全3件 (3件中 1-3件目)
1
最近はりゅうちぇるという芸能人が妻子の名前のタトゥーを入れたら批判されたそうで、タトゥーの是非が議論されているようである。しかしネット掲示板での議論を見ていても感情的に罵る人が多くてまともな意見がないので、自分で考えることにした。●刺青・タトゥーを入れる目的は何かそもそも刺青とは何の目的で入れるものなのか、思いつくものをリストにしてみた。単一の目的ではなく、複合的な目的の場合もありうる。・部族や個体の識別の記号として刺青。識字率が低かった時代や文字がない文化圏ではこのタイプの刺青があって、マオリ族のタトゥーは部族や職業や地位などで一人一人タトゥーの柄が異なる。アイヌの女性の口髭の刺青は既婚を示す記号である。メキシコのギャングは所属グループや出身地域の記号としてアルファベットや数字のタトゥーを入れる。・神や動物からの加護の刺青。龍とか不動明王とかの力強い絵柄の刺青を入れるのは神仏の加護を得ようとしている。・犯罪者を識別する入れ墨。江戸時代には犯罪者の額や腕に入れ墨を入れて、前科者だと一目でわかるようになっていた。・死んだときの身元確認用の刺青。漁師や火消しなどの事故にあいやすい職業の人は、事故で顔が判別不能になっても手足の一部でも残っていれば身元がわかるように刺青を入れる。・強さの誇示としての刺青。格闘家は刺青が入っている人が多く、刺青の痛みに耐性があるということを示して強さを誇示している。DQNは相手になめられたくないという示威行為で刺青を見せる。・反社会的メッセージとしての刺青。ロックやパンクは社会への反発として男が髪を伸ばして化粧をしたり刺青を入れたりして、社会規範から逸脱していることをアピールする。・伝達手段としての刺青。頭を剃って刺青で極秘情報を彫ってから髪を伸ばして刺青を隠して、普通の身体検査をしても密書がみつからないようにして極秘メッセージを送る。・記憶としての刺青。恋人の名前や顔の刺青を入れたり、恋人とおそろいの刺青を入れたり、スポーツ選手が試合に勝った記念に刺青を入れたりする。・変身願望としての刺青。トラのように顔に刺青を入れて整形したストーキング・キャットや骸骨の刺青を入れたゾンビボーイのように素顔がわからないほどの刺青を入れるのは自分以外のものになるという変身願望である。・自己主張としての刺青。格言などの言葉を刺青にしたり、アニメキャラの刺青をする人は刺青で自分が大事にしている価値観を表明している。・忠誠としての刺青。ヤクザが子分に親分の名前の刺青を入れさせたり、ヤクザが愛人の浮気防止で全身に刺青を入れさせたり、SMでSがMに刺青を入れたりして、上下関係で忠誠を示すために刺青を入れる。・ファッションとしての刺青。日本人なのにサモアのトライバル柄の刺青を入れたり、梵字の刺青を入れたりする人は、柄に込められた意味に関係なく柄がかっこいいから刺青を入れる。●なぜ刺青は批判されるのか基本的に身体改造は原始的で野蛮な行為である。縄文人は叉状研歯というフォーク型に歯を改造していたし、20世紀までは纏足やコルセットなどの女性らしさを強調するための身体の変形が行われていたけれど、現代では健康であることが美しいという価値観になって、骨の形や体型を変えるほどの身体改造は行われなくなっている。そこで次に焦点が当たったの皮膚の装飾である。皮膚は骨とは違って健康への影響が少ないので、刺青をファッションとして受け入れるか否かという議論になる。刺青だけでなく、ユダヤ教の包皮切除や、美容整形や、ピアス穴をあける程度でさえ批判されている。刺青だけが批判されて偏見を持たれているというより、本来はやる必要がない身体の損傷行為全般が批判されているというべきだろう。ロシアで悪名高いブルーホエールというゲームだと、ターゲットに鯨の傷を彫らせて自傷への抵抗をなくさせて自殺に追い込んでいくけれど、身体を傷つけて自分を大事にしないことが自尊心の低下につながるのでむやみにやるべきではない。ファッションとして刺青を入れるにしても、刺青でなくても服やシールや化粧で代用できる。刺青だと時間がたつにつれて色が抜けてくるし、歳をとって太ったり皮膚がたるんだりすると見栄えも悪くなる。痛みとリスクを伴う刺青をたかがファッションのためにわざわざ刺青を入れる必然性があるのか。刺青を化粧で代替することはできるけれど、化粧を刺青で代替するとやり直しがきかない。例えばもしゴールデンボンバーの樽美酒研二のパンダ顔が化粧でなくて一生落ちない刺青だったとしたら、いくら見た目が同じでも視聴者は何やってんのとドン引きして笑えないだろう。それくらい刺青はファッションと呼ぶにはイメージが悪く、刺青の柄や大きさなどの見た目だけの問題ではない。覚悟を決めて刺青を入れても就職や結婚や出産を期に価値観が変わって刺青を除去する人が少なくないのだから、結局はファッションで刺青は入れないほうがよいのではないか。昔は漁師や火消しが身元確認のために刺青を入れていたけれど、現代ではDNAや歯型で本人確認できるので、もはや身元確認の手段として刺青を入れる必要がない。刺青を入れる伝統がある民族以外は刺青を入れる必要はないのではなかろうか。りゅうちぇるの刺青を擁護する意見として、眞鍋かをりは「なんでタトゥーで賛否両論…?それぞれの価値観なのに、他人のタトゥーにどうこう言う意味がわからない」と言っている。じゃあ刺青よりも過激なスカリフィケーションをやっている人がいても、それぞれの価値観だから他人はどうこう言ってはいけないのか。ペニオクでファンを騙して儲けようとする芸能人がいても、それぞれの価値観だから他人がどうこう言ってはいけないのか。個人の価値観だからといってそれ以上考えるのをやめるのは価値観の尊重ではなく思考停止だろう。「行為」の是非を論じることを否定する意味が分からない。眞鍋かをりは行為と人格を切り離して考えずに刺青への批判を個人への批判としか見ていないのではなかろうか。刺青が嫌いな人の意見を考えてみると、例えばリストカットして腕に血がにじんでいる写真をわざわざSNSにアップロードするかまってちゃんがいるけれど、他人の傷跡を見たい人は少数派で、たいていの人は傷跡を見せびらかされても迷惑する。それと同様に、刺青の絵柄にかかわらず刺青そのものが嫌いで見たくないという人がいるのも当然である。りゅうちぇるが家族の名前の刺青をいれたところで他人に害があるわけでもないけれど、他人が見たいものでもない。刺青をファッションとして見せびらかすのはデブがホットパンツを履いて尻肉がはみ出してるようなもので、他人が見たくないものを不特定多数の公衆に見せびらかすのは合法だろうが迷惑である。自分の家の中なら刺青を出して裸で踊ろうが何をしようが個人の価値観だけれど、公共の場所では個人の価値観よりコモンセンスを優先するべきだろう。大阪地裁でタトゥーを彫るのに医師免許が必要だという判決が出たけれど、そもそも医師免許を持っている彫り師なんてほとんどいないので、現状はたいてい非合法の彫り師だというのも刺青が批判的に見られる原因だろう。ファッションだから健全なのかというとそうでもない。裏原宿のアパレルは暴力団絡みだし、彫り師も暴力団絡みである。私は刺青雑誌のモデルになった人に話を聞いたことがあるのだけれど、彼が言うには彫り師が刺青に興味がある若い客を暴力団にスカウトしていて、彼は刺青は好きだけれど暴力団は嫌いなので断ったそうである。未だに刺青と暴力団とのつながりがある状態では単なるファッションとして受け入れろというのは時期尚早だろうし、刺青が医療行為か否かという法的な決着をつけるのが先である。大阪市が刺青がある職員を戒告処分して職員から憲法違反だと訴えられたものの、最高裁で適法という判決になって、入れ墨を見せられることで不安感や威圧感を持つことは直ちに不当な偏見によるとは言えないとして、入れ墨情報は社会的差別の原因となるものではないと判断された。刺青を肯定する人は最高裁の判断以上に説得力のある論拠があるならそれを主張すればよいけれど、真鍋かをりの意見には説得力がない。大手芸能事務所だって暴力団と交際しているし、芸能人が刺青肯定のメッセージを出したらお友達に忖度してるんじゃないかと勘繰られても仕方ないではないか。●フィクションの刺青・タトゥーの扱い方刺青はフィクションでは象徴的に描かれている。フラナリー・オコナーの短編『パーカーの背中』は背中にキリストのタトゥーを入れた男の話で、刺青を入れるような底辺労働者とキリスト教がテーマになっている。谷崎潤一郎の短編の『刺青』は女体の柔肌に刺青を彫るフェティシズムである。時代劇の『遠山の金さん』も遠山桜の刺青を入れているけれど、『遠山桜天保日記』という明治時代の狂言が元ネタで、最初は桜の刺青ではなかったらしい。金さんが無駄に桜の刺青を見せるのは、なんかあっぱれなことをやったという印象主義みたいなもんである。漫画だと『ONE PIECE』の海賊団の所属記号や、『HUNTER×HUNTER』の幻影旅団の所属記号や、『元ヤン』の暴走族のチームの所属記号として刺青が使われていて、刺青を入れる行為自体は掘り下げていない。『グラップラー刃牙』の花山薫の背中の侠客立ちの刺青のエピソードは任侠道を掘り下げている。『ゴールデンカムイ』は囚人たちの刺青が黄金の場所を示す暗号になっていてプロットの中心になっている。人物の識別ができるし、刺青の柄で象徴性を出すこともできるし、刺青の謎をサスペンスにもできるし、刺青はフィクションの小道具として使い勝手がよい。フィクションでは刺青にネガティブな意味が込められているわけでもないし、花山薫は格好よく描かれている。刺青があるキャラクターが嫌われているわけでもないのは、フィクションの刺青は現実での脅威になりえないからだろう。●私の意見フィクションの刺青は特に表現規制があるわけでもなく、刺青がある人気キャラクターもいて、子供の目から刺青を遠ざけているわけでもない。日本には刺青を入れる文化もある。それでもなお刺青が嫌われるのは、現実世界で刺青がある人が様々な問題行動を起こしているからである。刺青がある人が日本各地で善行をしていたら刺青は嫌われるどころか憧れられていたかもしれないけれど、現実は逆で、暴力団やDQNの目印になっている。刺青がある人の中ではミュージシャンや格闘家は世間で受け入れられているほうだけれど、それでもミュージシャンはドラッグの問題があるし、格闘家は素行が悪くて興行をめぐって暴行だの強要だののトラブルが頻発している。人を見た目で判断していけないというのは理想論で、現実では人は見た目で判断される。例えば刺青を入れていかにもDQNに見える集団がヒャッハーと言いながら被災地でバギーを乗り回していたら、本人たちは善意のボランティアのつもりでも窃盗団だと警戒されてもしょうがない。刺青に偏見を持たれたくないというなら行動で示すべきだろう。例えば須藤元気は刺青があるけれど格闘技を引退してからはスーツを着て刺青を見せないようになったし、ダンスパフォーマンスで社会にポジティブなメッセージを送っている。しかしそういう人はまだ少数派で、刺青がある人はたいてい刺青をみせびらかそうとする自己顕示欲が強いDQNである。刺青があってもラッシュガードで隠せばいいよという比較的寛容な海水浴場やプールがあっても、DQNは刺青を隠すという簡単なルールさえ守れずにトラブルを起こすので、長島スパーランドのように刺青を隠そうが刺青がある人は全員入場禁止という強硬措置をとられることになる。刺青がある人は他人に偏見をなくせと言う前に、まず自身の言動を見直すのが先だろう。
2018.08.25
コメント(2)
![]()
心中をテーマにした短編集。●あらすじと感想「森の奥」は樹海で自殺しそびれたおっさんがサバイバル中の青年についていく話。三人称。樹海で自殺しようとしている人を説得するというネタは手あかがついているし、おっさんが妻子と向き合わないと本質的な解決になってない。「遺言」はあのとき死んでおけばよかったと58回も言うきみとの恋の顛末を老人がパソコンで書き記す話。老人の一人称できみに語り掛ける形式。老人がのろける恋愛小説。でっていう。「初盆の客」は言い伝えの調査に来た学生に対して、妊婦が祖母の初盆に来たいとこから祖母が夢の中で妊娠した話を聞いたと話す話。学生との会話を省略した妊婦の独白形式。30代の妊婦の割にはですます調の言葉遣いが不自然。幽霊話はリアリティがあるからこそ成立するのに、語りに違和感があったらその時点で嘘くさくなって失敗する。「君は夜」は理紗が子供の頃から江戸時代にお吉として小平と夫婦生活をする夢を見ていて、小平のような根岸と付き合う話。三人称。短編で十数年分の人生を端折って書いたので話に緩急がなくなって各場面に見どころがないし、夢がすでにネタバレになっているのでオチが蛇足になっている。女性がオチを最初に話してからだらだら話すようなもので、女性作家にありがちな悪い点が出ていて構成がよくない。「炎」は高校生の亜利沙が片思いする立木先輩が灯油で焼身自殺したので、立木の彼女の初音と自殺の理由をつきとめようとする話。亜利沙の一人称。ナラトロジー的に語る動機がない語り手の自分語りなので話が嘘くさい。意図的に捜査をしないでおいて真相はわからないままゲスの勘繰りオチっていうのが無能すぎてなにがやりたんだコラ。推理したいのかしたくないのかどっちなんだ。どっちなんだコラ。なにコラタココラ。傷ついたあてくしの自分語りして悦に入ってる暇あるならアパートの大家に借家人を確認するなりして裏取り捜査をやれっちゅうのコラ。家に帰るまでが遠足、証拠を見つけるまでが推理だろうがコラ。妄想こじつけて裏取りせずに一人合点してんじゃねえぞコラ。吐いた推理飲み込むなよ、お前。推理するならしっかり推理してこいよコラ。なあ。中途半端な言った言わねえじゃねえぞお前。わかったなコラ。「星くずドライブ」は大学生の僕の恋人の香那が死んで幽霊になって話しかけてきたので死んだ原因をつきとめようとする話。僕の一人称。過去形でなく現在系で実況中継するような一人称は本来はありえない語りの形式で、ただでさえ語り手にリアリティがないのに語り手がすんなりと幽霊を受け入れていて内容はいっそう嘘くさくなっている。おまけにオチがまた証拠のない夢のこじつけのパターンで、本をぶん投げて捨てたくなった。それに男は自分のちんこをペニスとは呼ばない。お前のちんこはFAの外人選手かっつーの。「SINK」は両親の一家心中で生き残って恋愛できなくなった悦也が同情する吉田が恋人を紹介しようとするのがうざくなって一人になろうとして引っ越すことにしたものの、母親が自分を助けようとした可能性を考える話。三人称。家族は名前もなく心中場面以外にエピソードがなく存在感がない。悦也が過去と向き合うことがテーマなのに、祖父、父親、母親、弟と一般化されてしまって具体性がないのはよくない。あと悦也と吉田がきもい。なんかいかにも女性が考えた男性像というようなねちねちした気持ち悪さで、かまってちゃんぶりについていけない。悦也に主人公としての人間的魅力がなくて、脇役吉田が悦也のアンチテーゼになるわけでもなくて、こいつらがどうしようがどうなろうがどうでもいいやと読者に思われたらもう小説としては失敗である。●全体の感想各短編で語りの手法を変えて飽きにくくしているのは短編集としてはよい。しかしエンタメ作家はナラトロジーを理解していないのか一人称が下手で、なぜ語るのか、だれに語るのか、いつ語るのかという語りの動機を突き詰めないまま語り手が漫然と語っているので話が嘘くさくて読めたもんじゃない。私にとってはこういう不自然な語り手は不気味の谷現象みたいに気持ち悪く感じる。一人称で語る必然性がないなら三人称にすればいいし、なんでもかんでも一人称にすりゃいいっていうもんじゃない。内容については生死に関する思想がなく、死を単なるエンタメとしかとらえていない。「天国旅行」というタイトルなのに、キリスト教やイスラム教の天国に関する内容ではないし、仏教なら天国でなく浄土である。なんでこのタイトルなのかと思ったら、THE YELLOW MONKEYの『天国旅行』から採ったそうで、私の経験としては音楽からタイトルを取った小説は基本的にはずれである。「初盆の客」と「星くずドライブ」は幽霊話で、「君は夜」は前世の話だけれど、霊魂や輪廻という概念を掘り下げずに単にプロットを作るための都合のいい装置として扱っていて、宗教観がいいかげんなのはよくない。現実離れした話にリアリティを持たせるのでなく、夢だから何でもあり、幽霊だから何でもありというのも安直な物語展開のやり方。おまけに推理も雑な妄想のこじつけで推理になってない。現実に向き合わずに想像とテクニックだけで書いた量産型エンタメ小説で特に見どころもないので読む価値なし。「すべての心に希望が灯る傑作短編集」という宣伝文句が裏表紙に書いてあったので、誇大広告のぶんだけ評価を減らした。そのうち100均で大量生産した中国製の希望を売るようにでもなるんだろうかというくらい希望という言葉が安っぽく価値のないものになってしまった。この宣伝文句を書いた人は自分の家族や友人が絶望して自殺しようとしているときにこの小説を渡して希望が灯るかどうか試してみるといいよ。そんで死んだら三文小説のネタにでもすりゃいいよ。★☆☆☆☆天国旅行(新潮文庫)【電子書籍】[ 三浦しをん ]
2018.08.11
コメント(0)
こないだ『あまからカルテット』という小説を読んだのだけれど、これはジャンル的には料理小説だった。食事・料理系のフィクションというと料理漫画というイメージだったのだけれど、私が知らないだけで料理小説というのもわんさか出版されているようである。しかし小説だと漫画に比べて際立って有名なものはないようで、絵で料理を視覚的に直接提示できるぶん漫画のほうがコンテンツとして優位になる。私は空腹と隣り合わせに生きている貧乏人なので、他人が食事している場面を見るのに金を払うくらいなら自分が食えるものを買うほうがましだと思うけれど、食事・料理系コンテンツは次々に作られていて人気のようなので、どこが面白いのか考えることにした。●コンテンツとして食事を描く意味人間の欲求のうち、食欲と性欲はコンテンツを作りやすい。人間にはミラーニューロンがあるので、エッチしている人を見ればそれがフィクションだろうが自分が経験したかのように興奮するのでポルノがコンテンツとして成り立つ。食事も同様に、美味しいものをたべて幸福になっている人を見れば自分が実際に食べていなくても幸福な気分になるのでコンテンツとして成り立つ。『ギャートルズ』は内容よりもマンガ肉と呼ばれる大きな骨付き肉が有名だし、『DRAGON BALL』の孫悟空は大食漢だし、『ONE PIECE』はルフィーが肉をもしゃもしゃ食べて宴をするし、『ゴールデンカムイ』はアイヌがいろいろな動物を食べる場面が話題になっているし、村上春樹の小説ではしょっちゅうパスタを食べているし、スタジオジブリの映画では食事シーンを丁寧に描いていて『もののけ姫』でサンがアシタカに口移しで食べ物をあげる場面は愛情表現の重要なシーンだし、『グラップラー刃牙』は親子の食事が親子喧嘩の後の和解になっている。人気作品にはたいてい記憶に残るような特徴的な食事の名場面がある。食事が幸福の共感を呼ぶのに対して、空腹は同情を誘う。『ONE PIECE』のワノ国だとこれみよがしに空腹な子供を出してルフィーが味方になる動機づくりをしているし、『狂四郎2030』はカレーをおかわりした人が死ぬ場面が話題になったし、『アンパンマン』ではカバオがしょっちゅう腹をすかせている。つまり食事というのは読者や視聴者の共感を呼ぶわかりやすい記号で、食事の場面を描くことで架空の登場人物に人間味を持たせてリアリティを出しつつ登場人物間の愛情や同情を描くことができる。誰かと何かを食べた経験というのはエピソード記憶として記憶されているので思い出しやすくて、読者はフィクションを鑑賞しながら自分が食事して幸福だった経験を多少なりとも思い出して満足するわけである。●物語の展開パターン食事・料理がメインの物語では主人公の職業によって大体方向性が決まっていて、物語がある程度パターン化できる。・飲食店経営者:潰れそうな店を立て直して繁盛店にしたり、常連客とだべったりする。個人経営の飲食店の場合は料理人としての特徴ももつ。(『華麗なる食卓』、『王様のレストラン』、『居酒屋もへじ』、『なのは洋菓子店のいい仕事』、『だがしかし』)・料理人:新人が料理修行したり、ライバル店の料理人と料理バトルしたり、料理コンテストに出場したり、オーナーや同僚と揉めたり、頑固な客を満足させたりする。料理系フィクションの王道パターン。(『美味しんぼ』、『バーテンダー』、『味いちもんめ』、『将太の寿司』、『中華一番!』、『バンビ~ノ!』、『食戟のソーマ』、『ラーメン発見伝』、『製パン王 キム・タック』)・食品会社の社員:新入社員が業界のうんちくを学んだり、新商品を開発したりする。(『焼きたて!!ジャぱん』、『 いっぽん!!~しあわせの日本酒~』)・一般客:客がいろいろな店を食べ歩いてリアクションする。(『孤独のグルメ』、『ワカコ酒』、『ラーメン大好き小泉さん』、『不倫食堂』、『1日外出録ハンチョウ』)・大食い客:大食いバトルをする。(『喰いしん坊!』、『フードファイタータベル』)・主婦:家庭料理を作るレシピ紹介のハウツー。(『クッキングパパ』)上記の分類はフィクションだけでなく、テレビやユーチューバーの動画ネタにも当てはまる。バラエティ番組では食べ歩いてリアクションをしたり、大食いしたりしているし、料理番組では魚の捌き方や包丁の研ぎ方のハウツーを解説したり、レシピを紹介したりしている。飲食店経営者の繁盛店の秘訣や業界の内情は『ガイアの夜明け』や『未来世紀ジパング』とかの経済番組で密着取材してドキュメンタリーにしている。●食事・料理系コンテンツはどこが面白いのか食事・料理系コンテンツは共感しやすいものの、ストーリーが弱い。個人経営の飲食店が舞台の場合はオーナーが料理人を兼ねて、客や食材の仕入れ先とのいざこざを各話のエピソードとして展開しつつ、料理人個人の家族や恋愛やらといった人情話になって、オチはたいていハッピーエンドである。飲食店の生存率には諸説あるけれどだいぶ生存率が低いので、リアリティを重視したらハッピーエンドにはならない。人手不足と原材料の値上げに苦しんで、味が飽きられて客足が遠のいて、メニューをころころ変えて迷走して、テンパって怒鳴り散らして店の雰囲気が悪くなって、借金こさえて廃業して一家離散という読者にとってストレスしかたまらないような内容になる。読者はそんな殺伐とした物語は期待していないので、美味しいものを食べてほっこりしてみんな幸せになりましたとさ、という物語になる。しかしそればかりでは飽きられてしまうので、面白さを差異化する必要がある。・料理のジャンルの差異化和食、寿司職人、パン職人、パティシエ、バーテンダー、ラーメン屋、イタリアン、フレンチ、中華、カレー、日本酒、ワイン、高級グルメ、B級グルメ、ご当地グルメ、家庭料理、弁当、ミリメシ、宇宙食、病院の食事、給食、社員食堂、和菓子、駄菓子、サバイバル、ゲテモノ、死刑囚の最後の食事などに特化すれば、一般人が知らないような食材のうんちくや業界事情などの情報価値が面白さになる。しかし絞り込み過ぎると物語の展開の幅が広がらなくなるというデメリットもあり、食材や製法を掘り下げられるようなジャンルでないとすぐにネタ切れする。『バーテンダー』は酒についてのうんちくを客のエピソードにからめて物語を展開するだけでなく、バーテンダーならではの苦悩を書いている点で職業漫画としてよくできている。『マッチョグルメ』はボディービルダーのチートデイの食事に焦点を当てたけれど、ニッチすぎて話が広がらなかった。・主人公の差異化主人公の属性を普通の料理人や普通の客とは差異化して、ヤクザの料理人、女子高校生ラーメンマニア、1日だけ外出できる班長の食事といった具合に主人公の特殊性に凝って物語に特徴を付け足せる。『1日外出録ハンチョウ』の主人公の班長は独特な個性があるので、班長が何を食べてもコメディとしての面白さが出る。・客の差異化料理人や料理は普通でも、客が異世界人だったり、過去からタイムスリップした人だったりすることでも差異化できて、リアリティがなくなるぶん独自の面白さが出る可能性がある。『最後のレストラン』は死にかけた偉人が流行らないレストランにやってくるという話で、料理人が主人公なものの存在感のない猿回し役に過ぎず、客の偉人を各話のエピソードの中心にして偉人自体の面白さを物語の面白さにしている。・リアクションの差異化料理を食べた時のリアクションも差異化のポイントになる。日本のグルメ番組はおいしいとしか言わなくて決して料理を批判しないので、外国人にとってはつまらないそうである。ユーチューバーが何かを食べるだけの動画でも素直に感想をいうのでテレビよりは視聴者にうけているようである。外国人に日本料理を食べさせてみた系の番組もリアクションの差異化で急激に増えた。フィクションだと『美味しんぼ』の海原雄山が料理人に激怒したり、山岡の料理にぐぬぬとうなったりする多様な感情表現は他の料理系コンテンツのリアクションと差異化できている。『食戟のソーマ』、『焼きたて!!ジャぱん』、『中華一番!』あたりの少年漫画はコミカルで過剰なリアクションを演出の面白さにしている。・食材の差異化食材が架空の生物だったりモンスターだったりすることでも差異化できるけれど、これはパロディ的な変化球なのであまり作品数は多くない。『トリコ』のように架空の食材で究極の料理を目指す展開はなんでもありなので収拾がつかなくなりがちだけれど、美味い食材ほど強敵になるバトル漫画にすることで強さのインフレに合わせた主人公の成長を書きながらラスボスを倒してオチをつけた。『ダンジョン飯』は中世RPG風の世界のダンジョンで冒険者がサバイバルのために仕方なくモンスターを食材にして、嫌々食べたら割とうまかったというリアクション芸をしている。・サブカテゴリーの差異化食事+不倫=『不倫食堂』、料理+学園=『食戟のソーマ』、料理+戦闘=『トリコ』、料理+タイムスリップ=『信長のシェフ』、大食い+ギャグ=『フードファイタータベル』、マシュマロ+恋愛=『おじさんとマシュマロ』という具合に、料理に別の属性を加えることで違う物語展開にできて、他の作品とは違う面白さになる。●食事・料理系コンテンツが大量に制作されるのはなぜなのか食事・料理系コンテンツは競合作品が多い中でいろいろ工夫してはいるものの、細部を差異化したところで結局は人情や恋愛のヒューマンドラマになって、神やらイデオロギーやらの大きな物語にならなくてプロットが弱いのであまり面白くない。ではあまり面白くないのに大量にコンテンツが制作されるのはなぜなのか。・コンテンツを作りやすい取材対象が明確で、レシピや食材などの資料も豊富にあるというのがまず大きなメリットになる。実在の飲食店や食品会社も宣伝になるので取材に応じてくれるし、『帰れま10』のようなタイアップ企画も作りやすい。漫画なら料理やレストランの実物や写真を見ながら絵を描けるし、アクションシーンもないので画力の欲求水準がそれほど高くない。『ワカコ酒』のような表情をデフォルメした絵柄でも成立するし、新人漫画家でもテーマにしやすい。漫画家の新條まゆが殺し屋がスコープなしのアサルトライフルで狙撃しようとしている場面を描いてしまってからかわれているけれど、プロ漫画家や編集者でも実物を知らないものや経験したことがないことを描くのは大変なのである。それに比べて料理はすぐに実物を見て確かめることができるのでとっつきやすい。バラエティー番組の時間つぶしの定番はタレントが旅先の名物やコンビニの新商品とかの食べ物を食べておいひーというだけの番組で、取材や専門知識やコストも必要ないので素人のユーチューバーもやるようになって類似コンテンツが量産されている。流行っているからコンテンツを作っているというより、低予算で作りやすいコンテンツを大量に作って、その中からTVドラマ版の『孤独のグルメ』のようなヒットがたまに出ればいいやという感じに見える。・実写ドラマ化しやすい『トリコ』や『ダンジョン飯』のような架空の食材を使った架空の料理は例外で、たいていは実在の食材を使った料理で、舞台セットも飲食店一つ分で足りてあちこちでロケしなくて済むので制作費もあまりかからない。人気漫画をドラマ化して話題作りしやすく、オリジナルコンテンツが不足していて原作を欲しがっているテレビ業界の意向に合う。・わかりやすくて反感がでない食事・料理系コンテンツは似たような展開が多くてあまり面白くないとはいえ、物語は料理を作って食べて感動して終わるのでわかりやすいし、ハッピーエンドで終わる話には反感は出ない。読者にとっては不快になるようなはずれを引くよりはまあまあ面白い無難な作品で暇つぶしできるほうがコンテンツとしての価値がある。・需要がある一人で食事しているだけのユーチューバーでさえそれなりに視聴者がいる。地域猫に餌をあげたがる人がいるように、誰かが楽しそうに食事をしているのを見るのが好きだという人が少なからずいて、食事はコンテンツとして面白くなくてもフェチ的な需要がある。ASMRとして音フェチに料理音や咀嚼音を聴かせるマニアックなジャンルの動画でも数百万回も再生されていたりする。・実用性があるクックパッドのようなレシピ投稿サイトや主婦の料理ブログやDELISH KITCHENのようなレシピアプリは飽和状態で、レシピが増えすぎてかえって目当てのレシピを探しにくくなっているし、レシピ単体では特に面白くもないので他のメディアと差異を付けにくくなっている。そこで物語をレシピの付加価値にすることで注目を集めやすくなる。料理するためにわざわざレシピ付きの漫画を買う主婦もいるそうである。それからしばしば個人経営の飲食店の待ち時間の暇つぶし用に漫画が置いてあったりするけれど、料理漫画は客の食欲を刺激して注文が増えるかもしれない。●これから面白い食事・料理系コンテンツを作るにはどうすればよいのか料理自体は普遍的なものなので、料理だけで面白さを出すのは難しいし、ヒューマンドラマにしたらありきたりな展開になってしまう。いままで見たことがないようなコンテンツを作るとなると、主人公、客、料理ジャンル、シチュエーション、演出手法の組み合わせを変えて、食事がおいしくて幸せという以外の感情を描くことで新しい面白さになるかもしれない。もし私が作品を作るとしたら、例えば無人島に漂着したメシマズ主婦がサバイバルしながら助けを待っていたら徐々にメシウマになる話とか、パンデミックな世界で生き残った人が缶詰を飽きずに旨く食べるように工夫する話とか、人類を食料にしているエイリアンに拉致された料理人が料理でエイリアンの心を開いて人類を家畜にする計画を辞めるように交渉するとか、現代にタイムスリップしてきた古代ローマ人をピザ職人として教育したら元の世界に戻って巨大なピザチェーンを作ってしまう話とか、山奥の山荘で孤立した登山者たちが毒かもしれない食材で料理を作ってギャンブルで毒見役を決める話とか、呪いの包丁を手にしてしまった人が呪いを解くために必死で幽霊が満足する食事を作ってお供えする話とか、壊血病になった海賊が世界中で食材を調達しつつ料理を研究する話とか、料理にまつわる怪談をしながら誕生日ケーキのろうそくを一つずつ消していくアンハッピーバースデーの百物語とか、みかんの妖精にとりつかれた魔法少女が町おこしのためにみかん料理を作りつつ悪いリンゴの妖精と戦ってみかん汁まみれになりながら倒す話とか、そういう作品を作ったら面白いかもしれない。そういえば私はすごくかわいいみかんの妖精のLINEスタンプを売っているので、みかんが好きな人は買うといいよ。
2018.08.04
コメント(0)
全3件 (3件中 1-3件目)
1
![]()

![]()