全4件 (4件中 1-4件目)
1
![]()
日本に戒律をもたらすために唐から僧侶を連れてくるという使命を持った栄叡、普照、戒融、玄朗の四人の若い僧侶が唐に行き、鑑真を連れて帰る話。語り手の視点の三人称。描写が乏しくて説明が長い文体で、エンタメとして読者を楽しませる演出に乏しく、歴史資料から抜粋した大まかな出来事をなぞっただけのような雑な物語展開で、物語として面白くない。船が座礁して三日間飢えに苦しんだり、嘘の密告で逮捕されたりしたという波乱の冒険を淡々とわずか数行で終わらせてしまい、エピソードとして発展せず、歴史資料に記述されていない部分を補うように作者の想像力が発揮されるわけでもなく、生死をかけた困難な旅路のはずなのに印象に残らない。また、それぞれの出来事に対する登場人物の心理もほとんど書かれておらず、登場人物間の会話も乏しいので、読者が登場人物の目線でその小説の世界観に入り込むこともできない。ゲーテは「小説では特に心情と事件とが現されねばならない」と言ったらしいものの、この小説では出来事を羅列するだけで心情がほとんど書かれていないのが物語をつまらなくする決定的な要因になっていて、作者目線で延々と説明する文体のせいで技術的に失敗している。作者が現代の目線から遣唐使を過去の出来事としてとらえていて、当時を実際に生きた人物像を書こうとする意欲がなく、まるで人間まで過去の出来事の一部のように扱っていて、人物に精彩がなく、出来事に臨場感がない。史実をテーマにしていながらリアリティがないのでは歴史小説を読む意味があまりない。栄叡や普照という知名度の低い人物に焦点を当てたという点はよいものの、主人公を四人にしたせいで物語の中心となるプロットが定まらず、そのうえそれぞれの心理を掘り下げないのでは彼らを主人公にする意味がない。この点は物語構成上の失敗といえる。遣唐使や鑑真に興味がある人が歴史的背景を補足するために読む分にはまだ読む価値はあるかもしれないものの、それなら歴史解説書を直接読んだほうがましかもしれない。小説としては物語の演出方法を間違えた失敗作。★★☆☆☆【楽天ブックスならいつでも送料無料】天平の甍改版 [ 井上靖 ]価格:464円(税込、送料込)
2014.09.24
コメント(0)
昭和初期に書かれたエッセイ集。「陰翳礼賛」はなんでもピカピカにする西洋人とピカピカしたものを嫌う日本人を比較して、日本人は暗い部屋に住んでいたので陰翳の中で美を発見したのだという話。電灯や扇風機といった文明の利器をどうやって日本家屋と調和させるか苦心しているという話はすでにほとんどの建物が西洋化した現代では気づきにくい視点で面白い。谷崎は観光地のライトアップに苦言を呈しているものの、現代はライトアップされた神社や桜を外国人が日本の美として誉めそやしているんだから日本も国際化したもんだなあと思う。日本を代表する文豪が書いたエッセイだからといってすべてが正論だというわけでもなく、谷崎の西洋観は偏っていて西洋は○○だ、一方日本は○○だという図式の単純な二項対立に当てはめようとしている印象。白人の肌の白さを礼賛して黄色人種は醜いように言っているものの、西洋人でも黄色に近いラテン系には言及してない。「西洋にも電気や瓦斯や石油がなかった時代があったのであろうが、寡聞な私は、彼等に蔭を喜ぶ性癖があることを知らない」と谷崎は言うものの、西洋では西洋なりに陰翳の中での美の発見はあったはずである。絵画に影をつけて立体的に表現しはじめたのは西洋が先駆者だし、ジョットの代表作の「十字架上のキリスト」は青みがかっていたし、それこそ谷崎が例に挙げた日本人が青色の口紅で女の血の気を奪うというやりかたと似ている。「私は建築のことについては全く門外漢であるが、西洋の寺院のゴシック建築と云うものは屋根が高く高く尖って、その先が天に冲せんとしているところに美観が存するのだと云う」とも言うものの、教会だけが西洋建築でなく、城は窓が小さくて暗かったし、西洋建築には日本建築にはない地下室があったし、薄暗い地下こそキリスト教やらナイトクラブやらの西洋文化が育った重要な場所である。アメリカだと夜中にキャンプの焚き火を囲んでギターを弾いたりするのがウエスタンの文化だけれど、これも陰翳の中の美とはいえまいか。昔の人の意見だから西洋観がステレオタイプで偏ってるのもしょうがないのかもしれないけれども、比較論として展開するからには日本の文化に詳しいというだけでは不十分で、西洋文化にも精通したうえで論じてほしかった。「らい(りっしんべんに頼)惰の説」は社会奉仕を道徳とみなす西洋にくらべて隠者を聖人扱いする東洋は怠け者だという説。現代では日本人の働きすぎと過労死が世界から揶揄される一方で、引きこもりが非難されて隠者の居場所がなく、昔とは状況がまったく逆になっている。西洋人だから、東洋人だからという問題でなく社会システムの問題なのだろう。「恋愛および色情」は源氏物語など小説における恋愛の考察。西洋小説は恋愛ばかりな一方で東洋は恋愛を卑しめる気風があるといい、女性を重んじる騎士道と女性を卑しめる武士道を対比し、西洋文学は日本文学に恋愛や性欲の開放をもたらしたという。しかし話題が散漫で恋愛論として一貫していない。「客ぎらい」は谷崎が物を書き始めてから客嫌いで無口になったという話。若いときは交際を広げて世間を覗く必要もあるが、歳をとってからは余生を創作に傾けたいのだといって、客に対する愚痴をこぼしている。「旅のいろいろ」はしみじみとした侘しい旅を味わう者には宣伝は邪魔だといって、旅のコツだの愚痴だのを書いている。「厠のいろいろ」はトイレに関するいろいろな体験談を書いた話。全体的に日本文化について博学で読みやすい文章なので能や茶道の雑学として読む分には面白いものの、個々の論は考察不足という感じで文学論や文化論として読むには不十分。★★★☆☆
2014.09.15
コメント(0)
![]()
妻の洋子と息子の悠也と別居している小説家の北岡浩司はT新聞社の学芸部の若い記者の悧子と愛人関係なものの、悧子がT新聞社の市島とできてるという噂を聞いて、都合のいい相手扱いだったはずなのに未練があるという話。北岡視点の主語のない一人称。小説家が自分語りをするという設定で、表現がやたらとまだるっこしくてうざったい。北岡が小説を書く場面の描写の「マックに打ち込む」という表現からしてうざったい。それはマッキントッシュなのかパワーブックなのかアイマックなのかパワーマックなのかと突っ込みたくなる。デスクトップとラップトップのどっちなのかさえ書かれていない。ウィンドウズでなくマックを使ってるこだわりがあるオシャレ作家ということを演出したいのだろうけど、昔のマッキントッシュというといきなりフリーズすることで悪名高くて作家みたいに長時間文章作成する用途には向いてなかったし、今と比べてデザインも特によかったわけでもないし、型遅れのデスクトップを使っていたらオシャレどころかかなりダサい。そういう日進月歩のガジェットの細部への注意が欠如している一方で、風呂場にヤスデを流すくだりなんかはあざとくて演出過剰気味でリアリティーを損ねている。悧子といちゃついているところに突然妻が訪ねてきたり、別居する息子がどうこうというのもベタな展開でしらける。ベタな展開をするならするで何か工夫があるのかというと何もない。北岡は女に甘えていると作中で指摘されるものの、藤沢周は読者に甘えてるんじゃなかろうか。北岡は眉フェチの男の小説を書いているらしく、作中で意図的に小説内小説の描写を混ぜ込むものの、何の意図があってやっているのかよくわからない。北岡が自分が書いている小説の主人公になりきっているということの演出なのかもしれないけれど、読者を混乱させるだけの自己満足のテクニックじゃなかろうか。やるならやるでクンデラの「不滅」みたいに現実とフィクションを交差させるような大掛かりなやり方をすれば面白いだろうけど、この小説では始終現実よりで、北岡自体が節操なく女に手をだすエロ中年なのに、さらに小説内小説の眉フェチ青年をわざわざ出す意味がなさそう。T新聞社の市島に誰かが北岡名義でブランデーを送ったことから物語が始まり、悧子が市島の自作自演だというので北岡が市島を殴ったら、市島は北岡の妻からもらったと言い通し、結局は悧子がブランデーを送ったのか市島の自作自演だったのかはっきりしないまま両義性をもたせつつも悧子が北岡を振り回したような印象をほのめかして終わるというオチ。純文学的な見所はこのオチくらいしかない。しかし悧子にとって北岡が都合のいい相手だとして、北岡の愛人になる理由もよくわからないし、北岡を市島にけしかけて何の得があるのかもよくわからない。北岡がいらなくなったから始末したということなんだろうか。北岡視点に限定されたことで悧子の動機がよくわからなくなり、解釈の幅もなく解釈する面白みもない。誰が市島にブランデーを送ったかというひとつのプロットしか展開せず、それを見せ場にするなら長編にせずに中短編でまとめたほうがよかったんじゃなかろうか。本の裏表紙に「著者会心の傑作長編」という宣伝文句があったので、誇大広告の分だけ評価を下げた。法政大学の藤沢周のプロフィールを見たら「主書に『刺青』『陽炎の。』『幻夢』『心中抄』『焦痕』『第二列の男』ほか多数」と書いてあった。「ほか多数」扱いされる会心の傑作って何だ。★☆☆☆☆【送料無料】愛人 [ 藤沢周 ]価格:514円(税込、送料込)
2014.09.11
コメント(0)
![]()
一匹狼の敏腕弁護士フランソワがルイ12世に離婚裁判を起こされたジャンヌ王妃の弁護をする話。第121回直木賞受賞作。あらすじ:カルチェ・ラタンの将来有望な学僧フランソワは暴君ルイ11世の結婚問題を調査をしたことでルイ11世の近衛のオーエン・オブ・カンニガムに襲撃されて男根を切り取られ、出世の道が経たれて恋人ベリンダとの結婚もできなくなる。中年になったフランソワは一匹狼の田舎の弁護士になっていたが、ルイ11世の娘のジャンヌ・ド・フランスとルイ12世の離婚裁判の傍聴に行き、王妃を弁護して大衆を味方につけて劣勢をひっくり返すものの、離婚裁判に勝って結婚を維持したとしても女が幸せになるとは限らないので、王妃が幸福になる方法を模索する。良い点:カノン法やラテン語の専門知識を使って当時の裁判のリアリティを固めながらも、専門性が物語の進行の邪魔になっておらず、どこが裁判の争点になっているのか論理がはっきりしていてわかりやすく書かれている。悪い点:プロットや文体の小説の構成に全体的に粗が目立つ。・文体は癖があり、作者がでしゃばりで饒舌気味なところが欠点として目立つ。説明の中に作者の価値判断が入っていて、この人物はこういう人間なのだという人物像を読者に押し付けてくるのが目障りで、かぎ括弧を使わない会話文をちょくちょく地の文に混ぜてくるのもうざい。・裁判以外の部分の展開がベタで先が読めるのはよくない。かつて敵だったオーエンが味方になってフランソワの警護を担当して刺客からフランソワを守って死ぬというのはドラマチックだけれどもありきたりなパターンで、そのうえ心理描写が追いついていないので結局たいしたドラマになっていない。・フランソワ・オブ・カンニガムがオーエンの息子のように描かれるものの、オーエンの息子だとしたら敵であるフランソワと同じ名前を息子につけるとは思えず、となるとベリンダの息子という解釈しか残らなくて、プロットとしての演出が工夫されていない。エピローグで実は息子だったと明らかにして大団円で終わろうとするものの、意外感もないとってつけたようなベタな終わり方でむしろ盛り下がる。・登場人物の心理や動機にリアリティがなく、プロットに説得力がないのが物語の瑕疵になっている。プロットありきで後から人物を配置したような不自然なリアリティのなさが物語全体にある。1.フランソワがジャンヌ王妃の弁護を引き受ける動機がしっくりこない。ルイ12世の権力を恐れず、不正な裁判をしてはならないという正義感が弁護を引き受けた動機だけれど、最後は不当判決に対する報復を民衆の暴力にゆだねている。権力者による暴力は批判するのに、民衆の暴力を肯定するのは正義感と呼べるのだろうか。それにルイ12世の離婚を助けたのは教皇アレクサンデル6世なのに、ルイ12世以上の権力者である教皇批判をしないでルイ12世だけを敵視するフランソワの反権力の姿勢はどこかおかしい。教皇アレクサンデル6世は資産家に濡れ衣をきせて死刑にして財産を没収したり、乱交パーティーをしたり、複数の愛人に何人も子供を産ませたりして、息子のチェーザレ・ボルジアと共に歴史に残るほどの悪名をとどろかせた教皇なのに、反権力が自慢の元エリート学僧フランソワは教皇の不正に対して何も思うところがなかったのだろうか。フランソワに正義感があるなら教皇こそ批判されるべき存在でなければならないはずだ。ルイ12世が離婚した1498年は教皇の不正を批判したサヴォナローラが処刑された年でもあるけれど、フランソワは結婚以外の問題は専門じゃないから無関心だったのだろうか。ローマ教皇はフランスでなくイタリアの話だからストーリー上から除外したという見方もできるものの、それでは結局フランソワは反権力でもなく、たいして正義感もないということになる。エンタメとしてプロットを優先すればその分リアリティはなくなり、主人公の存在自体がうそ臭くなる。2.ベリンダが死んだ理由がしっくしこない。フランソワが去勢されて結婚できないことがショックで生きる気力をなくして衰弱死したらしいものの、ベリンダはプロローグで自分から結婚しなくてもいいと言っていたのに、結婚できなくなったことがそれほどショックだとは思えない。ましてやフランソワの息子を産んでいたのだから、そう簡単に生きる気力をなくすとは思えない。小説ではベリンダが勝気な女として書かれているだけに、人物像と行動が一致しない。フランソワとオーエンという敵同士を共闘させるというプロット上の都合でベリンダは死んだことにしないといけなかったのだろうけれども、生きる気力をなくしたということで片付けるのは不自然。3.去勢されたフランソワがやたらと好戦的な性格なのがしっくりこない。去勢された宦官は心身ともに柔和になるらしいものの、フランソワは血気盛んな女たらしだった学生時代と去勢後では性格が変わったようには見えず、まるで去勢が身体的・心理的に何の影響も与えなかったような描かれ方をしていて不自然。4.この小説ではルイ12世を女々しくて優柔不断で庶民に反感をもたれている人物として書いているものの、実際はルイ12世は庶民に人気で「民衆の父」と呼ばれていて、領土拡張に野心を持っていてイタリア戦争も起こしていて、小説に書かれている弱々しい人物像と一致しない。ルイ12世を主人公の敵役にして、裁判で敏腕弁護士に追い込まれた弱い人物として設定したいがために強引なキャラクター作りをしているんじゃないだろうか。歴史やラテン語の専門知識をちりばめた作者の饒舌な説明は心理描写の弱さをかくしてプロットをごり押しするという役割があるのかもしれない。それはそれで作家のごまかしのテクニックだけれど、ごまかすためのテクニックでなく登場人物の心理とプロットを一貫させるためのテクニックを使ってほしいものだ。エンタメとしては山場をいくつか演出して大団円で終わって及第点だけれども、悪く言えば史実からネタを借りて、人間の心理のリアリティを軽視してプロットを優先した素人だましの文章でしかない。★★★☆☆【楽天ブックスならいつでも送料無料】王妃の離婚 [ 佐藤賢一 ]価格:741円(税込、送料込)
2014.09.02
コメント(0)
全4件 (4件中 1-4件目)
1
![]()

