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冨樫義博の『HUNTER×HUNTER』は少年ジャンプに連載したり休載したりを繰り返している人気漫画である。ふつうは原稿落としたり長期間休載したりするような漫画家は週間連載に向いてないということで月刊誌に移ったり打ち切りになったりするのだけれど、ハンターハンターは大人気なのでいまだに連載を続けている。1998年の連載開始から20年経っているので、ずっと読んでいる読者は少年というよりほとんど大人だろうけれど、なぜそれほど長年人気なのか、大人にとって面白いのか。ハンターハンターの面白さを分析すれば売れるコンテンツの秘訣がわかるかもしれないので、いまさらだけれどハンターハンターの面白さを考えてみることにする。●ストーリーの特徴ハンターハンターは念能力を使いながら戦うバトル系の漫画で、努力して強くなって仲間との絆を深めて敵に勝利するといういかにもジャンプらしい王道の漫画である。ストーリーの展開をおおざっぱにいうと以下のようになる。・ハンター試験編:父親がハンターだと知った主人公ゴンがハンター試験をうけにいって強敵のヒソカに殺されずに済み、キルア、クラピカ、レオリオと仲間になる。・ククルーマウンテン:ゴンは暗殺一家ゾルディック家に軟禁されたキルアに会いに行く。・天空闘技場編:ゴンとキルアが念能力(裏ハンター試験)を修行して闘技場でヒソカと対決する。・くじら島への里帰り:ゴンが故郷に戻って父親が残した手がかりからグリードアイランドというゲームソフトを知る。・ヨークシン編:グリードアイランドがオークションに出されて、ゴンはマフィアで働くクラピカと幻影旅団の戦いに巻き込まれる。・グリードアイランド編:ゴンとキルアはゲームの中でビスケに修行してもらって強くなり、ゲームをクリアした特典を使って父親のところに飛んでいこうとしたらカイトのところに飛ばされる。・キメラ=アント編:ゴンとキルアがカイトの仕事を手伝っていたら人間を食べる危険な蟻が繁殖したので退治する。・会長選挙・アルカ編:キメラ=アント退治で会長が死んだので会長選挙が行われて、瀕死のゴンを助けるためにキルアはアルカの治癒能力を使おうとして兄のイルミから逃げて、治ったゴンはジンと会う。・暗黒大陸編:会長の息子のビヨンドが暗黒大陸に行くと言い出して、暗黒大陸に向かう船の中でカキン王の王位継承戦が行われて、クラピカは王子を護衛しつつ第四王子を倒そうとする。ストーリーはバトル系漫画なので戦いがメインで、二種類の戦闘パターンがある。まずは目的主導のデスゲームみたいなパターンがある。ハンターになるためのハンター試験、ゲームをクリアして報酬をもらうためのグリードアイランド、暗黒大陸に向かう船でのカキン国の王子を選別するための儀式とか、限定された場所で特定の目的のために大勢の敵味方が入り乱れたバトルをしている。それから動機主導の登場人物間の因縁を解消する対決をするパターンがある。ゴンが天空闘技場でヒソカに借りを返したり、クラピカが幻影旅団と対決したり、キルアがイルミに反抗したり、ヒソカがクロロと対決したりしている。●登場人物の特徴ハンターハンターには『幽☆遊☆白書』と特徴が似ている登場人物が多いと思うので書き出してみる。ゴン:熱血バカ(浦飯幽助)キルア:強い暴力チビ(飛影)クラピカ:知的で中性的なイケメン(鞍馬)レオリオ:弱いブサイク熱血バカ(桑原)ヒソカ:変態ピエロ(美しい魔闘家鈴木)ビスケ:若返りババア師匠(幻海)アルカ:暴力チビのやさしい家族が監禁されている(雪菜)クロロ:技を奪う能力(乱童)、オールバックの強敵(仙水忍)ウボォーギン:やられ役筋肉(戸愚呂弟)ハンゾー:ボディーガード担当ハゲ忍者(風丸)ゲンスルー:爆弾能力(鴉)バショウ:言葉の特殊能力(海藤優)センリツ:盗聴能力(室田繁)キルアのヨーヨー攻撃は六遊怪チームの鈴駒がやっているし、ゼノの龍頭戯画は飛影の黒龍波だし、強さの差はあるけれど特殊能力を使いまわしている感じで既視感がある。登場人物の特殊能力自体はバトル系漫画によくあるもので、特に面白いというほどでもない。『幽☆遊☆白書』でもハンターハンターでも忍者がハゲなのは作者は何かこだわりがあるんだろうか。●知的要素としての面白さハンターハンターの登場人物の設定自体は『幽☆遊☆白書』と似ていて目新しいものではないのに、なぜハンターハンターは20年間も飽きられずに人気があるのかというと、窮地に陥った状況をどう知恵を出して切り抜けるのかという戦略性が面白さの特徴になっている。デスゲーム型の戦闘パターンに戦略性を加えることで、脇役の人数の多さを面白さにつなげることができるようになる。バトル系漫画は強敵と戦ううちに強さがインフレして収拾がつかなくなるパターンが多い。ドラゴンボールはその代表で、界王拳を数倍にしたり大猿やスーパーサイヤ人に変化したりしているけれど、結局やってることは殴り合いである。『幽☆遊☆白書』もトーナメントで戦ううちに強さがインフレしていくというテンプレ展開になってしまった。しかしハンターハンターは念能力の相性があることで、単なる強さ比べの殴り合いにならずに済んでいる。さらには念能力の発動に制約をつけることで、チート能力でパワーバランスが大幅に崩れないように制限している。たとえばクロロの技を奪う能力は物語に何度も登場してくる敵のボスにちょうどいい能力で、『幽☆遊☆白書』ですぐに倒された乱童とは違ってクロロは戦う度に違う技を使っていて、能力の底がわからなくて対策しにくい敵として攻略の難しさを強さにつなげていて、単純なパワーアップではない。戦略性の面白さの例では、たとえばハンター試験に出てくるトンバはほとんど戦闘能力がない脇役だけれど、主人公に協力するふりをして裏切っていて心理的な駆け引きで物語の見せ場を作っている。グリードアイランド編では個人の念能力だけでなくカードの活用が加わることで、単なる力比べにならずにカード集めの知恵比べの勝負になっている。『幽☆遊☆白書』ではトーナメントで一対一の力比べにしてしまったせいで能力の組み合わせや状況の利用などの戦略としての面白さが乏しかったけれど、ハンターハンターでは『幽☆遊☆白書』と似たようなキャラクターでも状況を変えることで違う面白さを引き出せている。●トリックスターとしてのヒソカ物語展開のキーパーソンになるのがヒソカである。敵でも仲間でもなく、クロロとタイマンで戦いたいという動機のために協力したり嘘をついたり裏切ったりする。これは『幽☆遊☆白書』ではなかったキャラクターの行動パターンで、ヒソカの存在が物語展開の幅を広げている。ヨークシン編ではクラピカと幻影旅団の対決がメインだけれど、そこではヒソカがクラピカと幻影旅団を橋渡しする重要な役割を果たしていて、ヒソカが幻影旅団のメンバーになったふりをして裏切ってクラピカに情報を渡して、占いによる未来予知を念能力でごまかすことで、単なるクラピカと幻影旅団の対決にならずにプロットが複雑になって先の展開を予想しにくくなる。先の展開がわからないから読者は結末が気になって物語に引き込まれる。占いや予言というのはプロットを作るための定番の仕掛けだけれど、予言を念能力でごまかすというのはハンターハンターならではの設定を活かした面白い展開といえる。グリードアイランド編ではヒソカは除念士を探す目的を隠しつつゴンに協力していて、ゴンの父親探しのエピソードが展開している裏で幻影旅団のエピソードを進展させるのに役立っているし、レイザーとのドッヂボール対決では実力差がある戦いが一方的にならないように仲介して調整している。ヒソカと仲良しのイルミも顔を変えられるので神出鬼没になる。味方や敵だと思っていた人物が実はイルミだったというパターンで物語を読者の予想外の方向に展開することができるようになっていて、プロット上の役割としてはヒソカを補助する役を担っている。変装で相手をだますのはルパン三世とか名探偵コナンとかの泥棒系でよく使われるプロットのパターンだけれど、騙し合いの戦略の面白さがうまれる。●プロットのパターンハンターハンターのテーマを大雑把に言うと、家族と仲間の話である。ゴンは父親探し、キルアはゾルディック家からの自立、クラピカはクルタ族のあだ討ち、幻影旅団は盗賊仲間で、そのグループ間で利害関係をめぐってごたごたする話が展開する。普通の少年漫画なら主人公グループが正義、敵グループを悪として単純な二項対立でとらえて、主人公が苦労して敵を倒して大団円で終わるという展開になるけれど、普通の展開にならないのがハンターハンターである。クラピカと幻影旅団は敵対していて、幻影旅団は欲しいものを奪うために平気で殺人する極悪非道な敵として描かれていて、どうやっても敵対関係が平和的に解決しそうにない状況である。しかしゴンは幻影旅団に仲間思いの側面を見出して、クラピカにもこれ以上殺人をしてほしくないということで団長との人質交換に応じて、パクノダは命と引き換えにゴンの思いを幻影旅団の仲間に伝える。こうすることで敵が単なる悪人にならず、敵にも仲間思いの人間性を持たせることができて、味方も敵もそれぞれ仲間思いなのだという終わり方になっている。このパターンがハンターハンターの特徴である。グリードアイランド編でもゴンたちは敵対していた爆弾魔のゲンスルーを倒した後は許して怪我を治療している。主人公グループと敵グループの敵対と融和のパターンを人間と他の生物との大きな問題にしたのがキメラ=アント編である。人間は脅威である蟻を殲滅したくて、蟻は弱い人間を支配したくて、これは争いの規模が大きいだけに解決しにくい問題である。しかし蟻が人間だったころの記憶を思い出して、蟻の王はコムギと出会ったことで人間性を獲得して、蟻が人間性を持った一方で人間の凶暴さを暴くというジンテーゼになっていて、単に蟻を倒して終わるというだけの話になっていない。ヨークシン編とはまた違うアウフヘーベンのやり方で、命令のままに行動していた蟻が転生して人間性を持つというのは漫画ならではの面白さである。暗黒大陸編はカキン国の国王と王子たちの家族内の対立にハンターたちが巻き込まれる形になっていて、クラピカは対立の当事者でなく冷静に護衛して平和的に儀式を終わらせようと調整しているだけで、その分感情的な葛藤がなくて盛り上がりに欠けている。王子の数が多すぎて人物像の掘り下げも不十分で、カキン王家の対立からクラピカのあだ討ちの物語にシフトしないと見せ場がない。しかしクラピカのあだ討ちのパターンはヨークシン編ですでにやっているので、別の落としどころを用意しないといけない。●欠点もあるよ・絵柄が変わる連載が長い漫画にはよくあることだけれど連載中に絵が雑になったり絵柄が変わったりしていて、顔が別人のようになっている。漫画としてキャラクターを描いているからには一番特徴がでる顔はできるだけ統一して欲しい。クロロがいつのまにかひろゆきになってしまうと魅力がなくなる。ヨークシン編のゼパイルの食事の仕方がAKIRAの金田のオマージュだったり、アルカ編でホラー風展開にして伊藤潤二のオマージュをしたりするのは漫画によくあることなのでそれは別によい。しかしそこに労力を使うくらいならもっと丁寧に描くべき部分があるだろう。・後付け設定の整合性念能力というのは後付けの設定のようで、念能力の出始めのころはキャラクターの強さと念能力との整合性がとれていなくてちぐはぐになっている。ヒソカは初登場時にはすでに念能力を使えるようで、天空闘技場で戦って幻影旅団に入って一人でクロロの相手をするくらい強いけれど、それだとハンター試験程度で傷を負うのはおかしい。ゾルディック家の執事たちは念能力を使えるのに、キルアが念能力を知らないのもおかしい。念を使えるようになりたてのクラピカがウヴォーギンに対して凝も使えるのかと上から目線で説明っぽいことを言っていたけれど、ビスケの修行でゴンが凝の訓練をしたように念能力者との戦闘では凝を使うのが当然なわけで、クラピカはちょっとおかしなことを言っている。幻影旅団がつわものぞろいの割にはノブナガの円の範囲がやたら狭くてゴンとキルアに逃げられているし、カキン第一王子私設兵のバビマイナの円の範囲のほうが広い。・ご都合主義での復活グリードアイランド編でゴンが腕を爆破されても大天使の息吹で一瞬で完全に治癒しているけれど、これはピトーの治癒能力以上の念能力ということになって、こういうことがほいほいできる念能力者の存在はパワーバランスを壊す。それからキメラ=アント編でピトーを倒すために無理やり大人になった反動で瀕死になったゴンはアルカの治癒能力で元の状態に戻る。無茶をしても後で治せるから大丈夫という大味な展開では、ハンターハンターの特徴である戦略性の面白さを損なうことになる。ご都合主義的な能力で超回復してしまうと医者を目指しているレオリオの無能さが際立つのもよくない。レオリオが念能力と寿命を引き換えにゴンを治すというくらいの制約を負わないと釣り合いがとれない。死後に念能力が強まるという設定を利用してヒソカは死んだ後に自分に心臓マッサージをして復活して、爆発で足がなくなっても念能力で補ったけれど、死の定義はどうなのかという点に疑問が残る。ヒソカのやり方で念能力が強化できるなら、たとえば嘘喰いのハンカチ落としゲームみたいなのをやって心臓マッサージで臨死体験から復活するだけでお手軽に念能力を強化できることになってしまう。ピトーに殺されたカイトは記憶を持ったまま転生していて、これではゴンの喪失感や復讐心はなんだったのかという話になる。転生したカイトはその後の物語ではまだ出番がなくて復活が蛇足気味になっている。ポックルとポンズは蟻に食べられても転生できなかったのに、ゴンと親しいカイトが転生して主人公の身内贔屓するのはよくない。・ヒロインがいない主人公のゴンとキルアは恋愛に興味がない子供で、クラピカは性別不明で、主要登場人物は恋愛方面での展開がない。パームがノヴに惚れているもののいかにも漫画的な大げさで猟奇的な恋愛になっているし、ヒソカは変態だし、スクワラとエリザの恋愛はほんのちょっと出てくるだけだし、恋愛に関連した面白さはない。念能力バトルと恋愛のかけひきの相性がわるいから恋愛方面は切り捨てているのかもしれないけれど、そのぶん登場人物の感情に深みがなくなる。●暗黒大陸編はどうなるのか暗黒大陸編までの主要登場人物の動機を整理してみると、以下のようになる。・ゴン:ハンターになって父親のジンに会いたい。(解決済み)・キルア:ゴンと友達になりたい、実家に監禁されていたアルカを守りたい。(解決済み)・クラピカ:クルタ族を滅ぼした幻影旅団を倒して、仲間の目を取り返したい。(進行中)・レオリオ:ハンターになって金を稼いで医者になりたい。(勉強中)・ヒソカ:クロロとタイマンで戦いたい。(進行中)・幻影旅団:ヒソカを殺したい。(進行中)・ビヨンド:暗黒大陸に行きたい。(進行中)・パリストン:暗黒大陸に行きたい。(進行中)・ジン:パリストンの好き勝手にさせたくない。(進行中)・カキン:王子を選別したい。(進行中)ゴンとキルアは会長選挙・アルカ編で目的を達成していて、それ以上の動機がなくなったので物語から退場している。主人公がいなくなってもまだ物語が進むというのは珍しいことで、本来ならゴンがジンと会ったところで完結するのがきりがよいと思うけれど、人気作品をみすみす終わらせたくないという出版社の事情もあるのかもしれない。ゴンとキルアの代わりにまだ目的を果たしていないクラピカが暗黒大陸編の主人公にかわって、レオリオは動機を掘り下げてもしょうがないのでチョイ役でしか登場しなくなった。しかしビヨンドが暗黒大陸に行きたいだの十二支んがどうのこうのという展開は、初期メンバーから登場人物の大半が入れ替わって脇役が大勢出てきて各人物の掘り下げが浅くて感情移入できる人物がクラピカしかいなくなって、クラピカが鎖を使い分けて一人で何役もこなしているけれど、場面が単調になってそのぶん物語の面白さとしては後退している感じ。それにクラピカの念能力はすでに完成しているのでこれから努力で能力が伸びる余地がないし、個人的な復讐目的では仲間との友情も深めにくくて、努力友情勝利の王道パターンも使えなくて手詰まりっぽい展開になっている。周りが敵だらけの王位継承戦の中でクラピカがどうやって第四王子から緋の目を取り返すのか、そして船内にいるヒソカと幻影旅団がどうなるか、暗黒大陸でビヨンドとジンとパリストンがどうなるのか今後の見所になる。暗黒大陸では未知の生物がうようよいて何が起きるかわからないというのは風呂敷を広げすぎていてうまく畳むのが難しそうだけれど、そこでキメラ=アント編以上のクライマックスをもってきてほしいものである。HUNTER×HUNTER(1) (ジャンプコミックス) [ 冨樫義博 ]
2018.02.19
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岡崎体育というミュージシャンのファンクラブでお金を使ったファンほどランクがあがって優遇されるシステムにしたらファンに優劣をつけたということで批判されて、それを受けてはあちゅうがお金を使ってくれない人はファンとは呼ばないと思うとツイートして、ファンはどうあるべきかというのが最近議論されている。JCASTニュースの「古本屋に売る」は悪なのか? 「著者のためには捨てるべき」説に議論百出という記事だと読書家は古本を売らずに捨てるそうで、作家の本谷有希子は古本を買う人を馬鹿にしていて、古本の売買の良し悪しも議論されている。これについてはいろいろ思うことがあるので、古本とコンテンツビジネスとファンとお金について考えてみることにした。●誰がクリエイターにとっての客なのかNHKの「漫画の危機!? 海賊版サイトの実態」という記事に日本漫画家協会の声明全文が載っていて、「作り手と、作品を利用するみなさんが、きちんとした「輪」のなかでつながっていることが大事です。」と言っているけれど、創作の努力に加わっていないのは海賊版サイトだけでなく古本もそうなので、言外に古本屋や図書館や漫画喫茶も批判している。作家は古本屋や図書館や漫画喫茶を敵視するけれど、本が売れなくても刷った段階で印税が支払われるので、作家の直接の客は読者でなく出版社である。出版社の客は取次で、取次の客は本屋で、本屋の客は新本を買ってくれる読者である。しかしその先にも読者と古本屋の市場がある。作家⇔出版社⇔取次⇔本屋⇔読者⇔古本屋⇔読者という金の流れになって、作家や出版社にとっては本屋で新刊を買ったり電子書籍を買ったりする読者がエンドユーザーで、読者⇔古本屋⇔読者を別の市場とみなしているけれど、読者側からしたら別の市場ではない。作家が古本を買う読者を客じゃないと扱うと、新本を買って古本屋に売る人も客でないということになって、客の利便性を無視していることになる。なんで自分の財産である本を古本屋に売ったら非難されるのか。●財産としてのコンテンツの価値たとえば1000円の本が出版から5年たって古本で100円で売っていたら、定価の1/10の値段で激安である。2-3回人手に渡ったとしても状態がよい本ならとてもお買い得である。これがもし数回袖を通しただけの1万円のジャケットが5年たって流行おくれになって古着屋で1/10の1000円で売られていたら、あるいは20万のゲーミングPCが5年たって中古で1/10の2万で売っていたら、あるいは新築で4000万円の家が築5年で中古で1/10の400万円で売られていたら、たいていの人は激安だと思って飛びつくはずである。中古ゲームソフト訴訟だと最高裁で中古ソフト販売が合法で著作権法違反ではないという判決になったし、中古ゲームソフトと同様に古本を売買するのも合法である。それなら古本をお得だと思って買っても非難されるいわれはないではないか。そもそも市場で流通しないものは財産としての価値が少なくなる。流行に敏感な人は流行からはずれた服を売った金で新しい服を買うし、ゲーマーは古いゲーミングPCを売って新しいパーツを買うし、不動産は中古で売ることを見越して立地や間取りを考えて新築を建てる。消費者の購入の前提としていらなくなったら中古で売ることを踏まえて自由に処分できる財産として買っているので、もし中古として売れずに捨てるしかないとなったら高い金を出して買うのをためらうようになる。商品の人気や状態によって値段が変わるのが市場原理だけれど、無理に定価を維持しようとする再販制度が時代に合わなくなっていて、そのゆがみが本の売り上げ減少につながっていると私は思う。前は新本を買って読み終わったらすぐ古本屋に売るようなベストセラーをほいほい買う客層がいたものの、出版社がブックオフの株主になって買取金額をしぶるようになってからは新本を買ってブックオフに売る人も減って、ブックオフは品揃えに魅力がなくなって客がいなくなって業績不振になった。出版社は目の敵にしていた古本市場をつぶした代償として新本市場も少なからず縮小させたのである。某掲示板での議論を見ていると、「作者に金が入らないから古本は買わない」という意見もあった。しかしそういう人は自動車メーカーに金が入らないから新車だけ買って中古車は売買しないとか、建設会社に金が入らないから新築だけ買って中古住宅は売買しないとかは言わないだろう。あるいは逆に自動車メーカーは中古車を買う人はうちの客じゃないとか、マンションデベロッパーは中古マンションを買う人はうちの客じゃないとかも言わない。中古でも安心して乗れる車は当然新車としても価値があるから人気がでるし、中古でも値下がりしないマンションは不動産として価値があることの証明である。中古で値崩れせずに売れるというのは財産として価値があったり人気があったりするわけで、作者はブランドとして価値が高いことを喜ぶべきである。ではなぜ小説やアニメなどのコンテンツビジネスでは中古を売買したり無料で鑑賞することが敵視されて、作家は古本を買ったり図書館で読んだりする人をファンではないとみなして、ファンが作者の懐具合を気にするのかというと、創作活動は営利活動なのに経営に疎い個人事業主だらけでビジネスとして未熟なのである。作品が保有したり売却したりする財産として扱われておらず、クリエイターは個人事業主ではなく保護するべき弱い芸術家として扱われて、ファンと自称する人たちは単なる消費者なのにクリエイターを養ってやっているスポンサー気取りになっている。しかしクリエイターが貧乏な原因は出版社からもらえる印税が低いとか、取次ぎと書店の力関係のせいで売り場に本が並ばないとか、ビジネス自体の問題であって、本来は客がクリエイターの懐事情を気にするようなことではない。クリエイター側にしても、漫画家やアニメーターの長時間労働が問題になっていてやりがい搾取ビジネスから抜け出せていない。ファンにスポンサーとして創作資金を出してもらいたいなら、法人化して出資割合に対して作品に口出しする権利を持って作品の利益を分配する仕組みにしたり、クラウドファンディングで作品ごとに資金調達する仕組みにしたりすればよいではないか。クリエイターが金を出さなきゃファンじゃない、金を出さないやつがファンぶって馴れ馴れしく話しかけるなという態度をとるのはビジネスがうまくいっていないのを客に八つ当たりをしているようなものである。●デジタルコンテンツの無料化とマネタイズの問題YouTuberはファンに何も買ってもらわなくても、動画と広告を無料で見てもらうだけで商売になっている。スーパーチャットで投げ銭をしたりスポンサーになったりする熱心なファンもいるけれど、金を出さないファンが大勢存在することでYouTuberという仕事が成り立っているので、金を出さなければファンでないというはあちゅうの定義は成り立たない。クリエイターの創作資金不足は事業としての収益化の問題で、ファンが金を出さなくても広告とかで別の形で収益をあげて創作活動ができればいいわけである。複製可能な芸術は複製するほどモノとしての価値が希薄化していって、最終的には無料になる。インターネットが発展したらデジタル化したコンテンツが無限に複製可能になって全世界で無料で共有されるようになるというのは予想されていたことで、ISDN、ADSL、光回線と徐々に回線速度が速くなってデータ量が大きい動画でさえ視聴できるようになって、世界中に違法コピーが蔓延するのもなるべくしてなったという状況である。テレビ、音楽、出版の個々の業界が既得権益を守るためにコンテンツのデジタル化に抵抗したけれど、他にもゲームとかSNSとかYouTubeとかの無料の娯楽がわんさかあるなかで無料コンテンツの時間の奪い合いに巻き込まれることは避けられないので、どれも無駄な抵抗に終わっている。テレビ局は最初はライブドアのフジテレビ買収に抵抗したりしてインターネットを敵視したり、CMスキップできるレコーダーを敵視したりして技術革新に抵抗して視聴者の利便性より既得権益を優先していたけれど、若者のテレビ離れを食い止めるために結局はインターネットで公式の見逃し配信をして動画にCMをつけることでデジタル化に対応した。しかしYouTubeやニコニコ動画で好きなときに好きな動画を見る環境で育った若者は茶の間で家族そろってテレビを見る習慣がなくなっている。音楽業界はコピーガードCDを出したりMIDIを潰したりして音楽のデジタル化に抵抗したものの結局CDは時代遅れになってダウンロードやストリーミングが主流になって、もたもたしているうちに音楽配信のプラットフォームを外国企業にとられた。著作権もぎちぎちに管理してスーパーのBGMではオリジナルソングが流れて町で流行歌を耳にすることがなくなって、若者が音楽離れして声優が歌うアニソンがオリコンのランキングに入るようになって、音楽業界が危機感を持ったのかサンプル用のショートバージョンでないフルバージョンのPVを宣伝に使うようになったけれど、やるなら最初からやれという話である。無料のPVを宣伝に使ってライブに原点回帰して複製できない体験を客に提供することでミュージシャンはデジタルと共存できるようになった。出版業界は取次ぎや本屋との利害関係の調整ができなくて電子書籍のプラットフォームを作れず、自炊代行業者を取り締まってコンテンツのデジタル化に抵抗した。それでも結局はジャンプ+や裏サンデーとかで無料デジタルコンテンツを宣伝に使いだしたし、Amazonの定額読み放題サービスに参加している。日本漫画家協会が海賊版サイトを使わないように呼びかけた一方で、佐藤秀峰が「僕が漫画村を批判しない理由」という記事を書いている。私は出版社に問題があると思っているので佐藤秀峰の意見を支持するし、佐藤秀峰のマンガonウェブや赤松健のマンガ図書館Zのように漫画家自身がコンテンツプラットフォームを作るほうがビジネスとしてよいやり方だと思う。電子書籍は中古で売れない分、定価販売とレンタルに分けることで財産として所有するほどの価値のないコンテンツはレンタルして安価に読み捨てることが可能になって市場原理に対応していて、紙の出版が減っているのに反比例して電子書籍の売り上げは増えている。こうなると経年劣化する紙の本や雑誌を新品で買うメリットはあまりなくなって、経年劣化せずにいつでも読みたいときに新品同様で読める電子書籍さえあれば足りるようになる。数年前はwinnyやtorrentで音楽や漫画やアニメのファイルがダウンロードされたのが問題になってダウンロードが違法化されたことで逮捕者がでてファイル共有は下火になったけれど、閲覧するのは違法じゃないと主張する漫画村が出てきてこれには現在の法律では対処できていない。技術の進歩を日本国内で止めようとしても無理で外国のサービスに先行されるし、法律で規制しても法律の抜け穴をつかれていたちごっこになるし、国交のない国で海賊サイトを運営されたら摘発しようがない。従来のビジネスモデルが通用しなくなって既得権益がなくなることに愚痴を言ってもしょうがないので、社会の変化に対応したビジネスモデルを見つけないといけない。デジタルコンテンツの無料化を止めようとするのでなく、検索のしやすさや画質の良さやレビューの充実やSNS機能で客の利便性を追求して、その付加価値を有料で提供すればいい。その付加価値の提供をアナログでやっていたのが図書館や漫画喫茶で、デジタルネイティブ世代が社会の中心になるとデジタルコンテンツでも同じ流れになる。電子書籍の定額読み放題サービスは本の在庫を持たずに月会費で定額収入が入って、流通を省けば原価率も低くなるので出版社にとっては儲かる条件が揃っているのだけれど、紙にこだわってみすみすビジネスチャンスを逃したうえに海賊サイトにデジタルコンテンツの広告収入をごっそりもっていかれて、出版社の経営陣は経営センスがない。すでにコンテンツは飽和状態なので、これからのコンテンツビジネスは数を増やすよりも質を高めて選別してプラットホームに囲い込んで、ポケモンのように全世界で売れるコンテンツを育ててアニメやゲームや映画でマルチメディア展開しておもちゃを売ったり他業種の企業とタイアップしたりしてライセンスビジネスを拡大することが重要になる。しかし出版業界は自転車操業で出版点数を増やしているし、アニメ業界は似たようなアニメの数を増やしてアニメオタクさえも見る時間がなくなっているし、時代と逆行して粗製乱造してクリエイターも低賃金長時間労働で疲弊して衰退するべくして衰退しているという状況になっている。ファンが作品を買い支えればクリエイターを救ってやれるというわけではなく、流通過程で大幅に搾取されてクリエイターに金が渡らないビジネスモデルが変わらないと根本的な解決にならない。●ファンに優劣はあるのか、ファンを金儲けの対象にしてよいのか私は超絶貧乏なのでほとんど古本を買っているけれど、古本を買うことを別にやましいとも思わない。文学の研究書とか翻訳小説とかは絶版が多くて電子書籍もないので古本じゃないと手に入らないことが多い。私は新本でも古本でも買いたいものを買いたい値段で買うだけで、買いたい値段で買えなければ図書館の蔵書を探すか、読むのをあきらめるだけである。私は私の利益や幸福を最大化するために行動するし、それが市場原理である。市場原理と作者への尊敬とは別の話であって、私は作者に金を出すことがファンの条件だとは思わない。たとえば恋愛するときにプレゼントを買った人だけが相手を好きだといえるわけでもなく、遠くからこっそり片思いする人がいたっていいわけである。各自が自分のやり方で好きになるだけである。ファンとはそういうもんで、クリエイターや作品が好きだという感情に優劣はないし、金額の大小で優劣が決まるわけでもない。ファンは自分が満足するまでクリエイターに金を出すなり声援を送るなりすればよい。しかし俺は限定版をコンプリートして何万円も金を出したから筋金入りのファンで、あいつは金を出さないからファンではないニワカだ、というように自己満足の基準を他人に押し付けるのは筋違いである。クリエイターは資本主義の中で営利活動をしているので、市場原理に基づいて自分の利益を最大化するためにビジネスモデルを作ればよいし、ファン相手にいろいろな資金調達の手段をとるのも批判されることではない。ファン同士に優劣はないけれど、クリエイターがファンを平等に扱わないといけないなんていう決まりはない。太い客数人を囲い込んで優遇するのも、SNSで広く浅くファンと交流するのも、クリエイターの自由である。岡崎体育のファンクラブのランクに応じて特典の差があってもよいし、金がない小中学生はファンレターを送るなりして自分のやれる範囲で精一杯岡崎体育を好きになればよいわけで、金を出したファンと同じ特典をもらえないことに文句を言う筋合いはない。ライブで最前列の席の値段が高くて立ち見席の値段が安いけれど、高い金を出す人に良い特典があるのは当然で、それが市場原理である。バフェットとランチする権利はオークションで3億円で売られていたし、クレジットカードで1000万円使ったらYOSHIKIに会う権利がもらえてもよい。AKB48は会えるアイドルというビジネスモデルなのでCDをたくさん買った人が会って握手できたってよいし、音楽性とビジネスモデルは別の問題である。小説家は普段顔出ししない仕事のせいかミュージシャンに比べてファンサービスをマネタイズする意識が低いようで、サイン会をして本を売る程度しかやっておらず、公式ファンクラブがなかったりオリジナルグッズの物販がなかったりするのは収益化する機会の損失になっていてもったいないと思う。●私の意見のまとめ・消費者が合法的に中古の作品を買ったり無料で作品を鑑賞したりするのをクリエイターが批判するのは市場原理に反する。嫌なら裁判したり法律を変えたりするしかない。・著作権侵害はよくないが海賊版は止めようがない。無限に複製可能なデジタルコンテンツは価値が希薄化していずれ無料化するので、クリエイターはコンテンツを宣伝に使って複製できない体験やサービスなどの付加価値を売るほうがよい。・ファンになるのに条件はない。金を使おうが使うまいがクリエイターや作品を好きな人はファンで、ファン同士に優劣はない。・ファンが自己満足のために金を出すのをクリエイターはビジネスとして利用してよい。お互いが満足するウィンウィンの関係になる。
2018.02.14
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戦後に父親が逮捕されて借金を返さないといけなくなった姉妹が自宅を慰安所にしてアメリカ人を相手にする話。●あらすじ空襲がくると知った映画監督の宮本は家を売って疎開しようとするものの、有希子と久美子の姉妹は母親の思い出がある家を売ることに反対して、家は下町から少し離れていたので空襲で焼けずにすむ。宮本は警視総監の依頼で進駐軍から日本人の貞操を守るための慰安所を作ることになり、家出娘の祥子に慰安婦のテクニックを仕込むものの、アメリカ人の肉を食べた容疑で逮捕され、父親の借金が残された姉妹は父親の部下を訪ねるもののあてにならず、有希子は恋人の後藤少尉を探し出すことを生きがいにする。恋人がいない久美子はエッチに興味を持って銀座をぶらついてパンパンのお春の忠告を無視してアメリカ人についていってストッキングと引き換えに情事してショックをうけてお春を頼り、自宅を慰安所にして借金を返すことを思いついて有希子を説得してスプリング・ハウスを営業する。宮本への恩返しに来た祥子も加わって順調に慰安していると、後藤が訪ねてきて有希子に特攻で死に損なった話をして情事する。金を払わないアメリカ人がいたので用心棒にやくざをやとって同級生の鬼塚と再会して、後藤は大佐を殺して逃げていることを有希子にうちあけて家に一緒に住むようになる。久美子に惚れたアメリカ人の父親の口利きで宮本は証拠不十分で釈放され、姉妹は慰安所を経営していたことを父親には内緒にしてごまかす。有希子と後藤は結婚を認められて神戸に旅行して後藤が仇討ちに行って逮捕され、有希子が家に戻ると久美子はピーターとの仲がこじれて自殺未遂したものの一命をとりとめ、母親が恋人と心中したことを知って父親にすべて打ち明けることにする。●感想三人称で、中盤で久美子の手記がはさまれる形式。もとは雑誌の連載で、数ページごとに細かく章立てしてあって時系列順に展開する形式。章立てが細かいのでそのぶん場面ごとの区切りがはっきりしていて読みやすい構成になっている。戦争の当事者が書かなかった、あるいは書けなかったテーマを後世の作家が書くことはよい。戦争の経験者が直接同時代を書くのに比べて生々しさはなくなってリアリティは薄れるものの、そのぶん読みやすい話になっている。汚い部分をあえて書かないでヒロインがキラキラしている少女漫画風のポルノという感じ。情事の場面のエロスのさじ加減はベテラン作家ならではのうまさ。戦争を経験した年配の読者が読んだら戦中戦後で友人知人が大勢死んでいるのにのほほんとしてる姉妹はおかしいとか突っ込みどころはあるものの、戦中戦後の悲惨さを焦点にしない小説があってもよいし、リアリティがなくなるぶん戦争の当事者が書けなかった部分を書ければ作品の存在意義はあると思う。しかしこの小説が書いているのは昭和天皇の口癖を嘲笑する不敬なポルノと言う程度で、わざわざ言論の自由がある現代に書くほどのものかというとそうでもない。プロットについては、特攻くずれの後藤少尉を登場させるあたりは戦争ものの安全パイで、復員した兵士がどうのこうのという既視感がある展開になっていて、もし特攻で死なずに帰ってきたら上官に復讐して思い人と情事して昭和天皇を笑って生きてればいいことあるよという一種の鎮魂の物語になっている。姉妹の慰安所の運営は順調で金を払わない客がいたり高校の教師に貞操をとがめられたりした程度で、父親が帰ってきたら姉妹の性に対する動機がなくなってしまい、後藤のほうが復讐したり警察から逃げたりする動機が強いので、そのぶん姉妹のメインプロットから話がそれて終盤は後藤が話の中心になってしまっている。中盤に易者の占いを入れたり終盤に夢を書いたりするあたりはオーソドックスな手法で、もともとリアリティが薄い話なのにさらに小説的な手法に頼ったことでクライマックスでいっそううそ臭くなって、後藤の復讐や久美子の自殺を書いたところで予定調和的になって緊張感がなくなってしまった。名前のない占い師にプロットの方向性を決めさせるのは過剰な役割分担で、その反面やくざの鬼塚はプロット上の役目がなくて存在意義がない数合わせ的な登場人物になっていて、このへんはエピソードの作りこみが甘くて登場人物を十分にプロットに参加させていない。貞淑な女と奔放な女のヒロインコンビにしても、サッカレーの『虚栄の市』とかシェイクスピアの『じゃじゃ馬ならし』とかに比べて主人公に魅力がない。行動力がある久美子は序盤のプロットを引っ張っていて存在感があってよいものの、有希子は久美子や後藤の付属物のようになってしまって自発的に行動を起こしておらず、主人公の割には存在感が乏しい。有希子と久美子はやくざと手を組んだのにヒロポンや賭博に手をだすわけでもなく、退廃姉妹と言うほど退廃していないのはタイトル詐欺という感じ。坂口安吾とか阿佐田哲也とかのハードボイルドな退廃を期待してこの小説を読むと期待はずれになる。★★★☆☆退廃姉妹 【電子書籍】[ 島田雅彦 ]*「本文にわいせつ、もしくは公序良俗に反すると判断された表現が含まれています。」とメッセージがでて投稿できなかったので、この場で楽天の言葉狩りに抗議しておく。楽天の基準だと処女/喪失は公序良俗に反するらしいけれど、みきたには処女を喪失しなくても人間が産まれるとでも思っているんだろうか。さすが三流IT企業の楽天はすばらしい見識をお持ちである。
2018.02.10
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