三角猫の巣窟
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作家のサルときちがいのディーンがアメリカじゅうを車で旅行する話。●あらすじ第一部:ニューヨークの大学生で叔母の家で暮らす作家のサル・パラダイスは妻と別れて間もなく、少年院上がりのディーン・モリアーティと出会って仲良くなる。サルが西部旅行の準備をしている間に仲間は先にデンヴァーに行き、1947年の7月にはサンフランシスコのレミ・ボンクールから世界一周定期船にのって出かけようと手紙が来たので、サルは西海岸までヒッチハイクで旅を始める。デンヴァーに着くと仲間たちはディーンとカーロを仲間はずれにする計画をしていて、カーロに事情を聞くとディーンは二股をかけていて妻のメリールウと離婚してカミールと付き合うつもりでいた。ヒッチハイク中に会ったエディもデンヴァーにやってきて、ディーンたちは酒場で暴れ周り、サルは彼らの目的のない人生に共感できなかったので一人でサンフランシスコのレミとリー・アンの家に行くものの、レミはサルに臨時警備員の仕事を世話して船の話をはぐらかし、玉の輿狙いのリーはレミと別れ話をはじめて揉めたので、サルはサンフランシスコを去ってロサンゼルスに向かい、途中で会ったメキシコ人のテリーを恋人にしてニューヨークまでヒッチハイクするつもりでいて、途中でテリーの家に寄ると彼女には息子がいたので、綿花を摘んで金を稼いだ後でテリーを置いてニューヨークに戻る。第二部:1年後にサルはニューヨークに来たディーンと再会する。ディーンは鉄道会社に勤めていたものの突然狂って車を買って破産し、元妻メリールウとやり直すことにしてカミールを置いてメリールウと元同僚のエド・ダンケルと一緒にやってくる。サルはカーロに無為な放蕩生活を諭されるもののまた西部旅行に行きたくなってディーンの車に乗り、エドが妻のガラティアを置き去りにしてきたのでニュー・オーリンズに行ってエドを降ろした後、ヒッチハイクの人たちを車に乗せながらサンフランシスコに向かい、着いたとたんにディーンは無一文のサルとメリールウを置いてカミールに会いに行ってしまったので、しばらくサルはメリールウのつてを頼って暮らしていると、ようやくディーンがサルを助けに来てカミールの家に連れて行く。第三部:1949年の春にサルはデンヴァーに行って落ち着くつもりだったものの、ディーンはマリファナを吸いすぎて譫妄状態になって淫売しているメリールウに一緒に死のうと頼んだあげくに別れて指を怪我してアスピリン漬けの馬鹿になっていてカミールから家を追い出されたので、サルはディーンに一緒にイタリアに行こうと持ちかけ、酒場でジャズを聴いて騒いでからニューヨークに向かうことにして、ホモが運転するカンザス行きの乗り合いタクシーに乗って、デンヴァーでディーンが父親を探し、シカゴまでキャデラックを運ぶ仕事を引き受けて、事故を起こしてぼろぼろになった車を持ち主に渡して逃げて、ニューヨークの叔母の新居に着くと、ディーンがカミールと離婚交渉したりアイネズと子供を作ったりしてなんだかんだでイタリアには行かなかった。第四部:ディーンは父親が刑務所にいると知ってニューヨークではおとなしく生活していたものの、ベッドの下にトランクを置いていつでも家を追い出される準備ができていた。サルはディーンを置いてデンヴァーに行ってメキシコ旅行の準備をしていると、ディーンが車でやってきたのでスタンもメキシコに連れて行くことにして、酒場で大騒ぎしてから出発して、メキシコのグレゴリアで知り合ったヴィクトールからマリファナと女を買い、メキシコシティでサルが赤痢になって意識不明になると、ディーンはカミールと離婚したからニューヨークでアイネズと一緒になると言ってサルとスタンを置いて行ってしまう。第五部:ディーンはアイネズと結婚したもののサンフランシスコに行ってカミールと二人の娘たちと暮らし始める。秋にサルはニューヨークへの帰途につき、ローラが恋人になって、サンフランシスコに移る計画をディーンに伝えると、トラックの用意ができる前にディーンがやってくる。サルはディーンとレミを会わせるものの二人はそりが合わず、レミたちとコンサートに行くためにディーンを置いていき、ずっとディーンのことを考える。●感想語り手のサル(ぼく)の一人称で、回想形式。作者が体験したことをフィクションとして書く、日本で言うところの私小説の形式。アメリカの東西を何度も往復しているものの、長旅の仔細は端折って印象的な出来事だけをピックアップしているのでさくさく話が進んでいく。この辺の物語展開のペースの速さはビート世代らしい特徴がでている。第二次世界大戦後のひとつの時代を生きた個人の体験をつぶさに書いていて、アメリカの無産階級の生活やドラッグやジャズの文化や一期一会の人情をよく描いている。私にはディーンのようなきちがいの友人たちがいるのでなおさら面白く感じる。日本人読者だとアメリカの地名は良く知らないので巻末の地図を何度も参照しないとどのルートを通っているか理解できないし、登場人物も多いし、日本語としてこなれていない翻訳なので読みにくい。作中にドラッグが出てくるものの、いかれているのはディーンとかの周辺の人物で、語り手のサル自身は周りの人間を冷静に観察しているので、バロウズの『裸のランチ』に比べたら読みやすいものの、ページにみっしり文字が詰まっているうえに430ページほどある長編なので、読むのにだいぶ時間がかかってしまった。現代だとこういうコンテンツを作ろうとすると、ビデオカメラを片手に持ってヒッチハイクの動画を取って編集して逐次YouTubeにアップロードしていくような形になるだろうし、作者が数年かけて体験したことを記憶の中で整理してから体験と想像を混ぜて物語として書くタイプの長編小説は今後はあまり創作されないかもしれない。動画が一般的でなく、必死に言葉で状況や心情を綴ろうとした時代の作品だからこそ昔の小説には言葉に価値があり、言葉が想起させる空想にも魅力がある。そういう点ではユニークな小説である。最近『パリ・オペラ座のすべて』というドキュメンタリー映画を見たのだけれど、芸術監督のブリジット・ルフェーブルは質が落ちたら無価値なのだとダンサーを叱っていた。名門のオペラ座がそれだけの危機感を持っている一方で、文学業界にはどういうわけかあまり危機感がないようで、小説を映画化するのがコンテンツのゴールとでも思っているようなふしさえある。作家が言葉で表現することの価値を追求せず、読者が小説を読むことに価値を見出せなくなれば、文学は映画やアニメの原作として下位互換扱いされて動画に代替されてしまうだろう。『路上』も2012年に映画化されたけれど、なんでもかんでも映画化すればよいというものでもない。芸術は質が落ちたら無価値だけれど、逆に一定以上の質を持った小説は古典として価値を持ち続ける。現代の作家がろくに人生経験を経ずに妄想と言葉遊びでひねり出した小説とは違って、この小説には同時代を生きた作家にしか書きえない人間の生き様が書かれている。というわけで、この小説は読みにくさを差し引いても読む価値がある小説だと思うので、若くて暇な人はぜひ読んでみるとよいでしょう。★★★★☆【中古】 路上 河出文庫/ジャック・ケルアック(著者),福田実(訳者) 【中古】afb
2016.11.23
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