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新米車掌がパンチョ・ビリャ討伐の騎兵隊をメキシコに輸送するために列車を走らせる間にいろいろ問題がおきる話。●あらすじI とんぼ帰りで1916年3月、DQNに腕を折られて野球選手になるのをあきらめて高校を中退した18歳のキャシー(キャシアス・マッギル)はコネで列車の車掌助手になってこき使われていて、ようやく仕事を覚えたばかりなのに盗賊パンチョ・ビリャ討伐に行く騎兵隊をメキシコに輸送する際のオハマまでの区間の車掌を押し付けられることになり、助手を雇えなかったので幼馴染のろくでなしのロックス(ライリー・マコーリフ)を成り行きで仕方なく雇う。II 蒸気を上げて極寒の中で粗悪な石炭しかない状態で列車はフォート・ミードに到着して騎兵隊を乗せると、怪我した馬を殺したインプ少尉にロックスが殴りかかって逮捕され、アントロバス中佐は全速力で列車を走らせるようにキャシーに命令するものの、貨車は馬の輸送に向いていなくて酔いどれ獣医のドク・ローズが全速力で走ると馬がほとんど死ぬというので列車の速度を落として、それでも列車の中で馬が暴れて死んだり怪我をしたりするので、いったん停車して馬房を作る。キャシーが家畜輸送車を手配する電信を打っている間に兵隊は勝手に3人の娼婦を連れ込んで隠していて、それを見つけたロックスが女と仲良くしようとして兵隊のマッドやスナイヴィーにリンチされ、キャシーがママからもらったロザリオもスナイヴィーに盗まれる。オハマについても家畜輸送車はなく、交代するはずだった車掌が仮病を使ったので引き続きキャシーが車掌をすることになり、大金持ちのオーティス・ウェブスターが軍にエンジン車を売り込もうとして、ウェブスター一行がチャーターしたマザーロードという高級車両も連結され、キャシーはウェブスターの娘のキャシディに惚れるもののヴァン・インプが口説いている。ウェブスターの提案で戦争の前線に間に合うように8時間短縮すればキャシーたちにボーナスが出ることになる。ロックスはジョリーン・ポッツは娼婦ではなく兵隊にさらわれたと信じていて助け出そうとして失敗して殴られるものの、あきらめずに手榴弾で注意を引いた隙にジョリーンを車掌室の床下に隠し、ロザリオもポーカーで勝負して取り返すことにする。テキサスのダルハートで停車するとキャシーが電報の到達時間に「午前」を入れ忘れたミスのせいで機関士の交代がいなくて列車が遅れることになり、兵隊は自由時間をもらって遊びまわって町をめちゃくちゃにして、その間にキャシーはポーカー勝負をしてビニオンがいかさまをしているのに気づいて乱闘になって、ロックスはスナイヴィーを撃ち殺して、ロックスとジョリーンはマザー・ロードに隠れる。III 屈辱に耐えてマッドはキャシーとロックスがスナイヴィーを殺したと思って列車内の捜索を始め、キャシーはウェブスターたちに歌を歌って才能をほめられたところでスナイヴィーの死体がみつかり、後で軍法会議にかけられることになる。フォート・ブリスに到着すると列車の遅れが原因で騎兵隊は前線に出られずに後方任務につくことになって兵隊たちが苛立ち、マザー・ロードが切り離され次第に車内を捜索してロックスを殺すつもりでいたので、キャシーはキャシディにロックスたちをかくまうように頼むもののヴァン・インプたちに見つかってロックスは撃たれて負傷して、軍法会議を待たずに銃殺されることになったとドク・ローズが言うのでキャシーがロックスを逃がすと代わりに捕まり、鉄道会社からの伝言を伝えにきたテレンス・スウィニーもマッドに捕まって監禁される。中佐は司令部に馬を大量に死なせた責任やダルハートの騒動の責任を問われて、司令部からのメッセンジャーも監禁する。パンチョ・ビリャ軍との戦闘の後、中佐は狂人扱いされて、キャシーの罪は免除される見込みになり、マザーロードを連結してエル・パソまで行く指令をうける。キャシーは会社から受け取るはずの金を受け取ってロックスに金を渡す手続きをして、ウェブスターとメキシコ人の処刑を見物に行ったあと、スウィニーが女を買いに行くのについていくと、ジョリーンたちと再会して、ジョリーンとエッチしたら全財産を盗まれる。キャシーはパンチョ・ビリャの報奨金目当てにひとりで討伐に向かったロックスを探すために軍隊に入隊して南に偵察に行くと、ロックスは磔にされてちんこを切られて口につっこまれて死んでいて、そこにいたメキシコ兵と戦って負傷して戻ると、マッドからロザリオを返してもらい、ロックスの棺を列車に積み込む。●感想三人称。実話を元にして脚色したフィクションらしい。ちょっと無頼したい気分だったのでタイトルだけ見てセガール風の無頼マッチョが悪党をばたばた倒す話かと思って買ったものの、ヘタレ車掌が主人公で列車の中の出来事が物語になっていて意外性があってよい。冒頭でキャシーがこき使われている描写をして、読者を主人公に同情させて物語にひきつけるテクニックはよい。ドラえもんの野比のび太とかバックトゥザフューチャーのマーティー・マクフライとか、ヘタレは成長するのびしろがあるぶん主人公向きである。ただでさえキャシーが経験不足なうえに、まったく信用できないロックスが助手になるという不安しかない状態で出発することで期待をあおる展開の仕方は長編の冒頭部としてはよい。中盤は予想通りロックスがトラブルを起こすという展開だけれど、車掌としての仕事をしないといけないキャシーのかわりにロックスが物語の牽引役になっていて、脇役をうまく使っている。物語の展開としては中盤で娼婦や大富豪一家を登場させてテコ入れして、期限内のメキシコ到達、ママのロザリオ奪還、娼婦ジョリーン救出、キャシディへの片思いのプロットを同時進行させて物語が停滞しないようにしているのはよい。各登場人物はヘタレのクリスチャンのキャシー、アイルランド系の酔っ払いのロックス、良い黒人のネルソン、アル中獣医ドク・ローズ、くそ野郎ヴァン・インプ少尉、あらくれ兵士のマッドとスナイヴィーのように、ステレオタイプ気味にキャラ付けしていて登場人物が多くても読者が性格を理解しやすいようになっていて、その性格上の欠点がうまくプロットにつながるようにしている。怪我をしているロックスがひとりでパンチョ・ビリャ討伐に行くのは普通ならありえない行動だけれど、馬鹿だからしょうがないという説得力でうまくごまかしているし、ロックスがちゃんとみじめに殺されていて荒唐無稽になりすぎない程度にロックスの死にリアリティーを持たせて印象付けて話を終わらせた点は落としどころとしては妥当。600ページほどあって若干冗長でスラップスティック気味な誇張が目立つ部分もあるものの、列車だの騎兵隊だのパンチョ・ビリャだのといった20世紀初頭のアメリカらしい無頼な雰囲気がよい。著者はワーナーブラザーズ等の映画業界で脚本の仕事をしていたことがあるようでエンタメとしての盛り上げ方がうまく、スムーズに物語が展開していて読みやすく、トラブルやら乱闘やらポーカー勝負やらで盛り上げる見せ場を用意していて、終盤にはキャシーが機転をきかせて物事を処理するようになっていて主人公の成長が感じられる点もよく、長編小説としてはうまくまとまっている。旅行中に新幹線の中とかで読むと暇つぶしによいかもしれない。★★★★☆【中古】 無頼列車 南へ 文春文庫/ブラウン・メッグス(訳者),村上博基(訳者) 【中古】afb
2017.06.30
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私はこのブログでは主に小説の感想を書いているけれど、作品の面白さとは何かに書いたように、面白さにはうるさい。私は暇つぶしにYouTubeもしばしば見ているけれど、つまらない動画を見てしまうと時間を無駄にした気分になって、ちょっと物申したくなるのである。というわけで、読書家の視点からYouTubeのつまらない動画はなぜつまらないのかということを論じることにする。●コンテクストがないつまらない動画に共通している一番目立つ欠点は、コンテクストがなく説明不足なのである。たとえば旅行写真をスライドショーで表示してBGMを付け足したような動画は、写真に写っている人たちは誰なのか、なぜその写真を撮ったのかという説明がないままいきなりコロコロ場面が変わっている場合が多い。部屋の写真があってもどのホテルか不明で、料理の写真があってもどのレストランか不明で、景色の写真があってもどの観光地なのかか不明で、写真を撮影した本人なら記憶を思い出して楽しめるだろうけれど、第三者から見たら状況がわからないがゆえに面白くない。こういう動画は自分のために作られた動画で、他人を楽しませるための動画ではないので、再生数も伸びていない。個人的には旅行写真のスライドショー動画はコンテクスト、ストーリー、情報価値の全部が欠けていて一番つまらない類の動画だと思う。●ストーリーがないYouTubeで人気の動画にはたいていストーリーがあり、何かをやって、その結果がどうなったかという一連の過程が動画になっている。YouTubeの人気ジャンルといえばゲーム実況で、ゲーム自体にストーリーがあるのでYouTuber自身はあまり工夫をしなくてもわーわーきゃーきゃーリアクションをしていればそれなりに面白い動画になる。何かの実験をやってみた系の動画も、実験の準備から実験結果までのストーリーがある。人間は好奇心旺盛な動物なので結末を知りたがる。ストーリーがある動画なら視聴者は結末を知るために動画の最後まで見ようとするけれど、ストーリーがない動画では視聴者の興味を何十分も維持できないので、視聴者は途中で動画を見るのをやめてしまう。これは邦画を思い浮かべるとわかりやすい。いくらGyao!で無料で邦画が見れるといっても、最後まで見たいと思うような映画がない。『デッド寿司』を見たら30分が我慢の限界で、暇つぶしにもならなかった。金をかけて製作した映画でさえつまらないのだから、素人が予算も脚本もなしにだらだら撮影した動画がつまらないのはいうまでもない。ストーリーがない動画の例は、監視カメラのライブ映像やドライブレコーダーの録画を延々と流す動画や、素人のカラオケ動画や、何かを食べておいしいだのまずいだのと言うだけの動画。こういうストーリーがないつまらない動画でも、カラオケで○点以下なら罰ゲームとか、路上パフォーマンスで昼飯代稼げるか挑戦してみたとか、食べたものの値段を当てるとおごってもらえるとか、一工夫して何かしら結末を用意してストーリー性を持たせればもっと面白い動画になる可能性はある。●情報価値がない在日外国人YouTuber(J-Vloggers)は外国人ならではの日本についての意見を言っていて、いわばエッセイの動画版のようなもので、YouTuberのいちジャンルになっている。他に仕事をしている人もいれば、YouTuber専業の人もいる。無職みたいなYouTuber専業でもビザが降りて日本に長期滞在できる理由は、どうやらJ-Vloggersを支援している日本の会社があるらしい。J-Vloggersは日本に来た当初は何もかもが新鮮ではりきって動画を投稿するけれど、日本に長年いて日本になじんだら外国人としてのアイデンティティも薄れて専門知識もなく惰性で日常生活を垂れ流す一般人になってしまうという構造的欠陥があるようだ。一通り観光地めぐりをして、カルチャーショックだの好きな日本食だの変な味のキットカットだのの定番ネタはやりつくしてネタ切れでマンネリになって、最終的に福袋の開封とか彼氏と別れたとかの動画を投稿するようになったけれど、これは別に在日外国人がやる必然性はない。外国人としてのユニークな視点や意見がないのでは動画としては面白くないし、誰でもできるようなことをやっても情報価値がない。日本が好きな外国人は留学生や旅行者など何十万人もいるので、The Anime Manのように日本のアニメに特化するとか、Simon and Martinaのように食べ歩きをするだけでなくレストランのシェフに密着取材してドキュメンタリーにするとか、何かしらの付加価値をつけて差別化しないと似たような動画が無数にある中でわざわざ動画を見るほどの価値がなくなってしまう。視聴者は他では見たことがないような独自の映像や独自の視点がある動画が見たいのである。●具体例コンテクストやストーリーや情報価値の有無で動画の面白さが変わる例として、「釣りよかでしょう」というYouTuberの動画と、バス釣りのプロの秦拓馬氏の公式チャンネル「秦拓馬☆俺達。チャンネル」の動画を比較してみる。二つの釣りチャンネルが一緒に無人島に行って釣りをしていて、双方の視点からの動画が見れる。こちらは釣りよかでしょうの動画。・出発編、素潜り編、釣り編と場面ごとに動画を分けている。・どうして無人島に行くことになったのか、動画の冒頭で説明している。・無人島に同行した人の名前を字幕で説明している。こちらはバス釣りのプロの秦拓馬氏の動画。・タイトルに【釣りよかコラボ】とあるのに、釣りよかでしょうについての説明がなく、釣りよかでしょうを知らない人には誰が釣りよかでしょうのメンバーなのかわからない。・動画に出てくる白髪まじりの人はジャッカルの代表取締役会長の加藤誠司氏で無人島の権利を買った人だけれど、動画では誰なのか説明がなく、視聴者の予備知識なしでは理解できない。・撮影者本人が動画に映っておらず、秦拓馬氏を知らない人は誰が撮影しているのかわからない。・船の上でどんな道具を使って何の魚を狙っているのか、何の魚がつれたのか、釣りの状況について説明が乏しい。地形や水深がどうのこうのという釣りプロならではの釣りテクニックの詳しい説明がない。せっかく無人島で釣りをするという面白い状況でも、その状況が視聴者に伝わっていなければ面白さを十分に伝えることはできない。無人島で思う存分釣りをするというのは釣り好きな人にとっては憧れのような状況で、なおかつ個人所有の無人島は一般人が入れない特殊な場所なので、動画のネタ自体は面白いだけにその面白さが引き出せないのはもったいない。私は釣りよかでしょうの動画をいくつも見たけれど、釣りよかでしょうは「これから○○さんと△△に××を釣りに行きます」「餌は○○を使います」「釣れないので移動しました」などの説明をして、適時字幕での説明も加えていて、視聴者を意識して状況がわかりやすいように動画を編集していることがわかる。釣りよかでしょうが釣りの素人であるにもかかわらず、釣りプロよりも登録者数や視聴回数が多いのは、状況説明をきちんとしていて、初見の視聴者でも状況がわかるようにしている点が大きな違いである。もちろん秦拓馬氏の本業は釣りで、動画撮影はファン向けのおまけのようなものかもしれないけれど、初見の人に動画の面白さを伝えられずにチャンネル登録につながらないのでは、自身やスポンサーの宣伝の面でももったいない。秦拓馬氏の動画をもっと面白くするための改善点は以下のとおり。・登場人物は字幕で紹介する。・これから何をやろうとしているのか、どういうプランなのか、動画の目的を冒頭で説明して、人物が登場したり場面が転換したりする度に状況を説明する。・顔出しNGというわけではないのだから、なるべく顔をみせる。表情が見えないと喜んだり驚いたりしても視聴者の共感が乏しくなる。・専門家ならではの意見を言って付加価値をつける。・風の音などが入って話し声がうまく録音できていない部分は字幕で補う。・何の仕掛けで何の魚を狙うのか、何匹釣るのか、何センチ以上を狙うのかという目標を決めると、その魚が釣れたか釣れなかったのかという結末がはっきりして動画にストーリー性が出る。●まとめ大して手間をかけなくても、どういう状況になっているのか第三者から見てわかるように動画のコンテクストを説明するだけでだいぶましな動画になる。さらに動画にストーリー性があれば視聴者は結末に興味を持って動画を最後まで見るようになる。さらに動画に情報価値があれば、その動画を他人と共有したり、情報を参照するために何度も繰り返して見るようになる。これらの点は小説の面白さの構成要素のうちの基本的な部分なので、小説を読んでいる人なら気づくけれど、小説を読まないYouTuberはつまらない動画を作っているという自覚がないのかもしれない。動画の再生数を増やして人気のYouTuberになりたい人は、小説を読んで面白さとは何かということを意識してみてはどうだろうか。
2017.06.18
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フランケンシュタインが作った醜い怪物は善良な心をもっていたのに外見のせいで人間にいじめられたので、創造主のフランケンシュタインの家族を殺して復讐する話。●あらすじ北極を探検する航海をしているロバート・ウォルトン隊長はイングランドの姉(サヴィル夫人)に手紙を書き、航海中に犬ぞりで死に掛けていた訳ありの男を保護して、男から聞いた奇妙な身の上話を書き記す。父親はスイスで破産した友人の娘を世話して結婚してヴィクター・フランケンシュタインが生まれ、女の子がほしかった母親は孤児のエリザベスを引き取って、フランケンシュタインの妹兼許婚として仲良く育つ。フランケンシュタインは自然科学に興味を持ってアグリッパやパラケルススの理論がすでに論破されているとも知らずに彼らの本を熱心に勉強して大学に行ったら、クレンペ教授に無駄な勉強で千年時代遅れだと軽蔑されてがっかりしたところ、彼を軽蔑しなかったヴァルトマン教授に出会って弟子になり、人体や生き物の構成に興味を持って解剖学を研究するうちに物体に生命を与える力を手に入れたので、体格の大きい人間を作る研究をすると二年後に怪物が動き出して失踪する。故郷の友人のヘンリー・クラーヴァルが訪ねてきて再会するものの、フランケンシュタインは怪物におびえて寝たきりになり、クラーヴァルに看病してもらって回復したところ、父親から弟のウィリアムが殺されたと手紙が来たので故郷に帰ると、殺害現場に怪物がいて犯人だと確信するものの、皆に話しても誰も信じずに狂人扱いされるだろうと思って怪物のことを黙っておく。しかし召使いのジュスティーヌ・モリッツが殺人の罪を着せられてしまい、嘘の自白をして死刑になる。フランケンシュタインが山で怪物と会うと、怪物は今までの体験を話し始める。怪物は創造されてフランケンシュタインの部屋を出た後に村で貧乏なド・ラセー家を観察して言葉と文字を覚えて薪の調達をこっそり手伝ってやり、長男のフェリックスが不当に死刑判決を受けたトルコ人を助けて恩を仇で返されて一家が国外追放され、このやさしい一家なら自分を受け入れてくれるだろうと訪ねてみたら殴られて、おぼれた少女を助けたら銃で撃たれて人間を憎むようになり、偏見のない子供を手懐けようと思ったら相手がフランケンシュタイン一族の子供だったので殺したという。怪物は自分のために伴侶の女を創造したら二度と姿は見せないというのでフランケンシュタインは条件を飲む。フランケンシュタインは父親からエリザベスとの結婚をせかされたものの、こっそり女の怪物を作るためにクラーヴァルとイギリスに行って、やっぱり作るのをやめたら怪物が怒って婚礼の夜に会いに行くといって去っていく。その後フランケンシュタインがアイルランドに行くと殺人事件の容疑者扱いされて、クラーヴァルが殺されていたのでショックで寝込んで、アリバイがあったので釈放されて、帰宅してエリザベスと婚礼して船旅に出るとエリザベスが怪物に殺され、フランケンシュタインは判事に怪物の存在を打ち明けて、復讐のために怪物の痕跡を追って放浪の旅をして北極まで追って来た。ウォルトンの船は氷河に囲まれて船員が怖気づいたせいで引き返すことになり、船の中でフランケンシュタインが死ぬと怪物が嘆いていて、地球の最果てで自殺するために去って行く。●感想ロバートの手紙の中にフランケンシュタインが語った話が書いてあり、その話の中で怪物が独白するという入れ子構造の一人称。フランケンシュタインは自己紹介をしないままいきなり両親が出会ったいきさつから話し始めて回りくどく、父親の友人の名前は言うのに父親の名前は言わず、苗字がフランケンシュタインだと判明するのが63ページで情報を出すのが無駄に遅く、古い小説なので洗練されてなくても仕方がないとはいえ情報の出し方の手際のわるさにイライラする。内容もあちこち雑で、フランケンシュタインは何も証拠がないのに怪物がウィリアムを殺したと信じたり、ジュスティーヌの裁判でも無罪を主張しておきながら保身のために怪物の存在を証言していなかったりして、フランケンシュタインの行動のひとつひとつがおかしい。そもそもなんでフランケンシュタインは人造人間をイケメンにしないで怖がられる外見にしたのか謎だし、戦争用の強靭な兵士とか過酷な環境で働ける労働力とか何かしら目的があって人造人間を作ったのかと思ったら、作れそうだからなんとなく作ってみたというレベルの雑さで、自分で醜い大男を作ったくせに完成したら怖がって寝込むなんてアホかと思ってしまう。ホラーは幽霊であれ殺人鬼であれサメであれエイリアンであれ、殺戮をする相手と意思疎通できず人間側の論理が相手に通用せず説得しようがないうえに物理攻撃があまり効かないところに怖さがあるのだけれど、この小説では怪物と意思疎通できて人間を恨む動機を切々と語っていて、フランケンシュタインがひどすぎて怪物がフランケンシュタインを恨んで当然だし、怪物に同情してしまってホラーとしては怖くなくなってしまう。それに怪物は銃でかなりダメージをくらってるし、いくら怪力とはいえ物理攻撃が効くならたいして怖くもないのに、フランケンシュタインが武装しないのもおかしい。フランケンシュタインは弟や召使や友人が殺されてもかたくなに怪物の存在は秘密にしていたのに、エリザベスが殺されてようやく判事に話して怪物に復讐する気になるというのも対応が遅すぎて何やってんだぁとあきれてしまう。フランケンシュタインの怪物は魔女やドラキュラや狼男と並んでハロウィンの定番古典モンスターになっていて、知名度がある割には原作は読まれていないし、私も読んでなかったので読んでみたけれど、人造人間のアイデアで後世のフィクションに影響を与えた古典としての功労はあるとはいえ、現代人の読み物としては物足りない。一人称の入れ子構造になっている構図は独特だけれど技術的には特に面白い点がなく、テーマとしては興味本位で怪物を作ってはいけないことと、人を見た目で判断してはいけないという倫理の問題提起をしている点が見所といえば見所だけど、現代人はそういう倫理の話はもう通過してしまっている。最近は「フランケンシュタインの恋」というドラマをやっているらしく、私はテレビを見ないので内容は知らないけれど、変な博士が作った怪物が恋をするという話らしい。AIが話題になっているときになんでロボットやサイボーグでなく怪しい研究者という古典ネタにしたのか目の付け所が謎で、テレビ関係者は感覚が一世紀古いんじゃないかと思う。そんでプロレス技のフランケンシュタイナーはスコット・スタイナーが開発した技で、フランケンシュタインとは関係なさそうだけれど、なんか強そうな感じがよい。もしフランケンシュタインの怪物がプロレスをやっていたらヒール役で人気者になったかもしれない。フランケンシュタインの怪物のフランケンシュタイナーを見てみたいので、プロレスラーはハロウィンにコスプレマッチをやってほしい。★★★☆☆フランケンシュタイン【電子書籍】[ メアリ・シェリー ]
2017.06.15
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元戦争カメラマンが戦争絵を描いていると、戦争写真を撮られて有名になったせいで人生を破壊された元兵士が殺しにくる話。●各章あらすじ1:元戦場カメラマンのアンドレス・フォルケスは引退して戦争画の画家になって、スペインの入り江の望楼を買い取って壁画を描いている。2:以前フォルケスに写真を撮られたというクロアチアのヴコヴァルの民兵のイヴォ・マルコヴィチが望楼を訪ねて、話をするうちにフォルケスはクロアチアで死んだ愛人のオルビド・フェラーラを思い出す。マルコヴィチはフォルケスを殺しにきたというがフォルケスには理由がわからず、マルコヴィチは殺すために理由を理解してほしいと言う。3:マルコヴィチはフォルケスの写真でヴコヴァルの英雄として有名になったものの、セルビア人に捕まって拷問を受けて捕虜交換で釈放されたことを話す。4:マルコヴィチは釈放後に妻子を探したものの、妻はセルビア人にレイプされて妻子が殺されたと話し、戦争や死や絵について会話する。5:オルビドと初めて会った頃の回想。6:フォルケスは周辺のホテルにマルコヴィチを探しに行き、レストランで会う。7:人間の残虐性について会話。8:友人との混沌についての会話や、オルビドとヴェネチアにいたときの思い出。9:壁画を描いているとマルコヴィチが訪ねてきて、フォルケスの写真を見て、暴行や殺人を止めようとした経験があるかと尋ねる。10:フォルケスはマルコヴィチが帰ったあと夜まで絵を描き、午前中の会話を回想する。付き合っている女性がいるかと聞かれて、遊覧船の女性ガイドが好きだと話し、死んだオルビドの写真を撮ったのに絵に描いていないことをマルコヴィチに言われてパイプで殴ろうとするものの、マルコヴィチが死んだ妻の話をしたので怒りが消える。11:オルビドとパオロ・ウッチェロの絵を見たときの様子。12:オルビドと暮らしはじめて、オルビドを戦場に連れて行ったときの様子。13:またマルコヴィチが訪ねてきて、混沌の究極としての戦争、偶然をよそおった法則を内包する秩序というフォルケスの戦争観について会話して、フォルケスはセルビアの狙撃兵がどうやって標的を選んでいるかというエピソードを話す。14:フォルケスとマルコヴィチが一緒に壁画を描き、絵画について会話して、戦争についての理解が一致して、マルコヴィッチはフォルケスを殺すと言う。15:フォルケスはマルコヴィチにもうあまり時間がないから遊覧船の女性ガイドと知り合ったほうがいい言われて、翌日村に行ってカルメン・エルスケンと話して、壁画を見せる約束をする。16:カルメンは壁画を見て怖がり、フォルケスはこれは普通の人生の一部でしかなく、写真で撮れなかったものを描いていると説明する。17:マルコヴィチはフォルケスが村に言っている間に猟銃をこっそり捨ててからまたフォルケスを訪ね、フォルケスが壁画に描いた出来事に加担したか、直接の行為者だと感じているかと尋ねる。オルビドについても尋ねるものの、フォルケスは答えない。18:フォルケスはオルビドが地雷を踏んだときを回想し、マルコヴィチの写真を貼り付けるコラージュで壁画を完成させる。19:フォルケスは松林でマルコヴィチと会い、マルコヴィチのおかげで壁画が完成して、壁画が自分の答えだといい、マルコヴィチの写真を撮ったことに何の責任も感じていないという。マルコヴィチがオルビドについて尋ねると、フォルケスはオルビドの死に様を話す。●感想三人称。普通のミステリならまず殺人があって、犯人が捕まったり崖に追い詰められたりしてから動機を話し出すけれど、この小説は最初に殺人を予告してから動機を話し出すといういわばクライマックスが冒頭に来ているような変わった構成になっていて、それから段階的に回想を混ぜて過去を掘り下げつつ物語を展開している。マルコヴィチはなぜフォルケスを殺したいのか、オルビドはなぜ死んだのかというプロットで読者の興味を引くのと同時に、フォルケスが殺されるのか否かという結末への期待を持たせていて、このやり方はうまくいっている。殺意を持ったよく知らない相手と対話することで戦争の記憶が単なる昔話にならず、場面の緊張感を維持しているのはよい。主要登場人物が少なく、そのぶん構図は簡潔になっている。フォルケス、オルビド、マルコヴィチの3人のエピソードを基軸にして、写真を撮ったり絵を描いたりして答えを探しつつもオルビドの死を消化できていないフォルケス(テーゼ)と戦場カメラマンとして被写体の人生を壊した責任を問うマルコヴィッチ(アンチテーゼ)を対比させて、フォルケスがどういう答えを出すかというジンテーゼに持っていくやり方。9章とでフォルケスが殺人を止めようとしたことがあるのかと尋ねてさらに終盤の17章でもう一度尋ねて戦場カメラマンの責任を強調したり、フォルケスがオルビドの死体の写真を撮った理由を何度も尋ねたり、この辺のマルコヴィチの焦らし芸でテーマを強調して、この繰り返しの質問は読者がプロットを見失わないようにする目印にもなっていてるというなかなかテクニカルな展開をしているけれど、逆にマルコヴィチはフォルケスの対になる存在として型にはまりすぎていて、登場人物というよりは読者に親切なやり方でフォルケスの心理を掘り下げる手伝いをするインタビュアー的な進行補佐役になっていて、そこがかえって作為的な不自然さを感じる。マルコヴィチはフォルケスに無慈悲な報復をしたがっている割にはすぐに殺さずにカルメンと会うことを薦めたりして、勘の良い読者ならマルコヴィチの行動がプロレス的なブックだと気づいて焦らして焦らして結局殺さないのは予想がついてしまう。終盤になって戦争をまったく知らないカルメンを登場させて、物語に変化をつけているのはよい。戦争を見たことがないカルメンはおそらく同様に戦争を見たことがない読者を代表するような存在で、フォルケスのカルメンに対する言葉「これは人生でしかない。人生の一部ですから」、「特別なことはなにもない。あなたの人生とおなじですよ。ほかの人たちとおなじです」(p315)が作者から読者へのメッセージなのかもしれないし、違うかもしれない。カルメンの存在が余命が少ないフォルケスに対する慰めの可能性として示唆されていて、この部分がないと陰鬱なおっさんたちが終わった戦争について哲学論議するだけの救いようがない話になってしまう。描写については、著者のレベルテは元ジャーナリストで戦場特派員をしていたようで、戦場の描写にリアリティがあり、欧米人によくあるようなキリスト教人道主義的な変なバイアスがなく事物を観察する姿勢があるのはよい。日本の純文学だとなにかしら戦争の悲惨なシーンを書けば評価される風潮があるけれど、経験していない戦争をいくら資料を基にして描いたところでそれはうわべを真似た偽物でしかない。レベルテは戦争をどう理解して消化するかというところまで突き詰めていて、そうであるがゆえにマルコヴィチだのスナイパーだの戦場の個々のエピソードを淡々と書き連ねていくことが単なる惨禍の羅列にならず、小説のテーマの構成上の意味を持たせている。個人的に面白かったのが訳者のあとがきに紹介されている作者インタビューで、「われわれは誰もが処刑まえの最後の数分を生きている。問題はそれをどう生きるか、自分でなにを選ぶかだ。弾は確実に飛んでくるという意識があれば、逃げることが許されたわずか数メートルにでも、すばらしい意味をあたえられる。愛、自由、友情、誇り、ユーモア……自分に残された最後の十五分が慰めになる」(p380)というのは人間の生死について考えて、人生に真摯に向き合うからこそこういう人生観になる。これは私の無神論的実存主義的な人生観と似ている。死を不幸として拒絶するのでなく、死を受け入れた上でどう生きるかというのが大事なのである。そういう主題を真摯に考えている作家に巡り合ったというだけでも私にとっては収穫である。良くない点としては、長編小説の割には章立てがやけに細かくて、各章が20ページ程度で、例えば6章と7章のように連続した場面なのに章が変わったり、9章と10章は時間的に連続しているのに10章で9章の午前中の会話を回想するという回りくどいやり方をしていて、章立ての法則がよくわからず変なタイミングで章が変わるのが読みにくい。マルコヴィッチの何度目の訪問なのか、初めて会ってから何日経ったのかという状況説明がおろそかになっているし、頻繁に回想を挟むぶんだけ物語の現在における時間の流れがわかりにくくなっているのはよくない。それから絵画や写真についてのうんちくがやたらと多いのも良し悪し。元戦場カメラマンの現戦争画家という主人公像を作りこんでいるのはよいものの、カメラのテクニック云々の説明だけでも十分専門的なのに、さらに絵画の消失点がどうのこうのというのは専門知識を詰め込みすぎ。「写真のデフォルメ、これは絵画で言えば、ジョットの手で綿密に書かれた草を、マティスの太い絵筆でかするようなものである。」(p95)のような写真を絵画で説明する比喩は絵画の知識がない読者に伝わらない。読者はマティスくらい有名な画家は知っていても、ジョットは西洋絵画史を勉強しない限り知らないだろう。これは建築で言うとル・コルビュジエを知っていてもアルノルフォ・ディ・カンビオは知らないようなもんで、ゴキブリで言うとグリーンバナナローチを知っていても阿久多牟之は知らないようなもんである。元戦場カメラマンで現戦争画家という特殊な経歴の主人公ならではの人生観があるにしても、そのまま写真や絵画の特殊用語を使って表現したところで業界人にしか伝わらないし、戦争の混沌や対称性が云々でバタフライエフェクトの結果に責任は感じないというフォルケスのロジックもわかりにくいので、もっと一般的な言葉に言い換えたほうがよい。あと作品の内容とは関係ない部分で、主要登場人物のリストと紛争地域の地図と美術作品のリストが付いているのはよい。訳者の木村裕美のあとがきによると、緊張感が高い小説なので訳注は避けて巻末の付録資料にしたようで、この辺の読者への気遣いはよい。登場人物のリストや付録や訳注の充実具合は翻訳者や編集者が丁寧な仕事をしているかどうかの指標になるので、本屋で買う本を迷ったときには表紙裏や巻末の付録をちょろっと見るとはずれを引きにくくなる。ネットで買うと表紙裏とかは見れないので、はずれを引きたくないという人は本屋で実物を見てから買うほうが良い。さて私はこの作者の小説を初めて読んだのだけれど、裏表紙裏の著者紹介では「今や絶大な人気と尊敬を集める現代スペイン最大の作家、ヨーロッパ文学界最重要の作家のひとり」とすごい持ち上げているので、どんなもんかなと期待しつつ読んだら、描写が安定していて物語の構図もよく計算されていて技術的にも人生経験的にもそこいらの作家よりも一段上で、翻訳小説の割には読みやすくて、最近ブックオフオンラインで適当に108円で買った本の中では当たりだった。この著者は他にも絵画がテーマの小説を何作か書いているようで私の興味と一致するので、そのうち他の作品も読んでみようと思う。★★★★★この本はamazonでも評価がいい割には売れなかったのか、増刷されておらず現在古本しか流通していないようで、私が買った本も第1刷だった。ブックオフオンラインで108円で売っているので、面白そうだなと思った人は在庫があるうちに買うとよいですよ。↓のリンクから買えるのですよ。【中古】 戦場の画家 集英社文庫/アルトゥーロペレス・レベルテ【著】,木村裕美【訳】 【中古】afb
2017.06.06
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