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超能力探偵と不死身のシェイプシフターが恋愛したり戦ったりする話。Romantic Times誌が選ぶベストパラノーマル・ロマンス賞を受賞した中国系アメリカ人の作者のデビュー作で、シリーズ物の第一作。●あらすじ超能力で人助けをするダーク&スティール社の探偵で金属の記憶がわかる超能力があるアメリカ人のデリラ(デラ)は中国のボロ市で老女ロン・ヌーからからくり箱を買って蓋を開けてみると、妖術師の呪いで二千年間箱の中に閉じ込められた虎に変身できるシェイプシフターの不死身の巨漢の奴隷戦士ハリを召喚してしまい、呪いが解けるまで一緒にいなければならなくなる。デラはハリを奴隷にせずに自由な友人として扱い、謎の暗殺者や妖術師に狙われたところをハリに助けてもらってお互いに惹かれる。探偵社のテレパシー能力があるローランドに頼んでハリの身元証明の書類を用意してアメリカに戻り、火を起こすエディ、サイコメトリのアルトゥール、千里眼のディーン、電気を制御するブルーを護衛につけ、侵入者を撃退して、デラが作ったナイフがチャイナタウンのマフィアのウェン・チャンの姪を殺すのに使われたせいでマフィアがデラを狙っていることがわかり、デラのナイフを盗んで殺人に使った犯人を捜すことにする。クラブで鴉のシェイプシフターのコニと出会って話していると、デラの助手のアダムが犯人だとわかるもののアダムは真相を話して自殺してしまったので、デラはウェンに直接会って話をつけようとするものの交渉が決裂し、ウェンは猛獣に襲われて死ぬ。デラとハリがエッチするとハリは心を取り戻して虎に変身できるようになるものの、まだ呪いはとけていなかった。マフィアに襲撃されている最中にデラは妖術師に拉致されて箱の行方を尋問されて口を割らないでいると、妖術師の娘で虐待されているリズが連れて来られてきて、妖術師はハリに娘を犯せばデラを助けると言い、そのときコニの連絡でドラゴンのロン・ヌーが助けに来て、ハリは妖術師を倒して、デラは命とひきかえにハリの呪いを解き、ハリは皮とひきかえにデラを生き返らせる。●感想三人称で、デラとハリの視点を変えながら双方の恋心を書く形式。デラとハリが命を狙われながら悶々と恋心を募らせては自制してようやくエッチするという流れで、ストーリーは恋愛部分のおまけのような感じ。設定はあちこちご都合主義で、呪いのせいでハリが主人と同じ言葉を喋るとか、サイコメトリで敵の正体がわかるとかのこじつけたような理由でさくさく問題が解決してしまう。ハリが不死身というだけでも十分能力インフレなのに、デラたちの超能力もオーバースペックで主人公補正がかかりすぎているし、その割には探偵社のメンバーが超能力を発揮する機会が乏しくて超能力がプロットにかかわってくるわけでもない。サイコメトリ能力でマフィアがデラを狙っているとわかったあとに結局侵入者を尋問して真相を聞きだしているので二度手間で、超能力がたいして役に立ってない。妖術師の能力が弱まっているのにハリの不死能力が弱まるわけでもなく、ロン・ヌーが箱をデラに売ってデラの味方になる理由も不明で、デラが箱の呪文を知らないのに箱を開けられた理由も不明で、妖術師が箱の所有権を失った理由が不明なあたりも設定が不完全。新人作家らしく構成にも粗があり、3章の終わりは外出するためにハリに服を買うくだりで終わるのに、4章の冒頭でいきなり街中で宿敵の妖術師を見つけたところから話が始まるのは落丁かと思うほど場面が飛んでいる。ハリの敵の妖術師とデラの敵の暗殺者の二組の敵がいるあたりも冗長で、デラ側を中心に物語が進んでアメリカに行ってからは妖術師の話題がなくなり、妖術師やハリがいなかったとしても超能力デラ一味対マフィアの物語として成り立つので、妖術師の存在感がなく、そのぶんハリの存在意義も薄れる。ハリを物語の中心にするならデラとマフィアの話は削って妖術師の話に絞るべきだった。変身する話なら日本にもあるけれど、パラノーマル・ロマンスという日本になさそうなジャンルなのでどんなもんかと思って読んでみることにしたのだけど、変身部分が虎とエッチするポルノとして扱われているだけで物語とはあまり関係していないのでたいして面白くない。虎よりも馬に変身して「馬の巨根がいななく夜」というタイトルにしたほうがポルノとしては面白かったかもしれない。何かに変身するというのはエンタメとしては物語を特徴づけやすくなるわけで、日本の場合は仮面ライダーに変身してショッカーを倒したり、少女が変身して月に代わっておしおきしたり、巨人に変身して進撃したり、東京でグールに変身して戦ったり、人類が動物的に変身して宇宙ゴキブリを倒したり、サイヤ人がスーパーサイヤ人になって異星人を倒したり、配管工の兄弟がキノコで精力をつけて亀を倒したりする。例を挙げればきりがないくらい変身が一般的で、変身することで特徴づけには成功しているものの、変身して敵を倒すというパターンになって物語の構造が似てしまう。一方でアメリカは何でもかんでも恋愛や家族愛のパターンになって物語の構図が似てしまう。変身要素を取り入れることでドラマチックになるだろうけれど、変身しなければならない必然性がなければ小手先の工夫でしかなく、面白くなるどことかむしろ陳腐になる危険性もある。結局のところ、愛とはなんぞや、正義とはなんぞやという哲学を掘り下げていかないとエンタメのマンネリは打破できないのだろう。変身だの超能力だのの設定を変えて小手先の工夫をしたところでエンタメはしょせんエンタメという感じ。★★★☆☆虎の瞳がきらめく夜 [ マージョリー・M.リュウ ]価格:928円(税込、送料無料)
2016.06.28
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表題作とその他の短編集。「墓前生活」は藤澤清造の墓を訪ねて墓標をもらう話。「どうで死ぬ身の一踊り」は清造忌に参加したり藤澤清造展で講演したり同居の女にDVしたりする話。「一夜」は藤澤清造の本を額装にすることにして同居する女にお土産の蟹を買って帰るもののいらないといわれたのでDVする話。●感想語り手の「私」視点の一人称。犯罪者の倅で度々暴力事件を起こす語り手自身の生い立ちから藤澤清造を人生の支えとする心情を書いていて、この作者でなければ書き得ない独自性があるのはよい。しかし物語として面白いかというと面白くない。藤澤清造と語り手の周辺の話題から話が広がらず、読者の想像力を刺激する要素がない。寺に仕舞ってあった藤澤清造の墓標を見つけて譲ってもらったのは本人にとっては大事件なのだろうけど、藤澤清造のファンというわけでもない読者にとってはどうでもいい話。語り手が自分と藤澤清造について語ることにだけ熱心で、ろくに他人を書いておらず、同時代の社会情勢に目を向けておらず視野が狭いこともつまらなさにつながっている。こういう自己中心的な私小説よりも、須賀敦子のエッセイのように自分語りを控えめにして他人や人間関係やイタリアの社会をよく観察して人間の妙味を書いた内容のほうが私にとっては面白く感じる。自分語りをするにしても作者の思想哲学なりが掘り下げられていればまだ小説として楽しみようがあったかもしれないけれど、それがないまま私小説を書いたところで現代の他のエンタメに比べて見劣りする。海外のテロや戦争での空爆や人質の処刑がライブ中継されたり、殺人や自殺や事故現場やいじめや恋人のエッチの動画が面白半分に投稿されている現代では藤澤清造に傾倒するおっさんがDVをして開き直っている程度では暴力を書いたところでたいした刺激にもならない。漫画だと子育てや持病とかを書いた私生活エッセイ漫画は氾濫していて、それも漫画としてはたいして面白くはないけれども少なくとも闘病や子育てなどの生活に有益な情報があるぶんだけまだましといえる。リアリティを売りにするなら私小説はもう手法として時代遅れで、私小説というジャンル自体に改善の余地はあるだろうけれど、この小説はかつて行き詰った性と暴力を露悪的に書く私小説の方法を踏襲していて新しさはない。大正時代の作家に傾倒する著者に新しいものを期待しても無駄なのかもしれない。この本の短編を3作読んだだけですでにマンネリ感があって飽きてしまった。★★★☆☆どうで死ぬ身の一踊り [ 西村賢太 ]価格:565円(税込、送料無料)
2016.06.22
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中篇「邪眼鳥」と短編「RPG試案──夫婦遍歴」の2作。「邪眼鳥」は大金持ちの父が死んで長男の入谷英作、長女の信子、次男の雅司、らが集まり、美人の義母の春子が再婚しない条件で家を相続することになったものの、他に財産があるのではないかと子供たちが父親の過去をさぐる話。三人称で、各登場人物の視点を使い分けてそれぞれの思惑を書きつつ昔でかいヤマをアてたという父親の過去の秘密を掘り下げていく展開で、父親の過去をさぐるといっても時空がねじれていて実際に過去の父親に会ったりするSF展開が筒井らしい。「RPG試案──夫婦遍歴」は元プログラマーの夫が関西の会社に雇われて夫婦で旅行すると、モニタの中の奇妙な世界に入ってしまう話。三人称で、夢のような想像のような奇妙な世界をとりとめもなく展開するだけで特にプロットもオチもない。筒井の短編集は何作も載っている本が多いだけに、小ぶりな中篇と短編の二作だけというのは物足りなくて他の短編集に比べたら見劣りする。わざわざこれを買うくらいなら筒井の他の短編集を先に読んだほうがよい。★★★☆☆邪眼鳥(新潮文庫)【電子書籍】[ 筒井康隆 ]価格:540円
2016.06.22
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戦後に人が変わったようになってヒロポンをやって女遊びをして事業に何度も失敗して借金まみれの14歳年上の兄との確執を書いたなかにし礼の自伝小説。●あらすじ第一章 兄の死16年前に絶縁した兄の政之の死を知り、禮三は妻の百合子と息子の龍介と娘の桃子と仮通夜に出かけて兄嫁の美津子や姉の和代と会い、兄の最後の様子を聞く。兄は特攻隊の生き残りだったことを隠していて、死に装束にスーツを着てその上に日の丸をかぶせていた。第二章 小樽父が戦後に死に、小樽の祖母の家で一周忌をやるために生存していたことがわかった兄を呼ぶと、美津子を連れてやってきた兄は昔とは別人で、ジャズにかぶれてダンスホールで遊びまわってヒロポンを打っていた。兄は勝手に祖母の家を抵当に入れてニシン漁で一山当てようとする。第三章 日本海兄はニシン漁で儲けたものの、欲を出してニシンを本土に運ぶ仕事をやって失敗して、そのまま行方をくらます。兄が東京にいるかもしれないと思って母が出かけて、禮三と姉が祖母に家を追い出されて東京に行くと、兄は儲けを女遊びに使ってしまっていた。第四章 青森兄とは別居することにして、母と姉と青森に移り住んで古着屋で生計を立てていると、母は福田という子持ちの男と再婚を考えていて、米軍の通訳をしている兄に相談すると福田はヒモだから反対だという。福田が古着屋の集金を長靴に隠していたのを母が見つけて脳溢血で倒れて言葉が話せなくなり、兄は古着屋をたたんでバーを始めるものの偽酒を出して客足が遠のき、ヒロポンを売るようになる。禮三はヒロポンの運び屋をさせられ、兄に養子に出してくれというものの家族は捨てられないと殴られる。田舎でくすぶってもしょうがないので、最後にねぶた祭りで踊って皆で東京に行くことにする。第五章 大井町兄は地道に働く気がなく会社を作っては潰すのを繰り返して財産をなくしていて、母が家計の足しにしようと金歯をはずしたのを狂ったと兄嫁が笑ったので禮三が兄嫁を殴って兄に絶縁され、喫茶店の店員で娼婦だという噂がある洋子の家にころがりこんでエッチしたり働いたりしていると、兄が絶縁は嫁の顔を立てる方便といってレストランの出前を手伝えば禮三は大学にいけることになり、禮三は立教大学に入学するものの兄が仕入先へ金を払わずに女と遊んでいたのでレストランはつぶれ、大井町の家族は引っ越していて兄は行方不明になる。禮三は二度兄に捨てられたことでショックを受けて洋子から離れて一人暮らしをはじめる。第六章 浅草大学を除籍になった後、禮三はシャンソン喫茶でボーイをしつつシャンソンの訳詩をしたら好評で、歌手からも依頼がきて金が貯まり、立教大学に再入学して、真子と知り合って結婚して新婚旅行中に行ったホテルで石原裕次郎に声をかけられて、訳詩より日本の歌を書いて自信作を石原プロモーションにもってこいと言われる。浅草の真子の家に母親を呼ぶことにすると、五年ぶりに会った兄は建設会社を経営していて家長は自分だから余計なお世話だという。禮三は心筋梗塞で入院していると、兄に一緒に暮らそうといわれて、どうしても母を幸福にしたい禮三は真子に頼むものの、妊娠している真子は兄を嫌って別居する覚悟だった。二年前に石原プロモーションに持っていった歌詞を新人歌手が歌うことになってヒットする。禮三は母と一緒に暮らすための第一歩として家出して一人暮らしをする準備を兄と進めていると真子に見つかってキレられるものの、真子をほうっておいて兄と夜遊びに行く。第七章 中野禮三は真子と離婚して、30歳で中野に母と兄の家族と一緒に暮らす新居を建てて、兄嫁に生活費を渡して兄の子供の学費も出しているので兄が主人面するのが不快になる。兄は金があるところを見せるためにわざとマージャンで負けて、その度に弟に金を借りていて、禮三は共同生活が限界に来て、兄にギャンブルと建築会社ごっこをやめるように言うものの、兄は禮三をかたって銀行から小切手帳を受け取って銀座で夜遊びして1千万円を使い込んでいた。会社の顧問弁護士の斉藤は兄を告訴するように言うものの、禮三は兄をかばう。兄は借りた金は返せるけれど受けた恩は返せない、俺たちは普通の兄弟とは違うと言い、今度はジャスラックの振込先を勝手に変えて印税500万円を横取りする。禮三は18歳の新人歌手の百合子と結婚することになるものの、兄は弟をとられまいと反対する。兄の会社はつぶれ、債権者会議でやくざ絡みの1億3千万円の債権を半分にしたら現金で払うと兄が勝手に言い出して禮三が借金して払うことになり、弁護士に兄と絶縁するように忠告される。兄は勝手に禮三に6千万円の生命保険をかけていたので、怒って兄に家を出て行くようにいうと、母も連れて行くという。禮三はヒット曲を出し続けて借金を返すと、一年半ぶりに兄が訪ねてきて、勝手に実印を持ち出して禮三を社長にした会社を作ってゴルフ場を経営するために3億円の手付金を払っていたものの、無認可のまま会員募集をしたせいで失敗して6億円の負債を抱えて、全財産を処分しても3億5千万円の借金が残る。第八章 決別禮三は債権者に頼んで金利を下げてもらい、個人事務所を作って日銭を稼いでいると、雲隠れしていた兄が現れて保証人になるように頼んでやくざ絡みの借金を繰り返すので、監視するために事務所の役員にする。母が死ぬと、禮三は兄の中に母を見ていたことに気づいて兄への負い目がなくなって兄から逃げようと思う。兄は会社の禁止事項を破って銀座で遊んでいて、金融業者の借用書は2千万円になっていたのでコピーをとって証拠を押さえて、絶縁して借金を完済して、兄から借金の無心の電話が続くものの無視する。終章 絆禮三が兄の代わりに戦友会に出ると、兄が特攻隊だけれど出撃はしておらず、何十回も空中戦をしたとか訓練機を墜落させたとかの話は嘘だと判明する。兄は2億円ほどの借金を残していたので兄嫁は死後に離婚して遺産を放棄して、遺骨は海に撒かれて墓もない。禮三は50年前にニシン漁をした増毛に行って感傷にふける。●感想禮三視点の一人称。禮三だけ本名で、他の人は実名だとまずいので偽名らしい。自伝小説というだけあって丁寧に書いてあって人物にリアリティがあるのはよい。文章は特にテクニックを使っていない平易な文章だけれど、使いこなせていない技法を無理やり使って文学的な雰囲気を演出するよりはまし。兄の行動が破天荒なので日常生活を書くだけで物語が非凡になり、そのうえ中盤からは禮三自身も恋愛したり仕事で成功したりして物語が停滞しないので、レトリックに凝らなくても物語の内容だけで読者の興味を維持できる。実印を盗んで借金する兄を兄弟だからといって庇うのは現代の若者の感覚では理解しがたいし、それゆえに独自性のある物語になっている。核家族化した現代人は自分の生活が優先で、家族でも早めに見切りをつけて絶縁して相手を憎むほど我慢することが少なくなっているんじゃなかろうか。そういう点では家父長制が残っていて家族の絆が切り難いものとして残っていた昭和ならではの物語かもしれない。構成としては各章のエピソードが場所ごとに区切ってあるのは読みやすくてよい。最初に兄の死から物語が始まり、兄が死んでも許さず、兄が一億円返すといっても断るほどの確執の原因は何だったのかはあえて伏せておいて、大きなプロットを残したまま少年時代から順を追って展開していくのも読者の興味を維持できるような構成になっている。本のタイトルが『兄弟』とストレートで、歳が離れた兄弟の愛憎というテーマに絞って、著者が自分をある程度客観視しつつ書きたいことが書けているという点ではよくできた小説である。不満な点としては、兄と絶縁してから死ぬまでの16年間がはしょられていて、その間兄が何をやっていたのか不明で、このへんはもっと掘り下げてもよかった。兄がヒロポンをやめたのかどうかも不明で、禮三は兄の浪費癖が病気じゃないかと疑う前にヒロポンをやってラリっているんじゃないかと疑うのが先じゃなかろうか。それに時系列順に物語を把握していくといろいろおかしい点が見つかる。第六章で真子に「あなた方二人とも異常よ。いい齢をして家庭まであるのに、一緒に住みたがる兄弟なんて不潔よ」とまで言われているのに、そう言われたことを棚に上げて第一章で禮三が姉に「親が乳飲み子を捨てたわけでもあるまいし、大の大人が弟に会いたがるなんて気持ち悪いよ」と言うのは人物像が一貫していない。兄弟が会いたがるのが気持ち悪いなら一緒に住むのは気持ち悪いを通り越してブラコンである。姉は第七章で「禮ちゃん、あなた気をつけないと、兄さんに身ぐるみはがされちゃうわよ」と言っていたのに、第一章で「もう少しあなたが協力してあげたら、兄さんだって、なんとかなっていたと思うんだけどなあ」とのんきに言っていて、禮三が一度身ぐるみはがされて絶縁したのを知っているくせに協力だのと言い出すのはもはや頭がおかしいんじゃないかというくらい不自然。書き下ろしでなく連載形式で第一章から書き始めたせいで各場面での会話の盛り方のバランスが一貫せずにこういう齟齬が出ているんじゃなかろうか。時系列順に書いた後で構成を変えるようにすればこういう齟齬はなくなるはずで、技術的にはまだ改善の余地があるのだけれど、連載小説なんだからしょうがないと大目にみるべきなのだろう。★★★★☆兄弟 [ なかにし礼 ]価格:723円(税込、送料無料)
2016.06.13
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ブロンテ家の伝記で、ブロンテ姉妹の生涯や交友関係ついて書いた本。●まとめアイルランド系の牧師のパトリック・ブロンテは1812年にマライア・ブランウェルと結婚して、1813年にマライア・ブロンテ、1815年にエリザベス・ブロンテ、1816年にシャーロット・ブロンテ、1817年にパトリック・ブランウェル・ブロンテ、1818年にエミリー・ジェーン・ブロンテ、1820年にアン・ブロンテの六人の子供が生まれ、1820年にハワースの牧師館に住むものの、母親は癌で死亡して、母親の姉のエリザベス・ブランウェル伯母が牧師館に世話をしにくる。1825年にひどい寮生活のせいでマライアとエリザベスは病死して、父親はシャーロットとエミリを退学させる。本を出版していた父親の影響でシャーロットは弟と妹たちとともに創作を始めて、ガラスの町ヴァドポリスを舞台にしてシャーロットがアングリア、エミリーとアンがゴンドールの架空の領国を所有して、ブランウェルはアングリア王ザモーナの敵の物語を創作して数年間遊び、ロウ・ヘッド・スクールを出た後は家庭教師(ガヴァネス)で生計をたてる。シャーロットはヴァドポリスを「奥の世界」と呼んで白昼夢的な物語を書いていたものの、詩人サウジーと文通して、白昼夢の危険性の警告と、文学というものは女性が一生を書ける仕事ではないし、またそうあるべきではないと忠告を受けて、後にヴァドポリスシリーズをやめて作風を変える。シャーロットとエミリーはフランス語を学びにベルギーのエジェ氏のエジェ寄宿学校に行って教師になり、シャーロットはエジェに恋して手紙を送るものの既婚者のエジェは大人の対応をして手紙の返事を出さなかった。ブランウェルは絵を学びに王立美術院に行くはずだったのに、宿屋で浮かれて遊んで一文無しになって帰ってきて、散文を書いたり肖像画を描いたりしているうちに家庭教師の仕事に就くものの、仕事中に絵を描いてさぼっていたので首になり、鉄道員になるものの職務怠慢と会計簿の異常で首になる。伯母が死に、父親が失明しそうだというので1845年にばらばらになった家族が再集結するものの、ブランウェルは酒びたりで借金して阿片を吸っていて生活が荒れていた。シャーロットはエミリーの詩をこっそり見てプライバシーの侵害だと怒られるものの説得して姉妹3人の詩集を出すことにして、各自小説も執筆する。1847年にシャーロットの『ジェーン・エア』が刊行されて大成功して有名になり、一方でエミリーの『嵐が丘』とアンの『アグネス・グレイ』は成功しなかった。1848年にブランウェルとエミリーが肺結核で死に、1849年にアンも肺結核で死ぬ。1850年にギャスケル夫人と出会う。1854年にシャーロットは人生3度目の求婚でアーサー・ベル・ニコルズと結婚するものの、1855年にシャーロットは妊娠のつわりに苦しんで消耗して死ぬ。シャーロットの死後は虚偽のうわさが流れていたので訂正するためにギャスケル夫人がシャーロットの伝記を書くものの、シャーロットの習作時代のヴァドポリスシリーズを軽視して、エジェ氏への恋文はシャーロットの名声を脅かすと考えてごまかしたので、後の研究者に訂正される。●感想半分は絵や写真なので伝記の割には情報量は多くなく、地図が載っていなかったり、資料にするには不完全な感じ。ただブロンテ一家の生涯をなぞるだけで、19世紀のイギリスの時代背景を掘り下げていないのも物足りない。作品論が載っているわけでもなくて文学研究者にとっては物足りない内容だし、かといって一般人が読んでも面白いものでもない。ブロンテ姉妹に興味がある人は日本ブロンテ協会のブロンテ姉妹の年譜を見るだけでもだいたいの人生はわかるので、どうしても伝記を知りたいというファン以外はわざわざ本を買うまでもない。ブロンテ姉妹に弟のブランウェルがいたというのは初耳だったけれど、姉と妹が有名なせいで特に功績もないままやさぐれて死んだ失敗した人生をほじくりかえされてしまうこともある。普通は夢に敗れた人は死後にそのまま忘れ去られて伝記が残されることはまずないので、ブランウェルの失敗した人生は芸術を志す人にとってはかえって役に立つかもしれない。文学者たるものは夢にやぶれようが、伝記を残されても恥ずかしくない生き方をするべきである。★★★☆☆ブロンテ姉妹とその世界 [ フィリス・ベントリ ]価格:670円(税込、送料無料)
2016.06.12
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ピーター・パンが子供たちをネバーランドに連れて行って海賊を殺して戻ってくる話。●あらすじイギリスのダーリング家で、ダーリング夫人は子供のウェンディ、ジョン、マイクルがネバーランドの夢を見ていると知り、その夢に出てくるピーター・パンの影を捕まえたところ、ピーターはウェンディに面白い物語を聞きにやってきて子供たちに飛び方を教えて数日海上を飛んでネバーランドに連れて行くと、海賊のフック船長を見つけて殺すことにするものの、砲撃されてウェンディたちは散り散りになり、ウェンディはティンカー・ベルに付いていくことにする。ネバーランドにはトゥートルズ、ニブズ、スライトリー、カーリー、双子の六人の男の子が地下の家に住んでいて、フック船長はピーターのせいでワニに腕を食われたのでピーターと子供たちを殺そうと家を探していて、家を見つけたもののワニに追われて逃げていく。ティンカー・ベルはウェンディに嫉妬していて、ウェンディを家に連れて行って、ウェンディを射落とすようにピーターが言っていたと子供たちにけしかけて、ウェンディは矢で撃たれて墜落する。そこにピーターが戻ってきて、ウェンディが気を失っているだけだとわかり、ウェンディを動かせないのでそこに家を建てることにする。ジョンとマイクルも合流して、家ができるとウェンディは目を覚まして子供たちの母親がわりをすることになる。ピーターが海賊の捕虜になっていたインディアンの娘のタイガー・リリーを助けたあとで子供たちはフック船長たちと戦い、ピーターは負傷して潮が満ちていく岩の上に取り残されるもののネバー鳥に巣をもらって助かり、インディアンたちはピーターを偉大な白人の父と呼んで命令に従うようになる。ウェンディが子供たちと一緒に両親のところに帰ると言うものの、ピーターはネバーランドに残ると言い張る。そのとき海賊がインディアンを奇襲して虐殺して、子供たちは捕まり、フック船長は家で寝ているピーターのコップに毒を入れて去っていき、ティンカー・ベルはピーターの代わりに毒を飲むものの妖精を信じる子供のおかげで生き返り、子供たちが海賊船の板の上から海に落とされようとしているときにピーターがワニの時計の音をまねて助けにきて船内に侵入して、海賊を一人ずつ殺していき、子供たちの手錠をはずして海賊を皆殺しにして、追い詰められたフック船長は海に飛び込んでワニに食べられる。ピーターたちは海賊船に乗ってダーリング家に向かい、ピーターは先回りして窓を閉めてウェンディが帰るのを邪魔しようとするものの、ダーリング夫人の涙を見てあきらめる。子供たちはダーリング家の養子になり、ウェンディは毎年一週間だけピーターに会えることになるものの、ピーターは会いにこなくなり、ウェンディが大人になって娘のジェインにピーターの話をしていると、久しぶりにピーターがやってきたので、ウェンディは大人になったことをピーターに説明してジェインをネバーランドに行かせる。●感想三人称で、語り手が内包された読者(子供)に向かってですます調で語る形式。ですます調のせいで文章のテンポが遅いものの、ところどころ擬人化のユーモアを含んでいて平易な文章にはならないように工夫しているのはよい。私はディズニーのアニメでピーター・パン自体は知っていたけれど、原作を読んだ事がなかったので今更ながら読んでみる事にして角川文庫の秋田博訳を読んだのだのである。ADHDのピーター・パンとあばずれ妖精のティンカー・ベル存在感でうまく物語を特徴付けていて、単にネバーランドという夢の国に行くだけではなく、ピーターやティンカー・ベルには残酷な側面もあって必ずしも人間の味方ではないがゆえにウェンディたちの冒険のスリルがいっそう際立つ。もともとイギリスにはケルト神話や中世の騎士道物語や大航海時代や海賊といった面白い物語があるのだけれど、人間に害をなしうるという本来の妖精らしさがあるし、海賊やインディアンや人魚も登場するし、イギリスらしいキャラクターを物語に取り入れているところはファンタジーとしてはよい。日本だとゲゲゲの鬼太郎と目玉の親父のような妖怪たちが子供を墓場の運動会に連れ去るようなもんである。現実世界の子供が非現実世界に行って冒険する点では不思議の国のアリスと似ていて、ナルニア国物語やハリー・ポッターのような子供が主人公のファンタジーの先駆的手法といえるかもしれない。現実世界と接点がないファンタジー世界内で完結するより、現実世界から異世界に移動するステップを経たほうが子供にとっては物語世界に没入しやすいのではなかろうか。しかし工夫がある反面でいろいろ粗があり、フック船長に関しては登場したと思ったらすぐにワニに追われていなくなってしまい、物語進行のためにワニをご都合主義的に使いすぎている感じ。海賊の手下が大勢いるんだからワニの一匹くらい退治すればいいのにという読者の突込みに対してフック船長がワニを退治できない合理的理由が提示されておらず、設定が中途半端。インディアンたちも白人的ステレオタイプで白人より劣る残虐な未開人として死に役のモブキャラ扱いなのはよくない。ウェンディが狼を手懐けたエピソードは伏線になるわけでもなく、何のために狼に言及したのか意味不明。人魚はウェンディを水中に引きずり込もうとしているけれど、ウェンディに嫉妬しているティンカー・ベルとは違って人魚がウェンディを殺そうとする動機が不明で何がしたいのかよくわからない。この辺の脇役の設定の作りこみが甘いせいか、脇役が多い割には数々の冒険がプロットとしてうまくつながらないままごちゃごちゃしている感じ。キャラクター設定としてはティンカー・ベルがどちらかというとembonpoint(ぽっちゃり)な感じというのは面白い。しかし1953年のディズニーのアニメ版のピーターパンではティンカー・ベルがボンキュボンのセクシー妖精になっている。これはゲゲゲの鬼太郎でいうところのアニメ第1期の黒髪おかっぱ猫娘をとばしていきなり第5期の茶髪ショートヘア猫娘になるようなものである。客に受けるように原作のキャラ設定が改変されていくのは営利上しょうがないのかもしれないけれど、ディズニーフェアリーズだとイリデッサという黒人系の色黒編みこみヘアの妖精がいてもはや妖精が人間化しすぎて異化作用がなくなり、妖精ならではの非人間的で残酷な面白みがなくなっている。一部のファンタジー映画が黒人を使わないことで古代ケルトや北欧神話の英雄や怪物が出てくる世界観を保っているのに対して、ディズニーのようなエセ平等主義で現実の人種問題をフィクションに持ち込むのはフィクションをつまらなくしてしまう。結局は他人の手が加わるごとに原作者の世界観は失われていくものなのだろう。ゲゲゲの鬼太郎の南方妖怪チンポがアニメ5期で名前がポに変えられたようなもので、せっかくチンポが3本あるのに名前がチンポでなくなってしまったらもはやチンポ本来のチンポ的な面白さはなくなってしまうのである。★★★☆☆ピーター・パン [ ジェームズ・マシュー・バリ ]価格:679円(税込、送料無料)
2016.06.08
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映画化された表題作とその他の短編集。永山篤一訳。「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」はベンジャミン・バトンが老人として生まれて徐々に若返っていく話。三人称で、父親のロジャー・バトンの視点からベンジャミン・バトンの視点に移行する形式。ベンジャミンの母親は身長170センチの老人を物理的にどうやって産んだのか、息子をどう思ったのかについてはまったく書かずに母親の存在自体を無視していて、その点は不自然でフィクションとしての設定が一貫していない。オチも想像通り赤ん坊に戻っていくというだけで特に意外感もなし。映画化するほど面白い話とも思えないのだが何でこれが映画化されたんだろう。「レイモンドの謎」はミス・レイモンドと使用人のスタンディッシュが殺されてレイモンド夫人が行方不明になった事件を警察署長のイーガンが捜査すると、記者のサイレルも捜査に加わる話。イーガンの一人称。短編なのに捜査役が二人登場するので物語がごちゃごちゃしていて、イーガンが捜査する前にサイレルがどこからか仕入れた情報で勝手に事件を解決してしまい、もう記者が警官やったほうが早いんじゃないかっていうくらい署長の存在感がない。訳者の解説によると1909年にフィッツジェラルドが13歳のときに書いた実質的な処女作らしい。「モコモコの朝」はモコモコした犬が仲間の犬と遊んだりする話。犬の一人称で、ほんのりしたユーモア以外には特に見所はない。せっかく犬の一人称なのだからうんこを食べるなりしてもっとユーモアを強調したほうがよかった。訳者によると犬はヘミングウェイを戯画化したという噂があるらしい。「最後の美女」はアンディが美人のアイリーと友達になって、アイリーに惚れたキャンビー中尉やスコーエン中尉たちの様子を観察したりして、一旦疎遠になった後に久しぶりにアイリーに会う話。アンディの一人称。第一次世界大戦中のアメリカの雰囲気がでていて、フィッツジェラルドらしい恋愛小説でよい。短い短編だけれど個々の登場人物の存在感があり、男女の考え方の違い、アメリカ南部と北部の考え方の違いがよく出ている。戦争前後で価値観が変動する中で叶わなかった愛の余韻を残した終わり方もよい。「ダンス・パーティーの惨劇」はわたしがダンスパーティーでチャーリーに惚れるものの、チャーリーはマリーと婚約していて、わたしはマリーが他の男と浮気しているのを見てしまい、その夜マリーが殺されてチャーリーが逮捕されるものの、チャーリーの無実を信じるわたしが事件を推理する話。わたしの一人称で、事件の五年後にわたしが事件のあらましを語るという形式。原文がどうなっているのか知らないけれど、~なの、~したの、と語尾に「の」をつける人工的な女性の話し言葉と、ですます調の説明と、~している、という書き言葉の描写が混合していて、翻訳に違和感がある。普通は誰に向かって語るかで言葉を使い分けるけれど、丁寧さと幼さが中途半端で、語り手の性格や年齢がはっきりせず、語り手が誰に対して話しているのか(あるいは書いているのか)ナラトロジーの設定が一貫していないのはよくない。内容はフーダニットのミステリだけれど、硝煙反応やルミノール反応の科学捜査が行われていない頃のミステリで、推理を裏付ける決定的な証拠もなく犯人の自白頼みで詰めが甘く、現代のミステリファンにとっては物足りない。「異邦人」は若いアメリカ人のネルスンとニコール夫妻が遺産を相続して海外をあちこち旅して社交して疲れる話。三人称で、最初はマイルズ夫妻の視点から始まってネルスンとニコール視点物語に移行する構成。主人公のネルスンとニコールが第三者からどう見えるかを書くために冒頭でマイルズ夫妻の視点を使ったのだろうけれど、三人称なのでそもそもマイルズ夫妻の視点がいらないし、主人公が誰かわかりにくくなるし、マイルズ夫妻が伏線になるわけでもないし、技術的にはメリットがないやり方。内容は社交しないと気がすまない金持ちのアメリカ人を皮肉っていて、パーティー三昧だったフィッツジェラルドらしいテーマで筆が乗っているような感じがよい。「家具工房の外で」は家族で家具工房に行って妻が職人と交渉している間、外で夫が姫が捕らわれているというファンタジックな物語を即興ででっちあげて娘に話す話。三人称の掌編。オチがよい。●全体の感想概ねエンタメ短編集で、ミステリは現代のエンタメの水準に比べたら大して面白くないものの、フィッツジェラルドが好きな人は「最後の美女」を読むために買っても損はないと思う。★★★★☆ベンジャミン・バトン [ フランシス・スコット・フィッツジェラルド ]価格:514円(税込、送料無料)
2016.06.01
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東京農業大学の地域環境科学部で研究している各分野の概論を書いた本。温暖化、生物多様性、沙漠化といった地球環境の問題、生態系、植物、土壌、水といった自然環境の問題、地域らしさや地域の文化や機能といった地域環境の問題、政策やデザインの地域づくりの問題を研究しているらしい。各トピックを5-6ページ程度で解説する概論なので詳しいことは書いてないものの、環境問題やら地域づくりやらについての一般常識を得る程度の情報量はあるし、東京農大が編集しているけれども学外の人が読んでも役に立つ内容になっている。既に環境分野の専門書を何冊か読んだという人はわざわざ読むほどの内容ではないけれど、他の分野の人が興味をもつきっかけとして読むのにはちょうど良い。個人的に興味を持ったのは地域の活性化についてで、農村地域の活性化には3種類あるらしい。1.内部自発型(自立型):地域内主体の生産基盤(道路、水道)、生活環境(スーパー、医療施設)、交流施設の整備(公会堂、集会所)、教育・文化的行事(公開講座、祭、スポーツ大会、イベント)。2.外貨導入型(依存型):不特定多数の地域外者も含むイベント、特産物販売(道の駅、アンテナショップ)、各種イベント(祭、コンサート)。3.共存型:地域内外者の交流、他地域からの支援。姉妹都市、留学、果樹園等のオーナー制度。地域活性化のためには1でインフラを整えて生活を充実させるのが基本で、そのうえで中長期的な活性化をするためには2のイベントで外の人を取り込みつつ、3で長期的に地域に関心をもってくれる人を取り込んで多様性を持つのがよいのだろう。インフラというと地方議員の新幹線誘致とかの無駄遣いに思われがちだけれど、地元住民が生活するのも他の地域から客を呼ぶのもインフラがなければどうにもならない。地域活性化というと2のイベントが派手だから関心を集めやすいけれど、渋滞がひどくて駐車場やホテルがなければ客足は遠のくし、インフラがないところでイベントをしても活性化の効果は期待できない。さてこのブログは主に文学についてのブログなので、これを文学の活性化のモデルとして考えてみる。1.内部自発型(自立型):既存の文学ファン向けの活動。作家の創作、素人のネット小説、出版社と印刷会社の製本、取次の流通、書店での販売、図書館での貸し出し、カルチャーセンターの小説教室、大学の文学研究、amazonとかのレビュー。2.外貨導入型(依存型):文学ファン以外の人も含むイベント。文学賞、文学フリマ、作家のトークショーやサイン会やテレビ出演。3.共存型:海外作家との交流。他ジャンルとの交流(小説の映画化や漫画化、映画や漫画のノベライズ)。1は町から書店がなくなって取次までつぶれはじめ、国立大学からは文学部が排除されつつある。ネットがなかった頃に比べてamazonとかのレビューは増えただろうけれど、それでも本の販売数に比べてレビューが少ない。2は文学賞で文学に興味を持ってもらおうとするものの賞の差別化ができずにマンネリ化してたいして話題にもならない。3は海外との交流を一部の大学でやっているものの海外で日本の作家が注目されるわけでもなく、小説の映画化や映画のノベライズはたいして話題にもならず、文学の活性化には至っていない。そもそも教養がなくて外国語ができず、かといって日本文学や日本文化に造詣が深いわけでもないような色物作家が多いので、海外の作家から刺激を受けて日本文学に活かすことはあまり期待できない。羽田圭介が芸能人の格付け番組に出ていたのをたまたま見たけど、英語さえ話せないとは情けない。文学はここからどう活性化するのかというと、内部自発型の活性化サイクルが崩壊しつつあるのでまずはここをどうにかしないといけない。再販制度を見直すとか、絶版本が手に入るようにするとか、本の出版や流通の仕組みから見直さないといけない。読者は金額に見合う価値がある本を買いたがるし、不景気の中では欲求がシビアになるので、ポップや帯で煽って読者をだまして買わせるようなやり方は時代に合っていない。基本プレイ無料のスマホゲームや無料動画が蔓延するデフレ状況下では有料の娯楽を売るビジネスモデルは金に見合う品質を確保しないと無料コンテンツに太刀打ちできないけれど、小説は石が多い玉石混交で傑作も駄作も値段が同じだとはずれを引いたときのダメージが大きいがゆえに気軽に本を買えなくなってしまう。本を買って読んでみて思っていたよりつまらなかった場合に返品することもできないので、ある程度品質の予想がつくベテラン作家ならまだしも、新人作家の本はなおさら慎重に買うようになる。都会の本屋では座って中身を吟味できるような椅子もあるけれど、小説は専門書や雑誌とは違って目次や冒頭をちょっと読んだだけでは質の良し悪しはわからない。新人賞なんかは選考委員がくさすようなものを消去法で受賞させたりしていて、賞をとった作品だからといって質を保証するわけでもない。そこでオンライン書店や電子書籍でもプレビューやユーザーレビューを充実させて買う価値があるかどうかの判断基準をちゃんと提供すれば売り上げが増えるんじゃなかろうか。流通の問題としては、書店に山積みされるベストセラーだけが買われて、他の売れない本は書店に置かれる時間も短くて品揃えが乏しくなり、ほしい本が決まっている場合はわざわざ書店に行って在庫があるか探すくらいならオンライン書店で注文したほうが確実に手に入るのでますます書店に行く理由もなくなる。しかしオンライン書店だと絶版本はいつまでも在庫切れのままになっていて、ユーザーのニーズを満たしきれていない。絶版本は古本屋でしか手に入らないけれど、古本屋はブックオフのような大きなチェーン店以外はオンライン店舗がないような小さい店が多いし、オムニチャネル化が進んでいない。というわけで書店とオンライン書店と古本屋だけだとまだ不便で、そこで電子書籍が役に立つはずだったのだけれど、電子化されていない本が多くてまだ満足できる水準になっていない。絶版本が電子化されたり、オンデマンドで一冊単位で製本できるような技術でもあれば本の流通がましになるかもしれない。漫画だとマンガ図書館Z(旧Jコミ)で絶版漫画を無料公開して広告収入で作者に還元したり、PDFファイルの販売をしたりしているけれど、なぜ小説ではそういう仕組みができないのか、あるいはやろうとしないのか謎。作家と出版社と書店と取次と印刷会社の利害が一致しないからちぐはぐな市場のままなのだろうし、状況が悪化して出版業界全体が統廃合せざるを得ないほど追い込まれなければ変わらないのかもしれない。というわけで当分は文学には期待できそうにない。★★★☆☆地域環境科学概論新版 [ 東京農業大学 ]価格:3240円(税込、送料無料)
2016.06.01
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