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最近は田舎に移住して地域おこしをやろうとしたりYouTuberをやろうとしたりする人がしばしば地元民と揉めたりしているので、田舎について考えることにした。ちなみに私は人口10万人程度の港町で育ったけれど、駅がある中心部以外は畑と田んぼが広がっていたので若干田舎だと思う。●田舎とは何か田舎は都会の対義語で、家が少なくて田畑が多い農村や漁村などの場所を指す。田舎と言っても程度の幅があって、都市部まで電車や車で1時間程度の距離ならそれほど不便でもないけれど、山奥とかの過疎地になると町の中心地となるような商店街や商業ビルがなかったり、客が少なくて採算が合わないので飲食店や小売店が少なかったり、インフラが貧弱で消防署がなくて消防団で消火活動したり、人材育成の拠点になる学校がなくて他の町まで長距離通学しないといけなかったり、駅がなくて車が必須だったりして不便である。田舎には自然が多いけれど手つかずの自然でなくて誰かが開墾して整備してきた里山なので、森にも人の手が入っていて林業や山菜取りをしているし、川も治水されていて魚が遡上できるように魚道が作られたり田んぼへの水路が作られたりしていて、間伐や除草や排水溝の掃除とかの手間もかかる。「自然が豊か」というのは決してリゾート地のような写真映えするような素敵なものでなくて、放っておくと草木や害獣や害虫が家を侵食してくるし冬は雪の重みで家が潰れるので動植物と縄張り争いする生存闘争に近いし、除草や雪かきや害虫駆除とかの利益にならない作業が多くて時間をとられるので仕事の効率も悪い。都会の人は田舎暮らしに理想郷のような幻想を持つのだろうけれど、田舎の実態を理解しないまま移住した人は必然的に失敗する。・田舎者は純朴ではない新潟出身の坂口安吾は『堕落論』で、「一口に農村文化というけれども、そもそも農村に文化があるか。盆踊りだのお祭礼風俗だの、耐乏精神だの本能的な貯蓄精神はあるかも知れぬが、文化の本質は進歩ということで、農村には進歩に関する毛一筋の影だにない。あるものは排他精神と、他へ対する不信、疑ぐり深い魂だけで、損得の執拗な計算が発達しているだけである。農村は淳朴だという奇妙な言葉が無反省に使用せられてきたものだが、元来農村はその成立の始めから淳朴などという性格はなかった。」と田舎者を批判している。私も田舎者を純朴と美化するのは間違っていると思う。南極のペンギンみたいに初めて人間をみて無防備にわらわら近寄る好奇心旺盛な田舎者もいるだろうけれど、そういう人は進学や就職を機に田舎を去るだろうし、北センチネル島のセンチネル族みたいに交流を拒否してヘリコプターに弓矢を向けてくる感じが田舎の人間の本性だろう。地域猫でない野猫も人になつかなくて餌をあげようとしてもやたらと攻撃的で威嚇したり臆病ですぐに逃げたりする。田舎ではろくに教育を受けられないので無知で、無知だからこそ未知のものを怖がって、よそ者を見たら泥棒か詐欺師か何かだと思って疑い深くて偏見に凝り固まって攻撃的になる。田舎は飢饉や自然災害とかで困窮してきたので耐乏精神はあるけれど、明治時代から高度経済成長期までの栄えている都市に出稼ぎに行くという思考で止まっていて、自分たちが田舎に産業を作って豊かにするという発想がなくて、金の使いどころを理解していないので教育や産業に投資をせずに補助金目当てに利用者がいない箱物を立てたりして人材や産業が育たないし、文化レベルが低いとそのぶん民度も低くなる。例えば秋田県は見栄っ張りな県民性だと言われていて、実用性よりも見栄を張るために豪華な車や服を買って無駄ともいえるような金の使い方をする一方で、上小阿仁村ではよそから来た医師が高給取りと嫉妬されて定着しないし、2022年の人口動態統計では秋田県は出生率も婚姻率も全国で最低で自殺率も一位になっているので、秋田県には地域特有の問題があるといえる。さらに田舎は人が少ないが故の縁故主義になりやすくて、同じ町長が長年議会を牛耳っていたりするし、市町村議会レベルだと候補者も少なくて無投票当選になったりして変な政治家も多い。新参者の若者やよそ者が無知で頑固な老人たちを変えようとしたところで和を乱すとして対立を招いて多数派の老人たちに疎外されて、不毛な労力をかけるよりもその土地を去る方が個人としては幸せになれるので若者が去って高齢化して人口が減って町村合併して消滅したりしている。田舎者は他の町の成功を見ても他所から学ぼうとしないし、無駄に近隣の市町村に対抗意識を持っていて市町村合併を拒んだりしてつまらない争いをしている。そもそも田舎者に合理性があればよそ者から文化や技術を学んでもっと発展しているはずで、閉鎖的でよそ者を受け入れない保守的なところが発展しないのは必然である。江戸時代は移動制限があって鑑札をもらって関所を通らないと他の藩に行けなかったので農民は土地に縛られていて移住できなくて藩同士の交流も乏しかったけれど、その中でもよそ者と交流が多いところは顕著に発展した。出島がある長崎、北前船の西回り航路の立ち寄り先の日本海沿岸部の港町、米問屋があって商人があつまる大坂、参勤交代で全国から大名が集まる江戸とかで特産品の交易とともに文化や技術も伝播した。例えば宮津節という民謡が江戸末期に日本中の花柳界で流行したそうだけれど、これは丹後に立ち寄った北前船の商人から口伝で伝わったもので、よそ者との交流から文化の発展につながったといえる。岐阜県の白川郷みたいに世界遺産として生活様式を残すほどの価値がある田舎はあまりないのだから、観光名所や産業とかの売りがない田舎こそ開放的になって移住者や観光客を呼んだりして変わろうとしないと発展しない。昔は田舎は本屋やテレビ局が少なくて都会と情報格差があったけれど、今はインターネットが普及して情報格差はなくなったのだから田舎も変わってもよさそうなものだけれど、田舎の実権を持っている老人たちが電子機器を使えないし使い方を覚えようとしないので技術革新や合理化が起きなくて、電卓とFAXを使う昭和の頃の価値観のままで進歩が止まっている。・田舎の生活費はそれほど安くない田舎は地価が低いので家賃こそ安いものの、移動に車が必須なのでガソリン代や車検とかの車の維持費がかかるし、なまじ土地が広い分インフラ整備に金がかかるので水道代やガス代が高いし、雪国では暖房の費用もかかるし、小売店が少なくて競争が乏しいので加工食品は東京より高い。庭や畑で野菜を育てられるならそのぶん食費は安く済むけれど、水やりや除草とかの手間がかかるので労働時間を時給換算したら安いというほどでもない。東京と同じ広さのアパートに半分の家賃で住めるとしてもそのぶん他の出費が増えるので、大きな家に大家族で住むなら田舎のほうが割安になるけれど、単身ならトータルの生活費は都会とあまり変わらない。●田舎暮らしのメリットとデメリット・生活の基本がある自分が食べるものを自分で栽培して収穫するのは生きる上で基本的なスキルである。農家がいろいろな仕事をやっていたので百の姓があるということで百姓と呼ばれたように、畑の柵を作ったりもするし、梅干しや梅酒や干し柿とかも作るし、農閑期は藁で縄を作ったり竹で籠を編んだりする。豊作なら親戚や近所へのおすそ分けもして、近所との人付き合いもあって孤立しない。庭の手入れとかで毎日何かやることがあるので、忙しい半面で体を動かすことが多くて日々の生活に充実感がある。大きな木がある古い神社や江戸時代の頃に作られた町割りを見ると伝統を継承しながら歴史の中の一時代を生きているという時間の感覚を持ちやすいので、都会みたいに故郷もなく孤立するような感覚がない。・食べ物がおいしい田舎では旬の野菜や果物が食べられる。港町だと魚が新鮮なのでスーパーのパック寿司でさえ十分おいしい。山の近くだとたいていソバを栽培しているのでソバがおいしい。私が大学受験のために上京したときに食べたコンビニ弁当のチャーハンがすごくまずくて、こんなものに値段をつけて売っているのかとびっくりした。逆に言えば、コンビニ弁当ばかり食べていた人が田舎に行ったら食べ物がうまくてびっくりすると思う。あと田舎は車の交通量も少なくて空気もきれいなので、散歩するだけでリフレッシュできる。・創造力が培われる田舎は動植物が多いので好奇心旺盛な子供にとっては退屈しない。私は実家から徒歩10分で海に行けたので、子供の時はしばしば放課後にビーチコーミングして貝殻を拾ったり、流木を拾って彫刻したり、防砂林でキノコやアケビやアリジゴクやミノムシを観察したり、キジやウグイスやヒヨドリの声を聞いたり、オジギソウをつついたりキイチゴをつまみ食いしたりしていた。父の実家は山のふもとにあったので、祖父母に会いに行くときは山でオニヤンマを捕まえたり、田んぼで蛙を捕まえたり、川で小魚を捕まえたりしていた。実家の庭の巣箱には毎年シジュウカラが営巣していたし、親戚の家には毎年ツバメが巣を作っていたので、鳥の子育ての様子を間近で観察できた。風の湿り気と土が濡れる臭いで雨雲が近づいてくる気配もわかる。都会みたいにスマホを通じて視覚と聴覚の情報だけが入ってくるのに比べて田舎は五感の刺激が多いので、そのぶん認知能力が向上すると思われる。雑木林にはスマホのナビとかもないので、どっちに行って何をするのか自分で意思決定する必要があるので非認知能力も向上すると思われる。岐阜県では里山学習として森遊びの体験を提供しているけれど好評のようである。都会の小学生が夜10時くらいまで塾に通っているのを見ていると、くたびれるまで外で遊んで夜はちゃんと寝る田舎の生活のほうが健全だと思う。子供を田舎でのびのびと育てたくてわざわざ都会から引っ越す人もいる。芸術家もしばしば静かな田舎にアトリエを作って、森や海とかの周囲の環境からインスピレーションを得ている。・人間関係が面倒くさくてDQNが多い田舎には私立学校がほとんどないので私は高校まで公立学校だったけれど、私が行った中学は市内で一番荒れていて体育教師が不良に膝蹴りされて内臓破裂したりしてたまに警察が学校に来たり、教師が泣きながら職員室に引きこもって授業が中断されたりしていて、教育環境はよくない。DQNに対応する精神力は鍛えられるけれど、いじめとかで潰れる子供もいるだろう。大学に行く人は進学を機に人間関係がリセットされるけれど、ずっと田舎暮らしだと学校の同級生や先輩後輩の人間関係がずっと付きまとうし、車の車種も覚えられてどこに出かけていたとか噂される。それに高卒のマイルドヤンキーが地元に残ってつるむのでDQN率も高くなるし、都会では絶滅した暴走族が田舎にはまだいたりする。田舎は人目につかないところが多いので山や川へのごみの不法投棄もある。犬飼いの民度も低くて無駄吠えしたり放し飼いしたりうんこが路上に放置されたりしていて、私が小学生の時は登下校の道で犬のうんこが雪に埋もれているトラップだらけだったし、放し飼いで飛び掛かってくる好戦的な犬がいたりした。田舎は持ち家が多いので、隣人ガチャが外れてもアパートほど気軽に引っ越せない。町内会の加入拒否や会費の使途をめぐるトラブルもしばしばある。回覧板を隣の家に回すのも非効率で、町内会のホームページやブログを作るなりすればいいのに、たぶん老人がパソコンやスマホを使えないのでアナログなやり方のままなのだろう。・虫が多い土手を自転車で走っているとイナゴが飛んできてバチバチと顔に当たるし、メマトイがしつこく目の周りにまとわりつくし、家にカメムシが侵入してきて臭いし、ムカデも侵入してきて危ないし、植木の葉っぱにイラガとかの毒がある毛虫がいて危ないし、庇に蜂が巣を作ったりして危ない。林の中を散歩していると巨大なクモの巣に気づかずにつっこんで顔がねとねとになったりする。虫が嫌いな人にはストレスが多いだろう。・仕事が少ない田舎の一次産業の農業や漁業はたいてい世襲で、工場はあるけれどサービス業があまりないので、土地を持っていない人や普通科を卒業した人は仕事の選択肢が少ない。よそ者は田舎に引っ越して新規就農しようとしても農地を貸してもらえなかったりするし、役所がイオンとかの大型スーパーマーケットを誘致しようとしても地主や商店街が拒否したりして新規に雇用を生む産業も起きにくい。公共事業も減らされて田舎で稼げる仕事の定番だった土建業さえも成り立たなくなりつつある。●田舎の重要性都会には人も金も集まるので発展しやすいけれど、田舎を放っておいて廃れさせてよいわけではない。特に安全保障の面では一極集中よりも人口を分散させる方がメリットがあるので、田舎も維持して整備する必要がある。・防衛の要になる日本の端の北海道と沖縄と島嶼部は国防において重要なので基地があって、海上保安庁が中国や北朝鮮やロシアの船を警戒している。もし田舎をほうっておいたら密入国し放題になって不法移民が居ついたりするし、ロシアのウクライナ侵攻みたいに外国に侵略されたときにちゃんとした道路や橋や港がないと部隊を配備して迎え撃つこともできないので、金をかけて警備する必要がある。・リスクヘッジになる田舎でも高速道路や電車や港や空港などのインフラが整っていると災害が起きたときの救助や復興も迅速に効果的に行えるようになる。例えば東日本大震災が起きたときには隣の県から支援物資を輸送して炊き出しをしたり家をなくした被災者を受け入れたりした。もし南海トラフ地震が起きたときには反対の日本海側が支援する側になるので、太平洋ベルトだけに集中して投資するのでなくて日本海側にも投資してインフラを整備することがリスクヘッジになるし、もし地震で東海道新幹線が潰れても日本海側を経由して東京と大阪を迂回できるようなルートがあれば復興も早くなるので結果的に損失が少なくて済んで投資が無駄にならない。特に都市部は人口が多いのに自分で食料を生産できなくて輸送が生命線になるので、大都市間のインフラ整備だけでなくて付近の田舎から食料を調達する輸送ルートが複数あることが重要になる。戦時中でも都会の人が田舎に疎開したおかげで空襲を逃れて生き延びた人もいたし、私の実家の付近では集団疎開してきた人たちのために畑を潰して家を建てて、田舎暮らしが気に入った人たちが戦後も帰らずにそのまま住み続けたそうな。田舎の駅や港や空港は利用者が少なくて赤字なので無駄だと言われがちだけれど、緊急時の輸送手段が増えるという点では無駄ではないので、帳簿上の利益だけ見ずに帳簿に乗らないリスクを軽減するためにインフラを維持するべきである。国土が上下に長くて北と南で気候が違うのも農業や漁業をするうえでメリットが多くて、例えば何かの魚種が不漁でも他の地域で他の魚種が豊漁になったりして多種多様な食材を調達できるので食料不足になりにくくなる。●田舎とフィクション都会の人の田舎のイメージはフィクションによるものが大きいと思う。『となりのトトロ』や『おもひでぽろぽろ』みたいにのどかな田舎暮らしを美化するとか、『八つ墓村』や『TRICK』みたいに陰惨な事件が起きたり「祟りじゃー」という迷信深い老婆が出てきたりするとか、ステレオタイプが両極端である。森敦の芥川賞受賞作の『月山・鳥海山』は自身の体験を基に貧しい田舎の実像を描いていてよいと思うけれど、リアリティを重視すると地味になるので大衆受けはしない。『ばらかもん』や『Dr.コトー診療所』は島が舞台で、島は人口が少ないがゆえに人間関係を濃密にして特色を出しやすいものの、癖が強い島民と仲良くするという人情もののステレオタイプな展開になりがちである。島でなくて何の変哲もない田舎は舞台にする価値があるのかというとあまりない。『東京喰種』みたいに誰でも知っている都会を舞台にした方がお洒落な感じで華があるので、田舎はエンタメの舞台になりにくい。もし『埼玉喰種』とかだったらダサい感じがして流行らなかったかもしれない。『SR サイタマノラッパー』みたいに田舎で格好つけようとするギャップを売りにするやり方もあるけれど、何度も使える手法ではない。登場人物が方言を使うと大多数の人が理解できないのも作品作りの制約になっていて、それゆえに田舎を舞台にしていても主人公はたいてい田舎育ちでなくて都会から田舎に行って標準語を話す人が多い。そうなると都会人の目線で田舎を観察して田舎の珍しい慣習や行事に驚いたり感動したりしてリアクションする構図になって、田舎の表層をなぞるだけの似たような展開になってあまり面白くならない。じゃあフィクションでは田舎をどう描けばいいのさという話になる。田舎を異文化として異化するにはリアリティが必要になるし、方言とかの細部にこだわらないと田舎の個性は出ないので、現地を取材して歴史や地理や地元民の慣習を把握することが必須になる。自分の地元や転勤とかで長期間住んだことがある場所を書くのなら問題ないけれど、北条裕子の『美しい顔』みたいに行ったことがない場所を資料と想像だけで書こうとするとリアリティがなくなるので、取材できないなら実在の田舎を舞台にしない方がましである。田舎を都会でない場所として異化の装置として使ったり、都会に対するアンチテーゼとして使ったりするのでもネタにはなるけれど、身土不二や地産地消とかの田舎ならではの思想やその土地の個性を描ければ田舎をもっと活かせるかもしれない。富士山が日本のシンボルになっているように田舎の山も象徴主義のシンボルとしても使えるし、シンボルやメタファーの選択肢が多いと言う点では純文学とは相性がよさそうである。スタインベックの『怒りの葡萄』は大不況で土地を追われた農家の物語としてみれば田舎の話といえるし、パール・バックの『大地』も祖父は農民で、ヘミングウェイの『老人と海』は田舎の漁師の話だけれど、日本だと田舎の小説と言えばコレというような大作がない。「水木しげるロード」みたいに作者の出身地が観光名所になることがあるけれど、うまく田舎をフィクションにできたらいわゆる聖地巡礼としてファンが来て観光にも役立つしスポンサーがつきやすいので、これから田舎系フィクションが発展する可能性はあると思う。今までファッションや音楽とかの文化は渋谷や原宿とかの都会が発祥で田舎に伝播する感じだったけれど、インターネットで情報格差がなくなった現代では田舎こそユニークな価値を発信できるかもしれない。バルビゾン派が田舎発祥だったように、文学でも田舎発祥の流行を起こしたら面白いと思う。
2023.09.27
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最近は脳科学者の茂木健一郎がジャニーズについて「とりたてた才能があるわけでも、すごいパフォーマンスがあるわけでも、ものすごくかっこいいわけでもないそのあたりにいる兄ちゃんたちが人気になった理由は単にたくさんテレビに出たから」「ジャニーズにだまされないでほしい。人生がもったいないし、人生の時間が無駄になるから。ジャニーズはほんものじゃないし、あなたのためでもない。ほんものは他にあるし、あなたのためになるものは他のところにある」「ジャニーズにだまされる人は、芸術の教養が根本的に欠けている。クラシックからロック、ポピュラーまで、音楽のほんものに触れていれば、SMAPや嵐には騙されない」などと言っていたので、これについて考えることにした。●クリエイターとパフォーマーの違いクリエイターは作曲や歌詞や振付に対する著作権を持っているのに対して、パフォーマーは著作権を持っていない。誰かが作った曲や踊りを間違えないように演じるのがパフォーマーの仕事になる。良い作曲家が良い歌手とは限らないし、良い振付師が美男美女とは限らなくて、パフォーマーのほうがクリエイターよりも上手く演じられたりイケメンだったりするので、人前に出るパフォーマーのほうがクリエイターよりも人気になりやすい。しかしパフォーマーは最高のパフォーマンスができなくなったり人気がなくなったりすると引退する。特にアイドルは代わりの若者が次々に出てくるので旬が短くて、30代になって踊れなくなったり老けたりすると俳優やバラエティー番組のタレントに転向したり芸能人や実業家と結婚して引退したりする。クリエイターは自由に作りたいように作品を作れて、自分が作ったものに上手いか下手かの違いはあっても正解や間違いはないけれど、パフォーマーは作者が作った通りに演じないと間違いとみなされる。例えば即興で歌うラッパーに正解や間違いはないけれど、歌手は決まったメロディーと歌詞通りに歌わないと音程や歌詞を間違ったとみなされる。脚本家は自由に脚本を作れて正解や間違いはないけれど、役者は脚本に書いてある通りにセリフを言わないとセリフを間違ったとみなされるし、アドリブの指示がないのに脚本にないセリフを勝手に言うと監督にダメだしされる。森進一が「おふくろさん」に無断で前奏パートをつけて作詞家の川内康範が激怒したように、あくまで作品は作った人のものなので、演者がどれだけ人気だろうが勝手に改変して良いものではない。●ジャニーズのパフォーマンス茂木の言う「すごいパフォーマンス」がどの程度を指すのかは不明だけれど、昭和のエンタメは今に比べたらたいていしょぼいものだった。アイドルが棒立ちで歌を歌っているのに比べて光GENJIがローラースケートですいすい滑ったりバク転したりするのは当時としてはそれなりのパフォーマンスだと思うし、TOKIOが自分で楽器を演奏していたのもプロのバンドには見劣りしても歌うだけのアイドルに比べたらそれなりのパフォーマンスだと思う。ジャニーズのライブツアーは満席だし、ファンはパフォーマンスには満足していると言えるだろう。俳優としてもそれなりに演技はできていて、岡田准一や森田剛が出ている映画は私は面白く見れたし、『池袋ウエストゲートパーク』の長瀬智也ははまり役だと思う。昭和の頃は国内の他のアイドルと比べたらジャニーズは頑張っていたと思うけれど、2010年代にBIGBANGとかのK-POPが台頭してからは見劣りするようになった。K-POPはひとつのグループをデビューさせるまでに1億円くらい投資しているそうで、歌やダンスをみっちり練習したうえで公開オーディションでメンバーを選んだりしているので実力が劣る人が紛れ込んだりしないし、ダンスや歌のうまさだとK-POPのほうがジャニーズより優れている。公開オーディションをすることで人気や実力がある上澄みを厳選できるだけでなくて、メンバー選考に落選した人にもそれなりにファンがついて他のグループでデビューする下地ができるメリットもある。K-POPの男性グループは少女漫画に出てくる白馬に乗った王子様の実写版のような造形をしていてアジア的イケメンのツボを押さえているので、日本のティーンエージャーが惚れるのもわかる。私はK-POPは別に好きでもないけれど、それでもStray Kidsのフィリックスはかっこよさとかわいさが両方あってよいと思う。K-POPの女性グループは顔の見分けがつかないけれど、手足が長くてスタイルは日本のアイドルよりも良い。K-POPは外見やファッションセンスではものすごくかっこいいと言えるレベルだし、それに比べたらジャニーズは長瀬や滝沢とかの一部のイケメンを除いたら茂木のいう通りの「ものすごくかっこいいわけでもないそのあたりにいる兄ちゃんたち」と言うレベルだろう。●パフォーマー偏重の文化私はアイドル全般に興味がない。というのもアイドルはいくら人気があろうが所詮はプロデューサーがおぜん立てした舞台で役割を演じているだけで、そこに芸術性を感じないのである。アイドルも努力しているのはわかるけれど、どれも似たような曲や似たような踊りでそこから新しいものが生まれる期待がないし、クラシック音楽やバレエみたいに伝統と高度な技術に基づいた芸術作品というほどの完成度も見られないので、どうでもいいと感じてしまう。アイドルは推しが一生懸命頑張っている姿を応援する対象であって、芸術作品として鑑賞する対象でないので、応援したい人がいなければそのパフォーマンスに感動もなくて、芸が未熟なだけに見える。子供の学芸会を親が見たら楽しめても、知らない人が見たら楽しめないようなものである。日本はパフォーマー偏重の文化なのに肝心のパフォーマンスがだめなのがエンタメとしては致命的である。韓国発祥の「The Masked Singer」という番組は出演者がマスクで顔を隠して純粋に歌唱力だけを競っているので歌がうまいし、アメリカの「America's Got Talent」もすごいパフォーマンスが見れるので人気だけれど、それに比べて日本のテレビ番組は出演者の実力よりも知名度で視聴率を集めようとするのでパフォーマンスがおざなりである。1980-90年代のバンドブームでいろいろなバンドが個性的なオリジナル曲を作って小さなライブハウスで切磋琢磨して腕を磨いてメジャーデビューをしていてその頃はJ-POPが面白かったものの、2000年代に音楽がデジタル化してCDが売れなくなってからは後ろ盾なしに才能でのし上がるクリエイターが少なくなって事務所の後ろ盾があるパフォーマーだらけになって、今はジャニーズやAKBとかのアイドル系の似たような曲ばかりがチャートに乗ってJ-POPはつまらなくなっている。ミュージックステーションでもしばしば放送事故と言われるレベルの下手な歌を歌ったりして番組が打ち切りになる噂も出ている。アイドルの音楽には忌野清志郎がエフエム東京を罵倒したような強烈なメッセージ性やユーモアもないし、行儀よく振舞うように躾けられたアイドルたちが口パクする様子を見ても刺激がなくて面白くないので、私はアイドルだらけのMステも紅白歌合戦も見ない。AKB系はしばしば素人が踊ってみた動画を投稿しているように、歌やダンスは素人でも頑張ればできるレベルだし、メンバーが何人か変わっても結局は全員で合唱しているので個人の歌唱力の差が出ないので替えがきくレベルの才能でしかないし、アイドルグループを脱退してソロで歌手として自分の才能で成功した人がいない。PerfumeやももクロやBaby MetalやBiSHとかも人気だけれど自分で曲を作っていないので、クリエイターでなくてパフォーマーである。YouTubeにいる歌い手とかはたいてい流行りの曲やボカロ曲のカバーを歌っていて、歌はうまいけれど新しさはない。茂木の「人生の時間が無駄になる」は言い過ぎだと思うし、ティーンエージャーにとっては憧れのアイドルのライブに行ってはしゃぐ体験をするのも青春の良い思い出だと思う。しかし「ほんものは他にある」はその通りで、ジャニーズが自分で大麻ソングや同性愛ソングを作詞作曲するなら私はクリエイターとして評価するけれど、生活態度と歌っている内容が一致していなくてうわべだけ飾った綺麗事を言って本音を言わないのでは所詮は牙を抜かれた事務所の飼い犬で、にせものである。人生経験が乏しくて審美眼がないティーンエージャーがほんものとにせものの区別がつかないのは仕方がないけれど、おっさんやおばさんが若いアイドルを性的目線で見て尻を追いかけるのはさすがにみっともない。●プロデューサーへの依存がハラスメントの温床になるクリエイターが作品を作ったりイベントを興行したりして自力で稼いで嫌な仕事を断れるのに対して、アイドルとかのパフォーマーはプロデューサーがいないと何もできなくて自分で作詞作曲したり仕事を取ってきたりすることもできないし、芸能事務所が歌の著作権やグッズの商標権を抑えているので事務所に不満があって独立したところで持ち歌を歌えなくなったり芸名を使えなくなったりするので、仕事を与えてやるプロデューサーに権力が集中する力関係の不均衡がセクハラやパワハラの原因になる。ジャニーズは他のアイドルと違って旬を過ぎても引退せずに中年になっても事務所に残って仕事をもらっていて、独立しても干されて仕事がなくなるので、ジャニー喜多川一家に長期間権力が集中して逆らえなかったことが問題を悪化させることになったのだろう。テレビ局は長い物に巻かれてジャニーズに忖度して不祥事を報道しなかったくせにBBCに報じられて風向きが悪くなったら手のひらを反してジャニーズを批判してジャニーズ所属のタレントを起用しないと言い出しているけれど、じゃあセクハラや枕営業をしていないクリーンな芸能事務所やテレビ局や広告代理店があるのかという話で、そもそも同じ穴の狢で芸能界自体が腐っているのでテレビ局はジャニーズを批判できる立場でない。企業は被害者への補償が終わるまではジャニーズと距離を置いてCM契約を終了させる方針のところがあるけれど、そもそもジャニーズに関わらず芸能人をCMに起用しなければよい。野口健がネスカフェゴールドブレンドのCMに出たり、高見盛が永谷園のお茶漬けのCMに出たり、docomoがスマホのCMの「森の木琴編」で人が出ないCMを作ったりしたように、別に芸能人を起用する必然性がない。たかがCMでさえ新しいことをやる姿勢がない企業が新しい良いものを作れるとは思えないので、いかにも広告代理店に丸投げして作ったようなアイドルやお笑い芸人を起用するCMには私は好感を持たないし、嫌いな芸能人が出ているCMはむしろ反感を持つ。企業がテレビCMや広告代理店に依存するのをやめれば、間接的にテレビの影響力も減って芸能界のセクハラも少なくなると思う。●ジャニーズはどうなるのかジャニーズが被害者への補償が終わってまともな会社とみなされるまで数年かかるだろうし、テレビ局や企業のジャニーズ外しの流れはとうぶん続くだろう。ジャニーズはテレビの仕事がなくなってもライブで客を呼べるし、ISLAND TVでジャニーズJrの独自コンテンツを配信しているし、ファンクラブの年会費で定期収入が入ってくるし、代わりになるような大手芸能事務所がないので、ショタ需要がある限りジャニーズは存続できるだろう。K-POPとかの比較対象があったところで好きなものが変わるわけではないし、宝塚歌劇団が好きな人が一定数いるようにジャニーイズム的な感じが好きな人も一定数いるだろう。しかしアイドルが中年になってからテレビ局とのコネで俳優になったりバラエティー番組に出たりするルートがなくなると活動の幅が狭くなるし、若いうちに薄給でこき使われてもそのぶん歳をとってもクビにしないで仕事を与えるやり方ができなくなるだろう。稼ぎ頭の若いアイドルからしたら自分たちの稼ぎで先輩のおっさんたちの老後の生活を支えるのはやってらんねーと思うだろうし、SMAPや滝沢秀明がジャニーズを辞めて自分の会社を作ったようにジャニーズを辞める人たちがでてきて事務所に求心力がなくなるだろうし、吉本興業と韓国のCJ ENMがJO1をプロデュースしたみたいに歌と踊りの実力でジャニーズを超えるアイドルが出てきて相対的にジャニーズは落ち目になると思う。いち視聴者としてはテレビや映画がジャニーズだらけの状況が変わるのは歓迎したい。ジャニーズに残る人たちも楽して儲かるバラエティー番組やCMに頼らないで本業の歌や踊りに力をいれて一流のパフォーマーをめざせばよい。アイドルをやりたいならファンサービスを良くしてアイドル活動に特化すればよいし、俳優をやりたいなら最初から俳優として活動すればよいし、マルチタレントと称して全部中途半端なのは一番よくない。せめてカラオケレベルの歌唱力は改善して、↓の人くらいの歌唱力はつけてほしい。
2023.09.12
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最近はコロナ禍で高齢のタクシー運転手が辞めて、一転して観光客受け入れ再開後のインバウンド需要でタクシー不足になって、菅義偉、河野太郎、小泉進次郎、竹中平蔵とかの新自由主義の人たちがライドシェアを提言している。これについて考えることにした。●ライドシェアとは何かライドシェアは配車サービス会社が提供するアプリ上でドライバーと利用者をマッチングさせるサービスで、車だけを貸すカーシェアとは違ってドライバーが客を乗せて目的地まで送り届ける。例えばウーバーだと客がアプリで迎え先と行き先を指定すると、そのルートで送ってもいいよというドライバーが仕事を受けて送迎する。現在は日本では相乗りでガソリン代とかの実費を折半するのは合法だけれどウーバーのような有償で客を送迎するライドシェアは禁止されていて、有償で客を乗せて運転をするには二種免許が必要になっていてタクシーは緑のナンバープレートをつけているけれど、ライドシェアを推進する人たちは二種免許なしに客を乗せられるようにいわゆる白タクを合法化する規制緩和しようとしている。タクシー業界は安全な客の輸送にはドライバーの育成や飲酒運転の対策や車両の整備が不可欠としてライドシェア解禁に反対している。●ライドシェアのメリット・移動手段が増えるそもそもタクシーが不足していなかったらライドシェアを解禁しようという動きにならない。京都はオーバーツーリズムが問題になっていて地元住民がバスやタクシーに乗れなかったりして公共交通機関が足りなくなっているけれど、ライドシェアが解禁されたら移動手段の選択肢が増える。・運賃が安くなるnottecoというライドシェアサービスだと帰省やイベント参加とかの長距離ドライブで車を出す人が相乗りする相手を募集して、ガソリン代や高速代を割り勘することで費用を安上がりにしている。nottecoが相乗り事業を照会したら国土交通省と経済産業省は「道路運送法第2条第3項の「旅客自動車運送事業」に該当せず、道路運送法上の許可または登録を要しない」と発表したそうで、これは合法のサービスである。送迎の対価を払うわけではなくて実費を負担するだけだし、客の目的地への送迎でなくてドライバーの目的地まで誰かが同乗するだけでドライバーが主体なので、相乗りマッチングが合法なのは妥当な判断だろう。ちなみにヒッチハイクも対価を払わないで相手の厚意で乗せてもらうなら合法である。・収入を得やすくなるプロのドライバーになるつもりがない人でも休日にライドシェアで副業したりして収入を得やすくなるし、フリーランスで稼ぐ手段が増えることである程度の失業対策にもなる。・環境に良い車を持っている人が多いのに車庫に置きっぱなしであまり運転しないのでは車を作る資源が無駄になる。ライドシェアで車の稼働率を上げてそのぶん車を買わない人や車を手放す高齢者が増えて社会全体で車の保有台数を減らせば資源が無駄にならない。●ライドシェアのリスク・客が危険にさらされる岡山県のゲストハウスで客に睡眠薬を飲ませてレイプした事件があったけれど、民泊と同様にライドシェアに誰でも参入できるようになるとプロ意識がなくてモラルが低い人まで呼び寄せてしまう。ライドシェアのドライバーがDQNだったら美人の客が乗った時にむらむらしてナンパやセクハラをしたり、道をそれて人気がない所に連れ込んでレイプしたり、自宅を突き止めてレイプしたりする可能性もあるし、酔客を乗せたときに相手の判断力が落ちているのに付け込んでぼったくったり寝ている隙に財布を盗んだりする可能性もある。ウーバーイーツならDQN配達員に当たって食べ物をつまみ食いされたり汁物をこぼされたりしてもせいぜい数千円の被害で済むけれど、ライドシェアだともっと深刻な被害が起きうる。ちなみにCNNの記事によるとウーバーが2022年6月に発表した安全報告書だと、2020年に6億5000万回の配車回数のうちでレイプ被害が141件、性的暴行被害が998件報告されていて、2019-20年の2年間で身体的暴行による死者は20人で、うち15人が乗客だそうな。タクシー会社は車を整備してドライバーの体調やアルコールとかも検査しているし、事故を起こした場合はタクシー会社が補償するけれど、ライドシェアでは車が整備されているか不明だし、ドライバーの運転技術も不明だし、事故を起こしたときにドライバーが保険に加入しているのかが問題になる。タクシーはチャイルドシートをつけなくてもいいことになっているけれど、ライドシェアする乗用車が客の子供を乗せる時も同様にチャイルドシートがなくてよいのかという問題になるし、タクシーよりも運転技術が未熟な一般人がチャイルドシートなしで事故を起こしたら被害が大きくなる。最近は在日外国人が解体業をしていて安全管理が不十分で違法な工事をしているのが問題になっているけれど、それと同様にライドシェアが解禁されたら法律をよく理解していなくて順法意識が乏しい在日外国人が小遣い稼ぎをするようになって、偽造免許証を使って整備が不十分なハイエースに乗車定員を超える中国人観光客をぎゅうぎゅうに乗せて事故を起こしたりするかもしれない。ウーバーイーツで生活費を稼ぎながら旅をする人がいるけれど、同じことをウーバーでやったら土地勘がないところで運転して事故を起こす可能性が高くなる。例えば雪国出身でない人が旅行中に小遣い稼ぎをしようとして冬に不慣れな雪道を運転して客を危険にさらす可能性がある。ライドシェアで誰でも簡単に稼げるようになったらわざわざ二種免許を取ろうとしなくなって、十年単位の長期スパンで見たら素人ドライバーだらけになってタクシーのドライバー不足に拍車をかけてサービスの低下につながると思う。・ドライバーが危険にさらされるライドシェアの議論では客の安全性に焦点があたりがちだけれど、ドライバーも危険にさらされる。ドライブレコーダーが普及する前はタクシーの売上金を狙った強盗がしばしば起きていたし、ドライブレコーダーの普及後も酔客に暴行されるトラブルがしばしばニュースで取り上げられたりするけれど、タクシーは乗客に暴行されたり強盗されたりしたときに行灯を緊急点滅させる機能がついているので車外の人に異常を知らせて通報してもらって助けを呼びやすい。一方で自家用車には緊急点滅とかの装置がないので、事件に巻き込まれたときに運転手を守ることができない。一応ハザードランプがあるけれど、通りすがりの人から見たら車が故障したのかなと思われるだけで異変に気付きにくい。タクシーを盗もうとする人はあまりいないけれど、スポーツカーとかのリセールバリューが高い人気の車種でライドシェアしたらDQN客に目をつけられて強盗されて車を盗まれる可能性があるし、あるいは盗難の下見に使われて雑談の中からドライバーの生活圏や家族構成を把握されて車内にGPSを仕込まれて自宅や駐車場を突き止められて車を盗まれたり家に侵入されたりする可能性もある。個人間カーシェアで車を盗まれる被害が出ているのだから、ライドシェアでも同様に被害が出るだろうし、仲介会社が被害を補償するわけでもないので小遣い稼ぎをするつもりがやられ損になる。ウーバーの安全報告書だと性的暴行事件の加害者として訴えられたうちの43%が乗客だそうで、女性ドライバーの貞操も危ない。アメリカは国土が広い車社会でキリスト教的な隣人を助ける価値観でヒッチハイクしている人を無償で乗せる文化があったので一般人が見ず知らずの人を車に乗せることにあまり抵抗がないし銃で自衛もできるのでウーバーも浸透したのだろうけれど、日本ではドライバーの自衛手段がないので、アメリカでライドシェアがうまくいっているからといって日本でもうまくいくとは限らない。ABEMAでは客目線の議論だけしていて、事故のリスクがあるのが嫌な人は乗らなきゃいいし客の選択肢を増やせばいいじゃんという論調だったけれど、ドライバーも危険だということを認識するべきである。・在日外国人の不法就労インバウンド需要に応える目的でライドシェアを導入するなら空港周辺のドライバーは外国語を話せる外国人が主体になると思う。在日中国人はすでに違法に白タク営業をしていて空港で中国人観光客を送迎して摘発されているくらいだから、ライドシェアが解禁されたら当然やるだろう。就労ビザだと認められた分野の職種でしか働けないのに資格外活動許可を得ずに副業として不法就労する可能性があるし、ライドシェアだとアルバイトと違って労働時間の把握が難しくなるので労働時間が週に28時間に制限されている外国人留学生がその時間を超えて労働する可能性もある。誰でもライドシェアのドライバーになれるのでは在日外国人の不法就労を誘発しかねない。・トラブルの増加タクシーには営業区域や銀座の乗車禁止エリアとかの制限があるのにライドシェアで制限がないのでは不公平だし、法律が整備されないままライドシェアが解禁されると問題が起きると予想される。例えばウーバーイーツだと配達員がマクドナルドとかの人気の飲食店の付近に陣取って注文待ちしているけれど、ライドシェアでもDQNドライバーが駅周辺のコンビニとかに長時間駐車して客待ちして商売の邪魔をする可能性があるし、タクシーと違って自家用車だと外観では客待ちしているかどうかがわからないので取り締まりも難しい。タクシー会社は新人研修をしているので乗車禁止エリアやスクールゾーンの車両通行禁止時間帯とかのローカルルールを把握しているだろうけれど、素人がライドシェアをすると無自覚に違反をするだろう。相乗り型のライドシェアとしてすでに活用されているnottecoでもドタキャンやガソリン代の踏み倒しやナンパなどのトラブルが起きているようである。一般道から入れる姫路SAに集合してから相乗りして車を長期間放置する迷惑駐車が多発しているので一般道から姫路SAへの侵入路が9月13日に封鎖されるそうで、ライドシェアを使うDQNのせいで一般人も不便を被ることになる。●私の意見規制する理由があって規制しているものをリスクを顧みずに規制緩和するのは改革でなく改悪である。どんな業界でも素人が大勢参入したら質が悪くなるので、タクシー業界が自分たちの既得権益を守るためだけにライドシェアに反対しているとみなすのは筋違いで、安全性を保つためにも規制は必要である。竹中平蔵はPIVOTの動画でウーバーが10年で15兆円の企業価値を持つようになってライドシェアが成長産業なのに既得権益のタクシー業界が反対していると言っているけれど、安全対策にコストをかけなければそのぶん儲かって当然である。規制緩和したら儲かるのはライドシェアに限った話でなくて、例えば大工不足だから建築基準法を無視して中国のアパートみたいな脆い家を誰でも自由に建てていいとなったら儲かるだろうけれど家が倒壊して死ぬ人も出るし、看護師不足だから資格を無視して素人が自由に訪問看護していいとなったら儲かるだろうけれどでたらめな処置で死ぬ人も出るし、誰かが儲かる一方で不幸になる人を生み出してよいのか、それを経済成長と呼べるのかという話である。たぶん竹中平蔵はライドシェアを推進しているくせに自分がライドシェアで貧民のみすぼらしい車に乗るつもりはなくて安全なタクシーを使うだろうし、自分が規制緩和の被害を受ける側だとは思っていなくて自分が儲かれば不幸になる人がいてもいいと思っているのだろう。論語に「子曰、放於利而行、多怨(自分の利益ばかりを考えて行動すると人から恨まれることが多い)」とあるけれど、利己的に儲けてきた新自由主義者はそろそろ恨みを自覚する頃合いじゃなかろうか。それに政府がタクシードライバーを増やしたくて規制緩和をやるならまずタクシー業界の規制緩和からやるのが筋で、二種免許の取得費用を下げたり個人タクシーの開業条件を緩和したりする政策をやればいい。需要が多すぎてタクシーが足りない状態を解決したいならタクシーの運賃を上げれば需要を減らせるし、タクシー会社が儲かるようになってドライバーの給料が増えればタクシー会社に就職する人も増えて需要と供給が均衡してドライバー不足は解消するだろう。もしライドシェア推進派にごり押しされてライドシェアが解禁するとしても、一定の安全性を担保するために何かしらの制限は必要である。日本国籍で65歳以下で免許を取ってから10年以上の運転歴があって3年間無事故無違反で前科がないことをドライバーの条件にするとか、観光客が多い大都市や観光名所限定で解禁するとか、自宅から10キロ圏内だけしかライドシェアの営業を認めなくて土地勘があるところの利用に限定するとか、出発地点と目的地の距離を10キロ以内に制限するとか、空港とホテル間の特定のルートだけ解禁するとか、車の乗車定員が何人だろうが最大3人までしか客を乗せてはいけないと人数に制限をつけるとか、ドラレコ装備を義務付けるとか、軽自動車での営業を不可にするとか、借りた車での営業を不可にするとか、てんかんとかの持病がある人の運転は不可にするとか、強盗や性的暴行防止に夜間の営業を不可にするとか、ドライバーや客の本人確認や車両の確認を厳格化するとかして、ミニマックス法を基準にして運転技術が未熟な人や外国籍の人はライドシェアのドライバーになれないようにして違反を未然に防いで事故が起きたとしても被害を最小限に抑えるような仕組みは必要だろう。タクシー不足は客にとっては不便だけれど、タクシー会社にとっては商機でもある。昔はタクシーといえばクラウンコンフォートでどのタクシー会社を選ぼうがたいして違いがなかったけれど、平成27年に道路運送車両保安基準が廃止されてどんな車種でもタクシーとして使えるようになったそうで、そこにタクシーが活躍するチャンスがあるかもしれない。私はライドシェアよりも個人タクシーの開業条件を緩和すればよいと思う。運転を専ら職業とした期間が10年以上という厳しい条件をなくして二種免許を取ったら個人タクシーを開業できるようにして、個性的な車で副業として個人タクシーをやる人が増えれば観光客にとっても面白いだろう。林道や砂浜を走れる四駆オフロードタクシーとか、ドライバーがコスプレしている痛車タクシーとか、巨大スピーカー付きのテンションアゲアゲタクシーとか、大型犬を乗せられるペット可ワンボックスタクシーとか、乗り物酔いしにくいように足回りにこだわったタクシーとか、チャイルドシート完備で暇つぶし用のモニタ付きで保育園への幼児送迎に特化したタクシーとか、大量の荷物を運べるデコトラタクシーとか、個性的な個人タクシーが増えたらその車種を予約して乗りたがる客はいると思う。儲からない業界には人は集まらないのだから、タクシーの運賃の認可の規制も緩和してホテルみたいに需要に応じて柔軟に値段を変えられるようにして、予約が殺到する人気のタクシーはそのぶん料金を高くして市場原理で儲かるようにすればよいと思う。
2023.09.07
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