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最近はflashからhtml5に移行するための技術的な問題でブラウザゲームが次々とサービス終了を発表した。私が遊んでいたアメーバピグ、ドラゴンクエストモンスターパレード、インペリアルサガも年内にサービスが終了する。あらゆる物事には終わりがあるもので、終わるのはしょうがない。というわけで、サービスやフィクションが終わることについて考えることにした。●オンラインゲームは時間と金の無駄なのか・形の残らないものに金を出すのは無駄なのか日本でITが育たないのは、工業製品には金を払うけれど形のないソフトウェアには金を払おうとしないからだという議論がある。サービス業の無形のサービスが技能扱いされずに賃金が上がらないのも似たようなものだろう。20世紀は電話機は電話をする機能しかなかったけれど、今はスマホだけで翻訳も決済も道案内もこなせるようになったように、21世紀は無形のソフトウェアやサービスが生活水準や幸福度を上げる鍵になるし、AIが進歩したらソフトウェアの重要度はもっと顕著になるだろう。娯楽も実物があるおもちゃからオンラインで遊ぶゲームに進化するのも技術の変化に合わせた当然の流れで、e-sportsがオリンピックの種目として検討されているように、ゲームはもはや子供が部屋に籠ってのめりこむ不健全な暇つぶしではなく、大人がプロチームに所属したりストリーマーになったりして人気になって稼げる職業として認知されつつある。サービスが終わってそれまで集めたキャラクターの育成データやアイテムがなくなるにしても、費やした金額や時間に見合う便益を得られたならそれは別に損はしていないのではなかろうか。恋人と別れるときにデートで奢った金とプレゼントしたものを返せと怒るような男がよくいるけれど、サービスが終わったらデータがなくなるからオンラインゲームは無駄だという人はこういう男と同じ思考で、金を払うことと所有することを結び付けているけれど、金を払ったら何でも所有できるはずだという考え方自体が間違っている。映画館とかコンサートとか遊園地とか金を払って楽しい思い出を作ってそれで終わりという無形の娯楽はいろいろあるわけで、オンラインゲームだけが特に金の無駄ということはないだろう。・ゲームは人間の成長に役に立つのか勉強や運動を時間の無駄という人がいないように、ゲームが何かしら人間の成長や能力向上に役に立っていれば時間の無駄とは言えないわけである。例えばグロービス経営大学院の堀義人は囲碁を推奨しているけれど、これは囲碁の陣取りであっちを捨ててこっちを取るというような損得計算の思考パターンが経営にも役に立つからである。あるいはサイバーエージェントの藤田晋のように麻雀を好む経営者もいるし、麻雀は点数計算やコミュニケーションで脳を使うので高齢者の認知症予防として介護施設のレクリエーションとして取り入れられていたりする。ではビデオゲームはどうか。娯楽としては楽しいだろうけれど、それ以外に何のメリットもないのだろうか。特にシューティングゲームは悪影響があるといわれるし、ニュージーランドでモスクを襲撃した犯人は「FORTNITE」というゲームで訓練したと言っているし、ゲーム脳だのキレる子供だの悪影響についての意見はたくさんある。これは道具や手段と目的を取り違えると間違った結論になりやすい。包丁が殺人に使われたとき、殺人をする目的がある人にとっては道具や手段は包丁でもバールのようなものでも放火でも何でもよいわけで、包丁は危険だと言って規制しても意味がないようなものである。ゲームの中にはエログロを誇張して悪影響があるようなゲームもあるだろうけれど一概には言えないわけで、ゲームの良い面を考えることにする。ゲームが人間の能力向上にどう役に立つかと言うと、現実ではありえないゲーム世界を体験することで脳への刺激になるし、ゲームのジャンルごとで頭の使い方も違うので、脳の違う部位への刺激になる。例えば運転シュミレーターや経営シミュレーションは機械や経営の仕組みを理解するのに役立つし、最適化して効率よく施設を運営したりトラブルに対処するリスクマネジメントの訓練になる。パズルゲームは早く正確にパズルを解くことで空間認識や図形認識や論理といった数学的な能力の訓練になる。RPGは強いボスを倒すためにどういう職業でパーティーを組んでどういう装備を整えてどういうスキル構成でアプローチをすればよいかというPDCAを考える訓練になる。シューティングゲームは動体視力や反射神経や射線や遮蔽物といった地形の把握能力や状況判断の訓練になる。カードゲームはマルコフ連鎖的に自分のターンの行動から起こりうる相手ターンの手札の可能性と各シナリオの損得を計算して自分の利益を最大化するという確率論的な直感を鍛える訓練になる。こういう現実世界では鍛えにくい能力をゲームで鍛えるのは大事なことで、ゲームの攻略の発想が難しい仕事をこなすことにもつながる。例えば複雑な株式市場の株価の値動きの中から他の人が気づいていない値動きの法則性を一つでも見つけることができたらそれだけで常勝トレーダーになれる。では逆にどういうゲームが能力向上に役に立たないかと言うと、脳を使わないゲームは時間の無駄である。攻略サイトを見てその手順通りに進めるだけ、ガチャで強いキャラを引いて札束で敵をねじ伏せるだけ、チートの最強無敵キャラで無双するだけ、といった選択肢、戦略性、ランダム要素等が欠如したゲーム性のないゲームはもはやゲームでなくただの作業である。私は子供の頃からいろいろなゲームをやってきて、どういうゲームなのか、どういうビジネスモデルなのか、どうイベントを盛り上げていくのか、どうキャラクターがインフレしていくのか、どう人気がなくなって客離れが起きるのか、どうサービスが終わりを迎えるのかというのをある程度理解したし、これ以上得るものはなさそうなので、もうあまりゲームはやらないつもりでいる。アメーバピグをやったからこそ知り合えた人もいたし、手持ちの家具で工夫しながら変なものを作るのも面白かったので、その点は時間の無駄ではなかったと思う。ドラゴンクエストモンスターパレードとインペリアルサガは子供の頃にやったゲームの懐かしさで遊んだけれど、こっちはストーリーがぐだぐだでけっこう時間の無駄で、わざわざやらなくても懐かしい思い出のままにしておいたほうがよかったかもしれない。●なぜフィクションは終わり方が大事なのか・結末に作品の出来栄えが端的に表れる主人公の動機や目的の達成、ストーリーの整合性、テーマ、それらのすべてが結末に現れるという点で、結末の印象が作品の印象を決定づける。良い作品は結末に感動の余韻が残るし、悪い作品は結末以前のどこかで作品の根幹の重要な部分がだめになっている。良い作家は結末から物語を考えて、結末に向けて物語が収束していくように展開していく。ミステリなんかは典型的で、作者はまず犯人の動機と犯罪を設定して、犯人は誰か、どういう方法で犯罪をしたのかを探していくことが物語になって、事件の真相がわかるとそこですっきりと物語が終わる。犯人は誰?動機は何?調べたもののわかりませんでした!いかがでしたでしょうか?というミステリは基本的にないし、そんな雑な作品を売ろうものならその作者の作品は誰も買わなくなる。小説の場合は基本的に単行本一冊に収まる分量で作品が完結して無理な引き延ばしがないので、たいていは話がすっきりと終わる。終わり方が問題になるのは連載が長引く漫画、ドラマ、ライトノベルに多い。打ち切りの場合は読者への裏切りともいえるような唐突な終わり方をするので、ただでさえ人気のない作品がさらにひどい終わり方をする。・作品には適切な長さがある『ドラゴンボールZ』は作者が連載を終わらせたくても人気がありすぎておもちゃとかテレビとかのいろいろな産業に影響が出るので終わらせられなかったそうだけれど、そのころから少年漫画の人気タイトルの異常ともいえるような長期連載が目立つようになった。かつては巷で人気だった『ONE PIECE』も行った先々で世直しするパターンの展開を何年も繰り返して引き延ばしているうちにファンが離れたらしい。『HUNTER×HUNTER』は終わらせ時を間違えて未だに休載と連載を繰り返してぐだぐだしている。『アカギ ~闇に降り立った天才~』は昭和を舞台にして命がけでアウトロー相手にギャンブルするハードボイルドなキャラが人気になったのに、最後の鷲巣麻雀を引き延ばしすぎて鷲巣のリアクションがギャグ漫画みたいになってそれまでアカギが積み上げてきた命がけのシリアスな展開が台無しになった。『はじめの一歩』は物語の時代設定が90年代のままなので読者の年齢と乖離してしまって終わらせ時を逃した。私はミステリが好きなのでテレビ版の『名探偵コナン』を見ていたのだけれど、連載が長すぎて黒の組織絡みのメインストーリーがいつまでも進まないのでどうでもよくなってもう見るのを辞めた。作者や出版社は儲けたいから作品を長引かせるのだけれど、それは読者の利益と反する。儲けたいなら本編を引き延ばさなくてもスピンオフで脇役のエピソードを掘り下げる方法もあるのにそれをやらず、利益優先で終わり時を逃した作品は失敗作である。・終わりがだめだと時間を無駄にしたという感情が強くなる良い作家は終わりを決めてから作品を作るけれど、終わりを決めずに作品を作るとどのくらいだめになるかというのはアメリカのドラマが典型的な例になる。アメリカのドラマだと冒頭で大風呂敷を広げて視聴者を集めて、人気が出たらその分引き延ばすために脇役を追加してエピソードを増やして、後付けの設定と整合性がつかなくなって話がぐだぐだになって結末がだめになったり、逆に思ったより人気がでなくて急に終了が決定して張り巡らせた伏線を捨てて急いで物語を進めて結末がだめになったりする作品が多い。例えばドラマの『LOST』は謎の無人島に飛行機が墜落するというところから大風呂敷を広げて、脇役からエピソードを絞りとって使い捨てにするパターンで無駄に引き延ばしてシーズンが増えていくごとにつまらなくなって、最後はご都合主義で無理やり整合性をつけたという感じで、これなら見ないほうがましだった。何シーズン続くかわからないようなドラマを長時間見続けたうえに結末がだめだとものすごくがっかりするので、ドラマはちゃんと完結して評価が定まってから見るほうがはずれを引かなくなる。あるいはちゃんと終わりが定まっている映画を見るほうがましである。・終わらない作品は失敗作である私はいわゆる国民的アニメというのが嫌いである。『サザエさん』、『ちびまる子ちゃん』、『クレヨンしんちゃん』とかは登場人物が歳をとらないまま同じ時間軸をループして生きていて、私はこういう永遠に歳を取らず、成長することもなく、出会いと別れに苦悩することもなく、隔離された世界の中で時代遅れになって現実に向き合うことをやめているのが嫌いなのである。『ドラえもん』はタイムマシンで過去と未来を行き来していて大人になった姿も出てくるので、その点で私はドラえもんはまだ許容できる。生きている人間を作品に表現しようと思えば最終的には死を表現することになるし、死に向き合うことなしで生きることはありえない。『クレヨンしんちゃん』の松坂先生の彼氏が死んだことがアニメ版ではなかったことにされているけれど、作者の表現を無視して作者の死後もマーケティングの都合だけで第三者が継ぎ足しで一貫性のないシナリオを考えて延命されるような作品は見る価値がないと私は思う。主人公が成長する姿を書いた小説は教養小説というけれど、国民的アニメのように過去の世界から出て行かないのは現実逃避で、そこから得るものは少ない。視聴者はアニメキャラと違って刻々と歳をとって成長していくし、作品の登場人物たちが視聴者とともに歳をとって視聴者に寄り添えないなら、その作品は現実世界で成長した視聴者に置き去りにされるのみである。●人生も人類もいずれ終わるビジネスマンはよくゲームもフィクションも無駄というけれど、金を稼ぐことしか頭にない人が人生のあらゆる時間を効率的に金儲けに使って金持ちになったところで、金を使いきれないまま死んだら金儲けのために不必要なストレスをためて無駄な時間を使ったという見方もできる。子孫に遺産を残したところでその子孫もいずれ死ぬし、事業を残したところでいずれ潰れるし、巨大地震やら大噴火やら隕石の衝突やらなんやかやがあって何億年後かには太陽が爆発して地球も滅亡して人類の文明は跡形もなくなっている。永遠に存在するものはなく、あらゆる物はいつかは終わる。私は人類が宇宙に住めるようになったらしばらくは人類の文明は存続するんじゃないかと思うのだけれど、ホーキング博士は私よりも悲観的で、人類は100年以内に滅亡すると言っていた。人類が滅亡するということはオンラインゲームのサービス終了でデータが消えるどころでなく、人類が数万年かけて蓄積した知識、技術、文化、歴史、遺伝子といった諸々のデータが誰にも受け継がれることがなく全て無に帰すわけである。その人生の無意味さに気づいたときに、虚無主義の人は長生きしても無駄だと考えて自殺する。西部邁は僕の人生はほとんど無駄でありましたと言って自殺したけれど、西部邁ほどの教養と人望がある言論人の人生が無駄なら無教養で貧乏なうえにゲームばかりして人望ゼロの私の人生なんか無駄を通り越してもはやうんこである。略してもはうんである。あるいは宗教がある人は天国で救われるのだと信じて神に祈って現実逃避する。あるいは歳をとった人は認知症になって考えることをやめる。私は無神論者で死からの救済は求めていないしまだ認知症ではないので、人生の無意味さを自覚したうえで無駄をできるだけ楽しもうという姿勢でうんこなりに建設的に生きるのが大事だと思う。
2019.03.28
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政治家、官僚、財界人、右翼、やくざなどの各人物について2-4ページでまとめた本。●面白かった人のまとめ・児玉誉士夫:戦後中国から持ち帰った資金を自由党の結党に使った右翼で、ロッキード事件に関与した戦後最大のフィクサー。・笹川良一:A級戦犯として服役中に競艇事業を思いついて競艇利権で世界一の金持ちファシストになった右翼で、競艇利権を奪おうとした田中角栄と対立。・小佐野賢治:国際興業社主でロッキード事件の工作資金ルートに関わる。・正力松太郎:関東大震災で朝鮮人が暴動を起こしているとデマを流したとされるA級戦犯で、戦後日本に軍事目的のマイクロ波多重通信網を設置したいCAIの思惑に載って日本テレビを創設して読売新聞社を買収した。・田岡一雄:三代目山口組組長で、神戸芸能の社長として美空ひばりの芸能活動をサポートしたり日本プロレス協会副会長をしたりして芸能・興行ビジネスを仕切る。・巨永中:暴力団や同和に食い込んで日本レース事件、イトマン事件の仕掛け人になり、保釈中に石橋産業事件を起こす。・町井久之(鄭建永):愚連隊リーダーだったが韓国民団の顧問をして力道山のバックにつく。・安藤昇:戦後愚連隊「下北沢グループ」を作って渋谷の愚連隊を支配下に置いて、安藤組(東興行)組長となって不動産や水商売や賭場や債権回収などの裏仕事を請け負い、東洋郵船社長の横井英樹が未払い金の支払いを拒否したので銃撃して安藤組を解散して、俳優になる。舎弟は作家の安部譲二。・万年東一:喧嘩三昧で愚連隊と呼ばれるようになったアウトローの元祖の右翼の総会屋で、東宝争議、横井英樹の白木屋乗っ取り事件に関与。・梶山進:稲川会系で闇金のノウハウを学んだ後に山口組系五菱会に誘われ、多重債務者に別の金融業者を紹介させて借金を膨らませるシステム金融を開発して2000億を上納したと言われる。・木島力也:現代評論社の社長かつ総会屋で、第一勧業銀行の大株主になって癒着する。師匠は児玉誉士夫、弟子は小池隆一。・芳賀龍臥:清水一行の『虚業集団』のモデルになった総会屋で、西武から2億円近い利益供与が発覚して西武鉄道株が上場廃止になる。・後藤田正晴:エリート警察官僚から内閣官房長官になって情報力で裏の実力者になり、決断の速さからカミソリ後藤田と呼ばれ、佐々淳行が「後藤田五訓」を役人の心構えとしてまとめる。・福本邦雄:画廊フジアートを設立して、絵画を利用して政治献金を合法化するマネーロンダリングで政権に食い込む。・小田勉:幹部刑務官として軍隊的行進の徹底化、作業中の雑談や脇見、無断離籍の絶対禁止を実践して、刑務所の沈黙体制を作る。・佐川清:佐川急便創業者で政治家や芸能人やスポーツ選手のスポンサーになって日本一のタニマチと呼ばれるものの、東京佐川急便事件が発覚して政界に2000億の金が流れたと言われる。・江副浩正:リクルート会長。リクルートの社員を国会議員の秘書として派遣して人脈を作り、値上がりが確実なリクルートコスモス株を90人以上の政治家に譲渡したリクルート事件で竹下内閣が退陣する。・斎藤十一:新潮社に入社して週刊新潮を創刊して日本の出版ジャーナリズムの原型を作る。・吉田善哉:日本最大の生産牧場の社台ファームの創業者で、数千頭の馬の血統や成績を記憶してサンデーサイレンスに種牡馬の理想像を見出して16億円で買い付ける。●感想田中角栄とか中曾根康弘とかの表に出ている権力者である総理大臣が黒幕扱いされているのは黒幕の語義からして違うし、何かの事件を画策したわけでもなく単に影響力が大きいというだけの稲盛和夫や船井幸雄や孫正義とかの創業者を取り上げていたりして、「黒幕」というテーマでまとまっていない感じ。何の事件の黒幕かということまで書かないと情報としての価値が低いし、情報量も少ないので人物図鑑としてあまり役に立たない。人数を減らしてそのぶん各人物を掘り下げたほうが面白かったと思う。宝島からは『昭和の「黒幕」100人』とか似たような本が何冊か出ているので、こういうのに興味がある人は時代やテーマを絞った本を買うほうが満足度が高いかもしれない。それでも今ある会社や組織の創業者がどんな人だったのかというのを知ること自体は面白い。ビジネスを興す人というのは活動的で個性的で何かしら人間的な魅力があるけれど、それに比べて何かやりたいことがあるわけでもなくただ金を儲けるために権力に群がって犯罪をする人はつまらない。戦争の混乱があったからこそ戦後は道徳がないごろつきみたいな経済人が金と権力を得て跋扈したのだろう。マスコミは右翼か左翼、芸能や興行はやくざがバックについていたりして、どういう筋の企業なのか調べるのは大事だなあと思った。あと『機動警察パトレイバー』のカミソリ後藤の元ネタのカミソリ後藤田とか、『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』の醍醐ファームの醍醐社長の元ネタの吉田善哉とか、フィクションのネタやモデルになっている人について知るのも面白い。現実が面白いからこそ現実を洞察する見識がある作者が作るフィクションも面白くなるものである。★★★☆☆【中古】 日本の「黒幕」200人 宝島SUGOI文庫/別冊宝島編集部【編】 【中古】afb
2019.03.25
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最近は俳優の新井浩文が強制性交容疑で逮捕されて、ピエール瀧はコカインを使用して逮捕されて、過去作品が販売停止になることの是非が巷で議論されている。出版業界は表現の自由や言論の自由を重視するので犯罪者でも出版できる。パリ人肉事件の佐川一政は小説家になってマスコミにもてはやされたし、暴力団員も原稿料や印税を寄付するという条件で自伝やエッセイを出版していたりする。それに比べて、なぜ映画やドラマは役者が一人逮捕されただけで犯罪をするまえに作られたすべての過去作品の販売を停止するのか、理由がいまいちわからない。というわけで犯罪者が制作にかかわったフィクションをどう取り扱うべきなのか、考えてみることにした。●販売自粛される理由・被害者に配慮して自粛被害者や遺族は加害者の顔を見たくないし、人によってはPTSDの症状がでるので、被害者に配慮して犯罪者の映像作品を自粛するというのは道理が通っている。極楽とんぼの山本が未成年との淫行で被害届を出されて吉本興業を解雇されたけれど、これは被害者がいるので実刑を受けていなくてもなかなか復帰できずにいる。・スポンサーに配慮して自粛小説の場合は出版社が原稿料を払うだけで他に配慮するべきスポンサーがいないし、小資本で制作できるので、編集者の裁量で出版するか否かを決められる。しかし映画やドラマの場合は1本の制作費が高いので協賛企業を複数集める必要があって、犯罪者が出演することによるイメージダウンをスポンサーが嫌う。映画会社はスポンサーの機嫌を損ねてもう出資しないと言われたら困るので、表現の自由よりもスポンサーのご機嫌伺いを優先して、さっさと公開停止にしてしまうのかもしれない。海外のアーティストが不祥事を起こしても日本で作品の販売を自粛しないのは、日本のスポンサーに気兼ねする必要がないからだろう。・犯罪が利益につながらないように自粛アメリカだと犯罪加害者が自らの犯罪物語を出版・販売して利益を得ることを阻止する目的でサムの息子法が制定された。YouTuberが金儲けのために注目されようとして迷惑行為や危険ないたずらをするように、反社会的行為が利益に結びつく状況を放置するのはよくないので、犯罪を二次的にマネタイズする手段を禁止するというのは社会的利益になる。・犯罪撲滅のための社会的制裁として自粛メディアは影響力が大きい分だけ社会的責任も大きいし、人気の芸能人の犯罪は社会的影響が大きいので、当事者間の問題では済まなくて犯罪撲滅の姿勢を示すために自主的に厳しい処分をしているのかもしれない。ピエール瀧の場合は薬物使用なので本人以外に被害者がいない犯罪だけれど、社会的制裁という意味合いで曲が販売自粛されたんじゃないかと思う。●販売自粛や放送中止の対応への疑問点・犯罪者でも刑期を終えたらテレビに出ていいのか?北野武はフライデー襲撃事件を起こして謹慎した後にテレビに出ているし、島田紳助は女性マネージャーへの傷害事件を起こして謹慎した後にテレビに出ているし、ホリエモンはライブドア事件で逮捕されて出所後にテレビに出ているし、板東英二は所得隠しが発覚してレギュラー番組は降板したけれどまたテレビに出ている。不倫をした芸能人はたくさんいて、民法上は違法行為だけれど刑事罰ではないせいか一時期は干されてもすぐに復帰する。犯罪をしてテレビから消える人と、またテレビに出る人の基準がいまいちわからない。刑期を終えたり謹慎したり被害者と和解したりすれば罪を償ったのでもうテレビに出してよいという判断なら、新規の仕事をしない謹慎期間があれば過去作品まで販売自粛をする必要はないのではないか。・犯罪者を一時的に排除したところで芸能界に自浄作用がないもともと芸能界はやくざが興行を取り仕切っていて、薬物だけでなく枕営業や賄賂などの不祥事が多いし、上下関係が厳しいせいで新人や若手へのハラスメントも常態化している。今までは事件があっても表面化する前に金を払って被害者と和解してもみ消してきたのだろうし、週刊誌にたれこまれたりしてたまたま犯罪が露見した人だけを芸能界から排除したところで、それが芸能界の健全化につながるのか疑問である。芸能人だって聖人君子でなくて人間なので、欲もあるし犯罪をする人もいるだろう。そこで芸能事務所が定期的に抜き打ちで薬物チェックをしていたら麻薬の使用は防げたかもしれないし、事務所が性欲を管理して合法的な風俗サービスをあっせんしていたら一般人や未成年に手をだして刑事事件になるのを防げたかもしれない。TOKIOの山口メンバーは事務所が素行を把握して管理していれば何もしないで帰らせることができただろうけれど、事務所に管理能力がないままでは山口メンバーを排除したところで同様の問題が起きるんじゃなかろうか。・作品のテーマの矛盾そもそも性や暴力や殺人といった犯罪をテーマにして映画やドラマを作っているくせに、出演者が実際に犯罪をしたら自粛するというのはやっていることがちぐはぐに思える。新井浩文やピエール瀧を映像から消していなかったことにするのでなく、そこで犯罪を掘り下げるドキュメンタリーでも撮ってさらに犯罪の核心に迫るのがクリエイターがやるべきことだろう。表現者として腹が据わってなくて現実の犯罪や批判と向き合うことから逃げるなら、最初から悪事をテーマにせずに悪役が一切出演しない健全なファミリードラマやコメディだけ作ればよい。うわべだけでしか善悪をとらえていない制作者はハードボイルドぶった作品を作る資格がないのではないか。・ドラッグと芸術の是非ビートジェネレーション、ヒッピー、レゲエ、サイケデリックミュージックとかはドラッグと結びついた芸術である。例えばビートジェネレーションの作家のウィリアム・バロウズの『裸のランチ』は作者がドラッグをやった体験を基にして書いた小説だけれど、日本では出版自粛されていないし普通に売っている。ピエール瀧がコカインや大麻をやりながら音楽を作ったり演技をしたりしたとしても、その作品を販売自粛しなければならない法的な理由はない。大麻所持で有罪になった高樹沙耶をマスコミはキワモノのように扱っていたけれど、外国で合法なものが日本で違法であることの是非、あるいは逆に日本で合法なものが外国で違法であることの是非を考える前に、マスコミはドラッグは違法だからダメで思考停止しているように見える。ドラッグだからとダメと思考停止して片っ端から禁止していたら芸術や文化が育たない。例えば酒は合法の薬物なので、八代亜紀の「舟唄」もドラッグの歌ということになる。「舟唄」をいい曲だと思う人は他のドラッグ関連の作品だっていい作品として認めればよいし、作者と作品は別の存在なのだから、作者が逮捕されたとしても作品を販売自粛する必要はないではないか。●私の意見犯罪の被害者から加害者が出演している作品の販売を中止するように要請されたときに出演作品の販売を中止するというなら理解できるけれど、制作会社が過剰反応して視聴者に批判されているわけでもないのに反射的に販売を自粛するのは筋が違うんじゃないかと思う。犯罪の是非と作品の是非は別の問題なので、表現の自由を尊重して、犯罪者が出演している映像作品を視聴するかどうかは個々の視聴者の判断に委ねたほうがよい。視聴者は面白い作品を見たいから金を払うのであって、監督が破産しただの俳優が不倫やDVしただののといった制作者の裏事情は気にしない。どうせ芸能界なんて胡散臭い連中の集まりなのだから、役者がひとり逮捕されたくらいでテレビや映画を見なくなるような人は最初から芸能人を起用したテレビや映画なんて見ない。マスコミや所属事務所が犯罪者に社会的制裁を与えたいなら販売自粛でなく謹慎期間を設ければよいし、映像を差し替えたりモザイクを入れたりしなくても「この作品に登場する俳優は〇〇罪で逮捕されました」と注意書きを付け足す程度で視聴者の判断材料になる。逮捕された役者が制作中の作品や放映中の作品に対する損害賠償をするのは当然だとしても、過去作品まで販売自粛して巨額の賠償金を払わせるシステムは社会的制裁としてやりすぎで、賠償金が大きすぎると前科者の社会復帰に支障がでるし、どんなに才能があっても一度の失敗で再起不能になるのでは芸術が育たないし、視聴者にとっても得にならないと思う。
2019.03.16
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山、川、湖、島、市町村、鉄道、公園などの日本の地理に関する様々なうんちくを1-2ページにまとめた事典。●面白かったところのまとめ・地図は明治時代にできた言葉で、江戸時代には絵図と呼ばれていた。・現在の行政区分は一都一道二府四十三県だが、明治4年に廃藩置県されるまでは畿内七道七十三か国で、畿内、東山道、東海道、北陸道、山陰道、山陽道、南海道、西海道があり、畿内七道はさらに七十三か国に分けられていた。廃藩置県後は三府七十二県に統廃合される。・フォッサ・マグナの陥没の反動で西側が持ち上げられて日本アルプスが生まれた。東側は噴火した火山の噴出物で地溝が埋まり、フォッサ・マグナを境にして東北と西南で地形や地質に違いがある。・山で道に迷った場合、アナログ時計の短針を太陽に向けて12時の目盛との中間地点が南になるので方角がわかる。・北陸は日本海の幅が最も広くなっているところに位置していて、シベリアの北西季節風が日本海上で温められて水蒸気を含んでいるうえに、寒気層の厚さ約3000mと山脈の高さがほぼ同じで寒気が山脈を超える際の上昇気流で雪が山脈の手前にもたらされるので豪雪地帯になる。・熱帯低気圧は空気中の水蒸気が凝結するときに発生する熱をエネルギー源にするので、空気中の水蒸気が豊富な海面温度の高い地域で台風が発生しやすい。赤道上の海では赤道湧昇で海中深くから冷たい海水が湧き上がって水温が低いので、赤道上では台風が発生しない。・東北の日本海側の年間平均気温は太平洋側を上回っていて、夏は日本海側のほうが暖かくて冷害が少ない。・釧路や根室は暖流と寒流が出会う潮目があり、夏に北太平洋高気圧が勢力を増して南から風が吹いて黒潮に温められた湿った空気が親潮の上で冷やされて凝結して海霧が発生しやすい。・海水はマイナス二度で氷結して、オホーツク海の北部で凍結した海水が南下して北海道の流氷になる。・富山県の魚津市沖の蜃気楼が有名で、蜃気楼の展望台がある。・熊本県の八代海で海が燃えているような現象が起きていて、日本書記によると景行天皇が九州巡幸で夜に方角を見失ったときに海上の火に導かれて岸にたどり着いて、この火について地元の人に尋ねても誰も知らないので不知火と名付けられた。1937年に不知火の謎が解明されて、浅瀬の八代海で潮が引くと干潟が現れて澪(水路)ができて干潟の上の空気に温度差が生じて気層がレンズの働きをして、蜃気楼と同様の光の異常屈折で漁火が細長く伸びて見える。・海流は流れる方向が一定だが、潮流は引力で一日に二回必ず向きを変えて満潮と干潮がある。・日本三名山は富士山、立山(雄山、浄土山、別山)、白山で、霊山として信仰の対象になって登拝された。・谷川岳は岩登りが険しくて、昭和以降だけで千人近い犠牲者を出していて世界一遭難者が多い危険な山として恐れられて魔の山と呼ばれる。・全国で唯一千葉県には500m以上の山が一つもない。・木曽三川は下流域で合流していて大雨のたびに氾濫して尾張が高い堤防を作って美濃川の氾濫が深刻になったので、美濃には輪中が発達した。徳川幕府は薩摩藩の弱体化のために宝暦治水で三川分流工事をさせ、難工事で多くの病死者や割腹者を出した。・平地より高いところを流れる川を天井川という。川が山地から急に平地に出るところでは傾斜が緩くなって砂礫が加工まで運びきれずに堆積して、反乱を防ぐために川の両側に堤防を作ると砂礫が堤防の内側に堆積して河床が高くなってしまう。・河口に向かって右側が右岸で左側を左岸と呼ぶ。・香川県は讃岐山脈から流れる短い川しかないので溜め池を作って水不足を補ってきた。香川県の満濃池は日本一大きな溜め池で、701-704年に国守道守朝臣によって創築された。・中禅寺湖は湖水が循環する対流現象によって冬でも凍結しない。水深が深いと対流現象が起きやすくなって不凍湖になる。・富士五湖は湖を分断している溶岩流に空隙が多くて湖水が湖底でつながっているためにほぼ同じ水位になると言われている。・ウナギは海で生まれて淡水の河川で成長するが、皮膚呼吸をして湿った地面を移動できるので池にも生息する。・別府湾の瓜生島は室町時代から戦国時代にかけて南蛮貿易で栄えていて1000人ほどが住んでいたが、1596年の大地震で沈没して逃げ遅れた人が海に呑み込まれた。・秋田県の象潟は九十九島といわれる小島が点在していて裏日本の松島と称される景勝地だったが、1804年の象潟地震で付近が隆起したために陸化した。本荘藩は海水が消えた後の泥沼化した入江を干拓して水田化させた。・函館や男鹿半島はかつて島だったが、河川の土砂が堆積して陸続きになった。砂州によって陸続きになった島を陸繋島という。江ノ島や桜島も陸繋島。・琵琶湖に浮かぶ沖島は全国で唯一湖にある有人島で、近江源氏の落人7人が住み着いてから人口が増加したと言われる。・明治6年に栃木県と宇都宮県が合併して県庁が栃木に置かれて栄えたものの、明治17年に県庁が宇都宮に移ってからは栃木はさびれた。・金沢県の県庁所在地の金沢が県の北部に偏りすぎているので県の中央にある美川町に県庁移転して、美川町のある石川郡の郡名から石川県になった。七尾県が石川県に統合されると今度は美川町が県の南に偏りすぎることになって、再び県庁所在地が金沢に移った。・和銅年間(708-715)に「地名は二字の好字にせよ」という国からの命令で地名が漢字二字に統一されたので、漢字二字の地名が多い。・銀座は銀貨鋳造所が置かれていたことに由来していて、1601年に伏見に作られた銀貨鋳造所が銀座の発祥で、1612年に駿河の銀座が江戸に移されて今の銀座になった。金座(金貨鋳造所)があった日本橋は経済の中心で両替町と呼ばれて、それに対して銀座は新両替町と呼ばれて、1800年に銀座役所が日本橋に移転しても銀座の地名はそのまま残り、なぜか金座は消滅した。・今は1里が4kmだが、昔は6町(654m)を1里として計算していて九十九里浜は99里くらいあったのが名前の由来。・島原の乱がおきた直後の1640年ごろに京都の遊郭が現在の位置に急に移転したので、その慌てぶりが戦乱のようであったことから島原と呼ばれるようになった。・東海道は道が平坦で整備されているものの大雨で川止めを食って宿賃や川越え賃がかさむので、東海道より40km長くて険しい山道の中山道を利用する旅人が多かった。東海道は出女を取り締まるために関所の女性の取り調べが厳しかったので、新居の関所を避けて浜名湖の北側に回り込んで三河の御油宿に抜けるコースをとる旅人が多く、女性の旅人の往来が多かったので姫街道という。・港湾には埋立港と堀込港があり、河口に作られた港は上流からの土砂によって水深が浅くなって船舶が大型化すると港としての機能が果たせなくなり、沿岸部を埋め立てて造成するようになった。横浜や神戸などの大きな港はすべて埋立港で、苫小牧や鹿島などの広大な土地が確保できるところは沿岸部の陸地を掘り込んで港を建設する。・国分寺と言う地名は全国に68か所ある。国分寺は741年に聖武天皇の発願で諸国に建てられたもので僧寺と尼僧寺があり、僧寺の本山が東大寺、尼僧寺の本山が法華寺で、国府の所在地に必ず国分寺があって770年ごろに全国的に完備したが、律令制度の崩壊で国分寺が存在意義を失って多くは廃寺になった。・花火は天正年間(1573-92)に南蛮から鉄砲とともに伝来して、はじめは軍事上の通信目的に使われていたが鑑賞用の花火が製造されるようになり、1613年に外国からの使者が徳川家康の前で打ち上げた花火が日本最初の打ち上げ花火で、町人たちの娯楽として線香花火やねずみ花火などの様々な花火が考案されて、1659年には江戸の町中で花火を打ち上げることが禁止になって隅田川で打ち上げる花火が江戸名物となる。・青森のねぶた祭、秋田の竿灯祭りは七夕祭りの一種で、夏の暑さからくる睡魔を追い払う「眠り流し」の行事として始められていた。・成人式は昭和21年に埼玉県蕨町の青年会が青年祭を企画したのが発祥で、両国の全国町村長退会で青年祭が紹介されたことが全国的な反響を呼んで昭和23年から「成人の日」として国民の祝日に加えられた。●感想私が行った高校では社会科では世界史か日本史をどっちかを選ぶ形式で地理は教えていなかったので、今更地理を勉強することにしたのだった。さて私は海釣りをするので山の話よりも海の話に興味があるのだけれど、地理の本はたいてい山や川の話がメインになって海の話が少ないのが物足りない。大陸棚や海溝がどうなっているかとか、どういう地形で離岸流が起きるとかにも言及してほしい。海なし県民が海辺ではしゃいで波にさらされる事故がしばしば起きているけれど、海に関する地理的な知識不足が原因だと思うので、その辺をもっと啓蒙してほしいもんである。さて地理とフィクションについて考えてみる。フィクションでは地形の独自性が作品の面白さにつながる。小説や漫画だと登山で険しい山をどう登るのか、無人島でどうサバイバルするのか、戦争で川岸や山に配置された敵をどう倒すのかという地形が物語展開の鍵になるし、ミステリだとトリックに孤島とかの地形や時刻表が使われる。宮崎駿の映画は地形がちゃんと作り込まれていて、『天空の城ラピュタ』のパズーが働く鉱山とか、『風の谷のナウシカ』の風の谷とか、『紅の豚』のポルコの隠れ家の入江とか、『もののけ姫』の湖の側のタタラ場とか、物語に出てくる場所自体が独特で視聴者の興味をひいて物語に没入させる。細田守や米林宏昌が宮崎駿に比べてなにか物足りないのは物語の舞台になっている場所にあまり魅力がないせいで、ただでさえアニメ絵はデフォルメされていてリアリティがないのにそのうえ地理的なリアリティがない世界にフィクションのキャラクターを登場させるので、全体的に嘘くさい話に見えてしまって大人が見るとあまり楽しめないのである。剣と魔法のファンタジーは美形キャラクターだの仰々しいモンスターだの派手な魔法だのの目立つ部分に目がいきがちだけれど、その世界にはどういう地形があって、そこにどういう生態系があって、どういう歴史的背景があって人間がそこに国を作ったのかということを演繹して世界観のリアリティを積み上げていかないと、モンスターや魔王にリアリティがなくなって主人公を勇者たらしめるために敵として用意したご都合主義的な存在になってつまらなくなってしまう。異世界転生系はもともと異世界がどこの世界なのかという地理的リアリティがないうえに、その世界に都合よく転生してくる登場人物にもリアリティがないので、作品全体がリアリティのないご都合主義になってしまう。ゲームだと地理の特殊性が面白さにつながる。無数にある横スクロールアクションのなかでかわいくもないおっさん主人公のマリオが人気になったのは、マントで飛んだり敵を踏んでジャンプしたりして複雑な地形を攻略していく面白さがあるからだろう。ロックマンは地形を攻略するよりもどうやって武器を駆使して敵を倒すのかという点に焦点を当てているせいで、スーパーファミコン以降の3D化した世界では地形の面白さをアクションとして活かせずに人気が終わってしまった。ドラゴンクエストが長期的な人気シリーズになったのは、船ではいけない浅瀬は不死鳥や魔法のじゅうたんを使わないといけなかったりして地形が作り込まれていて、モンスターも地形特有の敵が出てきて、未知の場所を冒険して未知の敵に対処して宝探しをする面白さがあってクエストが単なるお使いになっていないからだろう。ファイヤーエムブレムはシミュレーションの人気シリーズになったけれど、これはマップの地形効果でユニットの移動範囲や回避率が変わってくるのが戦略の面白さにつながっていて、山や海を越えられるペガサスナイトやドラゴンナイトなどのファンタジー的なユニットの魅力が十分にひきだせている。バトルロワイヤル系のシューティングゲームだと地形の高低差が面白さにつながっていて、今までのFPSだと狭い建物内の狙撃ポイントで待ち伏せして撃ち合いをする反射神経が重要だったけれど、バトルロワイヤル系は崖の上から狙撃したり岩陰に隠れたりするような地形を利用する立ち回りの自由度の高さが駆け引きの面白さを引き出していて、反射神経が衰えたおじさんでも遊べるようになってヒットしている。ポケモンGOは実際に街を歩いて五感を使って新しい場所に行ってポケモンを探すことが面白さにつながっていて、いまだに人気がある。というわけで、地理というのは地味な要素に思われがちだけれど、実際はフィクションの面白さの根幹になりうる重要な要素である。地理を含めた世界観がしっかりしているからその世界に非日常的なキャラクターが存在しても受け入れやすくなる。逆に地理的なリアリティがないと、その地理上で起きている出来事全てにリアリティがなくなってしまう。漫画だけ読んで育った漫画家はだめだ、ゲームだけやって育ったゲームクリエイターはだめだとよく言われるけれど、クリエイターはただ先行作品から話づくりの方法を勉強すればよいというわけではなく、地理や歴史の知識も必要だと私は思う。小説だけ読んで小説を書く作家もだめで、菊池寛や小林秀雄は現実を見る目がないといけないよと言っていたのだけれど、今はもう芥川賞受賞者や文学賞の選考委員をしている作家でさえ現実を見ない作家が多くなってしまって、私が読みたい純文学がなくなった。★★★☆☆【中古】 日本地理がわかる事典 読む・知る・愉しむ /浅井建爾(著者) 【中古】afb
2019.03.07
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