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ごみ処理の仕組みやリサイクルについて包括的に書いた本。●面白かったところのまとめ・奈良時代まではごみを捨て場や河川や空き地に投棄するだけだったが、平安時代にごみが社会問題化して清掃丁という職掌が設けられた。江戸時代は芥改役がゴミ処理業者を取り締まって、会所に集めたごみを東京湾の埋め立てに使っていた。明治20年代にペストが流行したので汚物処理が重視されて、明治33年に汚物掃除法が制定されてごみ処理が市町村の責任になって焼却が推奨された。・廃棄物対策の政策として、廃棄物の回収のためのデポジット制度(アメリカ、北欧など)、廃棄物処理やリサイクルコストをあらかじめ製品価格に転嫁して徴収する課徴金制度(イタリア、フランスなど)、企業からあらかじめ処理コストを徴収しておきリサイクル目標率を達成したら企業に戻す預託金制度(アメリカ、韓国など)、廃棄物処理やリサイクルコストを排出者から徴収する有料制などがある。・1986年のデータでは日本は焼却が72%で埋立が24%、デンマークは焼却が81%で埋立が19%で焼却の比率が高い。アメリカは焼却が10%で埋立が77%、イギリスは焼却が10%で埋立が70%で埋立の比率が高い。欧米は環境規制が厳しくて焼却による有害物質を懸念して焼却施設の建設が困難な一方で最終処分地の確保が比較的容易なので埋立が多いが、ドイツを中心に償却と溶融を中心に処理の方針を変えている。・焼却炉の完全燃焼のための3T条件は、燃焼温度(Temperature)を850℃以上に保つ、蒸気温度で2秒間以上の滞留時間(Time)を確保する、燃焼ガスと燃焼用空気の十分なる混合攪拌(Turbulence)。・廃熱ボイラで回収した蒸気を発電に用いる場合はできるだけ高圧で蒸気タービンの損傷防止から高温までスーパーヒートされていることが望ましいが、ごみには塩化ビニール製品や食塩などの塩化物が含まれていて、これを焼却すると有害な塩化水素ガスが発生して、このガスは温度によって金属を腐食させるので上記圧力とスーパーヒート温度はあまり高くできない。・廃棄物の構成成分である炭水化物、脂肪、たんぱく質には好気性分解と嫌気性分解がある。好気性分解では好気性微生物の代謝作用で有機酸やアルコールに分解され、最終的には炭酸ガスや水に分解されて、嫌気性分解に比べて短時間で分解が完了して臭気のない物質が生成される。嫌気性分解は有機酸やアルコールに分解される液化の後、有機酸がメタンや炭酸ガスに分解されるガス化が進行する。1960年代後半に埋立地の自浄作用が発見されて、埋立地が好気的な場合は良好な浄化槽になりうるという埋立構造の概念が確立された。・再生資源の多くは処女原料の代替原料であるため、処女原料を利用した場合の製造コストとの比較で再生資源価格は決定される。再生資源は一般に圧倒的な買い手市場で、ユーザーが価格決定権をもっており、再生資源の価格は再生資源を原料として作られる製品にリンクして決定されることが多い。再生資源は計画的に採取して供給されるものではないため、相場の変動が激しい。再生資源は品質の違いがあり、鉄屑などは上級屑の相場の変動が下級屑の需要に大きな影響を及ぼす。再生資源価格は国内の需要だけでなく国際的な市況によっても影響される。●感想私はごみのような生活をしているので、たまにはごみについて思いを馳せてみるのもよかろうと思ってこの本を読んでみた。生活していてごみを出さない人はいないのに、ごみ処理の仕組みについて詳しく知っている人はほとんどいないのではなかろうか。私は小学生の時にごみ処理場に社会科見学に行った程度の知識しかなかったけれど、単にごみを燃やしたり埋めたりすればよいというものではなく、技術的に難しいことがあるというのがわかって勉強になった。一般人が読んでもあまり役に立つものではないけれど、ごみが出る企業に勤めている人や役所の職員は読んでみるとよいかもしれない。ごみを適切に処理したりリサイクルしたりのも大事だけれど、「ガイアの夜明け」でユニクロがジーンズの加工に使う水を90%以上削減したのを特集したり、土に還る和紙の皿ののWASARAを特集していたりするように、有限の資源をどう効率よく使うかという製造側の技術革新も大事である。さてごみとデータについて考えることにする。現代社会のごみは廃棄物だけでなくて、ネット上のテキストや画像や動画といったデータもごみになりうる。喋った言葉なら音波として消えて、見た風景は記憶に残るだけだけれど、それが動画やテキストになるとデータとして排出されて形が残る。現代のデジタル世代は自撮りだのツイートだのをして電子ゴミを排出するようになったわけである。世界中のあちこちで写真や動画が取られて、人生の複製があちこちで作られて死後もSNSが残り、人生の廃棄物もあちこちに散乱している。うんこをしない人間がいないように、現代人で電子ごみをまったく出さない人間はいないんじゃなかろうか。・ごみデータが生まれる仕組みアフィリエイトブログやキュレーションサイトやテキストスクロール動画など、ごみのような情報や動画はたくさんあるけれど、これらはたいてい金儲けのために他のソースからコピーされたコンテンツである。テキストや動画のデータは無限にコピーできるので、コピーされてつぎはぎされて劣化したコンテンツがウェブ上に氾濫することになる。技術革新もごみデータの原因になって、VHSテープに録画した昔のテレビ番組とか、解像度が低い古いビデオカメラで撮ったぼやけた動画とかは解像度が高い上位互換の動画が出てくるとごみデータになる。情報が古くなるのもごみデータの原因になる。事件や事故のニュース記事とかはアーカイブしておく価値があるけれど、天気予報、バーゲン情報、求人情報とかの古くなったら役に立たなくなる記事は時間がたつとごみデータになる。こういうごみデータはウェブサイト側でもアーカイブしておくメリットがないので削除しているけれど、メンテナンスをさぼっている中小企業のサイトには古くて役に立たないごみデータがたまっていたりする。・ごみデータの埋め立てGoogleは古い情報や役に立たない情報や有害な情報を直接削除できないにしても検索結果の上位に出にくくして、ごみデータの埋め立てのようなことをやっている。自前のサーバーでコンテンツを運用している企業は検索結果に出なくなるとPVが減って、広告代を稼げないごみデータを貯め込んでサーバー代や人件費で赤字になって、サービス終了とともにごみデータも浄化される仕組みになっているけれど、ごみが消えるまでに数年かかる。・有料ごみデータ処理無料で使えるサービスでも運営を続けるほど誰も見ないようなごみデータのアーカイブが増えてサーバー代がかさんで広告収入だけだとサービスを維持できなくなるので、ごみ排出者が料金を負担したりする。例えば5ちゃんねるはごみ溜めのような掲示板で、ごみコメントをたくさん投稿してストレスを発散したい人が「浪人」を買ってサービスを維持するビジネスモデルになっている。ニコニコ動画もプレミアム会員でないと生放送を配信できないので、快適にごみ動画を配信したいニコ生主やごみ動画をニラニラ眺めたい視聴者がプレミアム会員になっている。・ごみデータの堆肥化YouTuberがだらだら雑談するだけのつまらない動画でも外国語を勉強したい人にはネイティブの方言まじりの言葉が月並みな語学テキストよりも実践的で役に立つように、本来とは違う目的でデータに利用価値が残っている場合がある。ごみ動画やごみテキストでもAIの学習素材としてなら役に立つかもしれない。あるいは言語学的な研究の資料としてどの単語や音節が何回使われたのかとか、流行語がいつ流行っていつ廃れたのかとかの統計をとったりするのに役に立つかもしれない。・ごみデータの焼却SNSの炎上は有名人にごみゴシップ記事が火をつけて、Yahooニュースや5ちゃんねるに燃料になるごみコメントが投下されて拡散されて燃え広がる可燃ごみで、炎上が大きいほど有毒ごみコメントを排出する。意図的に火消しをするのは難しいものの、やがて世間の人も批判するネタがなくなって燃え尽きて鎮火して、時間がたってYahooのニュース記事がアーカイブから消えたり、5ちゃんねるのスレ立てがされなくなったりして燃えカスのごみコメントも一緒に消える。有名人は灰をかぶって汚名まみれになるけれど、これは原因があって批判されるので自業自得ともいえる。・古いコンテンツのリサイクル古くなって利用価値がなくなったコンテンツはリサイクルすればまた使えるようになる。音楽なら昔の曲の一部をサンプリングしたり、現代風にアレンジしたりして再利用できる。動画ならモノクロ映画のフルカラーリメイクとか、古いアニメの3Dアニメ化リメイクとかで再利用できる。アメコミで作品単体としては賞味期限が切れたものでも「アベンジャーズ」のようにヒーローを総出演させて再利用することができる。「スーパーロボット大戦」も同様の手法で、古いロボットを人気のガンダムと混ぜて再利用している。「艦隊これくしょん」の戦艦の萌え擬人化、ソーシャルゲームの戦国武将の女体化なんかも一種のリサイクルで、大幅に変更することで歴史以外の文脈で古いエンティティを使えるようになった。流行遅れになったファッションコーディネートのスナップ写真とかは流行が一巡したら古いものがかえって目新しくなってまた流行するかもしれない。小説は文章をそのままサンプリングすると剽窃になってしまうし、昔の小説を現代風にリメイクしようにも時代背景が変わってしまうと登場人物の価値観や行動も変わって物語が成立しなくなったりするので再利用しにくい。・コンテンツ制作の省エネ化コンテンツ制作にはかなり時間がかかるし、だからこそ無駄な労力を使うのはもったいないし、一人で試行錯誤するよりも先人が体系化した理論や技術を有効に使うほうが制作の労力を省エネ化できる。寿司職人は今まで一人前になるまで何年も下積みをして経験を積むのが一般的で3か月で技術を教える寿司学校に否定的だったけれど、寿司学校卒で技術を学んだ経験が浅い人の店がミシュランに掲載されて、寿司学校の有用性が証明されることになった。これはコンテンツ制作でも同様で、下積み修行で手探りで知識と技術を覚えるのはまったくの無駄ではないにしても非効率な部分がかなりあるわけである。絵画の場合は光や形を正確にデッサンする技術や色彩学や解剖学などの理論を学ぶし、音楽の場合は変な癖をつけないように正しいフォームやリズムで正確に音を出す技術やコードなどの音楽理論を学ぶ。いったん基礎技術や理論を身に着けてしまえば、あとはどんなテーマで創作をしてもそれなりのクオリティがある仕上がりになる。例えば基礎技術を身に着けた漫画家やアシスタントは作業を分担して一人だと時間がかかりすぎる連載漫画作品を共同制作できるし、基礎技術を身に着けたミュージシャン同士ならコード進行を理解してすぐにいろいろな楽器でセッションできる。基礎技術や理論というのは地味でクリエイティブなところが何もないように見えるけれど、よく行う作業が細分化されてパターン化されているので効率よく制作できるようになって、無駄をなくして制作の省エネ化ができるわけである。あるいは電子楽器を使って効率よく録音してエフェクトをかけたり、イラストソフトを使ってレイヤーを何重にもして効率よく加工や修正したりして、最新機材で制作効率を高めることもできる。小説の場合はプロ作家や編集者でさえ文学理論を理解していないまま創作したり文学賞の選考をしたりしているので、作品数が多くても質がばらばらでクオリティを保てていない。これは文学理論の研究者が少ないことや、作家ごとに異なる芸術観に基づいて異なる文章作法を教えていることに加えて、小説はたいてい一人で創作するのが原因だろう。絵や音楽と違って小説だと他人の創作の具体的な過程が見えないので、他人のやり方を見て細かい技術を覚えるということができない。小説教室もあるけれど、受講生の作品の添削が中心で文学理論を教えているわけではないようなので、美術予備校や音楽教室のような世界共通の基礎技術や理論を教え込む教室とは趣が異なる。それに小説は他のデジタルコンテンツと違って機材を最新の高性能パソコンにしたりOfficeをアップデートしたりしたところでほとんど創作に影響しないので、なおさら本人の能力次第で作品の質が変化しやすい。従来のやり方が非効率で質の向上につながらないからこそ小説を書く人は文学理論を学ぶべきだと私は思う。こないだ創作の技術について質問があったのだけれど、漫然と小説を書くよりも自分がどのテクニックを使ってどういう書き方をしているのか自覚していれば作中で文体がぶれることもなくなるし、他の作家がどういうテクニックを使っているのか識別できるようになれば違うテクニックで差異化しやすくなるので、うまく小説を書けるようになりたい人は面倒くさがらずに設備投資だと思って基礎的な文学理論だけでも勉強するほうがよいですよ。★★★☆☆【中古】afb_【単品】_ごみ読本
2019.04.27
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YouTuberが出てきた当初は一生続けられる仕事じゃないよと冷ややかな目で見られていたけれど、小学生がなりたい職業の上位がYouTuberになったり、代々木アニメーション学院がYouTuber科を作ったり、サラリーマンを辞めてYouTuberになる人が増えたりして、それなりに職業として定着しつつあるようである。というわけで、YouTubeについて考えることにする。●YouTubeはどうやって優位性を得たのか・テレビ局のネタ切れテレビ局はネタ切れして、ネットのおもしろ動画を紹介して芸能人がリアクションする低品質な番組さえ作るようになった。ネットを使っていない一部の老人にとってはまだ需要があるかもしれないものの、いまどきは老人でもテレビでYouTubeを見るので、だったら最初からYouTubeでおもしろ動画見ればいいじゃんという話になる。・暇つぶし需要の増大電話とメールだけのガラケーから高性能のスマホになって、外出時にスマホでできることが増えて暇つぶしの需要が出てきた。頭の固いテレビ局の経営者がネット進出に出遅れた間にすっかりスマホで暇つぶしできる環境が整って、誰もワンセグを使わなくなってスマホでテレビ番組を見るよりもゲームをしたりLINEをしたり動画を見たりするようになった。スマホの手軽さに慣れてしまうと、もう決まった時間に家に帰ってテレビを見るというのが面倒くさくなる。・他の動画サイトの凋落2000年代後半の動画共有サイトの黎明期はどのサイトも似たようなもので、たいていは違法コピーされたテレビ番組や映画などが投稿されていた。独自のコメント機能があるニコニコ動画が頭一つ抜けていて、ボーカロイドやMADやオタ芸やゲーム実況者などの新しいことに興味があるアーリーアダプターのユーザーが集まっている感じで、それに対してYouTubeはニコニコ動画からの転載が投稿されている程度で特に見どころがないサイトだった。しかしYouTubeはGoogleの資金力で設備投資されて動画を再生しても途切れなくなって他のサイトよりも動画が見やすくなったし、動画をブログに埋め込んで共有したりする設定もやりやすくなった。それに加えてGoogleの傘下になったことでSEOで上位に出てくるようになって、検索で優位に立てることになった。動画を投稿する人は大勢の人に見てほしいから投稿するわけで、必然的にSEOに有利なプラットフォームのユーザー数が増えることになる。さらに広告で収益化できることでオリジナルコンテンツが増えた。ミュージシャンがYouTubeを公式SNSとして使って高品質のPVを投稿したりするようになると、もはや画質が荒い違法コピー動画ばかりの他の動画共有サイトは競合相手ではなくなって、DailyMotionの動画とかはほとんど検索に出なくなった。ニコニコ動画は有料チャンネルで固定ファンを囲い込む戦略だったものの、アニメのオンデマンド配信とかのオタク向けのコンテンツばかりで一般人受けするコンテンツがなくて、設備投資をしなかったので無料会員は生放送から追い出されたり動画が途切れたりして使いづらくて無料会員のユーザーが離れていったうえに、サブスクリプションサービスが出てくるとそっちのほうが便利になって有料会員も離れていった。●YouTubeは新しい需要を発掘した・日常の価値を発掘した今までのテレビは主にプロフェッショナルを映してきた。プロの料理人のレシピ、プロのメークアップ、プロのファッションコーディネート、プロのお笑い芸人の漫才とか、専門性が高い人による価値のある情報を番組にするわけである。『アタック25』や『新婚さんいらっしゃい』や『学校へ行こう』や『ぽつんと一軒家』のような素人参加型の番組もあったけれど、司会は芸能人がやってディレクターが面白い部分を編集して、素人臭さがつまらなさにならないようにプロが制作を主導しているという点で素人のコンテンツとはいえない。それに対してYouTubeは普段はテレビでは見られない、日常生活というコンテンツを発掘した。一般人がどういうメイクをしているのか、どういうDIYをしているのか、どういう子育てをしているのか、どうペットを飼っているのか、どこに旅行に行ったのか、どうキャンプをするのか、どう釣りをするのか、友達と普段どういう会話をするのかなど、視聴者は着飾った金持ちの芸能人ではない一般人の日常生活に興味を持つようになった。例えば所ジョージが金をかけて自動車いじりをする番組を見るよりも、庶民が低予算でやりくりしながら自動車いじりをするYouTubeの動画を見るほうが庶民には参考になる。これは視聴率だけしか考えていないテレビ局ではできなかった発想だった。芸能人のカリスマ性が落ちてテレビの影響力が低くなったのと比例して、スマホの普及とオンデマンドの暇つぶしの需要の増加とともにYouTuberの人気が高まってきた。たまに中学生や高校生の間で変なものが流行ったりするけれど、その動画の投稿者やトピックに興味がある人にとって役に立ったり面白かったりすれば、他の大多数の視聴者にとってつまらなかったり投稿者に専門性がなかったりしてもコンテンツとして成立する。子供は家族や親戚や同級生の生活しか知らないので、大人のYouTuberがどういう生活をしているのか興味を持って、私生活が不明な気取った芸能人よりも、より身近に感じられる若いYouTuberの真似をしたがるわけである。・テレビに出ない専門家の需要を発掘したニコニコ動画はネットやアニメが好きなオタク向けというイメージで荒らしコメントやホモネタが多くてまともな一般人からは敬遠されたのに対して、YouTubeはインターネットミームに汚染されていないので、いろいろな分野の専門家がニコニコ動画よりも視聴者層のイメージのよいYouTubeを使うようになった。例えば私はギターを弾くけれど、ギターの弾き方というのは本や楽譜を見てもいまいちわからない。しかしギターの専門家がギターの弾き方を解説するYouTubeチャンネルを見ればギターの弾き方がわかりやすい。テレビの音楽番組は演奏が中心で楽器の弾き方を解説する番組はなかったので、YouTubeが新しい需要を発掘したのである。他の分野のあまりテレビには出ない専門家もYouTubeで情報発信できるようになって、税理士や会計士による税金の解説とか、M&AコンサルタントによるM&Aのやり方の解説とか、大工による柱の継ぎ方の解説とか、手芸作家による小物の作り方の解説とか、ボディビルダーの食事や筋トレの解説とか、様々な分野で専門家による実用的な動画が投稿されている。こういうのはブログや本でも代替になるけれど、無料で動画を見られるというのは視聴者にとって大きなメリットになるし、特に金がない若者が知識や技術を身につけるのには役に立つ。投稿する人にとっても本業の宣伝になったり副業として収入源になるのでメリットがあって、例えば収入が低い保育士が経験を活かして子供をあやすオリジナルソングを投稿して収入を得られれば、金銭的な理由で保育士を辞めなくても済むかもしれない。・テレビに出ないマイナーなスポーツや娯楽の需要を発掘した競艇は独自の動画サイトを持っているのでYouTubeに頼らなくてもよいけれど、資金力が乏しいスポーツや娯楽は設備投資せずにYouTubeで配信できるのは大きなメリットになる。野球のリトルリーグの試合映像とか、大学のラグビーの試合映像とか、囲碁のライブ中継とか、テレビで放送したら視聴率がとれないようなマイナーなコンテンツでも数百人のファンや関係者は見るし、全国大会とかなら数万人は見るので、ニッチな需要を満たすことができるようになった。・テレビに出ない芸能人の需要を発掘したYouTubeは収益化しやすいという点で他の配信サイトよりも配信者にメリットがあるので、元SMAPの人がYouTuberになったり、お笑い芸人がYouTuberになったりして、芸能人が本格的にYouTubeに参入するようになって視聴者としてはテレビ以外でも好きな芸能人の動画を見られるようになって選択肢が増えた。私は宇宙海賊のゴー☆ジャスがかっこいいと思うのだけれど、テレビでは見かけなくなったのでYouTubeで宇宙海賊が見られるのはよい。あまり面白くないので毎日見たいわけではないけれど、3年に1回くらい宇宙海賊が宇宙の惑星で略奪している元気な姿を見たくなる。・地方の需要を発掘したテレビだと地方局の番組は他の地域では見られないので、県外の人は観光情報を知りたいときにウェブサイトや本などのテキストの情報や写真に頼らざるをえなくて、十分な情報を持っていなかったりする。しかし地方都市在住のYouTuberが地元の祭りやイベントを動画にしたり、方言の意味を解説したりすることで、県外の人でもそこがどういう雰囲気の地域でどういう文化があるのかが分かりやすくなった。観光名所でないような地味な場所やマイナーなイベントの魅力もちゃんと発信されることで、観光客は旅行の際の選択肢が増えた。例えば私の故郷はほとんど外国人観光客が来ない田舎なのだけれど、Abroad in Japanという120万人の登録者がいる人気の在日イギリス人YouTuberが街の紹介動画を作ったら、その動画を見た外国人がわざわざ退屈な田舎まで観光に来ていた。その観光客が旅行動画を投稿すれば、それを見た人がじゃあ行ってみようかなと第二第三の波及効果もでる。YouTubeは役所や観光協会がウェブサイトで公表している観光情報とは違うソースとして地方都市の観光需要を発掘しているわけである。・外国のニュース番組の需要を発掘した今まで外国のニュース番組を見るには衛星放送やケーブルテレビを契約しないといけなかったけれど、YouTubeで外国のニュース番組が無料で見られるようになった。アメリカのBloomberg、カタールのAl Jazeera English、イギリスのSky News、ドイツのDW News、フランスのFRANCE 24 English、オーストラリアのABC Newsとかは英語のニュースをYouTubeでライブ放送しているので、世界で起きている出来事を日本のメディアを通さずに知ることができる。日本のメディアは外国に記者を派遣しているけれど、現地の情報をまとめるだけで独自情報はないし、情報を出すのが遅いし、バイアスがかかっていることがあるし、外国で大事件が起きていても日本では扱いが小さかったりするので、外国に興味がある人にとっては外国のニュース映像を直接見れるのは大事である。クリミア危機が起きた時は銃撃戦がライブ配信されていたけれど、こういうのは日本のテレビ局だと放送できない。・特殊な映像の需要を発掘したYouTubeだと24時間生放送を続けることができるので、アクアリウムのライブ映像の垂れ流しや作業用BGMの垂れ流しのようなテレビの深夜番組でもできないようなことができるようになった。GoProやドローンや360度カメラなどであちこちの風景を普段とは違う角度から撮れば面白い映像になるし、編集で効果音や特殊効果をつければもっと面白くなる。●動画が収益化できるようになって問題が起きているニコニコ動画は目立ちたがりの人が家で花火をしたりして変なことを注目を集めて満足していたけれど、YouTubeは収益化ができるようになったせいで目立ちたがりの変人にいっそう拍車をかけたり、金儲けだけが目当てでまともにコンテンツを作る気がない人も集めることになって、様々な問題が起きている。・コンテンツファームになる子供のおもちゃ開封動画、ひたすらガチャを回す動画、100円ショップで買ってきたものを紹介する動画、Amazonで届いたものを開封する動画、コンビニの新商品を食べる動画、激辛のカップラーメンを食べる動画、他のYouTuberへ物申す動画、アニメを見た反応の動画、ワンピースの次の展開の予想の動画、TikTokの人気動画のコンピレーション、素人のカラオケ動画、ペットに餌をやる動画などは創造性や専門性がなくても誰でも簡単に作れるコンテンツである。ゲームの実況プレイの場合はe-sportsのように腕前や戦略に差がでるゲームなら専門性があるけれど、RPGのように誰がやっても同じストーリーになるゲームの場合は世界中のプレイヤーが似たような動画を投稿することになって差別化ができなくなる。誰でも作れるコンテンツは広告の単価も低くなるけれど、そこで動画の質を上げるのでなくて量を増やして稼ごうとする人が出てくる。視聴時間が長いほど広告の単価が上がるので、金儲けのために動画の尺が伸ばされたり分割されたりして、元々価値が低いコンテンツがさらに水増しされて、面白い動画や役に立つ動画が見つけにくくなる。クリエイターも毎日動画を投稿するとネタ切れしてマンネリになっている。売れない芸人がテレビに出ると爪痕を残そうとして張り切って芸を披露するけれど、YouTubeに出ている芸人はだらだらと会話をしてキレがなくなっている。ゲーム実況者は毎日何時間も同じゲームばかりやって飽きているけれど、他のゲームをやると再生数が落ちるので仕方なく人気のゲームを続けている。ヒカキンほど有名になってもコンビニの商品を食べるだけのなんのひねりのないつまらない動画を作ったり、どのYouTuberも太字原色字幕付きの似たような動画を作ったりして、YouTuberが初期にいろいろ試行錯誤していた頃の創造性が失われていて、もはや面白い動画を作って視聴者を楽しませる事よりも金儲けのために投稿し続けることが目的になっている。・コンテンツが過激化する似たようなコンテンツだらけになると他の動画と差別化するためにコンテンツが過激になって、危険ないたずらをしたり、炎上目当てで他人に絡んだり、ポルノもどきのASMRのコンテンツを作ったり、政治的なバイアスがかかったヘイトスピーチの動画を作るようになる。社会的に悪影響がある行為をするクリエイターにも金を払うGoogleに問題があるのだけれど、Googleが取り締まる気がない以上は過激なコンテンツが増え続けることになる。一部の広告主が怒ってYouTubeから広告を引き上げたのでGoogleも規約を若干厳しくして対応したけれど、私はGoogleの対応はまだぬるいと思う。・モラル違反の手法が行われているブログの広告やアフィリエイトが儲かった2000年代は、コピーした内容、キーワード詰込みなどのブラックハットSEOを使って儲けようとする人が多くて、金儲けのためだけに作られた役に立たないウェブサイトが検索結果の上位を汚染していた。それが今度はYouTube上で行われている。手間をかけずにコンテンツを作って再生数を伸ばす手法として、丸々コピーした動画、コピーした動画をつぎはぎしたコンピレーション、ウェブサイトからコピーしたテキストがスクロールする動画、キーワードやタグの詰込み、ミスリードするタイトル、誇張したサムネイルを使ったクリックベイトといった手法が使われている。UUUM系YouTuberがこぞって「この後衝撃の結末が……」「驚きの結果に!?」「涙が止まらない……」とかのタイトルをつけたり変顔をしたりサムネイルにモザイクをかけたりするクリックベイトをやって再生数を稼いでいるのは私はコンプライアンス違反だと思うし、UUUMは上場企業の割にコンプライアンスの認識が甘いと思う。私は釣り系YouTuberの動画を見ていたのだけれど、以前はまともに動画を作っていたのにどんどんクリックベイトがひどくなっていったので見るのをやめた。本来はGoogleが率先してクリックベイトをやめるようにUUUMに指導するなりするべきなのだろうけれど、Googleの日本法人は低品質なまとめサイトやキュレーションサイトを広告の収入源として優遇して野放しにしてきた実績があるのでGoogleのモラルは信用できない。最近はスクロールテキストの動画の収益化ができなくなったようだけれど、クリックベイトをしているYouTuberもいったん広告が剥げればもっとましな動画を作るようになるんじゃなかろうか。・ステルスマーケティングに利用されるウェブサイトには口コミサイトを装って商品のいい点だけ伝えて欠点は批判しないアフィリエイトブログとかがあるけれど、YouTubeでもスポンサーから無償提供された商品を褒めまくるだけのステルスマーケティングのような動画がある。特にゲーム実況は企業案件が多いようで人気のYouTuberはたいていゲーム用のサブチャンネルを持っていたりするけれど、動画で視聴者を楽しませるのでなく、商品を宣伝するために動画を作るステルスマーケティングになりうる。「PR」や「広告」とちゃんと表示するならよいけれど、ステルスマーケティングならコンプライアンス違反である。・うさんくさい人も参入したYouTubeが儲かるとわかると企業舎弟やDQNやうさんくさい人も参入してきて、いろいろ問題を起こしている。マネジメント会社と所属YouTuberとの間でトラブルが起きてゲーム部プロジェクトというバーチャルYouTuberグループが運営への不満を暴露して解散したり、ゲーム機のプレゼント企画で子供の登録者を増やしても実際はプレゼントを発送していなかったり、オフ会で視聴者をナンパしようとしたり、マニュアル通りに動画を投稿すれば儲かるといって情報商材を売るうさんくさい企業が出てきたり、YouTuberを広告塔にして稼ごうとするうさんくさい企業が出てきたりしている。ラファエルというYouTuberがうさんくさい投資案件の紹介動画を作ったりしてメインアカウントをBANされてもすぐに別のアカウントを作って復帰したように、永久BANがないので悪質なYouTuberがいてもいたちごっこになっていてあまり自浄作用が働いていない。・子供に悪影響を与える可能性があるテレビの場合はBPOがあるので、視聴者からクレームがきたらそれが製作者にも反映されて、ある程度自浄作用がある。しかしYouTubeの場合はよっぽど悪質な動画以外は野放しなので、クリエイターの自由度が高い分、視聴者にとっての危険も多い。判断力が乏しい子供にとっては一層危険である。道徳的で教育的な動画は子供にとってつまらなく映って、非道徳的で危険な動画は子供にとって面白く映る。例えば熱い飲み物をストローで飲むチャレンジをする動画をまねしてやけどを負った子供がいたし、子供向けのアニメ動画に自殺を促すメッセージが混ざっていたのも問題になった。おにぎりを三十秒で食べるチャレンジをしているYouTuberがいるけれど、動画配信中に赤飯おにぎりを一口で食べようとして喉を詰まらせて亡くなったYouTuberもいて、子供が真似したら危ない。ロリコンがキッズYouTuberに卑猥なコメントをしたのも問題視されて、未成年が出ている動画はコメント禁止になった。子供から過剰なリアクションを得るために子供に大量のおもちゃやお菓子を与えたりする動画も子供の成長に悪影響を与えうる。キッズYouTuberの動画を見ない私でも、プリンセス姫スイートTV、かんあきチャンネル、キッズラインというのが人気らしいというのは知っている。そういう動画を見るのは子供の視聴者で、同年代の子供が毎日様々なお菓子を食べたり、毎日新しいおもちゃやゲームで遊んだり、休日のたびに遊園地やイベントに行ったりする様子をうらやましいと思って動画を見るのである。あるいは大人が金に物をいわせてソーシャルゲームでほしいキャラが出るまで何十万円分もガチャを回したり、トレーディングカードを何十万円分も大人買いしたりするのも子供に悪影響になる。これは自分で金が稼げない子供の物質的な欲求を肥大させて、欲しいものが手に入らない自分の生活を相対的に価値が低いものだとみなすことにつながるし、欲しいものが手に入らない苦痛がアノミー的自殺につながる。大人でも欲を押さえられなくてソシャゲ依存や買い物依存で自己破産したりするのだから、自制心がない子供にとってはいっそう悪影響になる。親が子供にゲームをやらせたくない教育方針でも子供にゲームの動画を見せていたら意味がないし、他の子供がやっていることを禁止するとかえって子供の欲求をこじらせることになる。悪いYouTuberはその子供の物欲をくすぐるようにゲーム機のプレゼント企画でチャンネル登録者を増やそうとするので、いっそう子供はYouTube依存から抜けられなくなる。あるいは人気者になりたいという承認欲求をこじらせると、授業中に髪を切る動画を撮ったりして反社会的行為をしたり、嘘をついたりしてでも目立とうとするようになって、自己愛性人格障害や演技性人格障害を悪化させることにつながる。子役俳優が働いているように、キッズYouTuberがいること自体は別に良い。子供自らが動画クリエイターやレポーターを目指してまともな親の監督の元で動画を作るならよいけれど、ろくでなしの親が金儲けのために無理やり子供をYouTuberに仕立てようとする場合があって、アメリカでは親が子供に下剤を飲ませて苦しんでいる様子を動画にしたり、孤児を何人も養子にして無理やりYouTubeの動画を撮って虐待している親がいたりして、親が金儲けのために子供から搾取するのが問題になっている。DQN親は子供にYouTubeを見させておけばおとなしくしているからといって子供に好き勝手に動画を見させているようだけれど、子供の人格形成にどれだけ悪影響があるのか計り知れないので、親が検閲して子供に見せても安全な動画を選ぶべきである。●これからYouTubeはどうなるのかYouTubeは規約がころころかわって広告を剥がされて投稿をやめるクリエイターもいるし検索も使いづらいし見たくないYouTuberがおすすめに出てくるしもうだめだという意見もある。しかし私はまだYouTubeは過渡期でこれからもっと良くなっていく可能性があると思う。理由としては、YouTubeの規約が次第に厳しくなって質の悪い動画やクリエイターを駆逐しようとしていること、ビデオカメラやパソコンパーツが安くなって比較的安価に高画質の動画を作れるようになったこと、5GやWi-Fiなどの高速通信網が整備されること、今後4Kテレビが普及したら大画面で高画質で見れる動画の需要が増えること、AIが仕事を効率化すると暇つぶし需要がさらに増えること、事業系YouTuberなどの高い専門知識を持った人が参入して競争が起きると動画の質が高くなること、企業が変なYouTuberとタイアップするよりも広報をYouTuber担当者にして独自のコンテンツを作ろうとし始めていることが考えられる。Googleはいろいろなサービスに広告を表示するビジネスなので、広告と相性がよい動画のメディアを手放すことはないだろうし、スパム判定のアルゴリズムの精度が高くなればゴミ動画は次第に排除されていくと思う。YouTubeはちゃんと良質なコンテンツを作るクリエイターに広告収入が還元されるようにして、動画の投稿量を競うのではなくて内容を競うようにしてほしいものである。
2019.04.22
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こないだ『プロメテウス』という映画を見たのだけれど、どんなウイルスや細菌がいるかもわからないのにウェーイ系乗組員がいきなり宇宙服のヘルメット外したり、調査が始まったばかりなのに船に帰ると言い出す奴がいたり、仕事が終わってないのに船内でいちゃいちゃする奴がいたり、未知の生物に不用意に手を出して噛まれる奴がいたりして、何兆円もかけた宇宙探索プロジェクトのわりにお前ら幼稚園児かよというくらい協調性や計画性のない自己中心的な馬鹿ばかりでひどいものだった。あまりにもひどかったので、なぜSF映画がつまらなくなるのか考えることにした。●登場人物がだめ人間ばかりで魅力がない・トラブルは見せ場になるけどだめ人間を見せ場にしてはいけないSF映画では宇宙船の乗組員が順調に作業をこなしていたらたんなる作業映像になってしまって見せ場がない。そこで宇宙生物がいたり、天変地異が起きたりして、予想外のトラブルの対処にてんやわんやするのがSF映画の見せ場になる。しかしそのトラブルの原因を登場人物の性格に頼るのは安直なやり方で、宇宙を舞台にする必然性さえなくなるのでだめである。『アルマゲドン』のように急ごしらえの民間人チームなら不和や連携ミスが起きるのにリアリティがあるけれど、『プロメテウス』は企業が入念に準備した宇宙探索計画なのに命令を無視する馬鹿だらけでリアリティがない。『ロックアウト』は宇宙の刑務所に大統領の娘が視察に行ったら囚人の人質にされる話だけれど、大統領の娘と同行する男が犯罪者との面会に銃を持ち込む馬鹿で、大統領の娘は救出に来た主人公に反抗して脱出ポッドに乗らない馬鹿で、対策チームはポンコツで通信が囚人に筒抜けで、刑務所は面会室から制御室までIDカードなしで直行できるという設計ミスにもほどがあるご都合主義の間取りで、囚人も無駄に人質を殺しまくる馬鹿で、そこまで馬鹿ぞろいにして不自然な状況を作らないと物語を展開できないならシナリオを作り直すほうがましである。宇宙船は乗組員の人数が限られているので、少ない人数の中からできる限りエピソードを絞りだそうとする。乗組員が仲良くしていたらエピソードが生まれないので、乗組員同士の衝突を起こすために癖のある性格や経歴のキャラになりがちである。『プロメテウス』はロボットがいるのでいきなり人間を探査に向かわせなくてもロボットを先行させて安全確認をすればいいはずなのに、それをやらないのは人間が困っているところをエピソードにしたいからだろう。しかし主人公を含めて乗組員が馬鹿ばっかりというのではトラブルが起きても自業自得という感じになってしまって、頭の良い視聴者が共感するどころか愛想をつかしてしまうのでよくない。『インターステラー』の惑星に一人でいたメンヘラの人のようにピンポイントでだめ人間を使って物語の転換点にするほうがまだましである。『パッセンジャー』は宇宙船で冷凍睡眠していたら機械の故障で予定よりも90年早く目が覚めてしまった男が気に入った女を無理やり起こして恋愛しようとしたらバーテンダーのロボットのせいで道連れにしようとしたのがばれる話で、主人公がだめ人間でロボットがポンコツでなかったら話が進展しないこと自体にシナリオに欠陥がある。『第9地区』は地球に難民に来たエイリアンの話だけれど、シナリオの都合で変な液体を浴びることが必要にしても、進行役のエイリアン監視員の男が馬鹿だから変な液体を浴びたというのはご都合主義的な展開である。・登場人物が活躍しないので魅力がない基本的に宇宙船は高いし乗員も限られるのでエリートしか乗れない。『プロメテウス』の宇宙船のクルーは専門家ぞろいらしいけれど、専門的知識を披露して活躍する場面がないまま自己中心的な行動をして失敗する場面だらけなので、まるで専門家に見えないし、専門家ならではのかっこよさがどこにもない。・登場人物が成長しないので魅力がない主人公が馬鹿というのは少年漫画にはよくあるけれど、少年だから馬鹿でもまだ許されるしその後にイニシエーションと精神的成長が待っているから成立するのであって、いい歳をした大人の宇宙飛行士が馬鹿だったら今まで何をやってきたんだという話になる。人間は失敗から学んで成長するけれど、だめな宇宙SF映画は失敗が死亡フラグになって失敗を反省して成長する前に死んでしまって、コイツ何しに来たんだという呆れた感じだけが残る。・登場人物に動機がないので魅力がない『エイリアン』は人命よりも金儲けを優先しようとする資本主義への批判や、アンドロイドを信用できるか否かという葛藤があったので、それが主人公のリプリーの行動の動機になっていて物語にリアリティがあった。しかし『プロメテウス』の主人公のエリザベスは仕事中に恋愛したりいきなり人類を救うだの言い出したりして場当たり的な動機しかなくて、科学者としての知性が感じられないだけでなく人間的魅力もまるでない。さらに巨人が人類を滅ぼそうとする動機についても不明なままで、エリザベスがこれから探すというオチで物語が終わっていて、作中で話が完結していない。『プロメテウス』はエイリアンシリーズの前日譚だそうだけれど、これでは単なる蛇足である。たくましいリプリーなら一人で何でもやるだろうけれど、エリザベスみたいなポンコツが一人で巨人の星に行ったところですぐドジ踏んで死ぬだろというようにしか思えないので、主人公がダメなせいで含みを持たせる終わり方が裏目に出てつまらなさを際立たせてしまっている。『アルマゲドン』や『インターステラー』のように地球が滅亡するからなんとかしなきゃというのは動機には違いないれど、登場人物全員が同じ動機になってしまって個性がなくなるのはよくない。●敵に魅力がないいいフィクションというのは敵にも魅力があるものである。『プレデター』は宇宙から来た侵略者でありながら動機や個性を持っていて、強い相手を戦士として認めて最終的に人間とコミュニケーションがとれているところが面白い。『機動戦士ガンダム』シリーズは地球と月の人間が敵対する話で、敵も思想や個性を持つ人間だからこそ面白くなる。この敵の設定が突き詰められていないことが宇宙SF映画のつまらなさになる。『エイリアン』シリーズは逃げ場のない宇宙船内で凶悪なゴキブリが繁殖するホラー映画みたいなもので、エイリアンは造詣は凝っているものの個体差がないので魅力がない。エイリアンが未知の存在だったからこそ体液が酸だとか人体に卵を産むとかの一つ一つの発見が面白さになるものの、エイリアンがどういう生物なのかというのが視聴者にばれると未知の生物に相対する面白さがなくなってシリーズを重ねるにつれてつまらなくなっていった。『プロメテウス』はエイリアンの前日譚としてすでに敵のエイリアンはどういうものか知っている人が見るので、何で今更そのネタやるのという既視感がつまらなさになる。『インデペンデンス・デイ』や『宇宙戦争』や『パシフィック・リム』のように地球外生命体が地球に侵略にくるパターンの映画は敵の素性や目的が不明なまま敵を全滅させて終わるので、敵の外見やギミックが違ったところで「侵略者」というご都合主義的でステレオタイプな存在になってしまって魅力がなくなる。『パッセンジャー』は隕石で宇宙船が故障しただけで敵自体が出てこなくて宇宙船を直しておわりというあっけない終わり方になっている。『インターステラー』は過酷な環境でタスクをこなすのが見どころで敵がいない。こいういうのは宇宙はトラブルが起きるから怖いという話で、人間社会の問題から離れるのでテーマとしてつまらなくなる。あるいは『アルマゲドン』のように直接的な敵は隕石なものの宇宙で奮闘する主人公を見殺しにしようとする政府関係者や軍人が間接的に敵になる場合があるけれど、権力者が敵になる場合は人物像の掘り下げが浅くてありきたりでステレオタイプな人物像になるし、間接的に敵になってもストーリーを盛り上げるために無理やり見せ場を用意した感じが出てしまってたいして見どころにならない。●価値観の転換がないいいフィクションというのは登場人物や視聴者に価値観の転換をもたらすことがある。正しいと思っていたことが間違っていたり、悪だと思っていたことが悪でなかったりして、登場人物たちは本当にこれでよいのだろうかと逡巡したりして、思想を深めて人間味を増していく。スタジオジブリの映画なんかは典型的で、『風の谷のナウシカ』で人類を滅ぼす敵だと思っていた腐海や蟲が実は環境を回復させているとわかってナウシカが人類と蟲の和解の仲介役をしたり、『もののけ姫』でアシタカは対立している人間ともののけの間に立って共存できる道を探してエボシを説得したりしている。しかしだめなSF映画はうわー地球外生命体が攻めてきたーやっつけろー、うわー宇宙船のトラブルだー修理しろー、と敵を倒したり問題を解決したりしてそれで終わりで、主人公にも敵にも思想がない。思想がないので価値観がゆらぐこともなくて、登場人物が薄っぺらくなって演技もシナリオをなぞっている感じが出て嘘くさくなってつまらなくなる。正義は最後まで正義で、主人公は自己批判や反省をすることもなくて、悪は最後まで悪のままで、わかりやすい単調な展開なので何度も見返すような魅力がない。●まとめだめなSF映画は登場人物の人間性を捻じ曲げてまで無理やりSF的な話を展開しようとして、人間の物語でなくなることがつまらなさになる。登場人物が苦境に直面したときに人間らしく苦悩して奮闘するからこそ人間である視聴者は共感して感動するのであって、地球外生命体や宇宙船やロボットとかのギミックが出てくるSF的な展開にしたら無条件で面白くなるわけではなく、その設定の中で人間が表現できていなければその設定にすること自体に意味がなくなる。結局は人間に向き合わないとよい物語は作れないのである。
2019.04.15
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最近は銭湯絵師見習いかつ若い美人モデルの勝海麻衣がイラストレーターの猫将軍の虎の絵を盗作したことが巷で話題になっている。私は子供の頃に絵を描くのが好きで漫画家か画家になりたいと思ってペンだこができるくらい絵を描いていていたのだけれど、田舎の本屋にはデッサンの仕方の本なんかほとんど売っていなくて絵の描き方がわからないので絵がうまくならないし、ゲームがドット絵からCGになったのを見て、これからは絵の具を塗る技術がなくてもパソコンがあれば誰でもきれいな絵が描ける時代になって絵では食えなくなるだろうなと思って、画家を目指すのはあきらめた。私の予想は当たって、今ではパソコンとソフトウェアの性能が上がって誰でもそれなりに上手い絵を描けるようになって、pixiv絵師がソシャゲのキャラクターを安い単価でダンピングして描いている有様である。絵で生計を立てるのは難しいと思っていたのに、佐野研二郎がポンポンと剽窃した後も普通に仕事していたり、たいして実力も実績もない勝海麻衣に仕事がポンポンと舞い込んでいるのを見て、金とコネがある人は絵で食えるのだとわかって、コネもないうえに絵が下手な私が画家を目指さなくてよかったと改めて思う。大勢の消費者に作品を売るコンテンツビジネスと違って、一点物の芸術作品を売る場合は世間の評価がどうであれ買い手や発注者さえいれば商売として成り立つわけで、買い手を見つけるコネがあれば才能がなくてもプロ芸術家になれるわけである。勝海麻衣や彼女の絵に対する批判は同業者とか大学教授とかいろいろな人が言っていて、絵が下手な私は彼女の絵について特に言うことはないので、盗作という行為について考えることにする。●なぜ盗作はいけないのか・盗作は芸術作品ではないなぜ盗作はいけないのかを考えるには、まず芸術とはどういうものかということを考える必要がある。小林秀雄は表現というのは英語でexpressで、外に(ex)押し出す(press)ものだというようなことを言っていたけれど、作者の内側にある思想や感情を言葉、色、形、音、踊りなどで外側に表して、作品として現出させることで芸術的表現となるわけである。私がバーで知り合った人で、母親を殺したいほど憎んでいるのでそれを小説にしたいという青年がいたけれど、彼は小説家になって人気者になりたいから小説を書こうとしているわけではなく、感情を外側に押し出すことで憎しみを昇華したいわけで、この表現は彼だけがなしうる彼の人生固有のものである。これに対して、盗作して見た目が似たような作品を作ったとしてもそれは作者の思想や感情の「表現」ではないので、芸術でもない。盗作はオリジナル作品のアイデアを奪おうとするだけでなく、作者の人生の一部を奪うことになるがゆえに悪いことなのである。有料写真素材とかの商業作品をコピーしたりトレースしたりする程度なら素材使用料を払えば問題が解決するのでまだ罪は軽いほうだけれど、たいていの芸術家は人生をかけて制作に打ち込んで一点一点の作品に自分の独自の思想や経験や技術を反映させたメッセージを込めるわけで、その人生の一部ともいえる芸術作品を盗作して苦労せずに金を稼ごうとする人は、いくら技術があろうが芸術家と呼ぶに値しない盗人なのである。・模倣はよいのか詳しいことは模倣についてというページで書いたけれど、模倣は芸術家の成長過程では役に立つし、特に技術を習得するには同じものや似た構造のものを作ってみるのが大事である。リバースエンジニアリングのように完成作を分解してどういう技術や工程でそれを制作したのかを考えて自分で作ってみることで自分の技術になる。模倣するとそれなりにうまい作品ができるので、周りの芸術をよく知らない人はうまいねーすごいねー才能あるねーとちやほやしてくれる。しかし模倣は自分の「表現」ではないので、習作として模倣するのはよいけれどそのまま自分の芸術作品として売って金儲けしてはいけない。模倣する段階の人はまだ芸術家として独り立ちするレベルでないし、模倣するにしてもまず師匠の模倣をして修行して師匠に追いついてからのれん分けしたりして独り立ちするのが筋である。●なぜ盗作するのか・素人には芸術がわかりにくいので盗作がばれにくい絵画というのはたいてい一点ものだし、技術的な問題で画像検索の精度もまだ低いので、よほど有名な作品から盗作しないかぎりは盗作してもばれにくい。勝海麻衣は日本で知られていない外国の画家から盗作したようで、盗作された画家は自作が外国で盗作されているなんて知りようがないし、盗作したに違いないと疑って入念に調べでもしない限りは他の人から見たら盗作だとわからないし、武蔵野美術大学の卒業制作も盗作がばれずに優秀賞を受賞している。さらに現代美術は特有のコンテクストを理解しないと作品の価値がわからないので、なおさら素人にはわからない。もし類似を指摘されたとしてもインスパイアだとか、コピペ文化を風刺したパロディだとか、額縁にとらわれたモチーフを開放した現代美術だとか言い逃れする余地もある。勝海麻衣の盗作が発覚したのはたまたま猫将軍の虎の絵の所有者がライブペイントのイベント会場にいたことがきっかけだったけれど、その偶然がなかったら盗作がばれずに見過ごされていたかもしれない。つまりはパクリストにとっては盗作が発覚するリスクよりリターンが大きいので盗作するインセンティブがあるわけである。盗作がばれたらキャリアを失うけれど、ばれたところで刑事罰があるわけでもなく、民事での賠償金額もたかがしれているし、ばれなかったら楽して気鋭の芸術家ぶれて周りがちやほやする。その誘惑が勝って盗作で賞を受賞したりして功績を上げるようにようになると、大勢の人の目について盗作がばれやすくなって、ついに砂上の楼閣が崩れることになる。・自己愛性人格障害の人が過剰な称賛を求めている称賛されたがるのは自己愛性人格障害の特徴である。作品を作ることよりも自分に注目してほしいというのが目的で、注目されるに値するすばらしい作品を調達してくるわけである。勝海麻衣はモデルのようにポーズをとって作品と一緒に写真に写っていて、作品よりも自分が目立ちたいという様子があからさまに出ていた。ちなみに芥川賞候補作になった『美しい顔』も資料の剽窃(講談社の主張は無断引用)が問題になった。この作者の北条裕子もモデルという肩書きで勝海麻衣と似たような売り出し方をしたかったようだけれど、震災をそのまま舞台にしたせいですぐに関係者に剽窃がばれて失敗した。自分の間違いを認められないのも自己愛性人格障害の特徴である。批判されたくないので短絡的な嘘をついてその場をごまかそうとして謝らないのである。アルベルト・スギの絵を盗作した和田義彦は「同じモチーフで制作したもので、盗作ではない」と盗作を認めなかったけれど、どう見ても盗作なので結局は賞をはく奪されて画家のキャリアを終わらせることになった。勝海麻衣は猫将軍に対して盗作を認めなかったせいで印象を悪くしてSNSに公開していた過去作品をすべて検証されることになってしまってかえって傷口を広げた。実力不足だったので魔が差したと素直に謝ればまだ若くて将来があるのだからと許してくれる人もいたかもしれないけれど、謝り時を逃したらもう謝る機会がなくなって、悪いイメージを拭うことができなくなっていつまでも汚名が付きまとうことになる。・実力不足を補いたいので盗作するもともと創作の実力があれば盗作する必要はないわけで、着想や構成や技術などのどこかの要素が実力不足だから、それを補うためにうまい人から盗作するわけである。私の偏見かもしれないけれど、実力不足で盗作するのは若い女性が多い印象がある。もちろん男性にも和田義彦のように盗作する人はいるけれど、少なくとも和田義彦には基礎技術はあるようで、アルベルト・スギと和田義彦の作品を比べてどちらがオリジナルなのかは絵画の素人が見てもわからないくらいに似ている。しかし女性が盗作する場合は実力不足が作品に顕著に出ていて、オリジナルと比べた場合に劣化しているのが素人が見てもわかる。基礎的な技術が足りないだけでなく、モチーフに愛着がない横着さが作品にも出ていて細部の仕上げが雑なのである。一般的な仕事は男性中心で女性は冷遇されているけれど、芸術の場合は女性が優遇されていて、私立女子大学の美術や音楽コースが充実しているし、紫式部文学賞やR-18文学賞のように女性だけを対象にした賞があるし、作品はたいしたことがなくても若い美人というだけでスポンサーがついて偉いエロいおっさんが俺の女になれとか言ってちやほやするし、その下心を利用してのし上がろうとする女性もいる。勝海麻衣を必死に擁護しているのもおじさんたちである。男性は実力勝負なのに対して、女性は実力以外の部分でも評価されるので基礎技術がなくても芸術家の入り口に立つことができる人がいて、その中で自分の未熟さと向き合うことができない人が手っ取り早く功績をあげようとして盗作をする。・盗作がキャリアの箔付けや金儲けに利用される経歴詐称で箔付けする人がしばしばいるように、芸術の受賞歴も箔付けに利用される。芸術に人生をかけるほど興味がないけど、箔付けをして自分を引き立てるのに利用したい人が楽にとれるような賞を狙ったり、功績を上げようとして盗作する。素人の作品を対象にした賞にプロ並みの作品を盗作して応募すれば、頭一つ抜けて最終候補に残ったり受賞したりする。盗作で詩の賞を受賞しまくった女子中学生がいたけれど、素人が競争相手なら子供でも盗作すれば無双できるわけである。自分で論文を書けないのに功績を上げたくて他人の論文を寄せ集めたまとめ論文を書いたり、他人の論文に共著として名前をねじこんでくるようなみっともない大学教授もこの類である。メディア学者の渡辺真由子は論文剽窃で慶応大学の博士学位を取り消されたけれど、この人は研究したいのではなくて博士の箔付けがほしかったのだろう。●盗作はやめよう・あきらめるのが大事芸術は才能があっても認められずに世に出ないこともある死屍累々の狭き門なので、自分はその門を通れないと思ったらあきらめるのが大事である。盗作してまで門をくぐっても本物の芸術にはかなわないし、芸術の発展に何の寄与もしないし、一時的に称賛されてもいずれ盗作がばれて業界から追放されるし、応援してくれた人を裏切ることになるし、盗作した本人も人生の時間を無駄な行為に費やしたことになる。自分の才能のなさに直面したら、芸術を仕事にせずに趣味として身の丈に合った創作活動を楽しむか、あるいは自分よりすごい芸術家を応援したり、子供を教育したりすればよい。・自分の人生を生きるんだ現代人の病的な自己顕示欲は社会問題になっていて、暴走族が爆音で存在感をアピールしたり、馬鹿がSNSで馬鹿をひけらかしたり、注目されたくて嘘を拡散したり、実力不足なのに山に無酸素で登りたがって下山し損ねて死んだりしている。コピペ型の盗作もインターネットが普及したがゆえの社会問題で、目立ちたいがゆえにポンポンと盗作する人がいろいろな分野で出てきている。しかし手段を択ばずに注目を集めたところで、目立ちたいだけのモラルのない人を応援してくれる人がどこにいるのだろうか。盗作を踏み台にして功績を上げたところで、それを自分の人生として誇れるのだろうか。下手だろうが自分の作品を作ることが自分の人生を生きるということである。盗作による成功よりも、オリジナルの失敗のほうが価値がある。人生を真摯に生きている人だからこそ応援したくなるし、そこに共感や感動が生まれる。勝海麻衣は早い段階で盗作がばれたのは再出発するためにもよかったと思うのだけれど、アレンジしたから盗作じゃないだのよくある構図だのと擁護する人がいる。盗作は批判されて当然の行為だし、盗作を批判する人たちが彼女の人生を潰そうとしているのではないのに、なまじ擁護する人がいるので彼女も素直に謝れなくなるのではなかろうか。成人しているとはいえ若くて未熟な彼女を担ぎあげた年上の大人たちこそが彼女を指導してやる立場だろうに、道を踏み外すような応援をするのは無責任である。栗城史多を死地に追いやったスポンサーが無責任だったように、神輿を担いで儲けようとする側は代わりの神輿はいくらでもいるので神輿が壊れても責任をとらない。勝海麻衣を諭して指導する人が周りにいなくて彼女を利用して金儲けをしたい人だらけなら、彼女は本物の表現の意味を知らないまま空疎なモノマネに今後の人生を費やすことになりかねない。これから芸術家を目指す若い人は、盗作した人の末路を反面教師にして、若くして成功して有名になって金持ちになってモテたいという欲を捨てて、まずは無知で未熟な自分の人生を真摯に生きることから始めるべきである。生老病死の苦悩や感動を経て内側に表現したい欲求がたまっていけば、それはおのずと抱えきれなくなって外に押し出されて作品になる。創作の技術を教える学校はたくさんあるけれど、創作の源泉が内側にない人がどんな技術を身に着けたところで「表現」ができないので芸術にはならない。唯一無二の自分の人生を生きることが、結局は唯一無二の芸術作品を作ることにつながるのである。
2019.04.10
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ヤクザのシノギや組織運営について著者の取材を基にして解説した本。●面白かったところのまとめ・刺激を求めていたり金がなかったり仲間が欲しいという理由で、20歳前後で暴力団に入る。刑務所で素人がヤクザにスカウトされる例は少ない。・現代ヤクザは博徒、テキ屋、青少年不良団の三つに分ける。博徒の勢力範囲を縄張りといい、元々は賭場を開帳する権利で、貸元という親分の縄張りで代貸が管理した。テキ屋の勢力範囲を庭場といい、庭場に権限を持つテキ屋を庭主といい、庭主は出店の位置を再拝して寺や警察との掛け合いに責任を持つので、出店する者は庭主にショバ代を払う。・ヤクザに入るとまず部屋住みになって雑用をしながら小遣いをもらい、自分で稼ぐ方法を見つけたら親子の盃を許されて組員になって部屋から出て、組の看板で商売するので親分に小遣いを運んだり、慶弔や放免祝いで金を包まなければならなくなる。・不始末をした組員は除籍、破門、絶縁、所払いの措置を取られる。除籍に罰則の意味はなく、破門は一時的な追放処分で復活の可能性があり、絶縁は復活の望みはなく、所払いは一定地域に寄り付かせないという意味。破門や絶縁の目的はヤクザをやめさせて堅気に追い込むことで、引退したヤクザは生活に窮するのでつらい罰になる。・ヤクザの命の値段は安くて、バブル前は相手の組員を殺したお詫びは100万円単位で、今では1000万円単位になった。・山口組が沖縄進出しようとした沖縄抗争で市民や警察官に死者が出て、警察庁が暴力団対策法を立法化する一つの理由になった。・ヤクザは組員の私闘で服役しても援助しないが、組のための抗争で懲役に行くと組から服役手当が月々数十万円差し入れられるので3年程度で2-3千万円貯まる。・ヤクザは高レートの博打麻雀をやるが上がりは少ない。ゴルフはニギリで1000万円が動く。公営競技のノミ行為は大穴が出た時は天井がある。野球賭博のハンデは適当に決めている。・犯罪による収入でも所得税が取られる。拳銃などの犯罪に使う費用は経費にならない。・ヤクザは男の世界だが女ヤクザもわずかにいる。・犯罪者やヤクザの首脳部は創価学会員の比率が高いが、本物の信心ではない。ヤクザは盃ごとのときに天照大神や鹿島大明神を飾っているが格好だけ。・関西のヤクザは暴力団対策法ができてから頼母子講による金策をするようになった。●感想ヤクザの仕組みについての基礎知識が書いてあるので、ヤクザがどういう組織でどうやって稼いでいるのかを知りたい人にはよい。しかしこの本は1992年に別冊宝島に書いたものを講談社の文庫版で加筆修正して2006年に出版したようで、情報が古い部分があるのは物足りない。例えばヤクザのシノギとしてバブルの頃の土地転がしや仕手や債券がらみの手口は書いてあるけれど、IT系のシノギについては書かれていない。2000年代は表向きIT企業と名乗っている企業舎弟がポルノサイトや出会い系サイトを運営したり、オンラインゲームとかのIT系ベンチャー企業を上場させてマネーロンダリングしたり、振り込め詐欺が流行ったりして、ヤクザもパソコンや携帯電話を駆使して稼いでいると思うのだけれど、その辺も掘り下げてほしかった。稲川会元会長の石井進と山口組五代目組長の渡辺芳則へのインタビューはそれぞれのヤクザ哲学がわかって面白い。さてヤクザとフィクションについて考えてみる。ミステリやサスペンスだと警察が主役の定番であるように、ヤクザも悪役の定番なので、ヤクザについて正しく理解するのはフィクションを作る上でも鑑賞する上でも重要である。映画だと1969年の『男はつらいよ』は元々ヤクザ映画のパロディ企画のようで暴力がないテキ屋の人情ドラマで、1973年の『仁義なき戦い』は広島抗争を基にしたヤクザの抗争モノの映画で、1986年の『極道の妻たち』は主役を妻側にして趣向を変えたけれど内容は従来のヤクザ映画と似たような抗争モノで、暴力団対策法が施行された1992年の『ミンボーの女』はヤクザを美化せずに現実的なヤクザのシノギの手口と対策を描いた映画で、2010年の『アウトレイジ』はイタリアのマフィアのように銃を撃ちまくって殺人しまくる現実離れしたアクション映画になっている。ゲームだと『龍が如く』シリーズはコテコテの武闘派ヤクザが殴りあいの抗争をするアクションゲームになっている。青年誌のヤクザ系漫画だとたいてい主人公は元ヤクザやアウトローのいい奴で、敵対するヤクザや悪人と戦うパターンになる。『ショコラ』、『闇金ウシジマくん』、『ザ・ファブル』なんかは主人公が強いアウトローで普通の敵だと相手にならないので、強くて残酷なヤクザやヤクザが雇った殺し屋が最終的な敵になっている。『サンクチュアリ』はヤクザが政治をする話で、これは劇画調でヤクザがかっこよく描かれて美化されている。『静かなるドン』はヤクザの息子がサラリーマンをしつつ親の跡を継いでドンパチする話で、『グラップラー刃牙』はヤクザの花山薫がふんどし姿で喧嘩していて、『極主夫道』は元ヤクザが主夫になるギャグ漫画で、この辺はいかにもフィクションな誇張されたヤクザ像になっている。『極悪がんぼ』は裏社会の事件屋の話でヤクザが出てくるけれど主役ではなく、法律がどうこうという現実路線の地味な話になっている。ヤクザの元々の意味の博徒やテキ屋を描いた漫画としては『アカギ~闇に降り立った天才~』のヤクザの高レート博打麻雀や、『JIN-GI 御免!』のテキ屋の庭場争いがあるけれど、私はこういう戦後の昭和のやさぐれていて腹が据わったヤクザを描いた漫画がヤクザ感があって好きである。私はノワール小説は読まないので小説でヤクザがどう書かれているかはよく知らない。現実のヤクザは暴力団対策法が効いて内部分裂したり勢力が縮小したり企業舎弟化したりしておとなしくなっているのと対照的に、フィクションのヤクザは過激化しているようである。フィクションでヤクザを格好よく表現しようとすると、ヤクザだけど正義のために命がけで筋を通す任侠道か、あるいは金と権力のために殺人しまくる極悪非道なアクションかのどっちかに偏りやすいようで、『ミンボーの女』みたいなヤクザの実像に迫る作品はあまりない。伊丹十三が謎の自殺をしたのがヤクザ絡みだと言われているように、リアリズムだと実在の団体から苦情が来たりして創作しにくいのもリアリズム路線がない原因なのだろう。この本の232ページで「男の対極は女だが、同時に女は、強調される「男」を補強するために必ず配されなくてはならない存在でもある。ヤクザ・暴力団が強く男を意識するためには、女が必要不可欠という逆説が成り立つ」と著者は言っているけれど、昭和のヤクザのフィクションは男ぶりがいいヤクザと情婦がセットで出てきて色恋沙汰や濡れ場があったりしてヤクザに人間味があるのに対して、最近のフィクションのヤクザには女が出てこないのが特徴的で、そのせいか冷酷で暴力一辺倒で人間味がなくてリアリティがなくなってしまう。主人公と敵の両方に魅力がないといいフィクションにならないので、敵の存在感を出すために強くて残忍な感じになるのはしょうがないけれど、人間を描くという本筋から外れてしまうと駄目になる。ヤクザも人間なので恋もするしうんこもするし病気にもなるし将来に不安を持っていたりするし、その弱みを他人に見せないように虚勢を張るからこそヤクザがヤクザらしく引き立つわけで、冷酷で何事にも動じないヤクザを物語に出してもご都合主義的になってあまり面白くなくなる。人間としてのヤクザを描くからこそヤクザもののフィクションが面白いわけで、フィクションにヤクザを出せば無条件で面白くなるわけではないので、中途半端にヤクザを出すくらいなら出さないほうがましだと思う。★★★☆☆新版・現代ヤクザのウラ知識【電子書籍】[ 溝口敦 ]
2019.04.06
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