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149本のシュールな掌編小説集。各掌編が2-3ページほどしかなく、退屈しのぎに雷が鳴る中で編み物をする母の話、足からトカゲが出てくる症例の話など、シュールな一場面を描いて読者を突き放したまま物語が終わるような話ばかり。訳者の柴田元幸は「リアルでたのしい悪夢」としてこの本を紹介しているけれども、夢というのは誰かが見た夢なのであって、その人の記憶や精神状態を反映するものである。この掌編小説集はユアグローが見た夢をそのまま書いたわけではないのだから夢と呼ぶのは不適当だろうし、小説の世界を安易に夢と呼ばずに可能世界における現実としてとらえるべきだろう。夢という形容をしないでこの掌編小説集をとらえると、現実世界における論理の一部がゆがんだ世界というか、小説版のショートコントともいえるかもしれない。統合失調症になると言葉の論理が支離滅裂になるけれども、それよりももっと浅い段階で、登場人物の行動や登場人物を取り巻く状況のどこか一部がおかしい世界になっている。正常な現代人読者におかしな世界の違和感を知覚させることがこの掌編小説の狙いで、そのおかしさを面白さととるかは読む人次第。掌編小説ゆえに物語性が乏しく考察の余地もないので、その点は私にとっては物足りない。「海賊」は元俳優の父のスライドをほしがった海賊が襲撃する話で、8ページあってこの掌編小説集の中では長いほうだけれど、長くなるとかえって物語展開のあざとい安っぽさが出てしまってよくない。余計な説明をせず、読者がなぜそうなるのかと詮索しはじめておかしな世界の瑕疵が見える前に物語を終わらせて読者を突き放すくらいでちょうどよいのだろう。作者が狙い通りのことを十分に表現できているという点ではよくできた掌編小説集だけれど、良くも悪くも掌編小説としての読み応えしかない。トイレに置いておいて時間つぶしに読むのはちょうどよいものの、掌編を続けて読むと物語のパターンになれてしまって飽きてきて、他の本を読んだほうがましかなと思えてくる。★★★★☆【楽天ブックスならいつでも送料無料】一人の男が飛行機から飛び降りる [ バリー・ユアグロー ]価格:766円(税込、送料込)
2015.04.20
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表題作とその他の戯曲集。「ジーザス・クライスト・トリックスター」は聖書の矛盾点を冗談にしてキリストをトリックスター扱いするいかにも筒井らしい展開のパロディ。「人間狩り」は4人の猟師が人間狩りを始めてお互いに撃ち合う話。銃を持った状況では冗談が冗談でなくなり、互いに殺す理由を掘り下げていく緊迫した心理の展開はよいものの、オチは雑に終わらせたような感じ。「ジス・イズ・ジャパン」はアメリカ人観光客をだまして日本が小さい国だと思わせてガイド料をぼったくる話。若干エロシーンはあるものの、筒井の演劇にしては穏やかな話で刺激が乏しい。「部長刑事-もうひとつの動機」はテレビ用の刑事物の脚本。回想シーンを演じているところにうっかり関係ない人が割り込んでくるというふざけたところ以外は普通の犯人探しミステリー。「ウィークエンド・シャッフル」はエリートサラリーマンの妻に誘拐犯から電話がかかってきたり、泥棒に乱暴されたりするうちに女友達がやってきて、泥棒が亭主のふりをしたり、夫が金を使い込んでいることがばれたりしてごたごたする話。バイオレンスとエロスをいろいろ詰め込んだ割にはプロットをちゃんとまとめている。「三月ウサギ」金持ちの高円寺静の娘の照と息子の嫁の不二子たちは秘書の円に遺産を渡したくなくて策を練っているところ、親戚のきちがいの亨介がやってきてごたごたした挙句に静が死んでしまうものの、亨介が照と不二子の陰謀を暴いて誰にも遺産を渡そうとしない話。亨介が役者たちに舞台を意識させるメタ的ないたずらをしたり、時間を巻き戻したりして、亨介のきちがい具合が面白い。この戯曲集のなかでは一番面白かったものの、収拾がつかなくてみながきちがいになるオチはプロットとしてはいまいち。エロスとバイオレンスと冗談とメタ的な遊びが混じった筒井的演劇だけれど、筒井的展開に慣れてしまうとこの程度は予想の範囲内というか普通に思えてしまう。★★★☆☆【楽天ブックスならいつでも送料無料】ジ-ザス・クライスト・トリックスタ- [ 筒井康隆 ]価格:461円(税込、送料込)
2015.04.20
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●「じゃじゃ馬ならし」のあらすじパデュアの領主が酔っ払って道端で寝ているスライにいたずらを仕掛けて、スライが目が覚ましたときにもてなして領主だと思い込ませて「じゃじゃ馬ならし」の劇を見せる。金持ちバプティスタには二人の娘、荒くれ者のカタリーナ(ケイト)と美人で淑やかなビアンカがいて、ルーセンショー、グレミオー、ホーテンショーたちはビアンカを狙っていたが、カタリーナが片付かないうちはバプティスタはビアンカへの求婚を認めそうにない。ルーセンショーは従僕のトラニオーと服を交換して、身分を隠してカタリーナの家庭教師になってカタリーナを厄介払いしてしまおうと計画する。ホーテンショーは訪ねてきた友人ペトルーキオーにカタリーナと金目当ての結婚を薦めて、グレミオーと家庭教師に変装したルーセンショーにペトルーキオーをカタリーナに求婚させる計画を話す。そこにルーセンショーに変装したトラニオーがやってきてみなで協力することにする。バプティスタの家に一同がやってきて、ペトルーキオーはバプティスタにカタリーナへの求婚を話している間、ルーセンショー(家庭教師キャンビオーに変装)とホーテンショー(音楽家リチオーに変装)がカタリーナに会いに行くものの、ルーセンショー(音楽家リチオー)はこてんぱんにされて戻ってくる。ペトルーキオーはカタリーナを無理やり口説いて日曜日に結婚すると決めてしまう。バプティスタはグレミオーとトラニオー(偽ルーセンショー)に遺産が多いほうにビアンカをやるといい、グレミオーよりもトラニオー(偽ルーセンショー)のほうが財産が多かったので、カタリーナが結婚した次の日曜日に、ルーセンショーの父親のヴィンセンショーの了承があればビアンカと結婚することに決まるものの、トラニオーは父親をでっちあげなければならなくなった。ビアンカの部屋ではルーセンショー(家庭教師キャンビオー)とホーテンショー(音楽家リチオー)が勉強と音楽のどっちを教えるかでもめていて、ルーセンショーとホーテンショーはお互いに相手がビアンカを口説こうとしていると気づいて警戒する。カタリーナの結婚式にペトルーキオーが来ないのでやきもきしていると、へんてこな仮装をしたペトルーキオーが遅れてやってきて、きちがいじみた結婚式をしてカタリーナを連れ去ってしまう。田舎のペトルーキオーの別荘でグルミオーと従僕たちが愚痴っていると、馬から落ちて泥だらけになったペトルーキオーとカタリーナがやってくる。ペトルーキオーはカタリーナ以上のじゃじゃ馬っぷりで従僕を怒鳴りちらしてカタリーナを飲まず食わずで眠らせないでおき、毒を持って毒を制する方法でカタリーナのきちがいじみた性格を直す作戦だった。パデュアではルーセンショー(家庭教師キャンビオー)とビアンカが相思相愛になっていて、それを見たホーテンショー(音楽家リチオー)は浮気なビアンカには求婚せずに未亡人と結婚することにする。そこにヴィンセンショーそっくりの学校教師が現れたのでトラニオーは利用することにする。田舎のペトルーキオーの別荘では、ペトルーキオーがカタリーナをいじめて、仕立て屋が持ってきた服をカタリーナが気に入ったのに難癖をつけて持って帰らせる。トラニオー(偽ルーセンショー)と学校教師(偽ヴィンセンショー)はバプティスタと話してビアンカとの婚約を取り決め、ルーセンショー(家庭教師キャンビオー)はビアンカにありのままを話すことに決める。ペトルーキオー、カタリーナ、ホーテンショーがパデュアに向かう道中、ペトルーキオーはカタリーナを手懐けることに成功する。ルーテンショーを訪ねる途中の本物のヴィンセンショーと遭遇する。ヴィンセンショーがルーセンショーを訪ねるものの、学校教師(偽ヴィンセンショー)とトラニオーは嘘を突き通してヴィンセンショーをきちがいあつかいして警察を呼んだところ、ルーセンショーとビアンカがやってきて、事実を打ち明ける。その後、ルーセンショーの家で皆で和解して宴会をして、妻を呼んだときに誰が一番早く来るか賭けをすると、ルーセンショーの妻のビアンカとホーテンショーの妻の未亡人は来なくて、ペトルーキーオーの妻のカタリーナはすぐにやってきて、じゃじゃ馬の変貌ぶりに一同が驚く。●「じゃじゃ馬ならし」の感想グレミオーとペトルーキオーの従僕グルミオーの名前が似ていて、ルーセンショーとホーテンショーの名前も似ていて、演劇なら役者の声や見た目で登場人物の違いをすぐに判断できるのだろうけど、脚本だと紛らわしい。さらに登場人物が多い上に変装するので、誰が誰やらややこしい。しかしいったん人間関係を理解すれば、どたばたした恋愛の駆け引きが面白い。演劇として見たら脚本で読むよりも面白いだろうと思う。劇中劇の構図になっているものの、最初のスライのくだりに対してオチがついてなくて、この構図にする必然性があったのか疑問。そもそもスライに「じゃじゃ馬ならし」の劇を見せる理由がよくわからない。例えばパデュアの領主がスライにあてがった奥方がじゃじゃ馬でスライが音を上げて現実逃避するとか、物語全体のオチがほしいところ。◆「空騒ぎ」のあらすじメシーナの知事のレオナート邸に、戦で勝利して凱旋したアラゴンの領主ドン・ペドロー一行がやってくる。ペドローの片腕の若者クローディオーはレオナートの娘ヒーローに恋をしていて、舞踏会で告白するつもりだった。クローディオーに手柄を取られたペドローの腹違いの弟ドン・ジョンはクローディオーの邪魔をすることにして、舞踏会でペドローがヒーローを奪ったとクローディオーに告げて、クローディオーは不機嫌になる。ペドローは縁談をまとめてヒーローをクローディオーに引き渡して、次はベネディックとレオナートの姪のベアトリスの縁談をまとめようとする。ジョンはまだクローディオーを邪魔するつもりで、ヒーローがヤリマンだと中傷する計画をたてる。ペドロー、レオナート、クローディオーはベネディックが盗み聞きしているのに気づいて、ベアトリスがベネディックに恋をしていると嘘の話をはじめてベネディックがベアトリスに恋をするように仕向ける。ヒーローと小間使いたちはベアトリスに聞こえるようにベネディックがベアトリスに恋していると噂話をして、ベアトリスがベネディックに恋するように仕向ける。クローディオーとヒーローの結婚式の前日、ジョンはペドローたちにヒーローがヤリマンだという証拠を見せるという。その夜、ジョンの部下のボラチョーが小間使いマーガレットと濡れ場を演じて、クローディオーにヒーローがヤリマンだと思い込ませる演技をしたという話をコンラッドにしているのを夜警が盗み聞きして、ボラチョーたちを捕まえる。ヒーローの結婚式の準備の間、ボラチョーたちの取調べが行われる。結婚式ではクローディオーはヒーローとの結婚をやめると言って罵る。ベアトリスとベネディックはお互いに愛を打ち明け、ベアトリスはベネディックにクローディオーを殺すように頼む。ボラチョーが話したとおりにヒーローが貶められ、ボラチョーたちは縛られてレオナート邸に送られる。ヒーローがショックで死に、レオナートーと弟のアントーニオーはクローディオーに決闘を挑むものの、クローディオーは無視する。レオナート邸ではベネディックがクローディオーに決闘を挑む。そこにボラチョーたちがやってきてジョンの計画を話して、クローディオーは償いとしてレオナートーの弟の娘と結婚して甥になることになる。ジョンはすでに逃亡していた。ベアトリスとベネディックも真相を知る。ペドローとクローディオーはレオナート家の廟でヒーローの喪に付す。クローディオーの結婚式で、結婚する相手の娘が仮面をとると、ヒーローが生きていたのだった。ベアトリスとベネディックの婚約も決まり、逃亡中のジョンが捕まったという知らせが届く。◆「空騒ぎ」の感想序盤は単なる恋愛劇だと思いきや、終盤はジョンの陰謀にどう対処するのかというサスペンス的展開になる。しかしボラチョーはあっさり計画をばらしてしまうし、ジョンは都合よく捕まって大団円になるし、本格ミステリーに慣れた現代人としてはご都合主義的で詰めが甘い展開が物足りない。解題で福田恒存が指摘しているけれども、小間使いマーガレットがヒーローがヤリマンの疑いをかけられて結婚が破談になったことをどう考えたのかについて言及していなかったり、普段ヒーローとベアトリスが一緒に寝ていたのにたまたまヤリマン事件の日だけヒーローが寝ていたりするという不自然さがプロットの瑕疵で、ミステリー好きとしてはこういう無理筋のごり押しには興ざめする。戦争で活躍したという英傑クローディオーが誰とも決闘しないまま騙され損のアホとして終わるのも盛り下がり、ジョンと決闘するくらいの場面はほしいところ。死んだと思ってたヒーローが実は生きててハッピーエンドというのもよくない。結局登場人物が誰も死ななくて、悲劇になりそこねたような失敗感が残る。恋愛部分にしても、ヒーローがクローディオーにぼろくそに罵られたくせにすぐに元通りになるあたりがうそくさい。「じゃじゃ馬ならし」も「空騒ぎ」も、あるいはサッカレーの「虚栄の市」もそうだけれど、貞淑な女とじゃじゃ馬女のコンビはイギリスのストーリーテリングの定番設定なんだろうか。対照的な二人のヒロインがいて女性の登場人物の存在感があり、ひとつの物語で二つの違う成り行きの恋が展開することで物語がにぎやかになって退屈しないのはよい。しかし貞淑な女よりもじゃじゃ馬のほうが必然的に目立ち、「空騒ぎ」ではヒーローとクローディオーが物語の中心なのに、ベアトリスとベネディックのほうが目立ってしまっているのはよくない。それに物語の面白さをベアトリスやベネディックの個性に頼りすぎていて、プロットとしては展開が雑で面白くない。★★★☆☆新潮文庫じゃじゃ馬ならし・空騒ぎ/シェイクスピア/福田恆存【後払いOK】【1000円以上送料無料】価格:637円(税込、送料別)
2015.04.08
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