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哲学や論理学や知性について説明した本。アホは個別的なものだけを見てそれらに備わる普遍的なものを見ない一方で、知性のある人はその知性に応じて個々の物の中に通じる普遍的なものを見出すもので、形而上学というのは形而下的なもの(存在するもの)の背後にある本質を考察する学問なんだよ、と哲学について丁寧に説明するのでわかりやすい。論理学については、知性が匹敵するもの同士の討論は有用だけれど、アホとは討論すべきではないと指摘して、話はそこで終わらなくて、ショーペンハウエルは論破されたアホの難癖のパターン(テーゼの拡大解釈、方向転換など)を考察して、アホに反論するための論争弁証学を作り上げてしまったのだから、彼はよっぽどアホが嫌いなのだろう。というような前半の前置きが長くて、中盤になってようやく知性についての説明が始まるのだけれど、「知性はその客観的表現たる脳髄およびこれに付属する感覚器官と同様に、外来の作用を受け入れるための、きわめて高度に発達した感受性にほかならず、われわれに本来固有な内的本質をなすものではない」という結論に達したらしく、自然こそすべての真理を真理たらしめるものだから、哲学者は自然に就いて就学すべきであるというのがショーペンハウエルの主張のようだ。「知性は独立に存在するものではなく、ある意思の道具としてのみ出現」するというあたりに現象学の先駆的考え方がみえる。そして算術的な精神活動はそれだけが機械によっても成し遂げられる唯一のものだから、あらゆる精神活動のうちで最低のものだとショーペンハウエルはいうけれど、これは機械が計算以外のこともやれるようになった現代においては当てはまらないだろう。機械が翻訳したり地図のルート案内したり歌を歌ったり楽器を演奏したり将棋を打つようになった現代においては、現代人の精神活動は機械によって成し遂げられる最低の精神活動ばかりということになってしまう。将棋は機械でもできるから最低の精神活動である、なんていったら棋士たちは怒るだろう。ショーペンハウエルは知性を「高度に発達した感受性」というけれど、機械の発達がその「高度に発達した感受性」を上回ってしまったら、じゃあ知性とはいったいなんなのか、「高度に発達した感受性」といえるほど高度なものでもないんじゃないかという話になるけど、ショーペンハウエルは機械が人間よりも高性能になるということまでは考えていなかったようだ。19世紀の人じゃ現代科学の急速な進歩を予見できなくてもしょうがないか。後半になると、同じことを考え続けずにいったん目を離してから見直すとより明晰に理解できるとか、自分の省察はできるだけ早く書きとめるべきであるとか、記憶術についての話とか、大衆はアホだとか、知性についての論考というより日常生活のアドバイスみたいになっている。それはそれで役に立つかもしれないので別にいいんだけれど、「知性について」と題している割には話題が散漫で考察不足で物足りない感じ。★★★☆☆【送料無料】知性について [ アルトゥル・ショーペンハウアー ]価格:630円(税込、送料込)
2013.06.28
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ヴェネチアのユダヤ人街ゲットやコルティジャーネ(娼婦)についてのエッセイ。読みやすい丁寧な文章で書かれているものの、初心者向けではなく、作者の他のエッセイを先に読んだあとで読むのがちょうどよい。話題の幅が狭く、ヴェネチアのゲットの話が大半なので、ユダヤ人やゲットに興味がなければあまり面白いものでもない。ユダヤ人の友人のマッテオ、ゲット出身の友人のルチアなど、イタリアに生きるユダヤ人の一側面を描いているのはよいものの、全体の構成が散漫で、ゲットが焦点なのか、友人の思い出話が焦点なのか、全体として何が言いたかったのかがわかりにくい。一方でコルティジャーネについて書いた「ザッテレの河岸で」は治癒の見込みのない人の病院の話が娼婦の話へとつながっていき、こちらは構成がよく練られていて面白くよめる。★★★☆☆【送料無料】地図のない道 [ 須賀敦子 ]価格:420円(税込、送料込)
2013.06.26
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