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19世紀から20世紀前半のロシアの革命について書いた本。●まとめ18世紀末にヨーロッパの啓蒙主義がロシアに伝わり、ツァーリズムの中で知識人に自由主義思想を持つ人たちが現れ、虐げられた民衆を救うために革命を起こそうとする。アレクサンドル1世が急逝した際の帝位継承の隙をついてクーデターを起こした1825年のデカブリストの乱は失敗して、アレクサンドル1世の弟のニコライ1世の権力を強めることになってしまう。ニコライ1世はプーシキンを手元において飼い殺したり、ドストエフスキーをこらしめるために死刑宣告したりしつつ、ヨーロッパの1848年革命がロシアに波及するのを阻止するものの、1853年のクリミア戦争で敗北したことでロシアがヨーロッパより遅れていることが明らかになり、ニコライ1世の長男アレクサンドル2世によって西欧化政策がとられ、1861年に農奴解放令が出されるものの、政治的支配から経済的支配に変わっただけで実質的な農奴開放にはなっていなかった。農奴解放で自由な労働力ができるとロシアの工業化が進む一方で、農業は近代化が進まずに貧富の差が激しくなり、不満を持った農民が各地で反乱を起こす。モスクワやペテルブルグの大学では青年たちがドイツ哲学などの西欧思想を学んでいたが、スラブ主義(スラヴャノフィール)と、ベリンスキー、ゲルツェンらの西欧派(ザーパドニク)が対立していた。大学で自由は制限されて集会が禁止されるものの学生運動が起き、政府が鎮圧するものの、70年代にナロードニキと呼ばれる革命家たちが出てきて様々な組織を作って人民(ナロード)の中に入っていき、テログループ、農民啓蒙グループ、都市労働者宣伝グループなどが活動を模索し、1881年にアレクサンドル2世を暗殺する。アレクサンドル3世は貴族を支柱にした専制のみがロシア国民に幸福をもたらすという信念をもっていて、父親がなまじ自由主義ぶったせいで暗殺されたと考えて、自由主義を取り除くロシア化政策をとる。ナロードニキの革命家が農民の革命をしようとする一方で、プレハーノフらは労働者階級のマルクス主義革命を起こそうとし、1891年にロシア初のメーデーが起きる。マルクス主義の研究も進み、レーニンがマルクス主義者になってプレハーノフに傾倒し、マルトフらと協力して新聞「イスクラ」(火花)を発行する。専制を倒すための革命ではナロードニキの自由主義の党とレーニンらの社会主義の党が対立し、1903年のロシア社会民主労働党の党大会でレーニンとマルトフが対立して、プロレタリア革命を目指すレーニンらの多数派(ボリシェヴィキ)といったんブルジョワと協力して政権をとった後でブルジョワと戦ってプロレタリア革命を目指すマルトフらの少数派(メンシェヴィキ)に二分する。1905年の血の日曜日事件で非武装労働者の皇宮への平和的請願行動に対して発砲されたことで皇帝信仰はゆらぎ、農民が暴動を起こし、戦艦ポチョムキンでも反乱が起きる。第一次世界大戦でロシア国内で不満が高まり、ラスプーチンを重用する皇宮への不信感がある中、愛国者のブルジョワたちは戦争を革命の機会ととらえ、1917年の二月革命でペトログラードのデモが反乱に発展してブルジョワ議員たちが臨時革命政府を作り、帝政が崩壊する。スイスに亡命していたレーニンは二月革命を知って帰国して、人民がブルジョワにだまされていると「四月テーゼ」を読み上げ、権力を取るためにアナーキーと協力して武装デモを起こし、十月革命でボリシェヴィキが権力をとる。ドイツのロシア侵攻を止められず、仕方なく1918年にドイツとブレスト=リトフスク条約で講和すると、今度は反ボリシェヴィキ勢力と内戦が起きて、フィンランド、ジョージア、アルメニア、アゼルバイジャンが独立。トロツキーが赤軍総裁となって内戦を制するものの、レーニンが卒中で倒れると、新参のトロツキーと古参のスターリンがレーニンの後継者争いを始め、トロツキーは除名されてスターリン派が実権をとる。スターリンは1928年から五ヵ年計画で急速な工業化を推し進め、農村の集団農場化を推し進めるために富農を絶滅させる。1928年から文学も自由に書けなくなり、人民へのイデオロギーの指導をしなければならなくなった。スターリンたちは公安委員会を作って大粛清を行い、1934年から4年間に800万人が逮捕されて自白を強要された。トロツキーは無罪になるものの、1940年にメキシコでスパイに暗殺される。●感想前半は19世紀の革命、後半は20世紀のレーニンらの革命の話。後半はレーニン中心になり、主要な革命家については詳細に書かれているものの、民衆のための革命だったはずなのに、革命によって民衆の暮らしがどう変わったのかという点が記述不足で物足りない。382ページで1932年に無理な農業集団化による食糧不足で500-600万人が死んだことに言及しているけれど、説明が不十分。ホロドモールのことを指しているのだろうけれど、単なる農業集団化の失敗として書くのでなく、ゲーペーウーが脅威とみなしたウクライナ民族主義者の計画的虐殺という側面にも言及するべきだろう。20世紀最大級の虐殺のうちのひとつとして議論されている出来事をうわべだけさらっと書いてスルーするのはよくない。プーシキン、ドストエフスキー、ゴーゴリなどの作家への言及も若干あるのでロシア文学好きな人は興味を持って読めるけれど、あちこちの記述が物足りないのでロシア史を詳しく知ろうとしたら結局は他の本も読まなければならない。人物の写真があり、巻末に索引と略歴と地図がある点はよい。面白かったのはベリンスキーの批評。「文学も批評もひとしく時代の意識であるが、批評は哲学であり文学は直観であるところがちがう。いまは、文学は批判的であることによってのみ時代の精神をあらわすのである。作家が生活をえがくためにえがくだけで、時代の問いにたいする答えをしないなら作品は死ぬ。人がたのしむことだけでなく知ることを欲するのは現代である。いまの世紀は芸術のための芸術を拒否する。何のために生きるか、何が真実であるかを今日の知性でとらえねばならぬ。それが作品の歴史性だ。」というのは日本の純文学の死に様をも予言しているようだ。ロシアでは投獄覚悟で思想を表明して文学にしろ革命にしろ思想家を輩出して世界史に残る仕事を成し遂げた一方で、現代の日本の作家は言論の自由があるにもかかわらず書くべきこともなく、インテリというほどの知識も思想もなく、時代の問いにたいする答えもないまま、生活をえがくためにえがいた私小説や芸術のための芸術のポストモダン小説を文学ともてはやして、読者たる民衆を無視して内輪で褒め合っているのだった。現代よりも過酷な時代を命がけで生きた人たちというのは成功したにしろ失敗したにしろ魅力的なもので、現代の日本の純文学を読むよりは歴史の本を読むほうが面白いのである。純文学にも革命がおきてくだらない作家を粛清してほしいものだ。★★★☆☆[文庫]【中古】【メール便可】世界の歴史22ロシアの革命 / 松田道雄価格:400円(税込、送料別)
2015.08.31
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「作家は行動する」は作家はつねに自分の行動、つまり文体によって具体的な時間を作り出していかなければならない、散文家の文体は個性の表現だが作家の文体は個性そのものの表現ではないという文体論。「奴隷の思想を排す」は芸術は情熱をカタルシスによって排泄させるというアリストテレス的芸術観と、芸術は意味もなく劣情を刺激して人間に害悪を及ぼすだけのものであるというプラトン的芸術観を対比して、真の作家は何ぞやを論じている。伝達者としての作家の仕事は自己表現ではなく、真の作家は自我を最も透明なフィルターとすることに甘んじて、作品によって孤独を抹殺し、人間の連帯感のほうに歩み寄り、希望を与えることができるのだというのが江藤淳の真の作家像らしい。「神話の克服」は日本ロマン派が文学でもなく作品でもなく、ロマンティシズムの顕在化でリアリティが喪失して純文学が中間小説化して中間小説が氾濫して、神話を恐れて文学作品が日常的で刑が生かした文学以外の規範に寄りかかろうとしはじめると作品は面白くなくなると論じている。「近代散文の形成と挫折」は散文とは何ぞやと論じている。リードの『英語散文の文体』によると、詩は創造的な表現で、詩的な経験においては言葉は辞書の中から取り出されるように単に記憶の中から取り出されるといったものではなく、表現される瞬間に新たに誕生し、あるいは再誕する。思想は言葉そのもののことであり、言葉そのものの存在が思想をあらわしている。散文は構成的な表現で、出来合いの言葉の組み合わせで、その創造的機能は言葉の組み立て方や高め方によってはじめて発揮される。これらは詩に関しても重要な昨日であるが、詩の中では創造的機能に従属している、のだそうな。全体としては、江藤淳は作家は「現実」を読者に触れさせて、おれのヴァレリイの解釈を聞いてくれというような作家の自己表現は控えて、希望を書けというようなことを言っていて、いわゆる純文学や私小説や文壇を批判している。しかしこのような希望を書かなきゃ文学じゃないというような頑固な小説観だとクンデラとかの現代小説の面白さは理解できないんじゃなかろうか。私は作家が何を書こうが、作者が小説内にしゃしゃり出てこようが、結果として私にとって面白ければ何をどう書こうがよいと思うし、ロラン・バルトのように好き勝手にテクストを楽しんだらよいと思う。★★★★☆
2015.08.20
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1985-86年に書かれた6編の短篇集。「パン屋再襲撃」は法律事務所で働く僕がデザインスクールで事務をする妻に相棒とパン屋を襲撃した話をしたら、妻がそれは呪いだといってパン屋を再襲撃することになるものの、パン屋がなかったのでマクドナルドを襲撃する話。この小説で重要なのはパン屋を襲撃することではなく、妻の変な倫理が始終一貫していることで、そういう女性像を描いたという点でこの小説は成功している。しかし語り手の僕がべらべらと犯罪を語っているのは不自然で、ナラトロジー上の工夫がないのはよくない。「象の消失」町の象舎から象が消える事件がおきて、僕は象問題に個人的に興味があったので事件を考察したり、知り合った女に象が小型化したんじゃないかと話したりする話。語り手の僕が誰なのか、なぜ象に興味があるのかという情報が読者に明らかにされないまま、読者を置いてけぼりにして話が展開するのでつまらない。語り手自体が読者に信用されていないのに、そこでさらに象の小型化説を出されてもリアリティがないのでマジックリアリズムにもならない。「ファミリー・アフェア」はヤリチンでアメリカかぶれの僕と同居する妹が婚約者の渡辺昇をつれてくるものの、酒を飲まないし冗談が通じない奴なので僕はあまり気に入らない話。兄と妹の親密さの距離感はよく書けていてサリンジャーの模倣としてはよくできているので、フラニーとゾーイが好きな読者は好きかも知れない。じゃあ最初からサリンジャー読めばいいんじゃーという話になるんじゃー。「双子と沈んだ大陸」は渡辺昇と翻訳事務所を共同経営している僕が双子と別れた後、双子を写真雑誌で見つけたり、隣の部屋の歯科助手の笠原メイと話したり、風俗嬢に双子の夢を話したりして、双子のいない世界を受け入れようとする話。ここに出てくる双子はたぶん他の小説に出てきた双子だろうけど、双子が誰なのかこの小説だけでわかるように書かれておらず、小説内に登場しない人物についての感傷を展開されてもつまらない。「ローマ帝国の崩壊・一八八一年のインディアン蜂起・ヒットラーのポーランド侵入・そして強風世界」は僕が目隠しセックスしただのなんだのと日記を書く話。大声で「もしもし」と言ってフォントを大きくしたりするのは小説のテクニックとしては邪道。一種の実験小説なのだろうけど、実験してみたという以外に見所はない。「ねじまき鳥と火曜日の女たち」は法律事務所を辞めて無職になった僕のところに知らない女からエロいいたずら電話がかかってきたり、妻の兄に似ている猫のワタナベ・ノボルを探すものの見つからなくて妻になじられる話。「パン屋再襲撃」と同じ夫婦が登場人物だけれど、この小説で描かれているのは妻でなく僕であり、語り手が自分について語る物語になっているがゆえにうそ臭くなってつまらなくなっている。全体の感想としては、僕が一人称で物語る動機が不明で、ナラトロジーの処理ができていない。誰を描いてもキャラクターが似ているあだち充の漫画のような印象。短編をひとつだけ読んでもアラはそれほど目立たないものの、短編を続けて読むと登場人物の書き分けが出来ていなくて下手糞に見える。主人公の僕が作者を投影した人物なら書き分けができていなくてもいいのだけれど、どの短編の主人公も違う生い立ちの人物のはずなのに性格が似ているというのはよくない。渡辺昇という人物を使いまわしているけれど、この登場人物たちが同じ世界にいるということを強調する記号のような扱いで、なんちゃらサーガ的な空間の広がりが出るわけでもない。こういう小細工を面白がる読者もいるだろうけれど、短編として小説を完結させることを放棄してテクスト外の情報に助けを求める作家の甘えに見えて私は気に入らない。社会からちょっとはずれた「僕」が主人公でありながら、カフカのように具体的な恐怖として主人公を脅かす社会を描くわけでもなく、冗談交じりに気取って自分語りするというやりかたで、主人公である「僕」が直接社会に向き合わないので物語に緊張感がなく、それゆえにだるくて読み応えがない。★★★☆☆【楽天ブックスならいつでも送料無料】パン屋再襲撃新装版 [ 村上春樹 ]価格:540円(税込、送料込)
2015.08.20
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昭和46年発刊の12編の短篇集。「台所にいたスパイ」は表向きSF作家のおれはKGBのスパイで、父がMI6のスパイで、妻がCIAのスパイだったので、家族で殺し合いをする話。「脱出」はミッキー立川役の俳優塩田が私生活でもミッキー立川として刑事に追い回されて現実と虚構がごっちゃになってブラウン管の中から逃げようとするもののますますドラマ的展開になる話。筒井の得意技の現実と虚構がごっちゃになるテレビネタで、既視感はあるものの面白い。「露出性文明」はテレビ電話を申し込もうとする男が役所の無愛想な受付係に難癖をつけられて喧嘩する話。ライブチャットしている現代の読者にとっては賞味期限切れのネタ。「メンズ・マガジン一九七七」はゲスな雑誌の編集部が締め切りに追われてごたごたする話。登場人物たちが各自勝手に暴れまわって、プロットがないようなスラップスティック。ヌーヴォー・ロマンといえるのかもしれないけれど、物語性がなくどたばたしているだけなのであまり面白くはない。「月へ飛ぶ思い」は日本人として初めて月に行く男がロケット搭乗前日に15時間の猶予を与えられたので、飲み屋にいったら月で死ぬかもしれないからツケを払えといわれてごたごたする話。「活性アポロイド」は科学者の父をもつ高校生が薬品を練りこんだボールを握るとオルガズムに達するという活性アポロイドを密売して社会が混乱する話。主人公のおれの一人称。新しい小道具で社会が混乱する様子を書いたエロSFだけれど、高校生の視点を離れて社会問題にしてしまったせいでせっかくのエロ要素が薄くなってしまっていてよくない。「東京諜報地図」は表向きSF作家をしているおれはスパイで、他のスパイやスパイ志望者とごたごたする話。「台所にいたスパイ」と似た設定ながらもストーリーに関連性はないようで、もう一工夫ほしいところ。「ヒストレスヴィラからの脱出」は自分探しの旅をして宇宙のはずれのヒストレスヴィラに行ったら、友人が金持ちになったので地球に戻ろうとするものの駅の切符が売り切れたりしていてごたごたする話。「環状線」は彼女が金持ちと結婚しようとしているので、環状線を使って異次元空間からの彼女の分身を増やそうとしてごたごたする話。「窓の外の戦争」は平和な家庭の窓の外で戦争が起きてごたごたする話。時事問題を皮肉っている点はよいものの、小説としてはプロットがなくつまらない。「寒い星から帰ってこないスパイ」は自称スパイの素質がある勘違い男がバラバラ星にスパイをしに行ってごたごたする話。主人公のドジ具合が強調されすぎていて、こいつは自滅するんだろうなというオチが見えてしまうので、もう一工夫ほしいところ。「アフリカの爆弾」は日本のセールスマンがアフリカの新興国に滞在していると、隣の部落がミサイルを買ったので地球滅亡クラスの5ギガトンの核弾頭を買うことになってごたごたする話。核兵器を皮肉る点はよい。短篇集の割りにスパイ物の比率が高いけれど、1970年代頃はスパイ物が流行っていたんだろうか。あるいはスパイ物を意図的に集めたんだろうか。スパイ物や宇宙探検物のテーマが似ていてバリエーションが乏しいのは短篇集としてはよくない。一人称で語ることについてのナラトロジー的な処理もしておらず、手法の目新しさもないので中間小説としてでなくただのエンタメ小説として書かれたのかもしれない。スパイが一人称でべらべら自分語りするところはナラトロジー的なリアリティがないのでもう一工夫ほしいところ。大掛かりな仕掛けがあるわけでもなく、エロもスラップスティックも抑え気味で、ちょっとしたアイデア頼みの小粒な短篇集という感じ。★★★☆☆【楽天ブックスならいつでも送料無料】アフリカの爆弾 [ 筒井康隆 ]価格:450円(税込、送料込)
2015.08.20
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映画化されて有名な表題作と、他の中篇一つと短編一つ。「時をかける少女」は女子高校生が謎の薬品を嗅いでタイムリープ出来てしまうようになって困惑する話。筒井は恋愛小説が苦手らしいものの、最後にラベンダーの香りでいつかまた出会うことを印象付けるという味がある終わり方がよい。もし主人公がうぶな少女でなかったら競馬のレース結果を暗記してからタイムリープしたりして悪行三昧に突入しそうなものだけれど、いたずら心を抑えてストーリーテリングに徹して小説を完成させた筒井の自制心を褒めてあげたい。しかし筒井ファンとしては「時をかける初老」とかの設定でどたばたしたほうが面白いかもしれない。「悪夢の真相」は般若の面に恐怖を抱く女子中学生が恐怖の原因を追究していくサスペンス的物語。冒頭で謎を提示して、その解決に向けて主人公が恐怖に向き合いながら行動するというサスペンスの演出がよくできていてよい。主人公が女子中学生で、科学にもオカルトにも半信半疑という微妙な年齢なのもよい。「果てしなき多元宇宙」は主人公の高校生暢子が別の宇宙の自分と入れ替わってしまって苦労する話。けが人は出るものの死人は出ないという自制気味なスラップスティックで、筒井の持ち味が発揮しきれていないという感じ。筒井がエロもギャグもいれずに少女を主人公にしてまじめにSF小説を書いているのである。しかしうぶな少女がSF的事態に直面して当惑する様子を書くSFハラスメント小説とでもいうか、見方によってはフェチ小説。主人公に冒険を期待する読者には主人公のうぶさが物足りないかもしれないし、フェチ読者によっては逆に主人公のうぶさがよいのかもしれない。出来事とそれに対する主人公の心理を書くというオーソドックスな描写手法で、ジュブナイル小説としてわかりやすさを優先して書かれたのかもしれないけれど、筒井的饒舌や衒学がないせいか書き込み不足で大人の読み物としては物足りない。読者が少年少女なら面白く読めるかもしれない。★★★☆☆【楽天ブックスならいつでも送料無料】【夏の文庫キャンペーン2015】時をかける少女改版 [ 筒井...価格:475円(税込、送料込)
2015.08.20
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11篇のポルノやSFやパロディの短篇集。「誘拐横丁」は建材店の最上に息子を誘拐されて身代金18万円を要求された電器屋のおれが横丁の医者の娘を誘拐して身代金を要求したりして、なんだかんだでXXする話。顔見知りの横丁の人たちが互いに誘拐しあうという状況だけで既にコメディとして面白い。これ見よがしなSF的小道具や奇病を用意しなくても、舞台設定だけで物語が面白くなるという点で他の短編よりもよくできている。「融合家族」は土地問題がおきて二軒の家が融合した奇怪な家に二家族がお互いを無視しながら生活していたものの、なんだかんだでXXする話。これは家の奇怪さがあまりプロットに活かせていないままXXでオチをつけてしまった感じでそれほど面白くはない。「陰悩録」は風呂のお湯を抜いて肛門が吸い込まれるのを楽しんでいたらきんたまが吸い込まれてしまう話。筒井らしいくだらないスラップスティックポルノである。「奇ッ怪陋劣潜望鏡」は童貞と処女で結婚した夫婦が抑圧された性願望のせいであちこちに潜望鏡が見えるようになってしまう話。医者が出てきて病気として診断して一般化するより、この主人公たちの特殊なケースとして扱ったほうがよかったかもしれない。「郵性省」は美女の大便はでかいという週刊誌の記事に刺激された高校生の千益夫がしのぶちゃんを妄想してOナニーしていたらしのぶちゃん一家が団欒しているところに瞬間移動してしまう。益夫が記事を書いた学者に抗議すると、これはOナニー・テレポート、すなわちオナポートだということで研究が始まって成功して、オナポートを管理するために郵性省がつくられる。オナポートの移動先に物体があるとその物体とクイミング融合してしまう事件が多発したりするものの、オナポートのおかげで日本は発展して、益夫は自慰隊隊長として国交正常化した中国にオナポートを教えに行く話。主人公がおきざりになってしまっていてプロットとしてはたいして面白くなく物足りない。プロットよりも突飛な状況を楽しむタイプの小説なので、オナポートによる社会の混乱具合をもっと書いてほしいところ。「日本列島七曲り」は社長が個人タクシーに乗って運転手と一緒に飛行機で大阪に行く途中に飛行機が左翼学生にハイジャックされるものの、乗客たちは皆ハイジャックを楽しんでいて、どんちゃん騒ぎをしたり、吸血鬼が出たり、コレラに伝染したりして左翼学生が困る話。時事問題を不謹慎に茶化していてよい。「桃太郎輪廻」は川からセクシーな尻が流れてきて桃太郎が産まれて、爺さんが婆さんを食ってタヌキに脅迫されて、桃太郎が家出してここほれわんわんの犬や柿の木の下でぺしゃんこになっている猿を家来にして、眠り姫や白雪姫や赤頭巾を物色しながら旅をして竜宮城でタイムマシンをもらって、年老いた桃太郎は子供がほしくなって未来から人工子宮をもってくる話。いくつかの昔話をごちゃまぜにしたポルノパロディだけれど、SF的なオチがついてプロットがまとまっていてよい。「わが名はイサミ」は近藤勇が名前をイサムと間違えられてイサミだと怒ったり、土方に尻を貸したり、あちこちで歓待されてどんちゃんさわぎするうちに官軍に惨敗する話。冒頭でSF作家が時代小説を書くことについて時代考証が間違ってるかもしれないとメタ的な言い訳をしておいてから土方と近藤の同性愛具合を描くふてぶてしいやり方はさすが筒井である。「公害浦島覗機関(たいむすりっぷのぞきからくり)」は古いホテルに秘密の通路を見つけて208号室の閣僚が公害で都会から人を追い出そうとする会議の様子や207号室のカップルのセックスの様子を覗き見していると、タイムスリップしてその後の様子も覗き見できる話。オチが雑でタイムスリップSFとしてはたいして面白くない。「ふたりの秘書」は労働組合ができるのを嫌ってコンピューターを使い、秘書をふたりしか雇わない若社長がふたりの秘書に惚れられて困る話。従業員の代わりにコンピューターを使うという程度だとSFとしてはたいして面白くない。ロボット秘書チョロ子がいながらもろくに出番がないまま終わるので、プロットにもうひとひねりほしいところ。「テレビ譫妄症」はテレビ評論家の達三が長時間テレビを見ているうちに下半身が麻痺してしまうテレビ癲癇になり、達三は現実がテレビ番組だと思い込む話。テレビを小道具としていじりまわすネタはもはや筒井の名人芸ともいえるかもしれない。現実と仮想現実と狂気が入り混じる筒井的小説として安心して読める。全体としては筒井風の陽気なエロスとくだらないスラップスティックが満載で、エンタメ短篇集として面白く読める。★★★☆☆*記事を投稿しようとすると「わいせつ、もしくは公序良俗に反すると判断された表現が含まれています」というメッセージがでてなかなか書けないし、どの単語がひっかかってるのか不明なせいで言葉の書き換えに余計な時間がとられて迷惑している。楽天の言葉狩りにこの場で抗議しておく。【楽天ブックスならいつでも送料無料】日本列島七曲り [ 筒井康隆 ]価格:523円(税込、送料込)
2015.08.20
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1976-79年のSF小説や海外小説や学術書や漫画など様々な146冊の書評集。書評でも筒井の手にかかると一筋縄ではなく、麻雀の役で評価したり、本の値段が高いなどと愚痴っていたりする。書評でも読者にとって面白い読み物になるように工夫している姿勢はよい。SF論、文学論、演劇論、虚構性についての持論など筒井の芸術観が随所に見えて、筒井ファンなら面白く読める。裏表紙にメッタ斬りと書かれている割には大半は褒めていて、失敗作としてボロクソにいわれているのはわずかしかなく、老齢の著者に対しては言いたいことを控えてやんわりと腐しているのでメッタ斬りというほどでもない。富岡多恵子「動物の葬禮」のオビに書かれている「たくみな語り口+優れたユーモア感覚+にじみでる哀愁=面白い純文学」という宣伝を書いた文芸春秋の編集者にケチをつけているあたりが個人的に面白かった。文芸春秋の編集者が文学を見る目がないのは現代に限ったことではなく、昔から見る目がなかったようだ。桂米朝「上方芸人史」では米朝の「落語というのは常識はずれをやって笑うのに、その常識がなかったらはずれようがありません」という言葉を引用して、若手作家のきちがいぶりを批判するあたりも筒井の芸術観が垣間見えてよい。作家がきちがいぶっている俗物だというのは現代の小説家の批判にも当てはまることかもしれない。本の値段にまで言及する書評というのはなかなか珍しいけれど、本をひとつの商品として評価するからには内容だけでなく値段も評価対象になるのは当然だろう。私は小説はたいていブックオフで100円で買ってぼろくそに批判する最低の読者だけれど、その分値段を含めずに内容だけで評価している。ゴミ本でも100円だからこそまだ許せるわけで、もし私がゴミ本をクソ高い定価で買った日には罵詈雑言を通り越して呪詛を吐いて作者を呪い殺すだろう。ゴミ本をつかまされても許容できるほど私の人格と財布は優れていないのだ。作家には私のような貧乏人が食費を削ってでも定価で買いたくなるようなすごい小説を書いてほしいものである。メッタ斬りと称する書評家にはゴミ小説が間違って読者の手に届かないようにをきちんと葬ってほしい。しかしそもそも編集者の審美眼がきちんとしていればゴミ本が流通することもないので、元はといえば編集者が悪い。ゴミ本を書いた作者は批判されて当然だけれど、編集者も一緒に批判されてしかるべきだろう。その点で、編集者も批判している筒井の書評は真摯である。筒井がル・クレジオの最高傑作と褒めた「巨人たち」、筒井がこれこそが小説だと完全に降参した新田次郎の「アラスカ物語」、中央公論社の事件を実名で書いた中村智子「『風流夢譚』事件以後」、世界の文豪をボロクソにこき下ろしたコリン・ウィルソン「小説のために」、筒井が悪口が麻薬的に面白いと褒める細川隆元「戦後日本をダメにした学者・文化人」、加瀬英明「日本の良識をダメにした朝日新聞」、カフカの三倍カフカだというフィレンツ・カリンティ「エペペ」、小説より面白いノンフィクションのG・ヴァルテル「ネロ」、人肉食のリアリティがすごいバリー・コリンズ「審判」などの面白そうな本があることを知ったのも収穫だけれど、こういう本はたぶんブックオフでは100円で売ってないだろうから図書館で探していつか読むことにしよう。★★★☆☆
2015.08.20
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文学好きだけど精神科医になった著者の自伝的小説。講談社文庫の『頭医者事始』『頭医者青春記』『頭医者留学記』を一冊にまとめたのが中公文庫の『頭医者』で、700ページ弱ある。『頭医者事始』は1953年にT大医学部を卒業して、なんとなく犯罪学や精神医学に興味を持ってインターン時代に文学の話で意気投合した益田助教授の弟子になり、精神病院や拘置所で臨床の経験を積んでる間に病院が火事になってやめさせられたり他の医者と対立したりする話。『頭医者青春記』は拘置所の死刑囚の精神鑑定をしたり、患者のマックが逃亡したりする話。『頭医者留学記』は1957年に船に乗ってインド洋を通ってフランスに行って留学して、教授と喧嘩したり他の留学生と交流したりする話。主人公の古義(おれ)の一人称。インターンになってからの出来事が時系列順に語られる形式。当時の麻酔なしの電気ショック療法の様子とか、死刑囚の平沢貞通、竹内景助、正田昭の様子とか、精神病治療や拘置所の様子を知る資料として興味深い。しかし小説の完成度としては小説家が作品として仕上げた小説というよりは文章がうまい精神科医の自伝的小説という程度で、身の回りの出来事を書く部分が長い割りに同僚や患者との人間関係を掘り下げるわけでもなく、出来事を書くだけでそれに対する感情や心理が書かれていない。同僚の中折が精神を病んで入院するくだりも詳細を書かずに言葉を濁しているし、読者が知りたいと思うようなところであちこち突っ込み不足。ひとつの出来事を掘り下げるほうが小説としては面白いのに、自伝的小説として様々な出来事が散発的に書かれているせいで、死刑囚の対話とかのエピソードに興味を持っても中途半端に話が終わってしまって不満が残る。精神科医ならではの何らかの思想なり人間観なり、他の作家との思想の差異が表現できていればもっと面白かったかもしれない。描写のペースが一定なのは文章力があるということだけれど良し悪しがあり、短編ならそのほうが読みやすいけれど、長編としては同じペースで延々と話が続くと飽きるので、喜怒哀楽の変化をつけるなり描写のリズムを変えるなりしてメリハリがほしいところ。著者に興味があるような特殊な読者でないと途中で退屈する。ちなみにニュージーランドの国民的作家ジャネット・フレイムは教職についた後にうつ気味になってたら統合失調症と誤診されて精神病院に入れられてロボトミー手術寸前に文学賞をとって精神病院を脱出できたという体験をしていて、自伝的小説「An Angel at My Table」は映画にもなっている。ノーベル文学賞候補と噂されていたらしいものの、日本ではあまり知られていないようで、私も読んだことはないので映画を見てみたらそこそこ面白かった。医者側の小説と患者側の小説を比較してみるのも面白いかもしれない。★★★☆☆【楽天ブックスならいつでも送料無料】頭医者 [ 加賀乙彦 ]価格:1,131円(税込、送料込)
2015.08.08
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