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最近は寒くなってきたので羽毛布団を出したのだけれど、これが快適すぎて毎日快眠で夢を見るのが楽しくてしょうがない。私は多いときは6つくらい別々の設定の夢を見るけれど、1つだけ長い夢を見ることもある。というわけで将来の夢でなく、寝るときに見る夢について考えることにした。●夢とは何か脳は寝ているときに記憶を整理していて、それを意識が眺めていることで夢を見ている状態になる。脳が起きていて体が寝ている状態のレム睡眠のときに夢を見る確率が高くなる。夢はほとんど画像イメージで現れて、音や触覚などの他の感覚はあまり現れないそうな。私はたまに食べ物を食べる夢を見るけれど、寿司とかの味を記憶しているはずのものを食べても味や臭いや食感を感じない。これはたぶん記憶を眺めている意識が他の感覚器官とは連動していないということだろう。●睡眠と夢と健康1964年のアメリカの高校生のランディー・ガードナーの断眠実験だと、11日間の断眠で記憶や言語の能力が低下していて危険な状態で、ラットの実験だと2-4週間の断眠でほとんどの個体が死に至るくらい睡眠は健康のために必要である。朝方/夜型と必要な睡眠量は遺伝子で決まっていて、後天的に訓練でショートスリーパーになることはできないし、睡眠時間を減らすとそのぶん睡眠負債になって免疫力が落ちたりして健康に問題が出る。そんで夢を見るレム睡眠時に健康問題の兆候が出るようである。バーミンガム大学の神経内科医のアビデミ・オタイクの研究によると、中年で週に1回以上悪夢を見る人は悪夢をめったに見ない人に比べてその後の10年間で認知機能の低下を経験する可能性が4倍高くなって、高齢者だと悪夢を頻繁に見る人はその後数年で認知症と診断される可能性が2倍高くなるそうな。EMIRAの「「朝方」「夜型」は遺伝子で決まる!?開拓進む睡眠研究の今」という記事によると、PTSDやうつ病の患者だとレム睡眠が悪影響を及ぼしている可能性があってレム睡眠の頻度が減ると相関して症状が改善した例があって、パーキンソン病の患者だとレム睡眠行動障害になることがあるそうな。レム睡眠行動障害は50代以降の男性が多くて、通常のレム睡眠だと夢の中でいくら暴れても体は休んでいるので動かないのに対して、レム睡眠行動異常症だと恐怖や暴力に関する夢を見ることが多くて夢の中での行動と同じように体も動いてしまって物を壊したり怪我をしたりするそうで、クロナゼパムという薬物療法で神経系の活動を鎮めることで異常行動を抑えるそうな。睡眠と夢と健康の関連性はまだ研究途上であまり解明されていないけれど、研究が進んでいけば夢占いとかのいんちきでなくて心療内科での夢診断としてストレスの度合いや認知機能の異常を測れるようになるのかもしれない。とりあえず中高年の悪夢には要注意で、ホラー作家の才能があると喜んではいけない。●夢の記録夢は辻褄があわないところもあるし、エピソードとして言語化できないところもあって、夢を記録すること自体が難しい。朝に目覚めかけてまどろんでいるときに見たばかりの夢を思い返して夢に出てきた場所、人、会話を言語化すると忘れにくくなるので、すぐにメモするとよい。夢を思い返す時間をとらずに目覚まし時計で強制的に目を覚ましたり、夢を書きとめる前に朝食をとったりニュースを見たりして他の活動を先にやってしまうと夢を忘れてしまう。小説家を目指す人はネタのストックを増やすために日々の夢を記録しておくとよいと思う。●私が見る夢・釣りをする夢夢の中で釣りをすると費用をかけずに魚の引きが楽しめるのでお得で、たいてい大漁なので見たらうれしい夢である。たまに巨大なサメに襲われたり、消波ブロックの上にいて潮が満ちてきて足場がなくなったり、漕いでいる船が水没したりすることもあるけれど、それはそれで楽しい。・仕事をする夢仕事が忙しいときには仕事をしている夢をしばしば見る。仕事を中途半端にやったみたいな感覚になって朝起きた時にどこまで仕事したっけと混乱するし、ただ働きして損した気分になるのでハズレの夢である。前に勤めていた会社を辞めてから3年くらいはその会社の社長にこき使われる嫌な夢を見たのだけれど、それ以後は夢に出てこなくなったので、たぶんいったん記憶の整理が終わって新しい刺激がなかったらその後は夢に出てこなくなるのかもしれない。・猫を撫でる夢冬に毛布を出したときにしばしば猫を撫でる夢を見るけれど、これはたぶん毛布の手触りが猫に似ているからだろう。私は猫を飼ったことがないのだけれど、猫を飼っている人の家に行くと飼い主よりも懐かれて猫が膝に乗ってくることがしばしばあったので、猫の夢を見るのかもしれない。猫以外の動物の夢はあまり見なくて、犬はほとんど夢に出てこない。・買い物をする夢どこかの町の商店街のスーパーや八百屋とかで買い物をする夢をたまに見る。夢の中だとよく知っている場所として認識しているのだけれど、実際は行ったことがない町や店だったりする。・旅行や移動をする夢小田急線に乗る夢とかのリアルな夢だったり、チューブの中を電車が走っている近未来渋谷駅のSF的な夢だったりして、どこかに移動する夢を時々見る。夢の中で旅行するとお金がかからないので得した気分になれる。・ゲームをする夢私はゲームが好きなので、ゲーム的な世界でFPSをしていたり、俯瞰視点でゲーム世界を眺めていたり、パズルを解いたりする夢を時々見る。昔やったゲームはほとんど夢に出てこなくて数日以内にやったゲームの設定が如実に反映されるので、夢が記憶の整理なのだとわかりやすい。・実家の夢しばしば実家の夢を見るのだけれど、なぜか実家の形が変形していることが多い。ハワイアン風に庭にヤシの木が生えていたり、灰が降り注いでポストアポカリプス風になっていたり、家の前にハイエナがたむろしていたりするので、実家にいる気がしなくて面白い。・大学院を留年する危機に陥る夢私は修士論文の提出期限の一週間前に論文が半分しか書けていなくてぎりぎりで論文を仕上げて論文審査で教授たちにぼろくそに言われつつなんとか卒業したけれど、それがトラウマになったようで、しばしば留年する夢を見る。単位をひとつだけ残して休学する夢とか、大学院を卒業後に違う大学院に行く夢とか、バリエーションが違う似た夢を10回以上見ている。状況がリアルすぎるので、朝起きた時に今日の授業はなんだっけ?卒業したっけ?と考えてしばしば混乱する。大学院を留年する夢はしばしば見るのに、逆に大学は3年で卒論以外の単位を取り終わって余裕をもって卒業したせいか、大学の夢はほとんど見ない。・ギターを弾く夢ギターを弾く夢を見るときはたいてい私は超絶技巧でものすごくうまくギターを弾いていて、満足した気分になれるので当たりの夢である。・死ぬ夢私は夢の中で20回くらい死んでいる。実家の庭にライオンがいて頭を噛まれたり、ジープの荷台に乗って戦場を走っていたら爆殺されたり、カーチェイスしながら後ろから追ってくるマフィアに撃たれたり、林の中で狼の群れに追われてかじられたり、背後に表れた幽霊の腕に心臓を貫かれたりして、たいてい死んだ瞬間に目が覚める。自分が体験したことがない夢を見るので映画やゲームの影響なのだろう。たぶん普通の人は死ぬ夢を悪夢とみなすだろうけれど、私はこれは映画的世界を直接体験できる面白い夢だと思っているのでストレスはないし、あまりに現実離れしていてこれは夢だなと夢を見ながら気づいてしまうこともある。こういうインパクトがある夢はたいてい覚えている。・数字が出てくる夢私は普段はナンバーズは買わないのだけれど、3476とかの4桁の数字が夢に出てきたことがあって、試しにナンバーズを買ってみたら3475とかの1違うだけのニアミスだった。1違うだけで100万円を逃したのはかなり悔しいので、次はいけるんじゃないかと思って4桁の数字が夢に出てきた時はナンバーズを買うことにしたのだけれど、なかなか夢に数字が出てこない。・シュールな夢全国の美容師がサザエさんカットの日本一を決める大会をしていてメッシュまじりのサザエさんカットやブロッコリーみたいな房が多いサザエさんカットにする夢とか、福島県職員が知事の机を片栗粉まみれにして新名物の巨大な大福を作る夢とか、どうみても私の記憶ではないようなシュールかつリアルな状況の夢はユアグローの掌編小説みたいで面白い。
2022.11.28
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ある夏の夜、近所を散歩していたら野良猫の集会に出くわした。10匹ほどの猫たちが輪を作って毛づくろいをしていた。猫の中でひときわ貫禄があるボス猫が私を呼び止めた。「オイそこの貧乏そうな人間」「私ですか?」「我々は猫祭りをするからギターを弾け。ギターを弾かないと猫にするぞ」ボス猫はゴミ捨て場にあるクラシックギターを指さした。「なんと?」「猫にするぞ」「ヒエッ……しかし私はギター素人でして、コードもスケールも知らないのです」「ギターは魂で弾くんだよッ! 魂に素人も玄人もあるまいよッ!」ボス猫は短い前足で地面をどんどんと踏みつけた。「それではやらせていただきやす……」「魂でッ!」「ヘイ、魂でッ!」 ボス猫は短気なようで、交渉の余地はなかった。仕方なくギターを弾き始めると、狂乱の夜が始まった。猫たちはBMWのタイヤで爪を研いだり、ボンネットに飛び乗ってワイパーを弄んだり、他の猫のしっぽを追いかけたり、家の玄関の前にうんこをしたりして、暴虐の限りを尽くした。明け方になると祭りは終わって、猫たちがめいめいの住処に帰り始めた。ボス猫が私に言う。「人間にしてはやるではないか。お前は猫の魂を持っているので特別に猫にしてやろう」「なんと」 ボス猫は抜け毛を私にふりかけた。そして私は猫になった。
2022.11.20
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若手芸人のスパークスの徳永が先輩芸人のあほんだらの神谷に憧れて伝記を書く話。●あらすじ漫才コンビのスパークスの徳永が熱海で漫才をしていると花火で声がかき消されて、先輩芸人のあほんだらの神谷が仇討ちするといって客を罵って、徳永は神谷におごってもらって師弟関係になり、神谷に伝記を書くように頼まれる。徳永が20歳で神谷が24歳だった。神谷が大阪から東京に進出してきたので徳永が吉祥寺を案内すると、神谷は太鼓を叩いている男に絡んで全力で太鼓を叩かせて、喫茶店で「なんでも過度がええねん」と漫才論を言う。徳永は神谷と飲むようになり、泥酔して神谷に家に誘われて、夜明けに真樹のアパートに着いて寝る。神谷は真樹と付き合っておらず、真樹の家に居候して徳永と飲むという名目で真樹から金をもらって女性をナンパしていた。神谷は真樹からもらった金や消費者金融から借りた金で徳永に食事を奢ろうとするので徳永は奢ってもらうのがつらくなる。事務所に優秀な後輩が移籍してきたので徳永が神谷に相談しようとすると、真樹が風俗で働いていて客と恋仲になったと神谷に相談されて荷物を取りに行くのに付いていく。十数年後に真樹が少年を連れているのを見かけた。徳永が28歳の時に神谷は徳永の外見を真似して銀髪にしていて、由貴の家でテレビでスパークスの漫才を見て徳永は神谷が笑わないのが気に入らなくて、外見を模倣したことを怒ると神谷は自分で髪を切る。徳永は仕事が増えて家賃が高いマンションに引っ越して神谷とは会わなくなって、あほんだらのうわさも聞かなくなった。徐々に仕事が減ってきて、相方が結婚して子供ができたのでスパークスを解散することにして最後の漫才をする。神谷は借金が1千万まで膨らんで行方不明になり、徳永は芸人をやめて不動産屋で働き、1年後に神谷と再会すると胸にシリコンを入れてFカップになっていたものの笑えなかったので説教して、神谷の誕生日祝いに一緒に旅行して熱海で花火を見て、神谷は素人参加型のお笑い大会に参加したがる。●感想僕(徳永)の一人称で、神谷との出会いから時系列に語る形式。冒頭でマイクが横の音を拾わないという細部のリアリティがあるし、冒頭で僕は〇〇だと自己紹介するような素人臭いことをやらずに語り手の素性を伏せたまま最初の場面を展開して13ページで「スパークスの徳永です」と言って読者の興味を引っ張ってから語り手の素性を自然な形で紹介しているし、神谷に自伝を書くように頼まれたことで僕が神谷について語る動機もあるし、この辺は純文学の基礎的な技術をわきまえている。しかし物語の時代背景が不明なのはよくなくて、たぶん又吉の若いころと同じ時代設定なのだろうけれど、隠す理由はないのだからいつの話なのかはっきり書くべきである。2000年代後半にはYouTubeやニコニコ動画がサービスを開始していてそこに動画を投稿するという選択肢も出てくるので、それ以前の話なのか以後の話なのかで物語の見方も違ってくる。それに冒頭で神谷が徳永に居酒屋でおごるときに人づきあいが苦手な神谷がお互いの相方を誘わないで徳永とサシで飲むのは不自然で、それについて読者が納得できるような説明でのフォローもない。後輩コンビにおごるとなったら普通は一人だけでなくて二人に奢るだろうに、なぜ神谷が徳永だけ誘うのかよくわからない。神谷が伝記を書かせたがる相手もなぜ所属事務所の後輩でなくて初対面の徳永なのかよくわからない。徳永の事務所に先輩がいないから神谷に憧れを持つという状況もやや不自然で、たいていは売れている大物芸人に憧れるものじゃなかろうか。物語を展開しやすいようにご都合主義的な状況をおぜん立てしたような感じでそのぶんリアリティも損ねていて、その辺は設定の詰めが甘い。外面描写も不十分で、特に真樹が初めて物語に出てきた49ページでは「ボーダーのスウェットパンツを穿いた華奢な女の人は優しい声で神谷さんにそう言った」とパンツと体型と声しか描写していないのはだめだろう。もし読者が関西のおっさんなら「女の顔はどないなっとんねん。男だらけのむさ苦しい話にやっと女が出てきたんやからちゃんと書かんかい。筆舌に尽くしがたい美女か、言葉を濁すくらいのブスか、どっちやねん。書かんちゅうことはブスなんやろ。ブスをブスと書けないのはポリコレで容姿弄りがダメになったからまあええねん。ボーダーのスウェットパンツを穿いた華奢な女ってなんやねん。上は裸でオッパイ丸出しか? ブスな女が上半身裸でボケてるんやからオッパイに突っ込まんかい。どんなブスでもオッパイはあるんやから大きくても小さくても弄ったれや。目の前にオッパイがあるのにちゃんと拝まんのは不敬罪やぞ」などと文句を言うかもしれない。私は教養がある知的な読者なので女性のオッパイの性的な描写はなくても別にいいのだけれど、テクニカルな点でいうと最後が神谷の豊胸オチなのだから神谷のオッパイ観を示す前振りは早い段階で仕込んでおくべきだったのに、真樹の初登場のときもその後の居酒屋ナンパでも神谷のオッパイへの言及がないのはよくない。神谷が女性をどうとらえているのか不明なので、豊胸も脈絡がなくて唐突な感じになってしまう。それに漫画の登場人物と違って同じ服をずっと着ているわけではないのだから服の描写よりも顔や髪や化粧のように人物像が読者の印象に残る部分を優先して描写するべきだろう。徳永が女性に興味がなくて女性を形でしか認識していないというのを示すためにそっけない描写をするならそれはそれでいいけれど、それだと徳永が神谷の半生の語り手としての役割を十分に果たしていないことになる。129ページに出てくる由貴に至っては太っていて肌がきれいと書かれているだけで服の描写さえなくて扱いが雑である。もし読者が関西のおっさんなら「初対面で全裸は引くわ。エプロンくらいするのがマナーやで。脱げばええっちゅうもんやないねん」などと文句を言うかもしれない。107ページで十年以上後に真樹が少年を連れているのを見かけたときに「本当に美しかった」という描写もだめである。例えばグルメレポーターがシュークリームを食べて「本当においしかった」と言っても視聴者に伝わらないので外側はサクっとした香ばしい生地で中から濃厚なクリームがあふれ出してバニラの香りが鼻から抜けて云々と具体的に感想を言うように、美しいという形容詞を使わずになぜ徳永が真樹を美しいと思ったのか価値判断の基準を具体的に示さないと読者には伝わらないし、会話文ならまだしも地の文で「本当に」をつけて強調するのは素人くさい悪手である。ラストの文章も「全裸のまま垂直に何度も飛び跳ね美しい乳房を揺らし続けている」と安直に美しいという形容詞を使っているのはよくない。もし読者が関西のおっさんなら「ここは「本当に」がついてないから本当は神谷の乳房は美しくないんやろ。そこは気を使わんでええし、本音で言わなオッパイの魅力は伝わらんねん。本当に美しいオッパイなら徳永はエレクチオンしてるはずやでッ」などと文句を言うかもしれない。私は教養がある知的な読者なので女性のオッパイの性的な描写はなくても別にいいのだけれど、豊胸に焦点を当てる以上は美しい乳房と美しくない乳房の判断基準を書いてほしい。説明も不十分で、いきなりZepp東京という固有名詞が出てきてももし読者が関西のおっさんでZepp東京を知らなかったらそこがどういう場所でどのくらいの大きさの会場かわからない。日本武道館や東京ドームくらい有名なら説明がなくてもそこでライブをやるのが晴れ舞台だと伝わるけれど、Zepp東京で漫才をしたと言われても説明がないとそれがよくあることなのかすごいことなのかニュアンスが伝わらない。この小説では徳永の人生、神谷の人生、徳永と神谷の関係の三点が主に書くべき焦点だけれど、徳永が神谷の人生の傍観者になってしまって、二人がお互いにどう影響を受けて変わったのかという変化が書かれていないのが物足りない。徳永は神谷みたいにはなれないと自分で変化を拒んでしまって常識人のままでいて、徳永が起点になったエピソードの展開がない。それに冒頭で神谷が居酒屋で奢ったときに徳永の相方の山下も連れてきていれば徳永から見た神谷像と山下から見た神谷像を相対化してポリフォニックにすることもできたのだけれど、徳永と神谷の関係に単純化してしまったせいで人間の書かれ方が徳永が神谷をどう思うかというモノローグになっていて、神谷の人物像を掘り下げるという点ではもったいない。あと神谷の相方の大林についての言及がほとんどないのはよくない。大林が暴力的で悪い噂があるという情報が伏線になっているわけでもなくて、徳永以上に神谷と同じ時間を過ごしてきた大林の存在感がない。タイトルの『火花』は巻末のエッセイに又吉が「線香花火」というコンビ名でデビューしたことを書いているように小さな一瞬の輝きを表したかったのだろうけれど、抽象的過ぎて面白みがない。筒井康隆が『創作の極意と掟』でタイトルのつけ方について「いいタイトルとは、少し変わっていて、その作品にしかつけられないタイトルで、だから誰かが真似をすればその作家の品性が問われるほどの独自性を持っているタイトル、ということになる」と言っているのに私も同意で、タイトルのつけ方にも作家のセンスが出る。この小説は冒頭が熱海の花火の場面で始まるのでタイトルを『花火』と誤解した人もいるようだし、又吉が火花の輝きにこだわりがあるにしても他にもっといいタイトルがあったと思う。もし読者が関西在住のロシア人のおっさんならタイトルがロシア社会民主労働党の機関紙『イスクラ』(火花の意味)を仄めかしているんやろかと勘繰って暗号を探し始めるかもしれないし、そういう点を意識した言葉選びができるかどうかで作家の教養が出る。良い点としては、会話の場面から人柄や感情が伝わるような会話の書き方はよい。この辺はお笑い芸人としていろいろな人と会話をしてきた又吉の経験が出ているのだろう。神谷が真樹と別れる場面も笑いに転嫁していて、登場人物がお笑い芸人たちというこの小説ならではの異化のやり方がよい。神谷は借金まみれで芸人も続けられなくなったけれど、悲壮感がなくて売れない芸人の人生を肯定する終わり方もよい。守破離の守ができていてオーソドックスな純文学作品に仕上げているという点では最近読んだ『おらおらでひとりいぐも』よりは技術的な水準は高い。マジックリアリズムやどんでん返しとかの大技を出すわけではないけれど、大きな技術的瑕疵がなくて表現したいことをちゃんと書ききったという点では新人の小説としてはよい小説である。ただ又吉ならではと言えるほどの特徴があるかというと、芸人を書いたというテーマ以外のところでの個性が見えない。大正時代は私小説作家が自身の破滅を書いたし、昭和や平成の漫画ではロックミュージシャンの破滅がしばしば書かれているけれど、それのお笑い芸人版という感じで、才能があるけど尖りすぎて周囲とうまくいかない人が破滅する物語の構図には既視感がある。文章を丁寧に書くこと自体は素人でもできるけれど、文章がうまくて当然のプロ同士では構成力で作品の良し悪しの差がつくもので、この構成力には文学理論や哲学とかの文学的教養やメタ認知能力が必要なので編集者が一朝一夕に教えられるものではない。又吉の構成力は新人相応といったところで、純文学史上の大ヒットとなったこの未熟な作品が代表作で終わってしまうのはもったいないので、これから文学理論を勉強して本当に美しいオッパイの魅力を書ける作家になってほしいものである。★★★☆☆火花 (文春文庫) [ 又吉 直樹 ]価格:660円(税込、送料無料) (2022/11/13時点)楽天で購入
2022.11.13
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最近は鮭の切り身が川を泳いでいる画像とかのAIが生成する変な画像がときどきTwitterでバズっている。笑えるうちはまだいいけれど、AIがプロのイラストレーターの仕事を奪うレベルになってきた。2017年にAIが翻訳したり小説を書いたりすることについて考えるという記事でAIについて考えたけれど、最近はAIの進歩がめざましいのでまたAIについて考えることにした。●AIとは何かAIとはArtificail Intelligenceの略で、日本語でいうと人工知能である。AIの認知自動化(cognitive automation)にはルールをプログラミングに埋め込むclassical AIと、似たサンプルをたくさん集めて抽象的な概念を学習させるディープラーニングの二種類がある。ルールや例示によって何かを定義づけてコンピューター上の計算処理を自動でこなすオートメーションがAIの機能で、人工知能とは言われているけれど人間の知性とは違う。・学習データの偏りの問題AIのディープラーニング用のデータはAIを研究しているアメリカの白人のデータに偏っているので、白人の価値観を学んだAIは黒人に対して差別的になる傾向がある。AIは足し算より引き算のほうが難しいそうで、データをどんどん追加して学習させるだけなら簡単だけれど、その中から好ましくない部分を取り除いて再学習させるのが難しいようである。逆に言えば最初から特定の学習に特化すればそれを強みにもできる。AIの自動運転は現時点では不完全だけれど、あらゆる道路や車種に対応できる万能のAIを育てるよりも『機動警察パトレイバー』でOSに操縦者のクセを覚えさせたように個々人が自分の生活に特化したAIを育てて、例えば特定の車種と特定のルートの運転データや渋滞のパターンをAIに学習させて、自宅と会社の往復や工場間の輸送などの特定のルートだけは自動運転させるような使い方なら役に立つかもしれない。・機械とAIの違い機械は人間が出せない大きな力や早い動きをガソリンや電機などの動力を使って出せる。しかし細かい調整は機械側ではできなくて人間が機械を操縦して微調整する必要があるので、手作業の単純労働は機械が奪ったものの、機械のオペレーターとしての仕事は残った。それで工業革命が起きて山を削ってダムや線路を作ってインフラが整備されて物が大量生産されて効率的に輸送されて、それまで集約労働で手作業をしていた人たちはサービス業とかの別の仕事について、文明が飛躍的に発展した。そんで機械の次はAIが作業を自動化するようになった。東京大学のBeyond AI研究推進機構サイエンスカフェの動画を見てみたら、内視鏡AIで医者が癌を発見するのを手伝って見逃しを防ぐ研究とかをやっているようである。このままAIが学習を続けていけばいずれは臨床経験が限られる医者よりも何千万人もの診察データから学習したAIのほうが正確な診療ができるようになるかもしれないし、同様に弁護士も何万件の判例を把握しているAIのほうが優秀になるかもしれない。しばらくはAIが専門職の仕事を補佐する役割になって、生産性があがるぶん人手がいらなくなって徐々に専門職が減っていくのだろう。人間の認知能力、演算能力、作業能力を超えることをAIができるようになるとあらゆる職業で生産性が上がってさらに文明は発展するだろうけれど、その反面で失業する人も出るだろうし、最終的には人間が労働する必要さえなくなって、YouTuberみたいに遊んで人間同士でコミュニケーションするのが人間の仕事になるのかもしれない。●AIの進歩で社会はどう変わるのか・素人の創作がはかどるシンガポールのNanyang Technological UniversityのText2Light: Zero-Shot Text-Driven HDR Panorama Generationという論文によると「昼の緑の木に囲まれた池の茶色のウッドデッキ」のような文章に応じたパノラマ風景も自動生成できるようで、こういうAIを使えばなろう小説とかで挿絵がほしいときに雰囲気を盛り上げるような画像を簡単に付け足すことができる。読者も文字を読む必要がなくなって、AIが読み上げた文章を聞きながらAIが自動生成した画像を眺めて作品の世界に浸るような鑑賞の仕方になるかもしれない。GoogleのImagicというAIだとインプットした画像を基に文章で指示した通りに編集してくれるそうで、例えば人物の写真を基にしたら「腕を組んだ人」や「ナマステのポーズをする人」と指示をするとそのポーズに編集できるようである。いずれ漫画でもVTuberのようにキャラクターの全身モデルを作って、キャラクターと表情とポーズと背景を指定したらそれに合わせてAIがパースや影を調整して漫画を仕上げてくれるようになって、人間の作業は監督としてAIに指示するだけになるかもしれない。そんでオリジナルの作風に酷似した二次創作が大量生産されてニッチなニーズを満たすようになったら、絵が下手な二次創作は需要がなくなって、絵の上手さよりもストーリーを考える能力のほうが重要になるかもしれない。・プロのクリエイターの仕事が少なくなるAIが特定のイラストレーターの作風まで模倣できるようになって、mimicというAIイラストサイトが著作権対策が不十分として炎上したように、AIでピンポイントで作風をパクられて似たイラストを労力をかけずにポンポンと量産されてしまうとプロの仕事がなくなってしまう。特にアニメ絵は人物像をデフォルメしているので特徴を真似しやすいようで、オリジナルと遜色ないくらいにAIが真似できている。もし人物の同一性を保ったまま服装やポーズや背景だけ変えられるようになったら、有料の画像ストックサイトや、既に広く使われているいらすとやでさえ需要がなくなるかもしれない。pixivだとAIが描いた絵を投稿する人が増えたようで人が描いた絵とAIが描いた絵を分ける方向になるそうだけれど、AIの絵で満足されてしまったらfanboxとかでファンに支援してもらっているセミプロイラストレーターからファンが離れる可能性もある。客の細かい注文にピンポイントで応えられる絵を描ける人だけがプロとして残るかもしれない。AIはすでにアニメーターが描いた線画に色付けする程度のことはできるようだけれど、もしAIが同一性を保ったイラストを連続して描けるようになってアニメを作れるようになったら、納期に追われて作画崩壊するような絵を描くアニメーターは仕事がなくなるかもしれない。・遊びが面白くなるゲームのNPCはAIが人間に近い挙動をするようになって一緒に遊ぶ相手がいなくてもAIと協力プレイできるだろうし、スポーツでもバッティングセンターでAIピッチングマシーンが投手の配球パターンを再現してプロ選手との対戦気分を味わったりできるようになるかもしれないし、AI相手の娯楽は充実するだろう。・研究効率がよくなる国立電子図書館みたいなものができて膨大な資料が電子化されてAIが資料の検索をやるようになれば、何かの話題に言及している論文の該当ページをピンポイントで見つけてくるようになって、資料を探したり付箋を貼ったりする手間がなくなって研究者の研究効率が上がるだろう。・健康寿命が延びる発達障害や認知症で記憶力や計算能力が乏しい人でもAIの補助によって足りない能力を補えるかもしれないし、身体障碍で目や耳や喉が悪い人でもスマート眼鏡やスマート補聴器のAIが文章を読み上げたり音声を自動で字幕にしたり手話を自動で文字や音声に変換したりして認知を補助することで生活しやすくなるかもしれないし、デジタルインフラとして人類全体の認知能力を底上げして健常者と障碍者の差を少なくして障碍者や高齢者でも社会で活動しやすくなるだろう。症例が多い病気に対してはAIが正確な診断をするようになって、例えばスマホで湿疹やイボとかの写真をとるだけでAIが病院に行く必要があるか判断して早期治療が可能になって健康寿命も長くなる。・多様な才能が開花するAIと機械が自動でたいていの作業をこなすようになれば、人間は認知能力や身体能力よりも数値で定量化できない非認知能力のほうが重要になって、意欲、協調性、忍耐力、判断力、思考力、自制心、創造性などの非認知能力が優れた人がツールとしてAIを使って何かをするような社会になるのかもしれない。人間は認知能力を伸ばすこと自体は比較的簡単である。例えば勉強だと同じ問題を何回か解けば答えを暗記して間違えなくなるし、努力した分だけ成果が出ているのを数値で確認できるのでモチベーションにもなる。その一方で定量化できない非認知能力は鍛え方がよくわからないし成長の度合いもはっきりしないので軽視されがちで、教育からとりこぼされてきた。音大や美大の受験だと創造力が評価されるけれど、創造力は本来は他の学問でも評価されるべき項目で、創造力がなくて前例を多く暗記してまとめるだけの研究者なんて役に立たないのに、大学受験では記憶力の測定が中心で創造力や思考力などの非認知能力が問われないままだった。AIが人間の認知能力を補佐するようになれば非認知能力を伸ばす学習に焦点があたって教育の仕方も変わるだろう。AIをツールとして使いこなす次世代の非認知能力が優れた人たちが社会に出るようになれば、暗記力が優れていてペーパーテストは得意だけれど思考力がないような人が官僚になることはなくなるだろうし、検討だけして意欲も実行力もない岸田文雄みたいな人が政治家になることもなくなるだろうし、そしたら日本も変わるかもしれない。
2022.11.07
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