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若い将校が砂漠に面した砦に配置されて長年戦さに備える話。●あらすじ士官学校を卒業したジョヴァンニ・ドローゴはバスティアーニ砦に勤務することになる。その砦は北の高地にあってタタール人の砂漠と呼ばれる石だらけの砂漠に面していて、何も娯楽がない僻地での勤務なので普通の人はキャリア作りのために2年だけ務めて帰るものの、なぜかドローゴは任期を告げられなかった。ドローゴは砦に着いてすぐ帰りたくなるものの、マッティ少佐に4か月勤めたらキャリアを傷つけずに仮病で帰れると諭されて、4か月だけ我慢することにする。マントを仕立てに行くと仕立て屋のプロズドチモは臨時でここにいるだけだと主張するものの、彼はもう15年もそこにいるのに臨時だと言い張っていることが笑われていて、ドローゴは仕立て屋の兄にああならないように早く帰るほうがいいと諭される。4か月後に仮病の診断書を書いてもらうものの、砦の生活がすでに慣習になってしまっていて、ドローゴは急に帰りたくなくなって砦に残る。2年たってドローゴが堡塁を警備していると、黒い物影が動くのが見えて警戒態勢になるものの、石を見間違えたということにしておいたら、鞍をつけた立派なタタールの軍馬が一頭歩いていた。新人のラッザーリはその馬を自分のものにしようとして勝手に持ち場を離れて捕まえに行き、戻った時に合言葉を知らなかったので友人のモレットに撃たれて死ぬ。砦からは北の国境近くを武装した騎兵が通るのが見えたものの、大佐が戦闘になるか判断しかねていたところ、北の王国が国境を調査していると手紙が来たので、砦からも調査隊を出す。アングスティーナは長靴で行軍したせいで靴擦れができて、山頂にもタタール人に先回りされてしまい、意地を張ってカードで遊んでいるふりをして凍死する。さらに2年たってドローゴが2か月の休暇をもらって故郷に帰ると違和感があって、母はドローゴの足音で目を覚まさなくなっていて、恋人のマリアとも以前のように話すことができなくて別れる。砦で4年勤務すれば慣例として他の任地に転属できるので、ドローゴが将軍と面会すると砦の兵士を半減すると言われて、同僚たちは砦を離れたくてドローゴに内緒にして先に転属届を出していたので、部下を1人死なせた過失があるドローゴは転属し損ねる。シメオーニは国境で動いているものがあってタタール人が道路を作っているのだとドローゴに言い、ドローゴはもう砦に重要性がなくなってタタール人の脅威はないと思って信じなかったものの、やがて夜に明かりがついて動いているのが見えたので観測を続けた。しかし中佐が流言は隣接国家との友好関係を損なうとして望遠鏡を禁止してしまい、臆病なシメオーニは高性能な望遠鏡を司令部に提出して観測をやめてしまう。やがて明かりは砦にある低性能の望遠鏡でも見えるくらいに近づいてくるものの、参謀本部は砂漠の道路工事を重要視していなかった。15年たってドローゴは40歳になって昇進して大尉になり、道で新しく赴任するモーロ中尉に挨拶されて昔を思い出す。砂漠の道路が完成しても工夫が去って行って敵がやってこなかった。ドローゴは54歳になって少佐に昇進して、体が衰弱してきたので砦に留まれるように軍医に計らってもらう。春になると北から軍隊が来たとプロズドチモがドローゴに知らせるものの、砦の司令官のシメオーニはドローゴの部屋に増員兵用のベッドを置くために病気のドローゴを町に追い払い、ドローゴは寝室で一人で死に立ち向かおうとする。●感想三人称の神の視点。序盤は砦に着くまでに時間がかかる「遅延」や、砦や砂漠の情報を小出しにしていく「謎」を軸に物語を進めていて、何も事件が起きなくて物語の方向性がわからないのでやや退屈だと思いながら読んでいくと、6章でドローゴがもう戻れないという未来を「暗示」していて、これで一気に不穏な感じが出て物語が引き締まって方向性が定まった。こうしたテクニカルな物語のコントロールの仕方はうまい。10章では「〇〇も習慣になってしまった」という「反復」で語りのテンポを変えているのも小技が効いていて、合言葉とかの伏線を仕込むのに使われている序盤を飽きさせないようにしている。物語の時代背景や砦の具体的な位置は書かれていなくて、その辺のぼかし方もタタール人の砂漠という実在するかどうかわからない場所の幻想性を出すのにつながるのでよい。何もない砦だからこそ水の音とかの些細な出来事が小説の中では事件性を持っていて、登場人物が動かないぶん舞台を活かして見せ場を作るやり方がうまい。中盤からは登場人物が動き出して死人が出てタタール人も出てくるものの、すわ戦闘かと緊張を高めたところで何も起きないのもアンチノベル的な期待の外し方でよい。純文学としてはよいやり方なのだけれど、逆にエンタメ小説が好きな人には物足りないかもしれない。欠点としては人物の掘り下げが足りない。序盤にドローゴを焦点人物にしたのは部外者の視点から砦を紹介するという役割があったのでドローゴ自身に魅力がなくても登場人物としてはいちおう機能しているけれど、ドローゴに何か目的や思想があるわけでもなくて目立った行動もしないので主人公というほどの個性や魅力がないし、晩年のドローゴの数十年の時間を端折っていきなり老いと死に直面させるのはやや雑なやり方である。ドローゴ以外にもいろいろな登場人物が出てくるものの、個人の単発の出来事として書くだけで登場人物の関係性をあまり掘り下げないし、ラッザーリやアングスティーナが死ぬ場面にもドローゴが全く絡まないので、焦点人物を切り替えても群像劇というほどの盛り上がりがない。あと293ページでドローゴがモーロ中尉に挨拶される場面は17ページのセリフの繰り返しになっているのだけれど、この仕掛けは短編小説向けで、長編小説でやると作為が出すぎてリアリティを損ねるので私はやらない方が良いと思う。この小説が岩波文庫に翻訳されたのは2013年だけれど原書は1940年に刊行されていて、文学理論や小説の技法が体系化されていない時代にこれほど技巧を凝らした小説を書けるのは見事である。今は本を1冊出版しただけで芸能人でも主婦でも小説家を名乗って文化人を気取っていて、芥川賞作家だと偉そうにしている連中でさえ文学理論や小説の技法を知らずに見様見真似で小説っぽいものを書いている下手くそだらけである。久々に小説の書き方を知っている本物の小説家が書いた小説を楽しめたけれど、80年前の小説のほうが現代の小説より出来がいいのでは現代の小説家に期待を持てなくなってしまう。これは単にブッツァーティに小説の才能があるというだけではなくて、本を読んで育った20世紀前半までの世代とテレビやパソコンの映像を見て育った20世紀後半以降の世代とでは文章のインプットとアウトプットの量が圧倒的に違っていて現代人の文章力が劣化したのだろう。★★★★☆タタール人の砂漠 (岩波文庫) [ ディーノ・ブッツァーティ ]価格:1012円(税込、送料無料) (2023/1/30時点)楽天で購入
2023.01.30
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最近はコロナパンデミックで世界で何百万人も死んだり、ウクライナの戦争で何十万人も死んだり、日本で謎の超過死亡で何万人も死んだりしていて、世界が死に満ちている。というわけで徒然なるままに死について考えることにした。●死にかけた私は冬になるとしばしば立ちくらみを起こすので気を付けていたのだけれど、こないだ風呂で『タタール人の砂漠』を読んでいたらうっかり長湯して激しくのぼせてしまった。風呂から出ようとしたときに立ちくらみしてこれは危ないやつだと気づいて、風呂場で倒れて頭を打つのを防ぐために頭を起こそうとせずにバスタオルを廊下にしいて全裸で床にうつぶせになって頭に血流が戻るのを待っていたら、汗がだばだば出てひどい倦怠感で体が動かせなくなって意識が遠のいていった。このままでは死ぬかもしれないと思うと素直に後悔の念が出てくるもので、まだ至高の小説を書いていないことと、節約して粗末なものを食べて貯金を残しておいしいものを食べないまま死ぬのはあほらしいとさもしいことを考えていた。残念ながら私は死に際に世界の平和と他人の幸福を考えるような立派な人物ではなかったようである。風呂に入る前に健康のために黒酢を入れたウィルキンソンの炭酸水を450ml飲んでいたのだけれど水分を吸収しきれていなかったようで、吐き気がしてもトイレに移動する体力もなかったのでうつぶせのままほとんど吐いてしまった。炭酸水を飲むと血液中の二酸化炭素が増えて血管を拡張するので、炭酸水は風呂に入るときの水分補給用には向いていなくて風呂上がりの立ちくらみを起こしやすくなったようである。そんで寒さに震えながらしばらく横になっていたら汗が止まって少し体力が回復したので体を温めるためにこたつに移動して体力が尽きて、またじっとしていたら少し動けるようになったので服を着て体力が尽きて、また少し体力が回復したら備蓄していたスポーツドリンクを一口飲んで体力が尽きて、そんでちびちび水分補給して1時間くらいしてようやく普通に動けるようになったものの、湯冷めしたせいか風邪をひいて微熱が出たのでパブロンを飲んで半日寝ていた。結果的に死んでいないので死にかけたというのは大げさかもしれないけれど、私が体力がない高齢者だったら最初に意識がもうろうとしたときにそのまま体温が低下して凍死したか、あるいは風邪をこじらせて衰弱して死んでいたかもしれない。自分がどのように死ぬのか予行演習できて、漫然と生きることに対して戒めになったという点ではたまに死にかけるのも悪いことばかりではない。そんで生き延びたお祝いに何かおいしいものを食べようと思ったものの、今まで貧乏な食事をしてきたせいか死ぬ前にどうしても食べたいというほどの好物がないので、スーパーで半額のパンを500円分くらい買って満腹になって後悔が一つ減った。ずいぶん安あがりな後悔である。●死とは何か体の細胞は日々死んでいる一方で再生もしているので細胞単位では死とは言わないし、髪や歯が抜けても髪の死や歯の死とは言わない。人体を一つの生命としてとらえたとき、意識を永久的に喪失することを死と呼ぶ。植物状態では脳幹がまだ生きていて自発呼吸できて回復する可能性があるので意識がなくてもまだ死亡とみなされないのに対して、脳死は大脳、小脳、脳幹のすべての機能が失われて意識が戻る見込みがないので死亡したものとみなされる。人間は毎日寝る時にノンレム睡眠で脳を休息させて意識を失って仮想的に死んでいる。なぜ我々が死を恐れて眠りを恐れないのかといえば、経験的に寝てから数時間後には自然に目が覚めて、寝る前の続きの世界を生きられると理解しているからである。しかし死んだらそれで終わりなので、やり残したことや大事なものを失うことの後悔が不安や恐怖になる。動物は本能で生きているので外敵に襲われることや餓死することは恐れていても、寿命でいずれ死ぬことに対しては不安も持たないし後悔もない。しかし人間はなまじ知性があるのでいずれ自分が死ぬことを理解してしまって、一生懸命生きても結局死んでしまう理不尽さが受け入れにくい。それゆえに地位や財産を得た権力者ほど死を恐れて秦の始皇帝は不老不死の薬を求めたし、戦乱の時代に大勢人を殺してきた武将でさえ自分の死に対しては覚悟ができていなくて四面楚歌で敗戦を悟った項羽は「虞兮虞兮奈若何」と寵愛していた美人の虞を失うことを恐れた。死は誰にでも訪れるからこそ、死をどう受け入れるか、死ぬまでに何をするかがQOLを高めるために重要になる。死を受け入れるために宗教が作られて、仏教のように執着を捨てて死を享受する考え方や、キリスト教やイスラム教のように天国をでっちあげて死を恐れないようにする考え方ができた。死と隣り合わせの戦国時代の傾奇者や数奇者はどうせ死ぬのだからやりたいことをやろうと開き直って権力者に逆らって短い人生を生きたいように生きたし、千利休と秀吉の不和の原因も諸説あるけれど秀吉にこびへつらって生きるよりも数寄者としての矜持をもって死ぬことを選んだのかもしれない。じゃあ医学が発達して栄養がある食べ物があって寿命が長い現代人はQOLが高いかというとそうでもなくて、なまじ寿命が長いせいで自分の死について考えなくなっていて、充実感もないままだらだらと生きて余命宣告されてから死について考え出して悩みや苦しみに付け込まれて新興宗教や占い師とかの詐欺師に騙されたり、あるいはまだろくに生きてもいない若者がSNSで成功した他者と自分を比べて成功しない人生は生きる価値がないと見切りをつけて早死にしたりして両極端で、非科学的な宗教に代わる死生観の哲学が育っていない。●生死と進化のサイクル古代の地球では多様な生物がいたものの噴火や隕石の衝突で恐竜とかの大型の動物は絶滅して、昆虫や小動物とかの小型の多産の動物が環境に適応して生き延びた。小動物は寿命が短いので生殖のサイクルが早くて、そのぶん遺伝子の変化が起きやすい。遺伝子が変化した個体で生存に有利な特徴を持っている個体が環境に適応して子孫を増やしていって、数億年かけて今の種に進化してきた。動物は多少の学習能力があるけれど、言葉がないので知識や経験を他の個体に伝承することができなくて、それゆえに動物は文明を作れない。人間は言語で知識を共有できて、そのうえ長い寿命を持ったことで教育をする時間を十分にとることができるようになって、知識や技術を伝承できるがゆえに土器、青銅器、鉄器へと徐々に技術を洗練させて数学や天文学などの学問を探求して高度な文明を築けるようになった。人間は狩猟採集時代には他の集落と共存して平和に生活できていたのに、定住して農耕するようになってから領土や資源の奪い合いで人間同士が殺しあうようになって、国もまた生死を繰り返していくつもの国が戦争で滅んで、短期的には武力が強い国が領土を広げるものの軍事力に特化したヴァイキングやモンゴル帝国は統治がうまくいかなくて長続きしなくて、単に軍事力がある国よりも社会制度が整った国が繁栄して世襲の君主制から共和制や議会制民主主義へ文明も進化していった。第二次世界大戦後に帝国主義が終わって領土争いがひと段落して、今度は民族の自治や多民族の共生ができるかどうかが人類の課題になっている。移民を受け入れているアメリカやEUは共生に成功すれば高次の文明に進化するかもしれないけれど共生できなければ衰退して他の国に飲み込まれるかもしれないし、民族ごとに独立して自治している国は共生を拒んで民族のアイデンティティを維持したところでアマゾンの少数民族が絶滅しているように滅びの道をたどるかもしれない。●老化と老害化人間はいきなりぽっくり死ぬわけではなくて、たいていは歳をとるにつれて老化して筋力や免疫力や細胞の再生能力が落ちてがんやら感染症やらの様々な病気になって衰弱して死ぬ。寝たきりでただ生きているだけでは寿命が長くてもあまり生きる意味はないので、筋トレしたり栄養管理をしたりして健康に生きられる期間の健康寿命を長くすることが必要になる。少子高齢化している日本では高齢者も労働力として活用しないと社会が回らなくなるし、高齢者の介護が必要になるとその分の労働力も必要になるし、働かずに長生きする人が増えると年金制度も持たないので、国民が死ぬ直前まで健康で自立していることは国家運営にとっても重要になる。その一方で老化した人が実権を握り続けて手放そうとしない老害化も問題で、運転免許を返納しようとしない老人のようにまだやれると言い張って説得が難しい。最近はイェール大学助教のイケメンでおしゃれな眼鏡をかけている天才経済学者の成田悠輔が高齢者は老害化する前に集団自決しろと発言をして炎上しているけれど、比喩だとしても目的のために手段を択ばないサイコパス的発想で感じ悪い。西部邁みたいに老いて体が不自由になった人が自死を選ぶのは尊重するべきだし、私も安楽死の制度は必要だと思うけれど、他人が自決や安楽死を要求する筋合いはないし、メンタリストDaigoのホームレス差別発言みたいなもので高齢者への差別を助長しかねない。森喜朗はもうオリンピックの利権に関わるのをやめろとか名指しで老害を批判するならいいけれど、高齢者を老害予備軍としてひとくくりにするのは主語が大きすぎる。自民党は内規で比例に73歳の年齢制限をつけているけれど、選挙で高齢者を落とせるかというと小選挙区制度だと野党がピンポイントで重鎮を倒せる有力な候補者を立てられないので、二階敏弘や麻生太郎みたいに80代でも選挙で勝ってしまって現職が有利で新人が勝てなくて若返りしにくい仕組みになっている。それゆえに選挙以外でも老害を排除する仕組みは必要で、国会答弁で記憶喪失になる議員や寝ていて議論に参加しない議員は職務を遂行する能力が欠けているものとして辞職勧告するべきだろう。民主主義で選ばれる政治家でさえ世代交代できないのだから、一部の大株主が取締役を決める企業はなおさら世代交代しにくい。後進を育てられず世代交代できない企業は将来性も期待できないのだけれど、日本だとファーストリテイリングの柳井や日本電産の永守のようにワンマンオーナー経営者が引退したがらなくて、たたき上げの経営者だけあってなまじ優秀なので後継者の欠点が見えてしまって粗さがしして追い出して結局自分で経営をやりたがる。中小企業だといまだにFAXを使っている会社があるように経営者が高齢になると新しい技術を理解できなくなって使い慣れた古い設備を使いたがって印刷の書式やおじぎ判子とかの利益を生まないことにこだわって設備投資や業務の効率化ができないので生産性も上がらないし、若者と違ってリスクもとりたがらなくなって新しいことをやろうとしない。アメリカは従業員を解雇しやすいし起業もしやすいのでどんどんベンチャーが出てきて10社つぶれても1社テンバガーになれば全体としては経済成長するし新興のGAFAがITに適応して急成長して世界的大企業になったけれど、日本は企業や組織の新陳代謝がなくて重工業や家電から業態転換もできなくてITでは日本が得意な他社を真似して小型化や高性能化する戦略も通じなくて高齢化とともに衰退している。少子高齢化でも若者が活躍できる社会ならまだ希望があるけれど、少子老害化して老人が利権をむさぼって若者から搾取している社会に希望はない。高齢の政治家や経営者は引退したら社会に必要とされなくなったり生き甲斐がなくなったりすることを恐れて、生涯現役であることにこだわるのかもしれない。しかし大正時代の政治家の後藤新平が「金を残して死ぬ者は下だ。仕事を残して死ぬ者は中だ。人を残して死ぬ者は上だ」と言ったように、一代限りで大金持ちになる人は優秀には違いないけれど結局一人でできることは限られているので、手柄を独り占めしようとして後継者を残せない人は歴史に名を残すような傑物にはならない。吉田松陰は投獄されて29歳で早死にして個人として何かを成し遂げたわけではないけれど、草莽崛起の思想の後継者たちが大勢いて尊王攘夷運動が起きたことで歴史に名を残した。老人が使い切れない金を持ったところで意味がない死に金だし、死期が迫った高齢者ほど金や仕事の追及をやめて後継者の育成をやって後進に席を譲るべきだろう。高齢者が会社で働けなくなったからといってそれで人間としての価値がなくなるわけではないし、若いころと同じスピード感で生きる必要はないのだから、大変な仕事は若い人に譲って、高齢者は身体が衰えた分だけゆっくり丁寧にやれることをやればいいと思う。会社で働くことだけが仕事ではないし、創作やボランティアとかの儲からなくて体力への負荷が少ないことをやったりして文化や地域社会に貢献すればよい。老人が憎まれてまで世に憚ったところで誰も得しないし、東芝や日本郵政に大損させた西室泰三みたいな老害はさっさと引退した方がよほど社会の役に立ったし本人の名誉も守れただろう。知力や体力のピークが過ぎたらでしゃばるのをやめて裏方に回って後輩に助言を頼まれたときに手伝ってやるのがよい隠居の在り方である。●死の観察若者は自分が死ぬ存在だとは理解していないので、無駄に刺激を欲しがって危険なことをやりたがって、車でスピードを出して事故を起こしたり橋から川に飛び込んで溺れたりしてつまらない死に方をする。死は1回限りで自分の経験からは学びようがないので、他人の死に方を観察することで死に至るリスクを遠ざけたり、自分が死ぬときの覚悟をしたりできるようになる。アナログな時代は人が死ぬ瞬間を見るのは医療関係者くらいだったけれど、今は世界中に監視カメラがあるしたいていの車にドライブレコーダーがついているし皆がスマホを持っているし警察がボティカメラをつけているので、人が死ぬ瞬間が動画に記録されてSNSにアップロードされている。中国では工場で機械に巻き込まれたり、歩行者が暴走車にひかれたり、駐車場で遊んでいる子供が車にひかれたり、ロックダウンされたアパートから飛び降りたり、喧嘩して包丁で刺したりして死んでいる。アメリカでは犯罪者が警察官に撃たれて死んでいる。南米ではギャングが対立するギャングに捕まって見せしめにマチェーテで手足を切り刻まれたり首を切られたり、強盗犯が武装した市民に撃たれたりして死んでいる。アフリカではイスラム教過激派のボコ=ハラムや中央アフリカ州がキリスト教の教会や学校を襲撃して女性や子供が死んでいる。ウクライナでは市民が拷問されて殺されたり、兵士が砲撃されて手足がちぎれたり焼けこげたりして死んでいる。ナイーブな子供はグロ動画や人が死ぬ瞬間を見るとトラウマになることがあるので見ない方がいいけれど、大人は事故や犯罪や戦争の現実から目をそらさないで人がどう死んでいくのかをよく見る方が良い。医者が解剖で人体の仕組みを学んでから手術に臨んだり、鑑識が血まみれの犯行現場を検証したりするように、グロく非道な現実を知らなければ問題を解決できない。平和ボケした左翼は死を理解していないので、戦争はいけないと理想を言うだけの自己満足で終わって殺人を止める具体的な手段を考えようとしないし、自分が死ぬとも思っていない。目を閉じて考えないようにしていつの間にか怖いものがいなくなっていることを期待する幼児のような幼稚な態度である。左翼は日本の軍事力増強を批判して、米軍に任せておけば自分は戦うことも殺されることもないと思っているのだろうけれど、アメリカがアフガニスタンから撤退したように命がけで自国を守るつもりがない国民のために代わりに死んでくれるようなお人よしの外国人はいない。戦争を吹っ掛けられたり犯罪者に襲われたりして死が迫ってから慌てて死にたくないと言い出しても手遅れで、悪意のある他人を殺す覚悟や手段がなければ守りたいものを守ることもできない。●死ぬ準備をする終活という言葉が浸透したように、老いて一人で身の回りの片づけができなくなる前に死ぬ準備をしておいたほうがよい。長生きするつもりの若い人でも病気や事故で突然死することはあるので、銀行口座や契約しているサービスで死後に解約が必要なものやログインパスワードをリストにしてまとめておいてあらかじめ遺産の整理をしやすくしておくに越したことはない。田舎の豪邸でも都会で暮らしている遺族が住む気がなければ買い手がいない負動産になるし、大事に育てた盆栽でも遺族が盆栽に興味がなければ燃えるゴミになるし、貴重なフィギュアやプラモデルのコレクションでもリサイクルショップに叩き売られるか捨てられるのだから、家族が大事な人は自己満足のために金を使うよりも家族のために金を使う方が良い。家族に残したいものといらないものを見極めて執着を捨てることで、身軽になって余生を有意義に過ごせるようになる。●みんな死んでしまう日本人は縁起が悪いものとして死に向き合おうとしないけれど、死は不幸な事なのかというと必ずしもそうではない。上で書いたように生死のサイクルがあるからこそ進化があるし、現代の豊かな社会も数多の先祖の死の上に成り立っているし、病死した人のおかげで医療が発達したし、事故死した人のおかげで機械や工場が安全になって法律や保険も整備された。キリスト教は死を救済としてとらえるし、病気とかで生きることが苦しくて長生きしてもQOLが下がるだけの人にとっては安楽死はそれ以上苦しまずに済む手段となる。いずれ人類も絶滅するし、数億年後には地球も太陽も惑星としての寿命を迎えて爆発するので、老いることや死ぬことを悲観的にとらえる必要はない。自分が死ぬと知っているからこそ生き方を工夫できるし、他人が死ぬと知っているからこそ他人の生き方に敬意を払って他人の死に方に慈悲を持つことができる。死ぬことを悲観するよりも有限の人生をどう生きるかのほうが重要である。アメリカで高齢者に人生で最も後悔していることのアンケートをとったらチャレンジしなかったことが一位だったそうで、成功しようが失敗しようがどうせそのうち老いて死ぬのだからやりたいことがやれる体力や気力があるうちに挑戦するほうがよい。成功したらそれでいいし、失敗しても自分や他人の糧になるので、リスクマネジメントして再起不能になるような大失敗を避けつつ適度な失敗を楽しめるくらいに人生に余裕を持ちたいものである。SNSで他人の人生を眺めることに夢中になっている若者たちも人生が有限であることを自覚して自分の人生を生きるべきである。
2023.01.20
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私は田舎で無知な子供時代を過ごしてきて上京して勉強して大人になって世間を見てみたら、世間で威張っている大人が無教養な馬鹿だらけだったことにびっくりした。単に庶民が馬鹿なだけなら別にいいけれど、日本の場合はエリートまで今だけ金だけ自分だけよければいいと考えて、今の利益を最大化するために未来を食いつぶしていることが問題である。新しい年が始まったので、徒然なるままに未来について考えにけり。●人類は未来を考えることで進歩する人類の文明が飛躍的に発展したのは狩猟採集生活をやめて定住して農業をするようになってからで、狩猟採集生活をしていたころは餌場を巡回するだけで食料が手に入ったけれど、農業をするにはどの季節に何を植えるか、いつ雨が降っていつ雨が止むか、冬に備えてどのくらい食料を備蓄しておくかという計画を立てる必要があった。しかし原始的な社会では科学的に未来を予測する手段がなかったので、雨ごいする巫女や予言者が支配者として権力を持つようになる。次第に天文学を学んで暦を発明して時間を数字で認識できるようになって、より正確に未来の計画を立てられるようになった。起きるかもしれないことを予測して対策を考えておくことで危機に対応できるようになるし、無防備なまま危機が起きてから慌てて対策を考えても手遅れなので、文明を発展させるためには未来について考えることが必要である。じゃあ現代人は未来についてよく考えているかというと、大半の人は不確実な未来よりも現在を充実させることを優先する。行動経済学の研究に双曲割引というのがあって、「遠い将来なら待てるが、近い将来ならば待てない」という心理が働いて、今1万円もらえるのと1週間後に1万1000円もらえるのでは7割以上が今すぐ1万円をもらうほうを選ぶそうな。バフェットが偉大な投資家といわれるのは社会に役に立つ企業の株を超長期的にホールドするところで、理屈としては簡単なことだけれど常人は握力が弱くて一時的な不況で狼狽売りしたりトレンドの株に目移りしたりして長期保有できないのである。経営者は株主資本主義で四半期決算の利益を最大化しようとして、政府はPB黒字化目標で単年後の黒字化を目指したりして長期的な観点をなくしてしまって、日本の没落が顕著になってようやく株主資本主義や単年度会計を問題視するようになったけれど、就職氷河期世代を搾取したら少子化になるという未来が20年前からわかっていたのに何も対策をしなかったせいでもう手遅れである。将棋や囲碁をやる人は実感しているだろうけれど、ほんの5手先に起こりうる未来を論理的に予想する程度のことでさえ人間にとっては難しくて間違える。脳の未来を考える部位はいまだに未熟で、それゆえに人類は失敗し続けている。人間の脳の進化には数万年の時間がかかるけれど、道具を進化させることは数十年でできるので、スパコンやAIの演算能力が高まって未来予測の精度が高まれば失敗を回避してさらに文明を発展させられるだろう。例えばウェザーニューズは人工知能に過去三年分の雨雲の画像を学習させて雲の変化のパターンを予測して90%の精度で雨が降るかどうか的中させるそうな。政府が毎年天皇誕生日に国民に10万円を給付してそのときの物価変動データをAIに学習させたら、どれだけ給付金を配ったらどの分野に支出が増えてどのくらいインフレ率が上がるかを予測できて効果的な経済政策をとれるようになるかもしれない。●世界の未来はどうなるのか・旧共産主義国の没落ロシアはウクライナ侵攻に対して経済制裁されたところでエネルギー自給率が191%、食料自給率が184%で、エネルギーや食糧は自給自足できるので当面は飢えることはないだろうけれど、欧米的価値観を持っている学者や文化人はプーチン体制に愛想をつかして他の国に逃げるだろうし、外資系企業はもうロシアに進出しないだろうし、欧米の最先端の科学技術製品が手に入らなくなるので徐々に貧しくなっていく。中国は環境破壊と少数民族からの搾取によってコストダウンして短期間で急成長して世界の工場になったけれど、このやり方は持続可能でない。なまじ土地が広いので廃棄物を埋める場所はあるけれど、地下水や川が汚染されているし、食物は成長ホルモンで汚染されているし、都市部は大気汚染で肺疾患を持つ人だらけである。外交もだめで、スリランカが債務の罠にはまって中国に港を取られたように、利益を分け合おうとせず搾取しようとする中華思想の危なさが発展途上国にも気づかれて、南アフリカで反中デモが起きて工場が襲撃されているし、ロシアのウクライナ侵攻で一帯一路も停滞した。中国が賄賂で受注したインドネシアの高速鉄道事業が問題だらけで難航しているように技術力がなくて約束を守らないのもばれていて、家電なら壊れても代わりがすぐに手に入るからチャイナクオリティでもいいけれど、インフラは安物を買うとトラブルが起きても代わりがなくて技術者も三流でトラブルを解決できなくて結局は高くつくので、中国企業の海外進出も鈍ると思う。アメリカがファーウェイやTikTokやウイグル産の綿やトマトを規制したりして中国外しの方針を明確にして半導体を国産化して中国なしの生産体制を整えて、アメリカとの取引を切られたくない他の国が中国外しに追従しているように、アメリカが中国を牽制しているうちは中国が世界の覇権をとることはないだろう。プーチンも習近平も永遠に生きるわけではないので20年後には次の指導者に変わっているだろうけれど、そこで前政権を反省できず領土拡大の野心を持ったままなら欧米を中心とした先進国から仲間外れにされて没落していくだろう。・欧州の自死EUはトルコのEU加盟を拒んできたけれど、中東やアフリカから数百万人のイスラム系の移民を受け入れたことで結局は中東やアフリカの貧困や治安の問題がそのまま輸入されて国内問題になった。Newsweekの「多数の難民を受け入れたスウェーデンが思い知った「寛容さの限界」」という記事だとスウェーデンで過去20年で銃による殺傷事件の発生率がヨーロッパ最低レベルから最高レベルに増えたそうで、長期服役者の53%、失業者の58%が外国生まれで、国家の福祉予算の65%を受給しているのも外国生まれの人々で、子供の貧困の77%は外国にルーツを持つ世帯に起因して、公共の場での銃撃事件の容疑者の90%は移民系だそうな。イギリスが旧植民地のインドから英語を話す移民を受け入れたり、フランスが旧植民地のアルジェリアからフランス語を話す移民を受け入れたりするのは言語が同じなので宗教が違ってもまだ共生しやすいけれど、同化政策が不十分なままいきなり言語も宗教も違う移民を大量に入れたら失敗して当然である。キプロス島のような青森県ぐらいしかない小さな島でさえ分裂してギリシャ系住民とトルコ系住民の対立が解決できていないまま何十年も経っているのに、イスラム系移民と共生できない問題をEU全域に広げたらもう解決しようがない。船で密入国しようとして溺れた難民の子供がかわいそうだという一時的な感情に流されて、長期的な視野を持たずに物事を判断したのだから必然的に失敗する。メルケルは多文化共生は失敗だったと認めたけれど、いったん受け入れた移民を追い出せないしイスラム教徒はほとんど改宗しないので、数百年というスパンでみたらEUはいやおうなしにイスラム化していくし、その過程でキリスト教徒とイスラム教徒の対立も深まっていくだろう。最近も事件が起きていて、フランスでは12月23日に外国人嫌いの白人がパリのクルド人のコミュニティーを銃撃して3人殺害して、その報復に過激派民族主義組織のクルド労働者党(PKK)がデモをして車を燃やしていた。12月7日にドイツで極右陰謀論集団によるクーデター未遂事件が起きたように政変にもなりうる。単に多民族がいがみ合う治安が悪い国になるだけならまだましで、最悪の場合はユーゴスラビア紛争のように民族の自治を求める内戦が起きうる。・民主主義の終焉とアメリカの分裂世界で民主主義を享受する割合は2017年がピークの50%で、2021では世界人口の29%の23億人しか民主主義でなくて、民主主義が限界を迎えて終わりかけている。民主主義は三権分立、文民統制、言論の自由、報道の自由、国民の教育とかのいろいろな条件が揃っていないとうまく機能しない。アフガニスタンやチュニジアの民主化が失敗したけれど、今まで独裁政権下で独裁者に指示されるだけだった人たちにこれからは自分で考えろと言ったところで国民がまともな教育を受けていないと候補者の政策の違いを理解できないし、思想を統制されてきた人たちに自由に政策を議論しろといったところで多様な意見は出てこないし、報道機関が賄賂や弾圧に屈せずに独立していないと政治家の不正の報道ができないし、発展途上国は教育水準の低さと相応にモラルも低くて警察や司法にも賄賂が横行していて選挙の贈収賄の不正も取り締まれないし、警察や軍隊が弱いと犯罪組織を取り締まれなくて政治家の暗殺が横行するし、かといって軍隊が強いと文民統制できなくてクーデターが起きる。それゆえに発展途上国の民主化はうまくいかなくて強いリーダーの軍事独裁政権に戻ったり、ベラルーシのように形式上の選挙をやっていても実際は不正に大統領が選ばれて選挙が形骸化したりする。自立できない多数の人たちにとっては苦労して勉強して物事を考えて議論して意思決定する自由が負担になって手放したくなって、政治的指導者にしろ宗教的指導者にしろ命令して世話してくれる飼い主を探して責任転嫁して不満を言うほうが楽なのである。移民の労働力や消費はアメリカの経済成長の原動力だけれど、大勢の移民を受け入れて国内に疑似発展途上国を作って成長するやり方では発展途上国で民主主義が機能しなくなる要因も少しづつアメリカに輸入することになって、それがアメリカの民主主義を終わらせかねない。アメリカは大学の教育費が高いので格差が拡大してろくに教育を受けていない貧乏人だらけになって、選挙は政策論議にならずに底辺層にわかりやすく支持してもらえるような人気取りのポピュリズムになる。ジョー・バイデンの次男のハンター・バイデンがウクライナと中国から賄賂を受け取っていたスキャンダルを民主党を支持する左派マスコミが報じなかったように、アメリカのマスコミは中立でなくて正しい情報を国民に知らせていないし、信用できるメディアがないことが底辺層に陰謀論を広める原因にもなっている。ポリコレやSNSの検閲だらけでインターネットに言論の自由もない。テキサス州知事は移民をバスに乗せてバイデンの支持基盤の東部のワシントンやニューヨークに送っていて州と政府が対立しているし、BLMのデモが起きたように人種差別で国民同士も対立していて黒人奴隷が解放されて公民権運動をしてから何十年たってもいまだに民主主義で人種差別問題を解決できないままなのでヘイトクライムに発展する。大統領選挙には多額の資金が必要なので民主党であれ共和党であれ資金提供する大資本家の意向に従わざるを得なくて、選挙したところで結局は利権を持っている一部のエリートがアメリカを支配する構造になっている。それに大統領選挙でバイデンジャンプと呼ばれる不自然な票の伸び方をしていて不正選挙の疑惑があるように、選挙の正当性が疑われて大統領が不正に選ばれたと信じる人が増えればトランプ支持者のように議会を襲撃したりするかもしれない。アメリカは2045年に非白人が多数派になって白人が少数派になるし、保守の白人が多い南部の州が不満を募らせて独立宣言をして自分たちで正当な大統領を選ぶようになるかもしれない。アメリカが大統領選挙を信用しなくなって分裂すれば世界を民主化するために軍事介入することもなくなるだろうし、世界は独裁国家だらけになって自由がなくなって文明の発展のペースが落ちるだろう。・日本の自滅日本の滅亡について考えるという記事で考えたように、日本人は馬鹿と売国奴だらけなうえに大地震が起きて滅亡する。今は台湾有事が危惧されて、台湾の次は中国に尖閣を取られる危険があるということで日本が軍事力を強化しているけれど、中国共産党が賢いなら何もしなくても待っていれば少子高齢化と震災で自滅していくのが確定している日本にわざわざ武力侵攻しないだろう。スパイ天国の日本で政財界に賄賂を贈って内部から崩していけば、もう少子化で労働者がいないから優秀な中国人のみなさんはどうぞ日本に来て働いて子供を作ってください南海トラフ地震と首都直下型地震の復興を支援してくださいと中国人に泣きついてほいほい日本国籍を与えるようになるので尖閣なんて端っこをとらなくても丸の内を取れるし、数百年後には中国系日本人が多数派になって中国系議員が議会を占めて合法的に日本の乗っ取りが完了して日本人自治区はウイグルやチベットと同様に弾圧されて断種政策をして最後の天皇も退位して純血の日本人はいなくなって、最終的に日本語話者がいなくなって日本語の資料は焚書されて日本の歴史が捏造されて日本という存在が世界から消えて先祖の苦労がすべて無駄になるかもしれない。実際は中国共産党が馬鹿なので反日教育をして領海侵犯をして日本の自立を促しているけれど、中国共産党が賢くなって親日になってすり寄ってきたときが日本の終わりの合図である。あるいは日本の中国化が嫌なら主権と誇りを捨ててアメリカの家畜として飼ってもらえば家畜用の飼料を恵んでもらって細々と生きるくらいはできるかもしれない。・発展途上国の人口増加世界人口は今80億人で2064年にピークになって97億人に増加する見通しだけれど、人口が増えたら当然その分の食料やエネルギーが必要になる。しかし現在も食料や肥料や飼料やエネルギーが不足してインフレしているように、画期的な技術が開発されない限り供給不足になって飢饉が起きるだろう。特にアフリカは人口の伸び率が大きくて2050年に世界人口の1/4の比率を占めるようになるそうだけれど、今でさえ無計画に子供を産んで内戦をして飢えている人が大勢いて外国の援助に頼っているのに、焼き畑農業だと土地の回復に時間がかかって人口増加を支えられないし、食料生産が増えないまま人口が増えたらもっとひどい状況になる。先進国のアメリカでさえ福祉が不十分で犯罪が多発して刑務所がいっぱいでホームレスがあふれて統治に問題がでているのだから、福祉が整っておらず統治が未熟な発展途上国で人口が増えたら武装集団が略奪したり周辺国へ大量の難民が押し寄せたりして国内外で問題を引き起こすだろう。移民でも言語が同じか高度な技能があるなら労働力として使い道があるけれど、言語が違ううえに政府に恭順するわけでもなく納税もせず教育水準も低くて犯罪や売春をして治安悪化要因になる難民はどの国でも歓迎されない。EUは人道主義者ぶっていったん難民を受け入れたけれど結局は音を上げて門戸を閉ざしたし、問題だらけの先進国ももはや発展途上国に支援する余裕がなくなって国連から非難されようが自国民を優先して密入国しようとする難民を強制的に排除するだろうし、ミャンマーでロヒンギャを不法移民として弾圧しているような事が世界各地で起きるようになる。・核戦争核兵器は「お前が核兵器を使ったらこっちも核兵器を使うからお前の国も滅びるぞ」という痛み分けが抑止力になる。基本的に核保有国は敵国を滅ぼすためではなく自国が攻められないための抑止力として核兵器を持っているし、非道な北朝鮮も政権の維持が最重要なので自分から核戦争を仕掛けることはない。ところが痛み分けの抑止が通用しない相手がいて、それがイスラム原理主義組織で、ジハードで天国に行くために喜んで異教徒と戦争して死にたがる。先進国のインフラが整った大都市を核兵器で潰されるのと引き換えに発展途上国の粗末な都市を潰すのでは痛み分けにならなくてやられ損である。相手が核兵器を持った後だと攻撃できなくなるので、アメリカは敵が核兵器を持つ前に攻撃してアルカイダやISISのようなアメリカを敵視するイスラム原理主義組織を潰したし、イラクも大量破壊兵器保持の疑惑があるだけで証拠がなくても強引に侵攻してフセイン政権を潰した。しかしトランプ大統領時代のようにアメリカが自国第一主義になって世界の警察として動かなくなると、イスラム原理主義勢力を抑えきれなくなって世界の均衡が崩れるかもしれない。すでに核兵器を持っているパキスタンにも反政府のタリバンがいるし、人口が多くてこれから経済成長が見込まれるナイジェリアやインドネシアにもボコ=ハラムやイスラム防衛戦線(FPI)とか過激派がいるし、北朝鮮のような貧乏な国でさえ核兵器を持てたのだからいずれイスラム教の過激派が核兵器を手にする可能性もあると思う。アフリカ諸国は隣の部族と内戦しているだけなら世界の脅威にならないけれど、経済成長して学者や技術者が育って自前で大陸間弾道ミサイルを作れるようになったり外国から買って運用できるようになったりしたときは世界の脅威になりうる。南アフリカは核保有国だったもののアパルトヘイト政策終了後の黒人政権の核保有阻止のために核兵器が解体されたけれど、いずれ黒人の国家から核保有国が出てくるかもしれないし、イスラム教徒が多いアフリカ北部やアラブはイスラエルを敵視しているので、イスラム原理主義政権が核兵器を持ったら聖地エルサレムを巡る宗教対立から核戦争になりかねない。先進国は大規模な戦争を何度も経験してきて、残虐な行為を繰り返す中で多少は反省して戦争をするにしても非人道的なことはやめようと国際戦時法を作って、法治国家として法律と契約を重視している。ところがアフリカでは戦争のモラルが育っていない。統治能力が低くて警察と司法が機能していないのでしばしば犯罪者に対して集団リンチが起きるように「やりすぎ」という感覚や法律を守る意識がないし、教育水準が低いので安易に過激派に扇動されてルワンダ虐殺が起きたし、そんなアフリカの国が核兵器を持ったら戦争の抑止力にするのでなく敵を殲滅する武器としてすぐに使いたがるだろう。・宇宙開発こないだアメリカでイチゴ工場を作っているOishii Farmの動画を見たのだけれど、最近は植物工場が高性能になっていて世界のどこでも同じ品質の農作物が安定して作れるようになっているそうな。いずれ宇宙でも安定して食料を生産できるようになるかもしれないし、そうしたら人類の宇宙コロニー移住も実現可能になる。科学が発展すれば地底都市建設→海上(海中)都市建設→宇宙都市建設の順に人間の居住可能地域を拡張していくだろうし、世界中で戦争しても権力者だけは生き延びる体制が整う。しかし宇宙に移住できるようになったからといって権力者が地球の利権を手放して膨大な費用をかけてまで宇宙に移住するメリットはない。地球にない希少な資源を採取するための宇宙基地や、環境破壊や噴火や氷河期で地球に住めなくなったときに少数の権力者が一時的に逃げるシェルターとして宇宙開発が進むと思う。そんで地球の生物の遺伝子を採取して保管して、人類が滅びた数億年後に生まれるかもしれない知的生命体に人類を復元してもらう希望をゆだねることになる。●話は聞かせてもらった!人類は滅亡する!人類の身体は1万年前からあまり変化がなくて、どんな科学技術を開発しようが長期間高度な教育をしなければ未開人と同様に科学を理解できず迷信を信じて非合理的な行動をする程度の馬鹿な動物でしかないし、科学が発展すればするほど人類が賢くなるわけではなく、逆説的に学ぶことが多くなって多額の教育費が必要になって教育が追い付かなくなって馬鹿だらけになる。銃の作り方を知らない馬鹿でも銃を使って他人の財産を奪うことはできる。自分で生産せずに他人の成果を奪うのが短期的に見れば一番効率が良く豊かになれる方法だけれど、長期的に見たら生産力や技術力が衰えて文明は衰退するし、人類は強欲ゆえに非合理的に搾取して殺しあっていずれ民主主義の科学文明も滅亡する。宇宙で唯一奇跡的に知性をもった人類の到達点がこの程度の馬鹿だらけの野蛮な文明でしかなかったというのは残念で、悟りを開いて私欲を捨てた個人はいてもそういう人は必然的に権力欲がある人に負けて権力を持てず、社会を構成する皆が協力して繁栄するには至らなかった。しかし人類の滅亡をちょっと先延ばしにする方法はあるかもしれない。欲や感情が原因で人類が争うのなら、人類の欠点を補う補助役として欲や感情やバイアスに惑わされずに合理的に最善の判断を下すAIを採用したら馬鹿な政治家や無知な大衆よりはましな判断をするだろう。とりあえず日本は政治アドバイザーAIのアベドロイドを開発して科学技術国としての地位をとりもろすとよいと思う。
2023.01.12
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最近は河野太郎が公式サイトでコロナワクチンについて「誰かが責任をとる、とらないという問題ではありませんし、「運び屋」の私が「後遺症について」責任をとるなどという発言をしたことはありません。」と責任逃れの発言をして批判されている。2021年6月の文藝春秋の記事だと河野太郎ワクチン担当大臣「全責任は私か゛引き受ける」という見出しだけれど、「全責任」の中にワクチンの後遺症は含まれていないのだろうか。そもそも責任とは何なのか、責任を取るとはどういうことなのか考えることにした。●責任とは何か責任とは、悪い結果をまねいたときにその損失などの責めを負うことや、法律上の不利益または制裁を負わされることである。法律的責任では民事責任と刑事責任があって、民事責任では被害を与えた相手に損害賠償をする責任があるし、刑事責任では犯罪に対して刑罰を受ける責任を負う。企業経営の場合は有限責任と無限責任がある。株式会社は有限責任で、株主は保有している株数に応じて企業経営に対して責任があって、企業が倒産しても株価がゼロ円になって出資額分の損をするだけでマイナスにはならないし、企業の負債を支払う責任はない。合名会社、合資会社や個人事業主などの無限責任の場合は会社が倒産したら経営者が会社の負債を限度なしに支払う責任を負う。企業の場合は責任の範囲が明確なのに対して、政治家の責任の範囲が明確でないのでしばしば責任の取り方が問題になる。ニューヨーク州のアンドリュー・クオモ知事は外出禁止令を出す際に「責めるなら私を責めてくれ。他に責任のある者はいない」と発言した一方で、安倍晋三は2020年4月7日のコロナ対策の記者会見で「これは例えば最悪の事態になった場合、私が責任を取ればいいというものではありません。」と発言して批判された。安倍がどういう意味で責任という言葉を使ったのかはわからないけれど、責任を取るつもりがないなら担当者になってはいけない。●責任を取るとはどういうことか責任を取るということは悪い結果に対して損失を補償するということである。江戸時代までは戦をしたら負けた側の家老が切腹する代わりに領民は見逃してもらうのが武士の責任の取り方で、そのせいかしばしば政治家や経営者は不祥事が起きたら辞任して別の人に任せるのが責任の取り方だと思っているようだけれど、辞任したところで責任を放棄して他の人に問題解決を丸投げしただけで責任を取ったことにはならない。問題が起きたときに謝罪して第三者委員会を作って経緯を明らかにして再発防止策を作って、全部の訴訟が終わって損害賠償をして民事責任を果たしたり、服役して刑期を終えて刑事責任を果たしたりしたらようやく責任を取ったといえる。責任を取った人の例は堀江貴文で、ライブドア事件で株主3300人に訴訟を起こされて90億円を支払って民事責任を果たして、刑事事件としても「有価証券報告書虚偽記載」と「偽計及び風説の流布」の罪に問われて服役して刑期を終えたので、ライブドアの経営者として自分が起こした問題の責任を取ったと言える。責任を取っていない人の例は西村博之(ひろゆき)で、2ちゃんねるを運営する責任者でありながら2ちゃんねる関連の訴訟の賠償金は払っていなくて外国に逃げていて、既に2ちゃんねるの運営から離れたからといって責任者だったときの責任を取らなくてよくなるわけでもないので、未だに責任を取っていないと言える。政治家や役所には問題が起きたときになぜその判断をしたのかという意思決定のプロセスを国民に説明する責任があるので、政治家に説明責任を果たさせるために市民が訴訟を起こす場合がある。例えばグローバルダイニングが東京都の狙い打ち時短命令は違憲・違法として104円の損害賠償を求めて訴訟して、東京都の言い分が認められずに違法性が認められた。新型コロナワクチンの遺族会も実態究明を国に訴えていて訴訟を検討しているようだし、もし訴訟が起こされれば当時ワクチン担当だった河野太郎の責任も問われるだろう。河野太郎はワクチンの運び屋だけの責任で終わるわけではなくて、ワクチンの効果や副反応にも言及して安全性を強調して接種を促したのだからその発言が間違っていたせいで被害を受けた人に対しては被害の回復のために民事責任や刑事責任を果たすべきだろうし、ワクチン担当を外れたからといって責任がなくなるわけではない。●無責任のリスクは誰が負うのか大臣が何かやらかしたら総理大臣が任命責任を問われるように、担当者が責任から逃げたら上の立場の人が責任を取ることになる。しかし最終的にはそんな無責任な政治家に投票した国民の責任で、でたらめな政策で被害を受けるのも自業自得である。Abemaやテレ東はひろゆきをコメンテーターとして使っているけれど、もしひろゆきが何か事件を起こして番組が放送中止になったらひろゆきを起用したディレクターの責任になるし、ひろゆきに損害賠償請求しても無視されるだろう。芸能事務所に所属している芸能人が不祥事を起こしても事務所が責任を肩代わりするけれど、無責任な個人を起用して逃げられたら損害を回収できないし、信用もなくす。それが無責任な人を起用するリスクである。コロコロコミックで掲載予定だった『論破小学生ひろゆきくん』がなぜか予定通りに掲載されなかったそうだけれど、編集部に親からの苦情でも来たのだろうか。金融庁もひろゆきとの対談動画を公開して批判が殺到したそうで、今は動画が非公開になっている。社会が信用から成り立っている以上は信用されないビジネスは結局は長続きしないし、一時的な話題作りのために信用を失う行為をするのは長期的に見たら損をするので、無責任な有名人を起用するのは辞めた方がいい。●自己責任の重要性自分の健康、資産運用、就職、結婚などの人生に大きく影響を与える出来事に関しては、たとえ他人のアドバイスに頼って失敗しても相手が責任をとって問題を解決してくれたり苦労を肩代わりしてくれたりするわけではないので、自分でよく調べてよく考えたうえで判断するべきである。投薬や手術に関しては薬害や医療ミスで訴訟して勝ったところで失った健康は取り戻せないので、リスクが高いものほどセカンドオピニオンやサードオピニオンを聞いて慎重に判断するべきである。スティーブ・ジョブズが開腹手術を嫌がってがんの治療が手遅れになったのを後悔していたように、ビジネスで成功した人でも他の分野では判断を間違うし、マクロビオティックを勧めた人を責めてもどうにもならない。投資は基本的に自己責任で、情報を取捨選択して最終的に判断するのは自分だし、バフェットがハイテク企業に投資しないようによくわからないものに関しては判断を保留して投資しないのが原則である。ドル円が150円に戻るからお小遣いチャンスだと無責任な発言をする人を信用して貯金をドルに換えた後に円高になって大損しても自己責任である。人を見る目がなくて投資詐欺で損しても、企業が公開している決算報告書を読む能力がなくて損しても、世界情勢の行方を判断する能力がなくて外国で戦争が勃発して損しても、千年に一度の大地震が起きると予想できなくて損しても、すべて自分の判断ミスの自己責任である。2022年4月から成人年齢が18歳に引き下げられたことで判断力が乏しい若者をだましてローンを組ませたりする悪徳商法やサラ金で借金させて投資させる投資詐欺が出てくる可能性があるので若者ほど注意が必要で、投資するにしても借金をせずに失敗しても自分で責任をとれる範囲の金額で投資するべきである。●信用できる人の見分け方世界中のあらゆる出来事について全部自分で調べて正誤を判断するのは無理である。特にコロナワクチンのように専門性が高くて自分で調べても理解できないうえに専門家でも意見が分かれているようなものはどっち側の言い分を信じたらよいのか素人にはわからない。となると、なるべく信用できる人を見分けることが重要になってくる。・今まで責任を取ってきた人小さな仕事を丁寧にこなして信用を積み重ねていくことで、責任重大な仕事を任せるに値する人物になる。自分よりも頭が良い人でさえ判断を間違えるのなら仕方がないし、たとえ間違っても責任をとって誠心誠意損害賠償に努めてくれると思えるような人格者の意見なら信用してもよい。保身のために他人に責任をなすりつける人、嘘をついてごまかす人、都合よく記憶喪失になる人、マスコミの取材から逃げて説明を拒む人、批判をブロックしてデマ扱いして訴訟を仄めかして議論から逃げる人は責任を取るつもりがないので信用ならない。・間違いを認められる人全知全能の完璧な人間はいないのだから人生で一度も判断を間違えなかった人はいないし、解決策がわからない未知の問題の対処を間違えたりデータが不十分で仮説が間違ったりするのは仕方がないし、間違いを認めて反省することで人は成長していく。自分の言動が間違いだったと認められる人は科学的に合理的に正誤を判断する基準を持っていると言えるし、たとえ間違っていても問題解決のために真摯に対応してきた人といえる。データをとって検証して論理的に議論をして正誤が明らかになっていくことで、問題に対して正しい対処ができるようになる。間違いを間違いと認めず、どんどんゴールポストをずらしていってまだゴールじゃないよと言い逃れする人は科学的に論理的に正誤を判断しようとしていなくて保身のために発言しているので信用ならない。偉くなるほど立場を失うことを恐れて間違いを認められない残念な人になりがちで、地位が高いからと言って科学的に論理的な判断ができるとは限らないし、御用学者のように真実を判断基準にせずに私利私欲のためにデータをでっちあげる人はどんな高学歴だろうが地位があろうが学者と呼ぶに値しない詐欺師である。・無知を自覚している人自分が何を知っていて何を知らないかを自覚している人は、知らないことについては責任をとれないので発言を控えたり、ちゃんと調べてから意見を言おうとする。無知を自覚して謙虚であれば間違ったことを言う可能性は低くなるので、そのぶん信用できる。インフルエンサーとかの年中べらべらしゃべっている人はフォロワーを集めるために自分を頭がいいように見せようとして知ったかぶりをしてでたらめな発言をするので信用できないし、その場その場で思いついたことを言うので過去の自分の発言を覚えていなくて他人への批判として投げたブーメランが後で自分に刺さったりする。・利害関係がない人真善美を判断基準にしている人は少数で、たいていの人は欲と感情に惑わされて判断を間違える。製薬会社に資金提供してもらっている医者がこの薬は安全だというのと、中立の医者がこの薬は危険だというのでは、利害関係がない後者の方が信用できる。頭のいい高所得の医者でも欲に惑わされるからこそ何度も薬害が起きてきたので、利害関係がある人の意見は疑ってかかるにこしたことはない。最初から自分が利益を得るために相手をだますつもりで発言する人もいて、例えばSNSで投資のアドバイスを売りにしている投資家はしばしばポジショントークをしてあの株は上がると煽る一方で自分は持ち株を売り抜けてフォロワーを嵌め込むので、自分の言うとおりに投資すれば儲かると喧伝する人は信用してはいけない。私の基準で言えばひろゆきは責任をとらず、間違いを認めず、無知を自覚せずにいろいろな事に口出しするかなり信用できないタイプの人である。ひろゆきに人生相談して無責任なアドバイスをもらって失敗する人は自業自得だけれど、せめて親は子供がひろゆきから変な影響を受けないように注意するべきで、それが親としての監督責任である。
2023.01.05
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