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銀座の年増の女給の葉子が自殺する話。●あらすじ拾い子の葉子は戦前から20年ほど銀座で女給をして男をとっかえひっかえしてきたものの、37歳で貧乏な教師の松崎の妾をやめて、クララを経営するやり手の潤子に頼んで銀座の新しいバーのトンボで亜矢子と一緒にマダム扱いで働き始める。会計士の畑に気に入られて家に行くと、畑の血がつながっていない娘の松子に反抗的な態度を取られて過去の自分を思い出して畑との結婚をためらって母親や高島に相談して結婚話を断るうちに、亜矢子の元彼のテレビプロデューサーの清水に気に入られて亜矢子の陰謀で畑との結婚話がなくなり、昔葉子に惚れていた野方がトンボに現れると清水が葉子から離れる。野方は葉子を湯河原の旅館の女将にしようと安請け合いするものの、旅館の女将のお米に反対されたうえに、葉子のヒモになっている高島が気に入らなくなる。潤子が病気になると亜矢子が独立してトンボが売られて、葉子はクララでいち女給として働くことになり、松崎が葉子に会いに行って死ぬなと忠告するものの、高島のせいで野方と縁が切れて、葉子は遺書を残して服毒自殺する。●感想三人称。坂本睦子という女給がモデルで、大岡や他の作家の愛人だったらしい。実話を元にしたり登場人物のモデルがいたりしても別に悪いわけではないけれど、一から物語を作るのに比べてプロットに作家の想像力を活かしきれなくなってしまうし、ただの現実の後追いの物語ならば小説でなければならない必然性も乏しくなる。ガルシア=マルケスの『予告された殺人の記録』のように実際の殺人事件を元にしながらもマジックリアリズムの世界観を作り上げるとか、何かしらの小説ならでは工夫がほしいところ。大岡が戦争文学で見せたような観察眼が坂本睦子に対してあまり活かされていないようで、知り合いであるという強みを小説に活かせないのでは知り合いをモデルにする意味がない。Wikipediaの坂本睦子のページに高見順の『花影』批判が載っていて、実生活での差し障りがあって小説として最も面白い心の修羅場を書くのが不可能ならこの女性を小説で書くことはないのだというようなことを言っているけれど、その通りで、読者としては作者がモデルと知り合いかどうかはどうでもよく、フィクションとして面白くないのではそもそも読む意味がない。坂本睦子は文士との交流が多かったようなので、実在の作家を登場させればもっと面白くなったかもしれない。内容としては不幸な女性の半生を男性作家が哀れみの目線で書くという定番のパターンで、戦前戦後の混沌とした時代の話は波乱万丈の浮き沈みがあるから普通に書くだけでもそれなりに面白くなるけれど、濡れ場がカットされていてエロスがあるわけでもなく、葉子を奪い合う男同士の争いや潤子と亜矢子の争いが書かれるわけでもなく、身寄りのない年増女の心理や処世術の手練手管や自殺に至る心理を掘り下げるでもなく、特徴が乏しい話になっている。連載小説のせいか170ページほどの内容で18章に細かく分かれているせいで1章あたり10ページ程度の内容しかなくて描写不足気味で、中編小説というよりは長編小説のダイジェスト版を読んでいるような感じで、各場面をどう盛り上げて見せ場を作るかという演出の工夫が乏しく、いくら派手な女を主人公にしても男女の仲や喜怒哀楽を淡々と書くのでは物語の面白さを引き出せていない。坂本睦子を知っている文壇関係者が大勢いた昭和時代にはゴシップ的な面白さとか、戦前の生き方を戦後になっても変えられなくて飲んだくれる葉子の不器用さへの共感とかがあったのかもしれないけれど、現代人の読み物としてはいまいち物足りない。★★★☆☆花影【電子書籍】[ 大岡昇平 ]
2016.09.26
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吉井画廊会長の自伝。●各章あらすじ第一章 画商人生35歳で独立して他の画商との競合を避けるために外国の画家で勝負しようと決めて画廊を経営していた小説家の田村泰次郎の援助を受けてパリに絵を買いにいき、テレスコビッチ展を美智子妃殿下が見に来て東宮御所で美術談義をするようになったり、パリで梅原龍三郎と知り合ったりピカソやクラーベと交友した話。第二章 画商修行時代父親に画家になることを反対されて法学部に入るものの美大でモグリの聴講をして、三井鉱山に就職するもののすぐに会社をやめて弥生画廊で働いて貧乏暮らしをしながら結婚して、仕事で失敗したのをきっかけに画家をあきらめて画商を目指した話。第三章 巨匠ルオーが導いてくれた5億円でルオーの「パッシオン」の連作54点を買った話。第四章 画商と信用贋作にまつわる話や、梅原龍三郎の絵が盗難されて盗難前日に絵を見に来ていた佐藤栄作首相が捜査に協力した話。第五章 芸術家たちとの交流山梨県の清春に芸術村を作ろうとして、小林秀雄や武者小路実篤や志賀直哉や里見とんらの白樺派の作家に協力してもらって外国の巨匠が来訪したり、バブルで絵画の値段が上がったりして日本の若い画家はハングリー精神がないという話。第六章 昭和史を彩った作家、芸術家たち井伏鱒二、谷川俊太郎、小林秀雄、志賀直哉、岩波書店会長の小林勇、中川一政、梅原龍三郎のエピソード。●感想200ページほどしかなく、外国の画家で勝負するという割には外国の画家のエピソードの詳細がだいぶはしょられていて、後半では日本の作家や画家と交流した話が多くなっているあたりは物足りない。小林秀雄の家を買ったとか、武者小路実篤の娘婿の侃三郎が金遣いが荒くて実篤の絵を売りさばいていたとか、作家たちの私生活のエピソードは文学好きの人にはそれはそれで面白いのだが、どうやって画家から絵を買う交渉をして展覧会でいくらで売れるのか、誰が絵を買うのか、絵が売れ残ったらどうなるのか、他の画商との関係はどうなのかという画商の実務についてもうちょい掘り下げてほしいところ。画廊がどうやって利益を上げているのか、絵画に詳しくない人にはいまいちわからない。著者が画廊で働き始めた当時(1950年代後半)は画廊というのはマーケットにある作家だけを右から左に売るだけで若い新しい才能を見つけて育てていこうという気風がなく、著者は大家の作品を扱うだけでなく新しい才能を見出して発表の機会を提供して育てていくのが画商の真髄だと思い、売れなくても自分が感動した絵で展覧会をするようになったそうで、この姿勢はよい。その姿勢に共感した人が多いからこそ画廊の経営がうまくいったのだろう。純文学の編集者にも見習ってほしいもんである。★★★☆☆【中古】 銀座画廊物語 日本一の画商人生 角川文庫/吉井長三【著】 【中古】afb
2016.09.25
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猪から豚への家畜化、豚の種類、骨格、認知能力、睡眠時間、鳴き声、仲間との関係、病気、繁殖、豚舎の構造、栄養、動物福祉などについて書いた本。豊富な文献からデータや図を引用しつつ豚について包括的に書いてあってよい。これを読めば豚の生態についてたいていのことはわかる。養豚業の経営やマーケットについては著者の専門外のようでほとんどかかれておらず、豚の屠畜方法も書かれていないものの、そのへんは動物学のテーマからは外れる話題なのでしょうがない。内容が160ページ程で3700円弱するのは高い。さて私は養豚や屠畜の本を何冊か読んだ結果、一般人の割には豚に詳しくなったけれど、思い起こすと豚肉はよく買って食べるのに生きている豚を直接見たことがないのである。動物園では珍しい動物を客寄せにするので豚をあまり飼育しないし、観光地の牧場では牛や馬や羊やヤギはよく放牧されているけれど豚はあまりいないし、ペットショップでもハムスターやウサギは売っていてもミニブタはあまり売っていない、というわけで生きた豚を直接見たことがない人も多いんじゃなかろうかと思う。豚の生態を知った上で動物園に豚を見に行ったら面白そうなので、上野動物園が無料になるときに暇だったら豚を見に行くことにする。肉食のモラル、動物愛護、差別といった哲学のテーマについて考えるのもよいかもしれない。屠畜について書いた本は差別の話題を盛り込むくせに肉食とはなんぞや差別とはなんぞやということを哲学的次元で考えていないので、自分で考えるしかない。★★★★☆ブタの動物学 [ 田中智夫 ]
2016.09.14
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空から降ってきた雪のひとひらの生涯の話。●あらすじ空から雪のひとひら(♀)が降ってきて、子供に雪だるまに入れられたり、雪だるまを壊されて川を流れたりしていると、雨のしずく(♂)と出会って合体して子供が4人できて、消防士に火にぶっかけられて火を倒すものの雨のしずくが死んでしまい、子供たちはそれぞれの進路を選んで別れて、雪のひとひらは海で嵐にあったあと体力が衰えて臨終の間際に創造主について考えて、自分の生涯が創造主の計画への奉仕を目指していたのだと悟って死ぬ。●感想三人称。雪のひとひらを擬人化して女性にみたてて、童話風のですます調で展開する形式。7ページで「このわたしと、あたりいちめんのおびただしい兄弟姉妹たちをつくったのは、はたして何者だろう。そしてまた、なぜそんなことをしたのだろう?」という一神教的な考え方が早速でてくる。自分を作ったやつがいると考えるあたりはまあ許容しても、なぜそれが一人だと決め付けているのか。物語の開始早々宗教的価値観の押し付けがうざったく、こんな調子で物語が展開するのかと思うと読むのをやめたくなる。108円もの大金を払って買ったのでもったいないので最後まで読んだものの、危惧したとおりのキリスト教的価値観を疑いもせずにごり押しする展開。作中には普通に人間がでてくるし、雪や水滴ならではの独自の思考があるわけでもないので擬人化して人間風に思考させる意味がなく、普通に人間を書けばいい。ではなんで人間を直接書かないで雪のひとひらや水滴を擬人化するかというと、人間から個性を取り除いて抽象化するためで、さらには周りの水に流されるだけの無力で小さなな存在として強調するためだろう。もともと宗教自体が神様に頼ってなんとかしてもらうという現実逃避だけれど、この小説ではさらに雪や雨を擬人化したことで現実逃避を加速していて、その結果として作者の恣意的な宗教性がきもいくらいに浮かび上がるようになっている。天地創造をした神の計画に奉仕するために生きてそれで満足というのは人間の自由意志を否定して人間を神の家畜化する考え方で、これは小説というよりは世間知らずでノータリンな女性をリアリティのない物語と耳障りのいい言葉で現実逃避させて宗教に導くためのスピリチュアル本で、読むに値しない。新潮社の矢川澄子訳を読んだのだが、訳者のあとがきで「この個体はしかも、一滴の水です。人体の七〇パーセントを占めるという水、空気の次に生命の維持になくてはならないものとされるその水の最小単位が、ここでは主人公なのです」と書いているけれど、水の最小単位は水の分子である。雪のひとひらの結晶は氷の粒に水の分子が凝固しながら成長したものなので、水の一滴にしろ雪のひとひらにしろ水の最小単位ではなく、訳者の説明は間違っている。帯には「女友達に送りたい本 N*.1 世界中でベストセラー 女性にうまれてよかったー! 女ってサイコー! 女性が元気になれる本!」とものすごくアホっぽい煽り文句が書いてあって、帯を書いたやつをぶん殴りたくなる。この本では女性は社会の裏方として夫や子供や神に奉仕してればよいという古臭い女性蔑視の思想を主張しているわけだが、新潮社の編集者にとってはそれが女性にとってサイコーらしい。ファック。★☆☆☆☆雪のひとひら [ ポール・ギャリコ ]
2016.09.11
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芝浦屠場で内臓業者がただ働きで屠畜を手伝わされていたこと、横浜屠場で組合ができて差別行政を認めさせたこと、大阪・南港市場の仕事師の様子、四国日本ハム争議で組合が工場廃止を撤回させたことについて、文献とインタビューに基づいて書いた本。各屠場の歴史、屠畜職人になったきっかけ、待遇、技術習得の苦労などが書いてあり、著者は聞き手に徹している。著者はどの屠場も同じやり方で記事を書いているので屠畜職人の苦労話は似通っているし、豚と牛の話ばかりで内容が単調になっていて、分析や考察の視点が乏しい。公営の食肉センターと民間の食肉センターとの待遇の違いや怪我の補償がどうなっているかは書かれていないし、馬や羊や鶏などの屠畜についてはまったく書かれていないし、もうちょい屠場について包括的に掘り下げるか、あるいは逆に特定の話題に特化してほしいところ。詳しい話を知りたいからこういう本を読むわけで、広くて浅い話をされても期待はずれ。四国日本ハム争議については労組側にのみインタビューしていて四国日本ハム側にはインタビューしていないという中途半端な内容。「部落開放」という雑誌に連載されたようで、組合寄りにバイアスがかかった内容になっている。部落開放同盟の主張をなぞるだけならこの著者がわざわざ取材して書く意味はないと思うのだが。★★★☆☆ドキュメント屠場 [ 鎌田慧 ]
2016.09.11
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バリ島の豚の丸焼き、エジプトのラクダ、チェコのザビヤチカ、モンゴルの羊、韓国の犬、芝浦屠場、沖縄のヤギと豚、インドの羊、アメリカの牛など、世界の屠畜の様子について書いた旅行記。独自取材に基づいて書いていて、イラストが上手な点はよい。なぜ日本人は家畜を殺すことを怖がるのか、屠畜はかわいそうなのかと考察しているけれど、この辺の考察が浅い。屠畜場を取材したいのか、世界の肉食文化を紹介したいのか、屠畜業者への差別を考察したいのか、何を書きたいのか焦点が定まっていないのはよくない。外国では屠畜業者は差別されていないのに何で日本では差別されるのかよくわからないと著者の感想を言うだけで、文化的背景の考察が足りておらず、差別に関する部分が不自然に浮いている。もともとは『部落解放』という雑誌の連載のようだけれど、それで無理やり差別ネタをぶっこんだのだろうかというようなちぐはぐさがある。156ページで「日本の部落差別、屠畜労働への差別について調べていくと、必ず仏教の殺生戒に突きあたる。直接の原因かどうかはさておき、殺生戒は差別を助長するのに少なからず使われてきた考え方だと思う。」と言っているけれど、それなら漁師は魚を大量に殺しているし、鮮魚売り場では大量の魚を解体しているので、仏教の殺生戒がそれほど影響が強いなら漁師も屠畜業者と同様に差別されていたはずだろう。しかし和歌山県では部落差別があった反面、太地町では1606年から組織的な捕鯨が始まったらしくて歴史が古いのだけれど、太地町の漁師が鯨を殺生をしたから差別されたという話はなく、戦後の食糧不足の際の国民食になっているし、現代になって外国の反捕鯨活動家が難癖をつけてくるまでは捕鯨自体も特に問題視されていなかった。牛も豚も鯨も大きな哺乳類だけれど、屠畜業者は差別されて漁師は差別されないというのは仏教の殺生戒では説明がつかない。となると差別の原因になりそうなのは675年から1872年まで出されていた肉食禁止令で、牛、馬、犬、猿、鶏は禁止されて、一方で鹿や猪や鳥や鯨や魚は禁止されなかった。仏教に殺生戒があったところで、日本の最高権力者である天皇が殺すことを禁じているわけでもない魚や鯨や鹿や猪や熊を殺したところで敬虔な仏教徒以外には何も問題はないわけである。著者はその点を考察せずに屠畜業者は差別されているという段階で思考停止してしまっている。著者は日本の屠畜についての本がほとんどないことについて、12ページのまえがきで「このような状況は、日本でこの仕事にかかわる人々が、ずっと昔から差別を受けてきたことと、深く関係してるんだということはわかっていた。」と日本の畜産業者は差別されたと日本をひとくくりにしているけれど、日本でも屠畜業者の差別がある地域と差別がない地域があるし、日本での差別を問題にしたいのなら外国と比較するより、日本国内で差別があった地域と差別がなかった地域の違いは何なのかを考察するべきじゃなかろうか。東北や北海道には平安時代や鎌倉時代からマタギがいて熊を殺しているけれど、マタギ差別どころか部落差別そのものがない。沖縄では中国の冊封使節団の食料調達のために1713年に豚の増産をしたようで、戦後に本格的な養豚を始めた本土に比べて養豚の歴史が古いけれど、沖縄にも屠畜業者への差別はないのに、著者が言うような「ずっと昔から差別を受けてきた」というのはいつの時代の何を指しているのかが不明。第九章では沖縄を取材して本土のような差別はないよと直接言われているし、屠畜したからといって差別されるわけではないのに、著者は屠畜業者は差別をされるものだという偏見を持って取材していて、いわゆる被差別部落地域に対する差別と屠畜業への差別という別個の問題をごっちゃにしているようである。外国では屠畜業者は差別されていないどころか尊敬されている→日本でも差別されるべきでないという論旨を展開したいのだろうけれど、屠畜業者への差別のあるなしは日本国内の地域性の問題なのでそもそも外国を引き合いに出す必要がない。そもそも差別のあるなしにかかわらず、需要がなければ誰も本を書かないというだけの話である。主婦が家で魚をさばくのとはちがって、豚や牛は一般家庭で日常的に解体するものじゃないのだから、屠畜に関する本が少ないからといって差別というわけじゃないだろう。農業高校や農業大学で屠畜についての知識が必要な人へのテキストは既にいきわたっているし、差別されているせいで不当に屠畜に屠畜についての本がないということはないし、本の数が多ければよいというものでもなく、本の数が少なくても必要とする人に十分な情報が伝わっていればそれでいいのである。それに見て覚える職人技についての本を書いたところでその業界で職人を目指す人以外にはあまり役にたたないわけで、宮大工や庭師のように一流の職人になれば日本中でひっぱりだこになるような花形的な職人とは違って、一流の職人になったところで独立して会社を興して大儲けできるわけでもない屠畜業界についての本を書いてもしょうがないので誰も書いてこなかったのだろう。たとえば和菓子の菓子木型職人や漆掻き用の刃物を作る職人は途絶えようとしているし、その仕事について書いた本も少ないけれど、だからといって菓子木型職人や漆掻き用の刃物を作る職人が差別されているというわけではない。屠畜について書いた本が少ないから差別と関係していると短絡的に結論付ける著者の意見はおかしい。屠畜の様子を取材した部分は面白いものの、くだけすぎた文章と著者の意見の押し付けのせいで逆に面白さを損ねていていろいろ残念な感じなので、同じテーマで別の人に本を書いてほしい。各国の歴史なり食文化なり宗教なり食料政策なりいろいろな視点から分析しうるテーマだけれど、著者のように屠畜業者は差別されてるのかと決め打ちで聞いて回るようなやり方ではテーマの面白さを引き出し切れていない。差別されてますかと聞きまわって、差別されてないと当事者が言ってもいや差別がなかったことにはならないと屠畜業者はみな差別されていると決め付けて、何で差別されるのかわからないと不思議がるというワンパターンな展開に飽きてくるというか、差別を連呼して思考停止する態度にイライラする。★★★☆☆世界屠畜紀行 [ 内沢旬子 ]
2016.09.03
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