全6件 (6件中 1-6件目)
1
最近はオリンピックの開会式が史上最低だと評判のようである。担当者が辞任したりして不祥事が相次いだうえに、テレビクルーの寸劇が意味不明だとか予算がおかしいとかはいろいろな人が言っていて私が言う事は特にないので、もし私がプロデューサーならオリンピックの開会式をどう演出したのか、頭の体操として考えることにした。・案1 サムライジャパン日本らしさを出すために侍と忍者は必須である。そんで合戦が起きているところにふんどし姿の室伏広治がやってきて戦いをやめるように説得して、侍たちが戦いをやめて刀で和太鼓を叩き出して虚無僧が尺八を吹いて、オリンピック開催地になった世界中の音楽を和太鼓アレンジで演奏する。そんで忍者たちが各種競技のユニフォームに着替えてアクロバティックに飛び回って、流鏑馬で火矢を射って聖火をつける。・案2 サブカルジャパン日本らしさを出すために漫画とアニメとゲームは必須である。そんでゴジラが昭和の東京を壊すところから始まって、ふんどし姿の室伏広治によって街が再建されてガンダムとかエヴァとかの巨大ロボットが次々に作られて発展した新東京をアピールして、ポケモンやサンリオのきぐるみが登場してアニメソングに合わせてペンライトを振りながら似非ディズニー的な踊りをして、どこでもドアからドラえもんが出てきてタケコプターで飛んで行って聖火をつける。・案3 マツリジャパン日本らしさを出すために祭りは必須である。相撲とかボディビルとかオリンピックの種目でない様々な競技の選手がふんどし姿になってねぷたとかかなまら祭りとかの日本中の祭りの神輿をかついで登場して八百万の神々が東京に大集合して、獅子舞が踊る中で神輿の上から棚橋弘至が花火の点火スイッチにハイフライフローして花火がボンボン上がって、ふんどし姿の室伏広治が火渡りしながら聖火をつける。・案4 ハイテクジャパン日本らしさを出すためにハイテクは必須である。会場をぐるっとスクリーンで囲って、そこに360度の映像を映す。大量のアシモとドローンが連携して地上と空中でマスゲームをして、魔改造したバイクや猫が乗ったルンバとかが格好良く走り回って、レーザービームが飛び交うところにふんどし姿の室伏広治がジェットパックで飛んできて登場して、聖火をつけるために火がついた砲丸を投げたら変な方向に飛んで行ってバタバタと装置が壊れて事故かと思いきや綿密に計算されたドミノ倒しになっていて、ピタゴラスイッチ的に最後に聖火がつく。・案5 トラディショナルアナログジャパン日本らしさを出すために伝統芸能は必須である。花を生けた花瓶や盆栽が並べられた舞台に書道家が登場して巨大筆を使ってオリンピックのマークを書いて開会式が始まって、歌舞伎役者が早着替えでいろいろなスポーツのユニフォームにしゅばばばと着替えていってふんどし姿で相撲をとったり、ダンスチームが現れて阿波踊りとか花笠音頭とかエイサーとか日本中の民謡を歌って踊ったりして、最後に東京音頭のBGMとともにふんどし姿の室伏広治が巨大凧に乗って登場して聖火をつける。使った花瓶や盆栽は開会式に参加した世界の偉い人のおみやげにして袖の下を渡す伝統文化も表現する。このようにいろいろな案を考えてみると、開会式に足りなかったのはふんどし姿の室伏広治だったのだとわかる。室伏広治は現在はスポーツ庁長官をしながら悪性脳リンパ腫の治療中だそうで、元気になってふんどし姿を披露してもらいたいものである。
2021.07.29
コメント(2)
![]()
恋人がいる少年がアラサーの夫人と情事して恋人と喧嘩する話。●あらすじ夏の休暇にブルターニュのカンカルの海辺にいる16歳のフィルと15歳のヴァンカは付き合っていて一緒に漁に行くものの、フィルはヴァンカの生意気さが気に入らなくて喧嘩して、9月に新学期が始まってパリに戻ったら別れることを予期している。フィルは道に迷った白衣のアラサーのダルレー夫人と知り合って、ジュースをもらったお礼に青いアザミを摘んで渡したら乞食か飢えた人しか愛さないからもう来るなと言われるものの、また会いに行って情事して朝帰りする。翌日フィルはヴァンカと漁に行くと、やさしいと思っていたヴァンカがカニを踏んだりアナゴを銛で突いたりするのを見て女々しく泣いて気まずくなる。フィルはダルレー夫人を愛していないけれど情事を続けたがるものの、ダルレー夫人は急に町を去ってしまう。フィルはパパからフィルとヴァンカが結婚するかもしれないので別荘を買うつもりだと言われて胃痛で倒れる。ヴァンカと二人で話すと、ヴァンカはフィルが朝帰りしたのを目撃してダルレー夫人と情事したことを知っていたと言って、フィルがヴァンカに自殺しないように頼んだら殴られて、情事する。●感想三人称で時系列順に展開する構成。堀口大学訳を読んだのだけれど、1ページ目を読んだ時点で小説の描写といえばこういうのやんけと感心した。ヴァンカの服装や体格や生意気な態度が十分に描写されていて、服のサイズがあっていなくてつぎを当てていることからあまり裕福でない家庭だとわかるし、こういうふうに描写が説明を兼ねていて情報量が多い描写の仕方はよい。作者は女性なので同性のヴァンカの書き方がうまいけれど、異性のフィルの思春期らしいつんつんした態度もよく書けている。イーユン・リー『千年の祈り』みたいに登場人物の名前を書いただけで人物を書いた気になって描写しない小説は私は気に入らない。人間を描写してこそ小説だろうと、小説の面白さを再確認できるような有意義な読書になった。昔の作家のほうが現代作家よりも描写がうまいのはリアリズムの影響を強く受けたというだけでなくて、電子機器まみれでバーチャルなんとかに耽って現実を見ない現代人よりもテレビやパソコンがなかった昔の人のほうが現実をよく観察していたからかもしれない。物語の構造としては三角関係で浮気してどうするのかという点だけで単純で、そのぶん心理の変化が見どころになるのだけれど、肝心の情事の部分を省略していてダルレー夫人の掘り下げが浅くて物足りない。ダルレー夫人がフィルとあまり会話しないまま物語の途中でいきなり退場したので、フィルにも読者にもダルレー夫人がフィルをたぶらかした理由がよくわからないままになっている。昔の小説なので情事を省くのはしょうがないけれど、なんでそうしたのかという動機の手掛かりくらいは書いてほしい。この小説は1923年に発表されたのでたぶん第一次世界大戦後の時代が舞台なのかもしれないし、ダルレー夫人も旦那が戦死して男に飢えていたとかなんか理由があるのだろうけれど、情報不足でよくわからない。生き物を殺すことに対するフィルの繊細さも戦争と関係しているのかよくわからない。発表当時の同時代のフランス人は戦前から戦後のフランスがどういう状況で何を考えていたのか書かれていなくても経験から分かったのかもしれないけれど、現代人にはよくわからない。フィルのパパが死についてちょっと言及したりフィルがヴァンカの自殺を危惧したりしているけれどそれだけではエロスと対照となるタナトスのテーマとしては不十分で、もうちょっと戦争を掘り下げたら思春期の性欲以外にも見どころができたかもしれないのに、時代背景を活かせていないのはもったいない感じ。ちなみに私はブルターニュがどこにあるかも知らなかったので調べてみたら、フランス北西部のイギリスの南にある半島の部分がブルターニュ地域で、5世紀ごろにローマ化したブリトン人が移住してブルターニュを建国して、なんやかやで1532年にフランスに併合されたそうな。舞台になったカンカルの画像を見てみたら海辺にみっしりと3-4階建ての家が並んでいて、100年前とはどう違うのかよくわからないけれど夏休みに遊びに行くにはよさげな感じである。★★★★☆【中古】 青い麦 集英社文庫/シドニー・ガブリエルコレット【著】,手塚伸一【訳】 【中古】afb
2021.07.26
コメント(0)
最近は小山田圭吾がオリンピックの開会式の作曲担当に選ばれたことで、過去に障碍者にうんこを食べさせたりしていじめた人がオリンピック・パラリンピックに携わってよいのかと批判が殺到して開会式を見ないことにした人もいるようである。他にも韓国のクレー射撃の韓国代表のキム・ミンジの後輩いじめが告発されて12年間の資格停止になったり、韓国女子バレーボールの主力の双子姉妹のイ・ジェヨンとダヨンが子供時代のいじめを告発されて代表から除外されて国際試合にも出場できなくなったりして、著名人の過去の言動がもとで現在の活動が制限される事例がいろいろあるので、キャンセルカルチャーについて考えることにした。●キャンセルカルチャーとはキャンセルカルチャーとは著名人の発言や行動を糾弾して、不買運動をしたりして排除しようとするボイコット行為である。アメリカのコールアウトカルチャー(悪事をした仲間を呼び出してシメる文化)の一種で、キャンセルカルチャーは2010年代ころからアメリカの若者で流行しはじめたそうな。なぜキャンセルカルチャーが流行っているのかというと、批判する相手が自分の仲間ではない著名人で、直接呼び出して殴ってシメてけじめをとらせることができないので、そのぶんSNSでボイコットを呼びかけるような間接的なシメ方をするのではないかと思う。エリートのコネがたくさんある金持ちと貧乏人がふつうに喧嘩すると貧乏人に勝ち目がないので、気に入らない著名人の商品や作品を単に買わない・見ないだけでなくて、SNSを使って問題を拡散して数の力で相手を高い地位から引きずり下ろすことが貧乏人なりの抵抗になる。●過去の言動を遡ることの正当性はどこまであるかいったんインターネット上に公開された情報が拡散されると削除が不可能になることをデジタルタトゥーという。人間が知識の欠如や意思薄弱などで行動や判断を間違うのはしょうがないけれど、間違った言動が記録として残り続けて他人に見られたくない黒歴史になるのが現代の問題である。昔の言動を批難してもこれから社会を良くすることにはつながらないし、その時々の状況によって言動は変わるので、人を判断するときは最新の言動に基づいて判断するべきである。例えば山口系義竜会会長の竹垣悟が古川組の盃を拒否して破門されて義竜会を解散して、特定非営利活動法人五仁會を設立して暴力団員の更生を支援している。あるいは財政均衡論の緊縮財政派だった人が政策の間違いに気づいて積極財政派に転換したりしている。これから社会を良くしようという人を批判しても過去の言動を変えられるわけではないし、過去の間違いを認めたうえで次に進むことを認めてあげないといけない。過去に間違ったからもう現代社会に参加する資格がないといわれてもしょうがないのは死刑囚くらいで、それ以外の人は間違いをリカバリーしつつ何かしら社会貢献して生きていくわけである。既に終わった出来事について批判するときは、何のために批判するのかという目的を忘れてはいけない。未解決の問題を解決したり問題の再発防止をしたりして建設的な議論をするために過去の言動を批判するのはよいけれど、著名人を中傷して憂さ晴らしすることが目的になってはいけない。●いじめへの反応としてのキャンセルカルチャー愛情ホルモンのオキシトシンは仲間意識を高める一方で仲間と価値観が違う人に対して排他的にもなるので、いじめは人間の脳の仕組みとして必然的に起きる。いじめといってもピンキリで、性格が合わないから無視したとかなら人づきあいの経験が乏しい未成年にはよくあることなのでたいした問題ではない。しかし暴行や恐喝などの刑事事件になるようなことをやって被害者のPTSDや自殺の原因になってもいじめが法的に裁かれないことが問題になる。加害者が刑事罰を受けていなくても被害者に謝罪や賠償をして当事者同士で決着がついているなら部外者がどうこういう必要はないけれど、キャンセルカルチャーの対象になるような著名人たちは過去にいじめた罪はあるのに罰をうけていなくて、部外者がその不公平に対して何らかの処罰をしてけじめをつけないと気が済まないので、過去の出来事に対して批判が殺到することになるのだろう。小山田圭吾はいじめの事実を認めたけれど、それで済ませて良いのか。悪いことをしたときの謝罪といえば被害者に対して精神的被害に相応する賠償金を払うのが筋で、被害者を無視して反省したと一方的に言うだけで済ませるのは誠意がない。小山田が現在は反省して直接被害者に謝罪したいと思っていようが、まだ被害者と和解していない段階でオリンピックに関わるのは不適切だと私は思うし、やるならせめて和解した後だろう。小山田を擁護している人たちは総じて被害者の視点が欠如している。Eテレの音楽監督のゴンドウトモヒコが「偉いよ小山田くん。受け止める。いい音出してこう!!!!!寧ろ炎上なんか◯◯喰らえ。」とツイートして即消ししたそうだけれど魚拓がとられて批判が殺到して、この人は仲間が批判されたことにだけ反応してうんこを食べさせられた被害者のことはどうでもいいのだろう。人権に対して感覚が鈍くて共感性が低い人が文化人気取りなのは情けないではないか。ミュージシャンが良識を否定してクレイジーな生き方をするのは個人の勝手だけれど、それなら人間の屑として評価されるのも受け止めるべきである。●国家規模のキャンセルカルチャー個人的ないじめよりも国家ぐるみの民族弾圧や宗教弾圧のほうが被害が深刻で、世界中の内戦は民族や宗教の違いが原因で起きている。欧州議会はウイグル自治区の人権問題が改善されない限り2022年の北京冬季オリンピックのボイコットを加盟国に求める決議をした。2008年の北京オリンピックのときはチベットの人権問題が改善されなかったし、ウイグルの人権問題に対して中国共産党の自発的な改善は無理な気がする。かといって欧米が中国に対して戦争を起こすわけにもいかないので、中国をみんなでボイコットして外交圧力をかけるキャンセルカルチャー的な手法がとられているのだろう。アメリカ先住民を虐殺したコロンブスの像が壊されたりしたのもキャンセルカルチャーの一種で、世界中の国家はこれから現在抱えている問題だけでなくて過去の蛮行も掘り返されることになる。しかしすでに当事者が死んでいる過去の出来事を現代の倫理観で批判しても過去を変えられるわけでもないし、問題があるならなるべく当事者が生きてうちに対応しないといけない。我々は過去の世界を生きるわけにはいかなくて状況は刻々と変わるので、過去を忘れてなかったことにするのでなく、過去に執拗にこだわるのでもなく、過去を踏まえたうえでどういう未来を作りたいのかが問われる。では少数民族を弾圧したり歴史を改ざんしたり香港の民主主義運動を潰した過去をもつ中国が世界の覇権をとった先にどんな未来があるのかというと、自国民さえ弾圧する中国共産党が外国に配慮するとは考えられなくて少数民族や宗教を持つ人が弾圧されて民主主義や人権がなくなる未来が見えるので、中国を世界の工場として便利に使って利益を得ていた欧米が強くなりすぎた中国を今更警戒しはじめた。中国は得意のハニートラップや賄賂を使って外国の政治家をたらしこむことはできてもその国の国民のことまでは考えないので、欧米だけでなくて一帯一路圏内の親中国家でさえ中国への庶民の反発が高まって、最近はパキスタンで中国人を狙ったテロが起きたり、南アフリカの暴動でチャイナタウンが襲撃されたりしている。テロよりはボイコットのほうが平和的なので、中国をボイコットすることで人権問題がちょっとでも改善したり、中国共産党のせいで不幸になる人が少なくなることを期待したいものである。●監視資本主義とキャンセルカルチャーが組み合わさる危険性現代ではパソコンやスマホからあらゆる行動や発言が情報収集されて監視されて、その情報が企業の利益になるようにCMなどで行動が誘導されている。例えばアメリカだとデータ分析をするうケンブリッジ・アナリティカという会社がFacebookでクイズを出して個人情報を収集して、特定の政治思想の人だけをターゲットにして広告記事を出してトランプ当選やブレクジットの意見誘導して個人情報を政治利用した疑惑がある。過去がデジタル化されて監視されることがアナログ世代とデジタルネイティブ世代の違いで、デジタルネイティブ世代は子供の頃からの言動がどこかの企業のデータとして残っているので、昔の事だから覚えていないとかの言い訳が通用しなくなって常に過去の言動が証拠とともに晒されて批判される危険がある。監視資本主義では単に企業に利益を誘導するだけでなくて、個人情報が悪用されると過去の言動を基にしたゆすりや脅迫が行われる危険がある。LINEの個人情報データに中国からアクセスできることが問題視されたように、政治や経済の敵対勢力に個人情報が利用されるのは危ない。イスラエルのNSOグループが犯罪監視用に開発したスパイウェアの「ペガサス」が外国の政府に販売されて、世界準のジャーナリストや活動家や弁護士の監視に使われていたそうな。個人情報が悪用されると、例えば選挙中に有望視されていた候補者の過去の差別発言とか愛人との密会がどこからかリークされて潰されたり、政治家の不正を調査していたジャーナリストが同様に潰されたりして、特定の国家や企業に都合のいいように世論が操作されて民主主義が機能しなくなる可能性がある。我々は誰かを批判するにしても、誰かの利益のためにキャンセルに加担するように行動を誘導されていないか気を付ける必要がある。●キャンセルされないためにはどうすればいいのか人間は文化や宗教の違いでそれぞれ価値観が違うので、万人受けする思想や言動はない。何をしても誰かから何かしらの批判がされるので、批判されるのはしょうがない。批判されたときにはどういう社会を作りたくてどういう言動をしているのか、信念を持って合理的で一貫した説明ができるかどうかが他人を納得させるうえで重要である。非合理的で信念にそぐわないものをプロジェクトのメンバーからはずせば、大勢の反感を買ってプロジェクト自体がキャンセルされにくくなる。特に芸能人やインフルエンサーは反社会的勢力とつながって犯罪に加担したり薬物をやっていたりするので、映画やCMに起用したりするときは素行を調べないと一人の問題ある言動のせいで関わった作品や商品がすべてキャンセルされかねない。例えば小山田の件では、小山田の発言を把握していたのかという質問に対するオリンピック組織委員会の回答は「小山田氏の当該の過去の発言については、組織委員会として把握していなかったが、不適切な発言である。一方、小山田氏本人はこの取材時当時の発言については後悔し反省しており、現在は高い倫理観をもって創作活動に献身するクリエーターの一人であると考えている。開会式準備における小山田氏の貢献は大変大きなものであり、1週間後に開会する東京2020オリンピック開会式に向けて、引き続き最後まで準備に尽力していただきたいと考えている。」というものである。小山田のいじめは調べればすぐにわかるくらい有名なので人物調査をしないまま採用したことがそもそものミスだし、オリンピック開催一週間前になってもう取り換えが効かなくなってからメンバーを発表したのがふたつ目のミスである。このように小山田を人物調査せずに採用して一週間前に発表する合理的な理由が説明されていないし、小山田が反省して何か贖罪のアクションをしてきたわけでもなくて批判されたから場当たり的に謝罪したようで信念がないし、大会組織委員会が障碍者の人権を重視する信念がないので、たいていの人は納得しなくて開会式を見ないというわけである。大会組織委員会の説明に納得しない人たちに開会式を見てほしかったら小山田を外すしかない。そんで障碍者団体に批判されて外国メディアに報道されて結局小山田が辞任したけれど、これに対して小山田のいとこの田辺晋太郎が「はーい、正義を振りかざす皆さんの願いが叶いました、良かったですねー!」と挑発的ツイートをして製品開発をしているヤマサの不買に飛び火した。個人の意見の表明は自由だけれど、これも信念に基づく合理的な意見でなくて単に身内をかばうだけなので炎上して、ツイートを削除して謝罪した。批判されたら反論できずに即意見を取り下げて謝罪するような意見はそもそも表明する価値がない意見だし、キャンセルの対象になりたくないのなら批評家でないビジネスマンは巷の敏感な話題に意見を表明しないほうがよい。不祥事続きのオリンピック関連ではスポンサーも批判されていて、その中では最高位スポンサーでありながらCMを放送しないことにしたトヨタが株をあげていて、オリンピックが大衆に支持されていないことを把握して批判される前に自粛することでキャンセルの対象になることを防いで企業イメージを守っている。一般人は著名人程過去の言動を掘り起こされることはないけれど、それでも気をつけるに越したことはない。著名人と違って一般人は匿名でSNSを使えるので、匿名で意見を発信することで私生活を守ることができる。例えば顔を出さないYouTuberは不細工なのではなくて、炎上リスクを管理しているのである。それに古いSNSの投稿は残しておいてもGoogleの検索にひっかからなくなってほとんどの人は見ないので、何年か経ったら投稿を個人的なアーカイブに保管したり消したりして、SNSを垂れ流すのをやめて過去を掘り起こされないように自衛することがこれからの時代に必要かもしれない。
2021.07.18
コメント(0)
オリンピックが近づいてきて巷ではボート以外のスポーツに対して関心が高まっていると思うので、スポーツ系フィクションについて考えることにした。●スポーツ系フィクションの特徴スポーツ系フィクションはチームメイトと練習して仲よくしたり反発したりして心理的な葛藤があって、試合で勝ったり負けたりして感情を昇華するのが見どころになる。アマチュアスポーツは青春スポ根の展開が多くて、プロスポーツはトレーニング方法や戦術の解説やスポンサーとの関係などのプロの事情を掘り下げた展開になる。読者がそのスポーツをよく知らないことが想定されるので、読者にルールを紹介してスポーツ自体に興味を持って理解してもらうことも必要になる。それゆえに主人公が読者と同じ目線で何も知らない新入部員として学校の部活動に入部するところから物語が始まって、先輩や監督からいろいろ説明してもらうパターンが多い。プロスポーツだと新人としてデビューするところから物語が始まったりする。●スポーツ系のフィクションのメリット・スポーツ自体が面白い対戦型のスポーツは相手との駆け引きがあって試合自体が面白いので、スポーツを主題にするだけでそれなりに面白い話になる。特に柔道やボクシングなどの格闘技系のスポーツは見せ場が多いので人気になりやすい。・勝ち負けがわかりやすいバトル系フィクションだと勝負は一旦おあずけだみたいな勝ち負けが中途半端な展開になりがちだけれど、スポーツの試合だと勝ち負けがはっきりするので、勝ってうれしいとか負けて悔しいとか、感情がわかりやすくて読者が共感しやすくてカタルシスがある展開にできる。・成長や心理を描きやすいスポーツ系フィクションは一戦だけで終わりという事はなくて、勝ったり負けたりを繰り返すうちに主人公の精神や技術が成長していく様子が描ける。勝って終わりでなくて成長した様子があるので、読者はなんかいい話を見たような気分になれる。シリトーの小説『長距離走者の孤独』は一番速く走ってもゴールすることを拒む若者の反抗心を見せ場にしていて、勝ち負け以外の心理描写も見どころになる。・天才を登場させやすい天才は物語を作者の思い通りに展開するためのご都合主義の一種で、やりすぎるとリアリティがなくなるけれど、スポーツ界は若いうちに非凡な才能を発揮する人が多いので、天才を登場させてもあまり不自然でなくなる。陸上漫画の『スプリンター』は主人公が天才経営者かつ天才スプリンターでご都合主義要素がてんこ盛りだけれど、地位を捨てて人間性をなくしても速さを追及する前振りとしてそれなりに機能している。・魅力的なライバルを登場させやすいスポーツだと試合で誰かと競うのが見せ場になるので、異世界転生して俺ツエーみたいな主人公の独りよがりな展開になりにくくて、ライバルも主人公と同じくらい魅力的になる。バスケットボール漫画の『黒子のバスケ』で敵チームのライバルたちが人気があったように、主人公やチームメイト以外のライバルキャラクターの人気を作品の人気につなげやすくなる。・凡人でも魅力を出せるスポーツで練習を頑張ったことやチームメイトと青春を満喫することを美化できるので、試合で結果を出せない凡人でもそれなりに魅力的に描ける。例えば柔道漫画の『もういっぽん!』は平凡な女子高生が元気に柔道をやる話で、運動部員の日常系の展開である。・キャプテンや監督などのメンターがいて物語を展開しやすいチームスポーツだとすでにある程度の役割分担ができているので、作者が役割をいちいち考えなくても話を作りやすい。キャプテンや監督が有望な新人を育成したりチーム内の不和を解決したりする展開にできて、ストーリーの調整役や場面の解説者として機能するのでストーリーが破綻しにくくなる。例えばボクシング漫画の『はじめの一歩』なら先輩ボクサーの鷹村や鴨川コーチが新人ボクサーの一歩を日本チャンピオンになるまで引き上げる役割を担っていた。サッカー漫画の『キャプテン翼』のように主人公がキャプテンというパターンだと、キャプテンとしてチームメイトの良さを引き出しつつ主人公がパスを受けてシュートを決めて見せ場を作る展開にできる。サッカー漫画の『GIANT KILLING』は監督が主人公で、チームの不和やサポーターの不満を解消しつつ若手エースの椿をどう育成するかが見どころになっている。・女子マネージャーがいて恋愛方面に展開できる男子のスポーツだと紅一点の女子マネージャーがヒロインになって、主人公を励まして恋愛方面に物語を展開することもできる。例えば野球漫画の『タッチ』の浅倉南やバスケットボール漫画の『SLAM DUNK』の赤木晴子などは典型的な美人マネージャーで、主人公がマネージャーに惚れて頑張って青春するパターンである。一方で女子のスポーツだとマネージャーも女子なので同性愛でないとこの恋愛パターンは使えなくて、マネージャーでなくて男子の先輩や監督と恋愛するパターンになる。・脇役にも見せ場があるチームスポーツだと必ずしも主人公だけを書く必要がないので、脇役のエピソードをメインイベントの合間の繋ぎに使ったりして有効活用するとネタ切れしにくくなる。●スポーツ系フィクションのデメリット・登場人物が多すぎる野球やサッカーのような人数が多いチームスポーツだと、主人公チームだけでなくて試合相手のチームの登場人物も設定を考えないといけなくて手間がかかるし、読者も登場人物を覚えきれない。例えば普通の高校の野球部で1-3年の部員、同級生、OB、応援団、主人公の家族、相手チームまで関係者が何十人もいるので、1試合書くために大勢の人物を登場させないといけなくてなかなか話が進まない。部活動系のフィクションで部員数が少なくて廃部寸前の弱小チームという設定が多いのはたぶん登場人物を減らすためだろうし、何かしら工夫して登場人物を取捨選択する必要がある。・先の展開が読めてしまう不良がスポーツで更生するとか、大事な試合の前に怪我をするとか、すごい助っ人が加わるとか、急に才能が覚醒するとか、ハンデを乗り越えて最後は勝つとか、盛り上がるストーリー展開がある程度パターン化しているので、フィクションをよく読む読者には既視感があって先の展開が読めてしまう。・人気のスポーツがやりつくされている学校の部活動やプロスポーツになっているようなたいていのスポーツはすでにフィクションになっているので、これからフィクションを作るときには他の作品にネタを取られていて新しい展開を作りにくい。『ドカベン』や『キャプテン翼』はアマチュア編で人気が出てプロ編まで何十年も続いているけれどマンネリになっていて、昔からのファンは惰性で読むだろうけれど新規の読者はつかない。かといって競技人口が少ないマイナースポーツを物語にしても人気が出にくいので、いろいろなスポーツの中から主題を選ぶのが難しい。新機軸を打ち出すならLGBTがらみにするとか、障碍者スポーツを主題にするとか、昔のスポーツを主題にするとか、プロ引退後の生活を主題にするとか、スポーツ用具メーカーを主題にするとか、架空のスポーツを考えるとか、何かしら工夫をしないといけない。サッカー漫画の『フットボールアルケミスト』は移籍交渉の代理人が主人公という特殊な設定だけれど、特殊なぶん話が広がらなかったのか中途半端なところで打ち切りになったようで、設定が新しくても王道を外れるのはそのぶん引き出しが少なくなって展開が難しくなる。最近は『ウマ娘』がゲームや漫画やアニメでメディアミックスしていて人気だけれど、これは競馬を基に萌え擬人化した二次創作のようなものなので私は評価しない。オリジナル作品を作るネタが枯渇するとこういうのが出てくる。『ウマ娘』が飽きられたらF-1を萌え擬人化したクルマ娘とかが出てくると思う。・動作を描写するのが難しいスポーツ系フィクションはストーリー展開を考えるのは比較的簡単なものの、道具を扱ったりする細かい動作が多いので、小説だと文章で場面を描写するのが難しいし、漫画だと文章よりは絵で場面を伝えやすいけれど躍動感を出すのが難しい。『SLAM DUNK』でNBAの写真からポーズをトレースしていたのが問題視されたように、写真をみながら描かないと動作中の姿勢とか筋肉の張り具合とかの細かい描写ができない。サッカー漫画の『フットボールネーション』は人物に躍動感がなくて物足りない。・男女の問題スポーツは男女の体力差があって体力が劣る女子スポーツはあまり盛り上がらないので、たいていのスポーツ系フィクションは男子スポーツが主題になっている。例えば野球やサッカーのフィクションは多いけれど、女子ソフトボールや女子サッカーのフィクションはあまりない。柔道漫画の『YAWARA!』みたいに女子スポーツで主人公が活躍する展開のヒット作もあるけれど、リアル路線はかわいい女子キャラクターが好きな二次オタクにはウケない。・読者は必ずしもスポーツが好きなわけではない漫画雑誌には1枠くらいスポーツ系があるけれど、『テニスの王子様』や『黒子のバスケ』とかのファンはスポーツが好きというよりはかっこいいキャラクターが活躍するのが好きでグッズや二次創作を漁るような腐女子で、スポーツが主題だからといってスポーツが好きな読者層に訴求できるわけでもない。一方でロードレース漫画の『弱虫ペダル』は絵にクセがあってキャラクターがイケメンなわけでもないけれど女性に人気が出てロードバイクに乗る女性が増えて、これは作者も予想外だったそうな。スポーツ自体の面白さを掘り下げれば人気が出るのか、キャラクターの魅力を掘り下げれば人気が出るのか、需要の見極めが難しい。・スポーツ自体が飽きられつつあるテレビやラジオくらいしかメディアがなかった頃はスポーツ観戦は何時間か暇をつぶすのにちょうどよかったのだけれど、スマホが身近にあって様々なコンテンツが時間の奪い合いをしている現代では野球やサッカーやテニスは試合時間が長いとファンから文句が出始めた。子供は塾で忙しくて部活動をやらなくなってゲームやYouTubeなどの細切れに時間を使える娯楽に興味がシフトして、少子化で少年野球のメンバーが集まらなくなったり、ゴルフ選手が高齢化して注目の若手選手がいなくて人気がなくなったりしているので、いまさら落ち目のスポーツをフィクションにしても人気がでにくい。・所詮フィクションにすぎないアメリカだとスポーツ系の映画が多いけれど、『タイタンズを忘れない』とかの伝記映画が多い。たいていのスポーツは欧米が発祥で歴史があって名選手がたくさんいて名場面がたくさんあるので、ストーリーに手を加えなくても名場面を再現するだけで面白いし、石橋貴明が出演した『メジャーリーグ』とかのフィクションだと現実よりもリアリティがなくなるぶん面白さが劣ってしまう。他にだめな例を挙げると、小説の『神様がくれた背番号』はホームレスのおっさんが神様に世界で一番野球がうまくしてもらって阪神タイガースに入団して活躍する話だけれど、阪神ファンは実在の選手が好きだろうからご都合主義で阪神が活躍するフィクションに興味ないと思うし、選手に密着したノンフィクションのほうがファンが興味を持つと思う。逆に言えば歴史が浅くて人気選手がいない競技ならフィクションの天才が現実の選手よりも魅力的になれる可能性があるけれど、上記のように人気のスポーツはやりつくされているしマイナースポーツは人気が出にくい。●私が好きなスポーツ系のフィクションスポーツ観戦は特定のチームや選手を応援するとかの思い入れがないと面白くないものだけれど、私は特に好きな選手がいるわけでもないのでスポーツ観戦はしない。サッカーで絶妙なシュートが決まったとか柔道で一本をとったとかならすごいとは思うけれど、だからといってその選手を好きになるわけでもない。というわけで私はスポーツ観戦よりもスポーツ系フィクションのほうが娯楽としてなじみがあって、私は人間の物語が好きなのであってスポーツ自体はそんなに好きでないといえる。そんで私は漫画の『じゃじゃ馬グルーミン☆UP!』が気に入っていて、これは都会の青年が親の反対を押し切って北海道の競走馬の牧場で働きつつ恋愛する話だけれど、騎手のエピソードもあるので一応スポーツ系と言えるかもしれない。主人公が世話をした馬のレースの結果に一喜一憂して感情が豊かで、恋敵が登場して恋愛のすったもんだがあって、馬がかわいくて、読者が知らない生産者や騎手や馬主の世界が見れるのがよい。ちなみに私はゲームの『ダービースタリオン』も楽しく遊んだけれど、実際の競馬はテレビで見ないし、競馬場にも行ったことがない。いつか競馬で賭けて損しても懐が痛まないくらいの金持ちになったら競馬場に行ってみたいものである。
2021.07.12
コメント(2)
東京オリンピックの開会式の7月23日の夜にボートの予選があるけれど、日本の98%くらいの人はボートに興味がないと思うので、元ボート部の私くらいはボートのことを考えてみようと思ったのだった。●ボートとは何かボートは1900年の第2回オリンピックから採用されている伝統ある競技である。ボートは1715年のイギリスのテムズ川の船頭の賭けレースが人気になって、沼や湖や川が多いヨーロッパやアメリカでも人気になって各大学にボート部が作られてスポーツとして定着した。1829年にケンブリッジ大学とオックスフォード大学の大学対抗ボートレースが行われてからは両校の対戦が恒例になって、ボートは良家のぼっちゃんがやる伝統的なスポーツになっている。欧米に倣って作られた日本の大学でも紳士のスポーツとしてボートが採用されたので、ボートが日本で一番古い部活で、1883年から東大と筑波大学が対抗ボートレースをやるようになって、夏目漱石も東大でボートを漕いでいたそうな。オールの種類は二種類あって、一人で一本の太いオールを漕ぐタイプ(スイープ)と、一人で左右二本の細いオールを漕ぐタイプ(スカル)がある。漕ぎ手の人数は一人、二人、四人、八人のタイプがあって、コックスという舵手がいるタイプといないタイプがある。競技用ボートはシェル艇という底が丸いボートを使うけれど、初心者用にはナックル艇という普通の船の形に近い重くて転覆しにくいボートがある。●ボートの大変なところ・左右を均等の力で漕ぐのが難しいボートは漕ぐときに左右の力が均等でないとまっすぐ進まない。しかしたいていの人は利き腕の力が強いので、不器用な人がボートを漕ぐと力が弱い側に曲がっていく。コメディとかでボートを漕いで同じところをぐるぐるまわる場面があったりするけれど、片手の力が弱いとああいう感じになる。特にシングルスカルという一人乗りのボートだと左右の力の違いが顕著に出る。・水面が平らでないので漕ぐのが難しい風が吹くと水面に波が立って、オールを漕ぎ終わって戻す時に水面にぶつかるとスピードをロスするので、オールがぶつからないようにしないといけない。戸田漕艇場みたいな整備された漕艇場と自然の湖や川では漕ぐ環境がだいぶ違っていて、川は一番環境が過酷で、川の上流から頻繁に流木とか水草の塊とかが流れてくるのでオールがぶつかったり絡まったりするとバランスを崩して転覆する危険があるし、Uターンするときにボートの側面に川の流れが当たってバランスを崩しやすいので方向転換も注意が必要である。オリンピックの会場として整備された海の森水上競技場は海の近くで風が強くて波が立つのでボートには向いていないと批判がある。これはサッカーの芝生がでこぼこだったり陸上のトラックがでこぼこだったりするようなもので、競技場としてはだめだろう。・方向の調整が難しいボートは漕ぎ手から見て後ろ向きに進むので、進行方向を確認するのが難しい。コックスがいるタイプのボートはコックスが舵をとって方向を調整するので方向転換がしやすいけれど、シングルスカルやダブルスカルとかのコックスがいないタイプのボートだと航跡から進路を確認して左右のオールの力加減を工夫して方向を調整しないといけない。・天気が悪いと練習ができない雨の日や風が強い日はローイングエルゴメーター(通称エルゴ)という数万円もする特殊なマシンで紐を引っ張って筋トレするけれど、実際にオールを持って漕ぐ感覚とは違うので、エルゴだけだとあまり練習にならない。・クルーが全員そろわないと練習ができないボート選手は単に体力があればいいわけではなくて、他のクルーとタイミングを合わせて漕がないといけないので、同じクルーで一緒に練習する必要がある。サッカーみたいにポジションごとに個別に練習するわけにはいかなくて、一人乗りのシングルスカル以外は一人でもクルーが欠けると練習にならなくて部活を休めないので、学校の部活としてはきつい。・トイレに行けないボートはいったん水上に出てしまうと接岸できるところに戻るまでトイレに行けない。急に雨が降って寒くなったりしてもボートには上着を置く場所がなくて体温調節がしにくいので、トイレが近い人には大変である。・船の整備が面倒くさいボートは普段は艇庫に格納されていて、漕ぐときはボートを肩に担いで水辺まで人力で運ばないといけない。漕ぎ終わったらボートやオールを水洗いして雑巾で拭いて汚れをとって艇庫に戻すので、準備と後片付けに時間がかかる。・手がまめだらけになるそれぞれのスポーツには特有のけががあるけれど、ボートの場合は手に負担がかかってまめだらけになる。まめがやぶれても治る前に練習するので、私は両手が血まめだらけになった。あとボートの座席は座り心地がよくないので尾てい骨が痛くなる。●日本でボートの人気がない理由欧米ではボートは大学創設時からある伝統的なスポーツとしてイメージがよくて人気があって競技人口が多くて、オリンピックだと1か国で男女それぞれ最大24名が出場できるので、陸上、水泳に次いで多数の選手が出場するそうな。ヘミングウェイの『武器よさらば』の終盤で主人公が恋人とボートを漕いでスイスに逃げる場面があるように、自然の中で恋人と二人きりでボートを漕ぐことにロマンチックなイメージもある。一方で日本はレースに使えるような大きな川や湖があまりないし、日本の川は川幅が狭くて流れが早くて曲がりくねっているのでカヌーには向いているけれど直線を漕ぐボートのレースに向いていない。それゆえに学校が大きな川や湖の近くでないとボート部自体がなくて、競技人口が少ない。ボート選手登録人数は9000人で、登録していないボート人口を入れても2万人程度しかいないそうな。ボートやエルゴは何十万円もして個人の趣味で所有できるものでもないので、部活以外でボートを漕ぐ人もいない。ボート部をテーマにしたフィクションだと『がんばっていきまっしょい』や『レガッタ~君といた永遠~』とかの映画やドラマがあったけれど、フィクションを見てボートに興味をもったところで学校にボート部がなければやりようがないので、ボート人口の増加につながらない。それにボート部はほとんどの大学でスポーツ推薦の対象外なので、高校で部活に打ち込んでインターハイに行っても報われない。さらにユニフォームが風の抵抗を受けないようにぴちぴちなので股間がもっこりしていて思春期の男子は気まずい。ボートはもともとはテムズ川の船頭の賭けから人気が出たのに、賭けの部分は笹川良一が作った競艇にとられて、競艇が人気になる一方で賞金や賭けがない手漕ぎボートレースはあまり盛り上がらなくて観戦する人がいないし、ボートのトップ選手になったところで他のプロスポーツ程稼げるわけでもない。というわけでボートは人気が出ない条件がそろっている。せめて賭けがあれば競艇や競輪くらい人気があったかもしれない。TVerのTOKYO 2020特集だと「人々の心に刻まれたオリンピックの感動シーンの数々をお届けします」と書いてあるけれど、ボートの動画が一つもない。ボートは1900年の第2回オリンピックからずっと競技として採用されているのに、感動シーンが一つもないのである。なんてこった。もし東京オリンピックでも誰もボートに興味を持たないようなら、この先ボートが人気になる可能性はないと言っても過言ではない。とりあえずユニフォームだけでも格好よくしてもっこりを改善するほうがよいと思う。
2021.07.06
コメント(2)
最近は飲酒運転したトラック運転手が小学生の列に突っ込んで死傷したり、荒川で酒を飲んで遊んでいた少年が双子の弟を川に突き落として溺死させたり、YouTuberが緊急事態宣言中に宴会をして批判されたりして、酒が絡んだ事件が起きているので、酒について考えることにした。●酒とは何か酒はアルコールを含む飲料のことで、ビールなどの発泡性酒類、清酒や果実酒やワインなどの醸造酒類、ウイスキーやブランデーやスピリッツなどの蒸留酒類、合成清酒やみりんやリキュールなどの混成酒類に分類される。●酒の歴史世界中の文明で紀元前から酒が作られている。穀類や木の実を噛んででんぷんを糖化させたものを吐き出して貯めて発酵させた口噛み酒や、果物を発酵させた果実酒が世界各地で作られてきた。酒は水やジュースと違って殺菌や酩酊の特殊効果があるので、すごい飲み物として賞賛するか、人をダメにする飲み物として否定するか両極端の反応になる。神道のように酒を神聖視して神に供えたり、キリスト教のようにワインがイエスの血として扱われてミサでパンとワインを分けるのが宗教儀式として定着したり、イスラム教のように酒全般を禁止することもある。飽食の現代と違って昔はおいしいものをたくさん食べることが贅沢だったので、貴族が食事に酒を取り入れるようになって、献上品として上等な酒が造られるようになって、神事や祭りや祝い事などで酒が振る舞われて食文化として定着した。職人が酒蔵で手作りしていたころは生産量が少なかったものの、産業革命以後に工場ができると大量生産されて酒が安価になって品質も安定して庶民に普及して、ワインやウイスキーなどの高級品は輸出品として取引されるようになって、数が限られるヴィンテージ酒は高値で取引されるようになる。●酒のメリット・マリアージュで料理がおいしくなる酒は甘口から辛口までいろいろあって、多様な料理に合う。揚げ物や味が濃い食べ物にはビールが合って、炭酸で胃がすっきりするので食欲も増進する。・調味料として料理がおいしくなるワインは洋食のソースとかに使われるし、日本酒やみりんは和食の煮物に使われるし、ラムは洋菓子やアイスに使われていて、酒は飲み物としてだけでなくて調味料として使ってもおいしい。・血行を良くする寒い地域だと体を温めるためにアルコール度数が高い酒が好まれていて、ロシア人がウォッカが好きなのが典型的である。スイスの山岳救助犬のセントバーナードの首の樽にはアルコール度数が高いラム酒やブランデーが入っていて、酒で遭難者の体温を上げて救助したそうな。・気分がよくなってコミュニケーションを促す居酒屋は雰囲気が賑やかで、自宅で飲むのとは違う雰囲気だからこそ飲食を楽しめる。バーやクラブはおしゃれな雰囲気で酒を飲みながら店員と会話を楽しむこともできる。●酒のデメリット・脳に悪影響を及ぼす酔うと理性をつかさどる前頭葉が鈍って認知能力や判断能力が低下する。それゆえに酔った状態で車の運転などの複雑な操作や即座の判断が必要な動作をすると、操作ミスや判断ミスで大事故につながる。飲酒量と脳委縮には相関関係があって、飲酒量が増えるほど脳が委縮する。・二日酔いになるアルコールの分解には時間がかかるので、翌日まで酒が分解しきれないと二日酔いになって仕事のパフォーマンスが落ちる。・健康に悪影響を及ぼす酒はカロリーが高いので肥満につながって糖尿病のリスク要因になるし、肝臓に負担がかかるので脂肪肝や肝硬変にもなるし、動脈硬化で高血圧になって脳梗塞や脳出血になったりする。・アルコール依存症になるストレス解消のために普段から大量に飲酒していると、アルコール依存症になって自分の意志で飲酒量をコントロールできなくなる。アルコールが抜けると手の震えとかの離脱症状がおきて、しゃっきりするためにまたアルコールをほしがるというループになる。・ハラスメントにつながるアルコールの分解能力は遺伝的に人によって違っていて、酒に強い人とか、醸造酒は飲めるけど蒸留酒は駄目な人とか、その逆とか、まったく飲めない人とかがいる。その体質を無視して酒に強いのがすごいことのような非科学的な変な価値観を持っている人が威張り散らして他人に酒を強要する。これを断れなくて自分の本来のアルコールの分解速度に合わないペースで酒を飲むと急性アルコール中毒になったりする。・酔っ払いが近所の迷惑になる酔っ払いは汚い、うるさい、暴力的で周りに様々な被害をもたらす。繁華街の周りにはたいていゲロが落ちているし、酔っ払いの喧嘩も多くてしばしば殺人事件に発展する。学生街は民度が低くて深夜に民家の敷地にゲロをしたり立小便をしたり大声で騒いだりする学生がいる。終電で酔っぱらって寝ゲロをしてゲロまみれになっているサラリーマンや、ストレスをためすぎてブチギレて叫んでいるサラリーマンもいる。タクシーで暴れたりゲロを吐いたりする酔客もいる。沖縄だと酔って路上で寝て車に轢かれる人がいる。●酒の害の制御が不十分な問題酔って暴力をふるう人が大勢いて、飲酒運転の死亡事故がたびたび起きて、アルコール依存症になる大人がけっこういて、急性アルコール中毒で死亡する学生やBBQで酔って川で溺死するDQNがたまにいて、酒のデメリットが大きいのになぜ禁止されないのかと言うと、食文化の一部として定着しているので禁止したときの飲食店や製造業への影響が大きいし、他の麻薬ほど依存度がないし、アメリカの禁酒法でギャングが禁酒法に賛成した裏で密造酒を売って儲けていたように違法にすることで反社会的勢力の資金源になってしまうし、製造が比較的に簡単なので禁止したところで密造を取り締まりきれないので、今更禁止する流れにはならない。それゆえに酒自体を禁止するのではなくて、酒を飲んだら車を運転してはいけないとか、酒の販売店で年齢確認をして未成年に酒を売らないとか、泥酔している人は警察が保護するとかの法律の運用で酒の害を制御することになる。しかし警察が毎日飲酒検問をして交通渋滞を起こすわけにもいかないので、飲酒運転を取り締まり切れていない。飲酒運転した人が事故後に逃げて大量の水を飲んで飲酒を隠蔽しようとすることが問題視されて2007年に自動車運転過失致死傷罪が新設されて厳罰化されたけれど、厳罰化がかえってひき逃げを誘発することになって防止効果は疑問視されている。既存の法律の運用だけでは飲酒運転の悲惨な事故を十分に防げていないのだから、何か他の対応する必要があるだろう。例えば運転席の呼気からアルコール濃度を検出して車が動かなくなるようにしたりしてハードウェアで制限をかけるとか、バス会社やタクシー会社で毎日運転手のアルコール濃度チェックをやっているのを他の業種の運転手にも義務付けるとか、飲酒運転で免許取り消しになったら免許の再取得を不可能にして二度と運転する業務につけなくするように罰則を厳しくするとか、飲食店に一人で来た客が飲酒する時の店側の確認を強化するとか、会社の制服や作業服を着ている人は仕事中とみなして量販店で酒を買えなくしたり飲食店での酒の提供を店が断れるようにするとか、アメリカみたいに車内での飲酒を禁止してトランク以外の車内に開封済みの酒の容器があったら罰金をとるとか、単に交通事故の罰則を厳しくするのでなくて複合的な対策で飲酒運転を社会からなくす必要があるだろう。●芸術と酒芸術家には酒好きがけっこういる。ヘミングウェイがアブサンやモヒートを好きだったり、ビートジェネレーションが酒を飲みながら小説を書いたように、作家は酒やドラッグから着想を得ることがある。何年物のワインがどうのこうのといううんちくも小ネタになることがあるけれど、酒に詳しいからといってよい小説になるわけでもない。音楽は酒と相性がよい。EDMだと歌詞の内容はどうでもよくて、パーティーピーポーが飲んで騒ぐのにちょうどいいようなノリがいい曲が作られている。演歌だと「舟唄」みたいにしみじみ酒を飲むのが渋くてかっこいい大人像として表現されていて、酒が好意的に扱われている。●私は酒があまり好きではない私は別に酒が嫌いなわけではないけれど、好きなわけでもない。実家に梅とかりんの木があるので自家製の梅酒とかりん酒は飲むし、夏に冷たいビールを飲みたくなるし、カルーアとかモーツァルトとかの牛乳で割る甘い酒は好きだけれど、自分で買ってまで飲みたいとは思わないので貰い物の酒ばかり飲んでいる。そもそも私は脳のパフォーマンスを落としたくない。私は起きている間は寝る直前まで本を読んだりギターを弾いたりして何かしら活動したいので、他に用事がなくてあとは寝るだけというときくらいしか酒を飲まないのであまり酒を飲むタイミングがない。それに私は都会を信用していなくて酔った状態で帰宅するのは避けたいので、飲み会に参加しても外ではあまり酒を飲まないようにしている。都内の大きな駅の付近だと夜にキャバクラとかの違法な客引きが酩酊した人を自分の店に案内する光景を見かけるけれど、たぶんぼったくられているのだろう。飲み会で楽しく談笑しても酔って翌日に会話の内容を忘れてしまうのでは意味がないと思うので、私は夜の飲み会よりも昼のお茶会のほうが好きである。それに酒に栄養があるわけでもないので、貧乏人がお金をかけるなら酒よりも食べ物のほうを優先する。親がお中元かなんかでもらった5千円くらいのワインを飲んだらろくにワインを飲んだことがない貧乏舌でもわかるくらいおいしかったのだけれど、貧乏な家庭にはマリアージュするような凝った料理があるわけでもないので、酒だけあってもしょうがない。酒のフルーティーな味わいがどうのこうのというより直接フルーツを食べたりジュースを飲んだりするほうがコスパがよい。缶チューハイとかのアルコールに香料を足したような安酒はまずいので飲まないほうがましである。あと正月に親戚に挨拶しにいくと行く先々で酒を出されるのも嫌である。酒を飲むなら自分の好きなタイミングで好きなつまみを用意してリラックスして飲みたい。それに私は酔っ払いに絡まれるのが嫌いである。野外ライブとかの楽しいイベントでも酔っ払いに絡まれると台無しになる。酒を飲んで騒ぐ人はストレスが発散出来て楽しいのだろうけれど、そのぶん周りが迷惑している。紳士淑女はいかなるときでも理性と礼節を持つべきで、酩酊した人とは社交をするに値しない。衣食が足りても酒を飲んで礼節を忘れてしまうのがストレスが多い現代人の生き方なのだろうけれど、果たしてそれは豊かな生活といえるのか。礼節を忘れて人間性を失うのなら酒を飲まないほうがましである。最近はサッカー選手のポグバが記者会見でハイネケンを机からどかしたことが話題になって、イスラム教徒の選手に対してはスポンサーのハイネケンのビールを置く必要がなくなったりして、スポーツ界でも酒に対して配慮する方向になっている。その一方でプロ野球で優勝したチームがビールかけをするのは意識が低くてみっともなくて昭和っぽい時代遅れの祝い方なのでやめるほうがよい。プロ野球選手はファッションセンスだけでなくて酒の扱い方もださいので、ビールをかけあってふざけるのでなくて子供の手本になるように紳士にふるまうべきだろう。
2021.07.01
コメント(3)
全6件 (6件中 1-6件目)
1

![]()
