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最近は衆議院選挙の党首討論で成長と分配のどっちを優先するかが議論されたけれど、議論が具体的でなくて私は物足りなかった。発展途上国の人が皆先進国並みの暮らしをしたら地球がもたないと言われてテクノロジーの発展が環境に悪影響だという事でSDGsが意識されて、最近は脱成長論も議論されるようになった。というわけで成長について考えることにした。●成長とは何か成長とは動植物が育って大きくなって成熟することや、規模が大きくなることである。企業の場合は店舗が増えるか、従業員が増えるか、売上が増えたら成長したといえる。国家の場合は領土を広げるか、人口が増えるか、GDPが増えたら成長したといえる。●人間が成長しない原因・遺伝子の制約人間は遺伝的に成長の限界が決まっていて、例えば遺伝的に運動や知能の発達が遅れるダウン症の子供に英才教育をしても東大卒やオリンピック選手みたいには成長しない。・保護不足鹿とか馬とかの四足歩行の動物は敵に襲われる可能性があって逃げないといけないので産まれてすぐに立ち上がるし、生存に必要なことはたいてい本能にインプットされていて後天的に学習することが少ないので、親が子供を保護する期間が短くて子供が餌の取り方を覚えたら後は勝手に成長していく。それに対して人間は二足歩行するようになって骨盤が小さくなって未熟な状態で子供を産むし、後天的に学習することが多いので、子供が自立するまで十数年間親が世話をしないといけない。未熟な子供時代にネグレクトされたりして保護が足りないとあまり成長しない。・栄養不足人間は遺伝的に成長の限界がある程度決まっているとはいえ、成長期に栄養が足りないとその限界にさえ達しなくて体格が小さくなる。成長期を過ぎてから栄養を取っても体格は大きくならない。・経験不足学力や筋力や技能は訓練で成長させることができる。打たれ強さとかの精神面も成功や失敗の経験を増やすことで成長できる。・加齢体力的には20代がピークでそれ以上成長しなくなって、30代から徐々に衰えていく。知能は60代くらいまでは成長するものの、高齢になるにつれて認知機能が低下していって、新しいことが覚えにくくなって覚えたことも思い出しにくくなってそれ以上成長しなくなる。●社会の成長とは何か人間同士が社会を作るので、社会は人間の成長とともに成長していく。人間は寿命があるのでせっかく成長しても死んでしまうけれど、個人が身に着けた知識や技術を他の人に伝授して社会で共有して蓄積することで、社会は時間がたつほど成長していく。技術が発展して生活が向上すると人口が増えて、周辺の部族を征服して領土が増えて、社会制度ができて集権的な国家になって、多様な人の知識や技術が蓄積していく。ただし数百年スパンでみると天災や戦争でのリセットがあって、噴火や洪水や焚書や文化大革命の知識人の処刑などで蓄積した知識が失われてしまうと知識や技術の蓄積を最初からやり直すことになる。例えばヨーロッパでは古代ギリシャと古代ローマは風呂や下水道があったりして学問も建築技術も文化も発達していたものの、キリスト教が異教を敵視してアレクサンドリア図書館を燃やしたりして知識や技術が失われて、中世は下水がなくてうんこを道端に投げ捨てる生活に退化して、ルネサンスで古代の知識を見直すことで学問や芸術が発展してまた成長し始めた。そんで現代はたいていの国境が定まって領土の成長はもうないので、人口の増加かGDPの増加で成長している。その社会の成長の課題になっているのが無限の成長を目指す資本主義である。地球には有限の資源しかないのに無限の経済成長を目指すと、いずれ資源が枯渇して文明が滅びてしまう。中世に木が建築と燃料に使われてヨーロッパで森が消えたし、イースター島も森林伐採が原因で文明が崩壊した説がある。それゆえに現代は世界各国が協力してSDGsに配慮した持続可能な企業の在り方を模索している。しかしこれが成長して株主への配当を増やすことを目標にする資本主義的な考え方とは対立する。・経済だけが社会ではない資本主義社会では社会の中でビジネスの利益だけを考えて、学問やボランティアや趣味とかの社会を構成して人間の幸福に寄与していても売り上げとして定量化できないものを無視するようになって、経済は成長しても社会としては衰退している。例えば学問だと古代ギリシャの天文学者や数学者とかの昔の学者は自分の生涯では宇宙の真理が究明できないと知っていたので、弟子をとって数世代にわたって研究を続けてきた。弟子から謝礼をとる人もいたようだけれど、営利目的で学問をしているわけではない。ところが現代人は利益が物事の判断基準になってしまって、はやく成長しないと損をすると考えて待つことができなくなって、学問の探求のためではなくて就職に有利な学歴を得るために幼少期から詰め込み教育をして、上場企業の雇われ経営者は自分の任期中に四半期決算の利益を出して役員報酬を増やすことを優先して成果が出るまで時間がかかる基礎研究に金を出さなくなって、長期的な成長を考えなくなった。少子化も社会の衰退の兆候で、目先の利益のために若者を低賃金で搾取した結果として結婚できない人が増えて、いずれ搾取対象がいなくなって利益が出せなくなる。このように短期的な視野しかもたないと長期的な社会の衰退につながる。●経済成長とは何かこないだ衆議院選挙の党首討論が行われたけれど、成長と分配のどちらを優先するかで政党ごとに方針が分かれている。自民党と日本維新の会は成長してから分配する方針だけれど、そもそも成長の定義があいまいで、定義次第ではまだ成長していないから分配できないと言い逃れできてしまう。普通は経済成長率はGDPを基準にするので成長を「GDPの増加」としてとらえると、自民党の主張はGDPが増えてから分配するというロジックになるけれど、GDPがどれくらい増えたらどれくらい分配するのかよくわからない。これではまだGDPが十分に増えていないから分配しないという言い方もできてしまうし、GDPが増えたら増えたで経済が好調なので分配する必要がないという言い方もできるので、結局分配されない可能性がある。それに自民党はPB黒字化を堅持する方針なので、どこかの予算を削った分を他の予算に回したところで支出の総額が増えないのではGDPは増えない。一方で立憲民主党とかの野党の主張はGDPを増やすためには分配が必要だというロジックで、そのためにはPB黒字化をいったんやめて国債で財政出動するという政策で、こちらのほうがロジックとしては正しい。成長を「企業の利益」や「日経平均株価」としてとらえると、アベノミクスで日経平均株価が上がって上場企業は内部留保額が過去最高で富裕層が増えても市場原理ではトリクルダウンは起きなかったのだから、貯め込んだ分を吐き出させるために政治主導で法人税を増税して労働者の賃金として分配したり消費税を減税したりしないといけないというロジックになるので、自民党がアベノミクスが成功して株価が上がって景気が良くなったと主張するなら分配を渋るのは筋が通らない。●経済成長しない原因・人材不足イギリスがEUから離脱したら移民のトラック運転手がいなくなって小売店に商品が補充されなくなったように、人手が足りないと十分に物やサービスの提供ができなくなって経済活動が停滞する。人材不足の原因としては、少子化よりも教育不足の影響が大きい。仕事が細分化して専門化した現代では頭数だけ多くても知識や技能がないと労働力として役に立たない。それゆえに人口が多くても教育水準が低い発展途上国は農業や漁業とかの一次産業くらいしかできなくて付加価値が低くて技術革新も起きないのであまり経済成長しないし、そういう教育を受けていない移民を先進国で受け入れても単純労働や汚れ仕事をさせるくらいしかできないので移民をいれれば人材不足が解決するわけではない。イギリスの教育アドバイザーのケン・ロビンソンが「教育の死の谷を脱するには」というTEDの動画でアメリカの6割(先住民の8割)が高校を中退していて中退者を半分に減らせたら10年で1兆ドルの経済効果を得られると試算していると言っているように、教育を受ければそれだけ仕事に付加価値がついて経済成長するわけである。しかし教育には金がかかるので、金が不足すると人材も不足する。・物不足原料や部品や電力がないと製品を十分に製造できなくなって供給不足になるし、設備投資が足りなくて機械が導入されなくて手作業をしていると生産効率が悪くて生産量が少なくなる。中国だとオーストラリアの石炭を輸入停止にしたせいで電力不足になって、停電で工場がフル稼働できなくなってそのぶん経済活動が停滞する。世界中で寿司を食べるようになって魚介類の消費量が増えて、マグロとかサーモンとかの数が限られているものをセリで買い負けると寿司屋が寿司を提供できなくなる。金があれば買い負けることはないけれど、金がないと買い負ける。原油高になると輸送コストが上がるのであらゆるものが値上がりするコストプッシュインフレになって、消費者は交通費が上がったぶん可処分所得が減って消費意欲が減るし、輸送コストを価格転嫁しなければ企業の利益が減るし、価格転嫁すればさらに消費意欲が減るので経済成長が鈍化する。・金不足プライマリーバランスの黒字化のための消費税増税は市中に回っている金を徴収して消滅させる行為なので、市中の金が少なくなって金不足になる。そのうえ大企業のリストラや下請けや派遣の中抜きで中間層が沈没して低賃金の人が増えて、物やサービスが余るほどあっても金がなくて買えなくて需要不足になる。金がないと結婚しない人が増えて少子化になって人材不足にもなる。介護士や保育士とかの業種で人手不足でサービスを十分に提供できないのも低賃金なのが原因で、労働者は金がないと就労のための資格を取れないし、資格をとったところで低賃金では割に合わなくて離職者が多くてますます人手不足になるという負のループになるので、政府が補助金を出すなりして精神的・肉体的な負担に見合うだけの収入になれば働きたがる人が出てくる。というわけで金は人材育成や資材調達や設備投資や消費のすべてに影響を及ぼしていて金不足が日本の経済成長の最大の足かせになっているので、庶民に分配することなしには経済成長しないといえるし、自民党や日本維新の会が言う成長してから分配する方針だとGDPは増えないだろう。そのうえ自民党や経済界は金を払わないで低賃金の移民を入れれば人手不足や少子化が解消して経済成長すると思っているので、ますます問題の解決から遠ざかる。内閣府は平成15年度の年次経済財政報告で「これまでの人口構造の歪みは、外国人・移民労働者を大量に受け入れるといった極端な政策をとらない限り実質的に修復不可能である」と言っていて、自民党は口では移民に反対だというけれど、外国人技能実習生は移民ではないと定義を変えてごまかしているだけで、2000年代から移民に積極的で年々移民は増えていて、外国人労働者数は2008年には48万6千人だったのが2019年には165万9千人になって、全労働者に対する外国人労働者の構成比は2008年が0.8%だったのが2018年には2.2%になっている。デジタル庁の有識者会議の「デジタル社会構想会議」だと不足するIT人材を移民で受け入れればいいという提言があったそうだけれど、高度技能を持った人が移民するなら欧米のほうが待遇がいいので親日家でもない限りわざわざ日本語を覚えて金払いが悪い日本に来ないだろうし、そもそもオフショアでだめな理由がわからない。自民党総裁選でこども庁を作ると言った野田聖子が人口1億人を維持するために移民政策を推進しようとしているように、少子化になった根本の原因の若年層の低賃金と未婚化を解決する気がない。じゃあ移民が稼いだ金を日本で消費してくれるかというと、発展途上国から来た移民は消費せずに貯金したり母国の家族に送金したりするのであまり消費の増加にはつながらなくて、母国で家を建てたり起業したりできる程度に稼いだら日本に帰化せずに母国に帰ってしまうので結局人材不足になる。そしたらまた採用して教育をしないといけないので経済活動が非効率になる。●何のための成長なのか人間は狩猟採集をしていたころの血縁集団から、農耕をして集団生活をする集権的な部族社会になって蓄えた富を奪い合うようになって、集権的な国家へと社会の規模を大きくすることでスケールメリットで戦争も開発も有利になって発展してきた。例えば古代中国では黄河がたびたび氾濫していて春秋戦国時代には諸国でちまちま堤防を建設する程度で治水が不十分だったけれど、中国を統一したら後漢時代に治水できるようになったように、国家の規模が大きくなることでより大きな問題が解決できるようになって、敵に侵略される心配も少なくなる。では国家が領土を拡大して成長したらそのぶん国民は幸せになるかというと必ずしもそうではないことは歴史が証明している。人間が成長するには他の動植物を食べなければならないように、社会も成長するために資源や人間を供物にしていて、搾取の対象は戦争で征服した奴隷や植民地の外国人だったけれど、自治権がないまま搾取されるのでは幸福でないので、奴隷解放運動が起きて、民族の自治権を求める紛争が起きて、帝国主義時代の欧米の植民地は独立している。動物は遺伝的に成長の限界が決まっているように、たぶん社会は人種や宗教や言語が同じで文化や価値観を共にすることが成長の限界になるのだろう。それゆえに中国共産党は無理やり価値観を統一するために少数民族や反共産主義者の弾圧に躍起になっているけれど、このやり方は民主主義の先進国ではできない。アメリカは先住民の征服と黒人奴隷の歴史がある上に世界中から移民を入れたので州によって人種も価値観も言語もばらばらで分断が起きていて、世界一の経済大国であるにもかかわらずその恩恵を受けられない大勢の貧しい国民は幸福とはいえない。日本が資本主義の無限の成長についていこうとするならば、大勢の移民に同化を強いる中国型の不幸か、大勢の移民が分断するアメリカ型の不幸を受け入れなければならなくなる。日本は外国人嫌いとして批判されて経済成長のために移民を受け入れろと言う圧力があるけれど、島国の日本が移民を受け入れたらアメリカ以上に対立と分断が起きるだろう。ラーメンとケーキがどちらも小麦粉を原料に含んでいてそれぞれはおいしくても食べ合わせとしては合わないように、人間も民族や宗教のアイデンティティが強くなるほど調和しなくなる。じゃあそれが悪いことなのか。ラーメン屋のサイドメニューにケーキがないのはケーキ差別ではないように、移民を拒むのも外国人差別ではなくて国民のアイデンティティの問題である。イギリスのEU離脱も移民が増えすぎたアイデンティティの問題が原因で、経済的にデメリットがあってもEUを離脱して移民を制限することを選んだわけで、端っこの島国同士として日本もイギリスの失敗をよく見ておくべきである。アレクサンダー大王もチンギス・ハーンも周辺国家を侵略して領土を拡大しても維持できなかったし、台風の瞬間風速みたいな持続性のない繁栄をしても意味がない。日本は他の国と違って外国に征服されずに主権を維持したまま中国やヨーロッパと交流して文化が発展したのだから、その方向で独自の文化の成長を目指せばよいではないか。島国では大陸と比べて人口と資源が乏しいし、軍事力がないのでは成長したところで財産を守ることもできないので、成長の限界が来たならそこで成長を諦めて安定路線に転換するほうが幸福になれるかもしれない。日本は日露戦争で勝って調子に乗って西洋と同じ帝国主義をやろうとして無謀な太平洋戦争に突入して国民を大勢死なせたし、次は70年代の日米貿易摩擦に勝ってプラザ合意で円高になっても貿易黒字が増えてバブルが起きてジャパンアズナンバーワンと調子に乗って、その後アメリカでITが成長する一方で日本は相変わらず労働集約型の働き方で競おうとして国民に長時間労働とパワハラをしてうつや過労で自殺に追い込むくらい働かせても結局人口や資源の地力が違うので負けていて、似たような失敗を繰り返して若者を使い捨てている。日本の政治経済の首脳陣は経済成長のためなら何をやってもいいと思っているようだけれど、経済成長と引き換えに日本人としてのアイデンティティがなくなったり、企業が利益を出すために国民が不幸になるのでは成長する意味がないではないか。新自由主義でグローバル企業は成長したしコンビニがあちこちにできて便利にはなったけれど、店員は日本語が不自由で話が通じない移民で、外国に人材と技術と資本が流出して、土地が外国資本に買われて、田舎の若者が都会のインフラ維持のために低賃金で搾取されて少子化で地方の過疎地が消滅して、後継者がいない中小零細企業が廃業して、里山は手入れされなくなって畑は耕作放棄されて荒れて、伝統文化や事業の承継さえままならなくなっている。今の社会を作った高齢者たちは金や物と引き換えに息子が過労死して娘が売春して孫が自殺してそれを自己責任として見捨てるような社会を目指していたのか、果たしてそれを成長として誇れるのか。選挙だと70代の投票率が一番高いそうだけれど、理想と現実をよく考えて投票してほしいものである。
2021.10.30
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芸術の表現についての動画をアップロードしました。文芸誌は読者よりも新人賞の応募のほうが多いそうですが、毎回せわしなく応募するような人は表現したい欲求よりも賞をとって作家になりたいとかの欲求が強くて、表現したいことがないまま中身のない物語をでっちあげている印象です。個人的には文学賞の傾向と対策みたいなあんちょこには価値がないと思うし、そういうのを読んで他人の表現を真似して小説家になったところで自分の表現ではないので、たいした作品は書けないと思います。表現したいことを自由に思う存分表現して世間で評価されなくても別にいいやというのが表現者の態度であるべきで、そういうものに価値を見出すのが編集者の役割なのに、編集者が表現を理解していないのはゆゆしき問題です。初期の文學界は川端康成とか菊池寛とか小林秀雄とかの自分で創作や批評を発表していた人たちが編集者だったので表現を理解していたのに、いまの編集者は創作も批評もしなくて表現者でない事務職になってしまって作品の良し悪しがわからないのが純文学の低迷の原因だと私は思うので、小説家を目指す人でも編集者を目指す人でも表現を理解してほしいものです。
2021.10.28
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文部科学省の2020年度の問題行動・不登校調査で、児童生徒間のネットを使ったいじめ件数が過去最多になって、「うざい」「はい論破」といってのけ者にするネットいじめが流行っているそうな。最近はヘイトスピーチも問題になって規制されている。というわけで言葉遣いについて考えることにした。●意見を言うときは論理と感情のバランスが大事言葉は論理でもあり、感情の発露でもある。論理と感情のどちらかがあればいいのではなく両方大事で、状況によって使い分ける必要がある。・議論には論理が必要皆が思いついたことを適当に言うだけでは議論にならないので、一貫した論理に基づいて意見を言う必要があるし、論理と関係のない部分は脱線になるので言う必要がない。例えば学術論文は研究内容を理解してもらうのが目的で著者への共感を求めているわけではないので著者の感情は必要なくて、飼っている猫のねこ太郎が病気で悲しいときに論文を書いたのでデータが間違っていても大目にみてよという泣き落としは通用しない。・論理には根拠が必要理路整然と意見を言っても、根拠となるデータが間違っていたらその意見は間違っているので、根拠の正当性を示す必要がある。例えばキャットフード事業に投資したら5年で10%の利益がでるので投資したほうがよいですよという話を持ち掛けられたら、どういう仕組みで利益が出るのか、5年経営を続けられるのかという根拠がないと信用できない。独身でペットを飼う人が増えて徐々にキャットフードのシェアが伸びているとかの統計や企業のバランスシートなどの根拠があると信憑性が増す。大学を卒業するためにはたいていの学部でただ単位をとるだけではだめで卒業論文を書かないといけないけれど、これは論文を書くことが資料を調べたりデータをとったりして根拠に基づいて自分の意見を言う能力があることの証明となるからである。・説得には感情が必要人間は扁桃体の感情が生存本能として不安や恐怖に敏感に反応して瞬間的に働いて、前頭葉の論理は後から機能するので、論理が正しくても感情的に納得しない人がいて、センメルヴェイス反射みたいに新事実が発覚しても自分が間違っていることを感情的に認めない反応が起きたり、初対面の医者の診察を信用せずに知人に勧められた根拠のない民間療法に頼ったりする人がいる。こういう場合に相手を説得するには論理の正しさを強調するよりも感情に訴えるほうが効果的な場合がある。例えば猫に残飯を与えて病気にした飼い主を説得したかったら「猫はキャットフードだけで栄養が足りているので塩分が高いものを食べさせてはいけません」と論理的に正しいことを言うよりも「人間用の食べ物よりも猫用の食べ物のほうががねこ太郎ちゃんが喜びますよ」とかの感情に訴えると説得できたりする。ステレオタイプな痴話げんかだと男性が論理的に話している一方で女性が感情的になっているというのがあるけれど、この場合も男性が女性を説得したかったら感情に訴えないといけない。・感情にほだされないように注意が必要あまり頭が良くない人は感情で直感的に物事を判断しがちで、おどおどと正しいことを言う人よりも堂々と間違ったことを言う人のほうが頼もしそうに見えるので、みのもんたや細木数子や坂上忍みたいなズバリ言う人がテレビで人気になるし、雄弁な馬鹿が政治家になってしばしば政治は間違った方向に向かう。共感さえ得られれば論理や根拠がでたらめでも相手を説得できるので、感情に訴えるやり方は詐欺にも悪用されてしまう。「このままでは日本は財政破綻する」とか「あんた地獄行くよ」とかの不安や恐怖や威圧で感情を揺さぶって説得しようとするやり方は論理を証明できない人の常套手段となっている。感情的に説得しようとしてくる相手には、なぜそうなるの?定義は?ソースは?と論拠をひとつづつ問い直すと相手の論理の破綻を見つけやすくなる。●コミュニケーションのための言葉遣い・ネットリテラシーの必要性町田市のICT教育推進モデル校としてタブレットを配っていた小学校でネットいじめ自殺が起きたように、子供にネットリテラシーを教えていないまま道具だけ渡しても建設的に使われない。それゆえにネットリテラシーを教育する必要がある。対面での議論なら表情とかで相手の感情の変化に気づいて言葉遣いを修正したりフォローしたりできるし、言った言葉はしばらくしたら忘れることもできるけれど、ネットで相手と直接顔を合わせないまま議論すると相手の感情に気づきにくくなるし、暴言のログが残ることでさらにストレスになる。たぶん子供はグループチャットに参加しないと仲間外れにされて居場所がなくなるし、参加しても既読スルーできなくてすぐに返答しないと仲間外れになるので、いじめられた子供はチャットに参加したくないけど無視もできないというどうしようもない状況から逃げるために自殺をしたのかもしれない。大人でもSNS疲れをして子供の頃にSNSがなくて良かったと言う人がいるくらいなので、子供には相当なストレスになっていると思う。ネットはコミュニケーションの道具になるだけでなくて、相手を突き放してコミュニケーションを放棄する凶器にもなる。「うざい」はもうあなたの意見を聞く気はないですよという意思表示だし、「はい論破」は相手を馬鹿にしたニュアンスがあって自尊心が傷つく。暴言でストレスを受けると自己防衛の反応としてノルアドレナリンが放出されて、怒って緊張した闘争モードになって、言葉も攻撃的になる。こうなると論理の正しさの検討よりも相手を攻撃してやっつけるほうに意識が向かって、建設的なコミュニケーションにはならない。言葉遣いが悪いと当事者だけでなくて文章を読んだ第三者も不快にしかねない。そもそも子供が手本にするべき大人でさえネットリテラシーがない。例えば政治の話題は荒れやすいけれど、ネット右翼にしてもネット左翼にしても相手を馬鹿にする感情的な言葉が多くて、政治家の不正に義憤を感じるのはわかるけれど意見が正しいか間違っているかという以前に口汚くて議論するに値しない人として敬遠されることになるし、他人に聞いてもらえない意見を言うのは単なる自己満足である。それゆえに自分の意見を他人に聞いてほしい人こそネットリテラシーが必要で、個人的な感情を抑えて建設的な意見をいわないといけない。・インターネットは言葉遣いを訓練するのに向いている人間が直接会える人は学校や仕事の人間関係に限られているけれど、ネットなら普段接点がない老若男女のあらゆる人と意見交換をすることができるので学ぶことが多い。しかし共通点が少ないぶん軋轢も多くて、年齢や宗教への言及とかどんな言葉が相手を怒らせるかわからないので、慎重に言葉を選ぶ必要がある。質問をして答えてもらったらお礼をする、人を「〇〇人は~だ」みたいな人種や国籍や思想のステレオタイプで判断せずにひとりひとり異なる個人として話を聞く、自分の意見を否定されても怒ったりブロック太郎したりせずに意見が違う相手の話を聞く、ということをやって言葉遣いを改善していけばインターネットはもっと有意義で快適な空間になると思う。・論破よりも他人の意見を認めるほうが大事子供は論破するのが頭がよくてかっこいいことのように思っているようだけれど、正解がない話題や正解がまだ見つかっていない話題に対しては私の意見とあなたの意見は違いますねで終わる話で、そもそも論破する必要がない。論破する必要がないものを論破しようとするのは頭が悪い。例えば犬と猫のどっちがかわいいかという議論は各自好きなペットを飼えばいいだけで議論自体が無駄で、自分が正しいんだーお前は間違っているんだーと批難して相手の意見を変えさせようとするのは意味がない。仮に意見が間違っていても人間には間違った意見を言って間違った生き方をする自由もあるし、間違っていたと思われていたことが後で正しいと証明されることもあるし、自分が間違っていることもあるし、いろいろな意見があるから社会が発展するので、世界を自分色に染めたいナルシストや独裁者でないなら他人が間違ってると思っても放っておけばいい。相手が間違っていると思うからといってそこで得意げにやっつけたり、押しつけがましく説得したり、交友をやめたりするのではなくて、意見が違う他人の存在を認める姿勢が大事である。・人生で議論は避けて通れない個人の生き方や考え方は自由だけれど、政策に関する問題は他人事ですまなくて自分の生活にも影響がでるので、意見が違う相手と政策の是非を議論する必要がある。香川県のネット・ゲーム依存症対策条例がゲームは悪いものだという科学的根拠のない俗信で条例が作られたように、政策の根拠が納得できなければそれに対して反論しないと不当に自由や権利を制限されかねない。それゆえに政策が間違っていると思ったら意見を言うべきだし、誰が何を根拠にどんな発言をしたのか検証できるように議論と意思決定の過程が公開されるべきである。ネットリテラシーに則って真摯に議論をすることが声が大きい人の暴走や世論誘導のネット工作を防いで社会をよくすることにつながる。批判されたら嫌だとか他人と対立したくないとかの理由で自分の意見を言わない人がいるけれど、それは民主主義社会に参加しないということなので意見を言わない人が増えると社会がよくならない。●感情的な言葉への対処法・心に着ぐるみを着せる自分や相手の言葉の語尾に「にゃん」をつけると、「うざいにゃん」「はい論破にゃん」のように感情にクッションを効かせてごまかすことができるにゃん。この猫はよく鳴くにゃんと考えれば相手の感情的な言葉を受け流しやすくなるかもしれないにゃん。・感情のない悲しき論理モンスターになるゲームのモンスターで魔法攻撃無効で物理攻撃しか効かないやつみたいに、「オマエ、ココチガウ」「ソース、コレミロ」「オマエ、ナゼオコル、ワカラナイ」とひたすら論理的な議論に徹して相手の攻撃的な感情を無視すればダメージをうけなくなる。ただしこのやり方では他の人と仲良くなれないかもしれない。・煽り合いを楽しむ皮肉や冗談はストレスを笑いに変えることができるので、心の防衛機能として役にたつ。「はい論破」と言われたら、「はい論破頂きました。通算一万論破を記念して最優秀論破賞を授与します。永世論破王ひろゆき氏の祝辞を読み上げます。『それってあなたの感想ですよね』」とか煽り返すと楽しいかもしれないし、ユニークな返し技ができる子供はいじめられるどころかかえって人気になるかもしれない。・アンガーマネジメントをする自分が怒りっぽいと自覚している人は、怒りを感じてから6秒待って怒りのレベルを数値化すると感情を抑えやすくなる。カッとなって即レスせずに時間をかけて言葉の応酬のテンポを落とすことで、感情任せに発言せずに理性的に考える時間ができる。・慈悲心を持つ相手もストレスがあって大変なのだねと相手の感情を理解すると、相手の怒りの言葉を自分への攻撃ではなく哀しみや苦しみの発露としてとらえて、共感したり同情したりして無礼な言葉を許すことができるかもしれない。ただし人生経験を経て精神的に成熟していて自分に余裕がないと相手の苦悩を受け止められないので、子供にはこのやり方は無理だと思う。・風呂に入るストレスでノルアドレナリンが出ると緊張して血管が収縮して血圧が上がって、頭に血が上った攻撃的な状態になる。物理的にこの緊張を解除するには37-39度のぬるめの風呂に入ればよくて、副交感神経が刺激されて血管が拡張して血圧が下がってリラックスする。昔は日本人は銭湯で裸の付き合いをしてきたけれど、風呂で親睦を深めるのは科学的に合理的といえる。家族や恋人と喧嘩をしてヒートアップした場合はいったん風呂に入って仕切りなおすとスムーズに会話ができるかもしれない。朝まで生テレビとかの討論番組は温泉で裸で議論してポロリすれば視聴率が上がると思う。
2021.10.24
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岸田総理が衆議院を解散して31日に衆議院選挙の投開票があるので、全国で候補者選びや街頭演説などの選挙活動が始まっている。2022年7月に参議院選挙もある。この衆議院選挙と参議院選挙の結果次第で今後数年の日本の方向性が変わる重大な局面なので、選挙について考えることにした。●選挙とは何か選挙とは投票によって議員を選ぶことである。日本では一選挙区あたり一人の議員を選ぶ小選挙区制と、各政党の投票数に比例して候補者に議席を配分する比例代表制を両方取り入れて、1996年から小選挙区比例代表並立制にしている。衆議院議員の議席数は465席あって、その過半数の議席をとった政党から総理大臣が選ばれて政権を担う与党になって、政権を担わないその他の政党は野党になる。●選挙の争点はコロナ後の財政出動と経済成長外交も防衛も当然重要だけれど、それ以前に現状はコロナ禍で国民の生活が成り立っていないので、まずは失職したり減収したりした大勢の困窮した人の生活の立て直しが必要である。自民党の総裁選で積極財政派の岸田が新総裁になった事で与党も野党も積極財政派になったので、どの分野に財政出動するのか、財源はどうするのかの政策の違いが重要になってくる。財政出動するにしてもPB黒字化目標を維持するかしないかで政策が違ってきて、PB黒字化目標を維持するなら財源は増税するかどこかの予算を削るかすることになるし、PB黒字化目標を凍結や廃止するなら国債が財源になるけれどインフレ率の制御が課題になる。新型コロナはワクチンで一段落して世界中で経済活動が再開し始めたので、今後どうやって国民の所得を上げてデフレを脱却して先進国で日本だけが経済成長していない状況を変えるのかという成長戦略が問われる。財務省の矢野事務次官は文芸春秋にバラマキ合戦で財政破綻すると与野党の政策を批判する記事を寄稿したけれど、これは財務省の見解と矛盾していて政治家からも経済学者からも間違っていると批判されていて、財政破綻論は間違っていてインフレ率が許容する範囲なら国債を発行しても問題ないことは政治家も庶民も理解しつつある。れいわ新選組の高井たかし衆議院議員は「年間144兆円国債を発行してもインフレにならない」という記事で、「参議院調査室の試算では、4年間144兆円の国債を発行してもインフレ率は2%にならない。それどころか3年目、4年目にはインフレ率は下がっていく。」と言っている。実際に定額給付金や持続化給付金を配っても全くインフレは起きていない。クルーグマンはNIKKEI STYLEの「2030年、変化の鍵握るのは中国 米ノーベル経済学者」という記事で、「いま日本に必要なのは、大規模な金融緩和と短期的な大規模財政出動を同時に行い、意図的にインフレ率を上げることです。」と言っている。アベノミクスでは異次元の金融緩和はしたもののPB黒字化を目指す緊縮財政派の麻生財務大臣と財務省が抵抗して財政出動をせずに消費増税したので、銀行に金が余っていて低金利でも借り手がいなくて市中に金が回らなくて消費に使われなかったのでインフレ率が上がらなくて、金融緩和だけでインフレを目指したリフレ派の政策は失敗した。というわけでどの政党が与党になってもデフレ脱却のためには財政出動することが必要といえる。・各党の経済政策自民党は岸田総理がコロナ禍ではPB黒字化目標にこだわらないというものの、党内の指示を得るためなのか政策が中途半端で、減税はしないし鈴木財務大臣が緊縮財政派だし政権としてはPB黒字化目標を堅持する方針なので、安倍政権と同様に財政出動をたいしてやらない可能性がある。岸田総理が総裁選で主張した所得倍増とかの目標はすぐにひっこめて衆議院選挙の公約にはしなかったし、経済同友会は段階的に消費税を19%にしろと提言しているし、経団連もPB黒字化を支持しているので、その圧力をはねのけて財政出動するほどのリーダーシップは岸田にはなくて口だけで終わると私は思う。もし自民党が政権をとったらとりあえず給付金を配ったりして人気取りの政策をやって支持率を上げて、2022年の参議院選挙の後にもはやコロナの危機的状況は脱したとか言って財政出動をやめて、法人税の減税で企業の競争力をつけて成長をめざすとかの名目でその穴埋めにさらに消費税が増税されるかもしれない。経団連とかの輸出企業は外国の消費者から取れない分の消費税が還付されるので消費税を増税されてもダメージがないし、おまけに法人税が減税されればさらに利益が増えるので、経済団体は消費増税を支持して政治家に献金するわけである。自民党内で大臣の席替えをしたところで所詮同じ穴の狢で、そもそも自民党の間違った政策のせいで就職氷河期世代が見捨てられてデフレと不況が長引いて少子化が深刻化したし、安倍政権ではリーマンショック級の危機なら消費増税を見送るといっていたのに増税を強行したし、GoToトラベルや休業補償の支援対象も偏っていたし、定額給付金の再給付も渋ったし、その当事者の安倍麻生甘利の影響力が大きい内閣なので自民党にコロナ禍で困窮する国民全員を救う姿勢があるかは怪しくて、自民党を支持する業界や団体だけ財政出動で支援して、あとは就職氷河期世代やコロナ対策と同様に自助でなんとかしろと見捨てる可能性がある。というわけで私は自民党には何も期待していない。立憲民主党は自国通貨建て国債で財政破綻はしないとしてPB黒字化目標凍結を主張する小沢一郎が合流して、緊縮財政派だった枝野代表も緊縮財政では選挙で勝てないと理解したようで積極財政に方針を変えて、PB黒字化凍結を軸にして国債を財源にして消費税や所得税の減税と低所得者への給付の財政出動やると言っている。立憲民主党の政策がちゃんと実行されれば減税や給付金のぶん庶民の可処分所得が増えて消費が増えて企業の利益も増えると思われる。ただし政策をちゃんと実行できるかどうかが問題で、民主党の野田政権が消費増税を決めたように、もともと左翼は緊縮財政派が多くて左翼を支持するマスコミや高齢者でさえ通貨発行の仕組みを理解していないので、立憲民主党の議員が経済政策を勉強したといっても過去の間違った政策を反省して財務省と喧嘩できるのか不安がある。国民民主党は立憲民主党よりも積極財政で、消費税減税や給付金や教育費無料化やインボイス制度導入中止の他に給付付き税額控除の日本型ベーシックインカムを構想していて、日銀保有国債の一部永久国債化での財源確保を提言している。経済政策としては国民民主党が一番よく考えていて、玉木代表は元財務官僚だったので財務省の緊縮財政派の官僚と真っ向から喧嘩できそうで期待できる。日本維新の会はPB黒字化目標を維持して予算を削った分を財源にして成長してから分配する方針で、消費税や法人税を減税して年金や生活保護をベーシックインカムに統合する政策を掲げている。新自由主義で小さな政府を目指す政策なので、岸田政権の新自由主義からの転換の方針とは対立していて、松井代表は自民党と連立政権を組まないと記者会見で答えたので与党になる可能性は低い。成長してから分配すると言っても、新自由主義でいくら企業が最高利益を上げても賃金として分配されなかったからデフレの現状があるわけで、日本維新の会の新自由主義のやり方ではデフレ脱却は無理だと思う。●投票しないとどうなるのか民主主義国家では国民の民度が政治家の民度なので、政治家によい政治をしてもらおうと思ったら国民も政策を勉強して投票で反映しないといけない。支持政党がない一般人が政治に興味がないからといって政策を知ろうとせずに投票に行かないと、党員や宗教団体や組合などの組織票がある与党が有利になって、いつも同じ政党が過半数の議席数をとるようになる。そうなると与党の政治家に落選する危機感がなくなって、企業に接待されて見返りに便宜をはかって癒着したり、親族が経営する会社が有利になる政策をしたり、党内の派閥のために動いて地元の意見を聞かなくなったり、世襲で権力を残そうとしたりする。投票しても何も変わらないとか誰が政治家をやっても同じだとか言って投票しない人がいるけれど、そういう人が投票しないから何も変わらないのである。政治経済の現状に不満があるなら現職の議員以外に投票して別の政策をやる必要がある。野党に投票して政権をとれなくても野党の議員が増えればそのぶん質疑時間が増えて与党の政策を批判しやすくなるので、投票に行くべきである。●投票したほうがいい候補者・自分と意見が似ている候補者自民党の総裁選挙で政策がまったく違っていたように政党内でも議員によって意見が違うので、党名だけで判断せずに個別の候補者の意見を見る必要がある。自分の選挙区の選挙公報が届いたら各候補者の主張を見て、どんな社会を作りたいのか、そのためにどんな政策をやろうとしているのか、目標と手段の両方で自分の考え方と一番似ている人を選べばよい。経済や外交や防衛や福祉の全部の政策にまるきり同意ということはほぼないので、目玉の政策だけは同意できるとか、他の候補者よりは同意できる政策の割合が高いとかで妥協するとよい。・勉強して情報発信をしている候補者同じ政党の議員だからと言って同じ意見ではなくて、個々の議員で意見は違うので、政党名で判断せずに個人の意見を判断する必要がある。テレビやYouTubeとかの討論番組に出たり、SNSで自分の意見を発信する議員は意見が明確なので支持しやすい。例えばYouTubeのインターネットTV超人大陸というチャンネルで自民党の議員連盟「日本の未来を考える勉強会」が講師を呼んで政策の勉強をしている動画がアップロードされていて、議員がどういうデータに基づいてどういう政策をやろうとしているのか理解しやすい。密室で談合して有権者に経緯を説明しないでのり弁当みたいな資料を出したり、都合が悪くなると入院したり記憶にないとはぐらかしたりして答弁から逃げて説明責任を果たさない議員がいるけれど、ふだんから勉強して情報発信をしている人ならそういう議員になりにくい。ただし河野太郎みたいに発信をしても主張がころころ変わって批判する人のTwitterをブロックしたり質問状に回答しなかったりして議論や説明から逃げるのはだめである。●投票しないほうがよい候補者投票したい候補者がいない場合は、消去法でだめな候補者以外の人に投票すれば何かしら社会の役に立つ可能性がある。当選させても社会の役に立つどころか社会の害になるような人もいるし、一旦当選させてしまうと国会議員が犯罪をしても国会の会期中は不逮捕特権があってすぐに逮捕できないので、単に名前を知っているからという理由で投票しないほうがよい。・世襲議員たいていの世襲議員は甘やかされて育って親のコネで民間企業にお客さん扱いで数年籍を置いて箔付けする程度の就労経験しかなくて常識や金銭感覚が欠如している。世襲議員だからといって全員がだめな人というわけではないけれど、下駄を履かされて周囲に手厚くサポートされてようやく半人前の働きしかできない小泉進次郎みたいな無能な働き者は役に立たないどころか社会に悪影響を及ぼす。小泉進次郎が46という数字が浮かんだとかの思い付きでガソリン車をなくす方針にしたけれど、雪国でEVは不安がある。もし大雪で渋滞した車がEVだったら一晩暖房を使ってしのぐうちに電池が切れて動かせなくなってレッカー車が必要になって渋滞を長引かせる原因になって渋滞解消に長時間かかるようになったり車中で凍死する危険が高まったりするだろうし、雪国で生活していない小泉進次郎は想像力が欠如しているので自己満足の独りよがりな理想を掲げてセクシーを気取って現実の庶民の生活を無視する。こういう無能な世襲議員でも組織票で当選してしまうので、小選挙区では他の候補に投票して落とすべきである。・民間の就労経験が乏しい人世襲議員とは別に民間の就労経験が乏しい人にも政治家にしたら危ないタイプがいる。しばしば公務員は常識が欠如していると言われるように、官僚、裁判官、教師、自衛隊などの特殊な業界で働いて民間の商慣習を理解しないまま安定した収入を得てきた人は経済や経営の常識がなかったり、金を稼ぐ大変さを知らずに予算を無駄遣いしたりする可能性がある。例えば通産省の官僚上がりの西村康稔経済再生担当大臣が酒類の販売業者に飲食店との取引を辞めさせるように求めるとか金融機関から飲食店に働きかけるように求めるとか言い出して、批判が殺到して撤回している。これでは経済再生大臣どころか経済破壊大臣で、国民の生命や財産を守るという信念がなくて庶民が金を稼ぐ大変さを知らないのでこういう国民いじめを平然とやろうとする。元航空幕僚長の田母神俊雄は自衛隊員としては優秀だったのかもしれないけれど、政治家になったら使途不明金が問題になって、収支の帳簿をつけるという社会人として基本的なことさえできていなかった。元公務員だからといって全員がだめな人というわけではないし官僚には優秀な人も多いけれど、優秀であるがゆえに傲慢で他人の意見を聞かなくて間違いを認めないこともあるので、変な言動をしないか注意が必要である。・やりたいことがなくて政治家の地位がほしい人単に政治家という特権的な身分と高収入が欲しいだけで、特にやりたいことがない候補者がいる。防災が大事だとか育児が大事だとかいろいろ列挙するタイプがこれで、政治家になったからにはこの政策だけはやりたいんだという信念がないのである。いろいろな大事な社会問題に取り組むのは当然で、その社会問題を解決するための知恵や行動力があるかどうかが重要である。戸田市議会議員のスーパークレイジー君みたいに居住実態が問題視されて当選無効になる議員がときどきいるけれど、対立候補が弱くて勝てそうだからという理由で縁もゆかりもない土地から立候補する人は市民の声を聴く気がなくて市民のための政治をやらないので投票してはいけない。衆議院議員をやめて東京都知事になった小池百合子が7つのゼロの公約を掲げてひとつも達成できなかったように、政治家の地位を得ることが目的の人は信念がないので任期中に頑張って公約を達成しようとしない。ましてや公約でさえなくて前任者から引き継いだ東京オリンピックはさらにやる気がなくて問題だらけになった。たいていの市民は選挙が終わったら選挙公報を捨てて候補者の公約をいちいち覚えていなくて公約を達成しなくても責任を追及しないので、いったん当選してしまうと公約がおざなりになって忘れられてしまって、結局問題が何も解決しないままになる。・有名人有名人も政治家としてやりたいことがない人が多くて、単に権力欲や老後の生活費が目当てで信念や政策がないのに立候補したりする。元芸能人や元スポーツ選手は比例の票集めに使われるけれど、当選したところで法律や経済や外交の知識がなくて重要な法案で党の言いなりになるだけなのであまり役に立たない。何かの分野で実績がある人だから政治でも頑張ってくれるかというと必ずしもそうではない。例えば東京都知事の青島幸男や大阪府知事の横山ノックは知名度があったので当選したけれど、政治家としては何の結果も残さなかった。猪瀬や舛添もメディアに出ていて有名だったので東京都知事になったけれど、どっちも金銭問題で辞めた。結局こういう目立ちたがりの有名人は市民の生活よりも自分の利益や名誉のほうが大事だったわけである。ワタミの会長の渡邉美樹は金はあるのでたぶん名誉を求めて政治家になりたがって、2011年の東京都知事選挙に出馬して落選して、2013年に自民党公認の比例で当選して参議院議員になったけれど1期やってまたワタミに戻って、政治家としては自民党の金づるになった程度でたいした活動をしなかった。庶民は政治についてよく知らなくて、単に名前を知っているからというだけで政策を見ずに有名人に投票してしまうけれど、それではだめなのだということをいい加減に学習しないといけない。・有名になりたい人選挙公報は全戸に配られるので、有名になりたい人がこれを利用したがる。一定以上の得票があれば供託金は返還されるし、供託金が返還されないとしても新聞に広告を出すより安いので、アイドルやホストや成金とかが自分の知名度を上げるために立候補するパターンがある。こういう人は選挙を自己PRの手段として使って他のビジネスにつなげるのが目的で、市民のための政治をやる気はなくて自分の利益のために行動するので投票してはいけない。・予算を私物化する人市長室にサウナを設置した池田市の冨田裕樹市長のように、公私混同して予算を自分の金のように使うタイプの人がいる。自己愛性人格障害やサイコパスとかは自分の利益を最大化するために他人を犠牲にする事を何とも思わなくて、こういう人はたいてい派手好きでブランド品を好んで金遣いが荒くて変な髪型をして目つきが悪くて饒舌だったりするので、うさんくささがわかりやすい。・数合わせに急に立候補した人小泉純一郎が自民党をぶっ壊すとパフォーマンスしてB層に人気だった時は比例で勝ち過ぎて小泉チルドレンが大量に当選して、杉村太蔵とかの数合わせで立候補した人まで政治家になって役に立たない新人議員のために無駄金が使われた。選挙の直前になっていきなりブログを作りだしたりして準備が足りないような候補者は当選したところで政策も十分に考えていないし、所属政党の方針通りに動くだけで自分の考えがないし市民の声を代弁するわけでもないので、政治家として役に立たない。・外国の息がかかっている人社民党の土井たか子が北朝鮮の言い分を信じて拉致問題を無視したように、日本よりも外国を優先する外国の代理人みたいな政治家がいる。特に中国は外国の政治家を賄賂やハニートラップで味方につけて、対中外交を有利にするように積極的に工作しているので気を付ける必要がある。抗日連合会という反日中国系組織の支援をうけて反日思想の代弁者となったアメリカのマイク・ホンダが典型的だし、オーストラリアでもシャオケット・モーセルメイン議員が中国寄りの発言をしたことが問題視されてスパイ対策で家宅捜索されたし、スパイ防止法がなくてスパイ天国と呼ばれている日本は一層親中派議員への工作がされているとみるべきだろう。国際社会が中国の非人道的行為を批判しているにもかかわらず対中非難決議を見送った自民党や公明党の議員は中国の影響下にある可能性があるし、こういう人は国民の利益のために行動せずに外国の利権や賄賂で自分が利益を得るための政治をやる。あるいは民間企業でもユニクロの柳井がしばしば中国寄りの発言をしているように、中国で事業を展開している経営者は中国寄りになるので、そういう企業に支援をうけた人が立候補したら要注意である。警戒するのは中国だけでなくて、アメリカの息がかかっていて新自由主義的な政策で規制を緩和して水道とかのインフラを民営化して外資を参入させようとする人もいる。候補者の経歴を見て、勤務先がグローバル企業や外資系企業の場合はどこかの国や企業や団体から支援を受けた手先の可能性がある。過去の発言が遡れる場合は、歴史認識や領土問題で日本より外国を擁護する発言をしている人は投票しないほうがよい。・経済や法律の知識がない高齢者2007年4月の東京都知事選挙で73歳の黒川紀章が立候補して落選したけれど、その年の10月に亡くなった。もし当選してから死んでいたらまた選挙をやって無駄に金が使われるところだった。自民党の内規だと衆議院議員比例代表者候補は73歳定年制だけれど、小選挙区では年齢制限がないので高齢者でも選挙に出てくる。高齢者は寿命以外にも認知能力が心配で、時代が変わっても新しいことを覚えられないことが危惧される。1949年生まれの桜田義孝議員がサイバーセキュリティ担当大臣になってもUSBを理解していなかったように、団塊の世代以上の年代はもはや現代の科学技術についていけていない。台湾で史上最年少の35歳でデジタル担当に抜擢されたオードリー・タンとは対照的である。ICTが発展するたびに世界の経済や軍事戦略が急変してハッキングやスパイへの高度な情報漏洩対策が必要になる中で技術革新についていけない高齢の素人政治家のために秘書や官僚の能力が使われるのは時間の無駄なので、高齢者でなおかつ新人の候補者の場合は投票しないほうがよい。市町村議会レベルならそういう高齢者でもいいけれど、国会議員としては能力不足である。・政見放送でふざける人ウケを狙って政見放送で派手な格好をしたりパフォーマンスをしたりして目立とうとする候補者がたまにいる。自分が目立っただけで何かやった気になって満足する自己中心的な人は市民のための政治をしないので投票してはいけない。●最悪の事態を想定する平時は誰が政治家をやっても秘書や職員がミスをカバーするので大問題が起きることもなくてそれなりに仕事をするけれど、有事には政治家の能力次第で市民の生命が左右される。例えば墨田区がコロナウイルス対策で保健所の正規職員を増やして独自の対策をして入院待機者ゼロを目指して評価される一方で、杉並区や千葉では保健所のミスで入院が必要な人が自宅療養のまま放置されて孤独死が発生した。新型コロナで政府の無能ぶりに振り回されて修学旅行や部活の試合がなくなった高校生や、リモート講義ばかりで学生生活を楽しめない大学生や、就職先がなくなった新卒や、職場が閉店して解雇されたフリーターや、給付金の対象外になった風俗嬢とかの若者たちは、今まで政治に興味がなくても投票が自分の生活に及ぼす影響の大きさを理解したはずである。日本は首都直下型地震や南海トラフ地震がそのうち起きる可能性があるし、日本を敵視している中国や韓国や北朝鮮の軍事的なリスクもある。国難といえる規模の問題が起きた時に無能な政治家が与党だとろくに対策を打てなくなるし、熱海市の行政が悪徳土建業者を監督できなかったせいで土砂崩れで住民の生命や財産が失われたようなことが全国どこでも起こりうる。南海トラフ地震の死者が32万人で経済被害が220兆円、首都直下型地震の死者が2万3000人で経済被害が95兆円と想定されているけれど、自然災害で壊滅的な被害を受けた時の与党の政治家が緊縮財政派なら公立病院や備蓄を削減して被災者の医療や食料が足りなくなることもありうるし、コロナ支援と同様に不備ループで事業者への支援金がいつまでも支給されなかったり、特定の業者しか支援金をもらえなかったりする不公平がありうるし、復興支援をした後でプライマリーバランスを黒字化するために大増税で災害復興のための財政支出の赤字を回収しようとしたら日本の長期的な経済停滞と没落は決定的になって、自然災害の直接的な被害を受けなかった地域も増税の生活苦で自殺が増えかねない。あるいは自衛隊を段階的に解消する方針の共産党が政権をとって自衛隊の備品や人員を減らしたら災害救助や被災者への物資の運搬が十分にできなくなるかもしれない。だめな政治家を選んだら自分や家族が生命や財産に甚大な被害をうけるのだという意識を持って投票するべきである。
2021.10.18
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最近はUSJの鬼滅の刃の禰豆子ポップコーンバケツ(3700円)が人気で、4時間の行列ができて2倍以上の値段で転売されているようである。たぶんこれをポップコーンを食べるためだけに使う人はほぼいないだろうし、部屋に飾ったりするために買うのだろうけれど、それは実用ではなくて呪物的な扱い方である。コンテンツビジネスとキャラクターグッズについて考えるでも考えたけれど、キャラクターグッズにフェティシズムも関連するのでまた考えることにした。●フェティシズムとは何かフェティシズムとはフランス語のフェティッシュ(物神、呪物)から生じた言葉で、ある対象、あるいはその断片を偏愛する態度の事である。人類学では魔術などで物を崇拝の対象にする物神崇拝を意味して、マルクスの資本論だと人間の労働の生産物の商品や貨幣や資本が独自に運動するかのように見えてそれを当然とする意識が生み出されて人間が支配されることを意味して、精神分析では足フェチなどの倒錯的な性的嗜好を意味する。●喪失を埋めるための呪物死なない人間はいないと理性ではわかっているれど、感情的には割り切れない。子供を小さいうちに亡くした親はもう必要なくなったはずの子供部屋の物を捨てられなくなって後生大事にするようになる。あるいは普通は服は経年劣化したら捨てるけれど、元恋人からのプレゼントとかを捨てられずに取っておく人がいて、物に単なる実用性以上の感情がこもった呪物化している。物語も終わらない物語はないので、〇〇ロスの埋め合わせのためにキャラクターグッズを買う人が出てくる。フィクションは本来は読者が所有できるものではないけれど、物語の断片であるキャラクターをグッズ化して具現化することで個人所有することが可能になる。これらの喪失を埋める呪物は失った物の代替物にすぎなくて、喪失したもの以上の幸福をもたらすわけではない。●キャラクターグッズの功罪クリエイターは新しい物語をポンポン作れるわけではないし、どんなに良い作品でも一人一冊しか買わないので売り上げに上限がある。しかしキャラクターグッズはぽんぽん作れて一人で何個も買うので、著作権料でクリエイターの収入が増える。特にフィギュアや抱き枕などの異性のキャラクターグッズは物欲と性欲の両方を満たすので高額でも売れ行きがいい。そうなると著作権で商売したいプロデューサーの指示で作品作りの方向性が美男美女のキャラクターが出てくる方向性に縛られて、創作の自由度が下がってクリエイターにとってよいことばかりではない。物語よりもキャラクターグッズのほうが金を稼ぐようになると、人間が自ら生み出したものやシステムに支配されるという自己疎外が起きる。例えば『DRAGON BALL』は人気になりすぎて、作者は連載を終わらせたがっているのにおもちゃ会社とかの売り上げの影響が大きいので編集者に無理やり連載を続けさせられて、作者は自分の作品なのに自分の自由にならなくなって、大金を稼いだら生活の心配をせずに好きに創作できるどころか逆に創作意欲がなくなって才能が枯れてしまった。このようにキャラクターグッズがクリエイターの創作の障害になる。さらにキャラクターが作者の手を離れて独り歩きするようになって、『サザエさん』や『クレヨンしんちゃん』は作者の死後も脚本家に勝手にストーリーを作られて、もはや著作者人格権はなくて原作者の表現とは言えなくなっている。アニメ版の『サザエさん』は原作の漫画にあった風刺がなくなって毒気が抜かれてしまっていて原作とまったく違うものが国民的アニメ扱いされて、長谷川町子はアニメ版が嫌いだったようである。私は物語には興味があるけれど、キャラクターグッズには興味がない。海洋堂のフィギュアとかはよくできていると思うけれど、金を払って個人所有して鑑賞したいとは思わない。漫画はキャラクターグッズでの商売が盛んだけれど、読者が好きな作品のグッズを所有することにばかり執着して、物語が伝えたかったテーマを理解しないのでは鑑賞する意味がないではないか。●呪物のオークションの高騰美術品だと最近の建物に和室がなくなったことで日本画を飾る場所がなくなって日本画の値段が下がっているそうだけれど、これは美術品は部屋の装飾品のための実用品だからである。その一方で美術品でもなくて使い道のないものがオークションで高値を付けている。欧米だと有名人の手紙とかの実用性がない骨董品がオークションで数百万円で売買されているけれど、なぜ実用性がないものを高値で買うのかというと、たぶん歴史の一部を所有して偉人とのつながりを感じたいとかの理由で、何か価値があるものを所有している感覚を満たす物に大金を払って崇拝して呪物化しているといえる。最近は一点物の骨董品だけでなくて未開封のファミコンソフトとかトレーディングカードとかの技術的に複製可能な工業製品でさえ高値を付けるようになった。博物館の資料として文化的価値がある一点物の骨董品と違って、大量生産された製品は本来は高値をつけるものではない。金融緩和で金が余っているのが背景にあるのだろうけれど、トレーディングカードが投資対象になって箱買いして未開封のまま保存されたりして、誰にも遊ばれなくておもちゃとしての役目を果たさなかったものがコレクション目的や転売目的で高値をつけるのは本末転倒で、資本主義的なフェティシズムで金に行動が支配されて物事の本質から遠ざかっている。●所有は必要なのか何か欲しいものがあるから仕事を頑張って稼ぐのは動機付けとしては悪くはないけれど、欲しがり過ぎてもよくない。欲望が肥大して欲しいものが手に入らないストレスで自殺するアノミー的自殺は現代に特有の自殺のパターンで、生活保護をもらえば貧乏でも生きていけるのに、欲しいものが手に入らないくらいなら死ぬことを選択する人がいる。しかし果たして所有することは命を捨てるほど重要なことなのか疑問である。本質的に人間が所有できるのは自分の体だけである。あとの物は法律で所有権を保障されているだけで、中国の不動産みたいに高額で家の所有権を買ったところで政府が再開発するから移住しろといえば奪われる程度のものでしかない。配偶者にしても法律で財産を共有する権利を保障されただけで、所有して思い通りにできるわけではないし離婚することもある。数十年のローンを組んでこだわりの大きな家を建てたところで修繕費や固定資産税がかさんで孫の代には家具の趣味も変わって負担になって売りに出されるし、大金を払って戒名をつけて大きな墓を立てたところでひ孫の代には名前を忘れられて墓じまいされる。その程度の物を生涯をかけて肉体と精神をすり減らして手に入れようとするのは本当に幸福につながるのか。スーパーカーを買えない代償としてミニカーを集める人がいるように、すべてを手に入れられないからこそ欲望の欠片の呪物を所有することに執着する人が出てくるけれど、万物は流転してあらゆるものは死ぬか壊れるかするし、執着するほど手に入らない苦しみや手に入れたものを失う苦しみが深まる。だったらいっそ所有への執着を捨ててしまうほうが幸福になれると思う。断捨離やミニマリズムが流行ったりシェアハウスやカーシェアなどのビジネスが出てきたのは、単に日本人がものを買えないほど貧乏になったからだけではなくて、現代人が所有することにあまり価値を見出さなくなったからだろう。SNSやオンラインサロンが流行ったのも同様に、人脈を個人所有するより共有するほうが交友関係が広がって相乗効果があるからだろう。インターネットは知識を共有する装置として定着して、プロがレシピやDIYのやり方を投稿するので、いくつかの分野では本を個人所有する必要がなくなった。インターネットカフェが全国に普及したことで、高いゲーミングPCや場所をとる漫画本を個人で所有する必要もなくなった。水商売は恋人の一時的な共有で、猫カフェはペットの一時的な共有である。必要なものを必要になった時だけ共有することで、個人所有するために無駄に金を稼ぐ必要もなくなって生きやすくなった。人類が農耕をするようになって集団生活をして社会が発展して、資本主義が発展しきって物が溢れても貧乏で買えない人だらけになってSDGsで無駄な消費が見直されて、また狩猟採集していた頃のように皆で財産を共有する社会に戻りつつある。特に水や空気や気温といった自然環境は資本家がいくら金を持っていようが独占できなくて全世界で環境問題に取り組まないと地球は人間が住めない環境になるので、利益のために企業を放任した新自由主義からの軌道修正が世界各国で起きつつある。その共有の輪の中に資本家が加わらなければ社会は分断して富の奪い合いが起きて社会が荒廃するだろうし、資本家が加われば社会は共存共栄の段階に移行するだろうし、そこが人類の文明の終着点になるかもしれない。
2021.10.14
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最近はアメリカ国籍の真鍋淑郎がノーベル物理学賞を受賞したことで日本人として誇らしいとか日本人じゃないとかで揉めていたり、また村上春樹がノーベル文学賞をとれなかったことがニュースになったりしたので、ノーベル賞について考えることにした。●ノーベル賞とは何かアルフレッド・ノーベルはダイナマイトを発明して戦争で金持ちになったものの、死の商人扱いされたので遺言で基金を作って資産運用して人類のために貢献した人に利子を分配することにしてノーベル財団が設立されて、1901年から毎年ノーベル賞が授与されている。物理学賞、科学賞、生理学・医学賞、文学賞、平和賞、経済学賞があるものの、スウェーデン王立科学アカデミーが選考する経済学賞はノーベルの遺言になくて1968年に設立されたものなので、ノーベルの子孫や文学賞の選考をするスウェーデン・アカデミーはノーベル賞でないとみなしている。●なぜ日本は自国で評価しないのかどんな賞であれ業績が正当に評価されること自体はよいことである。しかし日本の問題は自国で評価できないことである。ノーベル賞を取る前から社会の発展に役立つ研究自体はすでに成されていて、賞をとったからすごい研究なのではなくて、すごい研究だったから賞を取ったのに、日本人はこの順序を間違えていて、賞を取った研究だけをすごい研究扱いしてちやほやしてそれ以外のすごい研究を見ようとしない。西洋の権威に認められて喜ぶのは敗戦した発展途上国だった戦後の昭和の精神のままで、そこから成長していない。そもそもノーベル賞を受賞したからと言って絶対的な価値があるわけでもなくて選んでいる人たちの偏向した価値観が反映されていて、現在の道徳観でいえば非人道的なロボトミー手術のエガス・モニスが1949年に医学・生理学賞を受賞したことには批判もあるし、文学賞はボブ・ディランが受賞したりして迷走しているし、経済学賞は偏向していて主流派以外は受賞しないという批判があるし、平和賞は政治的な偏向が顕著に出ている。自分で評価できないものをどこかの権威がお墨付きを与えたからと言って鵜呑みにするのは思考停止である。日本では理系の研究だけでなくてどの分野でも物事の是非を考えて研究や作品を批評して良し悪しを議論しようとしない。これは教育からしてそうで、例えば美術の時間に教師が何か描けと言って生徒が絵を描いて教師が点数をつけて終わりで、生徒がお互いの作品を批評する時間をとらない。合唱コンクールや文化祭でも発表のための練習時間は取ってみんなで一体感を感じてよかったということで終わって、批評のための時間はとらない。これは作品の欠点を指摘すると相手の感情を害するとかで議論を避けていて、幼稚で感傷的な事なかれ主義で本音で議論せずに建前でごまかしている。論理的に議論して業績を評価する文化がなくて自分で評価できないので他人に評価を委ねるようになって、ますます縁故主義や権威主義になる。だからこそ2000年ごろのITバブルの時にIT関連というだけで事業の実体がない企業の株が買われて単なるバブルで終わってGAFAMみたいなIT企業の育成につながらなかったり、80億円の公的資金が投資されたペジーでスパコン助成金詐欺みたいなのが起きたりしていて、でたらめな投資がされて人材育成や研究開発で成果が出ていない。デザイン業界が内輪で評価して肩書を与え合っているのも、文芸誌の書評が褒める批評だらけになって欠点を指摘しないのも、根っこは論理的に批評して議論する文化がないのが原因だと思う。●もう日本から世界を変える理系研究者は出てこないかもしれない就職氷河期世代でも理系なら就職先があったけれど、修士号を持っていても希望した研究開発職でなくて山奥の工場で現場仕事をさせられて冷遇されたとか、博士号を持っていても研究分野が企業にピンポイントで役に立たないと採用されなくてバイオ系博士がまったく違う分野に就職して博士号をとる意味がないとかの愚痴が5ちゃんねるとかの掲示板にあるし、実験漬けで学生生活を楽しめないとか教授にパワハラされるとかの理由で理系の人気がなくなって、少子化も相まって理系に進学する人が減っている。そのうえ基礎研究はすぐに結果がでないからといって予算を出さなかったり、ポスドク(博士号を取得した研究員)を不安定な非正規雇用にしてIPS細胞を研究する人でさえ非正規雇用で失職の不安があって研究に専念できる環境でなかったりして、研究環境が悪化して論文の引用数が減って基礎研究力が落ちている。ノーベル物理学賞を受賞した江崎玲於奈が「日本人はもうノーベル賞を獲れない」と週刊ダイヤモンドの記事で言っているように、日本は研究を評価する人がいなくて予算がなかったり報酬が低かったりしてもはや最先端の研究環境でなくて、青色発光ダイオードの中村修二のように科学者たちは最先端の研究をして正当に評価してもらうためにアメリカに行っている。一人で創作できる小説と違って、理系の研究は研究設備や優秀な助手や成果を正当に評価する上司とかの環境があってこその業績である。アメリカで研究してアメリカに帰化した真鍋淑郎を遺伝子が日本人だからといって日本人として誇らしいと言っている人は間抜けで、そこは喜ぶところでなくて優秀な人を日本に引き留められなかったことを悔しがるべきである。安宅和人が「シン・ニホン」でICTで米中が二強化して日本は人材数が足りなくて外国と勝負にならないと言っていたけれど、こうした現場の危機感は政治家には伝わっていない。例えばAI研究で日本が2018年度予算案に計上したのは総額770億4000万円で、一方でアメリカは5000億円、中国は4500億円で、予算の時点でもう大幅に負けていて、これを研究者個人の努力と才能で覆すのは無理だろう。2030年にIT人材が79万人足りなくなると経済産業省が発表したけれど、人手不足になるほど給料が上がって待遇がよくなるかというとそうではなくてデスマーチが激化すると想定されるので、金よりも自分の時間を優先する若い世代にますます敬遠されることになる。じゃあ日本がアメリカの研究に追いつくにはどうすればいいのかというと、まず予算を増やして人を増やして働きやすい環境を作らないことにはどうにもならない。しかし科学技術を理解しない老人の政治家が政策を決めているうえに緊縮財政派がすぐに成果がでない基礎研究を役に立たないとみなして予算を削りたがるので、予算を増やすにはまず専門知識がある民間人を担当大臣として抜擢するなりしないといけない。そんで予算が増えたら優秀な人を国費で外国に留学させて最先端の研究手法を日本に持って帰ってもらうとか、外国の一流の研究者を好待遇で引き抜くとか、M&Aで研究チームごと買収するとかしないと研究力の差を縮めることはできないだろう。●文学はどうするのかこのブログは主に読書ブログなので文学についても考えてみる。文学もやはり自分で価値を判断できないので権威に評価してほしがっている。イギリスに帰化したカズオ・イシグロがノーベル文学賞を受賞した時は小説の中身よりも日本出身ということで注目されたのも変な注目の仕方で、プロフィールでなく作品に注目するべきである。そんで村上春樹がノミネートされているかどうかも不明なのに毎年ハルキストが勝手にノーベル文学賞受賞を期待してカフェに集ってニュースになって外野が騒ぐのはさすがに村上春樹がかわいそうになる。仮に村上春樹がノーベル文学賞を受賞したとして、それが日本文学の発展につながるかというとつながらないだろう。日本の読者が自分で作品を批評することなしに、外国で褒められたからすごい作品だと威張っても作品の読解につながらない。ハルキストがやるべきことはカフェで受賞のニュースを待つことでなくて批評することだろうに、ハルキストたちは村上春樹が好きなだけで読書家というわけでもないので、ハルキストの中に村上春樹研究の第一人者みたいな人がいない。例えば「村上春樹研究所」というファンサイトがあるけれど、名言集とかを紹介する程度でアカデミックな研究でない。好きという感情があるだけで、なぜ好きなのかどこが良いのかを説明する論理が乏しい。日本人作家がノーベル文学賞を受賞するよりも、まだ邦訳されていない世界中の様々な作家がノーベル文学賞を受賞して、日本人が世界中の文化や価値観を知れるほうが日本文学の発展には役に立つと思う。ノーベル文学賞受賞作の中でいろいろ名作があるけれど、私はエジプトの作家のナギーブ・マフフーズの『渡り鳥と秋』が気に入っていて、これは1950年代のエジプト民主化革命の軍事クーデターで失職した官僚がやさぐれる話で、アラブの春のエジプトの民主化が失敗した現代だからこそ読んで比較してみると面白いと思う。しかし世界文学は日本であまり人気がなくてノーベル文学賞を受賞した小説でさえ絶版になって買えないことが多くて、『渡り鳥と秋』はamazonの中古で3万円近い値段がついていて誰でも読めるものでなくなってしまっているのは残念である。現代は趣味嗜好や生き方が細分化して大きな物語(社会全体で共有される価値観の拠り所になるイデオロギーの体系)がなくなったポストモダンと言われているけれど、民主主義で人権が保障されている先進国と違って、発展途上国はいまだに宗教や伝統の影響が強くて独裁で政治が行われて人権が侵害されて価値観が制限された段階にある。そこから絶望を乗り越えて理想を希求する力強い物語が出てくると思うし、現実を見ずに資料を見て借り物の苦悩の物語をでっちあげる日本の似非小説家たちは世界文学から学ぶところが多いと思う。
2021.10.09
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アフラ・ベイン(1640-89)はイギリス文学史上最初の女性職業作家で、「オルノーコ」はイギリス文学史上最初の黒人奴隷が主人公の小説。●あらすじと感想「美しい浮気女」両親が死んで莫大な財産を相続した18歳の美人の修道女ミランダは町で評判になって言い寄る男たちを弄んでいたものの、修道士のヘンリック(フランシスコに改名)に恋をする。彼はドイツの王子で、恋人を兄に奪われて暗殺されかけて修道士になったのだった。ミランダはヘンリックに恋文を送るものの返事がなかったので告解で直接告白したものの振られたので、命と名誉を奪うと脅迫して襲われたと叫んでヘンリックは捕まり、神父たちがミランダの恋文で擁護するもののミランダに惚れる騎士たちに証拠を潰されて焚刑の判決をうける。ミランダはローマのタークィン大公をたらしこんで結婚して贅沢な生活をして庶民の評判が悪くなり、ミランダの妹のアルシダイアナは姉に恋愛を反対されたので家を出たら、ミランダは妹を暗殺して財産を奪おうとして自分に惚れている小姓のヴァンをけしかけると、小姓は妹に水銀を飲ませたものの暗殺に失敗してすぐに犯行がばれて捕まって死刑の判決をうけたら、あっさりミランダの指示だとばらして助命を訴えるものの、裁判で小姓は絞首刑で、ミランダは絞首の縄をまいて小姓の下に立たされる刑になる。妹の後見人たちが大公から遺産相続分を取り返そうとして大公が逃げないように役人を送り、大公は金貨十万枚を調達しないと投獄されてしまう状況になると、ミランダは妹のせいで恥をかいたといって大公が妹を殺すようにそそのかして、大公は短銃でミランダを襲撃するものの捕まって、家財道具が差し押さえられて妹の物になる。神父たちはミランダがヘンリックに罪を着せたことを自白するなら大公が死刑を免れるように協力すると持ち掛けるものの、ミランダはそれは屈辱なので無視したら、大公は断頭の死刑判決になり、ミランダは国外追放の判決をうけて、ようやくミランダは過去の淫蕩や悪業を洗いざらい自白して、ヘンリックは釈放される。大公の処刑では首切り役人が刃を低く振って肩の骨を切ってしまって大公が処刑台から転落したので、群衆が大公を僧院まで運んでかくまい、回復した大公はミランダと縁を切るように周囲に諭されるものの、こっそりミランダをオランダに呼んで余生を過ごした。感想:恋というものは、というエッセイ風の語りから始まって、自分が目撃したり関係者に確認したりした真実の物語なのだという体裁で三人称で話を始める形式。昔の小説は作者が目撃した体裁での語りがしばしばあって、これはリアリティを出すための手法だったのだろう。最近は中世ヨーロッパ風の乙女小説やゲームの世界の悪役令嬢に転生する話が流行っているけれど、こういう悪女とそれに惚れる男の話の恋愛と陰謀と破滅の話は盛り上がる箇所がいくつもあるのでいつの時代も人気なのだろう。しかし丸腰の女性を不意打ちで暗殺未遂した大公が立派な人扱いされているのは現代人の感覚では理解しにくい。狂言で男を破滅させたり惚れている男を暗殺に使ったりする手口は既視感があるけれど、逆に物語展開のテンプレとして完成しているともいえる。「オルノーコ」著者は植民地のスリナムでインディアンと友好的に交易していて、そこに黒人奴隷の船が来てオルノーコと知り合う。黒人奴隷を貿易していたコラマンティエンは老いた王が治める国で、イケメンで教養があるオルノーコ王子は自分をかばって矢に当たって死んだ将軍の娘のイモインダに一目ぼれして婚約するものの、祖父の国王がイモインダとエッチしようとして権力で無理やりオタン(後宮)に連れて行ったので、オルノーコは従者のアボーンに元后でイモインダの世話係のオナハルをたらしこませてイモインダに愛していることを伝えて、舞いで転びそうになったイモインダを抱きかかえたことで王が嫉妬してオルノーコを監視するものの、オルノーコは王が留守のときにオタンに忍び込んでイモインダの処女をもらう。王はイモインダとオナハルを奴隷として売り飛ばしたものの、孫の恋人を奪ったのは自分に非があったと後悔してオルノーコの復讐を恐れて、奴隷として売ったというと許してもらえなさそうなので死刑にしたと伝えて許してもらうものの、戦争中だったオルノーコはやる気をなくして天幕に閉じこもって指揮官がいなくなった軍隊が大敗して、オルノーコが死に場所を求めて戦ったら逆転勝利して勇敢な敵のジャモーンを従者にする。オルノーコがイギリスの奴隷船に奴隷を売って、船での食事に招かれたので行ったら船長に騙されて捕まって奴隷にされてしまう。オルノーコたちが怒って食事を拒んで飢え死にする覚悟を決めたので、船長が折れて次の寄港地で解放すると約束して、スリナムでトレフリーがオルノーコと17人の仲間たちを買う。トレフリーはオルノーコの身なりから身分が高いことに気づいて気に入って、オルノーコが母国に帰る手段を考えることを約束する。黒人の名前は発音しにくかったのでトレフリーはオルノーコにシーザーと名付けて、美人のクレメーンを紹介したら、クレメーンはイモインダだった。イモインダが妊娠したのでシーザーは自由になりたがるものの引き延ばされたので子供を奴隷にするつもりだと思って総督に不信感をもち、著者が慰め役として交友し始める。シーザーは虎を殺したり、デンキウナギで気絶する話を信じずに試してみて死にかけたりして、危険なインディアンとの交流に護衛としてついていったりする。シーザーは白人の隙をみて黒人奴隷を集めて奴隷の境遇と名誉について演説して、皆で武装して逃亡する。副総督バイアムが追っ手をだしてシーザーたちが戦い始めるものの、意気地のない奴隷たちはすぐに降伏して戦っているのはシーザーとタスカンとイモインダだけになった。シーザーはバイアムとトレフリーを信じて降伏するものの、約束を破ってバイアムの部下や奴隷たちにむち打ちされて傷口に唐辛子をすりこまれたので、シーザーはまた逃亡する。著者はシーザーの復讐に巻き込まれるのを恐れて自分たちは無関係だとシーザーを説得して治療してやり、シーザーは著者たちには手出ししないもののバイアムには復讐するという。顧問官会議はシーザーを奴隷への見せしめとして絞首刑にする決定をするものの、著者とトレフリーはシーザーを守ろうとする。シーザーは回復して歩けるようになると復讐の計画を練り、イモインダが辱められるのを避けるためにまずイモインダを殺してから復讐しようと思ったものの気力が出ず、白人に取り囲まれたら辱めから身を守る力は残っているのだと自ら腹を裂いて内臓を引っ張り出して、彼を殺しに来た相手を殺す。外科手術でシーザーは一命をとりとめたものの、バイアムの部下に木に縛られて耳や鼻や腕を切り落とされて殺される。感想:こちらも架空の人物の話ではないと前置きしてから語るやり方で、語り手が登場人物かつ三人称で主人公について語る形式。しかし語り手が直接見ていないことまで直接見たかのように語るので、視点としては矛盾がある。ジャモーンを従者にしたくだりやインディアンと交流する話も伏線になるわけでもないし脱線が多い。しかしエキゾチックな恋と冒険の波乱万丈な話なので、盛り上がる場面がいくつかあって話としては面白い。訳者の解説によると著者がスリナムにいたかどうかは諸説あって不明らしいものの、17世紀当時の植民地の様子が書かれているので、ある程度誇張されているにしても資料として見ても面白い。南米の原住民が将軍になるために自ら鼻や耳をそいで勇気を示した話とかは興味深い。黒人奴隷を主人公にして白人の植民地統治や奴隷貿易の非道やキリスト教の欺瞞を批判的に書いたのは古い小説の割には目の付け所がよくて、現代人が読むに堪えうる水準の面白さだと思う。さてオルノーコが名誉を重んじている点が興味深いので、これについて考えることにする。名誉は他人からの評価によって与えられるもので、現代の国家よりも共同体が小さいときには他人とのつながりが深かったので、一度口にしたことは撤回せずに他人との約束を守るとか、家族や君主のために勇敢に戦うとか、女性が浮気しないとかが名誉として重んじられたのだろう。頻繁に戦争があった昔は日本でも西洋でも戦士に名誉という概念があった。封建主義の時代は戦で逃げずに勇敢に戦って戦果をあげることが名誉なので、鎌倉時代の武士はやーやー我こそはと名乗りを上げて相手の首を持ち帰って戦果を明確にしたし、西洋だと戦に詩人を連れて行って王が勇敢に戦ったことを歌にして後世に残している。死と隣り合わせだったからこそ何のために生きるのか、どう死ぬかが問われて、戦士たちは辱められてみじめに生きるよりも誇りをもって死ぬことを選んで、それゆえに日本では武士として覚悟を決めて立派に死ぬために切腹という作法までできた。日本では第二次世界大戦までは名誉の戦死という言葉があったけれど、戦後に戦うべき敵がいなくなると日本人の死生観が変わって、信念をもって名誉を守ることがなくなる。『菊と刀』で日本は恥の文化だと分析されていたけれど、名誉がなくなると同時に恥もなくなった。日本以外の国でも戦争で白兵戦をやらなくなって、ミサイルで拠点を攻撃したり無人兵器を使ったり市民を狙ったテロをしたりして、戦争の英雄がいなくなって名誉がない殺し合いになった。平和な日本ではもはや人間がいずれ死ぬべき存在だということが忘れられて名誉が金に置き換えられて、新自由主義にかぶれた人たちは今だけ金だけ自分のことだけを考えるようになって、金がないというだけで負け組として辱められて、金がなくて結婚できずに社会から分断された人は親からもらった命を家族や社会のために最後まで役立てようという心意気もなく、五体満足でも将来を悲観して自殺してしまう。近江聖人と呼ばれた中江藤樹は母親に孝行するために刀を売って武士をやめて教師になったけれど、そんなふうに親を介護するために仕事を辞める人が現代にいても立派な人と言われるどころか貧乏な負け組として蔑まされるだろう。一方で金がある人たちは、搾取で利益をあげる派遣会社とか、中国で商売するためにウイグルやチベットの虐殺を知らんぷりする服屋とか、ポンポンと盗作する似非芸術家とか、目立つために手段を選ばすに迷惑行為をするYouTuberとか、下品に札束や高級車を見せびらかして成功者アピールするインフルエンサーとか、公約を無視する有言不実行の嘘吐きの政治家とか、仁義礼智信がない恥知らずな人だらけである。肩書コレクターで箔付けのためだけに大型買収をやりたがって数千億円の損失を出した無能な西室泰三とか、池袋暴走事故で頑なに非を認めずに勲章を褫奪された飯塚幸三とかは肩書を名誉と勘違いしているようで肩書に似合わない恥知らずな言動をしていて、もはや社会的地位が高いからと言って立派な人とは言えなくなった。日本人は歴史の学習や文化の継承や精神修養を金儲けの役にたたないこととして顧みなくなったのでこの精神的転換に無自覚なようで、現代人は金の有無を競うのが人生の価値だとすりこまれて疑おうともしない。金は目的を達成するための手段のひとつに過ぎないのに、金を稼ぐことを人生の目的にして金の奴隷になっている。じゃあ日本はもうだめなのかというとそうではなくて、『鬼滅の刃』が人気になった点では日本にもまだ道徳を尊ぶ精神が残っているといえる。バトル系フィクションがたくさんある中でも『鬼滅の刃』は家族を守るために自己犠牲して死を覚悟して最後まで立派に戦う姿が特徴的で、仁義がなくなって立派な大人がいなくなった現代社会だからこそ子供たちは硬派な鬼殺隊が新鮮に映って憧れたのかもしれない。『鬼滅の刃』を読んで育った子供たちはよもや将来新自由主義に感化されて金儲けに励んで弱者を見捨てて自己責任論を言うようにはならないだろう。新自由主義や拝金主義は弱者を食らって強くなっていく現代社会の鬼で、鬼になりかけた禰豆子はさしずめブランドのバッグに目がくらんで貧乏な女友達を仁風林のエロおやじに斡旋したら儲かるかもと葛藤する女子みたいなものである。となれば新自由主義者の鬼と戦って家族と社会を守ることが現代人の名誉と言えるかもしれない。大人が『鬼滅の刃』を単なるコスプレ素材としてとらえて着飾ってはしゃいでいるのはなんとも恥ずかしい姿で、真似るなら衣装でなくて生き方を真似るべきである。★★★★☆オルノーコ・美しい浮気女 (岩波文庫 赤271-1) [ アフラ・ベイン ]
2021.10.06
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こないだの自民党総裁選で新総裁になった岸田文雄は、「新自由主義から転換し、成長と分配の好循環を実現するため、『国民を幸福にする成長戦略』『令和版所得倍増のための分配施策』などを進めます」と小泉政権以降の新自由主義からの転換を掲げている。これは日本の将来の分岐点になるかもしれないので、新自由主義について考えることにした。●新自由主義(ネオリベラリズム)とは何か新自由主義は小さな政府を目指して公共サービスや福祉を削減して、市場原理主義を重視して規制緩和をして公共事業を民営化したり外資を参入させたりする経済思想である。例えば小泉政権時代の郵政民営化や派遣法改正などは新自由主義思想の政策である。●新自由主義は何がだめなのか・必要な規制までなくしてしまう様々な規制は必要だからこそわざわざ法律を作って規制している。昔に作られた規制で時代にあわなくなったものは改正する必要があるけれど、なぜ規制されたのかという根本を考えずに規制緩和すればよいというものではない。新自由主義者が改革を唱えて規制をなくしたがるのは、規制をなくすと既得権益の利権がなくなって民間企業の競争が増えてサービスが改善して経済成長するからというよりは、規制をなくすことで新たに生まれる利権がほしいのである(企業が公官庁や政治家に働きかけて法制度を変更させて利益を得る活動をレントシーキングという)。その利権の典型的な例が派遣法改正で、以前は通訳やエンジニアとかの専門性が高くて常に同じ職場で仕事があるわけではない特殊な業務だけが特定派遣として派遣の対象だったけれど、小泉政権時代に一般事務とかの専門性が低い仕事まで派遣の対象になって労働者が解雇されやすくなった一方で、日本はアメリカ以上の派遣会社数になって竹中平蔵は政商として自民党政権にべったりくっついてパソナが役所の窓口業務とかをやるようになって派遣利権で大儲けした。そんで雇用が不安定になって若年ホームレスが増えてネットカフェ難民とか年越し派遣村とかができたことが問題になって結局2012年に日雇い派遣が禁止されたわけで、労働者保護のために必要だからこそ規制されていたものを規制緩和してはいけなかったと再確認することになった。新自由主義者が改革というと格好いい感じがするけれど、やる必要がない規制緩和をするのは改革でなくて改悪である。企業は非正規雇用を使い捨てて人件費を減らして過去最高の利益を出して役員報酬や株主の配当金を増やしたり内部留保を積み上げたりする一方で、労働者は雇用が不安定で可処分所得が減って、長時間労働で過労死するほど必死に生産をする一方で消費できない人だらけになったことで供給過剰で需要不足になって、物やサービスが余って値下げ競争をするようになってデフレになって企業の売り上げが減ってますます労働者の収入が減って、結婚や出産をあきらめる人が増えた。バブルが崩壊したせいというより、政財界が新自由主義になったせいで格差が拡大してデフレになって少子化が加速して日本のGDPが増えず低成長が長引いて国力が落ちたといえる。デフレを脱却して少子化や格差を改善するためには原因となった新自由主義から転換する必要があるので、岸田の大まかな方向性は正しいといえる。・リスクマネジメントができていない大阪の吉村知事は「岸田さんのやり方で日本が成長するとは思いません」と批判したけれど、じゃあ日本維新の会の新自由主義のやり方がうまくいったかといえば、橋下徹が大阪府知事時代に公立病院を削減したせいでコロナ対応で医療現場を疲弊させて、有事の際の切り替えプランを用意していなくて考えが足りなかったことを橋下徹自身が認めている。大阪は大都市なだけあって改革が必要な部分もあっただろうけれど、病院の削減はやる必要がない部分だった。このように新自由主義は市場原理と利益を重視して社会という観点でのリスクマネジメントができていなくて、社会のために必要な支出を削って無駄を削減したと喧伝して自分の手柄にする一方で、有事の際に責任を取るわけでもない。削ったあとでやっぱり必要だったと気づいても、スキルを持っている人材は他で働いているので転職市場に余っていない。それゆえに公共サービスには赤字でも減らしてはいけない部分や、むしろ支出を増やすべき部分がある。例えば大地震はいつ起きるかはピンポイントで予知できなくても周期的に起きることは確実なので地震対策は無駄にならなくて、南海トラフ地震の被害は220兆円、経済被害は20年で1240兆円と言われているけれど、もし耐震補強や電線地中化や津波対策の護岸工事に100兆円(数字は適当)かけたとしても、そのおかげで被害額が120兆円以下に減れば何も対策しないよりも損失が減って得をしたといえるし、建設会社や防災用品を作る会社とかの民間企業の売り上げも増えるし、従業員は防災対策の施工経験を積んでさらなる研究開発に活かして外国に防災システムを売り込んだりすることができるかもしれないし、いいことだらけである。このように必要な支出をすることが結果的に損を減らすことにつながる。新自由主義の小さな政府だと利益が出ない公共事業は削減されて後は民間で自己責任で勝手にやれという姿勢なので、もし地震対策の公共事業を何もやらなかったら220兆円分の被害をまるごと受けることになって、目先の支出を減らして儲けたつもりが後で大損する。防衛費用も普段使わないからといって減らしたら有事の際に一方的にやられるので、敵の装備に合わせて防衛戦略を変えて装備を新調して、それを扱う人を訓練していつでも装備を使えるようにしといけない。経営者なら新自由主義の考え方でリストラしたりいらない事業を売却すれば利益を出すことができるだろうし、仮にリスク管理が甘くて会社が倒産しても株式会社は有限責任だし、M&Aで基幹社員や基幹部門を別の会社に移したりしてすぐにやり直せる。しかし国家の運営はそうはいかない。企業運営と同じ考え方でリスク管理が甘くなって侵略されるとやり直しはきかないし、竹島や北方領土のように一度領土が奪われて実効支配されると返還交渉は難しい。それゆえに新自由主義にかぶれた経済界のやり方で政治をやってはいけない。ホリエモンが尖閣諸島を中国にあげればいいと言ったけれど、2005年に広島から衆院選に立候補した人が言う意見ではない。イギリスのボリス・ジョンソン首相は新型コロナウイルスに感染して新自由主義者のサッチャーの「社会などというものはない」という発言を否定して「社会というものがまさに存在する」と言って、リスクに直面して新自由主義から転換する姿勢を見せた。日本維新の会が新型コロナを経てもなお考えを改められないのであれば、南海トラフ地震が起きた時に関西に甚大な被害が出ると思う。・ノブレスオブリージュを果たさない欧米のプロテスタントは金儲けを肯定する一方で寄付や慈善事業やエンジェル投資で社会に還元するし、アメリカのスーパーリッチには富裕層からもっと税金を取るべきだと主張している人がいる。その一方で日本の新自由主義者は金持ちが儲けたらトリクルダウンで下の人も儲かるとか、税金を高くすると富裕層が外国に逃げるとかの嘘をついて大儲けして、社会のおかげで利益を得ても社会に還元しようとしない。●自己責任論とは何か新自由主義とセットで蔓延したのが自己責任論である。2003年のイラク日本人人質事件で、外務省の渡航自粛勧告を無視して武装勢力に誘拐されて人質になった人は自己責任だから救助するなという文脈で自己責任という言葉が使われ始めた。本来は投資とか登山のように自分の行動や判断に自分で責任を持ってどんな結果になろうが受け入れるのが自己責任であって、お前が失敗したのは自己責任だから他人に頼るなと他責のために自己責任云々を言うのは言葉の使い方がおかしい。社会が他人との関わりで成り立っている以上、すべてが自己責任ということはありえないし、すべてが自己責任なら社会は存在しない。ではなぜそんなおかしな自己責任論が蔓延したのかというと、これは新自由主義と相性がよくて、自己責任を唱えていればいくら金を儲けていても弱者に援助する責任を負わずにすむ方便になる。●自己責任論の何がだめなのか・社会問題が何も解決しないこないだのメンタリストDaiGoのホームレスや生活保護のために税金を払いたくないからいなくなったほうがいいというような発言をしたように、自己責任論者は社会的弱者になったのは自己責任だから救済する必要はないと言って、弱者を批判するだけでホームレスや生活保護をなくするために具体的にどうしたいのかは何も考えていない。生活保護をなくすのは憲法第25条の生存権に違反するし、植松のようにいらないと判断した人を殺害するのは犯罪である。仮に憲法を改正して生活保護をなくしたところで、飢えた人は生きるために犯罪をするようになるし、刑務所の運営費用は生活保護よりもかかる。では自己責任論者は治安維持のための税金も払いたくないから刑務所も警察官もなくしたいのか。自己責任論者の理想の社会は犯罪の被害にあうのも自己責任で強者が無双する北斗の拳の世界みたいな無法地帯なのか、というとそうではなくて、社会や人間像に何の理想もなくて何も考えていないのである。自己責任論は他人に対する責任を負いたくないがゆえに社会問題から目をそらして思考停止した幼稚な態度である。・現状認識が間違っている自己責任論者は非正規雇用の労働者が正規雇用になれなくて低賃金なのは努力不足だと言うけれど、それは現状認識が間違っている。正社員と同じ仕事をしている非正規雇用の人が2年11か月働いたら雇止めになるように、労働者の努力や能力が不足しているから正規雇用になれないのではなくて、人件費を減らしたい経営者とそれを後押しする雇用制度に問題がある。自己責任論者は頭が悪くてマクロの社会問題をミクロの個人の努力の問題にすり替えていることに気づいていないか、あるいは政権を擁護するために意図的に論点そらしをしているかどっちかだろう。・共同体を分断して破壊する古代中国では様々な王朝が領土争いをして武力や恐怖で国民を支配しても社会が安定せずに荒廃したので、孔子とかの儒学者が仁(思いやり)や義(私利私欲にとらわれず正しい行いをすること)という概念を説いて、それが朱子学や陽明学とかで日本にも伝わって武士道の礎になった。名君といわれる米沢藩の上杉鷹山は中国の儒教に倣って農業開発をして、五人組を再編して伍什組合を編成して相互扶助を強化して飢饉を乗り越えて仁政をした。その一方で現代人が自己責任論を唱えて他者への思いやりをなくしたのは儒教以前の縄文人レベルにまで道徳が退化したといえる。草食動物は群れをつくって見張りとかの役割分担をして生活するし、肉食動物は群れを作って狩りをして食料を分け合っているし、群れ全体が生存できるようにしている。では人間が資本主義の世界で生存するために何が必要かというと、共同体で資本を分け合うことである。日本人が価値観を共にする共同体は企業ではなくて日本という国家である。自己責任論者は自分だけよければ他はどうなろうが知ったこっちゃないと資本を分けることを拒むので、これでは国家は成り立たなくなる。オマキザルにブドウときゅうりを与える実験で、最初はきゅうりをもらって喜んでいた猿が他の猿がブドウをもらっているのを見て怒ってきゅうりを捨てたように、猿でさえ不公平には敏感に反応する。これは公平であることが共同体をつくるうえで重要だからである。猿よりも高度な社会を作っている人間が不公平な扱いを受けたら社会に恨みを抱くようになって、犯罪やテロなどで文明を破壊するようになる。アメリカ全土でBLM運動が起きて略奪が起きたのも同じ国民なのに肌の色で差別される不公平への怒りが原因である。自己責任論は不公平を肯定して是正しないことで間接的に分断やテロを後押ししているといえる。・自己肯定のために他責して弱者を追い込む芸能人が親ガチャを否定して人生は努力次第だと主張したり、就職氷河期世代でも大企業に就職した人が同じ世代の非正規雇用の人を見下したりするように、成功した人が自己責任論をいう事が多い。これは運ではなくて自分の努力で成功したのだと自己肯定をしたい心理で、自分は努力して成功したのだ、だから成功していない人は努力していないという論理になる。これが生存者バイアスとなって、当時を知らない若い人が成功者の話を聞いて就職氷河期もリーマンショックもたいしたことがないのだから努力しないのは甘えだという偏見で弱者を見るようになって自己責任論者になる。自己責任論者は自分よりも弱い人を批判することで自分が偉くなった気分になれて満足するのだろうけれど、これは子供が気に入らない相手をいじめて自殺に追い込むのと同じ幼稚さで、人としての道徳が欠如した恥ずかしい言動である。このように新自由主義は政策として間違っていて、自己責任論は道徳として間違っていて、20年以上間違った政策を続けてきたせいで大勢の貧乏な人や不幸な人や自殺者を生み出した。コロナ禍の現在でも未だに新自由主義思想で自己責任論をいう人は他人の苦しみへの共感能力がないサイコパスか、あるいは自分の利益のためなら他人が死のうがどうでもいいという仁義がない人でなしのエコノミックアニマルか、あるいは何が間違っているかも理解できない阿呆だろう。●私が政治家ならどうするか岸田総裁の人事が発表されて、旧態依然とした人事だったことから結局たいしたことができないだろうとまだ何もやってないうちから株価が失望売りされたようである。これから岸田が何の政策をやるのか知らないけれど、もし私がうっかり幽体離脱して岸田に乗り移ったら新自由主義からの転換としてどういう政策をするのか、頭の体操として考えてみる。まず新自由主義の転換を掲げたからには派遣法を改正して中抜き率の上限を決めるとか、下請けは〇次請け以上は違法にするとか公共事業の入札から排除するとかして、現場で作業する労働者の手取りが増えるようにしないといない。除染会社の役員が数億円の役員報酬をもらって、10次請けの現場の作業員が被曝リスクを負いながら日給1万5千円しかもらえないみたいな労働力の搾取を許してはいけない。これができないなら新自由主義からの転換は自民党では無理なので政権交代するしかないだろう。菅政権のときに30兆円の予算が使われないままだったけれど、これを使ってコロナ禍で落ち込んだ経済を立て直すために給付金を配るにしても、一律で〇万円を配るのでなくて(100-年齢)×5000円とかにして、新生児は50万円、100歳以上は0円にすれば、すでに年金で暮らしていてコロナの影響も少なくて生産も消費もあまりしない高齢者への給付を減らす一方で、消費性向が高くて教育費が必要で所得が低い若年層を支援出来て世代間格差を縮めつつ経済活動を活性化することができるかもしれない。マイナンバーカードを持っている人だけを給付対象にすればマイナンバーを普及させることができる。岸田は金融所得に課税する政策をするらしいけれど、資本家が有利な金融所得こそ累進課税にするべきだと私は思う。トマ・ピケティが『21世紀の資本』で長期的な資本収益率は経済成長率よりも大きくて富が公平に再分配されないことで貧困が社会や経済の不安定を引き起こすので格差を是正するために累進課税の富裕税を世界的に導入することを提案しているように、まず日本がやればよい。庶民が老後に必要な2000万円を資産形成するには給料だけでは不十分なので種銭をためて投資する必要があるけれど、貧乏な庶民の投資から税金をとってもたいした税収にならないし、イデコやニーサで非課税になる額も微々たるものであまり資産形成につながらないので、貧乏な庶民から税金を取るのはやめて、そのぶん何億円も利益を出す富裕層から税金をとれば格差を是正できるかもしれない。新自由主義者は富裕層に課税したら外国に逃げるというけれど、そういうケチな人は日本にいたところで寄付も慈善事業もしないだろうし社会に貢献しないので、好きな外国に行かせてやればよい。その代わりに歳をとって医療や介護が必要になってから日本に戻って安価で高度な福祉にただ乗りする行為を許してはいけない。防災対策としては近い将来に南海トラフ地震で広範囲に津波の被害が起きたら自衛隊は少子化で新卒が採用できなくて人手不足になると思うので、防衛費を増やして予備自衛官の採用条件を緩和して人数を増やせばよいと思う。訓練日数を増やせば失業対策や副業にもなるし、射撃訓練みたいなほとんど出番のない訓練をするよりも、救急法や重機で瓦礫を除去する訓練とかをして予備災害救助官として育成すれば災害派遣に役に立つと思うし、被災地の避難所にそういう訓練を積んだ人が一人いるだけでも救える命があると思う。あと小泉進次郎はマスコットにするくらいしか使い道がないと思うので、小泉進次郎のセクスィーなヌードカレンダーを売って売り上げを慈善団体に寄付すれば彼でも少しは役に立つと思う。
2021.10.02
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