全11件 (11件中 1-11件目)
1
![]()
副社長が死んで愛人が副社長の秘密の手帳を手に入れてしまったせいで企業がわたわたする話。●あらすじ横浜レーヨンの副社長の西池定吉が愛人の入江恒子にホテルでナニをくわえさせたら急死してしまい、恒子はナニをくわえたことを隠蔽したのち西池の手帳を見て秘書課の望月靖子に電話して、うっかり手帳をそのまま自分の鞄にしまう。その後恒子は宝石店に行って支配人の立花に西池からもらった黒真珠の買取を断られ、宝石店が横浜レーヨンの社員の表彰用に売った金のメダルが社員には配られないまま会長と社長が着服しいると脅すように話して帰り、立花が横浜レーヨン管財課長の工藤に相談する。横浜レーヨンでは宝石の件を隠したい社長と佐野専務と総務部管財課、社長の座を狙う岡専務と岡の専属秘書を狙う靖子、父親の手帳がほしい西池係長が各自手帳をほしがる。手帳を買い取りに総務部長の大橋が恒子に会いに行くと、恒子はゴルフ場建設で工藤がリベートを受け取っていることをペラペラしゃべり、証拠はあるけど西池から聞いたものではないし手帳はないといって、手帳を買い取る話を断る。恒子の恋人の岩沢裕輔は恒子の母親に結婚しないのかと聞かれて、一昨年興信所を使って恒子を調べたら恒子は内海という老人と付き合っていたと告げて、恒子とは結婚する気がないという。靖子が探りを入れに恒子に会いに行くと、恒子は大橋部長の件を話して実は手帳を持っているとうちあけ、副社長が手帳で一生食べるだけのお金が入るかもしれないから自分にくれたと嘘をついて、暇つぶしにマスコミに漏らそうかと言い出し、岡を社長にしたい靖子もそれに賭けてみたくなって岡を恒子に合わせ、岡も社長になるために手帳を買いたがる。恒子は裕輔に別れ話をされて内海夫妻に気に入られているから結婚したらマンションをもらえると言い出し、岡は千万以上で手帳を買うつもりでいる。工藤は遺族に正式に手帳を返還してもらうつもりで弁護士同伴で恒子に会うと、恒子は手帳は黒真珠と同じくもらったものだから返さないと言って暇だから裁判する準備もできているしマスコミにコピーを送ると言い出し、工藤も慌てて買いたがる。●感想三人称。主人公のニートの恒子がほんわかして何を考えているのかよくわからず、『醜聞』という硬いタイトルから醜聞を隠そうとする企業の硬派な経済小説を期待すると期待はずれで、ポルノまじりのほんわかサスペンス小説というゆるい感じ。1985年の小説で、このゆるさはバブル時代の楽観主義のせいなのか、企業を脅迫しているのに緊迫感がないという独特な小説になっている。会社側の登場人物に個性が乏しく、どの登場人物も平凡で危機感や緊迫感がないのはよくない。偉い人の秘密が書かれた手帳を手に入れて云々というのはどこかで聞いたことがある設定なので特に目新しさは無く、プロットとしては手帳に何が書かれているのか、恒子が手帳の中身をどこまで知っているのか、恒子が何をしようとしているのかが読者にも明かされないまま横浜レーヨン側が恒子に翻弄されて手帳の値段が吊りあがっていくという展開で、もともと横領をしていた社長側に非があるので、恒子のマスコミへのリークを含めた企業の脅迫が勧善懲悪的な含みを持たせているものの、最終的なオチがつかないまま手帳の金額が上がるのを予測させて終わりというのは長編のオチとしては意外性がない。恒子の存在が物語を特徴付けているものの、他の登場人物が平凡なせいでユーモア不足でエンタメになりきれていないし、ポルノというほどエロエロしくもなく、物語にしまりがなく短中篇程度のネタを引き伸ばした感じで長編の割には見せ場が乏しい。★★★☆☆【中古】 醜聞 角川文庫/清水一行【著】 【中古】afb価格:108円(税込、送料別) (2016/7/30時点)
2016.07.30
コメント(0)
![]()
立花倉庫の経営権をめぐる仕手筋の株の買占めの攻防戦を書いた経済小説。1996年刊行の『仕手株地獄』を改題、推敲して文庫版になったらしい。●あらすじ立花倉庫の藤原総務部長は自社株を買い集めているのがユタカ投資顧問と正体不明の大久保弁護士と信託銀行だと突き止めて、手を打とうとする。ユタカ会の大島は部下の大庭の裏切りを警戒しながらキャピタルゲイン目的で株を買い集めていると、大庭はユタカ会の会員の大久保から素性の知れない200億の委託金を集めていた。藤原は筆頭株主になった大久保と接触して背後の総会屋を警戒し、大島にも会って株の買取を持ちかけ、大島は条件のいいほうに売るつもりで売り渋る。大久保は転換社債を買い占めて過半数の株を手に入れたと経営陣にゆさぶりをかけ、残りの浮動株が少なくなってユタカ会が保有する9パーセントの行方が重要になると、大久保は株を買う交渉をやめて株主議決権の委任状を買い取る交渉をはじめるものの交渉が決裂し、大久保は大島を敵視して脅迫する。その後日経平均が暴落するもののユタカ会は買い向かって資金がたりなくなり、大久保に200億を引き出すといわれて資金繰りが苦しくなり、立花倉庫に株を売る話をまとめたところ、大庭が金庫の預り証を盗んで行方をくらまし、証券会社に預けていた株を大久保に渡す計画が露見する。大島の恋人の御園尚が行方不明になり、大島は警察の伝手を使って尚を捜索して、証券会社に根回しして大庭と大久保に対抗する手段を整える。大久保は麻薬の輸入で実刑を受けて弁護士資格が剥奪されているとわかり、大久保が麻薬の入手ルート確保のために立花倉庫を狙っていると八島は気付き、大庭が持ち逃げした66億円分を見逃す代わりに大久保の出資金200億円を返さないことにして、ユタカ会が所有する株をすべて大庭が所属する福地証券に買わせたまま入金せず、出資金を会員に返却してユタカ会をつぶして自分は逃げることでけりをつける。●感想三人称で、株を買い占められて経営権をとられることを防ごうとする立花倉庫の藤原総務部長、謎の至近で経営権を狙う大久保、出資法違反の金で立花倉庫株を買うユタカ投資顧問の所長の大島を交互に書く形式。経営権をめぐる仕手の攻防戦というプロット自体は本来はスリリングな展開になるはずなのだろうけど、登場人物の外面描写が乏しく人物に個性や存在感がないので売るか売らないかという心理戦があまり面白くない。序盤の主要登場人物の一人である藤原は中盤からは登場しなくなってただの物語の進行役でしかなくなっているし、敵役の大久保の人間性が見えないのもよくないし、大庭に至っては最初からコテコテの裏切り者役として登場してプロットに意外性もない。純文学に比べて文彩がなく登場人物に人間味もないので、大島と尚や千恵子の恋愛要素を盛り込んでも脱線気味になるだけで物語の面白さにつながっていない。千恵子がユタカ投資顧問の事務員のくせに株の知識が乏しく、登場人物としての見せ場がないのもよくない。日経平均が3万5千円を超えた1980年代後半のバブル時代が舞台で、当時の腰掛OLは株の知識なんかなくても事務員が務まったのだろうけれど、鉄火場で素人くさい登場人物がのそのそ恋愛ごっこをしていると緊迫感がそがれてしまって邪魔。千恵子は大庭が立花倉庫の預り証を持ち出したことを八島にすぐに伝えずにうだうだしているし、八島は大庭を管理し切れていないし、八島が大久保の素性をよく調べないで後になってからくりびつしてる有様だし、頭の切れる人同士が裏をかきあう頭脳戦をするのでなく、主人公の間抜けさが原因でごたごたするようなヒーロー不在の話は読者にとって面白いどころかむしろいらいらする。ネットで株を売買する現代人にとっては賞味期限切れの話で、電話で株券を売買していた頃の兜町の雰囲気を味わう小説として読むとよいのかもしれない。★★★☆☆金まみれのシマ【電子書籍】[ 清水 一行 ]価格:648円 (2016/7/30時点)
2016.07.30
コメント(0)
私は読み終わった本を実家の自分の部屋に置いていたのだけれど、夏休みに実家に帰省した際に親父に本棚が重すぎて床がたわむから本を捨てろと言われた。もう本を置く場所も無いし、ほうっておくと親父に勝手に本を捨てられかねないので、いらない本を捨てることにした。本は新品であれ中古であれお金を出して買ったものだし、まだ読めるものを捨てるのはもったいない。しかしコレクションというのは広い屋敷に住む大富豪にのみ許される贅沢なので、私のような狭い部屋に住む貧乏人にはコレクションを諦めて、本棚に入りきらない本は捨てるしかない。くだらない本をホイホイ買うのがいかんのだと戒めつつ本を捨てる決心をするわけである。●捨てる本の基準・再読しない本はいらないエンタメ小説はたいてい暇つぶしのための読み捨てで、一度読んで評価が定まると作家のファンでない限りもう再読しないので真っ先に捨てる本の対象になった。私の基準だと★3つ以下のエンタメ小説は捨てる。若い頃にはまった江戸川乱歩、横溝正史、綾辻行人、有栖川有栖、法月倫太郎、我孫子武丸、竹本健二、京極夏彦、宮部みゆきとかのミステリ100冊程はこの際ごっそり捨てることにする。学生のときに授業の教科書として無理やり買わされたつまらない本ももう読まないので捨てることにする。・いつでも手に入る本はいらないベストセラー本はたいていブックオフで売っているし、ブックオフに無くても図書館を探せばあるし、引用の必要性とかでどうしても再読の必要があるときでもどうにか手に入れる手段がある。となると本棚を圧迫してまで残す必要があるのかと考えると、捨ててもいいかなと思えてくる。・情報価値の無い本はいらない実用書は法律や社会状況が変わると役に立たなくなったりする。法律関係や経済関係で古いものは実用としての価値がなくなっているのでいらない。・電子化できる本はいらない青空文庫で電子書籍化された古典小説などはわざわざ本として手元に残さなくてもよい。自炊セットを持っている人は捨てるくらいなら自分で電子化するという選択肢もあるだろうけれど、私は自炊セットを買う金がないし、実家の蔵書を何百冊も自炊するほどまとまった時間がとれないし、再読しないような本をわざわざ手間をかけて自炊したくないし、再読するような本は自炊せずにそのまま読んだほうが楽なのである。・かさばる本はいらない本棚というのは本の特等席であり、本を置ける場所が限られているので、文庫本や新書よりも場所をとる単行本や大型本の選別がシビアになる。かさばる以上は相応の価値がなければならない。文庫なら残してもいいけど単行本ならいらないのは芥川賞や直木賞やその他文学賞の受賞作やエッセイなど。・重複している本はいらない本棚を調べてみると、古典の全集と文庫本で重複しているものがあったので、文庫のほうを捨てることにする。親父の蔵書と重複している本もあった。・雑誌はいらない雑誌は表紙がペラペラで長期保存に向いていないので基本的に捨てる。どうしても取っておきたいような部分だけ切り抜くなりして残せばよい。●残す本の基準・好きな作家の本は残す本棚の上段の特等席にはやはり好きな作家の本が鎮座するべきである。好きな作家の本が既に本棚の定位置を占めていたので、ここは基本的に変動しない。・面白い本は残す友人にお勧めして貸しても恥ずかしくないレベルの本は残す。私の基準だと★4つ以上で、この本はどこそこが面白いと具体的に言えるような本は基本的に残す。つまらない本を友人に貸してしまっては読書家の面子が丸つぶれである。・翻訳小説や絶版本などの入手しにくい本は残す翻訳小説はなかなか手に入らないことが多いし、古典でも青空文庫になかったりするので、よほどつまらないものでない限りは残しておく。・高い本は残す学術書や辞書や図鑑は頻繁に読むわけでもないものの、中古ではほとんど売ってなくて、買うとなると高いうえにいざ参照が必要になったときに絶版の可能性もある。私は付箋を貼ってメモしておくやり方で面白そうなところを覚えておくので、図書館で借りて済ますというわけにはいかないので残しておく。・作家の代表作は残す芸術作品を芸術たらしめるものは他の作品との差異である。ということで、好きでない作家の本でも文体やら言葉遣いやらを他の作家と比較するために、サンプルとして作家一人につき一冊は残しておきたいのである。文学賞の受賞作のよさげな長編や短編集を一冊残しておけばいいかなという感じ。多作で凡作が多い現代の作家の小説は代表作っぽいものを少しだけ残して他はごっそり捨てることにした。新人作家となると新人賞受賞作や芥川賞受賞作が代表作で他にめぼしい作品もないような作家が多いので、わざわざ本棚に残す価値があるかと考えると微妙。・特徴がある本は残す主義や時代を反映した特長がある小説は作品単体では大して面白くなくても、通史的に他の作品と比較してみるとユニークだったりするので、他の本と一緒に残しておくことに何かしら再読の価値があったり再発見があったりするかもしれないのでとりあえず残しておく。私は今は気が向くままに国も時代もジャンルもばらばらに読んでいるけれど、暇なときに古いものから順に読み直したり、ジャンル別に読み直したりしたいのである。●結果というわけで実家の蔵書選抜総選挙の結果は、好きな作家の本、手に入りにくい翻訳小説や洋書、青空文庫にない古典、各作家の代表作、詩集、哲学書、学術書、画集、楽譜、図鑑、辞書などが本棚に残って、エンタメ小説、純文学の凡作、好きでもない作家のエッセイ、青空文庫にある古典、古い実用書などは捨てることになった。ミステリとさよならするのは名残おしいものの、文学マスターになった今の私がミステリを再読したとしても文章の粗が気になって若い頃のように犯人探しを楽しめないだろうし、好みが変わってしまうのはしょうがない。最終的に400冊くらい捨てることになったけれど、もともと選抜してあった本の大半が定位置に残っていて本棚からあぶれたような本を捨てたので、多少本棚の見栄えがよくなっただけでいまだに本棚に空きがないので困った。
2016.07.29
コメント(0)
日本文学振興会が「人生に、文学を。」プロジェクトというのを開始して、文学を知らなければ、目に見えるものしか見えないじゃないか。文学を知らなければ、どうやって人生を想像するのだ(アニメか?)というコピーを朝日新聞の広告に載せてアニメファンを煽ったことで批判されている。コピーを考えたのは電通テックだそうな。人生に文学をなどと大層なことを言いつつアニメファンからも文学ファンからも批判されてしまったこのコピーの何が問題なのか考えることにする。・なぜアニメなのか?わざわざ他業種を絡めたコピーにしたのは若者の読書離れを意識したのだろう。今までは少年期に漫画やアニメやゲームに没頭しても大人になってからは子供向けの娯楽から離れて大人の娯楽である小説に移行するはずだったのに、サブカルチャーが人気になっておたくが恥ずかしい存在ではなくなり、大人になってもいつまでも漫画やアニメやゲームから離れないまま小説を読まなくなったことに文学振興会は危機感を持っているのかもしれない。じゃあなぜ漫画やゲームでなくアニメだけを槍玉に挙げたのか。漫画か?ゲームか?でもよかったはずである。日本文学振興会はアニメでは人生を想像できないと蔑視する意図はなく、アニメだけでいいのかという意図だと弁明している。アニメは本来は映画と同様に様々なテーマを表現できるのだけれど、スポンサーをどうするのか、テレビの視聴率はとれるのか、DVDは売れるのか、という採算を考えると漫画やゲームほどの表現の多様性はなくなる。アニメが文学に比べて表現手法として劣っているというわけではなく、マーケットとしての多様性が乏しいので、アニメだけでいいのか?というのは文学側の消費者拡大のアプローチとしてはありうる。アニメで人生を想像できなくはないだろうけれど、その人生の想像の範囲はかなり狭いものになるので、アニメだけでなく文学も読んで人生を想像しようじゃないかということで、文字と映像との対比で漫画やゲームでなくアニメのみを引き合いに出すというのは一応筋が通る話である。しかしアニメファンを煽って敵に回しただけで結果的に失敗だったし、こんな頭にくるやりかたでアニメファンがじゃあ文学も読んでみようかと思うはずもない。・文学とアニメは二項対立にはならないウィーダ『フランダースの犬』、モンゴメリ『赤毛のアン』、オールコット『若草物語』、バーネット『小公女』などの世界名作劇場でおなじみのアニメの名作は小説が原作である。日本のアニメの代表格であるスタジオジブリの作品にも『ハウルの動く城』とか『海が聞こえる』とか小説の原作があるものもある。小説版とアニメ版のどちらが優れているというわけでもなく、小説もアニメもそれぞれ違った良さがある。原作の小説は人生を想像できてアニメ版は人生を想像できないというのはおかしな話で、コピーを作った電通の人や日本文学振興会は小説原作のアニメがあるということさえ知らなかったのだろうか。ちょっと考えれば文学とアニメをジャンルとして対比させるのは矛盾していることに気付くはずである。それなのにあえてアニメか?などとアニメを名指ししたのはアニメを文学より劣るジャンルとして見ていて、小説と同じストーリーでもアニメ版では人生を想像できないというアニメ蔑視が根底にあるように見える。それにもし文学と対比される映像ジャンルがあるとしたら、小説と同じフィクションであるゲームや漫画やアニメではなく、ノンフィクションであるYouTubeやニコニコ動画やツイキャスの動画配信ではないかと私は思う。百聞は一見に如かずというやつで、たとえば人物や風景の外観を文章でくどくど説明するよりも動画で見せたほうが一瞬で伝わるし、リアリティでは文章は実際の映像がもつ視覚的・聴覚的情報量にはかなわない。動画配信者の一般人が私生活をさらけ出すようになったことで、作家の私生活を書いた私小説やエッセイの存在意義が薄れつつある。タレントというほど知名度も無いvloggerの私生活や旅行や料理の動画が数十万viewがあってコメント欄も賑わうのに対して、作家がウェブで連載する無料コラムとかは特に人気があるわけでもない。私生活を面白おかしく切り売りするという作家の食い扶持が動画配信に奪われているわけで、これにはテクノロジーの進歩だけでなく、ニートや主婦が作家になって知的エリートでもなく日本文化に精通しているわけでもなく時事問題について洞察できるわけでもないという作家の劣化が招いた自業自得的な側面もある。なんであれ、文字と映像、想像と目に見えるものの比較対象としてアニメを持ち出したのはおかしい。・文学だけが人生を想像する手段ではない文学を読んで人生を想像できる側面がある一方で、我々は文学を読まなかったとしても親や教師や同僚や友人からも人生の教訓を学ぶわけで、各自一生懸命生きて経験からも人生を想像しているわけである。人生を想像するためだけに文学やアニメを見るわけでもないし、仕事や親の介護に疲れて童心に戻ってアニメに没頭してストレスを発散したいという大人だっているだろうし、どんな趣味を持とうが他人が口を出すのは余計なお世話である。・なんで芥川賞と直木賞だけなのか?日本文学振興会が文学として引き合いに出したのが芥川賞と直木賞だけというのはアニメとは関係なく問題である。日本文学振興会は文芸春秋が母体なので自社の文学賞を宣伝したいのだろうけど、あたかも芥川賞と直木賞が日本文学の代表であるかのように振舞うのは他の出版社に喧嘩を売っているように見える。それに年に二回の芥川賞と直木賞で複数受賞したとしても年に8冊程度で、日本文学振興会は人生に文学は年8冊程度で十分だと思っているのだろうか。もし芥川賞と直木賞以外にも本を読んでほしいというキャンペーンなら、わざわざ芥川賞と直木賞にだけ言及する意味がわからない。・文学はごみである萌えだろうがエロだろうが娯楽としての商品価値を提供するアニメに対して、娯楽でもなく芸術としても完成度が低い文学は何なのか(資源ごみか?)。日本文学振興会はアニメを引き合いに出して偉そうなことを言う前に、謙虚になって文学がごみだという自覚をして読む価値がある小説を出版するのに専念するのが先だろう。あるいは消しゴムで消えるインクで小説を印刷して、読み終わったら文章を消してメモ帳として使えるようにするとかしたほうが資源の節約になって小説が社会の役に立つかもしれない。・「人生に、文学を。」プロジェクトに賛同している企業は本当に賛同しているのか?経営者はほとんど文学を読まないし、文学の価値もたいして理解していないし、文学部の卒業生はあまり採用しない。そもそも経営者が文学を読んで社員の人生を想像できるのなら、いまのように格差社会にはならなかっただろうし、若者が使い捨てにされて単行本を買えないほど貧乏にはなっていなかっただろう。本音では文学なんてケツを拭く役にも立たないと思っているくせに、表向きはかっこつけたいから宣伝費を出して賛同するという企業の姿勢はださい。長編小説をじっくり読みたいから有給ほしいといったら会社は本当に賛同するのか、だれか社員の人は試してほしい。新聞社や印刷会社はともかく、文学に縁のなさそうな企業がキャンペーンに賛同している点がいっそう胡散臭さをかもし出している。賛同するんなら代表取締役のお勧めの小説でも出してみろっつーの。●まとめ「人生に、文学を。」プロジェクトはいろいろな点で突っ込みどころが多くて、出だしから失敗だった。こんなコピーを作るような連中に関わりあいたくないといううさんくさい雰囲気をかもし出してしまったのはもう取り返しがつかない。
2016.07.29
コメント(0)
![]()
浮気相手の看護師から子供ができたと言われたトランペット奏者が中絶させようとする話。●あらすじ一日目コンサートで小さな温泉町に立ち寄った有名なトランペット奏者のクリーマは一度寝ただけで二ヶ月間連絡しなかった浮気相手の看護師のルージェナから子供ができたと電話が来て怯えて、バンド仲間に女に中絶させるように助言を受け、クリーマの妻の元歌手のカミラは夫の女の影に怯えて夫を疑う。二日目クリーマがアメリカ人のバートレフに事情を話すと、別れ方によって成熟した男かどうかが決まると諭され、バートレフもかつて女を妊娠させたことがあると言い、バートレフに紹介された産婦人科医のドクター・スクレタに相談するもののスクレタはドラムができると言い出してクリーマとコンサートを開く計画に夢中になってしまう。クリーマはルージェナに会って中絶するように説得するもののルージェナは産みたがり、怪しい男が話があるといってルージュナに近づいてきたので逃げる。三日目スクレタのところにヤクブが訪ねてきて外国に行くといい、革命の指導者として処刑された友人の娘で後見人をしているオルガに会いに行く。オルガはルージェナの隣の部屋に住みながら湯治をしていて、ヤクブと父親について話す。ルージェナが看護婦仲間に中絶しようかと相談すると中絶したら捨てられると諭されて悩み、昨日の怪しい男(フランティシェク)がやってきて結婚しようと言うものの、ルージェナは彼との結婚は父親が反対しているし子供はほしくないと言う。ヤクブは公園の犬狩りからボクサー犬を助けてルージェナと揉め、またスクレタと話すとスクレタは国を出るためにバートレフの養子になりたがっていて説得を手伝えといって、バートレフとキリスト教について議論する。四日目カミラはクリーマが医者とコンサートをするというのは浮気のための嘘だと疑って温泉町に行くことにする。ルージェナは中絶しないとクリーマに告げている最中にヤクブとフランティシェクが自分を見ているのに気づいて動揺する。ヤクブがうっかり瓶の中に毒薬を入れてルージェナが瓶を持って行くのを止めなかったものの、やっぱりルージェナを探す。ルージェナは男に胸をもまれているのをカミラに見られて怒り、バートレフがやってきてルージェナを連れてコンサートに行き、コンサートの後にバートレフはルージュナとエッチして、オルガはヤクブとエッチして、クリーマはカミラとエッチする。五日目ヤクブはルージェナが死んでいなかったので毒薬は偽薬だったと思って安心して、外国に出発する前にカミラに一目ぼれしてスクレタの家に案内する。クリーマとルージェナは中絶の書類にサインする。フランティシェクはルージェナが中絶するつもりだと知って自分の子供は殺させないと怒り、ルージェナは毒薬を飲んで死んでしまい、取調べでフランティシェクはルージェナが子供を持つくらいなら自殺すると言っていたと言い、スクレタはフランティシェクが父親だがルージェナは中絶の許可のために既婚者のクリーマの手助けが必要だったのだと言ってクリーマと口裏を合わせる。バートレフはルージェナは自殺ではなく殺人だと警部と議論して、バートレフはスクレタを養子にして、オルガはヤクブがルージェナを殺したのだと確信する。●感想三人称で、五日間に章を分けて、一日のなかで節を短く区切って各登場人物の視点で書く形式。クンデラの自作解説によると五幕もののヴォードヴィル(予期せぬ誇張された偶然の一致を存分に活用することによって筋を引き正せる形式)として演劇的に様式化して同一のテンポで語っていて、ヨーロッパの偉大な小説はひとつの気晴らしで、気晴らしは深刻さを排除するものではなく、軽薄な形式と深刻な主題との結合がクンデラの野心で、この結合が私たちのドラマを恐るべき無意味さのうちに明らかにするものなのだそうな。登場人物に関してはクリーマはしょっちゅう浮気するくせに避妊せずにルージェナには自分以外に男がいると考えないでうろたえているあたりは間抜けで、プロットを優先したぶんリアリティは乏しくなっている。そもそも作者がヴォードヴィルとして誇張して書いたのでそれをリアリティがないと言うのは野暮なのだろうけど、クリーマのへたれな冒頭でそんな奴おれへんやろーと興ざめする読者もいるかもしれない。他の登場人物はなにかしら倒錯していているものの脇役にとどまらない存在感があり、倒錯している人同士でプロットがうまくかみ合っていて、恋愛小説と思いきや最後はミステリ的なオチになるという力技で、物語内で毒薬の存在感が強すぎるけれど、チェコの革命という背景があるからこそ倒錯したヤクブが毒薬を持ち歩いているという設定が成り立つ。このへんは深刻さと軽薄さがうまく結合しているんじゃなかろうか。ルージェナという性格が悪い浮気女が死んで、ヤクブには何のお咎めもないままめでたしめでたしという結末は私としてはインパクト不足で物足りない。毒薬が物語に登場した時点で登場人物の誰かが死ぬのは読者の予想の範囲内で、そのままルージェナが毒薬を飲んで死んでしまうというのは意外性がない終わり方。私はミステリ好きなので警部にはもうちょっと活躍して真相に近づいてほしかったし、ルージェナの父親や犬も途中から物語に出なくなってしまったので最後にもう一度出番を用意してほしかった。ヴォードヴィルとして偶然性をフル活用するなら、たとえばルージェナの父親が野良犬狩りをしているところにヤクブが通りかかってヤクブが興奮した犬から首を噛まれて死ぬとかの形で間接的にルージェナがヤクブに復讐して、そこにオルガが居合わせるという終わり方でもよかったんじゃなかろうか。テーマとしては遺伝子検査がなかった頃ならではの父親がだれかをめぐるトラブルで、遺伝子検査でさくっと子供の父親を判定して離婚だの慰謝料だのと効率的に別れ話を処理する現代人にとっては昔の人の苦労を見るようで面白い。話が進むごとに新展開があって各人がてんてこ舞をきりきり踊るので、読者が男性でも女性でもエンタメとして面白く読めるんじゃなかろうか。日本の恋愛小説は純愛系にしろ不倫エロ系にしろユーモアがなくてお涙頂戴やら不倫の開き直りやらのごり押しでプロットが単調なので、違う系統の恋愛小説を読みたいという人にはお勧め。★★★★☆別れのワルツ [ ミラン・クンデラ ]価格:928円(税込、送料無料)
2016.07.17
コメント(0)
![]()
1990年代の東京の中国人を取材して在日中国人の犯罪について書いた話。第一章 在日中国人の棲む街歌舞伎町のチャイニーズクラブの早番と遅番の仕組み、金を持ったホステスや偽装結婚やオーバーステイで警察にいけない中国人を狙う中国人犯罪の構図、中国人のドラッグパーティーのヤオトウ、青龍刀で敵対グループを暗殺しようとした快活林の事件などの話。第二章 中国残留孤児偽家族蛇頭による残留孤児ビジネスや戸籍の売買や渡航金がらみの事件などの話。第三章 入国管理局VS.不法入国者現金を狙っていた中国人が日本の暴力団とつながったことで日本の事情に詳しくなり、パチンコ詐欺やカード詐欺やピッキングで手形や有価証券も狙うようになった話。第四章 結託する日中黒社会偽造パスポートの技術の進歩やIT技術者の書類を偽造して日本に入国しようする中国人などの話。2000年に週刊文春に掲載された記事で、今では残留孤児に偽者が多いことが既に日本人に知れ渡っていたりパチンコが斜陽産業になったりして情報が時代遅れになった部分はあるものの、90年代の在日中国人の犯罪に興味がある人にとっては面白いかもしれない。今では外国人グループの派手な強盗殺人はあまり聞かなくなったけれど、昔はけっこう頻繁に凶悪事件が起きていたなと当時の雰囲気を思い出す。中国人旅行者のマナー違反なんかは犯罪で一山稼ぎに日本に来る爆窃団に比べたらかわいいもんである。移民推進派の経団連は移民の手癖の悪さを知ってて無視しているのか、あるいは自分は狙われないとでも思っているのか、ヨーロッパの惨状をみてもいまだに移民推進派がいるというのは日本が平和ボケしているということなのだろう。★★★☆☆潜入 在日中国人の犯罪シンジケート【電子書籍】[ 富坂 聰 ]価格:590円
2016.07.17
コメント(0)
![]()
小説の技法や自分の作品について語ったエッセイと対談と用語集とエルサレム賞の受賞講演。1986年刊行のL'art du romanの全訳。●個人的に面白かったところのまとめ・認識の情熱が人間を捉えるのが人間が人間の具体的な生活を探求し、存在忘却からこの具体的な生活を守るためであり、生の世界に絶えず照明を当てておくためで、小説だけが発見できるものを発見すること、これだけが小説の存在理由だとヘルマン・ブロッホがいう態度をクンデラは共にする。今まで未知のものであった実存の一部分すら発見することのない小説は不道徳で、認識こそ小説の唯一のモラル。・小説の精神とは複合性の精神と連続性の精神で、それぞれの作品は先行する作品への回答であり、それぞれの作品には小説の過去の経験がすでに含まれている。小説は全体主義的世界とは両立不可能で、クンデラは差し止め、検閲、イデオロギー的抑圧による小説の死を見届けた。共産主義国ロシアでは小説がたくさん発行されているが、もはや存在掌握の範囲を拡張せず、実存の新しい一片を何一つ発見せず、すでに語られたことを確認しているだけで、クンデラが小説の歴史と呼ぶ発見の継続にもはや参与しておらず、歴史の外に存在しているか、あるいは小説の歴史のあとの小説である。・小説は現実を探るのではなく実存を探る。実存は生起したものではなく、人間がなりうるあらゆる状態の、人間がなしうるすべての事柄の、つまりは人間の様々な可能性の領域であり、小説家はあれこれの人間の可能性を発見することで実存の地図をかく。小説の登場人物と世界はともにもろもろの可能性として理解する必要がある。カフカの世界は人間の世界の実現されていない可能性そのもの。・近代世界における人間存在の複合性を把握するためには省略、要約の技術が必要。人間学的な記憶の限界があるので、本を読み終えるときに始まりのところが覚えていられるべきで、そうでないと構成の明晰さが曇ってしまう。クンデラの至上命令は小説から小説的技術、小説的駄弁という自動装置を取り除いて密度の濃いものにすること。・フローベールによると小説家とはその作品の背後に身を隠したいと思っている者のことで、公的人間の役を放棄する。公的人間の役を引き受けることで、作品は作者の行為、声明、立場の選択などのたんなる付録とみなされてしまう危険がある。小説家はだれの代弁者でもない。・「人間は考え、神は笑う」というユダヤの諺がある。小説の知恵は哲学の知恵とは別のもので、理論的精神からではなくユーモアの精神から生まれた。現代の愚かさは無知を意味するのではなく、先入見の無思想を意味する。キッチは先入見の愚かさの美と感情の言葉への翻訳で、私たちが考え感じ取る凡庸さの上にそそぐ感動の涙から私たちを切り離す。アジェラスト(笑わない者)、先入見の無思想、キッチは神の笑いのこだまとして生まれた小説という芸術の敵。●感想実存主義、ブロッホ『夢遊病者たち』、プルースト、カフカ、ムージル、フローベールやクンデラの作品に言及するので理解するには相応の世界文学の予備知識が必要だけれど、特に難しい内容が書いてあるわけでもないので、クンデラが好きな人は買っても損はない。父親がピアニストで音楽的に小説を構成する小説技法や、チェコの共産化を経験した反全体主義的な小説観や、自作の翻訳が気に入らないから重要語を解説する用語集を作るあたりはクンデラらしくて面白いのだけれど、200ページほどしかなくてやや短めなのは物足りない。対談でさらっと流してしまった文学技法論をもうちょい掘り下げてほしかった。クンデラはロシアが小説の歩みを止めたと共産国家の例として挙げたけれど、知識人がごっそり処刑された中国のほうが小説の歩みを止めた例としては深刻なのかもしれない。日本は共産化しなかったのに小説が歩みを止めてしまったのはなんでなのかと考えてみると、戦後に芥川ショー直木ショーを中心に商業主義になったのと、老害選考委員に認められて賞をとらないとまともに作家扱いされないという権威主義になったせいで、すでに語られたことを確認するという段階から抜け出せなくなってしまったのだろうか。部署がころころ変わって純文学の専門家でもないサラリーマン編集者には文学を見る目がないがゆえに、編集者の責任逃れのために作家が選考して賞を与える仕組みがどうしても必要なのだろうし、本が売れなければ出版社もやっていけないので、いまさら商業主義と権威主義を覆すのは無理である。文学新人賞の傾向と対策みたいなくだらない本がわんさかあるし、もう日本では文学は芸術じゃなくて、作家のライセンスをとるためにお手本を真似してえらい人からお墨付きをもらう受験のようなものでしかないのかもしれない。そんでそうやって二匹目のどじょうの養殖に成功して売れっ子作家になった人が王様のブランチに出ておしゃれな作家をきどって、それを見てどじょうの養殖をしたがる人がますます増えて、どじょうだらけになってしまってどうじよう。←このギャグで笑わなかったあなたは芸術の敵である。★★★★☆【中古】 小説の精神 叢書・ウニベルシタス294/ミラン・クンデラ(著者),金井裕(訳者),浅野敏夫(訳者) 【中古】afb価格:1150円(税込、送料別)
2016.07.09
コメント(0)
![]()
80-90年代にアイドル化した村上春樹、俵万智、吉本ばなな、林真理子、上野千鶴子、立花隆、村上龍、田中康夫について、なんで売れたのか、批評家がどう評価してきたのか等にツッコミを入れつつ分析する作家論論。村上春樹:ゲーマーがゲーム喫茶ハルキランドにばらまかれた謎の解読に熱中してレベル上げを競うハルキ・クエストRPG。俵万智:物語形式の広告コピー風Jポエムで時代とシンクロした中高年男性のアイドル。吉本ばなな:少女マンガに影響を受けた一人称「あたし」のコバルト系少女小説。林真理子:言文一致で若い女の負の本音を書いてウーマンリブバブルで田舎物から有名人に成り上がって男社会で地位を手に入れたシンデレラガール。上野千鶴子:硬派な社会分析と軟派な猥談のバイリンギャルで論戦好きの百戦錬磨のヒーロー。立花隆:データマンを使って守備範囲が広い文系と理系のメッセンジャーだったが老化して批判されるようになった知のコンビニ。村上龍:おっちょこちょいパワーがあるワイドショー。田中康夫:口先だけの軟派な男から行動する正義の味方に転換したブランド思想家。淡々とした文章だけれど全体的に批判的でユーモラスな皮肉が効いていて、読み物としては退屈しなくてよい。男性作家の売れ方は個々に違うけれど、アイドル化した女性作家たちに共通しているのは中高年男性に受け入れられた点で、若いねえちゃんが評判らしいぞと新聞やら週刊誌やらで偉い批評家が肯定的に取り上げると普段本を読まないおっさんたちが興味を持って読むのだろう。名前しか知らないし作家論を読むつもりもないけど有名人だから一応どんな評価なのか知っておきたいという人や、80-90年代の文学の流行を知りたい人は面白く読めるんじゃなかろうか。★★★☆☆【中古】 文壇アイドル論 / 斎藤 美奈子 / 岩波書店 [単行本]【メール便送料無料】【あす楽対応】価格:258円(税込、送料別)
2016.07.05
コメント(0)
![]()
2006年と2011年の読書と創作についての9回の講演を改稿してすばるに掲載したもの。話し言葉で書かれていて大江の本の割には読みやすいので一般人向け。ハックルベリー・フィンやブレイクなどの話は『私という小説家の作り方』とかぶる部分もあるし、そっちを先に読んだ人で大江のファンでもないという人はわざわざ買って読むほどでもないかもしれない。個人的に面白かったのはエドワード・サイードを紹介したところで、「本を読むことを通じて、その本を書いている人間の精神が、どのように動いているのか、一人の人間が考えるということは、その精神がどのように働くものなのか、それを知ることであり、それを介して、人は発見する。いま自分がどんなに重要な問題に出会っているかを感じ取り、つまりは本当の自分に出会うこともできるようになる。そのようなチャンスを掴みとる読み方があるということを、サイードは教えてるわけなんです。この文章を書いている人の中で、いまこのような心の動き、精神の動きが現に行われているのだ、私らはそこに立ち会っているのだ、この人が大切なことを発見したと書くとき、自分も書き手のそばで、この人の心が、その人の精神が、かけがえのない物事を発見する瞬間に立ち会っていて、自分もそれに同調する、全体的な精神の働きをしているのだ、とサイードはいいたいんです」というのは私がつまらない純文学を未だに読む理由で、自分以外の人が何を経験して何を感じて表現しようとしたのかを知りたいがゆえに純文学を読むのである。私一人の経験だけで世界のすべてを理解できるのならそもそも他人が書いた本を読む必要はない。純文学の面白さは個々の作品よりもそれを書いた作者自身の魅力のほうが比重が大きく、優れた思想を持つ作家は一作だけでなく何作も傑作を書くものである。「一人の人間が考える」ということが重要で、考えることで作家は成長していくし、小説は作家が一人で長時間かけて自分の思想を煮詰めて書き上げるからこそ個性が出て芸術として成立するので、作家は孤独でなければならないし、岡嶋二人とか大森兄弟とかの合作の小説は私は読む気がしないし、編集者も事実誤認とか矛盾点とかの指摘はするべきだろうけど内容に介入するべきではないと思う。小説は漫画や映画ようなプロダクション形式で何人かで分業して表面的に面白いものができればよいというものではないし、それゆえにいくら漫画が小説よりも人気でも漫画は小説の代替にはならない。というわけで大人の読み物としての純文学の質を上げてほしいのである。★★★☆☆読む人間 [ 大江健三郎 ]価格:616円(税込、送料無料)
2016.07.05
コメント(0)
![]()
戦後の部落解放運動が本来の目的から逸脱して、ゆすりたかりで同和行政から金を引き出す行政闘争スタイルを確立して部落開放同盟と癒着した暴力団の資金源になり、同和減免や同和脱税で儲けてさらに勢力を拡大して、差別と人権を盾に暴力をエスカレートさせて教師を集団リンチしたり糾弾して自殺に追い込だり、教育に介入して学校を荒廃させていった様々な事件の経緯を書いた話。大手マスゴミが報道しないことを取材する姿勢はよい。私は部落が存在しない田舎の出身なので他人事として概ね面白く読んだけれど、ひとつ不満なのが章の構成で、部落解放運動の黒歴史が1章でなく3章に載っていて、個々の事件も時系列順やテーマ別に載っているわけでもなく、部落とはなんぞや、同和とはなんぞやということから調べないとわからない門外漢からしたら内容がわかりにくい。最近だと大企業のタックスヘイブンが話題になっているけれど、今でも七項目の確認事項は水面下で引き継がれていてタックスヘイブンで節税しなくても脱税している連中が大勢いるそうで、日本は経済犯罪に対して取り締まりも罰則も甘いことにあきれてしまう。関西のフリージャーナリスト集団のグループ・K21からは他にも関西の闇社会を書いた本が出ているので、同和関連の話題に興味がある人は読んでみるとよい。この同和利権の真相シリーズはベストセラーになって、反論として解同側から出版された『「同和利権の真相」の深層』という本があるけれど、こちらはamazonのレビューを見る限りでは反論として機能していないようなので読まなくてもいいかな。★★★★☆【中古】 同和利権の真相(1) 宝島社文庫/寺園敦史(著者),一ノ宮美成(著者) 【中古】afb価格:108円(税込、送料別)
2016.07.03
コメント(0)
![]()
62種類の日本と世界の楽器について書いた本で、1976-77年に朝日新聞に連載されたものをまとめた本。1つの楽器に1ページの材質や起源の解説と1-2点の写真が載っている形式で、138ページしかないうえに、楽器の年代も種類もばらばらに掲載されていて構成がよくない。オーケストラが第一オーボエのイ音で音を合わせるとか、古典派のティンパニはドとソの二つの音を供給するとか、レオナルド・ダ・ヴィンチはヴィオラ・ダ・ガンバの名手だったとか、雑学の小ネタとしては面白いものの資料にするには情報不足でわざわざ買うほどのものでもない。半分は写真なので実質的な文字量は62ページ分しかなく、1ページ30秒として30分もあれば読み終わるので、興味がある人は図書館でぱらぱら眺めて世界のマイナー楽器を探してみると面白いかもしれない。★★★☆☆【中古】 楽器への招待 新潮文庫/柴田南雄(著者) 【中古】afb価格:108円(税込、送料別)
2016.07.03
コメント(0)
全11件 (11件中 1-11件目)
1


![]()