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レイプ事件の被害者の敦子が出所した犯人の押本に命を狙われたので、女探偵のみどりを雇って対処するもののみどりもDVのストーカーされていたのでなんとかする話。2013年に「群像」に連載された長編小説。●あらすじ1:映画関係の仕事をしている野添敦子は1990年に26歳だったときに押本史夫にレイプされ、7ヵ月後の地裁判決で押本が懲役八年の刑になったと法廷ウォッチャーの須山徹に教えられ、須山の「法廷春秋」に自分の事件を掲載することは拒むものの結局出版されてしまい、出版を祝う会で会った瀬戸から押本が野添に復讐したがっているという話を聞く。2:桑村みどりは夫が浮気したので離婚して探偵社で働いていて、付き合った久我春彦がDV男だったのでこっそり行方をくらましたものの、自宅を突き止められてヌード写真を撮ったら解放するといわれるものの断り、久我を警戒しつつも保険金殺人の疑いがある「葉山シーカヤック案件」を依頼人の保険会社の浅野と一緒に調査する。3:判決から7年目の5ヶ月目になって押本の出所が近づいてきたので、野添は押本が復讐したがっているかどうか知るために探偵を雇うことにして、瀬戸から敏腕探偵の桑村みどりを紹介される。4:押本は出所して、刑務所で取立て屋から聞いた債務者の転居先を調べる方法を使って敦子の住所を調べ始め、みどりは敦子が押本から逃げるのでなく対決するときまでフォローすると言い出す。5:久我はみどりのマンションに侵入するために屋上に行くものの住人に気づかれて警察に連行される。久我は元カメラマンで遺産で金持ちになるものの、母親と同じしぐさをしたみどりに執着して、探偵を雇ってみどりと浅野の関係を調査してみどりを脅す。押本は瀬戸と会ってさぐりを入れて、生き別れの妻子を探していると嘘をでっちあげて民生委員を利用して敦子の前の住所を知る。6:瀬戸は押本が敦子を殺そうとしていると知って何か役に立とうと思ってみどりと敦子と会って作戦を練る。押本はみどりが仕掛けた盗聴器を発見して、近くで不振な挙動をしていたみどりを尾行して探偵社にたどりつき、敦子が探偵を雇ったと気づく。7:みどりは盗聴器の不調と押本の行動の変化に気づき、警察に状況を説明して警察が押本に警告する。8:みどりは久我にヌード写真を撮らせて久我との関係に決着をつけることにして裁判の証拠のビデオを隠し撮りするものの、久我が持病で風呂場で溺死したので証拠を消してその場を去る。押本はみどりを尾行して久我のマンションに出入りするのを目撃していて、みどりと会って警察に話さない代わりに敦子の住所を言うように取引を持ちかけるものの断られる。みどりは敦子が海外に逃げたというものの押本は嘘だと気づき、敦子の同居人の藪弘子を脅して住所を聞き出すものの、警察に指名手配される。切羽詰った押本がみどりを電話で脅すと、みどりは押本を呼び出して催涙スプレーとスタンガンで奇襲して制裁する。9:みどりは逮捕されて未必の故意の殺人未遂で取調べをうけるものの、意識を取り戻した押本は近年の記憶をなくしていて証言できず、みどりは傷害罪で済む。10:映画祭で山中貞雄の幻のフィルムが上映される。瀬戸は押本の様子を見に行き、記憶が戻らないことを祈る。●感想三人称で、個々の登場人物を中心にしたエピソードを交互に展開していく形式。1章で敦子、2章でみどり、3章で敦子とみどりが会い、4章で押本が出所、5章で久我の過去が説明されて、前半で主要登場人物の紹介をして、後半で押本が迫ってくるメインストーリーを展開するというテンポがよくてわかりやすい構成。章の終わりに次の章への導入部をちょろっと入れていて、連載形式ならではの次回予告的な小技が効いていてよい。実在の時代と場所を舞台にしていて、固有名詞を出して場所を詳しく描写していて、リアリズムの描写と物語の内容がよく合っている。この辺の技術面はよい。追うものが追われる側になるという逆転劇もよい。個人的にあまり面白くなかった点は登場人物で、敦子とみどりがキャラ立ちしておらず、男性作家が女性を書くときによくあるようなあまり女性らしくない女性像に違和感がある。身長、体重、体型、髪型、化粧、服の趣味というような具体的な人物像が見えてこない。かわいそうな女性が危ない男に狙われるという物語の方向性はよいのだけれど、敦子とみどりが怯えているような描写があまりないのでサスペンスの割には緊張感がない。みどりが探偵のくせにあっさり久我にやられてしまうのは情けないし、その割にはあっさり押本を退治していて、みどりが強いのか弱いのかよくわからない。敦子も押本が刑務所にいる間に護身術を習うなりすればよいのに、みどりを雇った以外は特に対策をしていなくて、加害者側の男二人はやる気まんまんなのに被害者側の本気度が足りていないのがアンバランスな感じ。押本や久我は後悔や改心をせず悪い面しか見せないエンタメ的な悪役で、エンタメだから男性たちはそれでいいのだけれど、女性たちはもっと人間的魅力を見せてほしいところ。主人公が悪役にキャラ負けするのはよくない。オチは予想通りの勧善懲悪で、尾行したり尾行されたりで焦らした割にはあっさり決着がつくのも物足りない。あと敦子が映画関係の仕事をしていてモノクロ映画の話を詳しく書いてあって、複製作業の写真を載せるくらい凝っているけれど、この部分は読者を選ぶだろう。日本映画の黄金期に少年時代を過ごした年配の読者なら山中貞雄のモノクロ映画の話は面白いかもしれないし、逆に映画に興味がない読者や、そもそもモノクロ映画をみたこともないという若い読者はその部分はつまらないかもしれない。私は山中貞雄の映画を見たことがないという以前に映画館で映画を見たことがないというくらい映画に興味がないので、昔の監督や役者がどうのこうのと映画を見た人にしかわからないような話をされても私にとっては脱線気味であまり面白さにつながらない。私は辻原登は好きで何作か読んでいるので手の内はある程度知っているけれど、事件の裁判ネタは『マノンの肉体』でやっているし、映画ネタはもともと著者が映画好きだし、新しい冒険をしないですでに持っている知識と技術の範囲内で書いた量産型エンタメ作品という感じ。この小説は著者の代表作になる類の小説ではないとはいえ、熟練の手腕で純文学作家が書いたエンタメなので、エンタメ専業作家よりも文章がうまくて安定して読めるのはよい。映画好きな中高年の読者なら私よりも面白く感じるかもしれない。★★★☆☆寂しい丘で狩りをする【電子書籍】[ 辻原登 ]
2017.05.28
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貧しいマカールとワルワーラが手紙で自分や周囲の人々の出来事を報告しあう書簡体小説。1846年にドストエフスキーが25歳のときに発表したデビュー作で、発表当時は絶賛されたらしい。●あらすじ貧しい中年役人のマカール・ジェーヴシキンは饐えた臭いがするひどい部屋に引っ越して、手紙でワルワーラ・ドブロショーロワ(ワーレンカ)に近況を知らせる。ワルワーラは父親が破産して親戚のアンナ・フョードロヴナに母親と一緒に世話してもらっていたものの、アンナは恩着せがましい嫌なやつだったので家をでたら付きまとわれて、病気がちなワルワーラは細々と仕事をしつつマカールに仕送りをもらって暮らしているものの、貧乏なマカールが借金してワルワーラに花や服を贈るのが心苦しくてマカールに金を送り返す。マカールは服がぼろぼろで職場で恥ずかしい思いをして金を貸してくれる人を探し回るものの担保がなくて断られて、周囲の人にワルワーラの関係がばれて軽蔑され、閣下に寸志をもらって副業を見つけてなんとか生活を立て直すと、金持ちのブイコフがワルワーラに結婚を申し込み、ワルワーラは貧困と不幸から抜け出すために結婚を承諾してブイコフと一緒に旅行することになり、一人残されたマカールはワルワーラが行ってしまったら死んでしまうと手紙を書く。●感想マカールとワルワーラの書簡体小説の形式で、ほとんど改行がなくみっしり文字が詰まっている文体。18ページでマカールが老人で髪の毛も残り少ない年寄りだと書いてあるので60代以上だろうかと思って読んでいたら、89ページで17歳から30年役所勤めをしていると書いてあって、つまりはマカールは47歳で老人というよりは中年だけれど、当時のロシアでは40代後半はもう老人扱いされているということなのか、自嘲なのかよくわからない。主要登場人物の人物像を混乱させるような情報の出し方をするのはよくない。内容はマカールが貧乏なせいで尊厳を傷つけられた末に失恋するというひねりのない話になっていてあまり見所はない。というか家賃を払えないのに借金して花を買って無駄遣いしている場合じゃないし、貧乏なのも自業自得なのでマカールに貧乏を嘆かれても同情もできない。いい歳したおっさんなのに金持ちに恋人を取られて死ぬ死ぬ詐欺の泣き言を言うのは情けない。若い作者が自分より年上の登場人物を書くときにこういう年齢不相応な心理状態に不自然さが出てくるけれど、わざわざ中年のマカールを主人公にするよりも作者と同年代の青年を主人公にしたほうがかえって登場人物として魅力があったかもしれない。若者の嘆きは悲壮だけれど、おっさんの泣き言は情けない。形式の点では個人的に書簡体小説は嫌いである。書簡の往復で話が展開するので語り手が複数になって話がややこしくなるし、現在進行形でエピソードを書かずに終わった出来事を回想して書くので婉曲的になって臨場感がなくなるし、ワルワーラが15歳のときにポクロフスキーに恋をした話とか裁判で勝ったゴルシコーフが死んだ話とかの脱線も混ざってメインのストーリーがどこなのかはっきりしなくなる。この小説はマカールとワルワーラの二人の動向を抑えていればいいので書簡体小説の割りにはわかりやすいけれど、ラクロの『危険な関係』は面倒くさくなって途中で読むのをやめた。今時の若者はスマホでLINEとかTwitterとかの短文チャットで交流していて長文の手紙を書いたことがないかもしれないし、今後は手書きの手紙を送るという文化自体がなくなるかもしれない。書簡体小説も小説として読まれるというよりは、文通がコミュニケーションの手段だった頃の文化的資料のようなものとして読まれるようになるのかもしれない。この小説は物語としては貧乏なおっさんの泣き言なのであまり面白くないものの、手紙文化を後生に残しているという点では読む価値がないわけでもない。読んでほしい誰かに宛てて、思いを切々と手紙に書き綴るという行為自体がノスタルジックで風情がある。★★★☆☆貧しき人々【電子書籍】[ ドストエフスキー ]
2017.05.18
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表題作とその他の4編の短編集。「清水」は私が記憶と存在について考える話。ヤマなしオチなしの雰囲気純文学。「高瀬川」は小説家の大野と編集者の裕美子がラブホテルに行って情事して、パンツをペットボトルに詰める話。小説家と編集者の情事というネタに困った作家がやるような手垢のついた話で、さらにはコルトレーンが云々という使い古されたジャズネタのダメ押し。三人称で神の視点と大野の視点が混ざっていて、短編なのに視点が統一されていないのはよくない。「追憶」はひとつの詩を断片的にして何パターンも別々の意味を持たせた詩。詩というよりは言語学的な文法構造をいじった遊びで、ノーム・チョムスキーの句構造規則を知っている人にとっては文章の構成を組み替えて別の文章を作るやり方は目新しくもなく、今更やっても面白いわけでもない。「氷塊」は上下二段組で、上の段は母親が事故死して今の母親は継母だと知らされた美術好きな中学生の少年が父親の不倫相手が実の母親ではないかと思う話、下の段は少年の父親と不倫する美術館勤務の三十路の女の話が別々に展開する形式。ページ順に上下の話を一緒に読んでみたものの読みづらいし、ピカソ好きな中学生というのがうそ臭く、気取ったうそ臭い平野臭がむんむんする。少年が母親の死の真相を知りたいなら、父親を分厚い画集の角でぶん殴って貴様の顔をキュビズムにしてやろうかと脅して真相を聞きだせば済む話である。全体の感想としては半世紀遅れて純文学の仮装をして文士ごっこをしているような感じで、作者はまだ若いのに現代社会に向き合わず、おじいちゃんかよっていうくらいに追憶ばかりして小手先の工夫に逃げている。半世紀前にこういう形式に凝った小説を書いていたら話題になったかもしれないけれど、現代にいまさらやってもしょうがない。平野啓一郎の値踏みは終わったので彼の小説はもう読まなくてもいいやと思っていたけれど、積んでおいた未読の本の山の中にこの本が残っていたので捨てる前に一応読んでみたら、やっぱり読まなくてもいいやという感じ。ちなみに楽天koboの電子書籍版だとフォーマットが変で読めないというレビューがあって、誰が悪いのか知らないけれど半端な仕事してるなあとあきれてしまう。★★☆☆☆高瀬川 [ 平野啓一郎 ]
2017.05.07
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南アフリカのエロ教授が教え子に手を出して首になって娘の家に転がり込んだら娘が強盗にレイプされて親子で恥辱まみれになる話。●あらすじ52歳で2回離婚しているケープタウン大学の文学部の教授のデヴィッド・ラウリーは性欲びんびんでなじみの娼婦に愛想をつかされて学生のメラニーに手を出すものの、メラニーの彼氏に付きまとわれてメラニーが大学を辞めて親に訴えられて、査問会で開き直って罪を認めて大学を首になる。ラウリーは東ケープにいる最初の妻の娘のルーシーの農場に行き、犬の世話係のぺトラスや動物の保護病院のベヴ・ショウを手伝うと、農場に三人の強盗がやってきてルーシーがレイプされて犬が殺されてラウリーは火をつけられる。ラウリーはレイプを隠そうとするルーシーの分別のなさが気に食わず、強盗のときに留守にしていたペトラスが怪しいと疑う。ペトラス家のパーティーで強盗のうちの一人の少年を見つけるものの少年は否定して、ラウリーはペトラスを責め、ルーシーはペトラスをかばってラウリーと喧嘩する。ラウリーはベヴを手伝って動物を安楽死させているうちに動物に対する考え方が変わり、ベヴと不倫エッチする。警察が強盗のうち二人を逮捕したと連絡が来るものの、面通しの前に保釈されていて、盗難車もラウリーの車ではなかった。ラウリーは農園を離れるようにルーシーを説得するものの、ルーシーは敗北を認めたくないので拒否する。ラウリーはメラニーの父親を訪ねて謝罪して、数ヶ月ぶりにケープタウンの自宅に行くと家財道具が全部盗まれていたものの、そこでオペラ『イタリアのバイロン』の執筆を始めて、前妻のロザリンドと会ってメラニーの話を聞き、メラニーの演劇を見に行ってメラニーの彼氏に脅される。ラウリーがルーシーに会いに行くとレイプで妊娠していて産むつもりで、強盗犯の少年はペトラスの親戚の知的障碍者のポラックスだというので、ペトラスを問いただすとペトラスはルーシーと結婚するつもりだといい、ルーシーはペトラスの保護を受けるためにペトラスに土地を譲って犬のように無一文で再出発するという。ラウリーはベヴのクリニックで情の湧いた犬を安楽死させる。●感想三人称で、所々で主語を省いている文体。24章で10-16ページごとに章立てしてあって、各章が短くて簡潔な文章で物語が展開する。冒頭の数ページを主人公についての説明からはじめるのはひねりのないださいやり方だし、物語内の時間の流れが早くて個々の場面にタメがない。査問会も強盗の場面も心理的に緊張した場面で、ラウリーに心理的葛藤があるはずなのに、ほとんど心理描写をせずにさくさくイベントが終わってしまう。さらには作者の神の視点とラウリーの視点がごちゃごちゃ混ざっている上に、主語を省いたことで視点の区別がつきにくくなっていて、文章が簡潔な割りに読みにくい。104ページで雌犬を「彼女」と翻訳しているけれど、「彼女」は人間の女性に対して使われる言葉なので雌犬に使われると違和感がある。この辺の翻訳小説ならではの読みづらさにひっかかって、いちいち興をそがれる。アパルトヘイト後の南アフリカが舞台で人種が重要な要素なのに、各登場人物が白人なのか黒人なのかはっきり書かないのも情報不足で場面が想像できないのはよくない。翻訳者の鴻巣友季子の解説だとリアリズム小説に徹したと書いてあるけれど、肌の色の外面描写さえないのにどこがリアリズム小説に徹しているんだと文句を言いたくなる。というわけで技術的な点はよくない。内容としては東ケープの農場で他の登場人物たちと価値観が異なっているのはラウリーひとりだけで、ラウリーが娘の家を出て行けばそれで周囲との軋轢がなくなって物語が終わってしまうし、なぜラウリーが娘の家に来てなぜ今まで放っておいていた娘の人生にいきなりしつこく干渉しだしたのか不明だし、登場人物の行動の結果として物語があるというより物語の辻褄をあわせるように登場人物が行動しているような不自然さが随所にある。「いくらベヴ・ショウに進言されても、ペトラスに請けあわれても、ルーシーに頑張られても、娘を棄てていく気にはなれない。ここが自分の生きていく場なのだ、当面のあいだは。」(184ページ)とラウリーは考えたくせにひとりでケープタウンに戻ってのんびりオペラを書いたりメラニーに付きまとったりしていて、ルーシーの妊娠が目立つまで放っておいているのはおかしい。ラウリーは娘の一人暮らしが危ないといっているくせに、そんな危ないところに丸腰で居候して三人組の見知らぬ男たちに電話を貸すためにほいほい家に入れるのも危機感がなさすぎておかしい。ラウリーはルーシーにレイプについて話すことを拒絶されているのに、ルーシーのレイプを前妻のロザリンドに相談しないのもおかしい。強盗が面通しの前に保釈されていても写真で確認できるだろうに、警察が容疑者の写真さえ撮っていないのはおかしい。テーマとしては男の性欲を肯定して醜聞事件を起こしたラウリーの恥辱とレイプされたレズビアンのルーシーの恥辱が書かれているけれど、三人称なのにラウリーの視点だけを書いてルーシーやメラニーなどの女性たち視点を書かないのでは自由な視点を使える三人称にする意味があまりない。ラウリーとルーシーは最後まで自分の主張を曲げず、ルーシーが対話を拒むので議論が深まらず、妥協点としてのジンテーゼもない。女性の心理をラウリーには理解不能なものとして扱ってルーシーの恥辱を掘り下げないし、ルーシーが頑なに農場を去ろうとしない理由がラウリーだけでなく読者にも理解できない。レイプされたまま逃げたら負けだから留まるとルーシーは言っているけれど、逃げずに留まったところでペトラスの保護なしでは仕事もできず犯人が野放しなのでは負けが確定するだけだし、どうすれば勝ちなのかが示されていないし、強盗犯のポラックスを罰しようともしていないし、犬のように無一文で生きて父親不明の子供を産んだその後にルーシーが何をしたいのかわからない。ラウリーとルーシーはポラックスをおかしいと言っているけれど、私からみればラウリーとルーシーも十分頭がおかしい。ラウリーは終わったことだと言うペトラスに対して「いや、終わっていない。どういう意味だかわかるだろう、とぼけるな。まだ終わっていないんだ。それどころか、始まったばかりだ。わたしが死んで、おまえが死んだあとも、長らくつづくことだ」(261ページ)と言っているけれど、小説もラウリーが死んだあとにルーシーと子供がどうなるか書けっちゅうの。もしレイプされた女性読者がこの小説を読んだとして、ルーシーのようにレイプ犯の側にいてレイプ犯の親戚に財産を巻き上げられて無一文で再出発することが人生の希望になるかというと、ならないだろう。他の工夫としては睾丸を犬に食われた雄ヤギとかの動物を使った寓意があちこちにあるものの、直接ストーリーの面白さにつながるわけでもなく、かえって「犬のように」という決め台詞があざとく見える。地の文でさえ十分寓意があるのに、そのうえ台詞まで芝居がかるとださく見えるので、この決め台詞を際立たせるなら他の余計な寓意を排除したほうがいい。というわけで、翻訳小説として読みづらいうえに、物語の各所の不自然でおかしい点が気になってしまって、エロスと強盗レイプというセンセーショナルな事件を扱っていながらも内容があまり面白くない。ラウリーのエロス、レズビアンのレイプ、父と娘の関係、動物の安楽死、都会と田舎の生活の対比とかのどの要素も断片的で中途半端。ミステリ好きとしては三人の強盗犯のうちの二人が不明なままで処分も復讐もなしに物語が終わるのが興ざめする。ポラックスは「おまえら、おれたちがみんな殺してやる!」(269ページ)と物語を盛り上げるようなことを頑張って言っているのだから、事件を途中で終わらせずに犯人一味との再対決まで書けっちゅうの。南アフリカの残酷物語ならナディン・ゴーディマの小説のほうがインパクトがあってよいし、エリートがすけべして転落する話なら高橋和巳の『悲の器』のほうが心理をねちねちと書いていてよいし、エリートが失職して転落する話ならナギーブ・マフフーズの『渡り鳥と秋』のほうが面白い。この小説でクッツェーは1999年に二度目のブッカー賞を受賞して、2003年にノーベル文学賞を受賞しているけれど、動物の安楽死とかレズビアンの自立とか意識高い系西洋人が好きそうないろんなテーマを盛り込もうとする作意が先行して描写が追いついておらず、期待はずれな作品という感じ。★★★☆☆恥辱 (ハヤカワepi文庫) [ J.M.クッツェー ]
2017.05.04
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