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秋田のマタギの富治が地主の娘の文枝に夜這いをしたのがばれて鉱夫にさせられたものの、弟子の小太郎の村に行って小太郎の姉のイクと結婚して、頭領になって巨大ツキノワグマとタイマンする話。三人称。序盤は方言やマタギ用語を使って大正時代のマタギの世界観を作ることに成功していながら、徐々にその世界観が壊れていく。恣意的に濡れ場を強調したことで、一人のマタギの生涯を書いたというよりも、いかにもフィクションの物語という感じのうそ臭いポルノになってしまった。方言の使い方も中途半端で、冒頭は富治が方言でしゃべっているものの、途中から急に標準語に変わっているのがおかしい。この物語は大正3年(1914年)で富治が数え年で25歳のときから始まるものの、標準語が広まったのは標準語でラジオが放送された大正14年(1925年)以後で、標準語は話し言葉ではなく書き言葉として用いられていたらしい。国語として標準語を普及させる教育が始まったのは小学校令が改正された明治33年(1900年)以後で、当時の教育では秋田弁を標準語に直せなかったというから、富治も簡単に標準語を習得できるものでないはずだ。鉱山には様々な場所から人が来るから標準語が使われていたと小説では説明されるものの、そもそも富治より年上の鉱夫たちは小学校で標準語の国語教育を受けていないはずなので、彼らが標準語を話せるとは思えない。小太郎は東京に丁稚に行っていたから標準語を話すというのはまだわかるものの、周りの人が標準語を話したからといって富治が標準語を話せるようになるものじゃないだろう。中盤は富治と小太郎の標準語の会話が続き、イクとの会話では一人称が「俺」から「私」に変わるのはやりすぎで、冒頭で方言を多用して作り上げた東北の小さな村のリアリティは崩れてしまった。始終方言で通せばいいのに、中盤だけ中途半端に標準語にする意味がわからない。参考文献のおかげでマタギの熊狩りの部分はうまくかけているものの、資料をなぞったという域を出ず、それ以外の恋愛部分もよくない。鉱山のホモショタの話はこの小説で書かれる必然性がないし、小太郎が富治と姉との結婚に対してどう決着をつけたのかも書かれていないし、富治の息子がマタギになりたがった話もウヤムヤのままプロットとして発展しないでしぼんだ。中盤の展開が遅くてもっさりしている一方で、終盤の展開が早くて富治と文枝の間にできた息子への感情もイクの間にできた娘への感情も書けてない。マタギを主人公にしても結局はマタギとはあまり関係のない色恋沙汰の紆余曲折が物語の中心になってしまって、その割には人物の感情が書けておらず、最後にクマとタイマンして一応マタギ小説っぽい終わり方になっているもののありきたりの展開で、そのうえ幻覚を持ち出して一番肝心なところで生死のリアリティから逃げてしまった。小説のプロットとしては月並みで特に面白い点はなく、マタギに興味がある人は巻末の参考文献を直接読んだほうがよさそう。★★★☆☆【送料無料】邂逅の森 [ 熊谷達也 ]価格:750円(税5%込、送料込)
2014.02.27
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生存者の証言を基にして、ワールドトレードセンターの北タワーにに飛行機が衝突してから崩壊するまでの102分のビル内外の様子を書いたノンフィクション。各章のはじめに崩壊まで残り何分かを記しながら、ビル内にいたビジネスマンたちや、救助のためにビルに突入した警察官や消防隊員のそれぞれの視点から見た出来事を生々しく書いて、ビルが衝突した後の状況を多面的に書いている。テレビではビルに飛行機が衝突する場面とビルが崩れる場面は放送されたものの、ビルの中までは知りようがなかったが、この本ではそのときビルの中で何が起きていたか、何が避難や救助の障害になっていたのかを知ることができる。・1993年にイスラム原理主義者が世界経済の中心のWTCを標的にした爆弾テロを起こしたが、このテロが軽視されて次のテロの兆候が見逃されたことが2001年のテロへと繋がった。・ニューヨーク市は警察と消防が反目し、連携が不十分なままろくに合同演習もせず、無線の周波数が違って互いに連絡も取れなかった。警察と消防の全周波数が使える最新の無線があったものの、使われないまま放置されていた。・消防隊員の装備は古くて無線は周波数が混雑して使えず、指揮系統が機能せず情報が伝わらなかった。・元WTC管理者や危機管理専門家の提言は無視され、ジュリアーニ市長はWTC内に危機管理本部を作ったが、テロが起きたら避難せざるをえず危機管理本部が機能しなかった。・港湾公社は新しいものは古いものよりも安全なはずだと最先端技術を使ったWTCの性能を過信していた。WTCの建材は耐火性試験を受けていなかった。後の耐火試験で建材が二時間もたないことが判明。飛行機がぶつかってから50分後に到着した消防士はあと1時間救出活動ができると考えていたが、7分後に崩壊して消防士を崩壊に巻き込むことになる。・利益を優先して建築基準法が改正されて耐火基準が引き下げられていた。そのうえWTCの設計段階から安全性は軽視されていて、建物に飛行機が衝突することは想定されておらず、ビルのスペースの有効活用のために、百十階建ての高層ビルに六階建てのビルと同じ数の非常階段しかなかった。その少ない非常階段が飛行機衝突の瓦礫で塞がれたり火事の煙が充満したりして、上層階にいた人たちは避難が不可能になった。通れる非常階段があっても、その情報が上層階の人に伝わらなかった。・北タワーではスプリンクラー、防火扉、排煙装置がきちんと作動せず、WTC建築主任のフランク・ディマティーニと港湾公社の同僚たちが人力で非常扉を開けて人々を救出していった(ディマティーニは死亡)。高層階の多くの人々を救ったのは警察や消防でなく民間人だった。・南タワーにいる人たちが留まるべきか逃げるべきかを尋ねても回答は対応した警官や消防隊員によって異なっていた。港湾公社警察のホイッティカー警部が原因がわかるまで両タワーを無人にする方針で全員避難を指示したが、警察には退去を命令する権限がなかった。その一方で、消防隊員フィル・ヘイズが独断で南タワーは安全だからオフィスに戻るようにとアナウンスしたことで南タワーの避難中の人々が混乱し、一部の人は仕事を再開するためにオフィスに戻ってしまった。迅速に避難した人たちは助かり、オフィスに戻った人は北タワーへのアメリカン航空11便衝突から17分後に南タワーへのユナイテッド航空175便衝突に直面することになる(フィル・ヘイズは死亡)。・北タワーが傾き始めて警察官には避難命令が出たが、ビル内の消防隊員には無線が通じなくて情報が伝わらないまま崩壊に巻き込まれた。テロが起きたことにより、こうした問題が一挙に顕在化して、テロ対策だけでなく、建築法、消防設備、情報伝達、避難誘導に関しても危機管理意識が不十分だったことが浮き彫りになってくる。テロが元凶とはいえ、その後の火災やビルの崩壊による被害の拡大は港湾公社や行政の危機管理意識のなさと怠慢による人的災害ともいえる。安全だったはずのWTCが崩壊したのは安全だったはずの原発でメルトダウンが起きたのと似たものがあり、起きないはずの事故が起きてようやく隠れていた問題が顕在化する。危機管理をする側の政治家、役人、警察、消防や建設関係者にはこの本を読んで危機管理の教訓にしてほしいものだ。★★★★★【送料無料】9・11生死を分けた102分 [ ジム・ドワイヤー ]価格:1,890円(税込、送料込)
2014.02.22
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イギリス暮らしの悦子の長女の景子が自殺して次女のニキが訪ねてきた際に、戦後の長崎で知り合ったアメリカかぶれの佐知子を回想する話。悦子の一人称で、現在と過去の回想を交互に語る形式。現在がいつなのかはっきりせず、回想部分は朝鮮戦争後で稲佐山にロープウェーができた後のことなので1957年以後と思われるがはっきりしない。英語で書かれた日本の物語を日本語に翻訳したものを読むわけだけれど、翻訳に問題があり、佐知子の言葉遣いに対して「東京言葉だから長崎の人ではない」と言及する一方で、長崎の人々が長崎弁を一切使わないで東京言葉を使って会話しているのでは物語として設定が矛盾していて、翻訳として世界観の表現に失敗している。著者の処女長編だけれど、技術的欠点が目立って読みづらい。語り手の主人公が傍観者的だったり、自分語りをしたいのか他人について語りたいのかどっちつかずだったりするのは最新短編集の『夜想曲集』でも同じ特徴が出ているから、これはもう作者の創作手法として悪い癖が定着してしまって直らないのだろう。 ニキ、さいごにきまった下の娘の名はべつに愛称ではない。これは、わたしと彼女の父親との妥協の産物だった。話は逆のようだが、日本名をつけたがったのは夫のほうで、わたしはひょっとすると過去を思い出したくないという身勝手な気持ちがあったのか、あくまでも英国名に固執したのである。夫はニキという名にどことなく東洋的なひびきがあると思って、さいごには賛成したのだった。という文章で始まるものの、わざわざ「彼女の父親」というもってまわった言い方をせずに「わたしと夫との妥協の産物だった」とシンプルに書けばいい話。「夫」と「彼女の父親」が別人なのかと勘ぐって出だしから躓いて、この不親切な語り手につきあうのをやめたくなる。長女の景子は純粋な日本人で、次女のニキはそうではないらしいものの、夫がナニ人なのかも明示されないまま長崎回想に突入して、語り手の独りよがりなペースで話が進むのがいらいらする。外国人の夫も日本人の夫もどちらも「夫」と呼んでいるのもひっかかる。普通は再婚したら前の夫はもう「夫」とは呼ばないだろう。「今のわたしには」「今となっては」「今でもはっきりおぼえている」「いま考えてみれば」「今となればわかるのだが」という「今」に言及する言葉が頻繁に出てくるものの、物語における現在がいつなのか曖昧なのはよくない。経験が浅い作家が回想形式でよくやる典型的な失敗だろう。物語における現在の世界観があやふやなまま過去を掘り下げてもリアリティは出てこない。回想形式の不備が他にもあり、現在から過去を回想している部分と当時の様子を過去の目線で実況中継している部分がごっちゃになっていて、最初は過去の回想として始めたのだから、回想として統一しなければナラトロジー的におかしい。過去と現在を交互に語るのも、交互に語る構図にする必然性に乏しく、工夫というよりはナラトロジーに無自覚で技術的に下手に見える。佐知子の話をしたいのか、悦子が現在の自分の話をしたいのか、どっちつかずになっていて物語が停滞している。悦子は語り手として回想して会話や行動を描写するものの、悦子自身がどう考えているのか、どう感じているのかという心理がほとんど書かれていないのがこの小説の最大の欠点で、誰に対して語っているのかを語り手自身が自覚しておらず、語り手自身にリアリティがないことで物語のリアリティの決定的な部分が失われている。その上、景子が自殺したことと佐知子の話がどう関連するのか不明で現在に長崎のこと回想する必然性が乏しく、長崎のことが現在にどう影響したのかも書かれず、どうやって悦子が長崎からイギリスにやってきたのか、佐知子と万里子がどうなったのかも説明されないまま、オチがないような形で中途半端に終わった。肝心なことを書かずに読者に推測させるのもひとつの手法だろうけれど、この小説は未完成なのではないかと疑いたくなるような拙い出来栄え。★★★☆☆【送料無料】遠い山なみの光 [ カズオ・イシグロ ]価格:735円(税込、送料込)
2014.02.21
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音楽と夕暮れをテーマにした5つの短編集。「老歌手」:ギタリストの男が憧れの老歌手と出会い、彼が妻に歌をささげるので伴奏をする話。主人公が傍観者的で存在感がない。「降っても晴れても」:音楽好きの男が大学の友人夫婦の家を訪ね、妻が自分の悪口を書いたメモを盗み見たことをごまかすためにどたばたする話。音楽をテーマにする必然性に乏しい。「モールバンヒルズ」:シンガーソングライターの男が旅行者のスイス人老夫婦に自作の歌を聞かせる話。売れないミュージシャンの苦悩を書きたいのか、離婚しかけている年配夫婦の心情を書きたいのか、物語の展開の仕方が中途半端。「夜想曲」:才能はあるけどブサイクで売れないサックス奏者が整形手術をすることになり、セレブと知り合ってヘボ演奏家のトロフィーを盗んでどたばたする話。売れないサックス奏者を売れない俳優に変えても成立しそうなプロットで、音楽をテーマにする必然性に乏しい。「チェリスト」:チェリストが自称高名な音楽家の女と会って手ほどきを受ける話。語り手の「私」に存在感がなく、一人称なのに神の視点で他人の内面まで語っていて、ナラトロジー的におかしい。技術的に失敗していて、はじめから三人称で書くべきだろう。どれも主人公の男の一人称で、語り手の男が初対面の誰かと会うか、知人と再会するという展開で、短編集なのにプロットのパターンが似ていて面白みがない。才能があるけど売れないミュージシャンが主人公というのも安直。初短編集らしいけれど長編に比べて下手で、音楽にテーマを絞ったせいでかえって芸の幅の狭さが目立ってしまった。★★★☆☆【送料無料】夜想曲集 [ カズオ・イシグロ ]価格:819円(税込、送料込)
2014.02.20
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パキスタンで地雷処理をする日本人少年ナマムギに感化された中学生たちが集団不登校して、ナマムギ通信やASUNAROという組織を作ってビジネスする話。主人公のジャーナリスト関口の一人称。大人のジャーナリストの視点で中学生とも距離をとって事態を客観的に捉えていて、この物語の語り手としては適役。まだ価値観が未形成の中学生を大人の目線から見るのも、これから何が起きるのか予想がつかないというサスペンスが演出できていて、冒頭からスムーズに物語に引き込まれてよい。謎だらけのナマムギや、学校を武装占拠したポンちゃんなど、個性的な人物が現れて印象的な事件が起きる。しかし中盤になると中学生がネットの向こう側に行ってしまって姿が見えなくなり、ネットビジネスや日本経済の状況やアジア通貨基金の説明が長くなり、中学生を国会の証人喚問に出頭させるという話もなかなか進まず、物語の進展も乏しくなる。最初はナマムギ、中村、ポンちゃんという個人に焦点を当てていたからこそ登場人物の個性も見えるものの、中盤から中学生全体を焦点にするようになって個性が見えなくなり、冒頭部分を上回る出来事が起きるわけでもなく、関口と誰かの対話が繰り返されるだけになり、物語としてどんどんつまらなくなっていく。ポンちゃんをネット経由で国会で証言させることになってようやくまた個人に焦点があたるものの、展開が遅くて読み飛ばしたくなる。展開が遅いと思いきや、終盤でいきなり2004年まで飛んで、ポンちゃんたちは17歳になっていて、北海道に移住してからさくさく2008年まで進んでポンちゃんたちはあっちゅうまに21歳になっている。思春期から大人になるまでの様子が大幅に省かれていて、物語のペース配分がおかしい。しかも結局元中学生たちも希望を見つけられないでオチもなく終わるとか、なんじゃそりゃー。社会状況を詳細に書いて可能世界のリアリティを出そうとする作者の努力は十分に感じるものの、経済の説明が過剰すぎて逆に邪魔で、それ以外にも不十分な点がいろいろある。この小説の設定では中学生全体の6割が不登校で、4割しか学校に行っていないらしいけれども、4割の普通に登校している中学生が出てこず、不登校の中学生対大人という構図だけしか書かれていない。残りの4割が何をしているのか、希望を持っているのか、という点も書かないと不十分じゃなかろうか。それに不登校の中学生が荒稼ぎしているなら、その中学生を金づるにする高校生とかが出てきそうなもんだけれども、中学生以外の未成年にはほとんど言及されず、中学生だけに話題を絞ったせいで不自然になっている。教育問題がテーマかと思いきや、作者が考えたビジネスを中学生にさせたらどうなるかシミュレーションしつつ社会批判するという自己満足臭がする経済小説で、なんかだまされたような気分。小説として面白いのは冒頭部分だけだった。★★★☆☆【送料無料】希望の国のエクソダス [ 村上龍 ]価格:700円(税込、送料込)
2014.02.09
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3年後に小惑星が地球に衝突する終末世界の市民の生活を書いた短編集。どの短編も一人称だけれど、一人称で語られる必然性もなく、作者がナラトロジーの基本作法を理解してないと思われる。舞台となる仙台ではパニックを起こした人々は自殺するか、移動するか、警察に捕まって、自衛隊は機能しなくなったけど警察は機能していて町は一時的に穏やかな状況を保てているらしいが、この設定にはリアリティがまったくない。小惑星の衝突が世間に公表されてから5年間の様子があまり書かれておらず、超絶インフレも起きずに貨幣経済は維持されていてガスも電気も水道もテレビも使えるというものの、労働もしていない登場人物たちがどうやって貨幣や食料を手に入れているのか不明。細部をシミュレートする気がないならそもそも終末世界を舞台にすることに無理があり、世界観の設定の根本的な部分で失敗していて、その世界で展開される個々の短編も失敗している。「終末のフール」:父親が息子を馬鹿呼ばわりしていて、それに反発した娘と和解する話。ただのホームドラマで、終末世界を舞台にする必然性に乏しい。「太陽のシール」:あと3年で死ぬとわかってて子供を産むべきか考える話。スーパーや産婦人科が普通に営業しているのがリアリティがなくおかしい。「籠城のビール」:兄弟が犯罪被害者の妹を追い回したアナウンサーに復讐しようとしたらアナウンサー家族はその日に心中するつもりだったという話。ただの復讐劇で、終末世界を舞台にする必然性に乏しい。「冬眠のガール」:女が恋人をつくろうとしてあちこち男を訪ねる話。終末世界を舞台にする必然性に乏しい。「鋼鉄のウール」:キックボクシング教室に通う少年の話。終末世界を舞台にする必然性に乏しい。「天体のヨール」:妻を殺された男が二十年ぶりに友人と会った後に自殺する話。学生時代の回想と四十代のおっさんの書き分けができていない。「演劇のオール」:役者志望の女が他人の姉や母親を演じて仲良くする話。設定は面白いものの、何か事件が起きるわけでもなく見所がない。「深海のポール」:レンタルビデオ屋の店員が自殺をやめて必死に生きることにした話。少しでも高いところに逃げるために屋上に櫓を作っているけれど、他の必死に生きようとした人たちは山に逃げたという点で矛盾してる。作者がリアリティに向き合うことから逃げたまま生死をテーマにしていて、登場人物が葛藤もないまま安易に生死や復讐を選択していて、極限状況の人間の心理が書けていない。文章が読みやすくても中身がないのでは読む意味がない。この作者が扱えるテーマではなかったのだろう。★★☆☆☆【送料無料】終末のフール [ 伊坂幸太郎 ]価格:660円(税込、送料込)
2014.02.05
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叔父の自殺を書いた表題作とその他の私小説。「鹽壺の匙」は主人公の少年時代に叔父が自殺した話。家族の背景や状況を書いただけで、物語としての筋ができておらず、結局叔父が自殺した原因がわからずじまいでオチもない。叔父が自殺に至った思想や経緯が掘り下げられるわけでもなく、主人公の心理が掘り下げられるわけでもなく、見所がない。「吃りの父が歌った軍歌」は母親に疎まれた主人公と母親に可愛がられた弟との確執を書いた話。「鹽壺の匙」の登場人物と名前こそ違うものの、金貸しの祖母、新興宗教にはまった母、自殺した叔父など、似た背景の家族が登場する。主人公の行蔵の少年時代から、新聞社で働いている会社員時代に飛び、七年前の大学生時代に時間が飛び、また会社員時代に戻り、一年三ヵ月後に仕事をやめて故郷に戻ったときに時間が飛ぶ。物語内における「現在」がどの地点なのかがはっきりせず、構成が整理されていないのは技術的失敗。「萬蔵の場合」はサド女優の瓔子に翻弄されるマゾ会社員の萬蔵の恋を書いた話。登場人物が少なくて物語の広がりがなく、自殺したがるかまってちゃんに振り回される様子が延々と続いてだれる。なぜ瓔子が死にたがるのかという心理も掘り下げられていないし、なぜ萬蔵がそんなきちがいに惚れるのかもよくわからない。よくわからない人たちのぐだぐだした恋愛話を読んでも面白くないし、主人公たちが生きようが死のうがどうでもいいとさえ思えてしまった。谷崎潤一郎の『痴人の愛』になり損ねたような残念な出来栄え。作者は私小説として自分の体験を露悪的に書くことで満足してしまって、読者にとって読む価値がある作品として仕上げようという意思がないんじゃなかろうか。どの小説も内向きで、主人公が周辺の狭い人間関係だけを凝視していて、社会を見ておらず視野が狭い。あるいは主人公は他人さえも見ていないのかもしれない。何が起きたかという状況だけは詳細に描写されているものの、なぜ母が新興宗教にはまったのか、なぜ祖母は金貸しを生業にしているのか、なぜ叔父は自殺したのか、なぜ瓔子が死にたがるのか、その状況に至る個々人の心理の懊悩や思想へは踏み込んでいかないし、他者との関わりが主人公の思想に影響を与えるわけでもない。もっといい小説として仕上がる素地はあるものの、物語としてつまらない。★★★☆☆【送料無料】塩壺の匙 [ 車谷長吉 ]価格:2,100円(税込、送料込)
2014.02.02
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