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最近は自衛官候補生が射撃訓練で上官と付近にいた自衛官を撃って殺害したけれど、恨みがあったわけではなくて「動くな」と叱られたので撃ったというような供述をしているそうな。まだ取り調べ中で供述がコロコロ変わって動機や目的が不明だけれど、それはさておき叱ることについて考えることにした。●叱るとは何か叱るとは相手の非を指摘、説明し、きびしく注意を与えることで、怒るとは腹をたてて相手に注意することである。巷には叱ることと怒ることを混同している人が多いようで、「怒る方も疲れるから怒られるだけましだ」とか言う人がいるけれど、別に怒らなくても穏やかに叱ることもできる。昭和のスポーツの監督は怒って大声を上げて体罰をして恐怖で選手を支配しようとしていたけれど、今ではパワハラとしてコンプライアンス違反になるので、怒らずに叱ることが必要になる。しかし立場が上だったり、自分が正しいと思っていたりすると、他人が失敗して自分の思い通りにならないことがストレスになって怒りっぽくなって冷静に叱れなくなる。・なぜ叱るのか叱る前提として正しい行動とされる価値の基準があって、その基準から外れたら指摘されて注意される。人間は教育されなければ本能のままに行動する動物にすぎないので、親は子供がやってはいけないことをやったら叱って正しい価値を教えて、いずれ一人で社会で生活できるように育てる。普通に生活するだけなら道徳と礼儀と法律をわきまえていれば自律できるので、間違った行動をして他人に叱られることはなくなる。しかし会社とかの組織には独自の規律やマニュアルや社風があるので、入社後にその規律に沿ったやり方を覚えないと上司に叱られるし、どんな規律があるかは入社しないとわからないので事前に備えるのは無理である。というわけで社会人は先輩や上司に何かしら叱られることになる。事務職なら書類にミスがあったり作業が遅かったりしたら叱られるし、工場の作業員なら安全管理のマニュアルに違反したら叱られるし、成果主義の会社なら営業マンの売り上げがノルマ以下だと詰められるし、ミスや事故を無くして会社が利益を出せるように叱る。自衛隊は戦場や災害のストレスに対応しながら統制をとった行動をしないと生死に関わるので間違ったときにやさしく注意するのではだめで、規律が厳しくて違反したら厳しく叱られるのも当然で、そういう組織なのだから叱られて逆恨みしたり反撃したりするのは筋違いである。・叱り方の問題犬の躾だと飼い主が感情的に怒鳴ると犬に不信感やトラウマを与えて逆効果になるのだから、ましてや意思疎通できる人間に対しては感情的に怒鳴ってはいけない。特に子供はまだ価値の基準がないので、親に言われたことをそのまま受け取ってしまう。バカな子ねと叱るとぼくはバカな子なんだと信じて自己肯定感や意欲をなくしてしまうので、子供の言い分も聞いて子供が叱られたことをどう受け止めているかを理解して叱らないといけない。犯罪心理学者の出口保行氏によると犯罪者には親子関係に問題があって、非行少年の親は口うるさかった、夫婦の子育ての方針が一貫していなかった、子供に好きなようにさせていた、子供との会話が少なかったことを反省しているそうな。大人を叱るときは相手の自尊心まで否定しないように配慮する必要がある。ミスや失敗を自覚していてすぐに改善できるなら上司が追加でくどくど叱る必要はなくて、叱ることをストレス発散の手段にしてしまって人格否定したり長時間叱ったりするとパワハラになる。例えば富山県南砺市の職員が部下の人格否定やダメ出しを執拗に複数回行ったとしてパワハラで懲戒処分されている。上司が部下を叱るときは密室で二人きりで叱ると草津町みたいにセクハラされたと虚偽告発される危険もあるし、かといって人がいるところで叱ると人前で辱められたと恨まれることもあるし、特に中国人は人前で叱られるとメンツをつぶされて恥をかかされたと考えて信頼関係が壊れるので、叱り方に正解はなくて相手に合わせて変える必要がある。トラブルにならないように叱った後に良かったところも誉めて期待してるよとフォローしたり、あるいはメールとかの文章で叱れば感情的にならずに済むしパワハラしていない証拠が残せてよいかもしれない。・叱られ方の問題我々はしばしば上司の勘違いとかの理不尽な理由で叱られることがあるけれど、叱られる方が納得できないからと言って生意気な態度で口答えすると、叱る方もなんだこいつと怒って感情的になってしまって人間関係がうまくいかなくなる。うなだれて伏目がちに申し訳なさそうなそぶりを見せて、相手が一通り小言を言い終わって興奮が冷めるまで待ってから弁明するとよいのじゃなかろうか。豆腐メンタルで打たれ弱くて叱られるのが苦手な人はレジリエンス教育を受けるとよい。自分の評価と行動の評価を分けて考えて、行動を間違えて注意されても自分の人格が否定されているわけではないと理解して、間違えたから自分はダメな奴だと考えずに、ダメな行動は何だったのか、どうすれば間違いを防げたのかとロジカルに考えることで自己評価を下げずに行動を改善できるようになる。例えばのんびりした性格で遅刻が多い人や、せっかちな性格で忘れ物が多い人は、自分はその性格だから何をやってもダメなんだと考えずに、どうすれば行動を直せるのかを考えるとよい。あるいはポジティブメンタルヘルスの考え方を取り入れて、自分は才能がないから何をやってもダメだという固定マインドセットの考え方をやめて、叱られることで成長して目標を達成してもっと稼げるようになるのだと成長マインドセットに切り替えて成長を意識するとよい。あるいは感受性が高すぎる人はストレスに反応せずに他人事のように受け流す技術を覚えるのも効果的である。・なぜ叱られて怒るのか叱られたときに、自分が間違えた、落ち度があったと認識していれば、叱られたことを受け入れて反省できるだろう。しかしなぜ叱られたのかという道理を理解していなかったり、落ち度がないのに理不尽な叱られたりすると、相手が自分を指導しているとみなさずに自分を攻撃してくる敵とみなして怒りが沸き起こる。怒りは戦って生き延びるための本能として強く働いて、アドレナリンが出て心拍数が上がって骨格筋の血流が増加して普段出ないような力が出たり、痛みを感じなくなったりする。それゆえに怒ると攻撃的になって、語気も強くなる。Wikipediaの性差の神経科学という記事によると男性と女性で偏桃体の感情の処理が違うようで、男性は脅迫的な刺激に対してより強い反応を示す傾向があって、身体的暴力に反応するそうな。フレッシュベーカリー神戸屋阪神梅田店で先輩の女性従業員に注意されて殴られた男性従業員が反撃して殺人未遂で逮捕された事件があったように、指導を超えて手を出すと相手も怒って当然で、上司や先輩だからといって部下に何をやってもよいわけではない。・なぜ叱られて泣くのか女の転職typeの調査によると働く女性の約8割が職場で泣いてしまった経験があって、クレームを言われたり叱られたりしたときに泣いてしまったそうな。最近はユニーでお釣りを手渡しせずトレーに置いたことに客が汚いもの扱いされたと激怒して女性店員を泣かせたことが炎上しているようだけれど、コロナで手渡しを嫌う客もいるし、トレーに置くマニュアルなのかもしれないし、正解の基準がない行動を責められてもどうしようもない。女性が叱られて泣くのはストレスに対する生理的反応で、涙にはコルチゾールというストレス成分を低下させる作用があるそうな。涙腺のゆるさは人によるだろうけれど、男性は泣くのは女々しくて恥ずかしいことだと文化的にみなされるので、子供の時は泣いても次第にストレスに耐えて泣かなくなる。しばしば泣いている女性に対して「泣いて許してもらおうとするな」とか「泣いても問題は解決しない」とか言う人がいるけれど、別に許してもらったり問題を解決したりするために泣いているわけではないので的外れな批判である。ストレス反応の男女差(pdf)という研究によると男性は他人との競争や知的劣等感に関する課題でコルチゾールが増加して、女性は社会的拒絶に関する課題でコルチゾールが増加するそうな。男性は叱られると劣等感がストレスになってイライラして攻撃的になって、女性は叱られると上司や客から拒絶されて会社に居場所がなくなると考えてストレスで泣くのかもしれない。・若者の叱られ離れ昔は地域で子供を見守っていたので子供がいたずらをしていたら近所の人が叱ったけれど、今は他人の子供を叱ると親とトラブルになったり不審者として通報されたりするのでよその家庭の子育てに介入せずに放置するようになった。親は子供に嫌われたくなくて友達親子という関係になって子供を叱らなくなって、教師もモンスターペアレントに辟易して問題児を叱って矯正しようとしない。子供は自分が叱られなくても他人が叱られている姿を見るだけでも戒めになるけれど、少子化で子供が少なくなったうえに公園で遊ばずにオンラインゲームとかで内輪で遊ぶようになって他の子供が叱られる姿を見る機会が少なくなった。その結果として、善悪の判断ができないまま中高生になって行動力だけ増えた馬鹿がSNSで目立とうとしていたずらする事件が多発した。スシローで湯飲や醤油をペロペロしてふざけた高校生が巨額の損害賠償請求をされているけれど、個人経営の店ならまだしも上場しているチェーン店だと全店で再発防止対策が必要になるし株主も株価が下がって大損しているので損害賠償も高額になる。もし子供の頃にもっと小さな失敗で他人の物を壊したりして叱られていれば、出来心で人生を台無しにするような大失敗をせずに済んだだろう。間違った教育方法や放任やネグレクトも問題児を生む原因になる。誉める教育として全く叱られずに育った子供が善悪の価値判断ができないわがままな問題児になって、いじめっ子になったりクラスメートから距離を置かれて孤立したりして教育に失敗するケースがある。あるいは放任主義で学校の成績が良いからといって生活態度を叱らずにやりたいようにさせていると、早稲田大学のスーパーフリーみたいに大学デビューして親元を離れてから調子に乗って素行が悪くなって高学歴なのに道徳が欠如している犯罪者になる場合もある。スマホやゲームを与えたらおとなしくしているからといって子供を放置して、家庭でも学校でも厳しく叱られたことがないまま大人になって、初めて上司や客に厳しく叱られてストレスに耐えられなくて会社を辞めて挫折する人もいる。・若者の自己肯定感離れ最近の若者は叱られてないからといって自信満々かというとそうでもなくて、SNSで目立とうとする馬鹿がいる一方で、目立ちたくなくて人前で褒められるのも嫌で授業で答えがわかっても手を上げなかったりするらしい。東洋経済の今の若者「皆の前でほめられたくない」心理の正体という記事によると、若者は自己肯定感が低くて自分はダメだと思っているので、褒められるとダメな自分に対するプレッシャーを感じたり、褒められたことで他人の自分に対する印象が強くなったりするのが嫌なのだそうな。たぶんSNSで恵まれた環境の美男美女や金持ちと比較して必要以上に自己評価が下がっているのだろうけれど、褒めるのさえだめなら叱られたらさらに自己肯定感をなくしてしまうだろう。巷では自己肯定感が乏しい人が多いせいか自己啓発や5ちゃんねる発祥の199式アファメーションやスピリチュアル系の引き寄せの法則とかが流行っているようである。精神一到何事か成らざらんと奮起するのはいいけれど、匹夫の勇という故事もあるし、目的達成のために具体的で合理的な手段を取って知識を増やしたり技術を訓練したりしない限り能力は成長しないし目的も達成できないし、成功した姿を妄想しただけで具体的なプランもなしに成功したつもりになってしまっているのでは現実逃避である。特殊詐欺の受け子をして詐欺未遂で逮捕された元ホストの松村限輝のメモがやばいとネットで話題になっていたけれど、「すべてうまくいく」「お金持になる」「良い環境になる」「きれいな家に住む」「一生捕まらない」「めんどくさい事も全てなくなる」「ぶりもてる」「くそデカイ男になる(中身)」「そんけいされる人間になる」「マイナス思考をなくせ」「すべて自分次第」とか箇条書きで書いてあって、これもアファメーションの一種である。自信がないからアファメーションに頼って不安をなくそうとするのだろうけれど、自律した行動に裏付けられた成果を出さないと本当の自信は持てないだろうし、そんけいされる人間にはなれないだろう。●評価の問題評価も褒めることと叱ることに関連しているので、ついでに評価について考えることにする。学校のテストで正誤を判定するだけなら客観的な評価ができるけれど、社会の様々なものの評価はテスト形式ではない。あらゆる仕事は出資者や上司や客の評価によって判断されて、あらゆる商品やサービスにはレビューが投稿されて褒められたり叱られたりするし、SNSのささいな投稿でさえイイネで評価される。その評価は基準があいまいで主観的になりがちなのが問題で、理不尽な評価をされると怒ったり自信をなくしたりすることにつながる。・評価と自尊心他人に評価されて傷つくことを恐れたり、完璧主義で未熟な自分を許せなかったりして、褒められたくないしけなされたくもないから何にも挑戦しないというのはストレスからの逃避行動としては合理的だけれど、それでは仕事で目立った成果を出すことはできない。何度も鼻っ柱を折られて鼻血まみれになって悔しさに身悶えしながら前進していくくらいタフにならないと未来を切り開くパイオニアにはなれないし、老人ならまだしも若くて元気で体力もあるのに目立とうとせずに人の後ろをついていくだけの人生を無難に生きたところでつまらないんじゃなかろうか。生きていくうえで誰かから評価されることは避けられないのだから、評価を避けようとするよりも評価されることに慣れてしまう方がよい。自分で価値判断の基準の持って自律していれば他人に褒められようがけなされようが自分の基準は揺らがなくなる。例えば印象派の画家たちは最初は落書きだとぼろくそに批評されたけれど、そこで他人の意見に動揺してぼくは才能がないんだとあきらめずに、自分の美の価値基準が揺るがなかったからこそ極貧時代を耐えぬいて美術史に残る傑作を残して新しい美の感覚を世間に認めさせることができた。・評価の仕方の問題最近はオリラジ中田がダウンタウン松本がお笑いコンペの審査員をやりすぎだと批判している。お笑いから逃げてYouTuberになった中田がいまだにお笑いに固執して松本を敵視する理由は不明だけれど、指摘自体は正しいと思う。評価基準があいまいだと特定の人に気に入られるかどうかで評価が決まってしまうし、複数のコンペに同じ審査員がいるとその人に気に入られれば他の審査も評価が良くなるので、その人に気に入られようとして芸風を変えるインセンティブにもなる。それでは多様な才能は育たなくなるだろうし、複数のコンペを開催する意味が乏しくなる。特定の一人の審査員が大きな影響力を持つと、ダメ出しして委縮させて才能を潰すことにもなりかねない。デザイン業界だと知り合い同士が審査してお互いに褒めあって賞を与えて仕事を回す縁故主義になっていて、欠点を叱る人がいないともはや評価が信用できなくなる。文学賞だと選考委員を掛け持ちしないのが暗黙の了解になっていて、特に新人賞は好きな作家に読んでほしいという理由で応募する人もいて選考委員が各出版社主催の文学賞の特色になっているので、その特色が薄れてしまわないように出版社への義理で掛け持ちはしないようで、その代わりにいったん選考委員になったら数年は交代はしないようである。少年ジャンプの「あかね噺」で落語コンペをしているけれど、審査員が伝統を重視したり客の笑いを重視したりして、それぞれ基準が違うからこそ多方面から総合的に評価できるようになっている。審査が主観的だからこそ理不尽な理由で才能が取りこぼされないようにする配慮が必要である。同様のことは普通の会社の仕事の評価にも言える。配属ガチャや上司ガチャと言われるように、新入社員は上司を選べないし上司とソリが合わないと良い評価はされなくなる。それで新人をいびって潰して辞めさせるなら採用した意味がなくて本末転倒になるので、上司に気に入られるか否かでなく多面的に能力を評価するように会社が配慮する必要がある。犬みたいに命令を聞いてきびきび働く部下が可愛くなるのはわからないでもないけれど、それで指示待ちイエスマンだらけになって上司の間違いを諫める部下がいなくなったワンマンな組織はたいてい人材流出が起きて成長が止まったり、NOVAの猿橋が愛人を囲う隠し部屋を作ったみたいに社長が増長して不祥事が起きたりする。最近タイタニックの探検をしている潜水艇が音信不通になったけれど、安全性の問題を指摘した責任者が解雇されていたそうで、経営者が批判を無視したせいで起こるべくして起きた事故といえる。こないだ国について考えたけれど企業も株主が作ったちいさな国みたいなもので、売上だけあればいいというものではなくてワンマン独裁になったら腐敗して人権侵害が行われて会社から逃げる難民が出るものである。権力を持ったからといって傲慢になってはいけなくて、評価する側の人も他の誰かに評価されていることを意識して謙虚になるほうがよい。
2023.06.22
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この世界の様々なことについて疑問に思うことはよいことである。子供はしばしば「これなあに?」と親に質問して、世界の物事について興味を持って理解していく。しかし大人になると仕事や金儲け以外のことは興味を持たなくて勉強しなくなる人がいる。何かを疑問に思っても調べず、調べてもわからないことを他人に質問せず、疑問のままにしておくのでは興味が知識に結びつかなくて物事を理解できないままになって、せっかくこの世界に生きているのにこの世界について知ろうとしないのはもったいないではないか。というわけで疑問と質問について考えることにした。●疑問とは何か疑問とは知らないことやわからないことに気づいて関心を持つことや、本当かどうか疑わしいことである。古代の人間はこの世界についてわからないことだらけだったので、なんでこの世界はできたのだろう、なんで自分は存在するのだろうと疑問を持って神が宇宙と人間を作ったということにして神話や宗教をでっちあげて、中世の人間は宗教は正しいのだろうかと経典に疑問を持って検証可能な科学の理論体系を作り出して、そうして学問が発展して現代の人間はこの世界のたいていの物事については科学的に正しい知識を得ることができるようになった。しかしまだ治療法が不明な難病とか考古学の謎とか宇宙の仕組みとかのわからないことはいろいろあるし、正しいと思われていたことが間違いだったと判明することもあるし、疑問を持って考えることでさらに学問は発展して社会は豊かになっていく。・疑問を持ったらすぐ調べるニュースを見て知らない単語や概念を見かけてこれは何のことだろうと疑問に思ったら、すぐに調べて疑問を解消すると少し賢くなれる。時間が経つと他のことをやるうちに興味が薄れて疑問に思ったことすら忘れてしまうので、すぐに調べられない環境なら気になった言葉をメモしておくなりamazonの関連書籍を買い物リストに入れておくなりして後で調べられるようにしておくとよい。・疑問を持って丸暗記から理解に変える若いころは暗記力や計算力などの流動性知能が高くて25歳でピークになって徐々に衰えていくものの、歳をとるにつれて洞察力や理解力や批判力や創造力などの結晶性知能が徐々に高くなっていく。現代人は成人するまでずっと義務教育で勉強続きで、受験勉強で覚えることが多くて興味がないことを語呂合わせで無理やり暗記したりして、知識はあるけれど仕組みを理解していないことも多い。ただ知っている状態から理解している状態になるには、もう一度世界の物事について関心を持って疑問を問い直す必要がある。いったん社会人になって大学までの知識を離れて現実社会の様々な問題を目の当たりにした人がリカレント教育で大学院に行ったり自習したりしてもう一度物事に疑問を持って理解しなおして結晶性知能を高めていくことで問題の解決策の発見につながると思う。・疑問で未来に備えるこれから自分や社会がどうなるかは誰にもわからないけれど、起こりうる可能性があることはある程度予想することはできる。例えば震度5の地震が来たらたいしたことなかったねと日常生活に戻るのでなくて、もっと大きな地震の前震なんじゃないかと疑問を持って備えておけば生存確率は上がる。株を買ったら値上がりするはずだと自分に都合がいい未来ばかり想像しようとしないで、選挙の後はどうなるのかとか災害が起きたらどのくらい影響を受けるのかとかいろいろ疑問を持って想定しておくことで、想定外の事態に一喜一憂せずに冷静に利確や損切をしやすくなる。組織改革のADKARモデルというのがあるけれどその最初がAwarenessで、未来に備えるにしても現状認識が変わらないと人は行動を変えようとする欲求が出てこないので、まずはなぜ今のままではだめなのかを理解して認識を変える必要がある。日本は30年間経済成長せず賃金も上がっていなくて少子化も深刻化しているけれど、「なぜデフレはだめなのか?」「なぜ消費税増税はだめなのか?」「なぜ労働力を非正規雇用に頼ってはいけないのか?」などを国民が疑問に思わずに理解しようとしなかったので現状を変えようとしなかったし、このままではだめだと思っている人も国債や税の仕組みを理解しないまま維新の会の改革をやったふりのパフォーマンスに満足して結局事態は好転していない。・疑問が事故を防ぐ最近は美容専門学校の講師がバーベキューで火が弱くなった炭に直接消毒用アルコールを注いで生徒が炎上して死亡したけれど、今回初めて消毒用アルコールを使ったそうで、講師が消毒用アルコールをバーベキューに使って大丈夫なのだろうかと少しでも疑問に思って調べていれば防げた事故だった。2016年の東京デザインウィークで大学生が木製ジャングルジムに木くずを入れて投光器の白熱電球でライトアップして子供が焼死した事故では大学生は「火災になるとは想定していなかった」と供述したけれど、火災になったらどうしようと少しでも疑問に思って投光器の温度を確認すれば防げた事故だった。危険な行為がなぜ危険なのかわからず疑問さえもたないのは科学の常識が欠如しているだけでなくて、それをやったら次に何が起きるのかという想像力や、事故を起こさないためにはどうすればいいのか、事故が起きたらどうすればいいのかという危機管理能力も欠如している。脚立の一番上の折りたたむ部分を足場にしてしまう人とか、電子レンジで卵を爆発させる人とか、身の回りの道具の仕組みや正しい使い方を理解していない人は大勢いる。学校で物理や化学の基礎知識は教えるだろうけれどすべての道具の使い方を教えているわけではないので、説明書を読まずに直感的に道具を使おうとせずに、道具の材料が何なのか、どういう仕組みで作用するのか、やってはいけないことは何なのか、なぜやってはいけないのか、やっていけないことをやったらどうなるのかという道具の特徴や使い方くらいは把握してから使うべきで、そうでなければどんな道具でも事故の原因になりうる。初めて何かをやるときは自分の行為が本当に正しいのか疑問を持って、情報を調べて物事の仕組みを理解して疑問を解消して、手順をシミュレーションしてから行動に移せば大失敗することはない。・質問で疑問を解消する質問とはわからないところや疑わしい点について問いただすことである。学者のコンセンサスで正しいとされる知識や一般的な技術の習得方法は教科書としてまとめられているので、たいていの学問は入門書やWikipediaを読んだりすれば概要が理解できるようになっている。しかしコンセンサスがない知識や技術や体験もあるので、調べてもわからないことは専門家や経験豊富な人に質問しないと理解できない場合もある。自分で勉強や研究をするにしても使える時間は限られていて世界中のすべての本を読んで全分野で専門家並みに詳しく知ることはできないので、膨大なデータベースから効率よく情報を見つけるために検索エンジンのクエリやSNSのハッシュタグやChatGPTのプロンプトでどう質問するのかも重要になってくる。●良い質問・理解を深めるなぜ〇〇なの?〇〇の場合はどうなの?と質問を繰り返して論拠を明らかにしていけば、あらゆる物事の仕組みは論理的に説明可能になって論拠を検証可能になって、論拠が弱いところを補強していけば物事の理解が深まっていく。東京外語大学大学院の岡田昭人教授がオックスフォード大学の教育方法について書いていて、オックスフォード大学にはチュートリアルという授業があって、週に1回課題に関する本を数十冊読んでレポートを提出したら教授が学生に厳しい質問をして、曖昧な回答にはSo what?(だから何なの?)と突っ込んで理解不足なところや間違っているところを明確にして理解度を上げていくそうな。質問に対して自分の言葉で説明できるようになったら物事を理解したといえる。会社の説明会やシンポジウムや学会とかでは質疑応答の時間があるけれど、「〇〇とおっしゃいましたが、具体例があれば教えてもらえますか?」とかの質問はまだ語られていない情報を引き出して論拠を補完して理解を深めることができて質問した本人だけでなくて他の人にも役に立つ。他人への質問だけでなくて、自問自答も自分の知識の理解度を確かめるのに役に立つ。私がブログで「〇〇について考える」として疑問に思ったことを自分で調べて考えて自問自答するのはこの世界の物事についての理解を深めるためで、他の人の役に立つかは不明だけれど少なくとも私の役には立っている。・議論を掘り下げる哲学でいうところのエポケーして、命題の前提自体を問い直すことでより根源的な議論になる。例えば古い会社だと「男は結婚して家庭を持たないと一人前になれないから未婚の人は出世させない」という方針があったりするけれど、「家庭を持たないと一人前になれないという前提は正しいのか?」「独身で顕著な業績を上げた人は大勢いるのではないか?」「独身の方が身軽でリスクを取りやすくて大きな成果が出せるのではないか?」などと論拠を論理的に問いただしたり反証したりする質問は議論を掘り下げるのにつながる。学者の議論の目的は相手を論破して勝ち誇ることではなくて物事を正確に理解したり国を発展させたり人々を幸福にしたりすることなので、相手の論拠を尋ねたり疑って反証したりするのは別に失礼なことではないし、相手にとっても役に立つことである。●悪い質問・調べたらわかることを他人に聞くBBQで事故が起きるたびに「なぜDQNはバーベキューが好きなのか考える」という記事にアクセスが増えるけれど、たぶんなんでDQNはバーベキューが好きなんだろうと疑問に思った人がネットで検索してたどり着いたのだろう。その一方で掲示板で「なんでDQNはバーベキューが好きなの?」と書き込むだけで自分で考えたり調べたりしない人は暇な誰かが返事をしない限り答えを知らないままでいる。パソコンやスマホを持っているんだから掲示板に書き込む暇があるなら調べればいいだろうに、自分で調べたらわかる情報を他人に聞くのは他人の時間を無駄にしている。・言葉の定義が不明で何を聞きたいのかわからない言葉の定義を共有できないと論点が定まらなくて有意義な質疑応答にはならない。言葉の定義が不明な質問をされても「それってどういう意味で言ってるの?」と質問に対して質問で返さざるを得ないし、質問している本人さえ何を聞きたいのか理解していなくて言葉の定義を言えない場合もあるので、回答する側も面倒くさいので答える気がなくなる。例えば「MMTをやったら日本は財政破綻するんじゃないか?」と質問されても、「MMTをやる」や「財政破綻」の定義が不明なので答えようがない。・知識不足で質問が具体的でない知識がない人ほど質問が的外れになる。例えば「パソコンが壊れたんですけどどうすれば治りますか?」とパソコンの初心者に質問されても、電源が入らないのと、電源が入るけどモニタが映らないのと、電源が入ってモニタも映るけど使用中にクラッシュするのとでは原因も治し方も違うので、どういう壊れ方をしたのかという具体的な状況がわからなければ答えられない。質問者と回答者に知識の隔たりが大きすぎるとしばしばこういう曖昧な質問をされて、回答する方も相手の理解度を確かめながら回答しないといけなくて疲れてしまう。記者が誰かにインタビューするときもあらかじめ相手のプロフィールや著書を予習していないと相手の意見を掘り下げるような的確な質問ができなくて、相手にも失礼だし、突っ込み不足でインタビューを見る人にも物足りなくなる。・丸投げする自分はここまで調べたり考えたりしたけれどその先は調べてもわからないから専門家や経験者に聞くというのが質問する側の礼儀で、何の努力もせずに相手に丸投げして最善の答えを期待するのは横柄である。例えば「転職を考えてるんですけどどの業界がいいでしょうか?」みたいなふわっとした質問で丸投げされても相手のキャリアやスキルがわからないと答えようがないので、相談するレベルに達してないから出直しておいでと諭されて役に立つアドバイスはもらえないだろう。「〇〇業界への転職を考えて勉強しているんですけど、この資格はアピールになりますか?」くらいに具体的な質問なら転職エージェントが「〇級以上じゃないとアピールにならないよ、他の資格もとるといいよ」とか役に立つアドバイスができる。私はたまにおすすめの小説を聞かれることがあるけれど、私にとって面白い小説と相手にとって面白い小説は違うだろうし、せめて好きなジャンルくらい指定してもらえないと相手の好みがわからないのでおすすめしようがないし、私好みの変なのをおすすめしても文句を言われそうなのでやめとこうかなと気を使ってしまう。・論理が飛躍している芸人のラランドの「お母さんヒス構文」の「猫アレルギーだから帰省できないな」という子供に対して「じゃあ子猫を今すぐ捨てろっていうの?」と返答するヒステリックな母親のように、質問の論理が飛躍していて言ってもいないことを質問されてもそんなこと言ってないでしょと喧嘩になってしまう。猫アレルギーのせいで帰省できない→猫がいなくなれば帰省できる→猫を捨てろっていうの?と勝手に脳内変換しても、相手にはその論理は伝わらない。相手を批判したいという意図がある人が感情的になると、言ってないことを批判的に問いただす藁人形論法の質問になりがちである。答えるほうも論理を理解しない感情的な馬鹿を相手にしても時間の無駄なので答える気がなくなる。ポスト・トゥルース(客観的な事実よりも虚偽であっても個人の感情に訴えるものの方が強い影響力を持つ状況)の現代社会だと感情的な物言いのほうがSNSの共感を集めるけれど、論理的でない言葉では建設的なコミュニケーションが成り立たないので、質問をするなら相手が言ったことを正確に引用して論点をずらさないように質問するべきである。・自分に都合がいい答えを誘導する女性の相談の「〇〇したほうがいいと思う?」みたいな質問は実際は相手の答えを求めているわけでなくて自分の決定に共感して後押ししてほしいだけだったりして、想定した答えと違うと不機嫌になったりする。すでに答えが出ているならいちいち質問しないで勝手にやりたいようにやればいいだけで、質問される側も迷惑である。強引な営業マンは客が商品をいらないと言っても、「でも今使っている商品よりも安くなるほうがいいですよね?」みたいな質問で答えを誘導して言質を取ろうとして、相手を質問攻めにして疲れさせる。このように相手の思考を先取りして相手に考えさせる時間を与えずに答えを誘導するのでは相手の本音を聞けないので、相手の疑問を解決して信頼を得ることはできない。短期的には成果がでるかもしれないけれど、長期的に見たら相手に不信感を残して次の取引にはつながらないかもしれない。・質問が長すぎる前置きや自分語りが長かったりして、何を尋ねているのかはっきりしないのは質問としてはだめである。特に記者会見やシンポジウムとかでは相手への質問をする機会と自分の意見を言う機会を混同してはだめで、質問したい人が大勢いるときは10-30秒くらいで簡潔に要点を1-2個質問して、他の人の質問の機会を奪ってはいけない。・テーマと関係がないことを聞くしばしば芸能人が映画の発表の記者会見をしているときに芸能リポーターが役者の不倫とかの映画と関係がないプライベートについて質問して司会に咎められたりしているけれど、記者会見の趣旨と関係がない質問をするのはマナー違反である。●小説と疑問言葉自体が論理的だけれど、言葉で書かれたフィクションである小説は他の芸術以上に論理の積み重ねでできていて、小説の内容に関するあらゆる疑問は論理的に説明しうる。「いつの時代の話なのか?」「舞台はどこなのか?」「登場人物は誰なのか?」は描写や説明に書かれているし、「なぜこの登場人物はこんな言動をするのか?」という動機や目的が起承転結のプロットになっている。ドストエフスキーが作者は小説に書かれていることをすべて知っていないといけないみたいなことを言っていたような気がするけれど、良い小説は作者が小説内の事を完全に把握していて読者の疑問に答えるように十分に説明しているものである。本格推理小説は読者の疑問に答えている小説の手本で、探偵が推理の根拠にした情報はすべて読者にも開示されていて読者が証拠や証言を疑問に思って推理を検証しようとしたときに確認できるようになっていて、犯人は誰なのかという最大の疑問も最後にちゃんと答えがわかるようになっているので、満足感がある読書体験になる。逆にいうとだめな小説は作者のメタ認知能力が低くて読者の目線で作品の推敲ができていない。小説家は自分の作品に対して「これでいいのか?」「もっといいやり方はないのか?」と批判的になるべきで、作品を読者に見せる前に読者が疑問を持ちそうな部分を予想して答えを示すべきである。疑問だらけで答えが見つからないと読者はストレスがたまるし、読者が疑問に思うタイミングにちょうどよく描写や説明を出さないと読者が状況を理解できなくて物語に引き込まれるような読書体験にはならない。最近滝口悠生の『死んでいない者』を読んだけれど、いつの時代のどこが舞台の誰の話なのかよくわからない状況を見せられて説明不足で疑問だらけでストレスがたまった。小説内の出来事を説明できるのは作者だけなのにその説明をさぼっていて、バスツアーのガイドが仕事をさぼってスマホをいじっていて目的地や見どころがわからないようなもので、運転手がドラテクにこだわったところで運転手の自己満足に過ぎなくて乗客は酔って気持ち悪くなるだけでバスツアーとしては面白くない。頭文字Dのドライバーくらい運転がうまいなら風景の説明がないまま峠でドリフトしてもジェットコースターみたいな面白さはあるだろうし10分で読み終わる短編小説ならそれでもいいけれど、中編小説や長編小説は名所めぐりの数時間のバスツアーなのでガイドが名所の説明をさぼって運転手が運転に夢中になって乗客を放置するのはだめである。山田詠美は芥川賞の選評でだめな小説に対してはSo what?と言っていたように、「だから何なの?」「何を表現したいの?」「なんでこの方法にしたの?」というメタ的なコンテクストが読者に伝わらなくて疑問が残るままなのは芸術作品としてはだめで、読者が何かしらの答えとして解釈できるようにする必要がある。エンタメならただ起承転結があるだけでいいけれど、純文学ならSo what?という疑問に対する答えがないと見どころがなくて、カタルシスがなくてもやもやする読後感になる。じゃあどうすればSo what?という疑問に答えられる小説になるのかというと、オーソドックスなやり方だと主人公が教訓を得たり悩みを解決したりして感動しているところが見どころになる。作者が実体験で感動したことを基にすると、その感動は他の小説とは違うユニークなものになりうる。しかしぼんやりとルーチンワークをして生きていたら感動するような出来事はあまり起きないので、感動するような体験をするにはこの世界の人や物事に関心を持ってよく観察する必要がある。この世界をよく観察したら、動植物の名前も人の心理も社会の仕組みもわからないことだらけで疑問が出てくるはずである。疑問について取材すれば物知りになれるし、物知りだからこそ読者の疑問に答えられる物書きになれるわけである。
2023.06.12
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最近はハイチ共和国は通貨のグールドがドルに対して下落し続けてインフレが進行して、首都を制圧した武装集団同士が争って経済が低迷して、食糧難で飢餓状態になっていて外国の支援に頼らないと国を運営できないのではもはや国家の体裁をなしていないし、ハイチの政治家は何をやってるんだろうか。日本は不景気のときに増税してセルフ経済制裁するアホな政治家が治める国だけれど、世界はそれ以上に無能な政治家が治める国がごろごろある。そもそも国とはなんぞやと疑問に思ったので、国について考えることにした。(*長文注意:18000字程度)●国とは何かモンテビデオ条約第1条では「永続的住民」、「明確な領域」、「政府」、「他国と関係を取り結ぶ能力」を国家の資格要件としてあげていて、分離独立や国家の分裂などで国家の資格要件を満たす新しい政府が誕生した時に他の国の政府が主権のある国家と承認したら国となる。生活できないところに人は住まないので「永続的住民」がいるためには生活基盤となる資源や産業が必要になるし、「明確な領域」を持つためには周辺諸国に領土を侵略されないための軍事力が必要になるし、何らかの形の「政府」を作って国の代表者を決めないと「他国と関係を取り結ぶ能力」も持てない。例えば南米のジャングルに原始的な狩猟採取生活をする人が住んでいて部族同士の大まかな縄張りはあっても明確な領域がなかったり、独自の言語を使っていて他の言語を理解できなくて他国と関係を取り結ぶ能力がなかったりする場合は国としては承認されていなくて、そのジャングルを保有する国に少数民族として保護されている形になっている。イギリス南東部のシーランド公国は世界最小の国家を自称しているけれど、海上要塞を領土と主張しているものの島でないので国際法上での領土ではなくて、独立国家として承認する国がないので国際的には国家として扱われていない。中華民国(台湾)は島なので明確な領域があって永続的住民がいて独自の政府を持っているけれど、中国が他の国に国家承認しないように圧力をかけているせいで国家承認している国は13か国しかないし、日本政府も台湾の立場を尊重しつつも中国に忖度して国家承認はしていないので国とみなすかどうか微妙である。イタリアに本部があるマルタ騎士団はかつて領土があったので今は領土がなくても独立国として認められているようだけれど、これは国としては例外だろう。●国の制度と主権者の違い国家は君主制、貴族制、民主制の3種に分類されて、それぞれ国家の支配権をもつ主権者が違う。民主制のなかでも君主がいる立憲君主制と、君主がいない共和制や独裁制がある。・君主制(monarchy)君主制は特定の一人が国の主権者である政治形態で、武力によって周辺を統治した人が王となって国を作って君主になっている。古代や中世はたいてい世襲君主制で、近隣の国の王族同士が政略結婚して結びつきを強めて侵略戦争を防いで権力を高めていった。しかし王に子供がいないまま死ぬこともあるし、王位を継承するために親や兄弟を暗殺したり内乱をしたりすることもあるし、優秀な君主の子孫が優秀とは限らないところに世襲君主制の限界があって、長期的に見るとあまり政権が安定しない。・貴族制(aristocracy)中世は王による君主制ではあるけれど中間支配者層としての貴族がいて、貴族が自分の領地を治めていて軍事的・経済的な力を持っていたので、王が貴族の意向を無視することはできなかった。王が馬鹿な政策をやろうとしたら貴族が諫めたり、あるいは謀反を起こして次の王になることもあるので、権力の相互監視の機能があった。プラトンは貴族制を推奨して、ギリシア語のアリストクラティアとは最善者の支配を意味したそうな。フランス革命以後の民主化によって貴族が力を失って民主制に敵対するものとして貴族制は消滅した。日本ではヨーロッパを真似て明治維新後に公卿と大名に華族として爵位を与えて貴族扱いして、華族は貴族院議員になる義務があったものの、非民主的だということで第二次世界大戦後に日本国憲法の制定とともに廃止されて参議院になった。・民主制(democracy)日本は立憲君主制で君主である天皇の権力を憲法によって規制して象徴的存在にして政治に介入できないようにした民主制で、君主はいるものの国民主権となっている。民主制は国民が自己決定権を持って民意を反映すると言う点では世襲君主制よりはましで、君主制が代替わりを機に政権が不安定になるのに対して民主制だと国民の考え方が一気に変わることはあまりないので政権が安定するけれど、多数派による独裁に陥る欠点がある。多数派による独裁とは何かというと、何かの宗教の信徒が多数派になって異教徒や無神論者の意見を聞かないことが一番の問題になる。宗教的価値観は議論によって変わる性質のものではないので議会で科学的・合理的な議論にならなくて、少数派の意見が科学的に正しくて合理的でも多数決で抹殺されることになる。例えばアメリカではキリスト教保守派が多い州は宗教的理由で中絶禁止になっていて、医師が医学的根拠を基に中絶禁止に反対しても民主制で少数派である限り法律が覆ることはないので、子宮外妊娠とかで中絶しないと生命に危険がある人は他の州に移動して中絶手術を受けなければならなくなっている。インド共和国は多民族多宗教なもののヒンズー教が多数派なので、セキュラリズムで政教分離することで多数派による独裁にならないように注意して少数派の不満を抑え込んでいる。日本だと民主制が十分に機能していないのが政治的停滞に拍車をかけている。投票率が低いせいで宗教団体の組織票の影響が強くて公明党が必ず議席を取るし、馬鹿な国民が政策で政治家を選ばずに人気投票のように有名人に投票するし、田舎では地元のプチ君主を担ぎ上げる世襲制になっていて閣僚クラスの政治家の血族というだけで馬鹿息子だろうが当選して地元に利権誘導する縁故主義の政治をしてしまう。おまけに民主制では政権がとれない左翼がNPOを作って公金に群がって実質的に左翼政策を実施する予算を獲得したり、日本学術会議とかの議員でない左翼組織がLGBTや移民などの法案に専門家の意見と称して民意を反映しない左翼思想をねじ込んでくる。・共和制(republic)共和制は君主を持たない政治体制で、共和制独裁政治か民主共和制のどちらかになる。フランスはフランス革命でルイ16世を処刑したので君主がいなくなって民主共和制になって、ヨーロッパはイギリス(グレート・ブリテンおよび北アイルランド連合王国)やスペイン王国とかの歴史的に王の権力が強い一部の国を残してほとんど民主共和制の共和国になった。共和制独裁政治はもともと王国でなかった社会主義の国に多いようで、中華人民共和国や朝鮮民主主義人民共和国は民主集中制で指導者に中央集権した共和制独裁政治である。ベラルーシ共和国は1994年以降はルカシェンコが不正選挙で何度も再選して独裁をしている。・独裁制(dictatorship)独裁制は一個人や少数者や一党が絶対的な権力を持つことを国民が認めた政治体制である。形式上は民主制の一種ということになっているけれど、たいていは独裁政権が軍事力で国民を弾圧して強制的に従わせる構図になっている。例えば中国は民主化勢力を国家転覆をもくろむテロリストとして投獄して弾圧しているし、北朝鮮は賛成投票率100%で国民の支持を得たという体裁になっていて反乱分子を粛清しているので、いったん独裁になると内戦やクーデターが起きない限りしばらく独裁が続く。賢人による独裁であれば馬鹿による民主制よりもうまくいく可能性がある。しかしたいてい独裁では失政を咎める人がいないゆえに腐敗して、権力を利用して自身や取り巻きの財産をためこんで国民を貧困に陥らせたり、従わない者を投獄したり粛清したりする人権無視国家になる。●戦争の問題たいていの国は近隣の国と戦争してきた歴史がある。古代の国は領土を拡大して資源や奴隷を獲得することで国(または王族や貴族)が繁栄したので、頻繁に侵略戦争が起きていた。北半球に住む遊牧民族は気候変動で寒冷化して草原が減って生活できなくなったので生存のために南下して戦争して領土を拡大したし、古代ギリシアや古代ローマは奴隷を獲得するために周辺国を征服したし、北欧のヴァイキングは物資を略奪するために他の国を襲撃した。戦争は仕掛ける側にも負担が大きいし負ける可能性もあるのでいきなり戦争せずにまず外交して朝貢や服従を求めることもあるけれど、最初から戦争するつもりで交渉で断られるのが確実な不平等な条件を突きつけて開戦の口実にすることもある。戦争で領土や賠償金を取られるだけで済むならまだましなほうで、君主が殺されて主権を奪われたら国が滅亡するので、国の主権が脅かされたときは国の存亡をかけて戦争をするようになる。中国の台湾の併合を台湾人や周辺の国が認めるか否かでも戦争になりうる。あるいは国家が分離独立しようとするときも領土や支配権をめぐって戦争になりうる。1947年にパキスタンがインドから独立したときにカシミール地方の帰属をめぐって第一次インド・パキスタン戦争が起きて、さらに東パキスタンが反政府運動をしてバングラデシュ独立戦争が起きて1971年にパキスタンから独立した。1948年にイスラエルが独立宣言してアメリカが国家承認したのに対してアラブ諸国が国家承認しなくて第一次中東戦争が起きた。・軍拡の問題第二次世界大戦後に旧植民地の国が独立して国境線がある程度定まって侵略戦争はほとんど行われなくなったものの、ロシアのようにNATOの拡大と安全保障を理由にして領土を拡大しようとする国もあるし、それを止めるにも軍事力が必要になるので、軍隊は国の維持のために必要不可欠である。軍縮はするにこしたことはないけれど、囚人のジレンマのようなもので全部の国が協力して一斉に軍縮するなら全部の国が軍事費を減らせてその分の予算や人員を他の生産活動に回せて得をするけれど、一国だけ軍縮したら相対的に不利になってしまうので、あっちが軍拡するならこっちも相応に軍拡しなきゃと疑心暗鬼になってどんどん予算が増えていって全部の国が損をする。ロシアや中国みたいな好戦的な国が近くにあるので日本の防衛予算が増えるのも仕方がない。しかし財務省は存在しないワニの口を怖がる一方で、現実に存在して何度も領海に落ちている北朝鮮のミサイルや領海侵犯をする中国の潜水艦は軽視して防衛予算を削ろうとしていて、財政健全化をしようが東京にミサイルを打たれたら意味がないことすら理解できないようである。軍事産業への投資が経済成長につながるかどうかは意見が分かれるところで、インターネットみたいに軍事用に開発された技術が民間に転用されることもあるし、アメリカみたいに巨大な軍事産業があって独自に研究開発をしているなら民間に転用できる技術もあるかもしれないけれど、日本みたいにアメリカ製の兵器を買うだけで内製しないなら企業の利益にならないので経済成長にはつながらないし、軍用のものは用途や規格が特殊で軍事機密もあるので戦車を民間に払い下げて工事現場で有効活用したりすることもできなくて開発にコストがかかる割に製品や技術の波及性が乏しい。三菱重工業が1兆円かけて取り組んだMRJさえ失敗したし、オーストラリアに潜水艦を輸出しようとしても契約できなかったし、技術者や研究者を冷遇してきた今の日本の技術力やドローンを規制するような保守的な環境で民間に転用したり外国に輸出したりするほどのすごい軍事技術なんて開発できないんじゃないかと思う。●統治の問題・経済の問題国民が永住するためには食料やエネルギーを賄えるだけの産業がなければならない。しかし経済はインフレ/デフレ、金利、失業率、為替、貿易赤字/黒字、税制、安全保障などの考慮すべきことが多くて複雑で状況によってその都度取るべき政策が違うし、国によって人口も産業も法律も違っていて他の国の政策を真似すればうまくいくというものでもないので、民間企業は頑張っても政府が政策を間違えることがしばしばある。一応先進国の日本でさえ財務省の官僚がマクロ経済も通貨発行の仕組みも理解していないことが明らかになって、ワニの口がどうのこうのと存在しないワニにおびえてパニックになって、官僚が間違っているのだからレクチャーを受ける政治家も鵜呑みにして間違って、不景気なのに増税して経済成長を縮小させてデフレを悪化させる非合理的なことをやるようになる。イギリスのトラス首相はEU離脱で人手不足になって人件費が上がってディマンドプルインフレが起きている状況でさらに需要を増やしてインフレを起こす富裕層優遇の大型減税をやろうとしてポンドも株も国債も売られて批判されて史上最短の45日で辞任して、日本と逆のベクトルで間違っていた。高等教育を受けた先進国の政治家でさえその程度なのだから、他の国もいろいろ間違っていて、教育が充実していない発展途上国の政治がでたらめなのは推して知るべしである。経済的に豊かでない国ほど汚職が多いようで、スリランカは債務の罠にひっかかって大統領が逃げたし、インドネシアは中国に賄賂をもらって日本の高速鉄道計画を反故にしたし、貧すれば鈍するというやつで目先の金ほしさに信用を失って自ら成長の芽を摘んでいる。たいていの国は農業や漁業とかの一次産業をまじめにやれば貧しくても国民を飢えさせないけれど、アフリカは教育水準が低くて治安が悪いせいでいろいろおかしくて、マラリア予防の蚊帳を寄付されたらそれで根こそぎ稚魚を取って魚がいなくなったり、畑の作り方を指導されても隣の村の部族から略奪されるので農業を辞めたりして、結果的に一次産業さえ持続できなくて国民を飢えさせていて支援頼みになっている。・治安の問題経済と治安は関係していて、たいてい産業がなくて貧しい国ほど治安が悪い。経済がうまくいかないとホームレスや強盗や麻薬中毒者が増えて警察や刑務所の予算も不足して治安が悪くなって政府に対してデモや暴動が起きて略奪や放火されて、観光客が来なくなって外資が撤退してさらに経済状況が悪くなって治安が悪くなっていく悪循環になる。それに国の予算が少ないとそのぶん政治家や公務員の給料が安くなって、権力を悪用して賄賂で儲けようとするようになる。先進国の企業は賄賂を渡すと背任で有罪になるので賄賂を要求する国との取引を避けて経済成長しにくくなるし、警察官が犯罪を見逃す代わりに賄賂を要求したり、裁判官が買収されて犯罪者を無罪にしたりすると汚職や犯罪を取り締まれなくなってギャングが勢力を増して治安が悪化する。メキシコだとシエンフエゴス前国防相が麻薬カルテルのトップになっている有様で閣僚クラスが腐っていて政治家や警察官が麻薬カルテルに脅されたり賄賂をもらったりして犯罪に協力したり、汚職を調べる記者が殺害されたりするのでいつまでも麻薬カルテルが撲滅されないし、麻薬の取引先のアメリカでも犯罪の増加につながる。ハイチやアフリカ諸国のように警察と司法が機能していないレベルで治安が悪いと犯罪者が野放しになるので、住民は自衛や復讐のために犯罪者をリンチするようになって無法地帯となる。軍の権力闘争で内戦が起きたスーダンのように政府自体が治安悪化の原因になって国民を殺害するようになるともはや外国人を保護できなくなるので渡航中止勧告や退避勧告が出されて外国人は自分の国に帰るようになる。あるいはアメリカのようにゲーテッドコミュニティーを作って金持ちの安全さえ確保できれば庶民がどうなろうが知ったこっちゃないという態度で福祉が不十分だと、経済成長しているにもかかわらず犯罪が多発するようになる。カリフォルニア州みたいに刑務所がいっぱいだから10万円以下の万引きは軽犯罪扱いして捜査しないようになると、雇用や福祉の代わりのインセンティブになって貧乏人は万引きで生計を立てるようになってしまう。このことから考えると、治安を維持するためにはまず政権が安定している必要があるし、公務員の汚職を防いで警察や司法を機能させるには十分な待遇と汚職への厳罰が必要だし、民間人の犯罪を防ぐには経済成長をして福祉を充実させて、貧困層に教育をして生産活動をする知識や技能を身につけさせて犯罪をしなくても生活できるようにする必要がある。日本は自民党の長期政権で安定しているし、公務員は初任給こそ安いものの定年まで問題なく務めるとそれなりに退職金をもらえるので映画の『フラッド』みたいに保安官の退職金が少ないから強盗するみたいなこともないし、東京オリンピックみたいな汚職はあるもののちゃんと逮捕・起訴されているし、銃を持ったやくざはいるものの暴対法でコントロールできていてやくざの抗争で銃が使われることはあっても庶民を狙った強盗とかに銃が使われることはあまりないし、福祉もそれなりに充実していてスラムがほとんどなくて刑務所よりも生活保護の方が待遇がいいので貧困でも犯罪をするインセンティブがないし、国民はほとんど高等教育を受けていてそこそこ民度が高くて勤勉で失業率が低くて外国みたいにデモが暴徒化しない。最近は闇バイトの強盗団が出没してやや物騒になっているけれどすぐ逮捕されているし、治安維持という点では他の国に比べてよくやっていると思う。・民族の問題国の成立の過程で他の国を征服したり併合したりしてできた国や、アメリカのように移民によって作られた国は多民族国家になる。民族によって公用語の語学力が違うと教育の格差がそのまま収入の格差になって政府への不満が出てきたり、犯罪の捜査がしにくくなったりして統治しにくくなるので、どの民族でも共通で使う公用語があって、たいていの国は移民を認める条件として一定以上の語学力を要求する。シンガポール共和国は小さいのに多民族国家で公用語が英語、中国語、マレー語、タミル語の4つもあるけれど、全部を話せるわけではなくて英語と自分の民族の言語を話している。インド共和国はヒンディー語が公用語で英語も準公用語で、そのうえそれぞれの州に州公用語がある。中国はチベットやウイグルで漢民族教育をしてチベット語やウイグル語を禁止することで強制的に同化させて統治しようとしている。多民族国家だと愛国心にも差があるので迫害や対立も起きやすい。移住生活をしていたロマやユダヤ人とかは郷土愛がなくて国籍よりも民族にアイデンティティーを持つので、他の民族からは同じ国民としての連帯感を持たれなくて迫害されてきたし、ナチスにユダヤ人が迫害されたことは有名だけれどアーリア系のロマも劣等民族扱いされて迫害されている。ユーゴスラビアは多民族でキリスト教徒とイスラム教徒がそれぞれ自治権を主張して紛争が起きて分裂した。アフリカ諸国はヨーロッパが民族の縄張りを無視して勝手に国境を決めたせいで国と民族がばらばらで、どの民族が権力を持つかで揉めてしばしば内戦しているし、ルワンダ虐殺ではフツ過激派によるツチの虐殺が起きた。多民族国家だと平等な統治が難しくて対立が起きやすくて分裂の危機がしばしばあるのだから、各民族が国を作って自治して他の民族とは距離を置いて交流したり、小国同士が協力して連邦を作る方が争いが少ないのではないかと思う。日本は琉球民族やアイヌ民族はいるもののほぼ大和民族で言語も方言はあるにせよ日本語で統一されているがゆえに統治しやすくて治安が良いのだろうし、アイデンティティと移民について考えるという記事でも考えたけれど、アメリカやEUを後追いして移民を増やそうとして多民族国家への道を歩もうとしても多民族の統治経験が乏しいのでうまくいかないと思う。資源が少なくなった土地を離れて豊かな土地を転々とする狩猟採集民族や遊牧民族と、定住生活して土地を開拓して灌漑して改良し続けてきた農耕民族では郷土に対する愛着が違う。日本は土地神を奉って農民だった我々の先祖が飢えて老人を山に捨てて子供を奉公に出しながら必死に土地にしがみついて協力して生きてきたので、よそ者に土地を汚されることを嫌う。新規就農したくて県外から来た人に農地を貸さなかったり、イスラム教徒の土葬用の墓地は法的には禁止されていないのに認可しなかったりするけれど、これは法的に見れば非合理でも文化人類学的に見れば先祖代々そういう生き方をしてきたので土地への執着を捨てられないのだろう。移民が日本の歴史や文化に敬意を払って帰化して同化するならまだしも、豊かさにだけ惹かれて集まってきてごみ捨てのルールを守らなかったりアパートをゴミだらけにして退去したりして土地を汚すことが禁忌だという感覚を持たない非農耕民族の人たちとは日本人の心情的にはうまく付き合えないだろう。・宗教の問題宗教は民間から自然発生したものの、信仰が広まって信者が増えて権威化されると統治にも利用されるようになった。古代ローマではキリスト教徒を迫害していたものの、信者が増えると迫害も無視もできなくなって統治のために公認するようになって、その挙句に教皇が王よりも権力を持つようになった。宗教では費用をかけずに説法によって精神的な救済を提供するので、貧民救済のための費用をかけるほど豊かでなかった昔の国では人心を安定させて反乱を防ぐために宗教が不可欠だった。宗教は科学が発展する以前の国家を統治するためには機能したものの、科学的な現代文明とは相性が悪い。一神教の宗教は全能の神による絶対的な真理を説いて聖書や経典で明文化して権威づけていて、科学的な間違いを認めて教義を修正したら権威がなくなってしまうので間違いを認めようとしないし、国の主権者であっても教義を変えることはできないのでいったん宗教が影響力を持ってしまうと法的に規制しにくいし、イスラム教のスンナ派とシーア派みたいに宗教の派閥のどっちが正しいかなんて科学的に答えが出るわけでもないので延々と抗争が続く。一方で科学は仮説を立てて検証して間違っていたら説を変えるという態度をとっていて、説をころころ変えてより整合性がある合理的な理論体系を構築しようとするし、国の主権者が科学に基づいて合理的に法を作ったり改正したりできるので状況の変化に対応しやすくなる。ヨーロッパは長年かけてキリスト教の教義の矛盾点を明らかにしてきて科学の発展とともに科学的に合理的な思考をする無神論者が増えて経済が発展していって、道徳は教義で規定せずに人権という普遍的な概念に代わって、教義でなく法律で人権侵害を罰して、福祉を教会に頼らずに社会制度として整備するようになったので国民の宗教や民族が違っても法律で統治しやすくなった。一方でイスラム教は法律よりも教義を優先するので女性や同性愛者に対する人権侵害が行われていて、福祉も教義に基づく喜捨(ザカート)に頼っていて、改宗を禁止しているせいで他の宗教と同化しにくくてイスラム教原理主義者による他の宗教に対するテロも行われていて他の宗教の民族や国と衝突する原因になっていて、イスラム教徒が多い国は統治しにくくて発展しにくくなっている。日本の神道や仏教は一神教と違って真理を教義で定めていないので宗教が科学的発展を妨げなくてスムーズな近代化ができたのだけれど、現代ではザイム真理教というカルト宗教が蔓延していて発展を妨げている。ザイム真理教の信者は無駄遣いはけしからんとか補助金で国民を甘やかすなとかという理屈で緊縮財政をしたがるけれど、これは「こうであるべき」という宗教的倫理の押し付けで現実を分析する科学的な態度でないし、彼らにとってはそれが絶対的に正しい倫理ということになっているので国民が飢えようが自殺しようが少子化が加速しようが自説を変えることはない。一方で経済学者の浜田宏一はリフレ派だったものの、アベノミクスでの量的緩和だけではインフレ目標を達成できないのを目の当たりにしたせいかMMTに改宗してMMTは正しいと言うようになった。現実と理論の整合性を検証して間違いを認めて正しいと思ったことに対して自説を変えられるのが科学的な態度で、自説を変えるのが無責任なわけではなくてむしろ学者として真摯である。間違いを認められずに自説を固持して現実と矛盾する理論を主張し続けるならそれはもはや学説ではなくて願望や信仰で、そういう人は学者を名乗る資格はない。「いつか財政破綻する」と言う人が典型的で、いつか財政破綻するという仮説を立てたのならいつ破綻するのかを計算して検証するのが科学的態度だろうにその検証はやろうとせず、いつかあなたは不幸な死に方をするから救われるためには私の言うことを聞いて財産を差し出しなさいというようなカルト宗教の霊感商法と同様の非科学的なことを経済政策でやろうとしていて、オカルト好きな国民も経済の仕組みを科学的に考えずに緊縮財政に賛成して財産を税として献上するようになってしまった。もし物理学者がこのままでは巨大隕石が地球に衝突して人類は滅亡すると言ったところで軌道や衝突までの時間を説明できなくて検証できなかったら誰も信用しないだろうに、経済に関しては根拠のない非科学的な財政破綻論が蔓延している。このような非科学的なやり方で経済政策を決めているのでは政府が有効な経済政策をとれないのも当然である。左翼マスコミもザイム真理教の布教団体になっている。2022年に外資系ヘッジファンドが日本国債を空売りしたことでマスコミは大騒ぎしていたけれど、しばらくして損失を確定させて撤退した現実は知らんぷりしている。外資系ヘッジファンドが過去に何度も日本国債空売りを仕掛けても一度も成功していなくてウィドウ・メーカー(未亡人製造機)と呼ばれていて、中央銀行が自国通貨建て国債を無尽蔵に買えることがその都度証明されてきたのだけれど、反日左翼は日本が滅びてほしいという願望があってそれに沿ったシナリオしか見たくなくて現実を無視するのだろう。●難民の問題・難民の定義国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると難民の定義は「1950年UNHCR事務所規程、1951年難民条約、1967年難民議定書において、「難民」は、人種、宗教、国籍、政治的意見または特定の社会集団に属するという理由で、自国にいると迫害を受けるおそれがあるために他国に逃れ、国際的保護を必要とする人々と定義されています(厳密な定義は難民条約の第1条A(2)を参照)。この定義では、自国における平時と戦時の区別をしておらず、国際的・国内的な武力紛争や戦争から他国に逃れてきている人々も、上記の定義に該当するのであれば「難民」とします(UNHCR国際的保護に関するガイドライン 12を参照)。」だそうな。難民条約上の難民でなくても「補完的保護」として生命や自由が脅かされる国に送還されないように他国で保護する制度もある。・自称難民の問題たいていの国では自国の安全を守るために素性が不明な外国人を入国させたくないので入国の際に大使館が発行した査証(ビザ)が必要で、滞在目的に応じて審査基準が違って観光目的なら発行されやすいものの留学や就労などの長期滞在目的では審査が厳しくて、反社会性が強かったり過去に退去強制をされていたりすると入国を拒否される。普通に入国する外国人は語学力や高度な職能や投資経営などの相応の努力をしたうえで在留許可を得ているけれど、難民認定されれば努力せずとも在留許可がでるので、発展途上国の民度が低い人は審査が緩い観光ビザで入国して不法滞在して入管に収容されてから難民申請したりする。不法滞在している外国人は出入国在留管理局に収容されて退去強制手続きに入るけれど、収容には2種類あって、収容令書による収容では30日(やむを得ない事情で延長する場合は最長60日)で、退去強制手続が進んで退去強制令書が発布されたときの収容では送還が可能になる日まで無期限に収容できるので、長期収容の原因となっている。日本だと「送還停止効」という難民申請中の人の送還を禁止する規定があるので、帰国を拒む送還忌避者は退去強制令書が発布されても難民申請をすればその審査の間は強制送還はされないで収容されたままになる。デイリー新潮の「【難民申請者のウソ】国に帰りたくない“前科者”が1133人、申請は滞在延長の為…難民審査参与員が明かす入管の真実」という記事によると2021年末での送還忌避者は3224名で、そのうち1629名は難民申請中で、送還忌避者で前科を持つ者は1133人だそうで、たぶんいったん帰国したら次は入国拒否されるので送還されたくなくて嘘の難民申請を繰り返すのだろう。長期収容を解かれるためには「帰国」「仮放免」「在留特別許可」のどれかの道がある。300万円以下の保証金を納めると30日の仮放免になって、外出はできるものの住居と行動範囲の制限がある上に法律で働くことを禁じられていて、健康保険にも加入していなくて医療サービスを受けられないので生活が厳しくなる。民主党政権時代の難民認定制度では生活困窮者だけが認められていた就労資格を見直して、申請から半年後に国内で働く資格を一律に自動的に与えていたけれど、運用が見直されて2018年からはまた就労できなくなって出入国在留管理庁が「難民認定申請をすれば日本で就労できるというものではありません」と各国語版のPDFで注意を促しているものの、いまだに就労できると誤解して難民申請する人もいるようである。一方で特別在留許可をもらうと働けるし、あるいは日本語がわからないから働けないとして生活保護を受けて先進国の福祉とインフラにフリーライドして発展途上国よりも豊かな生活をして遊んで暮らせるようになる。先進国で働けるか、働けなくても生活保護で毎月10数万円を一生もらえる権利が当たるチャンスと考えて嘘の難民申請をする民度が低い外国人がいるのも当然である。東京弁護士会の「入管収容問題に関する年表(pdf)」を見ると2015年ごろに急激に難民申請数が増えているけれど、たぶんEUの難民問題の頃なので日本でも受け入れてもらえるんじゃないかと思って難民申請したのかもしれない。そんで入管の収容の費用は20億円程度かかっている。4000人の被収容者に対して20億円かかっていると考えて単純に計算すると、1人当たり年間50万円ほどの費用をかけて衣食住を提供していることになる。左翼は収容施設の待遇が悪いと言うけれど、被収容者は働かずに家賃なしで冷暖房完備で3食食べられるので、国に寄与しない不法滞在者にしては十分な待遇と言えると思う。少なくとも冷暖房なしで1日2食で節約してさらに家賃と年金と健康保険料と税金を払う私よりは豊かな生活をしている。スリランカ人のウィシュマは留学の在留資格で日本に入国したものの学費未納で除籍されて不法滞在状態になって交番に同居人のDV被害を訴えたら出入国在留管理局に収監されて、同居人からDVされるというので難民申請した。しかし同居人からのDVは「人種、宗教、国籍、政治的意見または特定の社会集団に属するという理由で、自国にいると迫害を受けるおそれがある」とは言えないし、「他国に逃れ、国際的保護を必要」としていなくてスリランカの警察が対処するべきだし対処できるはずの問題なので「補完的保護」も必要ない。入管の対応に問題があったにしても、そもそも難民でないとみなして元気なうちにさっさと送還しておけば死ぬことはなかっただろう。日本だと外国人に入れ知恵して難民申請させたがる左翼がいるけれど、難民の定義に当てはまらない人や直ちに帰国させるべき前科者を支援するのは難民支援でなくて不法滞在支援で、国益を損なう売国行為である。このように難民でないのに嘘をついて難民申請をして滞在期間を延ばそうとする行為が問題になっているので、3回目以降の難民申請者については強制退去を可能にするようにする入管法の改正が審議されている。私は入管法を厳しくすることには賛成である。外国では中国の蛇頭とかの不法移民の密航がビジネスになっているように、入管の対応がゆるくてホイホイ難民認定していたら反社会的勢力が組織的に自称難民を連れてきて渡航費をぼったくったり生活保護費をピンハネしたりして人身売買でシノギをするようになるだろうし、長期収容者がかわいそうだからといって難民でない人を受け入れる理由にはならないので、難民ではないと判断された不法滞在の外国人はそれ以上収容するのをやめて送還すればよい。脱北者みたいに命からがら大使館に逃げ込む人たちなら保護する必要があるだろうけれど、高い飛行機代を払って日本に来て仕事や観光をしてのんびり過ごして不法滞在がばれたり犯罪をして強制送還されそうになったら取ってつけたように難民申請するような人には切迫した危険もないのだから難民として保護する必要はないだろう。LGBTだから迫害されるかもしれないとか野党支持者だから迫害されるかもしれないとか根拠なしに迫害の可能性まで言い出したらきりがない。自称難民には軍事訓練を受けたテロリストやスパイもいるかもしれないし、治安悪化につながる人は普通の査証なら入国拒否するし、長期収容がかわいそうだからといって査証よりも優遇しなきゃいけないわけではない。一番に優先されるべきは自国民の安全である。立命館大学准教授のモハメド・サイフラ・オザキがイスラム国のテロリストでダッカのテロの実行犯だったように、立場がある人でさえ怪しいのだから自称難民はいっそう怪しい。仮放免者を監督できなくて何度も逃亡させている保証人も日本人の安全を脅かすので、逃亡させたら保証人になれないようにするなり仮放免者の連帯保証人として無制限の賠償責任を負わせて犯罪しないようにちゃんと監督させるなりすればよい。デンマークは居住許可証を持たないものの命の危険があるなどの理由で本国への送還ができない難民、犯罪行為や安全保障上の理由から送還される予定の難民、違法行為で有罪判決を受け亡命申請を拒否された難民などを社会に不要としてリンドホルム島に隔離する方針だそうな。これも左翼からは非人道的だと批判されているけれど、自国民の安全を確保するという点では違法行為で有罪判決をうけた人を隔離するのはよいと思う。イギリスは難民ではない不法移民に厳しく対処していて、不法移民法を作ってルワンダに金を払って不法移民を引き取とらせようとしているし、不法移民をBibby Stockholmという船に収容して隔離している。スウェーデンでエチオピアからのムスリム移民の15歳のAbushi Shamse KamalがLunaという9歳の少女をレイプして靴ひもで首を絞めて脳障害を負わせる事件が起きたし、フランスのアヌシーではシリア人の亡命希望者が公園で遊んでいた複数の幼児をナイフで刺す事件が起きたけれど、こうした事件は民度が低い外国人を入れていたらどこでも起こりうる話で、もしこの人たちが日本に来て難民ぶって居座っていたら犠牲になったのは日本人の子供かもしれない。トルコが欧州議会のDV防止条約を脱退しているように、ムスリムは男尊女卑で女性に対する倫理観が先進国の男女平等の倫理観とは全く違うことを理解していないとムスリムを受け入れる国の女性が危険にさらされることになる。川崎市で難民申請中のトルコ国籍のクルド人のプナルバシ・オンデルと連れの無職少年が酔った女性をトイレに連れ込んでレイプして逮捕されたけれど、被害者の尻についた体液がオンデルのDNAと一致しても、石井裁判長は「何らかの理由で付着した可能性があり、犯人の裏付けにはならない」として無罪にして、この外国人びいきの判決も批判されている。日本の左翼はこういうケースでは自称難民の支援と日本人女性の安全のどちらを優先するつもりなのだろうか。立憲民主党の石川大我議員は過去に二度性犯罪で有罪判決を受けたスリランカ人の自称難民の男性を支援して仮放免させているけれど、日本人よりもスリランカ人のほうが大事ならスリランカに帰化して政治家になってスリランカを難民を出さない国にするように努めればいい。・難民受け入れの限度EUはクオータ制で加盟国に難民を割り当てて受け入れさせていたけれど、難民を受け入れると表明したことで密入国者も増えてしまって、オーストリアやチェコは難民の流入を防止するためにスロバキアの国境を封鎖している。イギリスはドーバー海峡をボートで渡って難民申請する人が増えて財政を圧迫しているとして、こうした人たちの難民申請を原則として認めないとする法案を提出した。東洋経済の「野宿で死ぬ子も…欧州「難民大量流入」悲惨な現状 」という記事によると、EUでは難民受け入れ施設が過密状態でウクライナ難民は優遇されてそれ以外の国のアフガンやシリアの難民は野宿したりしていて難民にも格差があるそうな。人権団体は難民を受け入れないのは人道に反すると批判するけれど、人道支援が大事と言っても予算が無尽蔵にあるわけではないし、難民を発生させる国自体をどうにかしないと際限なく難民が湧いてくるし、その全員を救うことは無理である。それに上記のように本当に迫害されている難民とは限らない。そもそも各国家は自国の問題は主権者が自分で解決するべきで、どこかの国の失政や内戦のしりぬぐいをして自国民に負担をかけてまで難民を優先して世話をしないといけない義務はないし、相手の国の法律や宗教や文化を変えて迫害がないように内政干渉する権利もない。移民は就労意欲があって同化して帰化しようとする人もいるのでましだけれど、難民は支援されることに甘んじて就労意欲が乏しくて同化しようとする意志もないので受け入れる側の負担が大きくて、政府の要人や技術者や学者や芸術家とかでもない限り受け入れるメリットも少ない。快く難民を受け入れて手厚く支援していてイスラム教徒にも寛容な素晴らしい人道主義国家のドイツでさえメルケルが多文化共生は失敗したと認めて、スウェーデンは犯罪が増加して福祉にフリーライドする難民に働くように促しているけれど、高等教育を受けていなくて語学力も低くて法律も理解していない難民に何の仕事をさせるのという話で、難民を入れた後のことを十分に考えていない。非人道的だと批判されようが現実的に世界中のすべての難民を受け入れるのは無理だし、無理なことを無理だと理解できないまま実行してから気づくのは馬鹿だし、かわいそうな難民を迫害から保護したつもりが同化せずに難民同士でつるんで好き勝手やって治安が悪化して国内が右傾化して迫害を再生産するのでは本末転倒である。どこかの国に難民を受け入れようとしても受け入れ人数に限度があったり受け入れ後に宗教や文化の違いから摩擦が起きたりしてうまくいかないのだから、国連が難民の保護用の国を新しく作ってそこに世界中の難民を避難させて、その国内の自治は国連と難民に任せるとかのほうがちゃんと保護できて、難民申請を拒まない理想の国ができて人道主義者たちも満足できるのじゃなかろうか。●フィクションと国ファンタジーとかで架空の国が出てくるときはほとんど王国で共和国が少ない印象である。たぶん爵位がある中世ヨーロッパ的世界をベースにしていて、王位継承問題とかをストーリーにしやすいので王国が舞台になるのだろう。恋愛もののフィクションも白馬に乗った王子様が典型的なヒーロー像になっているように、やっぱり王国が中心である。白馬に乗った書記長の息子と恋愛するフィクションは聞いたことがないので、女性は恋愛相手が王子でないと格好良く感じないのかもしれないし、あるいは平民の女性が王族の地位を手に入れるためには恋愛相手が王子でなければならないのかもしれない。『美少女戦士セーラームーン』は月野うさぎの前世が月の王国のプリンセスだけれど、共和制の書記長の娘ではキラキラ感がないから王国のプリンセスとしてプリっとしていないとだめなのだろう。プリキュアは主人公たちは庶民だけれど舞台のクッキングダムやスカイランドとかは君主制で、たぶん子供にとっては共和制よりも君主制の方が権力の構図を理解しやすくてプリっとしているので君主制なのかもしれない。そんでたいてい帝国は王国に攻めてくる悪い国だったりして、スターウォーズは銀河帝国が銀河共和国に戦争を仕掛けていて帝国が悪者になっていている。フィクションはせっかく舞台を自由に作れるのだから王国だらけなのはもったいなくて、変な国家体制の世界があっても良いと思う。例えばトーナメント民主制で候補者同士が直接討論して勝敗を決めて最終的に勝ち残った人が大統領に選ばれるとか、法案個数限定民主制で投票数に応じた数の法案を作った時点で強制的に内閣を解散させられるとか、年齢比例民主制で若者院と老人院に分けて若者院の政治家は任期が長くて老人院の政治家は任期が短いとか、経済小説なら株主民主制で出資割合に応じて議決権があるとか、ファンタジーなら分限君主制で昼は人間の王が統治して夜は吸血鬼の女王が統治するとか、立憲神託制で巫女の神託を議会で議論するとか、民主君主制で王族の中から国民投票で次の王を選ぶとか、SFならタイムマシン民主制で先祖にも未来の世界の投票権があるとか、素粒子が宇宙の主権者になって素粒子民主制で地球や太陽の運営方針を決めているとか、ミステリなら探偵共和制の独裁探偵が法律や人権を無視して自由に捜査できて事件の目撃者を拷問したりして真相にたどり着くとか、そういう国があったら面白いかもしれない。『HUNTER×HUNTER』ではカキン帝国の王子同士が殺しあって生き残った人が王になる仕組みなのはバトル系フィクションらしくてよいと思う。
2023.06.05
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