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童話の短編集。1888年の刊行で著者が33歳のときの作品。●あらすじ「幸福な王子」は生前は幸福だった王子の像が町の様子を見て悲しんで、燕に頼んで刀のルビーや目のサファイヤや体の金箔を貧しい庶民に分けてみすぼらしい姿になったら住民に捨てられた話。「ナイチンゲールとばらの花」は青年が好きな人に赤いばらを持ってきたら王子の舞踏会で一緒に踊るといわれて途方に暮れて、それを見たナイチンゲールが青年に恋をして自分の血でばらを赤く染めて死ぬものの、青年は女に振られたのでそのばらを捨てて恋はばかばかしいと形而上学の勉強をする話。「わがままな大男」はわがままな大男が子供が庭で遊ぶのを禁止したら庭に春が来なくなったので、また庭で子供を遊ばせたら春が来て、手足に釘の跡がある子供に天国という庭に連れていかれる話。「忠実な友達」は独身の川ねずみが愛より友情が尊いというので、紅雀がハンスが友情を口実に粉屋に搾取されて死んだ話をしたけれど、川ねずみは教訓が理解できない話。「すばらしいロケット」は皇太子がロシアの王女と結婚して、結婚式で打ち上げられる予定のうぬぼれたロケットが他の花火たちを見下していたら泣いて湿っていたので打ち上げに失敗してどぶに落ちて、子供に拾われてやかんを沸かすために燃やされて打ち上げるものの誰も見ていなかった話。「若い王」は16歳で戴冠することになった若い王が戴冠式の衣服を縫う織匠の愚痴を聞く夢をみたり、ガリー船の船長が黒人奴隷を海に潜らせて王の錫につける真珠を取る様子を眺める夢を見たり、森で王冠のルビーを探す人たちが「死」と「貪欲」に殺される夢を見たりして、戴冠式でそれを身に着けないことにして羊飼いの杖と野茨の冠をつけると行く先々で馬鹿にされるものの、キリストの像に祈ると日光が金紗の衣になって杖から真珠より白いユリの花が咲いて茨から赤いバラが咲いて人々が畏怖する話。「王女の誕生日」はスペインの12歳の王女が誕生日にジプシーの侏儒の踊りが気に入って、もう一度王女の前で踊るように侏儒を呼んだら侏儒が初めて鏡を見て自分が笑いものにされていると気づいて死んでしまう話。「漁師とその魂」は人魚を捕まえた漁師が歌声に惚れて求婚すると人間の魂を捨てたら愛せるといわれて魂を捨てることにして、神父に相談したら魂は世界中の黄金の値打ちがあるといわれて、商人に魂を売ろうとしたら銀ひとかけの値打ちもないといわれて、魔女に相談したら一緒に踊れと言われるので踊って、ナイフで魂の影を切り取ると、魂は年に一度は会いに来て呼びかけるといい、1年目に魂が東方を旅して知恵の鏡を見たことを語るものの漁師は愛は知恵に勝るといって魂をしもべにするのを断り、2年目に魂が南を旅して皇帝から富の指輪をもらったことを語るものの漁師は愛は富に勝ると断り、3年目に魂が踊る少女について語ると漁師は気になって魂と一緒に街に出かけて、魂に言われるままに銀の杯を盗んだり子供を殴ったり強盗したりして魂を嫌いになり、漁師が海岸に戻って愛の力で魂の悪事のささやきを断り続けると、1年目に魂は世の中の苦しみを語って善行で誘惑しようとして、2年目にはもう誘惑しないから心臓に入らせろというものの恋で心臓が囲まれていて入り口がなく、人魚の死体が岸辺に打ち上げられて漁師は一緒に溺死して、3年目に司祭が神の怒りについて語ろうとしたら墓場の上に咲いた花の香りを嗅いで愛について語ってしまう話。「星の子」は星が落ちてきて木こりが宝物を見つけたと思ったら星の子だったので育てたら美男子だけど高慢で残酷でわがままになり、星の子が乞食女に石を投げていたらその女が母親だと言い出したので星の子が追い払ったらその罪で蟇蛙みたいな顔になってしまい、星の子が母親を探しに出かけてもぐらもちやべにひわや栗鼠に行方を聞いても答えてくれなくて、3年放浪したらある町で奴隷として魔術師の老人に買われて、3枚の金貨を取ってこないと三百回鞭打つと言われて、野ウサギを助けてお礼に金貨を見つけてもらってその金貨をらい病の男にあげて町に戻ったら顔が元に戻って主として歓待されて、実はらい病の男が王で乞食の女が王妃だったので、星の子が国を統治するものの3年で死んでしまう話。●感想訳者のあとがきによるとワイルドの童話には発表当時にも毀誉褒貶があったそうだけれど、私は批判的である。まずは童話なのに真摯に子供向けに書かずに小手先のテクニックを使う逃げの姿勢は評価しない。「幸福な王子」や「若い王」や「漁師とその魂」や「星の子」でエピソードを3回分語るのは芸術のパターンの一種で、3が連続を感じられる最小の数だから3で構成されるという説がある。2回だとテーマの強調としては物足りないし、4回だとくどくなったり焦点が散漫になったりするので、構成としては3が収まりがよい。この3回のパターンはテクニックとして意図的にやっているのだけれど、馬鹿の一つ覚えみたいにテクニックに頼りすぎていて物語の展開が単調で冗長になっている。特に「漁師とその魂」は、魂を捨てる方法の相談相手が3人、魂の悪事の誘惑が3年分、魂の犯罪が3回、魂と一緒になってからのオチまでのエピソードが3年分で、3の繰り返しがくどいし、53ページもあるのは童話として構成が長すぎて子供がエピソードを覚えられる量ではない。3を構成に入れるなら「三枚のお札」や「三匹の子豚」のように3の繰り返しのパターンひとつで話を構成するのが童話として子供に語り聞かせるのにちょうどいい分量で、それ以上繰り返すのは装飾過剰になる。童話ならではのテクニックとしては善良で自己犠牲をする動物と人間を対比して人間の利己主義を批判したり、擬人化した動物の失敗から教訓を引き出そうとしているけれど、はたして動物は善良なのか私は疑問である。私はやさぐれたハードボイルドな子供だったので、アンパンマンやサンリオやディズニー的な擬人化された動物が病気も死も経験せずに仲良く平和に過ごしている子供だましの世界が嫌いなのである。動物にしゃべらせて問題を矮小化することが子供向けの童話だと勘違いしている子供をナメた姿勢が気に入らない。動物が生存のために縄張り争いをしたり交尾したり他の動物を襲って食べたりするのが自然の生態で、動物を無垢で善良だとみなすこと自体が子供だましである。動物の野生の本能がきれいな本能で人間の本能が反道徳的でけしからんものだというのはおかしい考え方で、自然や野生動物を煩悩がない美しい存在としてみなすのであれば、かわいく善良で無垢な存在として恣意的に擬人化されて描かれた動物はかえって醜く映る。人間の美徳を描きたいのであれば人間の実在に向き合うべきで、動物を引き合いに出す必然性はない。「ナイチンゲールとばらの花」はダメ男に片思いする女の話でいいわけで、ナイチンゲールの話でなくてもよい。それからキリスト教的な道徳観を雑に押し付けるテーマの書き方もよくない。「幸福な王子」は子供のころにアニメを見たことがあるような気がするけれど、大人になって読み直してみるとずいぶんひどい話だった。善人が死んで天国に行ってめでたしめでたしというオチは現世での救済をあきらめている人生の否定である。幸福な王子が貧しい庶民を救うために宝石をあげたところで、一回限りで活動にサステナビリティがないし、燕は使い捨てのひどい待遇である。目の前に困っている人がいるからとりあえず金目のものをやるというのは問題の本質的な解決につながらないので、庶民に政治経済の教養を身につけさせて自立させたるところまでやらないと意味がない。それに庶民が出所不明な宝石をもらったところで、売って現金に変えようにも盗品扱いされかねない。王子が町を見渡せるという特性を生かして政策を考えるとか、燕以外にも手下を増やして町を監視して貴族や金持ちの不正を掴んで脅迫して庶民いじめをやめさせるとか、もっと大勢の庶民を救う方法があったかもしれない。為政者が無能だから弱者が苦しむのであって、政治や法律が変わらないと結局は弱者は救われないわけで、王子の自己犠牲は一時しのぎにはなっても救済になっていない。最後に神様が天国の庭で燕が永遠に歌い続けて、黄金の町で幸福な王子が神を褒めたたえさせるつもりだというけれど、神が王子の鉛の心臓に価値があると思っているのなら黄金の町を所有しているという拝金主義の価値観は矛盾している。というか神が所有している黄金の町の黄金を弱者に分けてやればよいではないか。この無能で独善的な神は何がしたいのか意味不明。「若い王」もキリストごっこをしたいだけで、実際に誰かを救ったわけでもなく、王になって政治と法律を変えて庶民が暮らしやすくするわけでもなく、王が神に選ばれた特別な存在になったという陶酔を満たしただけで終わる。これではキリスト教徒に転生したら奇跡がおきて俺スゲーというラノベもどきで、「キリスト教徒になろう」系とでもいうような雑な展開である。「星の子」は神やキリストがでてこなくて自分で政治をやる分「幸福な王子」や「若い王」よりましだけれど、貧しいものに服と食事を与えて国じゅうが平和と潤沢に包まれました、というその費用をどこから捻出したのかを無視している。それに星の子が王になってから弱者が救済されたというなら、星の子の親である王は星の子の道徳を試したくせに自分は弱者から搾り取る悪政をやっていたということになるので、道徳の話としては矛盾している。そもそもワイルドがしつこく描くほどキリスト教はすばらしいものなのか。今でこそイスラム原理主義者が非難されているけれど、キリスト教徒だってさんざん拷問や虐殺や文化破壊をやってきた。キリスト教徒がアレクサンドリア図書館を焼いて古代ギリシアや古代ローマの学問が失われて、教皇が金と欲にまみれて庶民から税金を搾り取って世界中の異教徒を征服して、学問よりも迷信を重視して異端狩りをする野蛮な暗黒時代を千年も続けることになったし、現在進行形で神父の児童虐待が起きている。しかしワイルドはキリスト教の汚点には触れず、人間の本質を見ようとせず、キリスト教の価値観をすばらしいものとして無条件に礼賛する。「幸福な王子」は今でもよく知られていていい話扱いされているけれど、誰のための自己犠牲なのか、何のための自己犠牲なのかということを突き詰めないで、自己犠牲して弱者を救済して神様に褒められた感動的な話としてとらえてしまうのは危険である。自己犠牲するのが尊いと考えているうちは、どんな宗教や組織であっても無能な働き者が過激な自己犠牲をするようになる。チベットの仏教徒のように焼身自殺する方向に自己犠牲するかもしれないし、イスラム教徒のように自爆テロをする方向に自己犠牲するかもしれないし、日本人のようにお国のために特攻する方向に自己犠牲するかもしれないし、仕事のために過労死する方向に自己犠牲するかもしれないし、政治家の秘密を守るために秘書が自殺する方向に自己犠牲するかもしれない。目的と手段の両方が重要なのに、ワイルドが描く自己犠牲は弱者救済する目的に対する手段としての自己犠牲というより、神様に気に入られる目的に対する短絡的な手段としての自己犠牲で、目的と手段の両方が間違っている。弱者を救いたいのが目的であればいくつも手段をとりうるのにその手段を考えようとせず、社会を改善するための建設的な思考を放棄している。財産を放棄することでノブレスオブリージュも放棄して、自分は神様に認められてめでたしめでたしでその後の社会がどうなろうが知ったこっちゃないというのは童話というより子供だましの幼稚な話というべきだろう。作者は弱者救済のいい話を書いたつもりになってナルシズムを満たしても実際に弱者を救済できる案はまったくなくて神に丸投げで、その考えの浅さを童話という形にして現実に向き合うことから逃げている。というわけで作家としてテーマの取り上げ方と掘り下げ方が雑で、童話というよりは似非宗教書になっていて、キリスト教の価値観をなぞるだけなら作家として存在する意味がない。こんな時代遅れなもんを子供に読ませるくらいなら知育アプリでもやらせるほうがましである。★★☆☆☆幸福な王子 ワイルド童話全集/ワイルド/西村孝次【2500円以上送料無料】
2018.04.28
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今は猫も杓子も異世界に転生するのが流行っているようである。私はライトノベルは読まないのだけれど、漫画やアニメにも異世界転生が侵食してきて、コンテンツとして無視できないほどの一大勢力となっているので、異世界転生の物語について考えることにする。●異世界転生は物語を作りやすいライトノベルに異世界転生ものが多い理由は素人でも物語を作りやすいからだろう。物語を作りやすいということはコンテンツを量産したい漫画業界やアニメ業界の商業主義にも適合する。漫画化やアニメ化がされやすくて一攫千金が狙えるということで、小説家になりたい素人がこぞって「小説家になろう」というサイトで異世界転生の小説を書いているようである。角川のNOVEL 0というライトノベルの賞だと異世界転生以外オールジャンルOKとわざわざ異世界転生禁止の条件をつけて、文学フリマの短編コンテストでも異世界転生なしの縛りがあったそうな。テーマを指定する文学賞はあるけれど、テーマを除外するのは珍しい。それくらい異世界転生が流行っているようである。なぜ異世界転生は物語を作りやすいのか、以下で解説する。・取材なしで凡人を天才にできる物語の主人公はたいていは主人公にふさわしい才能や魅力を持っている。実世界の天才をベースにして小説を書こうとすると、伝記を読んだり時代背景を調べたり、あるいは現役のトッププレイヤーに密着取材したり業界の最新の動向を追いかけたりして、取材に労力と費用がかかる。しかし異世界転生すれば、どんな凡人でもチート能力を授けて異世界の天才に仕立てることができる。凡人がネット通販スキルがあるだけで異世界では楽に高額商品を仕入れて商人として大儲けできるし、平凡な料理人が異世界の店で現代料理を作るだけで人気店になる。まったく取材しなくても天才が活躍するサクセスストーリーが簡単にできあがる。・主人公が天才なので簡単に脇役を従わせることができる現実世界の人間関係は一筋縄ではいかない。天才や金持ちでさえ恋愛には苦労したり失敗したりするし、人気の芸能人も熱愛で結婚したくせに価値観の違いですぐ離婚する。そういう人間関係の複雑な感情の機微を作品に落とし込むには作家はまず人間を観察しないといけないけれど、これはフィクションのキャラクターを作るのとは違って洞察力が必要になる。作家は自分の人生経験で出会った人たちを人物造詣に反映させて登場人物のモデルになった人に訴えられることもあるし、それほど苦労して人間の感情や葛藤や軋轢を掘り下げるわけである。主人公だからといって無条件で好かれることがないからこそ、主人公は他の登場人物を理解しようと悩んだり、妥協したり、挫折したりしながら友情や愛情を深めていく。しかし異世界なら主人公は圧倒的なチート能力を持っていて魅力があるので、ヒロインがほいほいついてくる。恋愛シミュレーションゲームで徐々にヒロインの好感度を上げるような手間さえかけずに、出会ったその日に一方的に相手から好感度MAXで惚れられるので、奴隷の少女でも冒険者ギルドの眼鏡っ子の受付嬢でも巨乳の女剣士でもちっぱいエルフでもよりどりみどりである。主人公は好きな子に告白して振られたらどうしようかと悩む必要もないし、恋人が浮気して裏切られる心配もない。主人公が人間関係に悩まずに脇役を大勢引き連れて理想のストーリーを展開できるのである。・設定を作りこまなくてよい現実世界を舞台にすると法律や科学や政治や経済の幅広い知識が必要だし、いちから架空の世界の設定を作ってそれを読者に説明するのも大変である。しかし異世界なら設定を作りこまなくてよい。剣と魔法のファンタジーは北欧神話をネタにした二次創作のようなものだけれど、異世界ファンタジーは既存のファンタジーをネタにした三次創作や四次創作のようなもので、たいていの人は剣と魔法のファンタジー的な世界観を知っているのでゴブリンはどういうモンスターなのかといちいち説明する必要がないし、異世界の生態系とか魔法の仕組みとか王国の法律とかの細かいところはあいまいな説明でごまかせる。・問題の解決策がわかっているのでアイデアを考えなくてよいたとえばSF小説で少子高齢化をどう科学技術で解決するかという問題をテーマにしたら、作者は最先端の科学知識と独自の問題解決方法のアイデアが必要になる。ミステリ小説で密室殺人をどう解決するかという問題に対しては、作者は密室づくりのアイデアと推理を裏付ける科学捜査の知識が必要になる。作者の知識と発想が必要とされるので、小説を書くのは難しい。しかし科学技術が遅れている異世界に現代の知識を持ち込めば、たいていの問題は解決できてしまう。異世界で水不足なら井戸水をくみ上げるポンプや濾過装置を作れば異世界人は驚嘆して主人公を褒めたたえる。モンスター退治ならチート能力を使って簡単に解決できる。取材をせず、知識がなく、アイデアがなくても簡単に主人公が活躍するエピソードを作れるのである。・人権がない世界でこてこての悪人に対して勧善懲悪できる現実世界では善と悪がはっきりしない。盗人にも三分の理があるというけれど、たとえばイスラエル側とパレスチナ側のどちらの立場で問題を考えるかで善悪の判断は変わる。特定の組織や宗教を悪として描こうものなら抗議されたり訴訟を起こされたりするし、某宗教や某政権を悪として批判すると作者が抹殺されるので、現実世界を舞台にして勧善懲悪の物語を作るのは難しい。しかし異世界なら暴君やらエロ貴族やら奴隷商人やら山賊やらモンスターやらのこてこての悪人に人権を虐げられている人々がいる。そこにチート能力を持った主人公がさっそうと登場して悪人を倒して、現代の人権意識で奴隷を開放したり種族の差別をなくしたりすれば、あっちゅうまに勧善懲悪物語ができあがる。異世界で悪の国王を処刑しても作者に抗議してくる右翼団体はいないし、異世界で悪のカルト教団を討伐しても作者に抗議してくる宗教団体はいないので、現実の組織に配慮する必要がなくて思う存分悪人を懲らしめることができる。・一人称を使える小説のテクニックでは一人称よりも三人称のほうが視点を変えて複雑なことができるけれど、その分構成をきちんと練って客観的に物事を描写する必要があって技術的に難しくなる。一人称は作者が自分について語る分には楽な語りの手法だけれど、作者と違う性別や年齢の人物を一人称で書くのは役者のようにその人物になりきるイタコ芸が必要で、役作りもそれなりに難しい。しかし異世界転生だと、主人公が子供だろうが幼女だろうが作者は自分と同じおっさん目線でそのまま一人称で書くことができる。作者は主人公の性格を作りこんでイタコ芸をしなくても、VRゲームで実況中継するようにおっさん目線で自分語りをすれば済むわけで、小説を書く上での技術的な難しさはだいぶ軽減されることになる。さらには異世界には鑑定スキルや全知のナビゲーターがいて転生されたばかりで異世界に不案内な主人公に異世界の知識を説明するので、三人称でなくても異世界の物事について主人公目線から離れた客観的な説明を加えることができるようになるという技術的なメリットがある。●異世界転生は面白いのか異世界転生を面白いと思う人がいるから巷で流行っているのだろうけれど、私は異世界転生の物語はつまらないと思う。話を作りやすいというのは裏を返せば底が浅いということで、それがそのままつまらなさにつながる。・ご都合主義すぎてつまらない異世界転生をしたからといって無条件で物語がつまらなくなるわけではない。ソール・クリプキの可能世界論というのがあるけれど、ドラえもんのもしもボックスみたいに〇〇が可能な世界という大きな嘘が現実に起きている世界として読者はフィクションの嘘を受け入れることができる。「現代人が異世界に転生する」という大きな嘘が起こりうる世界があるものとして、現代人がチート能力なしでそのまま異世界でサバイバルするならまだ物語としてのリアリティを持ち得る。『龍狼伝』や『エデンの檻』などのタイムスリップ系の物語は「現代人が別の時代に飛ばされる」という一つの大きな嘘のくくりの中で主人公が奮闘しているから成立する。あるいは主人公が異世界に行くのではなく、リアルな現実世界に悪魔だの物の怪だの宇宙人だのの大きな嘘を一つ入れることで現実を異化するパターンもある。『GANTZ』や『ワタナベ』のように現実世界に宇宙人が来たり、『ドラえもん』のようにロボットが来たり、『DEATH NOTE』や『べるぜバブ』のように死神や悪魔が来たりして、その非人間的な存在が引き起こした騒動が物語のエピソードになる。デスノートに使用上の制約があったり、ドラえもんがポンコツだったりして、万能ではないからこそご都合主義を避けたプロット展開ができて、それが物語の面白さになる。しかし異世界転生系の物語だとその辺の嘘のさじ加減の調節ができていない。フィクションで大きな嘘をつくときは一つが限度で、二つ以上の大きな嘘をつくとご都合主義になってプロットが崩壊する。「現代人が異世界に転生する」のを一つの大きな嘘としてとらえると、「転生の際に神様にチート能力をもらう」は二つ目の大きな嘘になる。主人公が神の代理人のような能力をもらって制約もリスクもなしに何でもできる存在になると、主人公がチート能力でさくさく問題を解決して窮地に陥ることもなくなってプロットが単調になる。TASが一度も失敗せずに最速でゲームクリアするのを見ても面白くないようなものである。・異世界に魅力がないのでつまらない読者を未知の世界に連れて行って、主人公たちが未知の問題に直面してはらはらどきどきさせるのがファンタジーやSFの魅力である。『宇宙戦争』の宇宙人がどんな兵器で地球を侵略してそれに人類がどう対処するのかとか、『インターステラー』で宇宙飛行士がたどり着いた惑星はどんな環境だとか、『アバター』の青い人たちはどういう社会を作っているのかとか、架空の世界の作りこみ具合が作品の魅力に直結する。しかし異世界転生系の物語の舞台は既視感がある中世風の世界で、目新しさや魅力や独自性がない。どうせ金髪白人の王が国を統治していて、どこかの洞窟に強いドラゴンがいて、どこかの森に美人のエルフがいて、どこかの遺跡にレアアイテムがあって、どこかの城に魔王がいるのだとわかっているので、異世界を探索して未知のものを発見する楽しみがない。・登場人物に魅力がないのでつまらない主人公のおっさんが異世界で少年や青年に転生したところで結局中身は魅力がないおっさんである。さらにはチート能力つきで異世界で人生をやり直しているのにやる気がなくて、主人公の人生の目的が何なのか、どういう思想をもって異世界で何をしたいのかがわからない。それに一方的に主人公に好意を寄せて色仕掛けをしてくる女性キャラクターは人格を持った登場人物というよりエロスの記号で、思想や感情表現の面白さがない。・情報価値がないのでつまらない『桃太郎電鉄』で日本各地の特産品を覚えたり、『大航海時代』で世界の港を覚えた人もいるかもしれない。フィクションは内容の面白さだけでなく、現代人に役立つ情報にも知的好奇心を満たす面白さがある。たとえば『美味しんぼ』や『食戟のソーマ』のような料理漫画だと、ストーリー以外にも食材の産地が云々、調理方法が云々といったうんちくに情報価値がある。しかし異世界の料理人の話だと、異世界人に厚切りベーコンのナポリタンを食わせたら気に入ったとか、ドラゴンにシチューを食わせたら気に入ったとかのリアクションがあるだけで、料理に関する情報に価値がないので知的好奇心が満たされない。・テーマがないのでつまらない異世界転生系の物語は王位の世襲制、奴隷制度、伝染病などの現実社会ではすでに解決した歴史上の問題を異世界でやり直しているだけである。歴史上の問題を扱いたいなら史実を調べて過去を舞台にすればいいわけで、異世界を舞台にするのは史実を調べる手間を省いた怠慢である。スマホ太郎やデスマ次郎が異世界で世直しや人助けをしたところで、それで作者が何を表現したいのかわからない。異世界で人権や差別の問題を掘り下げるわけでもなく、みんなで幸せに暮らしましたとさ、おしまい、という程度のことをやりたいなら別に異世界転生の話でなくてもよい。とりあえず主人公がチート能力で問題を解決して起承転結があるというだけで、俺ツエーができれば話の内容は何でもいいんじゃないのというくらいテーマがない。・アイデアがないのでつまらない『ジョジョの奇妙な冒険』のスタンド能力や『HUNTER×HUNTER』の念能力や『NARUTO』の忍術や『ONE PIECE』の悪魔の実の能力のような、その作品ならではのスキルや能力のアイデアが作品の面白さになっている。しかし異世界転生にあるスキルや魔法は他のファンタジーやゲームからそのまま借りたようなもので独自性がない。レベルやステータスや称号という概念も既存のゲームからの流用である。魔法を使うにしてもチート能力の強大な魔力で巨大な火や水を出すとか、身体能力やダメージ耐性を強化するという単調なもので、モンスターと戦うバトル系の展開にするにしても戦闘の駆け引きの面白さがない。レベルカンストしてワンパンで敵を倒すようなバトルは『ワンパンマン』ならコメディとして成り立つけれど、コメディでもないのにワンパンでバトルを終わらせるのでは芸がない。プロットにしてもテンプレ通りの既視感がある展開で、作者の個性や思想やアイデアがない。・幼稚な万能感を満たす俺ツエーポルノなのでつまらないゲスな性欲を満たすコンテンツはポルノで、陳腐な感動を目的にしたコンテンツを感動ポルノというけれど、幼稚な万能感を満たすコンテンツは俺ツエーポルノである。情熱大陸とかプロジェクトXとかのテレビ番組はアスリートや経営者がどういう努力と苦労をして困難を乗り越えて成功したかを掘り下げていて、成功よりも努力や苦労が焦点になっている。ロミオとジュリエットでは親が対立していて結婚が認められない悲劇の恋だから感動するのであって、親公認でイチャイチャラブラブしてたら感動もなんもない。苦労を知っている大人は主人公の苦労に共感して、苦労の末に挫折する悲劇や、苦労を乗り越えた末の大団円が感動につながる。しかし異世界転生物語の主人公はたいてい苦労せずに成功する。子供向けのアンパンマンだって顔が濡れてバイキンマンにやられそうになるのに、異世界転生の主人公にはその程度の危機さえない場合もある。現実世界で死んで異世界に転生しても現実世界の家族や友人のことは全く気にせず、本気を出さずにとんでもない能力を発揮して周囲を圧倒して権力者に気に入られて、伝説のモンスターや精霊がなぜかなついてきて、ずばぬけたチート能力があるので冒険者ギルドの依頼に失敗することもないし、モテモテのハーレム状態なので失恋して傷つくこともないし、病気や金欠で苦しむこともないし、恋や仕事のライバルとして自分の立場を脅かすような他の男もいないし、邪魔する奴は指先ひとつでダウンの異世界覇者である。俺ツエー、俺スゲーというエピソードがてんこ盛りで、手っ取り早く万能感を満たして、挫折やストレスは経験したくないという豆腐メンタルな読者向けに作られたコンテンツなので、共感できる部分がなくてつまらない。●なぜ異世界転生小説は売れるのか私は異世界転生の物語はつまらないと思うけれど、それでも100万部以上売れるような作品がごろごろあるようである。他に面白いコンテンツはたくさんあるのに、なぜ素人が二次創作で書いたような文章が雑でつまらない小説がこれほど売れるのか考えると、面白さ以外の需要が売れる原因なのではないかと思う。・俺ツエー需要インターネットが普及する前のコンシューマーゲームだとソフトは売り切りで、対戦ゲームでは純粋にユーザーのゲームのうまさを競ってゲームをやりこんだ。しかしパソコンやスマホのオンラインゲームが主流になると、Pay to Winの課金ゲームが出てくるようになった。Pay to Winというのは有利になるアイテムや強い限定キャラクターを買ったユーザーが強くなって勝ちやすくなるゲームバランスになっていて、勝つために金を払う必要があって無料プレイだとどんなにゲームがうまくても勝てなかったりする。私から見ればそんなアンフェアなのはゲームじゃないと思うのだけれど、それでもゲームで勝ってランキング上位に乗って俺ツエーという快感を得たい人が多いようで、ソーシャルゲームの高額課金やゲーム廃人が社会的問題になった。子供が親のクレジットカードを盗んで限定キャラを手に入れるためにガチャに何十万もつぎ込む異常事態になって、射幸心をあおるコンプガチャ商法が非難された。デジタルネイティブ世代はPay to Winのシステムに適合して育ってきているので、ゲームでフェアプレイするという感覚を持っていないのかもしれない。自分で稼げない子供は俺ツエーしたくても金がないので、代わりにチートを平気で使う。私は昔CROSSFIREというオンラインFPSをやったのだけれど、e-sportsと呼ばれているFPSゲームでさえ平気でウォールハックを使ったりチーミングをしたりするユーザーが多くて対戦ゲームとして成り立たなくなっていて過疎ってサービスが終了した。PUBGというオンラインゲームだと中国のチート販売業者がチートソフトを売りつけようとしてゲームを荒らしまわっているけれど、ルール違反のチートやチーミングをしてでも勝って俺ツエーしたいユーザーがいるからチート販売業者がいなくならない。つまりは子供から大人まで金を払ってでもずるしてでも他人に勝って俺ツエーしたい人たちが大勢いるということである。格差が広がった現実世界では貧乏な凡人が褒められたり才能を認められたりするのは難しいけれど、フィクションの世界でなら俺ツエー、俺スゲーと万能感を味わうことができる。MMORPGもファンタジー世界だけれど、大勢のユーザーがいるゲームで俺ツエーするには膨大な課金が必要だったり、ゲーム廃人と呼ばれるほど長時間ログインしてイベントに参加することが必要だったりする。しかし異世界転生のライトノベルならゲームに課金するよりも安くて手軽にチート能力を手に入れて俺ツエー体験ができる。・下剋上需要せっかく異世界に転生したのにはずれ扱いのスキルや能力しかなくて馬鹿にされていたのに実はそれが使い方次第ではかなり有用なスキルで俺ツエーする展開もある。馬鹿にされて苦労した末に周囲に認められるというカタルシスがあるぶん他の異世界転生物語よりは俺ツエー度合いは低いけれど、前半は苦労しても後半はチートスキルで割と楽に周囲に承認されるという俺ツエーの一種である。映画の『スパイダーマン』はいじめられっ子が超能力で俺ツエーするけれど、スーパーマンやバットマンみたいなキッズのあこがれの完全無欠のエリートヒーローではなく、ヒーローらしくないいじけた人が主人公だと純粋さをなくしていじけたティーンエージャーにうける。スクールカーストの下のほうにいる陰気なキャラや会社に評価されない裏方仕事をしているサラリーマンが異世界転生で下剋上する物語を読んで、俺だってやるっちゃ!という承認欲求を満たすことができるわけである。・現実逃避需要異世界転生にはチート能力で出世する話だけでなく、チート能力で快適にのんびり過ごす話もある。これは俺ツエーという承認欲求とは逆のベクトルで、何にも邪魔されずに好きなことに没頭したいというストレス回避の現実逃避である。現実世界では時間的・金銭的な余裕がない貧乏人は好きなことができない。格差が拡大して生活のためにやりたくない仕事をして、疲れて家に帰って寝るうちに人生の大半が過ぎていく。好きなことに没頭するために仕事を辞めるのは大きな決断でストレスになるし、好きなことに挑戦して失敗しようものならさらにストレスになる。そこでチート能力でさくさくと障害を排除して金にも困らずにのんびり農業や趣味のロボット作りを満喫する異世界転生小説の主人公の物語を追体験することで、現実世界ではやりたいことができないというフラストレーションを解消するわけである。・頭を使わずに暇つぶししたい需要複雑で面白い作品よりもわかりやすい作品、感動できる重厚な作品よりも暇つぶしできる軽い作品のほうを好む読者層がいる。たとえば『HUNTER×HUNTER』は人気漫画だけれど、文字が多すぎる、登場人物が多すぎる、状況が複雑すぎると不満をいう読者もいる。学校や会社に行って疲れて家に帰ってから小難しい小説を読むのはしんどいけれど、ライトノベルはくだけた口語体で書いてあって頭を使わずに読める。異世界転生小説なら、転生→チート能力開花→問題解決して俺ツエー、というテンプレ通りに物語が展開するので、読者が複雑な設定や伏線を覚えておく必要もない。最小限の労力でコンテンツを楽しめるわけである。●異世界転生はジャンルとして定着するのか異世界転生はいろいろなジャンルを異世界でリメイクする劣化版のようなジャンルとしてアマチュア作家の創作で定着するんじゃないかと私は思う。現実社会を取材しないでも既存作品の設定を借りて楽に話作りができるコミケの同人漫画のようなもので、異世界は二匹目のドジョウを養殖する生け簀である。料理漫画の二次創作として異世界で居酒屋を経営する話が作られて、農業漫画の二次創作として異世界で農業する話が作られて、法律ドラマの二次創作として異世界で裁判する話が作られて、ラブコメの二次創作として異世界でエルフやケモ耳少女とラブコメする話が作られて、ドラゴンボールの二次創作としてヤムチャに転生する話が作られて、という具合に何でもかんでも異世界で焼き直せばコンテンツを水増しできる。楽して作家になって金儲けできるのだから作家志望者の異世界転生人気はまだ続くだろうし、出版社も飽きられないうちは異世界転生転生物語を売るだろうけれど、それが作家の育成につながらないのは異世界転生禁止の小説コンテストができたことからもわかる。漫画の場合は話づくりが下手でも絵さえうまければ原作者をつけてプロ漫画家になれるからこそコミケの同人漫画で独自性がないような二次創作でも漫画家の養成所として機能している。しかし小説家なのに取材能力がなくて異世界を舞台にした物語しか書けないのでは小説家として使いどころがないので、異世界転生を創作してもプロ小説家の育成にはならないのである。ケータイ小説は一時期ブームになったけれど、ガラケーからスマホに移行したせいか、あるいは似たような恋愛話ばかりで飽きられたせいか知らないけれど下火になった。テンプレをちょっといじるだけで誰でもクリエイターになれる時代だけれど、努力もなしに思いつくアイデアというのはたかが知れている。ケータイ小説というくくりの中でしか活躍できなかったケータイ小説作家は一般小説の文学賞で爪痕を残すこともなかった。異世界転生小説という狭いくくりの中でしか小説を書けないライトノベル作家も同じ道をたどるかもしれない。一過性のブームだろうが流行に乗って金儲けできればそれでいいという作家もいるかもしれないけれど、焼き畑的にコンテンツを使いつぶすようなやり方では日本文化の発展にはつながらないんじゃないかと思う。せっかく異世界転生が流行しているのだから、漫画やアニメの原作扱いでなく日本文学史に残るくらい面白い異世界転生小説がでてきてほしいものである。
2018.04.09
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