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●「夏の夜の夢」のあらすじハーミアは父親にデメトリアスと結婚するように言われたものの、ライサンダーとハーミアは駆け落ちを決意して町外れの森でおちあうことにして、友人のヘレナに計画を話したら、ヘレナは片思いのデメトリアスの気を引くためにデメトリアスに計画を話してしまい、デメトリアスはハーミアかライサンダーのどちらかを殺しに森に出かけてヘレナもついていく。一方で、村の男たちは演劇の練習をするために町外れの森に行くことにする。森の中では妖精の王オーベロンと妖精の女王タイターニアが夫婦喧嘩をしていて、オーベロンは目を覚ましたときに最初に見た人に惚れてしまうという浮気草をタイターニアに塗って畜生にほれさせるように仕掛けて、ついでにヘレナのデメトリアスへの報われない片思いを救ってやろうと妖精パックにデメトリアスに浮気草を塗るように指示するものの、パックは浮気草をデメトリアスでなくライサンダーに塗ってしまい、ライサンダーは自分を起こしたヘレナにほれてしまい、ライサンダー⇔ハーミア ↑ヘレナ→デメトリアスとなっていたのがライサンダー←ハーミア↓ ↑ヘレナ→デメトリアスとなってだれも相思相愛にならなくなる。そのとき森で役者たちが稽古をしていると、パックが役者のボトムを馬面に変えてしまい、目を覚ましたタイターニアが馬面のボトムに惚れてしまい、妖精たちをボトムに仕えさせる。パックは浮気草を塗る相手を間違えたことに気づいて、今度は寝ているデメトリアスに浮気草を塗ったところ、ヘレナとライサンダーがやってきて、デメトリアスがヘレナに惚れてライサンダー←ハーミア↓ヘレナ⇔デメトリアスとなり、デメトリアスとライサンダーの二人でヘレナを口説いているところにハーミアがやってきて、ヘレナは皆で狂言を仕組んだとハーミアを罵り、ハーミアはヘレナを盗人と罵って修羅場が展開して、ライサンダーとデメトリアスがヘレナをめぐって決闘の場所を探し始めたので、オーベロンはパックに事態の収拾にあたらせ、ライサンダーとハーミア、デメトリアスとヘレナが恋人同士になるように浮気草を塗る。オーベロンは馬面のボトムに惚れているタイターニアが哀れになって自分に惚れさせ、皆に今夜の出来事を夏の夜の夢だと思わせることにして、皆は森を出て行く。役者たちは宮殿の挙式の暇つぶしに芝居をすることになり、へたくそな芝居を皆でぼろくそに批評して眠ると、真夜中に妖精たちが宮殿にやってきて歌って踊る。エピローグでパックが観客に挨拶をして終わる。●「夏の夜の夢」の感想序盤からさくさくプロットが展開してテンポが良い。ライサンダーたち、役者たち、妖精たちの三つのグループが別の思惑をもちちつつひとつの物語にプロットがまとまっている。友人だったヘレナとハーミアが罵り合ったりして、人間関係がごちゃごちゃになるというどたばたぶりが面白い。最後の下手糞な劇中劇の部分は劇として実際に見れば面白いのかもしれないものの、プロットとして読むだけではつまらない。これが劇でなく短編小説なら宮殿の芝居はカットして森を出たところで終わったほうがプロットとしてまとまりがよかっただろうと思う。ボトムに仕える蜘蛛だの辛しの種だのという妖精たちはプロット上の役割がほとんどなく、存在意義がいまいちわからない。解説によると、これは誰かの結婚式用につくられた台本らしく、エリザベス時代の人は結婚に際して妖精の善意を祈っていたという意味合いがあるのだそうな。だもんで最後に妖精たちが歌って踊る場面はプロットとしてはつまらなくても必要だったのだろう。この演劇は現代の娯楽とは違って面白さだけを目的につくられていたのではないようなので、現代の基準でプロットの面白さを評価するのは筋違いなのかもしれないけれども、恋愛喜劇として見る分には面白い。◆「あらし」のあらすじナポリ王アロンゾーとミラノ公アントーニオーたち一行を乗せた船があらしで難破する。アントーニオーにミラノ公の立場を奪われた兄のプロスペローとその娘のミランダは無人島の岩屋に住み、魔法を使って島に住む怪物キャリバンを下僕にして暮らしていたが、船の難破はプロスペローが妖精エーリアルに命令して起こしたことだった。ナポリ王たちは散り散りに島に流れ着き、ナポリ王の息子ファーディナンドはミランダに恋をして両思いになるものの、プロスペローの魔法にかかって下働きをさせられる。ナポリ王の弟セバスティアンはナポリ王の座を奪おうとして、アントーニオーと一緒に寝ているナポリ王を暗殺しようと剣を抜くと、エーリアルがプロスペローの計画のためにナポリ王を起こして助けてやる。賄方のステファノーと道化のトリンキュローたちは怪物キャリバンと会い、キャリバンはプロスペローから魔法の本をとりあげて殺してくれたらステファノーたちを島の王様にしてやって家来になるという。ナポリ王たちのところにはハーピーの姿をしたエーリアルが現れて、プロスペローを追放したことの責め苦から逃れるためには改悛しろと脅す。プロスペローがファーディナンドにきつい下働きをさせていたのはミランダへの愛を試すためで、二人の結婚を認めてやって、キャリバンたちがプロスペローを殺しにやってきたが、エーリアルがこらしめる。プロスペローはナポリ王たちに会って、公爵領の変換を要求するかわりに死んだと思われていたファーディナンドとミランダに会わせてやり、魔法で船を直して皆で帰ることにする。◆「あらし」の感想プロスペローが何を企んでいるのか、序盤はプロットがわかりにくくて退屈する。プロスペローは殺さない程度に船を難破させて、恨みを晴らすためでなく改悛させるために生け捕りにしてファーディナンドを死んだようにみせかけるという回りくどいことを計画したらしい。「夏の夜の夢」と同じく三つのグループに分かれる構成になっているものの、「夏の夜の夢」では妖精パックの間違いという意外性があったのに対して、「あらし」では妖精エーリアルが優秀で何の間違いもせず、プロットが一本調子で「夏の夜の夢」ほど面白くない。怪物キャリバンは妖精にあっさり退治されてプロスペローを脅かすまでに至っていなくて存在意義がないし、ナポリ王たちはあっさり改悛してしまって見所がない。魔法と妖精の力ですべてプロスペローの思惑通りに進んで波乱がないままハッピーエンドになるという意外性のなさがつまらない。そもそも魔法でどうにでもなるというのは究極のご都合主義で物語としてはつまらないパターンで、それゆえ魔法が出てくる物語だとたいていは魔法には悪魔と契約しないといけないとか、いけにえをささげないといけないとか、一定時間で魔法の効き目が切れるとか、寿命を縮めるとか、何かしら制約があって魔法の便利さとの整合性をとろうとするものだ。ドラえもんでは秘密道具が万能すぎるものの、使う側ののび太がアホなおかげで物語としてのバランスを保っているし、ハリー・ポッターでは魔法使いが一人ではなく複数いることで一人の魔法使いの思い通りにならないというパワーバランスがとれているし、デスノートでも寿命が縮んだりしていろいろ制約がある。「あらし」ではプロスペローは何の制約もなしに魔法と妖精を使ってなんでもできてしまうバランスブレイカーになっていて、他の登場人物たちの活躍の機会がほとんどなくなってしまった。魔法であらしを起こしたり、妖精をあやつったり、酔っ払いが暴れたりするのは劇として演出するぶんには面白い場面なのかもしれないものの、物語としてはつまらない。★★★☆☆【楽天ブックスならいつでも送料無料】夏の夜の夢/あらし改版 [ ウィリアム・シェイクスピア ]価格:529円(税込、送料込)
2015.03.21
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別の世界に行ってしまったSF作家がその世界から脱走しようとして追跡される話。●あらすじおれは恋人の正子にボートに誘われて下水を通ってマンホールから出たら以前いたあの世界とは違うこの世界に来てしまってSF作家になるものの、この世界からの脱走を試みようとしたら私立探偵に尾行されていて、情報から脱出しようとテレビ局に行ってコンピューターを襲撃して失敗して、時間から脱出しようとしたらタイムマシンに乗って過去の自分が大勢やってきてめちゃくちゃになったので過去に戻ってやり直して尾行者と立場を逆転させたりして失敗して、最後に空間から脱出しようとして精神力で世界を自分に合った空間に作り変えながら探偵に尾行を依頼した会社の社長に会いに行ったら正子だったので、正子と尾行者と一緒にマンホールを降りてボートに乗ってもとの世界に戻ろうとするものの、自分が世界の中心になろうとしても正子と尾行者がいるせいでうまくいかず、正子と尾行者を殺したものの、自分の中の対立物を取り除いてしまったせいで自分も存在できなくなって死んでしまう。おれの一人称。SF的などたばたが繰り広げられるスラップスティックとして期待を裏切らない筒井らしさが堪能できる。どたばたしているからといって展開が雑なわけではなく、情報、時間、空間に関するSF的なネタをひとつずつ展開しつつ丁寧にどたばたしている点がよい。随所に言葉遊びがあり、知的な科学の概念をあざけって冗談に転化させて読者を面白がらせようという過剰な配慮が行き届いていて、というよりむしろ暴走気味でしばしば意味不明。すこしふしぎというより、すごくふざけているSFになっている。一人称の問題点は読者が主人公を好きか嫌いかにかかわらず始終主人公につきあわされて飽きやすいところだけれど、尾行者の報告をはさんで小休止をいれることでどたばたした物語が読みやすくなっていてよい。解説によると、この小説はニュー・ウェーブと呼ばれる前衛SFのパロディらしい。ニュー・ウェーブというのはウィキペディアによると「SFは外宇宙より内宇宙をめざすべきだ」というものらしい。私はSFに疎いのでどのへんがパロディなのかよくわからなかったし、作中で繰り広げられるSF的概念を理解できたわけでもないのの、どたばた具合が笑えたのでそれでいいんじゃないかと思うことにした。★★★☆☆脱走と追跡のサンバ-【電子書籍】価格:600円
2015.03.17
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ベトナム戦争中の南ベトナムに行って取材した話。ベトナム戦争は1960-75年の長期間に渡る戦争だけれど、まず問題なのがいつ取材したのかというのが作中に明記されていない点。表紙裏の著者プロフィールに「64年11月から翌年2月まで約100日戦時下のベトナムに滞在」とあるものの、本来なら作中に明記されるべき情報である。当時はどういう戦況で何が起きているのかという全体の状況がわかりにくく、何のために誰を取材しているのかという説明が乏しく、著者の身の回りの出来事や誰かから聞いた話が掘り下げられないまま断片的に書かれるのもよくない。きちんと取材して書いた部分と雑に書いた部分が混在していて、聞きかじった出来事をもとに雑に書いた部分はよくない。ベトナム人の性格は○○だという分類はあまりベトナム戦争に関係がない上に、平時のベトナムを知らない著者が戦時中の短期間の状況を見聞きしただけで民族の性格を語るのは無理だし表現も偏見に満ちている。時代、世代、地域、性別、職業、教育、宗教、家庭環境の影響によって個々人の性格は異なるわけで、ベトナム人は○○だというやり方で全体を把握しようとするのは性急な物事の見方。たまたま数件の焼死事件を聞きかじっただけで「ベトナム人の十七歳には、すぐ火がつく」「ベトナム人は命を粗末にする」という見出しにするのは作家としては軽率な誇張表現で、戦時中の表現としてはなおさら不適切。現代ならこんな表現を使えばベトナム人蔑視だとクレームがつきかねない。「ベトナム人は命を粗末にする」ではなく「命を粗末にしたベトナム人がいた」と誇張をなくして正確に事実をいうべきだろう。たとえば現代だと一週間日本に旅行しただけの外人が秋葉原のオタクを見て日本人は変態だと、オタク個人の性癖を日本人全体の性癖として一般化して強調するようなOnly In Japanの偏見を広げる外人旅行記ブログがたくさんあるけれど、開高健の誇張もこれと同じで、知識と洞察に欠けたままベトナムに行って、一部の事件を一般化してベトナム人は○○だと偏見を誇張する低俗なレポートになっている。通訳がいなくて漢字で筆談できる仏教徒やフランス語がわかるベトナム人将校以外のベトナム人にはほとんど言葉が通じないようだし、外国人記者の取材制限もあっただろうし、制約の中で早急にベトナムという国家と国民を把握する必要があったとはいえ、そこで安易に偏見に頼ってしまったのが残念なところ。後半の米軍と行動を共にするあたりは一緒に寝起きした期間が長くて英語で意思疎通できるからだろうけれど、前半とは違って周囲の様子が詳細に書けていてよい。開高健というとベトナム戦争で戦闘に巻き込まれたという逸話が有名なので、この部分だけでも読む価値はあるものの、ベトナム戦争を取材したのにベトナム人については大雑把に書いて米兵がいちばんよく書けているというのでは物足りない。直接現地に行って何が起きているかを見ようとする姿勢はよいものの、書かれた内容はあまりよくない。言葉が通じなくて大多数のベトナム市民と意思疎通がうまくできなかったというのが一番の問題なのだろう。大雑把なベトナム人論を展開せずに、個々のベトナム人を洞察していたらもっといい本になっていたと思う。★★★☆☆【楽天ブックスならいつでも送料無料】ベトナム戦記 [ 開高健 ]価格:561円(税込、送料込)
2015.03.02
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