いや気付き、大切な人との出会いや永遠の別れ、そして中学卒業以来離れていた楽器との再会、ブラスとの出会い… よく、昔は良かったと言う人がいるけど、僕はそうは思わない 10代より20代 30代より40代の方が、比べものにならない位、感謝することが起こる 感動の涙が出てくるような事が起こってきた ということは、これからの50代60代 更には70代、もし寿命があったら80代 今よりも比べものにならない位、感謝することが起こるんだろう、感動の涙が流れることが起こるんだろうと僕は思っています そんな風に思いながら朝の電車は京都駅に着きました 降りて外に出てみると、ターミナルに献血車が停まっていました こないだの献血では比重不足で不合格になった僕 今日はしっかり睡眠摂ったので大丈夫かも…と、思って献血車へ行きました 受付でこないだ会社の献血で不合格だったことを告げると 「失礼ですがどちらの会社ですか?」 「○○(株)です」 「あ~っ!毎年たくさんの方にご協力いただいてありがとうございます」 って、深々と頭を下げられ、恐縮しまくり 今日の比重を検査してくれたのは、吹石一恵そっくりの看護師さん 「あっ!パパさんって今日が誕生日なんですね。そうなんや~おめでとうございます」 と言いながら僕の血液を検査液の中に落とした 僕の血液は沈むでもなく、浮かぶでもなく微妙な感じ 「パパさん、もう一回やってみますね」 ポチャンと落とすと 「沈め~、沈め~!」 と二人で血液を応援しました すると僕の血は、まるで「分かりました」とでも言うように、スーッと沈みました 「パパさん、今日は大丈夫みたいですね!では400ccお願いしていいですか?」 「もちろんです」 という具合で、年に一度の社会貢献のまねごとが出来ました 血を採ってもらっている間、僕は大変難産で生まれ、母が命がけで生んでくれたことや父が電車で大病院へ輸血用の血液をもらいに行ってくれたという話、毎日の僕の活力源であるワイフや子どもたちの顔を思い浮かべました 会社に着いて仕事の真っ最中時計を見ると午後3時 僕が産まれたのは午後4時と聞いている 49年前の今頃、母は死にかけてまで頑張ってくれたのだ 僕は母の携帯に電話をかけました 「お母さん、僕を産んでくれてありがとう。それを言いたくて電話をしたんやで」 「わっはっは、お前とないしたん?それよりみんな元気?」 「うん、元気やで。ほんまに産んでくれてありがとう」 「わっはっは、はいはい」 ってな具合で用件は済みました この歳になって思います 誕生日は、祝ってもらうものじゃない 自分が、そこにいることを周りに感謝する日なのだと… 夜家に帰った僕は、家族に 「お父さんは今日無事に誕生日を迎えた。それもこれもお母さんや可愛い子どもたちのお陰や。ほんまにありがとう」 と、頭を下げました すると、ワイフが 「どうしたん?」 と心配そうな顔をしながら、包みを差し出しました 包みには、ニットの帽子と春物の服が入っていました みんな、ほんまにありがとうね
2009年01月31日
コメント(6)
今日の我が家の夕食は「すき焼き」 正夫はすき焼きが大好きだ 何よりリッチになったような気がする 今でこそ牛肉は一年中食卓を飾り、すき焼きなど珍しくも何とも無くなった しかし、正夫が子供の頃は、すき焼きというものは滅多なことでは口に入らない代物だったのだ すき焼きを食べるというのは、お正月か秋のお祭の晩と決まっていた 今夜がすき焼きだと思うと、正夫は朝からそわそわ落ち着かなかった すき焼きを仕切るのはなぜか日頃は家では疲れて寝てばかりの父だった 父が食事の準備らしきことをするのは、すき焼きを除いてない 夕食近くになると、父は底の浅いお鍋をコンロにかけ、まず脂身をジュージューと炒め始める 子どもたちは、年に二度しか食べられない「すき焼き」を作る父を尊敬に満ちた眼で見ている 肉が焼けてくれば、ネギをのせ、砂糖と醤油を加える えもいわれぬ甘い香りが食卓に満ちる ああ、生まれてきて良かった 正夫は感涙にむせぶのであった 「そろそろいけるぞ!」 父の合図で正夫と2人の姉はまるで強力な磁石に吸い寄せられるように食卓につく 「いただきま~す!」 父の前にはビールに熱燗 父は酌をされるのを嫌がり、自分でちびちび注いでは飲んでいる 「あ、正夫がまたお肉ばっかり食べてる」 姉が怒っている 愚か者め(^o^)弱肉強食とはこのことぜよ! いつもはちょっと気むずかしい父も、今夜はにこにこ笑っている 正夫は、腹が張り裂けそうになるほどすき焼きを食べる食べる…食べる 玉子のお代わりをしても許されるああ、幸せだ 毎日が正月とお祭ならいいのに… ------------------------- 40年の歳月が過ぎた あの頃に比べれば、毎日が正月かお祭かというほど豊かになった しかし、その毎日に父はいない 20年も昔に死んだのだ 今どき、すき焼きをしても、狂喜乱舞する者はいないだろう お正月だといって、朝から夕食を待ちかねる少年もいないだろう それだけ豊かになったのだ あの頃はそれだけありがたい、スーパープレミアムな時間だったのだ 「ごちそうさま」 あの頃と同じように、両手を合わせて言ってみる やはり、うれしい食卓である 後何年家族とすき焼きが出来るだろう すき焼きの珍しさがありがたいのではなく、縁があってこの家族と一緒になり共に笑いながら卓を囲む… 何十年後かに気付くのではなく、今この時こそ「スーパープレミアム」な時間なのだ 湯気の向こうに、父の姿が見えたような気がした
2009年01月04日
コメント(1)
みなさん、あけましておめでとうございます 1日遅れの新年のごあいさつを申し上げます 旧年中は、ブラスにワンコに我が家の超おもろい日常に、またオヤジのぼやきに付き合っていただきありがとうございました 今年も、ブログを強力なアイテムとして活用し、面白おかしな僕自身を発信していけたらいいなと考えています どうぞよろしくお願いします さて今年は久々に仕事中に年が明けました 写真は京都東山八坂神社のちょうど年が明けた頃の様子です 大晦日から元旦にかけての京都は本当に冷え込みました とうちゃんは、随分久しぶりに『ももひき』をはいて仕事しました こんな夜に仕事なんて大変ねと慰めてくれる人もいましたが、僕はむしろ全く逆で、こんな夜まで仕事があり、帰る家もあることに本当に感謝をしています 数年前までは、ホームレスといえば家庭や決まり切った社会が嫌で自らホームレスになった方が多いと聞いていて、そのような生活を選ぶということはそれはそれでいいのかななんて考えていました しかし、現在の日本は誰でも明日から路上生活を強いられる可能性があります 僕は現在決まった定職があり、住むべき家があります しかし、それは単に「運がいいだけ」なのかも知れません 「どんな出来事にも必ず意味がある」というのは僕の持論です ならば、現在自分が定職があり、家庭があるというのは、単なる運がいいのではなくて、職があるからこそ、家庭があるからこそ、自分のことだけ考えるのではなく、社会のために何らかの役に立たなくてはならないのではないのか、毎日の生活に不安を感じることなく何らかの貢献をするため、職と家庭を与えてもらっているのではないだろうかと思っています それにこのブログという手段も、今年は何か人の役に立つために使いたい そんなことを思った新春でした 元旦は夜明け前に帰宅しました 未明であっても、世の中の人のためにきちんと電車は走っています ありがたいなと感じました 帰宅して一眠りし、10時頃に起きるとちび1はいませんでした 彼女は、持ち帰り&デリバリーのお寿司屋さんのアルバイトで、大晦日から3日まで休みはありません 夜も11時頃疲れて帰ってきました きっと娘の作ったお寿司が、多くのお客さん家の笑顔につながっているのだろうと思います ちび1よ、ご苦労さん 皆さんが今年1年幸せに包まれますことをお祈りいたします
2009年01月02日
コメント(4)
昨日の仕事中のことうちの課のO君、彼はおとなしいが日頃はとても温厚な彼が、いつになく苛立っていた僕の言葉に対し、珍しく、それは極めて珍しくつっかかった僕は、心の中でここでしっかり叩いておかないと、本人はつけあがるし、周りに示しがつかないという気持ちが湧いたしかし、その一方で彼は、家に帰れば3人の子供がいるお父さんじゃないか、家族を支える父親が会社で罵倒されていい訳がないという気持ちが起こりました結局、後者の気持ちが勝ち、僕は怒鳴りたい気持ちを何とか抑えましたでも、果たしてそれで良かったのか、ガツンとかましておくべきではなかったかという気持ちが一夜明けた今朝もずっとくすぶっていました今朝、会社に着いた頃にはまた再び落ち着き、どうして彼はあんなに感情を露わにしたのか、彼が間違っているのなら、きっちり注意してやるのが自分の努めだと思い直しました会社についてしばらくすると、彼が僕の席の近くに来ましたこの時の僕は、彼が他人を不愉快にさせてまで自我を通す人間なら怒鳴りつけてでも目を覚まさせるのが自分の役目だと思い、彼に声をかけました「Oちゃん、昨日の話やけどなあ…」すると、彼は大きな体を直角に曲げ「パパさん、すみません実はあの時は別のことに腹を立てていたのです。いつも良くしてもらっている先輩に嫌な顔をしてすみません」って頭を下げたのですその時の僕の気持ち…あ~、短気を起こさなくて良かった僕はさっきまでのクサクサしていた気持ちがどっかに飛んで行きました「Oちゃん、そんな時はな。オレの所へ来て発散せえよ。かまへんかまへん、気にすんな。君もあっちこっちから板挟みになってしんどかったやろ?」それから彼がいつもの明るくバイタリティあふれる社員に戻ったことは言うまでもありませんああ、短気を起こさなくてよかった
2008年10月17日
コメント(0)
今日は、手術の翌日ということで、祝日にもかかわらず診察してもらいました 上の写真は、朝京都駅のバス乗り場から撮った京都タワーです まだ7時半だというのにバス乗り場には、観光客の方々が列をなしています 通勤通学客でごった返す平日とはひと味また違います こないだ撮った夕暮れのタワー も素敵でしたが、朝は朝で「しゃん」と背筋を伸ばしていて、これから始まる1日を応援してくれているみたいに見えます バスで30分余り、烏丸通り~四条通り~河原町通り~今出川通り~白川通り、と走ります 病院は北白川別当町の停留所から5分程歩いたところにあります 病院は当然休診日ですが、インターホンで用件を告げると自動ドアを開けてくれました そして、いつもながら礼儀正しい先生とあいさつの後、1日ぶりに眼帯が外されました えええ~っ、何か変 「パパさん、物が2つに見えますか?」 「はい、しっかり2つに見えて変です」 「大丈夫です、すぐなれます。上手く行きました」 その後、注意事項を聞いて病院を後にしました 外に出てみると、物のダブりは無くなっていました そして、ついに、物を見るのに全然力を入れなくても両眼で焦点を合わせていることに気付きました ・・・うまくいったんや 僕は、通りの花壇に咲いていた花に目を近づけました うっわーーっ、立体的に見える まるで3Dグラスをかけて見ているみたいです そうなんや、今まで僕はやっぱり片目でしか見てなかったんや 喜んでいたのはここまで… 次に昨日休んだ仕事のことが気になり始めました 土日月と休んだので多分仕事は溜まっているはず… というわけで、その足で会社へ 机の上に置いといた、連絡箱には、仕事が入っている入っている 来てみてよかった こんなの明日送りにしてたら、修羅場になるところでした 本当なら、夕方くらいまでかけてしっかり片付けたかったんだけど、目薬を家に置いてきたもんだから、眼が乾いてしんどくなり、昼過ぎにリタイアして、帰りは駅までワイフに迎えに来てもらいました 現在、まだ眼は真っ赤っかですが、力を入れなくても両眼で焦点を合わせることが出来るようななったことに十分満足です 手術前の視界がスチール写真なら、手術後は3D写真の世界です (ふ~む、普通の人ってこんな世界を見てたんや、もっと早よしてもらったらよかった) まだ、眼の中は異物感があり、当分不自由ですが、頑張ります 応援下さった方々、ありがとうございました ↑ おまけ夕方買い物に行ったときに撮った西の空です
2008年09月23日
コメント(4)
そんなわけで、今日僕は斜視の手術を受けて来ました もっと早く日記に書きたかったのですが、携帯から入力するには片目では非常にやりにくく、また、帰宅してからはちょっぴり鈍痛がするため、夕方まで寝ていたのです では、1日の報告を 8時半頃病院に着きました まず、受付を済ませ、本日の体調を細かく聞かれ、手術衣に着替え、なんとシャワーキャップみたいな物をかぶり、控室へ… 控室では、5分置きに勝手に測定する血圧測定装置をつけられ、心電図の装置をつけられ、点滴を打たれて、2~3分置きに麻酔の目薬を点眼してもらいます 30分間位控室の間、僕は点滴のせいか、一度オシッコに行かせてもらいました そのあといよいよ、僕を乗せたストレッチャーは手術室へ入り、酸素マスクと、血中の酸素濃度を測る装置ををつけてもらいました(これは想像ですが、喘息の発作が出ないようにするためか?) 先生は 「パパさんおはようございます。どこも調子の悪いところはありませんか?では、手術を始めます。痛みを感じるであろう時には、声をかけさせていただきます。つらい時や、おかしいなと感じたときは遠慮無くおっしゃつてください」 いつもどおり、誠実で丁寧な説明です ※手術の説明 僕は、外斜視(まっすぐ前を見ると片目だけ外を向く)です これは、眼球を引っ張っている筋肉の引っ張り具合がアンバランスなのです ですから、引っ張りすぎている外側の筋肉をゆるめ、ゆるい内側の筋肉を短くして強くします(おー怖わ) まず、顔全体にシートを被せられます このシートには、眼の部分に半透明のフィルムからついています 先生は、僕の顔にぴったりフィットさせ、次にフィルムを挟みで切り、僕の眼を露出させます そして、まぶたを開いたままにする器具を装着させ、眼が乾かないようにしっかりと点眼液を注がれます 不思議と、まばたきをしたいという気は全く起こりませんでした 「パパさん、まず外側の筋肉を一旦外して、つけ治します」 手術は先生と、助手の看護師さんが1人か2人の様子です 痛くもなんともありませんが、眼球を触られているという感じがします 普通なら、眼にゴミが入っただけでも痛いものなんだけど、不思議と痛くも何ともありません 「パパさん、筋肉を引っ張りますよ~っ。前半の一番つらいところです」 すると、眼の外側が確かに引っ張られている感じがして、眼の奥にズシーンと鈍痛がします 「パパさん耐えられますか?」 「はい、どうもありません」 そして手術は後半へ 「パパさん、更に麻酔を追加します」 よく見えないが注射器のようなもので何かしている様子です そのうちあれほどまぶしかった視界が、だんだん暗くなってきて、とうとう何も見えなくなってしまいました (もしかして目玉が、反対側向いてんのやろか?ま、ええか) 途中、今度は反対側の筋肉が引っ張られ、やはりちょっと怖かった そのがまた 2~30分経過 「パパさん、もう終わりますよ」 ???…でも何も見えへんやん 「先生、真っ暗で何も見えませんけど、大丈夫なんですか?」 「パパさん、麻酔が効いているせいです。心配いりません」 それからしばらくして 「パパさん、終わりました。気分は悪くないですか?」 「はい、大丈夫です。真っ暗なのはほんまに大丈夫なんですね」 「心配いりませんよお疲れさまでした」 僕の左目はなんだか厳重にガーゼを当てられ、海賊なみの眼帯を施されました 待合室に戻ると看護師さんが説明に見えました 「お疲れさまでした。薬は化膿予防薬を3種類飲んでください。また、痛いときには頓服をお飲み下さい」 「はい(痛いんやろか)」 厳重な眼帯を着けたのでメガネをかけられずに帰ってきました でも、片目が見えないというのは不自由なものです 歩くのも左側の様子が分からないので歩きにくいものです 京都駅までバスに乗り、空を見上げると、眼帯をしている方の眼にうっすらと明るさを感じました やっぱり、先生の言うとおり、麻酔のために光を感じなかったみたいです 帰宅すると、家族は誰もおらず、ぺこぺこのお腹に食べ物を入れるとやれやれ生き返った 空腹が満たされると、今度は麻酔の切れ目で眼が痛くなってきました 早速いただいた頓服を飲んで、夕方まで昼寝しました 目覚めた後は、痛みは幾分ましになっていました 今夜はお風呂もアルコールもダメなので、暇な夜になりそうです 応援して下さった皆さん、ありがとうございました
2008年09月22日
コメント(8)
↑ ロンパリ最後の眼おはようございます今日、斜視の手術を受けます 現在の僕の眼は上の写真のとおり 左目が外側にずれています これを手術で真ん中に治します小心者の僕ですが、手術には全然心配していませんなぜなら、医師がとても誠実な方でしっかりと説明してくれたこと、手術室の他にも看護師さんが20分位かけて説明、また事務の担当の方は費用や保険などの手続きについてこれまた細かく説明してくれたからですこんな丁寧な医療機関はめったにお目にかかったことがありませんでしたあとは、先生とスタッフを信頼して、これから行ってきます(ただ、手術まで何も食べられないので、力が出ません) 午後にはは、イケメンに変身しているでしょう では、ごきげんよう
2008年09月22日
コメント(4)
ようやく一週間が終わりました 今日は早く帰り、夕方2階の窓から外を見ると、下は暗く厚い雲の名残り そして上はスッキリと晴れて日没後の夕日を反射している まれにみる絶景です で、消えてしまってはもったいないのですぐに携帯で撮ったのが上の写真です あすはいいお天気になりそうですね (残念ながら、僕は終日職場の用事です) たまに早く帰ると、さくらも寄ってくる 今日はさくらと膝突き合わせて、ゆっくり話を聴いてやりました
2008年09月19日
コメント(2)
こないだ、大学病院へ行きましたが、昨日は手術のための検査のため、その先生が勤務する「京都パブテスト眼科クリニック」へ行ってきました 眼科専門の大きな病院でしたが、受付から先生までとても患者への対応がよく、気持ちよく診察を受けてきました 検査のために瞳孔を開く目薬を差したため、病院を出る頃には非常に視力が(一時的に)低下していました 歩いていても、どこがバス停なのか分からず、またバス停についてもバスが近付いていることが分かりません 今度はバスが到着しても、行き先が分かりません ドアが開き「このバスは5号系統京都駅です」というアナウンスが流れて初めて自分が乗るバスだと分かりました たまに不自由な思いをしてみると、何事もない普通であることは、決して普通なことでなく、とても幸せなことだったんだと分かります 病気やケガは、そんなことを気付かせるために僕たちのところにやってくるのかも知れません あと1回検査を受け、22日に手術を受けます
2008年09月09日
コメント(1)
【朝の日記】レーシックは諦めた僕ですが、もう一つ、斜視を治したい斜視だと気付いたのは高校の時で、カメラを構えた時、普通ならファインダーを覗くのと反対側の目は閉じるのに、僕は閉じないどころか、反対側の目は、あさって向いていると友人に言われたことからでしたそれでも視力はよかったんだけど、10年位前にデスクの仕事になり、PCを凝視するようになってから急激に(特に片方の)視力が低下しました今では左右の視力はかなり違い、このままでは利き目じゃない方は見えなくなるんじゃないかと…で、思い切って斜視の専門外来へ行ってきますさて、今日はどんな出会いがあるかな?【夜の日記】今朝の日記で大学病院に診察に行くと書きました それで、行ってきました 行ってみて驚いた まず、受付 銀行にあるような発券機で番号札を取る そして、受付が始まるのを待つ 9時になると、受付カウンターのシャッターが静かに上がる と、中の職員さんが一斉に待合室の患者に正対して起立し、なんとまるでデパートの開店時のように、静か~にお辞儀をした 僕は、思わずお辞儀を返してしまった 無事に受付を済ませ、眼科受付へ 今日は、斜視の専門外来のある日です まず事前検査 検査してくれたのは「篤姫」そっくりの女性 先日と同じように、視力・眼圧などの検査 続いて斜視の程度を計る検査を… 斜視というものは、ほとんど子供の時に治療するんだそうだ だから、検査室も子供向けに出来ている 篤姫さんは、 「パパさん、眼球の動きを調べます。このアンパンマンを眼で追って下さい」 …えーっ、アンパンマン 「はーい、良くできました。次は向こうのウサギさんのお腹を見ていてくださいね」 …バニーちやんのお腹は、青や赤の光を発する これをプリズムのような物を通して目で追うことによって、斜視の程度が分かるとのこと こんな風に、篤姫さまのお陰で、楽しく検査が済みました 次に、診察 若い先生は 「パパさんは『間欠性斜視』で、両眼で見ることもあるが、疲れたり里気を抜くと片目でしか見ていないという、軽症の斜視です。このまま治療しなくても、特に問題はありませんが、手術により確実に治すことが出来ます。当院で手術されますか?」 「はい、お願いします」 「分かりました、ただ当院は来年の春まで手術日程が詰まっています」 「先生、僕の仕事は春先は特に忙しく、休めそうにないので出来ればすぐにでもして欲しいのです」 すると、先生は実は他の病院でも診療していて、そこなら2回の検査を受ければ、待ち時間なしでしてもらえるとのこと… それで、来週2回検査を受けて、再来週にでも手術してもらうことに鳴りそうです 早い時間に診察も終わり、今日は会社を2時間休むだけで済みました さ、斜視が治った夢でも見ながら、ゆっくり寝ますね
2008年09月05日
コメント(5)
昨日は、手術受けられずで、問題提起したパパでしたが、実はもう一つ、語らずにはいられない出来事があったのです腹を立てながら帰宅すると、ちび1が1人で留守番をしていました大学生のちび1はもう少し夏休みがあるのですお昼ご飯はどうしようか?「おい、ちび1、○○寿司(もちろん一皿100円)行こうか?」「ラッキーッ行く行く」2人は元気よくベルトコンベアーが回るお寿司屋さんへやって来た父(ぱくっ)「んま~~っ、お前もしっかり食えよ」娘「うんさっそく、お好み注文しようっと」ちび1は、タッチパネルで好きなお寿司を注文している間もなくすると、注文の品が回ってきて「ピッピッピー」とサインが鳴る…はずだったところが、ピッピッピーと鳴ってコンベアを見ると、何と空っぽの「注文の品」のトレイが空しく回るだけ ということは、誰かがトレイの上の注文の品を先に横取りしたのか? 僕らは疑心暗鬼になり、ベルトの対岸をのぞくと、年齢は20代前半、ロングで金髪の髪をてっぺんでちょんまげのようにまとめた、いわゆるヤンママが目に入った僕とちび1は、どちらが言うともなくヤンママの様子に見入ったすると、また「注文の品」の赤い台座に載ったお寿司が流れてきたヤンママ「うっわ~っ、うまそ~も~らおっ 」 ヤンママの連れ「それ何?」ヤンママ「知らん、けど、うっま~っ」 「おい、見たかちび1」「見た見た、ムカつく~っ」「ただムカついてたらあかんぞ、あれがどれくらいぶさいくか見とかんかい」その後も、2人は、ご注文の品が流れてくる度に勝手にチョイスし「うまそ~」「それ何?」「知らんけどうま~っ」 を繰り返した僕とちび1は、腹の立つのも忘れ、ヤンママの様子を観察し、腹がよじれるくらい笑ったその後で、ようやく分かった子供にはほんまもんをと、教えてくださった京のご婦人の言葉の意味をにぎり寿司というものは、腹一杯食べるものではない何か特別におめでたいことがあったときに、きちんとした服を着て、お店の大将にカウンター越しに握ってもらい、じっと味わいながら食べるまたは、家族にめでたいことが会ったときに、丸くて、底に店の名前が遠慮がちに描かれた塗りの器にもられたものを、みんなでいただくもちろん、箸は吉野杉の割り箸そういう代物なのだ腹一杯食べる寿司屋には、それ相応の客しかやってこない僕は、ほんまもんをという、京のご婦人のありがたい教えを改めてかみしめました帰りの車でちび1と大笑いしながら、きちんとして大人とはについて語った親子でしたこれまた、貴重な学びをさせていただきましたヤンママさん、ありがとう
2008年09月04日
コメント(3)
昨日の日記で、まるで我がことのように腹を立ててくれた皆さん、ありがとうございました冷静に考えて、楽器を顔色が変わるくらい力を入れて目玉をひんむいて吹く僕としては、この手術は術後の安静な生活が難しいと思われるので、やめときます一晩明けて…昨日は、手術をしてもらえなかったことと、医師の横柄な態度が頭に来て、感情的な日記を書いてしまいましたしかし、医師態度がそうであっても、手術をしてもらえていたなら、こんな日記になっていたんじゃないだろうか?>医師はにこりともせず診察し、手術してくれた>結果、見にくかった両眼は1.5×1.5(^^)/>>先生の態度は、初めずいぶん冷たく感じたが>予断を廃し、患者にそれなりのリスクを覚悟をさせるには>当然であったのかも知れない>>患者にへつらうことなく、冷淡なくらいの態度でありながら>確かなオペをしてくれた、ブラックジャック先生、ありがとうってな具合かな?ということは、オペを受けられたならそんなに腹が立たなかったわけだ僕は先生の態度に腹を立てていたのではなく、希望する結果を得られなかったことで、無念のやり場を先生の態度に転嫁していたのではないだろうか?僕も前の職場は、クライアントからの苦情を一手に引き受けていたその中で、社員の言動や態度に関するは最も多数を占めたが、それは社員の態度はもとより、それ以前にクライアントの要望に応えられない場合、どのような説明責任を果たしたかが問題であったのだろうクライアントの要望に応えられないときは、出来るだけ相手の立場に立って、残念な気持ちを踏まえて説明する。それが出来ていたら、昨日のような日記にならなかっただろうそれに、そんな態度を教訓として今後に活かそうと僕が捉えていたら冷静に受け止めることが出来ただろう大きな学びをした1日でした
2008年09月04日
コメント(1)
今日は1日夏休みをいただいて、眼医者さんに「レーシック」の手術を受けられるか診察を受けに行ってきます若い頃は、眼だけは良かったんだけど、35位から近視が始まり、おまけに僕は斜視もあるので右と左で視力も違い、メガネをかけても見にくい、かけなくても見にくいという状態が続いています会社で、5~6年前にレーシック手術を受けて、牛乳瓶の底より分厚いメガネをかけていた人が、1.5に快復したとうれしそうに語っていましたその後どうしたんだろうと思っていると、口コミで広がり、僕の課の人もこの夏既に2人位手術してそれぞれメガネ無しの快適な生活をしていますこの手術はレーザー光線を使ったもので、痛みもなく時間も10分位で終わるとのこと出来たら、斜視も直したいな昨日電話してみると、40代後半では手術出来ない場合が多いと説明されたでも、ダメもとで行ってきます
2008年09月03日
コメント(0)
今日は、重たい仕事があり、なんとか無事に終わりましたやれやれ、と…早めに仕事を切り上げ帰る途中、電話がかかった表示は春までの仕事の相棒、おKさん「はい(*^_^*)」「キムチ、みんなに届けてくれてありがと!早速お礼のメールをもらったわ」「こっちこそ、美味しいのいただいて、おおきに!」「それより、やっと見たわよ、ママの作品のページちび2ちゃんの才能は、パパ譲りとちゃうねえ。ママ譲りやとはっきり分かったわ(^o^)」「当たり前やん、僕が絵を描ける訳ないやん」「それに、毎日ブログ楽しみにしてるんよ」「ありがとう(^o^)」「あ~あ、今日も更新されてない。次の日も、あ~あ、まだやん、と思ってるんよ。頑張って更新してくれなあかんやん」「しぇ~ッ、厳しいなあ(/_;)」でも、毎朝楽しみに見てくれているなんてうれしいおKさんは、どうやらおだてに乗りやすい僕の性格をしっかりつかんでいると見えます強力な読者がいる限り、パパは張り切って更新しますね明日は、夏休みにしようかと思っていたら、月に一度の重要な業務の日夏休みは来週回しかな?
2008年08月26日
コメント(2)
今日、昼前におKさんが訪ねてきてくれました「パパさん、はい、これ!キムチ」「これって、もしかして…」去年までは、おKさんも僕も、パワフルさんのお世話で、大阪の鶴橋から本格キムチを取り寄せてもらっていましたおKさんは退職し、パワフルさんは転勤し、もうあんな美味しいキムチは食べられないだろうなあと思っていました「パパさん、あの美味しいキムチ、私が家で頼んだの!みんなに食べてもらおうと持って来たんよ」おKさん、あなたはどうしてそんなに人に優しいんですか?家に持って帰り袋を開けると、僕の大大大好きな、イカきゅうり~っあまりのおいしさに写真を撮るのを忘れていましたほんまに本場のキムチって美味しいよなあ僕がこの会社を卒業した後、どれ程のものを後進に残せるだろう?後に残る人が、ああ、一緒に仕事を出来てよかったと思えるような存在でいられるだろうか?おKさん、今日もごちそうさままた、ゆっくり食事しながらお話したいですね本当にありがとう
2008年08月25日
コメント(3)
昨日仕事中、春に定年退職した元相棒のおKさんから電話がかかった 「あと3分で着くから外に出てて」 そとに出て待つと、見慣れたバイクがやって来た ヘルメットを取ると彼女は 「はい、これちび3ちゃんに『銀賞おめでとう』って!」 と、くれたのが写真のケーキ これは会社の近くの「ポアン・プール・ポアン」っていう人気のケーキ屋さんのものです そのあとちょっとオフィスに寄って、例によって世間話に花を咲かして、帰らはりました おKさんは、いつも僕のブログを読んでいて、時々感想やアドバイスの電話をくれます 仕事を離れてもこうして親しくつきあいの出来る先輩がいるってうれしいことです 帰宅すると妻子は、大喜び 本当にありがとう
2008年08月08日
コメント(2)
7月に入りました皆さんお元気ですか?さて、今日も先日見た夢のお話です一昨日の晩の夢は現実離れしていた 夢の中で、うちの次女(ちび2)がリビングの床いっぱいに張られたキャンバスに鉛筆で下絵を描いていた その絵は何か宗教的な、まるで「ビーナスの誕生」のような下絵でした 見ているとちび2は下絵を完成させ、色を着けようとしていた 「おい、お父さんにもさせてくれへんか?」 「いいよ」 どうやら油絵のようで、僕はちび2にへらのようなものを貸してもらい、まずへらに緑系の色を載せ、下絵の葉っぱの上に載せた すると、何と葉っぱが次々と緑に色づき、風になびいてゆらゆら揺れ始めた ちび2の方を見てみると、ちびには空に何か色を載せている すると空が空の色がまず明るい薄紫になり、次にバラ色になり始め、雲はゆっくり動き始めた 次に僕は、絵の中央の女性の死体(に見える)の唇に、赤い色を載せた すると、その女性の頬がほんのりと赤みをさした そしてその女性は髪が金髪になり、ゆっくりとまぶたを開いた 青い瞳はまっすぐに僕とちび2を見た そして 「ありがとう、私は○百年振りによみがえりました」 と言う 僕とちび2は何だか感動してしまい、顔を見合わせている そんな夢でした 一体何を暗示しているのだろうね追伸僕は絵心が全くないので、絵の描き方など全く知らないし色の付け方も知りません僕にとって色着けは「色を塗る」というイメージしかありませんでしたが、夢の中では「色をのせる」というはっきりしたイメージがありました昨晩そのことをちび2に話してみると「そやで、色は塗るもんと違って、載せるもんやで」て言われましたさ、今夜はどんな夢が見られるかな
2008年07月02日
コメント(5)
全256件 (256件中 1-50件目)