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昭和50年代に書かれた表題作とその他の実験色が強い短編集。「中隊長」は馬に反対に乗ったり馬の上で自慰したりする中隊長の話。「文章の長さに比べて内容はさほど濃くない上、精密に書かれている事柄にも特に深い意味はない」という文体で、ページにみっしりと文字がつまっている。しかし内容自体に深い意味はないのであまり面白くはなく、とりあえず文体実験をやってみたという出オチ感がある。「昔はよかったなあ」は老人が昔を回想するうちにでたらめなホラ話っぽくなるというショートショート。「日本地球ことば教える学部」は教師がでたらめな日本地球語を教える話ですね。詭弁が面白いから知りなさい。はいよろし。「インタヴューイ」はきちがい作家がインタビューされる話。会話文。「寝る方法」はでたらめな寝る方法を詳細に解説する話。「かくれんぼをした夜」は大人になってから昔やっていたかくれんぼを再開するものの、死んでしまってもう見つけられないというしんみりする普通の物語。「偏在」は美術評論家の妻が浮気をする話。短文を連ねた文体で、ラストは省略された会話文で畳み掛けるという実験的な文体。「早口ことば」は変な早口言葉のリスト。「冷水シャワーを浴びる方法」は二人称で「あなた」が冷水シャワーを浴びる方法を書いたショートショート。とりあえず二人称をやってみたという以外に特に見所はない。「遠い座敷」は友人の家で晩御飯を食べた少年が帰る際に奥座敷に入ってみたら無限ループになっていたという話。改行がなくみっちりと文章がつまった文体で少年の緊迫感を出しているあたりはホラー小説の演出としてよい。「また何かそして別の聴くもの」は「~とかけて~ととく、その心は~」というなぞかけのパロディ。次第に支離滅裂になっていく。「一について」は数字の一についての問答。関西弁の会話文のボケとつっこみのコント風。「歩くとき」は歩くときの筋肉の動きを医学的に説明する合間に脱線する話。小説の形式としては「寝る方法」に似ていて、衒学性をさらに過剰にした感じ。「傾斜」は隣の部屋が傾斜になっていたというショートショート。「われらの地図」は筒井、星などの作家たちがマージャンを打ちながら会話する話。四人でマージャンしているのだろうけど誰が発した言葉なのか不明で、途中で人物が入れ替わったりしていて、描写がない会話文だけの内容をうまく味がでるようにしている。「時代小説」は時代小説のパロディで、時代小説風の文体で筒井風にふざけるところが見所。あちこち笑える箇所があってよい。「ジャズ大名」は南北戦争で自由になった黒人がアフリカに行こうとするものの騙されて香港に行く途中、嵐にあって日本にやってきて、城の地下牢でジャズを演奏する話。ふつうのエンタメとして面白い。「エロチック街道」は知らない町でタクシーを降ろされた男が街道で食事をして、バスの代わりに温泉に乗る話。ヤセサソリという架空の食べ物、根岸舞子という架空の町をあげながら、改行がなくみっちり文章が詰まった描写でリアリティを出しつつ、温泉に乗ることと案内する女との性交を絡めてラストにもっていくという技巧的な小説。これはジャンル的に純文学に分類されるのだろう。筒井的エンタメにしばしばあるような過剰なエロスはなく、自制しつつエロチックな雰囲気を出す作風に仕上がっているのがよい。全体の感想としては、多様なレトリックを駆使してまじめにふざけることでどんなテーマでもエンタメにしてしまうという、中間小説作家としての筒井らしさが堪能できる点がよい。「寝る方法」や「歩くとき」をテーマにして小説を書く作家は他にあまりいないんじゃなかろうか。テーマ自体には目新しさがあってアイデアは良いものの、やはりテクニックだけで小説として仕上げるのは無理があるのか物語性は乏しく、そのぶんギャグで補ったり支離滅裂にしてごまかすというのがワンパターン気味。物語の内容よりも文体やレトリックの実験やギャグが好きな人向けで、読者を選びそうだけれど、一冊の本の中で多様なアイデアが出ているという点は短編集としてはお得感がある。★★★☆☆エロチック街道(新潮文庫)-【電子書籍】価格:600円
2015.06.26
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田舎からやってきたあばずれ少女ザジがあちこちで騒動を起こす話。ヌーヴォー・ロマンの先駆者レーモン・クノーが1959年に発表してベストセラーになったそうな。●あらすじザジの母親ジャンヌ・ラロシェールに情夫ができ、邪魔になったザジはパリのガブリエル伯父さんに預けられることになる。ザジは地下鉄に乗りたかったものの、ストで地下鉄が動いていなかったので、シャルルのタクシーに乗ってガブリエルの家に行く。ザジは朝方に酒場の主人テュランドーを痴漢扱いしてうまく家を抜け出し、地下鉄を見に行くと駅が閉まっていたので泣いていると、痴漢が声をかけてきたので一緒に蚤の市に行ってジーパンを買ってもらい、母親が父親をオノで殺した様子を話して、ジーパンを盗んで逃げようとするものの痴漢につかまり、痴漢を警官扱いしてガブリエルに会わせるいたずらを思いつき、ガブリエルの仕事がオカマダンサーだと言って痴漢と口論している間にザジはジーパンを履いて挑発して、ガブリエルは痴漢を階段から突き落とす。痴漢は靴屋のグリドゥーに自分がわからなくなったと愚痴をこぼす。ザジとガブリエルはシャルルのタクシーで出かけるものの、シャルルはザジに愛想をつかしてガブリエルとザジを置いていってしまう。そこでガブリエルは仕事仲間のフェドール・バラノヴィッチと会い、観光バスに乗せてもらって観光ガイドをするものの、ザジと一緒に途中下車して、通りすがりのムアック未亡人とザジがガブリエルがオカマかどうか議論していると、ガブリエルのガイドにほれ込んだ観光客たちにガブリエルが拉致されてしまう。ザジとガブリエルに惚れたムアック未亡人とムアック未亡人に惚れた警官トルースカイヨン一行は道を聞いてきた田舎者の車に乗ってガブリエルに追いついて、ガブリエルは儲け話を思いついて観光客をつれまわす。その後、シャルルとマドが婚約して、婚約祝いに一同で男色バーのガブリエルのオカマショーを見に行くものの、ガブリエルは妻のマルスリーヌが見に来ていないことで舞台負けしてしまう。その頃マルスリーヌのところに痴漢(自称払い下げ屋のペドロ、自称ベルタン・ポワレ警部)がやってきてマルスリーヌを口説くものの、マルスリーヌはうまく逃げ出す。トルースカイヨンとバラノヴィッチが会話している間にガブリエルのショーが終わり、ガブリエルはトルースカイヨンがザジを追い回した痴漢だと言って口論していると、騒ぎを聞きつけた自転車の警官たちがトルースカイヨンの身分証を要求して、その騒ぎを聞きつけた警官たちがどやどややってきて自転車の警官とトルースカイヨンを連れ去っていく。その後ムアック未亡人とグリドゥーが酒場で給仕を巻き込む大乱闘を引き起こして、機動隊に包囲されてムアック未亡人は撃たれて死に、ザジは気を失い、ガブリエルたちは地下から逃げ出す。翌朝ジャンヌがザジを迎えに来て、オナベのマルスリーヌが寝ぼけているザジを駅に連れて行く。●感想三人称。物語全体がほとんど会話で展開して、描写が少ない文体。(詳細)(間)(身振り)(沈黙)といった括弧つきの説明で描写を省いている。オウムの<緑>の「喋れ、喋れ。それだけが取り柄さ」という言葉の繰り返しも小説の形式を印象付けている。この小説はあえて会話を多用する形式にすることで、「けつ喰らえ」が口癖のザジの個性を際立たせて会話のユーモアの面白さを出せていて、描写をせずとも会話に登場人物の人間性が出ている点は良い。あえて描写を少なくすることで、痴漢が実はトルースカイヨンだと判明するという叙述トリックを仕掛ける意図もあったのかもしれない。しかしこれはミステリ好きとしては雑で強引な叙述トリックに見えるし、痴漢(=トルースカイヨン)が偶然駆けつけた警官に捕まえられるというご都合主義的な展開。こういう読者の予想を裏切る肩透かしも意図的にやっているんだろうけれど、個人的には主人公一味が行動しないまま端役にプロットを回収させるやり方は気に入らない。シュールリアリズムやスラップスティックは物語の常道を外れるディオニュソス的なもんだからアポロン的なプロットの合理性はそもそもないのだと言えばそれまでなんだけれども。ザジの年齢が不明なもののガブリエルが持ち上げてキスする小柄な体系のようだから大体小学生くらいで、子供が大人を手玉に取る様子をエンタメにするのは「クレヨンしんちゃん」と似たやり方で、アンファンテリブルを主人公にする際の定番パターンのひとつ。エキセントリックな女の子の物語という点ではフランス映画「アメリ」にも似ているというか「アメリ」が「地下鉄のザジ」にインスパイアされたのかもしれない。下品なスラップスティックに既視感があると思ったら、思い浮かぶのは筒井康隆だった。本の表紙裏のクノーの写真さえ晩年の筒井康隆に似ている。全体のプロットとしては、主人公ザジの活躍は冒頭から中盤にかけてキーマンとなる痴漢(=ペドロ、トルースカイヨン)やムアック未亡人を物語に引き込んだというくらいで、終盤は痴漢関連のプロットの回収に費やされてザジの出番がなくなってしまい、尻すぼみの終わり方になっている。シャルルやバラノヴィッチといったガブリエルの知人たちも脇役としてちょっと出てくるだけでプロット上の見せ場がなく、痴漢やムアック未亡人という偶然の出会いにプロットを頼りすぎている。地下鉄がストで止まったせいでザジには主人公として物語を牽引する動機がなくなってしまい、行動の動機を持っていた痴漢がプロットの中心になってしまった。ザジと周囲の人との関係を書くことに徹底していればもっと面白かったかもしれないものの、中途半端にプロットの面白さも求めてしまったせいで全体としては逆につまらなくなってしまった。1960年にルイ・マル監督に映画化されているようなので、エンタメとして楽しみたい人は映画版を見たほうが面白いかもしれない。★★★☆☆【楽天ブックスならいつでも送料無料】地下鉄のザジ [ レーモン・クノー ]価格:761円(税込、送料込)【楽天ブックスならいつでも送料無料】地下鉄のザジ 【HDニューマスター版】 [ カトリーヌ・ド...価格:3,272円(税込、送料込)
2015.06.26
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徳田秋声(1872-1943)は尾崎紅葉門下の自然主義作家。長編は時間がかかりそうなのと、個人的に自然主義は好きなわけでもないで後回しにして、先に短編を読むことにする。「躯」は知り合いの爺さんから息子が大尉を探すために川で溺れて死んだという話を聞く話。「蒼白い月」は私が兄の養子の桂三郎と大阪や神戸を散歩しながら会話して、もうこいつとは会わないだろうなと思う話。「或売笑婦の話」はある男から聞いた花魁の話で、その女はうぶな男が身請けしようと用意した金を断るものの、後悔して男の家を訪ねると、自分のところによく通う老人が男の父親だったという話。自分の幸せと相手の幸せを慮る女心はよい。「佗しい放浪の旅」は私が別府に行ったときを回想するエッセイ。「花が咲く」は妻子もちの磯村のところに昔の女が来て金をせびって迷惑していたところ、女の下の子供が自分の子供でないとわかってほっとする話。「風呂桶」は津島一家が借家を追われ、新居の台所に風呂桶を用意して湯殿にしたら棺おけみたいだと思う話。「町の踊り場」は私が姉の葬儀に行った後、町の踊り場に行って社交ダンスして気分が爽やかになった話。死に対する感情を直接表現せず、葬式の後に社交ダンスで発散するというはずし具合が風変わりな感じだけれど、当時はそれが普通なのか、あるいは「私」が気分転換のために大胆な手段をとったのか、前提となる時代背景の情報が不足していて、「私」の動機がいまいちよくわからない。「和解」は家を追い出されたTを私のアパートに置いてやったら、Tが病気で死んでしまう話。「絶望」はお大という女が蕎麦屋の松公と浮気するものの邪険にされ、お大がすりよってきた三毛猫を邪険にしたら、三毛猫が絶望する話。女の絶望と猫の絶望を重ねるというオチ。「チビの魂」は子供がほしい圭子が十歳の咲子をもらったものの、変な子で付け上がるので手を焼いて引き取り先を探していると、寝小便をして逃亡して救世軍につかまって、圭子が引き取らなかったので児童保護所に送られる話。子供の個性が出ている点はよいものの、子供の心情までは書けておらず、大人からの視点で変な子としか見ていないのは物足りない。三好京三『子育てごっこ』や大道珠貴『背く子』のように、変な子は物語の主人公になる素質と魅力があるものの、この小説ではただの変な子で終わってしまった。「のらもの」は晴代がカフェ「月魄」で働くことにするものの、夫の木山は仕事を怠けて麻雀で負けるしへそくりは盗むし、夫婦仲がうまくいかないので別れる話。「媒介者」は私が指井に色狂の青山夫人を紹介されて出来るものの、指井がいろいろ邪魔してくる話。「霧ヶ峰から鷲ヶ峰へ」は軽装でハイキングしたら雨が降ってきて山小屋に泊まったというエッセイ。全体的な感想としては、ある人物の人生のある出来事をとらえる「私」の世界観なり人生観なりが見えてこないのが物足りないし、どこが芸術としての焦点なのかいまいちわからない。人間の一面を描いたという点では自然主義らしさがあるものの、何か出来事が起きた、だからなんなの?というその先を提示してほしい。情報が氾濫している現代人にとっては情報不足、描写不足なうえに演出方法の工夫のなさも物足りず、その時代を生きた人としての特徴を何かしら見せてほしいところ。★★★☆☆
2015.06.18
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出版業界は紙にこだわってインターネットや電子書籍を敵視してきたせいか、未だにインターネットを使いこなせていないようだ。しかしいまどきインターネットを使いこなせていないというのではこの先生きのこれない。というわけで純文学誌の公式ウェブサイトをレビューすることにした。(*この記事は2015年6月12日に各ページを訪ねた際の情報です。)●文學界 ★★★☆☆文學界は公式ウェブサイトはなく、文藝春秋の公式ウェブサイトの中のサブページという扱い。文藝春秋の公式ページ自体がスマホ版ページがないPCページで、妙に横幅が狭いレイアウトで見づらい。最新号の目次がドーンと表示されるシンプルなレイアウトで、内容が一部立ち読みできるのが見所。立ち読み部分は画像がポップアップする形式で、スマホでも見れる。ページの下部にamazon、7net、e-honへのリンクがあるものの、amazonとe-honでは7月号にリンクしてるのに7netでは6月号にリンクしていて、ページがちゃんとメンテされていない。●新潮 ★★★☆☆新潮は公式ウェブサイトはなく、新潮社の公式ウェブサイトの中のサブページという扱い。新潮社の公式ウェブサイトはスマホ対応なものの、新潮のページはスマホ未対応でPCページを表示するという中途半端な感じ。最新号の目次があり、一部が立ち読みできるのが見所。普通のHTMLページなのでスマホでも見れる。編集長から最新号についてのコメントも載っていて、雑誌の作り手からの情報があるのはよい。サイト下部に対談へのリンクがあるものの、2011年4月号からの情報で、長年更新されていないようだ。立ち読みから雑誌購入につなげるという公式ページの目的がはっきりしているのはよいものの、立ち読み以外にめぼしいコンテンツがない。ウェブサイト自体はきっちり作られているので、他のコンテンツも充実すれば尚よし。●群像 ★★★☆☆群像は最新号の目次の概要ページがあり、書評へのリンクもあるのはよい。英語版ページもあるが、書評などが英訳されているわけでもなくコンテンツが乏しく、とりあえず作ってみたという域を出ない。「BOOKS」のコーナーではローマ字化したタイトルと作者名の情報しかなく、本の内容や作者についての情報は一切ない。そもそも英訳もされてない本のタイトルと著者名を表示してそれがサイトを訪れた外人にとって何の役に立つのか。こういう中途半端な情報を公開するとユーザーの時間を無駄にしてかえって満足度を下げてしまうので、英語ページを作るならちゃんと作れ。ウェブを理解してない偉い人が英語版ページも作れって適当に指示したからそれっぽいものをとりあえず作ったという感じで、ユーザー目線で英語版ページが作られておらず、英語版ページの存在意義が乏しい。「新着ニュース」では6月4日にトークショーについてのニュースがあり、その前のニュースは3月2日のツイッター文学賞のニュースで、ほとんどニュースが更新されてない。ツイッターでは頻繁に宣伝するのに公式サイトはほとんどニュースが更新されないというちぐはぐな感じで、どこに重点をおいて情報発信したいのか、ウェブ戦略が定まっていない印象。スマホ版公式ページもなく、その点でもウェブ対応が遅れている印象。講談社の書籍サイトだと、講談社BOOK倶楽部、講談社ノベルズ、講談社現代新書のほうはちゃんとスマホ対応している一方で、群像はスマホ未対応というのは、純文学は赤字部門だからスマホ対応の予算もないまま放置されているということなんだろうか。書評のアーカイブをみると1年に20冊くらいの書評が載るようで、これがこのサイトだと一番いいコンテンツだろう。書評くらいしかめぼしいコンテンツがないものの、月に一回サイトを訪ねる動機にはなるかもしれない。サイト上部のグローバルナビのリンクがあって、コンテンツの場所がわかりやすく、過去の書評がきちんとアーカイブされている点は良い。●すばる ★★☆☆☆すばるは最新号の概要をトップに載せる凝ったデザイン。書評もいくつかあるものの、最新の書評は1-3ヶ月おきの不定期更新で、コンテンツが更新されているかどうかもぱっと見でわからないので、何度もウェブサイトを訪ねる気にならない。ウェブサイトのデザインとしては一番良くできているものの、悪く言えばコンテンツの乏しさをデザインでごまかしている印象。一方で、集英社の文芸単行本公式サイトのRENZABUROのほうは良くできている。無料で連載小説やエッセイが読めて、1-2週ごとにコンテンツが更新され、新刊の特設ページが作られて担当編集者のコメントや書評がある。社内がウェブの重要性を理解して、ウェブ担当者とよく協力できているのだろう。しかしすばるや小説すばるのコンテンツをRENZABUROが持っていってしまっているせいで、すばるのコンテンツがスカスカになっている。たとえば宮本輝とよしもとばななの対談はRENZABUROで一部が読めるものの、これは本来すばるの公式サイトに載せられるべきコンテンツだろう。RENZABUROのほうがページビューが多いからそっちにコンテンツを集中させてるとか、そんな感じだろうか。ビジネスとしては効率的なやり方かもしれないものの、すばる読者にとっては不親切なやり方である。ちなみにRENZABUROはスマホ対応しているものの、すばるや小説すばるはスマホ版ページはない。わざわざすばる公式サイトを訪ねなくても、興味がある人はツイッターでフォローしとけば十分かもしれない。●文藝 ★★☆☆☆文藝は雑誌の公式ウェブサイトはなく、河出書房の公式ウェブサイトの中のサブページという扱い。目次のほかに見るべきコンテンツはないものの、ショッピングページがあって文藝のバックナンバーが買えて、しかも何年か前のやつでもちゃんと在庫があるのはよい。河出書房の公式ウェブサイトには英語版ページもあるものの、これは群像以上にクソしょぼい。携帯版ページもあるものの、スマホ用でなくガラケー用。ウェブマガジンもあるものの、一部の連載はFlashでコンテンツを表示するらしく、スマホでは読めない。いまどきこんなウェブサイトでやっていけんのかとサイト運営が危ぶまれるレベル。文藝を買いたい、最新号の目次を知りたいという特定のニーズを持っている既存の読者以外にはほとんど魅力がない。●全体の感想Googleが4月に開始したモバイルフレンドリーアップデートについてはウェブ担当者なら当然知っているはずである。それでもなお純文学誌の公式ウェブサイトにスマホ版ページがなくPCページのままというのは、赤字部門の純文学誌はウェブに金をかける予算もなく、出版社の中で冷遇されているということなのだろう。純文学に若い読者を呼び込みたいなら、純文学誌の編集部はまずやれることからやれよといいたくなる。いまや10-20代の8割はスマホを持っているのだから、公式ウェブサイトがスマホ対応できていないということはスマホを使っている若者にも情報を発信できていないということだ。ウェブサイトもきちんと作れないのに、雑誌がきちんと作られていると誰が思ってくれるだろうか。ウェブサイトに魅力がないのに、雑誌には魅力があると誰が思ってくれるだろうか。特にオリジナルコンテンツの不足が致命的で、公式ウェブサイトを見ても雑誌の面白さや独自性がまったく伝わってこない。純文学ってどんなものなの?とサイトを覗いてみた読者が興味が持てるコンテンツがなく、ユーザー目線でのサイト構築ができていない。作家が書いたものは雑誌として売るからウェブサイトに載せる分のコンテンツがないとでも編集部は思っているのだろうか。編集後記とか、取材の様子のレポートとか、作家に頼らないで編集部だけでも読者を呼べるコンテンツは作れるはずである。ツイッターにしても宣伝と他人のリツイートばかりで編集部の顔が見えない。さらにはコンテンツがテキストだけで、画像や動画がないというのも良くない。対談はテキストでなく動画で見たほうが面白いだろうし、サイン会の様子の動画を載せるとか、もっと作家や雑誌に興味を持ってもらうための工夫ができるはずだ。雑誌がクソなら公式ウェブサイトもクソで、純文学は読者目線で魅力あるコンテンツを発信できずに衰退するべくして衰退しているんだなという印象。大手出版社の公式ウェブサイトよりも、E★エブリスタのような新興小説サイトのほうがユーザーフレンドリーなウェブサイトをきちんと作れている。大手出版社の名前にあぐらをかいている編集者はいったんユーザー目線で自分のところのサイト見てみて反省したほうがよい。あとサイトの問題点を丁寧に説明してあげた私に対してどら焼きのひとつくらいおごってしかるべきである。プリンでもいいよ。
2015.06.12
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1970年頃に書かれた表題作とその他の短編集。「横車の大八」は建物を壊すのがうまい大工の大八の話。作家が隠居老人から大八の話を聞くという会話形式。のんびりしたエッセイ風の話で、短編集の冒頭の作品としてはちょっと刺激がたりない。「息子は神様」は背中が光る神様っぽい息子を産んだものの、育ったら普通になってしまった話。息子を溺愛する母親への皮肉が効いていてよい。「空想の起源と進化」は文壇バーで酔った作家のおれの境遇と、原始時代に物語を話すおれの境遇が似ている話。二つの時代を混ぜるテクニックを使っていて、いかにも筒井らしい展開。「混同夢」は家庭を大事にして残業を拒む社員が無理やり出社させられる話。正社員が終身雇用だった時代ならではの内容で、賞味期限切れという感じ。「逃げろや逃げろ」は学生運動に巻き込まれたおれが逃げるうちに不倫に巻き込まれて殺人事件に発展する話。筒井らしいスラップスティックだけれど、銃殺された主人公が一人称で語っているというのはナラトロジーとしてはおかしい。「人類の大不調和」は万博のソンミ村館で殺人事件が起き、ビアフラ館から飢えたアフリカ人が出てきて困ったので解決しようとする話。勘のいい読者ならオチが見えてしまう。「肥満考」は肥満の大作家の女がアフリカの狩の小説を書こうとするものの、欲求不満で気がくるってライフルで殺人しまくる話。日記形式。正気と狂気を混ぜていくテクニックを使っていて、いかにも筒井らしいエログロ展開。「馬は土曜に蒼ざめる」は事故にあった作家の松浦がサラブレッドに脳移植して、ダービーで大穴で勝って大もうけを狙う話。ナラトロジー的に整合性がつくオチをつけているところがよい。全体としては筒井の割にはキチガイ度が低く、学生運動、万博などのその時代の話題を反映させつつ、技巧を駆使してまじめに小説を書いている印象。ふつうのエンタメ短編集として楽しく読める。★★★☆☆【楽天ブックスならいつでも送料無料】馬は土曜に蒼ざめる [ 筒井康隆 ]価格:432円(税込、送料込)
2015.06.05
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火山、鍾乳洞、雪国、杉林など、日本各地を旅行して地理について書いたエッセイ。南鳥島だけで本一冊書くとはどんなディープな内容なんだと思って警戒していたら、別に南鳥島だけに焦点を当てたというわけでもない普通の短編エッセイ集で、タイトルがまぎらわしい。各章が20ページ程度で、長すぎないので飽きずに興味を持って読めて分量としてはちょうどよい。日本各地の土地、地形、風土についてよく調べられていて、著者が取材した体験がわかりやすく書いてあって読みやすいのもよい。著者プロフィールに北海道生れと書いてあるのに雪国の生活を知らないような書き方をしているので、気になって池澤夏樹のwikipediaページを見てみると、帯広市出身で5-6歳頃に両親が離婚して東京で育ったらしい。しかし5-6歳くらいなら雪かきの記憶もあるんじゃないかと思って帯広市を調べてみたら、帯広市は北海道内でも降雪量が少ないらしい。北国だからといって雪が降るというわけでもないのだね。日本各地のうんちくとしても面白く読めたし、日本各地の異なる生活について興味を持つ手がかりとしてもよい。地理や自然に興味がある人にはおすすめ。★★★★☆【楽天ブックスならいつでも送料無料】南鳥島特別航路 [ 池澤夏樹 ]価格:473円(税込、送料込)
2015.06.05
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