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アメリカの森の中で暮らした一家の出来事を幼女の目線から書いたエッセイ。●あらすじ北アメリカのウィスコンシン州のオオカミやクマがいる森の中にぽつんとある丸太小屋で、5歳のローラは両親と姉のメアリーとブルドックのジャックと猫のブラック・スーザンと一緒に住んでいた。ローラは父親が鹿や豚を解体する様子を眺めたり、母親がバターを作る様子を眺めたり、離れたところに住む祖父がパンサーに追われた話を聞いたり、父親が鉛を溶かして銃弾を作るのを眺めたり、クリスマスにいとこの一家がやってきたり、安息日に退屈したり、クマに襲われかけたり、砂糖雪が降るとメープルが葉を出すのを控えて樹液がとれるという話を聞いたり、祖父の家のダンスパーティーで南北戦争に行って荒くれ物になったジョージおじさんのダンスを見たり、春になってペピンの町に行って買い物したり、夏になって母親のチーズ作りを眺めたり、父親とヘンリーおじさんのカラス麦の取り入れをしていたら嘘つきのチャーリーがスズメバチに刺されたのを眺めたり、新しく発明された脱穀機での麦の脱穀を眺めたり、父親がシカ狩りに行ってシカに見とれてシカを仕留めずに帰ってきた話を聞いたりした。●感想三人称で、作者が自分の子供時代の日常のエピソードを書く展開。著者が60歳を過ぎてから書いたそうだけれど、自伝として一人称で書かずに三人称で書いたのは、大人目線で過去を懐古するのでなくて子供の読者を想定して子供目線で体験を伝える狙いがあるのかもしれなくて、このやり方はうまくいっている。個々のエピソードは独立していて全体として物語の筋があるわけではないので、ストーリーの面白さと言うより南北戦争後の19世紀後半のアメリカの生活や自然の様子に博物的な面白さがあって、一つ一つの出来事を丁寧に書いているのがよい。母親のバターづくりとか父親が狂犬ごっこして追いかけてくるとかの現代の小説やエッセイでは省略されるような些細な出来事に家庭の幸福な様子が感じられる。父親が鉛を溶かしてぴかぴかの銃弾を作ってローラが触ってみてやけどするエピソードがあるけれど、私も似た体験があって、子供の時に親戚の漁師が鉛のパイプを鍋で溶かして鋳型に入れてぴかぴかの錘を作っているのを見物したのだけれど、私は鉛から出た赤茶色の不純物を集めた山に触ってみたくなってやけどしたのだった。そういう触ってみたくなる子供の心理がよく書けていて、大人にとっては日常の作業でわざわざ注目しないことを子供目線にして視点を相対化することで新鮮な出来事として読者に見せていて、一般人の自伝でも見せ方を工夫すればそれなりに見どころが出てくるという良い例である。あるいは夏目漱石の『吾輩は猫である』みたいに動物の視点を使う手もあるけれど、そこまでやるとリアリティがなくなりかねないので、子供の視点がちょうどよい。お湯で豚を茹でてから毛をこそげ落とすのは、九州の猟師が猪にお湯をかけて毛をむしる「湯抜き」と似ている。日本の猪の解体方法は他にも皮をはぐタイプ、毛を剃るタイプ、バーナーで毛を焼いて擦り落とすタイプがあるようで、ウィスコンシン州と九州の熱湯をかけて毛をむしるやり方は伝播したというより偶然同じやり方になったのかもしれない。著者が60歳を過ぎて5歳の頃のエピソードをはっきり覚えているのはすごいけれど、これは現代人とは情報量が違うので一つ一つの出来事をよく観察して記憶しているからかもしれない。現代人が1日に触れる情報量は平安時代の一生分、江戸時代の1年分と言われているけれど、現代人は知らないといけない情報が多すぎて一つ一つの出来事をじっくり観察したり考えたりする暇がないし、直接体験したり知人から話を聞いたりするよりもテレビやネットや本とかのメディアで会ったことがない人から情報を知ることの方が多いし、日々の仕事が忙しすぎて過去の些細な出来事を思い出すこともない。昔は何をするにも手作業が多かったので子供は親が働いているところを見ていて、それが親への尊敬につながるけれど、現代では食事は総菜を買ってレンチンするだけだったり、仕事と家庭が切り離されていたりして、子供は親が働く様子を見ていない。子供はマインクラフトやどうぶつの森とかのゲームの箱庭作りに夢中になって、昆虫採集よりもポケモン採集をやるようになって、大人は移動中にスマホを片手にふらふら歩いて周りを見ていない。重厚長大な小説が少なくなって、描写がスカスカで展開が速いケータイ小説やライトノベルが流行るのも情報過多な環境で作者と読者の両方が現実を見なくなっているせいかもしれない。じゃあライトノベルが現代に適応した小説の進化なのかというと、経験も技術も思想も想像力も乏しくなった退化に見える。現代人こそ昔の人の生き方や物語に学ぶところがいろいろありそうである。あと最後のエピソードのグライムズじいさんの歌がこの本のシメとして効いていてよい。ふるき友は忘れ去られてしまうのだろうか心によみがえることはもうないのだろうかふるき友は忘れ去られはるけきむかしも忘れ去られるのだろうか友よ、あのはるけきむかしはるけきむかしふるき友は忘れ去られはるけきむかしも忘れ去られるのだろうかはるけきむかしを忘れないために我々は文章を書き残したり、昔の人の書いた文章を読んだりするわけで、作者がこの本を書いた価値もそこにある。果たして現代に生きる我々は忘れられないほど大事な経験をしているのだろうか。★★★★☆大きな森の小さな家 (角川つばさ文庫) [ ローラ・インガルス・ワイルダー ]
2021.08.26
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最近はメンタリストDaiGoという年収数十億円のインフルエンサーが生活保護やホームレスに差別的な発言をして炎上して、言い方が悪かったと謝罪して動画の収益は寄付すると言ったけれど、だいぶ評判が下がったようである。これについて考えることにした。●メンタリストDaiGoの発言本当はYouTube動画を見て確認するべきなのはわかっているものの、わざわざ見たくないので5ちゃんねるからのコピペで代用します。・問題となった発言「僕は生活保護の人たちにお金を払うために税金を納めてるんじゃないからね。生活保護の人に食わせる金があるんだったら猫を救って欲しいと僕は思うんで。生活保護の人生きてても僕は別に得しないけどさ、猫は生きてれば得なんで。猫が道端で伸びてたらかわいいもんだけど、ホームレスのおっさんが伸びてるとさ、なんでこいつ我が物顔でダンボール引いて寝てんだろうなって思うもんね。人間の命と猫の命、人間の命の方が重いなんて全く思ってないからね。自分にとって必要ない命は軽いんで。だからホームレスの命はどうでもいい、どちらかっていうといない方がよくない?ホームレスって、言っちゃ悪いけど、いない方がよくない? みんな確かに命は大事って思ってるよ、人権もあるから一応形上大事ですよ、でもいない方がよくない? 正直。邪魔だしさ、プラスになんないしさ、臭いしさ、ねぇ、治安悪くなるしさ、いない方がいいじゃん。猫はでもかわいいじゃんって思うけどね僕はね。もともと人間は自分たちの群れにそぐわない、社会にそぐわない、群れ全体の利益にそぐわない人間を処刑して生きてるんですよ。犯罪者殺すのだって同じですよ。犯罪者が社会にいるのは問題だしみんなに害があるでしょ、だから殺すんですよ、同じですよ」・弁明「僕はたぶん昨日、あのー、ホームレスとか何か生活保護の人がいますけど、何かどうなんすかあれ? みたいなくだりで、昨日一応、辛口質疑応答ってことで、結構ボロカス言いますよって言う、そういう話をして、言ったんですよ。だから結構ね、まあ問題発言が多数。たぶん、僕が思い当たる限りで3つぐらいあったと思うんですけど、その中の多分一個炎上したみたいな感じでしょうね。で、何度も言ってますけど、めちゃくちゃ辛口に振った場合と甘口に振った場合の両方をやってて、その辛口版がそうだったんですよ。で、実際に僕はじゃあ、ホームレスとか、じゃ生活保護の人を、それこそ何かね、何かホロコーストとかね、ナチスの例、事件とかあったわけだから、もうそういう本当にじゃあそういう奴らを殺せって言ってるのか、そういう奴らを殺せって言ってるのかというと別にそういうわけじゃなくて。人間て、まあ言っちゃ悪いんだけど、その一人一人から見たら、どうでもいい人間っていますよね? っていう。それこそ別にこの世にいなくていい方がいいって人間もいるわけじゃないですか? 例えばいじめられっ子から見たら、いじめっ子がこの世から消えたら? 幸せになりますよね? っていうふうになるし、あとはその普通にじゃあ、生活してる人間からしたら、それはじゃあ、ホームレスとか、生活保護の人も、まあ人の命ってぜんぜん重いのかもしれないけど、でもあなた一人の生活から考えたらどうでもいいですよねって。わかりやすい例で言ったら、じゃあ自分の家族とホームレスとどっちかの命しか救えませんってなったら、まあ自分の家族の命救うじゃないですか? っていうふうに、みんな命は平等って言うけど、優劣も全然あるし、あのー、そういうのをみんな言わないけど、でも、何か、そういうのをズバズバ言ってくってそういう方法だったって感じなんですよ。」・謝罪「僕猫好きだしその下りの中で、ホームレスの人とか生活保護受けてる人とか働きたくても働け無いみたいな人がいて、社会復帰目指して頑張ってる人とかそういう人達を支援してる人達とかいるんですよ。僕はそこから抜け出したいという人に対して、流石にあの言い方はちょっとよく無かったなというので指摘があって反省である。今日はそれを謝罪させて頂きます」●メンタリストDaiGoの発言はどこがだめなのか・社会的弱者の差別につながりかねない以前からホームレスを狙った暴行や殺人事件がしばしば起きている。犯罪者を殺すのと同様にホームレスがいなくなった方がいいという言い方はホームレスに対する犯罪を正当化して後押しすることになりかねない。・社会的弱者の自殺につながりかねない失職したりして精神的に追い詰められた人は、社会に必要とされていないんだ、生きていても迷惑をかけるだけだという自責の念で自殺することがある。・功利主義の少数派弾圧を正当化するサンデル教授がトロッコ問題で一人を犠牲にして大勢を助ける選択をした学生に、似た状況の問題で健康な一人を殺して臓器を病気の数人に移植して助けるのはいいのかと質問していたけれど、最大多数を幸福にするために少数派の人権侵害を正当化するのが功利主義の害である。例えば旭川の女子中学生のいじめ事件で教頭が「10人の加害者の未来と、1人の被害者の未来、どっちが大切ですか。10人ですよ。1人のために10人の未来をつぶしていいんですか。どっちが将来の日本のためになりますか。もう一度、冷静に考えてみてください」と言ったそうだけれど、こういうのが典型的な功利主義の考え方で、多数派の加害者のために少数の被害者の人権を無視している。独裁国家だと人権侵害の歯止めが利かなくなって、社会にいらない人を選ぶ線引きとして知性や人種や民族や宗教が基準になって、ナチスは優生思想で障碍者の断種やユダヤ人の民族浄化を行った。中国共産党は法輪功の信者を死刑にして臓器移植したり、ウイグル族やチベット族などの少数民族を断種したりしている。ホームレスや生活保護に限らず、何かの基準に当てはまる人は社会に必要ないから死んだほうがいいという考え方は人権侵害や殺人を正当化する危険な選民思想である。もしこういう選民思想の人たちが集団化したらテロ予備軍として公安の監視対象になる。・金で批判を封じるメンタリストDaiGoは動画の収益を慈善団体に寄付するそうで、寄付がないよりは寄付があるほうが良いには違いないけれど、金で解決しようとする成金的なやり方が感じ悪い。親が金持ちの慶応のレイプ魔が被害者に示談金をはずんで形ばかりの反省をして不起訴になるようなもんである。メンタリストDaiGoは言い方が悪かったと謝罪しているけれど、「僕は生活保護の人たちにお金を払うために税金を納めてるんじゃないからね。」という部分は言い方の問題ではなくて本音だろう。メンタリストDaigoは以前から年収マウントして金で他人の価値を判断していたので、短期間で考え方を変えて反省したとは思えない。・フォロワーも同類メンタリストDaiGoは正論を言ったと差別発言を擁護する人たちが少なからずいたけれど、メンタリストDaiGoが信者ファンネルで論陣を張るわけでもなくてさっさと謝罪したことで、こんどは擁護した人たちが梯子をはずされて社会的弱者を排除したがる人間のくずとしてあぶり出されることになった。こうしたフォロワーたちを収入源にしている限りメンタリストDaiGoは今後もフォロワーのウケ狙いの発言をするだろうし、自分を擁護したフォロワーたちの考えを改めさせることができるのか疑問である。・クライアント批判メンタリストDaiGoは「のむシリカ」アンバサダーに就任していて、この会社はホームレスの炊き出しを支援していたので出演CMの放送と広告起用を自粛した。メンタリストDaiGoに言論の自由があるとはいえ、せめて契約期間中はこの会社はすばらしい活動をしていますよと宣伝するのが筋で、クライアントに金をもらいつつクライアントの活動を批判するのはビジネスの仁義にもとる行為である。●福祉の世話になるのは恥ではない私は理由が何であれ生活苦になった人は不正受給でない限り堂々と生活保護を受ければいいと思う。しかしなぜか生活保護を恥だと考えて頑なに福祉を拒んでホームレスになる人がいるし、生活保護を受けている人を見下す人がいるけれど、私はセーフティーネットとしての生活保護は社会に必要だと思う。例えば東日本大震災で被災した人は学校とかの避難所でしばらく生活してから仮設住宅に移ったけれど、それだって福祉なわけで、避難所に行ったり仮設住宅に住んだりするのは恥だから他人の世話になるくらいならホームレスになるほうがましだと考える被災者はいないだろうし、仮設住宅に住むなんて怠けていて予算の無駄遣いだと被災者を批判する人はいないだろう。だったら生活保護を受けるのもべつに恥じることではないではないか。・誰でも働けなくなる可能性がある誰でも事故や病気や災害や犯罪の被害で急に働けなくなる可能性があるし、多少貯金がある人でも長期間の入院や通院が必要になったらどんどん貯金がなくなっていくし、老いるほどそのリスクは高くなっていく。自力では再起不能になったときに時に利用できる福祉制度がないと、全財産を失ってホームレスになって他人の好意に期待しながら野垂れ死ぬのを待つしかなくなる。怪我や病気が治ったら仕事に再起できる人でも福祉がなければそこで詰んで死ぬしかなくなくて、それまでに積み上げた知識や技術が無駄になる。マイケル・ムーア監督がドキュメンタリー映画の『シッコ』でアメリカの医療保険を特集していて、高額な医療費が払えなくて破産して家を手放したアメリカ人を紹介していたけれど、アメリカは皆保険制度を共産主義的だととらえてやたらと否定的だった。アメリカは世界一位の経済大国だけれど個人主義で社会福祉が乏しくて、ホームレスが大勢いて窃盗や強盗が多発する社会は良い社会とはいえない。・誰でも知的障碍者やぎりぎり健常者の子供をもつ可能性があるダウン症は産む前の診断でわかるけれど、子供の知能がどうなるかはある程度成長しないとわからない。たいていは他の子供よりも話しはじめるのが遅いとかで親や保育士が気づいて、知的障碍者と診断されれば福祉の支援を受けることができる。その一方で知的障碍者ではないけれど健常者よりも劣るIQ71-84の境界知能の人は計算ができなかったりして日常生活に支障があるのに福祉の支援を受けることができなくて、学校の勉強についていけなくて仕事もできなくて犯罪で生計をたてるようになったり、ひきこもって親が亡くなった後に1人で生活できなくて生活保護申請のやり方もわからなくてホームレスになったりする。日本に境界性知能の人は人口の14%の約1700万人いて7人に1人が境界性知能で、現状はこの境界性知能の人への理解や支援が不十分である。私の小学校の同級生のT君もぎりぎり健常者扱いされた境界性知能だったようで、小学校高学年の時は漢字が書けなくて、中学からは別のクラスだったのでその後はよく知らないけれど母から聞いた噂によると運転免許の筆記試験に5回落ちたそうで、田舎は運転免許がないと就職もできないので生活保護を受けているようである。頑張ってもできないのはしょうがないし、そういう人を役立たずとして社会から排除するのでなくて、自尊心をもって社会に貢献できるように失敗に寛容になって支援するべきである。・セーフティネットがないとチャレンジしなくなるセーフティーネットがなくて一度失敗したら再起不能になるようなレジリエンスがない社会だと、失敗を恐れてベンチャーの起業とか芸術家を目指すとかの成功の可能性が低いチャレンジをしなくなって多様性や競争がなくなって社会が停滞する。そのうえ最初から十分な資金がある金持ちしか新しい事業や研究に着手しなくなって格差がどんどん広がっていって、一部のスーパーリッチの一族に政治経済が支配されるようになる。・生活保護と不正受給の問題は分けて考えるべき不正受給があったりパチンコに使ったりするから生活保護をなくせという人がいるけれど、そこは不正受給をなくせというべきである。一部に問題があるから全部だめだというのは論理が飛躍している。テレビの生活保護受給者や母子家庭の特集だと計画性もなく外食したり半額の高級牛肉を買ったりするくせに保護費が足りないとおかわりを要求するような明らかに金の使い方がおかしい人がいるけれど、そういう人は境界性知能の可能性があるので、働かずに無駄遣いしているやつの生活保護をなくせと批判するのでなく、金の使い方や計画的な貯金の仕方などの指導などをして社会復帰を目指すべきだろう。・失業対策は行政に責任がある生活保護をバッシングする人は働き盛りの人間が仕事をしないで怠けるのはけしからんという感情があるのだろう。しかし個人の努力では不況とかデフレとかコロナのパンデミックとかのマクロの問題を改善できない。本来は財政出動で失業者対策をやるべきなのを財政均衡論者の緊縮財政派の政治家が何もやらないせいで仕事がなくて生活できなくなっているので、これは行政の問題であって個人の問題ではない。例えばコロナ対策で営業時間の短縮を要請するけど補償はしないというのではいくら努力しても経営を続けるのが無理で、政治が原因で失業者を生み出している。個人の努力不足のせいで仕事がないわけではないので、仕事がなくて生活に困窮したら堂々と生活保護を受ければよい。市役所が窓際対策として生活保護申請を受理しないようにして生活困窮者を見殺しにするのはもはや犯罪である。・社会福祉がなければ犯罪が増えるたいていの人は金がなくなってホームレスになったらすぐ自殺しようという思考にはならないし、ホームレスは不要だから死ねと社会に疎外されれば自分を助けない社会のルールを守る義理もなくなるので、自助のための犯罪集団を作って窃盗や強盗や麻薬の売買をしてでも食いつないで生きていこうとする。それで捕まって刑務所に行ったら結局は税金で衣食住の面倒をみることになるし、出所したところで前科者は就職しにくいので結局またホームレスになるし、刑務所の運営コストのほうが生活保護より高い。だったら最初から生活困窮者には生活保護を受けてもらうほうが合理的である。カリフォルニア州だと刑務所のコストを減らすために2014年のproposition 47で被害額が950ドル以下の万引きや偽造や詐欺や少量のドラッグの個人使用とかの非暴力的な犯罪が軽罪に分類されて警察が取り締まらなくなって、堂々と商品を万引きして小売店が被害をうけているのが問題になっていて、本来は福祉で救うべき人間を政府が救わないので2019年にはカリフォルニア州の人口3951万人のうちホームレスが15万人いて犯罪が多発している。アメリカでデモや暴動がおきるたびに暴徒が商店街になだれ込んで略奪するけれど、これは弱者が社会や他人を信用していない証である。2010年のハイチの地震では被災者が配給を配るヘリに殺到して配給を奪い合っていたけれど、一方で東日本大震災の被災者は行儀よく列を作って配給を待っていた。これは日本人が社会を信用していて行儀よく待っていれば自分が助けてもらえる番が来ると思っているからである。もし選民思想の人が政治家になって弱者を切り捨てる決定をしたら社会への信用がなくなって、日本でも商店の略奪が起きて金持ちが常に財産を狙われて警護なしでは外出できないような社会になるだろう。というわけでアメリカみたいに金持ちが節税のために作った財団や寄付に頼って気まぐれで限定的な福祉サービスをするより、日本みたいに国民全員が受けられる福祉制度を作って運用するほうがよいと私は思う。●自己プロデュースに長けた中身のない人たちの台頭2010年代にスマホが普及したことで、自分で物事を考えずに他人の研究をつぎはぎする人が増えた。学生の論文はウィキペディアのコピペだらけになって、情報サイトは他のサイトのコピペをつぎはぎしたキュレーションサイトだらけになって、SNSはメンタリストDaiGoやオリラジ中田みたいな他人の本を紹介するインフルエンサーだらけになって、金を見せびらかして成功者ぶって人気が人気を呼ぶようになった。しかし最近はインフルエンサーの言動が問題視されることが多くなった。例えばゲーム実況をしていた加藤純一は黒人や女性への差別発言が問題視されてイベント出演がなくなっている。ひろゆきはいろいろな人と討論して自分の間違いを認めずに見苦しい様子を見せて評価を下げている。キンコン西野はクラウドファンディングで〇〇する権利を売る信者ビジネスがドン引きされている。迷惑系YouTuberのへずまりゅうは逮捕されて反省してYouTuberを辞めた。SNSや動画投稿サイトの隆盛とともに知名度が上がって実力以上に金持ちになったインフルエンサーの本来の人間性や教養が世間に晒されて批判される頃合いなのかもしれない。インフルエンサーは思想がなくて主張がころころ変わるので過去の発言がブーメランになることが多くて、メンタリストDaiGoも「IQが低い人ほど差別的な発言をする」と言ったブーメランが自分に刺さっている。孫氏は「将者、智信仁勇厳也(将軍ってのは智、信、仁、勇、厳を備えるべきじゃねーの)」と言っているけれど、たいていのインフルエンサーはこのどの要素も持っていないどころかむしろ逆で、暴言や逆張りとかの過激な言動で目立とうとして物事の道理を理解する知性がなかったり、うさんくさい金儲けをして信用がなかったり、メンタリストDaiGoのように他人への思いやりがなかったりする人だらけで、人を率いる器でない。物事の是非を知らない子供は金持ちの有名人というだけでありがたがって憧れるもので、メンタリストDaiGoのYouTubeチャンネルの250万人のフォロワーは中学生や高校生が多いそうだけれど、分別のつく年頃になったらくだらない有名人に憧れて同調するのはやめるべきである。企業もそういうインフルエンサーを有名だからと言うだけで宣伝に使うのはやめるべきである。●いずれみんな死ぬ仏教みたいに生や欲への執着を捨てて死んだように生きるのもひとつの在り方だけれど、私はどうせ死ぬのだから生きている間になるべく良いものや良い社会を作って次世代に残すのが建設的だと思う。残念ながら日本は自民党のせいで就職氷河期世代が子供を持てなくなって少子化が深刻になったので、将来は経済や文化などのあらゆる面で人材がいなくなって伝統や知識や技術が継承されなくなって衰退していくだろう。邦画や純文学が衰退してほどんど見るべき作品がないのが典型的である。生活苦で苦しんでいる人を自助しろといって放置して独身のコロナ患者は自宅療養で孤独死させてエッセンシャルワーカーが薄給激務で酷使されるような愛も慈悲もない社会で虚業のインフルエンサーや広告代理店が大儲けして縁故と利権まみれのうんこみたいなオリンピックの開会式をやるのが日本の文明の最終到達点となるのはあまりにも情けないではないか。では数百万人のフォロワーがいて社会的な影響力が大きいインフルエンサーたちはどんな社会を作りたいのかというと、メンタリストDaiGoみたいに思想も教養もないので貧乏人を排除するような短絡的な発想をするし、オリラジ中田みたいに節税のために好きでもないシンガポールに移住して自分が得することを優先して社会の事を考えていなかったりする。金持ちが貧乏人を排除したゲーテッドコミュニティが理想の都市かというとそうでなくて、ゲートの外を見ないようにして国内外の社会問題を無視しているだけである。過去と未来の歴史の中に自分を位置づけることができずに自分の利益しか考えられない拝金主義者は、どんなに大金を持っていたところで一代限りの孤独なはかない人生でしかない。数十万年の人類の歴史の中で、ほんの数年有名になって小金を持ったところで何が偉いのか。金を持っているからといって金がない人の人生に価値がないと決めつけるのは傲慢である。金を持っているのに助けを求めている人を救わないのは無慈悲である。金を持っていても買い物する以外の使い道を知らずに金を社会に役立てないのは阿呆である。そんな人を成功者と呼べるのか。社会を作る側の人たちが自分の財産を増やすことばかり考えてノブレス・オブリージュを果たさないのだから、社会が良くならなくなくて当然である。ホームレスは死んだほうがいいと上から目線で言う人たちは自分もいずれ年老いて社会の役に立たなくなって他人の世話を受けながら死ぬということを理解していないのではないか。新型コロナウイルスのパンデミックが起きて、中年であと何十年か生きるつもりだった人でも重症化して急に死ぬ可能性が出てきて死がだいぶ身近なものになったので、生きることと死ぬことについて考えるのによい機会かもしれない。有名な金持ちの志村けんも死ぬし、貧乏なホームレスも死ぬ。不本意に死んでしまった人が最後に何を考えていたのかは知らないけれど、やり残した事とかいろいろ後悔はあるだろう。死ぬ間際になってから自分の人生の意味を考えても遅いので、目先の資産の大小を競うのでなく、何のために生きるのか、何のために仕事をして金を稼いでいるのか、何が大事なのか、どういう社会を作りたいのかを日ごろから考えて行動するべきである。それにインフルエンサーやアニメキャラとかの中身のない偶像を崇拝するのをやめて、実際に社会を作っている家族や友人や同僚とかの周りの人々の言葉や幸福にもっと注意を向けるほうがよい。インフルエンサーにいくら貢いだところで数百万人いるフォロワーのうちのどうでもよい一人にすぎないし、フォロワーの病気の見舞いに来るわけでもないし死を見届けてくれるわけでもない。大事なものはたいてい手の届かないところにあるのでなく身近なところにあるものである。
2021.08.15
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最近は横須賀のうみかぜ公園前の護岸で20代の夫婦が二歳児を連れて夜釣りをしていたら柵の隙間から子供が落ちて死亡する事故があって、台風が来ているときに幼児を連れて夜釣りするのは非常識だと批判されている。報道によると8月9日の午前1時に護岸に行って、車で休憩しながら午後11時まで長時間釣りをしていたそうな。22時間も同じ場所で釣ってよく飽きないものだと思う。というわけでDQNはなぜ釣りが好きなのか考えることにした。●DQNが釣りが好きな理由・あまり金がかからない釣りは道具にこだわればきりがなくて、竿やリールは高級品だと数十万円するのがあるけれど、その辺で適当に釣りをするだけなら数千円のリール付きの竿で足りる。いったん装備をそろえてしまえば後は餌代と釣り場に行くための交通費だけで長期間遊べるようになる。非日常的な海辺に行くとちょっとした旅行気分を味わえるし、釣りで遊んで暇をつぶすこともできるので、趣味としてはコスパがよい。DQNはたいてい金欠なので、DQNの趣味としてちょうどよい。昭和に釣りブームがあってDQNの親もDQN釣り人だったりするので、親の道具を借りればさらに節約できる。・ギャンブル性がある釣果は場所選びだけでなく天気や潮に左右されるので、同じ場所に同じ時間に行っても釣れたり釣れなかったりする。釣りのギャンブル性は数段階あって、まず釣りに行く日の天気がギャンブルで、休日が釣り日和とは限らない。それに岸からは水中の魚の姿が見えなくて、潮目とか岩陰とかの魚がいそうなところに目星をつけて仕掛けを入れて反応を探るのがギャンブルである。次にコツコツと魚が餌をつつく当たりがあって、これはパチンコのリーチみたいなもので、そこでタイミングを合わせてフッキングすると魚に針が食い込んで魚の引きを楽しむことができる。しかしフッキングしてもまだ釣れるとは確定していなくて、糸が切れたりタモですくうときに針が外れて逃げる可能性もある。いくつかの失敗の可能性を潜り抜けてようやく魚が釣れるので満足感が大きくて、より大きな満足感を得るために何度も釣り場に行くようになる。DQNは欲望の制限がきかなくてギャンブル好きなので、ギャンブル要素が高い釣りも好きになる。スマホがなくてガラケーだった頃のGREEの躍進のきっかけも「釣りスタ」というゲームで、射幸性が高いがゆえに人気になって課金アイテムで大儲けした。・狩猟本能を満たせる動物の本能として獲物を狩って食料を得ると満足する。たとえスーパーで魚が買えるとしても自分で獲物を獲らないのでは獲物との駆け引きを楽しめないので、わざわざ釣りをするわけである。狩猟だと猟師になるのに狩猟免許が必要で猟銃の保管にも制限があって猟友会費もかかるし先輩猟師との付き合いもあるので興味を持っても気軽に始められないけれど、釣りなら道具を買ってすぐに一人で始められて、魚相手に無双して俺ツエー俺スゲーできる。・大きな魚を自慢できる魚は本能的に行動していて生息地や行動パターンが決まっているので将棋みたいな何手も先を読むような高度な駆け引きが必要なくて、いい装備をそろえてコツをつかめばすぐに上達して大きな魚を釣れるようになる。大きな魚を釣れば普段は他人に褒められる機会が乏しいDQNでも賞賛をあびることができて満足できる。・DQNのライフスタイルと親和性があるDQNが好きなミニバンや軽ワゴンなどの車内が広い車は道具をたくさん乗せられるので釣りをするのに向いている。それに体力が余っているDQNは仕事が終わった後に夜中に遊ぶのが好きだけれど、夜中に営業している飲食店以外の店はクラブやカラオケやドン・キホーテとかであまり選択肢がないし、海が近い田舎なら夜中に営業している店自体がなかったりするので、夜釣りをすれば遊びの選択肢が増える。それに外向的なDQNは群れで行動したがって、釣りは2~3人で雑談しながら親睦を深めることができる。このようにDQNが釣りをやるのにちょうどいい条件がそろっている。●DQNの釣りの危険性海や川自体が危険な場所だけれど、DQNが釣りに行くことでさらに危険が増す。・子供を連れまわすDQNは子供をペット感覚で連れまわしていて、危険な釣りにも子供を連れて行って、釣りに夢中になって子供を放置する。・ライフジャケットを着ないDQNは危険なことをやるのがすごい、びびって安全に配慮するのはださいという一般人とは逆の価値観を持っている。暴走族がノーヘルでバイクに乗りたがるのが典型的である。となると釣りでは当然ライフジャケットを着ないので、足を滑らせて海に落ちたり大波にさらわれたりして事故が起きた時の生存率が下がる。2021年の5月に丸亀市のため池で釣りをしていた33歳の父親と6歳の息子が死亡したけれど、救急隊員でもない人が道具なしでため池に落ちた人を引き上げるのは大変で、ライフジャケットを着ていれば浮きながら救助を待つことができて生存率があがっていた。・トラブルを起こす根魚が住み着くような岩陰や回遊魚が通るエリアは限られているので、堤防の先端とかの場所取りは早い者勝ちになる。DQNは場所取りに失敗してもすこしでもいい場所で釣るために他の釣り人と距離を詰めて自分勝手にキャストしてラインを絡ませたりして周囲とトラブルを起こす。ブラックバス釣りを専門にするバサーは民家の近くのため池や川で釣りをするために私有地に違法駐車したり敷地に不法侵入したりして近隣住民とトラブルを起こす。・立ち入り禁止の場所に行く人気の釣りスポットだといい場所を確保しにくいし、いい場所を確保しても魚がスレていて餌やルアーへの反応が鈍くなっているし、釣り荒れして良型の魚が少なくなっていたりする。そこで他の釣り人がいないところを求めてDQN釣り人は立ち入り禁止の防波堤や沖合の一文字とかに行くようになる。しかし立ち入り禁止になるにはそれなりに理由があって、たいていは大波が来る可能性が高くて過去に死者が出ていて危険な場所である。他にもSOLAS条約(海上における人命の安全のための国際条約)でテロ対策で港湾関連施設で侵入防止が義務付けられていてフェンスで厳重に隔離されている場所があって、そこに釣り人が侵入したら逮捕される。・密漁するイセエビ、ウニ、アワビ、サザエ、ナマコや川を遡上するサケなどの高級な海産物は密漁のターゲットになっていて、DQNややくざがしばしば捕まっている。・釣りスポットを汚す昭和は民度が低くて、漫画の『釣りキチ三平』ではごみを持ち帰らずにタバコの吸い殻や空き缶を土に埋めるのがマナーが良いように書かれていた。現代だと釣りYouTuberや釣りアイドルとかが釣りのマナーを啓蒙しているので多少ましになっているかもしれないけれど、それでも民度が低い。DQN釣り人は堤防にこぼれた撒き餌を掃除せずに放置して帰ったりごみをポイ捨てしたりする。しばしば漁港は釣りスポットになっていて漁師でない一般人でも入れることが多いけれど、DQN釣り人が多いところでは関係者以外立ち入り禁止になったりする。・生態系を壊す外来生物法でブラックバスの飼育や生きたままの保管や運搬などが違法だけれど、バサーはこれを守らない人がいる。釣り場を増やすためにブラックバスを別の川や池に放流する人がいるので、ブラックバスが駆除しきれない。海釣りだと釣り人が釣る程度の魚の量だとアジとかの回遊魚の生態系には影響がないけれど、根魚はそのエリアの生息数が限られているので、DQN釣り人が稚魚や卵を持ったメスをリリースしないで食べてしまうと生態系に影響がでる。●DQN釣り人への対処法はあるのかDQNは倫理観が根本的におかしいので、釣りにしてもバーベキューにしても何をやっても問題を起こして他人に迷惑をかける。DQNを矯正することはできないので、釣りの際のライフジャケットを義務化するとか、立ち入り禁止場所の罰則を強化するとかの法律で対処するしかない。あるいはスマホで買えるスマート遊漁券を開発して買いやすくするとか、監視ドローンの運用とかで密漁の問題を改善できるかもしれない。DQNのせいで立ち入り禁止の場所が増えて釣りスポットが減るのでは他のまともな釣り人にとっても損なので、堤防をきれいに使って環境や生態系に配慮しつつ釣りを楽しみたいものである。
2021.08.13
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最近は小田急線で男性が刃物を振り回してサラダオイルをまいて火をつけようとしてして10人が怪我をした刺傷事件が起きて、犯人は職業不詳の36歳のおっさんで、「以前サークルでばかにされ、出会い系でも断られるなどし、勝ち組の女や幸せそうなカップルを見ると殺したくなるようになった」と供述していて、万引きを女性店員に見つかって殺そうと思って夜に店に戻ったら閉店しているので電車で人を殺す計画に切り替えて、逃げ場がなくて大量に殺せる快速急行を狙ったそうな。サラダオイルでなくて可燃性が高い物をまかれていたら大勢死者が出る凶悪な犯行である。アメリカでもインセルによるテロが起きていて問題視されているので、これについて考えることにした。●ミソジニーとは何かミソジニーは女性嫌悪や女性蔑視の事で、逆の男性嫌悪や男性蔑視はミサンドリーという。ミソジニーの原因のとらえ方も様々で、フェミニストは家父長制の男性の支配に抗う女性を罰することだととらえる人がいるし、あるいはアメリカだとインセル(インターネット上に集う女性蔑視主義者)と呼ばれる恋愛対象として選ばれない貧乏でぶさいくで頭が悪い男性弱者が成就できない恋愛感情をこじらせて女性を敵視すると言われている。森喜朗は男性優位のために女性蔑視をする人の典型で、蔑視している自覚がないあたりが特徴的である。小田急線の刺傷事件の犯人のほうは家父長制云々とは関係なさそうなので、不幸な男性である自身と対照的な幸せな女性に憎しみを募らせたのかもしれない。●異性への嫌悪や蔑視をなくすにはどうすればよいのか人類は男女両方がいて成り立つし、嫌悪や蔑視で社会がよくなることはなくて社会が荒廃するので、ミソジニーにしろミサンドリーにしろ嫌悪に基づいた偏見が広がるのはよくない。自分が不幸だからといって、うっぷんを晴らす対象として異性を憎しみの対象にすること自体が間違っているし、相手を不幸の道連れにしたところで誰も幸福にならない。では異性を嫌悪するに至った人にはどこに原因があるのか。そういう人は家族を含めて異性を尊敬したり異性に助けられたりする経験が乏しい一方で、異性に虐げられた経験が多いので、極端な異性嫌いの考え方になるのかもしれない。しかし人間は個々人によって性格も思想も様々で、男性だから云々女性だから云々というのは認識対象が大雑把すぎる。誰かを嫌悪するにしても自分と直接因縁がある個人に向けるべきで、面識のない人を性別を理由に憎むのは筋違いである。なぜ異性全員を嫌悪の対象にするのか不明だけれど、頭が悪くて現状認識がうまくできないので自分が不幸な原因を自分以外になすりつけて誰かを敵視するようになるのかもしれないし、周囲にちやほやされておしゃれをして恋をして人生を謳歌しているように見える若い女性が嫌悪の対象になりやすいのかもしれない。こういう認知のゆがみは周りに諭す人がいれば矯正しうるけれど、極端な異性嫌いになる人は一番身近な異性である親でさえ嫌悪して家族関係も崩壊しているのだろうし、SNSの人間関係ではエコーチャンバーが起きてかえって異性嫌いをこじらせてしまう。男性が事件を起こしたときに女性が「これだからキモオタは~」と蔑視すると性別間の対立を煽ってミソジニーを増やしてしまう。不幸な人を救済しない限り逆恨みのテロはなくならないので、不幸な人には愛情や同情で接するほうがよい。臆病な野良猫を懐柔するときに怖くないよーとアピールして辛抱強く慣れるのを待つように、異性は怖くないよーというメッセージを出すことで異性への嫌悪を少なくできるかもしれない。あと社会の男性の扱いもひどくて、おっさんが公園のベンチで休憩しているだけで通報されたりするので、無駄に男性を敵視して社会的に孤立させるのはやめるべきである。防犯意識が高いのはよいけれど、偏見で差別するのはよくない。社会的に孤立した人は社会に復讐しようとしてテロを起こしかねないので、孤立させないように対話を増やすほうがよい。そもそも異性だけでなくて同性同士でさえ全員に好かれるのは無理で、性格や考え方や外見の好みの違いで嫌いな人や相性が悪い人が必然的に出てくる。嫌いな相手をどうにか罰しようとして貶めるのでなくて、自分のやるべきことに集中して、どうでもいい相手のことは放っておけばいい。不幸な男性は会ったこともない女性を敵視する暇があったら勉強や仕事や筋トレや趣味に励んで幸福になる方法を模索するほうが健全である。成功した人を妬んだところで自分の成功にはつながらないし、異性を憎んだところで恋愛成就にはつながらないし、幸せそうに見える金持ちや芸能人だって離婚訴訟したり子供がぐれたり誹謗中傷されたりして何かしらの苦労や不幸を抱えている。それぞれ違う人生を生きていて他人と比較しても意味がないので、自分の幸福は自分で見つけないといけない。●宗教と女性蔑視歴史的にいろいろな宗教で女性は生理があるので不浄なものとみなされて蔑視されてきたけれど、このような宗教に基づく女性蔑視はなかなか改善しにくい。日本は女性の社会進出が遅れていると言っても信仰心が薄くて宗教に基づく女性蔑視が少ないのでましなほうで、信仰心が強い外国だと女性蔑視が根強く残っている。インドだと保守的な宗教観が強くて、ヒンドゥー教の下位カーストの女性を蔑視して人命を軽んじたレイプ殺人が頻発して社会問題化している。ジーンズをはいた女性が父親に殺される事件が起きたりして、家父長制で女子は親の所有物のように扱われている。仏教国のタイだと1928年に女性の受戒が禁止されて正式な僧侶になれるのは男性に限られているそうで、尼になりたい女性は国外で受戒するそうな。仏教だと女性は体力的に厳しい修行についてこれないから女性を保護するために女性の修行を認めないという考え方があるようだけれど、女性を保護してやるという一方的な言い分で権利を認めないのは家父長制と同じ構図である。女性を保護するという大義名分で女性の権利を侵害しているという点ではイスラム教が顕著である。アフリカだとイスラム原理主義のボコ=ハラムが女性に教育は必要ないと主張して学校を襲撃して女子学生を殺害していて、こうなるともはや女性を保護するという大義名分さえない。一方でイスラム教圏でも欧米と交流して宗教が世俗化しつつある国だと女性の社会進出が進みつつあって、サウジアラビアだと男女が同じ職場で働けるようになったそうな。東ヨーロッパやロシアのタタール人はムスリムでしばしば高齢の女性が頭を布で覆っているけれど、世俗化していて厳しい戒律とかはないそうで、これはヨーロッパと陸続きで異文化交流が多かったからかもしれない。宗教は人間が幸福になるための指針として昔の人が残したもので、教育水準が低かった昔はある程度役に立った部分もあったのだろうけれど、高等教育をうけて自分で物事を考えられる人ならばわざわざ宗教に頼るまでもない。しかし現代でも人類の大多数は高等教育を受けていない発展途上国の人なので、いまだに合理的な科学よりも非合理的な宗教を重んじる人が多い。昔の宗教指導者が教育を受けていない頭が悪い人に牛は農耕の役に立つので殺して食べるなとか豚は寄生虫がいて危ないから食べるなというのを理解させるために牛は神聖だから食べるなとか豚は不浄だから食べるなという方便を使ったら、現代でもそのうわべの方便だけを絶対視して頑なに守って衛生的に飼育された牛や豚を食べないようなもので、昔の宗教的戒律は現代ではたいてい非合理的である。女性蔑視に対してもそうで、昔の経典や戒律がどうだろうが、現代人が幸福であるために女性を蔑視して権利を制限する合理的な理由はない。本来は人々を幸福に導くのが宗教のはずなのに、宗教の戒律を守るために他人の権利を侵害して不幸な人を生み出すのでは本末転倒である。こうした宗教的な因習は知性によって打破しないといけない。●文化が女性の社会進出を促進させる企業が男性中心で女性の管理職や正社員が少ない一方で、スポーツや芸術といった文化では女性の社会進出を促進している。芸術ではよい作品を作れば性別にかかわらず評価されていて、例えば大ヒットした『鬼滅の刃』の作者は女性だし、スポーツでは女子選手が大勢活躍している。男性と女性は体格とか脳の特徴とかで性差があって、将棋とかの女性が男性に勝てない分野もあるけれど、だからといって女性が劣っているわけではないし、男性より優れている点も大いにある。文化的に活躍する女性が増えれば女性を蔑視する人が減っていくのではないかと思う。あと読書は他人を理解するのに役に立つので、もっと読書や創作をするほうがよい。
2021.08.08
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