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主に昭和の20人程の死刑囚について、犯行や獄中の様子などのエピソードを列挙した本。●感想戦後とタイトルにあるけれど終戦直後だけでなくて戦後から平成までの死刑囚を扱っていてタイトルが紛らわしい。内容はドキュメンタリーに徹しているわけではなくて、小説風に場面を描写したり、死刑廃止派の意見を挟んだりするのが邪魔くさい。こういう本に求めるのは情報の正確さで、死刑についての著者の意見を聞きたいわけではないので、死刑廃止の意見を展開したいなら他の本でやってほしい。現代人がすでに死刑になった人について知ることに何の意義があるかというと、反面教師になる。というわけで死刑になるような犯罪について考えることにする。死刑囚に共通するのは長期的な人生の目的がなく、自己中心的で他人の権利を尊重せず、目先の性欲や金銭のために殺人をする点である。死刑囚が起こした犯罪は文明の構成員である人を殺害して文明を破壊したうえに、自分の人生も死刑で終わらせる無意味な行動である。人生の目的がないから非合理的な行動をするし、受刑者の22.8%は知能指数が低い知的障害らしいけれど頭が悪ければ自分の行動の非合理性に気づかないわけである。78-79ページに昭和55年の幼児誘拐殺人で死刑になって平成10年に死刑が執行された梶原利行の罪の意識が書いてあって、「現在私は生きている。ですが、死刑という荷物をせおって生きている。償いがしたい、働きたい。働いて、働いて、一生償いがしたい。しかし、死刑の荷物が重くて、頭が狂いそうです。死刑というのは償いでしょうか? 私が死んだら、被害者様も被害者様のご両親も私を許してくれるのでしょうか?」と言っているけれど、人生の目的がないがゆえに目先の金を得ようとして犯罪をして、償いという人生の目的を与えられて初めて社会に貢献することでしか自分の人生に意味を持たせることはできないということに気づいたわけである。190ページには獄中で歌人として才能を発揮した死刑囚として千葉覚、小原保、吉田信吉、大堀昭平、三村守が挙げられているけれど、死ぬ前に短歌を残すという目的ができたので全力で打ち込んで才能を発揮できたのだろう。そもそも人間はいずれ死ぬ存在なのだけれど、自由に生きている間は人生の目的が見つからずに金を求めて、死刑になってようやく自分が死ぬ存在なのだと気づいて獄中で人生の目的を見つけるというのは皮肉である。人生の目的がなくても金さえあれば生きることができるので、金を得ることを人生の目的にすりかえてしまうのが現代人の陥る罠で、好景気のときは誰でも仕事につけるので犯罪は減るけれど、不景気になると他人の権利を侵害してでも金を得ようとする犯罪者がでてくる。人生の目的を見つけて自分の人生に意味や価値を見出すには哲学や存在論を理解しないといけないけれど、ビジネスでは文系学問が軽視されてパワハラやら数値偽装やらのモラルハザードがおきて、学校でもいじめや非行に対処できずに教育機関として機能していない状態で、普通に教育を受けた人でさえ人生の目的が見つけられないのにろくな教育をうけていない最底辺のDQNが人生の目的を見つけるのは難しい。自己中心的なDQNに自己犠牲を伴う道徳を教えるのも難しくて、刑務所も更生施設として機能していなくて再犯率が20%もある。ではDQNに犯罪を起こさせないようにするにはどうすればよいのかというと、昔はやくざの親分が子分に任侠道を教えたけれど、いまはやくざが弱者を助ける任侠でなくて弱者を食い物にする暴力団になっているので、DQNが野放しになって半グレ化して手詰まりになっている。学校では大学に行くために試験科目の詰め込み教育だけして、社会の仕組みがどうなっているのかという大事なことを教えていないというのもDQNがいじめや犯罪をする原因になる。小学校で道徳の授業が行われているけれど、子供よりも行動に責任が伴う大人のほうが道徳が必要で、社会を理解していない子供が道徳を理解できるものでもない。道徳を考えるうえで自由や権利といった哲学的な概念の理解は必要不可欠だけれど、高校の世界史で哲学者の名前は教えても哲学の中身までは詳しく教えないので、暗記だけ得意でモラルがないエリートが出てきて、自分の利益のために社会に害をなすようになる。その結果が官僚の税金の無駄遣いだの非正規労働者からの搾取の末の少子化だのの現在の惨状である。普通は子供を残すかミームを残すかすれば社会を維持しようという方向に向かうのだけれど、DQNが子供を残しても児童虐待をするし、貧乏な人は結婚しないので、日本の将来を担って文明を発展させようという人がいなくなる。人生に目的がない人が経済的に困窮して将来に何の希望も持たなくなって自暴自棄になると、怨恨殺人と違って殺意を向けるべき特定の個人がいないので、社会に対する復讐として附属池田小事件、秋葉原通り魔事件、マツダ本社工場連続殺傷事件、東海道新幹線火災事件、川崎殺傷事件のような事件が起きる。あるいは殺人までいかなくても生活保護の受給を断られて役所でガソリンをまいたりナイフで切りつけたりして暴れる人もいる。人生というのは不平等で理不尽なものだけれど、その理不尽さを受け入れられない人は他の人が恵まれた環境で楽しく生きているのになんで自分は搾取されてみじめに死なないといけないのだ、と理不尽のおすそわけをして他人を道連れにする。こういう犯罪を個人の生い立ちや性格に起因する個別の問題として終わらせずに教育や福祉などの社会制度として対処しないと、同様の犯罪はいつでも起こりうる。まだ犯罪の件数も被害者数も少なくてたいした影響もないからといって放っておくと、インフラ破壊やテロなどの大規模な犯罪につながりかねない。格差が拡大するといくら企業が儲けようが常に不満を抱えた人が存在することになって治安が悪化するし、文化は平和な状況下で発展するので、金と幸福がある人は独り占めせずに分けてほしいもんである。★★★☆☆【中古】 戦後死刑囚列伝 宝島SUGOI文庫/村野薫【著】 【中古】afb
2019.06.25
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最近は近所の野良猫が喧嘩しているので、縄張り争いをするボス猫をテーマにした歌を作りました。この曲は猫がじりじりと緊張感を高めつつ喧嘩を始める感じが見どころで、独自のオクターブ奏法を試しています。ちなみに次は小説を書く人の役に立つ文学理論の解説動画を作るつもりです。
2019.06.19
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職務質問の指導員で、警察に密着するテレビ番組にもでていた著者が歌舞伎町で担当した事件について書いたエピソード集で、覚せい剤の取り締まりを中心に書いている。●面白かったところのまとめ・歳を取っているだけで仕事をしない怠け者の警察官をゴンゾウという。・刑事、警務などで当直している専務警察官を内勤特務という。地域警察官が容疑者を逮捕してくると普通でも忙しい内勤特務が処理をしないといけないので嫌がられる。・非行に走る子供は家庭に問題があることが多く、一人親家庭が目立つ。警察の世話になる女子高校生の親は金持ちが多く、子供に干渉しないタイプと過保護のタイプがいる。・シャブ中はいい車に乗っているが洗車してなくて車内が汚い、まっすぐに駐車せず駐車位置が毎回違う、高級バッグを持っているが中は汚い、たばこを吸い始めてすぐに消したりして吸い殻の長さが違う、たばこはパーラメントが好き、甘いものが好き、壊れたところや穴にガムテープを張る、ハイになって跳ねるような歩き方をする、聞かれてもいないことを喋りだす、歯が溶けている、などの特徴がある。●感想各エピソードを4ページくらいで書いていて、誰かを捕まえただけでエピソードが終わりで裁判がどうなったかまでは書かないし、捕まえた個人を特定できない書き方で、いつの時代の話なのかはっきりしないのは物足りない。警察密着番組が好きな人ならこの本は十分面白いだろうし、買っても損はないと思う。さて警察とフィクションについて考えることにする。刑事ドラマはミステリの花形で夜のテレビ番組はたいてい刑事ドラマをやっている。『太陽にほえろ!』、『スケバン刑事』、『あぶない刑事』、『古畑任三郎』、『踊る大捜査線』、『相棒』とか、刑事ドラマの人気シリーズがいろいろある。現実世界の警察官は違法職務質問とかネズミ捕りとかでけっこう煙たがられているのに、なんで刑事ドラマは人気があるのかというと、主人公の刑事が正義で犯人が悪で事件を解決して物語が終わるという話の分かりやすさと、殺人や逃亡や逮捕などの感情的に盛り上がる見せ場があることが人気の理由だろう。刑事ドラマはストーリーを作りやすくてシリーズ化しやすいのでテレビドラマ化しやすい。主人公の刑事チームの配役を変えなくても毎回違う犯人が違う動機で事件を起こすので、主人公たちの人間関係をあまりいじらなくて済むし、キャリア警察官との軋轢を適当に混ぜておけば物語のアクセントになる。警察官は私立探偵と違って主人公の行動に制約をつけずにあちこち捜査させることができるので物語を展開しやすくなる。テレビ番組の制作者からすれば、ベテラン俳優を主役刑事にして若手人気アイドルや個性的な俳優を部下の刑事にして、いいとこどりの配役ができるので失敗しにくいというメリットがある。しかし作品の完成度という点ではマンネリ化しやすいデメリットもあって、シリーズ化した作品の犯人役は毎回消耗品みたいな感じで魅力的な犯人というのがいないし、個人の犯罪の動機はたいてい似たり寄ったりの怨恨やら金銭トラブルやら痴情のもつれやらで記憶に残るような面白いエピソードが特にない。警察官の職務自体はやる事が決まっているので、そこを掘り下げてフィクションにしても結局はノンフィクションとあまり変わらなくて平凡になるし、犯罪者の演技をしている役者よりも本物のDQNのほうがリアリティがあるので、刑事ドラマよりも警察密着番組を見るほうが面白い。それに犯人がいくら凶悪だろうが警察組織対犯人個人の対決だと組織が勝つに決まっているので、犯人との対決の場面がつまらなくなる。一方で私立探偵もののミステリは『名探偵コナン』や『TRICK』なんかは典型的だけれど探偵個人対犯罪組織の構図になるので、主人公が危機をどう切り抜けるのかという対決の見せ場があるし、作者の発想の自由度が活かせる。その点で私は私立探偵もののミステリのほうが好きである。私が警察関連のフィクションで例外的に好きなのは『刑事コロンボ』、『刑事ナッシュ・ブリッジス』と『機動警察パトレイバー』である。『刑事コロンボ』は警察が組織で犯人を追い詰めるというよりコロンボ個人の話術で犯人のミスをついて追い詰めている点で私立探偵的な面白さがある。『刑事ナッシュ・ブリッジス』はいかにもアメドラ的な派手な犯罪が起きてドンパチする刑事ドラマでメインストーリー自体もテンポがよくて面白いけれど、ナッシュの家族の問題やら同僚の問題やらを掘り下げている点がよい。日本の刑事ドラマは警察官の職務の部分だけを描いて、警察官を個人として掘り下げないあたりが物足りない。『機動警察パトレイバー』は産業用ロボットの犯罪を取り締まるための特車二課の物語で、軍事企業の暗躍だの人身売買だのの社会派のテーマとロボットを組み合わせて独自の物語になっているところが好きである。敵役の内海課長も存在感があってよい。すでに似たような犯罪のエピソードがわんさかある中で面白い警察もののフィクションを作るにはどうすればよいのかというと、架空の部署を作って普通の警察とは違う仕事をやらせたり、今までいなかったような敵を用意したりすればよいわけで、その両方をやったのが『機動警察パトレイバー』や『攻殻機動隊』で、マンガやアニメだからこそ表現できた面白さといえる。新しい架空の部署を作るにしても、『メン・イン・ブラック』みたいに独立した組織として存在するのでなく、警察の組織の一部にするということで社会問題に税金で対策する必要があるのだという社会派のテーマを持たせて物語にリアリティを出すことができる。このやり方なら、例えば警視庁ゾンビ課や心霊課や放射性害獣駆除課とかの警察官を主人公にすれば何かしら新しくて面白い警察もののフィクションが作れるかもしれない。★★★☆☆職務質問 新宿歌舞伎町に蠢く人々【電子書籍】[ 高橋和義 ]
2019.06.14
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動画を作るのは面白そうだと思っていたものの、ビデオカメラを買うお金がなかったので先延ばしにしていたのだけれど、5月に念願のビデオカメラを買ったのでYouTubeに動画を投稿してみることにしたのだった。というわけで下の動画を試しに作ってみた。この曲は私が作詞作曲したのだけれど、ねこがたくさんやってくるというだけの曲で、メロディーも歌詞も適当である。ギターの演奏はいろいろミスがあるけれど、細かいことを気にしたらなにもできなくなるので、いきなり完璧を目指さずにとりあえず最初の一歩を踏み出すのが大事だと思う。編集はフリーソフトのAviUtlでやったけれど、プラグインの導入が面倒くさいだけで一通り操作を覚えれば編集作業自体はそれほど難しくなかった。これでやりたいことは十分できそうなので、有料の編集ソフトを買う必要はなさそうである。仕事の暇具合にもよるけれど、1-2か月に1つくらいのペースで動画を投稿して、あわよくば収益化できたらいいなという感じでやってみるので、よかったらチャンネル登録をお願いします。
2019.06.11
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川崎殺傷事件で犯人が20人を殺傷した後に自殺したことでメディアで「死ぬなら一人で死ね」「死にたいなら一人で死ぬべき」と言う人が出てきて、それに対して藤田孝典がそれは言ってはいけないと言って、この言葉の是非について論争している。これについて考えることにする。・議論の出発点がおかしい「死ぬなら一人で死ね」というのをわかりやすく言い換えると、「自殺をするなら他人を巻き込まずに一人で自殺しなさい」ということである。この命題は一人で自殺するならよいですよと自殺を肯定しているがゆえに、テレビで芸能人が発するメッセージとしては不適切である。なぜ不適切なのかは似ている別の命題で考えるとわかりやすい。例えばヤクザの抗争に一般人が巻き込まれて死亡した事件があったときに、ワイドショーのコメンテーターが「殺人をするなら他人を巻き込まずにターゲットだけ殺せ」と殺人を肯定する意見を言うようなものである。自分の都合で無関係の人を死亡させてはいけないというのは当然の感覚だし、理不尽な犯罪に憤るのも当然の感情だけれど、自殺してはいけない、殺人してはいけない、というのをまず議論の前提にするべきだろう。「自殺を考えたなら、悩みを相談して一緒に問題を解決しよう」というのが本来マスコミが発するメッセージであるべきで、自殺を防ぐための議論をするべきである。影響力が大きい芸能人が公共の電波で自殺を容認するのは倫理的に不適切だし、死ぬなら~と自殺することを前提とした議論は出発点が間違っている。・加害者の断罪よりも事件の再発を防ぐにはどうすればよいのかを議論するべき「死ぬなら一人で死ね」という言葉は、社会的弱者になって精神的に追い詰められた人は他人を巻き込まなければ自殺してもかまわないと切り捨てる態度で、事件が起きないようにするにはどうすればよかったのかという建設的な意見が一切含まれていなくて、単なる加害者に対する感情的な断罪でしかない。しかしいくら強く断罪したところで、その言葉が同様の事件を防ぐ効果はないだろう。誰でもテロの被害者になりうるし、加害者にもなりうるけれど、「死ぬなら一人で死ね」と加害者を断罪して溜飲を下げて満足している人は、自分や自分の家族や知人が加害者に可能性は想定していないのだろう。しかし今は順調に生活している人でも将来病気になって生活に困窮して精神的に追い詰められることだってありうるし、子供や孫が進学や就職で挫折してひきこもって精神的に追い詰められることだってありうる。だからこそ個々の事件を短絡的に加害者本人の原因に帰結させようとせず、福祉や防犯などの広いテーマを含んだ社会問題としてとらえて、社会に原因がある部分を洗い出して同様の事件が起きないように取り組まないけない。困窮するのは努力不足で自己責任だと加害者を断罪して社会問題を放置しておくと、同様の事件はまた起きる。いくら加害者を断罪したところでその声が加害者に届くわけではないし、被害者が生き返るわけでもないし、被害者の遺族を慰められるわけでもないし、本質的な問題解決にはならない。「死ぬなら一人で死ね」という言葉を肯定する志らく、東国原、高橋ジョージらは、単に被害者の立場から加害者を断罪するだけでなく、どうすれば犯罪を防ぐことができたのか、どうすれば加害者は希望を持って生きることができたのかというところまで考えて意見を言うべきだろう。皆で同じ言葉を繰り返すだけで建設的な意見がないならコメンテーターとして存在する意味がない。貧困層や社会的弱者を切り捨てる自己責任論の行きつく先は、アメリカのように個々人が護身用の銃を持って自宅のセキュリティを強化して自己責任で犯罪に対処するという個人主義で犯罪が多発する社会である。しかしアメリカでやけっぱちになった負け組の銃乱射事件が何度も起きているように、自己責任で自衛するやり方はうまくいっていない。銃を持った警官がすぐに現場に駆けつけて犯人を射殺したところで、被害者が出た時点で防犯としては失敗だし、犯罪を警戒しすぎて白人警官が無実の黒人を射殺する事件も度々起きている。貧困などの犯罪が起きやすい状態を放置したまま防犯に金を使うよりも、失業対策や福祉などの社会保障に金を使って犯罪が起きにくい社会にするほうが平和的だと私は思う。和を重視して辛抱強くて他人に迷惑をかけたがらない道徳観を持つ日本人だからこそ他人を巻き込むテロはまだ少ないけれど、個人の問題や家庭の問題を恥としてため込むことが社会保障が充実しない原因にもなっている。今後日本に宗教も道徳観も全く違う外国人移民が入ってきて、その人たちが社会の底辺として絶望したときにどうなるのか想像してみると、底辺になるのは自己責任だから一人で死ねと切り捨てて問題を放置していると治安が悪化するのは予想できる。だからこそ感情的に加害者を断罪するだけで終わらせてはいけない。・いかにして人生に希望を見つけるかが人間の課題になる自殺やテロは社会の否定や人生の否定の結果として起きる。なぜ人権で自由が保障されているのに自殺やテロをする自由はないのかというと、それは人類が一生懸命築き上げた文明を破壊して一生懸命生きている人の人権を侵害する行為だからである。家族から疎外された人は自分を疎外した家族を敵視して殺人に至る。社会から疎外された人は自分を疎外した社会を敵視して犯罪とかテロとかの文明の破壊行為に至る。すでに社会から疎外されて追い詰められている人に対して「死ぬなら一人で死ね」とさらに社会から疎外したところで犯罪の抑止力にはならない。家族を愛している人は家族を殺さないし、文明の建設に参加している人なら自らが一生懸命に作った文明を自ら破壊する行為はしないので、個々人が健全な家族関係を持って文明の建設に参加して社会的に孤立しないことが自殺やテロを防ぐことにつながる。最近は参議院選挙の対策なのか、就職氷河期の支援をするだのひきこもりの支援をするだのと自民党が言い出している。しかし個々人の生い立ちや性格が違うように、人生の目的や希望は人によって違う。行政で一時的に仕事を用意するとか一時的に補助するとかの画一的で短期的な支援をするのでなく、どう人生の問題を解決していくのか、どう生きがいを見つけるのかという個々人に寄り添った議論をしながら、生涯を通じてより良く生きる方法を模索していくべきだろう。人生の問題を簡単に解決する方法などないし、簡単に解決できるならとっくに解決している。より良い社会を作ってより良い人生を生きるために、難しい問題を解決する方法をあきらめずに根気強く考え続けないといけない。
2019.06.02
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