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最近は竹花貴騎という登録者39万人のビジネス系YouTuberの経歴詐称が三崎優太や田端信太郎に暴かれて話題になっている。フォロワーの中には未だに竹花貴騎を擁護している人が少なからずいるようで、なんでこんな刺青丸出しのうさんくさい人がもてはやされているのか不思議なので、インフルエンサーと信者ビジネスについて考えることにした。●情報の段階・一次情報一次情報とは記者が取材したり学者が研究したり企業や団体がプレスリリースを出したりして最初に出てくる情報である。一次情報だからといって必ずしも正しいわけではなくて、その後に情報の真偽の検証がされていく。・二次情報二次情報は一次情報に基づいて、それをまとめたりわかりやすく解説したりする情報である。立花隆や池上彰のような頭がよくて博識で多分野の学問を理解できるジャーナリストや評論家がこの役割を担う。二次情報を発信する人も自分で取材や研究をする能力があって一次情報の真偽を検証したり批判したりできるので、ある程度の信憑性が保たれている。・三次情報三次情報は二次情報をまとめたり引用したりする情報である。インフルエンサーがこれに該当して、例えば中田敦彦やメンタリストDAIGOは直接取材や研究をするわけではなくて、専門家が書いた本の内容をまとめて一次情報や二次情報を直接理解できないような低学歴層に向けて解説している。三次情報を発信する人は自分で取材や研究をするほどの知識や能力がなくて、三次情報をありがたがる人たちも情報の真偽を検証する能力がなくて鵜呑みにすることが問題になる。一次情報や二次情報で専門家たちが検証したり議論したりするのには意義があるけれど、三次情報の間違いを正すような低レベルな争いに専門家が加わっても生産的でないしデメリットしかないので、インフルエンサーが間違ったことを言っても放置されている。中田敦彦のYouTubeの歴史の解説が間違いだらけだと批判されているけれど、フォロワーは知名度がない専門家がいう正しい情報よりも有名な中田の間違った情報をありがたがっている。・四次情報インフルエンサーがいう三次情報をフォロワーがリツイートしたり引用したりしているのが四次情報である。不正確に引用されたり文脈が途切れたりして一次情報からだいぶ情報がゆがむので、信憑性はあまりない。●フォロワーの信者化・宗教の代替徐々に葬式仏教が廃れて墓じまいして檀家がいなくなっているように、現実の諸問題を解決できない旧来の宗教はあまり必要とされなくなって無宗教の人が増えている。その一方でインフルエンサーが大勢のフォロワーを従えて教祖のような影響力を持つようになった。信者の悩みが多いほどこうすればうまくいくという先導をしやすくなるので、仕事や投資やダイエットなどの悩みが多くて正解がはっきりしない分野でインフルエンサーは教祖になりたがる。正解がない分野なら外部の権威から批判されないので、信者を集めて自分が権威になれるのである。ヴィーガニズムやスピリチュアルなどは教義がない似非宗教のようなもので、インフルエンサーが教祖になって金儲けするための都合がいい受け皿として利用されている。・信者ビジネスの構図インフルエンサーはフォロワーが多いほど儲かるので、最初はSNS登録者にプレゼントを配ったり、見せ金用の札束を借りたり、自演のスーパーチャットをしたり、業者からSNSのフォロワーを買ったり、自分の本を自分で買い占めて売上ランキングを操作したり、売名目的の炎上をしたりしてフォロワーを集める。フォロワーが数万人になると金儲けが軌道に乗って、たとえ月額100円のメルマガでも1万人が定期購読すれば毎月100万円入ってくるようになるので、札束を積んで成功者ぶって自分についてくれば成功できるとアピールしてさらにフォロワーを集められるようになる。そうなると成功者にあやかろうとする情報弱者の信者が寄ってきて、教祖直伝のありがたい情報商材を買ったり教団のセミナーに参加したりするようになる。少人数の金持ちから大金を搾り取る投資詐欺とは違って、情報商材は購入者が自己啓発で自分に投資する形にして広く浅く搾り取るけれど、情報を売ること自体は違法ではないし、情報商材に書かれているノウハウで成功できなくても売った側は責任を取らないですむ。低リスクで専門知識がなくても儲かるので、反社会的勢力も目をつけて組織的にインフルエンサーを担ぎ上げている。インフルエンサーは成功者アピールをするけれど、役に立たない情報と引き換えにフォロワーからインフルエンサーに金が移動しただけで何か新しい事業や製品やサービスが生み出されたわけではないので、実際は事業に成功したわけでもないしあまり社会の役に立っていない。しかしフォロワーたちは金があるか否かで人を判断して、社会の役に立つか否かを考慮しないので、金持ちアピールをするうさんくさいインフルエンサーを崇拝して貢ぐようになる。・信者ファンネルの脅威最近ホリエモンと餃子屋がマスク着用をめぐってもめた時に、本来なら当事者だけの問題で終わることなのに、ホリエモンのフォロワーが業務妨害の電話をして餃子屋が休業することになって問題が大きくなった。こうしたインフルエンサーの取り巻きの迷惑行為は機動戦士ガンダムで機体の周りを飛び回ってビームを撃つ武器になぞらえて信者ファンネルと呼ばれていて、SNSで論陣を張ったりして炎上を加速させる原因になる。このように信者化して価値判断の基準をインフルエンサーに委ねたフォロワーは自分で物事を考えずにインフルエンサーの意見を繰り返して増幅させる拡声器として動くようになる。これはジャイアンやスネ夫が数十万人ののび太を従えているようなもので、個々ののび太は取るに足りない存在だけれど数が多いといちいち相手をしていられなくなる。インフルエンサーは喧嘩したら面倒くさい相手とみなされてまともな人は関わろうとしなくなる一方で、インフルエンサーはネットやSNSとの相性がいいのでファンネルを操ってネットで話題づくりして社会的影響力を持つようになる。●変な人や間違った情報に騙されにくくする方法・なるべく一次情報にあたる情報を得る場合は発信者が特定できる一次情報から情報を得るようにすると、その人がどれだけ知識を持っているのか、情報が正しいか間違っているのか、思想的なバイアスがあるかどうかを判断しやすくなる。ネットで拡散されている三次情報や四次情報は巷で話題のトピックを確認するのに使う程度にして、詳細な情報を知りたい場合は情報源になっている一次情報を確認するほうがよい。・裏をとるニュース記事なら署名入り記事をいくつか読み比べて情報の食い違いがないかどうかチェックをすることで間違った情報をつかみにくくなる。第一報が飛ばし記事の場合があるし、松本サリン事件でマスコミが警察発表の裏取りをせずに被害者の河野氏を犯人かのように報道したようにマスコミ全体が間違っている場合もあるので、第一報だけを見るのでなくて続報もチェックするとよい。まとめサイトの記事とかで一次情報のソースを出せないものや記者の署名がないものは誤情報の可能性が高いものとみなして信用しないほうがよい。・外国のものを信用しない国際ロマンス詐欺が多発しているように、日本人は外国のものに騙されやすい。竹花貴騎が外国の別荘だと言っていたのが実は誰でも借りれる民泊用の家だったり、ショーンKが外国の大学で学位をとったと経歴を偽ったりするように、嘘つきはすぐに裏が取れない外国のものを箔付けに利用して嘘がばれにくいようにする。外国の政府の証明書とかも偽造の可能性があるのであまり信用できない。詐欺がばれたら外国に逃げる可能性もあって金を取り返しにくいので、外国絡みの人との取引は慎重にするほうがよい。・客観的な事実と主観的な主張を区別する何かを論じる時には統計や科学などの客観的な事実を論拠にするべきで、主観的な想像を論拠にした主張は証明されていない仮説にすぎないのであまり説得力がない。厚労省の人口問題研究所の合計特殊出生率の予測が劇的に実績と乖離しているように官僚でさえ希望的観測に頼って政策を間違えている有様だし、専門家でない人の主観的な主張はいっそう信用できない。・詭弁をチェックする詐欺師は口がうまいので詭弁で相手を丸め込もうとしたりする。議論の時には一次情報をちゃんと確認すると不完全な引用をしている藁人形論法や論点ずらしを見つけやすくなる。詭弁を使う人に対しては議論が成立しないので相手をするのは時間の無駄だし、疑問や批判に対して誠実に回答しようとしない人や都合が悪い指摘をされると怒って恫喝したりしてごまかそうとする人は信用に価しないので、その人から発信された情報も信用してはいけない。・肩書を信用しない自分を大きく見せたがるサイコパスは経歴や収入を盛りたがるもので、年商100億円とか有栖川宮の祭祀継承者だとかいくらでも自称できるけれど、裏がとれない自己申告を鵜呑みにしてはいけない。寸借詐欺をする詐欺師が有名な企業の名刺の権威を借りて初対面の人を騙したりするように、名刺や履歴書にかかれていることが本当の情報だとは限らない。水商売の人なら客の嘘に慣れているだろうし胡散臭い人の見分けがつくだろうけれど、うぶな人はすごい人と知り合えたと舞い上がって信用してしまうのである。大企業の役職についていても派遣や下請け任せで自分では何もできない実績泥棒の人がいるし、どんな肩書があるかよりも何の知識があるのか、何ができるのかのほうが重要である。・表情やしぐさに注意する嘘をつく人は目が泳いだり、瞬きが多かったり、大量の汗をかいていたり、顔を触ったりして、無意識にうさんくさい特徴が出る。反社会的勢力は他人を見下している態度が人相や服装や言葉遣いに出る。対面した時になんかおかしいと感じる人は警戒するほうがよい。・人と言葉を分ける立派な経歴や人格の人でも間違ったことを言うこともある。一神教の宗教で経典を批判できなくて科学的進歩が遅れて野蛮な中世が千年続いたように、人と言葉を同一視すると偉い人が言うことが間違っているはずがないという正当化に向かって間違いを指摘したり批判したりできなくなってしまう。有名人が言うことだから正しいと思い込まずに、人と言葉を切り離して言葉を単体で判断するべきである。・間違いを認める人間は完璧でないのだから、事実確認のミスや論理の飛躍や文脈の誤読や状況の誤解などはしばしば起きる。間違ってしまうのはしょうがないし、自分が間違っていることがわかったら早めに間違いを認めて軌道修正すればダメージが少なくて済む。しかしプライドが高くて自分が間違っていることを認められない人は自分を正当化しようとして言い訳や詭弁を重ねてごまかそうとする。未だにコロナ対策でマスクは効果がないと主張している人のような間違いを認めない人からの情報は信用しないほうがよい。・人生の目的を考えるやりたいことがあるわけでもなくて、なんとなく金持ちになって有名になって成功したいという人生の目的がはっきりしない人たちが有名人の人脈のおすそ分けをもらおうとしてオンラインサロンのカモになっている。そもそも何を成功とみなすのかという成功の定義ができていない人が他人の成功の秘訣を聞いても意味がない。金儲けだけうまくて人として最低のサイコパスを見習ったところで社会の害になるし、どうやって金儲けするかよりも何を成し遂げたいのか、どう生きるかのほうを先に考えるべきである。自分の人生の目的があって人生観ができると、人生の目的がなくて口先だけうまくて他人を金儲けに利用しようとする胡散臭い人を見分けられるようになる。
2020.10.30
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最近異世界転生小説について考えたので、ついでに異世界転生小説のパターンのひとつである悪役令嬢について考えることにした。・悪役令嬢とは何か悪役令嬢とは乙女ゲームの主人公のヒロインをいじめる高慢ちきな悪役のことで、乙女ゲームというのは主人公がイケメンを攻略して恋愛する女性向けの恋愛シミュレーションゲームである。その悪役を逆に主人公にしたのが悪役令嬢モノの小説や漫画として流行している。『乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった…』は小説家になろうに連載されたのが漫画化されてアニメ化もされていて、シリーズ累計発行部数は350万部を突破したそうな。調べてみたら「小説家になろう」だと悪役令嬢のキーワードがあるのが10335作品、アルファポリスだと悪役令嬢のタグがあるのが1757作品あって、ネット小説の流行の一角を担っているといえる。・物語の構図たいていは君主制で爵位がある中世ヨーロッパ風の乙女ゲームや小説の中の貴族の娘に現代人が転生することで物語が始まる。悪役令嬢はヒロインをいじめる立場なのでヒロインよりも身分が上の貴族で、皇太子の婚約者だったりする。悪役令嬢は転生前の知識があって、このままでは悪役として処刑されたりして破滅するのでなんとか善行をして破滅フラグをなくしてバッドエンドを回避するという「予言」を軸に話を展開するのが基本的な物語の展開パターンである。あるいは言いがかりで婚約を破棄されたり学園から追放されたりしたところから物語が始まって、好き勝手やって実力を発揮して追放者グループに対して優越感を持ったり、真実の愛を見つけたりするパターンもある。このパターンは冒険者追放モノの亜流で、冒険をしない代わりに料理や内政などで能力を発揮している。普通のフィクションはいかに役を作るかが人物造詣の要点だけれど、悪役令嬢の場合はいかにして悪役を降りるかが要点になる。しかし物語から悪役がいなくなると物語の見せ場がなくなってしまうので、清純ぶったヒロインが実は腹黒い悪女だとか元婚約者の皇太子がバカだとかで悪役の代役を務めて悪役令嬢に濡れ衣を着せたりいじめたりしてきて敵対して、善人になった悪役令嬢が味方を増やして妨害を乗り越える展開になる。・なぜ悪役令嬢が流行しているのか悪役令嬢モノの作品が多いのは、転生してバッドエンドを回避するというプロットのテンプレが出来上がっていて、主人公の身分が高いので召使を脇役として使うことができて融通がきいてご都合主義的な展開ができるので話を作りやすいのが理由だろう。それに善悪の二項対立があるので話がわかりやすくなって、読者受けするハッピーエンドにしやすい。悪といっても高慢ちきな貴族が徒党を組んで平民をいじめるとかの地味な悪の類で、世継ぎの謀殺や寵姫の暗殺とかは起きなくて過激さの度合いが低いので、そのぶん読者に不快感を持たれにくいのだろう。・作品としては欠陥がある何かの作品の続きを書くのは文芸創作学科のワークショップでやる手法で、乙女ゲームの世界の続きを書くのは創作の練習になるので悪いことではないけれど、そういう二次創作みたいなのは習作として書くもので自作として発表するようなものではない。悪役令嬢モノの小説が何千作品もあるけれど、世界設定もプロットもワンパターンで独自性がなくて個々の作品が差別化できていない。最終的にバッドエンドを回避するというオチの予想がつくので意外性がないし、そこで話が終わってしまうのでその後のストーリーの発展性もない。そもそも乙女ゲームの世界に転生すること自体がご都合主義で、ゲーム実況の代用としてほいほい異世界転生するのがよくない。ファンタジー的な世界を舞台にするにしても世界設定を工夫しないのではファンタジーとしての魅力がなくなる。予言をプロットに使うにしても予知夢とか占い師とかの異世界転生よりもリアリティを出しやすい方法があるので、異世界転生をする必然性がない。貴族ごっこをするにしても明治時代の日本の華族の時代小説のほうがリアリティが出て面白くなるだろう。悪女を書くにしても楊貴妃や妲己のような国を滅ぼすレベルの悪女や側室の四肢を切断してだるま女にした武則天や呂雉に比べたら、学校でいじめをして婚約解消される程度の悪役令嬢はたいした悪事をしていないので突き抜けた面白さがない。いじめも悪事には違いないけれど、その程度の子供のままごとを書くならわざわざ中世ヨーロッパ風の世界を舞台にする意味がない。なろう作家たちはせっかく創作をするのだから既にあるテンプレをなぞるのでなく、取材して想像を膨らませてアイデアを出して独自のストーリーを書いてほしいものである。
2020.10.27
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2020年のコミックランキングのほとんどが『鬼滅の刃』だそうで、最近は大ヒットしている。こないだ強さとフィクションについて考えたので、ついでに『鬼滅の刃』についても考えることにした。●『鬼滅の刃』とは何か『鬼滅の刃』は週刊少年ジャンプに連載された漫画で、タイトルの通り刃で鬼を滅する話である。主人公の竈門炭治郎は家族を鬼に殺されて妹の禰豆子が鬼になってしまったので、鬼退治をする鬼殺隊という組織に入って鬼を倒しつつ妹を人間に戻す方法を探すというストーリー展開で、オーソドックスな勧善懲悪のバトル系漫画である。●どこが良いのか・主人公が良いやつ主人公の竈門炭治郎は素直で優しくて面倒見がよくて努力家の人物像で、魅力だけがあって欠点は特にない。これは敵のボスの鬼舞辻無惨の残酷さと対照的で、人がばたばた死ぬ悲惨な物語であるがゆえに鬼にも同情する竈門炭治郎の優しさが際立っていてつり合いが取れている。『進撃の巨人』は人が巨人に食われる残酷さがうけたと言われているけれど、『鬼滅の刃』は残酷さを乗り越える優しさがうけたのだろう。もし主人公が竈門炭治郎でなければこれほどヒットしなかったかもしれない。・毎回死闘になって盛り上がる竈門炭治郎は鬼殺隊としては下っ端で、主人公なのにあまり強くない。人間は怪我をして老いるのに鬼は再生能力があって人を食ってどんどん強くなるのは作中でも言及されていて、能力的には鬼のほうが圧倒的に有利なので鬼殺隊は苦戦して、仲間が負傷したり死んだりしていく中で必死に戦っている。人間は極限状態の中で勇気を見せるのに対して、強さを求めてチートして鬼になった元人間たちは人間性を見失って幸福になれないという展開で、これは最近はやりの主人公が最強になって無双する俺ツエー系とは対極である。『ONE PIECE』は敵の攻撃をくらってもどうせ死なないという感じでウソップやチョッパーがギャーギャー騒いで逃げ回って緊張感がなくなってつまらなくなっているけれど、『鬼滅の刃』は戦闘になるたびに主人公側の登場人物が死ぬかもしれないという緊張感があってバトル系らしい面白さが出せている。・メンターの存在鬼殺隊の中でも〇〇の呼吸を極めた柱と呼ばれる凄腕剣士たちがいて、彼らが弱い主人公を成長させる頼もしいメンターの役を担っていて、先輩・後輩の人間関係がある。子供はちょっと年上の人に憧れるもので、憧れのメンターがいるのが少年漫画らしくて人気が出やすい特徴といえる。・兄弟愛鬼に家族を殺された竈門炭治郎にとって妹が唯一の肉親になったのでそのぶん妹への愛情が深くなっている。炎柱の煉獄杏寿郎は弟思いで、狂暴な風柱の不死川実弥も実は弟思いで、蟲柱の胡蝶しのぶは姉を鬼に殺されていて、霞柱の時透無一郎は双子の兄を鬼に殺されていて、時透無一郎の先祖の継国巌勝(鬼の黒死牟)も弟の天才剣士継国縁壱と揉めている。悪く言えばワンパターンだけれど、よく言えば兄弟愛や家族愛を強調している。少子化で一人っ子が多い現代の読者は優しい兄弟に憧れているのかもしれない。・引き延ばしがなくてテンポがよいバトル系のフィクションは引き延ばそうと思えば敵を増やしていくらでも引き延ばすことができて、例えば吸血鬼と戦う漫画の『彼岸島』はボスの吸血鬼と決着をつけずに変な怪物と延々と戦っていていつ完結するのか不明である。人気漫画は引き延ばしてつまらなくなる場合があって、『ドラゴンボール』は作者が終わらせたがっていたのに人気が大きくて終わらせるとおもちゃ会社とかが受ける影響が大きいので編集部に無理やり引き延ばされてセルや魔人ブウとかの強敵が次々に出てきて強さがインフレしすぎてドラゴンボールや筋斗雲や如意棒やホイポイカプセルのような初期のファンタジー的なアイテムの存在意義がなくなって、強さのインフレについていけないヤムチャやウーロンなどの初期メンバーがいなくなって戦うメンバーが固定されて面白さが減ってしまったし、アニメ版は敵とにらみ合うだけで話が進まない露骨な引き延ばしがあってテンポが悪かった。『鬼滅の刃』は上弦の月というナンバリングされた中ボスクラスの敵が順番に出てきて味方も負傷したり死亡したりして戦力外になっていって終わりが予想できる展開の仕方で、人気の割には引き延ばしがなくてすんなりボス戦に突入して完結した。2016年から2020年までの4年間の連載で22巻で完結していて、少年漫画として少年が大人になる前に読み切ることができて、アニメ化がきっかけで興味をもった人が全巻まとめ買いしやすいボリュームになっている。近年はやたらと長期連載の漫画が多いけれど、個人的にはストーリーもので25巻前後で表現したいテーマをまとめきれない作品は構成に問題があって漫画としては欠陥品だと思う。『鬼滅の刃』が人気があっても引き延ばさずにちゃんと終わった点は他の漫画が見習うべきである。・女性受けする少年萌え要素週刊少年ジャンプは少年漫画なのに女性読者が多くて、『テニスの王子様』のようなかっこいい少年を書いた漫画が女性に人気が出やすい。『鬼滅の刃』は女性にうけたのがヒットの要因になったようで、竈門炭治郎をモチーフにした女性用下着まで発売されている。好色な我妻善逸と違って竈門炭治郎は性欲を見せていなくて、素直でかわいい竈門炭治郎に対する萌え要素に女性読者が共感しやすいのかもしれない。●欠点もあるよ・画力がそれほど高くない著者の吾峠呼世晴は漫画家としてはデビューして間もない新人で、技術やアイデアのストックがあまりないようで絵も洗練されていない。『鬼滅の刃』の戦闘シーンは白い刀筋がのたくっているような感じなのでうどんと呼ばれていて、複雑な動きが表現しきれていない。アニメ化以降に急に人気が出たように絵としての魅力はアニメのほうが優れていて、漫画としてはあまりうまくない。・ギャグがあまり面白くない戦いの合間にギャグがちまちまあって、あえてデッサンをくずしたような絵柄は味があってこれはこれでよいけれど、顔芸止まりという感じでギャグとしてはあまり面白くない。シリアスな展開に中途半端にギャグを混ぜるよりもスピンオフにギャグパートを分けるほうがよかったかもしれない。・主人公以外のキャラが微妙竈門炭治郎や冨岡義勇などの黒髪キャラは大正時代にいそうな感じの人物像だけれど、柱はいかにもイロモノ勢ぞろいという感じで大正時代らしさが乏しくなっていて、外見や性格に特徴付けが必要とはいえ金髪やピンク髪は雰囲気を壊している。これは私がおっさんなので気になるのかもしれないし、子供の読者にとってはあまり気にならないのかもしれない。人物造詣はたいてい小柄な丸顔で子供っぽい人ばかりでヒゲをはやした大人はいないし、女性キャラのしのぶやカナヲは外見の見分けがつきにくくてキャラの書き分けがうまくできていない。主人公チームの中では小心者で泣きわめいてうざったく絡んでくる我妻善逸はジャンプの人気投票だと1位で主人公よりも人気があるけれど、これは女性からみたチワワみたいな愛玩動物的な人気で、男性や外国人には人気がないようである。我妻善逸は『ダイの大冒険』のポップのように最初は弱虫で後から覚醒するタイプのキャラで終盤に活躍するけれど、こういう弱虫キャラは男らしさを尊重するマチスモ文化圏では嫌われやすくて、我妻善逸が嫌いでアニメを途中で見るのをやめた人もいるようである。『NARUTO』や『BREACH』のような和風要素がある漫画は外国で人気が出やすいけれど、外国で漫画を売るつもりなら人物造詣に気を付けないといけない。・敵のボスがいまいち敵のボスの鬼舞辻無惨は平安時代に不死身の鬼になって日光を克服するために日中に行動できる禰豆子を狙うけれど、長生きの割には頭があまりよくないようで、手下があまり多くないのに自分で手下を殺して人手不足になっているし、老獪さもなくてうまく立ち回って政治経済を牛耳って政治的に鬼殺隊を潰すようなこともしないし、コスプレ好きの残念な子みたいな感じである。鬼舞辻無惨よりも剣士としての強さを求めて鬼になった黒死牟のほうがエピソードが掘り下げられているし見た目が格好いい。・最終回が蛇足漫画の最終回は鬼殺隊の子孫たちが現代で幸せに暮らしているという話だけれど、『NARUTO』のように子孫で続編を書くつもりがないならわざわざ子孫を書く必要はなくて読者の想像に任せるだけで十分だった。誰と誰がカップルになるかを妄想するのも読者の楽しみなので、作者がカップルを確定させてしまうと読者の楽しみを奪ってしまうことになる。●私の感想私は『鬼滅の刃』の鬼退治のプロットや〇〇の呼吸とかの戦闘の駆け引きは特に面白いとは思わないし、絵があまりうまくないので漫画としては傑作だとは思わないけれど、兄弟愛や慈悲心や努力などの子供にとって良い価値観を伝えている点では少年漫画としては良い漫画だと思う。最近のフィクションでやたらと暴力や残酷な描写が溢れている中で竈門炭治郎の善良な人間性は突出した魅力があって、『ONE PIECE』のような暴力で気に入らない奴をぶっとばして反権力で粋がって成り上がる物語と違って、『鬼滅の刃』は子供が不良に憧れる心配がなくて健全な物語になっている。子供の日に鎧兜が飾られるように日本男児は刀を振り回して強くなりたくなる時期があるもので、小学生から中学生くらいの子供は同じ年頃の主人公に共感して強くなった気になって面白く読めると思う。すでに親しい人の死を経験した青年以上の読者にとってはリアリティのない架空の人物が死んでもあまり面白くないかもしれないけれど、そこは青年漫画の領分なので少年漫画に求めるものではない。主人公がチート無双しなくても売れると証明できたのはバトル系フィクションとしては意義があることで、出版社やクリエイターは『鬼滅の刃』のヒットを教訓にして中身がなくてテンプレをなぞるような異世界転生チート無双の話を量産するのをやめて、何のために戦うのか、人としてどう生きるべきかの真善美を追及して読者が現実社会を生きるうえで役に立つフィクションを作ってほしいものである。
2020.10.16
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異世界転生小説でやたらと最強になって無双したがるのはなぜなのか、普通のバトル系ではだめのだろうかとふと気になったので、強さとフィクションについて考えることにした。・強さとは何か強さとは「物理的に、あるいは心理的に、抵抗力があり外圧に動じにくいさま」を意味するようである。ということは最強になると外圧に全く動じずに好き勝手やることができるわけである。朝青龍は横綱の品格がどうのこうのと批判されても動じない強さがあった。強さは男らしさの特徴としても見なされていて、南米やアメリカ南部のマチスモ文化圏では男は体を鍛えてマッチョになって堂々とすることを肯定して、おどおどしたヒョロガリの人は蔑まれる。こうした男らしさについての固定観念がLGBTの否定につながって社会問題になっている。・フィクションでの強さの役割漫画とかのエンタメだと主人公が強いのは主人公の魅力を出してストーリーを展開するための一種のテンプレといえるし、主人公が強すぎるのはストーリー展開を簡単にするご都合主義ともいえる。バトル系だと目的の達成を阻む敵が現れたので敵を倒して目的を達成するという展開で、目的の達成が困難であるほど主人公は強くなければ話が進まなくなるので、必然的に主人公は物語が進むにつれて強くなっていく。『グラップラー刃牙』で刃牙は人類最強を目指しているわけではなくて父親よりちょっと強くなれればいいと言うように、ストーリーを進めるためには敵よりもちょっと強いという程度で十分で、最強である必要はない。しかしヒョロガリの塩試合ではエンタメとして成立しないので、主人公は一般人以上に強くて勝負の見どころを作る必要がある。目的の達成の手段として強さを使う場合はスムーズに話が展開するけれど、強さ自体を書こうとするとうまくいかなくなる。『はじめの一歩』はいじめられっ子が強くなるためにボクシングをする話だけれど、強さとは何かというテーマを詰めずにぐだぐだ長期連載してライバルとの対戦をしないまま引退して人気がなくなってしまった。『軍鶏』という格闘漫画は主人公が強くなったり弱くなったりしたあげくにラスボスとも呼べない変なバカ兄弟と戦って死ぬというひどい終わり方で、この作品は途中で原作者と作画が揉めたようで何を書きたいのかよくわからない物語だった。血みどろの格闘シーンを書けばそれなりに話が盛り上がるけれど、強くなって何がしたいのかという目的がないまま強くなったところで物語の落としどころがないのである。・承認欲求を満たす手段としての強さ異世界転生のフィクションだと序盤でチート能力をもらって最強になるけれど、最強になって何をするのかという目的がない場合がしばしばある。これは強くなることがストーリーに必要だから強くなるのではなくて、最強であること自体が作品の売りになっていて、いわば承認欲求を満たすためのポルノである。神の加護をもらってすごい、最強のSランク冒険者になって敵を瞬殺してすごい、国王や貴族に媚びずにため口で話してすごい、女性にモテてハーレムを作ってすごい、追放されたけれど実は有能で皆に必要とされてすごい、神獣や精霊に懐かれてすごい、弟子に慕われてすごい、魔王を倒して国を救ってすごい、商売がうまくいって大金を稼いですごい、迫害されている奴隷や亜人を助けて尊敬されてすごい、領主になって領民に慕われてすごいという他者からの承認を満たすための手段として強さが使われている。読者がフィクションで承認欲求を満たすようになったのはたぶんバブル崩壊後の不景気やインターネットの普及が原因なのかもしれない。好景気でまだインターネットが一般に普及していなかった頃にバトル系漫画として人気になった『ドラゴンボール』は地球を滅ぼす強い敵が来たから孫悟空が修行して敵よりも強くなって倒すというだけの単純な話で、孫悟空は宇宙最強になってもモテるわけでもないし、身分が高いわけでもないし、金持ちでもないし、ミスターサタンほど有名でもないし、強さが承認欲求を満たすための手段として使われていない。一方でバブル崩壊後に連載が始まった海賊王を目指す『ONE PIECE』や忍者で一番偉い火影を目指す『NARUTO』とかは自己実現願望を前面に押し出していて、主人公が強くなって成り上がって仲間に認められるという構図で異世界転生系と似ている。『ドラゴンボール』をヒットさせたジャンプの編集者の鳥嶋和彦は『ONE PIECE』が売れないと判断してはずれたけれど、これは作品の面白さの判断を間違ったというよりは読者の承認欲求の需要を見誤ったのかもしれない。主人公に魅力がなくても読者の承認欲求を満たせば売れるのは後になろう小説が証明した。女性向けのフィクションは主人公が身分が高いイケメンに惚れられて玉の輿になるという他人任せの成り上がりが昔の主流だったけれど、最近の異世界転生フィクションは女性の主人公もチート能力で魔法が使えて強くなっている。しかし女性は料理がうまくてすごいとか美人でもててすごいとかの強さ以外で承認欲求を得る手段があるので、男性の主人公ほど強さを強調していない。弱さを見せて意中の男性に守ってもらうのが恋愛系フィクションの定番の展開パターンなので、女性が強くなりすぎると恋愛方面の展開がしにくくなってしまう。おばさんが異世界転生して最強になってイケメン男子を食い散らかすようなクーガー女の物語の需要は日本にはないようである。・現実の強さとフィクションの強さの乖離動物の生存本能としては強いオスがメスに選ばれるけれど、いまどき強い男に惚れるのはDQNのビッチくらいで、婚活で女性は年収や身長に条件をつけることがあっても柔道や空手初段以上とかの条件を付ける人がいないように、平和な現代社会では身体能力の強さは必要とされていなくて経済力のほうが必要である。男らしいガチムチは女性よりもホモに人気で、女性は細身のイケメンやインテリを好んでいる。現実世界で承認欲求を満たそうとしたら、女性はコスプレをしたりメイクや写真の加工をしたりして普段の自分とは違うフィクショナルで魅力的な自己像を作り上げてSNSでフォロワーにイイネをもらったりオタサーの姫になったりしてちやほやされて承認欲求を満たすことができる。しかしうだつのあがらない中年男性は女性と違って承認欲求を満たす手段があまりないので、異世界転生で俺ツエーするのが承認欲求を満たすための現実逃避先になっているのだろう。現実の強さとフィクションの強さが乖離することの何が問題かというと、異世界転生系のフィクションは努力を書かないのである。異世界に転生して神にもらったチート能力で努力では到底到達できない人間離れした強さを手に入れるのでは、読者が主人公に触発されて自分も頑張ろうという気にならなくて、現実逃避を促してしまう。・承認欲求という病承認欲求があること自体は悪いことではなくて、アイデンティティのもとになるし、他人に認められたいという向上心が仕事の成功につながることもある。たいていの人は凡人で、家族や学校や職場などの狭い世界でしか人間関係のつながりがなくて、その集団に受け入れられることで承認欲求が満足する。しかしSNSが普及したことで容姿や財産などの他人との比較が容易になって、セレブやインフルエンサーの暮らしぶりが喧伝されて欲を煽って、凡人が皆に認められる特別な何者かになりたいという望みを持つようになって平凡な生活に価値を見出さなくなって、その理想が叶わないことがストレスになって現代ならではの問題を起こしている。大金持ちなのを自慢したくてTwitterで金を配ってフォロワーを集める人がいるし、大金持ちの経営者でTwitterで一般人に議論をふっかけて自分が正しいんだと認めさせたがる人もいるし、大金持ちのプロ野球選手なのにTwitterで庶民相手の年収マウントに夢中になっている人がいるくらいだから、金も地位もない凡人の承認欲求のストレスはいっそう強いのだろう。人気のVtuberにコメントを読んでほしくて数万円を投げ銭する人たちはカオナシと呼ばれているけれど、これも承認欲求の発露で、承認欲求を満たすビジネスは金儲けになるけれどあまり社会の役に立っていない。すごい人として承認されたいという凡人の分不相応な欲望が肥大するとアノミー的自殺につながる。2006年の福岡中2いじめ自殺事件は「生まれかわったらディープインパクトの子供で最強になりたい」という遺書が話題になったけれど、これは現実の自分の弱さを否定して最強になって承認されたいという願望が出ている。地下アイドルやコスプレイヤーなどは承認欲求をこじらせたメンヘラが多くてリストカットや自殺をしやすいようで、最近は月乃のあという地下アイドルがセクハラを苦にして自殺した。女優として成功して子供もいる竹内結子が自殺するのも動機が不思議がられているけれど、老いて主役の仕事がなくなって生活水準を落とさないといけない未来の自己像を受け入れられなかったのかもしれない。自殺する人は成功しない人生は生きる価値がないというような極端な思考をしている場合があって、慎ましく地味に生きるのでは満足できなくて理想と現実のギャップに耐えられなくて死に急ぐのだろう。登山家の栗城史多が実力に見合わない登山計画を立てて失敗して死んだのは実力以上の名声を求めた承認欲求が原因で、彼の無謀な行動を冒険として美化してはいけない。承認欲求を満たせないストレスが自分に向けば自殺につながる一方で、ストレスを他者に向けて犯罪をしてでも自分の存在を世間に知ってもらいたいという反社会的な人がでてくる。迷惑行為を動画で喧伝するYouTuberや、通り魔やテロをして逮捕されて護送車でマスコミにカメラを向けられると喜々としてピースサインをする人もいる。ポルノ的なものが欲求不満の解消に有効とはいえ、フィクションに現実逃避するのでは現代を生きる強さにつながらない。ポルノで性欲を解消しても現実で異性と付き合えるわけではないし、異世界転生で俺ツエーして承認欲求を解消しても現実世界で何かが変わるわけではない。作家がやるべきことはポルノで読者の欲を満たすことではなく、人の弱さに向き合って読者に現実世界での生き方を教えたり希望を見せたりすることだろう。しかし作家自身が現実世界を生きようとせずに人気になって金持ちになって称賛されたいという承認欲求にとらわれて創作しているし、出版社が売れる作品に迎合して異世界転生をプッシュしているのだからどうしようもない。自分が自分であることをありのままに認めるというのが現代に必要な強さだと私は思う。自分の弱さも欠点も隠して、自己承認していないのに他者に承認してほしいと願うのは図々しいではないか。承認欲求というのは他人の言動に動じやすい弱さの発露で、他人に承認してもらわないと自分自身を承認できないのだといえる。引きこもりが外に出ないのは自己承認していないがゆえにいっそう他人の目を気にして自己評価を下げるという悪循環になっている。ジャンプ+やマガポケや裏サンデーとかの大手漫画サイトにも異世界転生系のフィクションが出てくるようになって、これではいかんと思う。巷に異世界転生が溢れているのは社会が壊れている兆候かもしれないし、クリエイターが現実を見る目をなくしているのかもしれない。おっさんたちはやたらと異世界に転生して最強になるのをやめて、現実世界の弱い自分を肯定して自信をつけて幸せになる方法を考えるほうがよい。
2020.10.10
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最近はGoogleマップ、食べログ、価格.comとかであらゆる製品やサービスにユーザーレビューが投稿されているけれど、役に立たないレビューが多くて時間の無駄になることがしばしばあるので、レビューについて考えることにした。●口コミサイトの起源インターネットの出現以前は旅行雑誌やゲーム雑誌とかの専門的な雑誌の編集者が情報源になっていて、一般人の口コミは周りの親しい人とだけ共有される程度だった。それがインターネットが普及して口コミサイトができてからは一般人がレビューを書くのが普通になった。いつから口コミビジネスができたのか調べてみたら、1997年のパソコンの価格比較サイト¥CORE PRICE¥が2000年に価格.comになって、@cosmeのサービス開始が1999年、Amazon.co.jpのサービス開始が2000年なので、ITバブルの2000年頃に口コミやアフィリエイトで物を売るのがインターネットビジネスとして始まったようである。2005年に食べログのサービスが開始すると、当時は無料ブログがはやっていたので、ぐるなびのような店側の宣伝情報だけ出すサイトとは違って客の評価が反映されるブログ形式の食べログが人気になった。こうした口コミサイトの登場で、従来の個人ブログや掲示板よりも店や商品のレビューを探しやすくなった。もともとインターネットはユーザー同士が有益な情報を共有することで発展してきたので、口コミサイトはインターネットとの相性が良くてユーザー生成コンテンツのひとつとして定着して、いまではあらゆる商品やサービスに対して口コミを投稿できるようになっている。●役に立つレビューの書き方口コミサイトが一般的になったとはいえ、役に立つレビューよりも役にも立たないレビューのほうが多い。例えばGoogleマップの口コミだと「おいしかった」「楽しかった」という詳細不明でなぜそう思ったのか根拠がわからないようなものが多い。役に立たないレビューは他の人の時間の無駄になるし、サーバー上のゴミ情報が増えて役に立つ情報が見つけにくくなるので、レビューを書くならもっと他の人の役に立つべきである。・評価の基準を決めて根拠を具体的にするなんとなく気に入らないから低評価をつけるというような主観的で曖昧な口コミでは他の人の参考にならない。体操やフィギュアの採点競技に基準があるように、何かの基準に基づいて評価すると他の人の参考になる。工業製品のレビューなら仕様通りの寸法か否か、耐久性、組み立てやすさ、使いやすさ、消費電力や消耗品の交換などのランニングコスト、バリやゆがみや傷などの仕上げの具合、初期不良への対応などが基準になる。使用感や不具合やカスタマーサービスは実際に買わないとわからないので、新製品をいち早く買うアーリーアダプターのレビューは購入を検討している他の人の参考になる。工業製品はロットごとに品質が一定でレビューの違いが出にくいので、不具合報告や仕様変更などの情報が出尽くして評価が定まった製品に対して後出しでレビューしてもあまり参考にならない。飲食店のレビューなら料理に対するレビューと店に対するレビューがある。料理に対しては値段、味、量、温度、糖分や塩分や辛さや油っこさの度合い、調理技術、下処理の丁寧さ、盛り付けの美しさ、メニューの独創性、トッピングの種類、時間帯や季節による味のばらつき、食材の産地や鮮度などが評価の基準になる。店に対しては接客態度、席への案内や会計の手際の良さ、混雑状況、料理が出るまでの待ち時間、暇つぶし用の新聞や雑誌の有無、嫌いな食材を抜くなどの融通がきくか、店の広さや客席数、席の広さ、プライバシーを保つ仕切り、荷物や上着を置く場所、食器や内装のおしゃれ度合い、椅子の座り心地、冷房や暖房の効き具合、衛生、トイレの清潔感、臭い、BGMの音量、照明の明るさ、客層、営業時間、持ち帰りの有無、個室の有無、立地、駅や幹線道路からのアクセスの良さ、駐車場の有無、予約ができるか、クレジットカードが使えるか、喫煙の可否や分煙、バリアフリーなどの障碍者への対応、乳幼児の入店の可否、写真や動画の撮影の可否などが評価の基準になる。店の公式サイトにメニューや駐車場の有無などがちゃんと書いてあればいちいちレビューに書く必要はないけれど、個人経営の店で公式サイトがなくて情報不足の場合はレビューに書くと他の人の役に立つ。飲食店は定期的にメニューや食材が変わったり、オーナーや店員が変わってサービスの質が落ちたりして新しいレビューのほうが他の人の参考になるので、後出しでレビューしても問題ない。小説や音楽や映画などの人によって評価が異なるような芸術作品のレビューは主観的になりやすいので、なぜ面白いと思うのか、なぜつまらないと思うのかという根拠を掘り下げていくと他の人の参考になる。・他のものと比較する前のモデルと新しいモデルを比べたり、同じ価格帯の他の商品と比べることで、〇〇と比べて~という基準ができて差異がわかりやすくなるので、購入を検討している人の参考になる。高級レストランと大衆食堂のようなまったく違うものを比べても参考にならないので、似ているものを比べる必要がある。飲食店だと昼と夜でメニューや混雑度合いやサービスの質が変わったりするので、リピーターがレビューする場合は時間で比較すると初めてその店に行く人の参考になる。・レビューの根拠になる写真を撮る客観的で役に立つレビューには根拠が必要である。例えばホテルのレビューではオーシャンビューが素敵と文章だけで書かれるよりも写真を添えてあるほうが説得力が増す。製品のレビューだと商品画像にないような写真があると購入を検討している人の参考になるし、不具合の写真があると理不尽なクレームでないのだという証拠になる。家具は生活感がないモデルルームで撮った商品写真よりも、購入者の写真のほうが実際に部屋に置いた時のサイズ感や雰囲気が伝わりやすい。●レビューのメリットとデメリット・レビューを書く側のメリットレビューを何度も書くうちに自分の判断基準が明確になるので、買い物をするときに無駄に迷わなくなったり、はずれを引きにくくなったりする。レビューを書き続けて数百件のレビューを書くようになると、何かの分野の専門家として記事の執筆依頼が来たり、本を出版したりできるようになる。学生は論理的にレポートを書く訓練になるし、会社員は企画書を書く時の着眼点を鍛える訓練になる。経験を文章としてアウトプットすることで記憶が整理されて、長期記憶に残って思い出しやすくなる。好きな店や商品を応援しつつアフィリエイトで小遣い稼ぎができる。他の人がぼったくりや粗悪品の被害にあうことを防止できて善行を積める。というようにレビューを書くことにはメリットが多い。・レビューを書く側のデメリット高評価をするぶんにはデメリットはあまりないものの、低評価をするときにはデメリットがある。芸術は人によって好みや評価基準が全く違うので、辛辣なレビューを書いた人が大勢のファンから一気に攻撃されてSNSが炎上することがある。最近はクリエイターもSNSをやっていて直接連絡をとれるので、作者本人からレビューの取り下げを要求されたり訴訟を起こされたりする可能性もある。『キン肉マン』の感想をいうのはネタバレだからだめなのかという論争があって、これは作者が態度を軟化させて多少のネタバレはいいということで決着がついたようだけれど、下手をしたら著作権侵害として損害賠償請求に発展してネットのレビューが委縮する可能性があった。・レビューを書かれる側のメリット飲食店や商品のレビューだと店員や開発者が改善点を知るきっかけになる。昔は日本人は不満があってもその場で直接不満を言わずに去って二度と来店しなくなって近所に悪評をばらまく怖い客だと言われていたけれど、最近は日本人でも口コミサイトで間接的に不満を言うようになって、アンケートを取らなくても客の方から素直な感想が来るので商品やサービスの改善につながる。サービス業ならいつでも客に評価されうるのだという緊張感をもってサービスを提供できる。パソコンの部品やゲームなどは特定の環境でのみ発生する不具合があってメーカー側で全部検査しきれないので、ユーザーの口コミが不具合の解消に役に立つ。店が宣伝に費用をかけなくても客が宣伝をしてくれて、芸能人やYouTuberなどの有名人のレビューやSNSのバズがきっかけで無名の店や商品が急に大人気になる場合もある。ミシュランなどの定評があるレビューで評価された場合は料理人のキャリアになる。・レビューを書かれる側のデメリットネットは匿名のレビューが多いので、ライバル企業や地上げやみかじめ目的のヤクザから不当な低評価をつけられる可能性がある。不正確な営業時間や事実無根のレビューや個人への誹謗中傷を書かれても口コミサイト側が訂正や削除などの対応をしない場合がある。素人から的外れな低評価をされてモチベーションが下がる。隠れ家的なコンセプトの飲食店が口コミサイトへの掲載を拒否したくてもサイト側が応じない場合がある。食べログで食通を気取るレビュアーが高評価とひきかえに特別待遇を求めてくる場合があって、要求に応じたことがばれれば金で評価を買ったとみなされて他の客からの評価が悪くなるし、要求に応じなければ報復に低評価をつけられる可能性がある。レビューは多いほうが有利で、新しい店や新商品はレビューが少ないと売上が伸びない場合がある。●レビューの課題レビューは消費者の役に立つ部分が大いにあるけれど、消費者を騙すようなステルスマーケティングがしばしば問題になっている。インフルエンサーがギャラをもらって商品やサービスを宣伝しているだけだったり、使っていない商品や実際には効果がない商品で健康やダイエットに効果があったと嘘をついたりしている。2010年のペニーオークション詐欺事件では金をもらってブログでステマレビューした芸能人がいたけれど、消費者を騙す行為をしているという認識がないせいで詐欺の片棒を担いで仕事や信用を失うことになった。インターネットのステマ対策としてはGoogleは2011年以降のパンダアップデートでthin affiliateと呼ばれる中身がなくてキーワードが詰め込まれたようなアフィリエイトページを検索結果の上位に出ないようにしたし、ペンギンアップデートで外部から大量の相互リンクをしているまとめサイトのような低品質なサイトが検索結果の上位に出ないようにした。これでブラックハットSEOと呼ばれる手法が使えなくなってアフィリエイト目的の低品質なサクラレビューはだいぶ減った。アフィリエイトではなくて企業が直接ステマするのに対しては、サクラチェッカーというAmazonのやらせレビューを判断するサイトがあるし、そのうち他のレビューサイトに対してもAIで自動的にやらせかどうか判断できるようになったり、中国の信用スコアのような仕組みで信用が低い人のレビューをフィルタリングできるようになったりするのかもしれない。しかしインフルエンサーがフォロワーを騙してステマレビューすることに対してはまだ十分な対策がなくて、名前と顔を出しているからといって匿名のレビューより信用できるというわけではない。デジタルネイティブ世代だからといってネットリテラシーが高いわけでもなくて、自分で物事の是非を判断できなくて他人の意見を鵜呑みにする人が大勢いて、そういう人がインフルエンサーを信じてカモになっている。最近はてんちむというYouTuberが豊胸手術を隠して自分がプロデュースしたバストアップ製品を売って炎上したけれど、それでもフォローを続けている人が大勢いる。金をもらって権力の味方になる御用学者がいるように、専門家だからといって社会の役に立つ正しいことをいうわけではないし、ましてやインフルエンサーは専門家でも何でもなくて知名度を金に換えて商売しているので有名だからといって信用してはいけない。誰がレビューを書いたかということを過信しすぎずに何が書いてあるかを吟味して、あくまで購入を決めるための判断材料のひとつとして使うべきだろう。有名人の誰々ちゃんがインスタでおすすめしてたから~と思考を丸投げするのでは自分の判断力や審美眼は磨かれない。消費者も自分で判断できるようになって騙されにくくなってほしいものである。
2020.10.08
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ホラーの作り方の動画をアップロードしました。子供は科学的な思考をしないので幽霊を信じて暗闇を怖がったり、DQNの若者は廃病院で肝試しをしたりする一方で、大人は科学的な思考をするようになって幽霊が怖くなくなるので、ホラーは主に若者向けのジャンルです。2000年頃は『リング』や『呪怨』などの和製ホラー映画がブームになったものの、和製ゾンビ映画が不毛なのはなぜかと考えてみたら、たぶんこっそり出てくる幽霊のわびさびみたいなのが日本人の恐怖の感性に合って、銃がない日本を舞台にゾンビものにしても『バイオハザード』みたいにゾンビを撃ちまくる展開にできないので見どころが作れないのかもしれません。
2020.10.05
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